2022-05-01 01:59:22 更新

概要

ヴァイオレットの最後の仕事は、こともあろうに、老夫妻の交換書簡だった。


前書き

ヴァイオレットの想い人であるギルベルト(ジルベール)に4年ぶりに逢えることがラストで語られる劇場版は、その出会わせ方から、演出の何もかもが珠玉の出来栄えで、感動しないはずがありませんでした。
母から子へ、子どもから両親・家族へ。外伝では、姉妹の心の交流が謳われましたが……
「終末期」のにんげんが書かれることはなかったと思い立ち、そして、自分がギルベルトとの家庭を作る際に気づかされることがあるのではないか、というのが今回の創作のきっかけです。

2020.10.8  構想→序盤。3500字まで。
2020.10.9  老婆からの手紙の依頼から完了まで。5500字。
2020.10.13 老夫婦との邂逅済。8000字まで。
2020.10.27 作成再開。10000字まで。
2020.11. 8 クライマックスへ突入。13000字まで
2020.12.10 ほぼ完成。肉付け開始。
2020.12.16 完成。第一版 上梓。(14206字)
2022.5.1 句読点の全角統一など、軽微な手直し。14254字。


「あれ?社長だけですか、ヴァイオレットは?」

エカルテ島からCH郵便社に戻ったクラウディアを認めて、カトレアはそう問いかける。

「あ、ああ……」

その声は心なしか精細を欠く。

「じゃあ、ヴァイオレットはギルベルトさんに逢えたんですか?」

勢い込んで、アイリスが聞いてくる。もちろん、飛び切りの笑顔で。

「あ、ああ……」

それにも気落ちしたような返事しかできないでいるクラウディア。

「なんだよ、全然うれしそうじゃないじゃんかよ」

ベネディクトは全く表情を変えないクラウディアに不思議そうな面持ちで問う。

「ああ……」

クラウディアはそれにも生返事でしか答えられない。

「せっかく、少佐に逢えたって言うのに。私たちが祝福しないでどうするんですか」

見かねてカトレアがそう言う。

「まあ、それは、そうなんだが……」

何を問われても、心ここにあらずな返答しかできないクラウディアがそこにいた。


クラウディアの思いは千々に乱れていた。

ギルベルトの渾身の叫びに、弾かれたように船から飛び降りたヴァイオレットの姿がいまだに脳裏に焼き付いているのだ。

彼女の想い人は、ギルベルトしかいない。いくら自分が愛情を注いでも、それになびくことは一切なかったことに愕然とした瞬間だった。

ヴァイオレットを預かろうと思った時、そこまでの感情は起こらなかった。せいぜい妹か、その程度。女性としてみることは極力しないできたつもりだった。

だから、自分がまるで、ヴァイオレットの保護者のように振る舞っていたことに周囲はさりげなく気付いていた。当の本人からも食事の際に宣言されたことが、少なからずクラウディアの心に影を落としていた。

"オレのやったことって、間違っていたんだろうか……"

ヴァイオレットのいない帰りの船で、ライデンに向かう列車の中で、クラウディアはずっと自問自答していた。


クラウディアが戻ってきた二日後に、ヴァイオレットがCH郵便社に帰ってきた。

「お帰り、ヴァイオレット」

カトレアは普段通りに接する。

「よかったですね、ギルベルトさんに逢えて」

アイリスが開口一番言ったのはやはりこのことだった。

「よう、ヴァイオレットちゃん、お帰り」

にこっと頬笑みを浮かべてクラウディアはヴァイオレットを迎える。

「社長。大変失礼いたしました」

ヴァイオレットがしたのは、帰社の報告ではなく、謝罪だった。

「突然、飛び降りたりして……感情を制御できなかった私をお許しください」

その表情はややこわばっているように見えた。

「いいんだ、もうそのことは。それよりも、ギルベルトとは、よく話せたのか?」

クラウディアは"二人"のことを知ろうとしていた。

「はい。いろいろなことを話してまいりました」

答えるヴァイオレットの表情が一気に柔らかくなった。思い出して、幸せな気分になったからだろう。

「それはよかった。まあ、今日のところはゆっくり休んで……」

「いえ、それはできません」

次の句をクラウディアに継がせない、決然としたヴァイオレットがそこにいた。

"まただ……" 

