2020-08-04 08:38:50 更新

概要

アークナイツをやってみた、感想のような妄想



ーああ、君かー


懐かしい視線と親しげな声、君と呼ばれる誰かは私?


白く靄のかかった、何処ともつかない空間の中


ピー…ピー…


ただ、鼓動の如く繰り返される音が煩わしい


声は私に語り続ける。そのどれもが身に覚えのないもので、独り言を横で聞いている気分だった

それなのに、妙な焦りとか、不安だとか、そういったとりとめのない感情が胸をざわつかせる


聞きたいことがあるのに口が動かない、もっと聞いていたいのに意識が纏まらない


やがて、その視線は私を外れ、ここではない何処かを見やる


12月23日…


それが大切な符丁のように伝えられ、誰かの誕生日かと誤解をしていると


ピー、ピー、ピー…


次第に耳障りな音の感覚が狭まり初め、耳鳴りのようにも聞こえてくる


雑音の合間、耳鳴りに混じって呼ばれた名前

それが自分の名前だと…そう自覚したのは、たまらず振り返ってからだった


必死だった、切実で泣きそうな声だった


何処に居るかも分からないのに、何処かから聞こえる声を探して意識を巡らせる


ー彼女には君が必要だー


背中を押された気がした


視界が真っ暗になる


崖から落ちたみたいに、すとん と、簡単で呆気なく意識は暗転した





ピーーーーー…


出来の悪い目覚まし時計だ


きっとコレが、目を覚ました私が最初に感じたことで


「ごめんなさい…」


そしてこれが、最初に聞いた言葉だった


気味の悪い目覚めは、白昼夢の如く覚束ない

例えば その謝罪が、目覚めの悪い私を叩き起こした事に関わるのなら、謝るべきは私の方なのに

泣きそうなその声は、すがりつくように私の胸を掴んで離さない


ごめんなさい…


また、巻き込んでしまって、苦しめてしまって…


それでも…助けたかったと、助けて欲しいと…


ふと、投げ出していた手が、温かさに包まれて、私は自分の体を思い出す


「私…を…。私の手を握って!!」


指先は、確かに彼女の手を握り返していた

だからどうか泣かないで欲しい。その涙を拭ってあげることさえ今の私には億劫で…


ごめんなさいと、つぶやくことも出来ないまま私は再び眠りに落ちる



次の目覚めは意外と早かった


目の前にはまだ彼女が居て、涙で濡れた頬はそのままで

良くはないけど良かった。だって、これで私のために溢れた彼女の涙を拭って上げられる


「ぁ…?」


伸ばした指が止まる、名前を呼ぼうとして出かかった声が口の先から溶けていく


この娘はだあれ?


とても懐かしい感じがするのに、一目惚れにも近いときめきを憶えるのに

しかし、私は彼女を知らないと断定している


重なる視線、濡れた瞳に映る自分を他人事のように見つめる私


実感のない体


私が動く通りに動くんだから、きっと自分なんだろうと理解を重ねただけの体

そんな私を見つめる瞳に対して、理解だけを優先した思考はついに動いてしまう


「あなたはだあれ?」


安堵は驚きに、そして瞳は閉じられた


また泣かせてしまうのだろうか?


