2020-06-09 02:06:03 更新

章タイトル

*この作品は"提督「化け物の暴走」七"の続編です。











[北方鎮守府陥落から一週間後]

〈本土 海軍営簡易キャンプ〉


「んん……っ」


北方長官(北方鎮守府提督)が目を開けると、真っ白な天井が見えた。見知らぬ天井に少し驚きつつも、それがプレハブの簡易的なものであることを理解した。視線を少し横に移すと、淡い光を放つ電灯が見える。


動こうとした時、股間に違和感を覚えた。何かを装着されているのだろう。さらに腕にはそれよりも大きな違和感を感じた。点滴だけではない、なにやらごちゃごちゃとした管が腕に差し込まれている。呼吸器マスクは付けていないが、なんとなく息苦しい目覚めだ。



近くにナース服を身につけた女性が通りかかったようだ。首だけ少し起こして呼び止める。


「すみませんが、そこのナースさん」

「えっ?え、あっ」

「少し聞きたいことが…」

「せ、先生っ!長官がお目覚めになりました!」

「………」


ナースは慌てて先生とやらを呼びに行ったようだ。暫くして眼鏡をかけた白髪まじりの初老の医者がやってきた。


「私の声が聞こえますか?目は見えますか?」

「はい、聞こえます。目も問題なく……鼻もです」

「これは、何本に見えますか?」

「……二本です」

「よろしい。ここは海軍の方で設営された簡易的な医療キャンプです。北方鎮守府で負傷した艦娘や軍人さんを一時的に療養させています」

「………私は、どれくらい…眠っていたのですか?」

「一週間ほどです。ここに搬送されたのは夜中でした」

「……そうですか」

「いいですか、貴方は肋骨と左脚が骨折、そして身体中打撲していています。鎮痛剤も投与していますが無理に動かないでくださいね。基本的にここで横になっていてください」

「ええ、わかりました」

「何か、身体について気になることはありますか?」

「……特には」

「そうですか。食事などに関してはまた後で説明致します。とにかく今は心を落ち着けて、安静にしていてくださいね。何かあったら手元のボタンを押してください」



長く眠り過ぎたせいか、頭が働かない。今聞いた話も半分ほども理解できていない気がする。点滴のおかげで空腹感はないし、鎮痛剤のおかげで身体も痛みはあまりない。しかし包帯をあちこちに巻かれてベッドに寝かせられているのは不自由極まりなく、自身が重症であることを気づかされる。


一週間も眠っていたというのは当然はじめての経験だ。頭にも圧迫感があるから、頭に何か怪我をしているのかもしれない。自分の名前とかは分かるから記憶喪失ではないはず……。



「………ん?俺はここに来る前、どうして怪我をしたんだっけか………」

「失礼します」

「あ、どうぞ」


凛とした声がカーテンの向こうから響いた。ナースかと思いそれに応じると、不安そうな表情を浮かべたRomaが入ってきた。


「Roma」

「お目覚めになったのですね、提督」

「ああ。……どうにもずいぶん長く寝ていたらしい」

「ええ、本当に」

「………苦労をかけたな」

「………ッ」ダキッ

「え」


表情が少し緩んだかと思うと、今度は目にいっぱいの涙を浮かべて抱きついてきた。半ばRomaが押し倒しているような形だ。


「ちょ、Roma、俺一応けが人……」

「……た」

「え?」

「このまま……目覚めないのかと……思ってしまいました」

「……」

「遅いんですよ……!もっと早く起きてくれないと………わたし……!」

「……すまなかったな」

「うっ……ひぐっ……」


子供のように泣きじゃくるRomaは初めてだ。提督は面食らってしまったが、彼を抱きしめる力と同じくらいに、そっと彼女の頭を引き寄せた。





泣き止んだRomaからあの日のことを聞いた。半分程度話したあたりで、提督も記憶がフラッシュバックして全てを思い出した。


「そうだ……あの日俺たちは……」

「思い出しましたか?」

「ああ。そうだ、他の艦娘たちは!?」

「………皆無事です。無人島に行った私の艦隊のメンバーも、大本営の救助を受け一命を取り留めました」

「そう…か…」

「少しは感謝してくれよ、北方長官」



やや掠れた渋い声が突然飛び込んできた。提督とRomaが視線を向けると、一人の老人がそこに立っていた。白い軍服に勲章をこれでもかと付け、腰に美しい鞘の刀を差した、皺と傷だらけの、しかし豪快な笑顔を浮かべた老人、この人は、


