須賀 「ちょっと、いいっすか?」
「すずめの戸締まり」fea.ジャーナリストの黒田 です。
「すずめの戸締まり」が公開されて、早くも1カ月以上。巷には、そうすずに脳を焼かれた職人の方々が、二次創作としての二人の行く末だったり、コミカルなシーンをイラストで落としこんだり、と、まあ、言ってみれば、早いもの勝ちで、アイディアを具現化できたらそれでブクマがいっぱいもらえる、なんていう状況になってます。おそらく今回のコミケ101でも、最速そうすず本が出る、とも噂されてます。
で、私。
もう同じ土俵で戦うのはやめにして、本作の物理的瑕疵に焦点を当てることにしました。それは、ミミズの起こす地震の不可解です。年内に完成できたらいいかな、と。
2022.12.10 作成スタート。
2022.12.18 5000字まで。黒田が草太・芹澤に会える前段階。
2022.12.19 10,000字越え。草太の素性にアプローチしていく黒田。一対一のシーンの直前。
2022.12.29 1.2万字越え。居酒屋での黒田と草太。年内完成断念。
2023.1.2 1.6万字越え。草太の吐露。宮崎に黒田を同行させて、あの後を創作。
2023.1.3 2万字越え。宮崎の廃墟前での草太の吐露。そこから鈴芽へのアプローチ。
2023.1.4 2.3万字越え。着地が見える。当日中の完成目指す。
2023.1.4 PM9:30 第一版完成。24800字。
2024.5.27 一部気に入らない表現の書き直し。第2版上梓。24928字。
1.
2024年が開けた。
ジャーナリストにしてルポライターでもある黒田の仕事は、それなりに順調だった。
編集長の石川に頼まれて書いた、森嶋帆高の手記の記事については、大きくぼかして書かざるを得なかった。神津島に住んでいる生徒、なんて書こうものなら、即座に特定されてしまうからだ。もちろん、それは保護司や保護観察官の意向にも反する。
それでも、月刊「ストレンジ」は、2回目の重版がかかるほどの異常な売れ行きで、その2号のおかげで石川は、別の雑誌の編集主幹に抜擢されてしまうほどだった。
しかし、異常気象も、ある一定のレベル以上には進行しなくなり、徐々にではあるが、晴れるときも出てくるまでになっていた。
「ストレンジ」の打ち合わせが終わり、次回作の骨子がようやくまとまってホッとしていた黒田の携帯電話が鳴る。
「んあ?」
かかってくることはほとんどない黒田の携帯。かけてくるのは、近所のスナックのママくらいだ。プルプルプルッと電子音を響かせながら、携帯が発信者を知らせる。そこには「須賀」とあった。
「ほほぅ」
黒田は珍しさも手伝って、電話をとる。
「あー、もしもし」
やや元気良く黒田は応対する。
「あ、これは黒田さん、お久しぶりっす」
いつもの口調の須賀が、黒田のあいさつに応じる。
「珍しいじゃない、そっちから連絡よこすなんて。どうしたの?」
須賀の口調からは何も情報を感じられなかった黒田は、須賀に次の句を告がせる。
「いや、それが……ちょっと、逢ってもらえません?」
須賀は、なんとはなく切羽詰まったような口調でしゃべってるな、と黒田は気が付く。
「ああ、いいよ。待ち合わせ場所なんだけど、"あそこ"で、通じるかな?」
黒田は、以前月刊「サプライズ」を出版している会社のそばの喫茶店……正確にはコーヒー専門店をことあるごとに訪れていた。
「ああ、あそこですね。俺も久しぶりに飲みたいって思ってたところなんですよ」
須賀は一も二もなく同意した。
二人が、カランカラン、とウェルカムベルを鳴らしつつその喫茶店に入ったのは、十数分後のことだった。
「いやぁ、ホント、久しぶりだねぇ」
椅子に勢いよく腰かけた黒田が須賀に話しかける。
「ええ。こっちも結構忙しくって……」
須賀は、少し頭をかきながら応じる。めいの夏美も巻き込んで、会社組織にしたK&Aプランニングは、ついこの間、拡充移転をしたばかりだった。
「引っ越し、手伝えなくて済まんかったな」
黒田は曲りなりでも、須賀と関係を持っている自分がそのことに関われないで過ごしたことに、若干の後ろめたさを感じていた。
「いえいえ、いいんですよ。夏美が引っ張ってくれているんで、会社も上手く回ってますよ」
黒田は、須賀から渡された名刺をまじまじと見つめる。
「なかなかいいところが見つかったんだな」
移転先は、北区の閑静な住宅街の一角のテナントビル。山手線の外側とはいえ交通の便には困らない立地だった。
しばらく雑談していると、マスターがいつものように、恭し気にコーヒーを二杯、トレーに乗せて運んできた。
「ああ、この香り、ですよね」
須賀が懐かしそうに言う。
「まあ、俺はそこそこ通ってるけどな」
その言葉に、マスターは眉尻を下げた。嗜好がわかっているから、黒田のコーヒーにはミルクも砂糖も添付されていなかった。
「ああ、そういうことですか」
須賀は若干カップの不揃いぶりに違和感を覚えていたのだが、マスターの気配りをその一言で理解した。
「どうぞ、ごゆっくり」
そう言うと、マスターは、元いた場所に戻っていく。
「さあて」
コーヒーで口の中が潤った黒田が、コーヒーカップを置きながら須賀に尋ねる。
「須賀さんは、この私に何をしてもらいたいんですかな?」
両の手を組みつつ黒田は聞く姿勢になる。
「僕が、オカルト的なネタを追いかけるライターをしているってことは、知ってますよね?」
須賀は、なぜか基本的なことから話し始める。
「そりゃもちろんさ。『サプライズ』での活躍、とくと拝見してますよ」
須賀の持って回った聴き方には訝りつつも、黒田は同意した。
「一応僕だって、それなりに良い記事・良いネタを仕入れているとは思うんですよ」
須賀の口調は少し重苦しさを帯び始めていた。
「……それだからこそ、こんな事象を目の当たりにしたら、僕の感性が揺さぶられてしまうじゃないですか!」
須賀の感情が急に破裂せんばかりになった。
「どうしたんだい?また、雨女とか、その手の話しかい?」
”ああ、そういえば、そろそろ帆高、保護観察処分が終わるよな”
黒田の脳裏に森嶋帆高と天野陽菜の二人が浮かんできた。
「あ、あいつらの話じゃないです。今から記事見せますんで黒田さんの意見を伺いたいな、と」
須賀は、新聞のスクラップを持参していた。
「ほほう。今度は地震の話かぁ」
黒田は、須賀の持ってきた大量の地震発生の新聞記事のスクラップに若干驚きながら読み始めた。
「うーん。これと言って、気になるところはないと思うんだけどなぁ」
全国各地の小規模なものから、東日本大震災の余震と見られる規模の大き目なものに至るまで、数年間分、30程度の記事を読み終えた黒田は言う。
「では、これを見てください」
須賀は、別の記事を取り出した。
「これも地震の記事じゃないか……あれ?」
黒田が違和感を覚えたのは、3年ほど前の新聞記事には、発生場所や震度のみならず、地震の規模を示すマグニチュードや震源の深さの記載がなされていた。ところが、須賀が最後に見せた地震の記事には、そのマグニチュードや震源の深さの記述がないのだ。もっと驚くべきことが須賀から告げられる。
「実は、前震と本震の時間差が、信じられないほどあるんです、ここ最近の地震って」
「え?」
黒田は目を丸くする。これまで緊急地震速報が告げられたら、微弱なP波ののちに本格的な揺れを伴うS波が数秒から数十秒後にやってくるパターンしかないと思っていた。
「この地震の資料を見てください。2023年9月25日の宮崎での地震なんですけど、P波の受信は12時32分。でも本震である、震度6弱の地震が発生したのは13時20分なんです」
須賀が続けて見せたのは、各地の気象台から取り寄せたここ数カ月の地震の概要だった。
新聞での地震の記事は、基本本震の時刻を記載する。P波の時刻を書く必要がないくらい、一体化したものだからだ。ところがここ最近の地震には、この本震と、それに付随するはずのP波の時間差があることに須賀は気が付いたのだ。
「それにしても、よくこのことに気がついたなぁ」
黒田は、別に得意げには話していない須賀に少し感心した表情を見せる。
「この間、東京でも揺れたの、知ってます?」
