2015-06-24 09:52:20 更新

概要

基本的には、お母さんに相談する娘みたいな感じの艦これSS
現在リクエスト募集中、お気軽にコメント欄へどうぞ


前書き

そろそろネタが切れかけたのでリクエストを募集してます。どうかふるってご応募ください。エロなしでよろしくお願いします。出したい、見たい艦娘とシチュエーション、意見感想などがありましたら、お気軽にコメント欄に書き込んでいってください


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 沸騰させないようにするのが、お味噌汁を美味しくするコツなのだ。誰に言うでもなく、鳳翔はカツオで取った出し汁の中に、オタマに乗せた味噌を溶きいれる。


 朝の日の出前、鎮守府の総員起こしがかかるまであと一時間ほどあった。

 鳳翔は艦娘とはいえ、すでに一線を引いている。ロートルの軽空母が活躍できるほど長閑な戦況ではないというのが鎮守府の見解だったし、鳳翔自体も炊事班への転身を喜んでいる節があった。



「……よし、と」



 今日も良い出来だ。そう満足げに微笑んで、次の作業に取り掛かった。




 各部屋に取り付けられているスピーカーが、総員起こし五分前を告げると、鳳翔も忙しくなる。この鎮守府にいる四十人ほどの艦娘たちの食事を間宮という同僚と共に配膳をしなくてはならない。幸い手際が良いから何とかなってはいるが、それでも殺人的な忙しさだ。



「総員起こしー、総員起こしー」



 スピーカーから流れてくる声は、当直艦娘の長門の声だった。凛々しく、頼りがいがある声だ。それと同時に、厨房の上の階が騒がしくなった。ベッドを片づけ、駆け足で洗面所での蛇口の取り合う。負けた艦娘は洗面台ではなく、当直班の用意した水の張った盥で顔を洗い、髪を整え、歯を磨く。トイレにもいかなければならない。その上、ここまでの動作をして許されている時間はたったの十五分だ。


 厨房にも、当番の艦娘が駆け足で入ってきた。二か月前に入ってきたばかりの新米空母艦娘、翔鶴と瑞鶴だ。階級はないが、早い遅いで明確に上下が分かれる。未だ新兵が来ない以上、彼女らは一番の下っ端だ。



「翔鶴、瑞鶴、配膳作業承ります!」

「配膳は済みました、配食をよろしくお願いします」



 それだけ言うと鳳翔は奥に引っ込んだ。炊事班とは名がついているが、現状では鎮守府のサポートを一手に引き受けている。炊事洗濯財務管理、これも戦闘には変わりない。戦場は海上だけではなく、銃後というところにもあるのだ。



「かかれっ!」



 当直艦娘の長門が号令を発すると、ようやく一息だ。鳳翔は炊事班の大淀と間宮、伊良湖といった班員の朝食を出して息を吐いた。



「全く不自由ッたら無いですねえ」



 そうやって間宮が愚痴る。着物のはだけを直すと飯茶碗を口に近づけて白米を頬張った。間宮はこの後、伊良湖とともに酒保を開けなければならない。甘味処を兼ねている鎮守府内の売店で、彼女たちはかしましい娘たちに、ちょっとした贅沢をさせてあげるのだ。



「ま、慣れですよ。慣れ。それに悪くはないですよ。釜で炊いたご飯の一番おいしいところやマグロのトロなんかはごっそりいただいているんですし、間宮さんの新作スイーツが真っ先に食べれます。役得ですよ、役得」



 鳳翔はそれに応じた。現にこの朝食も、美味しい部分をしっかりと抜き取っているのだ。硬かったり柔らかすぎない塩梅で炊かれたところだ。日々キツイ業務をこなしているのはどの部署でも同じだが、食事くらいは炊事班の役得が生かされてもいいだろうというのが、鳳翔の考えだ。実際この役得は美味しい。

人数が4人と少人数だから班と名乗ってはいるが、内実は主計科じみている。どうも偉い人は前線の華々しさばかりが気にかかってこの手の地味な部分は目に入らないように出来ているらしい。



「とは言いますがねえ……ハア。早く休暇が来ませんかね。先週の金曜カレーが懐かしいですよ」



 たった三日前の事なのに、間宮が遠くを見るようにしてそう言った。

 戦争しているとはいえ、誰も彼もが忙しい訳ではない。忙しい時の忙しい部署は大変でも、忙しくないところは必ずある。ただし、それは一般の艦娘だから言えることで、鳳翔をはじめとする炊事班には朝から晩までしっかりと仕事がある。なにしろ炊事だというのに被服に算盤までそろっているのだから、鳳翔自体以前が懐かしくなることがあった。少なくとも戦闘中は補給申請の書類を気にすることはない。


 今日の場合は、まず朝食後の片づけから始まり、作戦の申請書を確認して資材の提出書類を作って工廠の明石に渡す。それが終われば昼食の下拵え、出撃した艦娘の帰還に合わせて昼食をつくり、資材の補給申請書を作成して明石に提出。午後になれば少しだけ時間も空くが、それでも多忙だ。夕食の下拵えもしなくてはならないし、被服点検として部屋の巡回もする。一日は24時間では足りない。



 これでもまだ、それが最低限なのだ。時として、鳳翔は相談窓口も兼ねることがあった。


赤城の場合


 赤城がやってきたのは夜の帳も降りようかという頃だった。赤城と鳳翔は年の頃こそ一緒のように見えるが、艦娘となった時から成長が止まるのでその限りではない。

 正確には、その艦娘艤装の使用に耐えられる頃に徴兵されるという訳で、記憶が正しければ、赤城は鳳翔の三つか四つ年下だった。



「鳳翔さーん……」



 疲れたように、赤城はそう言って炊事班の執務室に入ってくる。珍しい。内面はともかく外面はいつも微笑んでいる赤城にしてはへこたれている。



「駆逐艦の娘がですねえ……赤城さんはいつも食っちゃねしててよく太らないですねえ……って」

「あらあら」



 仕方ない面はあるとはいえ、赤城は鳳翔の前にグダグダと横になる。



「私だってバクバク食べてばっかりじゃないんですよー……仕方ないじゃないですかァ……おなかはすくし鳳翔さんのご飯美味しいし……」

「ありがとうございます」



 食べすぎるとはいえ、空母の艦娘はカロリー消費が多い。駆逐艦娘のカロリー消費とは比べ物にならない程、大変な仕事なのだ。それを紛らわすための少ない方法が食事なのだ。

 それに炊事班の鳳翔からすれば食べない娘より、食べてくれた方が安心するというものだ。



「それだけのお仕事をされているのです。言われても気にしない事ですよ」

「うう……加賀さん良いなあ。かっこいいし、クールだし。羨ましいな……」



 この言葉を加賀が聞いたら怒るかもしれない。加賀は加賀で赤城の分け隔て無さが羨ましいらしいのだから。隣の芝が青いのは、どこも一緒だ。鳳翔が戦闘部隊より炊事班が楽そうに見えたのと同じように。



「まあまあ、私としては嬉しいですよ。美味しく食べていただけるなんて炊事班長としては冥利に尽きます。それに赤城さんは美味しそうに食べてくれますから。作り甲斐がありますよ」

「……そうですかァ?」

「そうですよ、だから食っちゃ寝おばさんとか呼ばれてても……あ」



 目の前の赤城の目がみるみるうるんでいく。いけね、余計な事言っちゃった、と後悔するがもう遅い。



「う、う……うわああああああん!!!やっぱりだァ!もうやだあ!」

「お、落ち着いて、大丈夫です、それ言ったの曙ちゃんですから!憧れているのを恥ずかしいから誤魔化すなんてあの年頃にはよくあることですし!」

「こんなのもう嫌ァ!もう私食べませんからっ!」



 長い黒髪を振り回して、赤城は嘆く。しまったなあ、と鳳翔は心の中で舌を出した。まさか自分の大喰らいをここまで気にしているとは思わなかった。代謝がいいのか、外見上の変化なんかは全くないし、コンプレックスになるわけないとタカをくくっていたのだが、ある理由をつけるとああそうか、と納得することが出来た。

 要するに赤城はもっとこう、女性らしさが欲しいのだろう。加賀の事を羨ましがったり、自身の大喰らいを恥じたりする辺りで何となく察しがついた。

 考えてみれば赤城は見栄を気にする性質だ。やれ一航戦の誇りだのとのたまうのもそれが元だろう。別に見栄を張ることは悪くない。それが許される立場だし、ありのままの赤城はなんというか……だらしないところも多々ある。



「……赤城さん。それなら減らしましょう、そうですねえ、麦飯一杯と納豆、味噌汁……とか?」

「……それはちょっと、極端と言いますか……」

「じゃあ、そうですねえ……漬物とおにぎりとか」

「せめて一汁三菜は欲しいんですけど」

「あら?私はいつもこんなものですよ?」

「え?」



 さっき挙げたのは紛れもない私の昼食だ。昨日が麦飯に納豆に味噌汁。今日が漬物におにぎり。

 何のことはない。赤城のような戦闘部隊の艦娘はカロリー消費が激しいから、様々な料理が配食されるが炊事班は別だ。殺人的忙しさなのは変わらないのに、こうしたところで花形と裏方で区別されている。



「いいですね、赤城さんは。お代わり自由でそれも一汁三菜が当たり前」

「あ、あの」

「いえいえ、良いんですよ。みなさんはしっかり頑張ってくれなくてはなりませんから。心身ともに充実した状態で望んでほしいですし、食べたくないモノを無理に詰め込むというのは健康にも良くない事ですから。分かりました、考えておきますね」

「ごめんなさい!大好きです、鳳翔さんのご飯大好きですぅっ!!」



 鳳翔の肩を掴んで、赤城は必死に言った。




 翌日、赤城のご飯にはデザートとしてプリンがついていた。



「あ、あの鳳翔さん?これ……」

「サービスです。あ、そうそう」



 鳳翔は赤城の耳に口を近づけた。



「少しずつ、頬張らずに食べると女の子らしく見えますよ」

「……うえっ!?ほ、鳳翔さんっ!?」



 赤城は顔を赤くしていた。鳳翔はそのまま炊事班の仕事をするため奥に引っ込んだ。


加賀の場合



「自信が、持てないのです」

「ハア、それはまた」



 変わった価値観をお持ちで、と言いそうになる。この鎮守府の艦娘で一、二を争う錬度の持ち主はそう言った。

 加賀の表情はサッパリ変わらないが、何を考えているのだかは何となくわかった。

 夜更けではなく昼過ぎに、加賀は鳳翔の元に来た。夕食のコロッケの下拵えとしてジャガイモの皮をむいていたので暇ではなかったのだが、可愛い娘が深刻気な顔をしていたから仕方なく人気のない食堂に場所を移したのだ。



「私自身、五航戦の子たちに対する焦りがあって……それでも認めてあげたいって思いもあるんですけど……」



 加賀の声は囁くように小さいので聞くときには注意がいる。慣れれば、滑舌の良さもあって聞き取りやすくはなるが、今はその小さな声がぼそぼそとして聞こえづらかった。



「で、でも大した戦果を残しているでしょう?凄いじゃないですか」

「そんなの。赤城さんに従ったからです。私は目の前のモノを片づけたにすぎません」



 よくもぬけぬけこう言えたものだと、鳳翔は感心してしまう。炊事班の艦娘の中での、艦娘戦果ダービーで赤城と加賀がデットヒートを繰り広げているのを知らないのだろう。加賀に賭けている鳳翔は加賀の肩を掴んだ。



「加賀さん」

「は、ハイ」

「何も心配しなくていいのです。あなたは栄光の一航戦、そして一航艦の二番艦を立派に勤めている凄い艦娘なんですから。もしそうじゃないっていう人が居るなら、連れてきてください。小間切れにして夕食のメンチカツの種にしますから」

「……やりすぎだわ」

「特に頑張らなくていいのです。そのままで十分なのです。このまま先頭突っ走ってください」

「先頭?」

「いえ、こっちの話です。気にしないでください。とにかく自信がないならば私がいくらでも保証しますから安心してください。これでも世界初の空母ですから」

「……っ、はい」



 ちょっと強引だが、鳳翔はそう言って相談を締めた。加賀が納得してくれたようで何よりだ。

 全く、何をどう勘違いすれば加賀のような歴戦の空母がこうも自信無さげに相談に来るのやら。私のような一度もろくな戦果を挙げなかった艦娘には、理解しようのないものだと鳳翔は思った。

 いや、違うか。

もはや戦果が凄すぎて、誰にも頼れないのだ。赤城や加賀はそれこそ艦娘なりたての頃から世話をしてきてるからこそ、鳳翔は二人の性格を熟知している。

 加賀は主将だとか旗艦だとかといった、先頭に立つことに向いていない。加賀は赤城より大分優秀だが、そういった皆の先頭に立って督戦していくことだけは、赤城に劣っていた。

 その代り、加賀は二番手として素晴らしかった。赤城が方向性を示せば、其処に向かう段取りは加賀が取る。それでこの鎮守府は回っているのだ。

 つまりそれがどういう事か。加賀に誰も指摘せず、何も訂正しなくていいという事だ。それは自信が無くては耐えられるものではない。そして、加賀はその賞賛をそのままとれるほど素直ではなく、自信を持たない。よりどころが無いのだ。