「「げ、元帥閣下!?」」

「がはは、生きてるようじゃな」

「こ、こんな姿で……大変申し訳なく痛っ!?」

「提督、無理に動いてはだめです!」

「寝たまんまで構わん。話をしにきただけだ」

「す、すみません……ではお言葉に甘えて…」

「……」

「Roma、席をはず」

「構わん、彼女もここにいてもらえ。その方が後々都合が良いからな」

「ありがとうございます、閣下」

「それで閣下、話とは?」

「ふむ………」



近くにあったパイプ椅子に腰掛けると、刀をそばに立てかけて話し始めた。


「お前たちが去った後の北方鎮守府じゃが、火事と砲撃によって損壊が酷くもはや修復してどうにかできるレベルではない。残骸を撤去した後、建て直しということになった」

「そう、ですか」

「しばらく、君達は大本営で預かることになった。まあちょっとした休暇だと思え。北方長官は実際、休まなくてはならんがな」

「それにつきましては、誠にご迷惑おかけします」

「いいってことよ。それから、艦娘に関してだが、今急ピッチで入渠させているところだ。バケツも限りがあったから少し時間はかかっているが、明日までには終わりそうだ」

「ありがとうございます!いてて…」

「提督、あまり大声を出さないでください。肋骨が折れているのですから」

「す、すまん」

「まあしかし、問題がないというわけではない」

「え?」

「閣下、それはどういう…」

「………」





[数時間前]

〈簡易キャンプ 艦娘室〉


「閣下、こちらです」

「これは……」

「傷は完璧に修復されていますが、こちらにピクリとも反応しないのです。食事も手をつけない。まるで人形のように動かないまま」

「………何かぶつぶつと話しているようだが?」

「………近くに行けば、聞こえますよ」

「ん……?」

「……なさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」

「………」

「謝り続けているのです。怯えたようにずっと」

「何故だ」

「仔細は分かりませんが、おそらく戦闘の際に強烈なトラウマを植え付けられたのかと」

「名は」

「初霜という艦娘です。この子はあの日鎮守府にはおらず、少し離れた無人島沖で大破しているのを発見され、保護されました。その日黒軍服を撃破するために出撃した艦隊にいた一人です」

「他の艦娘はどうだ」

「初霜と同じ艦隊にいた、加古、aquira、littorioに関しては、初霜ほどではありませんが少し精神に異常をきたしており、常に誰かそばにいないとならんようです。今は姉妹艦をそばに置いていますが、戦闘復帰は時間がかかるかと。それから、鎮守府にいた艦娘に関しても、黒軍服との戦闘はショックが大きく、やや不安定な状態にあるようです」

「たった一匹の深海棲艦にこっぴどくやられた挙句、鎮守府まで破壊されたとあれば正気を保っていられんさ。……ここの艦娘は儂が引き受ける。簡易キャンプを撤去する際、艦娘にそう伝えろ」

「はっ」







[戻って現在]


「そう………ですか………」

「お前も辛いと思うが、生憎心までは治せん」

「いえ、お気遣い大変ありがとうございます」

「………」

「さて、お前からも聞かねばならん」

「え?」

「あの日、お前を鎮守府から助け出したのは他でもない、そこのRomaだ。崩壊した鎮守府の瓦礫の中で、傷だらけのお前を発見した」

「そうだったのか、Roma」

「はい」

「しかしそこには黒軍服もいたという。つまりお前はあの時奴と戦っているはずだ」

「………!はい、確かに私は奴と…」



途端、あの日の最後の記憶が蘇る。








[一週間前]

〈北方海域統括鎮守府 執務室〉


「ぐはっ!?」


目にも留まらぬ速さで蹴り出された黒軍服の脚は、肋骨を数本巻き込んで提督を後方へと吹っ飛ばした。瓦礫の上を数回転し、咳き込みながら這いつくばる彼を、黒軍服はどこか悲しそうに見ていた。


