提督「化け物の誕生」 衆合地獄(3)
*このSSは"提督「化け物の誕生」黒縄地獄(2)"の続編となっております。読まれていない方は是非そちらもお読みください。
また今回から、話の都合上、若干艦娘が悪い感じに書かれてきます(例えばオリジナルと違って攻撃的であったりする)ので、耐性のない方や、自分の推しに独自のこだわりのある方はご注意ください。
〈鎮守府 食堂〉
なんというか、怒りとか悲しみとかより、まずは驚きで思考が止まってしまった。
顔面に広がる痛みと料理の生暖かさにしばらく押し付けられていたが、掴まれていた髪の毛から手が離されると、この後の展開を予測できないまま顔を上げた。
見ると、秋刀魚の塩焼きが置いてあった皿はヒビが入り、汁物は横に倒れてテーブルに広がっていた。直前までもっていた箸はテーブルの下に落ちている。顔を触ってみると、血は出ていないが料理で顔中汚れてしまった。
周囲をみると、暁と響、雷も電も、顔を真っ青にして口元を押さえ、この惨状に怯えているようだった。また他の艦娘も、全員ではないが突然の出来事に目を丸くしていた。
そして隣には、以前ニヤついたまま私を見下す、天龍の姿があった。
「大丈夫か?提督さんよ」
「…………」
「どうした?声も出なくなっちまったか?」
「……………はぁ」
こういう時は、誰しも顔を真っ赤にして激昂するものなのだろうけれども、しかしこう、あからさまな嫌悪と挑発を目の前にすると、一時は死を覚悟した私にとってはあまり効果がないことが、自分自身すんなりと理解した。
つまるところ、呆れてしまった。
「…………あ?」
「………………」
「なんだよそれは、ため息ってのはよぉ?まるで効いてないって顔はよぉ?」
「…………君は」
「なに?」
「君は私が予想した中でもかなり典型的なものだ」
「は?」
ポケットからハンカチを取り出し、顔を拭きながら言う。
「あの時いきなり射撃されたのはびっくりしたし、そこの4人が協力的な態度を見せてきた時には流石に動揺した。しかし、こうやって目に見える形で、正体を晒しながら堂々と攻撃してくるのは、あらかじめ予想していたから特になんとも思わないな」
「なっ…………!」
「まあ同じことを佐藤中将もやっていたんだろうし、私に八つ当たりされても仕方ないと思ってもいる。今ここでこうして暴力を振るわれているのはある意味、自分で蒔いた種だからな」
次の瞬間、天龍は私の胸ぐらを掴み、そのまま数センチ持ち上げた。
特別筋肉が付いているわけでもないのに、成人男性を持ち上げる。流石は艦娘といったところか。
表情はまさに憤怒そのもの。眼帯をつけいるのと相まって、女とは思えないほど敵意をむき出しにした表情であった。
「てめぇ…………ナメてんのか?」
「…………降ろしてくれると嬉しいな。」
「ふっ!」ドゴッ
瞬間、空いていた手が拳となって私の腹に突き刺さった。ほんの一瞬感覚がなくなり、そして苦しみとともに痛みが全身に伝わる。
「ぐっ…………がはっ!?」
「あんまナメたこと言ってっと、ぶっ殺すぞ」
「はは………怖いな」
気丈に振る舞ったことでさらに天龍の怒りが増したのか、天龍は胸ぐらではなく首を絞め、そして再びその拳を私の腹部に放とうとしていた。
先程の一撃で正直呼吸が苦しい上、首を絞められ酸素が補給できない。このままでも窒息で死にそうだが、さらに殴られればすぐに倒れてしまうかもしれない。
そんなことを思いながら、鬼の形相である天龍の顔を見て、次の一撃を耐えようと決心した時、どこからともなく怒鳴り声が聞こえた。
「何をやってるんだ!天龍さん!」
「!?」
「あ…………?」
左、つまり食堂の入り口の方を見ると、同じように怒りをあらわにした少女が仁王立ちしていた。そばには薄茶色ロングの髪をした少女もいる。しかし怒鳴ったのは、その黒い髪をした艦娘らしかった。
どこかで見たような……?
すると天龍は唐突に手を離した。突然のことに思わず尻餅をついてしまい、尻に鈍い痛みが走る。
「あー、時雨か」
「(時雨…………?あの少女の名か)」
「一体何してんのさ!着任したばかりの提督にこんな…………」
「ああ?なんだよ時雨ぇ、今日はやけにご機嫌斜めだな。いや、"こいつ"だから、ご機嫌斜めなのか?」
「…………天龍さんは忘れたのかい?この人は僕たちの恩人じゃないか!」
さっきまでとは打って変わって、天龍はまたヘラヘラとニヤついて時雨の相手をしている。対して時雨は相当怒っているようだ。しかし他の艦娘は止めようともしないことから察するに、こういうことは他でもあったのだろうか?