「……もっと甘えてくれていい、って今度言っときますかね」



 そんな事を言って、鳳翔は下拵えを再開しに厨房に向かった。


飛龍の場合



「あ……どうも」

「ええ、こんにちは」



 飛龍と鳳翔の仲はこんな具合だ。お互い大して知り合っているわけでもないから、素っ気ない対応をしてしまう。大抵の艦娘を見上げなくてはならない程、鳳翔は小柄だから頭を下げれば結構な身長差になる。

 二航戦の飛龍、蒼龍は、そのまま一航戦の赤城、加賀とともに第一航空艦隊として勤務している。



「……大丈夫ですか?」



 しかし今日ばかりは勝手が違った。顔色が悪く、溜息をついている。どうにもほっとくわけにも行かないから、鳳翔は持っていた洗濯物を置いて尋ねた。



「最近、夢見が悪くてですね……夢ですよ、ただの夢」

「どんなのですか?」

「あー……いえ、構いません。心配かけてすみませんでした。これから出撃ですから失礼します」



 ボーキサイトの備蓄に文句ばかりつけている割には、提督は積極的に資材を使う。今回の作戦はそれ程重要なのだろう。飛龍が気がかりだったが、鳳翔自身も多忙だから構っていられなかった。





「すみません……ご迷惑をおかけして」

「構いません。今日は炊事班もお休みですから」



 飛龍はベッドの上から申し訳なさそうな顔をして、頭を下げた。

 南西諸島沖の作戦に参加した飛龍は、作戦中敵の魚雷を受けて大破、それでも進軍し敵を撃滅したものの、飛龍はもう一歩で轟沈というところまで追いつめられていた。

 その結果、艤装の守りを貫通して飛龍は右足と左腕を骨折、全治一か月、二か月の戦闘禁止を受けた。そしてその世話役の一人として鳳翔は駆り出されたのだった。

 土曜日だから炊事班の業務はない。瀬戸内海の島にある我が鎮守府では休暇の事を上陸と呼ぶ。対岸にだ。対岸の街は、少女たちをほんのひと時軍務から解き放ってくれるオアシスなのだ。



「上陸、しなくていいんですか?鳳翔さん」

「ええ、今日はね……さて飛龍さん」



 ベッドの傍に椅子を持って来て、鳳翔は座る。



「何だってあんな無理を?いけませんよ、大破で進撃なんて。死にますよ」



 わざと強い調子で鳳翔はそう言った。ハッキリ言って鳳翔は怒っていた。自然、語気が強くなる。



「……別に、自然な考えですよ。苦戦していた海域が後一息で攻略出来た。攻略するために少々犠牲が出そうだった。それが私だった。リスクはあったけど、結果的に上手くいった……そういう事じゃないですか?」

「なら、もうそんな事は止めなさい」

「なんでです?」

「私が嫌だからです。あなたのような歴戦の艦娘を失うのも、可愛い後輩を失くすのも嫌だからです」

「大したエゴですね」

「そのエゴで娘を護れるなら、母としては満足なのです」



 しばらく沈黙が場を支配した。その後、飛龍は鳳翔を見ずに口を開く。



「……夢見が悪い、って言いましたよね」

「ええ、聞きました。あなたが怪我する前に」

「さっき寝ていた時も見たんですよ。前世の、夢です」



 艦娘は基本的に人間だが、一般人と違うのは前世が軍艦だったというのが違う。どういった原理でそうなのかは鳳翔も知らない。興味もない。



「……気が付いたらね、みィんな、いなくなっているんです。赤城さんも加賀さんも、蒼龍も。皆いなくなって、私だけが残っているんです。そして私も急降下爆撃をくらう……大抵そこで目が覚めるんですよ。なんなんですかね、これ。この間からずっとです。正直……参っていますね。弱音を吐くようで情けないけど」

「……」



 鳳翔は持ってきたリンゴを剥いた。柔らかい手ごたえが手に残る。



「……情けないのは、私もですよ」

「へえ?」

「知っています?前世の私はね。一回も被弾しませんでした。頑張っている娘たちを尻目に、ずうっと内地に居たんです。ミッドウェーでも……目の前で沈んでいくあなたたちを見ているだけでした。辛いんですよ……だから、あなたたちに沈んでほしくないんです。せっかく転生出来たんですから、もう二度と離れたくないんです。勝手な話ですけど」



 とつとつと、鳳翔は言葉を紡ぐ。

 艦娘の前世は軍艦だ。鳳翔も、前世は世界初の航空母艦鳳翔だった。不思議なもので、鳳翔も似たような夢を見た事がある。

 見渡す限りの大海原だ。その中に、甲板から黒煙を吹きあげ、苦しそうに航行している飛龍が居る。どんなに手を伸ばしたって届くはずのない距離に居て、飛龍は海原の下に消え去ってしまう。

 艦娘の艤装のリンクが進み過ぎたのが原因、とは技官の説明にあった。それだけ前世に近づき、強くなる。その副作用みたいなものだと。

 飛龍もそれだけ錬度が上がった証拠なのだろう。



「魚雷に貫かれることも、爆弾に焼かれる痛みも、私は知りません。それは、痛くて悲しくて、辛い事だとおもいます」

「……」

「しかし、それ以上に辛い事があります。私よりも後に生まれた娘が沈んでいく事。これは身を切られるような気持ちなんです。一度、私はそういった目にあいました。もう二度と、嫌なんですそういうの」



 鳳翔はむいたリンゴを八つにきって皿にのせ、渡す。飛龍はしばらく俯いたあと、リンゴをとった。



「……すみませんでした。もうこういう事が無いように、頑張ります」

「いえいえ、良いんです」



 鳳翔は笑った。

 これは劣等感みたいなものかもしれないと、鳳翔は思った。

 戦闘部隊の姿は華々しい。年甲斐もなく、その姿に憧れることもある。波をきって海原を行く艦娘たちは思わず絵の題材にしたいくらい格好いい。

 その点、鳳翔のやっていることは飯炊きに洗濯、記録に掃除と実にパッとしない。誰かがやらなくてはいけない事だと、重要な事だと自分に言い聞かせても、心のどこかでは、華々しい戦闘に身を投じたいと思ってしまう。前世では誰も守れなかった。ならやり直せた今なら―――。

 そこまで考えて、鳳翔は首を振った。きょとんとした顔の飛龍は、不思議そうに尋ねる。



「鳳翔さん?」

「ああ、いえ……なんでもありません」


蒼龍の場合


 あれから二か月がたち、鎮守府にもまとまった上陸が訪れた。長期上陸で、三々五々艦娘達は家に帰っている。呉に家族のいる艦娘をのぞけば、久々に親元で気兼ねなく過ごせる機会だろう。

 鳳翔は、何人か入院中の艦娘がいるから上陸は諦めた。そもそも実家は横須賀だったから帰る気にもならない。

 本来、鳳翔は横須賀鎮守府の最先任艦娘だったが、炊事班に鞍替えするにあたり、呉鎮守府に転勤になった。炊事の片手間に呉にある航空工廠で艦載機のテストにあたったり、空母艦娘を指導するためでもあった。アルバイトみたいなものだが、割合実入りがいいからありがたい。



「はああああ~~………」



 深い深いため息を吐いたのはまたも飛龍だ。足は治ったが手はまだ三角巾で吊っている。食堂に来て、食べるでもなく、スプーンでカレーを突いている。

 飛龍以外の艦娘は、医務室で休んでいる何人かが居るだけだ。必然、彼女一人が広い食堂に居るので目立つ。鳳翔はいつもに比べて暇だったので飛龍の前の席に座った。



「なんですか。まだ夢見が悪いとか?」

「ああ、いや、それは無いんですけど」



 ふむ、確かに顔色が悪い訳ではない。そんな見立てをたてたところで、改めて聞いた。



「……多聞さんが夢に出たとか?」

「それならこんなため息ついてません。蒼龍の事ですよ」

「蒼龍さん?」




 飛龍と蒼龍は準同型艦娘の関係だ。艦娘になる前は隣同士の従妹だったと聞いている。なるほど顔も似通っているし、性格も馬がよく合う関係だった。蒼龍相手に飛龍がこうも暗い顔をする理由―――鳳翔は口を開いた。



「大丈夫ですよ、女性の価値は胸の大きさじゃないんですから」

「……へっ!?」

「私よりか……大きいのに。気にするなんて、贅沢」

「え、いや、ちょっと!」

「ううう……そうね。分かったわ。蒼龍さんのチェストを切り取りに行きましょう。そしてその分を私のものに―――」

「違いますって!ちょっとまってください!」

「……違うんですか?」

「違いますよ!」



 何だ違ったのか、鳳翔はあてが外れた。私と同じ悩みだと思っていたのに。龍驤、瑞鳳、鳳翔の船越(崖的な意味で)同盟に少しだけ起伏が付くかと思ったのだが。



「……最近蒼龍がおかしいんです」

「おかしい?」



 蒼龍は帰省せず残っていたはずだ。飛龍に気を使ったのだろう、医務室で手伝いをしていた。

 あれだろうか、麻酔の使い過ぎとかでラリパッパになったのか?あれは白い粉が混じっててたまに酔ってしまう人もいるのだ。



「いや、その、蒼龍医務室にいたじゃないですか、ここんとこずっと」

「はい、そうでしたねえ」

「昨日の夜中だったんですけど……お水を飲みに外に出た時、消灯過ぎていたのに医務室に灯りが、点いててですね……」

「点いてて、何かあったんですか?」



 周りを見渡して、飛龍は鳳翔に囁いた。



「……中に蒼龍が居てですね。写真を見て、ニヤニヤ笑ってたんですよ」

「ニヤニヤ、ですか?」

「そう、ニヤニヤ」




 別に変な事ではない。まあ見かけは不審だろうが、多聞丸多聞丸五月蠅い飛龍だってどっこいどっこいだ。



「で、まあ覗いてたら医務室から出ましてね」

「ハア」

「で、中に入りますよね。何の写真か気になるから」

「まあ」



 正直、どうでもいい。鳳翔はそんな風に思い始めた。



「それが……これです」



 一枚の写真が、飛龍から手渡される。はて何かな?飛龍が山口多聞の写真なら、蒼龍は柳本柳作だろうか、自分が舞台になったフェチ漫画も出た事だし。まるっこい多聞丸に痩せ髭面の柳作が並んでるとかそんなの。



「どれどれ……っ!」



 悲鳴すら出なかった。息をのむという経験はあったが、飲み過ぎてしゃっくりみたいな声になった。

 その写真は、深海棲艦のものだった。それがただの写真なら何も思わない。問題は―――それがどこも凄まじい損傷があるものであるという事だ。

 目を撃ち抜かれて瀕死の空母ヲ級、腕が無くなった軽巡ネ級、そして―――もう言いたくない。詳しい描写は省くが、要するに目の前のカレーライスが、美味しく見えなくなるくらいにはショッキングな内容だった。



「うぷ…っ」



 鳳翔だって横須賀鎮守府では最先任のベテランだったのだ。凄惨な光景は見たことだってある。それでもこの写真の出す狂気は耐えがたい。



「……酷い」



 思わず、そう呟く。飛龍も青ざめた顔でカレーをちょびちょび食べていた。よくも食べられるものだ。カレーのにおいで、鳳翔は意が酸っぱくなった。



「……失礼」



 そそくさとトイレに向かった。







「ああ、すっきりしない」

「ですよねえ……そこで相談なんですけど」



 何故だろう、酷く嫌な予感がする。飛龍は口を開こうとした。



「蒼龍を何とか―――」

「嫌ですではこれで」



 立ち上がろうとして腕を掴まれる。



「即答は無いでしょう!?」

「絶対嫌です!というかなんだって写真持って来ているんですか!」

「見せなきゃ異常さが伝わらないでしょう!」

「馬鹿ァ!絶対今探していますよ!見つかったらどうなると思っているんですか!この写真のようになるかもしれませんよ!」

「そ、それはそうかもしれませんが……お母さん!可愛い娘がこれですよ!どうにかしましょうよ!」

「そ、それは……」



 確かに鳳翔にとっては可愛い娘だから、何とかしたいと思わなくもない。しかしこれは明らかに異常だ。サイコパス相手にまともな対応が通用するわけない、これは私の領分じゃない。明石だ、明石を呼べ。

 がらりと食堂の戸が開いた。今食堂の戸を開ける人など一人しかいない。



「んん?あー、いたいた。勝手に出てっちゃダメじゃん飛龍ぅ」



 お互いが目配せしあって、隣り合って並ぶ。写真は私の手に……



(あれええぇぇぇっ!なんで私の手にィィィッ!)



 飛龍が笑いかけた。やりやがったなコイツ! 



「ごめーん。おなかすいっちゃってさァー」



 呆れるほどの棒読みで、飛龍は蒼龍の腕に抱き付く。



「もう……心配したんだから。ご飯なら私が持ってくから寝てなさいよ。ね、鳳翔さん」



 蒼龍はにっこり笑いかけてくる。いつもなら抱きしめたくなるような笑顔がやけに怖い。



「え、ええ……も、もちろん、ですよォ……っ」



 鳳翔はぎこちない笑みを返す。自分の器用さに感謝だ。



「はい、じゃ、帰ろうね。飛龍」

「ハーイ」



 飛龍はその棒読みを押し通すことにしたらしい、賢明な判断とはいえまい。だがそんな事がどうでも良くなるくらい、鳳翔には頭を抱えなくてはならない問題が浮上した。それは……。



(これどうすんですかァァァァァァァッッ!)



