提督「化け物の暴走」一
*本作は"提督「化け物の誕生」"の続編となっております。このシリーズではやや暴力的、非人道的シーンが含まれており、艦娘のキャラ崩壊も少々あります。ご了承ください。
[宮本提督死亡より、3ヶ月]
[宮本提督着任より、約9ヶ月後]
〈鎮守府〉
「大規模作戦?」
「はい、大規模作戦です」
秘書艦の鹿島は大本営からのマル秘文書にさらさらと目を通しながら、やや驚きがちに言った。
単調な作業が続くこの提督とかいうクソみたいな仕事に就いてとうとう3ヶ月が過ぎた。毎日毎日スリルも発見もないこの部屋で、ただ黙々と書類を相手に時間を空費する生活にも嫌気が指していた。なので、その聞きなれない言葉に耳を疑った。
「北方海域及び本土近辺までの補給路及び貿易路の確保に伴う海域奪還作戦………。以下の日時に艦隊を率いて集合されたし。集合地点は………大本営直轄鎮守府」
「海域奪還か………。ねえ、君たち前にも呼ばれたことあるの?」
「いいえ。元々ここは前線の要の一つでしたから、さほど切迫していない、それでいて練度の高い艦が多い鎮守府に召集をかけるのが通例です」
「なるほど初参加ね。(これは明らかにここへの当てつけだよなぁ………。新任提督を何人もオシャカにした挙句、一時期は艦娘全員でボイコットしていたわけだし。いい加減ここを潰したいのかもねぇ……)」
「とりあえず、私はこれを長門さんたちに伝えてきます。まだ期日までは余裕がありますが、呼ばれてしまった以上、やるしかありませんから」
「そうだね。頼むよ」
椅子に沈み込み、ぐるりと回って窓の外の景色を眺めながら、ガラにもなく軍人的な考察をしてみる。
「(期日にはまだ3ヶ月ほど余裕がある。資源はそれまでに優に貯まるだろうけれども、問題は彼女らが大艦隊戦をできるかどうかだ。大規模作戦の常連クラスなら飄々とこなすと思うけど、そういう戦い方ができるかどうか。それに北方海域といえば、そこそこ敵も強かったはず………。)」
思いつきではあるが、先程たまたま見ていた艦娘のここ最近の戦績記録をもう一度見直してみる。
「(やはり装備と艦種だよなぁ………。練度はまだいい。しかし装備に関してはあまり強いものとはいえず、十分に参戦できる艦娘が少なくなってしまう。ボロで出撃させても足手まといになったら元も子もない。艦種に至っては全体的にバランスが取れてはいるけれども、やや決め手に欠ける。かと言って建造システムは既に艦娘に壊されていた無理だし、できたとしてもこれ以上ここの艦娘に馴染めるわけもないだろう。戦艦や空母はまあまあ使えるのはいる。しかし駆逐艦や潜水艦、爆雷機積みの軽巡となると話は別だ。明らかに戦力に乏しい。むむむ、これは難しい問題だぞ………)」
思わぬところで問題が発生してしまった。提督業は書類仕事だけならまだ楽だが、こういう例外はとことん面倒くさい。軍医の資格を取ったときより面倒くさい。
「こちらにはまだ、調査しなければならないこともあるのになあ…………」
[同日]
〈無人島〉
不思議な気分だった。
地球の7割を占める海。いつか我々が海を奪われたことを知ったときは、内心、残りの3割でどうにか生存し続けている人間にとっては大したことでないのでは?と思った。しかし実際に赴いてみると一変、海原というどこまでも途方もなく続く青い地面に、世界の広さを感じたものだ。そしてそれを奪われてしまったことに、人並みの焦りと緊張を覚えた。
今だってそうだ。単純な面積の話なら深海棲艦のテリトリーは人間の2倍以上。この星の大半が敵地という異常事態が発生しているのだ。いつ、どこで、何人の深海棲艦が自分を待ち受けているかわからない。昼は水平線の境に空の青と海の青のキャンパスを、夜は暗い海と満点の星空の天然のプラネタリウムを見ることができ、ついついその幻想に見入ってしまい忘れがちだが、海はとても危険なのだ。
3割は安全。7割は危険。見落としがちな人類の不利だ。
「その私が、今や7割側とはな」
《ヲッ?》