「恩人だ?恩人だと?何言ってんだよお前」
「だって…………この人は僕たちをあの男から救ってくれたじゃないか!それなのにこんなこと…………酷いよ!」
「あのなぁ時雨。お前はあんだけの扱いを受けて、よくもまぁそんなお人好しになれるよな。人間なんてみんな、俺らのことを使い捨ての道具だと思ってんのによ」
「そんなことない!この人は命を懸けて僕たちを救ってくれた!」
「………そういえばよ、こいつを提督として招いたのはそもそもお前が言い出したことらしいな?」
「!」
「(えっ、そうなのか!?)」
「やっと人間から解放されたのに、どうして足並み乱すような真似すんだよ?酷いのは一体どっちだよ、時雨」
「そ、それは…………でも僕たちは艦娘だ!僕たちには義務がある!」
「その義務ってのは、また人間様に頭下げて、行きたくもねぇのによくわかんねぇ連中と殺しあうことか?」
「〜〜〜ッ!!」
「そう怖い顔すんなよ。でも俺たちは邪魔者が増えるのだけはごめんなんだ。たとえそれが、あの男をぶっ殺した奴でもな。お前も俺たちより弱い人間に従うより、艦娘だけで生きていた方がよっぽど楽いでででででで!!」
最後まで言い切る前に、二人の間を裂くようにまた一人艦娘がやってきた。優しい微笑みのまま、容赦なく天龍の顔をつねるその姿は、どこか天龍に似てるような雰囲気をみせた(性格はおそらく対局だろうが)。
「ごめんね〜時雨ちゃん。天龍ちゃんたらまたこんなこと言って……」
「いでででででで!離しぇたつた!」
「天龍ちゃん、食事中はもう少し静かにしないとダメよ〜」
「た、龍田さん、もういいよ。うん、僕も熱くなりすぎた。手を離してあげてよ」
「手?…………………あらあら、ごめんね〜天龍ちゃん。私ったらうっかり」
「…………俺よりおっかねぇよマジで」
龍田の仲裁により、一触即発の状況は免れたようだ。天龍は龍田に手を引かれ、そのままぶつぶつ言いながら食堂を出て行った。
残された時雨は落ち着きを取り戻したようで、心配そうにかけよってきた薄茶色の毛の艦娘に弁明していた。
「(どうやら…………一件落着といったところか………?)」
「だ、大丈夫!?司令官!」
「えっ?」
振り向くと、尻餅をついて時雨と天龍の喧嘩を見ていた私を、心配そうに覗き込む暁たちの姿があった。
「あ?…………ああ、うん。大丈夫だ」
「ほ、ほんと?それならいいのだけれど…」
「ん、そういえば、私の食事は………」
「それなら雷たちが片付けておいたわ!」
「そうか…………」
「でも、ご飯なくなっちゃったのです……」
「なんだったら、僕が間宮さんに頼んでもう一つ作ってもらうけど……」
「いいさ、一食くらい」
立ち上がってテーブルを見ると、四人の食事はまだ私が天龍に話しかけられた時から進んでいないようだった。
「それよりお前たちこそ、まだ食事は終わってないんだ、私はここで待っているから食べてしまいなさい」
「う、うん」
「司令官がそれでいいなら……」
そう言うと四人は席に戻り、また食事を再開した。私も気を取り直して、席に座って四人を見ながら先のことを振り返った。
「(私以前に来た新任提督が次々と辞めたのは、おそらくさっきみたいな暴行やいやがらせが原因であることは間違いないだろう。誰一人止めに来なかったことから、既にこの鎮守府におおよそ秩序と呼べるものはない。だが天龍のように暴行してくるわけでもなく、また時雨のようにわたしをかばうわけでもない艦娘が大多数であったということはおそらく、実害さえなければどうでもいい、と考えている連中がいるのか?それともただ艦娘同士の意識が希薄なだけなのか………。そもそも、彼女らに危害を加えたのは佐藤中将だけであり、その後の新任提督はそうではなかったとしたら、人間全般に敵意を見せる必要もないのか。つまり天龍のような攻撃的な艦娘の方がマイナー………?いやしかし、協力的な艦娘も少ないわけで………。思った以上に、この鎮守府は一枚岩ではないようだ)」
他の艦娘は依然として無言で、食べ終えては出て行く。また新しい艦娘が入ってきては、注文したらずっと無言で、料理が来てもまた同様に無言で食べるだけであった。
なるべく早く艦娘とのコミュニケーションを確立したいところではあるが、拒絶や許容ではなく、あくまで関わりを持たないつまり、同じ土俵にすら立たないやけだから、先が重い。
ガタッガタッ
すると、隣で椅子を引く音がした。
「ん………?」
「提督、となりいいかな?」
それは先ほどの時雨たちであった。
「あ、ああ。勿論」
「そうかい?ありがとう」
「失礼するっぽい」
二人は料理を頼んだというわけではなく、ただそこに座りに来た。どういうつもりかは知らないが、どうやら四人と同様、協力的な艦娘であることには間違いなかった。
「ええと、ねえ、提督」
「ん?どうした」
「えー、あっ、まずは自己紹介しなくちゃ」
「お、おう」
「あー、僕は時雨。白露型駆逐艦ニ番艦だよ。これからよろしくね。」
「私は夕立。同じく白露型駆逐艦の四番艦でーす」
「よろしく。私は宮本會良だ。昨日からこの鎮守府の提督に赴任している」
「宮本提督だね。……………………それと」
「ん?」
「さっきはごめんなさい!見苦しいところを見せて………」
「ああ、天龍とのことか。別に気にしてないさ。あれくらいは覚悟の上で来たんだ」
「天龍さんは、別に悪い人じゃないんだ。………少し、人間に対して不信感を抱いているというだけで」
「当然の反応だと思っている。むしろ、時雨たちや暁たちのように、私に協力的な方がびっくりだ」
「うーん、でも、そもそも関わりたくないって思ってる艦娘の方が多いっぽい」
「そのようだな。この先それが大きな課題になることは間違いないだろう。しかしそれを含めて、私が負うべき責任だと思っているよ」
すると、時雨はうつむいて小さく言った。
「ご、ごめんね。提督」
「何がだ?……………ああ、時雨が私をここに招いたって話か?別に、それなら感謝してるくらいだ。あれがなかったら、私は今頃首をはねらr……」
「そうじゃないんだ!て、提督は、覚えていないのかい?」
「なにがだ?」
「僕、僕の顔をよく見ておくれよ。どこかで見た顔じゃないかな?」
「んん、ん〜?」
