提督「化け物の悲しみ」五
*本作品は"提督「化け物の悲しみ」四"の続編です。
[一週間後]
〈○△鎮守府 執務室〉
その日警戒任務を任せられたのは、足柄、曙、潮、如月、名取の5名であった。
足柄を旗艦として、深夜から早朝にかけて(具体的には20:00〜04:00)を担当する。特筆すべき点はなく、今まで幾度となくこなしてきた任務である。鎮守府近海はたちにとってもはや庭だ。
時間になると5人は兵装を身につけて海に出た。こんな楽な任務なら行くこと自体が面倒臭いと思っているところだが、出撃任務等が停止された今は何もしてない時間が多く、この程度の任務でしかやり甲斐を感じられないのが現状であった。
「ちょっと暗いのが難点、ってだけで本当に散歩みたいなものよねぇ」
「まあ、最近はよそは物騒だし、警戒くらいはしっかりしないと」
「提督曰く、まず真っ先に逃げろ、ってお達しだけどねー」
「でももし遭遇したら……」
「くよくよしても意味はないわ。出会ったらそん時はそん時」
旗艦の足柄はそう返したが、不安に思う艦娘の気持ちも分からないでもなかった。鎮守府一つ消す力を持った凶悪な深海棲艦が、自分たちの海域を徘徊しているかもしれないと考えると、いつになく緊張してしまう。
暗い海、月や星が空に煌めいて幾分明るいが、時折それらが雲に隠れると電探を使っても遠くの敵を確認することはできない。敵と互いに視界に入ったらそれが開戦の合図である。
その時ふと、名取が小さく声を上げた。
「あっ」
「どうしたの、名取ちゃん」
「あれって………」
名取が指さした方向、雲の影にポツリと人影が一つだけ立っていた。
大仰な装備はない。人影という言葉がまさしく当てはまる、ただ人の形のみが浮かんでいた。一つ違うとすれば、右手に細長い何かを持っているということであった。
足柄たちは警戒心よりも不可思議な気持ちの方が湧き上がってしまった。好奇心というか、興味というか、とにかくそのよく分からないものに対して危機感を覚えることはなかった。どこか懐かしい気持ちであった。
彼女らのその無意識な無防備さは、雲間から月明かりが照りつけた時に合点のいくものとなる。しかしある意味では、最も警戒しなければならない相手だったのかもしれない。
[同時刻]
〈????〉
人の未練とはどこにあるのだろう。
その出所が人の心であることには変わりないが、肉体が死に、心がその器から放たれた後に、抱いた感情はどこへ向かうのだろう。
好意、愛情、孝心、慈愛、憎悪、嫌悪、怨念…………多種多様な(大雑把に言えばプラスとマイナスの)感情。それが時間の経過と行為によって解消されずに残ったもの、それが未練だ。生きている内でも、不可逆な人生に対して人は多くの未練を抱く。
しかし死後は…………?
『この辺りだ』
徐に私が立ち止まった。海原のど真ん中、穏やかな波が時折月明かりに照らされて銀色の蠢きを見せる。この暗い夜の海で私が何を見つけたのか、私はよく分からなかった。だがどこか懐かしい雰囲気があり、確かに何か忘れ物があったようにも思える。
「何があるんだ、ここに」
『すぐに分かる。そら、向こうから来たぞ』
「あ?」
視線が水中を向いた。すると、暗い水の中でキラリと光るものが見えた。最初は魚の肌かと思ったが、光がどんどん近づいてくる。もう少しで水面に出そうというところで、その正体が"刀"であると理解した。
「(刀!?)」
『それもただの刀じゃない』
キィィィィィィィィィィン!!
