2024-05-07 18:56:57 更新

概要

私の創作の中でも、少し気に入っているジャーナリスト・黒田に再登板いただきました。もちろん、彼には「晴れ女」に迫っていただく所存です。果たして、彼は「晴れ女」をどこまで丸裸にできるのか?


前書き

「天気の子」の創作意欲があまり盛り上がらないのは、二人が作品外のアフターで結ばれるような映像が流れてしまったから、ということもあります。それが既定路線となった時に、彼らの子供まで登場させるほど私は膨らませることはかないません。
「それならば、別の角度で切り込むか」となった時に、須賀と同じ職業の人に「君の名は。」の世界を解析してもらったじゃないか、ということがビビビッと頭に浮かんだんです。
それが私の「君縄」小説2作目に出てきたジャーナリストの黒田でした。「彼を再登板させよう」
須賀との親和性も高いから、その流れも構築できるし、何より自由に動けるキャラクター。前回は会社にいろいろ助けてもらってましたが、今回は全部自腹で取材してますw

2019.11.23  連休中に構想が思い浮かび、着手。
2019.11.25  6000字まで。花火大会の担当・羽鳥に取材。
2019.11.29  10000字越え。陽菜の家に黒田と須賀が向かう直前。
2019.12.5   12000字越え。陽菜とインタビューの真っ最中。
2019.12.12  17000字越え。陽菜と黒田の擬似親子体験
2019.12.18  20000字越え。陽菜のカミングアウト中。
2019.12.19  23000字越え。取材終了。
2019.12.20  クロージング終わり。21:30頃 第一版上梓。24730字。
2023.12.5  装丁の標準化と、誤字脱字修正、表現の見直し等。第2版上梓。25278字
2024.5.6 重大なミス(山手の田端での乗降/神田での喫食等が不可)発見。いったん公開停止。
2024.5.7 水没する前のストーリーだったと再確認。少し文言追加。 25,770字


「チっ、それにしても、いつになったら雨って止むんだよぅ」

雑誌「サプライズ」を出している出版社から、成功報酬を受け取って、気分も晴れ晴れしいはずのジャーナリストの黒田は、雨降りの天に向かって、そういって毒づく。

さかのぼること、5年前の2016年の年末。

「サプライズ」に寄稿した、「糸守町の真実」が、3年前の奇跡的な大脱出劇を克明に描いたとして、社内表彰された。

それ以来、「サプライズ」と、黒田の関係はかなり濃密なものになっていく。次から次にヒットを飛ばす黒田。2019年には、「タピオカに踊るもの群がるもの」で連載記事を担当するまでに至った。

そんな活躍もあって、2021年には、ほかの雑誌社からも執筆依頼が舞い込むようになっていく。

黒田は、今では”やりたい仕事を選ぶ”ほどの立場になっていて、以前とは比べ物にならないほどの金銭的・時間的余裕を持っていた。


2021年11月半ば。

「サプライズ」の編集部の中で談笑していた黒田と編集部員たちを遮るように、一本の電話が部屋に鳴り響いた。

「ハイ、こちらサプライズ編集部……」

電話を受けたのは、最も新人の編集者。その彼の声に一同はくぎ付けになる。

一身に視線を浴びながら、その新人君は電話の相手と対峙する。

「あ、はい……え?クロダ、さん、ですか?」

「えぇ?」

思いもよらぬご指名に黒田は目を丸くする。編集部に同姓はいないので自分しか考えられない。

「あのぅ、黒田さん、スガさんってご存知ですぅ?」

必死に受話器を押さえて、新人は黒田に聞く。

「え?スガぁ?そんな苗字の知り合い、いっぱいいすぎてわからんよ、それで?」

黒田は新人に問う。

「聞きたいことがあるそうなんですけど……」

「ああ、分かった、こっちに回して」

保留状態になった電話を黒田は受ける。

「はい、お電話代わりました、黒田ですけど」

「ああ、黒田さん、お久しぶりです、須賀です、須賀圭介です」

電話口には、須賀がしゃべっていたのだ。

「おお、久しぶりだねぇ。どうしたの?」

黒田は真実を追い、須賀はゴシップやオカルトを追う。方向性は違うが、時折お互いの観点から、意見を交換し合うことも多かった。フリーのジャーナリスト独自のネットワークの中に二人は組み込まれていて、こうやって連絡を取り合うことも珍しいことではなかったのだ。

黒田の問いに須賀は食い付く。

「あのぅ、早速なんですけど、今、抱えている案件って、あります?」

黒田はピンとくる。”ははぁん、ヘルプを頼みに来たな”

「いや、それほどせっついているのはないなぁ。で、どんな話?」

黒田はうまくはぐらかしながら、須賀の出方を待つ。

「あ、いや、ここはぜひとも、黒田さんのお力添えを戴きたくって……」

電話口で須賀がお辞儀をしている様が目に浮かぶようだった。

「まあ、何にしても、話を聞いてからだね。いまから出てこれる?」

黒田は提案する。

「ええ、行きますよ。どこにします?」

気持ちだけが焦っているかのように須賀は言う。

「あ、出版社の前の喫茶店にしようか?須賀さんもたまにはあのコーヒー、飲みたいだろ?」

行きつけの店が浮かんだ黒田は即座に場所を設定する。

「ええ、ぜひとも。あと……20分後、にしましょうか?」

同意した須賀は次に時間を設定した。

「ああ、分かったよ。それじゃあ、待ってるわ」

受話器を下して、黒田は少しウキウキする。須賀が持ってくる”ネタ”は、たいてい黒田の好奇心をくすぐるからである。

「で、どんな話でした?」

編集長の村上が黒田に尋ねる。懇意にしていた先代の編集長・大貫は別の部署に異動していた。

「ああ、聴いてみてのお楽しみだよ。こっちで書けるネタじゃないような気もするけど、ね」

そう言って黒田は、ジャケットを羽織り、また健筆が振るえるのか、と若干紅潮した面持ちで編集部の扉を開ける。


店先で待ち合わせて、黒田と須賀は、今でも変わらないたたずまいの喫茶店に入る。

カランカラン……

ウェルカムベルが、今日も機嫌よく二人の来店を告げる。

奥の窓際のテーブルに座る黒田と須賀。あいも変わらず、マスターは、無作法に水の入ったコップを置いていく。

「それで、話って言うのは……」

黒田は、水を一飲みして、須賀に聞く。

「実は、取材してほしい人がいまして……」

須賀は、少し申し訳なさそうに言う。

「え?君がやればいいじゃん?」

確かに持っている仕事も片付きそうで、手持無沙汰を解消できるから、黒田にとっては渡りに船だが、須賀がそれほど忙しいのか?真意をつかみかねていた。

「いや、その疑問、ごもっともです」

両ひざに手を置いて、須賀は謝るように黒田に言う。

「でも、俺が取材してしまうと、公平性がないんじゃないかって、そう思えてきたんです。夏美も別の案件で抜けられないし……」

ばつが悪そうに須賀はうなだれながら頭を掻いている。

「それってどういうことなんだい?もっと詳しく聞かせてよ」

須賀が取材できない理由は黒田も知りたかった。

「実は、彼女について、調べてほしいんです」

須賀は一枚の写真を取り出した。

「あれ?この娘、どっかで見たことあるぞ……」

黒田は記憶を手繰り始めるが、容易に答えが出ない。

「以前ネットで話題になった”晴れ女”がこの娘なんですよ」

須賀は種明かしをする。

「へえ、そうなんだ。君のジャンルにしてはもってこいじゃないか!」

須賀が「ムー」をはじめとするオカルト・ゴシップ系の雑誌記事に定評があるのは黒田も知っていた。

「いや、それがですね……」

須賀はまたしても頭をかくようなしぐさをする。

「彼女に関わりすぎてしまって、平常心で記事が書けないんっすよ」

須賀は少し悔しそうな口調で吐き捨てる。

そのタイミングで見事にコーヒーが運ばれてくる。まるで計ったようだ。

「関わりすぎたって言うのは?まさか肉体関係でも……」

コーヒーで口を濡らした後、黒田はそう聞く。

「そ、そんなこと、するわけないじゃないですか!まだ15ですよ」

危うくコーヒーを吹き出しそうになりながら、寸でのところで須賀は堪えた。

「だとしたら?その関わりすぎたって言葉の真意はどこにあるんだい?」

黒田も少しいらだってくる。

「いや、なんていったらいいのかな……第三者の立場で記事って書くもんじゃないですか?もちろん脚色とかも加えますけど、なんだか、もう身内同然になっちまったんですよね」