 手元にある三枚の写真の始末だ。戸を閉める寸前、飛龍がこちらを見た。笑って、いた。



(頑張って!お母さん後は任せた!)



 そんなアイコンタクト、いらない。








(謀られたァァァァッッッ!どうすればいいんですかこれの始末!)



 誰にも相談できない。残っている艦娘はあの二人を除けば呉住まいの駆逐艦ばかりだ。こんな写真を見せた日には親御さんに何を言われたものだかわかったものではない。その上、炊事班もそろって上陸中とくれば、だれも頼れない。



「大体なんだってこんなの……誰が撮ったんです。全く」



 ぴらりと出す。写真はそれなり良く出来ているからそこらのヤクザなしろものではない。



「ふう……」



 出来る限り見ないようにする。もう夜半だ。




「ほーしょーさーん」

「ヒイッッ」




 心臓が跳ね飛んだ。もしかしなくても一瞬心臓が止まった心地だった。

 蒼龍だった。とっさに写真を懐にしまう。不思議そうな顔をしているのに、影が差していて怖い。片手に一升瓶を持っていた。



「一杯、やりましょうよ。皆上陸中なのに私達だけってのは殺生な事ですもんね」

「え、あ、そ、そうですね!そうしましょうそうしましょう、今から何かアテをつくりますから」

「わー、ありがとうございます」



 蒼龍は無邪気に笑って酒をコップに注ぎ始めた。鳳翔は厨房に回って息を吐いた。写真を取り出して、考えを纏める。



(いっそ燃やしてしまおうか)



 そんなことまで考えたが、流石にそれは思いとどまる。これがもし蒼龍にとって大切なモノなら返さなくてはならないだろう。

 鳳翔は火を落としていた厨房にまた火を入れる、炙り物はあてモノとしては最高だ。イカでも肉でも、簡単に良いあてになる。



「先初めてまーす、えへへ、お母さんと飲むなんて久々だなー」

「そ、そうですねえ」

「最近出撃続きであまり甘えられないし……今日は、しーっかり甘えさせてもらいますからね!」



 これだけなら可愛い娘なのだ。それでもあの写真を持ってたというだけでこの笑顔が酷く怖いもののような気がしてしまう。



「う、嬉しいですねえ。はい、じゃあ、飲みましょうね……」







「……で、ですねえ!飛龍が頑張っているのなんのって!」

「は、はあ……」



 もう三時間、飲みっぱなしだ。結構な量を飲んだというのに、蒼龍のペースはちっとも落ちない。



「うー……私は地味だし……どうすれば飛龍に勝てるのかなあ……」

「勝つとか負けるとか考えない方がいいですよ。そんなの言いだしたら私なんて番外でしょう」

「お母さんは良いんですよ……なんていうか、別格ですから」

「なんだか複雑」



 鳳翔はザルだから酔うという感覚に疎い。目の前のだらだらと本音を零す蒼龍を見て、酒とはこうも人の口を軽くするものなのだろうかと思った。



「あー……そうだー……おかあさーん、聞きたいことがあるんですけど……」

「聞きたいことですか?」

「そーそー、……写真、見ませんでした?」



 フワフワしていた空気が一瞬でぴしりとしたものになる。酩酊していた蒼龍の目が座り、鳳翔を射貫いた。

 背筋に電流が走り抜けたように、動けなくなる。手に納めていた酒の入ったコップが震える。自分の手が震えているのだという事に気付いて、何とか震えを止めようとした。



「ねえ、お母さん。写真、見たんでしょう?」

「な、何の、事、ですか?」



 歯の根が合わない、気づけば蒼龍の顔は目の前にあった。赤かった顔は、ぞっとするほど冷徹な顔に変わっている。

 ガッ、と腕を捕まえられる。逃げられない。蒼龍の左腕は鳳翔の右手首を掴み、右手は鳳翔の首元にしなだれかかっている。



「……お母さんの嘘つき。見たんでしょう、あの写真」

「ひ……っ!」



 軋むような悲鳴が出る。鳳翔の顔の下から覗く蒼龍の目には、明らかにただ事ではない光があった。先ほどまでの和気藹々の空気は消え去り、閻魔でも裸足で逃げ出すような殺気で満ちていた。



「……お母さん。私の事、嫌い?」

「き、嫌いなわけ、ないでしょう」

「じゃあ、なんで嘘を吐くの?」

「う、嘘なんか……」





「嘘だ!」





 ギクッ、と体が強張り、耳が遠のく。怒号を上げた蒼龍は最早誰もが逃げ出したくなるほどの怒りを纏って、鳳翔を睨みつける。



「怖いっ!?そうよね、だっておかしいものっ!あんな写真、誰にも見せらんないっ!グロくて気持ち悪くて、お母さんだってそう思って居るんでしょうっ!」

「そ、そんな……」

「嫌だった!誰にも見せたくなかった!だからこそこそ隠れてみていたのっ!それなら誰にも迷惑、かからないじゃない!なのに……あの馬鹿持ち出して!揚句に、お、お母さんっ、に、まで」



 ポロポロと、怒号の合間に蒼龍は涙を流していた。睨んでいる双眸から涙の粒が落ちて、道を作る。



「き、嫌われ、嫌われたくなかったから、隠してたのにっ!ひ、ひりゅ、飛龍の、馬鹿、馬鹿……」



 嗚咽が混じって、蒼龍は肩越しに顔を伏せた。鳳翔に抱き付く形となる。

 鳳翔は何も言わず、蒼龍の後頭部を撫でた。どうせ泣くのだ。心行くまで泣かせてやりたかった。それが、鳳翔の心境だった。

 結局二十分ほど泣いて、蒼龍は泣き止んだ。横隔膜に変な癖がついたのだろう、しゃっくりを繰り返している。鳳翔は蒼龍を離してやる。




「ひっく……ひ……っ、き、嫌いに、な、ならない、っで、お母、さん」



 しゃくり上げて、怯えるような声を上げる。鳳翔は蒼龍の頭の上に手を置いて撫でてやった。それだけのことで、安心したような顔になる。



「嫌いになんか、なりませんよ。あなたも私の可愛い娘なんですからね」



 それだけを言ったが、鳳翔は厳しめの顔をつくって言う。



「でも、なんでこの写真に執着したんですか?」



 そう聞くと、蒼龍は沈んだ顔になった。



「……ほら、私、地味じゃないですか。赤城さんみたいに明るくないし、加賀さんみたいにかっこよくもないし……」



 その明るい人は食べ過ぎに悩み、カッコイイ人は根暗なだけですよ、と言いたくなったが、流石にそれははばかられた。



「だから、こういう目に見える戦果が欲しかったんです。この写真を見れば、私が残した戦果を確認できる。これは私がやったんだ、私だってやれば出来るんだぞ、って……、ついニヤついちゃうんです。だから、隠れて……」



 鳳翔は、蒼龍を抱きしめた。そうしたくなった、彼女の健気さが胸に来たからかもしれない。



「おかあ、さん?」



 困惑したように、蒼龍は声を上げた。



「……良いんですよ、あなたは私の自慢の娘なんですから。あなたには誰にも負けない程の包容力があります、だからそんな悲しい事言わないでください。あなたの笑顔が、度量の深さが、何回も第一航空艦隊を救ってきたんです……ねえ、蒼龍さん。私では、駄目ですか?あなたを認めたのが私では」

「……いえ、大丈夫です。ありがとう、ございます……」



 蒼龍から寝息が聞こえた。






 翌日、眠い目を擦りながら鳳翔は厨房に入った。昨日は結局風呂に入れなかったから身体がむず痒い。どうせ少ない人数で大ぐらいも出払っているのだから、適当なモノをやっつけで作ろう。駆逐艦の子も呉に向かうし、残っているのは最低限の人数で、艦娘は私に飛龍、蒼龍に駆逐隊の浦風のみだ。浦風なんかはすぐそこに実家があるせいでちょくちょく帰っているから、こうやって残っていることが多い。

 よし、朝だから許される強引な技。納豆にご飯を付け加える。後はおひつを出してそこにコメを盛り込み、お代わり自由と銘打てば楽なものだ。仕事が雑?楽できるところを楽するのが海軍魂なのです。



「……出来た、これでよしと」



 毎度これなら楽なのだが、何日も続けると空母や戦艦による厨房への殴り込みが始まる。一度ものは試しとそういった事をして、ああこりゃ楽だわと思った矢先に一航戦をはじめとする艦娘たちにふざけるなと詰め寄られたので、いざという時だけに使う裏技とした。



「さーて、寝ますか……」



 そう言って厨房から出ようとして、食堂に飛龍が居たのが見えたので取りあえず声をかけておこうと、前に座った。

 それまでは良かった。だが、明らかに様子がおかしい。俯いていて、ぼそぼそと口を動かしている。



「飛龍さん?」



 鳳翔は耳をそばだてる。



「……んなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……許して下さい、お許し下さいだから殺さないで」

「ひ……っ」



 抑揚のない声で、飛龍はブツブツとつづけた。死んだような目で、誰に乞うているのか分からない謝罪をくり返す。

戸が開いた。傍で見ていて分かるくらいに怯えた表情で、飛龍はそちらを見る。碧の着物にツインテール、蒼龍だ。



「あー、こんなところに。飛龍、駄目じゃないの、寝てなくちゃあ」

「あ、あ……っ、あああアアッッ!」



 蒼龍の顔を見たとたん、飛龍は取り乱す。死んだような目に、怯えと恐怖が宿り、蒼龍から離れようとする。



「ちょ、ちょっと、飛龍さん!?」

「あちゃあ……怖い夢でも見たんだね、飛龍……お母さん、ごめん。連れて、帰るから」



 困惑したような鳳翔に、訳知り顔で蒼龍はそう言った。その顔は、陽ざしの関係か、陰が射していて良く見えなかった。



「や、やだやだやだァッ!来ないでっ、来ないでぇっ!」

「こーら、良い子にしなさいっての」



 飛龍は必死に抵抗するが、片手の三角巾が邪魔で蒼龍にあっさり着物を掴まれる。

 鳳翔は唖然としていた。飛龍と目が合う。



「ほ、鳳翔さん、た、たす、助け………っ」



 何か、何か言わなくては、そんな事を思った時、飛龍の背中越しに襟を掴んでいる蒼龍とも目が合った。

 笑顔だった、これ以上ないほどの。そして鳳翔の口を噤ませるほどの迫力を纏っていた。



「じゃ、お母さん。また来ますね、あははは」

「離して離してえっ!一生のお願いだからあっ!」



 哀れなほどに取り乱した飛龍を、蒼龍は斟酌するでもなく引きずっていく。

 戸から出てすぐのところで、蒼龍は鳳翔の方に向きなおった。



「お母さん、あの事、内緒にしていてね……約束よ」

「は、ハイ!口外しません!」

「ありがとう、じゃあ、ね」



 高い音がして、戸が閉められた。鳳翔は近くにあった椅子に腰砕けになったように座る。



「……お風呂に行こう」



 冷や汗だらけの着物を取り換えることにした。さっきまでの事を全て忘れるには、洗い流すしかないように思えた。


 

翔鶴の場合

 


 随伴艦という言葉をどんな意味で取るかは人それぞれだ。しかしそれがたとえ同僚と言った意味で使っているとしても、かなり尊大な言い方である事は間違いない。



「提督!私やりました!艦載機の皆さんも、〈随伴艦〉の皆さんもとっても頑張ってくれました!感謝です!」



 提督の前で誇らしげに伝える銀髪の娘は、周りの視線に気づいていない。これがもし駆逐艦娘だったなら、この引率教師のような言い回しでも誰も文句は言わなかっただろう。しかし周りに居たのはベテランといっていい艦娘たちだ。誰もが誇りを持ち実績がある。

 その点、銀髪の娘―――翔鶴は二か月前に教育隊を卒業したばかりの新人だ。その新人艦娘が、こんな気位の高い事を言った日には、ろくなことが無い。





「……で、ですねえ。みなさん口きいてくれないんですよ!?聞いてます!?」

「は、はあ……」



 夕食後の煙草盆出せの時間帯、言うなれば自由時間だが、翔鶴はたまり溜まった愚痴を吐き、分かりやすく荒れていた。

 色白の顔は真っ赤に染まっている。大分酒を飲んで、飲まれている。体質的に色素が薄いのか、翔鶴はどこか儚い。

 翔鶴は鳳翔からすれば羨ましいようなエリートだ。艦娘も徴兵が三期目ともなれば軍令部だって慣れてきて、その結果そうそうたる才能を持つ娘たちが軍の門をくぐってきた。

 結果としてそれは、変な選民意識を生むことにもなった。才能があるだのといった甘言に寄せられた新人は、前々からいた艦娘達を、意識はしていないだろうが見下すところがある。

