提督「化け物の誕生」 大焦熱地獄(7)
*本作は"提督「化け物の誕生」焦熱地獄(6)"の続編となっております。
〈北方海域 無人島〉
暗い洞窟は、自然とそうなったものなのか、それとも誰かが故意に作り出したものなのかは知らないが、相当広い空間が広がっている。数十人ならここで定住できるほどに、適度な広さの洞穴がいくつかあり、壁がうっすらと光っているため暗闇に心配する必要もない。
かつて、沖縄に軍の研修の一環で赴いた時に、"ガマ"と言われている人工の洞窟を見た。第二次大戦の戦闘の苛烈さを物語り、ここで人が生活していたという事実は受け入れ難かった。しかし今、同じような境遇にいて思う。これしかないのなら、ここで暮らすことも考えるだろう。
この深海棲艦のガマは、沖縄のものよりも快適だ。真っ暗なわけではないし、そこまで岩肌がごつごつしているわけではない。
しかしもし、深海棲艦たちを未だ敵だと考えるのなら、今この状況はかなり絶望的なのかもしれない。
《お、きたきたー》
《やっとか………》
《遅い……………》
《早く始めるのっ》
《もう全員集まっているぞ》
《あら、そいつが例の新入り?》
洞窟内でもっとも広い部屋。他と変わらずぼんやり白く発光する岩肌と、ジメジメとした湿っぽい空気は他と変わらない。
しかしそこには、我々が恐れて慄くあの、深海棲艦の姫級が6人もいた。
「こっ、これはッッ!!?」
《あ?んだよ。突っ立ってねーで早くお前も座れよ。ほらそこ》
「え?」
《ごめんなさい、彼まだ体に慣れてなくて。さ、じゃあ今日の会議を始めましょう》
「え?」
《そうね。………………ああ、新入りの分、詰めて座らなくっちゃね》
《りょーかい。ほらほら、そこに座んな、新入りくん》
「え?」
姫級たちは、大きな丸い岩のテーブルに囲むように座り、警戒することも、威嚇することもなく、ただ、私に席を勧めた。
あの時、私の記憶に確かに刻まれた、深海棲艦姫級の顔。白い髪、赤い瞳、白い肌、異形の兵装、妖しい笑み。美しい女の容姿で、透き通るような、それでいて耳に残る声をしていた。
だがその一方、その強さは強烈無比!
綺麗な花には棘がある、どころではない。海上で嵐のごとく砲撃を行い、空にはそのおぞましい艦載機を展開し、敵を殲滅することに愉悦を見出したように笑う嗤う微笑う。
当然のように座っている深海棲艦に胸倉を掴み、私は怒鳴りつける。
《ちょ!?》
《ええ!?》
《なにっ!?》
《え、え?な、なに?》
「貴様ッ!!どういうつもりだッッ!?」
驚きに目を丸くし、あたふたとたじろぐ周りの連中を無視し、眼前の敵に向かって激昂した。
「いや、答える必要はない。もう分かっている、こういう時何をされるかなんて猿でもわかる。お前たちは私を殺すつもりだな!!ここで大勢の仲間と嗤いながら、自分たちより弱い生命体の足掻きを観て、その心が満たされるまで私を殺す!!そうだろッッ!!」
《あ………あ………》
「いいか、よく聞け!私はお前たちには屈しない!!たとえ死んでも貴様らの愉悦にはならない!!」
深海棲艦たちは完全に言葉を失っているようだ。
どうせ死ぬなら、思っていること全部ぶちまけてやろう。死んだ後は嫌でも黙ってなければならないのだし、相手の気を伺うとか、ご機嫌をとるとか、小細工を弄するとか、そういう戦術は無視して、せめて人間らしく死のう。
《あ、あの、まずは話を………》
「話だと!?ここで仲良く世間話でもするか!!?それとも平和について議論でもするか!?貴様らと話すことなど何もない!!もっとも、殺しあうにしてもわたしには部が悪いな。ならば殺せ!!私を殺してみろ!!」
《いやだから、殺すとかそういうのじゃ…》