猛スピードで水面から飛び出した刀は刃の先端からではなく、持ち手の部分から現れた。それに対し私の腕はまるで置物を取るようにそっと握り、今まで基本的な徒手のみが基本的な戦闘方法だった黒軍服は、さらに刀という武器を手に入れたのだ。
鬼に金棒…………どころではない。
刀とは危険なものだ。それは、素人が使っても十分"斬れる"からだ。刀剣に嗜みのない男が、ヤケクソで振り回しても人を傷つけることは容易い。今の私に持たせれば尚更である。
「この刀……………まさかあの時の?」
『そう。お前が死んだ時に一度手を離れたあの刀だ。お前はこれをただの刀だと思っていたようだが、今やお前の未練を吸い取り立派な修羅の一部となった』
「未練………?」
刀を握りしめる。鞘はなく、海水に塗れているにもかかわらずその光沢に鈍りはない。まるで、ここで手放す前よりもより鋭利に、鋭敏に、研ぎ澄まされたような印象すら覚える。そして、ようやくあるべき場所に戻ってきた、という感覚もある。
『未練とは心の一部、魂の一部だ。それが持ち主のところに戻ってきたのだから、馴染まないはずがない』
「………そうか」
これまでに戦ってきた艦娘を思うと、自己嫌悪に襲われる。しかし一方で、刀という人を傷つけることしかできないこの鋼の刃に、これまでにない歓喜と期待をしてしまう。
ただの一度も、艦娘を傷つけたいと思ったことはない。上官を、そしてあの南西の提督を殺した私が言っても説得力のないことであるが、私は確かに殺しを望んだことはない。そう信じていた…………が、ここ胸の高鳴りはなんだ。まるで、欲しかった玩具をとうとう買ってもらえた子供のような、高揚感と興奮が私の中に沸き起こっている。
『早く斬りたいよなぁ……?』
「!」
『殺しを好まないお前でも、この刀と己の力を試したいと思う。共に人類を守る使命を背負った者とでも、死合いたいと思ってしまう』
「わ、私は………そんなことは………」
『己自身に嘘をつけると思うな。私はお前なのだから、お前の本心など分からぬわけがない』
「………」
ああ、これからまた惨劇を生み出してしまうのだ、罪なき者を襲ってしまうのだということは、容易に想像できた。私の肉体で、私の一部でありながら、私は私を止めることができない。
歯痒さと罪悪感に苛まれ、もういっそこの刀で自害したいと思っていると、口の端を歪めたような笑みを浮かべた私の表情がピシャリと強張った。
『…………』
「…………どうした?」
『…………』
「おい、どうしたんだ。何か問題があるのか」
固まったまま動かない。どうしたものかとまた聞こうとした時、その視線の先に確かに人影が見えた。
人影はどうやら艦娘らしかった。数は5人。本来なら向こうの間合いに入るずっと前からこちらが先に見つかるはずだった。しかし今回は、刀に見惚れていたせいなのか向こうが先に見つけていたようだった。
しかし奇襲の雰囲気はない。いきなり撃ってきても文句のない状況で、5人はその場を動く様子はなかった。どうやら向こうは、こちらの実態を掴みかねているようだ。雲の影、しかも夜の、海面の揺らめきだけが地面と空の境界を成しているこの時間帯には、すぐに判断できないのは当然である。
その時、雲が少しだけ晴れて、月明かりが差し込んできた。辺りがぼんやり青白く照らされて、お互いの姿が確かに確認できた。
現れたのはやはり艦娘。しかし彼女らの私を見る目は、敵意や焦りというより、驚きのみに満ちたものであった。
目を見開いてこちらを見つめる彼女らの一人が、ポツリと呟いた。
「提督……………………?」
[同時刻]
〈○△鎮守府近海〉
彼女の一言は、数秒間の困惑をもたらしてくれたが、しかし私の失われるはずのない記憶が脳の奥から一気に沸き起こった。
提督?まさかこの艦娘たちは、"あの鎮守府"の?