 一番わかりやすいのは目の前で酔っぱらっている翔鶴の妹、瑞鶴と加賀の確執だ。お互い譲り合うことなく角を突きつけあっている。




「でもですねえ、翔鶴さんだって良いとは言えませんよ。だってほら、随伴艦扱いとかは……ね」

「悪いですか?」




 少しも悪びれずに、翔鶴は言い返した。



「事実じゃないですか。皆、私より弱いんだから!随伴艦の皆さんがしっかりしないから、私が厳しい事言わなきゃ……!」



 翔鶴はまたコップを呷った。完全に悪酔いしている。

 色素が薄い体質も手伝ってか、翔鶴はだんだんと赤くなり、目が座る。



「赤城も加賀も、飛龍も蒼龍もポンコツよ!鳳翔さんは良いですねえ!あんなポンコツを育てたってだけで偉そうな顔が出来るんだから!」



 鳳翔の頭に、血が上ってくる。ザルとはいえ鳳翔も酒が入っていた、手塩にかけて可愛がった娘をけなされ、烈火のような怒りが湧いてくる。



「翔鶴さん、その辺にしましょう。随分酔っていますしね」



 それでも声を抑える、我慢だ我慢。私が怒ったって仕方ない。そう自分に言い聞かせる。

 翔鶴は胡乱な目をして、こちらを伺っていた。



「ふーん、鳳翔さんは随分大人しいんですね。流石みんなのお母さん。分かったようなお口を聞きなさる事。あの赤城は随分と鳳翔さんを持ち上げていましたけど。まあ、ポンコツの随伴艦のいう事なんか信用なりませんがね」



 耐えろ、耐えなくてはならない。私までが、怒ってはいけない、いけないんだ。鳳翔はコップを握りしめながら耐える。娘たちを、後輩を罵倒する言葉を。



「まあ、なんて言いますか。赤城も加賀も戦艦崩れですからね。私や瑞鶴みたいな生粋の空母とは違うんですからね。さっさと引退してくれればいいんですがねえ」



 ぷつりと、何かが切れる音が聞こえる。堪忍袋が切れる音だと気づいた時にはもう遅い。コップを叩きつけ、翔鶴を睨みつける。



「ん?鳳翔さ……」



 翔鶴の顔に、コップの酒をぶちまける。翔鶴は、唖然とした顔でこっちを見ていた。まさか鳳翔がこんな行動をするとは思わないと言ったふうに抜けた顔をしている。

 鳳翔は立ち上がって厨房の方に向かい、バケツに水を入れる。翔鶴は何か言ってくるかと思っていたが何も言わなかった。まだ状況を理解できていないのだ。

 バケツに水がたまると、鳳翔はそれを掴んで厨房から出る。

 翔鶴の頭からそれをぶちまけた。茫然とした表情で滴る水を拭いもせず、翔鶴は鳳翔を見ていた。



「……それ、片づけときなさい。もう看板です。とっとと帰りなさい」



 翔鶴は何も言わない。ただ茫然としていただけだ。鳳翔は機嫌悪そうに舌打ちをし、食堂を出た。何もしようとは思わなかった。酒が入っていた分もあったが、完全に頭に血が上っていた。









「……何の真似ですか、これは」



 翔鶴が赤城や加賀を伴って、炊事班の休憩室にやってきたのは昼下がりの事だった。上陸日だというのに、先輩二人が伴うというのは珍しい。

 椅子に座って、三人を見上げていた鳳翔に、一歩前に出た翔鶴が頭を下げた。



「ほ、鳳翔さん、き、昨日はすみませんでした!つい悪酔いして……」

「……悪酔いね」



 鳳翔は深く椅子に座り込む。いつものような包容力のある優しい目は鳴りを潜め、冷徹な目で翔鶴を見た。

「聞くところによると酔った時には本性が出るらしいですね、人間って。まあ艦娘も元々は人間ですから似たようなものでしょう。翔鶴さん、私はあなたを許したくありませんね」



 鳳翔の様子がいつもとは違うと、横にいた二人も慌てた。前に出たのは加賀だ。



「鳳翔さん、許してあげてくれませんか。翔鶴はまだ新米です。最近連続での出撃が続いていたのでストレスが溜まっていたのだとおもうのです」

「なるほど、それは確かにそうです」



 鳳翔の言葉に、翔鶴の顔が明るくなる。



「ですが、それは私の可愛い娘達を貶して良い理由にはなりません。ポンコツ?ははは、言ってくれるものです……翔鶴さん」

「は、はい」

「いつまでここに居るつもりですか?さっさと消え失せてください。目が腐ります」



 信じられない言葉だった。翔鶴だけではなく、赤城と加賀の表情も凍り付く。鳳翔には笑顔の欠片もなく、血の通った表情とは思えない程冷え冷えとした顔で、翔鶴に向き合っていた。



「ほ、鳳翔さん」

 赤城だった。何とか取りなそうとしているが、鳳翔は何も言わず顎で出口を示しただけだった。







 それからというもの、鳳翔は翔鶴を無視し続けた。赤城に加賀はもちろん、果ては蒼龍や飛龍、瑞鶴までが何とか許してあげてほしいと嘆願していたが、そのすべてを鳳翔は無視していた。

 二週間後の上陸日。珍しく、赤城が一人でやって来ていた。



「おや、赤城さん。上陸は?」

「とてもじゃありませんけど、気分じゃありませんよ。頼みますから仲直りしてください」



 鳳翔は席をすすめ、茶を出した。その上で切り出す。



「……ねえ赤城さん。初めて私があなたに艦娘の訓練をしたのって、もうずいぶん昔ですよね」

「……ですね。多分五、六年前くらいですか。あの頃はまだ鳳翔さんも現役でしたし」



 赤城は苦笑いをしながら、昔を思い出すように目を細くした。当時の鳳翔は厳しくも優しいを地でいっており、愛情籠ったシゴキを加賀と共に受けたものだ。無論それは深海棲艦の怖さを知ったうえで厳しくしていたのだと今では理解している。




「色々厳しくしましたし、あなたはそれによくついてきてくれました。今では私に代わって旗艦に空母の筆頭まで勤めてくれています。こんなに小さかったのに、頼れる娘です」

「こっぱずかしいですね、何か」



 赤城は少し頬を染めつつ、茶を啜った。



「私にとってあなたや加賀、飛龍や蒼龍は可愛い娘です。そして誇りでもあるのです。……これは勝手な私話ですが、あなたたちの戦果は、私の指導の賜物だと思えるのです。もう前線にすら出れない、ポンコツの私が育てることが出来た最後の空母なのです。それを、翔鶴さんは貶した。私は、皆さんがおもってらっしゃるほど器が大きい訳ではないのです」

「で、ですけど」



 目の前の赤城がへどもどしていた。今まで見た事のない鳳翔が目の前に居た。陽だまりのような優しい顔ではなかった、冷気を纏った雪女のような顔だった。



「……これは独り言です。聞き流してくれて結構ですよ」



 そう言って前置きした後、鳳翔は口を開く。



「口だけでは何とだって言えるのです、人というのはね。それこそポンコツを竜飛鳳翔と名付けたり、最新鋭の空母を被害担当艦なんて揶揄したりね。だから私は口先三寸は信用しません。ですので、行動で示してくれるのなら気も変わる……かもしれませんね」



 まあ、それこそどうでもいいのだけど、と心の中だけで鳳翔は呟いた。



「なるほど……失礼しました、では」

「なに、ただの独り言です」






夕方の四時ごろ、いつもならわずかな休み時間であるはずのその時間帯は、もはや戦場のような様相を呈していた。鳳翔を中心に、炊事班の人間は湯を沸かしていた。



「いいですか!医官の指示は、湯を沸かせ、です。包帯の煮沸消毒をしっかりしてください!傷口を洗う布巾も雑菌一つ残らない状態にしておいて!」

「はい!」



 炊事班の役割は医療現場において、弾薬並みの消耗品である布巾に包帯と言った清潔をこの上なく求められるものを消毒し、手渡すという業務だ。

 何故、こんな事をしているのか。

 理由は一つだ。昨日の朝に出撃していた艦隊が、夜戦を含めて三回の敵艦隊との会敵を経て帰港しようとしていた去り際を狙われた。疲弊していた艦隊は、いきなり出現した敵艦隊になす術もなかった。たちまち、先頭の旗艦、瑞鶴が被弾。中破したため旗艦の業務を翔鶴が代行した。

敵は豊富な航空戦力をもってして、畳みかけてきた。随伴の駆逐艦は夜戦で奮闘していたため疲弊し、戦艦と巡洋艦が盾代わりになり、旗艦代行の翔鶴もかなりの被害を受けた。具体的に言うならば、制空隊以外の艦攻艦爆隊は軒並み落とされたうえ、敵艦攻隊の雷撃で中破してしまい、またも旗艦が変わるという、艦隊の混乱をさらに深めてしまうという結果になった。以上の内容は大淀から聞いた。その後どうなったのかは分からない。



「艦隊入港!炊事班は医官の手伝いじゃ!早う行くぞ!」



 今日の秘書艦を勤めていた利根が高い声をからせていった。彼女の顔にも焦りが浮かんでいた。



「大淀は明石と夕張の手伝い!間宮と伊良湖は布巾の補充!利根さん、私が医務室に常駐します!」



 焦っていたのは鳳翔も同じだった。一般的に艤装は中破までは艦娘の核となる人体を護ってくれる。しかし大破は別だった。大破状態での進撃は三途の川の片道切符になりかねない。

 聞いただけの状態ならば、そこまでの心配はないがこの手の情報というのは伝言ゲームもかくやというほどに信頼性がない。もしかするなら小破なのかもしれないが、大破なら大変な事だ。間違いなく消耗の激しかった駆逐艦はかなりの被害だろうし、その駆逐隊の盾になった戦艦勢も心配だった。


「報告!」


 小破状態だった古鷹が泣きそうな顔で医務室に報告に来た。艤装はドックにほうってきたのだろう。敬礼もそこそこに、鳳翔と医官に報告する。a



「艦隊の被害、大破三、中破二、小破一!これは私です」

「ご苦労さまです、古鷹さん、あなたはどうされますか」

「はい、私はさしたる損傷も無いのでお手伝いさせてください!」

「結構、残れ」



 鳳翔の後をついで答えたのは軍医大尉の老医だった。対岸の街で診察所を開いている男で、応招で軍属になった経緯があるため、軍に良い顔してはいない。



「あんたにゃ伝令をやってもらおう。包帯の替えを持ってきてもらうし、事によっちゃ縫合もしなくちゃならん。ワシはここを離れられんし、鳳翔さんにも助手をやってもらわにゃならんからな。頼むぞ」

「はいっ」



 古鷹は敬礼をし、ドアの傍に立つ。

 廊下が騒がしくなる、担架を担ぐ音とその周りの取り巻きの声だった。


「失礼します!負傷者の看護願います!」


 長門だった。三番艦を勤めていたと聞いていたが、派手に破れた服を隠すためか上着を着ていた。上位の艦娘とはいえ、階級はないため、この場での最上級者は目の前の老人だった。


「大破艦、翔鶴、浦風、皐月。中破が私と瑞鶴です」

「報告ご苦労、済まんが中破の者は待っていてくれ、早急に大破艦を見なくてはならんからのぅ……こいつァ、酷いな」


 魘されるように呻き声を上げていたのは浦風だった。頬が切り裂かれて、どくどくと赤い血が流れ、担架の白い布を染めていた。皐月は意識こそはっきりしているものの、腕の角度がおかしくなっていた。折れているな、と鳳翔は見立てを立てた。

 艤装の防御効果は中破までだ。それ以降は砲弾が当たっても補助的な効果しか望めなくなる。ただでさえ、一六インチなどの大口径砲が当たれば一発で大破になることも珍しくない。それが艦娘の戦いだった。



「後は……っ!これはダメだ。死にかけとる」

「な……っ」



 翔鶴だった、静かで呼吸の音すらほとんど聞こえず、血を失いすぎたのか顔色が青白かった。見ると腕の脈が切れたのか、担架から血がたれていた。頭からも出血している。



「そんな!なんとかしてよ大尉!」


 鳳翔より前に、瑞鶴がさけんだ。



「……仕方ない、こいつから処置しょうか。鳳翔さん、浦風と皐月の処置を任せる。古鷹さん、あんたァ食堂行って布巾に包帯もってきてつかあさい、あとは輸血じゃ、翔鶴の血液型は?」

「O型よ、私と同じ!献血ならいくらでもするから!」

「ダァホッ!お前さんだって中破しよるやないか、フラフラしよる状態なんじゃけぇ、外居れ!」



 飛び出るように、古鷹、長門、瑞鶴の三人が外に出る。

 

「O型か……参ったな。Oは色々使えるから不足分の手当に使おうと思ったが、そうもいかんか。たちまち応急処置はせねばな。鳳翔さん、今ある包帯と絆創膏を。止血するからの」

「はい」



 翔鶴の手の裂傷はヒジの指二本分下から手首にかけての大きなものだった。血に弱い人間なら卒倒するだろうが、鳳翔だって毎日戦場みたいな厨房に詰めている艦娘だ。切り傷やけどは日常茶飯事である。

