黒田と星間と景部市と
「アイうた」SS第二弾です。
当方の解析系二次には必ず登場するジャーナリスト・黒田の活躍ぶりをご堪能ください。
2021年の「もっと評価されていいアニメーション映画」の筆頭に位置している「アイの歌声を聴かせて」。この作品の魅力の大半を背負っているのは、ズバリ、芦森紫音=シオンの奔放な性格によるところが大きいのです。
とはいえ、なにも知らない星間の社員が、劇中で放たれたあるものの発生した仔細をジャーナリストに調査をお願いしたら、どういう化学反応が起こるのか?
黒田の出した結論は、果たして……?
2021.12.18 構想からスタート。2000字。
2022.1.15 依頼が黒田に舞い込む。4000字弱。
2022.2.8 依頼主の正体、そこから本体に突撃。一万字弱。
2022.2.9 悟美と会い、十真にも遭遇。1.2万字
2022.2.13 核心に入る。1.7万字
2022.4.3 美津子との文通は一回だけ。クロージングに入る。2.2万字。
2022.4.4 第1版完成。23680字。
2024.5.24 ダイアログを大幅加筆。第2版完成。24150字。
1.
2031年。
生涯現役を貫いているジャーナリストの黒田も、年を経るにしたがって、貫禄や風格というものが備わってきていた。
調査報道を主戦場にしている黒田にとって、糸守隕石落下事故の顛末、降りやまない雨に襲われた日本の異常気象の実体をあからさまに描いたルポルタージュ物は、どれも高評価をもらい、2020年代前半から、仕事の依頼は引きも切らなくなっていく。
年齢を重ねても、彼の地道な取材姿勢は変わっていなかったが、一方で世の中のハイテク化は、加速度的に進んでいった。
デジタル庁の設置から、日本国中に高速度インターネット網が整備。ネットと家電を結ぶことにいち早く目をつけた、星間エレクトロニクス社が進化著しいAIを組み込んだ家電を矢継ぎ早に発売。理解し、学習する能力の高さで世界中の家電が星間製に取って代わるほどの急成長をやってのける。
これまでの日本の家電メーカーをほぼ駆逐した星間は、日本独自のAI規格を世界にも普及させることに成功。特許料という権利収入が、より星間を財務的にも大きくしていった。気が付けば、AI分野で独占状態。欧米のみならず、世界中のメーカーが、星間の本社に分単位で押し掛けるほどの実力を兼ね備えた一大コンツェルンを構築していた。
その星間の支社が置かれている、景部市のパラボラアンテナから、一筋の光が上空に放たれる、という情報提供が黒田にもたらされたのは、7月に入ったころだった。
「当時の状況を、詳しく教えてもらえませんか?」
黒田は、画面越しに会話している男性……景部市在住の、年のころなら40代前半か……が、黒田の求めに応え始めた。
「あれは……6月の中頃でしたか。ちょっと蒸し暑かったんで、日付が変わるか、変わらないかのころに、二階の軒先に出て、一服付けてたんですよ」
男性は、当時を思い出そうとしているのか、やや上目遣いな表情を見せている。
「星間の景部支社って、ツインタワーなんですけど、それが突然、満艦飾に彩られたんです」
「まんかんしょく?」
即座に漢字を思い浮かべられなかった黒田は、聞きなおす。
「あ、ま、まあ、要するに、真っ暗闇に突然、色とりどりの照明が付いたんです。支社のビルのみならず、付帯施設も、周りにあるダリウス風車さえも」
漢字を説明するよりも、状況を説明した方が、と男性は考えたのだろう。黒田の問いにこう返した。
「風車まで、とはねえ。で、それから?」
面白そうに感じた黒田は、さらに聞く。
「そんな状態が10分ほど続きましたか。そしたら、今度は、衛星通信に使うアンテナから、一本の凄い光が放出されたんです。それと同時に周りの照明は消え失せて、今度は真っ暗闇になってしまったんです」
男性はそう言うと、手元にあるマグカップに入れてあった飲み物に手をつける。一息入れて男性は続けた。
「最初、夢か何か、と思っていたんですが、同じ現象を仕事仲間も見ていまして……。ええ、農家やっているんで、結構横のつながりとかあるんですよ」
相手は農家のようだ。
「星間から何か発表はあったんですか?」
黒田は、景部市で起きた、不可解な現象のネット記事をスマフォで探してみながら、PCの画面上の男性に聞く。
「私含めて何人かが問い合わせはしたんですが、『照明施設・システムのトラブル』『アンテナから光は放出されていない』で、大した説明をしてくれなかったんですよ」
なぜか困ったような表情の男性。
「ふふーん、何か隠している、とこう思われるわけですか?」
黒田は、男性が何を自分に求めているのか、を察してこういった。
「いや、確かに、あの日以来、そんな現象は一度も起こってませんし、会社の発表を信じていいとは思いますけど、じゃあ、あの日見た一筋の光は、幻だったのか、どうなのか、を知りたいんですよ」
男性の望みは、なぜか切実だった。自分の会社のことならわからないでもないけど、農家である、部外者が知りたくなる理由ってなんだろう?黒田は、彼が自分を頼ってきていることにも疑問を持っていたのだが、ワンクッションおこうとして、こういう。
「うーん。星間が隠しているのが何か、ということがわかれば、光の謎にも到達できそうですけどね……」
黒田は、すでに転がっているネット記事をブラウジングしながらそう答える。大手の週刊誌、テレビニュース番組のアーカイブ、地元新聞の記事。いずれも事実は伝えているものの、"真実"には到達していない筆致だった。
「ただねえ。これ企業案件だし、暗部・恥部にアクセスしようとすると、私の身にも危険が及ぶかも、なんですが、これについては?」
急成長した星間ゆえに、恨みに思う人たちの攻撃をたやすくブロックできるだけの防御は万全である。敵対勢力を実力行使で排除することなど朝飯前。ジャーナリストなど、一瞬で塵芥のごとく吹き飛ばされてしまうだろう。
「うーん。やっぱりそうなりますよね……」
男性は今回も駄目か、と通話を打ち切ろうとする。
「いや、やらない、とは言ってませんよ」
黒田の言葉に、男性の顔色は驚きで紅潮している。
「ど、どういうことですか?」
ややにんまりとしながら黒田は言う。
「単純なことですよ。あなたがスポンサーになってくれればいい」
あっさりといった黒田に、
「え?わ、私が、お、お金を?」
男性は意外な提案に目を丸くする。
「例えば、私があるネタを追いかける途上で、企業さんが買ってくれるような特大のスキャンダルなら、自分でやって自分で稼ぎます。でも、今回の案件は、隠している内容があるとしても、報道関係に公表していることから、そこまで重篤なものではないと推察しています」
黒田は、相手を説得し始める。
「取材をするにしても、そんな内容だったのか、とがっかりする。要は割に合わないと踏んでます。ですので、先に取材費をお支払いいただきたい、というのが私の考えです。取材した内容は、週刊誌に送って掲載の可否を聞きます。掲載されれば原稿料をもらえるので、いただいた取材費は、ネタ提供代金として全額お返しして、情報提供料として、別途お支払いしますよ」
