提督「化け物の悲しみ」七
*この作品は"提督「化け物の悲しみ」六"の続編です。
〈○△鎮守府内陸上演習場〉
天龍の腹部にめり込まれた宮本の拳は、彼女の肋骨、筋肉に何の意味も持たせずに、的確にそのストマックを攻撃した。溜まった排水溝を掃除したときのような、いや人体から発生してはいけないような音が聞こえた。
「………」
「………」
沈黙しかなかった。あんなに騒いでいた観客も、予想外の音、衝撃にただ驚きのあまり声が出なかった。さらに言うなら、呼吸すらも忘れるほどに見入っていた。
全てを理解できたのは、確かな手応えを感じていた、感じてしまっていた宮本のみである。
「(し、しまった!!)」
「………」
「(この感触、最悪の事態が起きてしまった……!)」
「……」
「(て、天龍の……)」
「…」
「(天龍の胃を、破裂させてしまった……!!)」
「……ゴブブッッ!?」
水道管が破裂したかのように、とんでもない量の血が天龍の口内から吹き出した。吐き出したのではなく、吹き出したのだ。たまらず膝から崩れ落ち、白目を剥いて痙攣して倒れた。
ようやく事態を理解した観客たちは、壊れた人形のように倒れ、打ち上がった魚のようにピクピクと痙攣し、だるまのような白目を剥いて、噴水のように血をぶちまけた天龍の姿を見て、とうとう悲鳴を上げた。
「きゃあああああああああああ!!??」
「て、天龍さん!!」
「うっ……!?」
「なによこれ……なんなのよこれ!!??」
蜂の巣を突いたかのような大パニックである。冷静であるものの方が遥かに少なく、中には口元を押さえて吐き気を必死に堪えている艦娘までいる。
「宮本くん」
「く、黒崎…」
「少しどいてくれ。今ならまだ間に合う」
「それは……高速修復材か?」
「うん。これを口から流し込んで……」
激しく震える天龍の口に、浴びせるように高速修復材を流し込み、強引に口を閉じさせる。
「た、助かるのか?」
「絶命する前に治ればね」
暫くすると、震えが止み、大きく見張りから白目を剥いていた瞳は閉じられ、落ち着いてきた。やがて眠ったのか穏やかな呼吸を繰り返して脱力し、黒崎は自分の白衣を畳んで枕がわりにして、天龍を横にしてやった。
「気絶しているだけだ、もう大丈夫だよ」
「そ、そうか……」
「提督としては君に苦言の一つでも言うべきなんだろうけど、これは彼女の自業自得だからね、君は気にしなくていい」
「しかし、危なかったんじゃないのか?」
「めちゃ危なかったよ。あらかじめ用意しておいてよかった」
「! その高速修復材……」
「鹿島くんに持って来させていたんだ。天龍くんは耐えられると思っていたらしいが、素人から見ても無事じゃ済まないのは彼女の方だ。……もし今から用意させていたら、間に合わなかっただろうね。ギリギリセーフ」
「そうか、ありがとう」
「念のため、医務室に運んでおくか。おーい、誰か」
何人かの艦娘たちが、担架に天龍を乗せて医務室へと運んでいった。服は血まみれであるため、艦娘は痛々しそうにそれを見て、その後で怯えた視線を宮本に向けた。
「気にしなくていいよ、ほんと」
「黒崎……」
「あー……でもまあ、向こうは気にするだろうなあ。まあ天龍くんが悪いんだし、これに懲りて少しは態度が良くなるかもね」
「呑気なことを言うな、お前は」
「………呑気なのは君かもね」
「は?」
チク………
宮本の後頭部に小さな鋭い痛みが走った。振り返ると、鬼の形相という言葉では足りないほどの、衝撃的な剣幕の顔の龍田が槍をこちらに構えていた。その後ろにも、摩耶や鳥海、天城や葛城がそれぞれ武装している。
「君たち」
「邪魔するなよ、黒崎提督」
「あー………天龍くんはあくまで、自分から挑んで返り討ちに遭ったというか、自業自得というか」
「確かにそうかも知れません。ですが、天龍さんは私たちの仲間。瀕死寸前までやられたのにこのまま提督…………この人を帰すわけにはいかないのです」
