一色いろは・被害者の会3 ~雌伏篇(後半)~
いろはすSSです。三年になった八幡のオリ展だよ!
被害者の会と生徒会の日常の後半をダラダラお届けします。
無駄に長くなってしまいましたがダラダラお付き合いください。
シリーズものなので、初めての方は↓からどうぞ。
一色いろは・被害者の会 ~黎明篇~
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~前回までのあらすじ~
20XX年―― 総武高校は一色いろはの管理するディストピアと化していた。
その支配の鎖を打破すべく八幡・戸部・副会長の三人は『一色いろは・被害者の会』を結成する。
スピーチで仮初の名声を手に入れた一色は、やがて敵である八幡と禁断の恋に落ちる。
触れ合う心と心。急速に縮んだ二人の距離。
だがそれは被害者の会を支配下に置くための、一色の周到な策略であることを八幡は知ってしまう。
一色の管理から逃れるため、そして自由の御旗を守るため、
三つの力を一つに束ね……今、被害者の会が暗躍する!
前回 一色いろは・被害者の会3 ~雌伏篇(前半)~
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「……というわけなんだが、どう思う?」
被害者の会の本部に戻った俺は、早速、先ほどの顛末――
偶然耳にした一色と書記ちゃんの密談の内容を二人に話した。本当に偶然だった。
長机を囲み沈痛な面持ちの二人だったが、やがて戸部が重々しく口を開いた。
経験者は語る。
「……それ、確実にヒキタニくんも、管理下におかれつつあるわ……」
「お前もそう思うか……」
「ま、ゆーても俺の場合?ヒキタニくんほどキツくないっしょ!曜日とかでは管理されてねーし、たまたま目に止まったら命令される感じ?」
「そ、そうか……」
哀れみを含んだ視線を向けてくる戸部だが、それ普通に俺より酷いからな……
サッカー部にいるのは分かってるから、一色にしてみれば捕まえるのは超簡単だし……
「それと校内でいろはすに呼ばれた時は、走っていくように心がけてるぐらい?あ、あと……」
「と、戸部、わかったもう十分だ」
これ以上は心が痛い。ていうか、もうそれ完全に先輩後輩逆転してますからね……
嫌過ぎる、ここまでなったら人間お終いまである。
戸部の堂に入った奴隷っぷりに鬱々としていると、副会長も嘆かわしげに頭を振る。
「俺も戸部と同意見だよ、比企谷の状況は深刻だな……会長もまさかここまで露骨に支配体制を敷いてくるなんて……」
「お前もそう思うか……」
「ああ、それに俺だってそんな形の管理はされていない……休暇だって申請すれば、ほぼ希望通りに貰えるし……せいぜい、定期的に何処に居るか、何をしているかをメールで自発的に報告するように言われているぐらいだ」
「そ、そうか……」
悲しみに満ちた瞳を俺に向ける副会長だが、この人も普通に俺より悲惨である。
あとそれ自発的って言わないですからね……完全にブラック企業の常套句ですからね……
「ラインを使うと位置情報って簡単に送信できるんだよな、楽なもんだよ、あ、あと……」
「ふ、副会長、わかったもう十分だ」
思った以上に闇が深そうなので、話を強引に打ち切る。
とまれ状況は把握した。客観的に見ても、やはり俺は一色の管理下に置かれつつあるようだ。
なんたること……
思えば、メアドや携帯番号を把握するのも支配に向けての第一歩だったのだろう。
悲しくはない。ぜ、全然悲しくなんかないんだからねっ!
「何とかしないとな……」
副会長の言葉に促されるように、俺達は黒板に書かれた『一色いろは・被害者の会』三箇条に視線を移した。
一、一色いろはの被害者を救済する。
一、一色いろはによる被害を今以上に拡大させない。
一、一色いろはには、魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教える方向で。
「つまり今回のミッションは、『被害者の会』が会長の管理から逃れること……で、いいのか?」
「ああ、それに尽きるな」
「……んー、でもさ、簡単っしょ?単純にいろはすを避けちゃえばいいんでね?」
「そう単純な話じゃないだろう……俺にとっては生徒会のリーダーな訳だし、戸部にしたら彼女はサッカー部のマネージャーだ」
「あー、俺らって、どうやってもいろはすと顔合わせちゃうもんな-」
「その時会長に問いつめられたら、どんな折檻が待っているか……」
そこなんだよなぁ……
二人の話を聞いて、もう一つ確信したことがある。
口に出しては言えないが……この二人、既に完全に一色の管理下に置かれてしまっている。
本人たちイマイチ自覚が足りてない気がするが、客観的に見て、もう手遅れなのだ。
だがそれを言ってしまっては、こいつらの協力を仰ぐことはできない。
なんとか自分だけでも助かる方に話を誘導しないと……
「したっけ、俺らもまさか部活やめる訳にはいかないっしょ?……なんか……いろはすから逃れるのって、そもそも無理っぽくね……?」
戸部の呻きに、同じような立場の副会長も憂鬱げに顔を曇らせる。
「うーん、確かに難しいな……あれ?待てよ……?っていうか俺と戸部に関しては……」
いかん、副会長が真実に近づきつつある。
俺はぱんっと手を叩いて二人の注意を惹き、考えを中断させる。
「も、問題は『被害者の会』としてのお前らまで管理下に置かれてしまうことだ、これは非常にまずい。この同好会は一色への反抗の最後の牙城とも言えるものだからな」
こくりと、俺の真意など知りようもない二人は素直に頷いた。
まったくもって理由になってないのに、ちょろい奴らである。
「とりあえず状況を整理しよう。困ったときは現状確認だ」
言って、俺はノートにざくざく縦と横に線を引いて、簡易カレンダーを作る。
そして被害者の会の活動日である火曜と金曜に当たるマス目を塗り潰した。
「戸部、ここ最近一色がサッカー部に出ている日は分かるか?スピーチ前後は抜きにして」
「え?えーと、そうだなぁ……月曜と……木曜……かな?いや、もっと出てたような気もするべ……っべー……?」
なかなか思い出せない様子の戸部。うん、まあ確かにこれはちょっと無茶振りだったかもしれない。
いちいちマネージャーの出欠を一選手が把握している訳がない……逆はあるのだろうけども。
「待ってくれ、比企谷。被害者の会の活動記録を見てるんだが……ちょっと気付いたことがあるんだ」
言って赤ペンを取り出すと、副会長はファイリングされた活動記録をパラパラとめくりながら、俺の書いた簡易カレンダーに赤丸をつけていく。
「彼女、これまで『被害者の会』の皆勤賞なんだよ……」
俺が塗りつぶしたマス目の上に、赤丸……一色の訪れた日が次々と入っていく。
「マジか……」
言われてみれば、これまで同好会の正式稼働後に一色を見ない日はなかったような気がする。
つい先日、二人が先に帰ってしまった日も、その後しっかり書記ちゃんと共に訪れており、俺もそのことを記録に付けている。
一色の被害者の会だというのに、当の加害者が本日まで皆勤賞だったという有り様……
本当になんなの……この同好会……
「ふーむ、こうして見ると、会長は生徒会の日と被害者の会の活動日を、ほとんど一致させてるんだな……」
なるほど、そういうことか……朧気ではあったが戸部の記憶とも整合性がある。
「多分、会長は水曜日を生徒会、サッカー部、どちらにも行けるような調整日にしていたんじゃないかな……?最近は生徒会に充てていることが多いようだが……」
「それあるわー!うんうん、まず間違いないっしょ!さっすが副会長だわー」
戸部も納得したようにこくこくと頷き、お墨付きを与える。
ふむ、やはり書いて見るものだ。あっさり一色の行動パターンが分かってしまった。
まとめると、ここ最近の一色の行動は次のようになる。
月・木……サッカー部
火・水・金……生徒会
これはいい。
プライベート部門には戸部。パブリッシュ部門には副会長。この二人を擁しているのは大きい。
放課後の一色の動向を今後も把握することができる……
「しかし、もしかすると……会長はこの同好会を、生徒会の下請け機関か何かのように考えているのかもしれないな……」
深刻そうに呻く副会長ですが、もしかしなくても、そうに決まっているのだけれど……
その支配から逃れるために、こうして話合いをしているのだけれど……
ちょっと呑気なところがあるんですね、彼……
しかし次第に方向性が見えてくる。
「どうだ?比企谷、なにか良い方法は思いつかないか?」
期待に満ちた顔を向ける二人には悪いが、今回ばかりは奇策はない。
じっくり腰を据えてかからねばならないだろう。
「これは長期戦で考えたほうがいいかもしれんな……」
「具体的にはどうするんだ?」
「一色を避ける……ってのは基本的には間違っていない。だが戸部も言ったように、避け続けるのは土台無理な話だ」
「ん?どういうこと、ヒキタニくん?だったら意味ないっしょ……」
「ハードルはもっと低くていい。肝心なのは一色の思い通りにならないよう、俺達が動くことだ」
「今日みたいな偶然があればいい……そういうことか?」
察しのいい副会長に頷いて返す。
「そうだ、何もずっと避け続ける必要は無い。今日みたいな日を、今後はちょくちょく意図的に作っていく。それだけで一色は的を絞れなくなる」
一部にでも異物が混入していれば、全体が怪しく見えてしまうものだ。
いつかあったマ○クの青色チキンやら銀歯混入事件……あるいは某ペ○ングの回収騒ぎ……
果てはかつてのリーマンショックなどと言われる金融恐慌も、一部の不信が全体に伝播した好例と言えるだろう。
サイゼの乾いたお手拭きに関しては俺の行く周辺の店が、たまたまそうだというだけで、今回の話とはあまり関係ない。関係ないかな、うん、やっぱり全く関係ないわ。
「なるほどな……いつ活動するかわからない……と思わせることさえ出来れば、彼女もこの同好会を頼りにくくなる……」
「あー、そんなんでいいわけ……?そっか、ヒキタニくんも、いろはすと絶交したいって訳じゃねーし、そんなことしたらお昼とかも…………あっ、ふーん?」
「だからお前は何を察したんだよ」
またも勝手に何か結論づけたらしく、ゲスい顔でニヤニヤと笑う戸部。
ヒュ~ウ……蹴りてぇわー……こいつ……
「うん、方針は分かった。いいと思うんだが……しかし実際にはどうする?今日みたいに急遽開催する日を設けるか?」
顧問から課せられているのは、週二回の活動だけだ。基本、こちらで自由に決めていい事になっている。
「そうだな……まあその辺は適当で良いだろ……あいつも基本的に同好会の活動日は火曜・金曜だと思い込んでるし……今だってまさか、こんな企みを俺達が練っているとは想像もしてな……」
と話していると、突如ノックもなしに扉がガラスパコーンと開かれた。
「ひ、ひぃ!?」
などと大袈裟な悲鳴を上げるのは、そうですね、はいはい俺です。
見やると練習を抜けてきたのか、ジャージ姿の一色が入り口に立ったまま、訝しげな顔で中を窺っている。
「本当に今日やってる……何なさってるんですかー?」
突然の来訪に凍りつく俺達の顔を、ねぶるように見渡しながら一色は教室に足を踏み入れる。
ドクドクと未だに鼓動が収まらない俺の後ろに回ると、ノートに書いたカレンダーを肩越しに覗き込んでくる。
い、いかん、これがカレンダーだとバレるとこいつのことだ。あっという間に俺達の策謀に勘付いてしまうだろう。
誤魔化さなければ……!