黒田は、男性に条件を伝える。金額面などの詳細はひとまず後回しにした。
「あ、それなら私の懐は痛まない、と」
男性はいったん金銭が出ていっても、帰ってくる可能性に安堵する。
「ただ、掲載に至らない、と判断されたら、原稿料がもらえないので、取材費はお返しできないこともご理解ください」
黒田は、取材する前から、筋の悪さを感じ取っていた。掲載に至る確率はシブロクがいいところ、と思っていた。
「取材費が必要なことはわかりましたが……最初っからタダで、というわけには……」
男性は、ここまで説明されても、初期費用の拠出に難色を示した。
「あ、お金をだせないのなら、その条件でやってくれる方をお探しください。私とて、霞食って生きているわけではないので……」
それじゃ、と黒田は、通話アプリの終了ボタンを押そうとした刹那、
「わ、わかりました。取材費、お渡しします。お、おいくら御入用ですか?」
男性は、根負けしたように黒田に頭を下げた。
黒田は、別の端末でいろいろと検索をしながら男性に金額を提示する。
「そうですね。景部市での取材は4日くらいを予定してますので、一日5000円として2万円。交通費は……一応最安値の8500円の往復で17000円。多く見積もっても5万円あれば足ります」
羽田‐景部空港の価格は、格安航空会社の独壇場になっているからこその値段設定だ。大手キャリアなら2万円はくだらないだろう。
「そ、それならご用意できそうです」
男性はおそらく桁を一つ多めに予想していたのだろう。安堵の表情を見せる。
「でもこれには条件がありまして……」
「なんでしょう?」
半ば決まったからなのか、かなりテンションの高い男性。
「宿泊費が含まれていないことです。ホテルが追加されれば10万円は確実に超えてしまいます」
ちょっと丁寧に黒田は言う。
「そうなんですね……それを回避するには?」
男性は、先に聞いた5万円以上は出すつもりがないのか、いかに安くできるかに没頭しているかのようだった。
「なんてことはないですよ。あなたのご自宅の一室をお借りできれば、宿泊費は必要ないってことです」
黒田としても、本当は宿で執筆なりをしたかったところはあるのだが、経費を男性に負担してもらう以上、無用な出費は避けたかった。
「ああ、なるほど……それならば、大丈夫です。部屋はたくさんあるので、好きに使ってもらっていいですよ」
男性は、ほっとした表情を浮かべている。
「お食事も用意しますし、取材の過程も随時お話しいただければ……」
男性は今までの重い口調が嘘のように、軽やかに話し出した。
「まあ、あと詳しいことは、メールで詰めましょう。契約ごとはきっちりしておきませんと、後で面倒なことになりますからね」
黒田はそう言って、相手の連絡先を聞いて、通話アプリを落とす。
この男性……ナカノと名乗っていた…...のタレこみは、一体、何を意味しているのだろう?
黒田は、契約書類や相手の承諾書など、いつもの書類一式を整えながら、思いを巡らせていた。
いまをときめく、なんてレベルをとっくに超越し、もはや「日本が星間か、星間が日本か」なレベルにまで浸透している星間グループ。その会社の一醜聞が、表ざたになることはほとんどない。
もし星間のスキャンダルを暴露すれば、日本中を敵に回すことにつながり、リークしたものには、何十倍の鉄槌という名の書き込みが渦巻き、身分や住所を特定され、社会生活もままならなくなる代償を払わなければならないからだ。
仮に重大事件なら、自分がパンドラの箱を開けてしまうことにもつながるわけだし、身の安全は保障されない。もし軽微なものなら、発表してもおかしくないわけで、目撃者がいるのに知らん顔を決め込むのは、そこに具合の悪い何かが潜んでいるとしか思えない。
黒田は、一応相手と会う約束こそ取りつけたが、この取材には、星間の従業員の証言は絶対必要。事の真相に迫るキーパーソンが誰かもわからないままで取材を始めようとしていることに少し戦慄する。
"うまく、行くかな……"
不安が不安を呼び、黒田の心の中は、千々に乱れていた。
2.
7月某日。格安航空会社シルバー航空の羽田―景部定期便は、景部空港で定刻より3分遅れてドアオープンした。乗客85人の大半は、星間エレクトロニクス社の社員。スーツ姿のビジネスマンだらけの機内で、一人、さほど衣装に頓着しないで搭乗していた黒田は、恥ずかしそうに、最後尾で機内から降りてきた。
景部空港に降り立った黒田は目を丸くする。
スマートシティーさながらの様々なAI機器が至るところで業務に邁進している。清掃用ロボット、荷物運搬用のカートを操縦するものは目に付くが、空港カウンターの中でも、これまでのX線透過型の機器ではなく、ロボットが逐一手荷物をスキャンするスタイルに統一されている。
館内にはデジタルサイネージがすべての柱に配置され、館内案内に人が介在する余地は全くなくなっていた。同時に異常や非常事態をすぐさま感知できる、次世代型の監視カメラは、ここ景部空港で実証実験中だった。
黒田は、デジタル機器のあふれぶりに辟易しながら、空港のロビーで、待ち合わせている男性を待った。
ほぼ時間通りに、それらしい人影が黒田の方向に向かってくる。だが、様子が少しおかしい。
「あ、黒田さーん」
声自体にも聞き覚えがない。しかも小声だ。お目当ての男性ではないとすぐさま分かった。
「ええっと、どちらさんですか?」
黒田は声の主の方に向かって歩いていく。
「あ、私、タムラと申します。ナカノとはともだちでして……」
目深にかぶった農機具メ―カーのロゴの入ったキャップで、農家なのだろうとは察しが付くが、なぜ当の本人がやってきてないのか、気になって仕方ない。黒田は、タムラにストレートにぶつける。
「あのぅ、ナカノさんは……」
「し、仔細は後ほど。とりあえず、空港から出ましょう」
何かにおびえているようなタムラの言動に黒田はますます疑念を深めていく。
ターミナルビルの前には駐車場がある。そこでナカノに会えるのか、と思いきや、タムラはそこからさらに歩を進めて、空港そばの道路に停車している車両に歩み寄る。
黒塗りのセダン。Hoshimaのロゴも輝かしい星間モーター製。農家ならお決まりの軽トラックでお出迎え、かと思っていた黒田は、少し嫌な予感に見舞われる。
「あ、これは黒田さん。お久しぶりです」
後部座席の窓が、モーター音をさせながら降りてくる。そこにナカノは座っていたのだが、その風貌は、明らかに農家のそれではない。仕立てられたと思しきスーツは、生地の反射から相当高いものだと一目でわかるし、ネクタイも確実にブランド物だ。なにより、画面越しに打ち合わせしたときの素朴な感じがどこにも感じられない。
「これは、一杯食わされましたね」
黒田は、いやな予感が的中してしまったとばかりに、含み笑いを浮かべる。
「まあこうでもしないと、星間の闇には、到達できませんからね」
ナカノの言葉に、黒田は、乗り掛かった舟、とばかりに、後部座席の人となる。
バタン!