アイリスもカトレアも、仕事一筋のヴァイオレットのストイックなまでの姿勢に感心すると同時に、休むことを知らない彼女に恐怖する。

「私がいない間にスケジュールがひっ迫しております。休めばさらに遅れが発生してしまいます」

「それは百も承知だけど、一日君が休んでも他がカバーするから……」

クラウディアが次善の策を持ちだす。

「そうすれば、カトレアさんやアイリスさんを巻き込んでしまいます。私のせいでそれはできかねます」

その提案にも、ヴァイオレットは頑として聞かない。

今までなら、お互い平行線のままなのだが、

「それも一理あるなあ。まあ、君のことは君が一番よく知っているんだしなあ。無理だけはしちゃだめだぞ」

クラウディアはヴァイオレットに少し寄り添う姿勢を見せた。

「はい。分かりました。それでは、失礼いたします」

そういって、ヴァイオレットは社長室から出ていく。

「ブハァ……」

クラウディアはかなり大げさに嘆息する。

「まったく、相変わらずだよな、ヴァイオレットちゃんは……」

「え?そう思いました?」

カトレアが言う。

「むしろ、社長の方が少し成長したかなって思いましたけど?」

「え?オレが?」

自分で自分を指さしながら、クラウディアは言う。

「今までだったら、お互い頑として引かなかったのに、すんなりとヴァイオレットの意見を受け入れた。だから、彼女も引き下がれたのよ。もう過保護に扱わなくていいって気が付かれたんですね」

カトレアは、クラウディアの変化を見逃さなかった。

「う、ううん……そう、なのかなあ?」

と、とぼけるクラウディアだったが、自分の中でヴァイオレットに対する踏ん切りというものが、あの瞬間芽生えたのだと感じた。

「それだけじゃなくて、ヴァイオレットも少佐に逢って変わったと思ったんだけど」

カトレアは、ヴァイオレットの変化にも気が付いていた。

「え?どのあたりが?」

クラウディアはカトレアに問う。

「無理に押し通そうとしなくなったところよ。しかも私たちのことにまで気を配れている。前だったら、自分のことしか見えてなかったはずよ」

「あ、そう言われて見れば……」

駄々をこねるように、自分の意志を曲げようとする行為にかたくなだったヴァイオレットだったが、ギルベルトに逢えたことで心に平安が訪れ、柔軟に対応できるようになっている。カトレアが見抜いたヴァイオレットの変化だった。

「表情もだいぶ出てきましたしね。ギルベルト効果、結構ありますよ」

アイリスが言う。

「なんだよ、その、ギルベルト効果って」

失笑するクラウディアだったが、戦争が終わって4年近く。ギルベルトが生きているという、かすかな望みがかなった彼女に対する褒美は、彼女の根本にあるものを大きく変えるに十分すぎるものだった。

「まあ、ヴァイオレットちゃんも帰ってきたことだし、また一週間がんばれるな」

「ふーん、私たちでは不足みたいよね、アイリス」

「そうですよ。両手に花、でも不足なんですか、社長?」

カトレアとアイリスに詰められるクラウディア。

「い、いゃ、そういうわけではなくて……アハ、ハハハハ」

そう言ってクラウディアは笑ってごまかすのだった。


仕事部屋にたどり着いたヴァイオレットだったが、その風景は、今までとは違って見えていた。

それまではいかに光が差し込んできていても、人々の想いが心に憑りつき、様々な感情に振り回されるばかりになっていた。

だが、今日からは違う。

ギルベルトは生きている、ここにはいないが逢いに行ける。彼がいることがすべての感情を凌駕するのだ。

光を浴びているタイプライターは、主の帰還と、想いがかなったことを祝福するかのように優しく反射していた。

ヴァイオレットは、少しだけ微笑むと、たまっていた代筆の案件をどさっと引き出しから取り出し、黙々とタイプを始めた。

そのタイプの音も、軽やかなメロディーを奏でている。

その楽しげな音とは裏腹に、代筆業の行く末は、はっきり言って暗かった。電話が幾何級数的に普及し始めたライデンシャフトリヒでは、その代償として代筆の依頼が急減した。予約はほぼ入らなくなり、バックオーダーも消化のスピードが上がっていく。今では、飛び込みでも大して待たずに用件が済まされるほどだった。CH郵便社のナンバーワン・ドールであるヴァイオレットとて状況は同じだった。