「悲しいな…人とは弱いものだ」

「ぐぶっ……ゴホッゴホッ!」

「ちょっとしたことですぐに傷つく。殴られ蹴られ撃たれ刺され斬られ、度合いがどうであれ最後にはどうしようもなく死ぬ」

「お、おまえ……」

「弱い。この戦いにおいてあまりにも人間は弱すぎる。それでは何も守れず、全てを失う」

「ふ、ふざけるなッ!」


ふらふらでありながら、血反吐を床にぶちまけて立ち上がると、瓦礫の中にあった鉄骨を拾い上げ構える。


「そんなもので私を殺せると?」

「はぁ、はぁ、はぁ」

「………強き者が生き弱き者は死ぬ。現実はあまりにも明白なものだ。祈る時間くらいは与えてやろうかとも思ったが……」

「うおおおおおおおおっっっ!!」

「もうだめだ」



ガシッ


「うぐぅっ!」

「その首へし折ってやろう……!」


片手で首根っこを掴まれ、そのままみせしめのように持ち上げられる。提督はジタバタと暴れるが、プレス機のような力強い握力に呼吸はすぐに苦しくなり、視界がだんだんと暗くなり始める。耳も聞こえなくなってきた。


「(死ぬのか……私はここで……)」


ちらと、敵の顔を見る。どんな恐ろしい顔があるのかと思ったが、そこには笑みも怒りもない、全くの無表情だった。これから人を殺すというのに、この男はなんの感情もない。丸めたティッシュがゴミ箱に入らなかった時よりも浅い表情。


恐ろしさも憎しみも提督の心から消え、ただ不思議でたまらなかった。こいつはたった一人でなんのために戦っているのだ。深海棲艦として人を滅ぼすというのがこいつの目的とは思えない。こいつはきっとなんの達成感も抱かないし、満足もしない。むしろ心のどこか奥底で、己を悔いているようにしか思えない。


「きっ………さま………」

「………」




突然、視界が落下した。敵の顔は上は消え、突然目の前に床が広がる。死ぬ時はこんなものなのかと思ったが、ただ黒軍服が自分の首から手を離しただけだと分かるとすぐさま提督はその方向を見た。


「ぐっ……!」

「な、なに」

「ぐがっっっっっっっっっっっっ!!??」


ボダボダボダボダボダッ!


黒軍服の唇の隙間から、真っ赤な液体が飛び出たかと思うと、一升瓶ほどはあるのだろうか、大量の血が吹き出した。


「な、なにっ!?」

「あがががっっ!!」


膝から崩れ落ち、のたうちまわりながら苦しむその様子はもはや奇怪としか思えない。血溜まりが瓦礫にに染みていき、やがて激しい息切れが断続的に聞こえるようになった。


「(わ、訳がわからん!なにが起きているんだ!?)」

「ぐぅっ……あ、ああ、あ、」

「!?」

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」



刹那、ほんの一瞬だけ見えた異形の兵装。四方に向けられた殺意の砲身は眩い光を撒いて火を吹き、それとともに鎮守府は完全に崩壊した。







[戻って現在]


「そうか……」

「取り止めのない話で申し訳ありません。しかし確かに奴は」

「疑うつもりはない。あまりにも突拍子もないことばかりで判断に困っているだけだ」

「深海棲艦が血を吐くなんて聴いたことがありません。外傷がないなら内側に損傷があったのでしょうか」

「手負いの深海棲艦がわざわざ乗り組んでくるわけがない。むしろ俺には、なにかの病気に見えた」

「病気か…」

「ええ。唐突に、奴自身も驚いているようでした。砲撃ができたあたり、継続的なものではなく、むしろ突発的に起こることなのでしょう」

「深海棲艦の病……私たち艦娘には病気に罹るという概念はありませんが、奴らにはあり得るのでしょうか」

「聞いたこともない。そんなものがあればとっくに気付いているはずだ。大体、そいつは本当に深海棲艦なのか?」

「え?」

「男、軍服、流暢な言葉、そして病。まるで我々人間のようではないか」

「確かに……」

「ですが閣下、私たちは確かに奴が海面を歩き、砲身を構えたところを目撃しています。髪も肌も、深海棲艦のそれでした」

「となると、深海棲艦でも人間でもない別の何か、か」



正体のつかめないあの日の敵に、三人は各々考えを巡らせたが、結局なのもわからないままであった。だが三人に共通しているのは、黒軍服はもはや化け物としか思えない存在だと考えていたことだ。











