鶴の恩返し
艦これ掌編その3
翔鶴と民間の女性と結婚を決意した提督のお話。
桜が舞う鎮守府の通り道で、私はふと昔のことを思い出します。艦娘として生を受けて、三年目のことになります。
私こと翔鶴は、五年前の今日、この横須賀鎮守府で第二の人生をあゆみ始めました。ひどく不安で、心細かったのを今でも覚えています。まるで自分のものではないような記憶。艦とも人間ともおぼつかない自分に、何度「お前は誰だ」と呟いたかは分かりません。
ですがそれも、一年がすぎる頃にはなりを潜めていました。後輩とも言える仲間達や、何より妹の瑞鶴が着任したからです。心の整理がつきかけていた時に頼まれて、少しだけ困惑してしまいました。
……それから一年経ち、瑞鶴も、他の艦娘も心理的にも戦力的にも十分に成長していました。私もその頃には、古参の艦娘として色々な自覚が出来てきました。そんな私がやる事は、主に出撃と遠征指揮、資材管理でした。秘書として提督のお側にいることも少なくありません。……いつの間にか、提督も含めた皆さんに信頼を寄せていただけました。現在でもそうですが。
そして、三年目。私はあるものを見てしまいました。提督の机の奥深くに存在していた、結婚指輪です。……それは艦娘に贈るためのものではなく、一般人の女性に送るための、ごく普通の指輪でした。その時はひどく動揺しましたね。ええ。私たちは捨てられると、なぜかそう思っていたのですから。
結論から言うと、その指輪は提督の奥方に当たるお方に贈るものでした。今でもまぶたの裏に、結婚式の日に奥方に指輪を贈られる提督の姿がありありと浮かびます。……その時、私は何故か涙が止まりませんでした。なんで泣いているのか……その理由はあまりに単純明快で、あまりに愚かに過ぎました。
部下であるのに、そして兵器でもあるのに、提督のことをお慕いしていたのです。兵器にも関わらず、なんと烏滸がましい感情なのでしょうか。……そんな愚かしい私を、しかし提督はおそばにおいてくださいました。
そして桜が咲き、散華するこの日がやってきました。
「翔鶴」
「提督。準備の程はよろしいのですか?」
「ああ。………色々とありがとうな」
「勿体無きお言葉です。こちらこそありがとうございました。どうかお幸せに」
今日は、提督の退任する日です。内地の奥方の元へと戻り、今まで稼いだお金でゆっくりと安穏たる日々を過ごすのだそうです。そんなことを意気揚々と語る提督の姿を見ると、胸が痛くてしょうがありませんでした。
……こんな烏滸がましい感情、海に捨ててきたと思ったのに。なんてざまなんでしょうか。
私が内心ではふつふつと何かを燃やしている間に、提督の奥方が門から出てきました。
……身長は響ちゃんと同じくらいで、濡れ羽の烏のようなつやつやとした黒髪がとてもお美しい方です。しずしずと歩いてくる姿は、さすが提督がお選びになる方だ、と思わせるほどに洗練されています。
こんなお美しい方を娶られて、提督はさぞ幸せなことでしょう。……そう思うと、心のうちでふつふつと燃える何かが、ふと突発的に溢れだしました。
……そうなのです、私は兵器。ですが心を持ってしまった。それは誰のせいなんでしょう。……言うまでもありません、提督のせいです。こんな苦しい思いをしなければいけないのは、一体全体誰のせいなんでしょう。答えは至極単純、提督のせいです。
胸のうちにふつふつと湧き上がる気持ちに身をゆだねてしまいたくなります。……いえ、むしろもう、ゆだねてしまっています。歪んだ愛が、心が、私の理性という何かをとっぱらってしまっていたのです。
「――全機発艦」
「翔鶴――」
続けざまに弓を引き続けます。今の私の装備は艦爆です。僥倖と言わざるを得ません。
爆轟に提督の手足がちぎれ飛びます。悲鳴と慟哭の声が私の耳をつんざき、正体不明の悦楽を私に与えます。これ程に楽しいことがあったでしょうか。いいえ、ありません。これ以上に楽しいことがあってはいけないのです。
そうやっているうちに、提督の奥方の頭部が吹き飛びます。ああ、その悲痛に歪んだ顔が艶かしいです。……私の練度は非常に高いので、提督は殺してはいません。しかし死ぬのは時間の問題でしょう。
達磨さんになった提督へと歩みを進めて、その血みどろの唇に口づけます。鉄臭い香りが口腔に蔓延って、何となく気持ちいいです。そのままゆっくりと味わい尽くします。提督の血を、提督の舌を、提督のいきり立つイチモツを。咀嚼して味わいます。
爆炎の中に映る私の頬は、何故か冷たかったのを、今でも覚えています。
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