関織子のお話 診断メーカー御題
雪は懇々と降り駸々と積もる。
花の湯温泉街にも、冬が到来する。本来伊豆なので、雪が降り積もるなどということはないのだが、大方の暖冬予想を裏切るかのように、大粒の牡丹雪が、あっという間に街路を、樹木を、屋根瓦を真っ白に染めていく。
「ウワ―、雪だぁ…」
私・関織子はちょっとはしゃいだ声でそう言う。都会住みなら、そう多くは遭遇しない冬景色に、テンションは上がってしまう。
「これおっこ。そんなに喜ぶもんじゃないよ。雪は、お客様の足元をすくう大敵。いまから雪かきするよっ」
普段は、清楚な和服を身にまとった私の祖母・・・「春の屋」のおかみは、そういうと、部屋着に着替えて、スコップと箒を携えて玄関に立つ。
「わかっているだろうけど、ただ道を掃除すればいいってもんじゃないよ。きれいに整えることも仕事のうちだからね」
そういうとおかみは、箒で玄関に入る石畳の上の雪を掃き始めた。やみくもに払うのではなく、一定の方向に集め、雪の筋を作るかのようにしている。
「ああなるほど、雪のラインをひくのね」
「そう。分かったら、通りからの道までの除雪をお願いできるかい?」
「はいっ、喜んでっ」
そういうと私は、少し足元に気を使いながら箒で雪を払い始めた。
幸い、私が除雪を始めるころには、雪は小降りになりつつあり、もうじき止むだろう。私の仕事も無駄にならずに済みそうだ。
だが、あまりよくない報せも舞い込んでくる。雪かきがひと段落した時、一本の電話が鳴る。
「…あら、そうですか。それは残念ですこと。またの機会にお待ち申し上げております。ハイ。失礼いたします・・・」
車で来る人にとって温泉街に至るまでの峠が、一つの"難所"になっていた。雪の影響でチェーン規制が引かれているのに、夏タイヤで果敢に攻める無謀な運転者のおかげで、道路は大混乱。立ち往生してしまい、結果的に行きも戻りもできない状況がそこに現れていた。
宿に来られない、でキャンセルが出ることまでは、おかみも、私も想定していた。だが…
「参ったなぁ…」
康さんも頭を抱えていた。基本食材は、車での運搬。その生命線を絶たれたに等しかったからだ。
「おかみさんっ、結局今日のお泊りは…」
少し康さんの声が上ずっている。ポーカーフェースで、ほとんどうろたえることのない康さんの慌てっぷりは私も初めて見た。
「今、中川様からはキャンセルを戴いたわ。でも、電車で、って言われていた、石田さまと、河上さまは来られるだろうね…」
「うーん、二組…今ある食材で何とか回せるのかなぁ…」
康さんの頭の中のコンピューターもフル稼働する。その康さんの目がキラリ、と光った。
「おっこちゃん!ちょっと頼まれてくれないかな?」
私は、温泉街の精肉店「みずのや」にお使いに出かけた。
「春の屋でーす」
声を掛けると、恰幅のいいご主人が姿を現す。
「おお。これはこれは珍しい。おっこちゃんが仕入れとは…」
「いや、そうは言っても康さんのお使いだから…」
少し照れる私。
「いやあ、感心感心。で、さっきの電話の注文だけど、それを取りに来たんだろ?」
「はいっ」
「でも、お魚メインの春の屋さんが、こんなにもいろいろな部位の注文するなんて…焼肉屋でも始めるんかな?」
「えっへっへ」
その問いには答えず、私は笑ってごまかした。
その日、結局お泊りいただいたのは、石田さまと河上さま、そして、飛び込みで来られた北條さまの3組様だった。
夕食は、宴会場でもあるあんずの間に宿泊客総勢7名と、従業員が勢ぞろいした。
口上を述べるのは、康さんだった。
「本日は、春の屋にお泊りいただき、ありがとうございます。本来でしたら、皆様のお部屋に御食事をお持ちするのが当方の流儀でもございますが、この度の雪の影響で、皆様に召し上がっていただくべき食材が入荷しない事態になりました」
と、ここで康さんは一息入れた。
「それでも、皆様、当旅館のお料理を楽しみにしておられる中で、代わりになるものはないか、と思い、考案いたしましたのが、本日限定!焼き肉「春の屋」でございますっ」