[同時刻]

〈○△鎮守府 食堂〉


「おはよう!諸君!」


艦娘全員を集めた会議を、黒崎は唐突に開いた。未だ険悪なムードが続く艦娘たちが一挙に押し寄せた食堂はただでさえ窮屈なのにさらに狭苦しく感じられた。一人快活な挨拶をする黒崎を、全員が恨めしそうに見ていた。


長門は明らかに鬱陶しさを語気に滲ませて黒崎に言った。


「なんの会合ですか、これは」

「君達艦娘に、今日は重要な知らせがあーる!」

「……」


やたらテンションが高い黒崎に艦娘全員がうんざりしていた。以前の彼女らなら耐えきれなかっただろう。


流石の鹿島もいつになく低い声で聞いた。


「知らせとは大本営からですか?」

「うむ。これは超極秘事項だ。君達全員に把握してもらいたい」

「……それでその知らせとは?」


にこやかに応答していた黒崎の顔が一瞬固まった。そして別人のように真顔になったかと思うと、今度は冷え切った声で言い出した。



「北方鎮守府が壊滅した」

「「「「「…………」」」」」


突然の報告に、全員がピタリと止まった。テレビの停止ボタンを押されたのように、おそらく、思考すらも。


「………今なんと?」

「北方鎮守府が壊滅した」

「………」

「仰っている意味がよくわからないのですが…」

「言葉通りだよ。一週間ほど前のことだ。北方鎮守府は深海棲艦の攻撃を受け壊滅した。戦略的にも建物的にも」



途端に食堂の艦娘たちが一斉に騒ぎ始めた。


「嘘でしょ…!?壊滅って…」

「北方鎮守府なら、そこそこ力のある鎮守府だったはず……」

「敵の大艦隊とか!?」

「新兵器を投入された可能性も…」

「あそこの戦線はどうするのよ」

「ほかの鎮守府がサポートするしか…」



あれやこれやと憶測や考察が飛び交う。鎮守府壊滅とはそれくらい重大な事態なのだ。


そもそも、我が日本国は十数の鎮守府が存在しており、中には他国との共同のものもある。大陸系の国が艦娘導入前に深海棲艦との戦争で壊滅的な敗北をした後、島国として重要な位置にある日本が重要な拠点であると定められ、艦娘システムも世界で最も早く導入された。無論、他国にも鎮守府はあるが、この国ほどではない。何より艦娘の数、一つの鎮守府あたりの総戦力が違う。


特に北方海域は要の鎮守府の一つだった。海軍幹部の長官クラスが就任を許される特別な鎮守府で、人材も豊富だ。そこが今回壊滅した。



「一週間前と言ったな。どれくらいの時間で壊滅したんだ?」

「半日もかからずかな」

「大艦隊だったのか?敵の戦力は?」

「………………一人だよ」

「!?たった一人の深海棲艦に?」

「そう。たった一人に何もかも破壊されて、今は大本営が北方海域の防衛にあたってる。艦娘も施設も、まともに使える状態じゃないからね」



食堂のざわつきは一層大きくなった。鎮守府一つを壊滅させるだけの力を持った深海棲艦は、当然前例のないことだ。それこそ史実として有名な戦闘においても強敵はいたが、今回の敵はそれを遥かに上回るだろう。