小一時間、代筆や清書の案件を済ませて、書類を整理している時だった。

「代筆をお願いするのは、こちらでよろしいですかな?」

年のころなら70代手前、腰も少し曲がっている老婆がヴァイオレットに声をかけた。

「はい、左様でございますが……」

いつも通り、失礼のないように応対するヴァイオレット。

「一つ、頼まれてくれませんじゃろか?」

老婆はそう言ってヴァイオレットを見る。

「あ、は、はい」

そう言うと、ヴァイオレットは、老婆に椅子を勧める。

「やれやれ。もうすぐ、代筆業も終わりじゃって聞いたもんで、どうしても書いてもらいたい手紙があるのを思い出したんでな」

杖を傍らに置いた老婆は、そう言う。

「なるほど。で、どなたに宛てたお手紙でしょうか、おばあさま」

その一言に老婆は少しだけ笑みを浮かべる。

「おお、わしの名前、言うとらんかったのう。アンネじゃ、アンネ・シュトラウス」

「これは失礼しました、アンネ様」

謝罪のお辞儀をするヴァイオレットに、

「いやいや、お気になさらずに。名乗らなかったわしがいけないんじゃから」

「はい」

とだけヴァイオレットは言って、さっそくアンネから聞き取りを始める。

「では改めて。この度の代筆は、どなたにあてた手紙でしょうか?」

「ウフフ。実は、私のダーリンに宛てて、なんじゃよ」

「ダーリン?ですか?」

ヴァイオレットは、またしても自分の知らない"用語"にドギマギする。

「オホホホ。これはまた、うぶなお嬢さんだこと。私の夫に、ですよ」

「お相手は、旦那さま、ということで、よろしいでしょうか?」

「ええ」

「どういった内容でしょうか?」

ヴァイオレットが聞こうとしたときに、アンネは少しだけ憂いの表情を見せる。

「私ら、もう、老い先は短いじゃろ?それでも、こうやって連れ添えたのも、お互いがお互いを思いやってきたからじゃと思うんじゃ。そりゃ、喧嘩の一つもしたし、飲んだくれて帰ってくる夫に愛想をつかしたこともある。別れようと思ったことも一度や二度ではない。それでも、あの人がいたから、私も生きていけたんだな、っとしみじみ思っとったんじゃ。まだ亭主は元気じゃが、年も年だけに、いつ何が起こっても不思議はない。じゃから、感謝の想いを手紙に残しておこう、と思い立ったんじゃ」

黙って聞いているヴァイオレット。

「アンネ様は、旦那様と何年ご一緒に生活なさったのですか?」

「おお、そうじゃなあ。わしが今68歳で18の時に嫁いだから、もう50年に、なるかのう」

「50年……」

ヴァイオレットは、この夫妻に畏敬の念を抱く。アン・マグノリアに宛てて、ヴァイオレットが書いた手紙は、まだ配達が始まったばかりである。これから50年間、一人の女性に亡き母から誕生日のお祝い書簡が毎年届けられるのだ。その年月の重みを知っているヴァイオレットにしてみれば、数字では言い表せない、日々の積み重ねが思い起こされた。

「では、その50年間を、一通のお手紙にいたしましょう」

「そんなこと、出来ますじゃろか?」

「アンネ様が、旦那様と過ごした年月の中で、思い出深いことだけを思い出していただければ結構です。それをしたためてまいります」

そう言うと、ヴァイオレットは、書き留めていたペンを置き、手袋を脱いだ。

「おお」

アンネはヴァイオレットの美しい義手に感嘆の声を上げる。

「では、始めましょう」

タイプライターにヴァイオレットの義手が置かれる。アンネの語りとともに、タイプライターは一文字一文字打ち付け始めた。


「うはあ、こんなに長い手紙になってしもうたのう。これでは、さすがに爺さんも読み切れるじゃろか?」

草稿の段階で、便せん2枚強……3枚も費やしてしまったのだ。それは、アンネと夫の道のりの長さも指し示している。

「はい。ここまでは、アンネ様の言われた通りのことを書きとめた結果です。ですが、こんなに多くのことを旦那様が覚えておいでとは思えません」

「うーん。確かにわしの記憶と、夫の記憶は違うからのう」

アンネは少し困ったような表情をする。

「私も、このままでお伝えするのも得策かと思いますが、いかんせん、文字数が多すぎます。私どもも代筆を生業にしている手前、このままですと、アンネ様に多大なる出費をお願いせねばなりません」

「では、どうすればよろしいのですかな?」

アンネは聞く。

「お二人が一番記憶に残っておられることを一つか二つ。これだけを書けば、想いは伝わるはずです」

「おお、なるほど。だから、清書に最初からしなかったわけじゃな?」

「はい。お客様の想いをくみ取り、伝えるべきを見つけ出す。これが代筆業の極意と心得ます。アンネ様、この中で思い出深い事柄を上げていただけますか?」

「ウーム、どれもこれも、なんじゃよなあ。切り捨てたい想い出なぞ、一つもないんじゃ……」

そう言うと、しわがれていた瞳から、涙がじわっと湧き出してきた。

「では、このままでお手紙をおつくりしますか?それなりにお代もかかってしまいますが……」

「そこまでの余裕はないのでな……これは困ったのう」

アンネは少し戸惑っていた。

「どれ。今日のところは決めかねてしもうとるから、またの機会でも、よろしいですかな?」

アンネは立ち上がりながらそう言う。

「それは、構いませんが……また来ていただけるのでしょうか?」

ヴァイオレットはそういう。

「ああ。代筆屋さんが無くなるまでには必ずな。おお、そうじゃ。おたくさんの名前、伺ってなかったのう」

アンネは杖を持って立っている。

「はい。わたくしは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンでございます。以後、お見知りおきを」