須賀は、黒田を試すようにそう言う。
「ああ、なんか突き上げるような地震があったの覚えてるわ。ええっと、確か……」
黒田が日付を確認しようとするのを制して、
「2023年9月28日ですよ」
須賀の即答が光る。
「ここ最近の地震のエキスパートになった感じだね」
黒田はますます感じ入る。
「いや、でも、こんなことって、おかしいですよね。実際、あの地震にしたって、P波が来たのは16時43分、本震は17時12分。しかも広範囲にわたって揺れていておかしくないのに、東京23区くらいしか揺れてないんですよ」
「うんうん。今までの地震のメカニズムからしたら、明らかにおかしいわな」
須賀の熱弁に、黒田は聞き入るしかなかった。
「で、手をこまねいていても仕方ないんで、こっちからも気象庁に問い合わせしたんですよ、それでも飽き足らず気象予報会社とかにも聞いて回りましたよ」
「それで?」
須賀の答えが気になって前のめりで黒田は聞く。コーヒーカップを持って飲んでいた須賀は、それを置いて話す。
「いやあ、原因不明だって言うんですよ。時間差で地震が起こることはゼロではないけど、30分も離れているって言うのは、どう考えてもおかしい、けれど、いまだにその原因を解明できないって言うことなんです」
21世紀もほぼ20年以上を経過してはいるが、謎が謎のままで、わからないことは依然として多くある。海洋生物の把握だって、いまだに新種が見つかるくらいだ。にんげんが、なんでも、さも物知り顔で語ったとしても、人知の及ばない現象はいまだに存在している。
「まあ、話の概要はなんとなくわかったし、キミが疑問に思っていることもそれなりにつかめた。で、俺は何をすればいい?」
黒田は、須賀に尋ねた。
「この問題、二人で解決しようと思いませんか?」
共同作業を提案する須賀。
「いや、そこまで調べたんなら、後は、キミの読者を煽る手法でだな……」
と黒田は言い始めたのだが、
「僕は、この事象の"真実"が知りたいんです」
急に須賀が声を少し荒げた。
「なるほど。真実を突き止めることに長けている私に白羽の矢を立てた、と」
帆高を、陽菜を、なんだったら、瀧も、三葉も。あの事象たちの真実をそれなりに解明できている黒田にしてみれば、須賀が、自分のことを正当に評価していることには敬意を表したかった。
「お願いしますよ。僕の会社の移転お祝いということで、少しははずみますから」
須賀の手の指が、3を出そうとしながら、2に少しトーンダウンする。
「ああ、分かったよ。経費だけ出してくれたら、後は折半でいいじゃないか」
金額というより、今は須賀の心意気にどうこたえるかだけが黒田の中に芽生えていた。
「ありがとうございます。これで少しは気が晴れそうです」
「どういうこと?」
黒田は、須賀の一言が気になった。
「夏美にも担当してもらってたんですけど、他のネタが結構煮詰まってまして……外注も早々捕まらないし、で、黒田さんにお願いしたってことなんです」
「ふーん、所詮はヘルプってことかい?」
さっきまで須賀を高評価していた自分がバカらしくなって、黒田は本音をサラッという。
「いやいや、黒田さんの、帆高と陽菜の記事の筆致を見込んで、お願いしてるんです!」
急に居住まいを直した須賀が力強く言う。
「だとしたら、こりゃぁ、3本は頂かないとなぁ」
伝票を手に取りながら、黒田は須賀にプレッシャーをかけた。それでも、その目に悪意は一切感じられなかった
2.
地震に関しては、まったくと言っていいほど知識のなかった黒田は、それからしばらく、図書館に入り浸った。地震の基礎知識を蓄えるためだ。
地震には、プレート型と断層型があり、特にエネルギーが蓄積されて大きな揺れを発生させるのはプレート型のほうだ。東日本大震災がこのタイプだ。一方、断層型は、地面の表層部分にある断層のずれになってもたらされるもので、揺れの激しさが特徴だ。阪神淡路大震災は、淡路島にあった野島断層で発生したひずみが神戸を含む阪神間に甚大な被害をもたらした。前者は震源が深く、後者は浅めの場所で起こりやすい……
地震予知についても黒田は調べていた。緊急地震速報は、初期微動であるP波を各地に設置した地震計がとらえ、その揺れの大きさを瞬時に測定。震度3以上が予想されるときに放送局、携帯電話を使って一斉に知らせるスタイルのものだ。
そう言った基礎知識を備えながら、黒田は、これまでの地震を解明しようとする。
須賀から渡された地震の記事は、宮崎の門波(となみ)地区の最大震度6弱の地震、愛媛で観測されたP波だけのもの(夕方18時過ぎ発生)、神戸市内の弱微動(22時過ぎ・緊急地震速報発報せず)、東京都心の地震の4つだ。2023年9月に、これだけの地震が一日ごとに、まるで西から東に移動するかのように発生しているのだ。
"南海トラフの前ぶれかな……それにしても、東海地区や紀州方面ではこの時期地震って起こってないし、な"
黒田は、他の地域でも、P波のみ観測された地震が、新潟・富山・岐阜・静岡北部・高知で2023年10月以降、発生していることに疑念を抱いていた。
今日も今日とて、黒田は、過去の新聞記事から、地震の情報を探ろうと、とある大学の図書室を利用しようと試みる。大学は基本開かれているので、初老の黒田が出入りしていてもとやかく言われることはない。
地震資料に定評のある大学なだけに、ここ最近の、軽微で、ニュースにもなっていないような地震についても克明に記録されていた。
2023年9月は、本当に日本全土で様々な地震が発生していたことをここで改めて知る。9月10日には、東日本大震災の余震と見られる海底を震源とする地震、9月20日には、大分県で火山性微動をきっかけとした地震も起きていた。
9月25日の宮崎南部の地震は、震度6弱を記録しておきながら、けが人すらなく、瓦屋根が落ちるなどの軽微な被害で済んでいる。
「うーん、調べれば調べるほど、引っかかる部分って出てくるんだよなぁ」
黒田は、とりあえず新しい情報がないことを確認して、そのファイルを収納しようとして立ち上がる。
「おーい、草太ぁ」
「どうしたの、芹澤」
二人の大学生らしい人影が黒田のファイルをしまおうとしている棚のところにとどまっている。
「お前の探しているファイル、誰か使っているみたいだぜ」
メガネをかけている大学生が高身長のもう一人に声をかけている。
「あ、ほんとだ」
二人の掛け合いをしているさなかに黒田が所定の位置にファイルを戻そうとする。
「あ、あのぅ」
高身長の大学生が黒田に声をかける。
「え?どうされました?」
黒田が二人に応答する。
「そのファイル、今から見たいなぁって思ってまして」
メガネの方が黒田にそういう。
「ああ、そうだったんだ。それでは」
黒田は棚に戻さず、二人連れにそのファイルを渡す。
「君たちも地震のことをお調べで?」
黒田は、ジャーナリストらしく、少し質問する。
「いやあ、地震のこと、気になっているのは、こいつの方でして……」
メガネが、高身長の大学生に目配せする。
「何か、研究でもなさっているのですか?最近、本震の来ない地震が頻発していることを私調べてまして……」
黒田は、名刺を取り出して自己紹介する。
「ジャーナリストさんが、地震を、ねぇ」
メガネの方がちょっと訝るようなそぶりを見せる。
「それで黒田さん、でしたか。なにかわかりました?」
高身長の学生が黒田に逆質問する。
「それがわからないことだらけでして……地震って、P波だけで収まることってあるんですかね?」
黒田は、ここぞとばかりに彼らに尋ねる。
その一言に、なぜか高身長の方が反応する。
その時は黒田はその反応に気が付かず、
「まあ、なにかわかったことがあったら、僕にお知らせくださいな。謝礼は致しますよ」
黒田はにこやかに伝えると、
「おい、聞いたか草太。金くれるってよ」
「バカっ、いい情報じゃないとくれないよ」
二人してヒソヒソ話をする。もちろん黒田にはまる聞こえだ。
「あはは。まあまあ。大人の自由研究みたいなものですから、私も気長に調べていきますよ。それでは」
黒田はその場を離れる。二人に遭遇することになるのは、数日後のことだった。
3.
