2024-05-08 21:02:00 更新

概要

根来とナナコロビヤオキのトレーニングは始まったばかりだが、その他5人の決まった情景はどんなだろうか?


前書き

さて、根来氏とナナコロビヤオキのトレーニング風景がスタートするところで3章まで終わりましたが、ほかの5人はどうなのか、ということに言及する時間を設けてもいいのではないか、ということで脇筋ではあるけれど、5人のそれぞれを描いてみました。

2021.5.27 ほかの5人のペアに付いて一章書くことを計画。
2021.5.29 作成開始。乙名史・カンジュクトマトペア完成。2000字程度。
2021.6.4 沢井・スイミングゴーグルペア完成。
2021.6.25 全員の顔合わせ完了。8000字超。
2021.7.10 一応完成。10630字。
2021.10.19 第5話完成に伴い、日付のみ更新。修正/文字数増減なし。
2022.5.1 第6話完成に伴い、一部感嘆符等の全角化修正。日付更新。
2024.5.8 2024年度見直し。数字の半角化など。10720字。


【ここまでのあらすじ】

ウマ娘の雑誌6誌の担当者がトレーナーになって、次世代のスターウマ娘を輩出する企画がスタートした。「ウマっ娘通信」の根来 俊一はナナコロビヤオキを育成ウマ娘に得て、いよいよ育成に向けて第一歩を踏み出した。

一方、他の5人が育成することになるウマ娘たちは、どういう経緯で決まっていったのだろうか……


15.【乙名史悦子とカンジュクトマト】

選抜レースの第一走目の勝者・ナナコロビヤオキを私のライバルである根来さんが担当することが知らされる。

「え? じゃあ、今からやる選抜レースの勝者は、私が担当するんですか?」

隣でニコニコしながら、準備の進んでいる選抜レース2戦目を見ている安藤先生は、私の問いにあっさり答える。

「その通りです。よかったですねぇ」

その言葉の真意が全く理解できなかった。きょとんとしている私に先生は追加で説明する。

「さっきのレースって、勝利を確約されたウマ娘がいたんですよ」

私は選抜レースのプログラムに目を落とした。先生が手書きで書いている◎は、なんと、逃げ残った3番のウマ娘につけられていた。

「彼女が勝つ予定のレースだったんです。惜敗続きなのは、ナナコロビヤオキもですけど、ここで逆転されるとは……」

レースに絶対はない。私の先輩記者の格言でもあるのだが、それが目の前で起こったのだから、やはり先人のいうことは含蓄深い。

「でも、安心してください。この第2レースは、頭一つ抜けているカンジュクトマトが確実に勝利します。だから、まぎれも起こらず、予想通りに決着するからよかった、と言ったのですよ」

ニコッと笑みをたたえた先生の言葉には、少し自信も垣間見えた。

「それほどの能力の持ち主が、どうしてここまで勝ちきれていないんですか?」

先生の自身とは裏腹に、レースの成績は惨憺たるものが並んでいる。よくて3着、レベルがそれほど違わないはずなのに大差負けも3回に一回ある。成績だけで彼女がここで勝つ、なんて印を打ったら、デスクからこっぴどく叱られるところだ。

「体調の波が激しすぎるんです。良い仕上げをしたのに息が持たなかったり、トレーニングそのものもハードにできなかったり……まあ、一言でいえば、病弱なんですよ」

一気に先生の顔が深刻になった。

「ああ、なるほど……」

どれほどの潜在能力があっても、息が整わなくては本来の力を発揮できない。常に彼女の体調を見なくてはならないところは、かなりアゲインストだ。

「パッカン!」

ゲートが開く。積極的にレースの主導権を握ったカンジュクトマトは、ほかのウマ娘を翻弄したり、煽ったりしながら、実に生き生きと走っている。第4コーナーでは、あえて中団より後ろに位置しながら、計ったようにスパートをかけて、ゴール板前数十メートルできっちりと1着をもぎ取った。