そう言って淑女の礼をする。

「ヴァイオレットさん、ね。素敵な名前だことで」

そういいながらアンネは、扉を開けて出ていってしまう。


入れ替わりで、カトレアが部屋に入ってきた。

「あら?ヴァイオレットらしくもない。一度で決められなかったのって、久しぶりじゃない」

机の上の書き散らかした便箋を見て、カトレアは言う。

「はい。でも、あまりに書くべきことが多すぎて、どれを使えばいいか、私も決めかねたのです」

下書きの便箋を取りまとめながら、ヴァイオレットは語る。カトレアは、それを黙って聞いていた。

「先ほどの御老人……アンネ様は、50年間にも及ぶご結婚生活の節目にご主人様に手紙を書こうと思われたのです。ですが、その期間が長すぎて、全てを網羅することはかなわなくなったんです」

「なるほど、それで?」

「結局、お二人の一番の想い出を上げてもらうように、お願い方々、時間を作ってもらって伝えたい内容を決めていただこうかな、と思ったんです」

「ふーん。想い出、ってどのくらいあったの?」

「ええっと……項目数は28です」

ヴァイオレットは、下書きになった便箋を目で追いながらカウントして、報告する。

「そりゃ、50年も一緒に生活していりゃ、一杯想い出も残るわよね。でもね、ヴァイオレット」

カトレアはヴァイオレットに向き合った。

「一つ一つの想い出も大事だけど、二人が逢えたことが一番伝えたいことじゃないかしら?」

カトレアの指摘は、少しだけヴァイオレットに道筋を与えてくれた。

いくら想い出を積み重ねたところで、その想い出の端緒になったことは二人の出会いからである。出会わなければ、その想い出も生まれない。

「では、二人が出会ったことだけ書けば、それでご主人さまに伝わるのでしょうか?」

「もちろん、それだけじゃ弱いわよ。節目節目のことも書いてあげた方がいいわよ」

「それは、そうですね」

ヴァイオレットはカトレアの意見を飲み込みながら、自分がギルベルトに向けて"最後"に書いた手紙の内容に思いをはせていた。

あの手紙は、風に飛ばされ、もう現物はない。だけれども、ヴァイオレットが、「もう会えない」と思っていた相手に出した手紙だから、その内容は克明に、覚えていた。

出会った時のギルベルトのやさしさ、孤児で右も左もわからない自分を教育してくれたり、ブローチを買い与えてくれたり……

何より、ギルベルトは、彼女に名前を与えたのだ。「その名にふさわしい人になるんだ」という願望も含めて。

だから、ヴァイオレットは、愛しい彼が最後に発した「心から、あいしてる」を知りたいと思い、自動手記人形であることを望み、その経験の中で「あいしてる」を理解できるようになっていったのだった。

いろいろな思いが胸に去来する中、ヴァイオレットはこう結論付ける。

「今度、アンネ様がお見えになったら、そのことを中心に書きたいと、思います」

「そうね、それがいいわね」

カトレアはそういって、書類の束を持ち上げて、書庫の方に向かう。


その日一日の業務も最終盤に入り、日誌に出来事を書いているさなかに、今度は一人の老人が入ってきた。

「おお、これはこれは、閉店間際に来てしまって済まなかったが……」

やや息遣いも荒く、声をかけてくる老人は、ヴァイオレットを認めて言う。

「あんたが、ドールさんかの?」

「え、あ、はい、わたくしもドールですが……」

タイプライターをしまいそうになっていたヴァイオレットは、少し出ばなをくじかれる。

「わしも一つ、代筆を頼みたいんじゃ」

微笑んだその口からは、歯茎だけしか見えていない。

「本来ですと、業務終了の時間を過ぎておりますが、特別にお話を伺いたいと思います」

そう言って、ヴァイオレットは老人に向かい合いいつもの口上を述べる。

「お客様がお望みなら、どこでも駆けつけます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」

そう言って一呼吸おいてから、

「お客様のお名前は何とおっしゃるのですか?」

「おお、わしは、フレデリック・シュトラウスじゃ。フレッドと呼んでくれればいい」

「かしこまりました。ではフレッド様。どなた宛てのお手紙を書けばよろしいのでしょうか?」

「ああ、実は今年で結婚50年になるんじゃが、わしの連れ合いに感謝の言葉一つかけてやらんかった。かといって、今から面とむこうて、それを言うのも気恥しい。そこで、わしの想いを手紙にしてほしいんじゃよ」