その涙が、私の指先一つで拭える程度なら良いんだけど…


そんな心配を他所に、瞳を開いた彼女は、私の方へ預けていた体を起こして立ち上がる

流れた涙も忘れて、開いた瞳に迷いはなく、真っ直ぐに私を見つめてきた


「私は、アーミヤといいます。あなたを助けに来ました」


なんとも事務的な言葉

さっきまで、泣いていた娘とは思えないほどの切り替えの速さ

きっとこれも、彼女の想定の範囲だったのだろう。良くはないが、最悪でもないと言った風の言葉だ


助けに来たと、言われて私は自分の状況を確認する


言われればなるほど


病院らしい機材は並べど、病院というよりは心霊スポットな風景に納得するしかない

もしも私が悪の組織に攫われたのならば、彼女はヒーローで、きっと私はヒロインなんだろう


ならばと、聞きたいことがもう一つ


「じゃあ、私はだあれ?」


ここは何処が解決したなら、残る定番の疑問といったところだ


私達の仲間だとアーミヤは言う。そして、私にとってはいちばん大切な仲間だとも付け加えて


「思い…出せませんか? Dr.しずく?」


しずく…しずくか…


聞き覚えはあるが、それを自分に当てはめるのには慣れが入りそうだ

とはいえ、自分を指す言葉が無いのでは、自己紹介するのにも不便だろうと、一旦は飲み込むしか無いようだ


「っ…!?」


やっぱり自分の体じゃないみたいだ

少し体を起こそうとしただけで、あちこちが かちこちと痛い


「あ…まだ動いちゃっ…」


アーミヤの隣に控えていた娘に、慌てて体を支えられてしまうんだから始末の悪い

カバンに十字架、手慣れた雰囲気からは私を起こしてくれたお医者さんかそんな所だろうと思う

そんな娘に安静にしろと言われたら「はいっ」と元気よく従いたい気持ちもあるが

私は彼女に、アーミヤに伝えなきゃいけないことがあった


「はじめまして、アーミヤ」


きっと、彼女には残酷な言葉なんだろう

例えばそう、彼女の名前を呼んで抱きついて見せれば良かったのかもしれない

ありあわせの情報を繋ぎ合わせて、曖昧なことを曖昧に流していれば、彼女の気持ちを一時は軽く出来たかもしれないけど…


「あ、は、はじめまして…」


拍子の抜けた言葉


挨拶に返された定型句


そして、その意味を理解して、わずかにあった期待を胸にしまい込んだ彼女


ああ、きっと、他のことは忘れても君だけは、アーミヤの事だけは覚えているよと、言ってあげればどんなにか

例えばそう、ここが真っ白な病院で、外に花畑でも見えたならそれでも良かったのかもしれない


けど…


廃墟のような病室、物々しい装備の人たち、助けに来たと言う彼女の言葉

とてもそんな呑気をしている雰囲気じゃない。そう、目覚めたこの場所はどうにもきな臭すぎる

そんな中に必要だったのは明確な意思疎通。私の現状の認識を、最も正しく簡単に伝える一言が「はじめまして」だった


時間を下さいと彼女は言う。少しだけでいいからと重ねて言う


「とにかく…」


強引にでも話をきって、不安を横においたまま、アーミヤ再び私の手をとった


「私にとってドクターは一番大切な人なんです。何があっても、それだけは変わりません」


理屈じゃない言葉


私を助ける価値が何処にあるかは分からないけど、それを無視しても彼女ならそうしただろうと思える言葉だった


だったら…


期待に応える、でも無いけれど

身の振り方を考える間だけは、それでも良いかと。行く宛のない打算も手伝って、アーミヤの感情に甘えようと思う


「それじゃあ、アーミヤ。私を助けて?」

「任せて下さい」


彼女の手を握り返すと、しっかりとした頷きが返ってきた





「何をするつもりだ!」


聞こえてきた怒号


不届き者を告げる伝令


ガチャガチャと、武器弾薬が歯ぎしりを始め、部屋の空気が一気に物々しい雰囲気へと変わっていく


「うわわわっ!?」


お医者の娘に引きづられて、部屋の影に引きずり込まれる私

状況が分からないまま急変した状況に、好奇心が首を伸ばすが、今度はアーミヤの手に押し込まれてしまう


「むぅ…」


乱暴な扱いに喉を鳴らして見せれば「静かにして下さい」と叱責されてしまった

さっきまで私に縋ってたのに…。まあ、公私の区別がつく娘は嫌いではないけれど


鳴り止まない歯ぎしりは、ついには唸りを上げて牙をむく

始まった戦闘は過激さを増していき、ついには銃弾の一つや二つが私の横を掠めていった


その間にも、頭上で訳のわからない単語を交わし続けるアーミヤ達

どうにかなるのか、ならないのか…。その成り行きを見守っていると、アーミヤの視線が私を捕まえる


「Dr.しずく。私達の指揮をお願いします」


大した結論だ


駒の力も分からないのに、チェスをやれと言い出したぞこの娘は

それなら、目かくしで将棋をしている方がいくらかマシだと言うのに


「そんなの危険すぎます。まだ目覚めたばかりなのに…」


とりあえず、庇ってくれるお医者の娘に身を寄せる私

それから、不安げにアーミヤを見上げて、彼女の愛情に訴えようと試みる


「試して、見たいんです…」


しかしだ…だがしかし。彼女は公私の区別の付く娘だった

いや、違うか、ついてないから、こんなリスクを取っているのか


彼女の中の私が何をやらかしたのかは知らないが、まるで最終兵器の試し打ちだ

ろくな調整だってしてないのに、開幕から最終回みたいなことをしないで欲しい


答えない私に、それでもアーミヤは諦めない


「ドクターならきっと勝利をもたらしてくれるから」


そう信じて疑ってはいなかった



アーミヤの向こうへと視線を向ける私

拙い防衛戦を見るに、それでも新兵を引き連れて遠足しに来たわけではないのは分かる

勝利への担保は、彼女の人選と、私への信頼だけとはお粗末だが…

2手3手と考えれば、とりあえずはどうにかなりそうな気もしてきた


「じゃあ…あっちからね…」

「はいっ。それでは皆さん…」


元気の良い返事の後、アーミヤが私の指示を代行して皆へと伝えていく


回りくどい、とは思う…


でも、アーミヤだけならともかく

そうは言っても末端の人たちが抱いた疑念がこれで多少はマシになるなら安いもの

それに、目覚めで声を出すのも億劫な私には、どのみちアーミヤの口は必要だったのだ





「目標は排除しました。敵小隊の撤退を確認!」


誰かが状況の終了を宣言する


これで勝った…というよりは、やってしまったと思う向きが強い

疑心暗鬼だった他の人たちはもちろん、アーミヤでさえ喜びを隠せないでいる


今だけ…ってわけにもいかなさそうだ


きっとこれから私は、誰かの命でチェスをしないといけなくなる


そんなあり得る未来に目眩がした…


起き抜けの体を偽って、お医者の娘に体をあずけると心配そうな声がかかった

きっとアーミヤは甘やかしてくれないだろうし。しばらくこの娘に甘えておこうと、外の喧騒には耳を塞いで目を瞑る私


「この方が…Dr.しずく か?」


ふと、私を見下ろす影に目を開く、見上げた先にはその影と同じ黒い格好をした女の人

お医者の娘が気を引き締めたのを見るに、まあ偉い人なんだろうと推察はするけど

また、覚えのない期待を掛けられるかと思えば面倒以外の何物でもない


ほら見たことかと、私の知らない情報を前提に口を開けば

誤解を生む前に、アーミヤが話を私の現状を説明してくれた


しかし勝手なものだ…


それで私の記憶がないとわかれば、疑念の目を向ける

気持ちは分かるが、気分の良いものではない

かといって、勝手に投了をすれば自分の身が危なそうな現状ではそうもいかず

結局、状況に流されるしか無い自分が恨めしい


ドーベルマンと名乗った黒い女の人に、あらピッタリ、なんてやけくそな感想を抱いていると

今度は変な端末を差し向けられる。合成音声じゃなければAIかといった声音で機械的に話す音

これを使えばちょー便利と適宜解釈を諦めていると、何か話して欲しいとアーミヤに端末を渡された


…自己紹介でもしろっていうの?


疑問を抱えたままアーミヤを見上げて、端末に視線を落とす

「お願いします」と、急かされれば他にしようもなく、もう一度アーミヤを見上げた後


「アーミヤ、大好きだよ…」


物は試しだった


私が一番大切だといった彼女の心の形。それを把握できれば付き合いやすいだろうと、漠然とした打算で付いた言葉


ぴこんっ


彼女の頭頂部、うさぎのように長い耳が揺れたのが見える

必死に動揺を隠している様だったが、心なしか顔も赤い


…やっぱり好意かな?


