紫音「ねえ、お父さん……」 父「何だい、紫音?」
意識を取り戻した紫音の母・朱音の初めての旅行先は、なぜか花の湯温泉「春の屋」だった。矢沢一家の、「春の屋」の一泊二日が描かれる。
前回一人のツイッターのフォロワー氏に触発されて、キミコエ×若おかみ に挑戦したわけですが、望外な閲覧を戴き、それから一気に仕上げたりもしていました。
その同じ人物から、冒頭の父と紫音の掛け合いがツイッターに投稿されたわけなんですが、「ああ、これは書け、と言われたな」と即座に判断ww とはいえ、矢沢一家が、旅館に行くきっかけはどうしようか、でかなあり悩みました。
設定については後書きで詳細をかきたいと思ってます。
2018.11.23 ツイッターの書き込みを見て作成開始。
2018.11.27 ラフながらとりあえず完成(8904字)。
2024.5.4 文章レギュレーション統一のため初の見直し。8924字。
紫音 「家族旅行なんて初めてなのに、こんな高そうな旅館……」
父 「お父さんも、こんな高級旅館だとは思わなかったよ」
紫音 「え、どういうこと?調べて予約したんじゃないの?」
父 「実はね、紫音……」
紫音 (なにを話すつもりなのかしら……ドキドキ)
父 「お母さんの意識が戻って1年経つだろ?で、ちょうど俺も配置換えの絡みで休みが取れたんでここにしたってわけ」
紫音 「でも、他にも温泉地はあるし、そもそもここ「春の屋」さんにした理由が……」
父 「ああ、一番大事なこと言ってなかったな。我が家と関一家とは、ちょっとした因縁というか、繋がりがあるんだよ」
紫音 「どういうこと?」
父 「それもこれもお母さんが事故に巻き込まれてなかったら起こりえなかったことだろうけどなぁ……」
そこまで父は言うと、私・矢沢紫音にどうして「春の屋」に泊まることになったのかの経緯を話し始めた。
母が意識を取り戻したのは2017年の8月31日。そして事故の日は、私が幼かった2005年の4月15日のことだった。
折りからの雨で路面がぬれていたこともあり、対向車線にはみ出してきたトラックと、正面衝突してしまった祖父の運転する車は、原形をとどめないほどに大破した。
運転席は直撃を食らってへしゃげ、祖父はほぼ即死状態だったようだ。だが、助手席にいた母は、強い衝撃を受けたものの、何とか一命をとりとめた。でもその結果、意識が戻らず寝たきりの生活を12年間余儀なくされたのだった。
母の治療費などは、加害者であるトラックを運行していた会社が入っていた保険会社が負担していた。そういった金銭的な部分とは別に、人的な謝罪の部分で出てきたのが、この会社の専務だった関正次……「若おかみ」である、関織子の父親……だった。
事故のあと、会社はほどなく倒産してしまったが、関さんだけは毎年の祖父の命日には、必ず香典をもって訪問してくれていた。母のお見舞いもことあるごとにしてもらっていたようだった。聞けば、矢沢家にいる娘さん……紫音のことが気がかりだとか言っていた。会社との関係が途切れてもこうしてお参りすることのできる関さんを、父は人間的に尊敬もしていたようだった。
父が「関一家事故に巻き込まれる」を知ったのは、テレビニュースだったそうだ。対向車線に飛び出した大型トラックに大きく減速もできずにぶつかった関一家の乗った車は、スクラップも同然なほどに激しく損傷していた。
あれほどの壊れようで後部座席にいたであろう娘さんが助かったとはなあ、というのが父の想いだった。高速道路、それも対向車を巻き込んだということで、ニュースバリューもあったとは思うが、夫婦が死亡し、娘は無傷、ということまで詳しく報道するところは意外に少なかった。
とはいえ、自分の妻がようやく回復したばかりのことであり、関一家の悲劇に寄り添うまでの余裕はなかった。そもそも、関さんに娘がいたこともニュースで知ったくらいである。