これがカトレアやアイリスなら、顔に表情が出てしまっていたところだろう。実際、名前を聞いて、二人ともかなり驚いた表情を見せる。何しろ、夫妻が相前後して、郵便社を訪ねてきたのだから。

その言葉を黙って、無表情で聞きとるヴァイオレット。

「かしこまりました。もしフレッド様がこれから私とお手紙を作ろうとなさるのでしたら、時間外料金が若干かかりますが、それでもよろしいですか?」

事務的にヴァイオレットは言う。

「え?結構かかってしまうのかのぅ」

フレデリックの顔が瞬時に曇る。

「はい」

詳しく説明もせず、ヴァイオレットは短くそういった。

「ウーム。余計な金は使いたくないからのう。じっくり話を聞いてくれる時間が取れるときにまた来るか。今日は済まなかったな」

それだけ言うと、挨拶もそこそこにフレデリックは立ち去っていった。

頃合いを見計らって、カトレアとアイリスは、ヴァイオレットのそばに寄ってくる。

「ちょっとヴァイオレット? ご夫妻が鉢合わせしちゃったら、どうするのよ」

カトレアがもっともなことを言う。

「問題ありません。フレッド様は明日、開店と同時に見えられます」

ヴァイオレットは少しだけ自信ありげに言う。

「え?どうしてそれがわかるの?」

アイリスが理由を聞きたくなるのは当然だ。

「フレッド様には、時間があまりないと御見受けしたからです」

ヴァイオレットの”推理”はシンプルなものだった。

「ああ、閉店ギリギリに来たから、そう思ったのか……」

アイリスもヴァイオレットの"勘"に賛同する。

「それもあります。そして、夫妻が図らずも同じ日に見えられたのは単なる偶然ではない、と思ったからです」

「なるほどねぇ」

彼女の"勘"はたびたび当たる。ユリスの手紙を本来なら持ち歩いていてもおかしくなかったのに、郵便社に預けていたことが結果的にファインプレーを産んだ。これも「自分がいなくなった時の不測の事態を想定していた」からに他ならない。

「でも、夫妻の交換書簡なんて、なかなか書く機会無くてよ」

アイリスはヴァイオレットがどう二人を手紙でつなぐのか、興味津々だった。

「はい。これが私の最後の仕事になるのではないか、と思っております」

ヴァイオレットはそういい残すと、アンネのことを書き記した3枚の便箋をファイルにしまい込んだ。


翌日。午前8時前。

「珍しいなぁ。こんな朝早くから、開店を待ってる爺さんがいたぜ」

ベネディクトが、ドールたちのいる部屋に報告にやってくる。記念切手の販売や速達の受け取りに開店待ちをすることはあるが、手紙自体が下火になりつつある中で、並んでまで待つ必要性はどこにもなかった。