他人事のように語る黒崎提督に次に質問をしたのは、意外にも冷静に話を聞いていた吹雪だった。


「それで」

「ん?」

「その敵は今どこに?」

「分からない」

「北方海域に現れたなら、そこを根城にしているのではないですか?奴の居場所さえ分かれば手は打てます」

「んー、ほぼ確実な居場所はわかってるんだけど、なんせそこを攻めに行った艦隊も返り討ちにあってるんだよね」

「ならより大規模な艦隊を編成すれば…」

「それより先に向こうが戦線を再突破してくるかもしれないね。守りを疎かにして逆に攻められたらいよいよこの国はやばいことなるよー」

「………」

「で、今回みんなに伝えたいことはね、みんなも一層気を引き締めて任務にあたってほしいってこと。相手も無敵ってわけじゃないだろうから、日々精進することで勝ち目が見えてくるかもしれないし」



戦う意味すらあやふやになり始めた彼女らにとって、それはあまり響かない言葉だった。守るべきものを違えた

彼女らに、もはや強敵に立ち向かえる志はない。いや、とうに無かったのかもしれない。


「敵についての情報を伝えるから、もし見つけたらとにかく逃げてね。勝てないと思ったらプライドなんか捨てて逃げて」


その一言は意外なものだった。初めてのことではないだろうか。黒崎が艦娘を案じてそんな命令をだすなんて。基本放任主義、そしてこの間明らかな敵意を見せたこの男が、艦娘に逃げろと命じるのは。



「提督、今のは」

「人型の深海棲艦。今回初めて観測された男性タイプの敵艦船だ。黒い軍服を身につけていて艤装は基本的に装備していない。流暢に言葉を話し、単独で行動している。最終目撃地点は北方海域、鎮守府沖だ。付近の無人島が住処であると考えられているから間違っても近づかないように。以上ー解散!」











[同時刻]

〈北方海域無人島〉


私がこの島に帰ってきたのは一週間前の夜だった。闇夜の中、中枢たちに気づかれないように上陸した。


あの日私の内から確かに顕現した修羅が、いつ彼女らを殺してしまうか分からないし、私はその修羅を制御できないと理解していたからだ。



『なんだ…殺したくないのか?』

「………」


暗い部屋の中、どこからともなく声が聞こえた。それが私は自身の声だと気づくと、またふつふつと苛立ちが湧き上がってくる。もう肉体の制御も掌握されつつある。


『お前は深海棲艦を殺すために戦っていたはずだ。そのために白い軍服に袖を通し、艦娘と共に戦うことを誓ったのだろう?』

「私は人々を守りたかっただけだ」

『同じことだ。守ると殺すは表裏一体、戦の世界では離れぬことよ』

「……お前は艦娘を殺そうとした」

『お前がギリギリで理性で私を制御したからな』

「お前こそ、艦娘を殺したかったのか?」

『勿論だ』

「………」

『憎くて仕方がない。殺したくてたまらない。私と、私の仲間を殺したあいつらを、そして人類を、滅ぼしたい』

「そんなことは、させん」

『ふふ、艦娘への憎しみはお前も持っているはずだ』

「なに?」

『自分にされた仕打ちを思い出してみろ。お前の善意は踏みにじられ、最後まで分かり合えぬまま、不遇にも死んだお前のことを』

「私はあの子たちを恨んでなどいない」

『真にそうなら、私は生まれなかっただろうな』

「………」

『そろそろあいつらが来る…』

「!」

『権限をお前に一度返そう。どうするかはお前次第だ、生かすも殺すも、な』


忌々しい修羅はそう言うと消えた。代わりにカツカツという足音が聞こえてきた。



「中枢か」

《ミヤモト…》

「どのくらい、戻ってきた」

《もう大体は。ヲ級たちも手伝ってくれたから》

「………そうか」

《私はそんなことより、アナタが心配。何か、すごく苦しんでいるように見えるわ》

「………問題ない」

《どこに行っていたの?私とても不安で》

「問題ないと、言っている」

《………》



語気を強めて言ってしまう。誰かに語らえるほど頭が冷静で無い証拠だった。中枢は少しだけ目を見開いて、それから何かを堪えるように下唇を噛むと、そのまま部屋を出て行ってしまった。


ほんの少しの会話であった。もっと話すべきことはあるはずなのに、決して分かり合えぬのだと断言できる直感が働いたのだ。いや、それは正確では無い。これはただ私が拒んだだけなのだ。このまま彼女らと馴れ合って、またあの時のように艦娘をいたぶることに愉悦を覚えてしまうのがとても嫌なのだ。私の異常は少なからず深海化の影響なのだから、とにかくそこから距離を置けばと