「あれが、彼女の実力です。まあ、それもこれも息が整えば、という前提ですが……」

安藤先生の言葉は、うれしさよりも、不安を増幅させるトーンに覆われていた。


「で、カンジュクトマトさん?」

理事長でのお目通りからの帰り道、私は横にいるカンジュクトマトに話しかける。

「ハイ、なんでしょう、トレーナーさん?」

普通に話しかけるカンジュクトマトだが、やはり声は消え入りそうなくらいに小さい。

「今までどんなトレーニングしているのか、聞かせてもらえませんか?」

私は彼女を知りたい一心で聞く。

「いえ、普通にほかの娘たちとレベルは合わせてます。負荷をかけるとすぐに体調不良になるので……」

ギリギリまで追い込んでトレーニングするから、その反動が力になる。その大きなプラスがこの娘には望めそうにない。

「呼吸器については、お医者さんは、なんて?」

カンジュクトマトの、時折見せる息苦しそうな表情を私は見逃していない。

「成長とともに肺も大きくなるから、心配しなくていいって言う見解でした」

それを聞いて私は一安心する。病気でない、というだけでも大きな収穫だ。そう。3年も時間があるのだ。私は少しだけ、このウマ娘との3年間は、楽しいトレーニングになるだろうな、とおぼろげながら確信していた。


だが、そんな甘い妄想は、トレーニング初日にして打ち砕かれる。

「乙名史さん!」

安藤先生の色を失った表情は、明らかにカンジュクトマトの異変を物語っていた。取るものもとりあえず、私たちは校内の保健室ではなく、ウマ娘専用の総合病院に向かう。

カンジュクトマトは、危機を脱したのか、目の前ですやすやと眠っている。

「で、どうですか、先生?」

顔なじみなんだろう、安藤先生は、主治医にそう尋ねる。

「まったく……昨日、選抜レースでもやったんですか?」

主治医にかかれば、カンジュクトマトの行動まですんなり当てられてしまう。

「あれだけ負荷をかけちゃぁ、ダメですよって言ってたでしょうが。下手したら、酸欠で脳に影響でますよ」

酸素と二酸化炭素をうまく出し入れするから、人間もウマ娘も生きていられる。それに、あそこまでの脚力を発揮しようと思ったら、要求される交換量は半端ない。そこに問題を抱えている彼女が、どんな距離であれ、走れるというのは奇跡に近いのだ。

「彼女を生かそうと思ったら、どうすればいいですか?」

私は主治医にこう尋ねる。

「無理はせんことです。レースなんてとんでもない。何レース目かに確実に死んじゃいますよ」

そう言うと、主治医は病室から出ていく。


病院からの帰路、タクシーで学園まで戻る先生と同席する。

「彼女、走れなくはないですけど、雑誌対抗という目的には向いてないと思いますよ」

先生はそう言い出した。

「かといって、彼女の担当、降りますって言うのは彼女に失礼ではないですか?」

カンジュクトマトを何とかしたい……その思いの方が強かった。

「あなたがそういうのなら、別にそれでも構いません。ただ、これはすごいハンデでもあるし、死と隣り合わせのトレーニングやレースって、凄いストレスになると思うんですよ」

