2019-08-08 10:30:25 更新

*本作は"提督「化け物の誕生」大焦熱地獄(7)"の続編です。















[宮本 會良提督死亡から 二週間後]

(深海化 14%)

〈北方海域 無人島〉

血相を変えて部屋に飛び込んできたのは深海棲艦の一言で、ほんの一瞬前の平穏な雰囲気はぶち壊れた。机の上の皿をひっくり返す勢いで立ち上がり大急ぎで部屋を出る。



《敵の数は!?》

《全部で6隻!空母2戦艦1重巡1駆逐2、十分後に接敵!》

《よしっ、港湾を旗艦として迎撃部隊を編成!駆逐ハ級を誘導に使ってもいいわ!重巡!》

《わかってる。いつも通り、まずこの島から距離をとればいいんだろ?》

《頼むわ。港湾、艦載機の用意はできてる?》

《問題ない………。北方はどうする?》

《私と一緒に最終防衛線としてここに待機するわ!》

《了解なのッ》



中枢が物凄い勢いで指示を出していく。他の深海棲艦も素早く支度を済ませ、暴風雨のように足早に部屋を出て行った。


皿(平たいただの石だが)には捌かれただけの魚が置かれ、それが円を描くように配置されたまま残された。



かくして私は取り残されてしまった。彼女らの表情と雰囲気の変わりようは凄まじかったが、まさかここまで無視されてしまうとは思ってもいなかった。それほど、事態が緊迫しているということだろうか。



「…………………見に行ってみるか」











〈無人島 周辺海域〉

この星の7割を占めると言われている海は、進もうとすると前後左右の感覚を失う。


自分が少し前にいた風景と同じ場所に立ってる。自分は一歩も前に進んでいない。どこまでも続く海に終わりはなく、ただ果てのない海原を歩いている。そんな途方も無い海原に、私たち艦娘でさえしばしば困惑する。



だが少なくともこのあたりは、私たちが私たちの場所を見失わない海域だ。鎮守府からは少し離れているが、それでもここが地図のどの辺りなのかくらいは分かる。




「Roma!」

「なに?zara?」

「敵の哨戒艦隊が見えました。敵は大したことないですが、おそらく姫級が増援に来るかと」

「ここの戦力も、残すところ姫級くらいね。焦らず慎重に、かつ迅速にケリをつけるわ」

「はい!」

「天城、葛城」

「はい」

「なにかしら?」

「露払いはお願い。私とzaraで姫級をやるわ」

「いつも通り、ということですね」

「了解!」

「江風」

「はいはーい」

「仕留め損なった敵は任せたわ。くれぐれも無茶はしないでね」

「だいじょーぶだいじょーぶ、夜戦じゃなきゃ負けないよ」



この無人島(或いはその周囲の海域)がここらの深海棲艦の根城であることは随分前に分かった。最初は肉を切らせて骨を断つ、くらいの苦戦を強いられたが、今となっては残党にすぎない。最近は向こうも諦めているのか、戦闘には消極的ですぐ撤退していく。


島が罠である可能性を考慮し、今までは戦力を削ることを優先してきたが、今回からはいよいよ本格的な殲滅を目的とする。つまるところ、この島を徹底的に叩く。


姫級には苦い記憶もある。しかし今の私たちには取るにならない連中にすぎない。所詮この島も、数ある通過点の一つなのだ。




「準備はいい?じゃ、始めるわよ!」

「「「「了解!!」」」」」













〈無人島 沿岸〉

洞窟をでてると少しだけ浅い岩場が続いて、その先にはちょっとした砂浜が広がっていた。流木も岩もサンゴの死骸も流されてきたゴミも堆積してあって、正直汚いビーチではあるが、その荒れた砂の原に私は向かった。



久しぶりに見る空はドス黒い鉛のような雲で覆われていた。今にも嵐が来そうな重苦しい空気で、それでいて風はなかった。周囲を見渡すと、砂浜の後方は林が続いていた。ジャングルのように鬱蒼としているわけではないが、それでも奥が見えないほどには草が生い茂っている。高い山はなく、ただ木が林立しているだけだ。




考えてみれば、久しぶりの外だ。ここに来てどれくらい経つかわからないが、随分と長い時間あの洞窟にいたと思う。意外なことにあそこは快適に感じた。風通しも悪く、薄暗く、天井も低いのに、それを窮屈には思わなかった。むしろこの雲の天井の方がよっぽど不快だ。


晴れていればもっと心は盛り上がったのだろうか。いや、私はそもそも外に出たいと思っていたのか。それすらわからない。




海を見ると、鉛の空は水平線でぷっつりと切れ、そこから灰色の海が風で蠢いているのがわかった。まったく汚いこの風景は、ある種の不安を掻き立てる。


中枢たちは既に海に出たのだろう。当然だがここから見てもただ広い海しか見えない。しかしあの話から察するに、沿海で戦っているのは間違いないはずだ。



「なんとなく外に出てきてはみたが…………私にできることなんてあるわけもなかったな」



自虐的に一人呟いてみる。





しかしふと、自分の今の発言がおかしいことに気がついた。


なぜ私は深海棲艦の味方をしているのか?


確かに少し前に、あいつらが人類と敵対するつもりでないことは理解したが、だからといって「そういうことなら仲良くしよう」とすぐに掌返ししているのも我ながらおかしいではないか?ここでないどこかでも、人間と艦娘は海の奪還するために日々奮戦しているというのに、私は今の立ち位置に甘んじていいのか?そもそも、本当にこいつらが和平を結ぼうとしているのかすら疑わしいはずだ。何を信じ込んでいるんだ?



「そうだ………私は、私はここから逃げるべきではないのか?早く鎮守府に戻って、」




そこで言葉に詰まった。



戻る?戻るだと?


またあそこに戻るのか?私の努力と正義を無視し、挙句まるでストレスの掃き溜めのように扱い、どれだけ私が奔走してもせせら嗤いどれだけ私が彼女らを思っても無下にする、あの艦娘たちがいる鎮守府にか?