「お前たちのせいで何人もの人間が死んだ。艦娘も何人沈んだかわからない。それだけじゃない。生き残った人たちは明日の生活にすら苦悩した!私もそうだった!いつまでも長引く戦争に終止符を打とうと、私はそう心に決めて軍人になった!それに艦娘はどうだ。無能な上官のせいでお前たちと無理矢理戦わされて、そして命を落とす!何もかも戦争のせいだ!お前らのせいだ!!」
その時、突然体が後ろに吹っ飛ばされて、激しく壁に叩きつけられた。ごつごつした岩肌が体にもろに食い込み、背中の肉の痛みに地べたで暴れまわるように悶絶する。
「ぐあはっっ!!がぁぁぁぁぁっ!!!」
《五月蝿い…………》
声の方向を見ると、侮蔑と悲しみが混じったような、細く鋭い眼光で私を睨み見下す深海棲艦の姿があった。私が怒鳴りつけていた奴ではない。180cmの私と同じくらいの、あるいはもっと大きな体躯で、声は小さく低かった。なにより、私を吹っ飛ばしたのであろうあの巨大な手が目に留まった。
呻き声を堪えて背中の痛みに耐えつつ、なんとか立ち上がると、その深海棲艦の奥の、私が怒鳴りつけていた奴が床にへたり込んでいるのが見えた。
「(あいつ、泣いているのか………?)」
《やっぱり、そうなのね…………》
吐き出すようにそういうと、いよいよその涙が頰に伝って、顎先から地面に落ちた。
何人かの深海棲艦たちがそばに駆け寄る。一人は薄汚いハンカチのような布で涙を拭ってやり、一人は頭を優しく撫でてやり、一人は肩に手をやって抱き寄せた。
《おい》
「!」
部屋に入る前に、へらへらとした口調で話しかけてきた深海棲艦が私を睨んで言った。
《眠ってろ!!馬鹿野郎が!!》
「え?」
視界の右足から灰色っぽい色の塊が入り込み、それが深海棲艦の蹴りだと分かった頃にはもう、私は顔面と脳に伝わる痛みと振動を感じ取りながら、意識を手放した。
〈鎮守府〉
「宮本會良の死について知りたい」
艦娘の中で、はたして前提督であった宮本會良について罪悪感を全く感じていない者がいるのか。
愚問である。いるわけがない。
彼女らを苦しめていた男を殺し、彼女らのために努力し、彼女らに拒絶されてもなお、彼女らを諦めなかった、そして最後はその命をもって彼女らを守った。伝記にされてもおかしくない、混じり気のない英雄。そんな男を未だ恨み、嫌い、憎む艦娘などはいない。
むしろ嫌悪は自分たちに向けられていた。自ら自沈する気はなかったとしても、もし仮に誰かが「宮本提督への贖罪だ。死をもって償え」と言って首を刎ねに来たとしたら、不満を抱くことなく受け入れることができた。
罰してくれないことの方が違和感を覚えるほどに、艦娘たちはやりきれない気持ちと、償いたいという欲望があった。
「「「「「……………」」」」」
「?」
目の前の、白衣を着たやや痩せ過ぎな男を凝視したまま、言葉を失った。呼吸すら忘れた。
しかしすぐに彼女らは正気に戻った。当然と言えば当然。彼女らはそもそも、宮本提督の死について少なからずの責任を負うつもりだったのだから。
しかし、何故か嫌な予感がした。
「あれ、なんか反応悪いな。もっとこう、ザワザワしたりするものだと思っていたよ」
「…………黒崎提督」
「ん?ええと………」
「戦艦長門です。提督、宮本提督の死について知りたいというのは、一体どういう意味でしょうか………?」
「言葉通りだよ。あーいや、そうだね、確かにまずは説明をしないとね」
「…………」
「彼とは子供の頃からの親友でね。それぞれ軍医と提督とで道は別れたけど、これまでもそれは変わらなかったんだ」
「(この男が提督の親友…………?)」
「でね、さて最近彼はどうしたのだろうと思っていたらなんと、彼は殉職したなんて話が飛び込んできたんだ。これは大変だと思って色々聞いて回ったけども、どうにも詳しいことはわからない。そこで君達、彼の部下であった艦娘たちに直接話を聞いてみようと思ってね」