「ウワ、ヴァイオレットの言ったとおりになったわ!」

アイリスが、彼女の"予言"の的中を驚く。

「どんな感じの人だった?」

カトレアは、人定質問をする。

「うん。ぜーんぶ歯が抜けている感じで、背は小柄。なんか、そわそわしていたっけか」

「当たりね、ヴァイオレット」

顔まで見なくても、ドールたちには、それがフレデリックであることは明白だった。

午前9時。時間通りにch郵便社は開店する。

扉が開くや否や、先頭にいた老人は、二階に上がる階段をゆっくりと、しかし、やや急いた足取りで上がっていく。

コンコン。

扉がノックされる。すでにドールたち3人は準備を整えている。

「どうぞ、お入りください」

カトレアが声をかける。

「はぁ、はぁ。い、一番のりじゃわいっっ」

肩で息をしながら、やってきたのはやはりフレデリックだった。

さすがにヴァイオレットが気がかりになってフレデリックのそばに駆け寄る。

「大丈夫ですか、フレッド様」

「おうおう。まだまだわしもやれるかのう。ワッハッハッハ」

息遣いも落ち着いたので、フレデリックはヴァイオレットのいるブースの椅子に腰かける。

「昨日はギリギリに来て済まなかったのう」

フレデリックは昨日の謝罪をする。

「それはお気になさらずに。私の方こそ、お話を伺わず、失礼いたしました」

二人して謝罪合戦の様相を呈していたのだが、

「昨日は自分の衝動の方が強かったし、一晩寝て、伝えたいこともまとまったんじゃ」

「それはようございました。それをお手紙にいたしましょう」

ヴァイオレットは、そう言うと、タイプライターに向かいつつ、手袋を脱ぐ。

「おお、これが噂に聞く……」

ヴァイオレットの義手は、彼女がナンバーワン・ドールになっていることもあって、ライデンシャフトリヒの間ではかなり知れ渡っていた。

「それでは、お願いいたしします」

ヴァイオレットがそう言うと、フレデリックは書いてほしい内容をすらすらと語りだした。


「どれ、うまく書けておるかの?」

一通り話した後に、フレデリックはそう言う。

「はい。フレッド様が私に語っていただいた内容はすべて漏らさず書いております」

ヴァイオレットはそう報告する。

「わしも年じゃし、明日をも知れぬ命じゃからのぅ。早くにまとめておいてよかったわい」

フレデリックは安どの表情を浮かべる。

「ご確認は、よろしいでしょうか?」

ヴァイオレットはフレデリックに確認を求めた。

「いいやぁ。そもそも読み書きは苦手なんじゃ。多少の誤字は構わんよ」

笑いながらフレデリックは言う。

「それでは、この文面で封緘させていただきます」

三つ折りにされた便箋は白い封筒に入れられ、赤い蝋とともにCH郵便社のスタンプで封緘される。

ヴァイオレットはそれを終えると、すぐさま料金伝票を起票する。

「ご依頼いただきありがとうございました。お会計はこちらになります」

フレデリックの前に伝票と先ほど封緘した手紙が置かれる。

「ま、想像していたよりは安く済んだのう。もちょっと伝えてやってもよかったかな」

苦笑いを浮かべながら、フレデリックは紙幣を取り出す。

「いえ。言葉の数より、お気持ちが伝わることが大事です、フレッド様」

ヴァイオレットは、釣り銭と、手紙を手渡しながら、そう言った。

「ま、それもそうじゃな。手紙、作ってくれてありがとう」

フレデリックはそう言うと、にこやかな表情で、手紙をポケットにしまいながら、部屋から出ていった。

「ヴァイオレット、なかなか手早くまとめたわね」

カトレアがヴァイオレットに話しかける。

「はい。ですが、何か、フレッド様が少し落ち着いていないように感じましたのが、気にかかります」

ヴァイオレットの、第六感が反応していたのだ。

「そこまでは考えすぎじゃない?ほかの用事が後に控えていただけかもしれないし」

「そう、だといいのですが……」

ヴァイオレットは、少しばかり嫌な胸騒ぎを覚えていた。


配達を終えて帰ってきたベネディクトが、衝撃的な事故の一報を入れてきた。

「ほら、電波塔の近くって、資材置き場が点在しているだろ?そのうちの一つで、資材を移動しようとしていた時に荷崩れが起こって、道を歩いていた人を巻き込んじまったらしいんだ」