妻の意識回復から一年がたち、ひとまず自分の家族のことがようやく片付いた。妻・朱音も時々通院するくらいで、ほぼ日常通りの生活が戻ってきていた。だから、敢えて、秋のちょっとした連休に都合がついたので家族で「春の屋」に行こうと思い立ったのだった。
父の語りは、あらかた終わりを見せていた。
「でも、どうしてここってわかったの?」
私は父に素朴な疑問を投げかける。
「ああ、そのことなら簡単だよ。織子ちゃんが通っていた小学校がわかったんで、転校先を聞いたんだ」
個人情報に関わることをどうしてその小学校が開示したのか、と思ったが、お互い交通事故の被害者。多分、父がかなりの感情を見せながら懇願した成果ではないか、と思うのだ。「簡単」と父は言ったが、そこに至るまでの苦労や想いまでは私は聞き出さなかった。
「後は、旅館をしらみつぶしって感じなのか……」
「そういうこと。まあ、5軒目で見つかったんだけどね」
父はそういう。
「もし一般家庭の中に入りこんでしまっていたら、見つからなかっただろうね。何度か話していくうちに実家が旅館やっているって奥さんが言っていたのを頼りにしたんだけどね」
車は、花の湯温泉街に入っていく。ひなびた街並みと、それでも多数の観光客の闊歩する商店街を抜けると、一気に温泉地らしい宿屋が点在するエリアに入っていく。
「春の屋」の玄関先に降り立って、私は思った。
私たちと縁浅からぬこの閑静なお宿。ただ泊まるだけではない、何かしらの想いを受け止め、ほぐしてくれるのではないか……
「矢沢様ご一家、ようこそお越しくださいました」
仲居のエツ子さんがそう言って出迎える。
「いらっしゃいませ」
料理人の康さんも一緒だ。
そこへ、女将が奥から歩み出てくる。
「ようこそいらっしゃいました。ご予約の時にもお話されてましたが、娘夫婦とご縁があるようで……」
70歳くらいだろうか、それでも背筋がピンと伸び、一家の主という雰囲気を漂わせて、女将である関峰子は言う。
「エエ、そうなんです。関さんのご支援がなければ、今の私たちはいなかったかもしれません……」
少し胸を詰まらせたのか、その後の句が継げなくなった父の姿を見て、私の知らないところでいろいろなドラマがあったんだと悟る。
「そうだったんですか。草葉の陰で娘夫婦も喜んでいることでしょう」
峰子も少し瞳を潤ませる。
そこへ、明らかに子供なのに、作業着よろしく和服を着た少女が現れる。
「いらっしゃいませ。ようこそ春の屋に!」
きっちりと三つ指ついて歓迎の意を表す。"ああ、従業員なんだ"と、とっさに私は思う。
「これが、うちの若おかみの織子でございます」
峰子が紹介する。
「まあ、こんなかわいいのにしっかりなさっていることっ」
母・朱音も思わず口に出してしまう。
「本当だな。爪の垢でも煎じて飲ませたいところだな」
父は私の方を向いて、茶目っ気を含めてそういう。
「よしてよ。旅館に勤めるならいざ知らず……」
玄関先でこうしたやり取りが演じられる。時に父の笑いが場を和ませたりしたが、ようやくのことで部屋に案内される。
「春の屋」は、部屋の名前に花の名前が冠されている。私たちが通されたのは「つつじの間」だった。
「それでは、ごゆっくりとおくつろぎくださいませ」
峰子が恭しく一礼すると、部屋から下がっていく。
さてと……
私は何から始めていいか、全く見当もつかなかった。そもそも、家族水入らずの旅行なんて、はじめての経験だからだ。
12年間、母の看病と、それに引きずられる日常が、私の心を大きく蝕んでいた。父に随伴する形で、転校も多く、友達と呼べる人は、高二になるまで一人としてできないでいた。
たまたま日ノ坂にあった実家……喫茶アクアマリンにあった、ミニFMの機械を無断で触られたことがきっかけで、この地の日ノ坂高校の女子高生……なぎさや雫、かえでや夕と知り合いになり、彼女たちのつてで、乙葉やあやめとも友達になることができた。