敵地を自由に移動できる、危機に晒されることがないというこの安堵と困惑が入り混じった不思議な感覚が、私を支配していた。
先を急ぐ深海棲艦たちに続くように、私は広大な海を駆ける。
[2ヶ月前]
〈無人島〉
驚きのあまり声を上げたが、しかし深く考えてみればなかなかどうして道理に合う話だ。
侵食する灰色の肌。真紅の瞳。飢えぬ肉体。もはやこれだけの判断材料があればいよいよ馬鹿な私でも理解できる範疇だ。
暫く、数分かそれ以上か、だいぶ沈黙を守っていたが、いよいよ私は自分の運命を口にした。
「……………つまり、私の身体は」
《深海棲艦になろうとしているわ。確実に》
険しく、どこか悲しそうな顔で言い放った中枢をちらりと見て、そして私はそのまま天井へと視線を移す。何もない虚空を見つめて、ほんの一瞬間考える。
「こういう時、どういう反応をすればいいのだろうな。先程のように声を荒げて動揺するのか、暴れまわって怒りに身をまかせるのか、それとも事実から逃げるためにとにかく走り出すか…………」
《…………》
《…………なあ、人間、辛いとは思うが、》
「いやいや辛くはない。理に適った結末ではある」
全く適当な事態なのだ。
人として死に、深海棲艦の身体を使って蘇った。その時点で私は人ではないし、人としての生を再び送れるとは思っていない。そんな都合の良い話、あるわけがない。
《…………移植措置は完璧に成功したわ。でも、深海化に関してはどうしようもない。既に朽ちた肉体に、朽ちてなお生命力のある深海棲艦の身体を移せば、支配権は自ずと移植側になる。被移植側は淘汰され、やがて完全に…》
「深海棲艦と成る」
《……………そう》
眉間に皺を寄せ、今にも吐きそうな顔で肯定すると、中枢はいよいよたまらなくなってわたしから目を逸らした。周りの姫級たちも不安そうに顔を合わせて、どうにか場を取り繕おうか、いやしかし何を言えばいいのだと狼狽するばかりだ。ヲ級も私と中枢をキョロキョロと見て、駆け寄ろうと一瞬手を伸ばして、しかしまたすぐに退いた。
酷く、重い空気だ。
「………………」
《…………なさい》
「なに?」
《ごめんなさい…………》
突然、中枢は謝り始めた。涙が徐々に瞳に溢れて、頰を流れて落ちていった。私を含め誰も予期できるはずもなく、慌てて港湾も北方が駆け寄った。
「何故、泣く」
《だって…………貴方はもう人間じゃない。貴方は貴方の敵と同種になってしまった。救命なんて自分を言い聞かせたけれど、私のしたことは許されない…………》
「……………ほう」
《告げるべきだと思ってた!でも、でも………………怖くて、自分の善意が裏目に出るのが怖くて、それで………》
「…………」
涙を拭いながら訴える中枢を見て、意外にも私はそれを冷静に受け止めることができた。感情が溢れ出てしまった中枢とは対照的に、私は一体感情が発露することはなかった。
こういう時、生前の私なら困惑と怒りで怒鳴り散らしていたかもしれないし、それこそ刀があれば問答無用で斬りつけていたかもしれない。しかし今の私には、そういう感情はあまり起き上がって来なかった。
《だ、大丈夫。貴女は何も悪くない。貴女は命を救ったのよ。形は何であれ、ね。そう言ったのは貴女でしょ、中枢》
《生きてさえいれば、なんとかなるノッ!》
「(生きてさえいればか…………)」
《な、なあ、こういうこと聞けた義理じゃねえけどよ、別に、平気だよな?》
「……………」
《重巡!!》
《わ、悪りぃ!でも、中枢はお前を助けたんだぜ?たしかにもう人間じゃないけれど、生きてるんだ。ならそれだけで御の字じゃねえのか?》
「……………なるほど」
立ち上がり、床にへたり込んですんすんとしゃくりを上げている中枢に近づいていく。
重巡はやってしまったと言わんばかりに口を抑えている。誰も私の歩みを止めようとはしない。ただ苦しそうに目をそらし、また責めるように重巡を見た。
《(ああっ!俺のせいで怒らせちまった……!すまねぇ、中枢!)》
「生きてさえいれば、か………」
《に、人間………》
