種から始まる異能力
せっかくなのでオリジナルも載せておきます。更新はかなり遅いと思います
『思い立ったが吉日』、『後悔先に立たず』という言葉がある。
辞書的な意味は知らないが、簡単に言えば「今やれよ」、「考えて行動しろよ」、という……いや、そこまで乱暴な物言いじゃないとは思うけど、大体そんな感じだ。
しかし日本語は不思議だ。矛盾する言葉が同時に成り立つのだから。論文用語で逆説的ーーパラドックスというらしいが、まあそんな事はどうでもいい。
問題は、同時に成り立ってしまう事だ。
前者は、『動かなければ後悔』。
後者は、『動いたから後悔』。
どちらに転んでも、結局は後悔。
マイナスの捉え方かもしれないが、実際に起こり得る。というより起きてしまった。
ならばどうするのか。
考えろ。
そして、考える時間があれば行動しろ。
「どこだ……ここは」
空瑠は呆然と立ち尽くした。
目の前に広がるのは、深い緑の木々。振り返れば、樹齢は一体何年だと首を捻りたくなるほどの大樹。幹を一周するだけでも、歩いて数分はかかるだろう。
「……でけぇ」
何の気もなしに大樹を見上げていた空瑠は、首の痛みで我に返った。
「……おれ、何してたんだっけ」
空瑠はぼんやりと記憶を辿る。
ーー確か、近所の自然公園に来て、人気の無い場所を歩いていたら、忘れ去られたような朽ちかけた鳥居と祠を見つけて……
「……どこだここ」
最初の疑問に戻る。
確かにあの公園は、自然公園だけあって近年では珍しい広い雑木林が残る大きな公園だったが、こんなに深い森ではない。
「……つーか、これもう樹海のレベルだろ」
辺りをざっと見渡しても、僅かな木漏れ日が射し込むだけで、薄暗い視界には木、木、木。
今いる場所は、大樹のおかげか辛うじてスペースがあるが、目の前に広がる森林改め樹海は、踏み込んだら最期のような不気味な雰囲気を醸し出している。
「うーん……立ち入り禁止区域にでも入っちゃったのか?」
そんな結論付けをした空瑠は、
ーーとなると、怒られる前に出ないとだよな。
やや小走りで獣道、に見える地面へと歩を進めた。
その一瞬後に、ジャリ、という土と砂利を踏みしめる音を聞いた。
ーーやべっ、バレたか?
そのまま逃走も考えた空瑠だったが、これ以上迷うのは勘弁とぎこちない苦笑いで振り返った。
そして怪訝な顔に変わる。
空瑠の視界に現れたのは、どう見ても少女だったからだ。空瑠と同じくらいか、少し上程度の。
ーーいくら何でも、これで管理人はないよな……。
さらに、ヒラヒラのロングスカートという服装に、また同じく驚いた表情という点も、空瑠の疑問を深める。
ーー外人……? 染めているようには見えないし……。
謎の少女の髪色は、真っ白。を通り越して、雪原のような純白だった。白銀、という言い方が適切かもしれない。
ぱっと見悲しい膨らみの胸元には、深い蒼色を湛えた小さな宝玉のペンダント。
と、空瑠がある程度の観察を終えた頃、少女が恐る恐る口を開いた。それは、空瑠の混乱をさらに加速させるものだった。
「ーーダラデノツ……?」
「……はい?」
聞き取れなかった。
日本語では、間違いなくない。英語だとも思えない。
ーーフランス語とか、イタリア語とかか? 参ったな……。
「ドソネハ、チチメエヒガ……」
「えっと……」
「チチメトロウム、チミケヘヲヒシルムセヒセタセミメ……」
どうやら違うらしい。まったく聞き覚えが無い。
「えっと……、ここは、どこですか」
空瑠は身振りを加えて質問するが、
「チヒバガホソジムセ……。ドソノラバ……」
やはり通じず、少女の側も、コミュニケーションが取れない事にもどかしさを覚えている様子で困り顔である。
「ーーニソダ! ストロニンムク!」
「な、何だ?」
急に笑顔で顔を輝かせた少女は、小さく手招き。すぐに踵を返すと、数歩歩いてこちらを振り返る。
「付いて来い、って事か……?」
当然、空瑠は躊躇する。相手がそう年の離れていないであろう少女だとしても、素性が分からない以上警戒して損は無い。
ーーうーん……。
逃げるかどうか、本気で検討した空瑠だったが、
「…………」
少女の目が、すがるようにこちらを見ている事に気付き、
ーーもし怒られるなり、最悪お縄だとしても、それもそれでいい。
やや自暴自棄ではあったが、少女へと足を踏み出した。
少女と空瑠は、森の中を歩いていた。言葉が通じないせいか、もう少女が話し掛けてくる事は無い。そのせいで、
ーー気まずい……。
そもそも、女子とは距離を取り、取られがちの空瑠にとって、初対面の異性に話し掛けて事などできない。
道とも言えぬ道を進みながら、空瑠は煩悶する。
ーー景色でも眺めて……。
周りには木しか無い。
ーー大人しく我慢しろって事か……。
少女に気付かれぬようため息をついた空瑠は、その後十数分間をほぼ無心で過ごした。
「ーーホテクネフヤ」
「…………え?」
唐突に話し掛けられ、反応が遅れた空瑠は、
「ーーうわっ……」
目の前の風景に驚きの声を上げた。
足元は、雑草だらけの土から手入れのされた芝生に。周囲は、鬱蒼とした森から開けた原っぱに。そして正面には、漫画やアニメから飛び出してきたような、
「お屋敷だ……」
立派な洋館がそびえていた。
「チヘルアドソゾ」
少女は正面の扉を開けると、振り返ってこちらを見る。
「はいはい行きます」
すでに感覚が麻痺し始めている空瑠は、こんなお屋敷あったかなー、という程度の感想しか抱けないまま、洋館の中へと足を踏み入れた。
「チヘルデノ」
少女に案内されるまま、玄関ホール奥の大きな階段を上がる。
ーー土足でいいのかこれ……。
混乱を極める空瑠の頭だったが、事態は流れるように進む。
一つのドアの前に立った少女は、ノックして開ける。
「シユ? シツサケ、ミリ。二ヘクウルシテユヌンツム?」
そこには、二十代前半とおぼしき青年が立っていた。よく言えば温和そうな、悪く言えば線の細そうな印象を空瑠は受けた。
「ルセ。……フダ、スミイケミムツメセフミデ、ムメツヅヤソガスコミツイネカウナン」
「スミイケメ? ムコリド……ワツッフ」
「…………」
異国語で話され、完全に置いてけぼりを食った空瑠。外国での会話って、こんな感じなのかなーといった事をぼんやりと考える。
「スス、ノクムセマ」
思い出したように、青年が人当たりのいい笑顔を向けてきた。
「ーーワード・セケヨージャン」
青年がくるりと指を振ると、
「これで伝わるかな?」
「っ……!?」
空瑠は今度こそ、本気で驚き目を見開いた。
青年の口から飛び出した言葉は、今までの異国語ではなく、空瑠が聴き馴染んだ日本語だったからだ。正確には、言葉は変わらず異国語だが、それを日本語として理解ができるのだ。
「ワード・イリュージョン。本当に使う機会が来るとは思わなかったよ」
「何の話……」
「色々事情があるんだろうけど、まずは自己紹介だ。僕はストロ・トリリオン。こっちは使用人の、」
「ミリ・リーベンデルです」
ミリと名乗った少女は、ペコリと頭を下げた。
「ど、ども……」
釣られて頭を下げた空瑠に、
「君の名前は?」
ストロから問い。
「あ、宿木空瑠ですけど……」
「ヤドリギクルル? 聞き慣れない名前だね」
ーーそりゃ、日本人限定だしなぁ……。
「名前が後ろなんだね? じゃあクルル君でいいかい?」
「あ、はい。それでどうぞ……」
ずっと流されっぱなしだった空瑠は、思い切って聞いてみる事にした。
「……あの、」
「何だい?」
「……ここは、一体どこなんですか?」
「別荘だよ」
くらいまでなら許容できた空瑠だったが、実際の返答は遥かにぶっ飛んだものだった。
「ノグリスワールド・チリス区郊外、トリリオン家の屋敷だよ」
「…………は?」
数秒ほど思考が停止した空瑠は、
「……すいません。もう一回お願いします」
「ノグリスワールド・チリス区郊外、トリリオン家の屋敷だよ」
聞き間違いではないようだ。
ーーそっち系の人なのか……?
だが隣のミリを見ても、特に反応は無い。
「……ここって、日本ですよね?」
空瑠にしてみれば、一応訊いてみた、程度にすぎないのだったが、
「ニホン……? 何だい、それは」
ストロは本気で首を傾げた。
「えっと……」
ここまで来ると、空瑠も困惑してくる。このストロとミリは、完全に自分の世界を構築してしまっているのか。ーーあるいは、全て真実なのか。
「まあ、立ち話もなんだし、場所を変えようか」
ふとストロが言い、
「スライド」
と呟く。
すると、目の前で信じられない事が起こった。
閉まっていたドアが、ひとりでに開いたのだ。
「んなっ……」
空いた口が塞がらない空瑠に、ストロは怪訝な顔を向ける。
「……もしかして、魔法を初めて見るのかい?」
「もしかしなくて初めてですよ! 魔法? 何ですか魔法って!」
空瑠の頭、ここに混乱極まれり。
「ちょっと、落ち着こうか。クルル君」
なだめるように、ストロは両手をかざす。
「魔法なんて、使えて当たり前じゃないか」
「私も、そうだと思います」
ミリも当然のように頷く。
「…………」
ーーおれ、本当に異世界に来ちゃったのか……?
