脳内ラジオ局(その4)
敵か、味方か?藤堂を逮捕すると言い放った鮫島の正体が明かされる。仕事も順調だったが、事態は、確実に悪い方向に傾きつつあった。そして、それは現実のものとなった。
長編は、どうしても途中でネタが枯渇したりするんで、取り組むと後が続かないんですね。
悩みに悩んで、後半の方向性を作るのに時間がかかりすぎました。
この後の展開が…どうしようか上梓した後でも悩み中です。
(その3までは連続投稿してありますのでそちらをご覧ください)
4.
「藤堂健一、君を電波法違反の疑いで逮捕する。20時18分、執行」
鮫島の乾いた声が署内に響き渡る。先ほどまで、ラジオのパーソナリティーを迎えて、歓迎ムード一色だった警察署内は、一瞬にして凍り付いた空気に支配される。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
さっき駅からここまで藤堂を護送してきた二人の鮫島の部下に両腕をぎっちりとつかまれ、身動き取れない藤堂は、唯一動く口でもって抗議する。
「え?法律違反を取り締まるのが公僕の義務なんだけど、何か不満でもあるのかな?」
突然豹変した鮫島の真意がいまだにつかめない藤堂は、(これは何かの間違いだ)と内心ぶつぶつ言いながら事の推移を見守る。
近づいてきた鮫島が藤堂に向かってこういう。
「ああ、今更だけど、あの名刺はホンのお近づきのしるし。本当はこれなのさ」
さっと身分証をひけらかす鮫島。だが、そこにあったのはとてつもないものだった。
警視庁・・・ではなく、警察庁公安7課。ここ最近のインターネットにおける右翼/左翼の情報発信に対して目を光らせている部署であり、現にいくつかのヘイトと呼ばれる案件にも公安が関わっていた。
「こ、公安…」
藤堂だって、そう言った言葉を知らないわけではない。とてつもない組織が動いていることをいまさらながら知らされる。
「さあて、これから取り調べになるんだけれども、心の準備はよろしいかな?」
少し笑顔になって鮫島が言う。これからが楽しみだとさえ感じられるそんな笑顔だ。
「そ、そんなこと言われましても…」
口ごもる藤堂。
「いや、ここはひとつ穏便に…」
今まで笑顔で接してきた署長も鮫島に取りなすように諭す。
「まあ、ここから先は公安の案件ですから。皆さんは関わりにならない方が身のためですよ」
少し声を張り上げて鮫島は言う。
それだけ言い残すと、鮫島は、部下にしっかりと抱きかかえられている藤堂を連れて、捜査車両に乗り込む。赤灯はしまわれ、警察署から一路東京・霞が関に向けて車は走りだす。
「さあて、藤堂さん…」
少し警察署から離れてようやく鮫島が口を開く。
後部座席でくつろぎ、笑みさえ浮かべる鮫島に対して、藤堂は完全にアウェーで、なにも耳に入ってこない。
「あれ?まだびっくりしちゃってます?」
少し格好を崩す鮫島だったが、それにも藤堂は反応しない。
さすがの鮫島も「まいったなぁ」という顔をする。
「あのね…逮捕って、逮捕状ないとできないのって、知ってますよね?」
急に鮫島が当たり前のことを言い始める。
「そうですよね…」
藤堂はここでも生返事のままだ。変にしゃべって言質を取られまいとしている行為の表れでもある。
「それに逮捕って知っての通り、手錠がつきもんなんですわ」
「あっっ」
藤堂もなんとなく気がつき始める。駅から警察署まではともかくとして、鮫島が逮捕と言ってからでも手錠は嵌められていない。
「そろそろこの大芝居に気がついていただきたいものですなぁ」
「えっっ??ど、どこからが芝居でどこからが本当なのか…」
藤堂は狼狽する。電車に乗ってからの一連の動きを思い返しながら、藤堂は芝居と現実の境界を見つけ出そうとする。
「じゃあ、その前に…」
藤堂は、一気に攻勢に出る。
「あなたの本当の肩書をお示しいただきたい」
きっと鮫島をみつめる藤堂。もう騙されない、という気概を見せたともいえる。
その、色をとりもどした瞳に少し安堵しながら、鮫島は謎解きを始めた。