「え、あ、いや、今日は潜水艦ゲームの決勝戦でな!ほら次は副会長の番だぞー!」
「あ、あーそうなんだよなー、ここまできたらゆうしょうしたいなーえーと、A-1……かな?」
「はいはずれー!副会長ー、ここは当てとかないとダメっしょー!」
「は、はぁ……、高校生がよくそんなので盛り上がれますね……それに、このマス目ちょっと歪じゃないですかね、普通正方形じゃないですかー?」
やだ……なんでこの子、潜水艦ゲームのフォーマット知ってるのかしら……
俺もよく知らないでやってるのに……
「ばっかお前、こうやって長方形にすることで、これまでにない戦略性が生まれるんだよ多分」
「へー……まあどうでもいいですけど。あっ、二人にも言っときますけど、今後は今日みたいなことは無いようにしてくださいね!活動日変える時はちゃんと事前に私に報告してください」
「わ、わかってるってばよー!いろはすー!」
「だだだだ大丈夫だよ、今回のようなことはここ今後はないさ!」
「……本当ですか?お願いしますよー」
「「はいっ」」
ギロリと鋭い目を向ける一色に、わんこのように従順に返事する二人。
飼い慣らされてるなぁ……小娘一人にもう本当に情けない。人間ここまで堕ちたくないものである。
「戸部先輩も、もうすぐミニゲームなんで、ぼちぼち切り上げてくださいよー」
「だからー、わかってるってばよ~いろはすー!もうあと5分で行くっしょ!」
それを伝えに来たというわけでもないのだろうが、一色は視線だけチラリと俺によこして教室を出て行く。
ピシャリと扉が閉められると、俺達は脱力してしまい、各々だらしない姿勢で椅子にもたれかかる。
あ、焦ったー……もう本当に怖かった……
時折見せるあの迫力……雪ノ下や三浦、あるいは川崎の域に近づいている気がする。
先輩は、一色さんにはあんな風に育って欲しくないんですけども……
「ひ、ヒキタニくん……これ相当気合入れてやらねーと、あっという間にバレちゃうべ?」
「そうだな……」
あいつは妙に勘の良いところがある。先ほどの訪問も何かを察知してのことかもしれない。
ここは確実に騙し通せるよう、事前に強く印象づけておく必要があるな……
結局今日も更新されてしまったが、一色の皆勤賞に終止符を打たなければ……!
※※※※※※※※※※※
週が明けて月曜日。俺達は一回目となるゲリラ活動日を本日に設定していた。
今日はまさに試金石。今後の一色管理体制からの脱却にあたって、もっとも重要な日だと言えよう。
あの後、俺達が建てた作戦は非常にシンプルである。
1.一色の目前で明日同好会があることを印象づける。
2.一色の目前で三人別れたふりをする。
3.その後、合流して同好会を行う。
……これだけである。
4.後でこれらの行動を全て戸部のせいにする。
……という俺だけに課せられた裏ミッションもあるが、それは後でじっくり完璧に練ろう。
しかしこの作戦、俺達三人と一色が一同に集結しなければ成立しない。
そこで大事なのが集合場所だ。ハンティングプレイスに選ばれたのは一階の階段の踊り場と相成った。
この場所は生徒にとってハブのような役割を担っている。
教室から生徒会室に行くにしても、各クラブの部室に向かうにしても、あるいは帰宅するにしても、遠回りでもしない限りはこの区画を経る必要がある。
俺と一色の放課後のエンカウントも大体はこの付近だ。
意志を持って待ち構えれば、だいたいの人物とは出会うことが出来る。ここで確実に一色を捕獲する必要があるだろう。
HRが終わるやいなや、俺は足早にこの場に赴き、一色と同志達を待ち構えていた。
誰が先に来るかわからないが、できれば戸部か、副会長……どちらかと先に合流しておきたいところだ……
「せ~~んぱいっ!」
しかしそこで期待を裏切っちゃうのが、この一色さんである。
捕まえるまでもない。一色は目ざとく俺を見つけると、とてとて寄ってきては袖をはっしと掴んできた。
「こんにちはー!」
「……よう、今日は生徒会か?」
「いえ、今日はサッカー部の方ですけど……どうしたんですか?普段そんな事聞かないのに……」
ぎくり。
きょとんとした顔で問われ、早速心を乱される俺に、一色は意地の悪い笑顔を浮かべる。
「……あ?もしかして私を待ってたりしました?残念でしたねー、一緒に帰りたい時は前もって言ってくださいねー。前向きな方向で善処するよう検討しますので……」
き、きー!この小娘……!
……などと今度は怒りに心を乱されるが、どんなに熱くなっても仕事は冷徹にこなすのが俺だ。超格好いい。
たとえ一人でも、明日、同好会があるという偽情報を一色に印象づけておかねば……
切り出そうとする俺に、しかし思わぬ横槍が入る。
「……あれ、ヒキオじゃん」
「ヒキタニくん、はろはろ~」
あーしさん、こと三浦優美子と、海老名姫菜の二名である。
……自然ともう一人の姿を目で追ってしまう。
「今日は居ないよ」
と、すかさず差し込まれた海老名さんの言葉に、ぎくりとまたも心が跳ねてしまう。
なんかさっきから動揺してばかりだな……
見やると一色はいつの間にか袖から手を離し、少し距離をとって興味深げにこちらを窺っている。
いや、そうやって聞きの体勢に入られても、こいつらと話すことなんて別にないんですけどね……
それにつけても久しぶりな二人である。クラスも変わり、こっちとしてはもう卒業するまで、目も合わせないつもりで居たんだけども……
しかし女王はそんなことお構いなしである。カーストなども本人はこれっぽっちも意識していないのであろう。
相手が誰であれ、気の向くまま、心の向くままに、ただ聞きたいことを聞いてくる。
「ヒキオ、あんた最近生徒会活動やってんの?」
「……ん?いや、そういう感じでもないんだが……」
「隼人とか戸部がそう言ってっからさー、あんたって……」
一旦言葉を切ると三浦の視線が鋭くなる。
何を話したいのか、だいたい察しがついてしまう。
困ったな……あまりこの話、続けたくない……
さてどうしたものかと目を逸らしていると、有難いことに今度は助け舟が現れた。
「ヒキタニく~~~~ん!ウェーイ!」
「やぁ比企谷、待ったかな?」
戸部と副会長が揃ってやっとこ現れる。も、もう……待ったんだからねっ……!
「いろはすー、優美子もウェーイ!おぁ!?え、海老名さんもウェ、ウェーイ!!」
「ウェーイ!とべっちー」
海老名さんだけが景気よく返してくれるが、一色も三浦も、へっと明後日を向いて無視している。
なんかこの人達、戸部に対して本当に酷くないでしょうか……?
まあ肝心な子からは反応があったのだし、こいつにとっては満足なのだろうが。
「ちっ、ヒキオー、さっきの話なんだけどさー、あんた生徒会で何やって……」
「おっ優美子?ヒキタニくんの活躍知りたい?知りたいべ!?」
「ちょ、戸部、あんたうるさ……」
「いやー、もうヒキタニくんってば大活躍の巻って感じ?予算委員会でも顧問黙らせるしさー、スピーチづくりも七面鳥の大活躍みたいな?もう、ほんっと名参謀だわー、ルーデンドルフだわー!」
グイグイ入ってくる戸部に、三浦は心底うざったいのか、追い払うように貫手をトストス戸部に打ち込んでいく。
しかし戸部もさる者。たいして痛くもないのだろう、それをギャグと受け取ったようで、ひでーべー!とか言いながら副会長も巻き込む形でやいのやいのと盛り上がっている。
おかげで嫌な会話の流れも有耶無耶になってしまう。
あーアホも役に立つなー、アホも捨てたもんじゃないわ……
……と脳天気に安堵するほど、俺も戸部を見くびっているわけではない。
いや、基本的にはどうしようもないアホだとは思っているのだが、今回に関してはおそらくこいつ、わざとやったんじゃないだろうか……?
「結構元気そうだね。ちょっと意外……」
戸部を眺める俺に、海老名さんがボツりとそんなことを漏らす。
だがそう言われてもこっちも曖昧に返すしか無い。
「……まぁな」
「優美子の話じゃないけど、私達の界隈じゃさ……ちょっと今話題になってるんだよね、ヒキタニくんのこと……」
ん?それはどういうことだろうか……?
生徒会活動など日陰もいいところだ。スピーチで一色が目立った所はあるが、俺の活動などそう話題になるようなものとは思えない。
……きっと言葉通りの意味ではないのだろう。
意を問おうと顔を向けるも、メガネの奥のその光を窺い知ることはできない。
訝しげにしていると、その視線を受けて海老名さんは言葉を繋げる。
「今、私達の回りでは、とべはち派、とべふく派、ふくはち派で派閥が分かれて三国鼎立の様相を呈しているんだよね……」
ぐ腐腐……と笑う海老名さん。
知りたくなかった……そんなこと……
どこ界隈の話だよ……それ学校にあるのかよ……なんで俺後ろばっかりなんだよ……
かつてない恐怖と絶望に身を窶していると、口元をじゅるりと拭い去って、海老名さんは顔を上げる。
仕切り直そうということなのか、瞳をまっすぐこちらに向けてくる。
「こっちはそんなに変わってないよ。私も、みんなも……いい意味でも、悪い意味でも」
「……そりゃ結構なことなんじゃねぇの」
「あはは、安心した?ヒキタニくんは、ちゃんと進んでるから……進んだから……どんな心境なのかなって、個人的には機会があったら聞いてみたかったんだけど」
「わからん、進んだ感じは、あんましないんだけど……」
「……まだまだ途上にいるってことなのかな?だから、自分ではわかんないのかもね」
いつかの誰かと同じようなことを言って、海老名さんが薄く笑う。
「変わらないって私にはそう見えるだけで……それともちゃんと進んでるけど、ヒキタニくんみたいに分からないだけなのかな……?」
「……あのな、聞かれてもわからんって。俺だって知りてーよ……自分の事もわからんのに、人様の事がわかるわけない」
「参考にならないなーヒキタニくんは……」
「そりゃ悪かったな……」
コホンと再び一区切りすると、海老名さんは騒いでいる戸部たちに視線を向ける。
その目はどこか優しげだ。
俺は彼女たちのコミュニティに少なからず介入した経緯がある。その進捗に興味が無いといえば嘘になる。
学年も変わり、彼女たちが普段どんな事を話しているのかは知らない。それでもこの一年などあっという間に過ぎてしまうだろう。そこに焦りが生じたりしないのだろうか。
変化がないといった彼女。そして以前も停滞を望んだ彼女だが、今もやはりそう思っているのだろうか……?