「はあ………。しかし、それなら何故自ら提督に?話を聞くだけなら、わざわざここに着任する必要は………」
「ブラック鎮守府」
「「「「「!!」」」」」
久し振りに聞いたその言葉に、艦娘たちは一瞬たじろいだ。
佐藤中将がいた頃は、自虐的に自分たちをそう呼んでいた。
黒崎はほんの少しだけ慈愛と同情を滲ませた瞳で艦娘たちを眺めつつ、話を続ける。
「提督が艦娘に対して無理な出撃や進撃を行わせる鎮守府のことだね。原因としては、艦娘への人道的配慮が欠けていたとか、戦績を上げるためだとか、色々だけど。ここも元ブラック鎮守府だったことはよ〜く知ってるよ。中将クラスがぶっ殺されたんだからね。おかげで、日本海軍傘下の全鎮守府にブラック鎮守府防止のための専用マニュアルが配布されたくらいさ」
「そ、それがどうしたというのですか?その、あまりあの頃のことは思い出したくないのですが………」
「そうかい?そりゃ、すまなかったよ。でもここからが本題なんだ。佐藤中将が消えた後、ここには何人か新しい提督が着任したんだよね?」
「!」
その時、その場にいた艦娘全員が、今まで散々隠してきた悪事を暴きだされたような、或いは、ネズミが猫に追い詰められたような、そんな緊張と焦りを感じた。
冷や汗が滲み出て、鼓動が速くなる。
「おや?」
「!?」
「おやおや、どうしたんだい?いきなり顔が強張って。何か、僕は地雷を踏んじゃったかな?」
「……………いえ」
長門は捻り出すようにそう言った。
「ええと?どこまで話を………ああ、そうそう。その新任提督達、君達が追い出したってのは本当かい?」
「………………」
「ん?…………そうか黙秘か。うんうん、僕も無理して答えてほしいわけじゃないからね。黙ってくれても構わないよ。この質問に関しては」
「(この質問に関しては………?)」
「ただ、次の質問には答えてもらおう。君達が新任提督たちを一体どんな手で追い出したのかは知らないし、興味もないけれど……」
「…………」
「ひょっとして、君達が宮本提督を殺したりとかしないかな?」
沈黙、
「それは違う!!!!!!」
ならず。
「あっ………」
「え?」
「き、北上さん………?」
「ん………?」
誰もが真っ先に思い浮かんだ言葉を、誰よりも早く口にしたのは、艦娘のリーダーである長門でも、提督の補佐をずっとしていた鹿島でもなく、意外なことに北上であった。
普段から騒ぐこともなく、どことなく力の抜けた、それでいて間が抜けているわけでもない、そんな曖昧な艦娘である北上。しかし今北上は、空に響かんばかりの声でそう言った。
悲鳴にも近いその主張に、他の艦娘たちは勿論、常日頃北上と行動を共にしている大井でさえ、目を丸くした。
「え、えーっと、すみません……いきなり大声出して……。で、でも事実なんです!」
「…………」
黒崎は少し考えて、それから急にずんずん歩き始めて、あっという間に北上に接近した。
「君……」
「ちょっと!あなた、北上さんからはなれ、」
「ん?」ギョロッ
「な………さいよ」
「大丈夫、大井っち」
「え?で、でも」
「……………君の名前は?」
「北上です」
「よし北上くん、どうして『違う』なんて言い切れるのかな?」
「…………だって」
北上は少し俯いて、誰にも目を合わせないようにして言った。
「だって、提督はあたしたちの目の前で死んだんだ。敵にやられそうになったあたしと大井っちを逃がすために、自ら………」
「……………」
「……………」
北上はちらりと黒崎の顔を見た。
その時、黒崎は怒りも侮蔑もない、疑いや訝しむ様子もなく、まるで、観察するかのように北上を見ていた。
質問の答えには興味がないように。
「そうか」
「え…………?」
