アシスタント空母
日常モノです。誰も死なないし、沈まない。もし沈めた日には58がオリョクル5000回行ってきますので……
武蔵が着任してほしくてたまらない呉鎮守府長官は、仕事の疲れから黒塗りの工廠に入り浸ってしまう。妖精をかばいすべての責任を負った長官に、秘書艦鳳翔は……
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「もう嫌ァァァァ!」
髪をツインテールにした瑞鶴が、ドアをバンバン叩く。ドアノブを必死に回そうとするが、回らない。
そうだ、鍵、鍵がかかってるんだ。外さなきゃ、外してここから出なくては。
そんな瑞鶴の肩を恐ろしい力で掴むものがいた。
加賀だ。瑞鶴の先輩にして同じ空母の、この泊地で一二を争う実力者―――は鉢巻をしめ、クマの目立つ目をこちらに向けて睨んでいた。
「何、しているの……」
「い、いや、その……」
「逃がすと思ってるの?これは命令なのよ」
襟を掴んで、加賀が瑞鶴を机の前まで引っ張る。
「やだ、やだ!なんでなの!加賀さんも提督に言いましょうよ!」
「その提督がやれって言っているのよ……」
加賀は自分の机に座って、ドリンクを飲んだ。目が少しだけ覚醒したようだ。
「もう嫌!背景描きたくない!モブキャラなんていらないじゃないの!」
「いいからやって……こっちだって横線のトーンでもう、眠たい、の……」
「加賀さん!?加賀さァァァん!!」
※
事の始まりは、もう二週間ほど前にさかのぼる。この二人の所属する呉鎮守府の朝会でのことだった。
「重巡洋艦以上の艦は談話室に集合の事」
そんな提督の言葉に従い、五十人ほどの艦娘が談話室に集合していた。
「一体、むぐ、何の、はんぐ、ご用でしょうかね」
「赤城さん、食べながらしゃべるのはお行儀悪いですよ」
一航戦、と呼ばれる赤城、加賀。この二人は泊地でも指折りの猛者だ。彼女らの活躍によってどれほどの戦果がもたらされた事か。どちらかといえばおっとりしているように見える赤城や、冷静に事を運ぶ加賀は素晴らしい連携を持つ。
「最近は内地近海も落ち着いています。そんなに気にすることも無いはずですが」
「なのよね……あ、足音。そろそろ提督も来る頃ね」
赤城は耳の良い、というより勘が良い。だからこそ、戦果を挙げてこれた。少々慢心に身を任せることが多いのが玉に傷という奴だが、今のところそれが問題になった事はない。その欠点を加賀が完璧にフォローするものだからだ。
ドアが開き、白髪頭の老人が入ってくる。髭が長く、老将という表現の具現のような男性、呉鎮守府の長官だった。
「敬礼!」
最古参の艦である長門の鋭い声に、五十人の艦娘が一糸乱れない敬礼をした。
「ふむ。よくぞ皆集まってくれた。楽にするように。休め」
「はっ、直れ!」
長門がまた号令をかけた。まるでぶれない敬礼が繰り返された。
「今回の召集の理由は他でもない。来月の観艦式のメンバーを決めることじゃ。呑気な事と思う奴もおるかもしれんが、これもまた軍の役目だと思って勘弁してほしい。まずは既に決まっているメンバーを発表する、長門―――」
長官の持つ用紙ボードに注目が集まる。観艦式のメンバーというものはこの鎮守府でもよほど優秀と認められたものでないと務まらない。
だからこそ名前をよばれた艦娘は、大げさにしろ控えめにしろ喜びをあらわにする。旗艦の長門、金剛、妙高、青葉、赤城、そして最新鋭の戦艦である大和。彼女らの顔には誇らしい笑みが自然浮かんでいた。
長官はボードから目を離して、その他の艦娘を見る。
「以上が、現段階における観艦式のメンバーじゃ。誤解しないでほしいが、これはあくまで格好つけの御神楽じゃ。けして実力差があるわけではない。そこのところよくよく理解するように」
赤城が心配するように加賀を見た。加賀は制空権確保のための働きが多いため、戦果で言えばやや冷や飯食いの身だ。それでも、実力で言えば呉鎮守府きっての空母である。
が、加賀はいつものような澄まし顔だった。気にしてないと言わんばかりに、前を向いている。
「それでは、また別件じゃ。秋雲、例のものを」
どこにいたのか、長官に言われた秋雲がばね仕掛けの人形のように前に飛び出して敬礼をした。
「駆逐艦秋雲、配ります!」
呼ばれなかった艦娘に、白い紙が配られる。
「なにこれ?」
正直な感想を述べたのは瑞鶴だ。ぴらぴらと紙を振る。