そこから、須賀のここ最近の行動が明かされる。


2021年8月22日。

家出少年・帆高を説得するべく、須賀は誰に指図されたわけでもなく、今にも壊れそうな廃ビルに先回りしていた。

代々木付近はそれほど水没しているわけではなかったが、それでも、通行止めや地下道が冠水して、身動き取れない場所も多くあったはずだ。

何とか帆高に先んじられた須賀は、彼の到着を待った。

息せき切って廃ビルを上がってくる帆高を見つけ、須賀は説得する。

だが、帆高はいうことを聞かない。”あの雲の中に陽菜さんがいる””助けないと”。帆高はとにかく屋上にある祠を目指していた。

それでも須賀は、説得をあきらめない。だが、帆高の反抗。それに切れた須賀は帆高を足蹴にする。

次の瞬間、帆高は、そこに捨ててあった銃を手にして、須賀に言う。

”あの人のところに、行かせてくれよっ”

銃声が響き渡る。それを合図にしたのか、帆高を追ってきた警察に帆高もろとも囲まれる須賀。

そして、帆高の叫びが、須賀に今まで忘れていた何かを思い出させたのだ。

     ”俺は、もう一度あの人に、あいたいんだ!”

帆高が捕縛されるのを黙ってみていた須賀にある感情が勃興する。

「今お前が行かなくてどうする」「陽菜を救えるのはお前だけだ」「俺にできてお前にできないはずがない」……

さっきまで自分を偽り、世間に歩調を合わせるような振る舞いをしたことに須賀は気付かされ、大いに恥じた。

そこにあるのは真っすぐな思いであり、それを邪魔する官憲の圧力だった。

「触んなっ」

気が付けば、須賀は、何もかも失う覚悟で帆高にのしかかっていた警官たちを吹っ飛ばしていた。義理の祖母に育てられている娘のこととかも一瞬で吹き飛んだ。

そして帆高は、非常階段を使って屋上にたどり着き、そして、空から人柱になったはずの陽菜を連れて帰ってきたのだ……


「俺が、あの日見たことはこんなところです」

須賀は時折コーヒーをたしなみながら、30分くらい、語り続けていた。

「その後、二人は……」

黒田は、最終的な結末を知りたかった。

「まず、陽菜ちゃんは、すでに両親は他界していて、みなしご状態だったんだけど、オレが後見人になることで、小学生の弟と一緒に暮らせるようにしています。帆高の方は、さすがに罪一等を減じるわけにはいかないから、補導されて、結局保護観察処分になったって言われてますねえ」

須賀はそういう。

「ああ、それで、取材なんか、できないって、こうなったのか?」

黒田は、ようやく理解した。取材し、記事にするのが須賀にできないのはこれが理由だったのだ。

「黒田さん」

須賀は少し改まったように言う。

「別に受けてくれなくても構いません。でも、彼女の存在を俺は無視することはできないって思うんです」

須賀はコップの水を飲み、続ける。

「彼女を正しく書けるのは、黒田さんしかいないと思うんです。俺の思いに答えてくれませんか?」

須賀の鋭い眼光が、黒田の背筋を少し伸びさせる。 

須賀と一緒に仕事をしたことは数えるほどしかない。それでも、須賀の真っすぐな取材姿勢には感服するところがあった。

道を違えているとはいってもお互いジャーナリスト。彼が書きたくても書けないこの忸怩たる思いに、黒田は答えるしかなかった。

「わかったよ。で、どういう構成にするんだい?」

黒田の提案に、須賀は見せたことのない満面の笑みをたたえていた。


「黒田さん、ありがとうございました」

ウェルカムベルを鳴らしながら喫茶店を出た二人。須賀が店を出るなり、黒田にそう言う。

「いやいや。気にしなさんな。オレの超大作……糸守編に比べたら、女性一人なんて、大したことないって」

黒田は、あまりに時間のかかりすぎた、「糸守彗星落下直前の奇跡」の取材よりは楽勝と踏んでいた。

「まあ、あとで陽菜ちゃんの方には、話、通しておきますんで、連絡待ちってことで……」

まだ降り続いている雨を忌々しげに見ながら、須賀が言う。

「あれ?本人と直接取れないの?」

黒田が、ごく自然に問う。

「いやね。俺が後見人になっているって言ったって、そこまで大々的に面倒見れませんし、そもそも、携帯自体を持っていなくって……」

須賀はまた、頭をかきながらそう答える。なんでもいいから連絡手段は持っとけ、といわれても、買わないのだそうだ。

「まあ、そういうことなら仕方ないですわ。じゃあ、都合はそちらに合わせますので……」

黒田はそう、須賀に念を押す。

「わかりました。では、連絡は後日、ということで……」

須賀はそういって、折り畳み傘を広げて駅の方に向かう。

黒田もビニール傘を広げて、預けてある荷物を取りに「サプライズ」の編集部の部屋に戻っていった。


帰りの電車の中で、黒田は、彼女が本当に”晴れ女”だったのか、と思い始めていた。

確かに、局地的に晴れが作られていた、ということは、テレビ番組でも紹介されていたし、別のライターが書いた、「ムー」の寄稿記事でこの怪奇現象に対する考察もなされていた。

でも、と黒田は考えを巡らせる。

"晴れ女が彼女なら、晴れの時間が長く続かないとおかしい。晴れさせた、というより、雨を止めさせた、雨をコントロールできる存在なんじゃないかな?"

黒田は早速取材を始めた。まずは図書館に行き、晴れ女の記事を掲載した雑誌を片っ端から読み漁る。

一番しっかりした考察になっていたのはやはり「ムー」だった。視点がオカルトから、現実的に可能かどうかの考察までびっしりと8ページにわたって記載されている。ほかの週刊誌が「奇跡?そこだけ晴れる珍現象」とか、「晴れ女は実在する?」と言った現象面だけを取り立てることしかしていないのとは大違いである。

黒田は基礎的な知識を数日で手に入れ、特に反響の大きかった、神宮外苑花火大会の担当者に取材を申し込んだ。

快諾を得た黒田は、次の日、待ち合わせ場所に向かう。

少し遅れて、担当者が、息を切らしながらやって来た。

「あー、黒田さん、お、遅れてすみません」

担当者は、羽鳥と書かれた名刺を黒田に渡した。

「少し遅れるって、お電話いただけたら、そこまで慌てて来なくても良かったのに」

いまだに息が上がっている羽鳥に黒田は言う。

「ま、まえの会議が、な、長引いてしまって……」

謝罪も、息が切れてしまっていてむしろ申し訳なく思った黒田は、

「あー、分かりましたから、一息入れましょう」

といって、黒田は辺りを見回す。良さげな喫茶店を認めて、羽鳥共々入場する。

「あー、やっと落ち着きましたぁ」

出されたコップの水を一気に飲み干して、羽鳥は言う。

「で、何の話でしたっけ?」

思わず水を吹き出しそうになる黒田だったが、態勢を整える。

「あ、いゃ、その、晴れ女のことについて……」

落ち着きを取り戻して黒田は聞く。

「あぁ、そうでしたね……」

頭に手をやって羽鳥は言う。

「あれだけ雨続きで、正直言って、開催できるなんて、考えもしてませんでしたからね。でも、局地的でも晴れにできる晴れ女がすごいらしいって、ネットで見て、その格安な料金にびっくりして申し込んだんですよ」

「いくらだったんですか?」

黒田は興味本位で聞く。

「ホームページ上は確か3400円、だったかな? でもさすがに個人との契約ではなかったので、実行委員会名義でそれなりにお渡ししましたよ」

羽鳥は、出てきたアイスカフェオレをそこそこに飲み干して言う。

「だって、全ての準備がおじゃんにならなかったんですから、経費がたとえ5万増えても十分ペイできますからね」

余剰金的な別会計から晴れ女にその料金が支払われていたようだ。

まあ、本筋は、こんなことでない。黒田は話しをもとに戻す。

「実際の状況をお聞かせくださいます?」

その言葉を羽鳥は待っていたかのようだった。

「黒田さん?でしたよね……あの場所にあなたも居たら、絶対言葉を失いますよ。彼女がヒルズの最上階で祈り始めて、ものの5分としないうちに、晴れてくる空が、夕焼けに彩られてくるわけですよ。「晴れた」という事実より、「晴れ間って渇望しているときには感動してしまうんだな」と思ってしまって、泣きそうになってしまいましたもん」