年下で後輩の須賀からの依頼でもあり、安請け合い同然で臨んだ黒田だったが、地震というそれなりに扱いの難しい内容のことを調べるのは正直骨の折れる仕事だった。それでも時間の経過とともに集まってくる情報が、黒田に少しの光明を与える。
地震の前後に、動物たち、とくに鳥の異常行動が記録されていることだ。
宮崎の地震の際には、鳥の大群が、列をなして飛んでいるのが目撃されているし、東京地震の際にも、カラスが、ものすごい数飛んでいる姿が動画としてもとらえられていた。他にも、新潟、岐阜、静岡北部の地震の際に鳥たちの異常な飛翔ぶりが動画撮影されているのだ。
"鳥たちは、何を思って、こんな風に飛んで行ったのだろうか……何かに寄り添うように飛んでいるとも思えるし……"
撮影された動画は、どれも、斜め上に向かって飛ぶ鳥の大群を写していた。そして、何かがはじけるような一瞬をもって、鳥たちはどこかにまた飛んで行ってしまう。
"この現象は、一体なんだ?"
黒田は、投稿された人を特定するのは難しいと判断して、この動画を引っ提げて、気象庁に出向くことにした。
応対してくれたのは、気象予報士の大屋という人だった。
「それで、気になる動画というのは?」
大屋は、黒田の話に少しだけ興味があったこともあり、早くそれが見たかった。
「実はこれなんですけど……」
黒田は、東京の某所で撮られた、鳥が乱舞する動画を見せた。引き続いて、新潟で撮られた同様の動画も見てもらった。
「ウーン……」
大屋は、二つの動画を見て、悩むようなそぶりを見せる。
「これって、もしかすると地震の持つ電磁波に鳥たちが反応しているんじゃないですかね?」
「え?地震って、電磁波も発生させるんですか?」
黒田は初めて聞く情報に小躍りする。
「正確には地球が持っている地磁気が地震によって狂ったり、一定方向に磁力が増幅されたり……まだ研究段階でしかないですが、仮に、そう言ったことに敏感な動物たちが、地震の発生を事前に知って、大騒ぎをする、しかし、大したことがないとばかりに騒ぎを納める、と考えれば、納得はできるんですけれど……」
大屋は、仮説しか提示できないものの、そう言って説明した。
「それもそうなんですけど、P波の検知をしたのにS波がない、S波があってもP波との時間差ができていることについては、なにかわかりましたか?」
黒田は、自分が抱えている一番の疑問点を大屋に聞いてみる。
「ああ、あなたもその件でやってこられたんですね……」
大屋の"又か"と思しき対応に、何人もの学者や研究者が同じことを聞いてきているのだ、と黒田は瞬時に思った。
「一応気象庁の見解としては、依然原因不明、で、それ以上のことはわかってません。同じような地震が頻発していることは気になっているところではありますけど、P波しか観測できない地震は、別のメカニズムによるものだと確信しています。それが何か、わかったら、公式にリリースいたしますよ」
大屋は、そう言って、席を立った。
気象関係の総本山で聞いて、この程度しか解明しない……黒田は焦燥の色を隠しきれなかった。
4.
それでも、黒田は、相応の文章力で草稿といえるものを作り出した、いや、ひねり出した。
何しろ、まだわからないことだらけだからだ。
それをもって、あの喫茶店で、須賀と待ち合わせて会議を開く。
「ああ、黒田さんをもってしても、この程度なんっすね……」
黒田の草稿を読んだ須賀の、偽らざる心情の吐露だった。結論が出ていないことが落胆の主な要因だった。
「限界って言うよりは、後何かひとつピースが足りないんだよ、何かひとつ……」
原稿を上げられない自分自身に言い訳をするように黒田は言う。
「でも、この、鳥たちの異常行動に着目したのは、大きいですよ。僕ではつかみきれてませんでしたから」
黒田独自の視点を須賀は評価する。
「鳥たちが何に突き動かされたのか、何かが見えていたのか、それがわかれば、もう少し先に進めるんだけどなぁ」
黒田は、鳥にでもなってその現象を追体験したいとさえ思っていた。しかし、鳥に"しか"わからないことってなんだろう?
そこでまたしても、黒田達の思考は止まってしまうのだ。
そこへ、カランカラン……
来店を知らせるベルが鳴る。
「いや、だから、ここのコーヒー、マジでヤバいって」
「本当か?芹澤」
「あー、もう、なんで俺の言うことを信用してくれないかな。草太はいっつもこれだよ」
二人の大学生がワチャワチャ言いながら入店してくる。その声に黒田は、聞き覚えがあった。
「ああ、この間の!」
黒田は思わず立ち上がり、二人を呼び止める。
「え?あ、ああ、あの時の……」
「ジャーナリストさん、でしたよね?」
二人連れの大学生は、そう言って黒田を認める。
「え?何?こいつら」
須賀は、はっきりと嫌悪感を露わにする。
「この間大学の図書室で出会ったんだ。地震も研究しているようで」
「ほーん」
須賀は、まるで相手にしない。
そこへマスターがつかつかと歩み寄ってくる。
「無駄話ならよそでやってくれないか」
明らかに店の雰囲気を壊した二人と黒田を叱責するように言う。
「ああ、これはこれは済まなかった。彼らにもコーヒー、立ててくれないか?」
黒田は、ここでの結びつきを無下にしたくない、とばかりにマスターをとりなした。
「わかりました。お話声は控えめに、お願いしますよ」
黒田の常連ぶりが功を奏し、4人して追い出されることはなくなった。
ふぅと汗をぬぐう黒田だったが、彼らのコーヒーまで奢る羽目になろうとは思いもよらなかった。
5.