「まず、あの身分証はフェイクじゃない。本物ですよ」
少しトーンを落として鮫島がしゃべる。信用してもらおうとしている口調だ。
「そぉかなぁ」
今までのことを考えれば、なんでもハイハイと鵜呑みにはできない。疑心暗鬼になっている藤堂はすかさず疑問の目を向ける。
「まあ、今までのことを考えれば疑うのも無理はない。じゃあ、どうやったら信じてもらえますか?」
鮫島の当惑した表情が少し藤堂を安心させる。
「この車両にだって、警察無線はあるでしょ?」
「もちろんありますとも」
「それって、長官殿にもつながるんですよね?」
「え、そ、そこまでは…」
「じゃあ、どこまで高位の方につながるんです?」
「ええっと、それは・・・」
藤堂の思いもよらぬ攻撃に鮫島もたじたじとなる。被疑者を連行している、という旨の連絡も運転している前の二人もしている風がなかった。この車両自体がまるで無線の網から外れたような動きをしていることに藤堂は気がついたのだった。
「もしかして、今のオレたちって、存在しているけどそれを知られてはいけない感じ、ですか?」
藤堂は思っていたことをズバリと聞いてみる。
「うはぁ、藤堂さんには敵わないなぁ。いまから出発して帰投するって連絡をしなかったことに気が付くとはね…」
感の良さを鮫島が褒める。そういうと、おもむろに胸ポケットをまさぐり、名刺を出す。
「これが本当の私の肩書。混乱させてしまって申し訳ない」
そういうと、鮫島は藤堂の方を向いて深々と頭を下げる。
謝罪の気持ちは伝わったが、名刺に目を落とした藤堂はさらに驚愕する。
内閣官房付 内閣情報調査室 調査官 鮫島 比登志
な、内閣・・・要するに国の中枢にいる人々だということだ。
「一つ、伺ってもいいですか?」
藤堂は素朴な疑問を投げかける。
「どうして私の命が危ないって知っていたんですか?」
「ああ、そのこと。それについては、今は何もお話しできないのでね。ご容赦いただきたい」
表情はにこやかだが、その眼光は、深入りするでない、と一喝するかのような鋭さをはなっていた。藤堂は、それ以上聞くことができない。
「では質問を変えます。私にどんな用なんですか?」
「ウム。それなら答えられます。今日は、皆さんに、ある組織の立ち上げに関わってもらいたいのです」
「え?みなさん?わたしだけじゃないってこと?!」
自分だけがしょっ引かれているとばかり思っていた藤堂はその一言に反応する。
「ということは・・・」
「エエ。あなたがあっていた大阪の人もこちらに向かっていることでしょう。おおむねあのラジオ局に出ていた人たち全員が一堂に会するはずですよ」
「い、いったい、なにがはじまるんです?」
期待はどこにもなく、ただ何かが始まることしかわからない状態。藤堂はそうつぶやくと身を硬直させる。
「まあ、そう心配しなさんな。悪いようにはしませんから…」
そう言われても、これまでの数時間、ジェットコースターのような感情の起伏にとらわれている藤堂にとって、今から始まろうとすることに不安しか抱けていなかった。
車は、1時間強かけて、霞が関に到着する。合同庁舎が立ち並ぶまさに日本の中枢。車寄せにザザッと横付けする藤堂の乗った車は停まると、素早く助手席の男が扉を開ける。
「こ、ここは…」
「あんまり声を立てない方が身のためですよ」
鮫島が藤堂に注意する。この場所自体も聞いてはいけないようなのだ。
「さあて、そろそろ皆さんとご対面ですよぉ」
しばし歩いて、100人程度が入られる会議室のような場所に案内される。
扉を開くと、そこには、80人程度の人々があちこちでひと固まりになって談笑している。
「おや?」
藤堂は気が付く。藤堂と鮫島一行のように、スーツで身を固めた数人の傍らに平服を着た一人がいる、というグループだらけだったのだ。
「そろそろ気がついてこられましたか?」
鮫島が、この様子からどう洞察するか、知っているかのように藤堂に問うてみる。
「これって、みんなDJしている人ですか?」
