2015-10-24 00:58:52 更新

概要

いつものように、キャラ崩壊は大注意

アニメネタや、ちょっとしたグロもあるかもないかっも


前書き

あんま更新できないかも



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上章




「ひっ……ひィっ……」

 目の前の椅子に、拘束されて目隠しとヘッドフォンをつけた少女は、それだけを繰り返す。途切れ途切れの息を吐いて私の嗜虐心をくすぐってくる。

 背中が歓喜に震える、なんて素晴らしい光景だろう。私はそう思って、彼女の目隠しを取ってやる。涙を浮かべた目で、それでも彼女はこちらを睨んでくる。

「な、なんで……なんでこんな……」

 絶望しきった顔で、私を睨んで来ても、それが私の嗜虐心をくすぐるだけだとはかんがえないのだろう、実に素晴らしい。

「どうして……どうしてなのっ!?」

 私はその問いに、嗤うだけで返した。


【吹雪】


 瀬戸内海に浮かんだ島にあるこの鎮守府は私のお気に入りの場所だ。特務士官出の女性提督は口こど悪いがいい人だったし、私も最先任の艦娘としての嚮導艦として、この鎮守府の一役を買っていた。

 そんな私に召集がかかった。司令室の戸をノックして私は中に入る。

「おろ?吹雪じゃん、チッス」

「陽炎さん?あなたも呼ばれたんですか?」

「そうそう。で、司令官?私達二人に何の用かな?」

 司令室の高級そうな椅子に座り、高級そうな机に肘をつけて煙草をふかしている司令官に、陽炎さんは尋ねた。

「あー、おう。今から説明してやる、休め」

 司令官はそういって手をひらひらさせた。司令官といっても特務上がりで、もう二十代も終わりかけたような人だから、どこか迫力がある。

もちろんその経歴に違わず優秀な人なのだが、二人だけだったら怖くてどもってしまっただろう。

 司令官は机の上の封筒を開いて、中の書類を取り出した。二枚あり、片方が私、片方は陽炎さんに渡される。

「昨今、深海棲艦の進撃もとまって、ようやっと小康状態だ。でもなあ予断は許されないくせに、国民のどいつもこいつももう終わったような顔してやがる。これはいけない、ひいては国の安全保障にかかわることだ」

「まあ平和だからね、仕方ないね」

「か、陽炎さん」

 司令官は気にしない風だが、あまりにも陽炎さんは気安すぎやしないかとは思う。

「ああ、平和だ。悪くねえ。だがこの際、平和になっちまったから艦娘を解き放てなんていう歴史的馬鹿モンを大勢生み出す副作用まであるわけだ」

 馬鹿じゃなかろうか、私だって最前線に身を置いているから世間の感覚とはずれているのだろうが、司令官に同意だ。今敵の艦載機が徒党を組んでやってくる確率だって零じゃない。レーダー網が故障してて、間抜けにも深海棲艦の艦隊が軍港内にこんにちはという可能性も無い訳ではない。あったら困るが。

「軍令部のお偉方はこいつを重く見てな。プロパガンダの方法を模索した、そしてその方法を見つけたんだ。書類に詳しく書いてある。自分の部屋で見たうえで了承してほしい」

 了承してほしい、というのは珍しい。命令だと言われれば、私たちはすぐに従うから。



 部屋で書類を開くと、そこには命令書の形をした何かがあった。

「プロパガンダドラマの名義貸し……?」

 私はその書類をまじまじと見た。どうやら昨今の体制を鑑み、国民を懐柔するという手管の一つらしい。

上手いやり方だとは思った。警察二十四時みたいなものだろう。かっこいいところを見せ、マスコミに提供することでこちらは親しみやすい軍部、日夜深海棲艦との戦いを華々しく脚色なり化粧付けをしてお茶の間の皆様にお届けするという訳だ。 

その中でも驚くことが一つだけあった。

「わ、わ、私が主役ぅっ……?」

 信じられない。真面目だけが取柄で、最近の任務といえば、潜航している敵の潜水艦を沈めなおすような仕事だ。どう考えても華々しさとは無縁な艦娘だ。

 演技は俳優がやってくれるとは言うから、私は判子を押して、名義を貸せばそれで解決する話だったが、少しためらわれた。

 大丈夫なのだろうか、私で。

 私はそんなに目立つことが出来る性質ではない。適任は那珂ではないのだろうか。いつも騒がしく、それでいて明るい彼女なら、お茶の間を明るくさせてくれるに違いない。

 しかし、そこまで考えて、私には別の考えももやもやと上がっていた。

 注目―――

 スポットライト―――

 羨望―――

 私の心の中にはいつも思いがくすぶっている。目立ちたい、尊敬されたい、注目を浴びたい、誰かの役に立っていたい。

 たった一回で良い。私は注目の的になりたかった。地味で、目の前のことしか出来ないような要領の悪い、真面目だけが取り柄の私。それが目の前に目立つチャンスが転がっている。

 気が付いたら、私は判子を押していた。

 

 

【陽炎】

 ははあ、これは凄い。何が凄いってあんまりにも華のない人選をしたものだと逆に感心してしまう。皐月に潮に曙、霰に長月、そして私がメインを張るという内容の小説への名義貸しだという。

 そりゃ名義なんか二つ返事でかしてやるというものだ。それこそ勝手にしろとでも言いたいものだが、そこのところの判断を私に任せてくれるのが、あの特務士官の提督のいいところだ。

 しかし、見事なまでに駆逐艦ばかりだ。市井とはもう長い事御無沙汰しているが、私が世間を海軍のみにしている間に小児愛好家の方々は右肩上がりに増えていったらしい。マジやべえ。

「ロリコンとかないわー……」

 小さい子に欲情とか考えただけでも身震いする。なんたって私はノーマルなんだ。まだまだうぶなネンネでいたい。いや話がずれにずれた。直せ直せ。

「あー、でも気になるかも。どんな風になるのとか」

 私に話が来たという事は、ほかの出演予定の連中にも話がきたのだろう。ならば話は早い。他の駆逐艦にも話を聞くとしよう。

 まず手始めに横にいる皐月だ。おいこら、この金髪ツインテール、ちょっと話をしよう。

「なにさ」

「何してんの?」

「セーラームーンのコスプレ」

「三千院さんの方が良くない?」

「ボクあんなガキじゃないさ。もっと背も伸びる……はずだから」

「ああ、そう……でさ、プロパガンダの奴、知ってる?」

「なにそれ?プロパンガンダーラ?美味しそうじゃないね」

「いや違う。そうじゃないの。聞いてないの?」

「そんなの知らないね。というか、駆逐隊の指揮は殆ど陽炎が一任されるじゃないか。吹雪は第一艦隊だし、叢雲は術科学校に出向、綾波は呉で休暇中とくれば陽炎くらいしかいないじゃないか」

「あんた」

「ごめんだね。ボクはガラじゃない。おっと、そうだ。で、プロ……ああ、いいや。全部、任せるよ。好きにして」

「いいの?それで」

「いいさ。信頼してるし、悪くはしないでしょ」

「そりゃどうも」

 皐月は全く知らされていないらしい。この皐月以外は他の鎮守府に居るものだから連絡を取るのが面倒だ。

 私はサラッとペンで名前を書き、判子を押した。どうせ何をするという訳でもないのだ。精々小説家の先生には格好良く書いていただこう。


【吹雪】


「こんにちは、吹雪さん。これから宜しくお願いします」

「は、はい」

 私は目の前の女性に挨拶した。吹雪―――私の役を演じてくれる女優さんだ。目が大きく、女優というのは綺麗だから出来るのだろうとおもった。私と歳も背格好が似ているからこうやって私の役をやってくれるのだろう。

「でも艦娘の方々は皆御綺麗ですね。とても演じきれるかどうか……」

「そ、そんな。私なんて地味だし、もっときれいな人はいますし」

「いえいえ、そんなことないですよ。頑張ります。ではこちらに。艦娘の方々には特別に席を用意しています。どうぞ、ドラマの収録でも見ていてください」

 年恰好は似通っているが、経験がまるで違った。柔らかい言葉で転がされているような、そんな気持ちだ。

 私は案内されたとおりの席に向かった。心無しでもなく心がワクワクしていた。私の役をやってくれる劇をみる。それが学芸会ではなく、テレビ放映のされるドラマだ。これが楽しみでなくて何が楽しみというのか。

「よーい……アクション!」

 ドラマ監督の声で、吹雪役の女優が鎮守府を望むシーン、そのシーンを見た時に私の身体が震えた。歓喜の震えだった。


【陽炎】


「関口……先生ですか?」

「そ、そうです」

 名刺を差し出されて、私はそこに書いてあった名前を読み上げた。ロイド眼鏡に細身の長身の男だ。浮かない顔をしているが、別に嫌な事があったわけではなく、地顔なのだろう。

 兵舎の応接室だった。司令に呼ばれてほいほいやってきた私を待っていたのは大尉の階級章をつけ、正装した司令と、関口と名乗る小説家だった。

「よう、すまないな。何か用とかあったか?」

「別に無いわ。まあドラマの撮影を鎮守府でやってたから気になっただけ」

「そうか」

 そこで司令は傍らの男に声をかけた。もたもたとした動作で定期入れを取り出して、名刺を差し出して冒頭に戻る。

「こいつは同期でね。私はあれこれ戦果を挙げて特務士官までなったけど、こいつは目を怪我して退官したのさ。そんで物書きになった変わり種だよ。今回プロパガンダのお鉢が回ってきたのも、同期にこいつが居たからなんだ」

「よ、止してくれ。私はあまり……いや、いい」

「そうだな。それじゃ打ち合わせと行こうか」

 三人して机に座る。上座に司令と関口が隣り合い、下座に私が座る。

 目の前の小説家という人間を見るのは初めてだ。私は漫画は読むが小説はあまり読まない。

この目の前の男性は普通の人だった。

「先生……って呼んだ方がいいですか?」

「……へ?あ、いや。せ、関口でいいですよ」

「じゃ、関口さん」

「はい、それで……」

 ため息を吐くように関口は肩を落とす。私は、この目の前にいる男性に興味が湧いていた。何というか鎮守府の工廠で働く年配の男性ばかり見ている身からすれば、この優男が珍しく映るのだ。

 あたふたとした調子で質問したりする関口に対応するが、だんだんメッキじみた自分が剥がれてしまいそうになる。私は元々気軽な性質なのだ。こうも丁寧な対応が続かないのが情けない。

「関口さんさ、小説家ってどんなものなんですか?」

「どんなもの……まあ、あなた方よりは楽ですね」

「いやー、そんな。でも楽しいでしょ?物語をつくるなんて」

 関口の顔が赤くなっていく、はて怒らすような事を言ったかな。あんまり気軽な感じは苦手なのかもしれない。

「あまり虐めんな。こいつは苦手なんだよ、人付き合い」

「えー、せっかくだから話したいなー。小説家なんてそうそう会えないじゃないですか」

「ほー、随分好奇心旺盛な奴だ」

「だって暇だもん。ね、関口さん。どんな小説を書いてるの?」

 敬語をやめても関口は何も言わない、司令も気にしていない。赤くなった顔をしていたが、溜息を吐いて関口は口を開いた。あれが緊張を解く仕草なのかもしれない。

「まあ、それなりに。食えるくらいには書いているつもりですよ。瀬戸から話を聞いた時には驚いたけど」

 司令の名前だ。

「でも実際会ってみると、案外普通の子たちでびっくりしてます。陽炎さん……とかも私の娘と大して変わらない歳なのに、国を護ってらっしゃるわけですし、もっとストイックな方だと思ってました」

「いやーそんなそんな、そんな事もあるかもですけどねー」

 そういう時も無い訳じゃないが、疲れるから遠慮している。大体いつだって気張っていたら持たない。ペースという奴があるのだ、しっかりと。

「で、ですね、小説の事は分からないんで全面的にお任せしたいんですが大丈夫ですか?」

「勿論です、頑張りますよ」

 最初に会った時よりは幾分か力の抜けたような態度で関口は応じた。人付き合いは苦手なのかもしれないが、順応性は高そうな人ではある。要はとっつきづらい人なのだろう。

 と、そこまで考えた時、私は一つ思いついた。おもいつきだ。いきなり考え付いたわけで、その一瞬前までそんな考えは、微塵もなかったのだから。

 ―――小説に、私の妹を出すという訳にはいかないだろうか?