 医官は翔鶴の二の腕に止血バンドをつけてから、血だまりをガーゼで丁寧に拭う。足も脹脛に三センチの裂傷が有ったので、同じように心臓に近い位置で止血バンドをつけた。


「後は輸血じゃ。じゃが、こりゃあ分からんぞ。血が足らんと死ぬるけんのぅ」

「あんまり軽々しく死ぬ死ぬ言わないでくださいよ、大尉」


 鳳翔はベッドに皐月と浦風を移した。

 呻き声を上げる皐月の腕を変な具合になってないように気をつけて、添え木と包帯で固定する。痛いよう痛いよう、と皐月はこぼすがそれを言えるだけ元気なのだ。心配することはない。


「うぅぅ……顔が焼けよるように痛いんよォ……鳳翔さん、何とかしてぇやァ……うぅぅ」

「しっかりしてください、大丈夫です……少し滲みますよ」


 弱気な事を零す浦風も顔の傷からの出血がひどい。砲弾の破片ですっぱりと切れ込んでいた。ガーゼで流れていく血を拭い、消毒をする。擦り出すようなうめき声が聞こえた。

 何とか、傷が残らないようにならないだろうか。浦風の顔の傷の出血は止まり辛く、なおかつ深いため縫合痕が残ってしまうかもしれない。



「頑張って……耐えてください。膿んでしまうと膨らんでもっと痛くなりますから……」

「分かっとるけん……ウチ、大丈夫じゃけぇ鳳翔さん、翔鶴さん見たって……あんまり傷、見られとうないんよォ……」


 顔を覆って浦風はそう言った。泣いているような、湿った声だった。


「ハイ……」


 可哀想だとは思った。それでも、鳳翔には何ともしようがなかった。

 古鷹が焦ってドアを開けて、入ってきた。両手には包帯と輸血パックを持っている。



「これがO型の血液です!これだけだと」

「こ、これだけかァ!?これじゃあ持たんぞ!」

「どうしてもO型の血液は汎用性があって、あれこれ使ってしまうみたいで……」



 医官は舌打ちをしたが、それでもとるべき処置をした。裂傷を装束した後縫合し、ガーゼでそれを覆って包帯を締める。足も同様の処置をした後、急いで輸血の用意をし、注射針を刺す。

 医官はそこまでやって溜息を吐いた。



「大至急献血の用意だ。それまでは輸血と生理食塩水を注射して持たす。鳳翔さん、あんた血液型は?」

「Оですが……」

「じゃあ、いざとなれば頼む。この先も手助けがほしいから、あまりそうはしたくないがな」

「ハイ」



 それでも何とか鳳翔が担当していた二人はもう小康状態だったので、翔鶴の面倒を見ることは出来る。近づいて、気絶している翔鶴を見た。白かった髪には血が張り付き、まだまだ顔は青白い。



「大尉、私の血使ってください。もうあの二人は大丈夫ですから。至急なんでしょう?」

「ほう……ふむ……成程のう、それじゃあ採血して合えば、使わせてもらう」



 言うが早いが、採血台に腕を出させて腕を縛る。そして素早い手際で、腕に針を差し込んで注射器の中が赤くなった。



「……っ」


 痛い。仕方がない。どうしても採血用の針は普通より太めになる。



「すまんな。だが、至急この血液が大丈夫か調べるけんのう。待っとってくれ」

 そう言って医官は外に出た。


 鳳翔は人事不省の翔鶴の手を握り、撫で付けた。

 冷たい手だった。ずっと旗艦の代行を続けていたのだろう。



「無理……させてしまったのでしょうか」



 この前の発言が頭をよぎった。確かにあの時言ったことに嘘はなかった。だが、今考えてみるともっと私から歩み寄ってもいいところがあったのではなかっただろうか。鳳翔は後悔していた。この翔鶴だって、自分の可愛い後輩ではないか、と今になって思い出した。



 ドアが乱暴に開けられた。医官が息せき切って入ってくる。



「おう、またせたな。すぐに横になれ、使わせてもらうぞ」



 用意をして、鳳翔は横になった。医官が注射針を刺し、鳳翔の血液が管を通って集まる。



「お願いです、助けてあげてください」

「やれるだけやったる。まあ任せておけ。儂だって医者じゃ」



 心強い返事をして、医官は処置を始めた。


 どのくらいの時間が経った事だろうか。寝転んでいた鳳翔はいつの間にやら寝ていたらしい。医官は呑気に寝ていた。つまり上手く行ったのだろう。翔鶴も寝ていた。胸が上下に動き、血の気も戻っていた。腕と足の傷跡に縫合痕を覆い隠す白い包帯が目立っていた。



「大尉、大尉……先生」



 私は寝台から起き上がると、椅子で寝ていた医官を起こした。大尉と呼んでもピクリともしなかった医官が、先生と呼んだらすぐに起き上ったあたり本分を医者に置いているらしい按配だった。



「ん……ああ、鳳翔さんかえ。お疲れさん、成功したよ、瑞鶴にでも知らせてやんな。儂は寝る。ではな」


 医官はそう言って外に出た。


「お疲れ様でした……ってもう居ませんか」


 鳳翔は翔鶴の寝台に近づいた。安心したように眠っている。医官が外に出たという事はもう全くご安心だというわけだ。そこまで近づいて鳳翔は翔鶴の手を握った。

 すらりと、名の通り鶴のような身体つきをした翔鶴の手は白く、細かった。肉付きのいい手ではないから鳳翔の小さな手でも包むことが出来た。


 細い、頼り気のないほどの細い身体。この身体で、砲弾を受け止め、盾となったのだろう。

「ん……」

 鳳翔に手を取られて、翔鶴は目を覚ました。不安げな顔だったが、鳳翔を見つけて、引き攣った顔になる。

「ほ、鳳翔、さん」

「……」

 起き上がろうとしていたが、何せ一日そこら寝ていたのだ。ガチガチに固まった身体は思い通りに動いてはくれなかった。寝台から転げ落ちそうになる。

「あ、あわわっ!」

「……っ!」

 鳳翔はとっさに動いて翔鶴を支えた。鳳翔の顔の上に、翔鶴の顔が来る形になる。

「す、すみませんすみません!」

「……いえ」

 身体をだるそうにしている翔鶴は、言葉もどこかたどたどしい。気まずそうでもあった。そう言えば、言葉を交わすのは久々だ。

「……まあ、座りましょう」

「は、はい」

 寝台に隣り合って座る。こうしてみると、鳳翔の身体の小ささばかりが目立つ。百七十近い翔鶴と並ぶと、百五十に届くかどうかという身長の鳳翔はますます小さいように映る。それだというのに、大きい方の翔鶴は縮こまり、鳳翔はややうつむいたように顎を引いていた。

「……取りあえずは、生きて帰ってくれて、ありがとうございます」

「は、はあ……あの、その……」

「無理はなさらないでくださいね……空母になれる艦娘は限られています」

「……」

 翔鶴は何も答えない。

「……すみません、でした」

「何が、ですか」

「私が、皆さんを貶した、事です」

 俯いた鳳翔の表情は、翔鶴の位置からはどうやっても見ることが出来ない。

「……あなたが、この前のまま謝っていたら、私は許しませんでした」

「え」

「私は、嫌いなんです。口先三寸が。あなたが私を口先だけでやり込めれると思っていらしたなら、絶対に許しはしませんでした」

「そ、そんな事!」

「知ってます。あなたは行動をしてくれました。行動して、自分から何とか解決しようとしてくれました。あなたが、皆を護ろうとしてくれたことも聞きました」

 翔鶴は、声を潤ませた。

「……私は、未熟、でした。あんなに、戦闘が怖い、と思った、こ、事なんてなかっ」

「……これから、まだあなたの活躍の場があります。頑張って慣れてください」

 鳳翔はその場を離れる。翔鶴はポロポロとないていた。振り返って、言った。

「おつゆ、温めますから。何か食べなさい」

「は、はい!ありがとうございます!」

 鳳翔の微笑みを見て、翔鶴は泣きながら笑っていた。妖しい美しさがあった。


瑞鶴の場合



  鳳翔さんには謎が多い。

 身長は大層低い。私は女性にしては結構な長身だから同性を見下ろすことは珍しくないのだけれど、それにしたって私の胸ほどまでしかない女性というのはよほど小柄だ。

 だというのに、私の先輩方は皆一線引いたように敬意を抱いているが最先任の艦娘だからか、鳳翔さんの過去を知る人は少ない。

「うーん、鳳翔さんの過去……聞いたことも無いわねー」

 古株である赤城さんですらこの反応だ。腕組みして考え込んでいたが思い当たる節があるようには見えない。

「私より少し年上とは聞いたけど……まあ、謎の多い人ってことでしょうね」

 そう言って赤城さんは締めくくった。

「全然知らないなあ……ねえ、飛龍」

「そーね」

 二航戦の先輩方、飛龍さんに蒼龍さんにも尋ねるがこの反応だ。興味津々の蒼龍に比べて、飛龍は淡々としている。全く興味がないらしい。つまりこの鎮守府所属の空母で鳳翔さんの過去を知る人はいないわけだ。


 私はこの鎮守府で一番の新顔だ。新顔というのは苦労ばかり。起床ラッパとともに跳ね起きて、ベッドを皺ひとつなく撫で付け、艤装とは別の艦娘用の制服―――海軍第三種軍装と呼ばれる深緑の制服を着て鎮守府の営庭まで駆け足をする。

 朝礼じみた事を終えると、私と翔鶴姉の二人は一足先に食堂に向かう。新入りだから様々な事をやらされる。娑婆が懐かしいとは思う、少なくとも顰め面をして怒鳴られる事などないのだし。

「失礼します!」

「配食始めてください、お茶を淹れますので」

 鳳翔さんは三角巾を頭に結んでいた。汗がしたたり落ちるのを防いでいる。湯気の出る大釜から、鉄製のケースに入れて、其処からまたお椀に入れる。大きすぎて、直接入れたら手が届かないのだ。

 炊事班の手際の良さには恐れ入る。これほどの面倒な作業をたった二人で行っているのだ。今日の朝食は、銀シャリに味噌汁、鮭の切り身にたくあん漬けの御香香だ。腹がぐうとなった。うう、恥ずかしいなあ。横にいる翔鶴姉が笑いながらこちらを見た。

 あの日―――私と旗艦を変わって身代わりになり、大破した日からそんなに時は経っていないから、翔鶴姉の身体は痛々しい傷が残っている。それを見ると、なんだか嫌な気分だ。

「翔鶴姉、無理しないでよ。まだ傷治ってないんでしょ?」

「いいの。出来ることはしなくちゃならない訳だし。それに瑞鶴ばかりに頼るわけにも行かないしね」

 穏和な口調が特徴的な翔鶴姉だけど、私と話す時は結構砕けた口調になる。ざっくばらんな私とは違って、翔鶴姉は気を使う性質で周りと同調してどうしても目立ってしまう容姿を何とか隠そう隠そうとする人だ。

……無駄だよなあ。いやがおうにも目立つ容姿だ。銀髪で、長身で、柔らかい顔。私は溜息を吐きながら、器を机に並べた。嫉妬も出来ないような差がある。

「ほら、急ぎなさい。かかれの号令がかかりますからね」

 鳳翔さんも急かしてくる。やれやれ、今日も大変だ。


 課業と呼ばれる仕事が、出撃以外にもちゃんとある。だから給料をもらっているという訳で。今日の課業は整備だった。艦載機の整備を行い、しっかりと直したり、新しく配備されたものをテストしたりする。この手の目立たない地味な作業は全く向いていない気がする。もちろん何となくだが。

「お、今日は瑞鶴さんかァ」

 工廠でトンカチ片手に作業ツナギをきた明石が出迎えてくれた。敬礼をするとノロノロとした返礼をしてくれた。

 同じ艦娘だが、この明石や炊事班に片足突っ込んだような大淀は元々戦闘に出ることのない専門班の所属だったが、戦線が拡大するに至って戦闘に駆り出されることになったという、ある意味不憫な人たちだった。明石も戦闘は不得手だが、小破の艦娘の艤装までなら応急処置が出来るという理由で駆りだされている。

「それで、何をつくります?艦攻艦爆?それとも彩雲?水偵も捨てがたいわねえ」

「あー……そうですね。とりあえず開発をすすめましょう」

 私の服は作業用である。艦娘ったっていつでもあの手の艤装をつけているわけではない。整備もするし、使い倒れのあの服は出撃時に使われる第一種軍装のようなものだ。業務をするときは、この深緑の第三軍装を着ている。これは動きやすいし何より値段が第一第二という見栄えのいいものと違って安い事も気に入っている理由の一つだ。

「ああ……だめだ」

 今日の運は悪い。妖精さんにレシピを渡して、スロットマシンじみたものを回すのだが、妖精さんの機嫌や錬度によって渡されるものに差が出るのが開発の難点だ。

「まだまだですねえ」

 明石がヘラヘラ笑いながらスパナで楽しげに既存の砲の整備をしていた。二十・三センチ砲……だったかな?砲を扱ったことが、前世ですら無い私はどうにもそっちは疎い。知ってても大して特にならない事なのだから知らなくてもいいだろう。

「もう少しなれたら上手くなれますか?」

「どうですかねえ……これは向き不向きの問題ですから」

 なら、こういった細々作業は向いていない。私ときたらこの手のごちゃごちゃしたものが苦手なのだ。周りをよく見れない類の人間だったし、それは艦娘になっても変わっていない。

