提督「化け物の悲しみ」六
*この作品は"提督「化け物の悲しみ」五"の続編となっております。
〈○△鎮守府 臨時客間兼独房〉
静かに扉を開けて入ってきたのは、駆逐艦時雨であった。
思えば、私とここの艦娘たちとの関係は、彼女を助けたあの瞬間から始まったのだ。その頃の記憶は埋没し、後のトラウマとも呼べる思い出によってその殆どが上書きされてしまった。だが彼女の顔を久しぶりに見て、緊張と共にそれを思い出した。
部屋の明かりはつけていない。朝食まで寝付けないにしても横にはなろうと思っていたからだ。時雨の顔は暗くてよく見えないが、窓から差し込む夜空の淡い光が、微かに彼女の輪郭を浮かばせていた。
黒軍服は沈黙していた。眠ったようにこちらが呼び掛けても応答しない。つまり、今私は時雨と二人きりということだ。それは別に緊張を引き起こすわけでは無いが、黒軍服と分かれた今の私は、彼女が私とは違う、欠損した人格であるから、彼女を動揺させてしまうかも知れないと思った。
現に私は、艦娘というものに、哀れみや同情を感じることはあっても、それ以上なにも抱くことはなかった。可哀想だと思うばかりで、それ以外何一つ感じない、酷く冷めた気持ち。嫌われたいわけではないが、好かれたいとも思わない。
うまくやれ、と黒軍服は言ったが、改めて何を話そうか、そもそも話す必要があるのか、甚だ疑問である。
「提督……」
「…………」
「提督なんだよね……?僕だよ、時雨だよ」
「…………私は」
「!」
「お前たちの提督ではない」
「っ……!そ、そんなことない!僕たちは今でも、」
「今は黒崎が提督だ。私は提督と呼ばれる立場にはない。たとえ過去そういう役職にあったとしても、今の私には相関しない」
「………」
「再会は叶わない。お前が期待している反応ができないことを、まずは伝えておきたかった」
「………」
時雨は俯いて何も言わなくなった。
こんなことをしてどうにもならないと、私も重々承知している。だが、生き別れた部下との再会という、感動的な展開を迎えるには、私はあまりにも変容し過ぎていたし、黒崎から伝え聞いた彼女らの現状を鑑みれば、もはや私はここにいなくてもいい存在なのだ。私のことなど、できることなら忘れて欲しい。宮本會良という男を、見ることも、知ることも、会うことも、そしてこれから何かが始まることもない。そうであって欲しい。
時雨は、じっと俯いたまま動かなかったが、しばらくして徐に兵装を取り出した。
「(なんだ……?ただの小口径の副砲だが……)」
未だこちらを見なかったが、突然、自身の頭にその銃口を突きつけた。
「なにっ!?」
「……」
やめろ、という前に体が先に動いていた。副砲を装着した腕を抑えて、そのまま身体を壁に押しつけて動きを封じる。
「お前ッ、何をやってるんだッ」
「…………やっぱり」
「え?」
「やっぱり提督だよ………。提督は、こうして僕を助けてくれるんだから」
脳裏に時雨と初めて出会った時の記憶が蘇る。そして一瞬、時雨の体を押し付けていた力が緩んだ瞬間、時雨は腕の拘束を逃れそのまま私に抱きついた。
「お、おい……」
「提督………おかえり」
「………………………た、」
ただいま。
[同時刻]
〈執務室〉
「提督ッ、いるか?」
「んー?」
深夜、ほとんどの艦娘は眠りについているはずの時間に、やや乱暴に戸を叩いて戦艦長門は執務室に入ってきた。顔はいつもと同じではあるが、語気や仕草からなんとなく焦りが見て取れる。
「提督、今少しいいか?」
「おいおい、とっくに消灯時間なのに良いわけないだろう?まあ緊急事態なら、話は別だけど」
「緊急事態だ、十分にな。その、"帰ってきた"というのは、本当なのか?」
「………何が?」
「宮本提督のことだ!他の艦娘たちがみな話しているぞ!姿が変わっていただの人間ではないだの意味のわからないことばかり……」
「ああ、そのことか。それはまた改めて、今日皆に伝えようと思っているからさ。それまでは待っててくれるかな?」
「待ってるって……今、宮本提督はどこにいるんだ?」
「三つ隣の部屋だよ。臨時の客間だけど……一応独房ってことになってる」
「独房?」
「一応捕虜扱いだし。話すのは勝手だけど……今は先客が沢山いるからねぇ」
「私の他にも、宮本提督を探している者がいたのか?」
「結構な数ね。興味本位か、はたまた何か目的があるのか知らないけれど。でも僕の記憶が正しければ、一番最初に聞きにきたのは時雨くんだったかなぁ」
「時雨……」
黒崎は、時雨が執務室にやって来て宮本の場所を聞きにきた時のことを反芻していた。