考えた。もう手遅れかもしれないのに。



《ヲ………》

「ん………」

《ヲヲ、ヲ!》

「…………ヲ級か」


次に入ってきたのはヲ級だった、未だ言葉を話せぬため意思疎通は困難だが、今ならなんとなく、彼女の言わんとすることがわかる気がした。


小さい歩幅で歩み寄ってくる。手を伸ばそうとして、あと少しで触れるか触れないかという距離になって、その手を引っ込めた。


「賢い子だ」

《ヲ…》

「心配しなくていい。私のことも、この島のことも」

《ヲ、ヲヲ、ヲ》

「…………分かった、みんなところに会いに行くか」

《!ヲヲ!》





途端顔を明るくしたヲ級は、立ち上がった私の手を取り嬉しそうに引っ張って歩いた。嬉々としたその表情は、私の抱えている問題を何一つ知らぬ純朴な顔だった。


《お》

「ん」

《ヲ》

《ミヤモト!》

「生き返った気分はどうだ、重巡」

《なんか長ーい夢から覚めたみたいだ。というか、身体中うまく動かない感じ〉

「だろうな」

《へへ、聞いたよ。あたしたちのこと、手伝ってくれてたんだろ?》

「………」

《ありがとな、本当に。感謝してる。正直ここまでされると頭下げたくらいじゃ物足りないくらい》

「……気にするな。してもらったことを返しただけだ」

《そ、そっかあ…》





《あ……》

「ん」

《………》

「………」

《その、雰囲気変わった?》

「数年ぶりに同級生に会った時みたいな反応するな」

《………その、どうお礼を言ったらいいか……》

「………別にどうでもいい。ただ恩を還しただけだ」

《私だけじゃなく、みんなを助けてくれた。何かお礼をしたい》

「気持ちだけで満足だ」






《おっ》

「ん」

《ミヤモトなのっ!》

「無理に動くなよ」

《おおっとと……!びっくりしたの……!》

「身体が慣れぬうちは安静にしていろ。じきに元通り動けるようになる」

《ありがとなのっ……!》





順に一言二言言葉をかける。安堵した気持ちは確かにあったが、戦闘どころか動くこともままならない姿を見ると、自分がいかに平和ボケをしていたかを思い知らされる。


提督としての私の仕事は事務的作業が基本だ。実際に戦い、傷つき、休み、また戦いに向かうのは艦娘。そして深海棲艦もまた、実際に戦争に参加する兵士なのだ。人間は安全な場所から眺めているばかりの、とても卑怯な立場にあるのだ。戦うことの辛さ、命懸けということはここ最近で嫌というほど味わい、そして見てきた。だから今までぬくぬくと軍人という肩書に身を隠して生きてきた己がどうにも矮小に思えた。



奥で片付けをしている軽巡棲姫が見える。ゴソゴソと作業をする最中にそっと声をかけた。


「軽巡」

「うわあっ!?びび、びっくりした!!」

「あ、すまん。驚かせてしまったか」

「完全に油断してたわ……てか、今までどこ行ってたのよ。中枢もヲ級も、そればっかり気にしてて」

「すまんすまん。野暮用だ」

「ヤボヨウって……」

「お前は大変だったらしいな」

「そりゃ、こんだけの数の施術は初めてだからね。もうくたびれちゃってあーやだやだ」

「みんなが助かったのは、お前のおかげだ」

「………はぁ?貴方が資源取ってきてくれなきゃ無理だったわよ。私一人の手柄じゃないわ。そもそもこの蘇生技術も、中枢が教えてくれてなかったらできなかったことだしね」

「そうか」

「……でも、うん。お互いその、お疲れ様」

「ああ」



気が抜けたのか、とても眠そうな顔をしていた。ずっと気を張り続けていたのだろう。無理もないことだ。


「お前もいい加減休め」

《ええ。これが終わったらたーっぷり休ませてもらうわよ。あんたにはその分働いてもらうけどね》

「……ああ、分かった」

《ヲ!》

《ヲ級も手伝うの?でもダメよ、貴女も休まなきゃ。私と同じでほとんど働き詰めだったし》

《ヲヲ》

「今後のことについては、中枢と相談して決めよう。今はとにかく休め。その間は私が代わりをやっておく」

《そう?…………じゃあお願いするわ。機材の片付けと、それからみんなに不調がないかのチェックもよろしく。あ、できたらご飯も作っといてー》

「………」











[一週間後]