「仇打ちじゃなくて、ただの自己満足よ。文句も処罰も後でしっかり受けるから、今はどうか譲って欲しいわ」
「そうはいかない。彼は捕虜ではあるが、その扱いは一応丁重に……」
「黒崎提督、うるさいわ………」
「…………分かった、好きにしなよ。でも、怪我しても自分たちでなんとかしなよ」
流石の気迫に気圧されたのか、黒崎は肩をすくめて後ろに下がった。この場で唯一のただの人間だ、本気で殺意を向けられるのだけはごめんなのだろう。
「提督」
「久しいな、龍田。他のみんなも」
「久しぶり。名前を覚えてくれてるなんて嬉しいわ。でも今はそんな話をする気分じゃないの。天龍ちゃんは確かにちょっと感情的な子だけど、それでも私はただ見てるなんてできないわ」
「………見ていただろ?天龍が誘ってきたからそれに答えた。死にかけたのは確かにそうだが、私がそんな目で見られる道理はないな」
「提督、あんたは今あたしたらの捕虜なんだ。捕虜が刃向かってただ済むなんて道理もねぇんだよ」
「………なるほど」
「少しだけ痛い目に遭ってもらうわ」
全員がしっかりと艤装を身につけていた。周りの艦娘たちはぞろぞろとその場から後退し、グラウンド全体が戦闘空間となった。軽巡、重巡、空母、どれも陸上においても中々手強い相手ではある。
何より彼女らの研ぎ澄まされた戦意がひしひしと感じされた。天龍という仲間を傷つけられた怒りか、それとも今更戻ってきた深海棲艦もどきに対するもどかしさを払拭するための闘志かは分からないが、それはかつて宮本がここにいた時に、彼女らが憎しみを持って彼に向けていたものに似ていた。
「(何も変わらないな……。私はいつだって孤独だ。人間なのか深海棲艦なのかは問題ではない…)」
「行くわ………提督………!!」
「…………いつでもいいぞ、来い」
[数時間後]
〈執務室〉
「それで……」
「……………」
「全員の艤装を破壊した挙句、大破寸前の状態にまでボコボコにしたと……」
「……………」
「ははははははははは!!ははははははははははははは流石にやり過ぎでしょ」
「すまん」
高笑いをした後いつになく低い声で黒崎は苦言を呈した。私はただ頭を下げることしかできない。
「摩耶くんとかガチ泣きしてたよ?手加減しようとか思わないわけ?」
「まあなんというか……それはそういう気分だったから……」
「………君は彼女らの攻撃を全て躱して、傷どころか汚れ一つないままここに戻ってきた。対して彼女らは、いくら陸上での戦闘であったとはいえ、丸腰の相手に一発も攻撃を当てられず、艤装を壊され殴られ蹴られ投げられ叩かれ……。天龍くんの時のように致命傷になるような攻撃はしなかったにしても、あれはあれでプライドにとっては致命傷だ」
「分かった分かった、私が悪かった。なあもういいだろ?そもそも挑んでいたのは向こうだ。言うなれば私は正当防衛をだな」
「なーにが正当防衛だこのナメック星人が。そもそも素手で艦娘に勝てる深海棲艦なんているわけないだろ。力の差を見せつけるのはいいけど、機嫌悪くなると僕が困るんだよ」
「なるほど、提督殿は艦娘のメンタルケアまでされているとは、いやはやお見それしました」
「二人とも、いい加減になさってください」
言い合う私たちに、横から鹿島が口を出してきた。手に持つ盆には湯呑みがあり、それぞれに渡してくれた。
「黒崎提督、私はあくまで仕事の手伝いをする秘書艦であって、仕事を押し付けてもいい便利艦ではないのですよ」
「わ、悪かったよ。でもほら、ああいうのって見たくなるじゃない?人の喧嘩とかそういうのさ」
「悪趣味です。大体、提督なら艦娘の不用意な戦闘行為を止めるべきではないですか?」
「これからここで暮らす宮本くんと艦娘とがギクシャクしてるよりは、ああして拳でわかり合う方がいいかと思ったんだよ」
「いいわけないでしょう。そんな理論が通じるのは男性の、それも一部の人たちだけです」
「かーっ厳しいなぁ鹿島くんは」
「それから宮本提督!」