道具としての有為性もきっと無くはないんだろうけど、愛情の形が見えたことに安心はする

ていうか、これは…使えるか? 乱発はしないでも、タイミングを見計らえば一生のお願いくらいは聞いてくれそうだ


「冗談は良いですからっ、もうっ」


私の告白を無理やり冗談へと捻じ曲げたアーミヤ

そのまま私の指を取り上げ、ペタリと端末の画面に押し付ける



ぐにゃり…


揺れる視界に続いて、認識に横槍が入る

目とか耳じゃなく、頭の中に直接流し込まれる情報に、すぐにも吐きそうになってきた


いや、幸いにもお腹の中は空っぽなんだけど


それから、PRTSなるAIらしきなにかとアーミヤに、彼女たちの組織、ロドス

その機能とか権限の説明を受け終わる頃には


なるほど、ちょー便利だ


吐きそうになったかいはあると、ニューラルネットワークとやらの理解を深めていた





曇天、騒乱、暴徒、市民


曇天、火災、暴徒、死体


曇天、廃墟、廃墟、廃墟…



連れ出されて、ようやく外に出たと思えば、目の前には大したアトラクションが広がっていた

世紀末もかくや、ありもしない怒りと憎しみが、そこら中で怨嗟の声を煽っている


これが、グローバルスタンダードな光景だというのなら

アーミヤは何をもって私を叩き起こしたのか、素直に寝かせてくれてればよかったのに


こんな…分かりやすい地獄絵図…


助けに来た…ていうより、やっぱり私の頭の中にあったはずのものが欲しかったのかな

彼女自身の好意はあったとしても、組織としての利点はそうなんだろうし


「はぁ…」


付いたため息は思ったよりも大きかったようで


「ごめんなさい、ドクター…」


たまらず、アーミヤに謝らせてしまうほどには辟易としていたものだっただろう

体調と心労を気遣われ、それでもと請われて手を引かれ続ける


歩きにくい瓦礫の山を、そうとも感じられなくなった死体を跨いで先に進む

途中、暴徒から隠れたり、適当に蹴散らしたりしながら、スリル満点のアトラクションだった


曇天、廃墟、廃墟、廃墟…それから…


「ヒゲ…?」


そう、ヒゲだ。じゃなければグラサンと言い換えてもいい

合流地点と足を止めた場所に待ってたのはそんな感じの大男

仮面で のっぺらぼうな暴徒に追われた後に出てきたそれは、すわどんな妖怪かと身構えたくもなる


「ヒゲか…。相変わらず口が悪いなアンタは…」


その口元が緩む、けれどサングラスの奥まで笑ってるかどうかは…

こういう時のわたしの対処は決まってこうだ


「え、ちょっと、ドクター押さないで、おさないでって」


誰かの後ろに隠れる


手頃なところで言えば、隣にいたお医者の娘だった


「だってこの娘がさっき…」


そして責任を押し付ける


「ち、ちがいますちがいますっ、Aceさんっ、誤解ですからっ!?」


Aceと呼ばれたヒゲの視線が、明らかに私からお医者の娘へとそれていく


勝ったっ


そうして、安全地帯を手に入れた私は悠々と辺りの観察に入り、言うほど安全でも無いことに気づく


ぱぁんっ


今更な音ではあったけど、改めて聞きたいものでもない

飛んできた銃弾が、お医者の娘の足元で弾け、短い悲鳴と同時に倒れ込んできたお尻に潰される


「ぐへぇ」


潰された拍子に私の口から息が漏れる。やっぱり盾にするならアーミヤだったかと反省する反面

でもアーミヤの場合「遊ばないで下さい」で終わりそうな気もする予感もしていた


「もう、あなたが騒ぐから見つかったでしょっ」

「ひぃっ!? 私のせいですかっ!?」

「いいから、もう静かにして…」

「どくたぁ…」


彼女からしたら堪ったものじゃないだろう

かすめた銃弾に悲鳴を上げるほど小さい心臓に、私からの責任転嫁は荷が重い

何より、そんな小心者でも体重だけは一人前だ


「あとどいて…重い…」

「はぃ…ごめんなさい」


消え入りそうな謝罪に「いつまでも遊んでる場合かっ!」ドーベルマンの怒号が重なって、しゅんと小さくなるお医者の娘


「ったく、Dr.しずく。前と変わらんな、あんたは…」

「…?」


前…またそれか


新しく誰かに合えば、私ではない私に期待をする

そりゃ、それを助けに来たんだから、そうなるんだろうけど

知らんところで掛けられる期待ほど鬱陶しもんも中々ない


「…でもそれ以外は…あー、はい。以前のままのドクターです…ね…」


これも恒例か、アーミヤが私の現状について説明してくれた

しかし、以前の私がどうだか知らないが、アーミヤの言葉と向けられる視線の色を見るに

概ね問題は無かったように思う。とても上手くやってたんだろうと、我が身可愛さに自画自賛をしてもいい


「ふっ、そのようだな。さぁ、Dr.しずく、命令を」


命令、命令か…

まるで試されているようだ。アーミヤの事を信じないでもないが、確認はしておきたいといった印象を受ける


「おヒゲ、あれは使えるの?」

「…ヒゲはやめろ」

「うっさいっむしんぞっ。口を開く暇があるなら、引き金をひけってんだっ…だよね?」


それでよかったんだよね? 


暴言の後に求めた同意、すがる視線の先にはお医者の娘

まるでその娘が私に言わせたみたいな空気を漂わせて、自分のか弱さを際立たせる

まあ、求められた方は白くなった表情に、今にも泣きそうに瞳を揺らしてはいるが


「ちがいますちがいますっ、Aceさんっ、誤解がっ私じゃっ」


後ずさりに両手をぶんぶんと振り回す姿は、なんかスイッチの入ったおもちゃみたいで面白い


「ははっ、了解。E3小隊…」


しかしそこは、Aceのおヒゲも慣れたものらしかった

笑い声一つに、短く手を上げると、すぐに明後日の方向から銃弾が飛んできて、迫っていた暴徒達が撃ち倒されていく


蜘蛛の子散らす とは良く言ったものだ


ただ暴れているだけの連中なんてこんなもの

弱い者いじめが気持ちいいのは理解はするけど、自分たちがそうだった事を忘れていては世話がない



終わってしまえば呆気ないものだ

数だけはいるから圧迫感はあるけど、それもハリボテでしかない


さて、誰に褒めてもらおうか


瓦礫の上、多少はマシな部分に腰をおろして足をぶらつかせる


アーミヤは事後処理に入ってるし、お医者の娘も流石に本業が回ってきて忙しそうだ

ドーベルマンは怖いし、おヒゲは そのドーベルマンと一緒に何やら憤慨をしているようにも見える


「こんにちは?」

「え、あ、はい…お疲れさまです、ドクター…」


結局、手持ち無沙汰になった視線は、隣に立っていた護衛の誰かに向いていた

戦闘の後とは言え、気の抜けた言葉に一瞬の戸惑いと、遅れてねぎらいの言葉が掛けられる


「ねぇ、ドーベルマンは何をしているの? 犬が好きなの?」

「いえ、そうではなく…」


小首をかしげて見上げてみせる

そんな幼い言動に言葉を詰まらせたのか、護衛のお兄さんの視線は私とそちらを彷徨っていた


暴徒たちが放った野犬。戦場に動物が使われるのは珍しくもないし

それに気分を害す人がいるのも分かるけど、それにしては怒り過ぎにも見えた

辛うじて息のあった野犬に止めをさす瞬間にも、いちいち戸惑いを見せているのも不思議に思う


「ねぇ、貴方は犬が好き?」

「え、まあ…」

「うん、私も好き。すきすきーって尻尾振られると、私もすきすきーってなるの」

「あはは、わかります」


唐突な質問に曖昧だった返事も、私の感想に同意を示す頃には幾らかは軽くなって返ってくる


「だから殺さないの?」

「なっ!?」


私が視線を向けた先に、慌てて武器を構える護衛のお兄さん

見れば、生き残った野犬の一匹が意識を取り戻したのか、悶えながらも真っ赤な血を吹き返している最中だった


ぱぁんっ…


そのつまんない音が自分の手から鳴り響いて顔をしかめる

別に命を奪う罪悪感とかじゃなく、単にうるさいとかの物理的な感想だった


「でもね、私を嫌いな犬は、私も嫌いなの」


掴みそこねた銃が、反動に負けた手の平から溢れて落ちる

格好をつけて銃(お守り)を使ってみたはいいけど、跳ね上がった銃身に額をぶつけなかったのだけは幸いだ


「ドクターっ!?」


非ぬ方からの銃声を聞いて、アーミヤが慌てて駆けつけてくれる


「アーミヤっ…」


その姿を見つけて、駆け寄って抱きつく私

ぎゅぅっと分かりやすく彼女の服を握りしめて、恐る恐ると自分が殺した野犬の死体に振り返って見せる


「平気ですか? 怪我は?」

「ううん、大丈夫。あのお兄さんが助けてくれたから」

「そうですか…よかった。あの、ありがとうございます」

「い、いえ、自分は…」


アーミヤの言葉に戸惑うお兄さん

けれど決して、その戸惑いはアーミヤには向いていない

舞台のトップの前、なんとか冷静を装いながらも、その視線は疑念を孕んで私を見つめている


彼には私がどう見えているだろうか?