彼女の嬉々としたあの表情を見るのは初めてで、この艦娘はこんな顔もできるのかと思った。それだけ、宮本の帰還を喜んでいるのだろうと思えたが、その反面、今までのあの寡黙とも言える彼女の振る舞いは、彼を失ったことによるもので、今の彼女の姿こそ本来なのかとも考えられた。
この鎮守府の艦娘たちの、人間に対する考え方が必ずしも統一的でないことは知っている。彼の訃報(今では誤報であるのだろうが)を聞いた後、ほとんどの艦娘たちはそれまでの行いを反省し、友好的とまではいかなくても少なくとも反抗的で無い性格となった。
黒崎は、そうなった時の彼女らしか知らない。しかし宮本は、確実に彼女の過去を知る者である。つまり時雨は、人間不信の当時の艦娘の雰囲気の中ではある程度稀な性格であったことが分かる。
「まあ、感動の再会を邪魔したくないなら、少し時間を空けるべきかもね」
「………了解した」
[0400]
〈臨時客間〉
明かりをつけて、改めて時雨の顔を見る。以前と変わらない彼女の優しい微笑が、そこにはあった。少しだけ困ったような、でも不安のない表情だ。
「すまんが、こちらも立場が立場だからな。もてなしなんてものはないが……」
「いいよ、全然。僕は提督がいるだけで満足だから。それに、もてなしは本来僕たちがする方さ。そうだ、何か飲み物を持ってこようか?」
「今は大丈夫だ。その内、必要になったら黒崎……………、黒崎提督にでも貰いに行くさ」
「そっか。まあ、今ここ離れると僕もタイミングを失ってしまうからね」
「………?」
「いや、こっちの話。…………提督」
「なんだ?」
「えーと……その……何から聞いたら良いか……」
「………気遣いは不要だ。詳しいことは大体黒崎提督に説明したから、今日にでも聞けると思うぞ」
「ああ、うん。それもなんだけど……」
「ん?」
「提督はさ、ここにいた時のこと、まだ覚えてるよね?」
「…………ああ」
「そっか。じゃあ、皆のことも」
「覚えている」
「そ、そっか、あはは……」
「時雨よ」
「な、何?」
「ここの艦娘たちの心境に多少の変化があったことは、私も知っている」
「!」
「お前たちを責めようとは思っていない。私が生きている内にそうならなかったことに関しては、少しだけ残念だが、しかしお前たちは、何はともあれ代わってくれた。それは喜ばしいことだ」
「ほ、本当かい?僕はてっきり…」
「怒っていると思ったか?」
「うん…………」
「そうだな……まあ、怒っていない、と言うには少し語弊があるかもしれないな」
「え?」
「より正確に言うなら、"興味がない"」
そう言うと、時雨は目を少し大きく開いて、その後何か口に出しかけたが、すぐに目を伏せた。
もはや人間でない自分にとっても、せめてここの艦娘の安全くらいには関心があるが、それ以外の気持ちはあまり湧き起こらなかった。それはとても寂しいことのはずなのに、寂しいということすらもどうでもいいと思っていた。
深海化による影響だと思う。しかしそれだけでは説明がつかないほどに、私の気持ちは冷め切っていた。ここに来た時は、想像もしなかった再会に心が揺れ動いたことは確かであるが、知りたかったこと、話したかったことが済んでしまえば、薄情にも興味がなくなっていた。どうしようもない"他人事"感があった。一度関わったくせに、もう関わらなくてもいいという気持ちがあった。
「そ……そっか………」
「一度知り合った仲だ。この再会を無下にする気はない………が、私はお前たちに対してあまり積極的な態度を、少なくとも以前のように接することがないことを了承してほしい。私の、我が儘でしかないのだが」
「い、いいよ!そうだよね、うん。前みたいに一緒に居られるなんて……思って……ないから……」
「………すまん」
暗に"もう話しかけないでくれ"と言っているようなものだった。向こうの気持ちを考えていないことは、自分でもよく分かっている。だが、自分の気持ちを隠してやれるほど、私は彼女らに対しての優しさを行使することはできない。
艦娘たちが嫌いなのか?否、であれば身を案じることはない。
ならば好いているのか?否、であれば無関心と呼ぶのは相応しくない。
「とにかく時雨よ。おそらくお互いが今最も注目すべきは、私の今後についてだ。事情は色々あるが、私は現状、この鎮守府に捕らえられている深海棲艦の捕虜、という扱いだからな」
「そうだね……。うん、やっぱり気になるのはそこだね。黒崎提督は何か考えているのだろうけど、こんなこと今まで一度も無かったから」
「それによって、お前たち艦娘にも何らかの影響があるだろう」