「………」
「………」
「…………研修」ボソッ
「…………あっ」
思い出した。
「あの時の艦娘か!」
「そうだよ!というか真っ先に思い出すべきだろう!」
「すまないすまない。そうだったそうだった、あははは」
「もう………まあいいけどさ」
考えてもみれば、全ての始まりは時雨からと言っても過言ではないのだ。
『たすけて………』
あの一言がなければあの男の首はまだ繋がったままだろうし、時雨があの時行動していなければ、私は全く違う鎮守府で、全く違う人生を歩んでいたのだろう。
あたかも佐藤中将を斬り殺したことに端を発しているように思えるが、そもそもは彼女から始まったことなのだ。
「そうだったな…………。そうか、あの時のか………」
「うん………。また会えるなんて思わなかったよ。僕はてっきり、もう…」
「死刑になってると思ったか?」
「……うん」
「危ないところだった。だが、時雨が救ってくれたからな」
「そんな………!僕はただ、提督が死ぬのは間違ってるって思っただけだよ。それに結局、こうしてまた提督に苦しい思いをさせて…」
「始まりはお前だが、続いたのは私の意思だ。ここに招いてくれたことは本当に感謝しているよ」
「そ、そう……」
「時雨、ずっと提督のこと心配してたっぽい!ずっと責任を感じて、みんなに反対されても諦めなかったのよ!」
「こ、こら夕立!」
「ははは!そうだったのか」
「も、もぅ………」
照れ臭そうに目を逸らす時雨に、笑顔で茶化す夕立。そこに以前見た不幸はない。
どうやら私は確かに、彼女らを救うことができたようだ。
「「「「ごちそうさまー」」」」
見ると、四人が食事を終えていた。
「終わったか。さて、ではそろそろ戻るとしよう」
「司令官!明日はなにをするのかしら?」
「今日も頑張ったけど、明日はもっと頑張って見せるわ!」
「い、電も頑張るのです」
「僕も頑張るよ」
「そうだな………とりあえず執務室の修復は終わったし、次は廊下とか壁とか、完全とまではいかなくても、とりあえず安全な状態にはしよう。それに、細かいところも直せるところは直してみようか」
「あ、あのっ、提督」
「ん?どうした、時雨」
「ぼ、僕たちも手伝っていいかな?」
「夕立もやるー!」
「いいのか?」
「もちろんだよ。受けた恩は返すつもりさ」
「それに、みんなでやれば早く終わるっぽい!」
「………わかった。では明日、0800に執務室で」
「「「「「「はーい!」」」」」」
[三日後]
〈執務室〉
その後の復旧作業と言ったら、飛ぶ鳥を落とす勢いで進んでいった。
暁たちや時雨たちのおかげで、鎮守府内の瓦礫の撤去は全て完了し、執務室に至っては、内装はともかく壁や窓も元どおりになった。簡易的なものではあるが、テーブルや椅子も用意できたので、これからここで作業することもできそうだ。廊下はまだ窓や扉、雨漏りの修復なんかが残っているが、概ね安全に人が通ることのできる形にはなった。
また6人だけではなく、鹿島、それに協力的な艦娘である工作艦の明石の協力もあり、館内放送も復活した。これでいつでも艦娘に指示を出せる。鎮守府運営、つまり出撃も後一歩のところまでこぎつけることができた。
その他電気や水道などのライフラインは業者によって修理された。勿論軍の関係業者だ。これでわざわざ懐中電灯を持ったり、月明かりを頼りに移動する必要もない。食堂に関しては、その辺は無傷だったらしいが、おそらく艦娘たちが意図して壊さなかったのだろう。
とにかく、あの閑散な鎮守府が、今ではいっぱしの建物に変わり、いよいよ深海棲艦との戦いに臨む態勢が整ったわけだ。
「そこで、だ。鹿島」
「はい」
「そろそろ戦線の拡大、この場合は奪還と言うべきか。とにかく出撃に向かっていこうと思う」
「了解です。現在の鎮守府近海の深海棲艦の様子ですが、最近活発に動いているらしく、直接的な戦闘にはなりませんが、何人かの艦娘が姿を見ているらしいです」
「(出撃はしていないが艦娘が姿を見ている…………?つまり、艦娘たちが自治的に近海警備にあたっているということか?)なるほど。となるとまず考えるべきは、近海の安全性を取り戻すことだな」
「はい。幸い、現れているのは弱い深海棲艦ですから、駆逐艦や軽巡でも十分対応できます」
「…………ちょっと待て。そう言えば聞きたかったんだが」
「なんでしょう?」
「この鎮守府にはどれほど艦娘がいるんだ?」
出撃を考える上で最も重要なこと。それは戦力である。それはどの艦娘がどれほどいて、どれだけ強くて何ができるか、ということだけでなく、作戦や陣形、また資源や入渠にも関わる重大な情報である。
これまで日曜大工のように鎮守府の復旧しかしていなかったが、本来重視すべきはここにあるのだ。機能停止した鎮守府を再び動かす、艦娘たちの力こそ必要なのだ。
「そうですね……………確かこの鎮守府には…………96人の艦娘がいたはずです。いや、97かも……」
「約100人か………。まあ既存の艦娘で十分だろう。元々そのつもりだったしな」
「ええ。ああっと、提督。実はそのことでまだお伝えしていない問題が………」
「なんだ?」
「実は、佐藤中将がいなくなって間も無く、私たち艦娘の中の一部が、鎮守府内の破壊活動をしまして」
「それは知っているし、それを責めるつもりもない。今更どうしたんだ?」
「いやその、壊したのはこの建物だけではなくて………」
「なに?」
「この鎮守府に備えてあって建造システム及び大型建造システムも、壊されてしまいまして…………」
「……………え」
言うのがおそくないか、鹿島。
「ごめんなさいいいいい!!!」ドゲザ
「まあ使う気もなかったと言えばなかったけど、そういうことは真っ先に報告すべきだろ普通………」
「私も何か忘れてると思ってたんです!でも普通に生きてたら建造システムが壊されてるなんて考えないじゃないですかぁ!」
「責めるつもりはない。…………ちなみ、兵器開発・改修の方は?」
「そっちは生きてます。というか、ほとんど明石さんの趣味の世界なので、誰も手出しできないだけですけど」
「そうか………まあいい。しかしよく壊そうと思うな。本当に憎かったんだなぁ中将のことが」