黒崎は、特に問い詰めるわけもなくあっさりと引き下がった。
「…………なるほど、よし」
「?」
「じゃあ、取り敢えず話はこれくらいにして、そろそろ建物に入ろうか」
特に面白みもなさそうに、そう言ったのだった。
〈北方海域 無人島〉
顔を叩かれた痛みで目が覚めた。
《おい、起きろ》
「ん………?」
《重巡、そんな起こし方じゃなくても…》
《うるせぇな。いつまでも寝てたら時間の無駄だぜ》
数度瞬きして、視界が開けていくと、そこには眉間に皺を寄せた、"重巡"と呼ばれている深海棲姫がいた。
身体を動かそうとしたが、縛り付けられているらしく、足は正座の状態、手は後ろに回されて、手首と足首をいっぺんに縄で固定されていた。
「あー………あ?」
《また暴れると困るからな、縛らせてもらったぜ》
「…………何故?」
「あ?なんだお前、覚えてないのか?」
「覚え…………?…………………あっ!」
微かに残る背中と頰の痛みで、気絶する前の記憶が走馬灯のように頭を駆け巡った。
はっとして辺りを見回すと、重巡だけではない、他の深海棲姫たちも先程と同様にいた。勿論、私が先程激昂したあいつもだ。
《よし、中枢。もう話してもいいぜ。縛ってるから動けないとは思うが、万が一もある。あんまり近づくなよ》
《ええ。分かってるわ……》
「…………」
"中枢"と呼ばれている、私が最初に出会った深海棲姫は、どういうわけか、申し訳なさそうな顔をして、私の前にしゃがみ込んだ。
赤い瞳を私の目に真っ直ぐ向けて、しばらく黙っていた。しかしぽつりぽつりと、弱々しい声で話し始めた。
《その…………ごめんなさい》
「……………は?」
《貴方がこんな目にあっているのは、私のせいよ。全て私に責任があります。こちらが勝手に期待して、ありもしない可能性を信じてしまったから………》
「おい待て。話が読めない。なんのことだ?」
《ああ、そうね。私………説明するべきよね》
「…………?」
謝罪から入った中枢の話は、どうも一方的でつかみどころがない。そもそも、何故、謝るのか。
《覚えているかしら、あの戦いのこと……》
「あの戦い?」
《前にも言ったけど、貴方は死んでいたの。私たちではない、別の深海棲艦たちによって殺されて》
「……………あっ!そうか!あの戦いか……………!」
《私たちはその深海棲艦たちの救援のために、戦いが行われた海域に向かったの。もう双方撤退した後だったけれどね。そこで、貴方を見つけた》
「…………」
《貴方は死んでいたわ。おおよそ人の原形を留めていなかった。後は海に流されて、魚の餌になるか、海鳥に啄まれるか》
「私が、死んでいた………」
しかし、ならば今の私はなんだ。ここがあの世というわけでもあるまい。何故私はなお生きている。
そう口にする前に、中枢は答えを言ってきた。
《私たちは、貴方を拾って、持ち帰って、改造して…………今の貴方を作った》
「………………は?」
今、なんと?
「作った?」
《そう。いいえ、正確ではないわね。もっと言うのなら、貴方の残骸と深海棲艦の残骸、二つを合体させたというべき》
「ま、待て待て待て待て」
慌てて話を中断させた。一気に疑問が増えて、問わずにはいられなかった。
「私は、死んでいたのだろう!?ならば何故、いや、いやいや、死人が蘇るはずがない!それに、どうして私を生かしたんだ!?何故そんなことを……」
《……………》
《おい》
「な、なんだ?」
《あんまり一気に質問するな。ちゃんと説明する。順を追ってな。だろ、中枢》
《ええ、そうね………。ちゃんと、ちゃんと説明するから……》
「……………」
《まず、理由から話しましょう。貴方を助けた理由、蘇らせた理由。それは、私たちは戦争をしたくないからよ》
「………………………………………なに?」
戦争を、したくない?