「それは大変だな」

クラウディアがそう言う。

「けが人は?」

「4,5人出ているらしい。まあ、新聞発表待ちだな」

ベネディクトはそう言って、持ち場の後片付けに向かった。

「電波塔の工事に支障が出なければいいけど」

クラウディアがそう言うと、

「私、巻き込まれた人の方が心配だわ」

カトレアがものより命に視点を取っていることをあえてクラウディアに見せつける。

「う、うん、まあ、そう、かな?」

顔を赤くしながら、恥じるようにクラウディアは言う。

「それだけの大事故なら、明日の新聞には載りそうですね」

アイリスはそう言う。

「身内が巻き込まれてたら、烈火のごとく怒るところだけどなぁ」

クラウディアはそう言った。このときは、まだ、それほど大ごとになるとはだれも思っていなかった。


次の日。新聞は、昨日の事故を大々的に報じていた。

「なんでも、クレーンが倒れかかってきたそうだ。道を歩いていた人だけでなく、自動車も何台か巻き込まれたようだな」

クラウディアがそう言いつつ紙面を読んでいた。壊れた自動車や、散乱する資材の写真が、事故の大きさを物語っていた。

「死者も数人でてしまっているみたいだ。こりゃ、工事は確実に止まるな」

「まあ、かわいそうに……」

昨日と同じ構図が、クラウディアとカトレアの間で繰り広げられる。

その空気を察してか、

「い、いや、俺だって、死んだり、ケガした人のことは思っているよ」

クラウディアは周りの冷めた目線を感じながら言いつくろう。

「本当にそうかしらね?」

カトレアは、少し不機嫌そうにその発言を聞き流す。

「でも、やっぱり大事故じゃないですか」

アイリスはそう言う。

「まあ、そこのところは間違いないな」

クラウディアは、アイリスの助け舟に少し安堵する。

「少し、いいですか」

ヴァイオレットが新聞を手繰り寄せる。

「ヴァイオレットちゃんも、世情に疎いだけじゃだめだからな……って、どうした?」

紙面に目を落としていたヴァイオレットの肩が小刻みに震えている。部屋にいた全員が、彼女のただならない雰囲気を感じ取る。

「ど、どうしたの?ヴァイオレット」

カトレアが近寄りながらヴァイオレットに声をかける。

「やっぱり……胸騒ぎがしていたのですが……」

涙目になっている彼女に、その場にいた全員は少しだけ疑念を抱く。

「あの方が……あの方が……」

ヴァイオレットはそう言うなり、ペタン、と床に膝から崩れ落ちてしまう。

「え?まさか知り合いが巻き込まれたとか?」

クラウディアがそのわけを聞こうとする。

「ええ。昨日、お越しになられた、フレッド様が……」

一同は、気にも留めていなかった新聞の犠牲者名簿に集中する。そこには、確かにフレデリック・シュトラウスの名があった。

「え?この人って、昨日、代筆を頼んでいた……」

カトレアがヴァイオレットに尋ねる。

「はい。このお顔、間違いありません」

犠牲者の顔写真が一塊になって掲載されている。3人の犠牲者の中の一人がフレデリックだったのだ。

「そんなことって……」

クラウディアは、あまりの偶然に言葉も出なかった。

「フレッド様、奥様に手紙を渡されたでしょうか……」

ヴァイオレットが気がかりだったのは、自分の書いた手紙の去就だった。

「どうあれ、届いているだろう。遺品として、かも、しれないけど」

クラウディアはそういって、少し暗澹たる気持ちになった。言葉で伝えることがもう二度と叶わない、夫婦の絆があっけなくついえたのだ。


翌日。

焦点も定まらず、髪はぼさぼさ、整っていない服装の老婆が、CH郵便社を訪れた。

「あの、ちょっと……」

受付をしていた従業員が、彼女のただならぬ気配に、声をかけるほどだった。あまりの風体に、ロビーや待合、列をなしていた客が一斉に彼女に視線を向ける。それでも彼女は、二階に上がる階段を踏みしめ踏みしめ、上がっていく。

「後はお願いね、ヴァイオレット」

アイリスが部屋を出ていくのと同時に老婆が入ろうとした。

「あ、これはいらっしゃい……」

と言いかけて、アイリスも尋常ならざる老婆の気配に怖気づいた。

「ヴァイオレットさんは、おいでかのぅ」

通りすがろうとするアイリスに、弱弱しい声で、ヴァイオレットの所在を老婆は尋ねた。

「あ、ハイ。おりますが……」

その声に答えて、ヴァイオレットはビクっとなる。

「アンネ様!アンネ様ではありませんか!!」

老婆は、夫を不慮の事故で亡くし、放心状態のアンネ・シュトラウスだった。

ヴァイオレットは取るものもとりあえず、アンネの元に駆け寄る。

「この度は、なんと申し上げたらよいのか……」

アンネの手を、手袋をした手で握りながら、それでも、いくらかの温かみがアンネに伝われば、とヴァイオレットは思っていた。

「これはこれは。ドールさんを悲しませてしまったのぅ」

ヴァイオレットが自分の夫の死を悼んでくれていることに、少しだけ心の暗闇に明かりがさしたようにアンネは感じていた。

「もっと早くにお手紙を仕上げるべきでした」

ヴァイオレットはそういいながら泣き出しそうになっていた。

「もういいんですよ。ヴァイオレットさん」

アンネはそういいながら、懐から、そんなに汚れていない、白い封筒を取り出した。ヴァイオレットには見覚えのある封筒。

「それは……」

「うちの亭主も代筆を頼んでいたなんて。この手紙を見るまでは知りませんでしたよ」

アンネはそういいながら、自ら椅子に座った。ヴァイオレットも、立ち上がり、自分の椅子に腰かけた。

「こんなところにも、お互いがどうしたら思いを伝えられるか、同じタイミングで考えていたんだなって思って、少し楽しくなりましたよ」

アンネは、今まで抱えてきた思いをヴァイオレットに話し始めた。

「昨日も、凄く楽し気に帰ってきたと思ったら、「これからも、ずっと一緒だぜ」なんて、きざなことを言うもんですから、「何かいいことでもありましたか」って尋ねたんですよ。そしたら、「あんな美女、もう一生出会えねぇだろうな」って言って、また出かけたんですよ。手紙だけおいて」

アンネの語りは続く。

「きのうは、私たちの結婚記念日だったんですよ。手紙もそうだけど、何か私にプレゼントでも買いに出かけたんでしょう。それが今生の別れになるなんて。人生ってわからないものですよね」