藤堂はおっかなびっくり答えてみる。いくら国の組織だからって、ここまでのことをやってのけるとは…
「エエ、よく気がつきましたね」
鮫島はこともなげにそう告げる。その答えが合図だった。鮫島はことの経緯を話し出す。
「まず、私たちがあなた…藤堂さんを知った経緯から話しましょうか」
今までのもやもやがきっと解き放たれる! 藤堂は少し目を輝かせる。
「そもそも一般人が、政治的な発言をしたところで、誰の目にも止まるものではありません。せいぜいSNSで発信するくらい。ところが、私の諜報員が独り言で政治ネタを延々しゃべっているヘンな人がいる、と告げてきたのです」
ここでいったん区切った鮫島。
「あ、実はその変な人って藤堂さんじゃないんです。もっと前に当たる、美山という人が始まりなんです」
いくら正論を言っていたとしても「ヘンな人」呼ばわりされるのはあんまり気持ちのいいものではない。少しだけ表情を曇らせた藤堂だったが、次を聞きたい、というような顔をする。
「で、その美山さんにもいろいろ尽力いただいて、政権批判をする層に媚びないようなラジオ放送を作りましょう、ということになったんです」
「ちょっと待ってください」
手まで上げて、藤堂は鮫島の語りをストップさせる。
「何か疑問点でも?」
「いまどきなんでラジオ、なんですか…」
「まあまあ。先を急がないでくださいな。ラジオになった理由も今からわかりますから…」
鮫島は、藤堂の勘の良さは調査以上だなー、と改めて実感する。
「なんでラジオか?理由は設備投資がそんなにいらないんです」
「でも、動画サイトを使えば今やだれだって配信できる時代じゃないですか…」
藤堂はまたしても突っ込みを入れる。
「じゃあ、その動画サイト・・・なんちゃらチューブとか、なんちゃら動画とか、観れない層の人はどうすればいいですか?」
今度は鮫島の逆襲だ。ネットリテラシーのある層以外に今の野党の無茶苦茶ぶりを伝える媒体が存在していない…そして、高齢層ほどオールドメディアである新聞やラジオ・テレビを無批判で信用する部分がある。そこに目をつけたのである。
「だから、誰でも聞けるラジオを使ったんです。新聞は、さすがに部数が必要になる。テレビは、放送免許もさることながら設備投資が半端ない。かたやラジオは、音声データだけなので、ぶっちゃけ、アプリさえ起動できればサーバーからデータを読み込んで擬似的に放送することだって可能です」
鮫島がシステムを披瀝する。藤堂のしゃべりを拾うのは、超小型のドローン。屋内でしゃべっている音もばっちり拾える、指向性マイクと、彼のしゃべりだけを抽出するサンプリングソフト、しゃべりを瞬時にデータ化してホストに送る伝送システムまでを備えている、内閣府の秘密兵器ともいえる代物だった。
「もともとは、言わずもがなで、極左組織の共謀罪立件のために作られたもの。でも、彼らもこのシステムの存在に気がついて、すぐに地下に潜ってしまいましたからね。せっかくできたシステムなので、逆の方向にしてみるか、というのがここまでの経緯なんです」
「じゃあ、どうして私に?」
白羽の矢の立った自身の選考理由を問う藤堂。
「ああ、それも簡単なことです。ドローンとは別に、人海戦術で、あちこち検索して、見つけたのがあなたなんです」
「ふーん」
納得のいかない藤堂だったが、確かに人目があっても、しゃべりだけはやめていなかった。それを見つけられて、DJの一員にさせられるとまでは想像しようがなかった。
「じゃぁ、あの会社は?」
次の疑問『首都圏放送』に藤堂はフォーカスする。
「会社がないのに放送しているのはおかしな話。なので幽霊会社をそれらしく見せているんです。電波の割り当てや放送免許も、官製ラジオ局だからあっという間。それでも表向き新規ラジオ局誕生、と大々的に宣伝せず、正論だけを取り上げるスタイルを貫いているというわけです」
藤堂の説明には矛盾点は見受けられない。藤堂が指名されたところだけは疑念があったのだが…
「あ、そろそろ「御館様」の登場ですよ」