「ええ、紙です。鉛筆もどうぞ」
秋雲は鉛筆も一緒に配った。
「全員いきわたったな。よしよし。では始める。秋雲、前に出ろ」
秋雲が前に出て、椅子に座る。
「全員、手元の紙と鉛筆で秋雲を描け」
ざわっ、とざわつく。当然だ。何をさせたいのか、意図が分からない。
「提督」
加賀が手を挙げた。
「何じゃ?加賀」
「この写生大会の意味は一体なんですか?」
その質問に長官は口角を上げただけだった。
「終わったら教えたる。じゃけえ、なんも言わんと描いてくれ。言っとくがこれもきちんとした勤務じゃけん、真面目にやってくれにゃあならんぞ」
加賀はそれを聞いて、大人しく鉛筆を手に取った。
「時間はどのくらいです?」
「そうさな……まあ四十分としとこう。観艦式のメンバーは今より一時間休みとする。かかれ」
ごちゃごちゃ言った声も、長官のかかれの号令で綺麗に消える。三人寄ればかしましい女性とはいえ、そこは艦娘といったところだ。
※
「ほう……瑞鶴、大したものじゃな」
瑞鶴の絵を覗き込んだ長官が、感嘆の声を上げる。ホップなデフォルメがきいているが、秋雲の特徴をよくつかんでいる絵だった。
「えへへ……こう見えても絵は得意なの。今度提督さんも描いて上げよっか?」
「そりゃええのう。ええ土産になるわい」
そこまで言って、提督は他の艦娘の方に向かった。
「お、雷は……」
「司令官、良く出来てるでしょう!」
自信満々な笑みまで浮かべて、雷が良く見えるように長官に紙を向ける。
はっきり言って、上手くない。消し炭が浮いているように見える。
「ああ、雷は上手じゃの。じゃけぇ今度からはもっと頼るけえの」
「当たり前でしょ。もっともっと頼ってくれていいんだからね!」
自信に満ちた笑みに何となく長官の心にちくりと来たが、頭を一撫ですると他の艦娘の方に向かった。
「お、こりゃあ玄人はだしだな。加賀、経験あるんか?」
加賀のもった鉛筆は意志を持ったようにきちんとした秋雲のデッサンを完成させていた。遊び心というものは感じられないが、写真のように正確な絵だ。
「ええ。嗜み程度ですが。学生時代に少しだけ」
「ほおお……こりゃ大したもんじゃなあ。もう完成かえ?」
「いえ、時間もまだ余っていますから。もう少しやります」
かたい表情は崩さないものの、加賀の声がいつもより少しだけ上擦った。褒められて喜んでいるのだろう、と思った。
※
四十分なんてあっという間に過ぎてしまう。しかしその時間まで鉛筆を握っていた艦娘は極々少数だった。大体の艦娘は鉛筆を回して手悪さをしたり、あいたスペースに落書きをしたりしている。
「……お疲れさん。終わりじゃ。近くに居る奴で集めてワシに渡してくれや」
艦娘たちが三々五々集めた紙を提出する。長官は数を数えて満足げに頷いた。
「よっしゃ、これでよしっと。ほんじゃ今日は終いじゃ。酒保を解禁するけぇ好きなように過ごしんさい。秋雲ちゃん、来てちょうだいなっと」
「はいはーい、行きますよォ」
何とも軽々しいやり取りをした後、二人が出ていった。
全員少しだけざわついたものの、それだけだった。酒保が解禁された以上、今日は半ドンの休日という事だ。艦娘たちは思い思いの時を過ごし始めていた。
【加賀、瑞鶴、雷の三人、すぐさま長官室に来るように】
そんな脈絡もない命令が下ったのは、翌日の正午だった。昼飯時に呼び出しを喰らった三人は小首を傾げながら、長官室に向かった。
「失礼します。加賀以下三名、出頭いたしました」
ノックをして、長官室の中に入る。秘書艦を勤める鳳翔が笑顔で出迎えた。長官は深く椅子に座り込んでいる。なぜか秋雲も傍にいた。
「ご苦労さん。飯時にすまんの。まあそこの椅子にでも掛けんさい」
「はあ」
加賀が座ると、雷、瑞鶴の二人もそれに従った。
「さてと……どっから話したもんかのー。鳳翔さん、とりあえず帳面を持ってきてくれるかのー」
「ええ、了解しました」
数分後、帳簿を持ってきた鳳翔と、資材管理部の明石もやってきた。
「まずはこいつを見てくれんかの」
開いた帳面を見て三人は息をのんだ。
赤い、実に真っ赤な字のアラビア数字が並んでいた。
「なにこれ」
右端に居た瑞鶴が声を上げた。その横から帳面を覗いていた雷もイマイチ理解できていないらしい。
呆けたような顔をした加賀だけは、この赤字が何を意味しているのかを理解しているらしかった。