「それは…………僕たちに、宮本提督に不利な命令が下されるかもしれないってこと?」
「…………賢いのは良いことだが、この場合はもう少し察しが悪い方が良かったな」
やや気を落としていた時雨だったが、途端に食い気味になる。
「提督、僕やみんながそれに従うと思うかい?」
「お前たちにとっての提督はいまは黒崎だ」
「そんなの関係ないよ!僕は命の恩人に、恩を仇で返すような真似はしたくない!」
「そうは言っても、どの道お前たちとはそう遠くない内に戦うことになると思うぞ。なんせ私は………今までに二つ、鎮守府を滅ぼしてきた」
「!?それって………」
「話は聞いているだろう。あれは私がやったことだ。これでもまだ、私を助けようと思えるのか?」
「……………そ、そうだよ。たとえどんなことがあっても、僕は諦めない」
「…………まあ、お前がそう言っても、他の艦娘が賛同するかどうか、疑問だがな」
「…………」
なんでこんなことを、言ってしまうのだろう。
「時雨、夜が開けてしまうぞ。そろそろ、部屋に戻りなさい」
「………………うん」
そうして、強引に会話を切り上げた。
[0700]
〈食堂〉
黒崎は、面倒な感情を嫌がる人間である。
苦悩とか、煩いとか、或いは猜疑心とか、そういうものに無縁でありたいと思っている。だから、彼はどんな時にもいつもヘラヘラとした、どこか可笑しそうな顔をしている。メリハリがないといえばそうかも知れないが、黒崎は、人間はそんな感情を抱いてしまうから疲れるのだと語っていた。
しかしその面倒な感情が理解できない人間ではない。理解して、それでもって決して表に出さないようにしているのだ。私は思ったことがすぐに表に出てしまう人間であるので、彼のその振る舞いは尊敬できるし、一方で不可解でもある。
まあだからと言って、その面倒な感情を振り切るために、世辞もタブーも無視してしまう性格は、どうにかしてほしい。
「と言うことで、今日からこの鎮守府の捕虜となる、深海棲艦のミヤモトくんでーす!!」
椅子と机を隅に片付けて、広いスペースをもって集められた艦娘たちの前に、私は黒崎の紹介とともに突き出されることとなった。
ツッコミどころしかない紹介は、既に夜中のうちに広まっていた噂のおかげで艦娘たちには驚愕でもなんでない、今更な情報であった。しかし実際にその目で見て確信するまではやはり半信半疑であったようで、大半の艦娘が動揺しているように見えた。
「ささ、君からも挨拶して」
「転校生か、私は?」
「あはははは!面白いこというなあミヤモトくん!」
「……………」
ふざけ倒している黒崎をよそに、艦娘たちのうちの一人が、静かに手を挙げた。
「ん?君は……」
「軽巡洋艦……天龍だ」
「ああ、天龍くんか。どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたもねぇよ。なんだこの茶番は?」
「失礼だなぁ君。これから彼が魅力的な自己紹介をしようとしているときに水を注すんじゃない」
「マジでイカれてんのな……。なあ提督、そいつ、宮本提督なんだろ?」
「……………」
一瞬、黒崎の顔から笑みが消えた。そしてすぐにいつもの笑みを浮かべて続ける。
「そう、ミヤモトくんは、宮本くんだ」
「………」
「だろうな…。おい宮本提督」
「………なんだ」
「俺の記憶が正しければ、あんたはバリバリの人間だった気がするんだが……、いつから敵に成り下がっちまったんだ?」
「………」
「ああ、それに関しては僕が説明するよ。彼は、」
黒崎は、夜に私が話したことをかいつまんで彼女らに説明した。内容に反して声色はいつも通り明るく、落語を聞いているかのような雰囲気であった。
「と、いうことなんだ。だよね、宮本くん?」
「………ああ」
「質問、いいか」
「はい長門くん。どうぞ」
「捕虜として捕らえたのは分かったが……今後はどうするんだ?何にしてもまずは大本営に報告するべきだとは思うが……」
「それに関しては考え中。正直ケースがケースなだけにどう対応するかまだまとまってなくてね。とりあえず、今すぐぶっ殺すとかそういうことはないから、気をつけてね。個人的に話したい人は、彼に直接聞いてね。はい!じゃあこの話終わり!みんな、朝食の時間だ!」
そうして話は切り上げられ、艦娘たちは各々話しながらも机と椅子を元に戻し始めた。
「さ、じゃあ朝食を取りに行こうか」
「ああ」
朝食は、日替わりの定食を間宮が提供してくれる仕組みである。艦娘たちは列に並び、お盆を持ってサラダや汁物、おかずをもらいに行く。