立て板に水のごとく羽鳥は滑舌よく語る。言葉の端々に臨場感すら漂わせていた。

「それからどうなりました?」

「もちろん、花火大会は大盛況のうちに開催されました。不思議とその間、雨は一滴も降らなかったですね。でも、終了が21時過ぎだったんですが、それから一気に土砂降りになって「本当にその間だけ雨がやんでくれたんだな」っと安堵したのを覚えてます」

その時の感動を思い起こしているのか、羽鳥の眼が少しうるんでいた。

「晴れ女の彼女はどうなりました?」

黒田は、さらに問いかける。

「ああ、なんか、彼氏と一緒にヒルズの屋上で、終了直前までいましたよ。まあ、料金もさることながら、ここまでしてくれた彼らに対するご褒美ですよ。これくらいやっても罰は当たらんでしょ?」

ここまで聞いて黒田には少しだけ疑念が生まれていた。

彼らがどうやって晴れにしたのか、については、どの雑誌も追求しきれていない。それどころか、この大々的なイベントを成功させた立役者なのに、本人に直撃した雑誌や週刊誌を見たことがないことに黒田は気付く。

「晴れ女を見たってことですけど、この子ですよね?」

黒田は、須賀から渡された、陽菜の写真を見せる。

「ええ。間違いないですよ」

羽鳥は答える。

「このイベントの後、取材が殺到したんじゃないですか?」

黒田は、晴れ女の事実上のお披露目になってしまった大イベントが彼女たちに影響したのだと思っていた。

「まあ、確かにね。「彼女は誰なんですか」とか、「本当に晴れにできるんですか」とか。ひどいのになると、スリーサイズを教えて、とか、どんだけ僕たちが彼女を知っているって思って聞いてくるんだよ、ていうものもありましたけどね」

羽鳥の苦笑に、黒田もつられる。

「でも、実際、サイトの上だけの付き合いで、正直本名も知らなかったんですよ。打ち合わせの時に自己紹介したときにようやく知れましたけど、本名とかを知られるのを恐れていたところはあったみたいですけどね」

"まあ、そうなるだろうな"

黒田は当たり前の感想を浮かべる。

人知れずその人だけに晴れ間をとどける。言ってみれば、個人の想いを天につなげるのが彼女の"仕事"であり、まさかテレビに大々的に紹介されるという展開は、彼女も望んでいなかっただろう。

「実際、彼女たち、花火大会以降、サイトの受付を閉鎖しちゃってましたからね」

身バレしたうえに、効果絶大となれば、依頼が殺到するのは自明の理だった。

「あのぅ、そろそろ、いいですかね?仕事が立て込んでまして……」

羽鳥は、バツが悪そうに、取材を終わらせたいと懇願する。

「あ、いえ。貴重な時間をありがとうございました」

黒田は離席を促すように、立ってあいさつする。「それじゃ」とそそくさとその場を離れる羽鳥。テーブルの上には、伝票が所在無げにたたずんでいた。


黒田は、晴れ女にお願いした何人かに直接取材をした。SNSで投稿をしていた数人を発見するや、その人の元に飛んで行った。

候補が少なくなっていく中で、黒田は、須賀が、晴れ女に依頼を出していたことを知ることになる。

12月の第一日曜日。

黒田は、須賀に取材の連絡を入れる。

「ああ、オレだけど、晴れ女の件で話聞きたいんだけど……」

黒田は単刀直入に言う。

「え?俺も取材対象なんだ……まあ、いいですけど、うちの事務所でかまいません?」

須賀の返答は、ややぶっきらぼうだった。

「おお、忙しいと見えるなぁ」

黒田はそう言って茶化す。

「そういうわけじゃ……締め切りがあって出れないだけですよぅ」

困ったような口調から、須賀が締め切りに追われているのは、嘘ではないらしい。

「まあわかったわかった。そっちに行くよ」

黒田はそういって、彼の事務所の住所をマップに入力して、アプリの指示に従って向かっていった。


「ああ、ここ、ここ」

半地下になっている事務所……もともとはスナックだった……を見つけて、黒田はノックする。

「ああ、空いてますよぅ」

奥から、須賀が声を張り上げて返事する。

「じゃあ、邪魔するよぅ」

扉もスナックが使っていたものだった。扉を手で開けて、黒田は中に入っていく。

居抜きで借りたそのままのたたずまいの中で、須賀は、必死にキーボードで原稿を打ち続けていた。

「あー、すいません、今いいところなんで、ちょっと待っててもらえませんか?何でしたら、飲んでもらっても構いませんよ」

須賀は、黒田と目も合わせず、口と手だけを動かしている。

「そう。じゃあ、ちょっとだけ戴いちゃおうかな?」

黒田は、昼中に飲む背徳感も手伝って、グレンリベットをロックで嗜む。

ウィスキーはこうでなくっちゃ。黒田は内心うなづきながらグラスを傾けていく。

程よく酔いも回ったところで、ようやく須賀が、バーカウンターに近寄ってきた。

「ふぅ。やっと終わりました」

手には、冷蔵庫から出したばかりのプレモルを持っている。

「最近、本当に忙しそうだね」

飲みかけのグラスを空けつつ、黒田は言う。

「ええ。以前は断られてばっかでしたけど、ここ最近はこっちが選ばないといけない状況でして」

ブシュッと缶ビールが開けられる。一口飲んで須賀はそう答える。

「あれ?須賀って、猫、飼ってたっけ?」

黒田は、ソファで丸くなっている子猫を見つけてそういう。

「ああ、こいつですか?アメって言うんですけど、なんか最近ふてぶてしくなっちゃって……」

黒田の来訪も気が付かないまま、アメは寝ている。

「ペットって、飼い主に似るって言うからな」

黒田は、イヤミ半分で須賀に言う。

「え?それって俺のことっすか?」

あえて確認する須賀。

「まあ、そうなのかもなぁ……」

黒田はそう言ってはぐらかす。

「で、黒田さん、今日は取材じゃなかったんですか?」

急に須賀は話しを戻した。

「ああ、そうだった、忘れるところだった」

黒田は、言われて、慌てて準備を始める。

「じゃあ、まず、須賀さんが晴れ女のことを知った経緯から話してもらえますか?」

黒田は、インタビュアーに早変わりする。バーカウンターの上にはボイスレコーダー。

「まあ、こんな職業柄だから、オカルトとか、超常現象みたいなことには食いつくタチなんですよね」

須賀は、缶ビールに口をつけながら、語り始める。

「俺が申し込んだのは、7月下旬。祖母に預けられている実の娘との面会日を晴れにしてもらいたかったんです」

須賀が、申し込んだ経緯を話してくれた。

「それでも、俺が取材、ではなく、利用者目線で使いたいと思ったのには、理由があって、これがどこまで有用かどうか、晴れ女だけが損するシステムになってないか、持続時間には変動があるのか、と言ったところだったんですね」

ライター目線で晴れ女を見ようとしていた部分があることには驚いた。黒田は、さすがだと思っていた。

「実際の現場に立ち会ってどうでした?」

黒田は尋ねる。

「いやあ、晴れ女さんが祈っている間にみるみる晴れていくわけですから。「ウワ―、本当に晴れたよ」って感じでしたね。感動しない方がどうかしてますよ」

黒田は、まさに、晴れを思い出している須賀の表情に注目していた。

もう、何日も……いや、何カ月も首都圏では晴れ間が現れていない。だから、「晴れた」ということは、もう人々の記憶から抹消されつつあるとさえ思えてきている。黒田も”最後に晴れを見たのって、いつだっけ?”と自問自答する。それくらい、ご無沙汰だったのだ。

「それから?」

「ああ、娘と晴れた芝公園で一杯遊びましたよ。まあ、仮に一緒に住めるようになっても、晴れないことには外で遊べないしなぁ」

須賀はそう言いながら、手にしているダブルの指輪を触っている。

黒田も、その指輪には見覚えがあった。須賀が結婚するとなった時に、二人でお揃いのエンゲージリングをはめていたのだった。それほど金もなく、身内同然の列席者しかいない披露宴だったが、二人の幸せそうな姿を黒田も思い返していた。妻・明日花の事故死からまだ一年あまり。よくここまで立ち直ったものだ、と思い返す。

「そのあとは?」

「いつまでも晴れになっていたわけじゃなくて、そうだなぁ……4時、過ぎかな?また雨が降り出したんです。晴れ女のチームのナギ君とうちの萌花が仲良くなっちまって、一緒に居たいって言うもんで、夏美と4人でご飯を食べに行きました」