「なんでも、『あれがあると自分の代わりなんていくらでも作れるぞって言われてるみたいで腹が立つ』とか、『これ以上人間に飼われる艦娘は増やしたくない』とか、『壊せるものがこれくらいしか残ってない』とかいう意見があって………」
「おい、最後の一つはなんだ。完全に腹いせじゃないか」
「私は後から聞かされたので止めることもできず………」
「あーもういい。大丈夫だ。お前たちは決しては沈ませないから安心しろ。よし、とりあえずこの話は終わりにしよう。(あとで工廠にも立ち寄っておこう………)」
「はい…………。それで、現在の鎮守府の戦力ですが」
「うむ」
「戦艦が、金剛・比叡・榛名・霧島・長門・陸奥・扶桑・山城・大和・武蔵の10隻。空母は、正規空母が赤城・加賀・蒼龍・飛龍・瑞鶴・翔鶴の6隻。軽空母は鳳翔・隼鷹・祥鳳・瑞鳳の4隻。こちらも合計10隻です。重巡が……」
こんな感じで艦娘の名前を艦種ごとにつらつらと上げていった。手元におそらく自分でまとめたであろう書類もあるのに、二度手間ではないかと思いつつも、それは黙って鹿島が読み上げるのを聞いた。
流石前線を任されていただけはあって、数だけなら潤沢である。勿論編成には工夫が必要ではあるだろうが、建造システムのない今、バランスよく艦種がそろっているのは幸運であった。
「…………以上が我が鎮守府に在籍する艦娘です。駆逐艦についてですが、もっとも数が多く、また姉妹艦のつながりが最も多く見られる艦種でありますので、最初の頃は誰が誰なのか、把握に苦労するかと思います。ですので、一応この名簿もお渡ししておきます。これは艦娘の顔と名前の早見表で、わからなくなったらこれを見ていただければ幸いです」
「ありがとう。個々の能力や性能に関しては、あとあとじっくり知っていけばいいな。これはすごく助かるよ」
「最初はゆっくり覚えていけば大丈夫ですよ。焦る必要なんてありません」
「まあな。しかし、いつまでも険悪な雰囲気ではいけないし、こういうところから始めていかないと」
「みんな早く提督に心を開いてくれるといいのですが………」
「………………そういえば、なんだが」
「はい?」
貰った早見表を見ながら、恐る恐る聞いてみた。
「この鎮守府で今現在、私に言うことを聞いてくれそうな艦娘は誰だ?」
「……………………………………」
鹿島は目を逸らし、あからさまに困った顔をした。
なんというか、もうその反応で大体のことは察するが、しかしそこはしっかり把握しておきたいところである。
「どんなに少なくてもいい。わかる範囲で教えてくれ」
「……………………………わ、」
「わ?」
「私と暁ちゃんたちと時雨ちゃんたち、それに明石さんでしょうか…………」
「結局今の面子か……………」
ゼロではないだけマシだが、かなり厳しいことがわかった。単純に考えても9割が私を認めていないわけだからだ。
戦線の維持?どころか遠征すらままならないではないか。たしかに駆逐艦は艦隊運営における要ではあるが、それだけ揃っていても仕方がない。
「そ、それと………」
「なんだ?他にいるのか?」
「いえ、実は、かつて主力艦隊を担っていた戦艦や空母の皆様はおおよそ全員提督敵対派の艦娘でして、私たちも彼女たちを説得するのは困難でして………」
「つまり、天龍みたいなやつがごろごろいると?」
「はい。しかしその、天龍さんは軽巡ですので、主力メンバーの方々はもっと攻撃的といいますか………」
詰んだか。
「……………………」
「ご、ごめんなさい」
「いや……………………構わん。なんとかする。いずれな」
「本当にすみません………」
[同日 1000]
〈艦娘寮〉
とにかく、戦力は大体分かった。そしてそこから見えてくるものも。
まず、この鎮守府の大半の艦娘は私に非協力的或は敵対的であり、現時点で出撃可能な艦娘は暁たちや時雨たちだけであること。
そして長い間遠征や出撃をしていないせいで、燃料や鋼材、弾薬もかなり枯渇しているということ。本来なら定期的に大本営から支給されるが、機能停止扱いの今の状態ではそれは望めない。
兵装に関しては明石が全員分管理しているらしいが、長いことほとんど誰も使っていないらしい。
「まあなんにせよ、まずは協力者を募ろう」
「ですね」
数日前、窓からの発砲というこの上なくわかりやすい拒絶で私に応えた艦娘たち。その住処である艦娘寮は、初めて来た時と同様、揺るぎない沈黙をもってそこに佇んでいた。
今日はあの時と違い鹿島と一緒だが、鹿島も私の抱く緊張感を感じ取ったのか、いつになく神妙な顔をしている。無論、ここで鹿島だけ行かせて艦娘に呼びかければいいのかもしれないが、しかしそれでは提督としての器なしと判断されかねないし、いずれ艦娘とは直接的にコンタクトを取らなくてはならない。それを踏まえればここで一思いに乗り込んでいった方がマシだ。
「鹿島、とりあえず駆逐艦がいるのはどの辺りだ?」
「建物の一階、入り口を入って左手にありますが、その手前には戦艦の部屋があります。この時間はとっくに起きてる頃でしょう。おそらく、今提督が来ていることも気づいているのかも」
「なるほど………」
「しかし提督、なぜ館内放送を使わず直接来たのですか?放送ならここまでのリスクを払わずに済むのに……」
「まだ面識のない艦娘もいるし、いきなり放送で呼ばれるのは気に入らないだろうからな。まあ私なりの誠意というやつだ」
「なるほど、了解しました」
戦場でもないのに、敵のアジトに乗り込むようなピリピリとした緊張感がある。空気が張り詰める。
向こうはどんな武器を隠しもっているのかわからない。明石が兵装を管理していると言っていたが、おそらく明石すら把握できていない武器を持っているに違いない。こちらは軍刀を部屋に置いてきたから、完全に丸腰だ。
いや、そもそもこれは戦ではない。そう、少しお話ししてくるだけだ。なんだったら、出撃のお願いなんてせずに、自己紹介くらいできれば万々歳だ。それだけでも大きな進歩だ。
「提督、そろそろ行きますか」
「………………ああ」
「やはり、私だけで」
「いや、それはできない。私が行ってこそ意味がある」
「………………では、行きましょう」
私もいよいよ腹を決め、入り口の扉に向けて、いつも通りの歩調で歩き始めた。
