戸締まりははじまり
入院している羊朗さんのところにとあるあいさつに向かった鈴芽と草太。
鈴芽と草太が結ばれる、という設定は、もはや動かしがたいもの。二人が草太側の唯一の肉親である羊朗さんのところに挨拶に行く、その帰り、という短編を作ってみました。
2022.12.10頃 立案。
2023.1.上旬 まったく膨らまないまま2500字程度で放置
2023.3.7 早期完結を決断。2932字。
私と草太さんの祖父……羊朗さんが出会ったのは、もう3年も前の話だ。
あの時、私はこう言い放った。
「草太さんのいない世界が、私は怖いんです」
出会って4日ほどしかたっていないし、しかも、人間体で関わったのはわずか数時間。
なのに、私は、草太さんが愛おしく、なくてはならない存在になってしまっていた。
椅子に形を変えていても、私は"それ"はモノではなく草太さんだとずっと思っていた。
羊朗さんの病状は、一進一退を繰り返す、非常に厄介なもので、退院にまで結びつくことはない。
ただ、医学の進歩が、羊朗さんを常世に向かわせることを何とか避けている状況だ。
私と草太さんが、羊朗さんの入院している部屋に向かったのは、12月の後半だった。
「失礼します」
ガラガラと引き戸を開ける。ちょうど食事が終わったところだろうか、羊朗さんの口元は少したれか何かで薄汚れていた。
「おお、これはこれは。あの時のお嬢さん。それで、草太はどうしてますかな?」
気分がいいのか、孫の結婚相手が来たからなのか、羊朗さんの口調は初対面の時とは全く違って明るかった。
「え、あ、はい」
私が紹介するまでもなく、私の後ろに居る草太さん。背が高いから、いるのはまるわかりだ。
「ただいま、おじいちゃん」
「よく頑張ったな」
二人はそんな簡単な言葉しか交わさない。各々が独立している閉じ師だからなのか、あるいは一世代跨いでいるからか、理由は不明だ。
草太さんは、岩手で私たちと別れた後、福島、新潟、和歌山、奄美、沖縄、と転々と戸締まりの旅を続けていたそうだ。
祖父に自分の安否を告げなかったのは、「それをしたところで無意味」と草太さんが悟っていたからだと後で聞いた。
その後、1年遅れで教職員試験を受けて合格。芹澤さんが教師としては1年先輩になったが草太さんは気にしていない。
「それにしても、よく、草太を助ける気になったものじゃ」
話題は、私の"武勇伝"に移った。
「もし鈴芽さんが手出ししてなかったら、草太は永遠に常世で要石として鎮座しておったじゃろうて」
閉じ師の先輩の言葉はいろいろ重い。本来なら、要石を人為的に抜くことは、忌避されている。それを2度も私はやってしまった。一度目は無意識のうちに抜いてしまったかもだが、二度目は、明らかに私の意志で抜くと決めたのだ。
「む……宗像さんも閉じ師をなさっていたと思うんですけど、なんでダイジンは草太さんを要石にしたかったんでしょう?」
お祖父さん、はいくらなんでも慣れなれしいし、羊朗さん、は舌を噛みそうだ。で結局苗字呼びにした。
「ダイジン?」
事の詳細を知らない羊朗さんは聞きなれない単語に戸惑っていた。
「そもそも要石って、ネコの化身なんですか?」
私は質問を変えた。
「なるほどな。あなたも東京の要石の化身に逢うていなさるからの」
羊朗さんは、後を追うといっていたサダイジンの言葉を思い出していた。
「要石が何かの動物になる、わけではなく、要石そのものが人間である、と言った方がいいかもしれない。つまりは、人柱じゃ」
ヒトバシラ……私は、草太さんをその立場・役割から解放したことに少しだけ罪悪感を持っていたが、今となってはこれでよかったのだと思っている。
「だから、猫に形を変えている、とはいっても、元は人間なのだ。だから、人語を発したりできておるわけじゃよ」
「でも、東京の要石は、凄いネコに化けてましたよ」
私は、ミミズ相手に孤軍奮闘していたサダイジンを思い出していた。