「え!?は、はい」
「お怪我はありませんか?どこか痛いところは?遠慮しないでなんでも言ってくださいね。あっ、マッサージして差し上げましょうか?天龍さんたちには私から後でしっかり言いつけておきますね。今後一切提督にこのようなことはしないようにと、ああ、いっそ艤装を没収して暫く戦えないようにしましょう。そもそも恩人である宮本提督にあのようなことをした時点でそれこそ相応の処罰をしてしかるべき」
「お、おい、鹿島」
「え?あっ、すみません私ったら………何でしょうか、提督?」
「あ、いや、大丈夫だから。そんなに気を遣わなくていいぞ」
「気をつかうなんてそんな……私は提督がお喜びなることなら可能な限り助力する所存です」
「き、気持ちだけ受け取っておく。必要になったら、その時に何か頼むから。あっ、せっかくだから、風呂を沸かしておいてくれないか?さっきので少し汗をかいてしまってな」
「お風呂ですね。わかりました。では、準備ができたらお呼びしますね」
ガチャ パタン
「………」
「………」
「………僕と君とで随分と対応が違うなぁ」
「というか、鹿島ってあんな感じだったか?」
「さあ?確かに鬼気迫る感じはあったけど、君の頃からじゃないのかい?」
「もう少し大人しかったような……」
「まあそれはいいや。とりあえず、今回の件で君が黒軍服……北方と南西をやった張本人であることは皆んなに確信されてしまっただろう。となると、捕虜という立場にも中々無理があるかもしれない」
「別に私は、艦娘たちに危害を加えるつもりは…」
「ここの全戦力をもってしても君一人を封じ込めることができないことが証明されてしまったんだ。君がその気になれば、僕も含めて皆殺しにだってできる」
「……」
「となると、次の段階に移ることも可能だ」
「次の段階?」
「本来ならもっと時間をかける予定だったけど、天龍くんのおかげで繰り上げることができそうだ。まあ君と話した時点で考えてきたことなんだけれどね」
「何の話だ?予定って…」
「……」
黒崎は紅茶を飲み干した。
「同じ戦争は二度と起きない。いかなる前例があっても、いかなる慣習があっても、時としてそれを無視して柔軟な判断を下す必要がある」
「………?」
「勝つためなら可能な限りなんでもする。貪欲と言われればその通りかもしれないが、この戦争は長く続き過ぎている。だから、手段を選んではいられないんだ。それがたとえ、敵を味方につける方法だとしてもね」
「どういうことだ……?」
「………もし、もし君が我々人類に協力的であるなら、僕は君に人類側の戦力して加勢してほしいと思っているんだ」
「!!」
「幸い君には人間だった時の記憶がある。軍人として、再び我々の仲間として戦って欲しいんだ。かつてのように、とはいかないかもしれないが、君の力をもってすれば、この戦争を終わらせることができるかもしれない」
「……無理だ。私は既に」
「二つの鎮守府を滅ぼしているから?」
「……」
「確かに君のいう通り、今の海軍の最重要事項は君の、黒軍服の調査及び捕獲もしくは抹殺だ。軍の上層部も警戒体制と称して大規模作戦を控えてはいるが内心躍起なっているのだろう。だけど、短絡的な考えで君を殺すよりも、より長い目で物事を判断すれば、君を引き入れることができた後のメリットに気づくはずだ。現在、海軍と深海棲艦との戦いは膠着状態にある。これが続けば我々は資源不足を陥り、確実に敗北するだろう。戦争はあまりにも多くのものを消費する。長引けばそれだけ苦しむことになるんだ。しかし、君が味方になれば一つの鎮守府、いや一個の軍と同等以上の戦力が加わることになる。説得には時間がかかるだろうが、きっと理解してくれるはずだ」
「買い被りすぎだ。それに、私一人の力で状況が好転するほど戦争は甘くない」
「少なくとも、君と戦っても日本海軍には勝ち目は無いと思う。たとえ束になってかかってもね。二つの鎮守府が滅んだせいで既に戦線の均衡はガタ落ち、今は他でまかなってはいるけど、あと一つか二つ落ちれば……」