確かにあの戦いでは彼女らは助力してくれた。艦娘の中には、私に協力的な者も僅かに存在する。しかしそれこそ疑わしいのではないか。下手をすれば、この無人島よりも私にとっては凄惨な場所だ。


いや勿論、それは彼女らのせいではない。落ち度は我々人間にある。しかしその理不尽を全て許容できる精神は生憎持ち合わせていない。無理して聞こえないふりをするのも、艦娘に痛めつけられたのを堪えて働くのも、将来についてぐずぐすと頭を悩ませるのも全く楽なことではない。



そう考えると、この島もあの鎮守府も大して差はなかった。



「………………」



どこに進んでもどうしようとないことを知って、とうとう私は座り込んだ。前進と後退を繰り返す波を眺めながら、私は今の自分をようやく理解した。




ああ、つまり私は死んでいるのだ。



拠り所がない。故郷もなく、逃げ場もなく、現状を変える手段もなく、何か一つを完全に信じきる心の強さもない。死んだ私は海に漂っていたらしいが、それどころではない。今は宙に浮いているよりも不安定だ。


はたして私はいつから死人なのだろう。あの戦いで肉片になった時か。それとも自分の正義に酔ってあの男の首を刎ねた時か。それとももっと前、物心つく前に両親とともに生まれ故郷を焼かれて一人になった時か。なんなら私は、生まれた時から死んでいたのか。



……………いや、一人だけ例外がいたか。ああ、あいつだけは唯一頼ってもいいのかもしれない。きっと私はその時は屈辱で死にそうになるだろうけれども、しかしあいつは私の親友だから、きっとあいつがある意味では唯一の拠り所だろう。



『え?そんなことで悩んでいるのかい?馬鹿だなぁ。考えてもわからないなら、考えても無駄なんだよ。悩むなんて行為は、この世で最も無駄な行為さ』



奴はきっとこう言うだろう。何故あんな奴が私と馬が合うのか、どうして対立的とも思えるこの価値観の違いの中で、私たちが親友になったのか、未だにわからない。だが、奇しくもあいつだけが私の持つ唯一の安心だったのかもしれない。


それに、私がもし死人なら、医者であるあいつとならそれこそ御誂え向きだ。滑稽ですらあるほどに。



「いや、あいつでも死人は救えないか。全くお笑いだな」



自分の手を見た。深海棲艦の肉体を移植させた、紛い物の手を。気味の悪い真っ白だ。血が通っていないように、冷たく、白く、生気がない。実際、血は通っていないのかもしれない。ほら見ろ、私はやはり死んでいるのだ。




水平線のそのまたちょっと先で、先程馴れ馴れしく共に食事をしていた連中と、私がついこの間まで命をかけて守ろうとしていた連中が、互いの生のために殺し合っていると思うと、どうにもおかしく思えた。一度死んで、今なお死に続けている私からすれば、殺し合いとか戦争とか、もう馬鹿馬鹿しい。


ああ、思い上がっていたのだ。艦娘のためにあの理不尽の中で働いていた時も、ここで深海棲艦と平和に過ごした短い時間も、結局私は"私が誰かのために役に立っていると私が思っている"だけで、本当は空気ほども役になっていなかった。



「……………何をしているんだろう、私は」













〈無人島 周辺海域〉

雑魚は掃討し、いよいよあの無人島に向かう。幾度となく苦戦を強いられたあの忌々しい姫級が住まう呪われた島。今となってはもはや取るに足らない、脆弱な要塞だけれども、ある意味ターニングポイントなのだろう。



「艦載機より報告!12時の方向に敵影6!」

「ありがとう、葛城。多分今回の主要艦隊ね。…………今回は相手の戦力を削ぎつつ無人島を奪回するのが目的よ。焦らず一人ずつ倒していきましょう」

「Roma、さっきの戦闘でみんな燃料が少なくなっています。もし長引くようなら………」

「その時は潔く撤退すればいいわ。まあ、前回で向こうの戦力もだいたい知れてるし、その心配はないようなものだけれどね」

「…………ん、目標を肉眼で確認。接触まで大体30秒くらいだよー」

「了解。総員、気を引き締めていくわよ!今日こそ決着をつけるわ!」

「「「「「了解!」」」」」





徐々にその姿が克明に現れていく。


「中枢棲姫…………やはりいるのね。深海棲艦のコロニーのようなものだとは思っていたけど」

「まさに親玉って感じです。重巡棲姫に、空母棲姫、リコリス棲姫に、駆逐古鬼が二人、ですか。少し手強いですね」

「普通ならね。ここの補給路を絶ってもう随分になるわ。向こうは相当疲弊しているはずよ」

「ま、用心するに越したことはないわ。私はこのまま航空支援を続けるわ」

「了解、私とzaraで中枢を討つ。江風は常に移動して敵を撹乱しているだけでいいわ」

「りょーかい」

「了解です」





小さなシルエットが視界に入り、やがて表情が見えてくると、互いにほぼ同じタイミングで攻撃を開始した。姫級は比較的航行速度は遅いが、それでも射程の長さでは向こうが有利だ。



《消え失せろッ………!》

「こっちの台詞よ!」



空母棲姫が飛ばした攻撃機と葛城の攻撃機が頭上で戦闘を開始した。プロペラ音と爆発音がまるでBGMのように絶え間無く鳴り続ける。


補給路を遮断するしているから、向こうが先に折れるはずだ。葛城と天城がいるのだ。少し経てばあれは倒れるだろう。



《海に………沈めて………あげるッ………》

「そうはいかないよっ!」



江風は駆逐古鬼の攻撃を容易く回避し、リコリスに砲弾を食らわせる。そしてすぐに距離を取り、また別の深海棲艦へと攻撃を行う…。という動作を延々と繰り返している。


確かに駆逐艦の火力は低く、正直姫級相手ならほとんどダメージを与えられない。だがそれでもこういう戦闘では大いに役に立つ。


まず周りの駆逐古鬼を引きつけ、こちらの戦闘の邪魔をさせないようにできることだ。機動力のことを考えれば向こうが駆逐艦を出してくるのは当然であり、それを封じることができるのはかなり戦況を好転させる。また、攻撃に時間のかかる戦艦以上の深海棲艦たちにとっては、たとえ弱い駆逐艦でも、何度も攻撃されれば無視はできないだろう。最弱にしてもっとも有能な艦種、それが駆逐艦だ。