空瑠は初めて、現実から逃避したくなった。
「とにかく、色々教えて下さい」
場所は変わって、応接室。
背の低いテーブルを挟んで、クルルは説明を求めた。
「まず最初に、ここはどこなんですか?」
「三度目になるけど、__ノグリスワールド・チリス区郊外、トリリオン家の屋敷だよ。クルル君の立場からしたら、異世界、だね」
「…………」
もう一度現実逃避。
「……まあいいや。__次、魔法って何ですか?」
「こういうのだよ」
ストロは入り口のドアに目を向けると、
「さっきも見せたよね。__スライド」
ひとりでに開くドア。
すでに分かっていた事だが、やはり驚きを隠せない。
「もしかして、急に言葉が通じたのも……」
「ワード・イリュージョン。言葉に乗った意思を、そのまま伝える魔法だよ。これがあれば、言語を理解する程の知能があれば言葉が通じなくても意思疎通が可能なんだ」
__テレパシー、ってヤツか。
「ノグリスでは魔法が全てと言っても過言じゃない。……もちろん例外はあるし、科学も多少なりと存在しているけどね」
「はあ……。__最後に、一つ訊いていいですか?」
「どうぞ」
「……どうやったら、帰れるんですか?」
「無理だと思うよ」
即答だった。
「クルル君の話を聞く限り、ノグリスに来てからミリと会うまでそう時間は無かったはずだ。異世界から人間を召喚するなんて、並大抵の魔力じゃない。それなのに、」
「ナノライトは感知できませんでした……」
__ナノライト?
「魔力の残滓の事さ」
クルルの疑問に、先回りしてストロは答える。
「召喚(サモン)魔法を一瞬で行い、その痕跡を一切残さない……。__誰が何の目的でやった事かは分からないけど……悪戯にしては大規模だ。故意、だと見て間違いないだろう」
「故意……。誰かが、目的を持っておれをここに呼び出したって事ですか?」
「そうなるね。理由はさっぱりだけど」
「一体誰が……」
考え込むクルルだが、第一こんな異世界と接点などあるはずもない。
「その疑問は後回しだ。考えても答えなんて出ないからね」
ストロは立ち上がると、初めに見せた人当たりのいい笑顔を浮かべた。
「君が嘘をついているとは思えない。僕らも嘘はついていない。となると、君は何も分からない世界に放り出された事になる」
__認めたくない現実だなぁ……。
「歓迎しよう、クルル君。__トリリオン家6代目当主として、君を正式に客人として招待する」
「は……? 当主? __もしかしてストロさん、貴族なんですか……?」
その問いに、ストロは笑顔のまま、
「もしかしなくても貴族だよ」
そう返した。
「__ここを、自由に使って下さい」
応接室をあとにしたクルルは、ミリの案内で二階の部屋に通された。
「何だか成り行きで、すいません」
「いえ、一人増えるだけで賑やかになりますし、私も嬉しいです」
部屋には、簡素だがしっかりした造りのベッドの他に、収納するものなど無いがクローゼット、照明が埋め込まれた電気スタンドのような物、テーブルと丸イスなどが置かれ、日本の一般家庭なら、充分リビングとして使える広さを有していた。
一通り部屋を見渡したクルルは、電気スタンドらしき物に目が行く。形からそう判断したが、あるべきものが無い。
「これ……スイッチはどこですか?」
「あ、それはこうやって使うんです」
ミリはスタンドの前に立つと、パンッ、と手を合わせる。
「ラクリマ・オン」
すると、照明部分の結晶体が光を灯した。
「すげ……」
「これは魔水晶(ラクリマ)と言って、この中に魔力を注ぎ込んで使うんです」
「へぇ〜……」
魔水晶をしげしげと眺めるクルルに、
「クルル君でも使えますよ」
ミリからそんな声。
「え、マジっすか?」
「はい。私と同じようにやってもらえれば」
「よ、よし……」
クルルは若干緊張の面持ちでスタンドの前に立つと、
「ラクリマ・オン!」
右手を突き出して叫んだ。
……………………。
「……あれ?」
反応無し。
助けを求めて振り返ると、
「く、クルル君……。魔水晶は、衝撃を感知しないと発動しない仕組みになっているんです……」
ミリが必死に笑いをこらえていた。
「そういう事は先に言って下さい!」
__変に恥かいたわ!
クルルは再度向き直ると、今度は強く手を合わせる。
「ラクリマ・オン!」
すると、
「うお、ホントについた……」
魔水晶はぼんやりと光を灯した。
「あはは……。__魔水晶には、他にも種類があるんですよ」
うっすらと浮かんだ涙を拭いながら、ミリが言う。
「よかったら、見ますか?」
「ホントですか? ぜひお願いします」
じゃあこっちへ、とミリは部屋を出る。
案内された先は、キッチンだった。
「これです」
ミリが示したのは、二つあるコンロ。調理器具を置くであろうその金具の中心に、淡いオレンジ色の魔水晶が埋め込まれていた。
「これは発火(ファイア)魔水晶です」
「ああ、料理で使うんですね」
「く、クルル君凄いです……」
簡単な連想をしただけなのに、ミリは驚愕に近い眼差しを向けてくる。
「…………」
__おれ、バカにされてんのかな……。
ちょっと思わざるをえないクルルだった。
「__私は夕食の準備があるので、案内はまた改めて」
ミリは思い出したようにそう言うと、丁寧にぺこりと頭を下げる。
「あ、もしよかったら手伝いましょうか? おれ、多少なら料理できるんで」
クルルのそんな提案は、
「クルル君はトリリオン家のご客人です! そんな事はさせられません!」
問答無用で却下だった。
「り、了解です……」
そのまま押される形で、クルルはキッチンを出た。
「トリリオン家の客人……、か」
ミリの発言に何か引っかかるクルルだったが、せいぜい違和感くらいのものである。答えには行き着けない。それに加え、
「……ここどこだっけ」
屋敷の構造を覚えられていないクルルは、早速迷子である。
「__おやクルル君。こんな所でどうしたんだい?」
と、前からストロが現れた。
「あー、ちょっとここがどこだか分からなくて」
「迷子だね」
__はっきり言いやがった……。
「クルル君の部屋はこっちだね」
今度はストロに案内されながら、クルルはふと先ほどのやり取りを話してみる。
「あっはっは!」
笑われた。
「面白いね。ノグリスの常識が通用しないのか」
「自分の常識なんて、他人から見たら非常識ですよ……」
話した事を若干後悔しつつ、クルルはげんなりと答える。
「なるほどねー。面白い考え方だ」
楽しそうに頷くストロに、クルルは質問ついでもう一つ訊く。
「あの、ストロさん。魔法って、どうやって使うんですか? 呪文言ってみたんですけど、反応しなくて」
「まあそうだろうね」
「いやそんなあっさりと……」
打開策を期待したクルルは、かなりの肩透かしを食らった気分になった。
そんなクルルを見て、ストロは教師のように説明を開始した。
「いいかいクルル君。魔法は、言葉に意思を乗せて、それを魔力と融合させる事で使う。そのためには幼少期から魔力に触れ、言い方を変えれば“仲良く”なっておく必要があるんだ。つまり、成長過程で習得していくという事だね。__そもそも君の身体はノグリスの順応できていない。体内に魔力が無いんだ」