一歩、二歩、三歩、四歩、五歩、六歩………
「(よし、まずは入り口にたどり着けるぞ!これで扉を開けて入って仕舞えば、こちらのものだ!)」
その時だった。
「提督危ない!!!!」
〈所変わらず 艦娘寮前〉
鹿島の声が鼓膜を震わせた一瞬後、私は何も考えずにとにかく横に転がった。
そしてそのすぐ後、私の隣から地面に何かが落ちた音がした。
「ちぃっ、外したか………」
「お、お前は………!」
見ると、天龍が私のいた場所に立っていた。しかも地面がクレーターのようにえぐれている。
「(もしあのままあそこにいたら…………)」
「いやぁ、入り口の真上の部屋は俺と龍田の部屋でよ、いいところに提督がいたもんで、ついつい飛び降りてきちまった」
「……………」
人間とは身体能力が違いすぎる…………。
二階から飛び降りたのだろう。人間でもたしかに耐えうる高さかもしれない。しかしこの地面のえぐれ方は、明らかに人間の破壊能力を超えている。
それに体にはなんの負担にもなっていないらしい。痛がっている様子もないし、擦り傷の一つもできていない。
「て、天龍さん!!」
「あ?あれ、鹿島さん?」
「何してるんですか!提督に当たったらどうするんですか!?」
「あー……………ははっ」
「!?」
「鹿島、こいつは……」
「鹿島さんよぉ、俺は元々そのつもりだったんだぜ?当たったらどうするも何も、当たることしか考えてなかったからなぁ。この事態こそ俺にとっては驚きなんだが」
「なっ………!」
「鹿島っ、離れてろ」
ゆったりと私と対峙する天龍は余裕の表情である。鹿島も負けじと前に出てきたが、ここで艦娘同士の関係がこじれるのは好ましくない。むしろこれはいい機会だ。
「天龍、いいタイミングだよ。私もお前とはいずれこういうことになると思っていたからな。早い方が助かる」
「気安く名前を呼んでんじゃねぇぞクソが。早い方が助かるだ?へぇ〜、そうかいそうかい、そりゃぁよかったよ」
「なに?」
すると天龍の背後にまた次々と艦娘が落ちてきた。
「(なにっ!?まだいるのか!)」
上を見ると、そこには目を疑うような光景があった。
「こ、これは………」
「観客だ。これから行われるショーのな」
艦娘寮にある窓。その全てから艦娘たちが私たちの方を見ていた。
傍観していた。
観戦していた。
「しょ、ショー…………?」
「そうだぜ鹿島さん。ここで今から俺たちと提督が、この観客を楽しませるためにショーを催すんだ。ああ、ちなみに鹿島さんは観客側だから、参加しちゃあだめだぜ?」
「てっ、提督!」
「大丈夫だ!鹿島、下がっていなさい」
まるでアメリカの刑務所のような急展開に、全く頭が追いついていないが、とにかく私がこれから目の前の艦娘たちと戦わなくてはならないことだけはわかった。
「紹介するぜ。まずはこちら、高雄型重巡洋艦三番艦」
「摩耶だ。今日はよろしくな」
「次は………っと、あんたか」
「一航戦の加賀です」
「そして我らが大将!」
「長門型戦艦、長門だ」
「で最後が俺、天龍だ。ま、よろしく頼むぜ提督さんよ」
目の前に現れた3人は、天龍と同等、或いはそれ以上に危機感を抱かせるオーラを纏っていた。
摩耶は正確としては天龍と同じ。しかし重巡ということは天龍よりも強いのかもしれない。そもそも艦娘と人間とでは、たとえ相手が駆逐艦でも本気でやり合えば勝ち目があるかわからないのに、重巡ともなればこの間のようには済まないだろう。
次に紹介された加賀は、弓道をするときに身に付けるような袴を身に付けている。確か食堂で見かけた時もそうだった。天龍と摩耶のように好戦的というわけではなさそうだが、氷のように冷たい表情からは、明らかな敵意が見て取れた。
そして長門………。素人目にもわかるほど強者の雰囲気を醸し出している。外見からも見て取れる筋肉質な体もさることながら、力強い眼差しと仁王立ちで私に向かうその姿勢は、男の私が圧倒されてしまうほど猛々しさを撒き散らしていた。入隊したての軍人なら逃げ出してしまうほど恐ろしい。
「勿論そっちは一人だぜ、提督」
「……………………ほかの」
「あ?」
「他の提督も、私より前に来た新人提督にも同じことをしてきたのか?」
「……………なあ」
「なんだ?」
「それは終わったらわかるからよ、今教えなくてもいいよな?」
「…………なるほど」
「つーか天龍、さっさと始めようぜ」
「お、おおそうだな。じゃあ、今日は誰から行くよ?」
「私は後で構いません」
「好きにしろ」
「あたしはどっちでも」
「………じゃあ俺から行くぜ!」
天龍は腕を捲り、またいつものように不敵な笑みを浮かべてゆったりと近づいてきた。
私も無意識に身構える。
「その構えも見飽きたなー。軍人だから仕方ねぇのか」
「その言い方だとやはり、新任提督の辞職の原因はやはりこれか」
「ああそうだ。そしてあんたもこれからその仲間入りだぜ?なあ、見てみろよ」
「?」
天龍に指さされた方向、つまり上を見ると、そこには欠伸やお喋りなど、明らかにこれから起きることに興味のない艦娘が多く見られた。
「こいつらもさ、もう何人も同じ光景を見てきたからよ、すっかり飽きちまったんだ。最初はかなり盛り上がったんだぜ?」
「……………」
「なんだよ、なんか言えよ提督さん?」
「……………いや、これも含めて、私の責任だなと思ってな」
「あ?」
「たったひとりの男の首を刎ねただけだと思っていたが、まだまだ清算しなければいけないことが多いらしい」
「…………あっそう。まあなんでもいいけどさぁ、とにかく、今から俺と戦ってもらうわけだけど、どうだ、遺言とか言っとくか?」
「いや、それより一ついいか?」
「………………なんだ?」
「私が勝ったら、遠征に行ってくれないか?勿論、一人だとは言わん」
「………………ふっ」
「え?」
「だーっはははははははははははははは!!聞いたかよお前ら!遠征だとよ遠征!はははははははははは!」
見ると、艦娘寮で観戦している艦娘も、後ろの3人も天龍と同じように大笑いしていた。
「あいつばかか!?」
「何を考えているのかしら?」
「ほんとに勝負になると思ってるよ!」
「滑稽だな」
「だめwwwwお腹いたいwwwwww」
すごい笑われ者だ。