《吹っ飛べ………!》

「こちらの台詞です!」

禍々しい砲塔から黒煙と共に砲弾を放つ重巡棲姫を相手に、zaraも負けじと撃ち返す。装填速度がほぼ同じであるため、互いに距離を保ったまま、西部劇のガンマンさながらに砲撃を行う。


完全に一対一、他の戦況など御構い無しに互いの敵意をぶつけ合う。私を含め誰も加勢しようとは思わない。そこ余裕がないのもあるが、二人には鬼気迫る闘争性があるのだ。





そして私、戦艦Romaは、



《……………》

「貴方が親玉ね。……………とうとう追い詰めたわ」



中枢棲姫。その出現確率の低さと戦闘データの少なさから、現在に至るまで殆どの情報がない。港湾や空母棲姫、或いは通常の戦艦クラスの深海棲艦と比べてもやや華奢な体躯ではあるが、その強さは強烈無比と言われている。


総勢18隻の連合艦隊で挑んで、大破続出で撤退したとか、単体で一つの鎮守府を滅ぼす力があるとか、嘘とも真とも思える噂が飛び交い、やがて深海棲艦の親玉"中枢"という暫定的な名前が付けられた。


つまり、ものすごく強い敵。



「(…………のようには思えないのよね)」

《……………帰れ》

「そうはいかないわ。今までの借りをたっぷり返さなくちゃ。それにここの島を抑えれば、この辺り一帯の海域の奪還はほぼ確実。退く理由なんてないわ」

《……………あくまで争いを望む……、愚かな…………!!》

「……………お互い様でしょ」



怒りを露わにする中枢に対し、私は何の切り出しもなく、唐突に砲撃を開始する。



《ッッ!?》

「名乗りでもあげればよかったかしら?でも、これから沈む相手には言っても無駄なのよ」

《…………やむを得ないわ………。そして、あまりにも度し難い…………!》

「!」



砲弾をギリギリで回避して、波しぶきでよろめく中枢は、その瞬間こちらに向かって撃ち返してきた。


砲弾は避けるまでもなく、私の横を通り過ぎていったが、明らかに戦艦以上の威力があった。後ろから聞こえる爆発音と、体に微かに残る風圧の感覚がそれをひしひしと伝えてくる。



「なるほど、噂はまんざら嘘ではないと」

《…………最後通告………、今すぐ帰れ》

「まだ言うかッ!」



すぐさま次弾装填し、次は確実に顔面を狙って撃つ。これをギリギリのところで艤装で守った中枢は、咆哮にも似た声とともに全砲門を解放した。


《喰らえッッ!!》

「ぐっ!?……………なんのぉ!」

《ッ!》



撃っては避け、避けては撃ち、撃っては守り、守ってはまた撃つ。


作戦などない。ただ一心に己の力を最大までぶつかるだけだ。






暫く、皆目の前の敵に夢中になっていたが、駆逐古鬼を陽動しつつリコリスを相手にしていた江風が、いよいよその限界を告げた。


「Romaさん!こっちはそろそろ限界!」

「…………ッ!了解!zara!」

「はいっ!私もそろそら弾薬が尽きます!敵も同じだとは思いますが………」

「葛城、全艦載機を発艦!撤退を推奨します!」

「同じく!」

「よしっ!全員撤退!敵の攻撃を避けつつ、後退するわよ!」

「「「「「了解!!」」」」」



するとその時、中枢が何かを叫んだ。



《♪€56+7々34×2<*¥々8|÷1>!!》


元々人間の言葉はカタコトで、聞き取るのも大変だったために、叫び声など理解できるわけもなかった。しかし不可解な点はそれ以外にもあった。



私が撤退をみんなに告げた瞬間、唐突に中枢は叫び、それを聞いた深海棲艦たちも、忽ちに攻撃をやめて撤退していった。まるで、そもそも追撃するつもりもなかったように。



「(追撃をしてこない…………?普通なら爆撃の一つでもしてくるはずなのに、何故………?)」

「Roma?さ、早く行きましょう!」

「え、ええ。分かったわ」



疑問を抱きつつも、私たちは帰路を急いだ。












[同時刻]

〈○△鎮守府〉

正直、提督としての仕事などよく分かっていない。



「はい、提督、こちらをお願いします」

「うん、わかった」



ただ秘書艦が用意してくれた書類にざっと目を通して、機械のようにハンコを押すだけ。作戦指揮や編成などを長門にまかせているからだろうか、提督というのはただのサラリーマンと変わらぬ、つまらないデスクワークに思えてしまう。


殆ど思いつきで彼の後任になったわけだが、我が親友ながら、こんなつまらない仕事をするとは、一体何が楽しいのだろうか。



「提督、少し休憩致しますか?」

「ん?そうだね、うん。君も少し休んでいいよ。君のおかげで、この調子なら昼過ぎには終わりそうだしね」

「ありがとうございます」



優しいビジネススマイルを作り応答する艦娘。名前は鹿島と言っていた。彼女は秘書艦としてとても有能だ。威厳と戦績だけで威張りちらす大本営の長官どもや、僕より下手くそなくせに家柄だけで偉そうにしている軍医どもよりずっと。いっそ強力な戦艦や空母なんかより、彼女を量産した方がいいかもしれない。