扉が閉まるや否や、タムラの運転で車は発進する。
「申し遅れました。私、こういうものです」
ナカノが名刺を取り出して黒田に渡す。
「星間セキュリティーシステム 管理部部長 中野 敬一郎」
黒田は、書かれてある文字を音読する。そしてもう一度中野の顔をまじまじと見つめた。
部長というには明らかに若い。実力主義を貫く星間らしい人選をすぐさま黒田は感じ取る。
「ここまでして、私に近づいた、本当の目的を知りたいもんですな」
黒田は、不機嫌な感情を隠さずに中野に問いかける。
中野は黒田の情緒を感じ取って、雰囲気を変えようとする。
「いやいや、そんな。私たちはただ、調査をしてもらいたいだけですよぉ」
甘ったるく迫る中野に、黒田は苛立ちながら語気を荒げる。
「調査が本業のあなたたちよりも、本質をついた調査が私にできるとでも?」
今走っている車を止めて、そこから踵を返して東京に戻るつもりですらいた黒田は、正論で中野に迫る。
黒田の正鵠を射た”攻撃”に、中野は防戦一方だった。
「最初から、身分を明かしていれば、お受けしていただけないと……」
「そんなもん、当たり前でしょうが!」
黒田は、中野の言い訳に噴火寸前にまで感情を高ぶらせた。それでも、頼ってきたのには理由があるのではないか?黒田は少し落ち着かせて中野に問いかけた。
「さっきも言ったけど、部内者であり、情報も取りやすい君たちで、なんで調査しようとしないんだい?僕がそんな簡単に星間の内情を知れる方策でもあるってことなのかい?」
中野に聞いたつもりだった黒田に、
「ぼくたちが手をこまねいていたわけではありません」
タムラが話に入ってくる。
「あ、彼は、私の直属の部下の田村君です」
中野がドライバーの名前を言う。
「田村雄太と言います。名刺は今お渡しできなくて、すみません」
ハンドルを握り前を向いた姿勢のまま、田村は自己紹介する。
「いや、今はそれはどうでもいいんだよ」
黒田はさらにいらだちを強める。
「この俺が何ができるって言うんだよ?」
改めて黒田は中野に聞く。
「黒田さん」
中野が黒田をみつめている。
「黒田さんの力添えがあれば、この問題は解決するんです。それがかなえば、あなたの思う金額をお支払いしますよ」
今までそうしてきたように、金さえ払えば何とかなる。中野の本心が垣間見えた黒田は、
「金の話なんか、今するべきことじゃないだろ!」
と、さらにヒートアップする。混迷の度を深めている心情がそうさせているのだろう。
「まず、君たちが解決したいことってなんなんだよ?最初っから話しをしてくれないと、解ける謎も解けないよ」
最初の中野の話しか念頭にない黒田にとって、彼らが何に悩み、自分を必要としているのかを知らないと、何も生まれないと感じたのだ。
「最初にお話ししたことは事実だし、突き止めたいことも同じです」
中野はそう言う。
「いや、あの時は、君たち……田村さんは居なかったから、中野さんの問題だと思うから協力するよって言ったわけであって、星間の関係者だって知ってたら、手は出してないよ」
落ち着き始めていた黒田は、理詰めで中野に問いかける。
「それは、そうでしょうね。自分たちの問題なんですものね」
黒田の指摘はその通りだった。中野はうなづくしかなかった。
「それなのに俺が必要って意味が理解できないんだよ。プログラムのプも解読できない、こんな最先端技術が全く似合わないおっちゃんに、何が調べられるって言うの?」
黒田の問いに、
「それは逆なんです、黒田さん」
中野は、少し力強く言い放つ。
「確かに景部市は今や電子スマートシティーです。政府の認可を受けている、数少ない実証実験都市でもある。だから、アナログな手法でしかつかめない真実がある、と思っているんです」
黒田が必要な理由を、中野は述べ始める。
「え?アナログ人間の俺でないとできないことって?」
まだ自分なりの答えが見いだせないでいる黒田は、中野に次の句を語らせる。
「要は関係者への取材です。私たち、星間セキュリティーサービス……HSSが表立って動いてしまうと、都合の悪いことが多々出てくるのです」
「……なるほど」
黒田は少しだけ理解した。車は、市街地を抜け、閑散とした田園地帯を走り抜けていく。
「私たちがつかんでいる証拠はこれだけなんです。ほかはロックがかかっていたり、消失したりしてわからないことだらけなんです」
黒田は、中野から、監視カメラの静止画を見せられる。そこにあったのは、星間の支社のツインタワーの連絡通路でうずくまっている二人の女性の画像だった。
「この人は?部内者じゃなさそうだけど……」
明らかに制服姿の女子に、黒田は早速中野に聞く。
「ええ。私が話した、支社ビルが色とりどりの照明に彩られる直前に録られたもので、彼女は、景部高校の女子高生です」
中野が解説する。
「女子高生、ね……。名前は?」
大事な情報だけに、黒田はその名前を聞き逃すまいとする。
「天野悟美さん、です」
淡々と中野は説明する。
「で、この抱きかかえられている、というか、守られているような女性は?彼女も高校生ですか?」
黒田は意外なところから核心に迫っていく。
「そ、それが……」
中野の口調が急に歯切れ悪くなる。
「探してほしい、というか、彼女の正体を突き止めてほしいんです」
少し苦し紛れに、中野は言う。
「ほほう。最初に話してくれたことと、だいぶ話が変わってきているじゃないのよ」
にんまりと黒田は微笑む。むしろ難易度が上がったことに気が付いて気合が入った証拠でもある。
「もし、彼女が、あの一筋の光を放つ要因だったとしたら、それがあなたたちの欲しい情報、ということでいいのかな?」
黒田は中野たちの依頼をそう総括した。
「概ねその通りです。あと、資料もお渡ししますので、読んでいただいて調査を進めてください。あ、今向かっているのは、私の家、ではなくて、宿ですので」
中野が言ったタイミングで、車は、宿の玄関先に到着していた。
「最後に一つだけ尋ねたいんだけど……」
車から降りた黒田が中野に問う。
「僕が受けていなかったら、この依頼、どうなってたの?」
中野は少し間をあけつつも、
「別の誰かが依頼を受けているだけだと思いますよ。あ、須賀さんは忙しいからっていうことで断られました」
と、ありのままを答えた。
"ははーん、須賀の野郎、自分に不向きだからって俺に仕事回しやがったな……"
よもや、須賀の名前が出てくるとは思わなかった黒田だが、ここまで来た以上、後には引きづらかった。
3.
「いらっしゃいませ」
時刻は4時過ぎ。黒田を歓迎する宿の従業員の声がこだまする。
このスマートシティーにも、和風旅館というものは存在する。空襲にもあっていないからだろうか、建てた当時の趣が伝わってくる。
「今日はどちらから?」
荷物を持ってくれている仲居が聞いてくる。
「東京です。雑誌の取材で……」
黒田はぼかしつつ答える。
「まあ、そうですか、あなたも、謎の光の関係で?」
仲居の言葉に黒田は素早く反応する。
「あなたもって、そんな取材班がいくつも?」
「ええ。6月中は、めったに埋まらないここが、満室ばかりでしたからね」
誇らしげに仲居は言う。
「あの、もしよろしかったら、過去の週刊誌とか、新聞とか、残っていませんか?」
黒田は、仲居にそう尋ねた。一度WEBではブラウジングしたけれど、現地のメディアがどう伝えているのかを実際の成果物で感じ取りたかった。
「そうですねぇ。うちの旅館が載っている雑誌は何個か残してますけど、ほとんど処分しちゃいましたね」
仲居の答えは、やや黒田を失望させる。
「それでも構わないんで、お願いできますか?」
そう仲居に頼んだ黒田は、部屋に入るとまず、中野に手渡された資料を読み始める。
だが、その資料は、中野が説明した以上のことはかかれていなかった。ただ、画像が撮られた日付と時刻は、画像から拾えた。6月14日23時40分ころ。
「おや?」
違和感を覚えた黒田は、システム手帳を取り出す。6月14日は土曜日だ。しかも、深夜。高校生が、仮に関係者だったとしても、社内に居る時間帯ではない。
「ハイ、お待たせしましたよっと」
仲居さんは、黒田が思っているより、大量の週刊誌、雑誌、新聞の切り抜きを持って来てくれた。ドサッという擬音が聞こえるほどだ。
「こんなものでよろしいか?」
腰をトントンと叩きながら仲居さんは言う。
「ええ。十分ですよ。ありがとう」
めったに使うことのなくなった千円紙幣を仲居さんに握らせて、黒田は労をねぎらった。
「さ、て、と……どこから始めますかな?」
資料はある程度揃った。黒田は、一つ一つの資料を丹念に読みこみ始めた。
黒田は、中野のいっていた光の正体は、そもそもなんなのか、を調べるつもりで現地まで乗り込んできたのだったが、資料であるほかの雑誌や新聞の結論や推論は、子どもが考えてもたどり着かないような突飛なものばかりだった。
「この記者の見立ては、大量のデータ通信が一気になされて、その時の電子的な粒子が光って見える、なんて書いてあるけど……そんなこと、あるわけないだろうよ」
黒田はほくそ笑みながら、とんちんかんな解釈をしている週刊誌を放り投げる。
「光の放出と同時に潮が引くように支社の電気はすべて消えてしまったのが本当なら、支社の光が一本に集約されて放出されたと見るのが正しかろう。でも、パラボラにそんな機能はない。データ通信用だから、光を発していること自体がおかしいんだけど……」
ほかの記者の見立ても解釈も、取材をしたのが支社の関係者ではなく、住人とか関係の薄い人にしか話を聞けていないせいで、踏み込みの甘さが目についた。結論は書かずに「……だろうか?」とかでお茶を濁している記事ばかりで、黒田は読みながらイライラのしどうしだった。
「まったく……これだから、ジャーナリズムは死んだ、とか言われるんだよ」
どれ一つ、まともな情報源はない雑誌や新聞。唯一のよりどころが、部内で撮られた、リーク情報の写真一枚だけ。
「あまの、さとみ……」
彼女にフォーカスしているメディアは一つも存在していない。
"もしかすると、これはスクープが取れるのかも!"