「はあ。じゃあもしそれができれば……」
「無理だね」
再びバッサリ。
「…………」
「クルル君と僕らでは、使う言語が違う。今はワード・イリュージョンのおかげでお互い理解できるけど、それはあくまで、勝手に近い意味に解釈しているに過ぎないんだ」
__つまりおれには、魔法=英語って先入観があったのか。
「僕らだって、呪文の持つ意味を理解できなければ、その魔法を使う事はできないからね」
「なるほど……」
「そう悲観しなくてもいいと思うよ。魔法が苦手な人はいくらでもいるからね。きっとクルル君にしか無い長所が見つかるさ」
「そうだといいんですけどね……」
クルルがため息をつく。
「__ああ、ここだね。クルル君の部屋は」
ストロは一つの部屋の前で立ち止まる。
「慣れない環境に慣れない知識で疲れただろう。しばらくは、ゆっくり休むといいよ」
そう言ってストロは、手を使ってドアを閉めた。
クルルがあてがわれた部屋でのんびりできずくつろぐ事、およそ二時間。
体感でそう判断したクルルは、初めて時計が無い事に気付いた。
__時間の概念が薄いのか……?
そんな事を思っていると、ドアがノックされ、
「クルル君、夕食の準備ができました」
ミリの声が響く。
「あ、はい。今行きます」
クルルがドアを開けると、案の定ミリが立っていた。
「案内しますね」
「すいません、お願いします」
少しうなだれたクルルに、ミリは小さく笑う。
「夕食が終わったら、お屋敷内を案内しますね」
「……迷惑かけます」
今度は頭を下げたクルルに、
「そ、そんな事はないです! さっきも言いましたけど、賑やかなのは大好きなんです! クルル君がいてくれて、私は凄く嬉しいです!」
ミリはストレートにぶつけた。
__お、おぅ……。
思わず言葉を失ったクルルに、
「クルル君?」
頭半分低いミリが、不思議そうに顔を覗き込んだ。
超至近距離に美少女の顔が現れ、
「あああああいやいやいやいや、何でもないです!」
免疫の無い男子では、のけぞるしかなかった。
その反応に、ミリは一瞬驚いて不安そうな表情を見せたが、すぐに吹き出す。
「ストロさんの言う通り、クルル君は面白いです……。ニホン人は、皆そんな感じなんですか?」
「この世界がどうかは知りませんけど……色んなヤツがいますからね。あっちの世界には」
ミリに案内され食堂に到着すると、すでに料理は並んでおり、ストロも着席していた。
「遅かったね」
「道順覚えてました」
余談だが、クルルの部屋からここまで、三分弱かかっている。
「まあ造りは単純だから、覚えるのは難しくないよ」
「だといいんですけどね……」
不安を呟きつつクルルは着席する。ミリも、ストロの横に腰を下ろした。
ストロとミリは、先が二つに分かれたフォークらしき物を手に取り、
「いただきます」
合掌したクルルに手を止めた。
「何だい、それは」
ミリも不思議そうにクルルを見ている。
「え? ああ、食べる前の決まり文句みたいなヤツです。自分が食べる食材の命に感謝する、みたいな意味合いがあります」
「ほう……何とも素晴らしい考え方だね」
__食べ物に感謝するのは万国共通のハズだけどな……。
「……ノグリスは、違うんですか?」
「人によるだろうけど、僕はしている。__ただ、それを声に出す事はしないね」
__まあ実際、『いただきます』をやらない人も多いからなぁ。
「とにかく素晴らしい心がけだ。僕たちも取り入れよう」
「賛成です!」
ミリも顔を輝かせて挙手。
「では」
ストロとミリは手を合わせる。クルルも一応それに倣う。
「「いただきます」」
__何か不思議な光景だなぁ……。
声は出さなかったクルルは、そんな事を思う。
そうして食事が始まったのだが、
「……うまい」
食材がいいのかミリの腕がいいのか、料理はどれも絶品だった。
「これ、なんて料理なんですか?」
クルルは、焦げ茶色の大豆のような豆を口に運びながら訊く。素材の甘みが広がり、僅かな酸味が鼻を抜ける。
「それはスクワの実を焼いたものです」
「……はい?」
「スクワの実ですよ」
__いやそう返されてもなぁ……。
と、ふと可能性に思い至ったのか、
「お口に合いませんか……?」
ミリが恐る恐る訊いてくる。
「いやそうじゃないんです。初めて食べたんで……」
「ニホンには、存在しないのかい?」
「そうですね。こんなに味が強くて美味しい食べ物は、めったに無いです。あったとしても、高級食材になりそうな気がします」
そのクルルの言葉に、ミリが小さく笑う。
「ふふっ、それはとても安価な食べ物ですよ」
「え、そうなんですか?」
__意外だな……。てっきり貴族だから食べられるのかと。科学が発達しなかった世界だと、農業が盛んになるのかな……。
そんな事を思いながら、もう一つスクワの実を咀嚼する。
「……うまい」
「__ここがお風呂場です」
楽しい食事会の後、クルルは約束通りミリに屋敷を案内してもらっていた。
「今このお屋敷には私とストロさんしかいませんから、大体は空き部屋なんです」
多くの部屋をスルーするミリに、クルルがぶつけた質問の返答である。
「……掃除とか、大変そうですね」
「そんな事ないですよ? 掃除、好きですから」
__尊敬するセリフだ……。
心の中で敬礼したクルルは、
「……あの、さっきから思っていたんですけど……」
「__あ、はい。何ですか?」
ミリの言葉に反応が遅れた。
ミリは少しうつむくと、
「私はその、使用人ですし……ご客人であるクルル君が敬語を使う必要は無いと思います」
「あー……」
クルルは一瞬、言葉に迷う。
「ミリさんって、十七なんですよね?」
いきなりのデリカシーゼロ発言だが、クルルは気づかない。
「は、はい。そうですけど……」
「おれ、十四ですよ? 年上相手に、タメ口はあんまりいいとは言えないじゃないですか」
「…………」
途端に、ミリは固まってしまう。
「あ、あれ? ……何か変な事言いました?」
立ち止まったミリを、数歩進んでしまったクルルは振り返る。
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
ミリは慌てて首を横に振ると、少し寂しい顔を見せる。
「__私は、身分が違いますから……」
「身分……」
__使用人の立場って、そんなにも低いものなのか……? いくら客人とはいえ、よく分からない冴えない輩に?
「…………」
自分で若干傷心する。
__というより、身分以外にも、何か壁を感じるな……。
拒絶__とも違う、周囲にだけは寄せ付けない殻のような何かを、クルルは感じた。
「__この先は、ストロさんの研究室です」
クルルがそんな事を考えていると、ミリは特別重厚な扉の前に立つ。漫画に出てきそうな、細かな細工のされた両開きの扉だった。
「……何か、凄い雰囲気を感じますね……」
「私も入った事は無いので、中がどうなっているのかは分かりませんが……」
ミリも、少しだけ複雑な表情を作る。
「てか、ストロさんって何する人なんですか?」
「ストロさんは魔導学士の称号を持っています」
「魔導学士?」
「ええと……簡単に言えば、魔法を研究して、改良したり開発したりする人の事です」
__ノーベル賞を目指す科学者みたいな感じかな?
「クルル君にかかっているワード・イリュージョンも、ストロさんオリジナルの魔法なんですよ。多分……他に使える人はいないと思います」
「マジっすか……」
__思った以上に、凄い人なんだな……。
「__これで、大体のオリジナル案内は終わりました。分からない事があれば、いつでも訊いて下さい」
クルルの部屋の前まで戻り、ミリは頭を下げた。
「ありがとうございました」
「私は基本的に、キッチンか洗濯場、もしくは自室にいるので」
「あー……。ミリさんの部屋って、どこでしたっけ」
同じような空き部屋を沢山見たせいで、クルルの記憶はまだ曖昧である。
「ふふっ、こっちです」
ミリは小さく笑うと、再び先導して歩き出す。
「__ここが私の部屋です。玄関奥の階段を登って、右の二つ目です。クルル君の部屋からは、左に五つですね」
「分かりました」
「では、私はこれで」
ミリは笑顔で一礼すると、部屋の中へ入っていった。
開いたドアから、一瞬中身が見えたクルルは、
「……ふーん」
__おれの部屋と、そこまで変わらないんだな。
そんな感想を抱いた。
ミリと別れて部屋に戻ったクルルは、
「風呂行こうかな」
と横たわっていたベッドから身を起こした。
すでにお湯は張ってあり、いつでも入れると言われていたので、着替えは無いので手ぶらで風呂場へ向かう。
概念があるかは不明だが、ミリの話ではストロは朝風呂派らしい。
実は先ほどの案内の際にも勧められたのだが、気分になれず断ったのだ。僅か十分前である。
「風呂場は一階の右奥……だっけ」
ミリに案内された、朧げな記憶を辿り到着したのは、
「……キッチンじゃん」
見当違いの場所だった。
「えー……………………」
しばらく考えたクルルは、
「戻ってミリさんに訊こう」
諦めて助けを求めた。
一度部屋まで戻り、それからミリの部屋の前に立つ。
「ミリさん、いますか?」
ノックしてみるが、返事は無い。
「いないのか? だとしたら、キッチン__はいなかったから洗濯場か」
教わった言葉を反復しつつ一歩踏み出したクルルは、
「……洗濯場って、どこだっけ」
場所を把握できていない事を思い出す。
風呂はまた改めてかなー、と部屋へ戻ろうとした時、
「__あ、研究室」
インパクトのある部屋の存在を思い出した。
「確かこっちに……」
相変わらず曖昧な記憶を辿り、それでも何とか重厚な扉を発見する。
「ストロさん、いますか?」
ノックして待つ事一分強。
「……どうかしたのかい?」
幸い、ストロは中にいた。若干表情が疲れているようにも見えたが、典型的な勉強嫌いのクルルには、研究に対する労力など理解できない。
「風呂に入ろうと思ったんですけど、場所が分からなくて……」
「風呂に? 浴場なら、正面の階段を下りて左奥だよ」
__逆だったのか……。
自分のうっかりを呪いたくなったクルルは、
「ごゆっくり」
というストロに一礼した。
その際、ちらりと部屋の中を覗いたが、
「……分からん」
薄暗くて何も見えなかった。
ストロの言葉通りに進み、クルルは無事風呂場を発見。
「色々疲れたな……」
ドアを開けるが、脱衣所には当然、誰もいない。
__温泉みたいな効能があるかは分からんが、ゆっくり浸かれば少しは疲れが取れるかな……。
「またこの服を着る事になっちゃうけど、まあしょうがないよな……」
ちょっとした銭湯のような広さの脱衣所で服を脱いだクルルは、幸い用意してあったタオルを掴んで浴場へと入る。
「広っ……」
トリリオン家の浴場は、宿屋として使えそうな広さを誇っていた。カランに似た桶が幾つも重ねられ、反響しない声と立ち込める湯気が広さを物語っている。
「贅沢だなぁ……」
呆然と感想を呟いたクルルは桶をひっくり返すと、立ち並ぶ魔水晶を埋め込んだシャワーの一つの前に座った。
「ラクリマ・オン」
パン、と手を叩き、シャワーをかぶる。
「へぶっ……滝かよ……!」
温められた水を放出するだけの単純な構造のそれは、水量調節はできないようだった。バケツをひっくり返したような勢いで降ってくる。
「この辺の微調整、魔法じゃできないのかな……」
とりあえず冷水が出なかった事に感謝しつつ、置いてあった石鹸を少し悩んでから使い、適当に体を洗う。
立ち込める湯気で周りが見えず、少し探して浴槽に身を沈める。
「「はぁ〜……」」
ため息二つ。ぼんやり虚空を眺める。
__…………うん?
何かに気付いたクルル。ゆっくり横を見る。
「ふぅ〜……」
ミリがいた。一メートルほど離れた位置で、目を閉じてリラックスしている。
__…………何で!?
ノグリスに迷い込んだ時以上の混乱が、クルルを襲う。
__あそうかさっき断ったから入らないと思われたんだなどうしよう。
前半は納得、後半は焦りである。
だがクルルにとって幸いだったのが、衝撃的過ぎて固まってしまった事と、
「ふぅ〜……」
湯気でミリが気付いておらず、またこちらからもシルエットしか確認できない事だった。
__今なら、まだ何とかなるか……?
クルルはゆっくりと身体を持ち上げ、湯槽からの脱出を試みる。
「__あ、クルル君。いたんですね」
「だぶぁっ!?」
足を滑らせた。そして沈む。
「だ、大丈夫ですか!?」
ミリに引っ張り上げられ、クルルは激しく咳き込む。
「げほげほげほっ! 死ぬかと思った……」
「す、すいません……」
「いや、ミリさんが謝る事ないですよ。悪いのはおれですし__」
そこまでフォローしてから、クルルは状況を思い出す。
「こっちこそすいませんでした!」
「?」
素朴な疑問で返された。
「何がですか?」
「いや、何って……」
戸惑ったクルルは一瞬目をやり、すぐに逸らす。この至近距離では、湯気の意味など無い。
「? __…………っ!?」
次の瞬間、ミリの空気が変わった。
怒られる。そう直感したクルルは、再度頭を下げようとする。だがその前に、
「そんなつもりじゃなかったんです!」
ミリの声が大きく反響した。
「……はい?」
何とも言えない中途半端な体勢で止まったクルルは、同じく止まった思考を再開させる。
「えーっと……、何がですか?」
そう訊いたクルルは、ミリのペンダントが無い事に気付いた。ついでに比較的平坦な胸元に目が行きそうになり、慌てて逸らす。
「……え?」
逸らした先、そこに“あり得ないもの”がある事に言葉を失った。
「…………」
うなだれるミリの頭上。そこにあるのは、どう見ても猫耳。さらに視線を下げれば、本来耳がある位置には真っ白い肌が存在するだけ。そして背中に、僅かに見える尻尾らしきもの。
そしてクルルは、ある仮定に行き着いた。
「__もしかしてミリさん、普通の人間じゃない……?」
「……っ!」
ミリはビクリと肩を震わせると、観念したように力を抜いた。
「……はい。__私は……獣人です」
獣人。そう言われたクルルだが、残念ながらピンとはこなかった。
どうにか絞り出した言葉は、
「そうなんですか」
だけだった。その反応に、ミリは逆に、
「わ、私は獣人なんですよ!? 怒ったりとか__」
「……何でおれが怒るんですか? __ていうか、獣人なんているんですね。初めて見ました。流石は異世界……」
遠い目をして呟くクルルに、
「そ、そこからですか……?」
ミリは唖然とする。
「え、はい。ビックリしましたよ。獣人とか、フィクションの世界だけでしたから。__あ、だからってふざけんなとはならないです。ノグリスの事情とか知りませんし」
「…………」
ミリはしばらく無言でいたが、
「よかった……」
全身から力を抜いた。
「私の人生、ここまでかと思いました……」
「いや、そんな大げさな……」
だが、ミリは哀しそうに首を横に振る。
「おそらく、クルル君が考えている以上にノグリスにおいて獣人の扱いは残酷です。本来、こんな場所にいていい存在じゃないんです」
クルルは何も言わない。否、言えない。何も知らない異界人が、簡単に首を突っ込んでいい問題だとは思えなかったのだ。
「事情を知らないとはいえ、気にしないでくれたクルル君には感謝です。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ……」
向き直って頭を下げられ、クルルも一緒に下げる。
「……あの、我儘なお願いですけど、できればこの事は、口外しないでもらえませんか……?」
そんなミリのお願いにクルルは、
「それはもうもちろん! むしろこっちからお願いしたいくらいですよ!」
入浴中、そして全裸という状況を思い出し懇願した。顔がお湯に埋まった。
湯船に浸かりながらぼんやりしていたクルルは、先に上がったミリが着替えるのを待って出た。
あまり気分のいいものではないが脱いだ服をもう一度着ると、脱衣所を出る。
「__疲れは取れましたか?」
「わざわざ待ってくれてたんですか?」
「はい。せっかくなので、お見せしようかと」
何を、と訊きたくなったクルルの前で、ミリはペンダントを首にかける。
すると、ミリの頭上の猫耳。それが一瞬で消失した。見えるのは、白銀に波打つ髪の毛だけである。
「はー……。それも魔法__魔水晶ですか?」
「はい」
ようやく見慣れてきたとはいえ、未だに言葉を失う。
「これは特別な魔水晶で、ストロさんに貰ったんです」
「へぇ……」
__特別な魔水晶を、わざわざ使用人にプレゼントか……。まあ一人しかいないし、それもアリなのかな。
結論付けたクルルは、
__獣人である事を隠さないと働けない、か……。
一瞬、深い闇を感じた。
「それでは、おやすみなさいです」
「おやすみなさい」
ミリの部屋の前で別れたクルルは、
「やあクルル君」
ストロに出会った。__否、
「率直に訊きたい。__ミリをどう思った?」
捕まった、という表現が正しい。
「それは、獣人だって事を知って、ですか?」
「ああ」
「えっと……」
ストロの真剣な表情を見て、答えを逡巡したクルルは、
「驚きました」
正直に答えた。
「獣人自体初めて見たんで、それはもう……多分人生で一番」
「魔法よりも?」
「はい」
「そうか……。__その驚きは、マイナスに働くかい?」
「は?」
質問が突飛過ぎて、素で返してしまった。
「どういう事ですか?」
「……いや、何でもない。このノグリスで過ごしていれば、分かる日がくるさ」
妙に言葉を濁したストロ。そこに込められた気持ちを感じ、クルルは聞き返す気になれなかった。
部屋に戻ったクルルは、ベッドに寝転がりながらストロの言葉を思い返していた。
ストロ曰く、古代に猿が人へと進化を遂げ始めた同時期、他の動物も同じように行動範囲の広い人型へ進化をしたらしい。途中でお互いの血を交え、今では彼らの遺伝子はごく一部に残るのみである、と。どうやら、地球に存在する動物とは微妙に種類が異なるようだが。