「…………」
突然の再会(?)に動揺と驚きが交錯し、言葉が出ない。
「提督……………だよね……………?」
「うん……。でも、髪とか肌とか……なんか……」
「提督のそっくりさんとか………」
「いや、本人だと思う…………」
「でもなんで……?」
向こうも、私が私だと、宮本會良だと(疑念はあるにしても)分かっているようだ。
刀を持った時の昂りは冷め、この状況をどう打破するかという問題が、今度は焦りとなって現れた。
「(足柄……名取………他も皆、私の鎮守府にいた艦娘たちだ。いや、私の知る彼女らとは別個体かもしれないが、この反応を見るにやはり………)」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙とは互いの内面をかくも雄弁に語るものである。言葉という情報を抜きにして、相手の顔や仕草からそれを判断する。
しかし同時に、沈黙はなんの意思表示もしないことであり、こちらが相手の内なる主張を斟酌しなければ、何をしても文句を言われる道理はない。
静かに、後ろを向いた。ゆっくり足を前に出して、何にも気づいていないかのように背を向けて歩き出した。
「あ、待って!」
パシッ
手を掴まれてしまった。手首をしっかりと握られて、思わずこちらの歩みも止まる。声からしておそらく如月だろう。
「提督…………ですよね?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………人違いだ」
そう答えてハッとした。声を出すべきではなかった。ただ沈黙して振り解くべきであった。そもそもこんな状況で"人違い"という回答は、あまりにも間の抜けた、無理のあるものだ。
「顔を、顔をよく見せて下さい。人違いだったなら謝ります。でも、もし貴方が提督なら……」
「……………」
私が深海棲艦だと理解しているはずだが、まるで警戒心のない発言だと思った。何故銃口を向けたり、距離を取ったりしないのか。もし私が本当に人違いの、なんでもないただの深海棲艦だったらどうするつもりなのか。動揺しているのは、お互い様のようだ。
ゆっくりと、いや正直、恐る恐る後ろを振り向いた。彼女らがどんな顔をするのかわからないからだ。拒絶された時の顔を思い出すと、叫んでしまいそうになる。
「……………」
「やっぱり………提督ですよね………?」
「……………」
彼女は困惑の表情である。そんなわけがないという常識と、そうとしか思えないという事実が入り混じり、目の前の男を理解しかねている。
「……………手を」
「えっ?」
「手を離せ」
「えっ、あっ、いや、いやいや、離しません!」
「……………」
「貴方が提督なのかどうか、それが分かるまでは」
「……人違いだと言っている」
すると、足柄がこちらに歩みながら言う。
「もし本当に人違いだとしても、貴方が何者なのかを見定める義務が私たちにはあるのよ」
「足柄さん…」
「パッと見は深海棲艦だけど、身なりも身体的特徴も今までには見たことがないわね。それに兵装も無し…………ん?刀はあるのか」
「………」
「私たちとしては、抵抗さえしなければ危害を加えるつもりはない。ただ少し鎮守府まで同行して欲しいわね。勿論、任意だけど」
「………それに対して"はい分かりました"と言って同行すると思っているのか?」
「まあ流石に思わないわねー。でも貴方が今すぐに暴れ出すとも思えない」
「………ならどうする?」
すると足柄は、私のもう片方の手首を掴んだ。
「強制連行」
「…………」
手錠も縄も無く、まるで仲良く散歩に行くかのような形で"連行"というのは、どこからどう見ても異質…………であるが、そのなんの緊張感のない行為に、こちらも警戒心を削がれてしまう。
他の艦娘たちは、明らかに動揺していた。足柄のこの突拍子もない提案に、順応しているものはおそらく本人も含めて誰もいないのだろう。私がこれを振り解いて、一目散に逃げることも叶う。というか、彼女らがここで本気で私を殺しに来ても、多分1分と経たずに全滅するだろう。
しかし今の私は…………
「…………なるほど、それでは仕方ないな」
「!」
「ほら、連れて行くといい。こちらの気が変わらぬ内にさっさとな」
[30分後]
〈○△鎮守府 母港〉
懐かしい雰囲気だ。
夜間の鎮守府は帰投する艦娘にも分かるように幾つかの明かりを常に付けている。赤だったり黄色だったりする、点滅しているあれだ。それが暗闇の中で眩しいと感じられる頃になると、鎮守府は目前である。