 司令はあっけにとられていた。関口も思いもよらないようにポカンとしていた。

「いや、ほら、不知火いるでしょ。あの子来たばっかりでさ。私について回ってるの。何かきっかけ作ってやりたくて」

「そんなタマかねあの戦艦もどき」

「ほらまたそう言う……不知火はね、自分でも気にしてるのよ。素っ気ない言い方しちゃうしストイックすぎるみたいな印象あるけど、良い子なんだから」

 だがなあ、と言いかけた司令が関口の方を向いた。大分こなれてきた感のある関口はロイド眼鏡をかけなおして司令に聞いた。

「誰だい、その不知火ってのは。聞いたところじゃ随分厳めしそうな方みたいだが」

「あー、そうだ。連れてきますよ、良いでしょ司令」

「おいおい、関口が死んじまうぞ。あんな切れ味鋭い目線に耐えれるか?」

「だーいじょうぶ、ね、関口さん。待っててね」

「あ、ああ」

 跳ねるように私は、二人部屋の私室に向かった。二段ベッドの下段にいた不知火は、派手な音にびっくりしたのか目を見開いている。

「な、何ですか陽炎」

「ちょっと来なさい、すぐにね」

「え、ちょ、な、何なんですか?」

 返答せずに私は不知火の腕を掴んだ。引っ張ると怪訝な顔をしていたが、それ以外は文句も言わずについてくる。

「いい?笑顔、笑顔よ」

「笑顔って……何のことですか」

 応接室の前で私は不知火にようく言い聞かせた。何せ人当たりの悪さでは右に出る者なしの不知火だ。せめて口元だけでも笑みを持っていてもらわなければ。

「いいからニコニコしてなさい」

「え、ええ……」

 戸惑いながら頷いた不知火に、私はよしと言ってドアを開けた。ざっくばらんな態度で座っていた司令に、縮こまって恐縮している関口氏がいた。

「お待たせしましたー。はい、この子が不知火です、はい、挨拶挨拶」

「……どちら様ですか?」

 疑るような目で、不知火は関口をねめつけるように見た。本人曰くそんなつもりはないらしいのだが、どう見たって好意的なものが一かけらもない視線だ。

「は、はじめ、まして。私は、こういうもので」

 関口はどもりながら、そう言って名刺を差し出す。顔がまた赤くなっていた。それにしてももっと愛想良くすればいいのになあ。横で名刺を見ている不知火を見て私はそう思った。きりりとした顔立ちに絹糸のような髪を持っている。少々小柄なのも、スキのない動作もいちいち絵になる妹だ。

「……!せ、関口って!あの【目眩】の!?」

 疑念の目を向けていた不知火が、突拍子もないような大声を上げた。さっきまでの目が嘘のように、驚きと嬉しさに満ちていた。

「そ、そうだけど……」

「……っ!」

 ごそごそと不知火がポケットをまさぐった。メモ帳とペンを出すと、それを関口に突き出す。

「さ、サイン!お願いできませんかっ!?」

「え!?」

 いきなりの事に関口は驚いたように私と司令を見る。私達も驚いていた。何事にも動じない不知火が震えるようにメモ帳を突き出しているのも初めて見るモノだったし、赤く上気した不知火など全く見たことが無かった。

 そういえば、不知火は私と違って小説を楽しむ性質だ。本棚には色々な小説がひしめいているし、その縁で関口を知っていてもおかしくはない。

「い、いや、私は……」

「あなたの小説は全部読んでいます!不知火の大好きな本なんです!お願いします!」

 珍しい必死さに、司令は笑いをこらえていた。関口は困ったように司令を見ている。

「くくっ、良いじゃないか。熱心なファンは大切にすべきだ。関口大先生」

「お、おい、瀬戸。困るよ私は」

「いいから書いてやんな。このままじゃ離してくれんぜそいつは。貴様のファンなんぞ聞いたことも無かったがどっこい居るものだな」

 困ったようにしながら、関口はペンをとってさらさらとサインをした。細身の本人に違わないほっそりとした硬筆だった。

「はあー……ありがとうございます!」

「あ。ああ、こちらこそ」

 そこまでやって私のニヤついた顔を見て、不知火はハッとしたように顔をまた赤くした。なんだなんだ、可愛いじゃない。湯気が出そうなほど真っ赤だったが、何回かわざとらしく咳払いをして誤魔化す。

「と、ところでどうして関口先生が居るんですか?陽炎」

「んー?それはね」

 さっき聞いたことや内容をそれなりにふくらましたり、省いたりして概要を伝える。

 白黒と顔色を器用に変えながら、不知火は喜んだ。

「嬉しいです!先生に書いていただけるなら、この不知火生涯の自慢にできます!」

 関口はドギマギしていたが、また深いため息を吐くと、不知火に向きなおった。

「わ、分かった、ただもう企画を出してしまったからどこまで変えられるか分からない、もしかしたら今回の本では出れないかもしれない、でも、いつかは書かせてもらうから」

「感激です」

 それだけ言うと、不知火は表情を硬直させた、がその後恥ずかしそうにぼそりと言った。

「……握手、してくれませんか?」


【吹雪】

 

 ドラマは順調に進んでいるらしい。ここでも見ることが出来たから割合楽しんでいる。冷やかされることもあるが、嫌々言いながら私は楽しんでいた。何せ今まで地味だと思っていた私が主役だ。テレビ画面に映る女優さんは私の何倍も綺麗だけど、それを冷やかす人だけはいなかったのが、私を慰めてくれた。

 とはいえ、プロパガンダといっても戦争のものだ。可愛いかったりする女優さんたちだって、キャッキャッウフフばかりとはいかない。

 第三話での事だ。W島攻略作戦―――というのは中央の司令部が行った作戦だろう。この名ばかりの鎮守府のやることは船団護衛に海兵団を出たばかりのひよっこの訓練が目的だから、そんな砲雷撃戦は全くしない。

 ドラマの劇中でそのW島とやらの攻略作戦中、如月が沈んでいくシーンが流れた時は流石に私達も閉口した。何というか……目の前でメイキングを見ていた私達も気分の良いものではなかったし、ヨリにもよってその如月は中央司令部に所属している。大方今頃荒れて管を巻いている事だろう。

 私たちの鎮守府はロケも一段落してまた日常業務が戻って来ていた。それでも聖地巡礼など称して見に来るファンの皆様は忙しそうだ。休暇で呉に出向くと、そこここにそんな人たちが屯しているのが見えた。

 休暇の時は呉に行くのが一番だ。駆逐隊の指揮も陽炎が執ってくれていたし、秘書艦業務も無し。全くしがらみのない休暇は有難い。

「よお、吹雪さん、ドラマ見たどォ。えろう綺麗になりんさってうちの娘も憧れよったわ」

 煉瓦通りと呼ばれる、アーケードの商店街で饅頭を売っていた老人に声をかけられた。顔見知りだ。とはいっても狭い街で、艦娘は有名人なのだから顔見知りは多くなる。

「こんにちはおじさん。御饅頭くれますか?」

「おー、持っていきんさい。おまけもつけちゃるけぇ。頑張りんさいよ」

 この老人の娘も艦娘だ。浦風といって、どこか包容力のある小柄な駆逐艦娘で、陽炎の班に配属されている。

 駆逐隊は班単位で別れる。私の鎮守府に居るのは吹雪型の特型駆逐艦娘と、陽炎をはじめとする陽炎型の駆逐艦娘だ。数が多いせいでどうしても手に余るからの処置だ。後は船団護衛の仕事が多いから駆逐隊の集まりになるという事情もあった。

「そうなんですか。えへへ……嬉しいなあ」

 そう言いながら、私は饅頭を口に含む。美味しい。

「おうとも。それじゃあ頑張り。またよってなあ」

「はい!」

 嬉しかった。私が目立てていることが、自分が話題の中心にいられることが堪らなく嬉しかった。


【陽炎】


「よーい……アクション!」

アクションの声で私は腕から手袋を外す。そして大きく手を回して、目の前の那珂役の女優さんにそれを投げつけた。

「はーい、オッケー。良かったよー」

 テレビクルーってどうしてこう軽薄っぽいのかなあ。私が言えたことじゃないけど。

 鎮守府内での撮影だった。ワンシーンだけ私を撮影したいと言われ、恥ずかしかったがテレビに出たいという俗っぽい欲から私は承諾したという訳だ。台詞もない、何秒かこっきりの出演だが中々緊張した。

今日は秘書艦業務も兼ねてたから近くで司令も見ている。うう、恥ずかしいなあ。

「よお、名演だったな」

「う……言わないでよ、恥ずかしいのに」

「そう言うな。良いじゃないか。ま、ロケ隊が来た日にゃ大した業務も出来やしねえ。カメラにタイムキーパー、音声と偉い大人数だし、軍規に基づいて入らせられない場所に行かないようなお目付けだっている。陽炎、今日は私は仕事せんぞ。お前も休め」

 休めと言われて休まない艦娘はいない。私は緩んだ顔を外に出さないようにしながら、自室に戻った。

 不知火は自室にある椅子に座り、机の上で本を開いていた。

「んー?不知火、どうしたの?」

「陽炎ですか。今、関口先生の書いた本を読んでいたんです」

「せきぐち……、ああ、あの小説家の」

「おすすめですよ、間違いなく面白いです。不知火は大好きですよ」

「そう?私あんまり小説読まないもんなァ。それにそんな有名な先生なら知っててもおかしくないと思うんだけど」

 自慢にはならないが、色々と耳聡いという自信はある。

「有名ではないですよ、著書も三冊くらいですし。全く世間は見る目が無いと不知火は思うのです」

「そーかなー」

 棒読みになったのには理由がある。なぜか不知火はメジャーというか有名所を嫌う性質だ。私だって新聞は読むし、ラジオだって聞かない訳ではない。直木賞を誰それがとったとか、芥川賞の受賞作品くらいは分かる。しかしそんな作品の背表紙が不知火の本棚にあったのを見たことはない。