見下ろす形で中枢に近づき、庇うように駆け寄っていた港湾と北方の無視して中枢に手を伸ばす。中枢の目には、涙と後悔、そして恐怖に近しい何か負のものがあった。
辛そうだ。ああ、何故こいつらは、
《ヲッ!!》ガシッ
「ん?」
《え?》
突然、右手を掴まれた。
振り返ると、険しさと悲しさを織り交ぜた、赤い瞳を涙で潤わせたヲ級が、両手で力強く握りしめていた。少し震えている。
「…………」
《ヲッ………ダ………メ…………》
「…………!」
震える声で、かなり違和感があるがたしかにヲ級はそう言った。
彼女を責めてはならない。彼女を否定してはならない。その正義、善意、良心に相当する気持ちを、どうか認めて欲しい。その切実な気持ちを、おそらくそう多くは心得てはいないだろうが我々の言葉でぶつけてきた。
「…………わかってるとも。大丈夫だ」
《ヲ…………?》
「…………中枢」
《え…………?》
再び中枢を見据えて、ヲ級の手を握りしめて言う。
「助けてくれて、ありがとう」
[回想終了 現在]
《それで、調子はどうだ?》
「…………海を歩くというのは、なかなか不思議なものだな」
《私たちも、初めて陸地に上がった時は結構苦労したわ。まあ、すぐに慣れたけどね》
《心配ない、すぐに慣れる》
《簡単なのッ》
「そうか」
今日は初めて海に出ることになった。海に出る、つまり出撃ということだ。
ここでの海に出るというのは、言い換えれば海を歩く、水面を駆けるということであり、それこそアメンボくらいしか出来ない偉業ではあるのだが、今の私にはそれが割と普通にこなせてしまう。
海とは水であり、水とは液体であり、掴む、踏む、斬る、殴る、なんてことは当然出来ない。だが艦娘や深海棲艦に至っては、少なくとも海面を歩むなどという行為は取るに足らない、地面を歩くほどに当たり前のことなのだ。それは、深海化した私も同じ。
「なんともいえないな……この感触。確かに液体ではあるが同時に固体でもあるような、力を入れれば崩壊してしまいそうで、しかし決して消えることのない存在感と質量を感じる」
《はあ?別になんともねえけど?そんなに不思議なもんかね、これ》
《彼は今日が初めてだから》
《そうね。どう?まだ着いてこれる?》
「問題ない。…………しかし、港湾が作ってくれたこの靴、これを履いていても浮いていられるというのは一体………」
《さあ………わたしにもわからない》
港湾は驚いたことに靴を作ってくれた。なんてことはない革靴だが、おそらく素材は全くの別物なのだろう。サイズはちょうどぴったりで、本当になんてことはないただの靴なはずなのに、こうして靴ごと浮いている。
今の服だって考えてみればおかしい。洗濯も何もしていないのに、多少の汚れを除けば傷んでもいない。軍服そっくりで、それでいて決して布ではない感触。言葉で説明できない、独特の感じ。
「なあ、これって何で作ってるんだ?なにかの動物の皮か?」
《…………海藻とか、陸の植物とか、流されてきた人間の服とかを混ぜたもの。何を混ぜたかは、自分でも覚えてない》
「へえ……まあ、悪くないできなんだがな」
《まず、人間でも深海棲艦でも、普通は服は着てるから、新たな調達することは今までなかった》
「あ………さいですか…………」
《あら、そろそろ着くわよ》
《おお、見えてきたな》
そうこう話しているうちに、目的地に着いたようだ。目の前には所々岩が突出した岩礁が見える。
そもそも今回の出撃……私にとっては初陣になるわけだが、何も艦娘と必ず出くわすということはなく、ただ資源を回収しにきたのだ。
《鋼材と燃料が足りないって話だからな…………。ああ、燃料はその辺にあるだろうから、ヲ級、集めといてくれ》
《ヲッ!》
「鋼材はどうするんだ?この岩からとれるのか?」
《ああ。要は鉱石をとって、それを持ち帰って加工すれば鋼材の出来上がりだ。ここにはその鉱石があるんだが……………よし、お前は今回は初めてだから、見てるだけでいいぞ。艤装もないしな》
「わかった」
《うーん…………この辺かな………。軽巡、港湾、手伝ってくれ》