母をよみがえらせてくれたのは、間違いなく彼女たちだし、母の声をもう一度聞きたいと願った日ノ坂の町の人たちの想いだったはずだ。あの日、無数のコトダマたちが母の中に入っていくのを目撃した私は、そこにある"奇跡"をただ見ているだけでしかなかった。
Wishes Come Trueの意味。それは"願いはかなう"。ただお母さんの復活だけを願い続けていた12年間。それが報われたあの日の感動は、今でもはっきり覚えている。でも、それは私にとって始まりに過ぎなかったのだ。
12年もの闘病生活は、母・朱音にとって重大な記憶の欠損である。私の成長を見守り続けることができなかった母の悔悟の念は、時折見せる涙からでも推し量ることができる。せめて父がある程度アルバムなり、データなりで残してくれていたらよかったのだけれども、ほとんどの決定的な場面の写真も、画像も見当たらない。
それでも母は、体調の許す限り、私や父とのスキンシップを欠かさないようにしていた。恐れていた言語障害などもなく、また、杖はいるものの、ゆっくりと歩くこともできるようになっていた。
父と母は、外に向かい風景を楽しんでいるようだった。
私は、ちゃぶ台の上にあったお茶のセットに手を伸ばし、拙いながらも3人分のお茶を入れる。
「お父さん、お母さん、お茶、入れといたよ」
私が声を掛けると、父は目を輝かせて言う。
「おおお、なかなか気が利くようになったじゃないかぁ」
「そうね。紫音もそろそろ大人、ですもんね」
二人してその行為をべた褒めする。
私は照れ臭くなって一口お茶を飲むと両親がしていたように外の風景に目を移す。
手入れの行き届いた庭がそこに広がる。実家にもたしかに庭はあるが、「人に見せる」ためのものではないから、手入れも適当に済ませている。だが、庭師が入っているにせよ、従業員で手入れしているにせよ、それは「見ていただく」ものになっている。
ほとんどの家庭では、見ることのできにくくなっている庭。それも高度にしつらえられた造形を見ると、ほっとすると同時にすぅっと心にしみわたっていくものを感じ取っていた。
私たち一家は、旅の疲れを露天風呂で洗い流す。
さすがに父は同席できないが、母と同じ湯船につかるのなんて、物心ついてからだとほぼ初めての体験だ。
「ウワぁ、少し熱めだけど、気持ちいいわね」
母はそう言って体を湯船に沈める。
「へえ。そうなんだ……」
まだところどころ傷跡というものは認められる。母を襲った事故の大きさと、それがまだきれいに消え去っていないことに、時間が経っても残り続ける"記憶"を呼び覚ましてしまう。
「ねえ紫音?こっち来て一緒に浸かろうよ」
「ああ、わかった」
そう言うと、ひと流しして、露天風呂に駆け寄り、ちょっといたずら気味にザブン!と入ってみる。
「ウワっ水しぶき……」
母は少し顔をしかめる。
「あはは。ちょっと飛んじゃったかな?」
私は悪びれずに言う。
「飛んじゃったかな、じゃないわよっ!」
今度は母の逆襲。手で湯船のお湯を飛ばしてくる。
二人して童心に帰って、湯船の中で遊ぶ。その声が聞こえているのか、
「お二人さん、ご機嫌だねぇ」
と、隣の男風呂の父が声を掛けてくる。
「ああ。聞こえてた?」
私は、少し声を張り上げて父に答える。
「こっちまで丸聞こえだよぅ。あんまり長く浸かって、湯当たりしないようにな」
そう言うと父は湯船から上がったように思われた。
「私たちも上がりましょう」
と母に声を掛けるのだが、母はなぜか湯船の中でしくしく泣いている。
「ど、どうしたの?」
さっきまでの喜び具合はどこへやら。理由もわからないので私は当惑する。
「いや、あなた、そんなに明るくなっているから……」
「へ?」
確かに私は、なぎさたちに会うまでは陰気で影をまとっていたと周りが認識できるほどに暗い少女だった。そこにあるのは、母への想いと、どうにもならないもどかしさ、そして悔しさがマイナスの感情を増幅させていたからだと自分でもわかっていた。