その場の勢いで提督になどなるべきではなかった。我ながら激情に身を任せ、親友のために要らぬ努力をしてしまったことを、今更ながら悔いるばかりだ。



「(てっきりここの艦娘に殺されたのかと思ったけれど…………。中々悪名高いし、ここでオシャカになった新任提督たちも何人か見てきたから、彼もその一人だと思っていた。しかしこの様子では………) ねえ」

「?はい、どうしましたか?」

「あー…………いや、なんでもないんだ。なんというかさ、その、僕ってあんまり役になったないなーって思って」

「そんなことないですよ。提督のお陰でみんな安心して出撃しているんですから」

「そ、そうかぁ………(いやこの子嘘下手すぎでしょ)」

「はい。…………っと、私、ちょっと資材の確認に行ってきますね。明石さんがまた勝手に艤装を改造しているかもしれませんし」

「ああ、うん。いってらっしゃい」



また作り笑いを浮かべて部屋を出て行く鹿島。

それと入れ替わるように、次は長門が入ってきた。


「失礼する」

「はいはい、どうぞ」

「戦艦長門以下第一艦隊、ただいま帰還した。戦績はこれにまとめてある」

「はいはーい。…………うん、ドッグは今空いてるんだっけ?」

「3番と4番が空いている。幸い今回は殆どが小破で済んでいるから、それほど焦らなくても問題はない」

「ああそう。はい、しかと受け取りました。次の出撃まで、ゆっくり休んでねー」

「了解」



事務的な問答だけで、特に何もいうことなく彼女は部屋を去って行った。もはや世辞も世間話もない、まるで機械のような受け答えだった。



「……………くそつまらないな、ここ」










〈艦娘寮〉

艦娘との間で、最近問題になっていることがある。



「長門」

「うん?」

「お昼、食べに行きしょ」

「………もうそんな時間か。わかった」



姉妹艦である陸奥は少し微笑んで私を食事に誘う。私は何かと目の前のことに没頭してしまう性格であるなので、たまに食事も睡眠も疎かにしてしまうことがある。一方で陸奥は全体を見渡せる性格だ。いざという時に頼れる、私よりもずっとリーダーに向いている。


最近はそれをかなり感じている。特に、前任が死んでからは。







〈食堂〉

「あら、今日のお昼は柳葉魚の定食ね」

「そうだな。豚汁とサラダもついてるぞ」

「まあ二人とも、いらっしゃい」



食事を疎かにしてしまうと言ったが、別段食事に興味がないわけではなく、むしろ1日の楽しみの一つと言ってもいい。


間宮の作る料理は美味い。戦場での勝利の感覚とはまた別の、幸せと充足感を味わうことができる。今日みたいに、出撃終わりなら尚更だ。



「あそこに座りましょう」

「ああ」



空いている席を適当に見つけ、そこに向かい合う形で座る。


「いただきます」

「いただきます」


箸を持ち、まずは豚汁を口に流し込んで、胃を覚醒させる。喉から押し寄せる豚汁の熱さが食道を通過して、やがて胃に落ちて、それが私の空腹感を目覚めさせる。


次に柳葉魚。普通なら三尾だが、間宮は特別に一尾増やしてくれた。頭から齧り付き、そのまま腹の卵を口に運ぶ。



「美味しいわね、やっぱり」

「ああ」

「どうしましょう、おかわりしようかしら。ああでも、ただでさえおまけしてもらってるし………」

「午後は演習もあるから、別にしてもいいんじゃないか?」

「そう……よね!うん、そうしましょう」



なんでもないくだらないやり取りだ。スリルも新鮮さもありはしない、だけどだからこそ私たち艦娘には貴重な、平和な会話。陸奥もご飯の時は楽しそうだ。




だが、ここで件の問題が見られることがある。



「だから、言いたいことがあるならはっきりいいなさいよ!!」



怒声が響き渡り、椅子が引かれる音と食器がガチャリと揺れる音が喧しくそれに続く。


振り返ってみてみると、立ち上がって目の前の艦娘をにらめつけている曙が見えた。そばにいる朝潮と潮が止めようとするが、とうに頭に血が回っているのか、彼女らの方は見向きもしない。



「あんまり食堂で騒がないでよ。五月蝿いし、みんなの迷惑だよ」

「な、なんですって………!?」

「あ、曙ちゃん、ちょっと落ち着いて……」

「そうです、まずは冷静に…」

「あんたらは黙ってて!!」



二人は激昂する曙にびくりと肩を震えさせ、そのまま何も言えずすごすごと引き下がる。対して曙の怒りの矛先である艦娘は、冷静で淡々とした口調で、特に取り乱すこともなく応答している。


「なんなのよ!あいつがいなくなってからまるで私たちを目の敵にして!なによ、別にあいつが死んだのはあたし達のせいじゃないでしょ!?」

「そうだね。別に曙ちゃんのせいとは言ってないし、誰のせいでもないとは思うよ。無論、潮ちゃんたちのことだって、目の敵になんてしてない」

「だったら!」

「でも、気に入らないんだよね」



冷たい氷の刃のような言葉が、低く低く、喉を抉るような曙に突き刺さる。


食堂内は静まり返り、ただならぬ雰囲気に皆固唾を呑んでいる。



「な………なにがよ」

「提督にしたことをまるで悪びれてないこと。反省もせずに、ただ今は言われたことを素直にやれば良いって思っていること」

「なっ…………!」

「誠意と素直さがないっていうのは、本当に反吐が出るほどタチが悪いよ」



箸を置き、小さく「ごちそうさま」と言った。そしてそのまま食器や重ねる音も。


流石にそろそろ止めようと思い、手につけていた柳葉魚を一旦皿に置き、騒ぎの方へ向かった。



「どうした、なんの騒ぎだ」

「あっ、な、長門さん………」



近づくと、言い返す言葉がないのか、それとも怒りを抑えるのが必死なのか、赤面して唇を噛む曙の姿と、この険悪な雰囲気に耐えられなくなって、今にも泣き出しそうな潮たちの姿があった。潮は私をみるなり助けを乞うように近寄ってきた。