マスターのコーヒーが運ばれてくる。さっきの機嫌の悪さもどこへやら、いつもの柔和な表情に変わっている。無理もない、4杯分のオーダーを黒田に言われたのだから。
「ではごゆっくり。推奨はブラックで。ミルク砂糖はお好みで」
めったにレクチャーしないマスターが、若者二人にそんな声まで掛けている。
多分に、店の裏手に留めた高級外車のオープンカーに、常連になってくれるかも、という淡い期待も込めていたからか。
「それでは黒田さん、いただきます」
メガネの大学生……芹澤がそう言ってブラックで一口付ける。
「いただきます」
高身長の大学生……芹澤から草太と呼ばれている彼も、マスターの言いつけを守っている。
「どうだよ、草太?」
芹澤が草太に聞く。
「こんなうまいコーヒー、初めてだよ」
草太の感想はありきたりだが、その端々に喜びがあふれていた。
「ところで黒田さん、この方は?」
芹澤が須賀の素性を聞き出そうとする。
「私の仕事仲間の須賀クンだよ」
黒田の紹介に、
「須賀圭介です。これでも小さい事務所の代表、させてもらってます」
と、須賀は応じる。
「ああ、俺たちも自己紹介しとこうか。俺が芹澤朋也」
「ぼ、ぼくは、宗像草太って言います」
4人がようやく面通しが終わったところで、話は地震のことにつながっていく。
「須賀さんっておっしゃいましたよね」
芹澤が須賀に水を向ける。
「なんでしょうか」
「須賀さんって、もしかして、『サプライズ』とか、『ムー』とかに寄稿してません?」
「ああ、結構してるよ」
「やっぱりぃ。俺、あなたの記事の大ファンなんですよ」
「え?それ、本気で言ってる?」
須賀の頬が急に緩んだ。
「ええもちろん!この間の、『八卦は当たるのか、当たらないのか』の検証記事、めちゃくちゃ面白かったですもん」
実は黒田も須賀のその記事は読んでいた。ことわざの検証シリーズの一端だったのだが、八卦そのものに21世紀になって脚光を浴びせさせるなんて、よほどのことがないと思いつかない。
「そ、そう言ってもらえると……き、キミたち、いい、子、なんだねぇ」
べた褒めされて須賀はご満悦の表情を浮かべていた。
「ええっと草太さん、だっけ?」
今度は黒田の番だ。
「この間の地震の資料、役に立ちましたか?」
あの時の後日談を聞きたくなって草太に聞く。
「ええ、それなりには」
言葉少なに草太は話す。
「僕はさっぱりですよ。特にP波はあるのにS波が発生しない、PとSとの時間差の問題が全然解決しないんですよ」
頭に手をやりながら黒田は言う。
「それなりには、って言うことは、収穫はあったってことだろうと思うけど、それって何?」
あえて黒田は草太に直球を投げかけてみた。
「それでしたら、私の口からは言えません」
草太は口を閉ざした。黒田の真意に気が付いたからかもしれない。
「隠さないといけない地震の秘密ってなんだろうね……」
黒田は、急に態度を硬化させた草太に疑念を抱いて、あえて諭すように語りかけた。
「そりゃ、地震も人為的に起こすことができるくらいに科学は進歩しているだろうし、人知の及ばない新しいメカニズムで地震が起こっているかもしれない。下手すりゃ、ナマズが地震の原因だ、といい出す人だっているかもしれない。秘密にしておくことが日本の、日本人のためになるのかな?」
黒田は、草太の良心に訴えかけはじめた。
しかし、草太は、気丈だった。
「僕にとって、地震は、人生そのものですから」
草太はそう言うと、黒田の問いかけには応じなくなってしまった。ただコーヒーカップをみつめているばかりだ。
「コーヒー、ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
芹澤と草太は喫茶店を出ていく。
しかし、黒田の心の中では、草太の"僕にとって、地震は、人生そのものですから"というセリフがどうにも引っかかって仕方なかった。
「なあ、あの青年の一言、どう思う?」
黒田は、彼らが去った後にもう一杯コーヒーを頼んだ。
「え?ああ、『僕にとって、地震は、人生そのものですから』か……」
須賀も、黒田と草太の話をそれなりに聞いていた。
「地震学者を目指しているのならそれもわからんではないけれど、そう言う風には見えないんだよな」
黒田は草太の第一印象を絡めてそう言う。
「見た目で判断しちゃいけないのは百も承知だけど、地震をライフワークにする職業って、他にあるかい?」
黒田は須賀に意見を求める。
「地震を予知する、とか、地震を察知する、とか、かな。呪術師?霊能力者?未来人?それじゃあ、まるでオカルト雑誌のネタのまんまじゃん。発生とか予防とかが人間でできるはずはないけどな」
須賀の寄稿先を知って、草太は自分の本性を明らかにしない方向に舵を切ったのだとすると合点がいく。
「だけれど、普通にしか見えないんだよなぁ」
黒田は、また別の問題に頭を抱えてしまった。
6.
黒田は、とうとう科学的解析を一旦保留し、古の言い伝えや古文書を解読する方向に舵を切った。
江戸時代には、ナマズが暴れると地震が近々起きる、といった予知めいたことが本気で信じられるくらい、地震というものには敏感に生活していたことがうかがえる。
特に江戸時代、当時の江戸市中を、大きな地震が何度となく襲っている。有名なのは安政の大地震だ。当然予知などできない時代のことゆえ、いかに災害を発生させないかは、神頼みになっている部分が多かった。地震を起こす神を鎮める意味で「要石」というものを地中に押し込めて、地震が起こらないようにする、という神事も描かれていた。
「なるほどねぇ。そりゃ、地震を起こす神様がいるのなら、それを鎮めてくれる神様がいてもおかしくない、か。何しろ、日本は八百万の神の国、だもんな……」
そう思った瞬間、黒田の頭の中に突然のひらめきが訪れた。
もし、神が人間の形をしていたらどうだろうか?天皇陛下を現人神と崇めていたのだって、わずか80年ほど前の話。特殊能力を持っている人間を神の化身、と見ていた古代の人がいたとしても、何ら不思議はない。
"それに、だ……"
黒田は、陽菜を思い返していた。取材で知り合ったあの少女にしたって、人柱になることを受け入れていた時期が実際にあったではないか。自分が特別な存在、と理解している人は、神になりえる資格があるのだ。
そこにあの彼のセリフが重なってくる。
「僕にとって、地震は、人生そのものですから」
彼が、地震をコントロールできる立場にある人間、すなわち神に選ばれし存在だとすれば?
いやいやいやいや……
そんな仮定を持ちだしておきながら、黒田は、かぶりを振る。21世紀にもなって、そんなシャーマニズム全開なことが、起こる方がどうかしている。それに、地震が人生のすべてだとしても、いつ起こるかわからない地震にどうやって対応するというのか?
ここでまた黒田の理論は、先に進めなくなってしまう。
しかし、あの青年……草太の言った一言は非常に気になった。いや、彼からあの言葉を聞いて数日たっているのに、黒田の心の中に粘っこく憑りついたままなのだ。
図書館を出た黒田は、自らかけることのない携帯電話を取り出し、交換していたLINEでメッセージを送った。相手はもちろん草太だ。
"黒田です。一度逢ってお話したいんですが"
既読がなかなかつかずにいらいらしたが、10数分後、
"どういった御用件でしょう"
堅苦しさ満点の返信が草太から帰ってきた。
"ちょっとした世間話ですよ"
誘い出すための理由にしては少し弱いとは思っていたが、取りあえずこの線で行ってみようと黒田は考えた。
また10分余りたって
"僕のこと、気になってますよね"
という返信が来る。なんか、淡い男と女のメッセージのやり取りみたいで黒田は苦笑する。
"ああ、あんな言葉をかけられて、気にならない方がどうかしてるよ"
ここは強めに押してみた。今度はすぐに返信が来た。
"なんでしたっけ?"
キャラスタンプが小首をかしげている。
"僕にとって、地震は、人生そのものですから"
単刀直入に投げかけてみた。
"その理由が聞きたい、と"
しおらし気に草太は答えた。
"今から逢うのは、難しいか……"
ダメもとで打ち込んでみる。
"授業終わりなら構いませんよ"
意外にも、すんなりOKが取れた。
"今度はご飯でも奢るよ"
黒田はそう告げると、行きつけの居酒屋を指定した。
"お酒は強くないですよ"
草太はそう返信したが、
"別に食べだけでも構わないよ"
とだけ黒田は送って、携帯をしまった。
草太の言葉を聞くことで、何が起こるのか。黒田は、少しのワクワク感と、聞いてはならない闇に触れてしまう可能性に身震いする思いだった。
7.