もし母が普通の状態だったら、なぎさたちと同じように、高校生活を満喫していただろうし、少なくとも暗い青春時代を送ることはなかっただろう。今、その懸念が無くなった私には、洋々たる未来しか描けていない。だから、明るく振る舞うのではなく、完全に明るくなったのだ。
多分、母が気がついた当時の私は、まだ陰鬱だったに相違ない。それを母に見出されていたはずで、去年に比べて明るさが増したことに感動していたから、泣いていたのだと知る。
「もう、そんなことで泣いたりして……ご飯がまずくなっちゃうよ!」
私は、そう言いつつも、母が湯船から上がってくるのを見届ける。"もう、だいじょうぶだよね"
夕食の時間になった。
さすがに1年以上たって、食事制限もほぼ取り払われていた母の食事だが、カロリー制限や、塩分、何より投薬に絡んで、食べられない食品もあることが、外食を困難にさせていた。
今回の旅行でも、父は、そう言ったオーダーをしているわけだが、料理人の康さんに曰く「お任せください」ということだったので、一切をお任せしたところである。
まず出てきたのがおぼろ豆腐状の自家製豆腐だ。大豆はこのあたりで取れた地場産。そのコクのすごさでみんな目を丸くする。
前菜は、まさにご当地産品のオンパレード。「花の湯牛」を使った八幡巻きはゴボウのアクの強さを柔らかくカバーするような牛肉のコクでコントラストが明瞭だった。
椀物は、白身魚のしんじょうがメイン。入っている三つ葉の香りが強烈なのは、やはり地元で取れたものだからだろうか。
お刺身は、今回は舟盛りで提供されている。マグロ、イカのいくら添え、ハマチ、鯛といった定番に加えて、アワビやとり貝などもきれいに盛り付けられている。
煮物はシンプルに筑前煮。すべての野菜が地場産なので、野菜本来の味を損ねないように薄味になっているのだが、そのバランス感覚に目を丸くする。
焼き物は私と父、母で別れた。母にはサーモンの西京焼き、私と父は牛フィレステーキ バルサミコソース添えだった。カロリーの影響なのだろう。
揚げ物も、私と父、母では中身が違っていた。母のは河豚の唐揚げ、私たちは鯵の大葉はさみ揚げだった。
デザートには、若おかみの考案したという露天風呂プリン。今や、このスイーツ目当てで泊まりに来る若い客層も多いらしい。
「ああ、しっかり食べたなあ。朱音はどうだった?」
母に感想を聞く父。
「ものすごく美味しかったわよ。塩分控えめになっていたし、なんか、京風の料理を戴いているみたいだったわ」
母の感想もわからないでもない。私も、市中の料理の味付けの濃さに辟易していた。食材を生かそうと思ったら、味付けは必要最小限になるはず。ゴテゴテとした飾りのような味の濃い料理になれているものからすれば、物足りなく映るかもしれないが料理というものは、そこまで味付けに固執するものではない、と教えていただいたようにも感じる。
夜が深みを増してくるころ。私たちも眠ることにする。
それにしても数年前までは、こんな日が来るなんて、想いもしなかった。母の寝たきり、意識の戻らない状況はいつまで続くのか。終わりが見えないことの恐怖と不安。物心ついたときからまったくしゃべらない母の姿は、日常に落とし込まれてしまい、「目を覚まして」という思いだけが上滑りするようになってしまっていた。
それが、今では、家族水入らずの時間が過ごせる。私は、敢えて、夫婦の間に割り込むように、真ん中に陣取った。
「いやいや、そんな年頃でもないだろうに……」
苦笑する父を見て、私はこういう。
「だって、これ、ずぅっとやりたかったんだもん!」
子どもに立ち返って言う私に父も母も、「仕方ないなぁ」と半ばあきらめ顔でその位置を承諾する。
「夫婦の間で寝る我が子、かぁ……本当はお父さんも、これがしたかったんだよなぁ……」
布団に入って父はそう嘆息する。"なんだ、やりたかったんじゃん!"