「久しぶりだろう?ここの食事は。まあ僕も嫌いなメニューの日は食べないから、そこまで愛着があるわけじゃないけど、君にとっては中々懐かしいものだと思うよ」
「…………」
黒崎は、何も知らないようだった。
「間宮くん、今日のメニューは何かな?」
「今日はカレーですよ」
「そうかそうか。さあ宮本くん、カレーなんて暫く食べてないだろう。いくらでも食べるといいよ。なあ、間宮くん」
「…………え、ええ。そうですね」
「…………」
私はここで、この食堂で、まともな食事をとったことなどない。いつも残った料理や使わずに捨てられた食材ばかりの、残飯を食わされていた。食堂に行かずに執務室にいても、わざわざ執務室まで持ってきて全て食べることを強要されたこともある。拒めば相応の制裁が下されるので、不味くて吐きそうなのも堪えて飲み込んだ記憶がある。
間宮の方をちらと見た。ぎょっとして目を見開いて、それから引き攣った笑顔を浮かべた。黒崎や他の艦娘がいる手前、なんとか動揺を抑えたのだろう。何か言われるのかと不安に感じたのかも知れない。
「…………いただきます」
「あ、はい。どうぞ…………」
別に何か話す気にはならなかった。嫌味の一つでも出てくるのかと思ったが、ただお互いに利益のない時間を共有したくないと感じた。手早く料理をとって、黒崎の後に続いた。
端の席に着くと、黒崎は私の正面に座った。周りの席は空いている、というか他の艦娘は明らかに距離を置いていた。やや気味悪がっているようにも、怯えているようにも見えた。
「ごめんね。彼女らには、やはり受け入れるには時間のかかることだと思うから」
「分かっている。それに謝るなら、もう少しその笑顔を控えようとか思わないのか?」
「笑っていた方が楽しいからね」
「……ああ、全くその通りだな」
スプーンでカレーライスをすくって口に運ぶ。士官学校で出されたものとほぼ同じ味で、少し辛い。やはりこんな味なのだな、と思った。人間だった頃に食べていれば、色々と懐古してもう少し感慨深い気分になったのかな、とも思った。
黒崎は美味いとも不味いとも言わない。好き嫌いはあるようだが、正味ただの栄養摂取だから、それこそサプリを数粒渡しても文句は言わないだろう。男二人が特に何も言わず黙々とカレーを食べているのは、側からみれば不満そうに見えるかもしれない。
「美味いよ」
「え?」
「カレー、久しぶりに食べた。美味い」
「……そうか。そりゃ良かったね。おかわりも遠慮なくしてくれて構わないよ。ああ、福神漬けも言えばつけてくれると思う」
「分かった」
しかしどうでもよかった。不満も満足もない、食事は行為でしかなかった。それがどんな味で、どんな色で、匂いで、形で、そして趣向であるかなんて、興味の対象にはなり得なかった。
それがどんな風に周りに捉えられても、それすらも気にならなかった。
「あ、あの……」
「ん?」
「………?」
声をかけられた。いや、正確には声に反応した黒崎の声に反応して、私もそっちを見た。私に声をかけられたと最初は思わなかったが、真っ直ぐに私を見つめるその視線に、懐かしい顔にぶつかってようやく返事ができた。
「……お、暁か」
「え、ええ。久しぶりね、司令官」
「元、だけどな」
「そう…ね。私のこと覚えててくれていたのね」
「………………」
忘れていなかっただけだ、と口に出そうとして、やめた。かつてともに荒廃した鎮守府で四苦八苦しながらも協力しあっていた記憶がふと蘇ったのだ。あの頃のような気持ちにはならないけれど、興味はないけれど、そう言ってやるのもこの艦娘には悪いと思った。
「まあ……色々あったからな」
「う、うん…」
「一緒に……執務室を直したり、な」
「! うん!そうよ!」
「たまに……出撃もさせていた」
「そうそう!」
「お前は変わらないな。あの頃と同じ笑顔だ」
暗く怯えた顔はみるみる明るくなり、無邪気な笑顔に変わった。私も周りも変わってしまったが、彼女は記憶通りの存在であった。
すると、それを遠くから見ていた艦娘たちが近づいてきた。いつも仲良く四人で過ごしていた、雷、電、響である。
「司令官、おかえりなさい!」
「お久しぶりなのです、司令官!」
「やあ、久しぶりだね。響だよ」
「お前たち……」
「なんだか懐かしいわ。前に戻ったみたい」
「そうだな。私もそう感じていたところだ」
「あっ、せっかくだから一緒に食べましょう!ご飯はたくさんで食べるとその分美味しくなるわ!」
「賛成なのです!」
「うん。そうだね」
「私はいいが……黒崎」