「提督、これは……」
「すまん……すまんな、三人とも」
長官は、俯いたまま謝罪の言葉を口にした。戸惑う視線を向ける加賀だけが浮いていた。
「でさ、これ何?わっかんないな」
瑞鶴と雷はのんびりとした顔で、ソファに深く座り込んでいた。
「いい年してこの意味も分からないんですか。だから五航戦はゆとりとかいわれるんですよ」
雷を挟んで、加賀が非難するような視線を向ける。その言葉に瑞鶴は迎え撃つような目線を向けた。
「うっざ。ゆとりゆとり言う人とか。分からないモノを知ったかぶる見栄っ張りさんよりましだと思うんだけどなァー」
「ちっ……五航戦風情が偉そうに」
「古参兵っていうだけで威張る戦艦崩れに言われたくないんですけど~。まっ、仕方ないですよねー。年寄りに出来ることなんて愚痴と冷や水と相場が決まってますしィ~」
半ば挑発としか思えない瑞鶴の間延び口調に、加賀の青筋がひくひくと動く。目つきも鋭いものに変わっていく。
すわ核爆発か。そんな事を考えた長官はあわてて執務机の裏に直行しようとして、鳳翔に阻まれた。優しい笑顔のはずなのに、やけに威圧感がある。
「ちょっと!皆分かった風に言っているけど、結局何が言いたいの?それを教えてくれないと、何が何やらわかんないわよ!」
険悪な雰囲気の間に居ながら、雷はなにも感じなかったように、腰を浮かした長官に質問を投げかける。あの誰もが目を背けたくなるほど、とげとげしい雰囲気に挟まれながらキョトンとしていただけであるし、案外小さいなりして胆力が座っているのかもしれない。
「はあ……これはね、今の鎮守府の経済状況。赤い数字は歳入……要は儲けたお金に資材が払ったお金に追いつかない状況ってこと」
「って事はこれ借金!?うっわ大変じゃん、提督さん!」
「そんな単純な話ではありません。赤字だからといってそれが借金にすぐつながるという訳では……提督?」
頭を抱えている長官は何も答えない。鳳翔が全員分のお茶を持って来ていた。
「その点については私から説明いたします。ま、簡単明瞭な話なんですけどね」
明石が万年筆で、赤字部分を叩いた。
「これらの赤字分の補填は今のところ済んでいます。とはいえそれの多くが地元の銀行と金融会社の債権と手形で成り立っていますが。さてこちらの手形の期限が来月の観艦式の翌週です。それまでに何とかしないと詰みですね。破産です」
「な、なんでそんな事が」
加賀の言葉に、びくりと肩を震わせた。
「ええ、私も驚きました。片棒を担いでいたのは私だったんですけどね」
明石が、何処からかボードを差し出す。
「大型建造……大和型を出迎える予定で回していたのですが、何せ国単位でも持て余す戦艦です。建造することすらままならず、大量の資材を投入するものの失敗の連続……まあ誰しもが思いつくような転落ぶりですね。提督」
「すまん……大艦巨砲の魅力に勝てんかったんじゃ……」
提督が頭を下げて、三人に謝る。なんだか哀れだな。なんとなく瑞鶴は思った。結構歳のいった老人にしか見えない。
「大丈夫よ司令官!私が居るじゃない!もーっと頼ってくれていいんだからねっ!」
「ありがてえ……ありがてえ……」
初老をとっくに過ぎた男性が、まだ子供と言えるような少女に縋って泣く姿は見ていて見苦しい。なんというかシュールすぎる。
「さて、ここで問題なのですが。この大量の負債を一体どうやって無くすべきですか?」
「おお、雷ちゃん。頼めんか?」
「任せて!どうすればいいの!?」
「なに、ちょいと写真を撮って……嘘じゃ。雷はそのまま穢れなくおってくれ」
雷以外の鋭い非難の目線に耐えきれなかったのだろう。消え入るような声で、長官は引き下がった。雷だけ、状況が読み切れないのかキョトンとしている。
「何処が壊れてます?」
「頭かなあ?」
「いっそ壊して再構築させた方がましかもしれませんね」
明石の辛辣な言葉に、加賀と瑞鶴が追い打ちをかける。
「ぐっ……どうせ資材を貯めたところで貴様ら空母組の腹の中じゃろうが。大ぐらいばかりのろくでなしどもめ」
提督もせめて一矢とばかりにやり返す。加賀の青筋が一本増えた。
「そうですか。なら転属願いを書きますので」
「待て待て待て、何処に行く気じゃ」
「南方根拠地なんていいですよね。バナナ食べ放題ですし」
「貴様一人逃げることは許さんぞ。書いたら破り捨てちゃる」