黒田は、中野のもたらした、わずかな情報が宝の山に思えてきた。
4.
黒田が景部市に入って二日目。
黒田は、ダメもとで、朝食の膳を下げに来た、昨日の仲居とは別の仲居に、
「つかぬことをお伺いしますけど……」
と、聞いてみる。
「ハイ、なんでしょう?」
昨日よりは若干若い、30代の仲居は、黒田の質問を聞く姿勢になった。
「この街に天野さんっておうち、どのくらいあるか知りませんか?」
たくさん天野姓の家族があるだろう、という想定で発した質問だったが、仲居の答えは至ってシンプルだった。
「天野さんって、天野博士のお家を探しておいでですか?」
「は、博士……」
黒田の頭の中には、白衣を着た、教授然としたイメージが湧き上がる。
「あれ?ジャーナリストさんならご存知だと思ったんですが……」
苦笑している仲居に黒田は苦虫をつぶしたような表情を見せる。
「そもそもその、天野さんってどんなことをされている人なんですか?」
聞くは一時の恥、と思って黒田は仲居に聞く。
「AI分野でおそらく世界で5本の指に入る天才科学者ですよ。人間に近い言語処理能力を持ったロボットや受け答えのできる自動受付システムなんかで特許や国際的な賞をいくつもお持ちですよ」
仲居が詳細に説明してくれたが、
「ふーん」
ITやAIに無縁の黒田にとっては、その偉業も興味を勃興させるまでには至らない。
仲居の話では、他に天野家はないらしいので、探している悟美に一番近い博士には会えそうだ。
「自宅の住所とか、知りませんか?」
これもダメもとで聞いてみる。
「星間のセキュリティー部門に正式なアポイントとか取らないと逢えない、特別な存在ですからね。そう簡単には会えませんよ」
「えっ、そんな人なんですか、天野博士って……」
天野悟美から、そんな人に到達するとは思ってもいなかった黒田だが、セキュリティー部門にアポ、という会話で、即座に中野の顔が思い浮かぶ。
黒田は、その仲居にそれなりの礼を言いつつ、チップをはずむと、早速出かける準備に取り掛かる。
電話をすると、10分後には、中野が自分で運転して宿までやってきた。
「おお、早速、天野悟美さんに、取り調べですか……」
開口一番、中野は黒田にそう話しかける。
「え? 彼女、犯罪者じゃないでしょ?それに彼女に話を聞かないと、何も進まないって思っているから、お呼び立てしたのに……中野さんのお力添えなくしてこの問題は解決しないんですよ」
黒田は、中野の、あまりに楽天的な態度をたしなめつつ、少し不機嫌にそう言った。
「ああ、そういうことでしたか」
中野は自分の言い回しが黒田をイラつかせたことに済まなさそうな表情を浮かべた。
「まあ、いずれにせよ、天野さん一家には御厄介になるやもしれませんからね」
黒田は、少しにんまりしながら、助手席でどんなことを悟美に聞いてやろうか、と質問を練り始めていた。
5.
中野の運転する車が景部高校に入ってくる。
いたって普通の学校だが、門につながる車道には、不審車両を検知するセンサー類がいくつも仕掛けられ、許可車や一定の認証を受けた車両でないと入ることすらままならない。
中野の車はその認証を受けている車のようで、少し徐行してフロントガラスにあるQRコードを読みこませてから入っていった。
「ここから先は、自由に行動していただいて結構です。天野さんとのアポイントも取れてますので」
中野は、そういうと、教職員が停めている駐車場に自分の車を止めて待機するようだった。
"それでは、お言葉に甘えてっと……"
そう呟いて、黒田は、さっそく校舎の中に入っていく。
職員室に一直線に向かった黒田は、来訪の意図を伝える。
しばらくすると、一人の教師が黒田の元に歩み寄ってきた。
「ああ、これはこれは。コラム、時々拝読していますよ」
少し小太り、がっちりとした体格のその教師は、金子と名乗った。赤いブレザーは、ひときわ目立っていた。金子は、黒田のことを少しは知っているようだ。
「で、天野クンに聞きたいことがあるってお聞きしてますけど……」
金子は、黒田に椅子を勧めながら、そう聞く。
「ええ。ちょっと前に起こった星間の支社の屋上にあるパラボラアンテナから光が放出した件で何かご存知なんじゃないかと、思いまして……」
黒田は、彼女に会いたいことを金子に伝える。
「あの日のちょっと前にも、内の学生が5人も星間に捕まる、なんてことがあって、ようやくぼくらも落ち着いてきたところですよ。もうそろそろ自習の時間も終わるんで、ここに呼んできますね」
金子はそういうと、職員室を出ていった。その間に、別の教師が、「粗茶ですが」と言いながら日本茶を出してくれた。
だが、今の金子の証言は聞き捨てならないものだった。光が放出される『前』に、学生が星間の保安部に捕まることがあったのだ。そのことは、黒田にとって初耳である。
出されたお茶を飲んで、さっきの金子の発言を咀嚼していると、金子が一人の女子生徒を連れて職員室に入ってきた。
「ええっと、こちらが黒田さん。お話を聞きたいそうだよ。ご挨拶して」
金子がそう言って悟美に促す。
「天野悟美です。よろしくお願いします」
最敬礼に近いお辞儀をされて、黒田は思わず立ち上がった。
「わ、私が黒田です。よ、よろしく」
黒田は動揺して、たどたどしい態度を見せてしまう。
「ああ、天野クン、次の授業も自習だから、黒田さんとご一緒していて構わないよ」
金子はそう言って、職員室から出て行ってしまった。
「ええっと……どっか内密に話のできるところってないかな……」
黒田は、悟美にこう話しかける。
「うってつけの場所がありますよ!」
力強く悟美は答えると、黒田とともに校舎の屋上に向かって歩いていった。
屋上には、少し粗末な、プレハブ小屋。"ここなら安心"と悟美が言う、電子工作部の部室だった。
施錠もされていない、ガバガバなセキュリティーに高校生らしさを感じながら、黒田と悟美は部室に入っていく。
「で、黒田さんの聴きたいことってなんですか?」
椅子に座った黒田を見下ろしながら、悟美はそう言って黒田に聞く。
「本題はあるんだけど、その前に……」
黒田は、いつものようにICレコーダーをセッティングし、メモを取るべく、ハンディサイズのリングノートを準備する。
「ご両親って、どんな存在?」
彼女に迫るには、やはり両親の存在は欠かせない、と思ったからこその最初の問いかけだった。
黒田のこの問いに、あっけにとられる悟美だったが、すぐさま態勢を整えると、こう語り始めた。
「両親が離婚したのって私が5歳くらいの時だったんで、父親の記憶ってそれほどないんです」
いきなりのカミングアウトに身構える黒田。母一人子一人の母子家庭だったのか……
「だから、お母さんはお母さんであると同時にお父さんでもあったんです。私のいろいろなところを受け止めて、それでも仕事には一切手を抜かず、私を育ててくれたから、本当にすごい人だと思ってます」
悟美の朴訥と語る姿に、彼女の背負ってきたモノの大きさを黒田は感じ取っていた。学級委員も務めるほどの人望と家庭を守る母親のような立ち位置も感じられた。
「そうなんだね。いや、君の人となりを聞く前に、家族のことを最初に聞きたくてね」
黒田はいう。そして、悟美は信頼できる人だと判断する。
「では、ここからが本題。あの、パラボラアンテナから光が放出された時、君、会社の中に居たよね」
「はい」
悟美は即答する。そこに後ろめたさや罪悪感はない。むしろ決然とした力強さに黒田はまたしても圧倒される。
「あんな真夜中に、何があったんだい?」
遂に本題に取り掛かれる!