黒田の指定した居酒屋は、地元民しか立ち寄らないような、こじんまりとしたたたずまいの店だった。
待ち合わせを駅の改札にしていた黒田は、草太の到着を待った。
「おお、来た来た」
ひときわ目立つ長身なだけに、すぐさま気が付く。
「あ、これは黒田さん」
草太も黒田を早々に視認する。
「じゃあ、参りましょうか」
黒田が道案内するように、少しだけ草太の先に立って歩き始めた。
「この間はごちそうさまでした」
草太の謝辞に、黒田は一瞬ぽかんとする。しかし、
「ああ、この間のコーヒー代か。別に気にしなくていいよ」
黒田は、ちょっとにやけながら、草太に言う。言いながら、"今時の青年にしてはしっかりしてるな”と思った。
駅から5分。商店街のちょっと路地に入ったところにある居酒屋が目的地だ。
「いらっしゃーい」
店長兼板長とホール、それに焼き場担当の店員が、声をそろえて草太と黒田を歓迎する。
「クロっさん、今日は二人とは珍しいね」
少し注文が切れたのか、店長直々に熱いおしぼりを持って来て、黒田に問う。
「そんなこともあるわな」
そう言って黒田は、おしぼりで顔を拭いた。余り歩いていないのに、おしぼりは少し黒みを帯びた。
頼んでいた中ジョッキの生ビール2つが、ホール担当によって運ばれてきた。
「では、再会を祝して」
短い口上をいって、二人は軽くジョッキを合わせた。
若い草太は、半分くらい一気に開けた。"いい飲みっぷりだなぁ"と、黒田は少し羨ましそうに見る。
軽く息を吐いた草太が、口を開いた。
「そんなに僕の一言が、気になりましたか?」
その問いかけに、黒田は、にんまりとして言う。
「そのちょっとしたところに気が付くかつかないか、で、俺の実入りも変わるからね」
何が聞けるのか、もしくは空振りか……目の前の青年次第でこれからの立ち回りは大きく変えられてしまう。
黒田はこともなげにそう言って返したが、内心ではびくびくものだった。
「ハイ。今日の突き出しはタラの白子。クロっさんにだけ特別だよ」
ちょっと小声で店長が持ってきた。メニューに載っていておかしくない一品が出てきたので、黒田は驚いた。
「いいの?」
黒田はあまりの厚遇に不安そうに店長に聞く。
「タダではないから、遠慮しなさんな」
ガハハ、と笑いながら店長は自分の立ち位置に戻っていった。
「な、ちょっと変わってるだろ?あの店長」
黒田はややあきれ気味に見ている草太にそう話しかける。
「そうですね。豪放磊落って感じがしますね」
今どき男子にしては、そんな4文字熟語を知っているなんて、と思っていると、今度は、焼き場担当の店員が、分厚いホッケの開きを持ってきた。
「黒田さんといえば、ホッケですから。今日のは特に身入りがよかったですよ」
次にやってきたのは、刺身の盛り合わせ。何とはなしに見本に比べて豪華に見える。さらに来たのは金目鯛の煮付け。
草太が驚くのも無理はない。何しろ黒田はドリンクしかオーダーしていないからだ。黒田がいかに店を愛し、店に愛されているのかが、これだけでわかってしまう。常連の持つ強みを草太は感じていた。
「君も学生だろうから、腹も減っているだろう?食べて食べて」
黒田の勧めに、草太も箸の進むスピードがやや早くなっていく。当然ビールの量もピッチが上がっていく。
草太も、自分の好みのものを追加するなどして、場は大きく盛り上がっていった。
「さあて、そろそろ宗像草太君を丸裸にしていきましょうかね」
キープしていた焼酎の水割りをたしなみながら、黒田は草太に対峙する。
「そう言われましても、僕はそれほどの人間ではないですよ」
ジョッキはすでに5杯目に突入している。それでも顔色一つ変わらない草太は、黒田の問いをはぐらかす。
「いぃんや!地震がライフワーク、といえる人物なんて、地震学者くらいしかお目にかかったことがないからね」
酔いの回っている黒田の言い方は、完全に酔っ払いのいいがかりにしか聞こえない。
「そう、ですよね」
草太の口調は少し陰りを帯びていた。
「それで?地震の何を調べてるの?メカニズム?予知?結局きみは何をしているの?」
乱暴な聞き方になっていることを承知で、黒田は草太に聞く。
「ううーん。僕のやっている仕事って、人に知ってもらいたいものじゃ、ないんで……」
喫茶店で草太の見せた、あの物憂げな表情がまたしてもそこにあった。黒田は、目の前の状況をどうにか打破したかった。
「仕事、ね……」
彼の失言や何気ない一言から崩すしかない、と悟った黒田は、草太の語った"仕事"というワードに食いついた。
「地震と仕事って、どう関係しているんだよ?まさか、地震を発生させるのが仕事なのかよ?」
面白半分で言った黒田だったが、みるみる顔色を紅潮させる草太に驚いた。
「その逆ですよ……」
草太は、遂に口を滑らせてしまう。
「は?逆?地震を起こさせないってこと?それって、可能なの?」
黒田は、草太の予想外の返答に声が裏返ってしまった。
「いや、全ての地震を鎮めることはできません。現に今でも軽微なものは、毎日のように観測されているじゃないですか」
観念したのか、草太は、自分の"仕事"について語り始めた。
「それでも僕たちがなんとか地震を食い止めようとしているんです」
それを境に、草太は堰を切ったようにすらすらと語り始めた。自分は"閉じ師"であること、代々伝わっている伝統職であること、"ミミズ"のこと、後戸のこと……。
もちろん、黒田にとっては、初耳のことばかりだ。日本の地震は、プレート型と、断層型が大半を占める。しかし、そのメカニズムによらない地震があることを草太が語っていたのだ。
「と、いうことは、だよ?」
酔いも半分くらい醒めてしまった黒田は、草太に確認する。
「そのぉ……ミミズ、っていうやつが、倒れ込むことで地震が起こる、と。そんなことが起こるんだな……」
一通り草太の説明に納得しようとしていたが、それでもどこか別の世界で起こっている地震みたいに感じてしまい、黒田はまだ半信半疑だった。
「だが、待てよ」
黒田は、今までの自分の中に蓄積されている地震の基礎知識と、これまでに発生している不可解な地震の成り立ちを頭の中で組み立て始めた。
「てことは、ミミズが動き出してP波が発生。でも倒れ込むまでに時間がかかるから、S波との間に数十分という時間差が出てくるのか……」
黒田は、遂に、その地震の"正体"にたどり着いたように感じていた。
「ハイ。ミミズが地震を起こすためには、ジキを吸い込まないといけないんです」
ジキ?時期でもないし、磁気でもない……黒田が困惑の表情を浮かべているのに気が付いた草太は、
「ああ、ジキって、地面の持っているエネルギー、地気です」
と解説した。
それなら納得がいく。断層がない場所で地震が起きたり、初期微動でとどまっている不可解な地震がすべてそれで説明がつく。
「ミミズが倒れ込む前に開いた後戸を閉める、あるいは、開きそうになっている後戸に予防的に鍵をかける。これが閉じ師の仕事です」
草太はそう言って、自分の仕事の説明を"閉じた"。
8.
黒田は、閉じ師である草太からその職業の存在と、地震を発生させないでおこうとしている集団の存在があることを知ることができた。
だが、それには確証がない。実際に閉じている様子であるとかミミズと闘っている姿とかが見えるのなら、それは文章にできる。
今の状態では、与太話、空想としか受け取ってもらえない……
それなりに原稿も行き詰ったある日、黒田は草太を呼び出して相談した。
「え?僕のことを雑誌に載せちゃうんですか?」
黒田の提案を聞いた草太は、少し驚いた表情を見せる。
「いやいや。君と特定できるようには書かないさ。ただ、閉じ師という職業がある、ということは書きたいんだよ」
これまで知られていなかった、地震を鎮める"閉じ師"。世の中に知ってもらうには絶好のチャンスだ。
「いやぁ、世の中に知られないでいい職業って、あっていいと思うんですけど……」
草太は、そう言って掲載を拒もうとする。が、次の瞬間、
「あ、そうか」
何かの"企み"が、草太の中で持ちあがったのか、急に草太の顔がにやけた。
「黒田さん。僕のお願い、聞いてもらえたら書いてもらっていいですよ」
交換条件を草太は言い出した。急な方向転換に、黒田は訝った。
「ふーん。君の願い事って何?」
黒田は聞く。
「ああ、宮崎に行きたいんですよ、門波町」
草太はあっさりと目的地を告げる。
「え?」
場所に聞き覚えがあった。そう。去年の9月の宮崎地震の"震源"とされる場所だ。
「同行してもらえたら、僕と同じ体験をした女の子にも会えるし、ぼかしてなら、僕のことも書いていいですよ」
ニコニコしながら草太は言う。
だが、黒田にとっては、理解が追いついていないことだらけだ。門波町で閉じ師でもないのに後戸を閉めた女の子がいる、恐らく彼女は閉じ師と同じ能力を持っている、ということを草太はさらっと言い放ったのだ。
「そ、それって、ただ行きたいだけなんじゃないの?」
黒田は草太に"理由"を聞く。
「それだけ叶えば書いていいって言ってるんです。お金で解決できることじゃないですか」
もう心は宮崎なのだろう。草太の口調は、喜びに満ち溢れていた。
「う、うーん」
東京から宮崎は、飛行機が手っ取り早いが、往復ともなると、二人なら飛行機代だけで10万円仕事だ。それに日帰りは到底無理。宿代も最低一泊分はかかる。
「ち、ちょっと考えさせてくれ」
黒田は、特ダネと、経費を天秤にかけて、即答することを避けた。
「なぁんだ、ここまでしゃべったのに、無駄骨だったよ」
草太が、今まで見せたことのない悪い表情で黒田を煽った。
「よ、よし、分かった。とりあえず、須賀と話しさせてくれ」
慌てて、黒田は、須賀に電話で、経費のことを話した。
"いいっすよ、黒田さん。その経費、うちで持ちましょう"
須賀はあっさりと快諾した。
「え?二人分だぜ、10万は軽くかかるよ。それに宿代も……」
弱気になっている黒田に、須賀の一言。
"俺がそれを出したら、黒田さんは、全てがわかるんでしょ?だったら出さない理由がないよ"
漢気というか、勧進元だから言えたのか、それとも今の会社が景気いいからなのか……
ただ、交通費の問題が解決したら、黒田には、行かないという選択肢はあり得なかった。
9.