そういうと鮫島たちはすぐに身なりを整えてその人物の登場に備える。
スポットライトとともにその人物は壇上の演台に近づいていく。その姿は、まぎれもない、官房長官の仲村だった。
「えー皆さん。えー、今日は遠路から来られた方もいらっしゃるということで、エー、ご足労いただきまして恐縮であります」
合いの手の「えー」が口癖の仲村らしい語りが始まった。
「遠くは大阪に、えー、新潟ですか。えー、本当に突然のことで、えー、申し訳なく思っております」
さすがに聞き取りにくく、イライラもする藤堂だったが、彼の口からどんな真相が語られるのか、かたずをのんで見守るしかなかった。
「えー、さて、今日お集まりいただいたのはほかでもない。えー、これまで秘密裏に動いておりました、政府支援系のラジオの、正式なキックオフを、この場で宣言したいと、えー、思っておるからであります」
おおっという感嘆の声と同時にぱらぱらっと拍手も起こる。
「え?今までのって、試験的な放送だったんですか?」
藤堂は小声で鮫島に確認する。
「エエ。そういうことです。なので今まで大々的に宣伝も広報もしてこなかったのです。でも、一定の効果も評価もいただいてきている、というのでこうして正式発足となったわけでして」
「そういうことですか…」
藤堂はとりあえず納得する。だが、すぐさま疑問が浮かぶ。
「エ?てことは、僕の立場は、どうなるんですか?」
まさか専業のDJになるのか…そんな風に藤堂は思っていた。
「あ、そのことですか。それは今から発表がありますよ」
そうだった。仲村の言葉はまだ続いていたのだった。
「ここにおいでいただいている皆さんには、えー、ラジオ局の職員兼ディスクジョッキーとして勤務いただくことになります。現在無職の方におかれましては、えー、そのまま特別公務員としてご勤務いただきます。えー、現在職業をお持ちの方は、嘱託DJという形で当ラジオ局に加わっていただきたいと、えー、思っております」
「なんかすっげぇ差別されてるみたい…」
藤堂は偽らざる気持ちを吐露する。
「そうは言いますけど特別公務員って、決して高給じゃないですからね。そりゃ試験も何もないで公務員ですから。そんなに甘くないですよ」
鮫島は藤堂にそう言ってなだめる。あとで聞いたところでは、アルバイトに毛が生えた程度の給与しかなく、一般の公務員とは2ランク以上は下という評価だった。一方の嘱託の方はというと、個人事業主として税制の優遇は受けられる、もっともダブルインカムに伴う確定申告であるとかはほぼしなくていいレベルの収入しか増えない、ということのようである。でも、無給・タダ働きとは違うのだから、俄然気合も入ろうというものである。
ラジオ発足のキックオフ日から数日。
予想通り、「政府系のラジオ局発足」に、既存のメディアは、揃いも揃って発狂に近い論調をこれでもか、というほど出してくる。
「プロパガンダ」
「ヒトラーの手法をまねる政権」
「彼らの伝える真実はどこまで本当か」
「自由な制作スタイルで大丈夫か?」
「既存メディアの全否定する政権の横暴」
・・・
「まぁた、この記事かよ…」
もはやWEBニュースでしか見なくなった新聞の社説には、「責任のない一般人の投稿動画レベルをメディアと呼べるのか」と強い口調で述べられている。発表があって糾弾・指摘・攻撃が後を絶たない。
概略を受け取った藤堂は、自分が政府の「コマ」のように使われることになることには若干不安も幻滅もしていた。それがやりたくって独り言を言ってきたわけではないからだ。それでもラジオの向こうのリスナーに正しい情報を発信し、それに触れることで覚醒してもらい、日本をよくしようという理念のもとに今まで放送をやってきたことには、自負と確信があった。
とはいえ、藤堂は、まだいろいろと不安も疑問も残っていた。最大の懸案事項は、あの日、鮫島に投げかけた、『なぜ命を狙われることになったのか』についての回答を本人からもらっていないことだった。