聞き間違いか?いや、たしかにそう言ったな。戦争をしたくないと。
《驚くのも無理ないわ。私たちみたいなのは少数。他の深海棲艦たちは好戦的だもの。でも、私たちは人間と争いたくないの》
「…………………」
《つまりね、私は、人間と深海棲艦が共に平和に暮らせる世界にしたい、と考えているの。だから、貴方を助けた》
「………………ははは」
《え?》
「はははははははは!!!笑わせるなよ深海棲艦!そんな都合の良い話を信じろとでも言うのか!?ははははは!もっとマシな嘘をつけよ!ははははは!」
《……………ゃない》
「あ?…………なんだって?」
《嘘じゃない!!!!》
中枢は、ほぼ絶叫に近い声でそう叫んだ。
《嘘、じゃない……………》
「……………」
《…………私は、少なくとも私だけは信じているわ。この戦争は、互いの滅亡なしでは終わらない。なら、互いに助け合うしかないと》
「…………それで」
《え?》
「人間も深海棲艦も助けたい。だから死んでいた私を蘇らせた、と?」
《……………普通ならこんなことしないわ。でも少なくとも貴方は、私たち深海棲艦によって殺された人間だったわかった。さっきは救援なんて言ったけれど、詳しく説明すると、私たちは戦いを止める目的で向かったの。でも、遅かった。そこには貴方の死体しかなかった》
「……………」
《側から見ても明らかな死体。でも、私は持ち帰って、深海棲艦の死体の残骸と組み合わせてしまった》
「そこだ。何故私は蘇った」
《わからないわ。でも…………結果的に貴方は息を吹き返した》
その後、少しの問答があった。
話を全て要約すると、まずこいつらは戦争反対派の深海棲艦である。人間(或いは艦娘)との戦いに消極的であり、私が死んだ(という)あの戦いでも、救援のために来たものの、撤退のための援護をするつもりしかなかったらしい。
しかしそこは既に戦いが終わった後。そのため帰ろうとしていた時、私の死体を見つけた。
きっと助からないと分かっていても、何もしないというのは気がすまないので、最近轟沈した深海棲艦の死体(ないし残骸)と合体させた。欠損した部分を移植するように。勿論、これもただの自己満足に過ぎなかったようで、まさか本当に蘇るとは思っていなかったらしい。
仕方がないので、自分たちでこの人間を保護しようという話になったようだ。
《ど、どうかしら、まだ聞きたいことは………………?》
「……………」
《あの……………?》
「つまり、だ」
《え?》
「お前たちは私を助けた。捕虜とか人質とか、或いは見せしめに殺すとかではなく、助けるべくして助けたということか」
《あっえーっと、はい、そうです》
どぎまぎしながら、中枢は頷いた。
「………………ありがとう」
《………………………え?》
「いや、ありがとうではないな。すまなかった」
縛られているので、首だけ下に向ける形になるが、頭を下げた。
《えっ、ちょっちょっ》
「そんな事情があるなんて知らなかった。私はすっかり誤解していた。先程は、酷いことを言ってすまなかった」
《あっ、えーっと………》
それはそうだ。戦争をしたくないのが人間だけなはずはないのだ。深海棲艦だって、平和を願うはずなのだ。なのに私は、深海棲艦は敵で、分かり合えないなんて思い込んでいた。
恐怖からか焦りからか、思えばこいつらの話を全く聞いていなかった。私は大馬鹿だ。
《と、とにかくっ、頭をあげてください》
「ん………」スッ
《……………その、じゃあまずは、縄を解いてあげて》
「いいのか?」
《…………ええ。もう、襲ってこないでしょ?》
「………………………ああ」
縄が解かれ、身体が自由になる。手首足首は縄の跡ができて少しだけ痛むが、この痛みも、こいつらが救ってくれたおかげなのだ。
「本当に、すまなかった」
《も、もう!謝らないで!誤解が解けたならもういいです!》
「そうか」
見ると、中枢含め、深海棲姫たちの顔は少しだけ穏やかに見えた。
「お前たちを、まだ完全に味方だと信じたわけではない。だが、敵でないというのは信じよう」
《…………ありがとう。じゃあ、とりあえず…………》
ご飯にしましょうかと、中枢は言った。