「ははははははは………じゃあよお、俺が勝ったらどうするよ?」
「……………お前はどうしたい?」
「うーん、そうだな………………あっ、じゃあ、俺らの代わりに出撃してくれよ、勿論一人とは言わねぇからさ。ははは!」
また爆笑の渦。
唯一笑っていないのは、腰を抜かして怯えている鹿島くらいだ。
「なあ、いいだろ?」
「…………………わかった。その条件飲もう」
「よし、…………じゃあ行くぜ!!」
そして天龍は、まっすぐこちらに突進してきた。
[第1戦 軽巡 天龍]
地面が陥没するほどの踏み込みをすると、天龍は普通では考えられないようなスピードで向かってきた。
「(ばかな!こんなスピード、ガードが間に合わない!!)」
「おせぇぞ!!」
間合いがゼロになった瞬間、天龍の左拳が私の腹筋にめり込む。
「〜〜〜〜〜〜ッッッ!!?」
「どうだぁ提督さんよぉ!」
よろめく私に間髪いれずに蹴りを入れ、右足で蹴り上げるように後方へ吹っ飛ばした。
痛みで呼吸のできないまま宙を舞い、そして地面との衝突によりさらに呼吸できなくなる。
「がぁっ!?………が、うぐっっがぁぁ!」
「無理に呼吸しようとしても無駄無駄。余計苦しいだけだぜ?」
依然として余裕の表情の天龍は、ゆったりと歩きながら接近してくる。
観客もそれなりに盛り上がっているようだ。しかしところどころ、表情を変えずに見ている艦娘もいる。
なんとか呼吸を整え、ふらつきながらも立ち上がると、天龍は少し驚いた顔をして言った。
「へぇ、よくやるなぁ提督さん。立ち上がっても結局倒れる羽目になるのに。まあ、すぐ諦めてもらってもちっとも面白くはねぇけどな」
「はあ………はぁ…………そ、それはどうだろうな。……………私は、諦めるつもりは、ない」
「そうかい」
自然と口から出た虚勢に天龍は機嫌を悪くしたのか、また同様に猛スピードで突っ込んできた。
「じゃあさっさとくたばれ!!」
「(いまだ!!)」
その瞬間、私は横に体を倒して地面に手をつき、足を伸ばして天龍の足に引っ掛けた。
これにはたまらず天龍は派手に前に転び、数メートルスライディングした。
「いってぇぇ!!くっっそがぁ!」
「(な、なんとか反撃したってところか?いや……………)」
天龍を転ばせた足を見ると、軍服は破れ、そこから見える足は真紫色になって腫れ始めていた。
「これじゃあ身がもたないな、はは」
「……………てめぇ…………!」
明らかにキレた天龍は、服の汚れを叩いて落としながら、怒りで顔を真っ赤にして私に接近してきた。
足の痛みでもうわたしはすばやい動きはできないが、近接戦だとしても勝機はない。近づいてくるだけで、さっきのボディブローの痛みが蘇ってくる。
「よくもやってくれたなぁ、おい!!」
「(まずいな…………だが諦めるわけにはいかない!!)」
十分に接近したのち、再び渾身のボディブローを放つ天龍に対し、私はあえてさらに距離を縮めた。
「なにっ!?」
「(よし!)」
無論、拳はまた私の腹にめり込んだ。しかし距離が近すぎた分、先ほどよりかは痛くない。
拳を放つ上で、俗に言う威力を構成する一つの要素として、加速というものがある。それは拳を前方向に進めるときの勢いだが、今回のように、最初の位置から数センチしか空間が空いていない場合、その加速は発生せず、最終的に、大した勢いのないまま対象に衝突してしまう。
つまり、接近こそパンチの威力を殺す最善策!
それに驚いた天龍の隙を見逃すわけもなく、私は天龍の襟首と左手を掴み、そのまま勢いに任せ背負い投げをする。
「うおおおおおおっ!?」
「ふんっ!」
背負い投げは綺麗に決まり、地面に叩きつけられた天龍は痛みで顔をしかめた。艦娘なら大したダメージにはならないだろうが、普通なら体験しない痛みだからこそ、こういう時には効くものだ。
私も腹の痛みになんとか耐えつつ、倒れている天龍に対し距離を置く。
「て、てめぇ…………!」
「ど、どうだ…………?はぁ、はぁ、遠征、行ってくれるか?」
「あんまナメてんじゃねぇぞ!!」
天龍は完全に怒りに頭を支配されたようだ。倒れた状態からはね起きると、姿勢を低くして私にタックルを仕掛けてきた。
勿論、これをかわすだけの体力はわたしにはない。これは甘んじて受け入れるしかないと、そう腹を決めたときだった。
「待ちなさい」
「「!?」」
獣のように突進する天龍を手で制したのは、それまで冷たい目で戦いを傍観していた加賀だった。
「どけ!そいつは俺が始末するッ!」
「これ以上間抜けな姿を見せてもらっても私たちはなんの得もしませんから、もう退場してもらって結構です」
「なっ…………!」
「下がってください。私がやります」
[第2戦 空母 加賀]
勢いと感情に身を任せて戦う天龍と違い、加賀は戦いの場になってもその冷静さを欠いていなかった。
表情一つ変えず、特に何も話さない態度は一見、戦闘が苦手な、どちらかといえば内向的な性格を思わせてしまうが、現実はそうではない。
天龍が後ろに下がり、代わりに加賀が前に出た時点で、体が「逃げろ」という警報を鳴らしている。人間の原始の記憶というか、本能というか、あきらかに自分では勝てない者を前にしたときの、諦めにも近い畏怖が一瞬で体を支配した。
それに伴い、先ほど天龍にやられた足と腹の痛みが、アドレナリンでごまかしていた分、より痛みが蘇ってきた。
「………………少し、驚きました」
「なに?」
「今までの人間は全て、彼女が壊してきましたから、まさか反撃までするとは思いませんでした。流石、人斬りと言ったところでしょうか」
「………………まあ、士官学校である程度体術は習ったからな。技術なしのやつに遅れをとるわけはない」
「なんだと!!?」
「天龍を挑発しないでください。今の相手は私です」
「そうだな……………。しかし、一ついいか?」
「なんですか?まさかわたしにも遠征に行けと?」
「いや、お前は出撃だ。失った海域を奪還するために、お前は絶対に必要だ。お前以外もだけどな」
「そうですか。では私が勝ったら」
「………どうしたいんだ?」
「…………そうですね、私が勝ったら、提督」
「?」
「死んでください」
その台詞の直後、加賀はどこからともなく弓矢を取り出した。
「なっ!?」
「………」
ビィン!!