"なんだよ、須賀の野郎、ケチりやがって"
須賀が押さえたのは、LCCの便だった。それでも、安さが魅力なのか、機内は、ほぼ満席状態で夜の成田空港を飛び立った。
2月は閑散期に当たるようで、価格はかなり抑えられた、と須賀は報告していたが、いろいろと制約事項もあり、窮屈な旅立ちとなった。
二人は、宮崎市内で一泊し、翌朝、始発列車で門波町に向けて移動した。
門波町最寄り駅で下りた二人は、海を背に、山の方へと向かって歩き始めた。
「あ、黒田さん。ここで待っててもらえますか?」
草太はそう言って黒田を高校の校門の前に一人置き去りにして、さらに山のある方向に登っていった。
取り残された黒田を、高校生たちは怪訝そうな目でじろじろと見る。
始業時間が近づいてくるが、草太はまだ戻ってこない。
だが、そのひときわ高い身長の彼が校門に近づきつつあることは、女子の甲高い嬌声や男子の野太い冷やかし声のトーンが次第に高くなっていることで気づくことができた。
始業5分前。草太と一人の女子高生が黒田の前に立っていた。女子高生は自転車を従えている。その頬は、若干紅潮しているのを黒田は見逃さなかった。
「紹介します。こちらが岩戸鈴芽さんです」
草太のしっかりとした紹介に、黒田は居ずまいを正す。
「あ、わ、私、ジャーナリストをやってます、黒田と申します」
「岩戸です。よろしくお願いします」
鈴芽のあいさつは、いたって普通だった。
「さ、もう授業始まるよ」
黒田は、挨拶もそこそこに鈴芽を送り出す。
「あ、いっけなーい」
と慌てて鈴芽は、自転車を校庭にまで乗り入れる。
「行ってらっしゃい、鈴芽さん」
「行ってきます、草太さん」
二人のほほえましい、まるで夫婦が交わすようなあいさつを聞いた黒田は、二人の関係を少し邪推する。
「さあて、草太さん」
黒田はにやけた顔を草太に見せた。だが、黒田がびっくりするくらい、鈴芽の後ろ姿を見ていた草太の顔がデレていたのだ。
それに引いた黒田を認めて、
「あ、い、いや、これから、い、岩戸さんのおうちに……あ、環さんいないから漁協の方にあいさつに行かないと……」
あたふたと慌てる草太に、黒田はより一層自分の当て推量が間違っていなかったことに安堵した。
二人は、高校から徒歩20分程度で漁協の事務所に到達する。
「ああ、これは草太さん、お久しぶりでぇ」
総務部長の名札も輝かしい環が草太を歓迎する。
「あれ?こんお人は?」
見慣れない風貌の中年オッサンに環が興味を示す。
「この人、ジャーナリストなんです。僕のことを密着してまして」
「ああ、そうね。初めまして、岩戸環と申します」
この人もいたって普通だ。黒田は環にも挨拶しながら名刺を渡す。
「で、草太君の、なんを取材しとっと?」
黒田は、一瞬、全てを話してしまおうか、と思ったが、あえてぼかしてこういった。
「ええ、教師になろうとしている青年の実像を追ってまして」
「ああ、そやったねぇ。取材してもらえるなんて、えろうなったモンやわ」
自分の息子のように喜ぶ環。草太は少し照れたような表情を浮かべていた。
「今日、くるっちゅうのはきいとったけども、なんしに来たン?」
環の疑問は至極当然だった。鈴芽に逢いたいだけなら一人で来るはずだからだ。
「それについては私から……」
黒田が一歩前に進み出てこう説明する。
「草太君のすべてを取材しようと思った時に、ここでの"出会い"が関係しているんではないか、と思いまして」
「まあ、言われて見れば、やね。鈴芽とどこにも接点がないからね」
環も鈴芽から、草太の詳しいことは何も聞かされていない。東京にいったことのない鈴芽が草太と出会えるとすれば、"ここ"しかないからだ。
「それやったら納得ですわ。何もない港町ですけども、ごゆっくりご逗留ください」
環はそう言って二人を送り出した。
二人は、町で数台しか走っていないタクシーを呼んで、門波町の廃墟となった温泉街に向かってもらった。
運転手は、"何しに行きなさるん?"と真顔で聞き返したが、再開発する業者という体で納得させた。
「すぐ終わるんならここで待たせてもらいますけん」
到着するなり、運転手はそう言ったが、
「何時間かかるかわからない調査だから。帰りは、歩いてでも帰りますよ」
と黒田は言って、料金を支払った。
10.
黒田と草太は、二人して門波町の廃墟と化した温泉街に向かった。
「これでもバブルの時は、凄い流行っていたらしいけどね」
閉鎖されて20数年は経っているだろう。放棄された建物というのは、こんなにももろく、醜態をさらすものだろうか。
天井の抜けたホテル、朽ち果てた木造の旅館、今にも倒れそうな土産物屋と思しき建物。禍々しい風景に黒田は息を飲む。
「後戸って、こういうところにできてくるんです」
草太が、歩きながら、ぽつりとつぶやいた。
「人の営みが潰えた場所。そこには、どうしても人の念……想いが残ってしまうんです。そこに後戸はできてしまうんです」
草太の説明に、黒田は噛み付く。
「だとしたら、そんな場所、日本中にあるじゃないか」
限界集落、ここと同じように廃墟と化したリゾート地、心霊スポットにもなっている廃病院……地震が毎日のように発生するのは、後戸がそれだけ日本には多い、ということか?