「………」
「再び軍人として、戦ってくれる気はないかい?」
[夜]
〈艦娘寮〉
「具合はどうだ、天龍」
「………」
イラついている天龍は長門の発言に応答しなかった。自分を無視するくらいの威勢はあるかと長門は了解し、次につい先程全員の入渠が終わったらしい龍田たちを見る。
「そこの5人も、もう直ったようだな」
「………ええ」
「………」
「………」
「………」
「………」
普段は各艦隊を指揮する艦娘のみ集められる会合であったが、今回はなるべく多くの艦娘と意見交換するために特に制限を設けなかった。おかげで多くの艦娘が所狭しと部屋に集まり、件の天龍たちに視線を向ける。
長門は大きくため息を吐いて口を開いた。
「私から言いたいことは至って単純だ……。今回のような、捕虜に手を出すようなことはするな」
「………」
「この鎮守府の総指揮官は黒崎提督だ。黒崎提督が捕虜と決めている以上、我々はその身柄を拘束する必要こそあれど、無意味な戦闘行為をする必要はない」
「……長門さん」
「なんだ?」
「ていと………あの深海棲艦は危険です。既に二つの鎮守府を滅ぼし、今回の件でもわかるようにこの鎮守府に捕らえておくにはあまりにも強大な力を持っています」
「……何が言いたい、鳥海」
「他の鎮守府……或いは大本営に救援を要請し、対象の殲滅を提案します」
鳥海の発言は、そのざわめきが艦娘寮の外側にまで響くほどの動揺を艦娘たちに与えた。するとただちに大和が手を挙げた。
「大和」
「はい。鳥海さん、確かにあの深海棲艦の危険性は分かるけれど、何故この場でそれを?黒崎提督に直接言えば……」
「黒崎提督はあの深海棲艦と旧知の中……かつて私たちの提督であった時より前からの付き合いです。この提案を呑むとは思えません。それに、もしこのことが彼から本人に発覚すれば、この鎮守府も他と同様に……」
「私たち艦娘の間でのみ、行われるべき、ということですね」
「はい、その通りです」
「……」
長門が沈黙し考え込む中、次の手が挙がる。気づいた陸奥がすぐに対応する。
「はい、えーと、羽黒さん」
「あ、あのっ、み、みなさん、提督を殲滅って、宮本提督を殺す気なんですか?」
「……」
沈黙。
「それは……」
「それじゃ私たち、ひとごろ」
「違うわ、羽黒」
「あ、足柄姉さん」
「あれは……私たちの敵……よ」
「……」
「……嘘」
酷く冷え切った声が静かに響いた。視線の方向を見ると、明らかに怒気を含んだ目をした時雨がいた。
「時雨……」
「人殺しだよ、立派な人殺しだ」
「時雨ちゃん、気持ちはわかるけど今のあの人は」
「気持ちがわかるなら、そもそもそんなこと考えないはずだ。たとえどんなことがあっても僕たちを命を賭して守ってくれた恩人を殺そうなんて考えないはずだ」
「そ、それは……」
「皆おかしいよ……悪いことなんて何もしてない提督を虐めて、戦死したとなったら反省した素振りをして、戻ってきたら今度は殺すなんて……」
「時雨、我々は艦娘だ。艦娘として全うすべきことがある。たとえお前のいう通り、恩人を殺すことでも…」
「他に方法があるでしょ!?大本営にだって事情を話せば分かってくれるかもしれない!そうでなくても、せめてどこか安全な場所で匿うことだってできる!今のこの状況だって、この鎮守府の全員が黙ってさえいれば隠し通すことだって可能だ!なのに何で、殺そうなんて考えられるんだよ!!」
「時雨ちゃん……」
「ま、まあ確かにそうかもしれないな……」
「で、でも……」
「……時雨」
「みんなが考えてること、当ててあげようか?」
「なに?」
「提督を殺したいわけじゃ無い。でもそうしないといけない。それは艦娘として人類を守るためじゃなくて、過去に向き合わないことで自分を守るため」
「!?」
