パーラーバスが行く(1)
移動型パチンコ店がこの世に存在したら……
実は、このアイディアは、2021年中ごろに想起したものでした。
とはいえ、こうしたガジェットが実現しなかったのにも理由がいろいろあるのかな、と思いながら、2000年代初頭にこんなことがあったらよかったのにな、そして今でも連綿とつながっていけたらいいな、というのが、今回の企画の発端です。
遅筆なうえに、他の連載や大作に関わってしまって、ここまで形にするのに1年以上。これからは、よっぽどのことがない限り、この作品に傾注したいところです。
2021.10頃 インスピレーションにより、着手。
2021.12前後 他題材執筆に夢中になり、完全放置。
2022.5.4 企画再始動。4000字弱→8500字強まで。
2023.3中旬~ ようやく第一話完成の外郭が見える。
2023.4.21 第一話上梓。13218字。
0.
「むーすーんーでーひーらーいーて……」
特別養護老人施設・明日への扉の食堂で、恒例の、お歌の時間が始まった。
入所者18人、介護を担当するのは7人。看護師・医師は常駐が2人、交代要員が同じく二人ずつ。お昼ごはんまでの2時間余り、出勤している担当者を含めて、全員で童謡や愛唱歌を歌うのだ。氏素性もバラバラな人たちが一つ屋根の下で集いつつ生活するのは、本来なら難しいことでもあるのだが、施設に入ると、尖った思考に立ち入らなくなるのか、他者との境界があいまいになるのか、ちょっとした小競り合いすら日を追うごとに減っていく。施設の運営はそんなわけで、日々穏やかに過ぎていく。
そんな歌が響く施設の安穏を打ち破るように、遠くから軍艦マーチが聞こえてくる。歌のボリュームが拡声器の音響に負けはじめ、そこそこ耳が遠くなっているはずの高齢者たちにも認知されるようになってくる。
「おお、今日が訪問日じゃったか、歌など歌っている場合じゃないぞ!」
玄蔵さん……往年の声優さんばりの低いトーンでしゃべるのでこのあだ名が付いている。本名は明さん……が、やおら腰を上げる。
「今日は私が勝っちゃうからね」
同じく小百合さん……往年の大女優のファンだという80代のおばあさん。本名はトメさん……も、気がそぞろになっている。
施設に近づいてきた音量は、徐々にフェイドアウトして、ディーゼルエンジンの重々しい排気音の方が上回ってくる。
年式は相応に古く、ところどころさびも浮いている。そんな元々は観光バスだったのだろうか、一台のバスが施設の駐車場に横付けされる。車体にはでかでかと、「移動遊戯施設バス パーラーバス」と立派な筆致の文字が躍っている。
誘導を終えた施設長のチーフ……これもあだ名で、本名は川本正志……が、ドライバーに声をかける。
「お疲れさま。今日はどちらから?」
話しかけられていたのは、パーラーバスの運転手であり、オーナーの大野 保だった。すでにこの業界に携わって10年近くになる。
「はい。隣り町の特養、寄ってました」
「もしかして、『ひまわり』さん?」
「ハイハイ。そこです」
「今日は、設定の方は?」
「いつも通りですよ。あと5分したら、並んでいただいて結構です」
「わっかりましたぁ、入所者さんにもお知らせしてきまーす」
満面の笑みでチーフは駆け出していく。
「さってと……」
大野はいつもの開店ルーティーンを始めた。万一に備えて、タイヤには車止めを装着。車内に入ってからは、座席の拭き上げ・消毒、スロット機の設定確認、ハンドルの球の打ち出し具合……。
据え付けられた、十数台の遊技機を前に、彼は過ぎ去りし日々を思い返していた。
1.