「おれだって、耳を見るまでは全然気付かなかったもんなぁ……。いくら存在を知らなかったとはいえ、人間と遜色ない見た目……」
人間と変わらない容姿をしているにも関わらず、それを隠し、さらに焦る。
「分っかんねぇなぁ……」
微睡み始めた思考の隅で、クルルは呟く。その真実を知るのは、もう少し後である。
翌日、窓から差し込む朝日で目を覚ましたクルルは、立ち上がって大きく伸びをする。
割とスッキリした朝を迎え、
__ノグリスの一日って、二十四時間なのかな……。まさか、あの太陽も魔法製ですとかは言わないよな……。
という至極どうでもいい思考で一日が始まった。
時計が無いので時間は分からないが、体感で六時頃だと予想する。
「まだ起きてないかな?」
屋敷の住人が寝ている事を考慮して、クルルは静かに部屋を出る。
「せっかくだし、探検しておくか……」
未だに把握しきれていないクルルは、ミリの案内を二度目の反芻する。
「確かに複雑じゃあないんだけど……部屋が多いんだよなぁ……」
例えるなら、学校の教室を把握していくそれである。
「この奥は……キッチンだっけか」
風呂場と間違えた記憶は新しい。
「〜〜〜〜〜〜〜♪」
__うん? 鼻歌……ミリさんか?
クルルがキッチンを覗き込むと、案の定、ミリが楽しそうに食事の準備をしていた。微笑ましい光景に、少し目を奪われてから、
「おはよーございます」
「は、はい!? おはようございます!」
クルルの挨拶に、ミリは直立不動。それから振り返り、
「あ……クルル君」
気まずそうな笑みを浮かべた。
「普段聞かない声だったので、一瞬誰だか分かりませんでした。ごめんなさい……」
「まあ、しょうがないっすよね。昨日知り合ったばっかなんだし」
すると、ミリは少し驚いた表情を見せる。
「そういえばそうですね……。何だか、三日くらい経った気分です」
__まあお互い、科学やら魔法やらで密度濃かったもんなぁ……。
そこでふと、クルルはミリの頭に目をやった。
そこに猫耳は無い。
その視線に気付いたのか、ミリは苦笑いを浮かべる。
「もう隠す必要は無いんですけど……つい」
「まあ、心掛けは大事ですもんね」
__心掛け、か……。
「__それはそうと、調理中ですよね?」
「あ、はい。もう少し、待っていて下さい」
「あーいや、せっかくなんで、手伝いますよ。こう見えて、料理はそこそこできるんで」
その申し出に、ミリは半日前同様固まる。
「クルル君はお客様ですよ! 食事の手伝いだなんて……」
「その事なんですけど、昨日ちょっと考えたんです。ほぼ居候のおれを、お客様扱いする必要は無いんじゃないですかね? その方が、おれも気が楽ですし」
「で、でも……」
「ぶっちゃけヒマなんですよ。何もする事無いんで」
「…………」
ミリはさらにしばらく悩んでいたが、
「じゃあ……、お願いします」
「了解です」
クルルは包丁を手に取ると、カットし途中の野菜を切っていく。
綺麗に等分されていく野菜とクルルを見ながら、ミリは手が止まる。次いで指示された千切りも終えたクルルは、
「ミリさん、他にやる事は__ってミリさん?」
振り返って固まったミリに気付いた。
「クルル君は、ニホンで料理の経験が……?」
「まあ、一人暮らしだったんで、それなりに」
「凄いです……!」
何やら感動しているミリに、クルルは首を傾げる。
__そんな感激する事かなぁ……? ミリさんだって、料理得意そうだけど……。
そんな疑問を抱きながら、クルルはコンロの前に立つ。食材を入れたフライパンを置いて、魔水晶を発動すべく手を合わせる。
「__あ、クルル君、気を付け……」
「ラクリマ・オン」
火柱が上がった。
「うおっ……!?」
さながらフランベのような火柱に、クルルは慌てて身を退く。フライパンを放り投げなかったのは僥倖と言えるだろう。
「んっ……!」
直後、魔水晶は発火をやめて何事も無かったように鎮座していた。
「「…………」」
残る熱気と沈黙が支配するキッチンで、
「……何か、すいません」
耐えきれなくなったクルルは頭を下げた。
「いえ、私がもっと早く言うべきでした……。魔水晶は調整ができないので、自分の魔力と相殺させるんですけど……」
__確かにそれは先に言って欲しかった……。
「よく考えたら、クルル君は魔法が使えないんですよね……。ごめんなさい」
「いや……ミリさんが謝る事じゃないですよ。ちょっと調子に乗りました」
ミリはそんな事ないですよ、と安定のフォローをすると、クルルに代わってコンロの前に立つ。
「私が調理をするので、クルル君はそっちの野菜を切って、焼けたものを盛り付けてくれますか?」
「……分かりました」
申し訳なく思う一方、さりげなく手伝いを頼まれた事に、クルルは喜びと安堵を覚える。それとほぼ同時に、
「……あれ? さっき、“オフ”って言ったか……?」
「__服を?」
「うん。クルル君はしばらくこっちに滞在する事になるだろうし、それ一枚で生活するのは厳しいだろう? この後、街に行って買ってくるといい」
ミリと作った朝食を食べながら、ストロからそんな話を持ち出された。
「まあ確かに、昨日からそれは思ってましたけど……」
クルルの服装は、迷い込んだ時のまんまである。ちなみに、ストロもミリも着替えている。
言葉を切ったクルルに、
「何か不安や不満があるのかい? こっちの服装は合わないかな?」
ストロは、クルルの服を一瞥する。地球、というより日本ではごく平凡で安価なTシャツだが、ノグリスにはそもそも化学繊維が存在しない。貴族であるストロも、使用人のミリも、その服の素材は麻である。安価ではあるが、その布の粗さは比べ物にならない。