両手首を握られる姿は、いつぞや見た"連行される宇宙人"の写真(と言っても都市伝説であるが)のようである。身長差はまるで逆であるが。
ここまで来る間艦娘たちは一言も話さなかったが、全員が私の顔を見ては互いに目配せしていた。本当は今すぐにでも答えが欲しいのだろうが、こちらからは何も言わない。私が未だに"宮本會良"を名乗るのは私が許さない。
「着いたわ」
「…………」
「曙ちゃん、提督を呼んで来て」
「あ、はい!」
「あの……見覚えありませんか?ここ」
「…………いや、知らないな」
知らぬわけがない。ここで一応半年は提督として勤めていたのだ。しかしもはや無縁の場所だと思っていた。
曙は駆け足で本館へと向かっていった。この時間帯ではほとんどの艦娘が寮で休んでいるか、工廠で装備の整備をしているのだろう。昼間に比べればかなり静かな時間帯だ。そんな時に私を連れてきたと言うのは、今の提督には大変な迷惑だろう。
今の提督とは上手くやっているのだろうか?私と同じ境遇にあるのなら不憫という他ない。ここには大抵新人の提督ばかり派遣されるから、幾度か後退しているのかもしれない。
暫くして、曙がその提督を連れてきた。しかしその格好はあまりに異様であった。
黒い長髪、目の下には隈があり、痩せかけた顔はいかにも病的であるが一方で常に少しニヤついているような表情。細い長身で、そして何より、提督でありながら軍服では無く白衣を着ている。というか、あれは………
「お連れしました」
「お疲れみんな。夜遅くごくろ…………」
「…………………」
暫し、沈黙。
「み、宮本くん?」
「く、黒崎?」
「えっ」
「え」
「は?」
「え?」
「は」
「「はああああああああああああああああ!?!?」」
[少し後]
〈○△鎮守府 執務室〉
執務室はその性質上、事務的なものではあるが客間にあたる。客間といえば、畳が敷き詰められ、掛け軸やら生花やらがある落ち着いた空間などを想像するかもしれないが、生憎とそんな空間はない。そもそもそこまで畏る相手は来ない。
しかしだからと言って、仮にも"連行"してきた相手を招くには、いささか不用心と思える部屋だ。
「…………」
「…………」
出された紅茶に目もからず、互いが互いを見つめていた。見つめていた、と言っても情熱的とは言えないもので、懐疑的な、目の前の相手を不審がる様な目で見ていた。
執務室には、黒崎と私がいるだけで他には誰もいない。誰も入るなと艦娘たちに伝えているようだ。
「まあ…………」
「ん」
「言いたいこととか聞きたいこととか………色々あるんだけどさ」
「ん…」
「まずは本人確認だ。僕を"黒崎"と呼んだあたりもう決まりだけど、一応ね。君は………宮本會良だよね?」
「…………いや」
「はいダウト」
「えっ」
否定しようとしたところに食い気味に黒崎は言った。
「嘘が下手すぎるでしょ……。こういう時は、即答か、めちゃくちゃ溜めてから言わないと」
「あ、ああ…」
「それに、親友の僕が間違えるはずないでしょ」
「………確かにな。認めるよ、私は紛うことなく、宮本會良だ」
バタン!!ドサドサ!!
「おや?」
「うおっ!?」
突然、執務室の扉が開かれたかと思うと、艦娘たちが大勢雪崩れ込んできた。
「や、やっぱり提督だったんですね!」
「まさか他人の空似とは思わなかったが…」
「本当に本人だったなんて…!」
「ちょ、押さないで下さい!」
「もっと奥に進んでくれないかしら?」
「私も見たいよー」
執務室の前で盗み聞きをしていたのだろうか、様々な艦種の艦娘たちが我先にと執務室に入ろうとする。黒崎と私は顔を見合わせて、黒崎は困った様に苦笑いをして言う。
「君達……もう消灯だからね?」
「提督だけ提督を独占するなんてずるいです!」
「めちゃややこしいなその言い方…」
「それに、消灯はあくまで電気を消す時間帯であって、私たちには電探がありますから!」
「こんなことで使うんじゃないよ…」
「私たちも提督と……宮本提督と話したいんです」
「まあそりゃそうだろうけど……」
黒崎たちと艦娘のやり取りを見て、私の心の中に二つの感情が起こった。
一つ、安堵。黒崎がここの提督に就いて(理由は分からないからしっかり説明してもらうつもりだが)、もし私のような扱いを受けているなら、と言う懸念があったからである。黒崎はその性格上、多少の罵倒ならまあ耐えるだろうが、心のない機械ではないので、精神を衰弱しているのではないかと考えられたからだ。でも、それは全くの杞憂であったようだ。とても良好というわけではないのかもしれないが、私のような扱いは受けていないらしい。