1999年の7の月はあっさりと、何事もなく通り過ぎた。
「なんだよ、せっかく地球が終わるって思ってたのに……」
大予言を信じて疑わなかった大野は、それまでやっていた蓄財のほとんどをギャンブルや女遊びにつぎ込み、気が付けば、借金をしないと生活もままならないほどになっていた。
それでも、バブルの残り香の感じられる業界にいたこともあり、年収は500万を下らないほどだった。家族を持つことに幸せを感じていなかった大野は、独身貴族という地位をほしいままにしていた。
とある日曜日。一攫千金の見込める競馬に突っ込むことの多かった大野は、ビッグレースがなかったこともあり、場外馬券場近くのパチンコ店にフラッと入った。
時まさに爆裂CR機全盛期。確率変動突入確率1/3、以後二回ループという破格のスペックが、「突っ込んでも戻ってくる」といったオカルト層をも巻き込み、人気台は連日満席が続いていた。ひょっこり空いた一台に身をゆだねた大野だったが、数千円の投資でまずは初当たり。そこから単発を絡めながら大当たりの波がいつまでたっても終わらない。あっという間に彼の後ろにはドル箱が積まれまくる事態になっていく。たった数時間で気が付けば、4万発オーバー。途中で店員が「少し流させてもらっていいですか」と聞いているほどの大量獲得となった。
"なあんだ、ただハンドル動かすだけで10万ちょっとか、ちょろいな"
ギャンブル好きの大野にしてみれば、あれこれ推理しても当たらない競馬よりはよっぽど分がよかったと感じたのだろうか。それからしばらく、大野のパチンコ店通いが続く。勝ったり負けたりを積み重ねていくうちに、大勝したことばかりが脳裏に焼き付き、かなりの金額が店の養分になっていた。
「あ、これ、ヤバい」
はっと気が付いたのは、5万円投資したのに、一回も大当たりを引けなかった時だった。これが確率を相手にすると起こる現象の一つで、長い試行の間には、そういったはまりの時間帯というのは無視できない。でも、「やっても必ずしも儲からない」ということに気が付いた大野は、行く回数や投資金額を徐々に減らして、また別のギャンブルに入れ込むことになっていく。
2000年のとある日。
今日も「ノーマネーでフィニッシュ」の遊戯を終えて店を出た時のことだった。
「今日も負けちまったのかい」
年のころなら70台手前、身なりもややくたびれている感じの老人が大野に話しかけてきた。
「それが、何か?」
せめて勝って帰ろうとしているときに話しかけていれば邪険にも取り合わないのだが、少なからぬ額負けた大野にしてみれば、見ず知らずの老人にそんなことをいわれて"そうなんですよぉ"とフランクに話せるわけがない。
「いやいや、そう、目くじらを立てんでやってくれ」
片手で目の前をワイプしながら、その老人は言った。
「それで?その負けたオレに、爺さんはどんな用なんだい」
関わりたくなかったが、彼が自分に声をかけた理由も気になる。
「なあに。ちょっとしたアイディアをお前さんが買ってくれはしないかな、と思ったんでな」
「えぇ?」
思わず大野は噴出した。
「こう見えてわしには人を見る目がある。ただのサラリーマン、事務職ではないことぐらい、御見通しじゃ」
ほほぅ。スーツでもなく、普通にラフな格好で来ていた自分のことをそこまで見抜くとは。面白くなって彼は畳みかける。
「なら、オレがどのくらいの年収かも、ズバリ言い当てられそうだよな」
「フム。わしを試そう、というのじゃな」
顎に手を当てて老人は言う。
「まあ、細かい単位は別にして、500万と言ったところだろう。来店の度に数万円投資できるとなればこれくらいの所得がなければ難しいからの」
どうやら、大野の金の使い方から類推したようだが、実際その通りだったので驚愕する。
「ついでに、勤め先は東雲機械じゃろ?この間、カレンダーの入った袋に社名が記載されとったからの」
ズバズバと正解を突きつける老人。逆に自分を監視しているかのような老人に恐怖を感じ始めていた。
「ああもう、分かった分かった。降参だよ」
両手を大きく老人につき出して止めるように言う大野。
「それで? オレに売り込みたいことって、なんだよ」
「まあ、ここから先は、立ち話も何だ。そこいらへんで座って、じっくり語ろうじゃないか」
老人が顎で指示した先には、来客を今か今かと待ち構えている居酒屋があった。
「ハイ、2名様、ごあんなーい」