「いや、不満とかそーゆーんじゃなくて……」
「じゃあ何だい?」
歯切れの悪いクルルに、ミリも首を傾げる。
「……おれ、無一文なんです」
苦渋の表情で白状したクルルに、ストロはしばらくキョトンとすると、
「ぷ……あっはっはっ!」
笑い出した。ミリも、その隣で笑いを隠し切れずにいる。
「いやいや、笑い事じゃないですって!」
「あっはっはー……はー、そんな心配をしていたのか、クルル君は」
「…………」
クルルからしたら、数多くある大問題の一つである。まさか、貨幣制度が存在しないとは言うまい。
「大丈夫。お金は僕が出す」
トン、と胸を叩いて笑ってみせるストロ。
「え……いや流石に申し訳ないですよ!」
日本の勿体無い精神が発動したクルルだが、
「そうか、じゃあクルル君はこの先着たきり雀という事になるね」
ストロの切り返しと、
「服は、綺麗にした方がいいですよ?」
ミリの笑顔に、
「……お願いします」
即行で折れた。
朝食を終えたクルルは、ミリと一緒に街へ繰り出す事になった。
「いってらっしゃい」
玄関でストロに手を振られ、
「ストロさんは来ないんですか?」
「僕は屋敷に残るよ。誰も来ないとは思うけど、あまり留守にはしたくないからね」
色々引っかかる部分はあるが、
「はあ」
それを追求するだけの材料を、クルルは持たない。
ミリと街へ向かうために、クルルは森を進む。
「トリリオン家は森に囲まれているので、どこへ向かうにも森を抜ける必要があるんです。クルル君を見つけたのも、ここの一部なんです」
「へー。でも何でですか?」
「屋敷を造ったのはストロさんの三代前ですが、なんでも“競争率が低かったから”らしいです」
「……貴族なのに、競争率に負けたんですか?」
「トリリオン家より大きな貴族は、たくさんいますよ」
「え……貴族って、そんなにいるんですか?」
「街に着けば、分かりますよ」
ミリは振り向いて、微笑む。
貴族がいるなら、平民がいる。そして、得てして人口比率はピラミッドである。
__もしかして、ノグリスって地球とは規模が違うんじゃ……。
ふと疑問に思い、クルルは訊いてみる。
「あの、ノグリスの一周って何キロくらいあるんですか?」
「キロ……? それは、何ですか?」
「あーえっと、地球……じゃないか。日本の距離の単位です」
「距離を細かく数値化するなんて……」
__あー、そこに感動されると話が進まないんですけど……。
「ノグリスでは、距離は歩数か日数で数えます。クルル君と私の距離なら、半歩。ここから街までは、四十半日」
「四十半日? って……何ですか?」
「ああえっと……半日より四十回少ない、という事です」
「んーと……。つまり、半日の四分の一って意味か……?」
半日が十二時間だとすれば、七二〇分となる。つまり四十半日は、十七分。
「微妙な時間だなぁ……。__じゃあ一周は?」
「一周、というのはよく分かりませんが……」
__んー? ノグリスには惑星の概念が無いのか?
よもや、平坦だとは言うまい。
「真っ直ぐ歩いて、」
__歩きかい。
「二万日だと、本で読んだ事があります」
「二万……⁉︎」
ぶっ飛んだ数字が出てきた。
「えーっと……」
地球の一周は、約四万キロ。人間の徒歩速度を時速四キロとするなら、一万日かかる計算になる。単純計算で、二倍。
「マジか……」
ちなみに二万日とは、五十五年弱である。
「あ、もちろん、魔水晶や馬車を使ったりと手段は様々ですよ」
「ですよねー」
面倒な計算を終えたクルルに、
「あの、クルル君、その……」
ミリが控えめに話しかけた。
「もしクルル君さえよければ、時間や距離の概念を教えてもらえませんか?」
「別にいいですよ」
「本当ですか? 楽しみです……」
顔をほころばせたミリに、クルルは一瞬思考が止まる。
「__あーえっと……。まず、時間には単位があって__」
森を歩く事約二十分。唐突に森が途切れた。
「おお、ホントに街が……」
雑草生い茂る地面は唐突に、形が歪だが石畳に変わった。
外れだからか、立ち並ぶ民家や人影は少なめ。畑が目立つ。
「ここがチリス区です。まだ端っこですけどね」
先行するミリが、振り返って微笑む。
「……何となく、寂しい感じしますね」
並んで歩きながら、クルルは辺りを見渡す。
大理石を使用したトリリオン家と違い、木造の一軒家で、さらに継ぎ板が目立つ。
「チリス区は貧富の差が激しいですからね……。それに、ここは最端ですから」
「…………」
渋い顔を見せるクルルに、今度は困ったように微笑むミリ。
「色々と思う所はあるのかもしれませんけど……こういう事情は、一朝一夕で出来上がったものでもないですから……」
「分かってますよ。おれ一人がどうにかできる問題じゃないくらい。__それより……」
「?」
「何か……見られてません?」
道を歩いていると、民家の窓から、玄関から、人の顔が増えていく。それが気になるのか、クルルは若干挙動不審である。
「クルル君の身なりは、間違いなく貴族ですから。街の外れを歩いていたら、それは目立ちますよ」
「貴族違うんだけどなぁ……」
「見る人には、事情は関係ありませんから」
「事情は関係ない、か……」
ミリの言葉を口の中で反芻しながら、クルルは少しだけ空を見上げた。
「っと……何だ?」
上に注意が向いていたクルルは、何かを蹴っ飛ばした。
コロコロと転がるそれは、
「……ボールか?」
やや歪ではあるが、木を削って作ったお手製のボールらしかった。大きさはバレーボールほど。
「よく作ったなこれ……」
木材を球体に削るのは、そう簡単ではない。魔法、という理解は及ばない。
拾い上げて感心していると、
「あ、あう……クルル君……」
何故か、横で慌てるミリ。よく見ると、周囲の住人もほぼ全員が遠巻きにこちらを見ている。
「どうかしましたか?」
状況が掴めないクルルは、とりあえず身近な存在に訊いてみる。
「えっと……そのボールなんですけど……」
「これですか? よく作ったなー、って思いますけど」
「確かに、一種の職人技ですね……」
「あ、やっぱりノグリスでもそうなんですね」
「はい。__じゃなくて!」
「うおっ? な、何すか?」
テンポのいい会話から一瞬で詰め寄られ、クルルは身を引く。
「そのボール……どうするつもりですか?」
「は? どうって言われても……」
クルルは疑問に思いつつ辺りを見渡し、
「…………」
家屋の陰から、こちらを見つめる子供の顔を発見した。
__あ、これ、パクったと思われるヤツだ。
そう判断したクルルは、スタスタと子供へと近づくと、
「はい」
とボールを差し出す。
前に、
「申し訳ありません貴族様!」
母親らしき女性が駆け寄り、頭を下げた。ついでに体も。土下座である。
「え、ちょ、どういう事ですか⁉︎」
当然だがクルルは、土下座をされるような経験は無い。ミリに助けを求めるが、こちらも複雑な表情で固まるだけ。
状況が掴めない上に、周りの視線が痛い。
「ふむ……」
クルルは一瞬の思考の後、
「__よっ、ほっ、はっ」
リフティングを始めた。
「「…………」」
ミリも母親も、ポカーンとクルルを眺める。
「…………」
逆に子供の方は、徐々にキラキラとした歓喜の表情を浮かべ出す。
「__ほっ!」
最後にヘディングをかますと、ボールは子供の腕の中に収まる。
「す、すげーっ!」
「も、申し訳ありません!」
声を上げた子供の頭を押さえて、母親は再び頭を下げる。
「別に気にしてないんで、頭上げて下さい」
「え……?」
上げられた頭には、安堵よりも驚愕が色濃く表れていた。
その事に疑問を残しつつ、クルルは子供に顔を向ける。そして親指を立てると、
「上手くいくと、カッコイイぞ!」
ヘディングで痛めた頭を我慢しながら、そう言った。
格好悪かった。
「ひやひやしました……」
親子と別れてすぐ、再び歩き出したミリはそう呟いた。
「……あれが、貴族の認識なんですか?」
「そう考えて、間違いはないと思います。他の地区は知りませんが……チリス区では、ギルドの影響が強いですからね……」
「ギルド?」
「あ、ギルドというのは、成人の就職先の事です。既存のギルドへ入団し、そこへ来る依頼を達成し報酬を受け取る、という仕組みになっています」
「会社みたいなモンか」
「おそらく、その認識で間違いないと思います。__貴族は本来、ギルドマスターの家系なんです。ご先祖が立ち上げたギルドの、伝統と誇りを受け継いでいく……。貴族とは、そういうものでした」
「“でした”?」
「現状は、その名におごり代々世襲するだけ……。蓄えられたお金を、趣味嗜好に、そして盾にして脅しをかけてきたりします。もちろん、伝統を守り続ける立派なギルドも存在すると聞きます。__ですが、多くは……」
「…………」
「それでも、自らお店を構える以外はギルドが唯一の稼ぎ口になります。日々の生活のためには、文句を言うわけにはいきません」
__ブラック企業って、どこにでもあるんだな……。
「じゃあ、ストロさんも……」
一瞬表情が険しくなったクルルだったが、ミリは少し笑って首を横に振った。
「トリリオン家のギルド、名前を《ジ・エンジュ》と言いましたが、七年前に解散しました。ストロさんが畳んだんです」
ギルドは解散。生活から、その事実は予想できたクルルだったが、
「何でですか?」
「……それどころじゃない事情があったみたいです」
「事情……」
話を聞く限り、貴族にとってギルドとは生命線ではないのか。それを畳むほどの理由は、並大抵の事ではないだろう。
当然気になるクルルだったが、
「…………」
ミリが発言に間を置いた事、そしてそもそも気軽に踏み込んでいい問題ではない事、それらを踏まえて、
「__街の中心まで、どれくらいですか? せっかくだし、さっき教えた時間を使ってみて下さいよ」
話題を変えたのだった。
街の中心に向かうにつれて、建物の比率が増え木造から石造に。道も均整なレンガへと変化していった。
通りを歩く人も、何となく雰囲気に余裕が感じられる。
加えて、
「お、魔水晶の店なんてあるんですね」
露店を含め様々な店が現れた。
看板に『魔水晶』と書かれた建物を発見したクルル。
光景としては何気ないかもしれないが、看板に文字を書けるというのは、
「識字率は、かなり高いんだな」
という事を意味する。
__使用人のミリさんも、本が読めるみたいだし。
「……ん? あれ……エルフか?」
店のドアには、耳の長い女性が彫られている。
「あ、はい。そうです。__チキューにも、エルフは存在するんですね」
「いやいないです。創作の範囲だけですよ」
__てか、ノグリスにはいるのか……。
すると、ミリは驚いた表情を作る。
「空想でエルフを作り出したんですか? 科学は奥が知れませんね……」
「あー……。そこは科学は関係ないんじゃないですかね……」
「そうでしょうか?」
「気持ちは分からないでもないですが……。__ところで、何でエルフ? どこの魔水晶の店にもあるみたいですけど」
すでに発見した魔水晶の店は三つ。その全ての、どこかしらに耳の長い人物が存在していた。
「魔水晶は、大昔にエルフが発明したと伝えられています。それを人間に教えたのだと。エルフは長寿で聡明、魔法の扱いに長けた種族でもあるので、それにあやかったと言われています」
スラスラと淀みないミリの説明を聞きながら、
「もうミリさん、ガイドとして雇いたくなってきましたよ。……無一物ですけど」
「そ、そんな……私を必要としてくれるだけで、とても嬉しいです」
「…………」
__相変わらず、自分を低く見るよなぁ……。おれ、こんな風に地元の説明できる自信ないぞ。
「えーっとつまり、エルフは凄い種族って事なんですね」
「はいっ! 別名“森の種族”と呼ばれ、あまり人前に姿を現さない事と相まってとても尊敬される崇高な種族なんです!」
弾けたような笑顔のミリ。
「ミリさんもその一人なんですね」
その勢いに、クルルは若干苦笑する。
「……はい。__私なんかとは違って、ずっと……」
「ミリさん……?」
笑顔のミリに一瞬だけ差した影を、クルルは見逃せなかった。
ミリの案内で街を進むと、
「屋台が増えましたね」
通りの両端に、縁日で見かけるような屋台がポツポツと現れ始めた。綿菓子や焼きそばなど、見慣れた食べ物は一切無いが。
「何か食べますか? お昼には帰れそうにありませんし、ストロさんからもそう言われています」
「ストロさんはいいんですか?」
「ご飯、作り置きしてありますから」
「…………」
当主の扱いがぞんざいである。
「……じゃあせめて、お土産を持って帰りましょう。申し訳なさすぎる」
「! それはいい考えですね!」
__考えなかったのか……。
「それで、何を食べますか?」
「うーん……。と言われても、見た事ある食べ物が無いんですよね……。オススメとかありませんか?」
「そうですね……」
クルルの質問に、ミリはしばらく辺りを見回す。
「あ、これなんか美味しいですよ。私も大好きです」
ミリが近付いた屋台には、“ノムットの葉焼き”とある。
「二つ下さい」
「まいど〜。ハズル四枚になります」
__ハズル?
「お金の単位です」
そう言ってミリは、一円玉ほどの大きさの、銀色の硬貨を取り出した。
__通貨はハズル。よし、覚えよう。
「またどうぞ!」
包んである紙を開きながら、クルルは訊ねる。
「一ハズルの価値って、どのくらいなんですか?」
「そうですね……一食食べようと思ったら、ハズル十枚ほどになりますね」
東京で一食食べようと思ったら、平均して五百円といった所だろう。それが十枚であるならば、
「ハズル一枚は、大体五十円か」
かなり安い物価。東京の半分と言ってもいい。
「魔法の一言で片付く世界なら、手間もそんなにかからないって事かな」
「魔法もそこまで万能じゃないですよ? 種類は相当多いですが、使用範囲はかなり限られてしまいますから。ストロさんのように多種の魔法を扱える人は、稀なんです」
クルルの声を聞き取ったのか、ミリが言う。
一つの事柄に対し、絶対的に点で貫く魔法。一つの事柄に対し、様々な面で受ける科学。
「そう言われると、魔法と科学って対極の存在なのかもしれないなぁ……」
「奥が深い話ですね……。考えさせられます。__さ、早く食べちゃいましょう。冷めちゃいます」
「ですね」
クルルは改めてノムットの葉焼きに目を落とす。
元の色は黄色がかっているが、今は少し焦げ色がついている。掌ほどの大きさで、厚さは一センチ強。何となく、厚焼きのベーコンを連想する。
「…………」
口にした事の無い食べ物というのは、実は食べるのにそれなりの勇気が必要である。だが、
「はむっ」
隣で美味しそうに咀嚼するミリを見て、クルルもかぶりつく。
「! 美味い!」
サクッ、という軽い食感。まるでパイ生地のよう。仄かに香る柑橘系は、かかっているソースか。
「野菜しか食えないって聞いて軽くショックだったけど、こりゃいいや」
「? 野菜しか食べられないわけじゃないですよ?」
ミリは不思議そうな顔をする。
「え? いやでも、昨日から野菜しか食べてないですよ」
「ここは内陸なので、結果的に野菜メインになりますけど……。魚も食べられますよ」
会話に、“肉”が一切登場しない。
それがひたすら気になるクルルは、おそらくタブーである事を承知の上で思い切って訊いてみる。
「肉は……食べないんですか?」
驚く、あるいは怒ると思っていたミリは、複雑な表情を作る。
「……食べない事はありません。ただ、元々肉自体が高価な上に、何の肉が判別できない事が多いので……」
「あー、そういう事ですか」
__確かに、得体の知れない肉は食べたくないよなぁ。
「……万が一にも、共食いはしたくないんです」
「ん? 何か言いました?」
「いえ、何でもないです! __クルル君は、チキューで肉を食べていたんですか?」
「はい。多分、ノグリスほど高価じゃないんで」
「何の肉ですか……? 鹿、とか?」
「…………」
最初にそれが出てくる辺り、カルチャーギャップを感じる。
「……いや、牛とか豚ですよ」
「牛⁉︎ 豚⁉︎」
凄まじい反応をされた。間違いなく、出会ってから最高の反応である。
「は、はい……」
目の前一センチまで迫った美少女の顔に、クルルは一歩退く。
「最高級食材じゃないですか……。平民なんてもっての外、貴族でも、限られた上流階層が祝いの場で食べるしかできないと言われる肉を……」
「そ、そうなんですか……」
よく分からないが、どうやら爆弾発言をしてしまったと自覚するクルル。
「クルル君は、チキューでは王様か何かだったんですか?」
「ぶはっ!」
かなり真顔で訊いてきたミリに、クルルはノムットの葉焼きを吹き出してしまう。
「クルル君?」
「違いますよ。何の変哲も無い平民でした」
「平民で牛肉や豚肉を……⁉︎ チキュー……なんて裕福な世界なんでしょう……」
「うーんまあ、否定はできないですね……。国や地域によって、貧富の差は凄いですけど」
ミリが話すノグリス事情を聞く限り、日本がどれだけ裕福か思い知らされる。
「科学が発展した、魔法の無い裕福な世界……。いつか行ってみたいです」
遠い異世界に思いを馳せるミリを見ながら、
「……そんなに素晴らしい世界じゃないですよ」
どこにあるかも分からない故郷を思い浮かべて、クルルは呟いた。
食事を済ませ、ちらほらとあった屋台も姿を消すと、いよいよチリス区の中心部へ入る。
道を歩く人影は激減し、代わりに馬車が増える。クルルとミリは、邪魔にならないように広い通りの端っこを歩く。
「広いですね」
素直な感想が漏れるくらい、通りは広い。三車線の道路並みか、それ以上。すれ違う馬車も、相手を避ける素振りを見せずに過ぎ去っていく。
建物も、店が三割、民家__を越えて屋敷__が七割。だがどの建物も、トリリオン家のようにシンプルな外観ではなく、黒曜石や宝石を散りばめたりと、よく言えば煌びやか、悪く言えば悪趣味だった。