子供のような仕草で犬が好きといった私が、虫でも踏み潰すみたいに引き金を引く

かと思えば、子供みたいにアーミヤに泣きついて

降って湧いた感情は、父性からくる庇護欲か、それとも正体不明に対する忌避感か


それで?


私に何のメリットがあるのか

そんなもの、こんなつまらない場所じゃ、それぐらいしか暇つぶしが思いつかなかっただけだった





「空が、暗くなってきました…」


アーミヤの言葉につられて空を見上げると

なるほどどうして、ただの曇天と言うには重苦しすぎる


嵐の前の静けさか


凝縮された雲は、実体を持ったみたいに横たわり陽の光に蓋をする

その内、増し続けた質量と一緒になって今にも落ちてきそうな気配を見せている


「いよいよ、風が止んできました…」


呟くアーミヤ

そんな不安そうな彼女の声が、息苦しさに拍車を掛けていた


天災が近いと、彼女たちは言う


きっとそれはロクなもんじゃないんだろう

そりゃ、都市一つが壊滅するっていうんだからそうなんだし

そんな中、暴徒を煽り続けている輩もきっとロクなもんじゃない


そしてそれは、私達にも言えたこと


さっさと逃げないと、ロクなことにならない

そこまでして私を助けに来た彼女たちをロクでもないと思う私もロクでなし

狂ってると言ってしまえばそれまでで、それでもと言い続ける彼女たちがまともかどうかは今の私には分からない


「ねーねー見てみてー」

「え、はい? ぇぇ…」


お医者の娘の袖を引っ張り、引っ張られた袖と一緒に私をみた彼女の肩が落ちた


「似合う?」


そのへんから引っ剥がした、アーミヤ達の言うところのレユニオンの制服

その なりきりセットとばかりに着飾った制服を見せびらかしていると

お医者の娘が周りの視線から私を庇いながら、皆に背を向けてかがみ込んでくる


「あの、ドクター。いま大事な話をしていますから…その…」


大人しくしていろ、さっさと脱げ、そう言わんばかりの戸惑いが、私の頭の上から降ってきた


「でも、これでレユニオンになれるって? 皆で着れば逃げられない?」

「え、いや…それは…」


あ、ちょっと迷った。多少は有効なんじゃって顔をした

それでも、敵の制服に袖を通すのがためらわれるのか、遊び半分な提案を皆に伝えるのが躊躇われるのか

いかんともしがたく固まってしまっている


「Dr.しずく」

「あひぃっ!? ごめんなさいっ!?」


不意にかかるドーベルマンの鋭い声に、何故かお医者の娘がすくみ上がる

その疑問はドーベルマンも一緒なようで、怪訝な表情を彼女に向けていた


「忘れているぞ」


投げ渡されるバッジ、レユニオンのシンボルマーク

意外と冗談が通じる方かと思いつつも、受け取って胸につけてはみる

それでもどうして? と、彼女を見上げずにはいられなかった


「まだ、お前のことを信頼している訳ではないがな…あいつらと一緒にはなってはくれるな」


意味不明の信頼よりも、その疑念は心地が良い

だが、それと同時に、釘を差された感もしないでもない

都市一つを潰す災害を前に、部下を突撃させるような指揮官にはなってくれるなと


「ドーベルマン…」

「なんだ…」


固い返事ではあったが、それでもと私は一歩踏み込んだ


「これ…」


さっき引っ剥がしたときに、サイズの合わなかったレユニオンの制服を差し出す


「いらん、そいつにでも着せてろ」

「…いや、私もいらないんですけど…」


飛び火してきたドーベルマンの視線から、そそくさと一歩離れるお医者の娘


「えー…」

「むくれるな鬱陶しい」

「びー…」

「びー、だ?」

「はぁ…」


ドーベルマンの固い表情が、さらに固くなったことに呆れてみせる私

その仕草に「いらっ」と擬音が付きでこめかみ動かすと、音を立てて踵を返してしまった


「…しー、かな」


そんな中、ポツリと呟くお医者の娘


「正解っ。ドーベルマンはお固いね、お固い女なのね?」


そう言って、笑顔で見上げてみせると

私は関係ありませんとばかりに背を向けるお医者の娘は、だんだんと自分の扱いが分かってきているようだった


「あ、あの、ごめんなさい。ドーベルマンさん」

「いや、アーミヤが謝ることではないが…」


ないが…どうにかしてくれと、言わんばかりの態度ではあった





霧が立ち込めてきた


まるでお空の曇天が地上にまで降りてきたみたいで、それに混じっていたのは殺気とか言うものだったのかもしれない


「えっ…この霧は…?」

「やれ」


アーミヤが足を止めるのと同時に短くかかる声

途端に霧の向こうから、瓦礫の隙間からこれでもかとレユニオン達が湧き出してきた


「あーあ…」


やっちゃった と言わんばかりに私はため息を付く、まんまと敵の罠に足を踏み入れてしまったらしい


て、いうか…


こいつら、この街をぶっ壊したいんじゃなかったの?

なんで私達が狙われているの?