《いいわよ》
《了解》
《よっと》ザブン
「え?潜るのか?」
《そうよ。鉱石は海中にあるから》ザブン
《顔を水面につけて見ればいい》ザブン
「あ、ああ……」
ふっと水の反発が消えたかのように、彼女たちは海の中へと落ちていった。水飛沫の一つとしない、まるで水が飲み込んでいくような美しい着水だ。
海面に顔をつけ、青い世界の中の彼女らを探すと、海底で黒い岩壁に向かうのが見えた。
「しかしどうやって取るんだ……?」
すると、彼女らは徐に艤装を展開し、あろうかとかそれを岩石群に向かって思い切り砲撃した。
爆発音と崩壊する岩の音が、水中でくぐもった音に変化して鼓膜に伝わり、直後その衝撃が私の顔を打った。
「うおっ!?」
慌てて顔を上げる。水中で砲撃をしているから、どこかに逃げるということもできず、ちょっと爪先立ちになって、水面を覗いて彼女らの様子を引き続き見た。
「(採掘ってああやるのか………。確かに鉱山で爆薬を使うことなんて珍しくないけど、これはさらに暴力的な方法だ………。もしかして、艦娘たちもこんな感じなのか?)」
《ヲッ………》
「おお、ヲ級、戻ってきたのか」
《ヲッ》
「そういえば燃料ってどういう集め方………………って、それ、もしかして」
《ヲヲ?》
「ドラム缶か………やっぱり、そこは艦娘に似てるんだな」
ヲ級は背中に一つ、両手に一つずつ黒いドラム缶を持っていた。ヲ級の他にも、駆逐ロ級も口に咥えて運んでいる。
《よしっ!こんなもんだろ!》ザバァン
《ふぅ………また持って帰るのが面倒なのよねー》ザバァン
《みんなの貴重な資源、私たちがやらないと》ザバァン
「あ、お、おつかれさま」
《おお。………ああ、そっちも終わったんだな。よし、なら帰投するだけだな》
《そうね。………っていうか貴方、私たちの仕事見てた?》
「え?ああ、まあ一応………」
《貴方にもいつかはやってもらうんだからね。貴方ももう、燃料とかが必要な身体なんだから》
《働かざるもの、食うべからず》
「ああ、そうだな…」
[夜 帰投後]
〈無人島〉
《帰ったぜー》
《ただいまー》
《帰投した》
《お疲れさま、みんな。それに、貴方も》
「ああ、ただいま」
重巡棲姫、軽巡棲姫、港湾棲姫は両手に抱えた鉱石を一箇所にまとめて置くと、重々しい漆黒の艤装を外す。腕を回してほぐしたり、背伸びしてみたり、肩を揉んだり……。中枢はそんな彼女らに労いの言葉をかけ、まるで子供の帰宅を出迎える母親のような対応をする。それでもって、持ち帰ってきた資源を勘定してみたり、艤装を片付けてあげたりもした。
深海棲艦の統率個体、中枢棲姫及びその他姫級が、姫という名にしては普通に労働をしているあたり、私にはどうにもおかしかった。
《姫級が資源回収なんて、意外?》
「ん?まあ、確かに」
《昔はもっと数がいたから、普通の深海棲艦にもやらせてたんだけれど、最近は自分たちでやらないとね……》
「……………そうか」
《あっ、ヲ級ちゃん、それは奥の部屋にお願い》
《ヲッ!》
戸惑いがちな私に、リコリス棲姫は微笑みながら話しかけてきた。帰投した仲間を見る彼女の目は、人間だった頃私が感じていた敵意や威圧の色はなく、ただ安堵と慈愛のこもった、くすぐったいくらいの暖かさがあった。それをそのまま、私の方にも向けてきた。
その意外な目に私は急に恥ずかしくなって、慌てて目を逸らす。
「そ、そういえば私は、どの段階になったら艤装を装備するんだ?」
《後少しよ。まあ、貴方に戦わせるつもりはないって中枢は言ってるから、気にしなくもいいんじゃない?》
「そう………だな」
そう、私は戦う必要はないのだ。私は謂わば、交渉人だ。
[数日前]
「停戦条約か……」
《そう》
中枢は真剣な眼差しでそういった。
《この戦争は未だ決着着かずの膠着状態。このままダラダラと長引かせるのは両者にとって良いことなんてないわ。それならいっそ、仲良くなった方がいいと思うの》
「仲良く、な………」
《何よ、不満?》