「………時雨か」

「やあ、長門さん」



曙の相手をしているのは、最近やさぐれ気味の時雨だった。


「どうしたんだ、食堂内での喧嘩は、」

「喧嘩じゃないよ。僕は殴っても蹴ってもないし、大声で叫ぶほど理性を失っているわけでもない」

「なら、これはどういうことだ?」

「さあ。曙ちゃんが急に怒り始めたんだ。僕から仕掛けたわけじゃないよ。大体、何に怒っているのかすらわからない」

「………そうなのか?曙」

「ちっ、違っ………」



顔を青くして訳を話そうとして、しかし曙は口を噤んだ。俯いたまま、悔しそうにまた下唇を噛む。



「…………違うのか?曙」

「…………」

「何も答えないのは、それが真実だからだよね、曙ちゃん?」

「…………」

「…………ええい、この際発端がどちらかはどうでもいい。一体何で揉めているんだ」

「………よ」

「え?」

「最近、時雨がこんな感じだから、気に入らなくて聞いてみたら、急に『君には関係ないだろう』って言って」

「別に何かおかしなことを言ったかな、僕」

「可笑しいに決まってるでしょ!アンタとはあんまり接点なかったけど、周りの子もみんな噂してるわ!でも、みんな意気地がなくて聞かないから、私が聞いただけよ!」

「………それは確かに、私も気になっていたことだ。時雨、最近どうしたんだ」

「…………僕はいつも通りだよ。ずっとこんな感じだった」

「それは違う。私が駆逐艦の違いに気づかないと思うか?さあ、何か訳があるなら、話してくれないか?時雨は最近、何をそんなに不機嫌なんだ?」

「…………別に」

「さっき、提督がなんだとか……」

「長門」




ふいに、陸奥は私の肩を掴んで遮った。


振り返ると、陸奥は険しい目をして首を横に振った。さらに周りを見ると、周りの艦娘が何人か動きを止めて私たちの方を見ていて、やがて私の視線に気づくとさっと目を合わせないように顔を振った。


「今ここでその話をするべきじゃないわ……。さ、二人はもう戻っていいわよ。時雨ちゃんも曙ちゃんも、この後は遠征があるでしょう?」

「…………わかったわよ」

「はーい」

「……………」



曙は半ば涙目になって、悔しそうに食堂を去っていった。そんな曙を見て時雨は、まるで服の汚れを見るかような、呆れと憂鬱に塗れた表情で去った。


残された私たちは、自分たちが直接何かしたわけでもないのに、何故かとてもバツが悪く、料理が逆流しそうな気持ちになった。



「…………部屋に戻ろう」

「ええ」











〈工廠〉

端的に言うと、現在この鎮守府は、「宮本提督を生前より慕っていた艦娘派」と「提督死亡後に考えを改めた艦娘派」の二つに分かれていた。



まずは前者から。

これは、宮本提督の徳性に気づき、人間に対して盲目的な反抗心を持たずにいた艦娘のことだ。日頃から提督の手伝いをしていた時雨ちゃんや暁ちゃんたち、それに鹿島さんがこれに当てはまる。また、協力はしなかったがかと言って敵対もしなかった、つまり干渉しなかった艦娘もこれに該当している。


人間への憎しみと嫌悪で感情的になることなく、理性的に判断できた艦娘が多い。また比較的提督と関わりのあった艦娘が多いのも特徴だ。艦種としては主に駆逐艦が占める。




後者、これは前者の対極に位置していた艦娘たちだ。具体的には天龍や摩耶、加賀や曙などが挙げられる。


人間に虐げられた過去から人間を信用に値しない、或いは敵とみなしても差し支えない存在と断定し、その考えを前提に日々提督を扱っていた艦娘。今ではその罪を認め、せめて艦娘らしくいようと努力しているのが大半だが、前者からは偽善と思われており、両者は対立関係にある。


これだけ聞くと後者の方が悪いように思えるかもしれないが、実際反応として正しいのは後者だ。人間の横暴と残虐性がトラウマとなってしまえば、誰でも排除しようとする。むしろ前者の方が稀だ。




両者のどちらが間違っているわけではない。どちらも誤りではないし、同時に、どちらも正しくない。対立関係を築いてしまっている時点で、おそらく宮本提督がもっとも望まない事態になったことは確かだろう。



では、この私、明石はどちらか?



「…………」



出来上がったばかりの装備を手にして、達成感と脱力感を味わいながら、ぼんやりと考える。



提督が死んだあの日から度々思う。あの時私があのボートを作らずにいたら、はたして提督は死なずに済んだのではないか?


確かに、あの時私は必死になって提督の指示に従った。しかしそれさえ断ってしまえば少なくとも提督は戦場には行けなかっただろう。もしかしたら救助を待っていた艦娘たちはさらに酷い目にあったかもしれないけれど、それでも違う何か、もっと良い方法があったような気がするのだ。


みんなの暗い顔を見る度に、心の中の小さな疑念が私に「お前が殺したも同じだ」と囁く。


違う、殺したのは深海棲艦だ。そう反論すると、疑念はすぐに言い返す。「ならば何故震えているのか。主砲を作る腕が、魚雷を組み上げる手が、銃弾を並べる指が。何故」


知らない。そんなの知らない。「いや知っているはずだ。お前はこの鎮守府で一番敵を倒しているようなものだ。そして同時にもっとも味方を危険に晒している。お前の作る艤装がなければ、誰も傷つかなくて済むのに。あのボートだって、例外じゃあない」