勇ましい大将の掛け声に、従業員一同の「いらっしゃいませー」が店内に響き渡る。店内は時間帯の早さもあって、パラパラと埋まっている状態だった。
「さてと。おぬしも、生でよかろう?」
有無を言わせぬ語りで、その老人は大野に向かって言う。
「あ、ああ……」
確かに一杯目はそれでいいのだが、さっきから自分のペースで物事が運んでいないことに大野は居心地の悪さを感じていた。
「それと、枝豆と、冷ややっこと……で、おぬしは何か頼むか?」
老人がフードオーダーを聞いてきた。
「じゃあ、俺は冷やしトマトで」
それに呼応して老人は、ニヤッとしながら、
「なかなか乙な注文じゃな、ほっほっほ」
本人にその気はなくても、大野には小ばかにされたような笑いだった。
「ハイよ、お待たせ。今日はその人がターゲットかい?爺さん」
大将が生ビール2杯をもってテーブルにやってくる。その言い草だと、常連で、売り込み話を何人かにしているようだった。
「まあまあ、そう言いなさんな。それではまるでワシが詐欺師みたいに思われるじゃないか」
苦笑している老人だが、いい当てられている表情も見て取れた。大野はますます警戒した。
「さてと、難しいことはとりあえず置いておいて、二人の出会いに乾杯じゃ」
ジョッキが合わさる。老人は、そこそこのピッチでビールを飲んでいる。
「ああ、忘れておった。自己紹介、しておらんかったな」
老人は袂から名刺入れを取り出し、大野に一枚手渡した。それを見た大野はびっくりする。
「え?ピースフル電子の、か、会長……」
名刺には「ピースフル電子 会長 江田島 孝介」と書かれている。
「ピ、ピースフルって、あの、大人気台「勝手にしやがれ」のメーカーさんで、いいんですよね?」
同名会社があるといけないので、大野は老人……江田島に確認する。
「ああ、そうじゃとも。わしの妻がジュリーの大ファンでな。これ一台でわしの会社もヒットメーカーの仲間入りもできたってところだよ」
当時、歌手とタイアップする遊技機は、イメージを大事にする事務所の方針もあってそれほど出ていなかった。いまでこそ、グループアイドルなどがモチーフになっても不思議ではない時代だが、先見の明がこの会社にはあったということだ。
「そ、その会長さんが、しがない私みたいなんかに、何の御用なんでしょうか……」
完全に役職で打ちのめされている大野は、平伏しつつ、丁寧語で話しかけるしかなかった。
「ああ、おぬしのことは、すでに調べが付いておる」
「へ?」
ああ、そうだ、俺も自己紹介……と言いかけた大野は機先を制されて拍子抜けする。
「ええっと……大野保さん、年齢33歳、東雲機械の製造部第3課所属、ほほう。課長補佐か。なかなかの出世頭じゃな」
またぞろ袂から取り出したファイルを目で追いながら、江田島は大野の個人ファイルを読み上げる。
「ど、どうしてそこまで……」
のどが渇く。丸裸にされているとわかって体温が上がったからだろう。慌てて、飲みかけのビールを飲み干す。
「まあ、わしの道楽に、お主に手伝ってもらいたくってな」
いまだに江田島が自分に白羽の矢を立てた理由がわからない。大野は思い切って、聞くことにした。
「それはいいんですが、どうして、ぼくなんですか?会長?」
自分のジョッキも空になったので、2杯を追加していた江田島は、大野の問いにすぐには答えなかった。
「え?もう本題に入りたいのかい?夜はこれからではないか。ゆっくりしようぞ」
満面の笑みをたたえる江田島だが、大野には不安しかなかった。
「ハイ、追加のビールおまち。あと、フードも持ってきたよ。枝豆に、冷ややっこに……ああ、冷やしトマトはお若い方の注文だね」
大将までグルになっているのか……いや、それだけ、この江田島という人の行動がパターン化しているから、そこから外れたものはすぐに別の人のオーダーだと気が付くだけのことだろう。
「話の続きですが……」
大野は2杯目に軽く口をつけてから、江田島に話しかける。
「なんで、この俺が抜擢されたのか、不思議でたまらん、というような表情じゃの」
江田島も、2杯目で口を濡らしつつ、そう答えた。
「そりゃそうでしょう。ついさっきまでほぼ初対面ですよ、僕たち」
大野は、はぐらかすような口調の江田島にイライラを募らせる。
「ではありていに申そう。おぬしの遊技機に対する熱情を感じたのじゃ」
大まじめに理由を述べた江田島に、大野は苦笑する。