「いや、我々人間はそう簡単に敵と分かり合える生き物ではなくてな。割り切るにしては、失った犠牲が多すぎる。お互いに、な」
《…………でも、誰かが止めないと、この戦争は終わらない。誰かが妥協しないと…》
「…………そのための、交渉役か。人間と深海棲艦の橋渡し」
《そう。貴方はもう肉体はこちら側だけど、同時に心は人間よ。仲介にはもってこいでしょう?直接は無理でも、貴方がいれば話し合いの機会くらいは設けることができるかも》
「…………うまくいくと、いいんだがな……」
[同日]
〈北方海域統括鎮守府〉
「Roma、今日君を呼び出したのは他でもない、例の深海棲艦共の住処のことだ」
「そのことにつきましては、未だ決着がつかないまま、殲滅には至っておりません。私の不手際です」
眼鏡をかけたやや痩せこけた男。顎髭を少し生やして、安っぽい整髪料の匂いを纏った短髪。目つきには軍人らしい鋭さがあり、痩せた顔に相まってさらに凶暴な雰囲気を漂わせている。
かと言って性格がそれというわけではない。感情は表に出さず、ただ己の職務を淡々とこなす。情熱がないといえば聞こえは悪いが、Romaにとっては特に苦ではなかった。やや事務的な反応を示しがちな彼女だから、ある意味彼の性分を理解しているのかもしれない。
「いや、それについてはもはや問題ではあるまい。補給線も奪還した今、連中は敵として数えるにはあまりにも脆弱だ。しかし」
「なんでしょう?」
「…………大規模作戦の話は聞いているな?」
「ええ。北方海域及び本土周辺の補給路確保の作戦と聞いております」
「そうだ。その上であの無人島は、作戦における資源供給候補の一つになっている。確かあそこからそう遠くないところに、鋼材と燃料を調達できる岩礁があったはずだ」
「はい。それについては以前確認しています。おそらく無人島の連中もそこから資源を確保しているものと思われます」
「うむ。となれば話は早い。君たちの艦隊には、大規模作戦前にはあの島を陥落して欲しいのだ」
「わかりました。しかし提督、先の戦闘から時間が経過しており、敵の現状が変化している可能性もあります。確実に仕留めるためには、私の艦隊だけでは……」
「そうか、ふむ…………よし、風雲、巻風、嵐、瑞穂、沖波に協力を要請するのでどうだ?」
「お願いします」
「わかった。出撃は二日後だ。それまでに装備を整えておけ」
「了解しました」
執務室を出て、寮にいる艦隊のみんなのところへ向かう。
あの無人島……、以前は本当に骨が折れた。中枢棲姫が統括する超大規模な深海棲艦の集団、或いはコロニー。大艦隊で挑んでも幾度となく負けた。私も提督もあの時は毎度苦悶したものだ。しかし、もはや風前の灯火である今ならば、ようやくこの戦いを終えることができる。
「次こそは必ず仕留める………必ず」
[二日後]
〈無人島〉
慌ただしい足音と焦燥を含む声に、私は揺さぶり起こされた。
《その兵装はまだ調整中よ!こっちを装備して!》
《北方、補給は済んだ?》
《大丈夫………早く行くのッ》
《今連中はどれくらいなんだ?》
《砂浜からでも肉眼で見られる距離よ。早くしないと………!》
部屋から出て、通路を進んで声の方向に向かうと、突然深海棲艦が曲がり角から現れた。
「うおっ!?」
《ヲヲっ!》
それは大慌てで駆け出してきたヲ級だった。彼女は兵装を身につけ、今にも出撃せんとする様子だ。
「ヲ級か!すまん、大丈夫か?」
《ヲヲ………ヲッ》
「怪我はないようだな………。いやそれより、一体どうしたんだ?みんなこんなに慌てて………」
《………ヲッ!ヲヲヲヲッ!》
ヲ級は何かを伝えようと必死に口を動かすが、当然何を言っているのかわからない。しかし何か緊急事態にあることは確かだった。
考えられることとしては、おそらく………敵襲か!
「………わ、わかった。取り敢えず中枢のところに行ってみるよ」
《ヲッ!》
ヲ級はそのまま通路を走っていった。その方向には海へと出る穴があり、あの様子では今すぐ出撃に向かうのだろう。
ということは、既にこちらは交戦中?