そう思った刹那、部室のドアががらがらっと開けられた。
「あ、さ、悟美……」
一人の男子高校生が悟美に声をかけた。突然の闖入者に、黒田は驚くと同時に、この部室の関係者かもな、と思う。
「あ、ごめん、ちょっと使わせてもらってるの」
無断で使っていることの後ろめたさからか、猫なで声で応対する悟美。聞いている男子はまんざらでもない様子を見せている。
「あ、べっ別に構わないさ。ところで、お知り合いか、何か?」
どうやら、この男子は黒田の存在が気にかかっているようだ。
「この方、ジャーナリストさん。あの日の夜の出来事で私に聞きたいことがあるらしいの」
黒田はここでぺこりと頭を下げて、
「パラボラから光が放出されたことを取材しています。もし君も何か知っていることがあれば……」
と言いかけた時に、ぼそっとその高校生は言う。
「まさか、とは思うけど、星間の手先か、何かですか?」
その眼光の鋭さに、黒田はたじろいだ。今までの雰囲気はどこかに吹き飛んでいる。
「いやぁ、確かに手引きはしてもらっているけど、本当のことが知りたい派、なんだよな」
黒田は、この空気を変えようと、少しおどけたように男子の問いに答えた。
「まあ、本当のことは報道されていませんしね」
地元の大事件ゆえ、彼も全ての記事やネットニュースを見たのだろう。そこに真実が書かれていないことは知っているようだ。まして週刊誌の言質など、とるに足らないと感じているようだった。
「ぼくが知りたいのは、あの光の正体であり、あの日の夜に何が起こったのか、を記事にしたいだけなんだよ」
黒田は力説する。
「なるほどねぇ。今までマスコミの人たちって、あの日のことに到達できていなかったから、やっぱり間抜けで腑抜けだと思っていたけど……そうか。とうとう俺たちにもスポットが当たったのか……」
その男子高校生は、恍惚なまなざしを浮かべて自己陶酔しているかのようだった。
「それではお聞きします。あの光の束って、何で、どうしたときに発生したんですか?」
黒田はこれ以上ない質問を男子高校生にぶつける。だが、その一言は、黒田を困惑させてしまう。
「実は、あの日の夜、俺も会社の中に居たんです」
その発言を聞いて、黒田の頭の中は、パンク寸前の状態になっていた。まだ悟美から事の本質を聞き出してもいないのに、部外者同然のこの青年もその場に居たというではないか。理由は?どうやって?一部始終を知っているというのか……
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」
パニック気味に黒田はその高校生に話しかける。
「そもそも、君は、誰なんだい?」
黒田は、この高校生の名前を聞いていないことに今更ながら気が付く。
「あ、言ってませんでしたっけ……。ええっと、素﨑 十真です」
ようやく十真は自己紹介する。
「素﨑君。一旦ここは、天野さんの話を聞いてからにしたいんだけど、それは了承してくれるかな?」
黒田は、十真を落ち着かせることに腐心する。
「あ、そ、それもそうですね」
十真は落ち着かない口調でそう返す。
「私の話が終わったあと、ここに来てもらうから」
今度は悟美が十真に話しかける。
「じ、じゃあ、連絡、まってる」
それだけ言うと十真は部室から出ていく。
「ただの友達、じゃあ、なさそうだね?」
黒田は、悟美と十真のやり取りをみてそう悟美に問う。
「え、ええ。小学校三年の時からの幼馴染、だし……」
少し頬を赤く染めている悟美にほほえましさを感じる黒田だったが、今はそれは本題ではない。
「それでは、そろそろお話を伺いたいですね」
黒田は聞く姿勢になる。悟美は、あの日の夜の出来事だけではなく、全てについて語り始めた。
6.