しかも感染者? 同士で潰し合いとか、分からないことが分からないだけ湧いてきて

現実逃避の如くに現状の認識を阻害してくる


そうして、喧しい戦場の中で頭を捻っていると、不意に辺りが静になる

収まった第一波に薄れていく霧、前方の包囲の隙間からは一人の少年が歩いてきた


偉そうな白い制服に、分かりやすい腕章

どうにもレユニオンの指揮官のようでいて、私の第一印象はクソガキ以上のものではなかった

それはきっと、その銀髪が、白い肌が、白い制服と重なって真っ白な印象を受けたのに

他人を見下したような、どうしようもない笑顔だけが黒く浮いて見えるせいだったかもしれない


関わりたくないと、そう思えばこそ

お医者の娘を盾にして、人の視線が一番通らない角度に身を潜めていたが

どうにもどうやら、私になくても相手には興味があったらしい


「君は…いったい誰? どこから来たんだい?」


鼻につく声だ、表情も嫌味なら声まで気に入らない

質問をしている風で、相手が答えないとは考えていないような傲慢さ

いや、傲慢と言えば格好が良すぎる、ようはあれだ、アレのソレはただの我儘なのだ


「…呼ばれてるよ?」


お医者の娘の袖を引き、受けた視線をそのまま彼女へと受け流す

正直関わりたくはない。あの手のたぐいが言い出すのは一方的な愛の告白か、略奪に決まっている


「いや、私じゃなくて…」


お医者の娘も責任の押し付けには慣れてきたようではあったけど

今回はそうともいかなかった。相手の目的が私である以上、強くも否定できないし、かと言って私の背中を押すのはもっと無理

だからといっていて相手から「おめーじゃねーよ」って視線を理不尽に受け続けるほど、心持ちは強くもなく


「君だっ、君のことだよっ」


結局、先に痺れを切らしたのはクソガキの方ではあった


そっから始まったのは御高説

自分の推論と疑問を偉そうに垂れ流す。頭の良い自分を演じながら、それに酔いしれる

自分は他とは違う、子供ながらの優越感をそのまんま鼻にかけて勝手に喋り続けていた


「そうだ! ロドスの客人達、ここを通す礼の代わりにそいつを僕に渡してくれ」


ほらきた…


人気者なのは嬉しいが、正直年下には興味がない

私が好きな人は、私を甘やかしてくれる人か、私に甘えさせてくれる人なのだ


「ドクター、私の後ろに下がって」


アーミヤが私を庇って前に立つ

そりゃ、ここまできて私を手放すなんて彼女はしないし、その程度ならこんな危ない橋は渡ってない

て、言ったら彼女の好意に失礼な気もするけれど。真っ先に私の前に立ってくれたその気持ちは素直に嬉しい


「ありがとう、アーミヤ。それからお願い」

「ドクター?」


前に立つ彼女に手を伸ばし、その手を握る


「ぜったい 私を助けてね?」

「はい、もちろんです」


安心してくださいと、言外に付け加えてアーミヤが私の手を握り返す

そこで一つ、この戦場に来て私は初めてこの言葉を口にした


「命令だよ、アーミヤ…」



さて…


格好はつけたは良いが、正直 状況はよろしくない

多勢に無勢な上包囲までされては、簡単にはこの事実は覆せない

おまけに、私を救出してからの戦闘続きでこっちの消耗もいい感じだ


悲観的な要素しか無いが、言うほど心配もしていなかった

相手のあの性格だ。どうせ勝てる戦争しかしないだろうし、仕掛けた時点で勝ったと思いこんでいる

自分は安全なところで、相手がジタバタともがく姿、自分の前で無様を晒す姿が何より好きなタイプ


神様にでもなったつもりかって


どうせ、自分の想定外なんて端から想定しちゃいない

だったら私はそれを用意するだけ…なんだけど、自分が用意したわけじゃないから、上手くいくかは賭けでしか無いか


「…ねぇ、アーミヤ。わたし、あれ欲しい…」

「それは…分かるけど」


指差した先は、クソガキが持っていた変な道具

それをチェスでもするみたいになぞらえて、無能な兵士が賢しく突撃してくるんだからたまらない

まるで、兵士の頭に直接線でもつないだような正確さ

ニューラルネットワークが便利とは言え、そこまで出来やしないし。こっちの通信手段はもっぱら音声とハンドサイン

戦力も、命令速度も追いつけなくて、負け戦の時間稼ぎは辟易としてくるものだ


「ドクター、もっとさがってっ」


狭まってきた戦線に、流石にアーミヤも焦りの色を隠せなくなっていた

まあ、けれど、心配するアーミヤをよそに、私は戦線に潜り込むように前に進む


「あなたもこっちっ」

「え、私医療オペレーターなんですけどっ、ドクター!? アーミヤさーんっ!?」

「へーきへーき」

「ちょっ…!?。もうっ、何処行くんですかっドクター!?」


敵の狙いは私で、当面は私を殺すつもりが無いのなら

ほら、こうしてしまえば、派手な術式は使いづらくなるし、流れ弾を気にしては射線も制限される

貴方の勝ちは、アーミヤ達の目の前で私を攫うことで、自棄になって私を殺せば遠回しに負けを認めることになる


そうでしょう?


わざとらしく彼に視線を送ると、それを感じ取ったのか忌々しそうな視線がかちあった

だってそう、キングが前進してくるなんて貴方は考えないもの

私がそういう性格だと踏んでいるならともかく、初対面じゃそこには及ばない


ええ、分かるわ


だからといっても、貴方に取ってはこの程度は修正の範囲内、自分の勝ちは揺らがない

けれど、そもそも、こんな戦いに勝ちなんて無いのよ

私達は逃げ帰れればそれで良いのだから、勝つ必要なんか無い。許容範囲が違いすぎるのだわ


ほら、ごらん


完璧なつもりでいるからそうなのよ


「うわあああああっ!?」


突如、戦域の端っこで響いた悲鳴と、それに遅れて兵士の束が次々に吹っ飛ばされていく


「道を開けよ!」


何の脈略も戦場を彷徨きまくる私に対応しようとして、僅かに相手の陣形が崩れた瞬間だった

力強い声と共に、白い甲冑をまとった騎士は次々と敵を薙ぎ払うと、難なく私達の前へとたどり着く


耀騎士二アール…派手な名前と頼もしい経歴だったけど、間違いはなかったようだ


「あなた がDr.しずくか? カジミエーシュの耀騎士二アール。お迎えに参上しました」


どきん…と、した

白馬に乗った王子様を信じるような精神性はしてないつもりだったが

自分を窮地から救ってくれた相手の差し出した手に、全力で甘えようと思った


「ファウスト…」


敵もそれくらいはするだろう

隠し玉とばかりに、遠距離から二アールへ砲弾が飛んでくる

安々と、とはいかないでもそれを盾一つで防がれたことに、クソガキの表情が歪んでいく


一度でダメなら二度ってか…


地団駄を踏んで、声を上げるが、そりゃダメだ。一度露見した切り札なんて、ただの強力な攻撃でしか無い


「おヒゲ…」


言うやいなや、おヒゲの小隊が砲撃地点へ一斉に銃弾を浴びせかける

それがたとえ牽制程度だったとしても、稼いだ時間は貴重だ


「お前ら…どうして僕の思い通りに死んでくれないんだ…」

「どうしてって? あんたのその顔が見たかったから…」

「っ!? お前たち…みんなまとめて…」


おお怖い


子供がするような顔ではない

まるで嫉妬に狂った女が、癇癪を爆発させる寸前のような顔だった


行きよいよい、帰りは…もっと楽


二アールが開けた穴を、おヒゲ達の援護の元

取って返した二アールとドーベルマン達が更に広げて全員で尻尾を巻いていた





敵の追撃部隊を振り切って、当面の安全を確保すると

合流した二アールを交えて、アーミヤたちが状況の整理に掛かっていた


「ふわぁ…」

「あ、お疲れですか、ドクター?」

「うん、お家帰りたい…」

「それは…もう少しだけ…」


一度 手持ち無沙汰になってしまえば、残ったのは疲労と、緊張感の切れた思考だけ

あくびの一つもこぼせば、お医者の娘に寄りかかって眠たげに目を擦りたくもなっていた


「あ、そうだ。書くものちょうだい?」

「…クレヨン、でいいですか?」

「あるの?」

「…ないですけど」


完全に子供のような振る舞いに、お医者の娘も皮肉の一つも言いたくなったんだろう

それに知らないフリをしてクレヨンを要求すれば、しぶしぶと代わりのペンを渡してくる


「改めて、あなたがドクターとお見受けする」


お話が終わったのか、そこそこになった挨拶のやり直しを求めて、二アールが私に視線を合わせてきた

そんな彼女を目の前に、私は大きなテロップを掲げて見せる


「ん? 『わたしはきおくがありません』…どういうことだ?」


疑問の答えを求めて、二アールがアーミヤに視線を向ける


「まあ、そういうことです…」

「ははっ。丁度いいな、人に合うたびに説明するのも面倒だと思っていた所だ」


首からでも下げていたらどうだ?

