提督「化け物の悲しみ」八
*この作品は"提督「化け物の悲しみ」七"の続編です。
【黒軍服捕縛から一週間後】
〈○△鎮守府〉
艦娘との確執はより深いものになってしまった。沈黙と不干渉を手に入れることはできたものの、100人以上いる艦娘たちが明らかに意図して彼の話題を出さないというのは、やはり異質以外の何物でもなかった。それが彼の狙いなのか、それともその逆なのか、或いはそうせざるを得ない理由があるのかは定かではない。ただ、最初にここに赴任したときに感じた雰囲気の澱みのようなものを再び感じ始めていた。
「黒崎提督」
「ん?」
「これ、提督の署名が必要なので、お願いできますか」
「ああ、うん。了解」
執務室にいる分にはまあ分からない。ここで提督として事務作業に徹し、具体的な作戦などを長門くんなど練度の高い艦娘に任せておけば、最小限の人数の艦娘とのみ接するだけで済む。
しかしその澱みは執務室を出れば一転、否応も無く伝わってくるのだ。
「おはよう間宮くん、今日の朝食は……」
「秋刀魚の塩焼きです。一人一尾までですからね」
「ほーそいつは楽しみだねぇ。……」
他愛のない会話である。しかし宮本を気にかける彼女らの心がその視線や表情から如実に伝わってくる。いや、むしろ人間という存在そのものをやや避けようとする意思をそこには感じられる。
食堂の艦娘はいつも通り食事を摂っているように思えた。しかしよく見れば沈黙が多く、そもそも必要最低限の会話以外なら話もしない艦娘もいる。それは不仲というわけではなく、通夜のような雰囲気によく似たであった。
今話した間宮も、その例外ではない。こちらを窺うように時折視線を向け、こちらと目が合うとすぐに逸らす。彼がここに来たからというもの、常に表情に曇りがある。
食事を受け取り席に着く。口に運んだ料理はいつもと遜色ない美味しさではあるが、よく味わって食べようという気にならない。
「ま、これは僕じゃ治せないな」
〈臨時客室〉
艦娘は滅多に私に寄り付かなくなった。関わることそのものを忌避するように、目があってもすぐに逸らし、すれ違っても口を閉じ、気配を感じ取っては息を殺して、そうやって彼女らは自身の平穏をできる限り保っていた。
いっそ私がここから消えて仕舞えばいいのだろう。やっとそう思ったのはつい昨日のことだ。今日頃合いを見つけてここ抜け出すつもりだ。黒崎の提案は、あいつには悪いが断るとしよう。
どのみちうまくいくはずがない。どうやっても彼女らは私とは別者で、分かり合えるなんて分かった気になっているだけだ。誰も悪くない。水と油がそうであるように、これは決まり決まった法則だ。
「……」
部屋の扉の前に誰かの気配がある。もう随分とそこにいる。入るのか、引き返すのか、来たのはいいもののそこは決めかねていたらしい。
私から扉を開けようか?否、相手の選択肢を潰すのはよくない。あくまで私は彼女らの未来を決めていい立場ではない。それは提督であったときも例外ではないのだ。上司だからだとか、人間だからだとか、そういうことは関係ない。彼女たちが決めるべきなのだ。
また暫くして、観念したように気配は扉から離れていった。床の軋む小さな音がどんどん小さくなり、やがて消える。
「……」
何か話すべきだったかもしれない。しかし何を話すべきなのだろう。他愛もない話か?天気とか、好きな食べ物とか、行ってみたい観光地とか……。ああ、いやこういう話はもっと最初に、初めて出会ったときにするべきだったのだ。共通の話題を提示して、くだらないことで笑い合えればそれでよかったのだ。そうしなかったのは、私が彼女らを兵器として決めつけていたからだ。私があの男を殺したのは、彼女らを人として扱わなかったからなのに、結局私も同じ存在だったのだ。
彼女らの味方になりたいなどと私はただの一度も思っていなかったのだ。軍人である性か、あるいは人間としてそう思うしかなかったのか。艦娘の人間嫌いなど、彼女らにその責任を押し付け、分かった気になっていたのだ。現実は、私が彼女らそのものに向き合わなかった、ただそれだというのに。