「職権濫用じゃないですか」
「なあ、わしもそろそろ孫がいてもおかしくない歳じゃ。退役なんか恐ァないけんの。しかしこんなやけどを残してしまったらわしの退役後のプランが台無しじゃ」
「自業自得ですし、もうすでに色々と台無しですよあなたは」
加賀の露骨な呆れ口調にイライラが募る。
「しかし、ここで解決策が出てきたという訳じゃ。まず今度の観艦式を大々的に行い、客から入場料をせしめる。ついでに屋台やら那珂ちゃんのライブやらで追加収入をしっかり確保するという訳じゃ」
「はあ」
「なんじゃい煮え切らん返事をしおって」
「別に。その大々的な観艦式とやらを開く資金をどこから持ってくるのかと思いまして」
「心配ない。民間との交流という名目で軍令部から少々の資金を融通してもらえる。後はまあ、柱島基地やらの衛星基地から引っ張ってくる。まあ資金繰りに関しては任せんさい」
「任せたからこんな事になっているのですがね」
そこで一旦会話が途切れたのを見計らい、瑞鶴は軽く手を挙げた。
「それで。結局提督さんはどうして私達を呼んだわけ?まさかこの三人で屋台をやるの?」
長官は、そこでようやく本来の用事を思い出したのだろう。さっきからずっと後ろで控えていた秋雲に目をやった。
「まさか。雷ちゃんはともかく、無愛想な加賀に凡ミスの女神の貴様に任すわけなかろうが。それなら第六駆逐隊に任した方が余程マシというものじゃ」
にべにもなくそう言い放つが、瑞鶴としてはあまりイラつきもしない。加賀は苦手だ。前の赴任地だった瀬戸基地からの同僚だが鉄面皮に無愛想、そのうえとげとげしい皮肉を冷淡な口調で発するものだから、どう接すればいいのか、戸惑っている。
想像してみれば、なるほど雷の負担ばかり目立つ屋台になることだろう。御免蒙りたい。
「秋雲、例のモノを三人に見せてさしあげろ」
「りょうかーい」
秋雲が三冊の本を各自の前に置く。
「なにこれ?」
薄い。人差し指と親指で苦も無く持ち上げられるほどの厚さしかない。少なくとも酒保で買える本ではない。
「こいつは同人誌と言うもんでな。秋雲先生はこの本を1千冊も売る大先生なんじゃ」
「これを?一冊いくらで」
加賀の質問に、長官はニヤニヤしながら秋雲と笑いあっている。瑞鶴は気持ち悪いなと思うのだが、確かに誰もが納得してしまうほど気味が悪い。仲がいいのは結構な事だが、孫が居てもおかしくないと自嘲する男性と、どう見ても就学年齢の秋雲が笑いあうのは不釣合いだ。
意味もない間を挟んで、長官が口を開いた。
「聞いて驚け、何と千円だ。この小冊子じみた本がそれ程の値打ちもんなんじゃぞ」
「せっ……っ、千円!?この本が?」
意外な金額だったのだろう、加賀が驚いたように本を読み始める。雷は首をかしげつつ、それを横から覗き込んだ。
「サークル、オータムクラウドをよろしくね~」
「壁サークルって、すげーっ!」
長官と秋雲が手を打ちあって喜ぶ。げんなりとした顔で瑞鶴はそれを見ていた。
「なんだかなあ……で、その秋雲の本と観艦式とがどうつながるのよ」
「貴様は勘が鈍いな、気づかんのか。敵機に気付きもせんで大破されては困るんじゃがのー」
「爆撃されたいの?」
そう凄むと、さっとおちょくるのをやめて説明に戻る。
「借金の総額が、五百万ほどじゃ。観艦式のためにもそれくらいの金が必要になるじゃろう。秋雲先生はそれくらい本で御稼ぎになれると申しておられる。なんとも心強いお言葉ではないか」
「ま、大分無理をしてだけどねー。そんな売れた事ほとんどないし」
にゃはは、と笑いつつもしっかりと打算的な顔をして秋雲は頭を掻きながら答えた。
「那珂ちゃんのライブもそれ単体の入場料やら物販、握手券の販売、CD、いざとなったら鎮守府体験コーナーとか作ってでも金を稼ぐんじゃ。銭ゲバになれ!」
「うわあ……引くわあ」
「なんとでも言え。よしようやっと本題じゃ。耳かっぽじってようく聞けよ」
長官が咳払いをする。
「加賀、瑞鶴、雷の三人は現時刻をもって特別任務に就くべし。秋雲のアシスタント」
「は?」
「はァ?」
「了解よ、司令官!」
「雷ちゃんは本当にええ子じゃのう」
反射的な返事をかえした雷以外、怪訝な表情を浮かべる。
「ふ、ふざけないでよ。絵が上手いってだけでなんでそんな事を」
瑞鶴の言葉に睨み返して、長官はつづけた。
「それなら空母の泡風呂でもやってくれるんか?一航戦マッサージに二航戦サンド」