殺されることにはあまり未練はない。そこそこに生きたし、仮に殺されても一応藤堂の血筋は自分で終わることはなくて済みそうである。土地や建物も、残った誰かがうまくやってくれるであろう。
だが、理由もわからずに凶弾に倒れる、という不遇な死だけは避けたかった。死に値する何かがそこにあるから殺される。本来なら許される行為ではないが、殺す側の「理」がわかれば対処のしようもある。そして、それに対する覚悟もできる。
何かがわからないままで日々を過ごさなくてはいけない。もっとも、それをストレスに感じても仕方がない。藤堂の日々は、以前にもまして舌好調な放送と仕事の二本柱で過ぎていく。
「藤堂くん!!」
あまり衝突してこなかった販売部長の澤田に語気強く呼ばれたその日。
「ちょっとできすぎなんじゃないの、今年」
怒られるとばかり思っていた藤堂にしてみればてのひら返しとまではいかないものの、気持ち悪ささえ漂う口調にただならぬ雰囲気を感じ取った。
「ええ?そうですか・・・」
しらを切る藤堂。
「何をご謙遜。夏物、在庫管理がしやすいってお店の評判もいいし、何より正札でバカ売れしているそうじゃないか」
実は、そこは藤堂の見込み違いでもある。ラニーニャ現象で冷夏予想と見込んであんまり攻めた販売計画にしなかったのだ。前年売れ数比110ほど、アイテム減の分を数量でこなす計画だったわけだが、見た目はうまく立ち回っている。だが、夏物終盤の8月まで商品が持つかどうか…今の藤堂の不安の種はそこにある。
「今の酷暑が続くと売れ行きも鈍化するでしょうしね。結構露出少な目のアイテムが多いですから」
「だからいいんだよ。うまくバーゲン用が残るじゃないか」
「(そこまで残らんと思うけどなぁ…)」
藤堂の心の声はそうつぶやく。
「で、今日呼んだのはほかでもない。秋物は、夏と比べてアイテムが増えているんだが、これの意図するところを聞きたいんだよ」
「ああ、その話ですか…」
まったく、俺のプレゼンを聞いてないのまるだしじゃんと思いながらも、藤堂は秋アイテム増加のコンセプトを語り始める。
「ああ、なるほど。夏絞った分、秋は、豊作、多彩なアイテムで、ってことか…」
「なので、ディスプレイも、あまり使わない果物とか野菜なんかも使ってイメージしようと思ってます」
「ほうほう。それは大胆だな」
奇抜なアイディアと思ったのか、澤田は目を丸くする。
「服屋に野菜とかって、ミスマッチのようですが、もちろんそれらをデザインにも取り入れてますので整合性は取れています」
「そうこなくっちゃあねぇ。デザイン部もいい腕の職人ぞろいだしな」
「なので、秋商戦は、少し早目にキックオフしたいと考えてます。お盆前には商品が並ぶようにすでに手配済みです」
「それは素晴らしい。最近、本当に腕を上げたねぇ」
感嘆とともに澤田は目を丸くする。
「それもこれも、部長のご指導ご鞭撻があればこそ…」
上げたくはないが、こうでも言っておかないと後々がやりにくくなる。
「わっはっは、そんなにおだてるなよ、アハハハ…」
ポン、と藤堂の肩をたたきつつ、澤田は部屋から出て行く。
せっかく褒められたはずなのに、藤堂には、ため息しか浮かんでこなかった。
「ただいまぁ~~」
販売部に戻った藤堂は、少し落としたトーンで帰ってきたことを報告する。
「で、部長の呼び出し、なんだったんですか?」
まだ席にも付いていないのに藤井は喰いつくように藤堂に語り掛ける。
「あ、ああ。夏物好調と、秋物のコンセプトを聞かれただけ」
言葉少な目に聞かれたことに答える藤堂。
「え?それだけですか?」
藤井が声に出して聞くのと同じことを課員たちも思っているのがありありとわかる。
「ああ、マジでそれだけ。まあ、怒られるよりはよっぽどましだけど」
次に控える販売部の会議用の資料を準備しながら藤堂は答える。
「まあ、そういうことならよかったですわ」
藤井が少し含みを持たせた応答をする。
「ん?そういうことじゃない話でもされると思ってたのかい?」
気になった藤堂が藤井に水を向ける。