「好きなのなんて人それぞれよ。不知火は関口さんの小説が好き、それでいいでしょ?」

「……まあ、それもそうですね。悲しい事ですが」

 そうそう、そう言えば。

 不知火はそう言って封筒を取り出した。

「陽炎宛にこちらが届いてましたよ。多分本でしょう」

「へえ、開けてもよかったのに」

 本狂いの不知火の事だ。読みたくて堪らない気持ちを良く抑えてくれたものだ。まあ、私は別に読みたいかと言われれば読みたいが、そこまでのモノではない。

「この不知火が、人の封筒を勝手に開ける悪い子だと思っていたのですか?」

「んーん。思ってない。じゃ、お先に読ませてもらうね」

 文庫だから、いつも読んでいる漫画よりは一回り小さい具合だ。ぺらりと開くと、ぶわっと文字が目に入ってくる。やっぱり苦手だ、この感覚は慣れないうちは本当にダメだ。

 読み進めるが、やはりだめだ。カンカンしてくる。この手の本は不知火に上げた方がいいだろう。

「ほら、不知火。あんたにあげるわ」

「?いいのですか?」

「いいわよ。どうせわかんないしね。楽しめるでしょ、そっちの方が」

 不知火に渡すと、心底嬉しそうに微笑んだ。

「嬉しいです」

 言葉少なだが、それだけ、不知火は喜んでいたのだろう。少なくとも私に読まれるより、本も甲斐があるものだ。

 私はそんな不知火の隣の机に陣取って同封の手紙を開く。律儀な人だ。それなりの分量があるようだし、たかだか二、三週間で書き上げたというのは、私にとっては相当の難業に思えるのだが、そこは流石文章で食っているだけある。

 手紙は時候の挨拶に始まる、堅いものだった。

別にそこまでへりくだる必要はないんだけどなあ。

司令の同期といっても関口は短現(短期現役召集予備士官)だったらしいから、大学を出て軍に入ったらしいから、司令より五、六歳年下らしい。それでも私より大分年嵩なのだから、横柄でもいいのだが。

 関口の手紙には、詫びも入っていた。曰く、不知火を出したかったのだが、やはり企画を出した後である以上如何ともしがたかった。しかし、この本が売れて、続編が出ることになればぜひ出演していただきたい。というものだ。

 ありゃりゃ、やっぱダメか。まあ実際言われていた事だし、そんなにがっかりはしないけど。

 不知火に悪い事しちゃったかな。匂わせちゃった以上、仕方ないが謝っとこう。

「不知火」

 呼んだが、返事がない。

「不知火?」

 不知火の方を見ると、没頭していた。私の姿など目にも入らないという具合だ。

「あちゃ……」

 これはいけない。邪魔をした日には酷く切れ味鋭い視線を頂くこと請け合いだ。こんなのはほっとくに限る。

 しかしまた来るのかな、それなら歓迎してあげたい。どうせ暇なのだ。忙しく制圧作戦なんかを練っている横須賀とは違い、こちらの平和具合と来たら大したものである。

 これはいけない。邪魔をした日には酷く切れ味鋭い視線を頂くこと請け合いだ。こんなのはほっとくに限る。

 しかしまた来るのかな、それなら歓迎してあげたい。どうせ暇なのだ。忙しく制圧作戦なんかを練っている横須賀とは違い、こちらの平和具合と来たら大したものである。


【吹雪】


 妙な感じだ。そう思うのは誰もが同じだった。

 プロパガンダドラマは、それなりの評判を得てはいたものの、何処とない違和感はぬぐえない。

 妙な世界観、方向性の定まらない脚本、女優の演技でカバーは出来ているのかもしれないがそれでも何か妙だった。

「……あれっ?」

 食堂で集まって視聴していた皆が変なモノを見る目でテレビを見ていた。第六話目のことだ。五話までの流れが切れた特別回のような、そんなストーリーとは全く関係ない、脇道のような話だ。

 私も、はっきり言えばわき役だった。主人公とは思えない。

「あ、第六駆逐のが出てるじゃない」

「やっぱ初々しいわね。ほらこの前雑誌のグラビア飾ったらしいし。人気凄いから出したんでしょう」

 同僚がそう話す中、私はどこか釈然とせずにいた。


【陽炎】

 関口からまた手紙が届いた。時候の挨拶と、こちらを気遣うような言葉が並んでいる。

 どうやら関口の小説の調子は上々らしい。二巻も出て、なんと表紙は不知火を元にしただろうイラストになると書かれていた。

「へえ、こりゃ不知火も喜ぶわ」

 何せ関口の小説は全て読んでいるというくらいの気に入り具合だ。表紙になるなんて感激で死ぬかもしれない。

 私は小説をサッパリ読まないからどこがどう面白いのかは分からないが、関口の小説は不知火曰く世界観が非常にしっかりとしていてすぐに入り込めるようなものらしい。一回読もうとは思ったが難しい漢字が並んでいてよく分からなかった。

「不知火ー、関口さんからお手紙来てるわよ」

「……!」

 ひったくるように私の手から手紙をとる。私は興味津々だ。どんな反応するのかが楽しみという意味で。

「……!ほ、ほほ。本当、なの…っ」

 不知火は震える声で喜びを表していた。鉄面皮の顔の口元が上がりそうになりつつもいつも通りを崩さないように苦労している。そんな感じだ。

「ほんとだってさ。良かったじゃん。憧れの作家さんの本の表紙を飾れるなんてないよ」

「……不知火は感激してます。本当に、これ以上なく」

「分かってるよ。じゃ」

 私の用はこれだけだ。今日はほとんど非番みたいなものだ。なにせ軍令部のお偉方や連合艦隊の方々は艦隊決戦をすることは大好きでも、それをおぜん立てする事は大嫌いというような我儘な人ばかりで、どこの御姫様だと言いたくなる。

 執務室に行って、何か手伝いでもするかと思った時、中から司令の声が聞こえてきた。怒号である。

「……だから、この伸びきった補給線をこれっぽっちの駆逐艦でどう護れってんだ!護れってんならもっとまともな戦力を……!くそっ!」

 黒電話を叩きつけて司令は執務机に沈むように頽れた。疲れ切った顔が、先ほどまでのやり取りの激しさを物語っている。

「あのう」

 遠慮がちに声をかけたつもりだったが、司令は俯いた顔をそのままに上目づかいでこちらを見てくる。元々整っている顔立ちをしている分、こうしたときの怖さはそこらの水兵の比ではない。ましてや司令は鬼より怖い下士官上がりの士官である。

「おう、陽炎か。お疲れだな」

「あはは……さっきのは」

「ああ、聞いてたか。まあ聞こえるわな。要はシーレーン防衛をもっと入念にせよ、という事さ。笑わせるぜ、あいつら。巡航距離が長くたって所詮駆逐は駆逐。敵さんが航空機でも持ってきた日にゃなす術もない。いかに対空戦闘を頑張ったって肝心かなめの輸送船を護れるほど余裕があるわけじゃねえ」

 一旦言葉を切って、口に煙草をくわえて続ける。

「要求だけはしてるんだがな。重巡か軽空母。それがだめならせめて軽巡をこちら側に回してほしいとだけは言ってんだがな」

 司令のいう事も分からないでもない。吹雪と陽炎で旗艦業務をこなしているとはいえ、それが駆逐艦娘の手に負えないモノであることは確かだった。長い航海に精神的に耐えられるほど成熟していない。そして駆逐艦は乗りこんで指揮をするには向いていなかった。

 広大な海を、小さな駆逐艦とそれを操り、妖精を使った指揮を行うため、旗艦業務を担う陽炎と吹雪の課業は必然的に艦隊指揮などの大がかりなモノになり、駆逐艦娘の年齢で背負えるほどの責任を大きく超えた事をやらされることもある。

「要請はした。受取もした。しかしそちらには送れない……ってわけね」

「御明察。そういう事だ。例えば、軽空母一隻分の航空戦力でも輸送部隊にとっては精神安定剤になる。自分たちは見捨てられていない事の証拠にもなる。私達海上護衛隊にも、偵察機が居たら、これほど有難い事はない」

 正論、なのだろう。ただでさえ今は小康状態の戦況が続いている。その間にシーレーンを盤石に構築することが、ひいては艦隊決戦の際の物資を集めることが出来るという事が、そこまで理解しづらい事とは思えない。

「錬度を上げたいからそちらには送れないと来たもんだ。はあ…っ」

 司令は疲れ切ったように煙草の煙を吐いた。あとすこしで三十路と言った年齢で女性の盛りは過ぎてしまったかもしれないが、それでも爛々とした目で野心を隠そうとしない。

 関口の手紙に書いてあったが、関口が海軍に居た時はすでに海上護衛隊でも一目置かれる兵曹長だったのだという。軍隊という有能ではなくては生きていけないような場所で男所帯の女軍人というハンデもありながら、それだからよほど切れ者であることは間違いない。

 今は大尉という、司令官を務めるには大分劣った階級で勤めているが、これも海上護衛隊が軽視されていることの一つなのだろう。

「ああ、すまん。お前に愚痴っても仕方ないことだったな。どうだ、小説は。関口少尉は、指揮はからきし駄目だったが文は上手い人だったからな」

 関口の前ではひどく明け透けな言葉遣いをする司令だが、いないところでは言葉の端々に尊敬を砕いて混ぜたような話し方をする。元上官というのもあるのだろうが、やはり敬意があるんだろう。

「ええ、凄い丁寧な人だと思うけど。よく手紙をくれますよ。献本と称して本もくれますし」

「ああ、あの人は自分の小説を駄文この上なしだとおもううつ病予備軍だからな。自信無いんだよ」

「そうかな、私からすれば凄い人だけど」

「腕一本で食うというのはそれだけしんどいんだ。退役した後の事を考えておけよ。私と違って、お前はまだ自由が利く。やめるなら今のうちだ」

 司令はどこか、悲しそうに笑っていた。それは多分、自分に他の道がなかったかどうかを、今でも迷っているから出た言葉なのだと思った。


【吹雪】

 どうしてだ、どうしてこんなことになる。

 ドラマも十回を超えるあたりから、どこに着地点を持ってくるのか話題になっていた。十話では私を鍛える名目で一航戦の先輩が厳しくモノを言うシーンもあったが、そこからじっくりやるとなると1クールの話数では持たない。

「……どうすんだろうね」

「吹雪先輩の扱いも、なんだか贔屓が多い気がするし」

「ちょっと、やめなさい」

 食堂で昼食を取っていると初雪、白雪、叢雲の三人が話す声が聞こえていた。この三人はもうすでに、ドラマを見ていない。

「……」

 どうしていいかなんてわからない。

 このままどうやって終わるのか、終わった後どんなふうになるのかなんて私じゃわからないのだ。

「あ、ああ、あの……」

 昼食を食べていると目の前に私とうり二つの艦娘がいた。ほぼ双子といってもいいくらいよく似ている。

彼女は磯波、という艦娘だった。私と同じく海上護衛隊所属の駆逐艦娘だ。よく私の乗艦である吹雪と間違えたりして乗り込んだり、後姿で私と呼ばれてオロオロしている、気弱なで頼りないところが目立つ。

「なに?どうしたの、磯波ちゃん」

 おどおどしていて何となくイライラする。そういう子だとは分かっていても、どうしようもないこともある。

「そ、その、その……私は、あの、ドラマ、大好きだから。そんなに気にすることはない、とお、思うんだけど」

 所々つっかえるものだからひどく聞きづらい言葉だった。それでも、有難い。言葉ではある。磯波は私達の海上護衛隊では一番の年長なのだが、この気の弱さが原因で旗艦業務を任されることが無かった。