[二週間後]
〈鎮守府 執務室〉
はたして彼はどんな気持ちでここに座っていたのだろうか。
「……………」
宮本 會良。我が親友。正義にあまりにも忠実であり、あまりにも愚直であり、あまりにも諦めが悪く、あまりにも正しい男。僕の人生において、彼ほど悪に逆らった者はいないだろう。
佐藤中将を殺した時、僕は飛んで駆けつけたかったが、結局は叶わなかった。しばらくすると、佐藤中将がいた鎮守府に着任したという話を聞いたので、その時も駆けつけたかった。
そして、彼の訃報を聞いた時、もう駆けても無駄なのだと悟った。
「…………黒崎提督?」
「…………………ん?」
秘書艦の鹿島くんは、不安そうにこちらを見ていた。手には今後の鎮守府の運営に関する書類が握られており、僕は話半分で考え事をしてしまったことに気づく。
「ああ、すまない。なんの話だったかな」
やはり、無理して提督なんてやるべきじゃなかったかも知れない。
「あ、はい。まず、この鎮守府の艦娘の数とそれに伴う兵装ですが………」
手元の書類に目をやると、艦娘の写真と艦種、戦績とパラメータが事細かく書かれていた。戦艦だったり軽巡だったり空母だったり………。
「これは、君がまとめたものなのかい?」
「はい。あっ、でも、宮本提督も手伝ってくれたので、私一人ではありませんね」
「…………そう」
鹿島くんは表情に暗い影を落とした。
今思うと、彼女らが宮本くんを殺した、なんて尋ねるべきではなかった。彼女らはどうやら誰よりも、彼を救えなかった自分たちを責めているように思えた。
僕は人の気持ちが理解できない、察することができないと、彼は言っていた。全くその通りではないか。
「…………うん、なるほど、大体わかったよ。ありがとう」
「いえ、秘書艦ですから」
「そうかい?まるで、僕の方が足手まといだね、あはは」
鹿島くんは僅かに笑ってくれたが、またすぐに暗い顔。
「…………彼を思い出すかい?」
「!! え、ええ。まぁ………」
「ここに着任してからしばらく経ったけど、君達はずっと、どこか悲しそうだ。人の感情には疎い僕でも、それはわかるよ」
「そ、そうですか?そんなつもりは、ないのですが…………」
「……………鹿島くん」
「はい?」
机の引き出しを開けて、中の物を取り出す。
「これを」
「これ、は…………?」
「彼の遺書だ。軍人なら、一応遺書を書く義務があってね。形骸化しているとはいえ、彼もしたためていたようだ」
「宮本提督の、遺書………」
「君に、君達にあげるよ」
そう言って僕は、部屋を出た。
遺書を見つけたのは着任したその日だった。引き出しを開けた時、二重底になっているのに気がついたのだ。
驚いたことに、特に誰かへのメッセージとか、遺品の始末のこととか、そういうありきたりなことすら書かれておらず、ほぼ白紙のようなものだった。ただ、おそらく後から付け足したページがあったのだ。
『これを読んでいる君へ。ここの艦娘たちを宜しく頼む』
「……………僕は君が死んだかどうか確認しに来ただけなんだけど…………。まあ、頼まれたんなら、仕方ないか」
〈北方海域 無人島〉
《朝なのッ…………起きるのッ………》
「んん………?」
ここに来てから、どれくらいかは知らんが長い時間が経った。
身体もようやく完全に馴染んで、動作にも全く異常がない。移植された部分と元の体の部分とで肌の色が全く違うのが気になるが、それも慣れてしまえばどうということはなかった。
「今日は北方棲姫か………。目覚ましご苦労」
《ほっぽは、目覚ましじゃないのッ》
北方に連れられて、いつもの大部屋に向かう。広いだけのただの洞穴だが、深海棲艦たちは会議室のように、或いはリビングのように使っているようだ。
《朝御飯、なのッ》
「よし、今日の朝飯はなんだ」
《おっ来た来た》
《おはよー》
見ると、もう全員集まっていた。港湾に重巡、中枢に軽巡、戦艦に駆逐、潜水にリコリス棲姫。皆テーブル(平べったい岩でしかないが)の前に座っている。
《さ、北方はこっち………》
《うん!港湾おねーちゃん!》
《ほら、貴方はこっちよ》
「おう」
言われた通り、中枢とリコリスの間に腰掛ける。