少し伏し目がちになって言うべきかどうか逡巡しているそぶりを見せていた藤井だったが、意を決したように藤堂のそばに近寄ってくる。
「課長の後任の話ってなにもご存知ないんですか?」
藤堂の耳元で藤井がささやく。
びっくりした藤堂は、想いっきり眼を見開いたまま藤井をみつめる。
「そういうことですか…」
なにも知らされていない。藤井は藤堂の驚きの表情ですべてを悟った。
「ま、そのうちいやでも知ることになるでしょうからね」
藤井は、それだけ言って、会議室に消えていく。
藤堂は、自分がこれからどうなっていくのか、不安で仕方なかった。
心ここにあらず、の藤堂は、何度も藤井を始め課員たちにたしなめられながら、会議を進行していった。小一時間の「冬物コンセプトと製造計画」を議題にした会議は終了する。
それでも藤堂は心中穏やかではないままだった。特に藤井の発言は聞き捨てならない。俺はどうなっていくんだろう…
そこに、携帯電話が着信を知らせるバイブレータを振るわせる。主は何と鮫島だった。
トイレに行くそぶりを見せつつ、部屋から離れて、藤堂は電話を受ける。
「もし、もし…」
少しトーンを落として藤堂は話しかける。
「やあ、久しぶりですね。元気してましたか?」
鮫島は、今藤堂がどういう状況か知らないかのように、明るい口調で藤堂に言う。
「エエ、まあ、元気ですけど…仕事中なんで」
と言って切ろうとする藤堂に、
「そうなんだ。いま会社なんですね?なら都合がいい。いまからそっち行きますよ」
「え?な、なんの話ですか…」
何やら事態が動いている。藤堂はあまりのことに震え出していた。
「まあまあ、悪いようにはしませんて。それじゃあ、あと5分後に」
「ぇええ、ちょっ、ちょっと」
もう通話は途切れていた。
本当に5分後、鮫島は藤堂の会社に来ていた。数人の部下を引き連れて。その場には社長も、販売部長もいた。
「…ということで、急なことなんですが、藤堂さんには、お国の大事、ということでそちらの方に回っていただくことになりました・・・」
社長やら部長がいろいろと話したりしているのだが、藤堂に取ってみれば、今自分の身に何が起こっているのかが全く理解できなかった。
え?会社を辞める?ラジオ局に取り込まれる?それってどうしてそうなるの…
頭の中のパニックは、そう簡単に収まらなかった。ただここで抗ったところでどうなるものでもない。少しだけ冷静に物事を見ていた藤堂は、まずはこの流れに身を任せようと思い始めていた。
「それでは、藤堂君からも一言」
そう社長に言われたのだが、販売部はもとより、会社中の人間が私に視線をくれている。それはまるで異端児をみるものだった。
藤堂は重い口を開け始める。
「…突然のことなのは私にとっても同じです。もう衣料に関われなくなると思うと、自分が決めたことでもないだけに残念です。これからどうなるのか、私にもわかりませんが、次の職場でもうまく勤めていきたいと思います。急なお別れでなにもできませんでしたが、後のことはよろしくお願いいたします」
一礼したが、拍手はまばらだった。
「それじゃあ、引継ぎとかもあるでしょうから、30分後にまたここに来ますよ。それまでに済ませておいてくださいね」
鮫島は、これ以上ない笑顔で藤堂に迫る。その笑顔が不気味に映った。「断ったらどうなるかくらいわかっているだろうな」の裏返しに見て取れたからだ。
恐怖の方が先に来ている。藤堂の第二の人生は、こうして、不安と戦慄に覆われたまま始まろうとしていた。
うはぁぁぁ。
とりあえず4タイトル目まで来ましたね。で、先に言っておきますが、完全版(一本まとめ)を作って完成とさせていただくことにします。その際、大幅に加筆修正/追加もする予定です。あ。そういう告知は出来上がってからするもんでしたね。
流れからしても、ハッピーエンドにはなりそうもない…そういう不穏な締めにさせていただきました。この後の展開…藤堂は、上条はどうなるのか、少し頭の中をすっきりさせてから仕上げに入りたいと思います。
このSSへのコメント