そう言ったウマ娘を何人、何十人と見ている先生だからこそ、私にそこまでの苦労をさせるべきではない、という思いやりから出た言葉なのだろう。

「それでも、彼女を育てますか?」

安藤先生の表情が一気にこわばった。私も選択しないといけないのだ。

「はいっ。彼女がもっと元気に走られるように、努力します」

こうして私の決意は固まった。彼女が退院するのは3日後。どういう育成方針で進むのか、先生と議論する毎日が幕を開けた。


16.【沢井とスイミングゴーグル】

選抜レース2本が終わった。先に呼ばれた二人の育成すべきウマ娘が決まったわけだが、私の担当教官トレーナーの軽部さんは終始にこやかである。

すでに始まっている次の選抜レースの準備だが、ゲートが動かされ始めているのを目撃する。

「あれ?トレーナーさん。ゲートが……」

「あ、そりゃそうだよ、ここからセンロク(1600m)だから」

こともなげに軽部トレーナーは言う。

「え?中距離得意の娘ばっかりじゃないんですか?」

「あぁ、距離適性を揃えると思ったのか……それやっちゃうと、ほかの距離得意の娘からクレーム来ちゃうだろ?」

「あ、ま、まあ、確かに……」

「それに、距離だけで優劣をつけるって言うのもおかしな話だしね」

軽部トレーナーのいっていることはもっともだ。ただ、それだと、雑誌対抗、ということに繋がるんだろうか……

「そんなことより、この娘、この娘ですよ。この娘の勝利はテッパンですから」

にこっと微笑みを見せたその先には、トレーナー自身がつけた◎が見える。

「スイミングゴーグル……」

私はボソッとつぶやく。

「ハイ。前回も前々回も惜敗の2着。勝って当たり前の仕上げになっているのを肌で感じます」

そう言うトレーナーなのだが、

「どのあたりがですか?」

はじめて会うウマ娘たちだけに、よくなった部分が私にはわからない。

「ああ、それだったらちょうどいい。調子を見るときのチェックポイントにもなるから」

そういうと軽部トレーナーは、軽くレクチャーする。

「彼女たちの走力をつかさどるのは、脚ですよね。その脚周りから、うっすらと血管が感じられれば、体重調整、つまり体脂肪率が最適に仕上げられている、とこういうわけです」

なるほど。わずか500gの増量でもウマ娘の間では"太った"といわれる、厳密で厳格な調整シーンは、よく坂路をビシビシやっている彼女たちを見て知っていただけに、"どこが調子の良さなのか"を知ることは重要だった。

「それでも勝てないことはありますよね?」

至極当たり前のことをトレーナーに聞く。

「それは相手がうまかったから。自分が至らなかったと思うことは全然ないですよ」

軽部トレーナーは、勝利という面では正直上位にいるトレーニング名手ではない。ただ、彼のトレーニングするウマ娘たちは身体能力の優れた娘に育つことで有名だった。

「私のトレーニングのモットーは『ただ丈夫に育ってくれる』こと。その上で勝利は授けていただく、という信念でやってます」

勝利は二の次な彼の考え方は、ここにきて不十分に感じていたのだが、よくよく考えたら、ケガなんかしたら、その娘の将来にもかかわってくる。ここ最近、骨折といった事故は起こっていないのだが、捻挫であっても復帰に数週間はかかる。

「でも、今回は、そんな生ぬるいことではダメなんです!」

消極的過ぎる軽部トレーナーに私は歯向かってしまう。

「ああ、そうでした。雑誌対抗ですもんね。でも、無理に育てる必要はありませんよ」

「どうしてですか?」

「それではこれを見ていただきましょう」

軽部トレーナーは、双眼鏡のようなものを取り出し私に見せる。

「ゲート待ちしている彼女たちを見てみてください。3番がスイミングゴーグルです」

「ええっと、3番、3番……えっ?!」

私は思わず声を上げた。

「ハイ。彼女の基本的なステータスです。並み居る娘たちを凌駕しているのがわかっていただけると思います」

いま見ているのはステータスファインダーという代物だった。これでウマ娘たちの成長具合ややる気も知ることができる。

「こ、こんなに……どうしてこんなに差が?!」

「それは彼女の努力のたまものですよ」

勝ちたい一心でトレーニングもレースも惜しみなく出ている彼女。自分の脚質をマイラーだと認識して3戦目。勝ち名乗りを上げられるのも間近だった。

「ここから鍛えることにもなるんですが、彼女の場合、マイルメインですから、やることはスピードに特化しつつ、維持できるスタミナと加速に必要なパワーをまんべんなく伸ばしてやることです。難しさがないという点でも沢井さん、結構有利ですよ」