誰も口には出さなかった確かな真実に、その場にいた艦娘の全員が心臓に握り締められたような感覚に陥った。無意識のうちに暗黙の了解とし、分かっていても他の理由をつけて正当化していた、その真っ黒な事実。
「僕たちは過去、人間にいいように使われ、まるで道具やパーツほどの扱いしかされなかった。そして守るべきはずの人間を憎むようになった。地獄から助けてくれた宮本提督も例外なくその対象となり、自分たちの力とあの人の非力さをいいことに、今度は自分たちが地獄を味合わせる番になった。ようやくその過ちに気づいたのは、あの人が死んでからだ。後悔を自分がこれまで味わった境遇で塗りつぶして、時間が経つにつれ皆んな見ないようになった。でも、そんな矢先にあの人が、人ではなくなったあの人が来た」
「……」
「僕、話したんだよ、宮本提督と。僕たちの今どう思ってるのかって、聞いたんだよ」
「……」
「興味がないってさ。今無事に過ごせているなら、それ以上はどうでもいいって。それ以外は何も言わなかったけど、多分提督は、僕たちのことを嫌いになったんだよ」
「……」
「そりゃそうだよね、助けた艦娘には虐げられ、挙句自分を死から救ったのは敵であるはずの深海棲艦だ。だから僕たちと同じになった」
助けた人類に虐げられた、艦娘たち。
助けた艦娘と分かり合えなかった、人間。
「僕たちに危害を加えないのは、ここの提督として勤務していたよしみであって、他の関係ない鎮守府なら簡単にその憎しみで滅ぼす。本当は僕たちのことを、艦娘のことを殺したいほど憎んでいるんだよ……」
今日は解散だ、と長門は一言だけ発した。誰も何も言わずに各々の部屋に帰っていった。
皆、最低な気分だった。
【明朝0700】
〈洗面所〉
鏡で自分を見ると、本当に深海棲艦なのだと改めて実感できる。白い髪、灰色の肌、赤い目。黒崎と話すとまるで自分が人間であるかのような錯覚に陥る。こうして現実を見ることで、自分の気持ちをセーブできる。
昨日の黒崎の提案にはまだ解答していない。あいつ自身、即答できないことを理解していたのかあっさりと引いてくれた。
「………再び軍人として……戦う……」
私は今、何のために生きているのだろう。
かつて軍人として、人々を守るために働いていた。そのことに迷いはなかった。この戦争を終わらせることが目標で、誰も大切な人を失わなくていい世界を作ることを目指していた。
しかし私はこう成り果てた。深海棲艦になり、助けてくれた敵を守るために味方だったはずの艦娘たちを倒し、その根城を一つ滅ぼした。また、いつぞやの理不尽の始末をつけるために、まあ一つの鎮守府を滅ぼした。
守るためだった。いつだって守りたいものを守るために生きていた。しかし、今の私は滅ぼす側の存在だ。
『違うな』
「!?」
『お前は最初から滅ぼす側の人間だ。気に入らないものを見つけては徹底的にそれを駆逐する。守るため、だなんてただの詭弁、全てはお前がそうしたかったからそうしただけ』
「(そんなことはない!私は)」
『何が違う。お前が倒してきた相手の中には確かにそうされて然るべき者もいたが、全員が全員そうではないだろう?お前はそれを理解していたはずなのに、抱いた感情を殺すより、目の前の敵を欲望のまま排除することを選んだ』
「(私は……違う……)」
『憎いだろう?この鎮守府の艦娘たちも』
「(!?ち、違う!)」
『お前は誰にも言わないからな。しかし私は知っている。あの艦娘どもを倒した時の、お前の中に確かに現れた愉悦を。拳に感じた快楽を。溢れそうになる笑みを必死に堪える辛さを』
「(違う!!私は彼女らと今度こそ)」
『願望と欲望は必ずしも一致しない。お前があいつらとやり直したいと思っても、お前の欲望はあいつらをぶちのめすことだけ考えている』
「わ、私は……」
足音が聞こえる。すると内なる私はスッと心のどこかに消えていった。動揺し青ざめた顔をかき消すように、慌てて顔を洗う。
「おっ、起きていたのかい」
「……黒崎か」
「おはよう宮本くん。君もこれから朝食にするかい?」