「その後戸から、ミミズは出ていこうとします。それは、後戸とミミズの世界がつながっているから。そして、ミミズは、地気を吸い上げて倒れ込み、地震を発生させるんです」
歩きながら草太は解説するのだが、いまだに釈然としない。
「閉じ師にはミミズが見えるみたいだけど、我々にはどう映っているんだい?」
開いた後戸を閉めようとしている閉じ師の奮闘ぶりは、ミミズが見えているから感じられることであり、ミミズの見えない一般人にはどう映るのか、黒田は気になった。
「ああ、なるほど」
黒田は、クスッとした笑いを浮かべた。
「確かに、ミミズが見えていなければ、開いた扉を閉めているだけにしか見えませんしね。周りの物理的な現象も理解不能ですよね」
ミミズと激闘を繰り返してきている閉じ師にしてみれば、ミミズとの対峙は日常茶飯事だ。だが、ミミズ"だけが"見えない状況で、扉を閉めようとしている閉じ師を見たら、「なんであんなに苦労しているんだろう」と思われたとしても仕方ない。
廃墟の中を歩くこと10数分。
「ここの後戸はこれだったんです」
温泉街の中心的でかつ印象的なドーム型の場所。大きな水たまりの中にポツンと、1枚の扉が立っている。
黒田は、さすがに革靴が濡れるのを嫌って靴を脱いで入っていく。草太は、靴のままずんずんと水たまりを進んでいく。
「タダの……木製の扉だけどな」
黒田がドアノブに手をかける。
「あ……開けても、大丈夫?」
ここが後戸であった経緯を思い出した黒田は、おっかなびっくり草太に聞く。
「今は大丈夫ですよ。どうぞ」
その声に押されるように扉を開ける。迷い込んだその先には、全部の時間が溶け合ったような空は……あるはずなかった。
ただ扉が開いただけ。別世界へつながる風景も、常世も、なにもない。黒田にとっての後戸はここではなかったようだ。
拍子抜けする黒田だが、草太の表情は少し硬い。
「僕がもう少し早くここを見つけていれば……」
草太は、左腕を少しかばうようにした。そして草太は、鈴芽との出会いを語り始めた。
「最初、僕は見当違いの場所で、後戸を探していたんです」
リゾート地は広範囲にわたって開発されていた。ミミズが姿を現した時、草太の居た場所は数百メートル離れていた。
「慌てて駆け寄ったのですが、その時には、もう、ミミズはそれなりの姿をしていたんです」
「それなり、とは?」
黒田が聞く。
「ほぼ1キロ近くの長さで、上空を漂っているんです」
「え?そんなに長くなるの?」
一キロメートルのミミズ。黒田には当然見られたものではないが、そんなに長い化け物みたいなものが現れたら、足がすくんで身動き取れないだろう。
「ミミズ自体は、地気を吸い取って地面に倒れ込んで地震を起こすことしかできません。本来であればそうなる前に後戸を閉じ、鍵をかけないといけないんですが……」
「できなかった」
「ええ。後戸が締まろうか、という時に鈴芽さんがここにやってきたんです」
「ほほぅ」
黒田は興味深く思えた。一般人に見えないはずのミミズが、鈴芽にだけは見えている、という事実にだ。
「彼女が現れて、ふっと力を抜いた瞬間、僕は吹っ飛ばされてしまったんです。その次の瞬間、地気が吸い取られて行って、ミミズが倒れ込んで地震が起こってしまったんです」
「なるほど。閉じ師としては失態、だわね」
黒田は意地悪く草太を攻めるが、草太は至って冷静だった。
「それは間違いありません。僕が後戸を閉められていたら、あんなことにはなっていないんですから……」
扉の前で少し悔悟の念を強くした草太に、黒田は"まだまだ掘り下げないといけないことがあるぞ"と思いを強くした。
11.
黒田と草太は、"現場"から離れて、町の方へと下っていく。人里が近くなった時には、時計の針は3時過ぎを差していた。
「あの廃墟から、結構歩くんだね」
黒田は草太に話しかける。
「まあ、一本道ですし、下りだから、そんなにかかっていないはずですよ」
草太はそう言いながら、街並みの中に立つ一軒家の前で歩みを止める。
「ここ、鈴芽さんの実家です」
草太がそう言うのだが、彼はなんで彼女の家を知っているんだろう?
「なんで、知ってるの?彼女のおうち」
黒田は疑問を草太にぶつける。
「実は、鈴芽さんと一緒に戸締まりして、そのまま別れたんではなく、ケガの手当てをここでしてもらったんです。まだ少し痕は残ってますけど」
草太は正直に経緯を話した。
「戸締まりも、ミミズとの戦いも、ケガ無しではできない格闘なんだな」
黒田は、理解をしながらも、まだミミズの実像がつかめないでいる。
そうこうするうちに、自転車のチェーンの音が重々しく聞こえてくる。上り坂を必死に漕いでいる感じが黒田には伝わってきた。
息遣いも聞こえるころになると、そこには、今朝逢ったばかりの鈴芽の姿があった。
「あ、そ、草太さん、ただいま」
まだ息遣いの荒い鈴芽が草太を見つけて挨拶する。
「おかえり、鈴芽さん」
草太もその挨拶に応える。赤の他人がこれだけ聞けば夫婦の会話そのものだ。
「ううん!」
あまりのアツアツぶりに、黒田はいたたまれなくなり、咳払いをする。
「「あ」」
二人して声を揃えて黒田の方を見る。
「いやいや。君たち二人の関係がそれなりなのはわかったけれど、このオッちゃんは、どう対処していいかわからなくなるからね」
二人の熱気に当てられっぱなしの黒田は、そういうしかなかった。
「ご、ごめんなさい。いまから開けますね」
ガチャリと鍵が開けられる。三人は、ようやくうちの中に入ることができた。
リビングに通された二人は、ダイニングテーブルを囲んで座った。
鈴芽がお茶を用意しているさなかに、二人はリビングに飾られている、鈴芽と環のツーショットしかない、写真集みたいな壁面の写真たちを見て感心していた。
「環さんって、本当に鈴芽ちゃんを実の子のように育ててたんだね」
草太がこの写真たちに、環の愛の深さを感じ取っていた。
「ほう。僕はそのことは知らなかったよ。環さんは鈴芽さんの実の母親じゃないんだ」
黒田は、誰に聞くとなくそうつぶやいた。
「ええ。環さんって、私のお母さんの妹です」
鈴芽が、紅茶とお茶請けのクッキーをもってテーブルに近づいてくる。
「震災の時に、母は津波で行方不明になって……」
その言葉で、黒田は、鈴芽はそれなりに深い傷を心に持っていることを悟った。
「身寄りがなかった私を本当に実の子同然に育ててくれたんです」
鈴芽は、抑揚をつけずに事実だけを述べた。その言葉の力なさに、黒田はむしろ惹かれた。
「心中、お察しいたします」
黒田は事務的ではなく、心の底からそう思った。誰だって災害に遭いたくないし、まして命を奪われることまで想定していない。何事もなければ、鈴芽は東北の地で同じ17歳を迎えていたことだろう。その代わり、草太に出会ってもいないだろう。
出会いを作ったのが東日本大震災であり、地震とそしてミミズ。この奇跡的な出会いと恋愛は文章にして伝えるべきだ。
黒田は、気合を入れ直す。
「ぶしつけではありますけど、鈴芽さんと、草太さんの知り合ったきっかけを教えてもらえませんか?」
黒田の投げかけに、草太が口添えする。
「実は、今日ここに来れたのも、黒田さんが取材をしたいって言うんで実現したんだ。鈴芽さんの話も含めて聞きたいってことで」
鈴芽は、少しだけ戸惑っていたが、
「うーん。草太さんにまた逢えたきっかけを作ってくれたのが黒田さんなら、お話しないわけにはいきませんね」
難色を示すかと思われた鈴芽が、意外なほどあっさり快諾したのに、黒田は少し驚いた。
「え?君たち二人のことだよ」
その無防備ぶりが、黒田には危うく見えた。
「私たちなら、大丈夫ですから」
17歳の女子高生とは思えない決然とした態度に、黒田は畏敬の念すら覚えていた。
12.