それはきっとドーベルマンなりの冗談だったのだろう

けれど、それをそのまま受け取って、自作のテロップをお医者の娘に渡せば、紐を通して私の首に掛けてくれた


「ねぇ、ドーベルマン。似合う?」

「お前、本当はバカなんだろう…」


心底疲れたような顔をして、首を振るドーベルマン

にじみ出る「かえりてぇー」って空気。あるいは彼女ひとりなら私は捨て置かれていたかもしれないが


「そうか…わたし自身は特に問題は感じないが?」


意外と、それを当然に受け止めた二アールに頭を撫でられた


「それに、しずくにとって一番大切なのは消えた記憶ではなくこれからだろう?」


良いことを言った、たしかにその通りだとは皆思うが、誰もそんなこた気にしちゃいない

これから「きおくがありません」と札を掛けたヤツと逃避行を続けるのかと、無駄な脱力感に息を吐いているのだ

もう、だれもかれも私の記憶のことなんて頭からスッポ抜けている頃なのに

今更そんなカッコの良いことを言われてもと、その言葉に頷けないでいる


「は、はい…そうですよねっ!」


それでもと、その場の空気をまとめるためと、アーミヤの空元気が虚しく響く


「うむ。行こう、みんな。ドクターをロドスに送り届ける任務が残っている」


嫌々か、渋々でも、二アールの号令で部隊が重い腰を上げて移動を開始する

ここまで来ると、私のことはどうあれ みんな家に帰りたい、その一心で傷だらけの体を引きずっているようだった





「ねーねー二アール、二アールー」

「こら…あまりうろちょろするものじゃない」


私が二アールの周りを、それこそ子犬の用にまとわりついていると

首根っこを掴まれて後ろに下げられる

それならそれで、ふかふかの尻尾を捕まえて思う存分撫で回していると


「ん、気に入ったのならそうしていると良い」


大きな尻尾にすっぽりと、私の体が包まれてしまった


「もう、ドクター。二アールさんの邪魔しちゃダメですよぅ…」

「ふかーっ!」

「威嚇されたっ!?」


お医者の娘が私の手を引いて、二アールの尻尾の中から引きずり出そうと試みるがそうはいかない

この居心地を、この廃墟の中で得られる安心感を手放してなるものかと、より強く二アールにしがみつく


「すっかり気に入られちゃいましたね、二アールさん」

「そうだな。だが、悪い気はしない。むしろ心地良いものだ」


優しげな、おそらくはいつものアーミヤの声音に、二アールも頷いてみせる


「ほら、私にだって尻尾ありますから」


向けられるお尻に揺れる尻尾、あんまりにも揺れるものだからついついと手を伸ばし


ぎゅぅっ


「ひゃんっ!? 引っ張らないでっ、握らないでっ、もうちょっと優しくっ」


なるほど…うなずく私

確かに二アールほどのボリュームは無いが、これはこれで魅力的なさわり心地ではある

さて、となると気になってくるのが…


二アールの隣で歩く、アーミヤの後ろ姿だった


そのコートの裏側にはあるのか無いのか、きっとウサギさんなんだから可愛らしいものが付いているのではないかと思い

首を傾げるふりをして、覗き込むように体を曲げていく


「ダメですから」


隠されてしまった、両手でコートの後ろ側をスカートごと抑えられては確認するべくもない

二アールの尻尾の中から出るのも億劫だし、機会はまたもあろうかと視線をそらせば

なんか、空がさらに重苦しくなっている気がして、視線が吸い込まれていた


「ドクター? ああ、天災雲ですね…」


私の視線が空を見上げているのに気づくと、アーミヤもその先を追って上を見る


なるほど、ただの雲ではないと思えば、そんな名前が付いていたらしい

空が落ちてきそうな錯覚、それらしく変わっていく雲の形は、時間のなさを指し示しているようだった


「こんな天気で、レユニオンたちはピクニックのつもりなんでしょうか?」


ぽつりと呟いたお医者の娘は、もちろん悪い冗談ではあったけど

「こんな状況でピクニックも無いだろう」と、言葉通りに受け取った二アールが首を傾げてしまう


「いや、そうか。連中はそんなこともわからない野蛮で無知な連中ということか」


どころか、一人で訳のわからない所へと落とし所を見つけてしまっていた


「…ぷっ」

「い、いえっ…そんな、本当に彼らがピクニックのつもりだなんてのは…」


吹き出したアーミヤの隣で、お医者の娘が弁解を始めていた

久しぶりの自分の失言に、言い訳の仕方を忘れたように狼狽える彼女を横目に


「でも、私達だって遠足の帰りだし?」

「では…キミの救出はついでだったのか?」

「ちょっと二アールさんっ!? ドクターも黙ってっ、そんな訳が無いでしょうっ」


慌てて私の口を塞ぎにかかるお医者の娘だったが

私と二アールの「そうなの?」「どっちだ?」と不思議そうな視線を受けて「いえ、あの…」と口ごもってしまう


「ただの冗談ですよ、二アールさん」

「む、そうだったか。すまない、敵の分析かなにかとばかり…」

「いえ。でも、ちょっと面白かったです」


ため息一つ、助け舟とばかりに口を挟むアーミヤに自分の誤解を認める二アール


「ねーねー、おやつは無いの?」

「これでも食べてて…」


それでも冗談を引きずる私の口を塞いだのは、お医者の娘が突っ込んできたパッサパサなレーションだった





「さて、どうするドクター?」


考えを聞かせてくれと、測るような視線で私を見下ろしてくるドーベルマン

時間もない迂回も出来ないって自分で口にしておいて、そんな選択肢のない質問をされても困る

私からすれば「出来るの?」の一言に尽きた


時間は味方をしてはくれない以上、真っ直ぐに最短で最速で行くのが簡単だ

多少の無茶は二アールが押し通してくれるだろうけど…

贅沢を言えば余り頼りすぎるのも避けたいが、そうも言えないのが悲しい所


そんな私の意見に「悪くない」と二アールがうなずくと、そのままドーベルマンと細かい算段をつけていく

そうして結論を出した後、最終確認をアーミアに取っていた


ただ、まぁ…


それでも、面白くない事が一つ


「あまりドクターに頼りすぎるなよ?」


最後に忠告の用に付け加えられたドーベルマンの言葉

アーミヤとて、その言葉の意味は理解している所で、神妙に頷いてはいたけれど


「むっすぅ…」

「そんな顔をするな…」

「つーん…」

「だからだな…」


だったら聞かなきゃ良いじゃないと、私はへそを曲げたって良いはずだ


「アーミヤにはまだ成長が必要だ。分かって欲しい」

「私は当て馬?」

「そうではない。お前だって言っていただろう?