もう一つは……多分、嫉妬。ここで敢えて「多分」としているのは、理由が二つある。まず一つは、黒崎が真っ当に提督としての職務を遂行しているか疑問であるからだ。軍人とは一眼ではわからぬ白衣姿で、熱心に執務をこなしている様子は部屋からは窺えない。二つ目は、仮に私が嫉妬しているとして、今の黒崎の立場に私が戻ったとして、嬉しいと感じるかどうか。いや、信頼され、助け合えるということは素晴らしいのだろうが、以前ほどそれに憧れを感じない。むしろ、そういうのを忌避するような思考になりつつある……気がする。
誤魔化すように、私はティーカップを持って紅茶を口に流し込んだ。もっと甘味とか香りとかを楽しむのがふさわしい飲み方なのだろうが、正直どうでも良かった。
艦娘たちに目も合わせない私に気を遣ってか、黒崎は騒然としている艦娘たちに言う。
「……とにかく、今夜は出直しなさい。君達の気持ちは分かるが、僕は君達以上に彼とは久しくてね」
「あっ………」
艦娘たちは「しまった」という具合にバツの悪い顔をして、すごすごと帰っていった。
「やれやれ、困った娘たちだ」
「しかし、うまくやっているようだな」
「まあ、僕はコミュニケーションが不得意というわけではないし、どう思われようが僕は気にしないからね」
「………そうか」
語らおうにも聞きたいこと、聞かれなければならないことがお互いに多すぎた。同窓会や忘年会のような心持ちでできる話でもなく、思い出を懐古しながらと言うわけにもいかなかった。
だから黒崎は、とりあえずはどちらか一方が一方的に質問をして、もう一方はそれに答える形式でいこうと言った。私も、何をどこまで話したものかと考えあぐねていたところであるから、その提案を断る理由はなかった。まずは、この鎮守府の長である黒崎からの質問である。
「まず僕が聞きたいのは、君の体についてだ。外見からなんとなく想像できる、というかこの仕事に就いている者や艦娘なら誰しも想起するんだけれど、今の君の肉体の状態を知りたい」
私は、自身が深海棲艦に成り果てかけていること、そしてそうなる経緯を話した。前例があるわけもなく、あまりにも荒唐無稽な話だとも思うのだが、黒崎は最後まで真剣に話を聞いていた。
「…………で、こうなった次第だ」
「なるほど………深海棲艦の死体から肉体の一部を換装して延命したと………。俄には信じ難い、と言いたいところだけれど概ね予想通りかな」
「なに?」
「君は無意識に"深海化"と呼んでいたが、人間以外の生物なら、数少ないが前例がある。魚や海鳥なんかでね」
「そ、それは本当か?聞いたこともないが……」
「これは軍の中でも一部の人間しか把握してない、秘匿された情報だからね。既存の深海棲艦の相手だけでも手一杯なのに、これ以上増殖する可能性があるなんて、艦娘たちにとっても、一般人にとってもパニックを引き起こしかねない。それに、そのメカニズムを解明できてない以上むやみやたらに公言するわけにもいかない」
「そうだったのか……。となると、これを治す方法は」
「はっきり言ってないね。今の人類の技術ではとても手に負えない。下手に弄っても危険だから。しかし驚きなのは、まだ君に真っ当に会話できる自我が存在していることだ」
「それに関しては………まあ色々事情があるのだろうが、私もよく分からない。深海棲艦も、姫級なら会話が通じるやつがいるから、なんともな……」
「じゃあ、取り敢えず今は、めちゃくちゃ強くなって、殆ど不死身に近い体であることを除けば至って健康なんだね?」
「……そうだな」
度々吐血すること、自我があると言っても二面性があることは伝えなかった。伝えてもどうしようもないことだと思ったし、何よりそれで黒崎が対応を変えてくることがなんとなく嫌だと思ったからだ。
「まあ体のことは大体分かったよ。手の施しようがないとは言ったが、今のところ健康なら言うことはない。じゃあ次は、君の今の立場についてだ」
「立場?」
「うん。ここからはちゃんと考えてから発言して欲しい。これは友人としてではなく、一人の軍人としての質問だからね」
「……………分かった」
「よしじゃあ、君は今、我々日本海軍と敵対する意思はあるかな?」
「………」
あるとか無いとか、そういう問題ではなかった。直接的な意思はなくとも、結果的に私は二つの鎮守府を陥落させてしまっていた。
「強いて言えば、ある」
「なるほど。…………北方と南西、やったのは君か?」
「……………ああ、そうだ」
「……………」