「あれ?晴れ女さんはどこに?」

黒田は疑問をぶつける。

「ああ、彼女には、彼氏って言っていいのかな、帆高って言うのがくっついてて、二人して帰っていきました」

「ふーん、ホダカ、くんね……」

黒田にとっては、また新たなキーパーソンの登場だ。ほかの利用者に取材したときには、聞かれなかった男性の名前。その、ホダカ、か、彼にも会って話を聞かないと……

そういう想いが、顔にも出ていたのだろう。須賀が、

「あ、ちなみに帆高は神津島に居ますんでね」

と、黒田の心情を先回りしてこういった。

「え?それってどこ?」

聞きなれない島の名前に黒田は戸惑う。

「まあ、オレも奴の実家までは知らないんだけど。それでも一応東京都ですからね」

慌てて黒田は「神津島」で検索をかける。たしかに東京都の一部だった。とはいえ、調べていくと、離島と本土を結ぶ便は、海面上昇で竹芝桟橋が使えなくなるとアナウンスされており、おいそれと行ける状況になかった。

「それから?」

「あ、それからって、オレがパクられて、身元引受人で黒田さんが出張ってきたときの話っすか?」

須賀は少し照れながら黒田に尋ねる。

「あ、そのくだりは、別にいいや……」

黒田も少し顔を赤らめる。公務執行妨害やらなんやらで逮捕されていた須賀の身元引受人になったのが黒田だったからだ。その話はあまり蒸し返したくない。

「で、この子なんですけど……」

黒田は、須賀に、須賀が渡した陽菜の写真を見せる。何度も取材の度に出し入れするので、少しくたびれかかっていた。

「いつになったら取材させてもらえるのかなぁって……」

話を受けてからの一か月余り、須賀からの応答を待っていた黒田はそういう。

「ああ、そう言えば、俺が窓口になってたんでしたよね」

完全に忘れてましたっとは言わずに、須賀はそう答える。

「ええっと……ちょっと待ってくださいよ……」

須賀はシステム手帳をぱらぱらっとめくり始める。

「ああ、住所がありました。ええっと、北区……」

須賀が読み上げる前に、黒田は、システム手帳をひったくり、そこにかかれていた住所を書き止める。

「そんな、せっつかなくても。彼女は逃げも隠れもしませんよぉ」

黒田の行動をあっけにとられて見ている須賀だったが、そうさせてしまった自分にも責任がある、と思っていた。

「で、いつ、逢わせてくれる?ていうか、今からじゃ、ダメかな?」

黒田は、早く陽菜に逢いたかった。

「あ、オレ、飲んじゃいましたけど」

運転手役の須賀がそうこぼす。

「俺もだ」

二人して顔を見合わせて噴き出してしまった。

「まあ、電車で行けない距離でもないですし、酔い覚ましに、彼女の家に行きますか」

須賀は提案する。

「て、アポとか取らなくて大丈夫なのかい?」

黒田は少し不安になって聞く。確かに日曜日ではあるけれど、彼女がどこかに行っていないとも限らない。

「オレが後見人なんですから。親代わりみたいなもんなんですよ。オレのいうことは親が言うみたいなもん。大丈夫ですって」

須賀は、少し胸を張ってそう言うのだが、果たしてそう簡単に事が運ぶのか、不安で仕方のない黒田だった。


二人は山手線で田端まで出てくる。

黒田にとって田端は、京浜東北線と山手線の乗換駅みたいな存在でしかなく、これだけ飛び回っているライターなのに、下車したのは初めてだった。

メインの出入り口に向かおうとした黒田に、「こっちですって」と引っ張る須賀。二人はひなびた南口に向かっていく。

黒田は目を丸くした。曲がりなりにも、山手線の駅。それなのにこの閑散ぶりはどうだ。黒田はたまらずシャッターを切る。

「黒田さん、駅の取材でしたっけ?」

須賀は呆れてこういった。

「ここ、東京だぜ?23区内だよ?こんな風景が見られるなんて……」

上から見下ろしたり、俯瞰でのぞき込んだり。「はやぶさ」色の新幹線が通るタイミングでそれを被写体にしたり、と大はしゃぎな黒田。

20分近くを費やした撮影会を終え、歩くこと10数分。二人は、陽菜のいるアパートのドアをたたく。

「はーい」

奥から聞こえてきたのは、ちょっと甘美な響きのする少女の声だった。

ドアが開く。そこに居たのは、写真とは打って変わった、美少女といっていい風情の少女だった。

「あ、須賀さん。久しぶりですね」

陽菜は、須賀を認めて、こうあいさつする。

「ああ、久しぶり。今日は、お客さんを紹介しようと思って……」

「お客さん?」

陽菜は少し首をかしげる。

「ああ、君を別嬪さんに書いてもらおうと、思ってさ……」

少しいやらしめに、須賀は黒田を紹介する。

「く、黒田です、どうぞ、よろしく」

つい舞い上がってしまって、黒田はたどたどしく自己紹介する。

「書いてもらうって、絵を、ですか?」

名刺にフリージャーナリストとあるのを見つけて、黒田に聞く陽菜。

「あ、いや、書くと言ったって、僕は、文章しか無理だから……」

少しおどおどしながら黒田は答える。

「そうなんですね」

陽菜は、まだ少し理解しかねる表情を見せる。

「まあ立ち話も何だ。上がらせてもらっていいかな?」

須賀が言う。

「ええ。少し散らかってますけど……」

「お邪魔しまーす」

黒田はおっかなびっくり部屋の中に入っていく。


須賀と陽菜は、黒田について何か話しているようだった。ただ、陽菜の表情は、戸惑いから、やや明るめな方向に向いているように見えた。

「というわけで、黒田さん、下準備、しときましたよ」

たまぁに見せる須賀のドヤ顔。ちょっとだけ黒田はイラッとするが、目の前のお嬢さんにひきあわせてくれた手前、邪険にもできない。

「じゃあ、基本、なんでも答えてくれるんですね?」

黒田は期待を込めて須賀に聞く。

「ああ、大丈夫だよ。俺が太鼓判押します」

自信に満ちた須賀の表情が何よりの担保だった。

「お待たせしましたぁ」

陽菜は人数分の紅茶を淹れていた。手作りだろうか、形がまちまちのクッキーも添えられている。

「で、黒田さん、私のことをどこからお話したらいいんでしょうか?」

完全に話をしてくれる体制になっている陽菜を認めて、黒田は背筋を伸ばした。

「生まれや育ちのことは今は問いません。まずは、晴れ女になった経緯から、聞かせてもらえますか?」

こうして、黒田と陽菜との、長いインタビューが繰り広げられていく。

「私が晴れ女になったのは……」

彼女は、そうなった経緯を話し始める。

病院で見た、"光の水たまり"、そしてなぜか中空に浮かび上がり、空の神から歓迎を受けたように思っていたのに、気が付けば鳥居のそばにあおむけになっていた、という顛末を黒田に聞かせる。