「はあ……大変だなあ」

軍帽の庇を握って深くかぶり直し溜息を吐く。ツインテールが邪魔だ。後で結びなおしてこよう。

「まあ、開発に向いていない人が整備が得意だったり、その逆だったりするものですからそう肩を落とすこともありませんよ……はい、出来ました。開発はこのくらいにしときましょう。後で教えますからね」

 明石は笑いながらそう言った。有難いなあ、素人同然だもの私。精々がねじ回しくらいだ。

 それから昼食のラッパが鳴るまで私は工廠で明石による整備教室に付き合わされた。整備にかまける明石は確かに楽しげだ。鼻歌の一つも歌いそうなほど。

「明石さん、長いんですか?この仕事」

「ん?はあ、まあ。長いって言えば長いですかね。艦娘第一期ですから。……まあ、こうやって戦闘するとは思わなかったけど」

 要するに黎明期からの艦娘だという事だ。私は気になっていた事を聞いた。

「鳳翔さんって昔は何やってたんですか?」

「はい?鳳翔さん?」

 驚いたように明石がこちらを振り向く。鳳翔さんの事を聞かれるのは、予想外の事だったらしい。

 驚いたように明石がこちらを振り向く。鳳翔さんの事を聞かれるのは、予想外の事だったらしい。

「……それは、その。普通、ですよ」

「……ふっう~ん?」

 普通、にしては随分と言い淀んでいる。

「普通の空母艦娘でした。それはもう……加賀さんが来る前は赤城さんと一航戦をやっていましたし。それに昔というほど前でもないですよ。たった五、六年前の事です」

 まだ二十年も生きていない私からすれば、人生の四分の一前は大昔だ。

「不思議なんですよね。ただの、普通の艦娘してはみんなへりくだりすぎじゃないですか。赤城さんとか加賀さんとかの、プライドの高そうな肩まで……」

「と、っとと。そ、その先は言わない方がいいです。ね、言わない、言わない方が」

「のちの空母の先駆けったって、そんな大した存在じゃ―――」

「わーっ!わーっ!言わないで!言わないで!私関係ないからね!それ以上言うんなら私のいないとこで仰って頂戴!」

「ん、んなっ……」

 あからさまなまでの戸惑いに、私の方がびっくりする。何なんだ一体。あの小柄な鳳翔さんをここまで恐れる理由は一体……

「明石、さん?どうなさいましたか?」

 肩をビクつかせて、明石が首を回した。私の方からは、キョトンとした鳳翔さんの顔しか見れない。落ち着きの割には、何処か幼い声だ。

 明石は汗をかきかき誤魔化そうと笑っていた。

「な、何でもありません。む、蟲。そう、蟲です。蟲が居たのでびっくりしたんですよ」

「はあ。そうなんですか」

「そうなんですよ」

 鳳翔さんは、にこやかに笑って明石に言う。

「大きな声を出すのは仕方ありませんが、あまり騒いではダメですよ」

 そこまで言うと、今度は私の方を向いた。思わず反射的に敬礼する。何せ最先任の一人だ。失礼な事は出来ない。

 鳳翔さんはしっかりとした返礼を返してくれる。灰色の工廠と油のにおいが染みついた制服と、炊事班の和服は全くそぐわない。違和感がありすぎる。

「瑞鶴さん。調子はどうですか?」

「どうですか……あまり上手く行きませんね。初めてなもので」

 あらあらと口元を覆いつつ、笑いながら続ける。しかしなんだってここに居るのやら。炊事班の人からすれば、油だらけの私達など清潔とは程遠いはずだし、用があるとも思えない。

 鳳翔さんは包みを取り出した。油紙でくるまれていたのは銀シャリの握り飯だ。ぐうと音が鳴った、私のおなかだ。

「御昼どきですから、持ってこさせてもらいました。食堂までくるのも億劫でしょう?」

「あ、ああ。す、すみません。こっちから取りに来るべきところを。瑞鶴さん。休憩にしましょう。鳳翔さんもどうですか?一休みしてお茶でも」

「あら。では御相伴に預かりましょう」

 私は軽い敬礼をした後、工廠隅にある休憩室に二人を先導した。せっかくの昼食だ。油臭い工廠なんかで食べたくない。

 休憩室には6畳ほどの畳敷きに、給湯所もある。この畳で、作業後にごろ寝するのはとても気持ちがいい。できればだらしなくしていたいが、そうもいかない。

「いただきます」

「いただきます」

「どうぞ」

 おにぎりにたくあんと質素だが、こんなものだろう。最先任の鳳翔さんが新兵の私に食事を持ってくるなんてのも、実際は逆なのだろうが、威張るでもなく、やってくれるのは何となく申し訳ない。

 お茶を淹れて鳳翔さんに手渡すと、会釈して受け取った。大分貫禄がある。別に太っているわけではないが、経験豊富を絵にかいたような振る舞いだ。

「お疲れ様です。もう三か月ですね。瑞鶴さん。慣れましたか?」

「なれ……ですか。どうですかね」

 柔らかい雰囲気ではあるが、私の言葉の歯切れが悪くなる。何というか、私は鳳翔さんが苦手だ。理由はないけど、包み込まれそうになるのが怖い、というか、母親に対する気恥ずかしさみたいな、そんな感じだ。

「期待されてますよ。瑞鶴さんは。空母になれる艦娘は少ないですし。頑張っていますから、そのうちなれますよ」

「そう、ですか」

 どういう人なのだろうか。目の前の笑顔が、何故だか怖い。

「翔鶴さんも慣れてきたみたいですしね」

 値踏みをするような顔で、鳳翔さんは言った。そう言えば、翔鶴姉と一悶着あったらしい。あの時の姉の落ち込みようはただ事ではなかった。旗艦を代行してくれた時のただならぬあのやる気は異様そのものだ。

「あ、あのう……」

 お茶を啜り終えた鳳翔さんに、私は意を結して聞く。

「はい?」

「そのう……鳳翔さんは戦闘部隊に居た時、どんな風にしてましたか?」

 はい?とまた聞かれて、びくりとする。しまった。変な風に取られただろうか。柔らかかった雰囲気が、何処か険だったものになる。

「どういう……ですか?」

 明石がアワアワしているのが見えた。戸惑っているのか、目が怯えている。

「ほ、鳳翔さん」

「うーん……まあ、横須賀でしたからねえ。ここいらよりは都会だったからよく遊んでいた、という感じでしたかね」

 本当―――では、絶対ない。それを思い出しているような顔だったが、それが本当とは思えない証拠に、目が全く笑っていなかった。思い出したくない事、なのだろうか。苦労話をする連中に限ってろくでもなく、大した苦労もしていない。そして、その手の類の話を言わない鳳翔さんは―――それに当てはめるなら相当なモノだったのだろうか。

「ですけど、当時はまだ戦力拮抗の時代ですから―――大変だったですかね。まあ今より」

「そ、そうですか」

「ところで」

 鳳翔さんは、一転して厳しい目を私に向けてくる。

「瑞鶴さん、どうして昔の事を?」

「あ、いや、それは―――」

「聞けば、どうにも嗅ぎまわられているようで気味が悪いんです。なぜです?」

「そ、そ、そのう」

「はっきりしなさい!」

 大声というほどおおきな声ではない。しかし、語気の強い言葉で、私の背筋はびしりと立った。

「…………」

 黙りたくて、黙ったわけではなかった。ただ、どう言えばいいのか分からず、口を閉じたままだっただけなのだ。

 しかし、鳳翔さんはそれをそうとは見てくれなかったらしい。目が細くなり、六畳の休憩室の中だけ気温が何度か下がっているような気がした。

「……まあ、いいです。あ、そろそろ洗濯物が上がりますので、私はこれで」

 目を切って立ち上がってくれる。私よりも相当に小柄なのに、まるで蛇に睨まれた蛙だ。とてもかなわない気がした。

「そうそう」

「……ヒッ!?」

 畳を滑るようにして近づいて、私のすぐ横で囁く。

「あまり、調べないでくださいね。ね、あなたが知ったって、いい事は無いんですから」

「わ、わ、分かりました!」

 取り繕うようで、情けないがそんな事気にもかからなかった。とにかく怖くて、何も考えれず、ほとんど反射的に返事をしてしまったのだ。

「良い子ですね。では、明石さん。引き続き、宜しくお願いしますね」

 明石が、震える声で返事をした。


 その後は、どっちも仕事が手に着かなかった。

 なんでかって?そりゃあ決まっている。あんな禍々しい笑顔を見せられた日には安眠できるかだって怪しい。しかし、時間がたつにつれそれも直り、結局課業終わりの五時にはいつも通りの調子に戻っていた。

 それとともに、私の疑念はムクムクと沸き立った。あんなに隠したがっているのだ。何かしらの事があったに違いない。

「……よーし」

 同室の翔鶴姉がどこか行っている内に、私も外に出る。あまり見られたくないモノだしね。今からやることは。

 スルスルと、玄関前の黒電話に縋りつくようにかぶりつく。夜中で喫煙者以外は外にも出ないから、目に付きづらいはずだ。

「ええっと……横須賀鎮守府は~っと」

 ジーコロジーコロと回して連絡をする。

「はい、こちら横須賀鎮守府」

 電話に出たのは、ちょうどいい事に目当ての人物だった。

「青葉?瑞鶴よ、久々ね」

「ああ~、瑞鶴さん!お久しぶりですぅ、青葉です!」

 上手い事出てくれて助かる。流石幸運艦だわ、私。

 横須賀鎮守府所属の青葉は私の同期で、話の合う艦娘だった。私も青葉も出歯亀体質というか、似た者同士なので気があったのだろう。

「それで、こんな時間にどうしたんですか?呉に配属されたと聞きましたが」

「ええ、でもあまり時間が無いから手短に言うわね。ちょっと調べてほしい事があるんだけど」

「何々、何があったんですか?面白そうですね~」

 どこか軽薄な印象があるが、これが青葉だ。どんな環境でも馴染み、スルスルと人の心に入り込む性質で、艦娘なんかより新聞記者か探偵でもやっている方が似合いそうな女性だ。

「ええ……その、昔の先輩に、ちょっと聞いてほしいのよ、鳳翔、っていう艦娘の事を調べてほしいの」

 青葉に、私の携帯の番号を教えると私は寝室に向かった。興味本位だが、悪くないだろう。喧伝するわけではなく私が知りたいからしているのだ。これは自由な事なのだ。鳳翔さんは嫌がるだろうけど。

「ふふふ……いいわよねえ」

 私は、気づかなかった。

 後ろに居た、小柄なポニーテールの女性の存在に。



 息が上がる、死にそうだ。後ろからのプレッシャーは半端なものではない。後ろに目があったなら、ショック死してしまうのではないかと思うほどの重圧だ。

「あははは。美味しそうな七面鳥ね」

 その言葉が聞こえた瞬間、肩をえぐられる感触。声が漏れた。痛い、いたい、イタイ。

 倒れ伏した後、肩を貫いたのは矢だったのが見えた。振り返る。

「捕まえた捕まえた。さあ、夕食です」

 首を握りしめられた。

 一瞬見えた顔、顔は―――

「うわああああああっっっ」

 目が覚めた。夢だと分かるまで、しばらくかかった。

汗びっしょりだ、気持ち悪い目覚めだ。息は夢の中同様に荒い。酷い、こんな寝覚めってあるだろうか、気分は最低最悪だ。

「ん……どうしたの、瑞鶴」

 起こしてしまったらしい。いけないいけない。

「ご、ごめんね、翔鶴姉」

「いいけど……まあ、おきましょうか」

 いかに最悪な寝覚めでも、頑張って起きなくては。

「ほら、急いで、瑞鶴」

 正直炊事班の手伝いは憂鬱だ。やりたくもない。そして鳳翔さんと会うのが気まずい。

「おや、今日は随分早いですね」

 鳳翔さんはいつものような笑顔だ。そのはずだ。だというのに。

 どうして、こんなに怖いのだろう。

「まだ外は暗いですよ。こんな時間ですから寝てていいですよ」

 確かに総員起こしまではまだ時間がある。しかし目がさえてしまっていたし、どうせ今日は半舷上陸日で、いつもの半数しかいない。大した訓練も出撃もないのだから、これくらいは許されるってものだ。

「お手伝いしますよ。いつも炊事班の皆さんばかりにやっていただくのも心苦しいですから」

「あら、嬉しい。それならお願いしましょうか。今日は鮭の切り身がありますから豪勢ですよ」

 よだれがたれそうになる。昨今はどこも流通網がズタズタで、輸入に頼るこの国では、酷くモノ不足なのだ。何とか艦娘による護衛や、通常艦艇部隊の活躍で、なんとか最低限は保っているが、そんなものは雀の涙に過ぎない。米だけは自給率が多かったので何とかなったが、おかずは悲惨なものだ。私だって一時期は洒落にならない空腹に悩まされたものだし、翔鶴姉に至っては栄養失調で死にかけたのだ。

「美味しそうですねえ……あ、すみません」

「いえいえ。上陸日ですから余り物は昼の配食のおにぎりの具にしましょうか」

 鳳翔さんはいつも通りだった。いつものような微笑み、そして手際の良さだった。


 何日か過ぎて、青葉の連絡が待ち遠しくなっている。それなりに手間取っているのだろうか。横須賀は呉よりも大きな規模の鎮守府だから時間がかかるのだろうか。

 課業も終わり、私は工廠の片づけをしていた。

 近々戦争も終わるのではないか、という噂だ。理由は出撃の回数が目減りし、深海棲艦の数も減っているという話だ。確かに私がこの鎮守府に来てから出撃など片手で間に合う程度しかしていないし、開発はしていても徴兵はしていないし、新人さんも来ない。

「勝ってんだか負けてんだか、こっちにもわかんないのよね……」

 勝っている、とは思うが、深海棲艦と来たら夏のボウフラのようにあっちこっちに湧いてくる。こっちは限りがある。

 まあどっちにしたって消耗戦の、総力戦だ。しかもどこかの場所で、どうやって親玉と話し合うか分からないから、どっちかが亡くなるまでのたたかいなのかもしれない。

「どうなるのかなァ」

 そうこうしながら、私は片づけを終えて、一服するために休憩室の中で水を飲もうとした。

 音が鳴った。手持ちの携帯だった。いきなりの連絡があるから持たされているものだ。取りあえず出る。

「はい、瑞鶴」

「あ、ああ」

 うめくような声が出ている。何だなんだ。フリーダイヤルの女声目当ての変態か?