「男二人で食べるのもむさ苦しいからね。僕のことは気にしないでいいよ」
「じゃあ、早速ご飯を取ってくるわ!」
四人は本当に嬉しそうに間宮の待機列に移動していった。あんなに元気のいい相手は久しくいなかったので、こちらの気持ちがやや出遅れているような感覚だ。しかし、悪い気はしない。
「君と……仲が良かったんだね」
「…………そうかも知れないな」
「四人に聞いたら全員が首を縦に振るだろう。駆逐艦は平均して精神年齢が低いけれど、あそこまで無邪気でいるのは流石に驚きだ。本当に、心の底から君との再会を喜んでいるんだよ」
「……そうだな」
「君はどうだい?」
「……………」
椅子を引く音が聞こえた。暁たちがぞろぞろと座り始めたのだ。ニコニコ笑みを浮かべて、目合うと照れ臭そうにさらに笑った。
「お待たせ、司令官」
「今日はカレーなのです!とても美味しそう」
「暁、服に溢さないように気をつけてね」
「レディはそんな失敗しないわ!ちゃんとスプーン使えるもの!」
「さ、じゃあ手を合わせて」
「「「「いただきまーす!!」」」」
「(元気な子達だ……まあ、私はそろそろ食べ終わってしまうが…)」
「ねえ司令官、聞いたいことは色々あるのだけれど、まずは、暫くはここに居られるの?」
「それは、ここの司令官が決めることだ。私は捕虜だからな」
「どうなの、司令官?あっ、えっと黒崎司令官」
「考え中って言っただろう?」
「じゃあ、それの間は居られるのね!」
「………まあ確かに」
「そうかもしれないな」
「やったー!黒崎司令官、ゆーっくり考えていいのよ!他のお仕事もあるし、焦らなくていいの!」
「そうなのです!なんのことか忘れてしまうくらい、考えてくれていいのです!」
「(無理に決まってんだろ……)ま、まあすぐには決められそうもないし、そうだね、ゆっくり決めるよ」
「(大変そうだな……がんばれ黒崎)」
「良かったね、司令官。僕たちも嬉しいよ」
「(あ、こっちが喜んでる前提なのか)そ、そうだな。まあ長居するつもりはないというか、一応捕虜だし、な?」
「そんなの関係ないわ。司令官は司令官だもの」
「現に、僕たちを攻撃してないし、それってつまり僕たちの仲間ってことだよね?」
「え、あ、うーんまあそういうわけではないというかなんというか…」
勢いのある彼女らの会話に、そしてその愚直な無邪気さに動揺してしまう。黒崎もそれほど慣れていないのかいつもの笑みがややひきつっている。
その時、後ろから棘のある声が私の意識を叩いた。
「仲間なわけねーだろ、こいつがよぉ」
「ん……?」
「あっ………」
「て、天龍さん………」
「………」
「………」
「なあ、俺のこと覚えてるか?宮本提督」
「………」
「軽巡の天龍くんだよ」
「いや覚えてるから」
眼帯と崩れた着こなしの彼女は、あの頃とやはり変わらぬ雰囲気であった。どこか見下した隻眼の視線は、真っ直ぐに私を見つめている。
「久しいな、天龍」
「再会できて嬉しいぜ、提督」
「ちょ、天龍さん!」
「なんだよ、俺は挨拶に来ただけだぜ?なんか悪いか?」
「えっ……い、いや……それは」
「今は僕たちと食事しているんだ。また機会を改めてほしい」
「そんな水臭いこと言うなよ。なあ、提督?」
「………私は構わない」
「な?」
「………分かったよ」
「いやー元気そうで何よりだ。本当によかったよかった!だが………そのなりで味方を名乗るのはちょっと無理があるよなあ?」
「………」
「白い髪に赤い目、薄灰色の肌………おまけに、あんたが見つかったときは黒い軍服を見に纏っていたって話じゃねぇか。言い逃れはできないよな、黒崎提督」
「………なんの話だい?」
「あんたも分かってんだろ?北方と南西をやった深海棲艦のことだよ。何考えてっか知らねぇけど、身内を攻め滅ぼしちまうような奴とは思わなかった。自我がないならまあ分かるんだが……暁たちのことを覚えてるくらいには、はっきりしてるらしい」
「知っていたのか、君たち」
「俺たちの元にも多少なりとも噂は入ってくる。良いものも悪いものもな。噂の是非は本人に聞けばいいだけだしな。で、どうなんだよ、提督?」
「………」
「やれやれ……」
「天龍さんッ!」
「落ち着け、暁。私が話せばいい」
「で、でも…」
「司令官……」
「……北方と南西、二つの鎮守府を滅ぼしたのは、紛れもなく、わたしだ」
「!?」
「へぇ…」
「……」
「司令官さん………」
食堂が水を打ったように静まりかえった。噂とは、囃し立てる分には楽しいもので、それが良いことだろうと悪いことだろうと、信憑性の程度が不安定であることが前提となる。だが噂の内容が明らかに、つまり真実が分かってしまった時は、途端に面白くなくなり、場合によっては今のような、通夜にも近い雰囲気になってしまう。