「(急がなければ………!)中枢!」
《あっ!貴方、なんでここに!?》
「なんでも何も、こんなに騒がれたら嫌でも起きる。それより、これは一体なんの騒ぎだ?敵襲か?」
《ええ。まあ敵襲なんだけれど………その……………》
「なんだ、何かあるのか?」
《……………哨戒部隊が全滅して、敵がもうそこまで来てる。おそらくあと少しで上陸されるわ。今重巡たちが向かってるけど、今回は敵の数がいつもより多いから………》
「なんだと……………!?」
《戦える子はみんな出撃してるわ。私もそろそろ向かう》
「わ、私もいっしょに」
《ダメよ!もう戦闘は始まってしまっている。兵装もない貴方にはただ死にに行くようなものだわ!……………貴方はとにかくこの洞穴内に隠れて。見つかっても多分、命までは取られないと思うから》
「…………勝てるのか、お前たちで」
《……………》
「無理なんだな?」
《…………そ、それでも戦わないと………》
「なら私も行く!こんなところで一人おめおめと隠れていられるわけがないだろう!」
《でも、貴方には武器が……》
「それでも、なんとかなる………なんとかしてみせる!」
中枢は本当に困った顔をして、言葉を詰まらせた。私も、この考えが酷くとりとめのない、全く良い考えではないことくらいは分かってた。役立たずが戦場に行っても、死体の山が少し高くなるだけだと、士官学校で真っ先に教えられたことだ。
しかし、これが私の性分なのか、それとも軍人としての生活の中で私の価値観が麻痺してしまったのか、それでも戦地に向かわなければならないという使命感だけは、少しも揺らぐことはなかった。
武器もなく、まだ海でようやく歩けるようになった程度の私がいて、なんの役に立つのかなんて、子供でもわかる。つまり虫けら同然の存在なのだ。しかし、かと言ってここで逃げ隠れ、命を懸けて戦っている彼女らに祈るような真似はできない。私はそれを看過できるほど、成熟した心ではない。
「死など怖くはない。何の役にも立たないかもしれないがせめて弾除けくらいにはなるさ」
《…………》
中枢はじっと私の顔を見つめ、しばらくそのままでいたが、やがて少しほくそ笑むと、突然私に抱きついてきた。
「な、なにっ!?」
《ありがとう…………。そこまで想ってくれていること、本当に嬉しいわ》
「………い、命の恩人だからな。これくらいはする」
《そう………ありがとう。本当に、本当に…》
抱き締めるという、肌と肌がゼロ距離になる動作をしていると、改めて体格の差が顕著に現れる。中枢は私の鳩尾あたりに顔を寄せて、細い両手を背中に回して体を私に預けた。
実年齢、身体能力が外見とはかけ離れていると分かっていても、このような少女たちに戦わせてはおけない。私も軍人、一人の成人男性ならば、たとえ命の危機しかないと雖も、戦わねばならない。
しかし、その決意も結局、拒絶されてしまう。
「も、もういいだろう。さ、早くみんなのところに向かおう。早くしないと戦っているみんながあああっっ!!!???」
突然、突然激痛が私の腹部に現れ、まるで電流のように全身に流れた。許容しかねる痛みは悲鳴となって喉から溢れ、足を踏ん張ることとできずに膝から脱力する。
《ごめんなさい…………私、それでも……》
「な、何故だ……………中枢…………」
唯一動く眼球を下に向けると、中枢の右手が手刀のように私の腹部を貫いているのが見えた。灰色に変色した腹からは止めどなく血が溢れ、肘から垂れて地面に真っ赤なシミを作っていた。
細くか弱いように見えるだけ。剣は勿論銃すら貫けない耐久力と数十kgにもなる兵器を軽々と扱ってみせるその力を持つ深海棲艦、その究極形とも言える姫級ならば、たしかにできて当然の攻撃だ。
《貴方には………生きて欲しい………》
「こ、こんな………こんなこと………ぐふっっ!」
《……………少し寝てて。すぐ、戻ってくるから。今は》
「や………やめろ…………行くな………」
引き抜かれると同時に、新たな痛みと強烈な寒気が腹の中から体内に侵入し、視界が霞み始めた。音を立てて血が滝のように溢れ、徐々に真っ赤な水たまりを作っていく。それを見ていると、だんだんと寒くなってきて、やがて体が力を失い始めた。私が死んだ時、こんな印象は受けなかったから、その時は即死だったのだろう。とても耐えられない、酷い痛みだ。
抱き抱えるように倒れこむ私を受け止めた中枢にしがみつき、どうにか倒れまいとするも、やがて私は何も言えなくなって、そしてそのまま、
《ありがとう》
意識を手放した。