「そんなの…………知らないわよッッ!!!」




手に持っていた装備を床に叩きつけると、粉々に砕けると同時に喧しい金属音が工廠に反響する。



私は、おそらくこの鎮守府で最も罪深い。だから私は後者なのだろう。しかし捉え方によっては前者だ。



「ああ…………私は…………」



最近、ずっとこんな調子だ。


酷く、酷く、気分が悪い。









〈執務室〉

ああ、全く反吐が出ます。



そう口に出そうになるのを抑えて、我ながらややぎこちない笑みを作り上げて黒崎提督に書類を手渡す。何も知らぬ存ぜぬのこの人間には、きっと私の気持ちはわからないのでしょう。最近は顔に嘘ばかり貼り付けているようなもので、そもそも彼は私の本心などわからないはず。彼だけではない、艦娘たちもみんな、私の憎悪を知りもしない。



「では、私はこれを工廠に届けてきますね。提督は休憩して下さって構いませんよ。また後で、残りの書類を持ってきますから」

「はいはーい」



宮本提督の親友とは思えないほどに、あまりにも不真面目で怠惰な男。対極に位置しているのに、いや、だからこそ仲良くなれたのかもしれませんが、本当に、今の鎮守府の空気にとことん合わないお方です。



ドアを閉め、静けさだけが支配する廊下に出ると、私はいよいよため息を吐いてしまう。溜息を吐くと幸せが逃げてしまうというのに、まるで肺の中の全ての空気をいっぺんに出したような、大きな溜息を。


「…………こんな書類、何のために………」



ここ数日間の艦娘たちの資源消費及び艤装の不具合報告、そして戦績。新装備の発注依頼と資源残量の報告書…………。とにかく、まるで真新しくないつまらない紙切れの束だ。



何より、



「この艦隊の人たちは………」


例えば今見ているこの戦績書類には、艦娘の名前と艦種、使用した兵装や資源の消費量、損傷の具合や戦闘時の備考まで事細かく書かれているわけですが、一見まあまあ優秀なように思えます。他の鎮守府の提督が見たら褒めるところでしょうし、練度の割には強いと感じるはずです。


しかし、です。この艦娘たちは決定的に優れたなどはいません。宮本提督を虐げ、いざ消えてしまったらまるで取り繕うが如くそれまでは怠けていた業務に精を出すような連中なのです。それが罪滅ぼしになると思って、自分たちが改心したように思い、そして振る舞う。ああ、やはり反吐が出そうです。



提督が踏まれても殴られても頼んで、それを笑って踏みにじったあの連中、自分たちが許されるなんて思っているのでしょうか?いいえ、私はきっと許しません。この憎悪死に絶えるまで消えることはなく、ただ彼女たちを私の敵として捉えます。



「貴女たちは絶対に許しません………ええ、許しませんよ………」



遠くの方で雷の音がした。ふと見ると、空は鉛色の雲で覆われ、さらに水平線に近づくにつれどんどん黒くなっていた。


そして窓ガラスに反射した自分の顔が同時に見えた。そこには、その雲よりも澱んだおぞましい瞳をした、初めて見る自分がいた。ガラスの私は一瞬驚いたような顔をしたけれど、やがて満足げに、そして自虐的に笑みを浮かべた。













[無人島襲撃から2週間後]

〈無人島〉

この島は大して大きくないことがわかった。


大体学校一つ分、だろうか。少し歩けば一周できてしまう程の面積で、中央に向かって山になっていくという、小さな半球を浮かべたような島。その表面には鬱蒼と緑が生い茂り、まるで樹海の小さな小さな模型のようだ。



そんな島で生活してもうしばらくになる(無論時計なんてないのでまるで時間の感覚はないのだが)。何日目なのかも数えなくなり、天気以外は大してなんの変化もない、島だけなら酷く退屈な島に、人間は私一人だった。


《………こんなところにいたのね》

「………………」



樹海と浜のちょうど境界線、いい感じの木陰で休んでいると、呆れたような顔した中枢棲姫が私を見下ろした。


何か言いたげな顔だ。だが私は特に話すことなどなかった。誰かと話したいとも思わなかった。


《貴方…………ここで何してるの?》

「…………見てわかるだろ、何もしていない」

《このあいだの戦いからずっとそんな感じね。しばらくはこっちも色々忙しかったから何も言わなかったけれど、何かあったの?》

「…………ここにいる時点でそうとう"何かある"状態ではあるだろうな」

《皮肉も嫌味も言わなくていいわ。………………ねえ、本当に貴方、最近変よ?ご飯も食べないし、顔も見せようとしない。こんな狭い島だからどうせ会うってわかるでしょ?まあ、私たちは基本洞窟の中だけど………》

「…………」

《…………》




私が答える気がないと分かると、中枢は大きく溜息をついて、元来た方向へと去っていった。



潮風が吹き付ける。頭上の枝と葉が触れる度、私を照らす木漏れ日が変則的に揺れて、まるでプラネタリウムのようだ。



最近は、昼はこの紛い物の星空を、夜は本物の星空を眺めて、一日中ボーッとしている。動くことはまずないし、とにかく何もしない。まるで死体のように。



「……………はあ」



中枢の顔は明らかに疲れていた。この間の戦いから戻ってきた彼女たちは、皆どこかしら損傷していたというのに、ここには鎮守府のような入渠設備やバケツはない。まるで人間がそうするように、限りある資源を駆使して時間をかけて治していく。痛みが引くにも時間がかかるし、出撃なんて、少なくとも今戦えるのはかなり少ない。


ここには指揮官はいない。中枢が取り仕切ってはいるが、それだって戦術的な部分だけだ。



「…………って、私はどうして、敵の心配なんぞしているんだ。全く…………」



かと言って味方の心配はもっとする気にならなかった。あの鎮守府の艦娘たちは今頃どうしているのだろうかとか、鎮守府はちゃんと機能しているんだろうかとか、後任の提督は誰なんだろうかとか、そんなものを考えたところで、何もできないのだ。