「あお、青葉です」

「あ、ああ青葉ね、青葉」

 潰されたような変な声だから気づかなかった。

「こ、ここ、この前の、事なんですけど」

 怯えている?酷く切れの悪い声が、電話口から聞こえてくる。

「ひっ……あ、あのう。この前の事は無しで!無しでお願いします!」

「え、ちょ、ちょっと青葉?」

「しつ、失礼、します」

 こっちの返答も聞かず、間髪無しに電話は切れた。

 何があったのだ?青葉といえば恐れ知らずな性格だ。パパラッチじみたフットワークの軽さが売りの彼女をここまで恐れさせる―――そんなこと、あるのだろうか?

 小首をかしげつつ、工廠外に出る。今頃は六時でも明るい。春に入隊して三か月、もう夏だ。

 言うなれば残業明けで、夕食の時間が近づいている。遅れる連絡はしているが、あまり呑気に歩くのも考え物かもしれない。

 そんな時だ。工廠から離れて、兵舎に向かっていた私の足元に五月蠅い存在が近づいていた。

 ―――鶏?

 珍しい、こんなところに居るなんて。

 まあいなくもない。毎朝とはいかないが、卵が出ることが多いので、その鶏だろう。

「ああ、瑞鶴さん!ちょっとお願いします!」

「へ?鳳翔さん」

 取りあえず掴む。暴れるものだから痛いが何とか捕まえた。

 鳳翔さんは息を荒げていた。大分長々走っていたのか、汗ばんでもいた。やけに色っぽいぞ、おい。

「逃げちゃって……あ、それ貸して下さい」

「あ、はい」

 鳳翔さんは鶏を掴む。

 柔らかいものを無理やり潰した音がした。頬に生温かな液体がかかる。

 鶏の―――頭が無かった。鳳翔さんの片手の鉈で潰されたらしい。

「困りますよね、鶏って潔く無いんですよ。頭をつぶしてもまだ動くんですからね。ああ、喜んでください。今日は鳥鍋ですよ。まあ老鶏で、筋張って固いお肉ですけど。噛めば噛むほど……あ、瑞鶴さん、すみません。散っちゃいましたね」

 何を言っているのだろう。よく聞こえない。目の前に居るのは誰だ?鳳翔さん?本当に、そう?

「お拭きします。ごめんなさい」

「あ、ああ、は、はい」

 近づいてきた顔が、すぐそばにある。覗き込んでも、鳳翔さんには違いない。だというのにだ、何故こんなに、こんなに。

「ねえ」

 らしくない声。頬を撫で付けるような手拭い越しの手づかいが、怖かった。

「貴女も、美味しかったりするのですかね?」

 何だ?何が、言いたいのだ。

「こそこそしている七面鳥が居るらしいのです。わざわざ横須賀に電話をおかけになり、私の足元をくるくる回っている、らしいのですが?心当たりはございませんかね」

「ひっ」

 紛う事のない、私の悲鳴だ。私の顎の下にある鳳翔さんの顔は見えないにしろ―――いや、見えないからこそ、恐ろしい。

「瑞鶴さん」

「ひ、は、は、はい」

「次は、ありませんよ。もう三回目ですからね。次が」

「は、はひっ」

 言葉が、出ない。

「私は―――忘れたいんです。横須賀の、記憶をね」

「わかっ、分かりました」

「本当に?」

「ほ、ほ、本当です」

 何拍かの間があって、鳳翔さんはようやく笑ってくれた。

「そうですか、それでは」

 私は背中を向け、兵舎に消える鳳翔さんを見送ってから、へたり込んだ。力が入らない。腰が、全く抜けていた。




鳳翔の場合


「母の日です」

 赤城がそう言うと、その場の全員がざわめいた。艤装を外し、いつものような服装ではなく、出撃時以外で着込む第三軍装を皆着ていた。

「あの」

「加賀さん知ってます。何日も前に終わったと言いたいのでしょう?」

 今日は五月二十六日。母の日は十日だ。とっくの昔に終わっている事は誰もが承知だった。

「ですけどね。あの日、私たち機動部隊は全員出撃していたんですよ。一番お母さんにお世話になっているのは私達でしょう。だというのに、だれ、一人、いない訳ですよ」

「しかし、仕方ないことだとは思いますが」

 加賀が受け取って返す。この場に居るのは、一航戦の赤城加賀、二航戦飛龍蒼龍。そして五航戦の瑞鶴翔鶴。早い話が、この鎮守府の空母全員だった。

「仕方ない!?嫌ですよ、こんなの!やり直しです、やり直すのです、私達でするのです。誰にも迷惑をかけるわけでもありません。幸い月が替わって提督は潜水艦を沈める仕事で忙しいですから」

「あの」

 おずおずといった仕草で、飛龍が手を挙げた。

「それなら今度はお母さんが行っちゃうんじゃない?ほら、軽空母だし」

「……」

 そう言えばそうである。いつも月初めに軽空母が出ていく。いや、だが母はもう退役同然の身だ。大丈夫なはず―――赤城はそこまで考えた。

「万が一がありますからね。勲章好きのヘタレ提督ですから」

「あんな人なのに、奥さんは出来た人よね」

「あんまり情けないから、見かねたんでしょう」

 酷い事を言うが、加賀や瑞鶴、翔鶴のいう事もある。祝う以上、後顧の憂いは無くしておきたい。

「それなら、これを使いましょう」

「何です、これ」

 赤城は手元に薬結びの紙を出した。

「これは粉末状のお薬です。翔鶴さん、グッといってください」

「へ?あ、はい。お水は」

「ここに」

 水を受け取ると、翔鶴は粉末を口に入れて水を飲んだ。

 とたんに顔が真っ赤になる。目が座ったかと思うと、近くに居た加賀をねめつけた。

「な、何かしら」

 いつもの目と違って、厳しい顔をした翔鶴を見て、加賀が身を引く。

「……焼き鳥」

「何ですって?」

「焼き鳥の出来損ない……瑞鶴の姉貴面して。瑞鶴のお姉さんは私ですよ。なのに……」

 そこまで言って、翔鶴は奇声を上げて加賀にとびかかった。危ういところで躱したが、そのすきに襟元をとられて加賀はバランスを崩す。

「なっ…⁉や、止めなさい、五航戦!」

「嫌でーす。んふふふふ」

「んぐっ!」

 寄り掛かって、翔鶴は加賀の唇に口付けをする。何が起こっているのだか分からないという風に戸惑っている。瑞鶴は慌てて間に入ろうとしたが、翔鶴がしっかと加賀をホールドしているせいで離せないらしい。

「きゃああーっ!」

「これがキマシタワーってやつね!」

 二航戦の二人は黄色い声で笑みの浮かんだ口元を隠している。案外こんなのが好みなのかもしれない。

「……っ、ぷはあ」

「ご、ごご、五航戦っ。何してやがるのですか!」

「あはー?うっふふ、赤くなっちゃってかーわい」

「しょ、翔鶴姉?」

 蕩けた表情で、今度は瑞鶴の方を向きなおる。

「いけない子よ、瑞鶴。こんな可愛い人を独り占めだなんて。これはお仕置きね」

「は、ハア!?ちょ、ちょっと!うっわ、この」

 今度の獲物は瑞鶴らしい。抱き付いて倒れこみしけこもうとしたところを赤城が止める。何を余計な事を、というような視線を無視して、赤城が手刀を頸椎に打ち込むと、翔鶴はガックリうなだれて寝息を立てた。

「―――とまあ、こんな塩梅です」

「いや、説明してくださいよ。ていうか翔鶴姉酔ってたような……」

「それです。このお薬はどんな蟒蛇でも泥酔するという便利なモノなのです」

「なんて使いどころが少ない薬」

 瑞鶴はじっとりとした目つきで、その薬の入っていた紙を見た。

「で、その薬と母の日が何の関係があるんですか……加賀さん、しっかり」

 加賀はへたり込んで、口元を抑えていた。仕方ない。赤城だって酒癖の悪い翔鶴が一番わかりやすいと思って、薬を飲ませたのだが、あそこまでとは思っていなかったのだ。

「全く、翔鶴姉にお酒飲ませちゃいけないのに……こんな具合にぐでんぐでんになっちゃうんだから」

 ため息を吐いて、帽子を脱いだ。長い付き合いだからか、処置も手馴れている。

「考えてもみてください。こんな地の果てみたいな鎮守府で、ほとんど外にも出ずに私たちの世話ばかりしているんですよ。鬱憤が溜まって仕方ないはずです」

「それは、確かにそうですけど、だからってお酒を使ってどうするんです?」

 瑞鶴は訝しむように赤城を向く。

 赤城はドヤ顔で、話し始めた。

「つまりです。お酒で鳳翔さんにガス抜きをしてもらうんですよ」

「……効きますかねえ。こんなの」

 鳳翔は蟒蛇である。どんなに飲んでもケロッとしているのだ。小虎の翔鶴とはとても比較になるまい。

「大丈夫です。効かなきゃ足せばいいんですよ」

「……」

 本気かよ、と瑞鶴は思ったが口にはしなかった。


「おかーさん」

「あら、赤城さん。こんにちは」

 鳳翔は赤城を歓迎していた。昼過ぎの少しの休憩時間だ。本でも読むかと思っていた鳳翔はいきなりの訪問者にも対応できる余裕があったのだ。

「いやですね。最近私達ちょっと付き合い薄いじゃないですか。この前の母の日も私達すっぽかしちゃったし」

「いえいえ、そんな。その思いだけで私は十分嬉しいですよ。怪我もなく帰ってくれましたし、それだけで私は本当うれしかったんですから」

「慢心もしてませんから。加賀さんと二航戦五航戦が揃えば怖いものなしですよ」

「それが、慢心って言うんでしょう?」

 微笑みながら指摘する鳳翔に、赤城はキョトンとしたが、吹き出した。確かにそれはそうだ。言われるまで気づかないなら片手落ちも良いところ。

「はは、すみません。まあ、それはそれとしてですね。鳳翔さんに聞きたいことがありまして」

「聞きたいことですか?なんでしょう」

「今度の金曜。何か用事ありますか?」

「金曜日?」

 鳳翔がキョトンとする番だった。

「とりたてて何もありませんが。精々駆逐艦の子に上陸札を配るくらいですかね」

 上陸の際には上陸札を所定の場所にかけて上陸中であることを示す必要がある。その札は金曜カレーのすぐ後に配られるか、自分で保管する。駆逐艦や一部の艦娘は手元が甘いので鳳翔が管理していた。

「なら安心です」

「安心と言いますと?」

「実はですね。この前私達すっぽかしてしまったでしょう。あの、母の日」

「ああ、さっき言ってましたね」

「で、ですね。私たちは非常に、非ッ常に遺憾でしてね。なんだって母親を湛える日に潮っ辛い海の上に居るんだか、なんて思いまして」

「それは、それが仕事ですし。さっきも言ったように気にしてませんから」

「私達空母は気にするんです。ですので、改めて席を設けたいと思いましてですね、呉の御座敷を予約しようと」

「そ、そんな贅沢な」

「なあに。そんな気にしないでください。艦娘っていうのは曲がりなりにも公務員の一角ですからね。しかも酒保は市価より安いものですから給料が余って余って」

「仕送りとかして下さいよ。そんな贅沢するくらいなら」

「他の人たちは知りませんが私の実家はそれなりに裕福ですし、兄弟姉妹が皆いい具合に高給取りですから好き勝手に使えって手紙が来てました」

「は、はあ……」

「いっつも気にしすぎなんですよお母さん。よく言うでしょう、お金は湯水のように使ってこそですよ」

「目が回りそうです」

 鳳翔はおどけるように首を回した。実際赤城の貯金が増えに増えてつかいどころを探していたのだ。そもそも国のために身を粉にして働いているのだ。そして鳳翔はその中でも一番粉々になっている具合なのだ。たまにはいい、許されるべきだ。