悟美の話は、30分以上に及んだ。
黒田は、"これはどえらい案件に首を突っ込んじまったぞ"と戦慄し始める。
AIロボットは、すでに実用化され、清掃や巡回警備といったものから、二足歩行も可能なレベルまで発展を遂げていた。そんな中で、AIのロボットが人間に寄せた風貌で、社会生活が違和感なく過ごせるか、という実証実験を、悟美の母・美津子が企図したことがすべての始まりだった。そのロボットこそ、芦森詩音と名付けられたものだった。
詩音は、月曜日から金曜日までを滞りなく過ごし、ロボットであることに誰も気が付かないで高校生活を過ごせたら、一応の試験の目的は達成されるはずだった。ところが、4日目に事件が起き、一緒に居た悟美たち5人も星間の保安部に連行されてしまう。
どうにかして詩音を奪還したい、いや、最後のお別れをしたいという思いで実力行使に出たのが、6月14日の土曜日だった、というのである。
悟美は、ここまでをほぼ一息に話した。
「なあるほど、ねえ」
ほぼ合いの手を打たずに、黒田は悟美に語らせた。その内容は、日本のAIが、次の領域に達しようとしている端緒に我々が立っていることの証でもあった。
「では、ここから私も気になっていることをお尋ねするんだけど……十真君、だっけ?ここに来てもらえないかな」
黒田は悟美にお願いする。
「わかりました。呼んでみます」
SNSかショートメールで器用に悟美は十真に連絡を取る。
「では、とっかかりからだ。なんで詩音がロボットだと気がついたんだい?」
黒田の質問が始まった。
「お母さんのスケジュールをチラ見したら、極秘試験の項目があって、そこに詩音の顔写真があったんですぐに気が付きました」
悟美は包み隠さずしゃべっているな、と黒田は思いながら質問を続けた。
「学校で実証実験することはお母さんからは?」
「知らされていませんでした。実の娘と同じクラスに配属されているのに、ですけどね」
悟美は少し表情を暗くする。最初に打ち明けてもらっていれば、もっといい対応もあったはずだ。
「なるほど。詩音がロボットだと知っていたのは、月曜の朝の時点で君一人だったわけか……じゃあ、この、星間の保安部にとらわれた時の5人って言うのは?」
「もちろん、全員、詩音がロボットだって知ってます」
悟美が即答する。
「どのタイミングで?」
黒田が続ける。
「月曜日のお昼休みの時からです。私が緊急停止アプリを起動させちゃって……」
「あれ?」
黒田は変な声を上げる。
「ばれたら、終わり、じゃなかったっけ?この試験」
確認するように黒田は言う。
「なので、私から、黙ってもらうようにお願いしました。おかげでいろいろ迷惑かけちゃったけど」
悔悟の念が思い起こされたのか、悟美の表情が暗くなった。
「まあ、5人くらいだったから、拡散しなかったのかも、だしな」
黒田は、序盤の詩音と、彼女を取り巻く仲間たちのことを知ることができた。
「でも、結構危うい場面とか、あったんじゃない?」
普通に高校生のふりをすることがロボットに可能なのだろうか?黒田の疑問はまだまだ尽きない。
「例えば、ロボットだから呼吸はしませんよね。ご飯も食べない。水すら飲まない。水泳の時とか、いろいろ焦りましたよ」
諸肌脱いで機械の体、だったら、クラスだけではなく全校生徒に知られてしまう。
「あ、身体の作りって、人工皮膚でおおわれている感じ?」
黒田は、詩音の身体のことを知っているであろう悟美に聞いてみる。
「ええ、ハイ。ぱっと見にはロボだとはわからないくらいに偽装はされてました。でも、おなかのユニットとか、変な場所に切り欠きがあるから、まじまじと見ればすぐにわかりましたね。私が水着の着替えも手伝いましたけど、周りからは変な目で見られましたよ」
悟美の苦労は、半端なかったようだ。それもこれも、自分の母親の成果物だからできた行動だろう。
「いろいろあって、仲間もできて……で、なんで4日目に君たちが星間に捕まるようなことになったんだい?」
と黒田が聞いたところで、ガラッと部室のドアが開けられる。
「ここからは、俺にもしゃべらせてください」
立っていたのは十真だった。
「おお、これはいいところに。まあ、座って座って」
黒田は、タイミングのいい来訪者の登場に少し浮かれて話す。
「ここ、俺たちの部室なんだけどなぁ……」
自分のもののようにしてしまっている黒田に、十真は、聞こえよがしに独り言を言う。
「ああ、悪かったよ、ごめんごめん。で、十真君も、4日目の夜のことは覚えているよね?」
むくれている表情の十真を和らげようと、黒田はとりなしながら、十真に聞く。
「4日目?ああ、俺たちが星間に捕まった日のことか」
一か月ほど前のことだが、十真はすぐさま思い出した。
「なんで君たちは、星間に?」
本社を襲おうとしたわけでもなさそうだ。黒田は十真の答えを待つ。
「理由は簡単ですよ。俺たちが、得体の知れないAIロボットと一緒に居たからですよ」
あっさりとした口調で十真は答えた。
「え?実証実験は、星間の上層部が知らない体でやってたものだったの?」
黒田は、中野の知りたがっていることって、こうした背景だったのか、と薄々感づき始めていた。光が打ち出された原因にたどり着けないのは、全てが極秘だったからではないか、また、知っている者がごく少数で、書類もデータもほぼなくなっていれば、捜査も調査もはかどらない。ないもの、隠されたものからは真実はつかめない。
"だから、部外者のオレ、か……なるほどねぇ"
黒田は、中野の思惑に触れた気がしてにんまりとする。
「はい。あとの詳しいことは、天野博士のお嬢さんから」
「もお、他人行儀な紹介はいいから」
二人がそんな掛け合いをしている。
「それって本当だったの?悟美さん」
黒田は悟美に問いかける。
「機密事項とはありましたけど、本社や支社の人に知らせないで、半ば規制法ギリギリを攻めるなんて私も思ってませんでした」
天野美津子をはじめとする、プロジェクトメンバーたちが、なぜこのことを最初から許可を得てやろうとしなかったのか、こんな素晴らしい実験を隠れてやらなくてはいけない理由を知りたい。黒田はすでに光のことから、実験のことに興味が移ってきていた。
「星間の中には、あまりに先進的なことは避けたがる人も大勢います。数年前にリコールを頻発させたことも、おっかなびっくり、石橋を叩いて渡る様な慎重姿勢になっているんです」
悟美が、部内者の娘らしく語った。イケイケだった星間は、数年の間にAI炊飯器の誤作動、言語処理装置の不具合で過電流が流れて機器が発火する、といったリコール相当の案件を次々に発生させてしまう。会社の屋台骨を揺るがせにするほどではなかったにせよ、それ以降、会社の開発方針は、穏便に、ゆっくりとするようになっていった。
「だから、一足飛びに、ロボットが人と溶け込めるような開発をしても、今までの苦い経験が先立ってしまって、異常行動を起こしたらどうなる、と思う人がいれば案件はすぐに却下されます。それを避けられるようにしたのが、お母さんの開発した詩音だったんです」
悟美はこういって締めた。
「ふーん。で、さ。いま素朴に疑問だったんだけど……」
黒田はふと沸き上がった疑問を二人にぶつける。
「なんで、彼女は詩音って名前だったの?芦森って言う苗字も気になるし」
「「……あぁ」」
顔を見合わせる悟美と十真。
「名前の由来は、お母さんにも聞いてなかったなあ」
「響きはいいですけど、なんで詩音だったのかなぁ」
黒田は又にんまりとする。"聞きたいことがまた出てきたじゃないか"
「さあて、いよいよクライマックスなんだけど……あの光って、そもそも、何?」
二人が、途端にもじもじし始めた。
「あ、あれ、かぁ……なんて説明したら、納得してもらえるかなぁ……」
十真は、両手を頭にやり、思案している様子だった。
「悟美さんは?あれが何か、光の正体って、知ってる?」
黒田は悟美にも聞く。
「うーん……信じてもらえないかも、ですけど、あれ、詩音そのものなんです」
「詩音、そのもの?」
黒田は、またしても自分の思う回答を得られず、目を白黒させる。
「黒田さん、でしたよね。あの光は、プログラム……大量のデータが乗っかった、AIプログラムの集合体だと、俺は思っています」
十真は悟美の発言を受けて、こういい変える。
「プログラムが光を放つ?そんなバカな……」
黒田は、その瞬間だけ、物理の様々な法則が仕事をしなかったのではないか、ファンタジーに彩られていたのではないか、とまで、発想を飛ばしていた。
「俺も、いや、詩音自身でさえも、上空に逃げられるとは思っていませんでした。でも、高度に発達したAIなら、肉体はなくても、どこへでも移動できるのではないか、と考えたんです」
「プログラムが、かね……じゃあ、打ち上げられたそのプログラムとやらは、どこで何をしているんだよ?」
妄言に近い話に思えてきた黒田は、聞く態度もぞんざいになっていく。
「ここです」
悟美が通話記録を黒田に見せる。そこには「実証衛星つきかげ」の文字が。
「え?衛星の中に取りついたと……このプログラムが?」
黒田は二人を見まわしつつそう言う。十真が、信じていない黒田に止めを刺す。