「私も、ここはあまり好きじゃないです」
同じ貴族の屋敷で働くミリの表情も、暗い。
「ただ、品揃えは信頼できます。そのためです、我慢しましょう。変な顔をするのも、ナシですよ?」
「……分かりました」
若干自信が無いクルルだったが、頷く。
そんな二人が衣類店に入ると、
「いらっしゃいませ」
マントを羽織った男が近寄ってきた。
「マントは、ノグリスの正装なんです」
クルルの“変な顔”を予期してか、ミリが耳打ち。
「はあ、なるほど」
「何をお探しですか……?」
クルルはミリを見るが、微笑み返された。
仕方なく、クルルは自分で訊く。
「えっと……動きやすい服を探しています」
「し、少々お待ち下さい……」
店員らしき男が奥に引っ込むと、
__何か怯えられている気が……気のせいか?
「……こちらはどうでしょうか……?」
しばらくして店員が持ってきたのは、長袖の服だった。生地の厚さ的にシャツに近そうだが、装飾に使われているのは金の刺繍らしく、デザインもかなり派手だった。
「…………」
__これ着て歩くとか、拷問だぞ……。
「お値段は、ギルノ五枚になりますが……」
ギルノ?
「ギルノ一枚は、ハズル百枚ですよ、クルル君」
つまり、ハズル五百枚。日本円で二万五千円といった所。
__正気か? 服一枚にそんな金かけられるか。
危うく口にしかけたクルルは、ふと自分の格好を見下ろす。
日本ではよくある洋服。だがノグリスにおいては、高級素材だと学んだばかり。店員が身分を勘違いしても、不思議ではない。
「…………」
注視すると、店員は凄まじい作り笑いを浮かべていた。誰が見ても一目瞭然である。
「……もっと安くていいので、シンプルなデザインの服はありませんか?」
「は、はい……?」
内容よりも、敬語を使われた事に驚いたらしい。何を言われたのか、あまり理解できていない様子だった。
「この服はたまたま縁があって手に入れた服なので、身分とは関係ないです」
と、クルルは嘘ではない即席の言い訳を述べる。
「左様ですか……。では、こちらはどうでしょうか……」
そう言われても、使用人を連れてこの店に来るだけで、ノグリスでは普通ではない。店員は緊張の抜け切らない声のまま、別の服を取り出す。
黒色のその服は、触り心地着心地は当然着用中の洋服に劣るが、
「お値段はギルノ一枚になります」
五千円。先ほどに比べると、かなり安い。
「じゃあこれと、色違いをあと二つ下さい」
「かしこまりました」
合計でギルノ三枚。そこそこの値段になり手持ちは大丈夫かと危惧したクルルだったが、
「はい、三枚です」
杞憂だったようだ。
「お買い上げありがとうございます」
「……これでも、高いんだけどな」
渡された包み紙を見ながら、クルルは呟く。服一枚につき五千円は、やはり気が引ける。
「貴族が利用するお店ですし、ギルノ一枚なら安いですよ。ストロさんからはギルノ十枚預かっていますから、ご心配なく!」
そんな顔色を読み取ってか、ミリはすかさずフォローする。
「……まあ無一文の身なんで、ここは素直にたかります」
__何かしら恩返ししないとなぁ……。
と思っていた事は、流石に気取られなかった。
買い物を終え、ストロのために土産をいくつか買い、チリス区外れまで戻ってきたクルルとミリは、
「__が、__の、__だ!」
「__から、__は、__が!」
何やら怒鳴り合う声を聞いた。
「……何だ?」
野次馬精神が働き、発信源へと赴くと、何やら人だかりが。
「ちょっとごめんなさい」
クルルが声をかけると、
「貴族様だ……」「貴族様」「貴族様」「貴族様……」
人だかりは過剰に割れる。
「…………」
__貴族じゃないんだけどなぁ……。
とりあえずよく見えるようになったので、そこは感謝する。
さて問題の音の発信源を見ると、
「俺はこれの置き場所を訊いたんだろ!」
「ここに置けって言ったろ!」
「そしたら怒ったんだろ!」
「お前がどかしたからだろ!」
二人の男が言い争っていた。よほど頭にきているのか、近くに立つクルルにも気付かない。
「……背、低くね?」
だが何よりも、クルルはその身長が気になった。男達の身長は、どう見ても一メートル前後。それなのに、たっぷりとした髭のせいで見た目齢四十ほどと思われる。
「あれはドワーフです」
「ドワーフ?」
「はい。背は低いですが、代わりに手先が器用で力持ちなんです。建物の工事や専門職で活躍します」
「へえ」
「ただ……」
「?」
「闘いみたいな事が大好きで、よく喧嘩したりします……」
「あー……」
まさしく、今の状況がそれである。
「口で言っても分かんねーんだな!」
「上等だこの野郎!」
「ああん⁉︎」
「んだコラ!」
そんな間にも、ドワーフ二人はヒートアップ。今にも殴り合いに発展しそうである。
「……止めた方がよさそうですね」
「それはそうですけど、不用意に仲裁すると巻き添えを食うかもしれな……クルル君⁉︎」
ミリが逡巡する間に、クルルはスタスタとドワーフに近づく。
「はいはいそこまで」
「「ああ?」」
返答は睨み付けだった。
__怖いなぁ……。
いきなり口出しした事に後悔したクルルだが、後には退けず、
「ケンカならよそでやれ」
中々大胆に言い放った。
言い放ったクルルの言葉に対し、
「……ああ?」
「何だテメェ」
ドワーフ達の反応は実に単純だった。
「非力な人間の分際で……」
「力で勝てると思ってんのか?」
拳を握って凄みながら、クルルに一歩近付く。
__知識が無いからよく分からんが、多分腕力じゃ勝てないんだろうな……。
怖くないと言えば嘘になるが、考えるのはそんな事。
「……ケンカってのは、力勝負だけじゃないんだぞ」
放たれたその言葉に、
「「あ?」」
ドワーフは堪忍部の緒が切れた。
「ふざけんなよ?」
ドワーフ一人のパンチが、クルル目掛けて放たれる。
「クルル君!」
背後でミリが悲痛な声を上げる。
だが、
「__別に挑発したつもりはなかったんだけどな……」
クルルは拳の側面に手を添えると、回転しながら受け流す。
「とっとっと……」
力を受け流されたドワーフは、勢い余ってつんのめる。
「正当防衛な」
そう言ってクルルは、回転した勢いで足払いをかける。それだけで、踏ん張りがきかなかったドワーフは転倒してしまった。
『はっ……?』
ギャラリーもミリも手を出したドワーフも、一瞬何が起こったのか反応できなかった。
「な……この野郎!」
最初に我に返ったのは、もう一人のドワーフ。激昂しタックルを仕掛けてきた。
前の教訓だったのだろうが、
「正面じゃあな」
クルルはあえて突っ込む。
ぶつかりそうになった瞬間、
「__!」
思わず目を瞑りそうになったミリの前で、クルルは跳躍。
ドワーフの背が低い事を利用し、そのまま彼の頭に手をつくと一回転して着地。
ドワーフからしてみれば、クルルは消えたように感じたはずである。戸惑ったままブレーキがかけられず、立てかけてあった木材に激突。ボウリングのピンのようにそれらをなぎ倒した。