[五日後 1800]
〈北方海域統括鎮守府〉
提督はRomaから渡された戦績及び戦闘状況をまとめた紙に目を通す。
「……………なるほど」
「……………」
「中破以上の損傷をした艦娘はなし。迎撃してきた深海棲艦は姫級を含め壊滅させ、生き残った個体は逃亡し消息はわからないものの、島自体は既に陥落した、と」
「万が一に備え、上陸はしていませんが、おそらくこれで敵勢力は消失したと考えて良いでしょう。いたとしても、もはや虫の息かと思われます」
「………………よし、次はここに大規模作戦に向けた前哨基地及び補給地点を置く。次に向かうのはその時になるだろう。作戦まで少し日があるが、特に出撃はしないこととする。つまり、この島は奪回したということだ」
「……………やっと、ですね」
「嬉しそうだな」
「ええ。長かったですから、あそことの戦いは」
「ああ…………確かにそうだな。うん、お前の艦隊には少し休暇をやろう。一週間程度のな。作戦のために資材を貯めないといけないし、装備も整えたいしな」
「ありがとうございます。皆にも伝えます」
「ああ」
めったに感情を表に出さないRomaだが、流石に顔を綻ばせて部屋を出て行った。休暇をもらったというより、仕事に決着がついたということが嬉しいのだろう。事務的な冷静な目つきから一転、まるであどけない少女のような笑顔に一瞬、年甲斐もなく胸がときめきそうになる。
「………しかし、いよいよあそこも落ちたのか………。本当によくやってくれたな。さ、次はどこに進もうか………」
我々軍人は、平和を取り戻すその時まで満足することはない。この勝利もまた、次の勝利のための足がかりに過ぎず、今は飛ぶような嬉しさを抱えている彼女らには悪いが、次の作戦を考えねばならない。そして彼女らにはまた、戦ってもらわねばならない。
艦娘は戦争のための道具、なんてジョークが珍しくもなかった頃もあったが、今では艦娘から吉報を聞くたび自分のことのように嬉しい。それは昇進とか出世とか関係なしに、彼女らが勝ってくれたという事実が嬉しいのだ。
「やれやれ………やりがいのある仕事だ」
提督は人知れず微笑み、再び書類へと視線を下ろした。
[同時刻]
〈無人島〉
果てもなく広い海に、私は佇んでいた。
波は穏やかで、風はなく、空はまばらに雲がある。陽に照らされた海原の上の私は、着慣れた白い軍服姿で軍刀を差し、海と空、二つの青の空間にいる。
明晰夢、というものだ。これが夢だとすぐにわかった。身体は動くが感覚が鈍く、声も出ない。
「(ここは…………?)」
とりあえず、ゆっくりと水面を歩く。前も後ろも右も左も、距離も方向もわからない。おかしな感覚のまま、ただ歩いてみる。当然、どこか目的地があるわけではない。
歩く、歩く、歩く、歩く。
「(ん…………?)」
唐突に、目の前に真っ黒な人影が現れた。
地面に落ちた影がそのまま立体になったような、或いはそのだけ世界に人型の穴が空いているような、ドス黒い、人。
それは男のように思えた。肩幅がそこそこ広く、髪は短く、腰には細長い棒のようなものを差している。しかしその全てが真っ黒だから、やはり輪郭しか捉えられない。
「お前は…………?」
声が出た。無理矢理ひねり出したかのような違和感があるが、しかしあちらには届いたらしい。
『……………いずれ、わかる』
そう言われた途端、目が覚めた。青の世界は遠く意識の彼方を吹き飛んで行き、視界に映る事実に埋もれてしまった。
「…………今、何か夢を見ていたような……」
辺りを見渡すと、私は岩の上で寝ていたようだ。細長く平らな、まるでテーブルのような岩だったが、特に痛みはない。それよりもこうなる前の、つまり私が眠っている以前の記憶がない。
「…………」
何故か、私の服の腹の辺りが破れている。身体には特に外傷はないが、服には真っ赤な血がべっとりと付いていて、まるで腹が割れたかのように思わせる。
「血…………?………………………………………………………そうだ、中枢は……」
起き上がって、部屋を出る。どうやらここはいつもの洞穴の中らしい。いつもより暗くてジメジメしているが、微かに潮の香りと冷たい風が吹いている。
ゴツゴツした地面を進み、隣の部屋を覗く。
「誰もいない…………」
この洞穴はおそらく自然に生まれたものを深海棲艦たちが住みやすく改造したものだろう。人為的に作られた空間も確かに複数ある。だから、どんな部屋も何かしらあった。誰かがいたり、何かが置いてあったり……。しかしこの部屋には、もはや目的も作為も感じられない。圧倒的に"用済み"感がある。