「……いや、今はいい。後で適当な時間に行く」
「そうかい?じゃあ僕は食堂に行くから、何かあったら呼んでねー」
「ああ」
〈○△鎮守府 屋上〉
今日はまだ艦娘とは誰とも話していない。私も向こうも、お互いを避けているようだった。昨日のことを鑑みれば当然のことだ。
屋上には基本的に誰も入らないが、それは特に何もないからだ。ドアノブは壊れているのか少し力を入れただけで外れてしまい、鍵も意味をなしていないようで押したら開いてしまった。黒崎に怒られるかもな、と思い、まあどうでもいいかとも思って、屋上に来た。
「……」
海ではなく、陸を、緑を見たいと思った。鎮守府の周りの林、少し行ったところの泊地や住宅街、田んぼ、山、そういう戦争とは無縁の生活圏や自然を見た。雲はやや多いが時折間から日の光で照らされる。
「……」
海ばかり見ていた。潮の香りばかり嗅いでいた。広がる水平線に辟易していた。雄大な海も、私の悩みと比べれば広いということはなく、海面下の未知よりも自分の心の未知の方が遥かに深く、暗く、重く、辛いものだ特に感じた。傲慢かもしれないが。
「……」
気配。
「……」
「……」
「……誰だ」
「軽空母、鳳翔です」
振り返ると、小さく微笑んでいる彼女の姿があった。
彼女はかつて私とはあまり接点がなかった。優しすぎる彼女は、傷ついた艦娘の気持ちも、何もしていない私の気持ちも汲み取って、板挟みになって、そしてその両者を静観する立場になった。私に干渉してこなかったし、私も極力干渉しないようにした。あの時は、そんな彼女の生き方もまた正しいと理解していたからだ。
「ドアノブ、壊しちゃったんですか?」
「それはすまないと思っている。だがもう壊れていたらしいくてな」
「まあ、ここは基本誰も使いませんから、私と提督が黙っていればバレませんよ」
「そうだな」
「提督は、なんでこんなところに?」
「……やることがなくてな。暇つぶしだ」
「そうですか。実は私もです」
「……飲み屋はどうした」
「私はお酒の管理をしているだけで、居酒屋なんてやってませんよ。それに、暫くは飲む人はいないと思いますよ」
「……」スッ
「え?て、提督」
「……」スンスン
「え?え?」
「嘘だな」
「え?」
「風呂でも入ったのか知らんが、まだ酒の匂いがするぞ」
「!!」
「ヤケ酒か?」
「……ふふふ、うーん、やっぱり素面じゃ無理かなと思って」
鳳翔は気づかれないと思っていたのか、少し笑った。しかしそのまま悲しい目を向けてくる。
「今日は少し、提督とお話がしたくて」
「話?」
「みんな提督とはお話ししづらいみたいで、今ならチャンスだと思ったんです」
「そりゃ、昨日あんだけのことがあれば、話したいやつなんていないだろうさ」
「確かにそうかも知れませんね」
「それで話ってのは?」
微笑みは崩さない。いつもニコニコしているのだろうか。鳳翔のその笑顔は、艦娘だけに向けるものなのだとばかり思っていた。
「提督は……捕虜という立場でよろしいのですか?」
「何?」
「お望みなら、ここから逃がして差し上げることも可能です。残念ですが、提督を人間に戻すことは我々にはできません。今の技術、医学では無理なのです。ならせめて、たとえ深海棲艦であるとしても、生きていたいとは思いませんか?」
「待て、何を言っているのか分かっているのか」
「はい。おそらくこのことが露呈すれば私は反逆罪で解体されるでしょう。ですが提督、捕虜のままではいずれ大本営に引き取られ、実験台にされるか殺されるか……ここに匿うこともできますが、いつ誰に知られてしまうか分かりません」
「……何故そこまで……」
「あなたはきっと、その気になればここを簡単に抜け出せる。止めようとする艦娘も薙ぎ倒し、それこそ、他の鎮守府同様にここを滅ぼすことも容易いのでしょう。ですがあなたはそうしない。その理由は存じませんが、おそらく何か深いわけがあるのでしょう。でしたら私が、力を貸します」
「……」