「……確かにエグい力だな。あんなの食らったら骨まで砕けそうだ」
今さらながらそんな感想を呟くクルル。__そして見た。木材の一つが、ミリ目掛けて倒れるのを。
「ミリさん!」
クルルは駆け出すが、とても間に合わない。ミリの方も、とっさには動けないようだった。
だがミリは、片手を迫り来る木材に向ける。
そんな細い腕で防ぐつもりか、とクルルが思った直後、
「__ファイアバレット!」
ミリが言い放った。
すると、突き出した掌の先からテニスボールほどの火の玉が出現。
まっすぐ木材に飛来すると、
「なん……」
呆然とするクルルの前で、中心部分を爆散させた。
衝撃で吹っ飛んだ木材は、誰もいない石畳に落下し大きな音を立て、あとは静かに横たわった。
「「申し訳ありませんでした」」
騒動の数分後、怒りの冷めたドワーフ二人は頭を下げていた。体も下げていた。__土下座である。
背の低いドワーフが土下座すると、その小ささに失笑してしまいそうだが、
「どうすりゃいいんだこれ……」
残念ながら、当事者のクルルにその余裕は無い。
「貴族様に失礼を働いてしまった事は認めます」
「ですが、どうか御慈悲を」
ドワーフ達の口調は、半ば諦めが強い。謝罪の意がこもっていない訳ではないが、心の底から漏れた声ではない感じが、クルルにはした。
「えっーと……とりあえず、おれには処罰する権利も度胸も無いんで、顔上げて下さい」
ミリさんとも似たような会話したなー、と思ったクルルだが、とりあえず意識の外に飛ばす。
クルルの声を聞いたドワーフ二人は、驚いて顔を上げる。
「ゆ、許していただけるのですか?」
「……まあ、俺も手を出したし、おあいこって事で」
「「ありがとうございます!」」
再度頭を下げたドワーフに、
「……ケンカして、残るのは後悔だけ」
クルルは低く呟く。
その言葉から何かを察したのか、
「肝に命じておきます!」
「申し訳ありませんでした!」
座ったまま背筋を伸ばす。
__あ、どうでもいいけど、こうやって正座が生まれたんだな。
心底どうでもいい事を考えたクルルだった。
感謝し手を振るドワーフ達や近くの住民に別れを告げ、クルルとミリは再び帰路につく。
「ひやひやしました……」
「……すいません。見過ごせなくて」
様々な意味を込めて言われたであろうその言葉に、クルルは苦い顔をする。
「それが、クルル君の優しさと厳しさなんですね」
「……そんな立派なモンじゃないですよ。ちょっとした実体験です」
「クルル君……」
隣の少年が見つめる空は、この空とは違う、どこか別の世界のような気が、ミリにはした。
「__あの、少し、寄り道してもいいですか?」
「え? あ、はい。いいですけど……どこに?」
視線をミリに戻したクルルは、辺りを一周見渡す。すでに森の中。歩いてきた、そして屋敷に繋がる道以外には木々ばかり。
「こっちです」
ミリが向いた先には、やはり木以外何も無い。
「一体どこに……」
クルルの疑問の声をスルーし、ミリは近くの木に手を添えると小さく呟く。
「__マジック・ジャミング」
すると、その手を添えていた木が消滅。続いてその先も、その先も。
「んな……」
クルルが呆然と目と口を開けている間に、森の中に別の一本の道が生まれた。
振り返ったミリは、クルルの顔に小さく笑いながら、
「本当はこの場所に、木は無いんです。ストロさんの魔法、ハイディング・ミラージュでそう見せているだけなんです。今は、私の魔法で相殺させて、一時的に解除しました」
「今消えた木は……幻って事ですか?」
「はい」
__魔法スゲー。
「それで……この先には何があるんですか?」
魔法を使って隠すほど価値のある何か。家宝的な何かかあるいは__
「菜園です」
「……はい?」
赤、黄、緑、その他数色。色鮮やかな野菜、果物類がそこにはあった。
「…………」
__まあ、ミリさんの様子から、危険は無いだろうなー、とは思ったけどさ……。
若干の肩透かしを食らったクルルは、楽しそうに食材を選り分けるミリの姿を眺めていた。
「これとこれと……うん、あとこれも」
クルルには基準がまったく分からないが、ミリは判断した大量の食材を抱える。
「手伝いましょうか?」
「あ、う……お願いします」
だが欲張ったからなのか、今にも溢れそうな量である。ミリ一人で持つには限界が近い。
「うん? これって……」
渡された食材の中に、見覚えのある分厚い葉っぱ。
「これ……ノムットの葉じゃないですか?」
「はい、そうですよ。一般的な食材ですし、ここでも栽培しているんです」
「へー。初めて見るのは、やっぱり面白いな」
呟いたクルルの横で、ミリが少し驚くのが分かった。そして小さく笑うのも。
「ん?」
「あっ、すみません。……気を悪くしましたか?」
「いや、別に……。ただ、どうしたのかなー、と思って」
「いえ、単に、本当に貴族らしくないな、と思いまして」
__貴族違うって……。
「そもそも貴族って、こういう栽培とかするんですか?」
「ほぼありえません」
「そんな気がしました。__じゃあストロさんは……」
「ストロさんも、貴族から見たらかなりの変わり者ですからね……」
「じゃあ、貴族の仕事って?」
ギルド経営の話は聞いた。トリリオン家がギルドを畳んだ事も。
「私も他の貴族については詳しくないですけど、ストロさんは魔法の開発をして、それで収入を得ています」
__特許みたいなモノかな?
「何で、ギルド畳んじゃったんでしょうね」
「私も詳しくは知りません。ストロさんも、あまり話したがらないので……」
それを、ミリも語りたくないのは、明白だった。問い詰めれば答えてくれるのかもしれないが、クルルはそれをしない。
「……いつか、それを知る日が来るのかな」
綺麗な青空を見上げながら、クルルは呟く。
その答えは、思ったより早くやってくる。
屋敷を出発してからおよそ四時間__六半日__後、ミリとクルルはトリリオン家に戻った。
食材をキッチンに保管し、ミリは迷う事なく応接室に向かう。
「ただいま戻りました」
「戻りました」
当たり前のようにそこにいたストロは、笑顔を向けてくる。
「おかえり。随分と遅かったね。野菜を採りにでも行っていたのかな?」
__何だこの人……。
さりげなく放たれた一言に、クルルは軽く戦慄する。
「それでも遅い気がするけど……。何かあったのかい?」
「……まあ、ちょっと色々と」
異世界暮らし二日目にしてケンカしました、とは言えないクルルは、言葉を濁す。濁したのだが、
「はい! それはもう、報告せずにはいられない事が!」
ミリが顔を輝かせて蒸し返した。
「ちょっ……ミリさん……」
不意打ちをくらったクルルの制止、間に合わず。ミリはクルルがドワーフのケンカに割り込み、軽々と二人をのした内容を事細かに説明した。
改めて顛末を説明されたクルルは、
__ケンカをエスカレートしたの、おれが原因じゃね……?
という事実を今さらながら認識する。
「__あ、それで思い出した。ミリさんが使った魔法、凄くないですか⁉︎」
今度はクルルが、その後の一連の出来事を伝える。
黙って報告を聞いていたストロは、
「……まあ、とりあえず、二人がお互いがお互いに感動した事は伝わったよ」
苦笑いでそう答えた。
「ミリの話は、僕も大いに興味がある。だからまずは、クルル君の方から片付けるか」
ストロに連れられ、裏の庭園に出たクルル。
「こんな所あったんですね……」
玄関口から回り込んだそこは、広さにしてサッカーコート。一面芝生で覆われていた。こちら側にも両開きの扉があったが、どうやら固く閉ざされているようだった。
「あまり立ち入る用事も無いからね」
「色々使えそうな広さなのに、ちょっともったいないっすね。__それはそうと……」
「ん?」
「……これ、何に使うんです?」
クルルの腕の中には、何本かの薪。
「説明に使うんだよ。__それを、向こうに並べてきてくれるかい? 位置は適当でいいよ」
「はあ」
意図を理解できないまま、言われた通りクルルは三十メートルほど離れた場所に薪を立てる。
戻ってきたクルルに、ストロが説明を始める。
「一口に魔法といっても、種類は色々あるんだ。僕が君にかけたワード・イリュージョンやハイディング・ミラージュは、補助(サブ)魔法と呼ばれるもの。今の二つは、僕のオリジナルだけどね。まあ、生活を助けるための、道具のような魔法だと思ってくれればいい」
「ほー、道具……」
「対して、さっきクルル君が見たであろうミリの魔法は、攻撃(アクティブ)魔法と呼ばれるもの。こっちは、まんま武器みたいなものかな。__実際に見せた方が早いか」
ストロはミリに視線を向け、ミリが頷く。
「ファイアバレット!」
先ほどと同様、テニスボールほどの火の玉が出現。クルルが並べた薪の一つを、豪快に蹴散らした。
「はぁ〜……。やっぱすげぇ」
二度目ながらその感動が尽きないクルルに、
「今のは下級魔法で威力も低いけど、」
「今ので⁉︎」
「ミリは上級、キャノン級まで使えるよ。僕はせいぜい、中級のボール級だけどね。__見せる?」
「……いえ、いいです」
__あれで下級魔法なら、上級は見るのも怖いな……。
「それにしても、ボール級とかキャノン級とか、強さによってカテゴリがあるんですね」
「まあそうだね。今見せたエレメント魔法の下級は、魔法の基礎といった所か。魔力を丸く集めて打ち出すだけの簡単なイメージだから、最初に使えるようになる人も多いね」
「……おれには使えませんけど」
その難易度の低さを理解したクルルは、少しだけいじける。それを見たストロは、励ますように笑顔を作った。
「そう悲観する事はないさ。君には種(ポテンシャル)があるじゃないか」
__ん? ポテンシャル……?
また聞きなれない単語を拾ったクルルは、ストロに質問、
「それって何なんです「エアバレット」かぁぁぁぁぁ危ねぇぇぇぇっ⁉︎」
する暇なんてなく、至近距離で放たれた攻撃を全力で回避した。
「本当に避けるとは……」
「何するんですか⁉︎」
何やら感心しているストロ目掛けて、怒り心頭クルルは抗議スタート。
「いや、ごめんごめん。エア魔法は当たっても大してケガする魔法じゃないし、気を悪くしないで欲しい」
「そういう問題ですか⁉︎」
だがストロは、軽やかに抗議をスルー。クルルの肩に手を置くと、
「ありがとうクルル君。おかげで、魔法と種の相違性を証明できたよ」
「ポテンシャル……?」
新たに飛び出した単語に、クルルの怒りは霧散してしまう。
「何ですか? そのポテンシャルってのは」
「え……?」
「え?」
「ん?」
驚愕に近い反応を返され、クルルは首を傾げる。
「無自覚……? いやいくらなんでも、それはありえない……」
「日常的に使えるとも思えませんし……」
何の話なのか、クルルにはさっぱりである。
「その、ポテンシャルって単語に聞き覚えはないです。説明……してもらっていいですか?」
「ああ、構わないよ。__種(ポテンシャル)というのは、魔法とは別の、もう一つの能力の事さ。魔法は魔力を消費するけど、種は体力や精神力を消費するんだ」
「魔法とは別の、能力……」
「ただ、その消費量は魔法とは桁違いだ。連続して使えるのは、せいぜい数回って所だろうね。__それに、全員が使える訳じゃない」
「どういう事ですか?」
「魔法は、クルル君みたいな特別な事例を除けば、誰でも扱えるようになる。でも、種はそうはいかない。種を使うには、自身の根幹を成す感情や想い、才能に反応する。使える人は稀なんだよ」