もっと早く気づくべきだった。しかしもう遅い。私は決して彼女らと分かり合えない。それは絶対の確執だ。乖離した私の人格が何よりの証明だ。滅ぼした二つの鎮守府が何よりの証拠だ。
朝起きて、そんなことを思った。
【同日 1000】
〈○△鎮守府近海〉
ボーキサイトと鋼材が妙に重い気がした。いや、重い気がするのでは無く、気が重いのだ。そんなことを一人で思うと、曙は自嘲的に引き攣った笑みを浮かべた。
鎮守府全体が暗い。どうしようもない暗さだった。明かりは電球を変えればいい。油を注げばいい。蝋燭を替えればいい。しかしこの暗さはどうにもできなかった。遠征は何かの気晴らしになると思ったが、結局はただの荷運びに過ぎなかった。
「曙ちゃん?」
「え?ごめん、何か言った?」
「いや、そうじゃなくて……なんかボーッとしてるなぁって思って……」
「何言ってんの、そんなことないわよ。
「そっか……」
潮はいつも以上に物憂げな表情だった。口では否定したが、確かに今私の心はここにはない。自分の内側が見えない。いや、ここにあったところでこの心というのは粘土なように変形させることができない。むしろ自然現象のように、人がどうこうできるものではなく、その上その変容の影響をもろに受ける。
提督はあの鎮守府にはいるが、私たちとは関わろうとはしない。しかし拒絶しているわけではない。そう感じるとしたらその原因は私たちにある。
許されないことをした。許してもらえるわけがない。しかしどうか許して欲しい。そんな矛盾を、利己心を抱いているために私たちは一人でに傷つくのだ。こんな我儘を許容してくれたら、私たちは飛び上がって喜ぶだろう。それが彼にとってはただの理不尽だというのに。どうしようもない自分たちに嫌気がする。
「………ん?」
「どうしたの、朧ちゃん?」
「いや、あれ……」
水平線の向こうに黒い影が見える。岩礁だと思うのも束の間、それが多数の敵艦であることを悟る。
「曙ちゃん……!」
「……わかってる。総員、全速力で鎮守府に向かうわ」
「「「了解!」」」
〈○△鎮守府執務室〉
「第二遠征艦隊より通電!敵艦隊を観測、敵艦多数!」
「第三艦隊を招集しろ!集まり次第出撃!」
「哨戒及び館内の遠征艦隊は任務中断。資源搬入急げ!」
突然の放送に鎮守府内は騒然となる。それぞれの任務や日常を過ごしていた中に強襲するイレギュラーは、平穏を緊張に引きずり落とすには十分だった。
「提督!」
「おや、長門くんか」
「敵艦隊襲来だ。やり方は我々のでいいか?」
「………」
「提督?」
「ごめんね、今こっちにも電報が来ていてね。ちょっと忙しいんだ。……なるほどね、そういうことか」
「どうしたんだ」
「複数の鎮守府で同様に敵艦隊が接近しているらしい」
「なにッ!?」
「同時多発的な襲撃だね……。まあ鎮守府が二つ堕ちたのが悟られるのは時間の問題だったけど、いよいよ来たってわけだ。援軍は期待できないよ、僕たちでどうにかしないとね」
「……分かった。とにかく今は曙たちだ。何かあったらすぐに伝えて欲しい。鹿島、提督を」
「分かりました。私も全力でサポートします!」
長門は足早に部屋を出て行く。黒崎はそれを見送ることもなく引き出しから丸められた大きな海図を取り出す。
「鹿島くん、駒を」
「は、はいっ!」
鹿島は棚を上に放置されていた埃被った段ボールを取り、そこなら「凸」の形をした駒を取り出す。ソファを退かしてテーブルの上に海図を広げる。
「僕たちはここ……。隣の鎮守府はここで、」
「はいっ」
「呉、佐世保は……こことここだね。北方と南西諸島は既に陥落してるから無しとして、今確認できるだけでも大本営合わせて5つか。実際はもっと多いだろうね」
「これだけの数の鎮守府を同時に攻め込むなんて……どうしてこんな急に……」