「このとき、私は、空と繋がった存在になったって思えたんです」

ソレが晴れ女か雨女か?陽菜には、その時、答えが出せなかったように思うのだ。

「それから?」

黒田は続きを所望する。

「ほどなくして母は亡くなりました。今年の初めでした。それから、バイトをして、なんとか日々を過ごしていました……」

「バ、バイトって……確か、今、15歳だったよね?」

学校はどうしてたの、と聞こうと思ったのだが、

「ええ。でも、その時はまだ14でした……」

と、矢継ぎ早に陽菜は答える。黒田は驚きを隠せない。

「それだったら、補助って言うか、支援って受けられただろうに……」

俺だったら、絶対そうする。黒田が聞きたいのは、なんでそんな年齢で働きたいと思ったか、ということだった。

「それは……わかってました。でも、それをしてしまうと、弟と離れ離れになるような気がして……」

陽菜は、感情を少しあらわにした。弟と一緒に居たかった、というただそれだけの理由で、自分たちで何とかしようと試みたのだった。

「弟さんって、お名前は?」

黒田は、取り調べみたいな雰囲気に違和感を感じながら、陽菜に聞く。

「え?ナギ、ですけど」

陽菜もその空気感をすんなりと感じ取ったようだ。いぶかりながら答える。

険悪になりつつある空気を変えたくて、黒田は淹れてもらった紅茶に口をつける。少しぬるくなっていたが、茶葉の香りがツーンと鼻を通り抜ける。

カップを置いて、黒田は続ける。

「その……ナギ君が、あなたの特殊能力に気が付いたのはいつ頃なのかな?」

黒田は重くなった空気を換えるべく、陽菜に尋ねる。

「ええっと……私が晴れ女だと気づいてくれたのは、多分、晴れ女ビジネスを始めた時だと思います」

陽菜は答える。陽菜自身は弟には内緒で、何回か晴れ女を演じることを無償で引き受けていたようだった。

「初めての晴れ女ビジネスって、確か、お台場のフリーマーケットでしたよね?」

黒田は、手帳を繰りながら話を進める。晴れ女ビジネスを利用した人のデータは、ほぼすべて黒田の手元にあった。

「ハイ。初めてだったので、勝手も、段取りも場当たり的でしたけど、最終的に晴れてくれたんでほっとしました」

100%の晴れ女、基、雨をコントロールできる雨女だからこそ、晴れ間が演出できたのだ。

「都内だけじゃなく、横浜とか、千葉にも行ってましたよね?」

黒田は、点在するマップで確認しながら陽菜に問う。

「ハイ。報酬と別に交通費は別途請求って、ホームページにも書いてましたので」

「失敗は一度もない?」

「一度もなかったです。時間帯も結構バラバラでしたけど、皆さん満足していただいてました」

「ずっと、続けられるって、思ってた?」

黒田は、そろそろ核心に近づいていく。

「本当は、私もそうしたかったんですけど……」

「けど?」

「花火大会の仕事を受けてから、予約が殺到してしまって……」

「それで何件かやってから、ページはしめてしまったんですね?」

「は、はい……」

そこが聞きたいんじゃない。黒田は、少し早口になっていた。

「それで?その後どうなりました?」

黒田は前かがみになって聞く。知りたいのは、"そこ"からだ。

「最後の晴れ女の仕事になったのが、須賀さんの依頼だったんです」

「え?そうなのか?」

横に居た須賀に黒田は聞く。

「まあ、そうなんだろうな。日曜の夕方まで晴れてた以外、晴れたなんて話、首都圏で聞いたことないからな」

「そう言えば……」

黒田は、不可解な今年の夏の週末をメモとして手帳に記載していた。

  「8/21 9時ごろから雪。暴風も止まず。この世の終わり?」

  「8/22 台風一過、ってレベルの晴れ渡る青空。昨日の気象庁の発表は何だったのか?」

  「夕方から、天気予報にもなかった土砂降り@新宿。気象庁の発表に批判殺到」

  「6時の記者会見。また長雨の予報。いつ晴れるのか、予測不能って、どういうこと?」

手帳のメモを読み返して、疑問がわいた黒田は、単刀直入に陽菜に問う。

「あれ?じゃあ、この、日曜日に晴れさせたのって……」

「私が人柱になったせいです」

陽菜は、少し憂いをたたえた瞳でそう言う。

「ひ、ヒトバシラ?」

漢字は即座に思いついた黒田だったが、思考回路がその文字を否定していた。そんな、前時代的なこと……シャーマニズム全開の古代じゃあるまいし……

黒田は、この科学技術全盛の時代に、発せられるその言葉を信じられなかった。

「そんなバカな!だいたい、人柱って、生き埋めにされるから、人の柱なんだよ」

黒田は、陽菜の言葉をほぼ全否定する。

「でも、わたし……見たんです、龍が空を舞ってて、空の上にあるサカナたちが乱舞する光景を……」

百聞は一見に如かず。天空に舞い上がった彼女が、「見た」という以上、それは真実なのだ、と黒田は思った。

「ま、まあ、人柱だったとしよう。じゃあ、なんで、君はここに居るんだい?」

死んでいるようには見えない陽菜。もちろんゾンビでも、生霊でもない。人柱が生き返る、ここにいるためには"何か"がないと無理だ。

「彼が……帆高が、連れ戻してくれたんです」

それを聞いて、黒田は、取材を止めようと思ってしまう。オカルトとか、そういうことを突き抜けている、絵空事のように思えたからだ。

"そんなことが起こるわけない"

物理現象的に見ても、明らかにおかしい。黒田はめったに見せない感情をあらわにした。

だが、隣で聞いている須賀の表情で、黒田は自分を取り戻す。須賀がぐずっていたからだ。

「ちょっ、ちょっと……」

黒田は、須賀が悲嘆に暮れているのが気になって言う。

「あ、ごめん、つい、思い出しちまって……」

鼻をすすりながら、須賀は謝罪する。

「あー、もう、なんだかわけがわからなくなっちまったぜぇ」

黒田は、とうとうキャパオーバーになってしまう。自分が思っていた結論の遥か斜め上のことを陽菜に聞かされたからでもある。

「陽菜さん」

黒田はひとしきり感情を整理して陽菜に言う。

「今日のところはこのくらいにしときます。僕もいろいろまとめてから、またお聞きしたいです」

黒田は、一時撤退することを告げる。

「そうですか……」

陽菜にしてみれば、消化不良だったのだろう、落胆の表情を隠しきれない。

「あ、まあ、陽菜ちゃんの家もわかったことだし、これからは、俺抜きで取材してくれてもいいんだぜ」

須賀はそう言う。二人きりの方が、いろいろ聞き出せるかも、という思いもあっただろう。

「これからはそのつもり。今度は二人きりで話もしてみたいしな」

「あ、は、ハイ」

陽菜は、そう言ってうなづく。かくして、黒田と陽菜の初対面は、うまく感情を御せなかった黒田の敗北で終わってしまう。


帰る道すがら、黒田は問わず語りでつぶやいた。

「本当に、彼女って人柱になった経験があるんだろうか……」

須賀もそのつぶやきにはうまく答えられない。見たわけではないからだ。

「ただ言えることは、今もある、代々木の廃ビルの屋上に、いなくなったはずの彼女が帆高と一緒に横たわっていたこと」

そう言って須賀は、煙草に火をつける。ひと吸いして、続ける。

「帆高が天空から連れ戻したとしないとつじつまが合わないよなあ」

紫煙が、田端駅に向かう坂道に漂う。

「そ、そんなことって……」

黒田は、まだその結論が信じられないでいる。人柱なら、絶命していないとおかしいし、仮に生きていたとしても、どうやって上空数千メートルから、帰還できるというのだろう?

「俺、オカルトとか、超常現象はある派ですから、そんなことってありえるって感じるんですよね」

須賀はそう言って煙草をふかす。

「だって、あの日曜日。一瞬でも晴れたのは、彼女が人柱になっていたから実現したんだと思うんすよね。その後の土砂降りも、彼女が人柱になりえなかったから、天が怒って雨を降らせたんだと感じてます」

歩きつつ、須賀は言う。それでも人柱という事象に黒田はまだ承服しかねている。

「黒田さん」

須賀は、歩みを止める。

「俺が書きたいのは、彼女の心のうちです。どうやって書くかはお任せします。でも、これだけは覚えておいてください」

携帯灰皿に吸い殻をしまって須賀は続ける。

「彼女の心の闇を取り除いてやってほしいんです。それがなんであるか、俺も知りたいし、彼女もそれからの解放を望んでいるはずです」

「心の闇……」

黒田はつぶやく。確かに、15歳の中学生には見えない、大人びた風貌にドキッとしたのは間違いない。だからこそ、彼女には何かあると直感したのだった。

「今日のところは俺の完敗だよ。次はあんな醜態を見せないようにしないとな」

黒田は、少し気持ちを切り替える。陽菜を、一糸まとわぬ姿にまで解剖したいと思えたからだ。希望に満ちた黒田とは裏腹に、外の天気はいまだに陰欝な色と降りやまない雨に満ち溢れていた。