「やめましょう」
「五航戦による七面鳥の焼き鳥」
「うっさい!やめろ!」
ついに切れた二人が長官に勢いよく詰め寄る。
「今のところ考えている出し物は、響もといヴェールヌイ含む第六駆逐隊によるカチューシャの演奏と独唱、それと那珂ちゃんライブ。観艦式による演習観戦。ほかにも考えているものもちらほらありますが」
後ろから鳳翔が二人を止めながら答えた。
「それでも足りるという確証は持てません。最悪雨が降ってチャンチャンなんていう事だってあり得ます。そうなった時、私たちはどうなると思います」
「ど、どうなるって……」
明石が耳を貸せというように手を振った。
「……都市伝説の域を過ぎないのですがね。ほら艦娘の皆さんって御綺麗な方々が多いでしょう。流川あたりにいっぱいいらっしゃるらしいですよ、元艦娘をかたる大人のお姉さん方が」
「……嘘よね?」
「さあ?どうなのでしょうねえ?綺麗な女性というものは何にせよ潰しが利くのでしょう」
「怖いこと言わないでよ!」
瑞鶴は思わず怒鳴った。
「まあまあ、落ち着いて」
鳳翔がにっこりとした満面の笑みで、周りを抑えた。
「この間……長官だって無能無さ……こほん。大丈夫ですよ、私も腕を振るって頑張りますし、皆の力を合わせれば何とかなりますよ」
「鵬翔さん本音本音。隠し切れてない」
口元を手で隠して少しだけ目を見開いた以外、鳳翔の表情は変わらない。瑞鶴は何となく背筋が寒くなる。
「ねえ瑞鶴さん」
両手で肩を掴んで、鳳翔が瑞鶴の目の前に立つ。近い、顔が近い。
「私はね、こんな最悪な戦争なんてさっさと終わらせたいんです。それで長官と一緒に小さなお店を開くことがささやかな望みなんですよ」
「は、はい」
「ですけどね、みんなそんなささやかなお願いを叶えようとする私を邪魔するんです。だからそのお願いを叶えられるように精一杯頑張らなきゃならないんですよ。だから」
鳳翔がニヤリと口角を上げた。半月のようになった口から擦り出すような笑いが漏れだしている。怖い、戦術的存在では鳳翔より上位にある正規空母の瑞鶴が圧倒されている。
「協力、して下さいね」
「ひっ!あ、あのー、私は遠慮したいな、なんて……」
目の前の目が、一旦瑞鶴から目を離す。助かった。そんな気持ちになった時、視線は加賀の方に向いていた。
「かーがさん♪」
「へ、あ、はい」
「やってくれますよねえ?」
「はい」
「ちょっ!」
加賀の即答に、瑞鶴は目を丸くする。よく見れば、加賀の顔が明らかに悪い。全く圧倒されている。
「なら取り掛かって下さいね。早急に、速めに。かかれ」
鳳翔は全く上官の態度で三人に命令を下した。
※
「それでは向うの部屋で私がネームを書き上げますんで、加賀さんベタとトーン、瑞鶴さんは背景とモブの書き上げ、おなしゃーす。では失礼」
翌日の朝早くから、瑞鶴と加賀は部屋にこもる。訓練よりも重要度の高い任務である、秋雲のアシスタントという何十時間単位の任務を仰せつかったからだ。
「っていっても、今のところはやることないですよね」
「そうね。秋雲がネームとペン入れを済ましてくれないとやることないし……」
退屈とはいえ、外に出ることは出来ない。今日も良い天気になるとラジオで言っていたのを瑞鶴は思い出した。これははっきり言って拷問だ。何もやることも無くただ座っているだけというのは。
加賀が手悪さをするように紙にペンを走らせていた。
瑞鶴が、ヒョイと対面からそれを覗き込むと、笑っている赤城が書かれている。
「随分達者な絵を描くんですね」
「まあ、それなりに書き慣れていますし」
ただの白い場だった紙上に、輪郭と影が付けられ、人物となる。赤城の冷静な顔立ちは、瑞鶴にとっては見慣れないモノだが加賀から見た赤城は、こう映っているのだろう。
「こんなに冷静そうな人でしたっけ、赤城さんって」
「赤城さんはカッコイイ方よ。冷静沈着な人」
「そーですかねえ。どっちかっていうと大食いのお姉さんですが」
「それは確かに一側面だけれども、それだけを注視されるのは不愉快だわ」
あとは余計な一言を挟まないように、と加賀が幾分イラついたように言った。やはり気分のいいものではないらしい。
瑞鶴からしてみれば、赤城を上げて自分は陰に隠れたがる加賀の性格が、妙に感じる。加賀だって相当の歴戦艦娘なのだ。前の基地からの付き合いだが、ひたすらに赤城の事を盛り立て、加賀はすぐに奥にすっこんでしまう。当初は嫌味かと思ったが、そうではないらしい。