「僕もよく分からないけど、まず間違いなく二つの鎮守府が攻め落とされたことが関係しているだろうね。宮本くんが深海戦艦にとってどういう存在なのかは知らないけど、少なからずこれを好機と考える深海戦艦がいたんだろう。大本営にも攻めているあたり、戦力を北方と南西諸島に割いていることも把握しているのか……?」
「物資は十分にあります。長門さん達ならきっと勝てると思います」
「それはあくまでこの鎮守府だけの話だろう?鹿島くん、今回の1番の問題が何か分かるかい?」
「え、ええと、戦力差、ですか?」
「惜しいな。正解は、"大本営と他の鎮守府を同時に攻め込んできている"だ」
「どういうことですか?」
「戦争の勝ち方は二つ。一つは、相手の兵士を一人残らず倒すこと。もう一つは、敵の首を獲る……つまり大将を殺すことだ。この場合の首は大本営だ。戦力が最も集中している分、攻めるのは難しいけどここさえ落とせば向こうの勝ちと言えるだろう。そう考えた時、全ての戦力を大本営にぶつけて短期決戦に持ち込むはずだ」
「でも今回は他の鎮守府も同時に襲ってきている……。ま、まさかっ!?」
「大本営をも取るに足らないと思えるほどの超戦力を有しているか、日本全土を一気に奪取するかもしれないね。とんだ最終決戦だ」
「ど、どうするんですか!?」
「今からこっちの戦力を回しても間に合わないだろう。大本営が堕ちたらこっちの負け。だから大本営がなんとか勝つことを祈るしかないね。他の鎮守府にも同じことが言えるけど」
「そんな……」
「悲観するのはまだ早いよ。そもそもそんな戦力がいたらこっちもある程度捕捉できたはずだし、何より流石にやり方が無謀だ。ここ数十年膠着状態だったのに、こんな急にやってくるのはおかしい。何か理由があるはずだ。問題はそれが何かだね……」
コンコン
その時、執務室の扉を叩く音がした。鹿島はハッとして「どうぞ」と言った。
「何かあったのか、黒崎」
「宮本くん……」
「宮本提督!」
「随分と騒がしい。敵襲か」
「……ああ。実は─────」
〈○△鎮守府近海〉
鎮守府より5海里地点で、曙たちと第三艦隊が敵艦隊と戦闘を繰り広げていた。
「曙ちゃん!」
「わかってるッ!」
ドゴッ!!!
《グォォォォォォォォ!!》
「油断しないで!中破した艦娘は陣形の後ろへ!正面は私たちが引き受けるわ!」
「敵増援、来る!大井、北上!」
「了解!」
「分かった」
《貴様ら忌々しき艦娘ども……ここに沈め……!》
「艦載機発艦準備完了!千代田、行きます!」
「酸素魚雷、発射!」
艦娘達は奮闘しながら、どことなく違和感を感じていた。それは深海戦艦たちの猛威……その気迫が今までとは比べ物にならないものだったからだ。
鬼気迫るものがある、というか必死に何かに駆り立てられているような勢いすら感じるのだ。中破した艦娘こそいるが、深海戦艦たちの戦力はそれほど高くない。しかし問題はその数である。雑魚と言っても良い個体が多く押し寄せ、倒しても倒してもまた現れてくる。
雑魚は何匹群がっても雑魚、なんて言葉があるが、弾薬も燃料も有限である以上、そうも言ってられない。資源が枯渇すればこちらは太刀打ちできない。数の暴力とは非常に厄介なのだ。おまけにこの勢いがあると、いよいよ苦戦を強いられることにもなる。
「武蔵さん!そろそろ弾薬が底をつきます!」
「こちら燃料が限界です!」
「分かった。総員、鎮守府まで後退!敵を捌きつつ行くんだ!」
この中で最も練度の高い武蔵も焦りを感じていた。海底からまるで溢れるように現れる深海戦艦達の数は、長く戦ってきた武蔵にとっても異様だった。そしてこれだけよ数がいながら、統率個体が、旗艦がいないのだ。これはまるで襲撃ではなく氾濫である。
「(なんだこの嫌な感じ……。とにかく、今は撤退するしかない……!!)」
〈○△鎮守府母港〉
「見えました!」
「あれは……」
「すごい数だなぁ、想像以上だ」
双眼鏡を覗くと、深海棲艦の大群から必死に逃げる艦娘達の姿が見える。大破している者はいないが、流石に疲弊しているようでまともにやり合えないと見える。