ほぼ完全な姿勢から放たれた矢は、目にも留まらぬ速さで私の左頬かすった。ふれると、生暖かい真っ赤な液体が横一文字に流れているのがわかった。
しかもあれは、外したわけではなく、意図してかすめたように思えた。
「次は足を狙います。ちょこまか動かれると面倒ですから」
「おいおい………」
艦娘には、通常の兵装とは別に、特別な艤装なしい武器が備わっている。
これは建造された時点で発生する副産物であり、例えば空母でありば弓矢だったり式神だったり、軽巡なら刀だったりする、勿論持っていないものもいる。
その特殊艤装は戦闘時にも使用できるが、例えば兵装解除状態にあっても、普通に道具として使うことができる。
つまり今の加賀の弓矢がそれだ。あれは的を狙うためのものではなく、命を刈り取るためのものだ。演習や訓練用とは違い、当たれば肉を貫通する威力を持つ。
ビィン!
「くっ!」ドサッ
「チッ…………」
矢が放たれる前に横に飛び、なんとかまたを定めさせないようにする。しかし体力はなくなる一方なのに対し、ダメージは増える一方である。
「見苦しいですね。さっさと死んでください」
「はぁ、はぁ、…………残念だが、それは無理だ」
「そうですか。私が手伝ってあげますよ」
ビィン!
「がぁぁぁぁぁ!!!?」
「やっと当たりました………。陸地だとやはり感覚が掴みづらいですね」
加賀の放った矢がとうとう私の左の掌を貫いた。
途中で止まることなく、手を貫通した。手のひらには小さく穴が空き、そこからとめどなく血が流れる。
そして今までに体験したことのないような、鈍く重い痛みが左手から波のように押し寄せてきた。
「う……ぐっがぁっ!?」
「悲鳴くらい堪えないとカッコ悪いですよ。…………少し待ちましょう」
手を押さえてもがく私を尻目に、加賀は新しい矢を準備していた。
おそらく次こそ足を狙われる。
「(手に食らってこれなら、どこくらっても詰みだな…………)」
「もういいですか?いえまだですね、もうすこし息を整えてください。弱わった獣を殺すのはあまりいい心地がしませんので」
「はぁ、それならそろそろ諦めてくれないか………?もう、痛いのは、はぁ、ごめんだ」
「諦めるのは貴方です。さっさと命を手放す覚悟をしてください」
「(そう……………か。なら、もう玉砕覚悟で行くしかない!)」
ゆっくりと構え始めた加賀に対し、私は着ていた軍服を脱ぎ、闘牛士のように両手で持って身構える。
流石に加賀はこれにはきょとんとした顔をして言った。
「な………んですか、それは?」
「ま、まあ…………悪あがきってところだな。生憎、弓兵に対しての心得はないんでな」
「そう………」
怪訝な顔をした加賀だったが、どうでもよくなったのか一気の矢を引きしめ、そして私めがけ一直線に放った。
ビィィン!!
「(いまだ!)」バッ
「え?」
その瞬間私は前に進んだ。迫り来る矢に対し、それに自ら近づく形をとった。
矢は読み通り足を狙っていた。しかし私が前進したことでその矢の着弾予想地点は私の腹部となる。
無論、矢に関しては威力は出だしから徐々に減少していくので、接近すればそれだけ、当たった時のダメージは大きくなる。そこで活躍するのがこの上着だ。
通常、直進する物体はそのスピードが早ければはやいほど、横からの衝撃にめっぽう弱くなる。ライフル弾がほんの少しの風や葉っぱをかすめただけで、大きく的を外すのはそれが原因だ。となれば加賀の矢も同様のことが言える。もしこれに私の上着が横からほんの少しのでも衝撃を与えられれば、的を大きく逸れるとことになる。
私は直進とほぼ同時に、その上着を思い切り左にぶん回した。すると、上着が矢にぶつかる音がした。
「(矢はそれた!このまま突進する!!)」
「そんな馬鹿なッ」
これには加賀も驚いたようだ。接近戦においては矢はあまりにも不利。しかしそんなこと御構い無しに距離を縮める私に、加賀はとうとう手段を選ばなかった。
持ちかけていた矢を手放し、両手で弓を持って私にめがけ横にフルスイングした。
「喰らいなさい!」
「無駄だ!」
加賀に接触するその一歩手前で私は姿勢を一気に低くし、両手を地面につけ地面と平行に回転足払いを仕掛けた。
まるで駒のように蹴りを入れてくる動きは、艦娘である加賀にとっては当然初めてのこと。対応できるわけもなく、加賀その場にすっ転んだ。
「きゃぁ!」
「ふぅ…………」
歓声や笑い声はない。艦娘はみな、目の前の光景を信じられないといった顔で、息を飲んで見ていた。
「嘘だろ加賀さんが……」
「こんなことがあるなんて………」
「あの加賀さんが転ばされた………」
どうやら加賀はそれなりに強いことに定評があるようだ。この冷酷で高圧的な態度も、強さの自信と周りからの信頼によるプレッシャーと考えれば妥当だろうか。
「あ、あなた…………」
「たしかにその弓矢は恐ろしい。殺す気なのがはっきり伝わるよ。だがそれは本来一対一で使う武器じゃないし、近接戦闘ではなんの役にも立たない」
「こんなことが……この私がッ……」