ずばり聞くのも憚られ、ちらりと視線だけで促すと意図に気づいたのか、海老名さんは再び口を開く。
「私はさ……変わりたくない。まだ変わらないでいようって思うんだ。この一年も、私だけは、はやはちで貫いていこうって考えてる」
ぶっ!と鼻血を吹き出す海老名さん。
知りたくなかった……そんなこと……
虚実ないまぜの会話に俺の精神は限界に近かった。しかも虚の方の俺に与えるダメージがいちいち半端ない。
鼻をティッシュで抑える海老名さんを無視して、戸部たちの方を見やると制裁はもう終わったのか、戸部と三浦も何やら談笑している。
脇では副会長が性的暴行を受けた後の人みたいな感じで壁にもたれかかっている。どうやったらそうなるのかよく分からないが、話も一段落ついたようだ。
「ヒキオー、あーしまた聞くからー、そんとき頼むわー。ほら海老名行くよ!ちょ、あんた鼻血!」
「じゃーねー、ヒキタニくん。また改めて……」
「……お、おう」
絶対、あの二人には会わんようにしないとな……などと固く決心しながら、適当にひらひら手を振って見送る。
ふぅ……、思わぬ闖入があったが、これでようやく場が整った。
しかし一色の奴、やたら大人しかったな……その静かなること林のごとしである。
……いつもなら三浦辺りを無駄に挑発しそうなものなのに……
葉山が絡んでいないから、無駄な戦いは避けようということなのだろうか。
それ以前に、はてあの子ったら一体何処にいるのかしら……?
いろはすいろはす……とキョロキョロ探していると、袖をついと掴まれて、すぐ側にいるのだと気付く。
ほう、なかなかのスニーキングスキル……
「そこにいたのか?なんかお前大人しかったな……」
「いや、なんか入って行き辛くて……先輩が輪の中でワイワイやってるのも珍しかったですし……」
いや、全然輪の中に入ってないですからね……
知りたくもない腐女子事情を一方的に仕込まれていただけなんだが……
「それより、どうしんたんです?こんなところで……なんか三人で待ち合わせてたみたいですけど……」
一色は両手で俺の袖を掴んで、意味なくプランプランと振り子のように揺らして弄んでいる。
しかし、この行動は少し迂闊だ。
まだ戸部と副会長がそこにいるんだから、そんな事したら……
腕を引いて払おうとするが、しかし袖をガッシと握ったまま離してくれない。
ちょ、ちょっと一色さん……?離していただけないかしら?
という視線を送ってみるも、一色はほぇ?と首をかしげて、不思議そうにこちらを見ている。
なんなの……この子……いまいち基準がわからん……
仕方がないので掴ませたまま会話を続ける。
「いや、明日の同好会の件で打ち合わせがあってな、待ち合わせてたんだよ」
「んー?……打ち合わせ?被害者の会で……ですか?」
早速訝しげな一色。
戸部、副会長、フォロー!フォローミー!
「いやー、そうなんすわー!ちょっと明日は俺達も?佳境っつーか?催しがあってさー!?」
「そうなんだよ、かいちょうー、あすは、おれたち、もう大いべんとでさー」
わざとらしい戸部の騒ぎっぷりと、副会長の棒読みにドン引きする一色。
一層怪しげな表情でこちらを見ている。
ぐぬぬ、こいつらのアドリブに期待するのが間違っていた……なんか副会長ポケモンみたいになってるし……
「は、はぁ……でも、そんなのメールとかラインでやれば良くないですかねー?」
「え、あ、いや、それはほら!ヒキタニくん携帯とか持たないスタイルだべ?」
「先輩はスマホ持ってますよー!ていうかこの前、先輩のスマホで一緒に音楽聞いたじゃないですか……んー、なんか怪しいなぁ……」
失言に口を抑える戸部。それになんなの……とべっち……携帯を持たないスタイルって……
俺なんかが携帯持ってても意味ないって遠回しに言ってるの……?
ますます疑惑を深めたのか、ジト目でこちらを睨む一色。
しかし、はたと何か気付いたように顔を上げる。
「あ、そうだラインといえば……!先輩、ちょっとスマホ貸してください!」
ぷんすかと頬を膨らませて、手を差し出してくるので、言われるがままブレザーの内ポケットからにスマホを取り出して乗せてやる。
「やっぱり読んでくれてない……全部未読のままじゃないですかー!」
「ああ、ラインってやつか……使い方知らないんだよ……メールはなんとか分かるんだが」
なんか、そういや授業中に服の中でブーブー鳴ってた気がするな……
「それにお前、授業中は返すなって、前に言ったじゃねぇか」
「休み時間に返したらいいんですよ!先輩ごときに無視されたらへこむじゃないですかー!」
一色の前で、明日、同好会を行うことを印象づける作戦だったが、なんだかどんどん話が逸れて面倒くさい事になってしまっている。
それに、この会話って傍から聞いてたらちょっとアレじゃないだろうか?
ひやひやしながら戸部と副会長に目を向けるが、二人はぼけーとこちらを見ているだけだった。
うーん……気にし過ぎなんだろうか……
それはともかく逸れてしまった話の軌道修正をしないと……俺はニコニコと脳天気にこちらを見ている副会長に視線で訴える。フォローミー!
「ん……そういや、俺、比企谷と連絡手段無かったな……いい機会だから教えてくれないか?ライン入れてるんだろ?」
うん、分かってたけど通じてませんね……棒読みじゃなくなってるし、これ本人、素で聞いてますよ……
「ま、まあ、そりゃいいが……んじゃ一色頼むわ」
もう作戦完全にどっか飛んでっちゃってますが、流れは悪かったし、むしろ好都合かもしれない。
スマホを持たせたままだったので、一色に目で促す。
「わ、私がやるんですね……副会長のIDはなんでしたっけ……?」
「そんなことしなくても、ふるふる振って交換したら良いじゃないか」
「あ、俺も俺も!みんなで振るべ!」
言って皆はふるふるとスマホを振り始める。なんか傍から見てると、どっかの部族の踊りみたいだな。
しかし、今時はああやってスマホ振るだけで交換できるんですねぇ……皆きゃいきゃいと楽しそうである。
なんなんでしょう、俺のライン交換のはずなのにこの疎外感……
「あれ?おかしいですよ、なんか全然追加されないんですけど……先輩のスマホだからぼっち体質なんですかねー?」
「あー……ヒキタニくんのだからなー……スマホも捻くれてんのかも……」
「……会長、それ比企谷には不要な機能だからGPSを切ってるんじゃないか?ONにしておかないとふるふるできないよ」
なんなんでしょう、俺のスマホの話のはずなのに、この心の抉られよう……
「あ、本当ですね……OFFになってました……あっ、できましたっ!ふくかいちょう……とべ、と……」
自分の電話帳でもないのに、なぜか嬉しそうだ。
わしが育てた、と言わんばかりの満足気な顔で一色は友だち追加していく。
「GPSってそんな事にも使えんだな」
「割と常識なんだけどな……本来の機能よりも、ふるふるのための機能と思ってる奴もいるぐらいだぞ……」
「ふーん、まあ確かにどっちも俺には無縁っぽい機能ではあるが……」
「……へー」
「ん?どうした一色」
「あ!こんなところで先輩なんかの相手してる場合じゃなかったです!私今日はマネージャーの日なんですよー!」
言って一色は、スマホをぽいっと投げてよこす。
「おわっ、こらっ!危ねーだろうが!」
危うく落としそうになるが、なんとかキャッチすると、一色はきゃるん☆とウィンクをかましてスマホを指差す。
「せっかく電話帳に人が増えたんだから、そのスマホ、大事にしないとダメですよー!」
「なら投げるなよ!ったく、いらんお世話だ……」
言いつつ、内ポケットにスマホを収める。一色はそれを見届けると、満足気に微笑んだ。
「あ、俺もいろはすと一緒に行くわ!打ち合わせだけど、明日で良いっしょ!?ヒキタニく~ん!」
「あー、比企谷、俺も今日は用事があるんだ。戸部もああ言ってるし、明日でいいか?」
「おう、まあそういうことならしょうがねぇな、んじゃ明日な」
ひらひら手を振って、ひとまず三人を送る。
一色は戸部と一緒に部室棟に走る。副会長も二人の前で何処かへ行く素振りを見せる。
「……」
最後の方適当だったが、目的の二つはかえって自然な形で行えたようにも思える。まあ結果オーライということにしておこう。
あとは三人、合流するのみ。
そしてこの後は……はちまん達の……宴が始まる――ッ!!
※※※※※※※※※※※※※※※
副会長から既に裏を取っているが、今日は生徒会は行われていない。
懸念のひとつだった書記ちゃんも今日は休みで、生徒会室にいるのは会計くんだけとのこと。
同好会本部の鍵を開けて、一人定位置に座っていると、やがて副会長が入ってくる。
続いて、葉山と話を通したのか、まもなく戸部もウププと笑いながら教室に訪れる。
「……上手くやれたか?二人共」
「こっちは楽勝だったよ。一応会長にも最後に挨拶して印象づけておいた」
「俺もバッチリっしょ!……なんとなく隼人くんも察してくれてるとこあるし……」
……何それ怖い。
「戸部、あまり長くは拘束しないさ。普段通り被害者の会の活動をしよう」
「おっけー!今日はいい風吹いてるから、窓も開けるべ!」
「俺は麦茶を淹れるよ」
各自、落ち着かない様子でいつものルーチンをこなす。
本部は一階にあるため、窓を開けると、まだ昇降口に残っている生徒たちの喧騒が室内にまで届いてくる。
さらに遠くから聞こえてくるのは、部活に励む者たちの声だろうか……
凝縮された青春の声音とも言えるようなものが入ってきては、やがて消えてゆく。
壁の向こうに一色が居ない。その事実に俺達の口数は自然と少なくなっていった。
……何か、思っていたのと違う……
それは二人も同じだったのか、足に違和感が纏わりつき、どこか動きも緩慢だ。
教室を取り巻く空気は膜でも張ったかのようで、入り込む音もどこか遠くに消えてゆくような錯覚に陥る。
まさか、こんな感情に陥るなんて……想定したものとは余りにかけ離れた感覚。
「……なんだろうな……この気持ち……会長がいない、それだけなのに……」
「なんか、俺おかしいべ……まさかこんな……っべー……っべーーわ……」
「ああ、まさかここまでとは思わなかった……これは間違いない……」
「開放感!」
思わず口を突いて出た言葉は、三人とも全く同じものだった。
顔を見合わせ、呵呵と笑って肩を叩き合う。
まさかこんなにウニウニモニョモニョ楽しい気分になるとは思わなかった。
あーーーアガるわー!