そう言って軽部トレーナーは言う。

「ガッコン!」

レースは、逃げるかと思われたスイミングゴーグルが、2番手に位置する意外な展開。それでも、最後の直線できっちり前をとらえて2バ身差で優勝する。

「ほほう。先行でも行ける脚質を手に入れたか。ますます楽しみですよ、沢井さん」

駆け足でやってくるスイミングゴーグルの目は、キラキラに光っていた。

「よろしくお願いします、トレーナーさんに見習いさん!」

二人して、スイミングゴーグルの頭に手をやった。


17.【大川とセルズアットワーク】

選抜レースはまだ見るだけだと思っていた私たちだったが、よもやレースの勝者が育成ウマ娘であるなんて……

すでに3人決まったわけだが、順番から言っても、次のレースの勝者が私の担当する娘なのだろう。

「先生。彼女たちって、マイラーみたいなんですけど……」

私はメンバー表に目を落とす。すでに先ほどのレースが1600mで争われていたことも大きく影響する。

「いや、ここはあえてこの距離で、挑んできている娘たちもいるから要注意だよ」

さすが歴戦のトレーナーであり、勝利数で言えば、もうすぐ4桁になんなんとする名伯楽・四ツ位師だけのことはある。着眼点が、私のような素人とは一線を画している。

「たとえばこの1番の娘。これまでスプリントレースで下位入線。距離の延長が上積みになると思ってのエントリーだろう。その逆なのが6番。距離短縮に活路を見出したとわかるからね」

メンバー表には、彼にとっておなじみの……それでいて勝ちきれないウマ娘たちが出ているのだろう。的確に分析がなされる。

「それにしても、このメンバー、あまりにふざけた名前、多くないですか?」

バサッと、メンバー表をたたみながら、つい私は本音を口に出してしまう。

「い、いや……それは名付け親に言ってくれたまえよ。私のせいじゃないよ」

四ツ位師は頭を掻きながらそう言う。

ペンギンマンジュウ、ダイサンノシト、ビショウジョセンシ……どこかで聞いたようなそれでいて、それほど強そうに感じない命名のウマ娘たちが紹介される。

(あー、誰が勝っても、こんな名前じゃあ、ねぇ……)

私は、正直名前にとらわれるばっかりでレースを真剣に見ようとは思っていなかった。

「パッコン!」

「さあ、マイルで競われる、選抜レース第4戦、スタートしました。おっと、これはいきなり全員が全力疾走しているかのようだ!」

実況の声が裏返るほどの驚きのレース展開。私は目を疑った。

脚質は、個々でバラバラのはずなのに、まるで全員が逃げ脚質に転向したかのように、一団となって、早いラップが刻まれていく。

「前半800mをな、なんと44秒台で通過!グレードレースでもお目にかかれないハイスピードラップが刻まれていきますっ!」

実況の熱のこもった声と、信じられない速さに私はターフに目をやる。

"ここは勝ってやるんだ""負けられない"

出走しているウマ娘たちの執念が私のところにも伝わってくる。マイル戦なのに、その熱量は、どんなレースをも凌駕していた。

「さあ最後の直線、勝ち負けに加われるのは5人に絞られたぞ、果たして勝利するのは誰なのか……」

私は久しぶりに見る死力を尽くしたレースに、今トレーナーの卵としてここにいることを忘れそうになっていた。

「一着は、セルズアットワーク!」

終始レースを引っ張っていた彼女が、このレースで勝利したのだった。

「いやあ、凄いレースでしたね。トレーナー?」

四ツ位師に声をかけるが、あまりの衝撃レースに声も上げられない。

「大川さんっ」

両の手で私の手を握ってきた四ツ位師は、泣いていたのか、目を真っ赤にしていた。

「彼女、しっかりと育てましょうね」

その言葉からうかがえるのは、久しぶりに原石を見つけたぞ、という期待に満ちたものだった。

「ええ。そのつもりです!彼女には、もっともっといい美酒を楽しんでもらいましょう!」

つられて私もそう言った。


18.【塚口とキボウホウウインド】

押しつけられて、本当はイヤイヤ参加したはずの僕だが、ここ数日間で、レースの、ウマ娘の魅力に取りつかれてしまっている。間近で見る彼女たちの躍動感は、現地取材をほぼしなかった僕にとって新鮮味あふれるものだった。