おしゃべりな黒崎が珍しく閉口した。どんな相手でもうまく応答していたのに、急に無口になるのは決まって動揺している時だ。沈黙とは裏腹に、心中は驚きでいっぱいなのだろう。かく言う私も、この後黒崎がどう反応するか気が気では無い。今のこいつには、私を撃ち殺す権利すらあるのだ。
「……………」
「……………」
「……………分かった。噂に聞く黒軍服、まさかとは思ったが君だったのか」
「まあ、な」
「ふふ、なら今の僕は敵を匿った反逆者だ」
「いや、敵を捕らえた英雄だ」
「物は言いよう、だね」
「だな」
とうに冷め切った紅茶を飲む。口を潤せればなんでも良い。
「何故、あの二つの鎮守府を?」
「………一つ目は守るため。二つ目は果たすため」
「…………?」
「これといって理にかなう説明はない。突発的な……衝動的な理由ばかり、と考えてくれば良い」
「…そうか」
黒崎も紅茶を飲んだ。思ったらより不味くなっていたのか、やや顔を顰めたがすぐに視線をこちらに戻した。
「とにかく、君は十中八九我々の敵と判断すべきなのだろう。だが僕としては、今すぐに君をどうこうするつもりはない。艦娘たちに手を出さない限りはね」
「それは勿論、そのつもりだ」
「しかし、聞いた限りでは君はここに来たくて来たわけではないのだろう?何故この鎮守府に?」
「これを、取りに来た」
「それは………海軍で支給される軍刀か」
「ああ。しかしこのように黒く、錆も刃こぼれもない綺麗なものだ。既に海底に投棄されて半年は経つと言うのにな」
「深海棲艦と成りつつある君が、何故それを求めたんだい?」
「分からん。だが、刀から呼びかけて来た」
「刀から…………」
「すまん、こんなオカルト地味た表現はお前にとっては違和感しかないかもしれない」
「まあ確かに。でも君がそう言うならそうなんだろう。とにかく君は刀を拾いに来た。そしてその後艦娘たちが神を捕縛したと。わざわざ乗り込みに来たわけでも攻め滅ぼしにきたわけでもなく、出会ってしまったわけだ」
出会うつもりはさらさら無かった。これは本当だ。彼女らとの思い出は謂わば私のトラウマとして記憶に残り、決して忘れることはないが決して新しく始まることはないと思っていたのだから。だが現に、今こうしてまた巡り会ってしまったのだ。
[数時間後 0300]
〈執務室〉
次は、私から黒崎に質問をした。何故ここにいるのか。軍医の仕事はどうしているのか。艦娘たちとの仕事の調子はどうか。艦娘たちはあれからどう生活しているのか。私が滅した二つの鎮守府のその後や、それに伴う軍の動きはどうか。
おしゃべりな黒崎は事細かに、そして軽快にそれらに答えてくれた。軍医を休業してこの提督という職に一時的に就いていること。私の訃報を聞いてこの鎮守府を選んだこと。艦娘たちとは概ね、ドライではあるが問題なくやっていること。艦娘たちは見違えるほどに真面目で忠実になったこと。二つの鎮守府の艦娘はなんとか全員が生きていること。大本営を中心に私を警戒して大規模作戦も中止になったこと。
私は、いつの間にか親友と部下が巡り会っていたことに驚きはあったけれども、それ以外に関しては冷たい無関心を抱いていた。軍部の動きも艦娘たちのその後も、納得と満足のいく内容ばかりであり、私一人だけ、死人となって取り残された感覚があったからだ。今更のうのうと黒崎の前に現れてしまったけれど、はっきり言って私の居場所はどこにもない。否、元からこの世界に私のような存在の居場所はなかったのだ。
受け入れてくれた黒崎の優しさに感謝しつつも、私が今ここにいることがかなり厄介な事象であることは容易に想像できた。話を聞き終わった後、無責任な行動に対する反省と、この鎮守府の者たちに迷惑をかけたことへの申し訳なさが、捉えようのない罪悪感となって心に湧き起こった。
「…………すまない」
「何が?」
「いや、迷惑をかけると思ってな」
「…………割と寂しいことを言うんだなあ」
「え?」
「例えばさ、僕と君の立場が逆だったとして、君は僕を見捨てるのかい?」
「そんなことはしない。できる限りのことを、」
「そういうことだよ。僕も同じように思ったから、同じことをしたまでだ」
黒崎は当たり前のことのようにそう言ってのけた。こいつにだけは決して敵わないと思った。
「さて、粗方話終わったけど……なんか微妙な時間だねぇ」
時刻は深夜3時。ここに来るまでは、岩礁とかを見つけて辛くなったら寝ていたから、時間の感覚があまり感じられなかったから、黒崎の発言はほんの少し懐かしく感じられた。