「いやいや、熱情って。所詮機械相手に感情なんか生まれませんよ」
半ばあきれた口調で大野は言うのだが、その反論も御見通しだったのか、江田島は次の一手を繰り出す。
「機械相手に感情は湧き起らん……では、これはどうなんじゃ?」
大野の前に差し出されたのは、多分大勝ちしたことに対する感謝をお辞儀で示している大野の姿をとらえた画像だった。
「い、いゃ、これは……」
つい数週間前の出来事であるだけに、身に覚えのある大野としては、ぐうの音も出ないし、そこまで調査しているこの江田島という老人に脱帽するしかなかった。
「だから、お主が適任と思ったんじゃよ」
江田島の言葉に真意を測りかねる大野は、その言葉の意味を尋ねてみる。
「適任、って……」
グビッと、ビールを一飲みしてから大野はつぶやく。
「愛の無いものには、この仕事は任せられない。ただ好き、とか、儲かる、と言う直情的なものでは務まらんと思ったんじゃよ」
江田島は、一人うなづきながら自論を述べる。
「ですから、その仕事って、なんですか?会長が持っているパチンコ店でも経営してみろっていうんですか?」
メーカーが直営店を持っているのは、名古屋当たりでは常識だった。スカウトにしては少しおかしいと思いつつ大野は江田島に尋ねる。
「ウーム、近いんじゃが、お主、移動型パチンコ店をやってみたいとは思わんか?」
「え?」
この当時は4号機の全盛期であり、パチンコも小当たりや出玉なし当たりなどはなく、延々確変が続く2000発機が当たり前だった。令和の今は、完全に斜陽化しつつあるパチンコ業界が、客先に出向くという発想は、意外であり、ほとんどだれも実現していなかった。
「もちろん、換金とかはできないから、言ってみれば、ゲームセンターのパチンコが移動して巡回する、という流れだな」
江田島はそう説明するが……
「そんなっ! 儲からないものに時間もお金もかけられませんよ」
大野は一笑に付す。
「じゃが、これからの高齢化社会。打ちたくても金がない、動きたくても動けないパチンコ愛好家って続出すると思うんじゃ」
高齢者だけが店舗をにぎわしている状況は、大野も気が付いていた。この人たちの10年後、20年後は、どうなるんだろう……
「それに今はやりの老人ホーム……介護施設とか言うのかいな、遊び場ってほぼないことに気が付いたんじゃ」
江田島は、そう言った施設の視察もしているのか、意外と情報を持っている。
「だとしたら、バスでも何でもいいから、台を持って来て、そこで遊んでもらう、という発想はどうなのかな、と思ったんじゃ」
一つの営業形態としては面白いとは思うのだが、いろいろな面でデメリットもある。そもそも、こうした行為を"お上"が容認するか、どうか……大野は、江田島の熱意も感じながら思案していた。
「私にその移動店舗をやってもらいたいとはいっても、私自身にはお金もノウハウも、そもそも、大型バスを運転する免許もありませんよ」
大野は、断りたい想いもあって、できないことを羅列する。
「ふーん、ではできるようになったら、やってくれる、というわけかね?」
江田島のにやけ顔が、大野に突き刺さる。"あ、この人大抵のことは金で解決してきた人だ”。大野は相手を過小評価していた。
「ホレ」
目の前に分厚いものが入った封筒が差し出される。中身を改めるまでもない。最低200は入っている。大野は息を飲む。
「これで必要なものはたいてい手に入るじゃろう。免許も、当座の生活資金も。あとの段取りはこちらでやらせてもらうから、出来るようになったら、また連絡してくれたまえ。本契約はそれからじゃ」
江田島は、にっこりとほほ笑む。"金まで見せたんだから、お前も漢気、見せんかいっ!"という意思の裏返しだ。
大野は、これまでの人生を振り返っていた。何も成せていないサラリーマン生活、自堕落なギャンブル漬けの毎日。人を楽しませることに従事できるかもしれない期待感。
気が付けば、大野は封筒を握っていた。
「よ、よろしくお願いいたします!!」
大野は、一歩引きさがり、深々と土下座に近いおじきをした。
「まあまあ、そう堅くなりなさんな。どうせその中身の大半が借金に消えることも調べは付いとる。まずは、自分を律することから始めてはくれないだろうか……」
江田島にそう諭されて大野は少し顔が赤くなる。
「あ、は、はいっ」
子供みたいにはきはきと答えた大野に江田島は大笑しつつ、またビールを煽っていた。
2.