 二アールばかりに頼りたくはないと、私達だってお前一人に任せっきりにも出来ないんだ」


まあ、それはそう


私が風邪で寝込んだら、回らなくなる組織なんて怖すぎるし

分かっている、そんな事は分かっている

私がいなくても、アーミヤはロドスのリーダーで、だからこそ もっともっとが必要なのだと


では、なぜ?


私がわざわざ彼女を、ドーベルマンを困らせているかと言えば、測りかねているからだった

アーミヤは優しい、私のことを一番だとも言ってくれた

二アールも優しい、どんなに甘えても嫌な顔の一つもしない


でも、ドーベルマンはどうだろう?


第一印象の『怖そう』に従って、私は距離を取っていたし

それを感じ取ってか、ただ忙しかっただけか、彼女の方も積極的に私を構おうとはしなかった


だから丁度いいとも言える


ここで私が拗ねてみせ、付き合いきれんと切り捨てるなら

私はきっと彼女と仲良くはなれないだろうと思った。そう、好きか嫌いかで言えば嫌いを選択したはずだった


結果で言えば、私は好きを選択したことになる


子供じみた私の振る舞いを、子供扱いもせずに言葉を尽くして理解を求める

いっそ甘やかしてくれれば それでも良かったのに。彼女はどこまでも実直だった


「改めていうが…」


そこで初めて、彼女は見下ろしてばかりだった視線を私に合わせてきた


「戦場での私の命は、もうお前に預けてあるんだ。頼りにしている」

「…」


考え中、考え中だ


ここで笑顔の一つでも見せてくれれば、二もなく抱きついていたのに

でも、まあ、そうね。真面目が服を着て歩いているような人みたいだし

笑顔だなんてお部屋にでも置いてきたんだろうと納得する、納得して、代わりに私が笑ってみせた


「…おしゃべりはこのくらいにして、急ぐぞ」


返事はない。頷きくらいは返ってきたが、それっきり

勝手に立ち上がると、部隊に指示を出しながら先へと進んでいく


「ドーベルマン、ドーベルマン。ねーねー…ねーねー…」


そんな彼女の足元に私は纏わりついていた

ちょうど二アールにそうしていたように懐いて見せていると

程なくして、彼女の沸点の低さに目を丸くすることとなる


「だーっ! 懐くな鬱陶しい!」

「…ぶーっ」

「いちいち拗ねるなっ。状況が分からんでもないだろう!」

「疲れたっ、お家帰る!」

「だったら歩かんかっ」

「ドーベルマンの怒りん坊っ」


そこが我慢の限界だったんだろう


バチンッ!


手慣れた様子で鞭をしならせ、それで私を捕まえると雑に放り投げられた


「あはは…おかえり、ドクター」


受け止めたのは二アールで、その隣ではアーミヤが困ったように笑っていた


「ドクター?」

「なぁに、二アール」


受け止めた私を手の中でひっくり返し、私と見つめ合う二アール


「死とは自らが息切れした時に追いついてくる…カシミエージュのことわざだ」

「…」


ドーベルマンはもちろんとしても、二アールも二アールで中々に真面目で困る

どちらも冗談も通じなくはあるんだが、受け合わないのと受け取らないのでは意味合いが違ってくるというもの


つまり彼女はこう言いたいのだ


「頑張って歩けってこと?」

「うむ」





たぎる雲が炎の中で渦巻き、恐怖がかの者たちの声を奪い、大地は静寂に包まれる

巨大な源石が降り注ぎ、そは堕ちる、死に焦げた影の上に…


どっちが最初だったかは覚えてない


空が赤いなって思っていたら、どっかで何かが崩れ始め

それを確かめるまもなく空からキラキラと石が降り注いできていた


レユニオンの暴徒達は、それを歓喜の声で迎え入れ、自分達が石に潰されるその瞬間でさえ受け入れている

もはや戦闘どころじゃない。空から石が落ちてきているのに、何とどう戦えっていうのだ

だと言うのに、暴徒たちは自分たちさえ巻き込んで一人でも多くを殺そうと狂騒を続けている


自爆テロ? 都市一つを巻き込んでの?


この世界の政治には明るくないけど、こんな事をしでかす集団を他集団が放っておくものか?