いうなりばっと幕が下ろされると、そこには、七輪や焼き網、そして大量のお肉が所狭しとかざられていた。壮観な風景に、拍手が起こる。
「お足元がお悪い中、当旅館においでいただいたのに十分なおもてなしができない私どもの、せめてものおもてなし、とお受け取りいただければ幸いです」
そう言って一礼したのち、おかみがこういう。
「この焼き肉は、もちろん食べ放題、品切れ御免です。また、当地のブランド牛の「花の湯牛」のフィレステーキもご賞味いただきます。これはひと家族様ワンブロックの限定とさせていただきます。尚、お詫びと言っては何ですが、本来追加でいただくドリンク料金も今回は飲み放題、とさせていただきます。大変お待たせいたしました。どなたさまも、存分に、焼き肉「春の屋」をご堪能くださいませ」
従業員4人が深々とお辞儀する。ブーイングがあるかと思いきや、やんやの喝さい。多分に、「花の湯牛のフィレ」が食べられるとわかって文句のつけようがなかったんだろうと思った。
そこからはあんずの間が戦場のような状態になった。だが、誰の顔もほころんでいる。お肉も争奪戦が起こるかと思いきや、譲り合いまで始まってしまい、3家族がどっと笑いに包まれるシーンもあった。
5キロ近く用意したはずの肉の山は、一時間ちょっとですべてなくなってしまった。それでも、康さんが箸休めに、と持ってきたいろいろな小料理がまたそれぞれの家族で話題になるなど、喧騒は留まることを知らなかった。
午後8時半。
「そろそろ焼き肉「春の屋」、閉店のお時間とさせていただきます」
というおかみの声に、7人から盛大な拍手が送られる。
「こんな楽しい焼き肉、はじめてだよ」
「旅館でここまでしてもらえるなんて、最高っ」
「花の湯牛、マジ半端ないって」
「次の開店日はいつですか?」
などなど、賛辞しか送られない。私は、康さんのアイディアに一抹の不安を覚えていたのだが、ここまで満足度の高いイベントにできるのだ、とこのとき確信した。
それでも大盛況の"代償"は大きかった。あんずの間自体は宴会場的位置でもあるので、汚れが一番目立つ部屋でもあるのだが、今回の焼き肉のせいで、においまで残ってしまっていた。
「まあ、ここまでは想定の範囲。時間とともに匂いも消えるだろうよ」
そして、おかみは、そろばんをはじき始めた。
「康さん。今日入れるつもりだった食材はどうなっとるね?」
「まあ、使い道ありませんからね。持って帰ってもらってますよ」
「それならよかった。じゃあ、今日のお肉代より仕入れの方が高ければ、割はあった、ということだね」
「そうなりますね。飲み放題にしたドリンク分足が出ているかもですが…」
「ああ、そうだったね。まあでも、楽しんでもらえたから、それだけがうれしいよ」
「まったくです」
「キャンセルでも仕方ないのに、来ていただいたんだからね」
旅館業は、来ていただいてナンボだ。泊まってもらわないことには良さは伝わらない。それが伝わったことだけは私も確信した。
あまりに嬉しかったので、次の日、学校に行ったときに私は真月さんにその話をする。
「あなたの旅館らしいわね」
少し呆れたように、焼き肉・春の屋の話を聞いていた真月さん。
「でも、お客さんに喜んでもらうことが第一だから」
ニコッと私は真月さんに微笑みをくれる。
あっという表情をした真月さんだったが、すぐに格好を崩してくれた。
「ますますわたしの闘志が燃えちゃうじゃない。お互い頑張りましょ!」
急に突き出された右手。私はすぐにはその手の意味が理解できなかった。
でも、私は、友情とライバル心のないまぜになっている真月さんの表情と、心意気に感じるものがあった。
私は、そっとその右手を握る。
繋いだ手は今度こそ振り払われずに、きゅっと握り返された。
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