「ありがとう磯波ちゃん。じゃあ」

 私は何処かいたたまれなくなって、外に向かった。その時脇で見えた光景。

「やれやれ……不知火がずっとこもっちゃって困るわ。こんな天気の良い半舷上陸日にこもりきって本を読んでるんだもの」

「随分と景気のええっちゅう話を聞くで」

 陽炎と黒潮だ。食後の茶を啜っている。

「そうなの?」

「そりゃあそうや、横鎮の知り合いに聞いたらよほど売れているから財政が少しマシになった言うとったしな」

「へえ。そりゃすごい」

「あんた他人事のように言うとるけど、ええんか?」

「どういう意味よ」

「鈍いやっちゃなあ。陽炎、あんた小説の主人公のモデルやろ?そらそこいらのファンはそんな人には会いたがるわなあ。そのうち土産もんこさえて面会希望が来るかもしれんよ志願するかもしれんしな」

「なら良いんだけどね。志願が増えれば」

 なんやタンパクやな、と黒潮は嗤うだけだったが、吹雪は心がじくりと痛くなるのを感じた。


【陽炎】


 不知火は嬉しそうに笑っていた。まあ当然だ。届いた本の表紙が自分を元にしたポートレートのようなものだから嬉しいに違いない。

 推してくれたのは関口だろう。結構無理を言ってしまったものだから、お礼の手紙を書かなければならない。

「陽炎、これ」

 不知火は緩んだ口を直そうとだけした顔で手紙を差し出した。関口からだろう。そこそこのペースで手紙の交換をしているが検閲で消された部分も大分あるからしっかりとした意思疎通をしてはいない。

 いつも通りの時候の挨拶に今でも順調でシリーズもそれなりな事。また取材に向かいたいといったようなことまでは読めたが二行三行まるまると墨で消されたりしているものだから読みづらかった。

「また来るかもってさ、関口さん」

「それは嬉しいです。不知火ももっと聞きたいことがあります」

「そうだね。まあ私は会えるか分かんないけど」

「……どうしてですか?」

「近いうちに台湾航路の護衛に着くことになってさ。佐世保に転属になるかもしれないのよ」

 台湾と佐世保を結ぶ航路は敵の航空戦力が集結しているから司令も随分頭を抱えているらしい。このままである可能性もなくもないのだが、佐世保ならそれなりの戦力があるから輸送も円滑に行えるという考えなのだろう。

 不知火は悲しそうだったが、これもまた仕方ないことだ。

「そんな顔しないの。大丈夫よ、私がそんなへっぽこに見える」

「いえ、そこを心配しているわけではありません……身勝手ですけど、私が大丈夫なのか、考えてしまいました」

 不知火は不安そうに俯いた。元々一人で過ごすことの多い子だから陽炎も心配であることは間違いないが、それでも可能性がある以上話しておかなくてはならない。

「しっかりしなさいよ、私の妹でしょ」

「……そう、ですね」

 それだけ言うと、不知火はまた自分の世界である本に没頭し始めた、こうなるとどう頑張っても口を閉じたシャコガイのように動かなくなるから、ほっとくよりない。陽炎は手紙を机に置くと外へ向かった。

 夕飯時である食堂では、私と同じくしてプロパガンダの要に位置づけられたドラマが流れている。ゴールデンタイムに流れているのだからそれなりに力を入れているのだろう。

 陽炎は注文を済ませると、静かな席に移動した。たまには一人でもいい。黒潮と食べるとお互いじゃべってばかりで落ち着けないし、不知火なら寡黙すぎてこちらが逆に気を使う。雪風は論外だ。しょっちゅうぽろぽろこぼすわ箸を舐るわろくでもない。

 そんな事を考えながら何とはなしにドラマを見ていた。大体誰それを模したというのは見当がつくから分かりやすい。如何やら今日は最終回らしい。ちっとも見てなかったから気づかなかった。

 見ていて何かがおかしい事はすぐに分かった。背景の海ではけたたましく水柱が上がり続けているのに、役者は呑気に喋っている。なんだよそりゃ、と陽炎は思った。いつ当たるかも分からない戦場で案山子のように突っ立っているのは異様に映る。

 そのうえ、使っている火薬がしょぼいのか戦闘のシーンも雑だ。どうせならド派手にやってほしいな、などと陽炎が考えていると、視界の端に吹雪の姿があった。

 吹雪はめっきり疲れているように見えた。頬はこけ目にクマが目立つ。分かりやすいがその分悲惨だ。

 陽炎という娘は分かりやすい性分だった。こうしたことが気になってしまう性質なのだ。

 そしてその厄介な性質が、この後鎮守府を巻き込む騒動の原因の一端になった。


【吹雪】

 陽炎が声をかけてくれたのは偶然ではないのだろう、頭を抱えて分かりやすく沈み込んでいたのだから分かりやすいに決まっている。気のいい人だとは思う。御節介だけど。

「やあ、吹雪。結構久々ね」

 久々か、確かに久々だ。最近までは陽炎も細々と任務を行っていたし、私もそれは同じだった。

「いやあ、最近は本当にアレ、よね。人が多くなったし、呉にも志願兵が良く来るらしいわよ」

「そう、なんですか」

 艦娘だって一つの進路の末だ。自給率の低い島国である以上、物資が入らなければならない。私たちの護衛隊が必死こいて守っている輸送船がこの国の人間の口にノリをしている。

 それでも、足りない。

 足りなければ子供は飢える。

 飢えない場所―――それは今や軍隊しかない、というわけなのだろう。

 私もそうだった。六人もいる子供の末っ子で一番上の姉のほんの少しの残飯が御馳走だった。そんな状況が嫌だったから艦娘に志願してたらふくご飯が食べられる今が幸せで―――なのになんでこんな事に。

 ドラマが終わってからというもの、私に寄せられる言葉は同情と貶しだ。

 ―――運が悪かったね。

―――しょうがないよ。

 報いだとでも言うのだろうか。そんなの可笑しいではないか。こっちは名義を貸しただけだというのに。さすふぶだのふぶきちだの言われて愉快なはずがない。

 目の前の陽炎が羨ましかった。小説は上々、ドラマも陽炎の小説をもとにやればよかったなんて意見もあった。風説はどんどんと広がって私を置いてけぼりにしている。

 陽炎が居心地悪そうにもぞもぞしていた。何を言えばよかったのか分からなかったんだろう。

「ま、まあさ」

 ようやく口を開くと苦笑いしながら陽炎はつづけた。

「そんなに気にやまなくても良いじゃん。吹雪が悪い訳でもないんだし。それに私は吹雪の方がいいんじゃないかって思うよ。所詮私は小説で、皆が見るテレビとは違うもの」

 そんな事を言うな。私は怒鳴り付けたくなるのを必死で抑えた。私だって知っている。陽炎たちをモデルとした小説が一部筋には人気だと。

「そりゃあ、その、あんまり叩かれているからってそんなに沈まなくてもいいでしょう?」

「……」

 お前が。

 お前がどれだけ私の事を知っているんだ。街に出ればドラマのせいで私は良い笑いもんだ。知ったかぶりの馬鹿たちの相手なんてやってられるか。

 陽炎のファンなんて気楽なものだ。小説は顔が出ないし、出ていても動かない一枚絵。それも出来がいい小説だから映える。私のはダメだ。脚本をタコ殴りにされているから。

「陽炎さんは」

「ん?」

「小説の先生とよくお会いになるんですよね」

「ああ、関口さん?そうね。会うってわけじゃないけど。手紙を出したりはするわよ。司令も出しているみたいだし」

 こっちは脚本の大先生なんて一回たりとも取材には来なかった。それで書いてしまうのだから、想像力の豊かさを褒めればいいのか、無謀さを貶せばいいのか分からない。

「ま、気にすることないでしょ?私達に関係ない訳だし、ね」

 関係ない。

 関係ないだと?

 じゃああれは何だ。私を見ているあの好奇と、同情と、貶しに溢れた視線は―――。

 陽炎はそれだけ言うと後ろを向いた。ツインテールとうなじが覗いている。その後ろの、あまりに無防備な頭。

 気が付いたのは、陽炎が突っ伏していたあとだ。何がおこったのかなんて分からない。ただ手には椅子があって、周りには誰もいなくて。

 私は荒い息を吐いて、陽炎を背負った。血も出ていない。呼吸もあるのは分かった。

 私はそのまま何処かへ向かった。どちらにしてもこのままになんて、出来ない。


【陽炎】


 痺れていた。ずっと椅子に吸わされていたのだろうか。

 そこまでして、ようやく気が付いた。ここは、ここは何処だ。

 暗い部屋だった。酷くかび臭くて、長々と居たい部屋ではない。

「おはよう、陽炎」

 場にそぐわない明るい声が響いた。

 目の前には吹雪が立っていた。

「え……、何を、してるの?」

「何って?別に大したことではありませんよ。ただ」

 口角が上がって、それが笑いだと分かった。

「艦娘の精神耐性を測る実験をしようかと」


「ひ、ひひ、ヒイっ」

 私の口から信じられないような声が漏れる。目隠しをされ、何をされるか分からない恐怖と、ちょっとした刺激によるくすぐったさが混じって怖かった。

「ふうん。次はっと……」

 ばちっ。

「ギャアっ!」

 突き刺すような痛みが脇腹に広がる。

「知ってます?陽炎さん。人間は視覚を無くされると聴覚や嗅覚でそれをカバーしようとするらしいですよ」

「そ、それが……なによ」

「ですからね。えいっ」

 耳元で何かが爆発したような音がした。頭がガンガンして目がちかちかする感覚に包まれた。

「こういう風にね。予期せぬことがもっと怖くなっちゃうんですよ。さ、次に行きましょう」

「ひ……や、やめ」

 また爆発が起きる。体中がただの音にびっくりしてしまっている。

「嫌ですよォ。だってまだまだ一杯やれることがあるんですから」

 目隠しをとられる。目の前の吹雪はこの上のない笑みだ。それなのに影がある。

「どうして、こんな」

「どうして?どうしてなんでしょうね」

 椅子に座らされている私の首に、蛇のように手を巻き付けて嗤いかけた。

「妬みですよ。あなただけが良い思いをして、私はこんな。こんなザマなんて許せません。道連れですよ、陽炎さん」

 何のことだろうか、いや実際は分かっている。私の出た小説は評判がよく、吹雪のドラマは評判最悪だ。だからといってここまでする必要があるだろうか。

「ふ、吹雪。こんな事なんてする必要ないじゃない、ね、やめま―――」

 吹雪が縛られている私の指をとる。まさか、いや、イヤダ。

「関係ありませんよ、陽炎さん。どうせ私は何処まで行っても、地味な駆逐艦でしかないんでしょうからね」

 吹雪が、私の指を握った手を上に上げた。小枝がおれるような音がして、激痛が伝わってくる。

「いぎっ……」

 叫ぶほどの痛みじゃない。それでも、恐怖と痛みで涙が出てくる。

「これからですよ。陽炎さん」


下章


【吹雪】

 うつらうつらとしていた目の前の少女を起こすために、私は針を彼女の爪にあてがう。

「ひっ……」

 痛みが思い浮かんだのだろう、彼女は頭を振って眠気を払うように目を見開いた。

「そうそう、良い子ですね。それでいいんです陽炎さん」

「ふ、吹雪……おねあい、すこしだけでいひの、寝かせて」

「やだなあ。まだ三日じゃないですか。実戦でもこのくらい寝ない事はままありますよ」

「で、でも、でも……」

「それでは寝てみますか?そうですね、別に構いませんよ。ひどく痛い目には、あうでしょうけど」

 爪に針は痛いらしいですよォ、と粘っこい口調で言うと、目の前の彼女は諦めたように俯いた。


「良い子ですね本当に」

 