一週間後の日曜日。黒田の携帯が鳴った。「公衆電話」という表示にいぶかりながら、黒田は電話を受ける。

「もし、もし。黒田ですけど」

警戒感マックスで黒田は相手を確かめようとする。

「あ、黒田さん、私です、陽菜です」

はじけるような声。ついこの間聞いたばかりのフレッシュな声に黒田は又背筋が伸びる。

「ああ、久しぶりだね。今日は、どうしたの?」

はやる気持ちを押さえながら、黒田は言う。

「黒田さん、今日ってお暇ですか?」

なぜか黒田の御機嫌を伺ってくる陽菜。

「え?ああ、まあ……」

はぐらかす、というより、相手の真意がつかめないで、中途半端な返事をする黒田。

「これから、一緒にデートしませんか?」

「え?で、デート?!」

思いもよらない陽菜の提案。ただびっくりする黒田。

「行けるんですよね?だったら、私、うちで待ってます。11時には来てくださいね。待ってまーす」

ガチャ、といわずに通話は切れた。小銭が無くなったんだろう。

「11時か……まあ、気分転換にはちょうどいいか……」

でも、なんでデートなんだろう?黒田はまだ陽菜の真意をつかみかねていた。

11時少し前に陽菜の家の前に到着する黒田。めったに着ない、レザーのジャケット、くたびれたジーンズ。彼にとっては、ワンランク上の普段着と言った面持ちだ。

「陽菜さん、着いたよ」

ノック方々、黒田は言う。

「ああ、黒田さん、早かったですね」

扉を開けると、そこに居たのは、明らかに中学生の風貌の陽菜だった。私服は、幼さが満ち溢れ、今まで見せた大人っぽさは消えていた。

「いやあ、やっぱり陽菜さんは、陽菜"ちゃん"だね」

少しにやけて黒田は言う。そう。これでこそ、中学生の陽菜だ。

「ああ、やっぱり幼く見えます?頑張ってコーディネートしたんだけどなあ。まあ、その方が好都合か」

一人で納得している陽菜を見て黒田は訝る。

「好都合って?」

と黒田が言った途端、陽菜が黒田の手をぐッと握ってくるではないか!!

「黒田さん、今日一日でいいから、私のお父さんになってほしいの」

「え、オレが君の父親?ちょっ、ちょっとまってくれよ」

黒田にとってはまさに想定外。うろたえてしまいそうになったが、陽菜の眼を見て我に帰る。

そこには、今まで見せたことのない、子どもに帰った陽菜がいた。弟を想い、気丈に頑張ってきた陽菜にとって、黒田が父親のような存在に見えたのだろう。

「ダメ、ですか?」

その目から、温かい液体がこぼれ落ちそうになる。彼女もギリギリの精神状態だったのだろう。

黒田は、改めて、陽菜の手を握る。

「いや、ダメ、とかではないよ。僕も君のことをもっと知りたい。親子の関係は無理でも、それくらいの気持ちでお付き合いしたいな」

といった黒田の発言を聞き逃さず陽菜は言う。

「え?じゃあ、私のパパになってくれるの?」

陽菜が完全に子供に帰ったような口調で黒田に迫る。

「いや、だから、そのつもりでお付き合いしたいってことだよ」

としどろもどろになりながら訂正を試みる黒田。

「え? パパって呼んじゃダメですか?」

それを聞き流し、1日限りの関係をやりたいと懇願する陽菜の真摯なまなざしに、黒田もうろたえる。

「いや、だから、世間体もあるし、須賀に知れたら具合が悪いし……」

大人はすぐに周りのことを気にしてしまう。黒田とて、依頼人の身内に手出ししたとあっては、彼との間にも傷が入る。

「黒田さん、携帯、貸してもらえる?」

「え、あ、ちょっと……」

かける先はわかっていた。須賀だ。須賀に黒田と陽菜との間柄を説明するらしい。

「……うん、そう。だから、大丈夫だって。黒田さんを信じてあげて」

陽菜は必死に説得している。

「え?黒田さん?そばに居るよ」

電話を替わると、須賀がややあきれた風に言ってくる。

「いやあ、女ったらしとは聞いてましたけど、早いっすねぇ」

「いや、だから違うんだって……」

黒田は反論する。

「いやいや。分かってますよ。でも、陽菜にとって、大人の男って言うのは、久しぶりだと思うんですよね」

「君はどうなんだよ」

成人しているという点では黒田も須賀も同じ立場だ。

「いやあ、陽菜にしてみれば、俺はどうやら兄貴分みたいなんですよ」

親代わりには須賀はなれないことも知っていた。自分の子供を受け入れられるかどうかの瀬戸際で、思い切った行動に出れないところも影響していた。

「ここは一つ、あいつのいうこと、聞いてやってもらえませんか?」

まるで、兄が、妹のわがままを詫びているようにしか黒田には聞こえなかった。

「まあ、思うところはあるけど、俺も、親になったことないから、練習がてら、ちょうどいいや」

半ばやけくそでそう言って電話を切る。

「やったね、お父さん」

今度は腕にしがみついてきた陽菜。

「……まったく、しょうがねーなー」

と言いつつ、照れながら陽菜の頭をなでる黒田がそこに居た。


アパートを出て、二人で歩く陽菜と黒田。二人の関係を知らない他人が見たら、親子にしか見えない。

二人で差している傘の距離感も、大人と子供ではなく、父とその子と言ってもいい、絶妙な距離感だった。

黒田も、違和感のない雰囲気にまんざらでもない表情を浮かべる。

"俺も上手くいってたら、このくらいの子供が居ただろうしな……"

仕事一途でどちらかというと恋愛は仕事にとってマイナスだと思っていた黒田。付き合ったのも片手で足りるほど。当然婚約にまで至った関係は一度もなかった。

その自分が、なぜか赤の他人の、中学生の女子と歩いている……その奇遇に少し気持ちが明るくなる。

「ねえ、パパ。お腹空いた」

田端駅の南口まで歩いてきて、陽菜がそう言い出す。もう彼女の中では黒田は完全に父親だった。

「そうだなぁ。いいお店知ってるから、そこ、行ってみる?陽菜」

芝居とわかっていても、最後に名前で呼んであげるのが礼儀だと思っていた黒田。真剣に父親と見ている陽菜の眼はその一言で急に和らぐ。

「わぁ、うれしいっ」

休日でもあるので、周辺に人がいないわけではない。人目をはばからずに喜びを爆発させる陽菜に、黒田も目を細める。

二人は山手線に乗り、神田駅で降りたつ。この数年後、あたり一面水没するとは思いもよらなかった。

「美味しいウナギ屋さんがあるんだ。それこそ、文豪や著名政治家サンあたりしか食べに来ないようなお店だけど」

「へえ、パパって、物知りなんだね」

「まあな、こういう職業してたら、いろいろ情報も入ってくるんだよ」

道すがら、そんな会話をしているうちに、いいたれの風味が嗅覚を刺激する。

ウナギ屋の店頭には少し行列ができていたが、開店まなしということで、次々に吸い込まれる。

二人も、数分待っただけですんなり店内に入れた。

「特上二つで」

黒田は奮発した。前回の陽菜との取材で醜態を見せてしまった罪滅ぼしの意味合いもあった。

「いいの?パパ?」

ここまで来て急に他人行儀になる陽菜。

「いいってことよ。また、このあいだの続きも聞きたいしね」

そう言って出されたお茶をすすって飲む黒田。いまだに彼は、目の前の女性が"人柱を経験した天気の子"であることが信じられないでいる。

それでも、と黒田は思い直す。

彼女の心の闇は、一体何なのか?天気の巫女としての使命を全うできなかったことか?彼……帆高と別れてしまったことか、それとも……

ウナギが出てくるまでの間、黒田は、陽菜に話しかけず、自分の殻に閉じこもっていた。陽菜も、その真剣なまなざしを認めて、邪魔するまいと声をかけなかった。

「お待たせしました」

きちんとした身なりの店員が二人、恭しくも特上のうな重を二人の目の前に配膳する。

「どうぞ、ごゆっくり」

そう言ってふすまが閉められる。

「さあて、食べようか」

「うんっ!」

陽菜にしてみれば、数年ぶりのウナギだった。黒田も、高級店で食べるウナギは取材や経費で食べる機会が多かったのだが、陽菜が背中を押してくれたからこそ、自腹で、この美味が食せるのだ。

ほろっと崩れるウナギの身は、とろけるようなウナギ独特の甘みを口の中いっぱいに広げさせ、追いかけるように、たれの塩分と、醤油分が混然一体となり、さらにご飯のモチモチっとした食感がそこに絡まって、得も言われぬ多幸感に包まれる。