私も黒崎も、艦娘達の状況よりも深海棲艦の勢いに注目していた。そうせざるを得ないほどに、深海棲艦たちの動きが尋常ではなかった。陣形もクソもない、まるでアイドルに群がるファンのような、まさに群体である。ひたすら前進、前進、前進。攻撃を避けるつもりなんてさらさらないのか、倒れた仲間に目もくれずに迫ってくる。
「全艦、目標正面!」
「長門……」
「撃てッッッ!!!」
轟音と共に複数の閃光が深海棲艦たちの群れのど真ん中に吸い込まれていく。そして次の瞬間、光と爆炎と衝撃波が視界いっぱいに現れ、膨張していった。深海棲艦の悲鳴と蠢くような波の音が耳に鳴る。
長門たち第一艦隊と金剛たち第二艦隊が、母港を守るように一列に並んでの一切砲撃である。戦艦、重巡、軽巡、そして駆逐艦で編成された、鎮守府の実力者を集めた艦隊である。資源の消費は激しいが、その分火力は凄まじく、攻撃された水面は燃え盛っている。
「次弾装填、急げッ!」
「逃げてきた艦娘達は無事にこちらに到達しました!あとは敵ですが……」
「……こりゃすごいな、奴ら止まることをしらないらしい」
「たとえ目の前の仲間が倒れてもおかまいなし、か」
「ど、どうするんですかっ!?全然数が減っていないですよね!?」
「鹿島くん焦らない焦らない。たぶんそろそろ来るから」
「え──────?」
突如、大きな連続した破裂音とともに雲間なら戦闘機が現れた。双眼鏡で再び見ると、深海棲艦たちの頭上に艦娘たちの艦載機が多数展開されているのが分かる。
「今よ」
「爆撃開始ッッッ!!」
「赤城くんたちだね」
「す、すごい……」
「……」
深海棲艦たちは白い光と熱、そして痛みの嵐に飲まれる。一航戦を主力とする航空艦隊は、長門たちの次弾装填の時間稼ぎ及び攻撃のダメ押しとして、艦載機を自在に操って攻撃する。
高練度だからこそ成せる、素早く正確で、かつ強力な空爆は、ボーキサイトの残量など一切無視した全力攻撃。五航戦や軽空母も含めれば、それはまさに大群で押し寄せるスズメバチである。
「長門」
「ああ。総員、構えッ!」
爆炎の中、深海棲艦たちが姿を表すまで長門達はじっと待つ。空母達は次の準備のためにまだ攻撃できない。先の攻撃で大打撃は間違いないだろうが、一匹残らず焼き尽くす勢いでやるのが迎撃戦のセオリーである。
しかし、煙の中から現れたのは誰も想像していない光景だった。
「え!?!?」
「なるほどねぇ」
「長門!」
「奴ら……ここまでとはな」
彼女らの全力砲撃をもってしても、深海棲艦の濁流は止まらなかったのだ。奴らの息遣いが分かるほどに、すぐそこに迫っていた。
これには流石に皆動揺を隠せなかった。次の攻撃はまだ間に合うとしても、接触は免れない。鎮守府への侵攻を許すことになる。そうなれば数に押されてここは陥落する。
「提督!!」
「鹿島くん、君は逃げろ。今からじゃ兵装は間に合わないだろう?」
「て、提督はどうするんですかっ!?」
「指揮官が持ち場を離れるわけにはいかんでしょ。それに、ここが堕ちるのは僕が死んだ時だ。おめおめと逃げるわけにはねぇ」
「み、宮本提督っ」
「こいつは言い出したら聞かないやつだ。好きにさせてやれ」
「そ、そんな……」
「宮本くんも逃げたらいい。それとも僕と心中するかい?」
「貴様よりは長生きするつもりだ。恐ろしいことを言うな」
深海棲艦が鈍い音を立てて艤装を展開する。長門達もまた同様に今にも撃とうとしていた。
しかし、深海棲艦が突然、ピタリと止まる。
「………?」
「ああ………?」
「な、なんだ?」
「ど、どうしたデース?」
「急に止まったぞ……」
「な、何が起こったのでしょう」
「助かったのかな」
「………いや」
微動だにしない深海棲艦。青白く光る瞳は、眼前の艦娘たちではなく、私に向けられていた。
「なるほどな……」
《……》
一匹の深海棲艦がゆっくりと近づいてくる。わたしも母港の堤防から海に降りる。白かった軍服はたちまちどす黒く変化する。
「宮本くん」
「黒崎、少し話をしてくる」