どうやら鳳翔は本気で言っているらしい。捕まった日から今日で3日目、確かにここではやることがないし、役に立てることもない。黒崎の提案への回答も、断ったとしてもすぐさま戦うことにはならないだろう。
しかし鳳翔は、見落としている点がある。
「鳳翔よ」
「はい」
「私は、ここにいるべきではないか?」
「! いえっ、決してそのような……」
「意地の悪い質問をしたな、すまない。言い方を変えようか。私がここにいない方が、お前たちにとっては楽か?」
「!?」
意外な問いに鳳翔は明らかに動揺した。
「ど、どうしてそんなことをお聞きになるのですか…?」
「私も特別鈍いわけではない。自分が疎まれていることくらいは分かる」
「疎むなんてそんな……!」
「お前たちにとっては、私との思い出はあまり良いものではないだろう。これまでの反応を見る限り、あまり思い出したくないものらしい」
「提督っ、私たちは貴方を疎んでなどいません!戻って来てくださったのは、確かに予想外というか、正直まだ戸惑っていますが……今度こそやり直せると思っています!」
「…………」
「私たちはずっと後悔していたのです。自分たちがしたことを、取り返しのつかないことを、ずっと……。最近まで、それで塞ぎ込んでいた艦娘もいました。提督は私たちを憎んでいるのかもしれません。でも、どうか私たちと、今度こそ……!」
「……」
鳳翔のその言葉は、私に確かな不快感を与えた。
憎んでいるのかもしれないが、どうか分かってほしい。そう願っていた私は、どんな責苦も耐えて彼女らの支えになろうとした。どれだけ拒絶されても、提督と艦娘として、良好な関係を築こうとした。しかしとうとう生きてる間にそれは叶わず、彼女らがこうして更生したのは私が死んだ後だった。
ここで鳳翔の言葉を了承するのは、過去の私にあまりにも屈辱的な決断だと思う。ここで私が"仲直りしよう!"と一言言えば済んでしまうのは、命を賭けた過去の私と比べてあまりにも"軽い"ことになってしまうのではないのか。
過去の自分を見ている気分だ。今私と同じ願いを鳳翔たちは抱いている。それがどれだけ大変なことなのか、分かっている。私は今だから分かる。だから分かっていない彼女らが、不快なのだ。
「……お前たちが、」
「え?」
「お前たちが人間を憎んでいるままだったならよかった」
「え……………?」
「そうしたら私も、お前たちのことを憎んでいただろうに」
不快感が怒りに変わる前に、私は屋上を後にした。
【その日の夜】
〈臨時客室〉
黒崎から、遺品を受け取った。遺品というのは他でもない、私の遺品である。
『君が遺したものだ。つまりは君の私物だ。ずっと保管していてつい忘れていたよ。捕虜とは言えこうして帰ってきたんだし、返すね』
つまらないものばかり遺っていた。ペン、いくつかの書籍、礼服、鞄など、飾り気がなく実用的で事務的なものばかりだ。士官学校時代、同期と撮った写真もあった。黒崎も持っているのだろうか。
普通の人ならこういうものを見ても、しっかりと感慨深い気持ちになるのだろうか。あれこれと思い出を蘇らせて、気持ちだけでも過去に逆行させて。しかし私は何も思わなかった。私はもうこのペンで何かを書くことはないだろうし、本の中身に興味もないし、冠婚葬祭には呼ばれないだろうし、鞄は空っぽのままになるだろう。この写真も、かつて人間だったという証明にはなるだろうけれど、結局なんの助けにもならない。
「……」
「……」
「……何しに来た、長門、陸奥」
こうして誰かに思い出の品を見られても、何も思わない。希薄で薄情で、つまらない男だ。
「これは全て提督のものか?」
「ああ」
「なんか……ちょっと少ないわね」
「ああ」
「この写真は……士官学校の頃のものか?」
「ああ」
「この本は……戦略とか軍法とか、教科書みたいなものかしら」
「ああ」
「……」
「……」
「……」
「提督、今日は少し話をしに来たんだ」
「話?」