鈴芽と草太の話は、2時間以上に及んだ。食事する時間も惜しんで、二人はしゃべり続けた。
黒田は、ミミズやダイジン、サダイジンとの共闘などを笑い話のように語る二人に共感というより恐れを抱いていた。
普通に考えたら、そんなこと起こるはずのないことが次から次に起こるのだ。椅子に変異させられたり、椅子として駆けまわったり、ネコみたいな神様がしゃべったり、ミミズと格闘する神獣がいたり、要石になった椅子を抜くことで草太を現世に引き戻したり。
全ての事象が、本当に起こっていたとしてもどこまで文章化すればいいのか……悩んでいた黒田は、
「あ、そうだ」
と、とある人のことが気になって、草太に尋ねた。
「草太君のお祖父さんって話でてたけど……」
「ひつじろう、ですか?」
草太がそういうと、鈴芽は驚いていった。
「え?ようろう、って読むんじゃないの?」
多分鈴芽の見た病院の名札には読み仮名が振っていなかったのだろう。
「彼に話を聞くことって、できる?」
黒田は草太に聞いてみる。
「マスコミとかあんまり好きじゃないし、閉じ師は人知れずやるものだと思っているから、話を聞くのは難しいかもですね」
草太は祖父の気性が取材に向かない、と黒田にくぎを刺した。
「今となっては、伝説の閉じ師みたいになって表舞台にも出なくなっているから、余計に無理でしょうね」
黒田は草太の追い打ちに従うしかなかった。
「ただ、資料とかはあるので、東京に帰ったらお見せしますよ。載せられる範囲で、ですけど」
あまりに黒田が気の毒になったからか、草太は資料の閲覧には応じてくれた。
「それで物語の補完はできる、か……」
黒田は、最終局面を迎えた物語を"締め"にかかった。
「で、最後に鈴芽さんが通ってきた後戸に鍵をかけたわけね」
黒田は、鈴芽に次の句を継がせる。
「あの時、なんで後戸が、いや、ただの壊れたがらくた同然の扉が12年も残っていたのか、不思議だったんです。環さんも言ってましたけど、12年前のがれきであの扉だけ残っているのはおかしな話なんです」
そこまで一息に鈴芽は言った。軽く息を整えて鈴芽は続きを語る。
「でも、それは残っていた。多分、お母さんが私のために残してくれたものだと確信したんです。私がくぐった後戸。この後戸をくぐらないといけない時のために、お母さんが何か特別な力でこの場所に残してくれたものだったと思うんです」
その扉の存在を黒田は知らない。見つかった時の経緯は聞かされていたが、なぜそれがその場所にあったのか、黒田にも理解ができなかった。
だが、その後戸に鍵をかけるときに鈴芽はすべてを悟ったのだろう。"これは私の戸締まりだったんだ"と。
「それは、私自身へのエールでもあったし、私と草太さんが出会う必然でもあったし、何より、私がこうしていられるのは、環さんだけじゃ
なくて、級友も、ご近所の方たちも、そして草太さんにも。全てに支えられ、守られてここまで来たことに気が付いたんです」
涙ぐみながら、それでも鈴芽は気丈に応えてくれている。その心意気に黒田も少し感極まっていた。
「だから私は、鍵をかけながら、「行ってきます」と言えたんだと思うんです」
そう言って鈴芽は少し声を上げて泣き始めた。それを草太がよしよししながらあやしている。
もはやただの男と女ではない、そこに断ち難いムスビを感じた黒田は、こう質問する。
「それで、草太君は、来年の試験の方は大丈夫なの?」
「ああ。あはは。"家業と試験と、どっちが大事なんだよ"って、芹澤にも突っ込まれましたから、次は抜かりなく受けますよ」
教師はなり手がいなくて、競争倍率も下がり気味。草太が教鞭をとる日は近いと黒田は確信した。
「それで、鈴芽さんの方は?そろそろ進路出さないとだめでしょ?」
もうすぐ高校三年生の鈴芽のことも気になって黒田は聞く。
「私は、お母さんの背中を追います!」
またしても力強く言い放つ鈴芽がそこにいた。
「ということは、看護師を目指す、と」
「ハイ。勉強も頑張っているんで、行けたら医療系の大学ですけど、無理なら専門学校で」
上昇志向の強い娘さんだな。黒田の感想はただそれだけだった。
「で、できたら、東京の学校に行きたいなぁって……」
少し照れ気味に言う鈴芽。この硬軟のつけ方には、草太ならず、黒田も骨抜きにされてしまいそうだった。
「ハハーン。草太君のそばにいたいってか?」
黒田はここぞとばかりに鈴芽に真意を問う。
「そ、そんなんじゃありません!と、東京の方が、い、一杯勉強できるし……」
顔を真っ赤にし、しどろもどろの鈴芽は、すでに答えを出していた。
「まあ、若いってことは、いいことだよ、ハハハ」
黒田は、今日一番の大笑いで二人を祝福した。
その笑い声に大きく顔を赤らめる二人だったが、玄関の扉の開く音で現実に引き戻される。
「ああ、鈴芽、帰っとったん?あれ、草太君に黒田さんまで……」
リビングの3人に驚く環。
「「お邪魔してます」」
黒田と草太は声をそろえて挨拶する。
「で、草太さん?今日はどこに泊まるの?」
鈴芽の一言で二人は今まで一度も気にしていなかった時計を見る。夜の帳はすでにおりきっていて、宮崎市内に帰る最終列車にぎりぎり間に合う時間まで話し込んでいた。慌てた二人は、追い立てられるように、岩戸家を後にした。
13.
『閉じ師とは何者か?』というタイトルの記事が月刊『ストレンジ』に掲載されたのは、それから1か月後のことだった。
須賀は、"このネタなら、ストレンジの方がふさわしいな"と判断して、ストレンジに寄稿したのだった。
須賀圭介の名前は、他の雑誌での評判が響いていたこともあり、難なく掲載が決まったというわけである。
「黒田さん」
あの喫茶店で、黒田と須賀が対峙してしゃべっている。
「本当に僕だけの名前で出してよかったんですか?」
共著にしませんか、という須賀の申し出を断った黒田の態度がいまだに須賀には謎だった。
「君からのオファーなくしてこれは書けなかった。自分でした仕事は取材だけ。だから、君から原稿料をもらえれば、それ以上の名誉や報酬はいらないってことだよ」
地震を鎮める、民間の呪術師的な立ち位置の閉じ師は、雑誌掲載の際に、特定の血筋だけで構成されているため、後継者難に襲われていることを追記した。その結果、閉じ師志望の若者が急増していることがニュースにもなったりしていた。
「またぁ。そうやって後輩に恩を売るんすか?」
須賀が意地悪く黒田に言う。
「それは違うな」
黒田はきっぱりという。
「単純に、構成を考えて面白く脚色した人が褒められるようにしただけのことだよ。二人で成果を分け合う、ということにはしたくなかったって事」
オカルト的現象をエンタメにまで昇華させる技を須賀は持っている。逆に地道な取材は黒田の得意とするところだった。二人がコラボしたから、事実なのにオカルトっぽい筆致で閉じ師の存在と仕事ぶりが世間に知られることとなったのだ。
「売れ行きも好調みたいなんで、また増刷がかかるかもって言ってました。黒田さんのおかげですよ」
笑っている須賀を見ながら、黒田は、あの二人の行く末に思いをはせていた。
カランカラン……
「ここのコーヒーって、美味しいんだよ、鈴芽さん」
「さっすが草太さん、東京のことなら何でもご存知なんですね!」
二人のはしゃいだ声が喫茶店に響いた。黒田にとって、それはこの上ないご褒美だった。
私の解析脳が生み出したキャラクター・ジャーナリストの黒田。
「君の名は。」「天気の子」「アイの歌声を聴かせて」でも問題点を明らかにしてくれる、いわば私の代弁者として活躍してもらっています。
今回は、黒田一人では、と思い立ち、天気の子で絡んだ須賀も巻き込んでお話を作り上げようと画策したわけです。
そもそものきっかけは、「ミミズが起こす地震は、P波→S波の時間差があること、戸締まりが成功すれば、P波だけで本震が発生しない事」への回答をどうにか求めたいというところからです。
結果的に誰もミミズでの地震のメカニズムを解明できないままで、ストーリーは展開しますが、ラストシーンについては、この解釈が一つの指針になっていると見ています。
どう考えても「お前ら結婚しろ」という風に思わずにはいられないそうすずなんですが、映画のラストカット。草太があの場所に来れたのは、黒田の後援あったればこそ、という設定を思いついたのは自分で言うのも何ですが、ファインプレーですwww
さて、なんとか第2弾(長編としては初上梓)はできました。黒田さんには、他のタイトルでも少し活躍してもらいたいところです。
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