大野にしてみれば、いろいろ渡りに船な案件でもあった。
勤めていた会社が希望退職を募る、という話になって、大野は即断即決。本来の退職金の1.5倍を手にすることに成功する。
その金を利用して、中古で築年数が大きいながら、格安の値段で持ち家を購入。家賃という経費から脱却する。
退職後に大型免許の所得に邁進、3カ月たって、晴れて大型一種免許を所得した。
"この事業がうまくいかなくても、大型のトラックが転がせればそれなりには稼げるしな"
江田島の事業資金は、そういうわけで、それほど手を付けられないままに半年余りが経過した。
「どうじゃな、うまくいっておるかな?」
江田島と再会したのは、そんなある日だった。
「ハイ。免許も取れましたし、いつでも始められますよ」
ニコニコしながら大野は答える。
「そうか。それはよかった。わしは、同じような話を全国でしていて、第一弾がこの間、関西で動き出したんだが、知っておるか?」
「え?関西でも……」
大野は少しびっくりしたような表情を見せる。
「はいな」
彼の手から、業界紙のコピーが手渡された。
"移動型店舗、勇躍発進!換金無し ゲーム性重視"
記事には、大型バスを大きく改造して、「移動パチンコ」と大書きされた車体の写真が踊っていた。球貸しはすべてデジタル管理。追加投資は入場料以外に発生しないなど、パチンコ・スロットをゲームとして純粋に楽しみたい層にはうってつけ、と紹介されている。サービスとして、ソフトドリンクは飲み放題、という記述も目を引いた。
「2000円で1時間、以後30分500円。台が限られているので一人の遊戯時間3時間まで。出ても出なくても4000円で3時間遊べる、ということですね」
記事の中身を大野はかいつまんで読む。
「まあ、そういうことじゃ。大当たりしたい、演出が見たい、けど、4000円以上は使わなくて済む。儲からないけれど、これで十分、と思っている層には受けるじゃろうな」
江田島はそう解説する。
「お年寄りの大半は、この考え方の人が多いと思っているんじゃ」
「確かに、儲からなくても、蓄えはあるし、遊びは大事ですからね」
大野は、パチンコも大人の心の隙間を埋める一つの娯楽になっていることに理解をしていた。彼らの多くは、勝ちたいと思って来ていない。友人との語らいの場所程度と感じていてもおかしくない。だから、低料金でその場を作るのがいいのでは、と感じていた部分があるのだ。
「今のところ、介護施設からのオファーはないらしいので、これからじゃろうな」
江田島は、すでに関西の一号車が、日商15万円を突破していることを明らかにする。
「これって、朝から晩まで、じゃあないですよね?」
思っていたよりも大きい売り上げに大野は目を丸くした。
「ああ。朝は8時からじゃけど、夜は20時まで。12台/4回転で19.2万じゃから、場所代・経費差っ引いても、1日5万程度の黒字じゃよ」
へぇ―と大野は大きく嘆息する。
「でも、よく認可が通りましたよね」
大野は一番の勘所を尋ねる。
「実はそれほど苦労はしなかった。そもそも設置台は旧型機種。しかもアミューズメント改造を施された、ゲームセンター仕様の台だから、許可を取るだけでいいんじゃ。もっとも、バスの中身はゲーセンと同じだから、行く先々で許可を取らないと営業できない。関西も、規制が緩い兵庫と大阪でしか回れないのはそういうわけじゃ」
江田島がそう言う。
「今日からやりますってわけにはいかないですよね」
認可・許可でがんじがらめになっている日本の行政機構は何とかしなくては、と思いつつも、個人の力ではどうすることもできず、結局このしがらみに付いていくしか方法がないのだ。
「で、長々としゃべっておったが、その認可が、埼玉で下りてのぅ」
江田島はホッコリとした表情を見せる。
「じゃあ、華々しく関東1号店も出発ですか?