「あ!俺、今日は菓子持ってきてるべ!みんなで食べちゃう!?」
言って戸部は、大きなポテチの袋をぱかっとパーティー開きにして長机に置く。
「さぁさ、みんな座るべ、座るべ!」
副会長が淹れてくれた麦茶を、せかせかと皆に回してくる。
なんだろう……普段は俺と一緒に金魚のように、ただ与えられたものをパクパク食べるだけだった戸部が見違えるようなホスピタリティを発揮している。
……いや、これが本当の……戸部?
「ありがとう、戸部。よし……俺も今日は……リラァックスするかな……!」
普段はきっちり締めているネクタイを今日ばかりは緩めきって、大股開きで椅子にどっかと腰掛ける副会長。
「今日は……なんか、なんでも出来そうな気分だな……新しい自分に出逢った気がする……」
前髪をくしゃりと掻きあげ、天井を見上げて息をつく。……やだ、なんか言ってることもワイルドで格好いい……
いや、これが本当の……副会長?
二人共いつもと若干様子が異なるが、その顔からは険がすっきり取れており、開幕前のまだ穏やかなマリーンズファンの風貌を思わせる。
「あるわー、それ!……よっしゃ、俺も海老名さんにメールしてみっかなー!」
「おお……すげぇガッツだな……」
「……ん?海老名さんって、さっき踊り場に居たメガネの可愛い子か?」
「そうなんっすわー!いやー、副会長、これ、オフレコでオナシャス!」
「ハハ、大丈夫さ……そっか戸部も隅にはおけないな……」
一色から開放された戸部のテンションは、天を衝くかの如く盛り上がっている。
ふんふんと鼻息も荒く早速スマホを取り出し、何やら打ち込み始めた。
「……お前、実際、海老名さんとはどうなってんだ?さっき見た感じじゃ、結構上手くやれてると思ったんだが……」
「いやー、まだまだっすわー……まあでも?この前なんか二人でカフェとか行っちゃったりして?ほんのちょっとだけど進行してる気もするんだよなー……!」
おお……そんな事になっていたのか……まあ、戸部と海老名さんの進展なぞ、死ぬほどどうでもいいのだが……
それでも、この一途さは好ましいと思わなくも無いでもない可能性については否定しなくもないことはない。
「あくまで、さっき会話した印象だが……あまり性急すぎるのは逆効果と見た。なんか買い物に付き合うとか、そういう感じの用件なら付き合ってくれるんじゃねぇの」
「おっ!?ヒキタニくん、それマジ!?……よっしゃ、でもそれなら丁度いいのあるわー!」
俺の助言に色めき立つと、ぬるぬるとメールを打ち込んでいく。
女子の心情を理解しないことに関しては定評のある俺のアドバイスを無邪気に履行するとは……
アホだなー……こいつ……
「まあ、しかし、なんだ……改めて聞くが、海老名さんの、あのアレな趣味とか……その辺りお前的にはどうなんだ……?」
「んー……まあ、それはさー?答えは変わんねーんだけどさ……正直、俺には理解できねーつーか、ぶっちゃけ変な趣味だとは思うんだけどさ……それでもあの趣味もひっくるめて海老名さんだって思うと……無碍には出来ないっしょ?」
ばっさばっさと襟足を掻きあげて、ずびしとサムズアップを決める戸部。
おお……相変わらず盲目だが、以前よりちょっと地に足ついてる感がある。
「……いいんじゃねぇの。それ本人にはまだ直接は言わん方がいいと思うけど……プラス査定だろ、それ……」
「そっかなー!?いっやー、修学旅行といい、バレンタインといい、ヒキタニくんにはマジ世話になってるわー!リスペクトっすわー!」
「へぇ……頑張ってるんだな、戸部……それに比企谷も噛んでいたのか……」
「いや、まあ俺は、たいして役に立ってないとは思うがな……」
副会長にとっては、戸部の意外な一面だったのかもしれない。感心したような目を向けている。
「よ、よし、俺もちょっと頑張ってみるか……!」
キリッと顔を引き締めると、副会長もスマホを取り出し、何やらくぱくぱと入力し始める。
「お前もメールすんのか?」
「お!?副会長こそ隅に置けないね~、相手は誰なん?ん?」
「いや、実は書記に、この前カフェに誘ってもらってね……その御礼といっちゃなんだが、俺もどこかに連れて行ってあげようと思って……」
「お~!?書記ちゃん!?あの子マジで可愛いもんなー!ヒューウ!副会長やるじゃ~ん?」
「はは、よせよ」
などと照れておられる副会長ですが、戸部に比べると大分リードしている。
しかし俺の中で可愛い生物ランキング急上昇中の書記ちゃんに好意を持たれているとは……なんと妬ましい……
「先日の交流会の後の打ち上げで聞いたんだけど……彼女、動物とかが好きらしくてさ……可愛いとこあるよな……」
「もげろ」
「え?」
「いや、モグラとかどうだ?多摩動物園でモグラの家とかやってて評判が良いそうだぞ」
千葉の動物園ではないのが心苦しいが、モグラパイセンとかマジでみんなの人気者。
「モグラか……あ、いやしかし多摩はちょっと遠いな……でも動物園か……んー……」
「魚ってのも有りだろ、水族園とかでもいいかもな」
「なるほど……いや、俺はこういうの疎くて……助かるよ、よしその辺りで攻めてみるか……!」
「書記ちゃんってばよー、明らかに、あれだべ?副会長に好意あるっしょ?」
「ああ……まあそうだよな……俺でも分かる程度には明確だ……」
書記ちゃんの副会長への好意は明らかである。普段の何気ない行動や、先だってのスピーチ合宿でも何かと副会長にちょろちょろ付き従っていた。
「お、おいおい、よしてくれよ二人共……そんな事言われたら期待しちゃうだろ」
「おー!?なんか殊勝な発言しちゃってますけど?……これ、押し倒しても許されるまであるんじゃね?なーヒキタニく~ん!」
「お、おう」
「ははっ、そういうの本当にやめてくれって……まあ、それなりに頑張るつもりだけどな……」
照れ照れとしながらも、スマホで何やら打ち込む副会長。
ふむん……みなさん、きちんと恋をなさっているのですね……
ポテチをガジガジ齧りつつ、懸命にアプローチする二人を生温かく見守る。
これまでの俺なら、残らず爆発しろと怨嗟の祈願を行っているところだが……今日だけは優しい心でこいつらを見ることができそうだ……
一色がいない……それだけでこんな暖かな気持ちになれるなんて……
「ところでさー、ヒキタニくんの方はどうなのよ?」
メールも一段落したのか、戸部が嫌な笑顔を浮かべて俺の方を窺う。
副会長も興味深げにこちらに視線を向ける。
「いや……俺はそういうのねーから……」
いやいやと手を振るが、戸部は下卑たにやけ面を収めないまま、俺にジトッとした視線を送る。
フフ、なにこいつ……殴りたい……
「ふむ……それは俺も気になるな……会長とはどうなってるんだ?」
副会長までそんなことを言う。
「そうそう!いろはすと何かあるっしょ!?」
……んー……なんか知らんが、お二人とも変な勘違いをなさっているようですね……
「いやいやいや、俺と一色がどうにかなるわけないだろ、だいたいあいつは葉山が好きだし……二人共知ってるだろうが」
「んーそれでもさー、なんかいろはすの方が積極的というか、怪しいっていうか、最き……」
「そうそう、スピーチ前後からかなぁ、あからさまに会ちょ……」
「いやいやねーから」
二人は目を見開いて言葉を切ってしまう。信じられないと言わんばかりの驚きようだ。
「おいおい、お前ら何言ってんだ、一色だぞ?あの一色、あざといと思っても可愛いと思ったことなんて、ただの一度たりとも無いわ」
言うと、戸部と副会長の顔が見る間に曇り、肩を落として項垂れる。
当初はからかうような色のあった二人だが、今や顔面は蒼白でワナワナと唇が震えている。
え……?なんなの……この反応……
「ひ、比企谷……会長だって、ほら、いいところもあるだろ?本当にたまにだけど、いや、たまにじゃないけど、例えばなんていうかな、知性があるっていうか、地頭がいいなーって思ったりしないか?」
いつになく真剣な顔で副会長が問うてくる。
一体どうしたというのか……?でもなぁ……そんなこと言われてもなぁ……
「いやいや、あいつ全然教養とかねーだろ。はっきり言ってアホの部類だぞ。それに頭いいってより、あいつの場合ずる賢いとか、狡猾とか、奸智に長けるとかそんなニュアンスだろ」
言うと、副会長は再び頭を抱えて、一層深く項垂れてしまう。いや、だから何なの……?その反応……
「あっ、でもよ、ヒキタニくん!いろはすってば、ほら!結構可愛いと思わねぇ!?顔とか仕草とか……」
今度は戸部が血相を変えて一色をフォローしてくる。しかしそのヨイショはさすがにダウトだ。
思わず鼻で笑ってしまう。
「アホかお前、あれは可愛いんじゃなくて、それこそあざといって言うんだよ。そんなもん俺より誰よりお前たちが一番よく知っているはずだろうが」
「いやそうなんだけどさー……あ、いやそんなこと決して無いんだけどさーー……」
「前にそのネタで大いに盛り上がったじゃねぇか。あと、前の合宿でも、寝る前に俺がとっておきのモノマネ『あざはす12連発』披露したら、お前ら大爆笑して三十分ぐらい悶絶してたじゃねぇか」
「い、いや、あれはブハッ!いやそういうことじゃなくて……」
一瞬破顔した戸部だが、いやいやと頭を振って、やがて副会長同様に頭を抱え込んでしまう。
どうしたというのだろう……?二人の様子が突然おかしくなってしまった……
もしかして、長いぼっち生活が祟って、また俺は距離感を間違えてしまったのだろうか?