【不知火】


 どうすればいいのか、見当もつかない。教えてくれる人がいるのなら、教えてほしい。

 不知火の配置は、今までの海上護衛隊の一員から執務室での書類整備が主になった。

「すまねえな」

 瀬戸大尉はそう言って書いた書類を不知火の机に持ってくる。時たま支援艦隊への補給業務が来ることがあるなど、この隊は実はそれなりに大変なのだ。

「……ったく。陽炎はどこに行っちまったんだ。見つからねえし、特務なんか与えた覚えはねえんだがな」

「……陽炎はどこにも行っていないはずなんです。私にもどこに行くとは言ってないですから」

「うーん」

 瀬戸は唸った後、立ち上がっていった。

「聞いているとは思うが、私は陽炎に転属指令を出した。行先は佐世保だった。もうすでに連絡を済ませてしまってるからな」

 という事は、その連絡通りにいかないと酷く面倒な、痛くもない腹を探られる羽目になるわけだ。

 不知火は嫌だった。この業務が自分に向いているようには思えない。向き不向きがあるとしたら、絶対不向きだ。

「不知火」

 瀬戸は考えながら、傍にいた不知火を呼んだ。

「貴官に頼む。陽炎を探し出してくれ」



【磯波】

 最近吹雪の様子がおかしい。吹雪型の皆は二部屋に分かれて寝食しているのだが、吹雪は夕食後の時間にどこかに消えてしまうのだ。

「吹雪ちゃん……どこにいっているんでしょうか?」

 磯波は同部屋の叢雲に聞いた。

「知らないわ。自由時間なんだしいいんじゃないの?」

 叢雲は面倒見の良い性質ではあるけれど、きちんと線引きが出来る人だ。だからこそ一線引いているのだろう。

 だけれども……磯波にはあの吹雪の顔が、やけに気になったのだった。


 翌日、吹雪は夕食後の煙草盆出せの時間帯にまた部屋からいなくなった。

(どこにいくんだろう?)

 磯波は吹雪の後をつける。自分で言うのもなんだが影が薄いからこの手の事は得意技だ。

 吹雪は兵舎の外に出ると、そのまま格納庫まで向かっていった。暗い道を慣れた様子で向かい、磯波もそれに続いた。

 中に入ると、吹雪の足並みが早くなる。何とか見失わないようについて行くと、どうやら格納庫の地下に向かっているようだ。

(地下……?なにがあるんだろう)

 かつーん、かつーん。

 吹雪はとある部屋で止まると、その中に入った。磯波は続こうと思ったが、気づかれそうだったので外で聞き耳を立てていた。

「おーい」

 誰だろう?吹雪は誰かと話していた。

「生きてますかァー?あははは」

 背筋がぞくりとした。吹雪の声はいつものような真面目さが全くなく、虫をいたぶるような残酷さに満ちていた。

「ひ、ひいい……もう、もうやら」

「あーあ、酷いなあ……少し眠れたんだから喜んでくださいよォ、ふふふ」

 磯波は何とか部屋を覗こうとこっそりドアをあけ、そこの隙間から覗き込む。

(陽炎さん?)

 行方不明になっていた陽炎の姿が見えた。ひどい格好だ。ボロボロの服装だったし、落ちくぼんだ顔、疲れ切った表情をしていた。

「今日は面白いものを持ってきたんです、これこれ」

 吹雪はヘッドフォンを取り出し、陽炎にかぶせる。彼女は目を見開いて絶叫した。

「ほらほら嫌がらないの」

 あやすようにして、陽炎をいなすと吹雪は傍の椅子に座った。

(な、なんで、なんで吹雪ちゃんが)

 磯波は困惑した。

 吹雪の事はよく知っているつもりだった。これでも付き合いは一番長いのだ。その吹雪が、異質なものに見えてしまう。

「他の物を用意してきます。そのまま居てくださいね」

「嫌ァ!助けて!吹雪、吹雪ィ!」

「……待っててね」

 吹雪がこちらに来る。磯波はとっさに傍の陰に隠れた。

 吹雪が満足げな顔をして、地上への螺旋階段を上がっていく。磯波はその姿を確認して、部屋の中に入った。

 昔倉庫として使われていたのかもしれないそこは、埃っぽくてついせき込む。

「だ、だれ!吹雪?」

「ま、待って、待ってください」

 怯えたように叫ぼうとする陽炎を磯波は必死になだめる。静かにしなくては吹雪が帰って来てしまうかもしれない。

「わ、私です磯波、磯波です」

 陽炎の姿があらわになる。

 遠くから見ても酷かったその姿は近づいてみるとますます大変なモノに見えた。

「あ、ああ。ふ、吹雪、じゃないのね」

 磯波と吹雪は瓜二つだから、目の前の陽炎は胡乱な目で伺っていた。

「……どうしてこんな」

「わ、私、何がなんだか、ねえ、た、助けて」

「あ、はい」

 陽炎は椅子に縛り付けられていた。よく見ると腕が特に固く縛られていて、どちらの人差し指もどす黒い色に染まっていた。

「……なにこれ」

 陽炎はヘッドフォンをしていたからそれをとる。陽炎の目の前にあたるだろう場所には大きな鏡があった。

「君は誰だ」

 ヘッドフォンからそんな声がずっとリフレインしていた。

(これって……あれだよね)

 ゲシュタルト崩壊、どこかの雑誌で見た記憶がある。精神を取り壊す方法の一つだ。

 コンクリートの部屋は冷え冷えとしていて、どこか胃袋に入ってしまったような不快感に満ちていた。

「ど、どうして陽炎さんが」

「私にも、分かんないわよう……」

 口を開けるのもおっくうそうに陽炎は磯波を見ていた。

 かつーん。

 足音を聞くと、陽炎は肩を大きく震わせた。怯えている。勝気に満ちていた彼女は磯波に助けを乞うような顔をして上目づかいに伺っていた。

 ここに来るまでには格納庫に入ってそこから螺旋階段を通るという分かり辛い道のりだ。吹雪は上に上がっていたのだろう。

 かつーん。

 妙だ。磯波と同じ靴を履いている吹雪の足音は、やけに響いて聞こえる。

「お待たせ……って、磯波ちゃん」

 部屋に帰ってきた吹雪は少し眉を上げただけで、ほとんど動揺すらしていない。磯波の事を射ないも同じの扱いで、陽炎の方に向いた。

「さあ、て」

「ひ、ひいい……や、やめて」

「大丈夫ですよォ。これ、気持ちいいんですから」

 吹雪の手には、電気コードと電極プラグがあった。ニコニコと嗤ったまま、陽炎の前に立つ。

「や、やだやだやだ!い、磯波っ」

 陽炎は懇願するように頭を振り、磯波に助けを求める。

 磯波は吹雪を止めなくてはならないと、頭の中だけではおもっていた。思っているのに。

 足が動かない。吹雪が横目でにらむ。

 動くな、邪魔をするなら次はお前も同じ目にあわす。

 目は口程に物を言うという言葉が、磯波の頭をよぎった。

「はーい、それじゃあ脱ぎ脱ぎしましょうねぇー。ほらほら、嫌がらないの」

「やっ……やっあ!」

「んー……いけないなあ」

 縛られたままだから、服を脱ぎようがないが、吹雪はにやけた顔を崩さずに服の中にプラグの先端を入れた。

「えーと、っとと、ここだ」

「いっ……!」

 陽炎の顔が歪む。吹雪はにやにやと笑い続けた。乳首にプラグを挟んだのだろう。

「陽炎さん、大きいですねえ。羨ましい、ほら、たってますよ、つまめますもん」

「ま、まさか、まさか……」

 磯波は何もできない、足が震えてその光景を見ていることしか出来なかった。

 陽炎の顔は蒼白だ、何をされるのか分かったのだろう。吹雪がコンセントに電気コードを差し込む。

「ふふふふふ」

「や、やだっ、やだっ……ふ、吹雪、そ、それだけは、それだけはやめて、ひ、ひいいい」

 懇願し、涙を流す陽炎を、吹雪は見下ろして嗤う。これ以上の見世物は無いというように。

「磯波ちゃん」

 磯波は肩を震わせた。目の前の吹雪が見知らぬ化け物のように見える。

「このスイッチ、入れて」

「ふ、吹雪ちゃん」

「なに?出来ないの?」

「だ、だって……」

「このまま、帰れると思ってる?」

 吹雪が顔を近づけ、怖くなるような笑顔で口を開いた。

「磯波ちゃん。逃げないよね?」

「……!?」

「入れる?」

「で、でもでも」

 磯波の態度に業を煮やしたのだろう。背中に回って磯波の腕をとり、吹雪はスイッチに無理やり手を持っていく。

「い、い、磯波……」

 陽炎は懇願するように磯波を見た。

「磯波ちゃん♪」

「ひっ……」

「それっ」

 吹雪の腕が、磯波の手を押し、スイッチがオンになる。

 パチパチッという音の後に、陽炎の絶叫が部屋に鳴り響いた。


[不知火]

 関口が護衛隊本部にやってきたのは平日の昼だった。作家が時間に融通が利く商売だというのは本当のようだ。

「関口さん……」

「か、陽炎さん、この度は……」

 なんだかお悔やみのようだが、半分は合っているかもしれない。陽炎の行方は杳としてしれず、いないものとして扱われている有様だ。

「関口少尉、久々じゃないか」

「せ、瀬戸……勘弁してくれよ」

 瀬戸大尉の顔色も優れない。陽炎を当てにしていたのにこれではたまったものではないのだろう。

「まあそれはいい。陽炎を探し出さない事にはどうしようもない。関口、協力してくれ。どうせ暇だろう。取材がてらそこらを回って来い。こっちは基地中を探し回っているが、音沙汰無しだ」

 執務室には重い空気が立ち込めている。不知火、案内してやれ。というと瀬戸は外に出てしまった。

「……陽炎さんは、何処に行ってしまったんでしょう」

 関口も心配そうに話す。

「陽炎の事ですから、無断でどこかに行くことはないはずです。基地にはいます。絶対に」

 不知火には確信があった。一番身近にいた姉が、何もかも投げ出すはずがないのだ。

「取りあえずご案内いたします。こちらへどうぞ」

 不知火がそう言うと、関口は恐縮したようにそれに続いた。

 険のたつ不知火と、臆病な関口はあまりいいコンビとは言えないのかもしれない。案内に応えてメモを取る関口には遊びの表情は無かった。

「……そういえば、お聞きしてよろしいですか」

「何だい?」

「瀬戸大尉の事です」

 それを聞くと、関口の表情が緩んだ。

「瀬戸か?」

「あまり聞いたことがありませんし、大尉自体口が重い方ですから」

「彼女は大した人だよ。私は短現(短期現役志願軍人)で、大学を休学して軍に入ったんだ……て聞いていた、かな」

「はい、お聞きしてます」

「格好悪いから言いたくないんだが、私はあまり有能じゃなくてね。まあ、皆プライドがあるでしょう。今まで海軍でやっていたという」

「それは、確かに」

「そうなると何の経験もない若造が上に来ることになる。面白い訳がないから、大体の下士官なんかはいじめるんです」

 関口は嫌な記憶をよみがえらせているような話し方をしていた。

 不知火も海軍軍人の端くれのつもりではあるから、その気持ちはよく分かる。どちらかといえば下士官側の不知火からすれば大学上がりの短現は、世間知らずのくせしてうるさいのだから御相子だとは思う。