「宮本提督!」
「……分かった。鹿島くん、止めなくていいよ。長門くんたち、少し待っていてくれるかな」
「し、しかし……」
深海棲艦は立ち止まり、不器用ながらもお辞儀をするかのように頭を下げた。少し口をもごもごと動かした後、奇怪な声で話し始める。
《きゅ、きゅうせいしゅさま……》
「救世主?私のことか?」
《勿論で……ございます……。我ら深海より集まりし兵ども……貴方様のお力になるべく……参上いたしました……》
「待て。何故私が救世主なんだ」
《……先の鎮守府二つの撃破……》
「!!」
《誠お見事にございます……。忌々しき人間どもが築いた……邪悪な根城……お一人で蹂躙される様はまさに英雄そのもの……我ら……感服いたしました……》
「……そうか、あの時の私を……」
《長きに渡る……戦争……悲劇の連鎖を断ち切るそのお力……我ら深海棲艦の……救いなれば……貴方様に続き、従う所存……でございます……》
黒崎たちの方をちらりと見る。黒崎はいつもと変わらない視線を送り続けるばかりであったが、艦娘たちは不安げにこちらを見つめていた。
「いや、私は……」
《……………?》
「私は、深海棲艦ではない」
《しかし……人間には……見えませんが……》
「!!」
《あの快進撃は……間違いなく貴方様……。人の味方では……ないはず……》
「……ああ、そうだな。私は人間の味方じゃない。だが深海棲艦の味方でもない。私は───────」
化け物なんだ。
《…………》
「消え失せろ。私の目の前から今すぐ」
《……承知いたしました》
【その日の夜】
〈○△鎮守府 執務室〉
深海棲艦たちはあっさりと撤退していった。荒れ狂う嵐のような勢いはなくなり、整然と静かに海へと帰還したのである。異様と言う他なかったが、彼にとっては当然のことなのかもしれない。
執務室に引っ込んだ僕に、彼は徐に呟いた。
「この間の話」
「ん?」
「人間の味方として戦うって話」
「ああ、そのことね」
「悪いが辞めておく」
「…………そっか」
「すまんな」
「いやいいんだ。一度は死んだ君の進退、君が決めるが筋というものだ。君のその判断に文句は言わないよ」
「それから……今夜、日が昇る頃にここを発とうと思う」
「そりゃまた急な話だね。まあそんな気はしていたよ。例の……"救世主"ってやつだろ?」
「ああ。今日の同時多発的な深海棲艦の襲撃は、連中が二つの鎮守府が陥落したことを好機と判断したために起こったことだ。さらに、私を中心にこのまま日本海軍を潰そうとも考えているらしい。生憎私はそんなことをするつもりはない」
「人間の味方をするってことかい?」
「私は人間でも深海棲艦でもない。中途半端で曖昧な存在だ。どちらの味方になるとか敵になるとかはないんだ」
「なるほどね……」
これが今生の別になる、とは思わない。一度死んでも蘇った男だ。また何かの因果で会うことがあるかもしれない。だから引き留めようとは思わなかった。
しかし彼の一言が気になった。「人間でも深海棲艦でもない」。確かに彼の言う通り、彼はその二つの分類に当てはまる存在ではない。立場としても、生物としても。だから彼は孤独であった。誰も味方でもないし、敵でもない。彼は誰と戦うことも、誰かのために戦うこともないのだ。
そう考えると哀れという他ない。孤独とは、そうそう人間が追い込まれない境遇だ。友達がいなくても仲間がいなくても、人間には人間社会が、深海棲艦には深海棲艦の社会がある。社会という集団に組み込まれている以上、真の孤独には至らない。だが彼には社会がない。彼はありとあらゆる蚊帳の外であり、内輪にいない存在だ。彼は完全に孤独なのだ。これが哀れでなくてなんだというのだ。
扉が開く音がした。見ると、とても静かに、しかし酷く取り乱した鹿島の姿があった。
「鹿島……」
「今の話、本当ですか…………?」
「……」
「提督が、またいなくなる…………」
「鹿島くん、君の気持ちはわからんでもないが、これは彼の─────」