大野は待ちに待った営業ができる、と勢い込んだ。
「ああ。うちの会社の駐車場にバスが止まっておる。一度見には来んか?」
その提案に一も二もなく同意した大野は、江田島とともに駐車場に向かった。
「ハイ。これが関東一号車、わしの二番目のバスじゃよ」
紹介された先には、そこそこに年式の新しめのバスが鎮座していた。
「会長、一つ提案なのですが……」
大野は、横に立っている江田島に話しかけた。
「このバスに名前を付けたいのですが……」
「ほうほう、名前かぁ!確かに移動パチンコ、では味気ないからのぅ。で、どう付けたい?」
江田島の食いつきに、大野は腹案を述べる。
「パチンコ屋さんって、パーラーとか、ホールとかついてるじゃないですか。それでバスの愛称をパーラーバスにするのは、どうかと」
「なるほど。パーラーバスなら、ゴロもいいし、覚えやすいのぅ。塗装の方はこれからじゃから、これを担当に伝えることにするか」
江田島も、バスに名前がつくということで愛着がわいたのか、大野の提案に賛同した。
ニンマリしながら大野は、これから自分が運転することになるバスを目の前にして"いよいよはじまるのか……"と、意気込みを新たにしていた。
3.
バスの艤装が終わり、いよいよパーラーバスが稼働を始める当日。
大野は、バスの運転手兼店長として、出発式のあいさつに立とうとしていた。
「……それでは、今回、関東初の『パーラーバス』を管理・運営・運転なさいます、大野様より、お言葉を頂戴したいと思います」
女性の司会者が大野の登壇を促す。主賓席に座っていた大野が、壇上に進み出る。それなりの拍手が大野を迎えてくれた。
大野は、用意していた文面に目を落としながら、挨拶を行った。
「この度は、浅からぬ縁によりまして、江田島会長の御発案なさいました、移動パチンコ店の運営を一任いただくことになりました。誠に光栄であります。パチンコは遊ぶものでしかないと思っていた私に「遊んでいただく喜び」を伝える伝道師にならないか、といわれた時には荒唐無稽すぎるお考えだと一笑に付しておりました。しかし、店に向かう資金はあっても、足腰もたたず、老健施設に入ったままで刺激のない毎日を送らざるを得ない方々のせめてもの手慰みは必要ではないか、という会長の考えに大いに賛同しました。私が前職をなげうってまでこの業界に飛び込んだのは、ひとえに江田島会長のお力になりたい、という一心からでした」
大野は、ここで一息ついた。
「移動式であるがゆえに、市中のお店のように新台入れ替えを頻繁に行うことは容易ではありません。陳腐化するスピードは速く、魅力的に映らないかもしれません。しかし、ドアトゥードアで遊技台が向かって来てくれる、勝っても換金できないけれど、遊ぶことはできる。場合によっては、レトロ台を打つこともできる。こういったプラスの面を強調してこれから営業していきたいと思います。私たちの取り組みは、遊技機業界にも、介護業界にも、いい刺激になってくれるものと確信しております」
挨拶を終えて一礼する大野に、先ほどとほぼ同じ音量の拍手が投げかけられた。
「それでは、関東第一号のパーラーバス、出発でございますぅ。皆様、大きな拍手で送り出していただきましょう!」
出発式の最後。女性司会者の絶叫にも似た言葉が発せられ、拍手が沸き起こる。大野は、呼応するように、クラクションを鳴らして、バスを発進させた。
バスには、会長である江田島、社長の松永、メンテナンス担当の岸本、社長秘書の甲斐、そして、ヨツバ銀行の融資担当の大村が乗り合わせて、多店舗化への道筋などを社内でディスカッションしていた。とはいえ、関西の一号車は出足は良かったが、関東の二号車が当たらなければ、多店舗化など夢のまた夢だし、そもそも売り上げが上がるのか、どうか、はやってみるまでわからなかった。大野は、前のめりになっている銀行マンをはじめ、成功することしか頭にない彼らを、冷ややかに見ていた。
バスは、第一の目的地である、老健施設「ひまわり」に向けて快調に走っている。
「それで、根回しの方はできておるんじゃろうな?」
江田島が信号待ちのさなかに、大野に話しかけてくる。