「でも瀬戸は違ったんだ。情けない私を何とか立ててくれた。お蔭で私は今こうしている」

 小説家として成り立っているかは分からないがね。と関口はつけくわえた。

 関口は自分の事になるとやや饒舌になるくせがあるらしい。なんとはなしに指摘すると。

「私は自己愛が強いんだ。ナルシストなんだと思う」

 との事だったが。


 関口の取材を案内するというのは、不知火にとってはそれなりの息抜きになった。しかし心の隅ではやはり考えている。自分の姉が何処に行ってしまったのだろうと。

「陽炎さんは」

 関口が口を開く。

「絶対に見つかりますよ」



【磯波】


 心の中がじくじくと痛む。磯波は罪悪感で死にそうだった。

「あーあ」

 吹雪が笑いながら、声をかけた。

「やっちゃったねえ」

 目の前の椅子に縛り付けられた陽炎が、びくびくと痙攣していた。電気ショックでこげくさいにおいがしていた。

「磯波ちゃんも共犯だね」

「わ、私は……」

「違うって?」

 違う、違うんだ。こんなことをしたかったんじゃあ……。

「押したのは磯波ちゃんでしょ?」

「嫌……」

「同じ犯人じゃない」

「違う……」

「違わないじゃない。だってほら」

 磯波ちゃん、笑っているよ。

 吹雪の声を聴いて、磯波はすぐそこにあった大鏡で自分の姿を見る。

 震えている、怯えている、なのに。

 嗤っている自分の姿がそこにあった。



「磯波―。起きないと朝礼遅れるわよ」

 布団の外から声が聞こえる。叢雲の元気そうな声だ。

「……」

「磯波?どうしたのよ」

「……起きたくない」

「……何かあったの」

 叢雲は諭すように聞いてくるが、答えない、答えられない。あの光景が、本当の事なのか、それとも夢だったのか。あの陽炎の顔が思い浮かんだ。

「……頭痛いから休む」

「初雪の真似?……まあいいわ。おとなしくしてなさいよ」

 言っとくから。といって叢雲は部屋を出ていった。

 どうしようどうしようどうしよう。

 陽炎を助けないと、でも吹雪が怖い。

 あの事を話したら、一体どうなってしまうんだろう。

 何より、自分が怖い。

 何故自分はあんな笑っていた?何がおかしかったのだ?布団にくるまって悶々と考え続けた。



【瀬戸】


 大尉の階級章を覗きながら、瀬戸は溜息をついた。この数日、つかれっぱなしだ。連日連日護衛隊を出撃させては、その帰りを待つ。

 士官、というのはとかく金がかかる。金がかからないから海軍に志願したのに、兵曹長になって以来金がかかり通しだ。制服も自前だし、食費も自腹になった。旨いが、困る。

「……陽炎と吹雪は、どうしているんだ」

 陽炎が居なくなると同時に、吹雪はこの基地の最先任になったわけだが、今までまじめだった吹雪も、ドラマと共に暗い顔をのぞかせる様になった。

 瀬戸はその手のドラマには全く興味がなかったせいであまり分からなかったが、世間ではろくでもない出来損ないの扱いようだ。

 ドアを叩く音がした。控えめなノックだ。

「入れ」

 ドアが開かれて、顔を出したのは磯波だった。

「あ、あの……」

「磯波か。今日は頭が痛い、と聞いていたが」

 どうせ叢雲が気を回したのだろう。姐御肌というか、色々なところに顔の利く娘だからそのうち上に引き上げてやりたい気持ちがある。

「……どうした」

 機嫌の悪い声が出たな、と自分で思う。

「そ、その陽炎さんの……」

 そこまで言った時、ドアがまた開いた。随分と気安く入りやがる。

 入ってきたのは吹雪だ。磯波が居ることに気付いて苦笑いしていた。

「司令官、お疲れ様です!」

「おう、お疲れ。どうした」

「遠征護衛の任務、完了です。それを伝えに来ました」

 書類片手に来ていたから、瀬戸はそれを受け取り確認する。

 遠征は成功しているらしい。みみっちい量ではあるものの、無いよりましだ。

 吹雪はにこやかではあるが気味が悪い。瀬戸は何となく嫌悪感を感じつつ、書類に判を押した。

 そうだ、磯波は何が言いたかったのだろうと、そちらの方に視線を移す。

 磯波は震えていた。いけない事をしていることをとがめられたような顔だ。何かやらかしたのだろうか。

「うむ、ご苦労だった。そこでなんだがな……磯波、外してもらえるか?」

「は、は、はい……」

 たたらを踏んで出ていく磯波を見ながら、瀬戸は吹雪に椅子をすすめる。執務室は応接室も兼ねているから茶を淹れることも出来る。

 瀬戸は適当にお茶を出すと、さあ飲めとふんぞり返る。

「私が淹れてやったんだ。感謝しろ」

「はあ、いただきます」

 吹雪は口をつける。

「それでだな、話ってのは」

 瀬戸は煙草を咥える。吹雪は如才なくそれに火をつけた。真面目な奴だな、と思いながら口を開いた。

「佐世保から催促が届いてな。護衛隊を派遣しろとの事だが、こっちは陽炎がいなくなってからろくでもないことばかりだ」

 陽炎の存在の大きさというやつをここまで感じたこたあないよ、と気さくに話すが、吹雪はまじめな顔を崩さない。

「前置きがついたが要するに南方資源のシーレーンの御守りをしろってこった、派遣だから出張扱いだが、本当はあちらさん護衛隊を常駐させたいらしい。それでだ、吹雪」

 身を乗り出して、瀬戸はつづけた。

「貴様の意見を聞きたい」

「陽炎型の不知火さんを筆頭に四隻派遣するのがいいかと思います」

 用意していた言葉を紡ぐかのように吹雪は言った。

「そ、そうか。お前はそう思うか」

「特型だけでも十四隻います。一つの基地に集めている分には、陽炎型の駆逐艦を派遣していくのは悪くないかと思いますけど」

 にこやかにしているだけだが、その顔は裏が透けて見えるようだった。

「参考にさせてもらう。帰れ」

「分かりました。失礼します」

 吹雪が外に出ようとする。

「あとな、吹雪」

 瀬戸が声をかけると吹雪は振り返らず止まっただけだった。

「隻とか抜かすな。一人一人しっかりと意思を持っている。人だ、分かったな」

 吹雪はそのまま出ていった。



【磯波】


 怖い怖い怖い。

 どうすればいいのか、分からなかった。だから司令に伝えるだけ伝えようとおもったのだ。

 吹雪がそこに来た。笑ってはいるけれど何もかも分かったような顔だった。

 布団の中にもぐりこんで、すべて忘れてしまいたいくらいだった。

「いーそなみちゃーん」

「ひっ」

 布団が跳ねのけられて、吹雪の顔が間近に近づく。

「何をしていたのかなあ?」

「べ、別に……何でもないよ」

「ちくろうとしたね?」

 顔が歪むのが分かる。怖い、怖い。

「ねえ、磯波ちゃん」

「な、何?」

「殺すよ」

 口の奥から、変な声が漏れた。それほどの威圧感があった。今の吹雪ならやりかねない。

「なんてね。私も虐めるのは陽炎さんだけでいいと思うんだけど……磯波ちゃんも仲間になりたい?」

「い、いい、嫌、嫌っ!」

「そっかあ」

 吹雪はそれだけを言うとどこかに向かった。部屋から出たのだろう。磯波は怖くて布団をかぶり直した。もう何もしたくなかった。


【不知火】


 関口は何日か逗留するらしい。瀬戸もそれに追従するようにウヰスキーを出して応じていた。

「飲め。不知火、貴様も相伴にあずかれや」

「司令、こんなことをしている場合では……」

「今日も見つからんかったからなあ。こうなっては長丁場かもしれんぞ。やれんな。奴め、面倒掛けくさる。こいつは帰ってくりゃあ酌の一つでもしてくれにゃ……」

 瀬戸はひどく酔っぱらっていた。呆れたように付き合っている関口はご存知という具合に頷く。

「不知火さん。こいつはいけないよ。瀬戸は酔いやすく冷めづらい人だからなあ。ウヰスキー三杯で潰れる人だから」

「関口先生も」

「私はそれなりに抑えているさ」

 陰鬱な口調が癖づいている関口も、酒が入ると言葉の通りが良くなるのか饒舌とまではいかないが、人並みに喋るようになるらしい。

「大体だな、貴様。怪我しただの言ってさっさと退役しやがって。残ってりゃあそれなりになれただろうによ」

「止してくれよ、瀬戸。粘菌の研究をしていたらいきなり自分の父親並みの年齢の部下を束ねよだと来たもんだ。私が出来ると思うか」

「無理だな。今考えても無理だ。あれだけそわそわしてたらこっちだってごめんだ。部下にも従いたくなるかそうじゃないかの自由くらいはあるからな」

 元々成績優秀ではあるが素行不良の気があった瀬戸は嗤いながら、過去の上官に酒をすすめた。

 関口は複雑そうな顔をしていた。自己愛が強いというのは嘘じゃ無いようで、面白くなさそうな顔をしていた。

「分隊士のあんたが確りしないもんだから分隊長は私を怒るし、特務士官への試験をすすめられる。今の私があるのは貴様のせいかもな」

「な、なんだか責められているようだな」

「そうとも、金がかかるからな。貴様市井で暮らしやがって」

「……司令」

 不知火はあきれ返ったように、ウヰスキーのビンを取り上げる。この分では一瓶開けたら大虎になってしまう。

 瀬戸は不知火を上目づかいでにらんだ。顔が真っ赤になっているからとんでもなく酔っぱらっているのだ。

 不知火は瀬戸の酒に付き合うのが初めてだったから知らなかったが、陽炎から聞いたところによれば、

「あの人は酒を飲んだらダメ人間」

「酒だけがあの人を素直にする」

「つまりあの人はダメ人間」

 という三段論法で表している。

「まあ、不知火。もう少しくれや。酒は命の水だよ」

「命がありすぎるとろくなことがありません司令。この程度にいたしましょう」

「落ち度だな」

「何がです」

「私が飲み過ぎて、酩酊したいという事を察せないことだ」

 納得が出来ないと首をかしげていると後ろから手が伸びた。関口が不知火の肩を叩いている。

「飲ませてやりなさい。彼女も気に病んでいるんだ。なにせ、陽炎さんはよほどの古参なのだろう?」

「……もう三年ほどになるかと。護衛隊司令付の副官を拝命して以来ですから」

「大人というのは厄介だ。君たちのような娘さんのように泣きたいときに泣けない。喚くのもみっともない、それなら酒におぼれるしかない」

「司令は泣きたいのですか?」

「それは分からないが、大体こうして潰れたがる時はそんなものだよ」

 訳知り顔でグラスを傾ける関口を、瀬戸はギロリとねめつける。ソファに背を預けた姿は、なるほど洗練された士官とは打って変わってヤクザじみている。

「貴様、私のなにをしってるってえんだ。泣きたいだァ?てめえ適当抜かしおって。不知火!」

「はっ」

「命令だ!貴様も飲まんか!」

 最悪だ、絡み酒と来たものだから、不知火は頭が痛くなる。

その上関口には酒を持って来いと命令する始末だ。何処にあるか分からないよ、と応じた関口に酒保のカギを渡そうとしたものだからあわてて不知火がそれを取り上げる。

「不知火が持ってまいります。関口先生はここに居てください」

「そ、そうか」

 言葉少なに関口は浮かしかけた腰を戻す。

「おう、イケイケ。ついでにつまみも持ってこい。玉ねぎの味噌和えだ。あと日本酒な」

「瀬戸……」

「貴様も相伴にあずかれ貧乏文士。市井じゃ食えないもんもこっちじゃ食えるぞ」

「あのなあ、瀬戸」

「うるせえ!不知火、さっさと行け!」

 追い出されるように不知火は外に出た。

 最近、陽炎がいないせいで、瀬戸を止める人がいなくなっている。下士官時代の理不尽さがもどってしまっているように感じる。

 酒保に向かうと、夜遅くになっているせいか、酒保周りの広間には人が少なかった。

「不知火です。司令達からお酒の補給申請です」

「へえ、良く飲まれますね。司令官はあまりお酒に強くないと聞いてましたが」

 酒保に居たのは吹雪だ。陽炎と代わって最先任になったと聞いたが、その資格は内政より実戦部隊である方に向かっているらしい。非番の時などはこうして酒保で暇をつぶしているらしいが。