「嫌ですっ!!提督がまたいなくなってしまうなんて……私たちのせいでいなくなってしまうなんて嫌ですっ!!ねぇ提督、私たち、決して提督に迷惑はかけません!たとえ深海棲艦に襲われてもきっと勝ってみせます!気に入らないところが私たちにあるなら直します!今の私たちならうまくやっていけます!だから提督、どうか」
「鹿島」
「!」
「お前の気持ちは嬉しい。それは本当だ。だが私はやはりここにはいられない。私だけの居場所を見つけるよ」
「な、なら私も行きます!提督と一緒に二人で──」
「鹿島」
彼は優しく語りかける。泣きじゃくる彼女を諭すように落ち着いた声音であった。
「お前はよくやってるよ。本当に優秀だ。たまにはお前の我儘を聞いてやりたいが、ごめんな、それはできないんだ」
「どうしてっ…………どうしてまた一人で…………」
「もう決めたことだ。黒崎」
「ん」
「私の遺品は全て燃やしておいてくれ。いや、士官学校の集合写真は取っておいてほしい」
「分かった。任せてくれ」
「それから鹿島……いや、他の艦娘たちのことは、全てお前に任せる。頼んだぞ」
「分かったよ。提督に就いた時点でそのつもりさ」
「……なら、もう大丈夫だな」
そう言うと、彼はいつにもなくにこりと笑った。快活な笑みだった。こんな時、僕は笑い返せばいいのか、それとも寂しさを包み隠さず面に出せばいいのか分からず、苦笑いする他なかった。
明け方、彼は艦娘たちには顔を合わせずにこの鎮守府を立ち去った。海に降り立ち、黒い軍服を一丁前に着こなして、眩しすぎる朝日に溶けていくように、消えた。
[数日後]
〈大本営 大会議室〉
「先の深海棲艦の同時多発的な襲撃、やはり北方と南西が落ちたのを勘づかれましたな」
「どの道攻められることは見えていた。規模が違いすぎただけだ」
「その結果、今ではどの鎮守府も資源不足だ。ここもその例外ではないぞ」
「もう猶予は残されていない。また同じように攻め込まれれば堕ちるのは確実だ」
「幸い敵の統率個体に関しては判明している」
「例の黒軍服か」
「ああ。単騎にて行動するのは不可解だが、今回の深海棲艦の動きは奴が煽動したものだろう。数で押し切れば、奴一人どうにか倒せるのではないか」
「バカを言え。そう言って二つの鎮守府が陥落し、挙句奴には何のダメージも与えられていないんだぞ。数で押したところでその分損害が出るのはこちらだけだ」
「ならばこのまま見過ごせと?」
「そうは言っていない。ただやり方を考えるべきだと言っている」
冷静な口調ながらも焦りを隠せない海軍幹部たちは、いつになく苛烈な討議を繰り広げていた。あるものは交戦的に、あるものは保守的に、各々の意見を述べる。そうして討議の平行線が明確になってきた頃、それまで沈黙を徹していた元帥がその口を開いた。
「お前たち……」
「「「「「!?」」」」」
「大の男が慌てふためいて……情け無いのう……」
「げ、元帥閣下っ」
「しかし、これは海軍史上未曾有の危機にございます。これほどまでに手痛い仕打ちを受け、国民からの信用も失いつつある。早急に手を打たなければ取り返しのつかないことに────」
「焦るなと言っているんだ若造」
「え、げ、元帥閣下……」
「……おい」
「はっ」
「ここと、近くの鎮守府の戦力は?」
「現在、大本営直轄鎮守府の戦力は先の襲撃により2割減、付近の鎮守府の戦力は3割減というところでしょう。どちらも一月もあれば持ち直せますが」
「奴の場所は?」
「現在、ここの艦娘の艦載機が目標を捉えています。ここより南東約75海里、単独です」
「…………一週間」
「はっ?」
「一週間でここの戦力を回復させろ。他の鎮守府の資源を回収し立て直せ。他は最悪戦えなくても構わん」
「な、何を仰るのです閣下!鎮守府はそれぞれ防衛の要、戦えなければ何の意味もありません!」
「構わん」
「それに、仮に資源を他鎮守府から回収したとして、一週間で立て直すのは無茶です。せめて2週間はかかるかと」
「間に合わせろ」
「で、ですが何故にそのようなことを」