思えばこの二人にとって、一色は片や可愛い後輩で、片や尊敬すべき上司とも言える存在だ。
一色との関係性は、間違いなく俺などより深い。
被害者というのはあくまで一つの側面にすぎないのだ。あまりに一方的な罵詈雑言に、気分を害するところがあったのかもしれない……
「んー、でもー、ちょっとは良いところもあるんじゃないですかねー?」
それだ。
いくらかフォローも必要ということなんだろう。この合いの手に乗っからせてもらおう。
「まあ悪いとこばっかじゃねぇよ……なんだかんだでいいところもあるわな……」
「ん?なんです、なんです?」
「き、聞かせてくれよ比企谷!」
「オナシャス!」
三人は面を上げて、期待に満ちた目を向けてくる。
「……まあ、なんだ……意外と真面目なところとかな、結構キツイ目に遭ってる時も、最後は何だかんだで自分の責任でやるところは……まあ、なんだ好ましいというか、アレだよな、アレ」
「そう!それあるわー!いろはすってば結構責任感あるっていうか?こうバシッと決めるとこあるっしょ!?」
「そ、それだけですか!?他には無いんですかねー?」
「んー……まあ、他にあるとしたら、ビッグマウスっての?割と大きな口叩いちゃうところも、まあ嫌いじゃねぇよ。本気で信じちゃってるにせよ、背伸びしてるにせよ、口に出しちゃうとこが、いじらしいってのはあるな」
「そ、そうだよなっ!分かるよ、会長のそういうとこ俺も頼もしいって思うんだ!なんか助けてやろうって気にもなるっていうかさ!」
「はあ、ビッグマウス……なんか不本意なんですが……」
「まあ、でもなー……真面目なところも……ビッグマウスも……結局あいつ大騒ぎして、周りに迷惑かけるからなー……まあ、トータルで見るとマイナス査定なんだけどよ」
さっきまで笑顔を俺に向けていた二人だが、俺の言葉に再びガクリと項垂れる。
もう本当なんなんでしょうね……こいつら……
いよいよおかしな二人の様子に、さすがの俺も尋常ではない雰囲気を感じ取る。
「おい、お前らなんかさっきからおかしいぞ……一色、お前からもなんとか言ってやれ」
「ええ、まあ、一番頭おかしいのは先輩なんですけど……」
「あ?」
穏やかではない言葉に、思わず棘を含んだ視線を一色に向けてしまう。
うん、これ一色さんですね……
「……」
「……」
にこぱー☆と微笑む一色に、俺の背筋にかつてない悪寒が走った。
きゃ、きゃああああああああああ!
「お、お、おおおおおおおおま、お前、いつの間に、どこからそこに……!」
「窓が開いてたのでー、そこから入らせてもらいました」
この部屋は一階部分にある。確かに進入するのは簡単だが……
窓の外に身を乗り出すと、ご丁寧に外には小さな脚立が置かれている。
「……い、いつ頃から……いらしてたんですかね?」
「先輩たちが『開放感!』とか絶唱してた辺りですかね……」
ええ、それもうかなり最初の方ですね……この宴のオープニングの部分ですわ……
「し、仕切りなおしだ!おお前ら、逃げるぞ!」
鞄を引っ掴み、愕然と項垂れる二人に声をかける。
三十六計逃げるに如かず!撤退に関して定評のある俺は即座に判断を下した。
俺の声に我に返った戸部だが、立ち上がったところで一色に腕をがっしと掴まれる。
「戸部先輩……姫菜先輩のあの趣味……大変ですよね……」
「い、いやあれはヒキタニくんが言っただけで、お、俺はそんなん……」
「ぶっちゃけ理解できないんですよねー?……私の方から、話通しておきましょうか?」
ニタァ……と悪い笑顔で戸部に囁く。げ、げぇっ!と青ざめた戸部は絶望に打ちひしがれ、再び椅子に座り込んでしまう。
「万事……休すっしょ……」
特にこれといったハイライトもないまま、真っ白に燃え尽きる戸部。
「と、戸部!?」
「副会長、戸部はもうダメだ、とっとと見捨てて俺達だけでも逃げるぞ……!」
「な、なんか切り捨てる判断早くないか!?」
言いつつも二人で出口に向けて走ろうとするが、副会長も一色にベルトをはっしと掴まれて動きを封じられる。
そしてやはり残忍な猛禽類のような目を向けて、副会長に語りかける。
「押し倒そうとか、そんな事考えてたんですねぇ、副会長……これ書記ちゃんが知ったら悲しむでしょうねー……それとも許してくれるんでしょうかねー……?」
「あ、いや、それは比企谷が言ったことで……」
あ、いや、俺は言ってないですよ……?
っていうか、さっきからなんで二人して咄嗟に俺に責任を押し付けるんでしょうか……
「それなりに頑張るって、どう頑張るんでしょうねー……」
「ひ、ひうう……!」
情けない声を上げて、その場にしゃがみ込む副会長。奴はもうダメだ……
しかし、入りたてホヤホヤのネタを即座に脅迫の材料に使うその機転。
宴に当初から居たにもかかわらず、俺達に察知させないそのステルスっぷり。
生徒会長とは思えない、げっすいやり口には戦慄するばかりだ。
もう、この子ったら一体誰に似たのかしら……?
とまれ、すごい勢いで一色に仕留められていく同志達。
これまでの楽しかった思い出が走馬灯のようにくるくると脳裏をよぎる――かと思われたが、別にそんな大層な思い出もなかったので、俺は二秒で回想を打ち切った。
気持ち、切り替えてかなくっちゃね!お前たちの死は……無駄にしないぞ……!
二人を捕獲している一色を背に、俺は教室から脱出する。
「あー!往生際が悪いですよー!この期に及んでどこに逃げようっていうんですかー!」
馬鹿な事を聞いてくる。一旦帰宅さえしてしまえば、とりあえず何もなかったような気分になれるのが俺だ。
いや、俺だけではないだろう。思うに、誰しも学校やら職場やらで嫌な目に遭った時、そんな効用を期待して家路につくに違いない。
ストレスの多い現代社会、もっと皆は早く家に帰るべきなのだ。なんならもうずっと家にいるべき。
隗より始めよとの先人の言いつけを後押しに、教室を出た俺は一直線に昇降口を目指す。
しかし、見慣れた姿がその道を阻んでいた。
「比企谷先輩……すみません、ここを通すことは出来ないです……!」
「しょ、書記ちゃん!?帰ったんじゃ……!」
くいっとメガネをかけなおすのは書記ちゃんである。
「はい、そのように副会長さんには言っておきましたけど……こんな事もあろうかと残ってたんです」
書記ちゃん……恐ろしい子……!
ならば仕方がない、作戦は変更だ。俺はくるりと身を翻して逆方向に駆け出す。
「いろはちゃん!そっちに逃げるよ……!」
ちょうど教室から出てきた一色の手が伸びるが、間一髪それを躱すと、そのまま昇降口の反対方向にとんずらをこく。
「も、もう!待ってくださいよー!逃げても無駄なんですからねー!」
……などと言っておられますが、一色はアホだから女の子走りしかできない。撒いてしまうのは簡単だ。
ひとまず、どこかに身を隠してやり過ごし、ほとぼりが覚めた時を見計らって帰宅するのがよろしかろう。
俺は数あるぼっちプレイスの一つを目指し、足を早めた。
それにしても一色め……どうやって俺達の目論見を見破ったのか……
※※※※※※※※※※※
ぼっちプレイスその1、図書室。
その奥まったところに、ふうと息をついて腰を下ろす。
……戸部と副会長の二人もやがては追手に回るだろう。本当に使えない奴らだと思う。
しかし四人を相手にまともに追いかけっこをしていたのでは必ず捕まってしまう。
ここからは次なるぼっちプレイスを点々とし、隠れては逃げ、隠れては逃げるを繰り返す『ぼっちアンドアウェイ方式』を基本戦略として採用する。
隠密性を極限まで高めれば索敵は俺のほうが早い。優位に事を進められるはずだ。
ここにもいずれ捜査の手が回るのだろうが、体力を回復させる猶予ぐらいはあるだろう。
息も整い、次なる逃亡先の目星をつけると心に余裕が生まれてくる。
ふと辺りを見渡すと、先日副会長が教えてくれた受験生用のブースに目が止まった。
模様が変わったようで、以前は無かったラックが大量に設置されており、興味を引かれてしまう。
ブースに近づいて詳しく見てみると、以前は大雑把に教科ごとに置かれていただけだったプリントが、それぞれ大学ごとにラックに区分けされており、そのラックの中は、さらにプリントの作成日ごとにクリアファイルで纏められている。
脇に置かれた机の上には、新規に作成された教材が簡易な表で示されており、更新状況がひと目で分かるようになっていた。
あら……これは便利ではないかしら……?
この前は内容もよく見ないで適当に取ってしまったが、こんな風に分類してくれると、改めて食指が伸びるというものだ。
「M大のプリントは左から二つ目の列ですよー」
「ほう……本当だ、こりゃ分かりやすいな……正直助かるわ……」
「先輩が分かりにくいって言ってたのを副会長から聞いて……それで私が考えたんですよ!」
えっへんと無い胸を張る一色が、なんとも微笑ましい。
「うん、こういう小さな気遣いが、利用する方にしちゃ大きな事だったりするんだよな……お前にしちゃよく頑張ったんじゃねぇの」
「プリントが先輩方に好評だったらー、先生たちも気を良くするじゃないですかー?どんどん新しく作ってくれるかもしれませんしねー」
おお……そこまで考えてるのか……本当に偉いぞこいつ……
さすが俺が生徒会長に推しただけある。
感心した目を向けると、ますます得意気になる一色。その姿に思わず笑みが漏れる。
こちらもなんだか鼻が高い。もう前から知ってたけど、本当いろはすってば、やれば出来る子だから……
「こういうの知ると安心するわ……お前ってその気になりゃ、いくらでも気遣い出来るだろうからさ、積み上げていけばかなり周りのポイント高いと思うぞ。……まあ、ちゃんと本性を隠すところは隠しておいたほうがいいとは思うがな」
皮肉の一つでも混ぜておかないと、素直に褒めるのは面映ゆい。
下卑た笑いを向けてやると、一色はずさっと一歩後に引く。
「え……それって……なんですか口説いてますか周りの評価は高くなって欲しいが本当の私は先輩だけが知っているとか自分勝手な独占欲の現れですかそういう熱烈なのも嫌いじゃないですけど自意識過剰っぽくて本当にキモいので出直してくださいごめんなさい!」
ぺこりんと頭を下げられ、もう何度目かわからない拒絶の意を示される。
いや、お前の周りの評価とかどうでもいいですし、自意識過剰じゃないですし……
それにしても、俺は一体こいつに何度振られればいいのか……
うん、こいつ一色さんですわ……
「……」
「……」
きゃああああああああああ!