「黒崎提督、"捕虜"なんて処遇は手緩いぜ。こいつは俺たち艦娘の、そして人類の敵だ。それも海軍の戦力を削ぎ落としたとんでもない化け物だ。今のうちに始末しておいた方がいいだろ」
「君では……というか、この鎮守府の艦娘では歯が立たないと思うよ」
「…………それって、別に"やって"もいいってことだよな?」
答えを待たずに、天龍はどこからもとなく取り出した刀を思い切り振り下ろした。私の脳天真っ直ぐに、無駄のない良い太刀筋である。しかし私の額に刃が触れるか触れないかのところで、刃が横にそれてテーブルを切り潰した。轟音とととも食器もテーブルクロスも巻き込んで、当たれば確実に重症を受ける一撃である。
太刀筋は綺麗であったが、私の脳天には降り掛からなかった。まさかこの距離で外すわけもなく、有るとすれば誰かに邪魔をされた、ということだろう。
「…………おい。どういうつもりだよ、長門さん」
「…………」
柄を手で押さえ、おそらく邪魔をしたのであろう長門は、いたって冷静な面持ちで答える。
「時と場所を弁えられないほど、暴れ馬だとは思わなかったぞ、天龍」
「こいつを相手に警戒心が低すぎるそっちの方が、おれの予想外ですけどね」
「………宮本提督、無礼をお許し願いたい」
「私はいいが……暁たちの食事が……」
「カレー…」
「………」
「うう…」
「……」
「あー……それは悪ぃな。いやごめんごめん。間宮に俺から頼んで、新しいの出してもらうから」
「関係のない者にも迷惑をかけるのは感心しないな」
「長門さんが邪魔してきたから…というか、何食わぬ顔でここで飯食ってるてめぇが原因だぜ?捕虜なら捕虜らしく大人しくしてればこんなことにはならなかっただろうなあ」
「呼んだのは僕だよ、天龍くん」
「黒崎提督、旧友が敵になって動揺してるのかもしれないが、こいつは敵。排除しなければならない存在だ。呑気に飯食ってる場合じゃないと思うぜ?」
「天龍……貴様恩を忘れたのか?」
「恩?命を賭して艦娘を助けてくれたこと、とか言うわけじゃねぇだろうな?」
「天龍……」
「俺も、もし提督が人間のまま戻ってきたら、今までのことを詫びようと思っていたんだ。だけどよ、二つも鎮守府潰しておいて"昔の馴染みだから"とか"助けてもらったから"でなんでも許すのはどうかと思う」
「…………」
天龍が言っていることは全く正論であった。過去にどんなことがあれ、どんな心情があれ、艦娘は兵器であり、深海棲艦は敵であり、艦娘と深海棲艦は互いに争わなければならない。恩を仇で返す、といえばその通りかも知れないが、戦争という非情な状況で、道徳的な価値観を振り翳して危険要素を擁護して、その結果大惨事を引き起こしてしまった、なんてことになればここの艦娘たちもまた人類の敵になってしまう。
優しさと利己心を履き違えてはいけない。正義と私情を取り違えてはいけない。敵と味方を見間違えてはいけない。
「………天龍」
「あ?」
「お前の言ったこと、全て正しい」
「し、司令官!?」
「……」
「だが、お前は一つ見落としていることがある。そういう意見は、あくまで私に勝ってから言うべきだ」
「……………確かに」
「敵だから殺すとか捕虜なら殺さないとか、そういうややこしいことを考える必要はない。私に勝てば、生殺与奪の権利は全てお前のものになる。たとえ黒崎がどれだけ止めようとも、"私に襲われてどうしようもなかった"という正当防衛なら、処罰も軽いもので済むだろう」
「………はっ、はははははははは!こいつぁ嬉しいねぇ!そっちから申し出てくれるなんてさ!」
「おいッ、天龍」
「長門さん、これは俺が挑まれてるんだぜ。口出してくんじゃねぇよ」
「宮本くん」
「すまんな。お前のとこの艦娘、少し借りるぞ」
[1500]
〈鎮守府内陸上演習場〉
何を語るにもまず、何故鎮守府の敷地内に陸上演習場があるのかを語る必要があるだろう。
第一次大戦は海の、第二次大戦は空の戦いであったと表現されることが多いが、どちらにしてもそれは、本土決戦を目指して行われたものであり、つまるところ陸地を奪われて初めて、侵略というものは完成する。いかに多くの船や戦闘機を用意しても、陸での戦いは疎かにしてはならない。
鎮守府は、海上戦線を拡大させることだけが目的ではなく、むしろ海と陸との境に築かれた堅牢な壁としての役割が本来である。もし陸に侵入されたとしても、それを撃退する訓練も必要なのである。勿論艦娘は、海での任務が主である。だが最低限の陸上戦闘も可能であり、その際は海兵ではなく歩兵、あるいは砲兵として戦う。