「で、す、の、で……よろしくお願いしますね。鳳翔さん」

「は、はあ。了解しました」



「うわあ……」

「これは……」

「凄い……」

「料亭ですねえ……」

 赤城が予約したという御座敷は、バカバカしいほどに大きく、威厳があった。飛龍と蒼龍は顔を見合わせ、瑞鶴と翔鶴は茫然としていた。

「そーでしょう。ふふふ、加賀さんと私で必死に交渉して一番のお部屋をとっていただきましたからね。全く見せたかったくらいです。無言で威圧する加賀さんのまえに百戦錬磨の店主もドギマギしていましたからね」

「あ、赤城さん」

 加賀は戸惑うように赤城に声をかける。

本当は何を言っていいか分からず、ただ気まずい思いをしただけだったのだが、こんな評価をされていいものだろうかと考えていたとは、だれも思わなかった。

 全くこんな料亭と知っていたらそれなりの格好をしただろうが、赤城たちの格好は軍の厳つい第一種軍装だ。紺のジャケットに海軍帽という装いの女性が料亭の前で屯っているのは、違和感が凄い。

「翔鶴姉は飲んじゃダメだからね」

「へ!?嫌よ、飲むわよ」

「いやー、そこいらの居酒屋ならともかくこんな大きな料亭だよ?」

「だからこそじゃない。美味しいお酒がいっぱいでしょう」

「……これだものなあ、酒好きなのに弱いんだから。記憶がないなんて幸せな人だよ。全く」

「ぶつぶつ言わないで。飲むの、いいわね」

 翔鶴が胸を反らせて言った。頭を抱える瑞鶴の陰から、少しだけ小さな影が覗いた。加賀だ。

「絶対、絶対にダメです。飲んだら殺します」

「そ、そんな、加賀さんまで何ですか。これでも私はお酒に強いんです、飲んだって飲まれる事なんて」

「飲むな」

 目線を鋭くして、加賀に言われる。翔鶴は黙ってしまう。

「あんなキマシタワーしといて、覚えていないなんて罪よね」

「案外コマシなのかもね、優等生がそう言う性質ってのも」

「燃えるわね」

「素敵だよね」

「そこ!勝手な事言うなっ、忘れろっ」

 加賀は顔を赤くしながら怒鳴る。自分なりに恥ずかしい記憶らしい。熱いキスだったなと赤城は遠くを見る。

「あ、迎えに行ってきます。待っててくださいね」

 赤城はそう言って一行から抜け出す。

 鳳翔は怯えたように埠頭に留まっていた。

「あ、あ、赤城さん?」

「お母さん、何してるんで?」

「びっくりしているんです。だって聞いたら中四国でも指折りの御店だそうじゃないですか」

「そうですが、それくらい当然です。だってお母さんなんですから」

「お金、無いんですけど……そんなに」

「心配しないでください。ぜぇんぶ私がだしますから、ね?」

 それでも鳳翔は心配げだったが、赤城は強引に連れていく。

「大丈夫ですよ」

 それだけ言うと、鳳翔もようやく息を吐いた。


 中四国どころかこの国でも何件あるかというくらいの店である。赤城は先に色々と言い含め、持て成したいのでよろしくとも言っておいた。そこは流石に心得たものでごゆるりどうぞと来たものだ。広間に通された赤城は畳の感触を楽しみつつ、加賀と飛龍の元ににじり寄る。

「……飛龍さん、加賀さん、頼みますよ」

「心得ました」

「はい」

 作戦はこうである。

 一通りは飲み食いする。食事は赤城だって楽しみなのだ。先に試すより座が温まってからの方がいいという考えもある。

 そこである程度出来上がっているはずの鳳翔のぐい呑みに赤城がクスリを入れるという寸法だ。その作戦をするために、加賀と飛龍が鳳翔の注意をひくという訳である。

「それでは始めましょう、母の日カッコカリの開始です!」

 赤城が音頭をとると、誰もが笑顔で盃を上げる。鳳翔も戸惑いつつも、笑って上げた。


 料理が運ばれ、思い思いに突き始める。薄目の味付けだったが、素材の味を生かすという奴だろう。出された酒にもちょうどいい按配だったから赤城に不満はない。唯一、酒を禁じられた翔鶴だけは不満そうだった。

「これじゃ生殺しもいいとこですよう。殺生です、ねーえ、加賀さん、本当にダメですかァ?」

「明日から何も食べられないような生活がしたいなら止めないわ」

「うええ」

 翔鶴の右隣で舌鼓を打っていた加賀は満更でもない顔をしつつも、注意する教師のような顔で釘を刺す。

「まーだ言ってるよ、ホント諦め悪いなあ……あ、飛龍さん、どうぞ」

「お、ありがと。いやあ、案外瑞鶴の方がしっかりしてたりする?」

 翔鶴の左隣であきれ顔を浮かべる瑞鶴は、そのまたとなりの飛龍の相手をしていた。珍しい光景だ。二航戦と五航戦の絡みなど見たことない、少なくとも赤城は。

「全然。お酒関係だとこの人だらしないんです。私はあんまり酔えないんですけど、翔鶴姉はダメダメなんですよ」

 頭を抑えて、やれやれとばかりに瑞鶴は首を振った。

「全くこれだから五航戦は」

「む、何よう、これでも錬度は上がっているんだからね」

 挑発的な態度をとってきた加賀を、瑞鶴は口をとがらせて反論する。二航戦の二人は溜息を吐きながら苦笑いだ。どうしてこの人と来たら素直になれないのだろう。いつも五航戦の出撃時にはソワソワして課業も手についていないというのに。

「ダメですよ、加賀さん」

 上座から声がかかった。鳳翔だ。静かについばむように料理を食べ、小鳥が水を飲むようなペースで飲んでいたがここで初めて立ち上がって、加賀の膳の前に座り込む。

「先輩としての威厳は、厳しさだけのものではないのです。もっと余裕を持つことが―――」

 鳳翔はほんのりと赤くなった頬を隠さず、言い聞かせた。説教と言うには穏やかに過ぎる、鳳翔独特の言葉調子。

(赤城さん!)

 加賀はすばやく目配せをする。鳳翔の副官のような位置にいた。

(了解です!)

 念のため、死角になる位置に飛龍が被っていることを確認して、赤城は粉末を入れた。念の為、大目にだった。

「ご、ごめんなさい、お母さん」

 謝りながら、加賀は赤城のポーズを見て、いれたことを確認し、息を吐く、これでよしだ。

「いいですか、……あ、すみません。楽しい席なのに、一席ぶってしまって」

「いえ。私も悪かったかなあって……」

 瑞鶴は頭を掻きながら、そう言った。

「すみません、ちょっと、では……」

 鳳翔は一旦自分の席に戻って御猪口と酒を持ってくる。

 その際、余っていた、赤城の粉末の入っていた酒を飲みほして、鳳翔は加賀の膳の前に座り込む。

「……一献、お願いできますか?」

 鳳翔は先ほどより、少しだけ赤くなった頬をのぞかせながら、自分の酒瓶を出した。

「あ、は、ええ。光栄です」

 加賀も酒好きで通っている。ましてや尊敬している先輩の盃だ。断ろうとは微塵も思っていない。

 とくとくと注がれた酒は透明で、柔らかな印象さえあった。事実、その一級酒は加賀の口にじんわりと馴染んだ。

「ささ、もう一献」

「え、ええ。鳳翔さんも」

「いえいえ、私は後で……」

 そう言ってまた、加賀の盃を満たす。ぐっと飲んだが、流石の加賀も、それなりに回っていた。それでも、鳳翔はにこやかに、盃を満たしていく。

「ほ、鳳翔さん」

 明らか、というほどに明快ではないが、何処か鳳翔の様子がおかしい。いつもより、ぼうっとした感じだ。

「どうぞ、美味しい、です、よ」

 加賀は戸惑ったように、周りを見渡した。二航戦の二人も、何処かしらの可笑しさに気付いている。翔鶴はいじけるように加賀を見て、瑞鶴は愚姉を諌めている。

 その中で、赤城だけは、鳳翔の後ろを見て、なにか思いついたように笑っていた。

 加賀の方からは、笑った赤城が見えた。また粉末を溶き入れて、そのお銚子を鳳翔さんに手渡す。

「ん、気が利きますね。赤城さん」

「おほめに預かり、光栄です、お母さん」

 それだけ言うと、赤城は引っ込んで、我関せずと酒を飲み始めた。加賀に丸投げした格好だ。

 加賀は困ってしまうが、仕方なく鳳翔の相手をつづけた。しばらくはそれだけで良かった。



 




後書き

別に翔鶴が嫌いって訳ではないです。ただ気位高そうだなー、と思っただけで


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1: たぬポン 2015-04-08 22:44:12 ID: Wh1IkSxQ

リクエスト募集と書いてあったので……お言葉に甘えて…

翔鶴が飲みすぎて悪酔いして鳳翔さんを困らせるor怒らせるのはどうでしょう?

2: gyawa 2015-04-08 22:51:16 ID: wKnP-R1_

たぬポン様、リクエストありがとうございます!ちょうど次が翔鶴なので鳳翔お母さんを怒らせるとしましょう!

3: たぬポン 2015-04-08 22:57:34 ID: Wh1IkSxQ

やったー!!

鳳翔さんの怒った姿が読めるなんて!!

ありがとうございます!!楽しみです!!

4: gyawa 2015-04-08 23:14:04 ID: wKnP-R1_

頑張ります!

5: たぬポン 2015-04-11 18:44:42 ID: 7iDD2fjF

gyawaさん、無茶なリクエストを拾っていただきありがとうございます!!

続きが……続きが気になります!!

6: gyawa 2015-04-11 21:51:00 ID: kiab6qB3

たぬポン様

何とかご期待に添えるよう頑張ります!

7: SS好きの名無しさん 2015-04-20 01:23:38 ID: H0d0Fo0t

修羅場的なものをもっと!ふへへ

8: SS好きの名無しさん 2015-04-20 08:16:06 ID: c007fsQr

飛龍はどうなったんだろうか

9: SS好きの名無しさん 2015-04-20 19:05:05 ID: hx8goFjD

行を空けて頂くと読みやすいですお願いします。                                                    リクは駆逐艦の愚痴,不満です
    

10: SS好きの名無しさん 2015-04-20 19:20:03 ID: LBzEyPWj

純粋に面白いです 続き期待です

11: gyawa 2015-04-20 22:32:39 ID: e3RRp10C

〉〉7様 
もっとどぎつい修羅場をつくりますぜゲヒヒヒヒ

12: gyawa 2015-04-20 22:43:48 ID: e3RRp10C

〉〉8様
飛龍「腕の骨が折れたァ……」
蒼龍「艦娘には215本も骨があんのよ、一本くらいなによ」

鳳翔「やっぱり彼女異常ですか」
明石「まあ医学的に言えば、イっちゃってるね」

13: gyawa 2015-04-20 22:50:07 ID: e3RRp10C

〉〉9様
了解しました、早いうちに改善します!
リクエストありがとうございます!細かいところにもリクエストがありましたらよろしくお願いします

14: gyawa 2015-04-20 22:55:36 ID: e3RRp10C

〉〉10様
ありがとうございます!凄い励みになります!

15: たぬポン 2015-05-06 17:14:41 ID: BgvjICt7

翔鶴が泣きながら反省して、結果、鳳翔さんも許す………的なシチュエーション

をリクエストしてもよろしいでしょうか………?

16: gyawa 2015-05-06 22:13:18 ID: bt8JJROM

たぬポン様、了解です、頑張ります!

17: たぬポン 2015-05-08 19:12:05 ID: mEY9THCr

お疲れ様です!!

鳳翔さんと翔鶴の仲が改善されてよかったです!!安心しました!!

次は瑞鶴回ですか……続きが楽しみです!!

18: Спасибо 2015-05-08 19:49:43 ID: t99Tsn1S

下の空白が気になっちゃいます…

19: マーテル 2015-05-17 19:18:48 ID: 47ACiwvY

瑞鶴がとんでもない発言をやらかすのか、翔鶴にどやされるかのどちらかかな・・・この展開は(。-_-。)

頑張ってください(^^

20: しらこ 2015-05-22 10:14:09 ID: XUwda8mo

すげー真面目でしっかりした作業描写なのに、開発スロットで笑う。

21: SS好きの名無しさん 2015-05-26 22:07:41 ID: nJHGiPVW

面白いです これからも頑張って下さい^_^

22: たぬポン 2015-05-31 18:35:15 ID: 4z0-Wqle

何故か薬が料理の中に入っちゃって、それを赤城が食べちゃって

結果、酔っぱらった赤城が鳳翔さんに甘えまくる………みたいな感じでお願いし

ても宜しいでしょうか?

23: gyawa 2015-06-24 09:51:07 ID: DWitsPPL

たぬポン様、変身遅れてすみません。がんばってみます

24: SS好きの名無しさん 2015-06-24 10:24:36 ID: nq2U8N8u

翔鶴嫁としては読んでてかなり不快でした

25: @東雲 2015-08-27 13:14:29 ID: 5PdXqHxv

とても面白いです。

更新を楽しみにしています(*`・ω・´)

26: SS好きの名無しさん 2015-10-15 00:47:57 ID: QZLo7szB

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1: たぬポン 2015-04-08 23:28:14 ID: Wh1IkSxQ

文章力が凄いです!!

かなりオススメの作品ですよ!!


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