「お、おま……いつからここに……!」
「いや、いい加減先輩のその天丼もどうかと思うんですが……それはともかく、言ったじゃないですか、逃げても無駄ですって……」
ニタァ……と微笑む一色に、俺の背筋にぞわわと悪寒が走る。座った目がなんだか病んでいるようにさえ見えてくる。そうつまり、やんはすである。
お、おかしいな……ついさっきまで可愛らしかったのに……
ちなみに天丼っていうのは、同じネタを何度も繰り返すことによって笑いを取るという意味で、芸人の業界用語なんだよ!なんでこいつそんな事知ってるんだろうね!
「ひ、ひぃ!」
「んー……だから逃げても無駄なんですって……」
背中でそんな声を聞いたような気がするが、何分その時は慌てていたもので……
俺は恐怖のあまり、次なるぼっちプレイスに向かって一目散に駆け出していた。
※※※※※※※※
ぼっちプレイスその2、特別棟の屋上に俺は足を運んでいた。
屋上は原則立ち入り禁止だが、中央階段からの入り口は鍵が壊れており、容易に進入することが出来る。
いつかの川越の話によれば、この場所は女子の間では有名らしい。
それは裏を返せば男子がここに来るとは考えにくいということだ。図書館に比べれば特定は難しいはず。
フェンスに背中を預け一息つく。しばらくはここに腰を落ち着けよう。
……それにしても、さっきは本当に焦ってしまった……
いくらなんでも見つかるのが早過ぎるとも思ったが、よくよく考えて見れば、以前、デート場所に図書館をほのめかしたり、フリーペーパーに使用する写真撮影の場に使ったこともある。
さらにさっきの生徒会での仕事も相まって、俺と図書館が容易に紐ついてしまったのだろう……
いずれも身から出た錆とはいえ、こちらも考えが迂闊だった。
この場所もそう遠からず捜査の手が回るだろう、次なるぼっちプレイスを決めようと思案していると……
ギィィと先ほど俺が入ってきたドアが、再び何者かによってゆっくりと開かれる。
なん……だと……
っべー!いくらなんでも速すぎっしょ!?
「ひ、ひぃぃ!」
「ひ、比企谷先輩……そこまでいろはちゃんのことを……」
現れた人物は一色ではなく呆れた顔の書記ちゃんだった。
だが胸をなでおろすわけにはいかない。今回、彼女は一色の側なのだ……
ニコニコと可愛らしい笑顔を作って、ゆっくりとこちらに近づいてくるが、その目の奥は笑っていない。
やだ、なんか怖いわ……この子……一体誰の影響かしら……?
「比企谷先輩……ちょっと酷くないですか?私言いましたよね……いろはちゃんのこと気にかけておいてくれないかって……」
言いながらじりっじりっと近づいてくる。完全に捕獲体勢である。
だが腐ってもこの比企谷八幡、可憐なメガネっ子一人に捕まってしまうほどやわではない。
夕焼けをバックにした浜辺なら捕まえられちゃうことも吝かではないが、ここは味気も色気もない学校の屋上である。
詰められた距離だけ、こちらも引き下がり、間合いを一定にとりながら円を描くように避けていると、いつのまにか立ち位置は逆転しており、書記ちゃんはフェンス側に、そして俺がドアの方にその位置を変えている。
……これが狙いだったのだ。はっ、所詮は小娘よの……
身を翻してこの区画から脱出しようとすると、その前に扉がまたも音を立て何者かが入ってくる。
「先輩……そろそろ諦めて頂けませんかねー?」
その人物は誰あらぬ一色であった。
なんということでしょう……誘い込まれたのは俺の方だったのか……
後ろを見れば書記ちゃんがジリジリとにじり寄っている。
前を向き直すと、一色は不敵な笑みを浮かべながら、なんのつもりか両手をそれぞれ天地に構え、バーン!と退路を塞いでいる。
もはや為す術なし。俺はついに観念してその場にガクリと座り込んだ。
今日はひとつ勉強になった……もはや二度と同じ過ちは繰り返すまい……
――そう、一色いろはからは、逃げられない……!
※※※※※※※※※
俺たちは三人並んで、一色の前で正座をしていた。
「……で、誰が今回の首謀者なんですかねー?」
足を組んで椅子に座り、ジト目で俺達を睨みつける一色。
戸部か副会長、どちらに押し付けようか迷っていると、両脇の二人は迷わず俺を指差した。
……何なの……こいつら……仲間意識とかそういうの無いの……?
同志達のあまりの薄情さに震撼する。
……それにしてもこの構図、非常にバツが悪い。
小娘一人に年上のはずである俺達が並んで座らされている。
偶然顧問とかが訪れて、この異常空間を打ち破ってくれないかしらと祈っていると、願いが通じたのかガラリと扉が開かれる。
隣の生徒会室にいた会計くんであった。
「……会長、例の件、そろそろ……」
と言いかけて俺達の方を見る。
おお……!救世主が来られたのじゃ……!さすがのクールガイ・会計くんである。
三人して、ぱっと顔を上げ期待に満ちた目を向けるも、会計くんはクールに微笑んだまま扉をピシャリと閉めてしまった。
……なんなの……あいつ最低だな……仲間意識とかそういうの無いの……?
三人して怨嗟の顔を浮かべていると、はぁ、と溜息をついて一色は足を組み替える。
そんなことをしたら中が見えてしまうのではないかしら?と内心ハラハラしながらも監視を続けていると、一色は小悪魔な笑顔を浮かべてこんなことを言う。
「……まぁ、先輩の浅知恵なんて全部お見通しだったんですけどねー」
それだ。
こいつはどうやって今回の企み、そして俺の逃亡先をことごとく見破ったのだろう……?
怪訝な俺の視線を受けて、一色は得意気に腕を組む。
「まあ最初は副会長の不自然な動きでしたねー、異常に念入りに私の不在や生徒会の活動状況を確認していた……と書記ちゃんから聞きました……」
なるほど、書記ちゃんが通じているとは疑いもしなかったのだろう。
そうさせたのは俺だとはいえ、生真面目な副会長の索敵行動は駄々漏れだったのだ……
あまりのアマちゃんぶりに俺と戸部が恨みがましく睨むと、副会長はシュンと肩を縮こまらせる。
もう、本当にドジなんだから……
「その上、一緒に行った戸部先輩が部活に居ないんだから決定的ですよねー……なんかラブレター貰って放課後に呼び出されたから練習遅れるって葉山先輩から聞きましたけど……」
ないわー……と軽蔑の視線を副会長と二人して送ると、戸部は恥ずかしげに身を竦ませた。
本当にアホかこいつ……
「バレバレですよ……そんなの絶対に有り得ないですからねー!」
更なる一色の追い打ちに、戸部は少し泣きそうな顔になっていた。
やだ……可哀想……
しかしこちらも迂闊であった。戸部と副会長がいることで、一色の動向を把握できるものだとばかり思っていたが、あまりに基本的な事を失念していた。
いつかの誰かの言葉が頭をもたげる。
『深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ』――ケンケン(ニーチェ)
……この二人を通じて、逆にこちらの動きは殆ど事前に察知されていたのだ……
俺は両名に非難の目を向けると、あらぬ方に目を泳がせる。
本当使えねーなー、こいつら……
「まあ、でも極めつけはこれですね」
言って一色はブラウスから、ん……とか言いながらスマホを取り出す。
何のことか咄嗟に判断がつかず軽く小首を傾げていると、一色は、くぱぁ……とスマホの画面を拡大して目の前に近づけてくる。
それは地図アプリのようなもので、高低さこそ分からないものの、俺達のいる位置をほとんど正確に示していた。
ま、まさか……こいつ……
「GPSって便利ですねー誤差30mとかいいますけど、実際はもっと正確ですよね、前も駅で向かいのホームにいた友達の居場所が分かりましたし……先輩のいる位置なんてもっと簡単でしたよ……」
「じ、GPS!?」
だが待って欲しい。ああいうのは本人の許可が無いと居場所を発信できないはずだ。
しかし相手のIDとパスワードを知っていれば、基本機能やあるいは束縛系アプリと言われる不穏なツールを利用して、端末の場所を特定できるのだとかなんとか聞いたことがある……!
「お、お前、まさか俺のスマホの……!」
なんかそういえば、以前にこいつの頭髪の匂いをチェックしている時に、うっかり目の前でスマホのパスワードを打ったことがある……まさかその時に……?
一色はニタリと妖しく微笑み、俺ににじり寄ってくる。
……ちょっと待って、やんはすマジで怖い。重いよ、愛が重い!
鼻息がかかるほどに顔を近づけ、縋りつくようにブレザーの襟にしがみついてくる。
一色のヤンデルバージョンを見たのは初めてだったのか、両脇の二人も、はうはうあわわとこちらの様子をただただ見入っている。
見入ってないで助けて欲しいの……
懇願する俺を傍目に、一色は俺のブレザーの前をがばっとはだける。
こ、ここじゃらめぇっ!と顔を背けると、一色は俺のブレザーの内ポケットからスマホを抜き取ってしまう。
「……これ、私のスマホなんですよねー」
やんはすはどこへやら、きゃぴるろりん☆と舌を出しておどける。
……は?
いやそういえば……昇降口での別れ際、スマホを投げてよこしたシーンを思い出す。
戸部もその場面も記憶していたのか、驚愕の声を上げた。
「……え、おえぇ!?あれっていろはすのスマホだったんかよー!!」
……なん……だと……
「そうです!私のスマホなんだから、当然調べることが出来ますよねー……私がずっと持ってた先輩のこのスマホで……」
うぷぷと口を手で抑えて、してやったりと会心の笑顔を浮かべる一色。
あの時すり替えが行われていたのか……
見やると、二人が俺に冷たい視線を向けている。
なんだこいつら……人のちょっとした不注意をそんなに責め立てて……
そんなだからこの国の若者たちはすっかり萎縮して、思い切った行動が取れないというのに……
「……し、しかし、会長もよく自分の携帯を人に預けられるな……プライバシーの固まりだろう?普通そんなことしないぞ……」
いつか一色が自身で言ったことを、呆れたように副会長も口にする。
その言葉を受けて、一色は少し考えた風に視線を上に向けると、やがて何かを思いついたのか、にやりと俺に微笑んで見せる。
「……まあ、先輩にはもっと恥ずかしいところを見られちゃったりしてるのでー、これぐらいじゃ……どうにもならないですよねー?」
ドヤァ……と得意げな一色。ふざけているようで、しかしその瞳は真正面から俺を見据えていた。
……この勝ち誇った顔を、いつか、誰かが浮かべていたことがある。
そしてあの時も、俺はこんな表情を返していたような気がする。
「そうですか……」
「はい、そうです!」
予感してしまう。俺はこいつにも、どうやら勝てないらしい……
「さて、じゃあ話も纏まったところで、皆さんには動いてもらいますよー!……ちょうどいい時間ですし」
腕時計をちらりと見ながらそんな事を言う。
まもなく、話が終わったのを察してか、会計くんが再びドアを開けて一色に声をかける。
「……OK。会長、卓球部がそろそろ練習終わるそうだよ。小体育館前に来て」
「はーい分かりましたー!」
「え……なんだいそれ……?会長……俺聞いてないんだけど……」
「進路講演会の場所づくりですよ」
「え……でもそれって今週末の話だろう?まだ時間はあるんじゃ……」
「テスト一週間前に入りますから、卓球部は明日から使わないんです……場所がぽっかり空いたんで、急遽、作業をねじ込むことにしたんですよー」
おそらく副会長には秘密の段取りだったのだろう。
とほーと項垂れる副会長に、ニシシと嫌な笑顔を浮かべる一色。
「他にやりたいこともありますし……さ、こんな雑務はちゃっちゃと終わらせてしまいましょう!」
観念して立ち上がった俺達は、正座で凝り固まった間接をトントンと叩いてほぐす。
鮮やかな快勝に上機嫌な一色だったが、ふと、黒板の違和感に気付いたのか、自分の写真の脇に俺が新たに書き足した罵倒の言葉を目にしてしまい、ぶうっと頬を膨らませる。
そしてチョークを取り出し、俺の写真に添えられた『ストーカ注意!』の文字の下に、新たな言葉を書き加えた。
『自意識過剰☆きんもー』
書き終えて、一色はむふんと今度こそ満足気に手を叩いた。
き、きーー!