また歩く。足音は私だけだ。それは一定のリズムで虚しく洞穴内に響き、やがて消えていく。
やがていつもの大広間に出た。洞穴の突き当たり、いつもみんなで食事やら話し合いやらをしていた場所だ。
「……………誰もいない、のか?」
部屋の中をぐるりと見てみると、部屋の奥の隅で、小さくうずくまっている白い人影が見えた。ピクリとも動かず、死んでしまったかのようにそこにいた。
慌てて駆け寄り、肩を抱いて大声で呼びかける。
「お、おい!大丈夫か!?」
《……………あ………なた………》
「私だ!わかるか!?ああ、一体どうしたんだ!?」
《ああ……………目が、覚めたのね………》
「目が覚めたって……………?んん、お前、ひょっとして軽巡か!?」
髪が乱れ、服も所々破れている。酷く弱っているようで、そのうち消えてしまいそうな弱々しい声だ。目も虚ろで、こちらを見ているのだろうが、目に光がない。
軽巡棲姫はとても活発な子のはずだ。高校生くらいの体格で、笑顔が明るく、その肌には似合わない天真爛漫な少女。しかし今の彼女には、僅かな面影も虚しく、まるで枯れた木の小枝のようだ。
「な、なにがあったんだ」
《……………わたし、たち………、もう、誰も…………》
「(とても会話ができる状態じゃない…………今は休ませよう)いや、やはり説明は後でいい。今とにかく、ゆっくり休んでくれ」
《ん…………》
そういうとすぐに目を閉じ、また死んだように眠りについた。
テーブルの上に横たえ、軍服を毛布がわりにかけた。
部屋を出て、軽巡を治すための資材を探す。バケツでもなんでもいい、とにかく治療が必要な状況だ。
「(軽巡のやつ………どうやらとことん砲撃を受けたようだ。痣は全身にあるし、骨も折れてる。血が出てないようだが、内臓もどこかしらいかれてしまっているのだろう……高速修復剤、が効くかどうかわからないが、とにかく見つけないと………)」
すると、遠くの方からゴウンゴウンと機械音が聞こえてきた。
「(奥の部屋か……行ってみよう)」
駆け足で入ると、まず視界に飛び込んできたのはぼーっと何かを見つめるヲ級の姿だった。
三角座りで、特に目立った損傷はないように見える。しかしこれもまた目は虚ろで、私にも気づかない様子でただただ何かに視線を注いだまま固まったままだ。
次に視線を横にずらすと、地面に布が敷かれており、その上に多くの深海棲艦が横たわっていた。しかし、それらは一体異常だった。
「こ、これは…………」
横になっている深海棲艦、姫級だったりただの深海棲艦だったりそれぞれだが、おそらく彼女らは全員死んでいる。
そして最後、大きな機械音の正体である装置に目を移すと、そこには巨大な三つのガラスの水槽があり、その中にはチューブで接続され浮いている深海棲艦の姿があった。
「な、なんだこれは………」
《ヲ………?》
「! ヲ級!」
《ヲ………》
「私だ、わかるか!?どこも怪我はないようだな………」
《…………》
「ヲ級、これは一体何なんだ?この水槽と、彼女たちは………」
《…………》パタリ
「!?ヲ級!?ヲ級!!」
その時はまだ知る由もなかった。
これから起きる呪われた運命と、そして彼女たちと私の末路を。
[深海化 40% 兵装装備可能]
灼熱のような夏も過ぎ去り、残暑と同時に秋の訪れを感じる今日この頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
私は、まだまだ汗ばむ日が続き、扇風機には頭が上がらないような生活が続いております。しかし過ぎ去る季節とは常に寂しいもの。あの炎天下も今思い返せば少し物足りないくらいに感じます。
さて、いよいよ始まった暴走編ですが、いかがでしたでしょうか。なかなか戦闘にならないのがもどかしい気もしますが、安心してください。ここからは特に楽しい雰囲気もなく、陰々滅々殺伐全開の展開になっていきまして、とうとう化け物の真価が発揮されることになります。つまり、バリバリ戦うことになります。
着実に進む深海化、生き絶えた深海棲艦たち、そして不安定な艦娘たち………。構想はある程度決まっているので、また秋か冬に投稿しようと思います、多分。
というか、割とこのシリーズ楽しみにしている方もいらっしゃって、番外編とか調子に乗ってる場合じゃありませんでした。すみませんちゃんと進めていきます。
では皆様、お身体にはお気をつけて。また次回お会いしましょう。
このSSへのコメント