「ねぇ、お父さん」
私は父に話しかける。
「どうしたんだい?」
「ほら、転院が目の前って時に私、お店のことでお父さんともめたこと、あったでしょ?」
去年の夏。私は、父と、喫茶店・アクアマリンを巡って口論をした。
「ああ、そんなこと、あったっけなぁ」
記憶をたどるように父も言う。
「転院はともかく、それまでお店は取り壊さないでほしい、とかなんとか、いってたんだったっけ……」
私も、感情に任せて言い合っていたので、きっちりとした文言まで覚えていない。ただ、ラジオ・アクアマリンの力を半ば信じていなかった私が、友人を作れ、心境の変化があることが、閉ざされ、正気を失った母の心にも届くのではないか、と思ってのことだった。転院すれば、当然ミニFMの範疇を越える。だから、それまでは一日でも長く……正確には転院するその日まで放送してほしかった。
「そうは言っても、もう売れてしまった後だったしなあ。今さら困らせないでくれよ、と言ったのは覚えてるなぁ」
「それはそうなんだけど、もどかしくって、病室を飛び出したりしたんだよね……」
父と口論なんて、本当に記憶がない。それは、父のいうことに従わなければたちまち自分が困るということを認識したからだった。大人のいうとおりに流される、それが居心地よかったし、抗ったところでいい結果が出るとは限らないと達観していた面もあったと思う。
でも、何かが変わろうとしていたからこそ、私は無理と知りつつ抵抗した。ほとんど初めて父に反抗した。それは、"奇跡"が起ころうとしていたことをおぼろげながら思っていたからなのかもしれない。
疲れたのか、早々と寝息を立てている母の方を私は見る。
もし、あの時、なぎさたちが最後の放送をしていなかったら。私たちのテーマソングであるWishes Come True が流れていなかったら。町の人たちの想いがコトダマになって母の元に届かなかったら……何もかもが偶然なのだろうけれど、こうして母は、記憶こそ途切れてはいるが、生きて私たちと生活できている。ラジオの力、言霊の存在。それを体現できた私たち。アクアマリンの面々には、感謝してもしきれない。
母の体温が身近に感じられる。それは病室で添い寝したときに感じた、生死をさまよっている病人のそれではない。明日を、未来を感じさせるぬくもりだった。それが今ここにある、それだけで私は満足だった。
外に見える満月は、ややにじんでぼんやりと見えていた。
翌朝。
「久しぶりにゆっくり眠れたわぁ」
父が大きく伸びをしながら起床する。ガバッと掛布団がはがされたせいで、私の体が布団から外れる。
「おお、紫音、悪かったなあ、起きちまったか?」
自分一人だけだと思っていたことを父は謝りつつ、私に声を掛ける。
「んん……」
少しけだるそうに私は反応する。
「あら、お早いお目覚めですこと。仕事じゃないんですから……」
母はそう言う。
「習慣づいてしまっているから仕方ないだろ?まあ、それでもなんだ、空気がきれいだとなんかすごく清々しいなぁ」
父のせいで起きてしまった私だったが、吸った息があまりに清らかで、それだけで体の奥底から目覚めるような感覚にとらわれる。
「本当だね。お父さん!」
むっくりと上半身だけ起こして私は言う。
その物音に気がついたのか、
「おはようございます」
仲居のエツ子さんが障子を開け、我々にあいさつする。
「あ、おはようございます」
一家はオウム返しのように言う。
「ではさっそくお食事の準備に取り掛からせていただきますね」
布団の上げ下ろしも仲居さんの仕事になっている。これには少し驚いた。一日わずか5件の訪問客であっても、一つ一つは重労働だ。しかも朝の時間帯は一気に立て込むのがふつうだ。
「エエ、確かに一度にすべてをこなさないといけない時もありますけど、毎日のことではないですし、女将も手伝ってくださいますし」
手際よく布団を片付けながら、エツ子さんは言う。あっという間に、昨日宿に泊まった当時のままが再現される。
「それでは、お持ちいたしますまで、おくつろぎくださいませ」
深々と礼をして、障子が締められる。