《じゃ、いただきまーす!》
《《《《「いただきまーす」》》》》
今日の献立は鯵の刺身に鯛の刺身、ウツボの丸焼きにウニ。
深海棲姫たちは当然、料理ができない。精々切るか焼くかしかできないので、大抵海で取れる魚や貝ばかりだ。いい加減飽きてきたが、質素すぎる士官学校時代の飯よりもずっと美味い。
《なあ人間、お前、身体はもういいのか?》
「ああ。ようやく完全復活だな。どこも違和感はないし、ふつうに動ける」
《そう?それならいいんだが。なあ、中枢》
《そうね。私も、後遺症が残るんじゃないかと思っていたのだけれど、杞憂だったようね》
「全くだ。一体どうなってるのかはわからんが、まあ、別にいいさ」
《あっ、中枢、私おかわりー!》
《ほっぽもー》
《コラ、北方はまたウニ残して………》
《うう、だって苦いから………》
《好き嫌いはだめよー。ねえ、戦艦?》
《あ、ああ。そうだな》
《あれ戦艦、なんで鯵だけはじによせてるの?》
《…………》
《あら?どうしたの?戦艦…………まさか……………》
《わ、私だって、苦手なものくらいある!》
《まあ!戦艦のくせにみっともない!》
《戦艦かどうかは関係ないだろ!》
まるで家族の団欒のように食事を楽しんでいる。この間まで敵だ仇だと忌み嫌っていた連中とこうして共に食事を摂っているのは、考えてみるとすごいことだ。
《お味はいかがでしょう?人間》
「ん?そうだな………。鯵の刺身は鯵っぽくて良いし、鯛も鯛の味がするし、ウツボも焼き魚って感じだし、ウニもウニの味しかしないから…………うん、美味いぞ」
《ねえそれ褒めてる?それとも貶してる?》
「まあまあ、良いじゃないか。この鱗を剥がしてくれないところとか、逆に新鮮で良いと思うぞ」
《やっぱり馬鹿にしてる!こいつ許せないわ!明日から料理はあんたが作りなさいよ!》
「冗談だよ。ははははは!」
正直、ここ最近はこいつらと一緒にいるのも楽しくなってきた。
話してみると、深海棲艦たちは良い奴ばかりだった。仲間思いで、平和が好きで、こうして笑い合える日常を守りたいと思う、我々人間と何も変わらない、そういう連中だった。
戦争しているのがバカらしくなってくるほど、意気投合できる相手だった。
《じゃ、ちょっと私おかわりとってくるわ》
《はいよー》
《よろしくなのー》
中枢は器(と言ってもただの馬鹿でかい貝殻)を持って部屋を出て行った。
《なあ人間》
「なんだ?」
《人間ってよ、料理?ってのができるらしいな。なんでも、魚をもっと美味くできるとか》
「ああ、まあな」
《それならよ、今度その人間の料理って奴をご馳走してくれよ!》
「うーん、そのためには色々と準備が必要だが…………わかった、やってみよう」
《期待してるぜ!》
《ほっぽも、食べてみたいのッ………》
《私も………》
「わかったよ。あっと驚かせてやろう」
心地が良い。はたしてこんなに楽しい時間が私の人生であっただろうか。笑顔で食卓を囲み、争いもなく毎日が過ぎていき、明日のことを苦悩する必要がない。
理想的だ。まさに、求めていたものがここにあった。
しかし何故だろう。私は、何か忘れている気がするのだ。何か、何か大切なことを………。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンン!!!!
「なっ、なんだ!?地震か!?」
《いや違う、これは…………》
突然の衝撃と轟音。まるで、洞窟全体が震えているようであった。
《み、みんな!!》
「ちゅ、中枢!?何があった!」
血相を変えて飛び込んできたのは、先程おかわりを取りに部屋を出て行った中枢棲姫だった。
《敵襲よ!!》
五月も終盤、いよいよ梅雨の季節がやって参ります今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
ようやく本編が進みました。散々悩みに悩んで、番外編なんて紆余曲折を経ましたが。
ちょっと今回は疲れたので後書きはこれで終わりにします。
では、また次の作品で。
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