ふと机の上に視線を移す。大量の書類が乱雑に置かれていた。そしてその隣には綺麗に整えられ、分類されたものもある。勤務時間が定められているとは言え、不測の事態にも十分に対応しなければならない軍人には、仕事はどんどん堆積して、それが片付くまでは仕事は終わらない。黒崎もしっかりと提督としての苦労をしているらしい。だから、こうして時間にも気を使う。
「とりあえず君のための部屋か何かを用意するつもりだけど……、何か要望は?」
「そんな気を使う必要はない。大体部屋だって私のために用意する必要は」
「いや、君一応捕虜なんだし少なくともなんか収容するためのやつが必要でしょ」
「なるほど」
「で、必要なものはあるかな?」
「………布団があると嬉しい」
「そうか。まあ他はこっちで適当に見繕うけど、その間に君には…」
「?」
「風呂に入ってきてくれ」
結構臭うぞ、君。
〈応接室(限定的に収容室)〉
布団。テーブル。クローゼット。小型冷蔵庫。座布団二つ。そして灯り。
布団以外にも色々と工面してくれたようだ。クローゼットには数着の軍服がかけられ、布団は質素ではあるが清潔なものだ。小型冷蔵庫はどこにあったものなのか、数本のミネラルウォーターが入っていた。テーブルと座布団を部屋の真ん中に置けば、どこか家庭的な雰囲気すら感じられる。
工面してくれたはいいが、もはやくつろげるレベルのものである。おそらく他の艦娘に適当に用意させたのだろう。
本当に久しぶりに、実に約半年振りに風呂に入った。潮の香りで気づかなかったが、確かに私の身体は臭かった。入念に身体を洗い、温かい風呂に浸かって、またさらに身体を洗った。長風呂である。
下着も含めた服はおそらく軍の支給品だろう。大半の軍人はその無機質なデザインが嫌で下着は自前のものだが、こういう時には役に立つ。黒崎の下着を借りるよりはマシだ。
部屋に戻ると、黒崎の置き手紙があった。
【必要と思われるものは用意させた。他要望があれば執務室にて申請せよ。0700に朝食】
直筆だろう。あんな男だが意外にも達筆で、一目で彼の字だと分かる。
時間指定の朝食の指示である。考えてみれば、あの無人島を出てから何を食べていたのか記憶が曖昧だ。食べてないわけではないのだろうが、具体的にいつ何を、と問われるとまるで答えられない。適当に海藻が、魚を取って食べていたのだろうが、この"朝食"という言葉には、どこか新鮮さすら覚える。
「(しかしそれまで何をしたものか……手持ち無沙汰というか、これといってやることがないな)」
『おい』
「!」
頭の中から響く声。鳴りを潜めていた奴が、唐突に語りかけてきた。
「なんだ?今日は随分大人しかったな」
『ああ。どうやらここでは、お前の意識を乗っ取ることができないようだ』
「何?」
『海でここの鎮守府の艦娘と会った時からどうにも調子が悪い。お前に黙って肉体の指揮権を譲ったのは意図したことではない。無理矢理弾かれた』
「私としては嬉しい限りだな。お前だと何を言い出すか分かったものじゃない」
『少なくともお前よりは自分のことを素直に言えるがな。しかしそれはそれとして、これは一体どういうことなのか……』
「考えても仕方がないだろう。人格の乖離なんて、普通なら起こることじゃないし、あるいはこれもその一環なのかも知れん」
『我ながら悠長なことだ。…………まあいい。とりあえずここでは私から身体を好き勝手できるわけではない、ということだけ伝えておく。その方が色々都合がいいだろうしな』
「色々とは?」
『例えば…………………今この部屋に向かってる艦娘のこととかな』
「え?」
『うまくやれ』
ちょっと待て、と言おうとした時、ドアをノックする音が聞こえた。
投稿遅れまして大変申し訳ありません。
たがだか一万ちょいの文章に1ヶ月以上待たせるとか我ながら行動が遅すぎて呆れております。そして毎回次こそはペース上げるぞと思ってまた間隔が空いてしまうのです。トホホ…
このシリーズもかなり長いこと書いていることに最近気づきまして、それでも読んでくださっていることに感謝感激雨霰です。これからもご愛読のほどよろしくお願いいたします。
とうとう主人公が鎮守府に戻ってきましたから、もうそう全体の三分のニは終わりましたね。過去編が長すぎる、と思ってらっしゃる方もあるでしょうが、私も思います。
また暇をみつけては投稿したいと思います。
気分転換に、番外編や他作品の二次創作もしたいと思っておりますので、リクエスト等があればお気軽にコメント下さい。
お待ちしてました。
とても引き込まれるお話です。