「関口先生がいらっしゃいますから」

「ああ、あの小説家の。よく来られますが暇なのですかね」

「暇ではないでしょうけど、紙とペンがあればどこでも仕事のできる職業であられますから」

 不知火は吹雪の事が嫌いだ。前までの真面目な時も融通が利かな過ぎて好きではなかった。根っこの部分で自分と似通っているからかもしれないが、吹雪の真面目さは生来からのものではなく、周りの人にそう思われることで、楽になりたいという処世術から来たもののように思えた。

「はい、お酒。配給分はこれで看板ね」

「そう」

 言葉少なに、そう言って不知火はそこを離れた。


「こんだけ?くそ、兵站の野郎。配球物資の運び込みを助けてるのはこっちだってのにうまい汁は横須賀行きにしやがって、おもしろくねえな」

「いい機会だ。もう酒は止めた方がいいというお告げだよ」

「関口、貴様のような下戸には分かるまい。酒飲みはいつ何時でも酒を飲みたがっているんだぞ」

「下戸なのはそっちも一緒でしょう?」

「好きなら下戸じゃない」

「はいはい……不知火さん。もう寝た方がいいと思う。こっちは私がやっておくから」

 そんな申し訳ないと食い下がるが、関口は手でそれを制した。

「私も元だが士官だ。元部下の世話位させてもらうよ」

 情けないがつくけど、と自嘲する様にいって関口は瀬戸のグラスに琥珀色のウヰスキーを入れた。





【磯波】


 陽炎さんは、まるでメトロノームのように左右に振られていた。一種の規則性で椅子に縛り付けられて顔だけが殴打されて腫れ上がっている。

「……ふ、吹雪、もう、ゆ、ゆる」

「ほらほら。へばるにはまだ早いでしょ」

 鈍い音が、鈍い色に彩られた部屋に響き渡る。吹雪は楽しげだ。磯波は脇で怖がりながらそれを覗いていた。

「や、やめようよ。吹雪ちゃん」

「磯波ちゃん。どう?」

 吹雪が汗だくになった顔をニンマリさせて拳につけたサポーターを渡してきた。

「そ、そんな……い、嫌だよ」

「ええっ、磯波ちゃん。良い子ぶっちゃいけないなあ。ほら、見なよ、鏡」

 ニンマリと嗤う吹雪に、その横で安堵したような顔をしている自分が写っている。

「ど、どうして」

 そう言うのに、震えながら、自分が笑っているのが信じられない。

「認めちゃいなよ。磯波ちゃんはねえ」

 ――陽炎さんが自分じゃなくて良かった、って思っているんでしょう?

 何かが割れたような音が聞こえた。気が付いたら吹雪の差し出したそれを取り、手につける。

「……磯、波……」

 陽炎の顔は、ひどくはれ上がっていた。首をあげて涙目でこちらを見ている。

「陽炎さん」

 それが、磯波にはとても面白く見えた。陽炎の顔にまた拳がめり込んだ。


【不知火】


「司令、失礼します」

 不知火が執務室に入った時、瀬戸はどこかに電話を掛けていた。

「……そうとも、よろしく頼むぜ。呉鎮守府だ、そうそう……すまん、用事だ」

 受話器の話し口を手でふさいで、瀬戸は不知火の方を向く。

「少し出ていてくれ。終わったら言い直す」

 不知火は黙って外に出たが、ものの数分もしない内に入れとの声がかかった。多分終り頃だったのだ。

「いや、悪かったな。同期が栄転してな……どうした?」

「いえ、この後の事です。北支からの輸送隊が今日呉に入港するので玄界灘から護衛してほしいとのことです」

「ああ……吹雪と初雪、叢雲でいいだろう。どうせ見栄えさ。ホテルのドアボーイみたいなもんだよ」

 要は出迎え丁重、よろしく先導したまえとくるわけだ。この手の任務は陽炎が得意だった。何せあの性格だ。ようやく内地に来たという実感が持ちやすいのだ。あそこまで気軽だと。

「吹雪……ですか?」

「なんだ?不満か?」

「いえ、別に……」

 まあ、仲が悪いのは仕方ないがな。と分かり切ったように瀬戸が呟くと、さらさらと書類を書いて不知火に持たせた。

「今日の一五〇〇より任務だと言っておけ、酒保も許可してやりゃいい」


「急ですね。もう少し早く伝えてくれませんか」

「すみません」

「まあいいけど……うわ、あと四時間しかない。じゃあ伝えてきますね」

 吹雪は不満げだが、素直に伝えに行く。吹雪が居なくなると不知火も執務室に戻った。

「司令……司令?」

「おい、ちょっと準備をしておけ」

 瀬戸は白い手袋をはめて、帯刀もしていた。軍装もぴしりとしていつも以上に行動的なように映る。

 

「何の準備ですか」

「何、少しな」

 瀬戸はそう言うだけだった。


 不知火と瀬戸は格納庫に向かった。以前は飛行機などが入っていたが、今ではそのわずかな飛行機も横須賀呉などにぶんどられている。

「考えてみりゃあここは探しちゃいなかった。全くの穴だった」

「どうして探さなかったのです」

「考えてみろ。ここに居るってのは、誰かにさらわれたってこったぞ。なにせ居る意味がないんだからな」

 不知火は身震いした。あの姉が、拉致されるなど考えてもみなかったのだ。

「何日か前だが、磯波が出入りしていてな。おかしいじゃないか。こんなところに用なんかないはずだろう?」

「そ、それ……はそうですね。磯波さんは工廠ならともかく格納庫に用はないはずですし……」

「しかも頻繁にだ。二日にいっぺんだぞ、そこまで出入りしていたら何かあるだろう?二日にいっぺん見なくちゃならない何かがな」

 格納庫の中は埃っぽい。しかし、その中でも誇りも蜘蛛の巣もない一つの道が出来ていた。

「ここだな……地下倉庫の道だ。おい不知火。気をつけておけよ。まあ徒手空拳の達人である貴様なら大丈夫だろうがな」

 瀬戸は笑いながらそう言ったがその顔は引き攣っていた。

 不知火だって不安だった。いかに徒手空拳の達人ではあってもこの異様な雰囲気には耐えがたい。

 ドアを開けると螺旋階段が現れる。埃はあったが蜘蛛の巣はない。人が近いうちに通ったという事だ。

「まだ誰もおらんな……おい、不知火。ついてきてくれよ。一人じゃあ寂しいぜ」

「はい」

 冗談なのかもしれないが、笑ってられる場合でもない。

 螺旋階段を降りるとき、足元が気になってしまうが、おずおず降りていく。まるで胃袋に向かう食道のようだ。

 かつーんかつーん。

「なんだか……寂しい場所だな」

「司令は、来たことは?」

「無いよ、こんな所。なにせそうだろう、この基地に来た時にゃもう飛行機なんてハイカラなもんなかったかんな。精々二式大艇くらいだったし、そいつらはここを使わんしな」

 埃臭い暗い通路を歩くと、靴跡が響いた。別に高らかに歩いているわけでもないのに、自然自然に大きな音が響き渡る。

「……ひ……」

「ん……?おい不知火、なんか言ったか?」

「……いえ」

 擦り切れるような声が、一瞬だけ聞こえた。

「どこだ?おい、誰かおるのか!」

「司令、静かに」

 不知火は司令の口を静かにさせると耳を澄ませた。

「い、ひひ」

 近づいている。声がだんだん鮮明になっていった。

「……この、部屋かな?」

 司令が一つの倉庫で止まる。ドアに手をかけた。

「いいか……」

 意を決したように司令がドアを開いた。


 その部屋の中はまさに気味の悪いものだった。異臭がする。空気も悪い。胃袋の中、その中心を思わせる怖さだ。

 その真ん中に椅子があった、小柄な少女が四肢を縛られて座っていた。

「陽炎!」

 不知火が駆け寄るがうつむいたままピクリとも動かない。ヘッドフォンがかけられているから聞こえないのだろう。

「……こいつは」

 陽炎の前には大鏡があった。体全体が映せるほどのものだ。司令はその前に立つと、少し身を整えた。

「陽炎、陽炎!大丈夫ですか、しっかり!」

 不知火の呼びかけにも陽炎は少しも動かなかった。あわててヘッドフォンをとり、彼女の前にたって視線を合わせる。

 陽炎は何処も見ていないように、茫然としていた。

「あ……」

「陽炎!」

「おいよせ。落ち着け、貴様……おい陽炎、平気かね」

 怒鳴りつけもせず、静かに聞いていたが陽炎は涎を垂らして何も言わなかった。

「こいつはいけないな。取りあえずここにこのままにするわけにもいかん。連れていくぞ、不知火担いでくれ」

「はっ」

 陽炎の拘束をとき、肩で担ぐ。ほとんど抵抗がなかった。する気力もなかったようだ。

(ひどい)