「ええ。その……聞きづらいことを聞くわね。提督は、私たちのことを恨んでる?」
「……」
艦娘たちは本当にそのことばかり考えているらしい。自分でも分からないことを聞かれてしまうと、言葉に詰まってしまう。
「ふと思ったんだが」
「何?」
「恨んでるか、と聞いて恨んでると答える奴はいないと思う」
「……」
「……」
「な?」
「そ、そうね。言われてみれば……」
「……私はあなたの素直な気持ちを聞きたいと思っている。我々のことを、艦娘のことをどう思っているのか」
「そういうことは、時間をかけて観察して判断するものだ。本人に直接聞くやつがいるか」
「そ、それは……私たちは、そういう経験がないから……」
「不器用なのは認めるわ。ごめんなさい、迷惑よね」
「……」
「……」
「……」
「恨んでるかどうかは、よく分からない」
「「!!」」
「お前たちに対しての気持ちが以前よりも希薄だ。こうしてひさしぶりに会って、話しても、あの頃抱いていた積極的な気持ちがない。プラスな気持ちも、マイナスな気持ちも」
「そう、か……」
「……」
「……」
二人は明らかに落ち込んでいた。不器用だとは思うが、彼女らの所作からは私にどうして欲しいのかが明確に伝わってくる。しかしそれを今の私に要求するのはいささか無理があるというものだ。
本心を偽って彼女らに接することもできる。思ってもないことで笑みを浮かべ、喜怒哀楽を彼女らと同調させ、まるで同じ志を持っているかのように振る舞う。そういう擬態もできなくはない。ただそうしたところで得られるものはないだろうし、今の私には守るべきものもない。
「なあ」
「え?」
「ひょっとしてお前たちは……私のことを忘れたいんじゃないのか?」
「!?」
「そ、そんなことはッ……!」
「誰しも永遠に封じておきたい記憶の一つや二つあるものだ。今までお前たちを見ていて、私の存在がお前たちにとっては喉に引っかかった背中の小骨のように思える。それは私が深海棲艦であるということより、私が私であるということが要因であると感じられる」
「提督、私たちはそんなこと、」
「長門、陸奥、何故お前たちはここに来た?」
「え?」
「私のことなど無視すればいい。捕虜という立場に、その後の処遇は黒崎が一任している。にもかかわらず何故ここにわざわざ話をしに来た?お前たち艦娘は日々の任務に従事すればそれで安寧が保たれるではないのか」
「そ、それはッ、あなたが私たちの……」
「今のお前たちの提督は黒崎だ。私と馴れ合う必要はない、むしろ敵意をもって接するべきとも言えるかもしれない。ならば何故お前たちはここに来た」
「ッ……」
「答えを言ってやろう。気になってしまうからだ。沈黙しておけば、不干渉であればいいものをわざわざこんなことまでするのは、気になってしまうからだ。私が気になってしまう"自分自身を"気になってしまうからだ」
「「!」」
「人は不快感を覚えたときに、相手にそれを感じると同時にまた自己に対してもそれを抱く。腹を立てている自分に腹が立ち、悲しんでいる自分に悲しみを向け、幸福である自分にまた幸せを感じる」
殺意もまた、同様だ。
「だからお前たちが今抱いているそれは、自分自身に対して抱いているネガティブな感情を消すために他ならない。罪悪感とか後悔とかではなくむしろ、ある種の利己心がトリガーなのだ。お前たちは、私がお前たちを恨んでいるか気になっている。こうして口に出してみると改めて自覚できた。今なら答えられる。私が恨んでいるのは、艦娘に対してではなく、一度でも艦娘を恨んでいるのかもしれないと考えた、自分自身にだ」
いつもご愛読ありがとうございます。今回は結構早く投稿できた気がします(体感)。今投稿しているこの"提督「化け物の悲しみ」"はあと一作か二作で終わると思います。そうすればいよいよ、提督の過去編のクライマックス(?)の章に入ります。全く長引かせ過ぎた……。
またその内投稿します。
このSSへのコメント