※※※※※※※※※※※※※
小体育館に着くや否や、俺たちは一色の指示で倉庫から椅子を運び出す。
三年生全員分の椅子を設置しなければならないため、その数たるや膨大だ。
これ生徒会だけでは辛いんじゃ……
「おい、一色……これ俺達だけでやるのかよ……超しんどいじゃねーか……」
ちょっと段取りが悪いんじゃなくて?と非難の目を向けると、むっと一色が言い返す。
「先輩は文句言える立場じゃないと思うんですけどねー……本当は二日に分けて作業するつもりだったのに先輩たちが先週から日にちを変えたのが悪いんじゃないですかー!」
「う……」
それを言われると弱い。
「まあ、でも結果オーライです、今日は私達だけじゃないですよー」
入り口に目を向けると、戸塚部、じゃなかったテニス部の連中がドヤドヤと入ってくる。
「はちまーん!一色さーん!手伝いに来たよー!」
おお……神よ……
とてとてと笑顔を浮かべながら寄ってくる戸塚。
分かってるわー……本当いろはすナイス采配だわ……
「くくく、我も居るぞ八幡、盟友の苦難と聞いてこの材木座義輝!鵜之島より泳いで参った!!」
う、うん……大した距離じゃないですからね……干潮時は陸続きだし……
どっすんどっすんとコートをはためかせ、材木座が字義通り熱気を伴いながらにじり寄ってくる。
分かってないわー……本当いろはす最低だな……
「来てくれたのか?戸塚」
「ん?八幡がメールが呼んだんじゃない、テスト前もコートを使わせてくれるって条件だったから、僕達手伝いに来たんだけど……」
……なるほど、一色め……そういうことか……
察するに、スマホを差し替えている間に、俺の電話帳に登録されている連中に勝手にメールを送って協力を頼み込んだようだ。
「お、おう、そういう訳だ……悪いが設営を手伝ってもらうぞ」
「うん!任せて!」
おいしい条件なのか、テニス部の面々も士気旺盛といった感じで戸塚に付き従っている。
しかし、きっちりアメを与えるあたりが一色らしい……
人を扱う事に関しては、誰に教わったわけでもないだろうに妙に堂に入っている。
「何故、我がここにいるか……知りたそうな顔をしているな八幡よ……」
「材木座、テニス部たくさんいるし……お前もう帰っていいぞ」
「ふふ、貴様が卒業するまでの間、専属編集者として我の創作活動を支えてくれる……という話だったな。なに、これぐらい喜んで手伝おうではないか」
「ちょ、おま!おい、一色!どういうことか説明しろ!」
呼びかけるが、一色は目も合わせずに俺からスススと離れていく。
誰に教わったわけでもないだろうに、撤退の判断が妙に堂に入っている……絶対に許さない。
っていうかあいつ材木座を認知してなかったはずなのに……都合のいい脳ミソしてんな……
呆れていると、更には川……なんとか姉弟まで小体育館に訪れる。
なんでお姉さんまで……とも思うが、ブラコンですからねー、しょうがないですねー。
「こんにちはっ!お兄さ……比企谷先輩っ、お久しぶりっす!」
「……あ?誰だよお前」
「ちょ、ちょっとあんた、それ酷くない……?」
「俺っす!川崎大志っす!」
「ああ、お前か……悪いが手伝ってくれるか。川崎、すまんな、急に呼び出して」
「え?あ、ああ、や、なんか生徒会の手伝いって聞いたから……」
「すまんな川崎、本当に助かる。ありがとう……川崎、お前にはなんと言ったらいいか……川崎」
「あ、いや、あの、別にいいっていうか……名前呼び過ぎなんじゃ……」
「さー姉ちゃん、俺達も運ぼう!」
怪訝な顔の姉を体で押して、大志は袖を捲って一色の元に駆け寄る。
……そうか、あいつこの高校に受かってたんだっけな……どうでもいいから忘れてたわ……
まあせいぜい便利に使って、用が済んだら適当にぽいっと捨ててしまえばいいだろう。
今日の所は運搬用員と、川崎の名前を思い出すのに役立ってくれたから良しとしよう。
だがもしこの先、小町に近づくような素振りを見せたら、俺はこの手を血で汚さなければならないのだ……
……と、まあそれはともかく、妙な光景だ。
戸塚、材木座に、川崎と大志……数少ない、俺の学校における知人たち。
それが今や、揃って一色の指示に従っている……もとい巻き込まれている。
その事は本当に申し訳ないという思いもあるが……
一方で、どういう訳か俺といるより、よっぽどしっくり収まっているようにも思えた。
それがなんだか嬉しいような、悔しいような……思わず笑いが漏れて出る。
……せいぜい可愛がってくれ。なんせ、そいつらは揃いも揃って、お前を生徒会長にするのに一枚噛んでるんだからな……
知れば少しは驚くだろうが、これはずっと黙っておくことにしよう。
あいつにとっては、そんなの些細な事に過ぎないのだろうから……
※※※※※※※※
被害者の会三人には重労働が割り当てられた。
椅子で床を傷めないために、くっそ重いゴムシートを倉庫から運んではチマチマと広げていく。
これを広げないことには、椅子も置けないため作業も進まない。
追い立てられるように往復を繰り返し、どうにか一通り広げ終えて一息ついていると、妙齢の女性に声をかけられる。
「お?心配してたけど、人員は十分に集まったみたいだね」
様子見に訪れたのは生徒会、兼我ら同好会の顧問でもある養護教諭だ。
「いつも世話になってるサッカー部を引っ張ってこれないから、どうなるかと思ったけど……ちゃんと機能してるみたいだねぇ『被害者の会』も」
「いやいや、これ全然あいつのためになってないでしょ……」
脳天気な顧問の言に、ため息を付きながら返すと、さも不思議そうな顔を向けてくる。
「……役に立ってるじゃない。……この人員は君らが引っ張ってきたんじゃないの?」
「はい、比企谷が連れて来てくれたんですけど……でも先生、この被害者の会の活動目的は、会長による被害を防ぐことと、彼女の自立を目的にしているんですけど……」
「何言ってるんだい、この同好会は役無しの生徒会メンバーによる同好会ってことで学校から認可が降りてるんだよ?」
「……は?」
「や、役無し?俺、生徒会ってことになってんの!?したっけ、俺いろはすからそんなこと聞いてねーんだけど……」
焦る戸部だが、俺もそんな話は聞いたことがない。
副会長にも目を向けるが、やはり初耳だとばかりに首を横に振る。
そもそもこの副会長は、役付きのれっきとした生徒会メンバーなんですけども……
「いや、俺らの会って一色の監査的なものって聞いてるんすけど……」
「そりゃ生徒会メンバーだからね、監査もするだろうさ……ん?一色さんから聞いてなかったのかい?そもそも彼女の肝いりで作られたんだよ、この同好会は……」
なん……だと……
怪訝な顔つきの俺達を見て、顧問は楽しそうに話を続ける。
「ふざけた名称の同好会だから難色示す先生方も多かったんだけど……予算報告会のあと、一色さんが必要性を一生懸命に熱弁してね……いやー、あの時のあの子の必死なことと言ったら、なかなか可愛かっ……」
言い終える前に、どこからやって来たのか、顔を真っ赤にした一色からどーんと体当たりをくらい、弾き飛ばされる顧問。
「よ、余計なことは言わなくていいんですよー!」
「あたた……いや、でも、あれだよ?スピーチも好評で、今じゃ一色さんの判断が正しかったと他の先生方も……」
「もういいから出て行ってくださいよう!」
「痛い、痛い!」
そのままてふてふと突っ張りを受けて、ついには小体育館から追い出されてしまう。
口をぽかんと開け、三人して呆気に取られた顔でその様子を見送る。
「え、えーと、それってどういうこと?ヒキタニくん……?」
「いやどうもこうも、聞いたまんまだろ……」
なるほど……俺たちはずっと重大な勘違いをしていたようだ。
実質的な生徒会メンバー。それが被害者の会の正体だったのだ。
そう考えると、これまでの一色の態度も腑に落ちる。
俺達の予定外の行動にプリプリ怒っていたのも、すべては必要性があってのこと……
そもそもこの『一色いろは・被害者の会』は管理されるも何も、最初から一色の、一色による、一色のための組織だったのだ。
戦々恐々と、これまで管理から逃れようとしていた自分たちが何だか馬鹿らしくなってくる。
なんなのこの同好会……いや、本当、スパイ映画やないねんから……
「もー……ほんとしゃーねーなぁ……いろはすってばよー……」
俺は戸部と顔を見合わせて苦笑を浮かべた。笑ってしまうしか無い。
「なるほどな……俺はさしずめ生徒会からの出向社員ってところなのかな……?それにしても、お前たち、よっぽど会長に気に入られてるんだな……少々妬けるよ」
「……いや、副会長の適当な扱われぶりは間違いなく俺達と同じカテゴリーだと思うぞ……」
いつぞや、会計くんが生徒の個人情報の入った端末を、俺達にあっさり使わせてくれたことがあった。
今思うと、彼には話が通っていたであろうことを窺わせる。それにおそらく書記ちゃんもグルなのだろう。
知らぬは三人ばかりなり……一色にとって、俺達は『いいように扱き使える要員』枠なのである。
脱力して座り込んでいると、顧問を追い出した一色がぶーたれた顔で戻ってくる。
「お前な……そういうのは最初から言え……」
「べ、別に一生懸命は言ってないですし、なかなか常駐する生徒会の面子が集まらないから、とりあえず先輩たちでいいかなーと思っただけですし!」
「はいはい。分かりましたよ」
やれやれと立ち上がると、戸部も賢しら気に一色に視線を向ける。
「まー、そういうことにしとくべー」
そんな俺達の態度に腹がたったのか、一色は膨れたまま俺達に告げる。
「……週三」
「……あ?」
「こ、これからは週三回でお願いします。火、水、金の三日が被害者の会の活動日です」
「えー……」
「そ、そりゃねーべ!俺、部活あんのに……!」
「それに、俺達これでも受験生なんだけどな……」
「試合が終わるまでは戸部先輩だけは二回でもいいですけど、……引退したら三日来てもらいます」
パンパンに頬を膨らませて、ジト目で睨みつける一色。
これはもう何を言っても聞くまい……三人して諦めたようにガクリと項垂れる。
陥落の手応えに、一色はフフンとご満悦の表情を浮かべた。
こうまでされるといっそ清々しい。俺の方はすっかり反抗する気も失せてしまった。
こいつを生徒会長に推した責任は、今後もずっとついてまわるだろうし……
――それに、あのとき知りたいと、そう思ったではないか。
「……了解だ、会長」
苦笑して返すと、一色は底意地の悪い笑顔を満面に浮かべた。
ここのところ、いろいろな顔を見る機会があったが、改めて思い知る。
やはりこいつは、こんな表情が一番似合っている。
※※※※※※※※※※※※※※※※
設営が終わると、既に夕暮れが空を赤く染めている。
帰り支度を済ませた俺達は、同じく支度を終えた生徒会のメンバーに、設営を手伝ってくれた面々とダラダラと取り留めのない話をしながら、昇降口から校門までのわずかな帰路を共にする。
やがて校門を過ぎると、皆に小さく手を振り別れを告げる。
その背を適当に見送ると、前のカゴに鞄を押し込み、自転車に跨った。
さて、それじゃさくっと帰りましょうかとペダルを踏み込むが、何時もより重たげな感触に違和感を覚える。
何ごとかしらと後ろを向くと、一色がニコニコとあざとい笑顔を浮かべて、荷台を両手に掴んで体重をかけている。
「……何してんの、お前……?」
電車組の皆と一緒に駅の方まで行ったと思ったのだが……
まさかこのいたずらを行うためだけに群れから離れたんでしょうか……?