 顔が腫れ上がっているのが見えた。

 部屋を出るためドアに手をかけようとしたときだ、手をかける前に引かれる。目の前には、磯波。

「あ……!」

 咄嗟に瀬戸が手を入れて閉めるのを止める。その上で手を突っ込んで磯波の服を掴んだ。

「良いところに来たな、ゆっくりしていけ」

「ち、違……違うんです!」

「迷ったのか?よしよし、じゃあ良い子にしていてくれ。留守番しててな」

 引っ張り込んで、さっきまで陽炎が座っていた拘束椅子に座らせる。

「や、やめてやめてやめて!」

「そう慌てることも無い。お前が一番知っているだろうこの椅子の座り心地」

「違う違う違う!私じゃない私……」

「ほう?違うのか。おい不知火、先にいけ。軍医でもなんでもたたき起こして陽炎の手当てだ」

 不知火は無言で部屋を出て地上に向かった。


【磯波】


「さて。ここからは尋問の時間だ」

「ひっ……」

 怖い怖い、なんで、なんでこんなことになっているんだ。そもそも私は何もしていないじゃないか。こんなとち狂った真似をしたのだって、吹雪が、吹雪が。

「随分とやるもんだな、考えてやがるよ。前任者は余程のマニアだったのかねえ。この鏡なんか持ってくるのも大変だろうに」

「あ、あ、あああ……」

「いやいや、そんなに怯えるなよ」

 縛られた腕から瀬戸が小指を取る。曲がらない方向に曲げただけで簡単にそれは折れた。

「ぎゃああああっっ!」

「あー、騒ぐな騒ぐな。安心しろ、こんなのは一回だけさ。まあ、磯波の態度にもよるけれども」

「ひっ……ヒイっ」

「おーう、勘弁してくれよ、私が悪いみたいじゃないか。なあ、話してくれるだろう?」

「は、話します話しますっ、だから、だからっ……」

 痛い、痛い痛い。目の前の瀬戸が、姉貴分ではなく、尋問官の怖さを体現したように見えた。


「……ほほう、吹雪か。やはりね」

 瀬戸は磯波の話を聞くと、それだけ頷いて納得したようだった。

「あ、あの、わ、私……」

「ん?ああ、そうだな」

 瀬戸は出口に向かって歩いていく。

「ちょ、ちょっと……これ、これ外してください」

「いやあ。実はね、吹雪を護衛に出しちまってさ。ちょおっとばかし、留守番しててくれや」

 瀬戸の顔がひどく歪む。笑ったのかもしれないが、磯波からすればちっとも笑えない。嫌だ、こんなところに一人にしないで。

「なあに、磯波。お前がその鏡で身だしなみを整えているうちに帰ってくるさ」

「い、いい、嫌、嫌ァ!大尉、大尉!たすけて、助けて!」

「おおっと、そうだった。忘れていたよ」

 瀬戸が近づいてくる。ああ、やっぱり驚かしただけなんだ、きっとこの腕の拘束をほどいてくれる―――甘い考えだった。

「こいつを忘れていたよ。お気に入りの音楽だろう」

 血の気が引いていくのが分かる。許してくれない。ヘッドフォンで耳が覆われる。

「やめ……!」

「死にゃあしないさ」

 そう言った後、瀬戸の拳が顔にめり込んだ。真っ暗になる視界の中で。

「君は誰だ」

 そんな声が聞こえていた。


【不知火】


 陽炎には点滴が打たれている。ぽたぽたと薬がゆっくりした速度で体内に入っていっている。

「ひどいもんだ。衰弱甚だしい」

 医官はそれだけを言うと不知火を退出させた。

「おう、不知火。陽炎の様子はどうだ?」

「司令。なんとか今は落ち着いていますが……」

「ふん」

 やりすぎたか、と答えた司令の顔は何処か歪んでいた。

「瀬戸。陽炎さん、見つかったって?」

 関口だった。夜中だからか服が荒れている。

「関口……まあ、見つかったのは良いんだがな。取材は出来ないと思うぜ」

「馬鹿、そんなことしないよ。安心しているんだ」

「馬鹿だあ?サルみてえなアンタにゃ言われたかねえな。ほらほら帰った帰った。こっからは軍の管轄だ。小説家の出る幕はありゃしねえよ」

 関口は何か言いたかったのだろうが、そのまま何処かに行ってしまった。

「不知火、ついて行ってやれ。私が見ておくから」

「しかし」

「いいから、貴様も休め。余程疲れたろう。休めるときに休むのも仕事だ」

 瀬戸はそれだけ言うと、医務室の前のベンチに座り込んだ。

 不知火は聞こえなかったが、瀬戸の口がぽつりと動いた。

(ここまでとは)







【瀬戸】


 吹雪はその翌日の昼に帰ってきた。疲れてはいるのだろうが、平気な顔をして執務室を訪れる。

「ご苦労」

「はい!頑張りました!」

 元気よく敬礼をする。だというのに瀬戸の顔には浮かないものがあった。

「……どうしたのですか、司令」

「ん、いやあ。何でもないさ。それより吹雪、貴様の労をねぎらいたい。食堂に行こう。好きなモノを頼め」

「え!いいんですか?」

「いいとも、何でも頼みなさい」

 やった、と笑ってガッツポーズをする吹雪を見て瀬戸はどこまでも哀れみでしかないような顔でそれを見ていた。

「わあ……本当に食べてもいいんですよね?」

「いいとも、食べなさい」

 並べられた料理は炊事班の腕によりをかけたものだ。ゆっくり食っていいと瀬戸が言っているからか、吹雪もいつものようにリス食いをするのをやめて、ゆっくり食べている。

「たまにはこういうのも良いですね」

「そうだな、タマじゃなくては私の財布はすぐ轟沈さ、勘弁してくれよ」

「あはは……あ、あれ?し、司令官。あんだか、あらし……ねむ」

 吹雪の顔が、とろんとして瞼を閉じる。

「おい?吹雪?……どうした?」

 寝息が聞こえて、瀬戸はニヤリと微笑んだ。


【吹雪】

「はっ……」

 目が覚めると、あの部屋だった。

「お目覚めか?先任」

 声の方向を向こうとして、うまく体が動かない事に気付く。椅子に縛り付けられていた。

 これは、嘘だ。そんなはずがない。縛られているのは私ではなく陽炎のはずだ。

「答えろよ。目ぇ覚めてんだろ」

「し、しし司令官?」

「おうとも。瀬戸大尉だよ。この始末、どうつけてくれんだい?」

 背筋が凍るような、薄気味悪い気持ちになる。

 目の前に、立っている長身の女性が近づいてくる。

「なんてな」


 かりかりと鉄パイプをひきづりながら、瀬戸は吹雪にむかって素振りをする。

「ひっ……」

「貴様がね。よくやってくれたよ」

「え……」


 瀬戸は煙草に火をつける。この部屋は換気とは無縁の場所だから、強い煙草を吸っている瀬戸の周りは煙草臭かった。

「変だとは思わなかったか?キャスティングだよ。この手の大っぴらな宣伝が、こんな小さな田舎基地で行われると思うか?」

「そ、それは……関口さんが」

「ああ、あいつか。確かにね。あいつは随分役に立ったな。本来なら脚本も奴だったかもしれない」

 馬鹿な奴さ。いや、名誉嫌いな奴なのかもな。と笑って言った。

 吹雪は困惑している。何が、何が起きているんだ。

「関口が私と知り合いだったのは本当にありがたかったよ。何せそれが決め手でプロパガンダの基地にしてもらったんでな」

「そ、それがどうしたっていうんです!」

「貴様と陽炎のキャスティングを見た瞬間、私は首を傾げたよ。何せ水雷戦隊は地味だ。その中でも私たちは子守で最も地味な部隊だ。貴様」

 瀬戸が吹雪の顔を覗き込むように顔を近づける。

「実際貴様は前線に行きたかったのだろう?知っているぞ。前線行きを望み、戦果を望み名誉を望んだ。だろう?」

「そ、そんな事と、これが、なんの……」

「貴様の事だ。陽炎と自分を比べてでもいたのだろう?関口の小説家としての腕はそれなり上々だが、アニメ脚本家連中は私がその手のモノに不明だったとしても大したような連中ではなかったからな。案の定あのざまだ。関口の小説は大流行、貴様のアニメは出来損ないになった訳だ」

「じゃ、じゃあ……司令官は全てわかったうえで……」

「まあ、ここまでしてくれるとは思わんかったがね」

 瀬戸は煙を吐き出す。煙の奥の顔は、野心にまみれたような顔をしていた。

「呉鎮守府にはすでに通達している。貴様が主犯であり、私がそれを解決する。事件が大きければ大きいほど、私の出世の種になるのさ」

「そ、そんな……むしろ、むしろあなたの監督不行き届きに」

「ああ、そこは問題ない。呉鎮守府の人事課長の大佐と司令長官にはとっくに話を通している。左遷はさせるが少佐に進級させるというね」

 吹雪は歯ぎしりをした。

「磯波からの証言も得ている。貴様はもう逃げられないぞ。後は、さて……」

「ひっ……。ゆ、許してください!私は、その、こんな」

「ふむ……なるほどねえ。磯波や陽炎を巻き込んでおいて、貴様だけ助かろうという訳か。随分と悪役決め込んでいるじゃあないか」

「そ、そんな、そんな……」

 瀬戸が持っていた鉄パイプを床にたたきつけると、酷く耳障りな音が聞こえた。吹雪はその音を聞くと背筋を震わせる。

「甘えんじゃあねえよ。てめえ」

 瀬戸は近づくと、腰に据えていた拳銃を抜き取り、吹雪の額に押し当てる。

「こんなのじゃない?私は悪くない?そうかいそうかい。それならこの拳銃の弾も当たらないはずだ。正直者にはいい事があるはずだからな」

 撃鉄が引かれて、引き金に指がかかる。その一連の動作を、吹雪は怖々覗いていた。

 ――死ぬ。

 ただこれだけの動作なのに、明確に意識させられる。

 慣れていた、はずだった。この感情も。戦いの中で覚悟が出来ていたはずだった。

 そんなものがすっ飛んでしまうほど、瀬戸の顔は冷酷だった。

「さあ、どうする?こういったことは首謀者が射殺して幕を強制的に下ろすのがありがちだがね」

「や、やだやだっ!し、司令官っ、許して!」

「残念だ。吹雪。私は、君を、信頼していたのだが」

 瀬戸の指が、引き金を引く。

 音が、耳障りだったのか。吹雪に知る余地はない。


【不知火】


 陽炎は元気になっていた。元々明るい性質だからか。医官も驚くほどの回復ぶりを見せている。しかし衰弱を治すにはまだまだ時間がかかるらしく、車いすに座っていた。

「苦労掛けるわね」

 不知火に掛けた陽炎の声は明るいものだったが、表情は固定されたように冷たい。

「いえ」

 不知火の返答も短いものだった。


 この騒ぎは、内外に色々と波紋を巻き起こした。

 瀬戸大尉はこの騒ぎをほぼ被害なく収めたという評価を何故かもらい、少佐に進級。特務出身の佐官という珍しい立場になって、転属になった。

 磯波はあの後不知火が迎えに行ったが、その時すでに精神が壊れかけていた。自分の名前が分からなくなり、記憶障害などの弊害もあったようだ。現在は予備役で呉の病棟にいるらしい。

 不知火は最先任の駆逐艦娘として海上護衛隊に引き続き勤務することになった。しかし、不知火からすれば、早く陽炎に復帰してもらいたい。何というか、私では纏まらない気がする。

 関口からはときたま手紙が来る。この騒動で現場に一番近く、かつ縁の薄い人だったが彼はそれくらいがちょうどいいのかもしれない。また来たいとは書いてあったが、気の弱い彼が衛兵にとがめられずに入れるかどうかが、気がかりだ。

 吹雪は行方不明になっていた。誰も彼女が何処に行ったのか知らなかった。瀬戸も話してくれなかった。ただ一人、叢雲だけが彼女の行方を追っていたが見つかりそうな気配すらないらしい。


「吹雪にはさ」

 陽炎が前を向いて話している。

「悪いことしたと思ってる。食堂でね、話したの。私は分からなかったから。適当に答えちゃったのよ。アニメなんていいじゃない、とか」

 不知火は頷くだけで、陽炎の話を聞いていた。

「吹雪からすれば、大変な思いをしているのに横から言われて嫌だったのかもしれない。それを分からずくちばしを突っ込むだけ突っ込んだ私は……馬鹿だ」

「陽炎」

 不知火から陽炎の顔は見えなかった。車椅子は不便だ。前に立って、慰めてあげることが出来ない。

「そんな事、言わないで上げてください」

「そうね。不知火」

 色々お世話掛けるけど、宜しくね。

 陽炎はそう言って振り返った。明るい前の彼女の笑みとはまた違った、微笑みだった。





 





























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1: SS好きの名無しさん 2015-10-01 09:22:42 ID: iaCMbrr9

これからどんな展開になるのかとても楽しみです^_^


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