「わしも詳細は知らんが、その要石の元は、力士じゃったと聞いておる」
「お相撲さん……」
私はぼそっと言った。あれだけのミミズを相手に互角に戦えるネコ化け。なんとなく腑に落ちていた。
「それでも、地震ってなくなりませんよね……」
私はこれから草太さんが日本のみならず、世界にもあるとされる”後ろ戸”を締めて回る人生に不安を隠しきれない。
「ワシら閉じ師も、陸の上のことなら何とか対峙はできる。しかし、海の底ともなると手出しができないんじゃよ」
確かに東日本大震災の震源は、太平洋上だった。閉じ師は所詮人間。海底にある後ろ戸を開けたり閉めたりできる閉じ師は、存在しているわけがないのだ。
「関西の地震の時は、島においてあった要石が抜けたことによるものじゃった。あれは閉じ師が気が付いていれば起こっていなかったやもしれぬ」
阪神・淡路大震災の直前に、西の要石は、淡路島におかれていたことは古文書からも明らかであった。ただ、自然に抜けてしまうことが、大地震の発生を誘発してしまうのだ。
「いずれにせよ、我々の大地は、些細なことで暴れるもの。それを未然に防げれば、閉じ師もやっている甲斐があろうというものじゃよ」
あの時、私は、羊朗さんとまともに会話をしてこなかった。今、ゆっくりと、羊朗さんと話しをしてみて、先輩閉じ師のありがたいお話、という以上のものを私は感じ取っていた。
「で、話は聞いていると思うけど、おじいちゃん」
草太さんがここで話題を"私たち"に切り替えた。
「ン?」
少しきょとんとした表情の羊朗さん。
「僕たち、もうすぐ、結婚します」
その言葉を黙って聞いている羊朗さん。
「ウム。それはめでたいことじゃ。その……どちらさんじゃったかの?」
私の名前を度忘れしたんだろう、羊朗さんは少し困惑した表情を浮かべる。
「鈴芽です、岩戸鈴芽」
フルネームでダメ押ししたつもりだが、それで思い出してくれたのか、
「おお、鈴芽さんじゃった。草太のことをよろしくお頼み申す」
ベッドに寝たままでお辞儀をするようなしぐさを羊朗さんはした。
「ハイ。精いっぱい草太さんを応援します!」
私は力強く宣言する。
「こんなお嬢さんが伴侶なら、草太も閉じ師を心置きなく励むことができようて。良い人に巡り合えたな」
羊朗さんのお褒めの言葉は、草太さんだけに投げられたものではない、と私は理解した。
宮崎での後戸を閉める場面で、私は草太さんのすべてをなげうって厄災を納めようとする姿に心を奪われた。私にミミズが見えていなければ、この出会いは100%起こっていないことなのだ。
そう考えると、私が、後戸を開けてしまい常世に迷い込んだ4歳のあの時から、草太さんと出会うのは、偶然ではなく必然だったのではないか、と思うこともあった。
「草太さん、あのね……」
羊朗さんにあいさつを終えた私は、並んで歩く草太さんに話しかけた。
「私たちって、こうなる運命、だったのかな?」
「運命、ね……」
草太さんは、その一言をかみしめるようにリフレインした。
「運命だったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、僕にとって君はなくてはならない存在なのは間違いない」
前を見据えたまま、草太さんは言う。
「君が僕のことをそう思っているのと、同じように、ね」
少し照れながら草太さんは、私の方を向いてそう言ってくれた。
瞬時に私の顔が真っ赤になる。
その赤さに噴き出した草太さんは、これ以上ない大声で笑い始めた。
その笑い声ですら頼もしい。いとおしい。私は、草太さんに寄り掛かるようにして歩いて行った。
盛り上がらないまま、羊朗さんのところに結婚のあいさつに行く、という短編になってしまいました。
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