「……こりゃ旨い」

「ほんと!」

一口食べて二人は虜になってしまう。

黙々と食べる二人。箸の休まるときはなく、あっという間に特上のうな重を平らげてしまう。

「いやあ、美味しかった」

「こんなおいしいウナギ、私、初めて」

二人して大満足の表情を見せる。

「ねえ、お父さん、次はどこいこっか?」

店で会計を済ませた黒田に向かって陽菜はそう言う。

「んー。お腹はふくれたしなぁ。陽菜、なんか欲しいものはない?」

親子ごっこは次のステージに入った。

「えー?私は……」

ちょっと首を上に向けて、少し思案する陽菜。

「あ!そうだっ!ねえお父さん、スポーツ用品店って、このあたりにある?」

ひらめいた陽菜は急に明るくなった。

「ああ。まあ、なくはないけど……何がほしいの?」

買ってあげる気ではあったが、さすがに高額なものは無理だ。

「あの、凪の……弟のサッカーのための小物が……」

つつましやかに陽菜は言う。

「そういうことか。分かったよ」

黒田は携帯でスポーツ用品店を探しつつ、サッカーに強そうな店を選ぶ。

「ああ、あった。ここにしようか」

都合がいいことに、神田駅からそうはなれていない。ウナギ店から10分くらいぶらぶらして、その店にたどり着く。

サッカーには興味のない黒田だったが、店先には、著名選手のレプリカユニフォームや、ボール、スパイクなどが所狭しとかざられている。

「ちょっと待っててもらえる?」

言うなり、陽菜は店内に突入して、店員を捕まえ、なにやら問いかけている。

黒田は、店先に飾ってある商品を、物色するふりをしながら見つめている。

数分後。

「あのぅ、お父さん……」

陽菜が一枚のユニフォームを持っている。

「ああ、これが欲しいのか?」

完全にお父さんの雰囲気を黒田は醸し出す。

「凪が好きな選手のユニフォームなの」

陽菜がそう言って広げてみせる。

「ふーん」

MIZUNOなんて名前がプリントされているが、誰のことだか、黒田には見当もつかない。チームカラーには見覚えはあるが、チーム名はわからない。

「で、いくらなんだい?」

まあ、それなりの金額を想定していた黒田だったが、

「定価7000円なんだけど、半額なんだって」

陽菜がそういう。

在庫処分で価格が安いのだろうか、もともと価格設定が安いのか……理由は定かではないが、半額の言葉に黒田の心も揺らぐ。

「これでいいんなら、買ってあげるよ」

太っ腹な黒田。

「ほんとぉ!」

陽菜の喜びようは半端ない。

「ああ、分かったから。レジまで案内してよ」

会計をしている間中、陽菜は黒田の顔をまじまじと見つめたままだった。子供がやるしぐさそのもの。黒田は、やっぱり子供なんだなあ、と思いながら店を出る。

「ありがとうございましたぁ」

数人の店員の声の揃ったあいさつに送られる二人。

「いい買い物ができたわ。ありがとう、お父さん」

親子ごっこもそろそろお開きの時間だ。

「あ、ああ。まあ、弟さんには買えたけど、陽菜はいらないのかい?」

黒田は、そのごっこ遊びが完結していないことに気をかける。

「ええ。私は別に……」

黒田に遠慮している、というより、物欲が湧いていないといった感じだった。

「ははーん、なにが欲しいのか、分からないんだな?」

黒田はそう言ってバカにしてみる。

「い、いや、違うよ、いきなり、黒田さん……お父さんを困らせたくもない、から……」

戸惑う陽菜だったが、実際欲しいものが見つかっていないのだった。

「まあ、分かったよ。俺もそれほど自由になるお金があるわけじゃないし、次のデートの時までに考えといてくれればいいよ」

黒田は何の気なしにそういった。

「え?次?」

陽菜が足を止める。

「いや、まあ、君といると僕もまんざらではないんだよな……」

黒田は頭を掻きながらそう言う。顔は少し紅潮している。

「そうでしたか……」

陽菜も少し顔を赤らめる。

「まあ、今日のところは、一旦うちに帰ろうか」

黒田はそう言う。

「ハイ。前の続きもお話ししたいですしね」

陽菜に言われて、"あ、忘れてた"と、我に帰った黒田だった。


陽菜の家に着いたのは4時過ぎだった。

「黒田さん、お食事、どうしますか?」

もう親子ごっこは終わっていた。陽菜は黒田にそういう。

「ああ、気にしなくていいよ。外で済ませるし」

黒田はそう言って出された紅茶を飲んでいる。

「わかりました」

そう言って台所から陽菜はちゃぶ台の前に座ってくる。

「で、続きって、どこからお話すればよかったでしたっけ?」

陽菜は、今日の一日で、少しだけ距離の縮まった黒田に親しげに問いかける。

「あ、ああ、ええっと……帆高君?が救ってくれたってあたりかな」

今度はまともに対峙しようとする黒田。準備が整ったところで陽菜に話をさせる。

「私、本当に人柱になったって思ったんです」

陽菜は少し抑制した口調で話し出す。

「だって、明らかに雲の上に居るし、泣き疲れて眠ってしまっていたみたいなんです」

陽菜は続ける。

「何かがつついているような感覚もあったんですけど、あれって、サカナたちが私を食べようとしていたんじゃないかなって思うんです」

「さ、サカナ?」

また変な用語が出てきた。黒田はつい話の腰を折ってしまう。

「空の上には、無数のサカナ……雨を降らせたりする妖精みたいな存在がいるんです。私が人柱になったことで、彼らの養分……餌になっていったんじゃないかと思うんです、帆高が助けてくれなかったら……」

一気に陽菜のトーンが落ちた。そのシーンを思い出しているからだろう。

「そ、それから?」

黒田には、また別の感情が勃興していた。超常体験をした中学生が臨場感たっぷりに話している。ワクワクが止まらないのだ。

「誰かが私を呼んでいるんです。それに気が付いた途端、私の体は元に戻ったんです」

陽菜の一言に黒田は反応する。

「元に戻ったって……何か変化があったの?」

「体が透明になっていくんです。病気ではなく、晴れ女をやり続けてしまった報いなんです」

その時のことを思い出したのか、とうとう陽菜の涙腺は壊れ始めていく。

「で、それから?」

黒田は畳みかける。

「呼んでいたのが帆高だったんです。彼が"跳べっ"って言ってくれたので、私、雲の上から飛び降りたんです」

陽菜は大真面目に答える。黒田は、そんな、パラシュートもなくて着地できるわけがない、と思いつつも、更に尋ねる。

「でも、帆高君が来てくれた、呼んでたって言うけど、彼も天空に舞い上がったってことなの?」

「え、ええ。そうなんですけど……」

このことを、今まで疑問に思っていなかった陽菜だが、黒田がいぶかったのでようやくそのおかしなことに気が付く。

"帆高も、空に上がれたって、なんでなんだろ?"

"晴れにした代償が人柱なら、帆高ってやつはなにをしでかしたんだ?"

二人が二人とも、困惑した表情を浮かべたまま、沈黙してしまう。

それでも黒田は聞く。

「二人で落下していったんだろうけど、その時、どう思った?」

聞いて、黒田は失笑する。そんな非常時に、何かの感情が勃興するなんて、どうかしている……

「私、帆高と一緒に居られるって、そう思えました」

陽菜は、きっと前を向き、笑顔のままで泣いている。その姿を見て、黒田は胸を打たれる。

陽菜にある心の闇。それは、帆高がそばにいないことだと理解した。帆高が私を救ってくれた。人柱にならなくて済んだ。天気の子としての役割より、人間として生きていくことを、帆高は無理やりであれど彼女に選択させたのだ。

「だって彼は、私に、生きる意味を教えてくれた人ですから……」

ぐずりながら、それでも力強く陽菜は言う。

黒田は、陽菜の魂の声を聞きながら、わなわなと震えている。ここまでの覚悟を若干15歳の少女がしてしまうほどの熱い恋愛があの夏の日、空の上で展開されていたのだ。

「で、それから、どうなりました?」

畏敬の念からか、若干聞き方が丁寧になる黒田。

「私たち、二人とも、なぜか代々木の廃ビルの上の祠の前で倒れていたんです。着地したときとか、その前後のことは全く覚えてません」

陽菜はそう言う。答えられない戸惑った様子からこれも嘘ではないようだ。

「で、その後は?」

「気が付いたら、病院のベッドの上で……。凪も補導されたし、須賀さんも逮捕されちゃったみたいです」

後悔の念も沸き上がったのか、また陰鬱な表情を陽菜は見せる。

「なるほど。でも、須賀のことは俺が引き受けた」

黒田は、陽菜にカミングアウトする。

「え?黒田さんだったんですね、須賀さんを出してくれたのは」

陽菜は少し驚いた。身元引受人に目の前の人がなっていたとは。浅からぬ縁というものを陽菜も感じていた。

「まあ、起訴猶予ってやつ。たしかに警官を殴ったのはやっちゃった感もあるだろうが、検察に送るまでもないから、と刑事さんたちが言ってくれたんで、助かったんだよ」

本来なら、刑事事件になっていてもおかしくない須賀の大暴れ。だが、帆高のことを思っての行動ということで、罪一等が減じられていたのだった。もちろん、帆高の犯罪事実は見逃すわけにはいかず、保護観察処分になっているのは陽菜も知っていた。