「先輩、海浜幕張まで乗せて行ってください!」
「……ああ、そのうち、適当にな」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!今ですよ、今!これから行くんです!」
ええ、まあ、分かってるんですけども……
思いっきり渋い顔を向けてやったのだが、一色は何故かそれを肯定と受け取ったようで、ヨイショと後輪の軸に足を乗せて、両手を俺の肩に置いた。
うーん、完全に舐められてますねぇ……
「今日はケーキを買って帰るよう親に言われてるんですよねー、あそこに美味しいケーキ屋さんが出来たって聞いたので」
「はいはい、しゃーねーな……警察の人見かけたら合図しろよ。見つかったら超怒られるからな」
「了解でーす!……ふふっ、れっつごー!」
俺の頭をペシペシと叩いて、はよ漕げやと促してくる。
もう完全に扱いが牛馬のそれなんですが……
まあここまで振り回されたのだ。今日に限ってはとことん付き合ってやろう。
それに海浜幕張なら帰りの途中だ。不良生徒会長の一人や二人、大した負担でもない。
少し遠回りになってしまうが、車の少ない道を選んで自転車を走らせる。
しばらく無言でペダルを漕いだ。
まだ夜の帳は降りておらず、夕焼けに照らされた道はやや薄暗くはあるが、視界は良好で走りやすい。
潮を含んだ風は程よく涼しくて、少し火照った顔を冷やすのに丁度いい塩梅だった。
「いい眺めですねー!ちょっと怖いですけど……」
立ちん坊スタイルで乗っているため、俺と景色を共有していることになる。頭の上から一色の声が飛んで来た。
しかし意外だな……こいつのことだから、あざとく荷台に座って抱きついてくると思ってたのに……いや、別に、そうして欲しいというわけではないんですが……
景色を見ながら走っていると、肩に手を乗せていた一色が、俺の耳に少し顔を近づける。
それでも車輪の音が五月蝿いのか、囁くと言うには大き過ぎる声で聞いてきた。
「ねぇ、先輩!」
「あー、なんだー!」
こちらも大きく返す。
「先輩ってー、私の事がー、好きじゃないですかー?」
「……」
……は?
一瞬、頭が飛んでしまった。
うん、ちょっと整理しようね……
えーと、そんなことー、あるわけないじゃないですかー?
「何言ってんの?お前……」
「むぅ、今日言ってくれたじゃないですかー!」
え……言ってたんだ……何それ、マジで覚えが無いんですけど……
どんな顔して言ってんだこのアホ……と一瞬振り返ると、例のごとくあざとく膨れて口をとがらせている。
なんかマジで言ってるし……無意識の内に愛の告白でもしちゃったのかしら?
俺ってそういうのは絶対しないタイプだと自分では思ってるんだけど……
「ほら、真面目なところとか……大きい口叩くとか……年下で超可愛いとか……!」
ああ、そのことか……すげぇなこいつ。あれで好きってことになっちゃうんだ……
道理で俺はこいつにガンガン振られるわけだ。
あと最後のは言ってませんね……ええ……
「まあ、ありゃ嘘じゃねーよ、お前のそういう所は、アレだ……なんだ、嫌いじゃない」
言うと、肩に添えられていた片方の手が離れ、ワシャワシャと髪を指で梳きながら撫でてくる。
「フフ……」
「フフじゃねぇよ、危ねぇよ。ここで急ブレーキしたら首とかもげちゃうだろうが!」
あと君、ちゃんとポリスメンを見張ってくれてます……?
「先輩がー、そんなに好きならしょうがないですよねー、ちょっと頑張らないといけませんねー!」
「おー、そうだな、しょうがねぇわ、頑張ればいいんじゃねぇの」
一色はしばらくワシャワシャと髪を撫でてくる。何がそんなに楽しいのか、乱しては整え、乱してははまた整え……
それは手を入れ替えても行われ、しばらくいいように弄ばれる。
多分あまり意味のある行為では無いのだろうが、その手が不意に止まった。
「先輩は……まだ、本物が欲しいですか?」
思ったよりも顔を近くに寄せているのか。今度はすぐ耳元で囁くように、そんな事を言ってくる。
顔の近さのせいなのか、それとも問われた内容のせいなのか、鼓動が少し跳ねる。
いつぞやのように、からかっている色はない。その響きには、どこか真摯さが含まれているような気がした。
顔を見てやりたかったが、自分の顔色を晒すのは不都合があったので、前を向いたまま、
「……さあ、どうだかな」
つれない言葉だけ返してやる。
しかし一色に不満はないようだ。元々答えが欲しかった訳ではないのかもしれない。
耳元で、さっきより少し弾んだような声で囁いてくる。
「私は欲しいです。――きっと、ずっと欲しいです」
「そうか……」
……そういうものなのかもしれない。
俺が望む本物。こいつが望む本物。
そこにどんな違いがあるのかは知らない、知りようがない。
ただ一つ、交わるところがあるとしたら……
「先輩にも、いつか見せてあげます、だから……」
「……」
続く言葉は無い。どこかに掻き消えてしまったのか、押し殺してしまったのか。
黙ったきりの一色の鼻息が首筋に辺り、それが少しこそばゆいだけだ。
先を促そうとは思わない。
……今俺たちは同じ方向を向いている。
ただそれだけの共通項があるだけで、顔に熱が灯る。
浮ついて、弾むように胸が踊る。
だが一方で、冷静で冷徹な自分が、冷ややかな視線を向けながら指摘してくる。
――根っこはきっと全然違うだろうに。
沸き立つ想いに水が差され、途端に疼くような痛みに胸がざわつき始める。
それでいいのかと、お前は何をしているのかと、責めるように、苛むように、内なる声が響いてくる。
心がギチリと、何かに挟まれたように軋んでいく。
いつか誰かが大層に評したそれに、俺はまだ囚われたままでいる――
あるいは一生この性質からは逃れられないのかもしれない。
どうしようもなく小さなことを、肥大化させて、大袈裟に歓喜し、必要以上に困惑し、悲観に暮れ、いちいち滑稽なまでに狼狽える。
敏感で、過敏で、過剰に反応する。
俺を本当に振り回すのは、いつだって俺自身なのだ。
そして小事は往々にして、大事を覆い隠す。
何も見えていなかったのだと、思い知らされるのはこのすぐ後のこと。
今もなお、俺と彼女はどこかズレている。
※※※※※※※※※※※※
一色いろは・被害者の会3
雌伏編・後半 【了】
一体どうなるのか……続く!
→続き
待ってました!!
雰囲気すごい好きです、続きを今から楽しみにしています!
うわーもうニヤニヤしてたのに!
気になるやないかあああああああ
奉仕部がどうなったのか気になる
>>3
そこな。名前は頻繁に出てくるのに・・・
三浦たちの言動や週3で部活しても何も言われない小町も何も言わないから判断すると……
なーんか俺このSS好きなんだよなー。なんでだろ
この作者さんの作品、すごく楽しみ。そして面白い。
不穏な空気が出てきたところまで、原作っぽい。
最初から生徒会に組み込まれていたとは。このリハクの目を(ry
この作者さんの作品、すごく楽しみ。そして面白い。
不穏な空気が出てきたところまで、原作っぽい。
なんだよ、これ、良作じゃねーか
文章やたらうまいしいろはすがかわいい
落日まで続けてくれるといいな
めちゃくちゃ面白いです。笑い所もたくさんあるし、どことなくシリアスな雰囲気も匂ってくるし、何よりキャラが本当にいいです。いろはが可愛いと言うのもあるけど、被害者の会の三人組の会話も和むしで、大満足です!
続き楽しみにしてます!
なんだろう、しつこくなく、ありえなくなく、また本物とも違うSSですね。世界観に引き込まれます。奉仕部の活動は文章の外で起こっていると解釈します笑
続き、楽しみにしてます^_^
面白い
続きまってます!
途中の天丼では爆笑した
これほんとに面白い
続き超絶待ってるぜぇ~
ワクテカしまくってるんだぜぇ~+(0゚・∀・) + ワクテカ +
天才かよ。
風邪が悪化しそうなほど笑ったわ。
ほんと、電車とかで読まなくて良かったー。