テロなんてちゃちな復讐心で出来ること? これではまるで、宣戦布告のようじゃないか


「あぁぁ…あぁぁ…。空が…空が落ちてくる…」


繋いでいた手が落ちる


隣を見ればお医者の娘が震えてた

笑う膝は今にも崩れ落ちそうで、悲鳴でさえその空に押しつぶされたように潰れて聞こえる


落ちてくる、落ちてくる


パラパラと、ゴロゴロと


崩れて、砕けて、雪崩込んでくる


見上げた空に広がりは無く、ただ私達を押しつぶそうと血に染まった閉塞感が形を変えて雫を作る


「しっかりしなさい!」


パチンッ


崩れる瓦礫に乾いた音が交じる

打たれた頬を手で抑え、驚いた拍子に落ちた視線がアーミヤと交わった


「…あ」


戻ってくる理性の色

それを確認したアーミヤがすぐに彼女を後ろへ下げる


「…ドクターも」

「ここで良い」

「…」


私の我儘にアーミヤは何もは言わなかった

分かっている。事こうなったら安全なところなんて何処にもないんだと

倒壊に巻き込まれたくないから広場に出て、広場に出ればレユニオンに狙われる

瓦礫に隠れれば逃げ場をなくし、空からは石が降ってくる


そんな中で、一番安全な場所を探そうものなら

世界で唯一の味方の隣、それ以上に安全な場所なんて何処にもなかった


「…あっ」

「え? ドクター!?」


急に駆け出した私に、アーミヤが一歩遅れて手をのばす

虚しく途切れるその手を構わずに、私はお医者の娘ところへ駆け出していた


空気を裂く耳障りな音、不快な地響き、何処かで何かが崩れるのにも耳を塞ぐ

いちいち全部は聞いてられない、慣れてさえしまえば、知らんぷりをしていれば、かかる火の粉や小石程度なら無視もできる


また、建物が崩れる


ガラガラと


運悪く、中腹にぶつかった隕石が足場を崩し、くの字に折れ曲がった建物がお医者の娘に影を作る


普段は良いように使っているが、この時ばかりは自分の矮躯に嫌気が差していた


このまま頑張って走れば間に合うが、足の竦んだ彼女の手を引いては間に合わない

突き飛ばそうったって、抱きつく以上の衝撃力は得られそうにない以上、多少の乱暴はごめんなさいだ


1・2・3とステップを踏み、踊るように瓦礫を駆け上がる

最後に踏みつけた瓦礫が崩れるのと同時に飛び上がると、そのままヒーロー番組のそれらしく足を伸ばして彼女に突っ込んだ


「とうっ!」

「がふっ!?」


驚く間もなかった事だろう、それが私だと認識出来たかも怪しい

完全な不意打ちに、悲鳴は吐き出される前に潰され、浮いた足が彼女を後方へと引きずっていく


着地


だがそこでおしまいだ


この体、運動神経が良いんだか悪いんだか、寝起きでよくぞ付き合ってはくれたけど

着地の衝撃に膝を擦りむき、不相応な負荷が関節を痛めつける

漫画だったら溜め込んだバネで前方に飛ぶんだろうけど、支えきれなかった体重は手の平を擦りむく結果に終わっていた


「ドクター、伏せろ!」


伏せろなど、言われるまでもない、すでに倒れている

手の平は擦り切れているし、瓦礫と抱き合ったお腹が痛い


パラパラと、石がこぼれ落ちてくる

次の瞬間にも、瓦礫に潰されているだろうと諦め半分に目を閉じて


けれど幸いか、それ以上に押しつぶされることはなく


「ふぅ…間に合った!」


代わりに、安堵したような二アールの声が聞こえてきた


「頼むから…一人であんな無茶をしないでくれ」


怒るでもない泣くでもない、寂しそうと言えば近いけど、子供心には叱られたように感じてバツが悪い

とはいえ、ドクターが傷つくのは見過ごせないと、目の前ではなおさらだと重ねられると、唇を尖らせる以上に出来る反抗もなかった


「ごめんなさい」と素直に言えれば可愛げもあったが

なんとなく「みんな助かったんだから良いじゃない」と生意気な口も聞きたくある


「ドクターっ、ドクター…」


ただそれも、追いついてきたアーミヤに

それこそ、死に際だった恋人にするみたいに抱きしめられては


「ごめんなさい…」


素直に可愛い振りをするしか無くなっていた





燃えてる…いや違うな


ここに来るまで火の手なんて…街も人も何もかも、幾らでも燃えてはいたけど

あんまりにもアツいと物って溶けるんだなって、初めて実感した気がする

ほんと、水みたいに溶けて消えるか、溶けるまもなく消えるか


「ぉぇ…」


堪らず嘔吐いてしまう。そんな光景まで焼け付いて離れない

燃える体、焼けた悲鳴、魂まで溶かされていくような…


「大丈夫ですか…ドクター?」

「ぁ…うん」


気づけば、お医者の娘に背中を擦られていた

落ちた視線に映る自分の体はいい感じにボロボロだった

膝には絆創膏、手の平には大げさに包帯が巻かれ、ぶつけたお腹には湿布が貼られていた

それ以外と言えば、身動するたび、ひりつくような火傷の痛み

過度な日焼けと思えば可愛いものの、それがただ一人の女の近くにいたせいだと考えると頭が痛い


レユニオンの暴君…タルラとか言ってたっけ?


銃弾も術式も、熱いってただそれだけで溶かして尽くしてしまうような理不尽

もちろんそんな物に近づけるわけもないし、その熱さに反比例してとうの本人は涼しい顔を崩さないのだから腹も立つ


今度あったら、すっぽんぽんにひん剥いて氷風呂に漬け込んでやりたい気分だが

それ以上に会いたくなくて、それも無理だろう嘆息する



結果として私達は生きのびていた


命からがらチェルノボーグから逃げ出して、無傷と言わないでもロドスに…アーミヤ達のお家に帰り着いていた

これからロドスが何をするつもりなのか、私に何をさせたいのかは置いておいても

世界にケンカをふっかけたレユニオンと関わらずにはいられないと思う


「あの…ドクター?」


遠慮がちに呼びかけてくるお医者の娘に、私は思考を打ち切って顔を上げる

続いたのは「ありがとう」で、はて? 何かしたかしらと頭を捻り、そういえばと飛び蹴りをかましていたのを思い出す


つん…


つついたのは彼女のお腹

指先で小突く程度だったけど、大げさに体をそらした挙げ句


「ひゃんっ」


変な鳴き声まで聞こえてきた


「ふふっ、おそろいだ」


そんな彼女にお腹をめくって見せれば、私のお腹にも白い湿布が貼られている


こうなってはやることは一つ

好奇心と意地悪に誘われて、お互いのお腹をくすぐるように突きあう

痛い痛いと騒ぎながら笑いあい、疲れるまでじゃれ合うと、そのまま二人してベッドに倒れ込む


そこで何かの糸が切れたのか…


お医者の娘の瞳から、涙がこぼれ始めていた


「あれ…なんで…ごめん、なさい…私…」


そのほっぺに手を伸ばすと、零れた涙が私の指先を濡らしていく

柔らかくて、温かい。生きている感触は、それだけで優しかった


まあ、仕方がないか


そのままお医者の娘に抱きしめられていた

ぬいぐるみか、抱き枕か、溢れた感情を抑えるみたいに無遠慮に手を回される

しくしくと、喉がなり、そのまま耐えきれれずに声が上がった

耳元で泣かれるのも流石にうるさいが、そのまま振り払うような気にもならず

彼女にならって、背中に手を回すと落ち着くまで背中を撫で続けていた





最後にそうしたのは何時だっただろう?


誰もしているのに、きっと覚えてる人の方が少なくて、それは私もそうだった


「ご、ごめんなさい…」


朝一番、おはようの代わりに聞こえたのは謝罪の言葉

泣きつかれて眠っていたお医者の娘に抱き着かれて、抱き疲れた私も構わず眠る

そうして、二人で眠っていたおかげか、お互い夢見は良かったようだった


「本当よ…貴女が離してくれないもんだから…」


俯き、頬を染め、弱々しく自分の体を抱く私

そのまま何かに耐える様に太ももをすり合わせて見せる私は彼女にどう映ったものか


「へ、うそっ!?」


ばっと、慌てて様子で布団をめくるお医者の娘

そこには湿った様子もなく、ただ乱れた布団の後が残るばかりで

予想通りな反応に、私は胸を軽くしていた


「うん、ウソ♪」

「もうっ、どくたぁ…」


ネタばらしに笑顔を浮かべる私を前に、掛けた迷惑に強くも出れないお医者の娘が嘆いていた



ーおしまいー



後書き

最後までご覧いただきありがとうございました

感想

最初から暗い、重い、ではあったけど、まあ楽しかった

お医者の娘がモブだとわかっていても、★2くらいでいればよかったのにとか思う

これがエロ本だったら、ここでエロシーン挟めたなとか思いつつ ーおしまいーの文字を打ち込む私


翌日:


このSSへの評価

このSSへの応援

このSSへのコメント


このSSへのオススメ


オススメ度を★で指定してください