「陽菜ちゃんのお話は、これでおしまい、でいいのかな?」

急に父親のようなキャラチェンジをして黒田は聞く。

「え、あ、は、ハイ」

陽菜は語り足りない、というよりは、話をすることで、今まで忘れかけていた感情が再び起こり始めたことを知る。

「まあ、君が帆高に逢いに行くのは辞めといた方がいい」

黒田は先回りして陽菜の想いをくじく。

「え、なんでなんですか?」

陽菜は黒田の発言に猛烈に食い下がる。

「彼は曲がりなりにも保護観察期間中だ。まあ、手紙のやり取りくらいはしても咎められないだろうけど、関係者が逢いに行くと心証を悪くする可能性があるんだ」

黒田は、自分の知見を交えつつそう語る。

「……」

陽菜は黙ってしまった。

「電話とかはともかく、逢いに行くのは避けた方がいい。これは彼のためでもあるんだ」

黒田は言う。一緒に逃避行をした男女が再び会うのはリスクしかない。しかも、神津島に行ける船便は、桟橋が水没を始めたことから、無期限就航停止になることが言われていた。フェリーがなくなってしまうことで、島民は数少ない飛行機や高速船に頼らざるを得ず、移動に不便が発生し始めていた時期でもあった。

「どうせ彼はまた東京にやってくるよ。その時まで待てばいいじゃないか」

黒田は陽菜にそういう。

「でも、わたし……」

陽菜は少し泣きそうな表情を浮かべる。

「心配しなくていい。きみと彼は大丈夫だよ」

黒田はそう言って陽菜の頭をなでる。その瞬間、陽菜は黒田の胸に飛び込み、大声をあげて泣き始めた。

「やっぱり、中学生、だよな」

泣いている陽菜の肩をそっと抱きつつ、彼女が泣き止むまで黒田は彼女に寄り添い続けた。


「すみません、取り乱しちゃって……」

陽菜は、黒田の去り際、そう言って謝る。

「いや、いいんだ。それでこそ陽菜ちゃんじゃないか」

「え、そ、そうですか……」

少し照れた表情を見せる陽菜だが、その目はまだ赤い。

「姉ちゃん、ただいま。あれ?この人は?」

階段を軽快に駆け上がってきたのは凪だった。サッカーの練習の帰りだろうか、ユニフォームはそこそこくたびれていた。

「あ、凪、お帰り。え、この人?須賀さんのお友達で、黒田さん」

陽菜が紹介する。

「黒田です。ちょうどいま帰ろうとしたところだったんです」

黒田は凪にあいさつする。

「ああ、そうですか」

凪は少しそっけなくそのあいさつに返す。

「あの、黒田さん、凪の話は聞かなくてもいいですか?」

陽菜が突然言い出す。

「うーん、彼の話は、別に要らないかな」

黒田はその提案を一蹴する。

「えー、ねーちゃんだけ?ずるいぃ―」

と凪はごねるが、黒田は、

「では、失礼します」といって天野家を出ていった。


黒田は「晴れ女の真実 天に選ばれし存在」のタイトルで、須賀が懇意にしていた、「月刊ストレンジ」に投稿することができた。

小説のように読ませる内容ながら、黒田は、途中で陽菜のインタビューや、晴れ女に依頼した人たちのインタビューも合わせて構成した。

「さすが黒田さん、これで僕も肩の荷が下りましたよ!」

須賀の事務所近くの喫茶店に、須賀は黒田を呼び出して、こういった。手には、「月刊ストレンジ」を持っている。

「そう、かい?」

まんざらでもない様子で黒田は少しにやける。

「こんなルポが書けるのは、黒田さんだけですよ。時系列も完璧ですし、なんといってもこれ読んだだけで心が晴れますもん」

須賀はまだ賛辞を惜しまない。

「でもなあ……」

黒田は少しだけ悔しそうに言う。

「何か、問題、ありました?」

須賀は聞く。

「確かにこれで「天気の子」の供養は終わったと思う。でも、陽菜ちゃんの心の闇が晴れるかどうか……」

コーヒーに口をつけながら、黒田は思いを巡らせる。

「ああ、彼女なら、大丈夫ですよ」

須賀が、またニヤッとしたドヤ顔を見せる。

「そう、なら、いいんだけど……」

はぁ、と黒田はため息をついてしまう。書くには書いたが、これで陽菜のすべてが解き明かされたわけではない。

黒田は、須賀に謝意を述べつつ、一人、駅の方へと向かっていく。

陽菜の心の闇が何かわかっているのに、「行くな」といってしまったことに、黒田は少なからず嫌悪感と罪悪感を持っていた。

陽菜の性格なら、一日でも帆高と一緒に居たいはずだ。それなのに、俺と来たら……

黒田の足は、自然と、田端駅の南口に向かっていた。

本は出た。彼女の協力と、感情の吐露なくしてはここまでのものにできるはずがなかった。

それに対する感謝と、あの時の自分の発言に決着をつけなくては。大人としてのけじめをつけよう……

黒田はそう決めて、緩やかな坂を上がる。

雨は今日も降り続いている。だから、どうしても前かがみになってしまっていたのだが……

坂の頂上で、黒田は見知った人影が祈っているかのようなポーズをとっているのに気が付く。

「あ!」

黒田は口をポカンと開ける。

そこに居たのは、"あした天気になりますように"と祈っているかのような、陽菜だった。

黒田は、彼女の姿を見た途端、滂沱の涙を流し始める。

彼女は、その力を失っても、天気になりますように、と祈っているのだ。決して陽菜の思い通りにならない天気。自分が地上に戻ってきてしまったことで狂った天気を矯正できなかった贖罪の意味もあるのかもしれない。ただ、その一心不乱さに黒田は心打たれたのだ。

「陽菜さんっ!」

涙声で黒田は陽菜に呼びかける。彼女が一人の女性に感じられたからこその「さん」呼びだ。

それに気が付いた陽菜は、にこやかに黒田の方を向き、そして黒田に向かってこういった。

「黒田さん!どうしちゃったんですか、泣いちゃったりして」

陽菜の声はこの空のように陰欝で、どんよりしたものではなかった。ピンと張った、明るい声だった。

「いやあ、俺、陽菜さんに言うの、忘れてたことがあるんだ……」

黒田は、陽菜の隣まで歩みを進めて、その肩に手を置く。

「ほら、次のデート、いつしようか、決めてなかっただろ?」

少し呆けたような表情を見せたその刹那、陽菜はくすくすと笑い出す。

「ほんとね。黒田さん!」

気が付けば、雨は雪に変わっていた。

「今度という今度は、君へのプレゼント、買ってあげるからね」

「え?いいんですか?」

「ああ、本もこうして出来上がったことだし、陽菜ちゃんさまさまだよ」

「私、うれしい、じゃあ、また、あのウナギ、食べに行きたい」

「え?物の方がいいんじゃない?例えばバッグとか……」

「私、黒田さん……パパとウナギが食べたいのっ!」

「まったくしょうがないなあ……」

時折笑いもこぼれる二人の会話は、留まることがなかった。


後書き

ジャーナリストの黒田をほだひなにぶつける意欲作。まあこれだけに時間をさけるわけではないので、相応に日数だけはかかってしまってますが、実際の工数は、10時間くらいです。
陽菜と黒田の関係を濃密にさせることは当初の計画にはありませんでした。何度か取材してそれで終わり、にしてしまうはずでした。
でも「陽菜が、黒田との出会いでほかの人たちが書いていない、見せなかった部分を見せたら」というインスピレーションが出てきた瞬間、一気に筆が進みました。ドギマギする黒田、甘える陽菜。いい具合に盛り上がったし、それが、陽菜の内面をも浮き彫りにできたと思っています。陽菜の男親に対する考え方とかをもう少し掘り下げることもできるんでしょうけど、そこまではしませんでした。
当初は「黒田の書いたルポ」を含めて公開する予定にしてましたが、結構長くなったので「記事に起こした」で簡潔に終わらせています。本当は、神津島に渡らせて、白石にも会わせたかったんですが……文字数も多くなるし、散漫になるとの思いがあって辞めました。まあ、神津島編は別の機会があれば、考えたいと思います。


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