また、陸軍の応援が来た際の臨時の駐屯地や、避難民の仮住居建設のスペースとして活用されることも想定され、戦争だけでなく、災害時にも活躍されることが期待され造られた。
次に性質を述べたいところであるが、簡単に言えば、そこそこ広い真っ平らな場所、と言うほかない。それこそ色々な設備を利用きて訓練がされるのは事実だが、普段から頻繁に使われるわけではないので、それこそ学校のグラウンドのような場所だ。だから軍部では、グラウンドと呼称することが多い。
「グラウンドでタイマンとか、不良漫画かな?」
「まあこっちの方がお互いやりやすいだろう」
天龍は悠々と私の呼び出しに応じてくれた。「私の一対一で勝負して欲しい。買った方が負けた方の進退を決定する権利を手に入れる」なんて、安い挑発だと思ったが、彼女にとってはむしろ分かりやすい方が良いらしく、上機嫌にグラウンドに現れた。
呼び出したのは天龍だけだが、広いグラウンドには結構な数の見物客が訪れていた。艦種を問わずまるで格闘技の試合を待っているかのようだ。勿論、先程食堂で会った暁たちや長門もいる。
「こういう展開は中々ないからなぁ……俺も滾ってきちまうよ」
「天龍、艤装はどうした?」
「あ?いらねぇよんなもん。てめぇこそその刀だけでいいのか?」
「あー、これはまあ使うかどうかまだ決めてない。基本は素手でいくつもりだ」
「なら俺も素手だ」
「………やめておけ」
「あ?」
「正直、お前一人で私を負かすのは無理だ。そしてそれは、現状最高の艤装を身につけた場合においてもだ。それを素手でなんて……」
「舐め腐ってくれやがるな……ほんと。そりゃ、あんたがバッキバキに武装してるならそうかもしれねぇが、ステゴロ相手にドーグを使うのはそれこそ死んだ方がマシだ」
「……忠告はしたぞ」
「敵にそんなに気ぃつかって、おめでたい頭してるのな、半年前から何も成長してねぇ」
「……」
立ち合いは黒崎の合図で行われることとなった。「こういうの一度やってみたかったんだよねー」と呑気なことを言っているが、自分の艦娘が目の前で傷つけられるかもしれないのに、少しは心が痛まないのだろうか。
「よし、じゃあ二人とも、準備OK?」
「おう」
「ああ」
「了解、そんじゃ構えて……始め」
天龍は、まず距離を掴もうとしていた。
武器無しでの戦闘において、互いに距離がある場合、相手がどれだけのリーチを確保できるのか、自分の攻撃はこの相手の場合どこから当たって、どこを当てるのが有効的か。それは武術やボクシングなどのスポーツでもしばしば行われることで、基礎中の基礎である。
広いグラウンドとは言っても、その面積の大半は距離を取ったり、逃げるためのスペースだ。戦うときはいつだってゼロ距離、触れずに勝てる勝負はない。
「(体格は俺より少し大きい……180とちょっとくらいか?詰めてくる様子はない。なら、こっちから仕掛けるか…!)」
「(さて………どうしたものか……)」
宮本は力量の差を測っていた。
これは力の差を見せつけるための戦い。試合であって死合いではない。向こうの攻撃を全て受けて、こちらは手を出さずに終わらせることもできる。ただ、万が一そうならなくなった場合、天龍を殺さずに済ませることができるかどうか、それが気がかりであった。
観客の方をチラと見る。皆天龍よりもこちらを見ていた。以前なら多少のプレッシャーを感じていたのかもしれないな、とぼんやり思った。
「おう、よそ見してんじゃねぇよ!」
「ん?」
ドゴッッ!!!
天龍から宮本が視線を外した隙に、すばやく距離を詰めた天龍は、顔面に右ストレート一閃、観客たちにも音が聞こえるほどのあざやかな先制攻撃をきめた。
しかし、
「……………?」
天龍の心の中は、困惑と焦りで満杯になった。誰がどう見ても見事に顔の真ん中に入った右の拳、そこから伝わる感触は、新幹線の線路を支える巨大なコンクリートの柱を想起させるものであったからだ。
己が五体では決して破壊できない、あまりにも図太い、あまりにも堅い、あまりにも強すぎる物体。そうイメージせざるを得ない感覚。天龍から笑顔は消え、これからどうすればいいのか考えるので精一杯であった。
「き、きまった……?」
「ええ、多分そう…だと思うのだけれど…」
「様子がおかしいな」
ざわざわと騒ぐ観客たちの声に、天龍の焦りは冷静な判断をする時間を奪い、何も考えずに即座に回し蹴りを喰らわせた。
ドガッッッ!!