何もできない。何かを成し遂げたことなどなかったような気がする。せいぜい人一人殺したことがあるだけの、ただの木偶の坊のように自己評価せざるを得ない。



私がいなくてもあの鎮守府はまだあるだろう。だって私は何もしていなかった。拒まれるばかりで、何もできなかった。



「…………くそっ」




その時、唐突に木漏れ日の星空が消えた。



一瞬、遮ったそれは影になっていて何かわからなかったが、すぐにそれが、空母ヲ級であることがわかった。


最近よくここにきている深海棲艦だ。特に懐いてくる理由もないのに、日に一度はふらっとここにきて、何を話すわけでもなく黙って隣に座ってくる。


このあいだの戦いには参加していなかったようで、傷はなかった。おそらく練度不足だろう。




「…………なあ」

《ヲ………?》



話しかけても、こいつは言葉が話せない。姫級たちと違って意思疎通が出来ないとなると、いよいよただ空気のようなものだ。



「…………なんでもない」

《ヲッ………ヲ………》



悲しそうに鳴いたが、それでも立ち去ろうとはしない。ここが気に入っているのだろうか。だとしたら、私のことは気にならないのだろうか。



「……………お前は、」

《ヲ?》

「お前は考えたことがあるか?自分の人生、はたして意味があったのだろうか、これからも意味があるのだろうか、とか」

《ヲヲ?》



返事ができないことを知って、こんな難しい質問を少し意地悪して聞いてしまう。これは自分に問うべきものなのに、八つ当たりのように言ったしまう。



《…………ヲー…………》

「わからないよなぁ……。私も、それがまるでわかっていないんだ。だから毎日毎日、こんなところでこんな風に、打ち上げられた魚の死体のようにいるんだ」

《…………》




顔を見てみると、未だ考えているようだった。その問いの正しい答えを見つけ出そうと必死に。無駄なことだやめておけ、と言いそうになって、いや結局私と変わらないなと気付いて、そのまま口を噤んだ。


《…………ヲッ!》

「え?」



唐突にヲ級は立ち上がり、私の手を取って引っ張り歩き出した。びっくりして制止することもできず、私はただされるがままに連行された。


深海棲艦は人間と比べれば当然怪力で、その上ヲ級にはなんの躊躇いもないようなので、ぐんぐん引っ張られていった。砂浜を進み、やがて今まで避けていた洞窟の中へと向かっていった。




「おっ………おい、ヲ級」

《ヲッ!》

「あ……………?」



気づけば洞穴の奥、乱雑に集められ保管されていた資源を前に腕を組んで悩んでいる中枢と港湾の前に連れてこられていた。


《で、今後は資源の回収を………》

《あの海域は確か…………で、》

《でもそうすると消費が………》

《……なら、それより私と空母のボーキを…》




二人は何か相談しているようだった。資源が切り詰めているのか、表情からしてあまり良い話をしていないのは明らかだ。


そんな二人にヲ級は御構い無しに声をかける。




《ヲッ!》

《ん?ヲ級………と、あなた………》

《一体何をしに…………?》

「いや、私は無理矢理ここに連れてこられたというか………」

《ヲ!ヲヲッヲーッヲヲッヲヲヲ!ヲーヲ?》

《え?》

《……………》



ヲ級は何かを話しているようだが、わたしにはとんと理解できない。元々やや発音に違和感のある深海棲艦、ヲ級は人型であるとはいえ、ほとんど言葉とは言えない声を発している。しかし中枢と港湾は理解しているようだった。


二人はまず私の顔を見た。そして顔を見合わせて、港湾はヲ級の頭を撫で、中枢はやや躊躇いがちに私に話し始めた。



《…………私はみんなのために生きる、っていってるわ》

「は?」

《貴方の質問に対する回答。ヲ級は、みんなを守るために生きるって》

「…………みんなの………」

《この際だから私も言っておくけど、私たちが生きる意味なんて単純なの。ただ仲間を守り、共に生きていくこと。そのために私たちは戦うの。これまでだってそうだったし、これからもそのつもり。でしょ?港湾》

《…………》コクリ

《ヲ!》

「……………そうか……………」

《何で思い悩んでいるか知らないけれど、簡単な話じゃないの。人間は人間を守るために戦う。艦娘は人間と、仲間である艦娘のために戦う。多分どんな生物もそう。私たちは誰かを守るために戦う。意味があるとかないとか、そういう難しいことじゃないのよ。たしかに、私じゃなくても誰かが守ってくれるかもしれないし、もしかしたら私はいなくてもいいのかもしれないけれど………、それでも、私たちは私たちのために私たちができる精一杯をする》

「(ああ、そうか)」

《って、私は一体なんでこんな話を………》

《中枢………そんな風に思ってたの……。嬉しい》

《はっ、恥ずかしいことを言わないで!全く、こんなガラじゃないのに………》

《ヲッ!》

《ヲ級も喜ばないで!》



灰色の肌を本当にわずかに赤らめて、中枢は怒り半分照れ半分で怒鳴った。港湾はにっこりと微笑んで、ヲ級も笑みを浮かべて私を見た。



「ああ………たしかに、簡単なことだな。私は、私はどうして今まで忘れていたんだ……」

《はあ?知らないわよそんなの…………って、貴方泣いてるの!?》

「え?…………あ……これは………」

《ちょちょ、貴方一応成熟してるのよね?なんで泣いてるのよもう!ほら、これハンカチ》

《中枢………人間を泣かせた………》

《ヲウ…………》

《わ、私は悪くないわよ!!》



私はどうして忘れていたのだろう。どうしてこんな初歩的な、誰にでもわかることを頭の片隅に追いやっていたのだろう。


あの男を殺した時も、私が死んだ時も、私はいつだって艦娘たちを守ろうとしていた。それでいいではないか。私は私が守りたいから守ったのだ。それを彼女らに認めて欲しいとか、恩を返してほしいとか、一瞬だって私は思わなかった。たとえそれが反感を買ったとして、しかし彼女らを守ることができているなら、私は確かに満足だった。