〈北方海域 無人島〉


「ということで……」

《みんなの快復と……》

《今後の活躍を願って……》

「《《《《カンパーイ!!!》》》》」



ささやかな宴が開かれた。


獲ってきた魚(魚市場で見るような魚ではなく、おそらく尋常なら見かけることもない魚たち)の塩焼きや刺身、さらにサザエの壺焼きが振る舞われ、海水を蒸留した真水で喉を潤した。リハビリで日頃頑張っている皆にとって、1日の疲れを癒すとともに、たまの息抜きになるといいと思った。食材には事欠かないので、皆豪快に食い尽くしていた。私と個人的には塩焼きが旨いと思った。贅沢を言うなら酒もあるとさらに捗るかもしれない。



眠っていた間何があっただとか、艦娘の連中はどうしただとか聞かれたが、適当に言い繕って誤魔化した。しばらく見ていないとか、正直なんのコンタクトもないとか。誤魔化すついでに、リハビリのことも聞いたりした。以前ド派手に暴れ回っていたからか、歩くことすらやっとだったり、うまく体を動かさないことだったりに凄くもどかしさを感じているようだ。補助輪がないと中々うまく自転車を乗れない子供を見ているかのような気分になった。身体は立派なのに四つん這い歩きをしていた港湾の話は面白かったし、本人は顔を真っ赤にしていた。散々笑って、語り合った。語り得ぬことは沈黙を通し、語り得ることだけを。



「いやー食った食った」

《ほんと、腹一杯だ》

《うん、なんか眠くなってきたわ》

《もうこんな時間…》

《今日はそろそろ寝るのッ》

《そうね。後片付けをしたら、そうしましょう》

「おう」




食器を片付けて、各々が部屋に戻った。私も未だ口に残る焼き魚の味を愉しみながら、薄暗い部屋に戻った。電気は当然ないため真っ暗だが、この身体は暗闇でもはっきり見える。