「へぇー……」
心から感心した様子のクルルは、
「ストロさんは使えるんですか?」
「いや、使えないよ」
「え?」
思わず素で返したクルルに、ストロは苦笑を向ける。
「おいおい、そんな意外そうな顔をしないでくれよ。僕だって普通の、人間なんだよ?」
「そ、そっすか」
その言葉に何かを感じ取ったクルルは、それ以上の追求をやめた。
「ああでも、ミリは使えるよ」
「え? そうなんですか?」
クルルは少し驚いてミリを見る。ストロの話では、種を使うためにはそれなりに意志力が必要だという。それならばこの大人しいミリは、何を力に変えているのだろうか。
「あまり、使う機会は無いですけど……」
やや照れた様子のミリ。
「ちなみに、どんな能力なんですか?」
それを聞いたストロは、いつもの笑みを浮かべる。
「はは、実はクルル君、一度見ているんだよ?」
「え? いつですか⁉︎」
クルルは、インパクトだらけの一日の記憶を遡る。
「今朝です」
「今朝……?」
__今朝のミリさんの出来事といえば、キッチンで一緒に料理したくらいだけど……
「ああ! あの時の魔水晶!」
思い出したクルル。あの時、クルルが暴発させた魔水晶は、誰が「オフ」と言うでもなく発動をやめていた。若干気になってはいたのだが、他の出来事に流れてしまっていた。
「ご名答。一瞬とはいえ、ミリは種を使っているんだよ」
頷くストロに、クルルはその能力を考える。当然、その見当はつかない。
「__無効化(オールイミューン)。それが、私の種です」
「オールイミューン……。それは、どんな能力なんですか?」
「私を中心として、種は試した事がないので分かりませんが……範囲内の全ての魔法の効果を打ち消します。範囲は、私から百歩ほど離れた辺りまでです」
百歩というと、およそ五十メートルだ。
「凄いっすね……。魔法を打ち消すなんて……」
「とは言っても、私は人一倍体力が無いので……連続で使えるのはせいぜい二回が限度なんです」
「それでも凄いじゃないですか。やっぱりミリさん、もっと自信持っていいと思いますよ」
「そ、そんな……ありがとうございます」
お世辞抜きで褒めているクルルに、
「……ふむ」
ストロは何かを思案していた。
「__それよりクルル君、君のその身体能力は、種によるものじゃないんだね?」
「そうだと思います。聞いた事ないし、そんな簡単に使えるんじゃなければ俺にも扱えるとは思えませんし」
「そうとも限らないけどね。__しかし、あの動きは人間離れしていた……。ミリの話を含めても、到底僕らには真似できない事だよ」
確かにクルルの運動神経は悪い方ではないが、そこまで自慢できるものでもない。過剰な驚きを見せるストロやミリに疑問符を浮かべるクルルだったが、
「__あの、ノグリスの人って、大体を魔法で解決しません?」
「それがどうかしたのかい?」
その言葉で、クルルは確信する。
「ミリさんの話を聞いてても思ったんですけど、何かと魔水晶を使って、力仕事はドワーフに任せる……。これじゃあ最低限の運動もできないですよ」
するとストロは、何かに気付いたように低く唸った。
「うむむなるほど……。その考えは無かったね……。これはニホンならではの考え方だろうね」
__いや、魔法が便利すぎるだけなんだよな……。
「利便性に頼りすぎると、我が身を滅ぼすという事か……」
「そんな大げさな……」
「いや、貴重な意見を聞けたよ。やはりクルル君は、僕らとは違う何かを持っているようだ」
「いやいや……何も無いですって」
褒めちぎるストロに、クルルは若干げんなりする。
「__彼なら、今を何とかしてくれるかもしれない」
「ん? 何か言いました?」
「ああいや。__もしクルル君が種に興味があるなら、少し模索してみようかと思ってね」
「模索?」
「クルル君は、体内へ魔力を取り込む方法を知らない。それで魔法が使えないんだよ。でも、種なら魔力は関係ない。クルル君に素質さえあれば、扱えるかもしれない」
「え、マジっすか?」
魔水晶のような道具に頼らず、自らでファンタジーな力が使えると言われれば、
「やってみます!」
少年の心に火がつかない訳がない。
「じゃあやってみようか」
そう笑顔で言ったストロは、雰囲気で分かるほどあからさまに魔力を練り始めた。
「……えーっと、何してるんです?」
「さっきも話した通り、種を扱うには本人の根幹を為す感情がトリガーだ。それを見つけるため、__とりあえず魔法をぶつけてみる」
「は……?」
「エアバレット!」
「危なっ⁉︎ ちょ……ストロさん⁉︎」
「その身体能力のサンプルも欲しいからね」
__それが本音じゃないだろうな⁉︎
逃げ回りながら、クルルは自分の軽率な返答を呪った。
一時間ほどで解放されたクルルは、
「お疲れ。まあ気長にやって行こうよ」
涼しい顔をしたストロにそう声をかけられた。
「これ……役に立つんですか?」
「まあまあ、そんな顔しないで。僕も始めての事だし、キッカケ探しをしているだけだからね」
「ならいいですけど……」
屋敷内に戻った二人は、
「あ、今日は終わりですか?」
家事のために途中で席を外していたミリと遭遇した。
「進展はありましたか?」
「いやもう全然ですよ」
クルルは改めて、目の前で微笑む華奢なミリがどれほどの力を秘めているかを認識した。
「あ、お風呂沸かしておきましたよ。お疲れでしょうし、どうぞ入って下さい」
ニッコリ笑顔のミリ。タオルと先ほど買った着替えを渡してくる。
「おおぅ……ありがとうございます」
有能すぎる仕事ぶりに、クルルは何も言えなくなってしまう。
「ミリ、何か急いでやるような事はあるかい?」
「急ぐ事は……特にないですね。夕食の下ごしらえも終わってますし」
するとストロは、再び何かを思案する。
「せっかくだ。ミリも一緒に入るといい」
__は?
「はい、分かりました」
「はあああっ⁉︎」
ストロの言葉は冗談でもなんでもないらしく、浴場へ向かうクルルの横を、ミリは並んで歩く。
当然一度は拒否したクルルだったのだが、
「やはり、獣人の私では対等にはなり得ませんよね……」
と涙目で俯かれてしまっては、クルルには折れる以外の選択肢は無い。
昨日もそうだったのだが、ミリには恥ずかしがるような様子は一切ない。
脱衣所に着いても、ミリは平然と服を脱ぐ。
「どうなってんだ……」
クルルをいないものとしているのかと思ったが、
「どうかしましたか? 何か、忘れ物でも……?」
見当違いな質問をしてくる辺り、どうやら認識はされているようだ。
全裸でまったく隠す事なくクルルを見つめるミリに、
「いや何でもないっす!」
クルルは三秒とかけずに服を脱ぐと、一瞬で腰にタオルを巻いた。
相変わらず広い浴場に入ると、ミリが洗い場を促す。
「私が洗ってあげますね」
「はいっ⁉︎ いや自分でできますって!」
当然拒否したクルルだが、
「クルル君は、もう少し客人らしくして下さい。何の為に私がいるのか、分からないじゃないですか」
怒られた。
「……何かすいません」
諦めたクルルは、ひっくり返した桶に腰を下ろした。
「では、洗いますね」
「お手柔らかに……」
状況理解が追いつかないクルルは、腰のタオルだけは死守しようと決める。
背後でタオルを泡立てる気配がし、
「んしょ……」
ミリはクルルの背中をこすり始める。えも言われぬ感覚に戦慄するクルルは、ただ無言で時が過ぎるのを待った。
「それじゃあ、流しますね」
ようやく終わったらしいミリが、桶に汲んだお湯で背中を洗い流す。
「お、終わったか……」
今すぐにも脱衣所へ逃げ帰りたいクルルは立ち上がろうとしたが、
「__クルル君」
ミリはその背中に手を置いた。そして、さらに額を押し付けた。
「ちょっ……⁉︎」
混乱を極めるクルルに、ミリは小さく囁く。
「……少し、話を聞いてくれませんか? 私の、種についてです」
ミリの体温を背中に感じながら、クルルは動きを止めた。
「ミリさんの種って……無効化ですよね?」
「はい。どうして私が、この能力を持つ事になったのか、です」
「…………」
それはクルルも気になっていた。
「結論から言ってしまえば、“恐怖”です」
「恐怖……?」
「クルル君も察していると思いますが、クルル君のいたニホンより、恐らくノグリスは身分の差がハッキリ分かれています。超えられない壁として」
クルルは昼間の住民や店員、今までのミリの反応を思い出して、どうしようもなく納得する。
「二十年ほど昔に、獣人と婚約した人間が人里を追われるという事件がありました」
__同じ獣人として、無関係では終われないんだろうな……。
「私も獣人の一種ですから、社会の立場は特別低いんです」
その言葉にえも言われぬ怒りが込み上げて来るが、クルルは何とか抑え込んだ。
ミリの言葉は続く。
「本来なら、こんな貴族の屋敷にいられるような存在じゃないんです。人目に付かない場所で、ひっそりと、誰にも見つからないように、生きていかないといけないんです」
そこまで聞いて、クルルは怒りと同時にある仮定が浮かび上がった。
「ここに辿り着く前は、そんな生活をしていました。誰にも近付かず、近寄らせず、ひたすらいなくなるように……と。そう無意識に願っていました。__その頃ですね。私が種を使えるようになったと気付いたのは」
「…………」
オールイミューン。直訳すれば、“全ての免疫”。
理不尽に世界から嫌われ、全てを消そうとする恐怖と、それができないミリ自身の優しさが合わさった能力。負の感情から生まれてしまった、能力。
「私は……」
ミリの手の震えが、クルルの背中を通して伝わってくる。
「私は……怖いです。ストロさんは私をかくまってくれてますけど、それがいつまで続くか分かりません……。もし世間に知られれば、貴族といえど無事では済みません。それに、この状況がストロさんの本意なのかも分かりませんし……」
それは無いと、クルルは思っていた。
「ストロさんは、おれから見ても謎の多い人ですけど、ミリさんを庇うのはあの人の意思だと思います。無理してかくまう意味も無いですし、そんな人には見えませんから。……他に、理由がある気もするんですけど」
それはここに招かれてから、ずっと感じていた違和感。それが判明しない事に、クルルはモヤモヤを抱いていた。
クルルが黙ると、ミリも黙る。
「…………」
「…………」
浴場を沈黙が支配すると、
「な、何だか暗い話をしてごめんなさい。洗いますね」
それに耐え切れなくなったのかミリはタオルを動かし始めた。
__……二回目なんだけどなぁ。
背中を洗うというのは単なる口実に過ぎない、とクルルも分かってはいたが、
「…………」
彼にも考える時間が必要だった。大人しくそのまま、背中の感触を感じていた。
「__さ、一通り終わりました」
ミリは再びクルルの背中の泡を洗い流すと、そう告げた。
「ありがとうございました」
振り向けないクルルは、前を向いたまま礼を言う。
「いえ、私も話を聞いてもらえて嬉しかったです。少しだけ、気が楽になりました」
「それならよかったっす」
__ノグリスの事情は、結構闇が深そうだな……。せめてミリさんだけでも、その悩みから解放してあげたいけど……。
そんな事を考えていたクルルは、
「じゃあ入りましょうか」
「ああはい。…………は?」
ミリの発言に反応が遅れた。
「入るって……はい?」
「お風呂ですよ。まだ入ってませんよね?」
キョトンとした顔で返された声に、クルルは先ほどと別の意味で言葉を失う。
「えっと……」
昨日の事故とは違うあまりにも自然な流れに、クルルの処理能力が停止してしまう。
結果、
「…………」
「ふぅ〜……」
ミリと並んで、湯船に浸かっていた。
__何でこうなったんだっけ。
ジワジワと状況を理解し出したクルルは、いくら何でもおかしい事に気付く。
「あの、ミリさん……?」
「はい」
「おれは……男ですよね?」
「え……違うんですか?」
「いや合ってます……」
それとなく示唆してみたが、素朴に返されたクルル。諦めて核心に触れる発言をしてみる。
「……ノグリスで、混浴は当たり前なんですか?」
「はい? __そ、そんな訳ないじゃないですか!」
怒られた。
「で、ですよね。すいません」
__じゃあこの状況は……?
「ああ。もしかして、私とクルル君が今一緒にいる事ですか?」
「そうですそうです」
何故これを伝えるのにこんなに苦労したのだろうかとクルルは思ったが、この際気にしない。
「……先ほども、昨日にも話した通りです」
ミリは目を伏せて、言葉を紡いだ。
「クルル君が私に興奮する事はないですよね」
「ぶっ……⁉︎」
いきなり純情を殺すようなセリフが飛び出したが、ミリの言葉は続く。
「私は獣人であり、クルル君とは身分が違いますから」
その口調に、寂しさや悲しさは感じられない。それが当然であるような、淡々とした口調。否、精神的に距離を置きたがる、言い訳のように聞こえた。
ミリのその態度に、クルルは再び怒りが込み上げてくる。
__どこまで、自分を低く見るんだ。
「ミリさん」
「はい」
クルルは振り向いたミリの、肩を掴む。
「へ? クルル君?」
そのまま、その戸惑う顔を凝視する。少しでも視線を下げると大惨事になってしまうので、結果的に必要以上の意思を込めてしまう。
「あ、あの……どうかしたんですか?」
ミリの呼び掛けにも、クルルは無言で凝視を続ける。
しばらく無音の時間が流れ、
「あのぅ……流石に恥ずかしいというか……」
その言葉を待っていたかのように、クルルは口を開いた。
「恥ずかしいんですね? 身分が違うのに、あれだけ自分を低く見たのに」
「! そ、それは……」
「この際だから、ハッキリ言わせてもらいます。ミリさんは可愛いです。魅力的です。だから獣人だなんて、自分を卑下しないで下さい。__おれはそんなの気にしません。だからせめて……おれの前では、本当のミリさんを見せてくれませんか?」
「…………」
今度はミリが、言葉の意味を理解できていないようだった。固まったまま、クルルの言葉を反芻していた。
「私が……可愛い?」
「はい」
「本当に……獣人は関係ないと?」
「はい」
しばらく惚けていたミリは、
「…………ありがとう、ございます」
少しだけ、表情を緩めた。
「こんな事、生まれて初めて言われました。凄く、嬉しいです……」
ホッとクルルは腕を弱める。
「すぐには、変えられないと思います。時間はかかるかもしれませんけど……我慢してくれますか?」
「当たり前ですよ」
クルルも、その返答は予想していた。ここまで説得できただけでも、前進だろう。
「__あの、クルル君」
「何ですか?」
ミリはおずおずと、手を頭に持っていく。
「耳を……触ってもらえませんか?」
「はい? 耳?」
「これは私達獣人と、クルル君達との明確な違いの一つです」
クルルは少し考える。
ミリの猫耳は、確かにクルルと同じとは言えない。普段はそれを隠し、ある意味で自分を偽っている。「……分かりました」
クルルはゆっくり手を伸ばすと、ミリの猫耳を撫でる。
「んっ……」
恐怖のような、喜びのような、どっちともつかない声を上げたミリを見て、クルルは大きな可能性を感じた。
お、面白い!
かなり読みやすくて、異界ならではの複雑な設定もすらすら入ってきます。てことは、作者さまの文章力の水準が高いんですよね。
チッ、うらまやしい……。みんなもっと読めばいいのに。
てことで、さあ、さっさと続き下さりやがれー(上から目線)