見返りは勿論、意味がなくったっていいのだ。私は出来る限りをしたのだ。そして、一度はこの命が終わったとしても、今私はこうして生きている。少し色は変わったけれど、私はまだ、私の役目を果たすことができるのだ。



「ああ、簡単なことだな………。そして、最も重要なことだった……」

《………ああもう!港湾、話は後にしましょ!何の話をしていたか忘れちゃったわ。それより、貴方、最近何も口にしてないんでしょう?みんなを読んで、食事にしましょう》

《うん。ヲ級、出撃していないみんなを集めてきて》

《ヲ!》

《ほら、貴方もいつまで泣いてるのよ!行くわよ!》

「ああ………」









〈洞穴内 大広間〉

《おお、暫く顔を見せねぇと思ったら……………ん?なんか目元が赤いぞ?どした?》

《港湾お姉ちゃん、これは……?》

《中枢が、泣かせた》

《うわー、中枢酷くない?どんなことしたのよ……》

《違うって言ってるでしょ!?全くもう!》

《まあ何にせよ、食事にしよう》

《ええ、そうね》

《ヲヲッ!》



涙もおさまり、私は妙に清々しい気持ちであった。少し前まで、堂々巡りのような自問自答をして時を浪費していたというのに、今はなんだか、生前ほどに、いやそれ以上にやる気に満ち満ちていた。


どことなく深海棲艦たちと嬉しそうに見えた。私のことを心配してくれていた、とは思えないが、それでもヲ級や中枢は、私の方を見ると安堵した顔を見せた。



《さあ、今日はここ最近見かけるようになったウツボよ!》

「うお、あれを食べるのか………」

《うつぼって?》

《蛇みたいな魚のことだ。俺も食ったことはないな》

《多分私たちが大きな魚を取りすぎたせいで、ウツボ以外はほとんど見かけないのよねー。あとは、このトゲトゲしたやつ……》

「うにだな」

《そうそれ。それと、わかめのスープよ》



相変わらず魚は切っただけ、うにも貝殻ごと渡してきた。わかめのスープは名前だけで、沸騰した真水にわかめをつけただけのものだ。粗末に思えるが、それでも、わたしにも食事を与えてくれること自体、深海棲艦は悪い連中ばかりではないことを証しだ。



《じゃあみんな、いただきまーす》

《《《《《いただきまーす》》》》》

「いただきます」




味付けなんてほとんどないのに、挨拶をした途端みな夢中で頬張り始める。箸もないため豪快に手掴みで、骨も皮もまるごとに。


私もそれに習って、生臭さがまるで消えていないウツボの刺身を両手で持つ。



ああ、久しぶりの飯だ。飯というのはいささか乱暴だが、














………………………え…………………………?



《どうしたの?》



凄く、凄く悪い考え、ないし推測が私をよぎった。あくまで体感的なもので、うまく言葉に表せないが、しかし、もし、私がこれから言うことが私の予測通りなら、最も恐ろしいことが起きているのかもしれない。



「なあ、お前たちに、日にちの感覚はあるか?」

《え?……まあ、なんとなく》

「そうか。じゃあ、この間、ここに艦娘が攻め込んできた時、あれは今から何日前だ?」

《ああ?この間ってお前、あれはもう2週間も前の話だろうが。それがどうかしたのか?》

「2週間…………?」

《そうよ。貴方、ずっと陸地で寝てるから時間の感覚が、》

「……………てない」

《え?》

「食べてない。私は食べてない。"この2週間私は何も食べていない"!!!」



私の声は洞穴内にこだまして、やがて小さくなって消えていった。深海棲艦たちはお互い顔を見合わせて不思議そうに首をひねった。中枢だけを除いて。



「人間は、人間は飲まず食わずでは三日程度しか生きられない。しかし私はまだ生きている!!私は、私の身体は…………」

《お、おい、お前何を急に………》

「……………スープ」

《は?》




スープを手にとって中を見た。



水の下に濃い緑色のわかめが沈んでいるのが見えた。そして、その黒に近しい緑に染められた水面は、やがて波も波紋も消えて穏やかになると、そこには私の顔が、"真っ赤な瞳をした"私の顔が写し出されていた。





[宮本 會良 深海化20%]



提督「化け物の暴走」に続く………。


後書き

8月に入り夏到来。燦々と太陽が照りつけ、まるでサウナのような暑さに毎日襲われる日々が続いております。皆さま、お久しぶりです。本編いよいよ進みました。

途中で嫌になって番外に走ったりしましたが、ようやく現在のシリーズ「化け物の誕生」編、完結いたしました。

タイトル番号は、日本の地獄の8段階にちなんだもので、全8話からの構成になりました。もうSSでもなんでもない気がする長さですが、まあそれはそれ。


次回からいよいよ、長い長い前座は終わりまして「化け物の暴走」編に入っていきます。所謂"山場"に向かうための"展開"の場面です。最も主人公が化け物らしくなっていくところですね。まだ構想すら考えていませんけれども、なんとか繋げていきます。お楽しみに!





このSSへの評価

2件評価されています


SS好きの名無しさんから
2019-08-10 02:54:46

カメタロウさんから
2019-08-09 09:05:30

このSSへの応援

2件応援されています


生味噌さんから
2019-08-19 16:14:16

カメタロウさんから
2019-08-09 09:05:31

このSSへのコメント

2件コメントされています

1: カメタロウ 2019-08-09 09:05:48 ID: S:kY0U7V

待ってました!!

2: SS好きの名無しさん 2019-08-09 23:37:37 ID: S:-dm2IX

この時を待っていた…!(某山猫風)
そして次はついに暴走編…!!
個人的に一番気になっていたトコなので楽しみだァ!
八月も中盤になるかというところですね
台風も来ておりますが、熱中症などに気を付けて
執筆、頑張って下さいm(__)m


このSSへのオススメ


オススメ度を★で指定してください