「奴を叩く。ここの全戦力をもってな」
「た、叩く!?」
「ここの全戦力で、ですか」
「いい加減ケリをつける、ということですか」
「今この国の戦力を立て直すために一月浪費しても、また攻め込まれないとも限らない。なら奴が捕捉できている内に、倒せぬまでも少し損害を与えておく。奴が統率個体ならば、深海棲艦全体にとっても大きな打撃になるはずだ」
「仕掛けるなら今、か……」
「だが、これはまた大変ですな……我々にとっても、艦娘たちにとっても」
「儂らは負け続けている。これ以上奴に煮え湯を飲まされる気か?」
「……ま、やれるだけやってみましょう」
「他ならぬ元帥閣下の作戦なら」
「ですな」
「いい加減、やられっぱなしは嫌ですからね。」
「次は、我々の番ですね」
〈○△鎮守府〉
「宮本くんはここを出て行ったよ」
さらっと、何事もなく黒崎は艦娘たちに伝えた。彼女らの驚き、動揺は語る必要もないだろうが、彼女らの心の激震とは対照的に、黒崎は非常に冷静であった。「飲み物とってくる」と同じくらい味のないトーンで語ったのだ。
「どういうことだよ提督」
「今伝えた通りだよ」
時雨はすぐさま黒崎のもとへ行き問い詰めた。怒りはなかった。ただ焦りと、何も言わずに出ていった宮本への疑念だけがあった。ようやく手の届くところまで戻ってきた恩人が、また急にいなくなっては当然だろう。他の艦娘も同様であった。だが黒崎はいつも通りの口調で、いつも通りのトーンで、いつも通りのおちゃらけた調子で答えた。
「まあ脱走と言われればその通りだけど、彼は比較的穏やかに出て行った。荷物なんてほとんどなかったし。君達に挨拶もなかったのは……まあ少し寂しいことではあるけれどね」
「なんで、止めなかったの」
「彼がそう望んだからさ。それに彼を引き止めようとして、その結果ここが滅ぼされたら嫌だからね。ここに彼を匿っていたのは僕たちしか知らない。逃亡を許したとは誰にも気づかれないだろう」
「っ……!」ダッ
「今から追いかけようとしても無駄だよ。深海棲艦の群れならまだしも、たった一人海を彷徨う彼を捕捉するなんてできるわけない。艦載機を飛ばしてくまなく探すっていうなら話は別だけど、駆逐艦の君じゃねぇ」
「他の艦娘にお願いするよ!」
「それもうまくいくとは限らない。現に君が今一人でここに来たのは、ほかに賛同する者がいなかったからだろう?」
「……!!」
その通りであった。いなくなったことない皆驚きこそしたが、しかし執務室に直談判しに行くと言った時には、誰一人それに続こうとはしなかった。
「もう分かっていることだから言う必要もないとは思うけど、君達は内心安堵しているんだろう?彼との記憶をこれ以上思い出す必要がない。気をつかう必要がない。後ろめたく思う必要がない。罪をまざまざと見せつけられているようで、彼がいる間、君達は本当に苦しそうだった。逃げるにも逃げられないのがさらに苦しめていた。克服できるかと思っていたのかもしれない。だが彼は何もかもを拒絶しようとしていた。そうし始めていた」
「そっ…………そんなことない!」
「なら何故君はここに一人なんだ。何故誰も彼を帰還を望まないんだ」
「それは…………」
「責めはしないよ。君達は君達が思うほど、強く作られてはいない。そして人間はそれよりも弱い。今後、彼の話は極力僕もしないようにするよ」
その方がみんな楽だろう。
2ヶ月くらい間が空いたけれども、みなこの作品のことを覚えているだろうか。そんなことを考えながらの久しぶりの投稿です。お待たせしてすみません。最近色々忙しくて手をつけられていませんでした。
また1ヶ月後くらいに投稿できるように頑張ります。構想はとっくの昔に完成しているのに全然形にできていないのが、遅延の理由であります。ご容赦ください。
続きが投稿されるのを首をピノキオの鼻のように伸ばして待ってましたよ、完結するまで応援します頑張って下さい
お待ちしておりました。
お忙しい中投稿ありがとうございます。