「それにしても、ここってホント、凄いんだね」
私は、感動のあまり父に向かってそういう。
「それは私も同じだよ。普通の旅館だと思ったら大間違い。こじんまりしている代わりに、大仰なことをせずとも心が伝わってくる。こんなお宿、生まれて初めてだよ」
「私もそれは感じるわ」
母もそう言ってべた褒めする。
ほどなくして運ばれた朝食は、今までのどんな旅館やホテルのそれをも凌駕して余りある品の良さと味を見せつけて、一家を虜にしてしまった。普段はパン食で、量もそれほど食べない私たちが、お櫃に入っていたご飯を一粒残らず平らげたという事実だけで旨すぎることが伝わろうというものだ。
出立の時。
「ようこそおいでくださりました。亡き娘夫婦も喜んでいることでしょう」
おかみは、そういうと、また、瞳を潤ませる。
「いやいや、こちらこそ、生前は望外なお気遣いを戴き、恐縮です」
父はそういう。私と母には、あずかり知らない、関さんと父との関係。それを紐解くのは、もう少し後にしようと思っていた。
「帰る前に、お参りもしておきたいんですが……」
父は関家の墓に行くつもりのようだ。
「エエ。墓地はこの先上がったところにございます。でも……そこまでしていただけるなんて……」
とうとうおかみの涙腺は決壊してしまったようだった。
「おばあちゃん、どうしたの?」
私たちを見送ろうとしていた若おかみが、おかみの異変をすぐさま感じ取る。
ハンカチで涙をぬぐいつつ、
「なんでもないよ」
とおかみは言う。
「本日はお泊りいただき、ありがとうございました」
滑舌も立ち居振る舞いも、完璧な若おかみの一礼。私たちも背筋が伸びるようだった。
「それでは、これで、失礼します」
私たちは、玄関を出て、案内された通り、町内の墓地へと向かう。
「ねえ、お父さん……」
「なんだい?」
「ここに来てよかった?」
あり来たりすぎる疑問だったが、父からの一言は決まっていた。
「ああ、よかったとも。次は、お前のお婿さんと一緒にここに来たいなぁ……」
「まぁ、お父さんったら、気の早いこと」
母はそう言って笑顔になる。
私も、どこの誰だかわからない未来のフィアンセを想起して顔がほころぶ。
花の湯温泉のお湯は、誰も拒まない。すべてを受け入れて癒してくれる。
そんな言い伝えが私たち一家にもきっちり伝わって来たのだった。
少し高台になっている墓地までは、あと少しのところまで迫っていた。
この御題は、正直「作家泣かせかよ」と思わざるを得ませんでした。
まず、紫音を含めた矢沢家がどうして「春の屋」のような高級旅館に泊まることになったのか、をどう説明しようか、というところから入らないといけないからです。前回の「キミコエ」とのコラボの時は、あやめの業界入りが既定路線ということで番組コーナーを作る、という形にして、年齢に不釣り合いな旅館に泊まらせることができたわけですが、今回は、理由付けの部分で悩みました。
で、考えたのが交通事故繋がり、でした。朱音が巻き込まれた事故にもし関家が関わっていたら…当初は、会社経営をしていたことになっていたのですが、それでは旅館を継ぐ気なしになってしまうと考えて、専務止まりにしました。
朱音にまともにしゃべらせたのも、この作品が初めて。とはいえ、当初の設定が、父と紫音なので、出番は控えめになってます。
結果的におっこが絡むのは、玄関先のシーンと帰るときだけ。もちろん、ウリ坊たちはご出座かないませんでした。まあ、それは無理もないことでしょう。
今回の夕食のお品書きは、某料亭の懐石料理をヒントにさせていただきました。旅館の料理は、懐石っぽく一品ずつ出てくる場合と、すべてそろえてから召し上がっていただく場合とあるのですが、矢沢一家は、刺身が舟盛りになっていたことからもわかるように、ある程度出揃ってからスタートしたものと思ってもらえると臨場感も感じられます。
手早く描いたのでもう少し練りたいところ。気が向いたら、加筆すると思います。
楽しく読ませていただきました。ほほう、こう来たかという切り口がなかなか良かったです。