「ふぅ………」



寝転がりため息を吐く。天井を何もせずに眺める。



「…………」

『…………』



顔が、暗闇からすっと現れた。私の顔だ。だが、髪は白く肌は灰色で、目は赤い、今の私だ。


『殺しに行こう』

「なに?」

『艦娘を殺しにさ』

「断る」

『さっきの宴は楽しかっただろう?あの幸せがいつまでも続くと良いだろう?そのためには艦娘を壊滅させる必要があるよな?』

「別の方法があるはずだ。それに、私は艦娘も助けたいと思っている」

『助けられたこともないお前がよくそんな事を言えるな。頭がイカれてるのか?』

「そういう問題ではない。艦娘と深海棲艦、そして人間が共存できる世界があるはずだ。その可能性を、あいつらを見て知った」

『できぬと分かっているのに何故そんなことを言う?』

「できないとは限らない」

『お前では無理だ』

「!」


途端、身体に力が入らなくなる。しかしそれに反して身体が勝手に動き始めた。感覚はないのに、動いている。


「こっ……!?」

『私はお前の修羅だ。お前は人も艦娘も深海棲艦も滅ぼしたいと思っている。私はお前から生まれた。その、お前の底なしの修羅から生まれたんだから』

「私はそんなこと思っていない……」

『お前は戦争の全てを恨んでいる。しかし戦争を止める方法はそれに関わる全てを滅ぼすしかない。それが分かっているのに、お前はそれを制限してきた』

「それは……」

『その結果生まれたのが、私だ』

「修羅……!」

『さあ殺しに行こう……』



ジャリ…



『「!!」』

《ミヤモト……?》

「ちゅ、中枢……!?」

《誰と話してるの?こんな夜中に》

「な、なんでもない」

『なんでもないことはないだろう?』

《え?》

「黙れ」

《ええ?》

「中枢、気にするな。私は」

『私はこれから艦娘を殺しに行く』

「!?」

《は!?》

『少し遠くまで行く。帰ってくるのは暫く後になるだろう……』

《ちょ、いきなりどうしたの!?》

「違うんだ!今のは私じゃ」

『……深海棲艦が艦娘と戦うのは当たり前のことだ。戦争を終わらせるためには必要なことだ』

《アナタ、なんか変よ!?どうして急にそんなこと》

『中枢』

《!》

「!?」

『この間来た艦娘たちはお前たちを殺した。もはや互いの存在だけで憎しみが生まれてしまう。……お前は共存を望んでいるんだろうが、向こうにはそのつもりはないらしい。言っちゃあ悪いが、お前の理想を叶えるのは少し酷だ』

《そ、それは……》

『このままではまた殺されるだけだ。今回だって、仲間の半分を失った。次はないだろう。私はお前たちを失いたくない。だから戦って、この戦争を終わらせるしかない』

《でも……!貴方にとって艦娘や人間は……》

『わかってる。だが命の恩人であるお前たちのためなら、私は鬼でも悪魔にでもなる』

《ミヤモト……》

『急な話で悪いな。しかし宴のお前たちの姿を見て、みんなを失いたくないと思ったんだ。分かってくれ』

《………………》



口が勝手に動く。意思など無視して、私の修羅はおそらく思ってもないことをペラペラと、優しく語りかけるように中枢に話した。中枢は激しく動揺しながら、全く真っ当な意見に呑まれようとしていた。


違う!そいつは私であって私じゃない!止めろ!殺してでも止めるんだ!そう言おうともがいても、もはや指の一本も制御できなかった。


『じゃ、私は行く』

《………ミヤモトッ!〉

『…』

《必ず……必ず帰ってきて!》

『……勿論だ』












[同時刻]

〈南西諸島海域統括鎮守府〉


会議室で、提督と艦娘は震えていた。


「ほ、北方鎮守府が壊滅……!?」

「敵はたった一人。未だ行方知れず…」

「ほ、本当なの!?この情報は!」

「間違いない。元帥閣下からの電報だ。だが確かに信じられないことだ。過去に合同演習も行ったことがあるが、中々高練度の艦娘がいたはずなんだが」

「あの辺りは大規模作戦の該当海域でしょ?それはどうなるの?」

「遠方の我々には関係のないことだが……恐らく中止だろうな」

「そんな……」


南方長官である提督、lowa、龍驤、そして秘書官である香取は全員が険しい顔をしていた。


「どないするんや?」

「とりあえずここも警戒を怠るなという指令だ」

「しかし、北方長官と提督は旧知の中でしたよね?」

「………士官学校からの付き合いだ。奴も今回の一件で、重傷を負ったらしい」

「なら、警戒と言わず、こちらから打って出ましょう」

「公私混同をするわけにはいかん」

「友達がやられて黙って見てるのですか?」

「そういうことではない!今回の相手は危険すぎる。そんな奴にお前たちを向かわせて、無事で済むはずがないだろ!」

「………」

「………」

「………」

「………すまん、感情的になった」

「いえ、出過ぎたことを申しました。すみません」

「………とにかく、今の私たちにできることは変わらん。今まで通り、任務を遂行し敵を撃滅させる。それだけだ」

「うん、せやね」

「そうね。そうしましょう」

「香取、一応お前は現在の資源の貯蓄を調べておいてくれ。龍驤は演習を、lowaは出撃で、それぞれ頑張ってくれよ」

「はい」

「りょーかい」

「分かったわ」




それぞれ成すべきことを定めた南西諸島海域統括鎮守府の面々は、いつにも増して気を張って任務に当たった。自分たちが次の犠牲者になるとも知らず……。


後書き

apexばっかやってて更新少し遅れました。暇な癖にすぐ先延ばしにしてしまってます。ゆるして


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SS好きの名無しさんから
2020-06-30 17:03:16

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2020-06-29 19:03:53

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2020-06-09 07:57:13

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