要するに、加賀は前に出るのが酷く苦手な性質らしいのだ。大多数の上に立って一方的な指示を出すのは赤城に任せてしまい、加賀は一人でがんばっている。
瑞鶴からすれば、首をかしげたくなる。なにも一人でがんばる必要なんてないのだ。加賀の言う事ならば、大体の艦娘は頷くだろうし、長官の信任も厚い。
もっと前に出てもいいのに。そんな言葉を赤城が言っていたのを、瑞鶴は聞いていた。それでも加賀は前には出ない。旗艦になった事すら数えるほどしかない。
「どうして加賀さんは赤城さんばっかりたてるんです?」
「そっちの方が優れている、それだけよ」
「その赤城さんが加賀さんと観艦式のメンバー代わりたいって言ってたって聞きますけど」
ペンを止めた加賀が、瑞鶴をしっかりと見る。
「赤城さんの方がいいのよ」
「なんていうか……もったいない話しじゃないですか」
「……何がです?」
「観艦式出たいって艦娘が山ほどいるんですよ。出れるだけの錬度があって、遠慮して出ませんだなんて失礼でしょ。私だって」
言いたいことは、箍が外れたように一気に出てくる。瑞鶴だって、こんな昼間っからアシスタントの真似事をするくらいなら、名誉の塊のような観艦式に出たいに決まっている。誰だってそうだ。
「空母の観艦式よりも戦艦の方が映えると思ったの。それだけよ」
「出たよ戦艦崩れ特有のこの発想」
「ほっといて、いいじゃない別に」
そこまで言った後、秋雲が二枚ほどの原稿を持って二人の部屋に入ってくる。
「はいこれ、この原稿のベタと背景お願いしますね~、気ィ使ってくださいよ~」
「こんだけ?いちいち持ってくんの、めんどくさくない?」
「そりゃー、構わないんですけどさ。じゃあ今度からはまとめるようにするね。なにせこっからたった一月で新刊四冊も作らなくちゃなんないんだから……ああもう、液タブ買ってくんないかなァ、あの爺ちゃん。手書きはめんどいんだよなァ……」
ぶつくさ言いながら、秋雲は部屋に戻った。
「えきたぶってなんですかね?」
「さあ?」
二人はそんな事を言いつつ、ペンをもった。
※
「……今何時?」
「そうね大体ね……なんていう余裕ないです」
「そうね……」
この任務が始まって何時間たったことだろう。窓の外が既に暗くなり、ペン先を持つ指は震えている。線は引けるが、おぼつかない。
「ちょ……っと秋雲の様子見てきますね。子供なんだし、あまり遅くまで起こしておくのも考えものですし」
「いってらっしゃい……逃げないように」
「うっ……」
加賀が睨むと、ひどく恐ろしい面構えになる。瑞鶴は顔をしかめて秋雲の部屋に入った。
「ちょっと秋雲ー?まだ起きてるの?」
秋雲の部屋は整理整頓をムネとする海軍に所属する人間とは思えないほどの散らかりようだ。ここは秋雲の私室ではなく、特命任務のために設えられた部屋だから、この散らかりは今朝にはなかったはずだ。
よくもまあ一昼夜でここまで散らかせるものだ。変に感心してしまった瑞鶴だが、ここではっとした。秋雲の姿がない。
「秋雲?」
「……」
「何処よ?ねえ」
「……ああ?」
低い声が聞こえた。いつもの天真爛漫な態度はどこへやら、でかいマグカップのコーヒーを片手に秋雲は瑞鶴の前に現れた。やつれているわけではないが、いつもの態度を取り繕うほどの余裕がないらしい。
「あ、いたいた。ねえ、そろそろ休んだらどう?もう夜も遅いことだし」
「はあ?冗談でしょ、まだまだページ数足りないってえの。だいたいわかってる?こんなの序の口なんだよ」
序の口、にしては秋雲も顔色がよろしくない。
「子供が無理しちゃだめよ?しっかり寝て、生活リズムをつけながら頑張らないと」
「瑞鶴さん、甘い。甘すぎるよ。いい?同人誌にしろ商業誌にしろ漫画ってのはそんな理想的にはいかないんだよ。話考えて作ってダメなら没って。そんで一ページのコマ考えて描いて、確認して……そんなのしてたら時間が足りるわけないっしょ?」
「で、でもさあ、健康が一番大事でしょ」
「瑞鶴さん、寝言は寝て言おうよ。ついでに言おうか?これからは秋雲さんに従ってもらうから。秋雲さんに合わせて秋雲さんに絶対服従してもらうからね」
馬鹿な事を言うな、どっちが寝言言ってるんだこのガキ。そんな言葉を口から出そうとした瑞鶴の前に、秋雲が書類を突きつける。