「それにしてもさっきのレース、こちらもあの熱量にしてやられましたね?」

渡辺トレーナーが僕に声をかけてくる。

「いやあ、凄かったです……」

僕もそう感想を述べる以外なかった。

「今回のこの選抜レースも、ほどほどに熱い戦いが見られそうだけどね」

渡辺トレーナーはそう言って、メンバー表を見せてくる。

僕だって、「見るだけ」と言われて、見ている選抜レースの勝者が、トレーナー候補生の育成対象に決まっていくことに戦慄を覚え始めていた。次のレースの勝者を僕が育成することになるのは、法則性から言っても間違いなかった。

「で、先生。僕が育てることになるウマ娘って、どの娘でしょうか?」

僕は、フランクに接していただいている渡辺トレーナーに聞いてみる。

「このメンツかぁ……これ、誰が一着でも面白いよ」

メンバー表を見ながら渡辺トレーナーはちょっと意地悪っぽい笑顔をぼくに見せつける。

「面白いって言うのは?」

言葉の真意をぼくは探る。

「簡単なことさ。みんな実力が伯仲している。確率はほぼないかもだけど、全員がゴール板前に一列に並ぶことだってありえるくらいだよ」

そうなったら面白いな、という感想を渡辺トレーナーは見せる。

「そんなデッドヒートが……」

あり得ないとは思っていたものの、そうなったらどんなことになるのか……

「見られると信じて、レース、見ましょうか」

脚質も9人ともバラバラ、追い込み脚質の一人くらいが勝利に少しだけ届かない程度の差しかないのだ。

「さあて、選抜レースも残すところ2レース。ここからスプリンターたちの競演が幕を開きます」

実況の声を聞いて、僕は不安になる。

「このレースって……」

声のトーンが明らかに低い。

「そう。彼女たちは短距離適性。きみと残る斎藤君の担当するのはスプリンターだよ」

「そう言えば、さっきの2レースはマイルの距離だったな……」

雑誌対抗を謳うからには、完全一致は無理でも、距離適性くらいは合わせるものだと思っていた。

「条件が揃わないから、勝負にならないって思ってる?そのことならご心配なく。不利の出にくいような方策を理事長ともども考えているから」

しっかりしたルールやレギュレーションについては、その都度決める、という文言が契約書の中にあったのを思い出した。


「パッカン!」

「さあ、第5選抜レースのスタートです。最初に飛びだしたのは……」

実況を聞いても気もそぞろだ。虚ろな目でレースを追っていたのだが、渡辺トレーナーの予想通り、3コーナーから4コーナーの間で一気に隊列が縮まった。

「4コーナーを回って、最後の直線!ほぼ一団、2バ身圏内に9人がひしめき合っていますっ!!」

実況も熱が入る。誰かがスパートすれば、それに呼応して別の娘がスイッチを入れる。抜きつ抜かれつの果てに一着を取ったのが、

「大混戦を制したのは、6番キボウホウウインドですっ!」

写真判定まで持ち出されて、着順が決まるまでは長い時間だったが、勝利した娘が紹介されて、どよめきが起こる。

「そんなに驚いた結果ですか?」

無知というものは恐ろしい。無邪気に渡辺トレーナーに聞いてしまう。

「驚いたね。彼女、唯一の追い込み脚質なんだよ。ここでも勝ち負けまでは難しいと見ていたんだが……やっぱり、レースは何が起こるか、わからないや」

僕の無邪気ぶりにつられたわけではないではないだろうけど、渡辺トレーナーも童心に帰ったような口調で話す。

「しかし、短距離で追い込みって……」

僕はその特徴ある戦法にむしろ惹かれている。

驚きあきれているさなかに、僕たちめがけてキボウホウウインドがやってくる。

「トレーナーさん。私の走り、いかがでした?」

女性とは思えない、ニヒルな口調でボソッと話した。勝利に喜ぶ様子はあまり感じられない。

「ああ、なかなか見ごたえあったよ。次も勝てるように頑張ろうな」

渡辺トレーナーはそう言う。

「勝てる努力は引き続き行います。それでは」