「ええ。パチンカーが多い老健のうちの一つが、ここだったんで」
大野は、埼玉県内の、ありとあらゆる介護施設や老健施設に、営業オファーを出していた。パチンコ屋さんが向こうからやってくる、ということに興味を示したのは、寒村地区に立っている老健や娯楽施設に投資できていない中小の施設だったりした。そのうちの一つが、「ひまわり」だった。
「あの、村井さん、でしたか。すごかったですもんね」
大野は、数週間前の打ち合わせの様子を述懐する。決まっていた台の選定にまで自分の意見を取り入れさせようとしたくらいの、よく言えば熱血漢、悪く言えばただのわがままな男である。
「まあ、あの意見がなかったら、独善的になっておったかもしれん。いろいろ世話になった御仁じゃからな」
江田島のいった、村井の提案したこととは、台を横並びではなく、独立的に並べる方が没頭できるというものだった。一号車は、バラエティコーナーよろしく、真ん中の通路を挟んで台を並べる手法だった。設置台数は少なくなったが、出来上がった車内は、意外なほど落ち着いてみられた。
「後はお客さんの反応次第ですね」
大野はそう付け加えた。
そうこうするうちに、「老人保健施設 ひまわり」に誘うロードサイド看板が頻繁に見かけられるようになっていく。バスは、最後の交差点を大きく左折して、細い路地をやや吹かしながら登って行った。
「あ、見えてきましたよ」
大野がひまわりへの到着近しを告げる。しかし、すでに沿道には、"歓迎 パーラーバス" "ようこそ ひまわりへ"といった横断幕がそこかしこに設置されていて、優勝パレードでも始まるのでは、といった歓迎ぶりが展開されていた。
「なんなんですか、この異様な歓迎ぶりは?」
車窓に展開している狂気にヨツバ銀行の大村が反応する。
「ハハーン、さては村井さんだな」
江田島は心当たりがあるといわんばかりに仕掛人を予想して見せた。
「彼なら、やりかねませんよ」
大野も、会長のつぶやきに呼応する。
「ここまで期待するってよっぽどですよね」
社長の松永が村井の心境を慮って言う。
「すごいしか、言葉が見当たりません……」
秘書の甲斐も想像を上回る光景に言葉を失っていた。
開け放たれた門をくぐって、バスは、中庭にザッと乗り入れた。しかし、そこにも入所者と思しき30人余りが大挙してバスを出迎えるべく、ポンポンや鈴、手持ちの太鼓などを鳴らしながら、バスの到着を祝っていた。施設が呼んだのだろうか、映像を撮っているクルーも数人見受けられた。
プシュー。
エアブレーキの排気音も高らかに、パーラーバスは、「ひまわり」に到着した。わぁーーッという歓声が上がる。老人たちであるはずなのに、その音量は度肝を抜くほどのものだった。
バスから、全員が下車する。まずは、会長の江田島、それから社長の松永、メンテナンスの岸本、ヨツバ銀行の大村、秘書の甲斐。大野は最後に下車した。
一列に並んだバスの乗員に、さらなる歓声が浴びせられる。それを制して、江田島が、肉声で語り始めた。
「本当にすごい歓迎をしていただき、私もこのパーラーバスを作ってよかったと今ひしひしと感じております。これまで、店に機械を売ることだけを考えて事業をしてきた私が、顧客のもとに台をお届けするという基本に立ち返った結果がこのパーラーバスです。本日は全機全台大解放で皆様をおもてなししたいと思っております」
また、わぁーッという歓声が上がる。会長の弁に村井が答える。
「ここの施設長をしております、村井です。本日は、パーラーバスの初巡回先に当施設を選んでいただき、光栄です。御覧の通り、健康だけれども、足腰が立たなかったり、遠出ができない方たちばかりです。勢い、好きなパチンコと疎遠になっている方たちも大勢います。その方たちに遊ぶ機会を与えてくださった、江田島会長に大野さんには感謝してもしきれません。本日はありがとうございました」
拍手喝さいがあたりを覆いつくす。大野は、少しだけ感動していた。
「では、さっそくパーラーバス、開店と行くか。大野クン、準備はできておるかな?」
ウルッと来ていた大野は、すぐさま現実に引き戻される。
「あ、は、はい、只今ッ」
4.