しかし、手応えはあってもそれ以上にまた"あの"イメージ。
「(お、おかしい………!何か、何かおかしい…!)」
「司令、びくともしないな」
「確実に当たってるよね…?」
「間違いなく、ね。でも……」
「(なんで………!?)」
「おい」
「ハッ!?」
「大丈夫か?」
宮本の顔は、つまらない授業を聞き流している生徒のような、退屈さを含んだ傍観者の表情であった。顔に蹴りを入れられたままなので少し喋りにくそうではあるが、至って平然としている。
「ッ〜〜〜〜〜〜!!」
たまらず天龍は体を低くし、床に手をつけて足払いをしかける。円を描くように繰り出される蹴りは、ちょうど宮本の足首の辺りに命中し、止まった。
「………」
「なあ、天龍」
我が儘ばかり言う子供を諭すようなトーンで宮本は声をかけた。しかし巨木に拳や蹴りを打ち込むような、あまりにも戦いとは呼べない状況に動揺するしかない天龍の耳には届かない。三歩ほど後ろに下がり、そこから完璧なフォルムでの飛び蹴りは、宮本の顔面に的確に命中した。しかし、体が揺れることすらなく、まるで弾かれたように蹴りは意味のないものとなった。
「はぁ、はぁ…」
「………………」
「くそっ…なんで…なんで……」
「おい」
「ッ!?」
「いい加減に私の話を聞け。先ほどから話しかけてるのに全然耳に入っていない。何をそんなに焦っている」
「……て、てめぇ………!!」
天龍は分かりやすく表情に怒りを露わにした。誰がどう見ても力の差は歴然であった。天龍は今、必死に勝つ方法を考えているのだろうが、それに対して宮本はあまりにも冷徹な、不可解なものを見る視線を向けるばかりであった。
「ね、ねぇ……これ………」
「あまりにもレベルが違いすぎる」
「天龍さん…」
「宮本提督、一体どういう強さなんだ……?」
「とにかく、もう勝負にならないわね」
力の差は観客たちも既に理解するところであった。むしろ、攻撃が通らないまま未だ互いに無傷のままであるこの状況は、天龍にとってあまりにも酷い仕打ちである。勝負を降りるにも、五体満足ではバツが悪い。
すると天龍は構を解いて、どっしりと正面から攻撃を受け止める姿勢をとった。
「え?」
「………今度は」
「ええ?」
「今度はテメェの番だ」
「えええ………?」
これには宮本も困惑の表情を隠せなかった。観客も大きくざわざわと騒ぎだす。
「悔しいが、てめぇにはどうやら俺の攻撃は通らねぇらしい。どういう仕掛けか知らんが、このまま無意味に殴り続けても意味がない。だけどよ、そういう我慢比べなら、俺だって負けるつもりはねぇ」
「…なるほど」
「好きに打て。さっきの俺みたいに、顔でもなんでも、殴りでも蹴りでも。全部耐え切ってやるよ」
突然のターン制バトルの始まりである。当初想定されていたボクシング的な戦いから一転、二人の流れの中で生まれたある種のルール。困惑していた宮本も、天龍のその行動に合点がいったのか、すぐに表情を整えて口を開く。
「お前の気持ち……理解できた。しかし、戦力差を考えるとお前は多分耐えられない」
「あ?やってもないのに何分かったようなこと言ってんだよ。確かに俺はてめぇを倒せないけどよ、てめぇが俺を倒せることにはならねぇだろ?」
「………確かにな」
「加減はいらねぇ。全力で来い!!」
宮本はチラと黒崎の方を見た。黒崎は呆れた顔で頷いた。
「(多分天龍くんは無事じゃ済まないだろうなぁ……一応準備しておくか)鹿島くん、ちょっと頼まれてくれるかい?」
「じゃ、じゃあ……まずは腹からいくぞ」
「さっさと来いッ!」
宮本は少し不安そうな顔をしていたが、意を決したように目を見開くと、天龍の目の前に立ち、空手の正拳突きの構えによく似たポーズをとった。
「(こんなのただのパンチだ……耐えられる、俺ならやれる!こんなやつに俺が負けるわけがねぇ!)」
「(この程度では……むしろ分かり合えないか)」
「(俺が勝つ!)」
「(悪いな、天龍)」
ドゴブッッッッッ!!!
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
2021年も読んでいただけると嬉しいです。
というか、このシリーズもう2年くらい前からやってますね……いい加減完結させなきゃ。その内また続編をあげます。乞うご期待!
ずっと追いかけて読んでます。
次が楽しみです。