キボウホウウインドはそれだけいうと、私に一瞥もくれずにその場を離れてしまう。

「お、おいっ」

僕は追いかけようとしたのだが、その足が止まる。とっくに視界から消えているからだ。

「う、ううーん。あの気性難が課題でね……」

渡辺トレーナーの一言が僕を少し苦しめることになるのは後々のことだった。


19.【斎藤とヒラシャイン】

「さあ、最後の選抜レースとなりました。最後も1200mの電撃戦、どの娘が勝ってもおかしくない、混戦必至のレースです……」

実況が最後の……オレが育てないといけないウマ娘を選抜するレースの開催を告げる。

「どうしたんですか、斎藤さん」

オレの教育担当トレーナーの富士沢さんが、飲み物を携えてやってくる。

「あ、いや、別に……」

表情を悟られまいとしたが、

「いやいやぁ。別に恥ずかしがらなくてもいいですよ。最初は……私だって怖かったですから」

にこっと笑みを浮かべて富士沢さんはドリンクをオレに手渡す。

「え?先生もそうだったんですか?」

あまりの驚きにもらったドリンクを落としそうになった。

「ああ。いまでこそリーディングを狙える位置にいるけど、最初なんか、片手に余るくらいしか勝てなくってね……」

自嘲気味に富士沢さんは語り始める。

「でも、信念は曲げなかった。それに付いてきてくれるウマ娘たちが私をここまで押し上げてくれたんだよ」

その言葉にオレも突き動かされる。信じれば通ず。そんなことわざを思い出した。

「このレース、誰が勝つと思います?」

ありきたりだけど、富士沢さんの勝負勘を見たかった。

「この娘たちなら……7番、かな……」

「ヒラシャイン……」

ふぅん、と思って見ていると、キシュウ○○とか、エゾ××と言った、地名を使った名前が散見されることに気が付いた。

「彼女って、もしかして……」

「そう。比良山のふもとの出身らしい。あの平社員と読みが一緒だったけど、ご両親はこれで行くんだ、って信念を曲げなかったようだよ」

比良の輝き……単語としてなじみのある平社員とはコンセプトも何もかも違う。それでも、ご両親がこの名前にこだわった理由が必ずあるはずだ。

「バッカン!」

二人して話し込んでいる内にレースは始まってしまう。

「電撃戦の先頭を奪ったのは、キシュウノウメ、続いてエゾカイタクミン……」

7番のヒラシャインは、好位追走という教科書通りの先行策。だが、3コーナー手前から一気に先頭集団に取りつく。

「おおっと、ここでヒラシャインが一気に先頭をうかがう勢いで上がってきたぞ」

実況も、突然動いたヒラシャインを紹介する。

「4コーナーを回って、依然先頭はキシュウノウメ、このまま押し切れるか……」

という実況の声が瞬間裏返る。

「ここで差して来たのはヒラシャイン。じりじり差を詰める。残り200、あっと、ここでヒラシャインが先頭に変わる。豪快な末脚で、他を寄せ付けないぞ!」

2パ身差でヒラシャインがきれいな勝ち方を披露した。

「というわけで、ヒラシャイン君だ」

富士沢さんがオレにヒラシャインを紹介する。

「と、トレーナーさん。よろしくお願いします!」

ヒラシャインは、なぜか富士沢さんの方に向かってお辞儀している。

「いやいや。君のトレーナーは、彼だよ」

「俺が君のトレーナーだ。よろしく」

と右手をヒラシャインにつき出す。

戸惑いながらでも、ヒラシャインはオレの右手を握り返してくれた。

「まあ、二人とも、仲良くな」

富士沢さんの何気ない一言の重みを骨身にしみて感じるのは、しばらくたってからだった。


20.【根来とナナコロビヤオキ】

私のできることと言ったら、どこにも長所がない彼女に少しでも勝ちを意識させること。要するに「勝ちぐせ」だ。

だから、レースのとっかかりでもあり、出足にも影響するゲート練習は、避けて通れない第一関門なのだ。私が当初の計画を一旦保留し、ゲート練習に切り替えたのはそういう意図があった。