「これ、さっき鳳翔さんに頼んで許可貰ったんだよ」
瑞鶴はそれを受け取り、しっかりと目を通す。
――呉鎮守府長官の名において。呉鎮守府所属駆逐艦秋雲、上記の者を本日未明よりの特命任務においての全権を委任する。
そう書かれた書類の中には長官の花押、鳳翔の署名も入っている。
「ね、分かったでしょ?」
「ばっ……!そんなの通らないはずでしょ!名目上だけでも先任の加賀さんが責任者になるはずじゃあ……」
「専門性の高いこの任務で名目上の責任者を立てる意味なんてないっしょ。だいたい秋雲さん抜きじゃそもそもこの任務成り立たないんだよ。そこんとこ理解してる?」
「で、でも……」
「だからね、早急に一本仕立て上げなきゃなんないの。ただでさえスケジュールは詰まってるんだから。ただ慣れてないだろうから、今から三十分休憩していいよ。それからスケジュール調整すっからさ」
さあさあ休んだ休んだ。そういって瑞鶴は秋雲の部屋から追い出された。
※
冒頭に話は戻る。いつの間にか加賀の机の上には缶コーヒーの空き缶の山、瑞鶴の机の横には精力剤のビンが幾つも転がっている。
「……それ、取って」
「……それって何です?それ、じゃ……わかんないんですけど」
「あれよ……あれあれ……何だったかしら」
「分かりっこないでしょう……」
不機嫌さも出なくなるほどに、二人とも疲労の色が濃い。秋雲のネームの上りが早い上に、容赦ないチェックが入る。妥協しない秋雲によるチェックにより、何ページかが無駄になり、こうじゃないんだと言っては、加賀と瑞鶴の仕事を増やしていく。もはや秋雲の部屋に入るのすら躊躇われる状態だ。
「あああ……窓開けたい……外に出たい」
風通しというものがこうも大事な事とは、今まで考えたことも無かった。何となくだが、空気が澱んでいる、空気に色がついていたら目に見えて、ろくでもない事になっていたに違いない。
「……っていうかなんで余裕がないって愚痴っているのに、こうこだわるんですかね……このページなんか四回目のリテイクだし」
「値段が付く以上半端なモノを創れないでしょう……そもそも、あ……」
加賀の腕が反射か何かで震えてベタが外に出る。加賀の顔が曇る。秋雲になんていわれるか。そして最後にこう付け加えられるのだ。やり直し。
「……なかった事にしてしまいましょう」
「あああ……もう嫌っ!やってられっかってんですよ!だいたいこんなのプロに頼んでよ!私たちは砲をぶっ放したり艦載機を投射することならプロだけど、ペン先で黒塗りにしたりホワイトでそのミスを誤魔化したりモブキャラ書くことはプロじゃないじゃん!」
瑞鶴が持っていた原稿を破ろうとして、加賀に止められる。クマの目立つ顔だが、眠らないのは後輩である瑞鶴に対する見栄もあるのだろう。
「落ち着いて……分かるわ。私だってこんな状態じゃなければ秋雲と提督を纏めてゴミ捨て場に捨てたいくらいだわ」
「……いや、そこまでは」
「でも任務は任務。そして指揮権が秋雲にある。それなら秋雲に従わなければならないわ」
「それは……」
加賀はそこまで言うと立ち上がった。
「でもこっちだって指揮権を持った人間に対する意見くらいは言ってもいいでしょう。行きますよ」
「い、行くって……」
「秋雲の部屋にです。一人だと秋雲の毒気にやられますが二人で行けば怖くないでしょう」
情けないことこの上ない。駆逐艦の艦娘など小中学生くらいの年恰好しかないのだ。そんな子供に、二人して意見具申に行くのが大学生くらいの年恰好の空母艦娘が二人というのも、何か哀愁がある。
秋雲の部屋の前に、立ったは良いが、どちらもドアノブすら握らない。ちらちらと加賀と瑞鶴の間で、視線が交錯するだけでどちらも動こうとすらしない。
「……」
「……」
お互いがお互い、相手がさっさと業を煮やすのを待っている。
(さっさと取りなさいよ。アンタが言ったんじゃない)
(早く開けてくれませんかね。後輩が外れくじを引くのが当然でしょうが)
先に口を開いた方が負ける。しかし舌戦は先手必勝が鉄則。瑞鶴の頭の中で、打算が付けられる。
「……瑞鶴、さっさと開けなさい」
「いえ、遠慮します。どうぞ加賀さん」
「嫌よ。あなたが開けなさい」
(分かって言ってんじゃないの?この焼き鳥空母。先任の言いだしっぺのくせして)