「そうでなかったら、こう何度も何度も、悟美のことが気になって電話をかけてくると思いますか?」
悟美の携帯に残った着信履歴は、決まった時間に二度。7月1日から毎日かかっている。
黒田はつきかげが持っているであろう電話番号を検索しようとするが、そこに発信者の番号はない。
黒田にとっては信じられない出来事ばかりが提示されてきた。そしてついには、プログラムが自律的に動き、衛星に取りついて電話をかけてくるというのだ。
空恐ろしい状態ではあるものの、AIが進化を止めなければ、これくらいのことができるようになるかもしれない、と黒田は思い直した。
「ううーん。こうまで証拠を見せつけられると、詩音さんの中身は、衛星の中に逃げ込んだと見るのが正解だろうね……」
息も絶え絶えに黒田は結論を出す。それでも、まだ釈然としないものは残っている。
「光の正体にはなんとかアプローチできたけど……悟美さんのお母さんにもいろいろ話を聞きたいなぁ」
黒田は、美津子の証言こそがすべてを氷解させる、と確信していた。
「うちの母、ですか……私も聞きたいことは山ほどあるけど、守秘義務が、とか、話したら首になる、とかで、ぜんっぜん詳しく聞けてないんですよぉ」
悟美はこれ以上ない困った顔を見せる。その表情がかわいく思えたのか、十真はなぜか頬を赤らめている。
「どうしたら、僕の疑問に答えてくれるかなぁ?」
黒田は、少し困った表情を見せつつも、何とかしなければ、という焦りの色も少しにじませた。
しばしの沈黙を破って、十真が、
「あっ」
と声を上げる。
「ジャーナリストと会わなければいいんだとすれば、そして誰にも知られないで済むとなったら……」
十真のたとえに、黒田は首をひねる。
「手紙ですよ、手紙。これなら、信書の秘密も守られるし、二人だけの秘密にもなりますよ」
「このご時世に?手紙なんて前時代的だよ」
黒田は、少しまどろっこしい会話のキャッチボールを、もっと簡便にできないものか、と考えていた。
「今、メールとか、通話アプリとか、もっと簡単に、って考えていたでしょ?」
悟美は、黒田の心の中を言い当てる。ぎょっとする黒田に十真が重ねる。
「ここ景部市でデジタルな通信は、全て傍受されていると考えてもらった方がいいです。仮にそれが直接的な通信であっても、です」
黒田は、十真のこの発言に戦慄を覚える。今やデジタルなら簡単に傍受もできるし、複製も可能だ。セキュリティーがしっかりしているから、そこに紛れて交信することも即座に探知されてしまう。
しかし、一対一の文通に他人が入り込む余地はない。手紙を送った側送られた側しか内容はつかめない。なにより、郵便は、善意の第三者の行為であり、星間の関係者が介在できない。手間暇はかかるが、本質を一番知っている、取材をすべき人物にアプローチするには、時間が必要だということがわかったのだ。
「だから、アナログ、なのか……」
いみじくも中野が漏らした本音がここにも垣間見えた。デジタルまみれの景部市で、真実はアナログ的手法でしか知りえないのだ。
「だとしたら、私はここに居なくても、いいってことになるじゃないか……」
黒田は落胆の色を隠さなかった。
「いずれにせよ、キーパーソンは、間違いなく、私のお母さんですよ、黒田さん」
悟美がそう言ってにっこりとほほ笑む。
「ここまでで分かったことって、文字にしても大丈夫かなぁ……」
黒田は、少しだけ先行きに疑問を覚える。
「大丈夫ですよ。何でしたら、私がお母さんへのお手紙、渡します?」
"ああ、そうしてもらえると助かるよ"の一言を飲み込んで黒田はその申し出を軽く拒絶する。
「これは私と星間との戦いでもあるんだ。悟美さんのお世話にはならないつもりだよ」
道筋がつかめたのなら、あとはそれを追っていくだけ。黒田は、悟美の家の住所だけを書き留めて、二人に別れを告げた。
悟美と十真との話を終えた黒田は、駐車場で待っている中野の車に近づいていく。
「黒田さん、だいぶわかりましたか?」
他人事のように聞く中野だが、自分で動けない以上、こう聞くしかなかった。
「ああ、かなぁりね」
ねちっこく黒田は答えた。実際、彼の想定をはるかに超える"事実"がつかめたのは間違いないからだ。
バンっと、助手席の扉を閉めながら、黒田は切り出した。
「天野博士に聞きたいことがあるとして、中野さんの口利きでつないでもらえるんだろうか?」
本丸攻めはあえてのブラフ。うまくいくわけがないと見込んでの発言だった。
「はっはっは。私にそんな権限があるとお思いとは。あるならとっくに本人に聞いてますよ」
黒田も"そりゃそうだ"という表情を露わにする。
「ということは?」
次の展開を黒田は期待する。
「逢う逢わない、という次元の人物ではなくなっているんですよ。特にこの光放出事件後、プロジェクトチームですら、彼女と気安くコンタクト取れていないって言いますから」
中野は、倒していたシートをベストポジションに戻しながら言う。
「そこまで秘匿する理由って、なんだと思います?」
黒田はシートベルトに手をかけつつ聞く。
「それもわかってたら、私はあなたを頼ったりしませんよ」
電気自動車特有のモーター音を響かせながら、中野の車は景部高校から出ていく。
中野の返答に、五里霧中だった結論に少しだけ光明がさしたように黒田は感じていた。
7.
黒田は当初の4日間の逗留を一日早く切り上げて、3日目の早朝に景部空港から東京に戻ってきた。
もちろん、依頼主の中野にも了承を取ってある。
"なんで急にお戻りになるんですか"
と中野は留めたのだが、別の仕掛案件が急展開した、と適当な言い訳をして離れたのだった。
空港から帰京する前に、黒田は天野美津子宛の手紙をしたためていた。
その返事をもらった段階で、もう一度景部市を訪れようと思ったのだった。
彼女がどういう反応を示すのか、黒田は興味津々だった。
だが、一週間たっても彼女からの返信がない。
しびれを切らせた黒田は、連絡先を交換してある十真の携帯に現状確認の電話を入れた。
「ああ、これは、ジャーナリストの……」
「黒田だけど、悟美さんのお母さんって、今、どうしてるの?病気にでもなった?」
焦りが出ていたのか、黒田の口調は尋常ならざるものだった。
「いや、そんなことはないですけど……悟美の方から連絡ありません?」
その様子を察した十真は、黒田に尋ねる。
「あのお嬢さんからも電話はないよ。それがどうしたの?」
「悟美のお母さん、ドイツに出張しているんですよ」
十真が淡々と事実を言う。
「え、し、出張……」
心配していた黒田は、電話口で崩れ落ちんばかりだった。
「知らせてなかったんだな、悟美の奴……」
十真はボソッと言った。
「それで返信が遅れているのかな……」
美津子が黒田の書簡を受け取ったかどうかもわからない。景部市に早く戻らないと、今度は中野から催促されないとも限らない。
黒田はどうすればいいのか逡巡したのだが、中野からの催促もなく、美津子からの返信もなく、さらに3日が経過した。
「郵便でーす」
配達人が声をかける、ということは、速達か書き留めか、印鑑とかがいる何かだろう。弾かれるように黒田は取りに行く。
「ハイ、確かにお届けしましたよ」
事務的にそう言った配達人が置いていったのは、小さな小包だった。
"誰からだろう"
と訝りながら差出人を見ると、そこには天野美津子とある。
小躍りしながら、黒田はカッターで封止を切る。箱の中身は、DVDROMと短めの手紙だった。
手紙の文面はこうである。
”お手紙拝読したのが、私が渡独して帰国してからだったので、お返事が遅くなりました。
黒田さんのお知りになりたい熱意に、私も研究者・技術者の端くれとして大いに共感いたしております。
守秘義務や特許の絡みもありますれば、全てを詳らかにはできませんが、ここまでの詩音のことについてはまとめさせていただきました。
AIが、ロボットが、ますます進化し、人と共存できる社会をスタッフ一同作り上げていきたいと思います。 天野 美津子"
今度はDVDROMだ。ノートパソコンに入れると、なんと、星間のサイトのオープニング映像で幕を開けた。そして、美津子が今回のことの顛末を映像仕立てで解説しているのだ。
『シオンプロジェクトそのものを危険視する上層部に反旗を翻す意味合いがあった』
『成功する確率は低かったが強行した』
『異常行動の際には責任を取るつもりだった』
『ロボットではなく芦森詩音として周りを幸せにできていることがわかった』
『詩音のプログラムはもともと滑舌よくしゃべれなかったものだった』
『歌を歌う/作曲するといった付加価値は実装していなかった』
『AIシステムと協働する機能は、恐らくさまよっていた詩音のプログラムが関係性を築いたからできた芸当』
『悟美のクラスに編入されていなかったら半日もっていなかったと思う』
などなど。
黒田は、美津子の微に入り細に渡る説明で、全てを理解することができた。
そうなってくると、黒田は、あの人にすべてを報告しなくてはならない。
黒田は、電話をかける。
「あ、もしもし、中野さんですか、黒田です……」
8.