アンネの語りは、物静かで抑制されたものだった。感情を押し殺して語るアンネに、ヴァイオレットは突き動かされる。

「アンネ様」

ヴァイオレットは何とかくちびるを開く。

「私にできることは、アンネ様からフレッド様に対するお手紙を書くこと。この間の続きをいたしましょう」

それを聞いたアンネは、

「それもそうね。私があの人に想いを伝えたいって思っていたことは果たさないと、ですよね」

すべてを達観しているのか、夫を亡くしたという雰囲気はどこかにかき消えていた。そして、その手紙は短いながら、想いのたっぷりこもったものになった。


「これで、私もあの人を送ってあげられるわ。ありがとう」

アンネはそういって懐から財布を取り出そうとする。

ヴァイオレットはそれを手で制してこういう。

「このお手紙は、私からの弔意でもあります。御代は、結構です」

それをサインと勘違いしているヴァイオレットは、なぜか親指を突き立ててアンネに見せる。

「あら、それはうれしいですこと。でも、このハンドサインの使い方は間違っているわよ」

アンネは「よくできました」とか、「よかったね」というときにしか使ってはいけないよ、と、ヴァイオレットに教え諭す。

「話さなかったけれど、実は私たちにも子供……女の子がいたのよ。育てられなくて親戚に預けたんだけど、その親戚が急になくなってしまって、私たちの子供は行方知れずになってしまったのよ」

「そう、だったのですか」

ヴァイオレットはアンネから聞いていない子供の存在を知る。

「こんなつらい思いをするなら、もう子供は作るまい、きっぱり忘れようってあの人とも話していたんですよ。あなたを見ていると、孫みたいに見えて……変、ですかのぅ?」

アンネはいまだに子供の幻影を見ていたのかもしれない。

「いえ、それは……」

家族というものに縁のないヴァイオレットには、夫婦も、子どもも、孫も、家族も、別世界のような感情しかわいてこない。

「ですが、アンネ様」

ヴァイオレットは立ち上がり、アンネに向かって言う。

「これが、私にできる最高の、そして最後の仕事となりました」

「あら?最後って……」

アンネがその言葉に反応する。

「はい。間もなく私はドールを辞めて、エカルテ島にいる、あの方の元に参ります」

「あの方……どなたかは存じませんが、あなたが好きな人のところに、ですかのう?」

「はい。私に「あいしてる」を教えてくださった方のところにです」

決然と、語気強くヴァイオレットは言う。

「そう。それなら、うちの人も、こんな手紙を書いてもらって本当によかったわ」

にっこりと微笑見ながら、アンネは言う。

「ありがとうございます。最後の手紙は、全身全霊をもって書かせていただきました。もう、悔いは残ってません」

ヴァイオレットは、言いながら滂沱の涙を流している。

アンネは、そんなヴァイオレットを優しく包み込んだ。


  「今まで、一緒にいてくれて、ありがとう。

   生まれ変わっても、またあなたと出会いたいわ。

   その時は、私をうまく見つけ出してね。

   愛してるわ          愛しのダーリンへ  アンネ」


  「俺にとって、お前はなくてはならない最愛の人だ。

   いつまでも一緒にいたい。

   今までありがとうといえなかったが、50年の節目に初めていう。

   アンネ。本当に今までありがとう。      フレデリック」



数か月後。

ヴァイオレットは、残務処理を終えて、ライデンを離れていった。

彼女が作り、届けた手紙は、依頼した人、届けられた人に相応の想いを伝えてきた。

今、彼女は、得難い伴侶を得て、別の道を歩もうとしていたのだった。


後書き

ヴァイオレット・エヴァーガーデンの完結編といえる映画は、2020年の9月18日に初日を迎え、実に3か月余りのロングランを達成しました。
それもこれも、京都アニメーションの一切妥協を許さない作風と、ヴァイオレットの想い=あいしてる がどう結実するのか、が見ものだったからです。
結果は、ユリスという少年とのエピソード、生きていたギルベルト少佐との邂逅によって昇華され、ラストシーンで打ちのめされる素晴らしさを持って描かれていました。
私にできることは、後日談をいかにまとめるか、ということ。すでにCH郵便社の行く末は書かせていただきましたが、今回は「ヴァイオレットの最後の仕事とは」ということをメインテーマに書かせていただきました。
百人いれば、百人の「最後の仕事」が想起できるわけですが、当方は、老夫妻の想いを形にしようとする、という風に持っていきました。死と隣り合わせの状況は、TV本編、劇場版でも言われていたことでもあるけれど、「読み書きが難しい」老夫婦という設定がなかったことも後押ししてもらいました。
劇場版の感動が温かいうちに、と思っていましたが、某大ヒット映画のせいで、そちらに気持ちを奪われてしまい、結局2カ月強かかってしまいました。
ギルヴァイに付いては、それほど書くつもりはないので(前作でも二人の夫婦生活の書きにくさが露呈したので)、これにて劇場版基準のヴァイオレットちゃんネタは終了ということになりそうです。


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