ほかのトレーナー候補生たちが様々なトレーニングをしている中で、ゲートをメインにやっているのは今の段階では私たち以外にいない。

「バッカン!」

10回ほどスタートを見守ったが、よくて0.3秒、下手すると出遅れと明らかにわかる0.7秒近くも遅れることもあった。

「見ていると、いつ開くか、と待機しているからワンテンポ遅れちゃうんじゃないかな?」

ドリンクを手渡しながら、私は彼女にアドバイスする。

「ですけど、フライングはしたくないですし……」

先生が、ここまでゲート難をトレーニングしてこなかったのは、追い込み脚質だから巻き返せる、という判断だからだろう。

「知っているとは思うけど、ゲートが開く前って、必ず、そこのランプが点灯するんだよ」

練習用のゲートも、遠隔操作でゲートが開く、実際のレース場で使われているのと同じ機構・システムで運用されている。

「それが点灯したら、1秒置いて飛びだせばいい。それでタイミングは完璧だ」

まるで初めて知ったような顔をするナナコロビヤオキ。ゲートは気まぐれで開くものだとでも思っていたのだろうか……

「そうなんですね。ちょっと試してみます」

ナナコロビヤオキは素直に私の意見に耳を貸す。

果たせるかな、最初はドギマギしたぎこちないスタートが、ランプに対する反応が鋭くなっていくにつれて、出遅れの秒数はどんどん縮まっていった。

最後の試走では、今までの出遅れ癖が嘘のように解消され、綺麗なスタートを決められるようになっていった。

「おお、ほとんど出遅れなくなったじゃないか!」

ストップウォッチが0.1秒程度まで改善されているのを見て、私は少し安堵する。

「そうですね……」

さすがにスタートばかりをやっていると瞬発力しか使わないから疲労の度合いも厳しくなる。肩で息をしているナナコロビヤオキ。

「今日のところはこんなもので……」

と、私は切り上げようとするが、彼女は、

「いいえ、トレーナー。もう少し、何か練習を……」

と言い始めたのだ。

私の中では、やればやっただけ体力・筋力になることは知ってはいるが、ただ筋肉をいじめているだけの練習は長時間するものではない。

「まあまあ。今日のところはスタートダッシュが体に染みつくのが目的。明日、うまく記憶できているかを確かめてからトレーニング、始めよう」

私は半ば強引にその日のトレーニングを終わらせた。


「ふぅ、やれやれ」

宿舎に戻った私は、次の"仕事"に取り掛かる。それは「ウマっ娘通信」への記事投稿だ。

第一回は、ナナコロビヤオキを育成していきます、的な紹介記事どまりだが、知っていることを何でもかんでも書いていくわけにはいかない。例えば『ステータスファインダー』は門外不出のアイテムであり、存在そのものも知られていないはずだ。どこまでが守秘義務かは、たづなさんにでも聞かないと、ついうっかり漏らしちゃった、という事態もなくはない。

「まあ、検閲はしてもらった方が、いいかもなぁ」

トレーナー業に専念できるわけではない、雑誌社の代表としている自分の立ち位置にもどかしさを感じながら、その日はしっかりと休んだ。


後書き

とりあえず、4作目、上梓です。
一応、6タイトルで締めようとは考えてますけど、ここからのレースへのレギュレーションとか「雑誌対抗」の意義とか、「そもそもだれを一位にするのか」とかも含めて、しばらく思案したいと思ってます。
尚、本作上梓と同時に、軽微な修正を3作品でも行いましたので、ご査収ください。


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2021-11-11 21:15:29

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