苦々しい心境が外にでていたのか、加賀が溜息を吐く。無表情の鉄仮面だから、無性にイラつく。
「分かりました、分かりましたよ。ここはこれです」
加賀は手を差し出す。どれよ?手首を掴んで極めてやろうかしら。
「じゃんけんですよ、全く困り者だわ。気は利かないし、先が読めないと苦労するわよ」
「しっかり言ってくださいよ。それならそうと。先が読めるとか関係ないし」
「いいからやるわよ。私だって嫌なの。ドアを開けた瞬間罵倒とホワイトを投げつけられたら、もう秋雲をミンチにしてしまうかもしれません」
「いや、我慢してくださいよ」
眠気による疲労がピークなのか、加賀の目が半開きになっていて、いつもより三割増しで目つきが悪い。まあ瑞鶴だって、そんな扱いを受ければ耐えられるかどうかは別だが。
「最初はグーですからね。絶対グーですよ」
「念押ししすぎでしょ……さーいしょは……」
なぜそんな事をしたのかといわれれば、瑞鶴は直観としか答えようがない。絶対グーだと念押しされたにも関わらず、二人の出した手は握られていなかった。開いている、パーだ。
「……なかなかやりますね」
「いやいやいや!先輩あんなに念押ししてそりゃないでしょ!しれっと卑怯な手を使わないでよ!」
「卑怯?面白いことを言いますね。勝利の道を、最短距離で突き通すこと。それを卑怯というのは兵法を知らぬ愚か者であることを喧伝しているようなものよ」
「うっわ、何この言い訳の見苦しさ」
「五月蠅いです。あいこですからもう一回行きますよ」
「はいはい……あいこで、ショッ」
瑞鶴がそのままパー、加賀は握りこんでグー。
「よしっ!幸運艦は伊達じゃない!」
「は?」
加賀が睨む。何なんだこの人、ちょっとは往生際良くしなさいよ。
「何です。また文句ですか?」
「いや、これはおかしいでしょう」
「先輩がグーで私がパーじゃないですか」
「ぱあ?ああ、あなたの事」
「いい加減爆撃しますよ」
「考えてもみなさい、紙が石を包んだから勝ち?そんな珍説がまかり通ると思いますか。石は紙を打ち破るに決まってるではありませんか」
「酷い屁理屈」
「黙りなさい、私が正しいのです。七面鳥は黙って焼き鳥にされてしまいなさい」
「元焼き鳥屋がなにを言っているのやら」
なんとなく一瞬の空気の間。
(はあ、仕方がない)
瑞鶴は渋々だったが、ドアノブを掴んだ。考えて
みれば、ドアノブを掴んで捻って開けるという、三歳児でも簡単に出来ることにひたすらに不毛なやり取りをつづけた訳だ。
(無駄な時間って、こういう事を言うんだろうな)
そう思いながら、それなりに慎重に開ける。下手に荒っぽく開ければ、秋雲からの弾幕じみた罵倒が飛んでくるに違いがない。
部屋の中はますます魔窟じみてきていた。足の踏み場がない。資料を山ほど持ち込んでは、そこいらに投げ捨てているんだろう。
「加賀さん」
「瑞鶴、れっつごー」
「……らじゃー」
もはやあきらめに近いような心境で、瑞鶴が中に入る。狭くはないはずなのに、酷く圧迫感がある。
「いないの?秋雲」
加賀が大きくはない声で奥に尋ねる。何の返答もない。
「変ですね、気配がない」
加賀も瑞鶴も、気配というものを読み取る能力にたけている。戦場に幾たびも出て、尖らせた鉛筆のように鋭い感が、二人にはある。
「あき……ぐも?」
原稿机だけは、他と比べてとはいえ、綺麗に整えられていた。その上にはいくばくかの仕上げだけが必要な原稿が残っていた。
「これは……」
加賀が原稿を何枚かめくると、その最後のページにあった紙切れが落ちて机の上にひらりと滑り込んだ。
『無理でした、ごめんね』
(最悪だ。最高責任者がほっぽり出しちゃったよ)
アシスタントの二人が部屋でどうにもならないうだった空気に嫌気がさし始めていた。
(これ私たちのせいじゃないよね。秋雲のせいだもの。悪いの私じゃないもの)
さっさと任務失敗を伝えに行かなければならないのだろうが、加賀が動かないのに、勝手に瑞鶴が動くのも妙な話だ。しかも下手に動けば、加賀による屁理屈の洪水が来るに違いない。
「ねえ、瑞鶴」
ずっと黙っていた加賀が、切り出す。
「何です?」
「二人で一作、作ってみませんか?」
「え?」
加賀が、身を乗り出す。
「作るんですよ。良いですか。このままじゃ私達も泡ぶろ行きです」
自分もこれぐらいちゃんとした文が書きたいものです。素晴らしい作風なので、見習いたいと思います!