関東のパーラーバス二号車は、開業初日、3か所の老健施設を回った。最初に訪れた「ひまわり」を含めて、初日に向かった施設からは一切お金を取らなかった。ただ、パチンコもスロットも、メダル・パチンコ玉レス仕様になっている。ジャラジャラと下皿に出玉が出てくる店舗スタイルと大きく違うことから、せっかく大当たりしても雰囲気が出ない、といったお小言はあったものの、当時絶大な人気を誇っていた他社シリーズ物を導入していたこともあり、おおむね好意的に受け入れてもらえた。
夜も更けてきたころ、パーラーバスは、ピースフル電子の本社に向けて軽やかに走行していた。
「いやあ、初日としては大成功の部類じゃないですか?」
ヨツバ銀行の大村が、ほくほく顔で語り始めた。
「わしなりには手ごたえはあったと思っておるが、そち達はどう思うね?」
江田島が、ほかの同乗メンバーにも意見を聞く。
「うちの機種がメインになってしまうといった、ラインアップが固定化してしまうのはどうにかしないとですね」
社長の松永はこう意見を出す。
「同業他社の動向にも注意しておかないといけないかもですね」
メンテナンスの岸本の意見も周囲をうなづかせた。
「ウム。確かに。新台のプロモーションにバスを使うといったことは十分に考えられるからのぅ」
江田島は岸本の意見にすこし寄り添った発言をする。
「わたくしは、今のところは……」
といっていた甲斐だったが、
「ふーん。機種別料金採用したらって、言ってくれてもいいんだよ」
と社長の松永に背中を押される。
「あ、イエ、私のようなものが、出しゃばっては……」
と謙遜する甲斐。
「それも大事じゃよ。一律営業は旧台で普通に人気していた台を揃えたから。新台を設置して触ってもらうきっかけにするのも悪くはないと思うがの」
江田島のフォローも聞くものを大いに納得させていた。
バスが進む小一時間の間に、様々な意見やアイディアが出てきていた。そしてバスはピースフル電子の本社前に到着した。
「これから忙しくなりますよ、会長!」
ヨツバ銀行の大村は、バスを降りてからでもあふれんばかりの笑みを隠し切れずにいた。
「まあまあ、そう血気にはやりなさんな。2台がどういう経緯をたどるのか、私もしばらく観察させてもらうよ」
新規事業に融資したい大村の思惑を悟って、江田島は距離を置く発言をする。
「それがいいですよ、会長。私たちは、台のラインアップや増収できる仕掛けを考えておきますから」
社長の松永は、よりよくしたい方向性を模索しようとしていた。
一行がワイワイやっているさなかに、会長と社長の専用車がどこからともなくやってきて、彼らを乗せてそこから立ち去った。ヨツバ銀行の大村は会長の車に乗り込んだ。おそらく一献酌み交わすつもりだろう。
「僕たち、二人だけになっちゃいましたね」
岸本が、大野に話しかける。
「このでかい図体のバス、どこに格納するのか、聞きたかったのに……」
大野は、どこに駐車すべきか、誰にも聞いていなかったのだ。
「あ、それでしたら、うちの工場ですよ。埼玉の飯能市ですけど」
岸本がこともなげに言う。
「ええ?また埼玉に逆戻り?しかも飯能まで毎日通わないといけないの?」
仕事自体はそこまで激務ではないけれど、通勤に大きく時間を削がれることに少し不安になっていた。
それでも、開業したことの喜びがまだ上回っていた大野にとって、今はとるに足らない出来事か、と思い直して、またエンジンをスタートさせて、元来た道を走りだした。
第一回目、いかがだったでしょうか?
メーカーの会長が、販路を拡大すべく移動式パチンコ店を走らせる、というものではなく、単なる道楽の一環で始めた体にしていることもあり、まだそれほど物語が動くところまでは描き切れませんでした。
次あたりで登場人物も増やしつつ、物語にしていきたいと考えていますが、この作品もクロージングで大きく悩みそうです……
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