「……報告は以上になります」
黒田は、星間の景部支社のとある一室で、中野と田村、そして新任の支社長である柳川に状況説明を行った。
前任だった西条は、事の仔細を告げる暇もなく、海外の支社に飛ばされたとされている。今回の調査は、よく事情を知らないで着任した柳川の声がかりあればこそだった。
「なぁるほどねぇ」
柳川が嘆息しながら答えた。
「中野君に田村君」
柳川が、横に居た二人に声をかける。
「この方の取材能力には感服したよ。よくここまであの一件のことを調べ上げたものだ」
ニコニコしながら黒田の方を向く。
「光も電波も、波の波長が大きいか小さいかで発光したりしなかったりするものだ。そうか。プログラムの総量が多く、一気に送出したんで光が放たれた、ということか……」
星間は曲りなりでも一流企業である。理系の巣窟で、ファンタジー的な結論が相手を納得させていることに、黒田は滑稽を通り越して畏敬の念にとらわれている。理論があれば、いかに超常現象でも「ありえる」と結論付けられる胆力に、だ。
「でも、本当のことを言えば……」
黒田は、言葉を続けた。
「シオンプロジェクトは、あそこでとん挫するべきものではなかったはずです」
空に逃げたAIプログラムは、星間の研究開発に少なからず影響した。バックアップからの復旧に10日以上かかり、ビルの機能が完全に復活できていないほどの、大きなダメージを与えてしまった。
「なぜ、彼らはプログラムを空に逃がす……空でなくてもよかったわけですが、詩音の中のプログラムを逃がさないといけないと思ったのか、ということを鑑みていただきたいと思うのです」
詩音によって「しあわせ」になった悟美、AIに悟美のしあわせを命令した十真、命令を忠実に実現できるプログラムを作ることのできた美津子。全員の想いがあの時、一条の光になって具現化したのだった。
「いや、そのことについてはすでに天野さんには職場に復帰してもらっているし、社内に乱入した高校生諸君もお咎めもなし、で済ませてありますよ」
柳川は、黒田の反論に少し気色ばむ。
「それだけで、済ませていいものでしょうか?」
黒田は、書類をまとめながら、柳川に投げかけた。
「いくら星間が大企業でも、こうしたコンプライアンスに外れる実験をしたこと、結果は重大ではなかったにせよ、命令外の行動をしたことにおける検証もなされていないこと、なにより、星間から正しい情報を発表していないことに疑義を呈したいと思います」
決然と言い放つ黒田に、
「ち、ちょっと、黒田さん……」
中野が小声で黒田に忠告する。
「あなたにうちの会社のことまで分析してほしいとは、お願いしてませんよ」
その声の主をきっと睨み返して黒田は続けた。
「私だって、御社のことを悪く言うつもりはありません。でも、社内で何が起こったのか、知らない社員からこうやって依頼を受けて、真実をお話しているのに、なんとはなく他人ごとのような受け止め方を支社長さんはされているようにしか見えない」
黒田の指摘に、柳川の顔色も変わっていく。
「後は、支社の問題だし、ひいては星間全体の話になるので、もう私から話すことはありません。しかし、社内調査や監査をして膿を出しきらないと、第二第三の事件は、起こりますよ。今度は甚大な被害をもたらして……」
黒田は、怒調を含んだ口調を和らげながら、柳川に諭すように言った。
「いや、黒田さんの御指摘、ごもっともです。反省するべき点は多々、ありますなぁ」
柳川はそう言うと、立ち上がって、部屋から出ていこうとした。
「シオンプロジェクト、もう少し見直させていただきますよ。メンバーしか知らない案件にしなくてはならなかった、そのわけを、ね」
そう言って柳川は部屋から出ていった。
「ふはぁ。黒田さん。支社長にたてつくなんて、あんた、気でも狂ったのか、と思いましたよ」
中野が胸をなでおろしながら黒田に言う。
「そうですよ。生きた心地しなかったですもの」
田村も続ける。
「でも考えても見てよ。あなたたちが第三者である私に調査を依頼したから、私も忌憚無き意見が言える。社内調査どまりなら、このプロジェクトの危うさや失敗確率なども含めて、完全に暴露されることはなかっただろうね」
黒田は、調査書類を中野と田村に手渡した。
「君たちでできることを私がした、というよりは、私が会社のしがらみがなかったからこそ、この報告書ができたと考えてほしいですな」
黒田は一言添えた。そしてにんまりとほほ笑んだ。
星間の景部支社から出てきた黒田の顔はあまり晴れ晴れとはしていなかった。
せっかくの調査報道か、と意気込んでみたものの、結局大企業の力には抗えず、調査費名目の口止め料で手打ちせざるを得なかった。
第三者の目から、美津子側にも何らかの責任や謝罪は必要なのでは、という報告書も、彼女は悪くない、と握りつぶされる可能性もある。
何しろ研究者ファーストの社風である。また同じような事件が起こる可能性は高かろう。
"星間の闇は、相当深いなぁ"
黒田は、自分のしていることの正否を自問自答しながら、本州に帰るフェリーに乗り組むべく、景部港行きのバス乗り場まで歩いていった。
「アイの歌声を聴かせて」。
ストーリーも、近未来的な要素も、演出も、楽曲も、クライマックスも、クロージングも、全てに満点に近い評価ができる作品はそうそう出てくるものではないですが、この作品は、感涙にむせび泣くものではなく「しあわせ」を感じさせてくれる一本だと感じています。
ただ、じゃあ、どこにも瑕疵はないのか、といわれると、解析していけば出てくる部分が多いところではあります。例えば、詩音が水泳している(息ごらえ)シーン。お着替えは、どうしていたんでしょうね?防水性能もどこまであるんでしょうか?彼女だけ制服が違うところに突っ込みはないですし、そもそも緊急停止→機器露出は別の意味でバグなんじゃないか、と思ったりもしています。
黒田が真相に迫るシリーズは、「君の名は。」「天気の子」で、相応に活躍していただいたわけですが、彼の活躍をこの作品でも見たい、ということで今回も取り組んでみました。
とはいえ、今回は一企業が相手。そこに立ち向かいつつも、自分の正義を貫くというスタイルにしてみました。ハッピーエンド寄りとしなかったのも、そもそもプロジェクトを秘匿しないといけない理由が希薄だから。「次は堂々とやれ」という会長のお言葉は重いと考えてクロージングとしてあります。
このSSへのコメント