「矢を放つ姿勢からして、弓矢はかなり心得ているようだな。それが本来の性質なのか練習の成果なのかは知らないが、ここではそれが仇となる。もし私が突進してきた時点でお前が蹴りでも入れていたなら私は負けていただろう。だが弓矢を使うお前にとって、軸となる両足を安定の欠く片足にスタイルチェンジすることはできなかったわけだ」
「………」
「だが安心したよ、君が出撃してくれるのなら心配なさそうだ」
「頭にきました…………!!」
立ち上がった加賀のお得意のポーカーフェイスは崩れ、殺意と怒りをむき出しにした般若の面のような顔が出来上がっていた。
そして矢筒から一気に二本の矢を取り出し、これまでにない力で引き絞る。
「(ここから先はノープランだからな………。どうしたものか……)」
「死ね」
加賀はいよいよそう吐き捨て、右手で押さえつけていた怒りを解放しかけた。
しかし、
「待て」
「「!?」」
「私がやる。矢の無駄だ」
そう言って加賀の肩を掴んだのは、沈黙をもって戦いを傍観していた長門であった。
「…………離していただけませんか?それとも私に恥をかけと?」
「命と同等に大事なその弓を、誤った使い方で使おうとしたお前のプライドは既に傷ついている。」
「…………ッ!」
「早くどけ。心が乱れていては矢は当たらん」
加賀は悔しそう下唇を噛み締めながら、矢を矢筒にしまい後ろに下がっていった。
「さあ、次は私だ提督」
[第3戦 戦艦 長門]
私が四人の中で最も戦いたくないと思っていたのは彼女であった。理由は、明らかにこちらが死ぬ未来しか見えないからだ。
戦艦が全員そうなのかは知らないが、ほかの3人より背が高く、腕や腹もいい感じに引き締まっていて、それでいて筋肉質であり、男顔負けのいかつさがある。加賀が転んだ時も天龍が投げられた時も、彼女だけは表情ひとつ、顔色ひとつ変えず、獲物を狙う獅子のような目つきでそのすべてを観察していた。
わかりやすく言えば、強そう。
「最初に言っておこう」
「な、なんだ?」
「提督、この長門が勝ったら貴様には今後一切、艦隊の指揮や運営を禁止する」
「なっ…………!?」
「ただし貴様が勝ったなら、私たちは全員、貴様に付き従うことにしよう」
「「「「「えっ!!??」」」」
この発言には、長門以外の全員が驚いていた。
加賀や天龍、摩耶や観客の艦娘まで全員、「そんな話聞いてない」といった顔で長門を見ている。
私自身、このハイリスクハイリターンな賭けと、それを仕掛ける長門に動揺した。
「い、いいのか?ここにいる艦娘全員ということだぞ?」
「構わん。そもそも艦娘の実質的統率者は以前より私だった。今更歯向かうやつはいまい。いても返り討ちにするだけだ」
「…………いいんだな?」
「ああ」
この絶対的な自信。二人の艦娘がたったひとりの人間に不覚をとったことは、本来なら少しくらい自信をなくすはずなのだ。実際加賀との戦いでは艦娘たちは明らかに精神的に怯んだはず。なのにこの全く臆することのない態度。
「しかし、」
「なに?」
「ぶっ続けで戦って疲れたろう。少し休ませてやろう」
「あ、ああ…………」
「そうだ、休憩がてらに一応話しておく」
「なんだ?」
「先程の、つまり天龍と加賀との戦いの勝敗についてだが、まず天龍だが、あれは天龍の負けだ」
「なっ!?」
「はぁ!!?ふざけんなよ長門さん!!俺はまだ負けてねぇ!加賀さんが勝手に割り込んできたんだろうが!!」
「転ばせたのはまぐれとしても、背負い投げは完璧に決まっていた。あそこでもし押さえ込まれていたら、天龍は確実に負けていた」
「なぁにぃ………!?」
「天龍、お前はこの後遠征に向かってもらう。海域は問わん。これはお前がした約束だろう?しっかり守るんだな」
「………………くそっ!!」
「それで、加賀に関してだが……」
「…………」
「あれは引き分けだ」
「引き分け………?」
「どういうことですか」
「たしかに単純な戦いだけで見れば加賀が勝つのは明白。だが加賀は未遂だとしても弓を本来の使い方ではなく、鈍器として使用した。今更ルールなんて語る気はないが、道具を正しく使ってやれないのなら、それを使う資格なし。加賀は自分に反則したということだ」
「……………わかりました。それで、私も約束を果たすべきでしょうか」
「引き分けなら互いに不問とするべきだろう。提督もそれでいいな?」
「あ、ああ」
「…………不覚です」
どうやら長門はこういう状況においても、全ての者を平等に考えることのできるやつらしい。艦娘の統率者といっていたが、確かにこいつにはリーダーとしての技量がある。
長門にはまず力ではなく人間性とリーダーシップの時点で敗北した気がする。
「では提督、そろそろいいか」
「ああ。しかし、何故わざわざ私を休ませたんだ?あのまま袋叩きにすればよかっただろう」
「…………強いていうなら、興味があったからだ」
「え?」
「あの男の首を刎ね、そして自分より絶対に強い艦娘相手に反撃すらしてみせる貴様の器。それに少し興味があったのだ」
「…………そうか。なあ」
「なんだ?」
「私は正直戦いたくないんだ。全てとは言わない、ほんの少しでもいいから私の命令、いやお願いをきいてくれればそれでいいんだ。どうだろう、今日は手打ちにしてくれないか?」
「…………この期に及んで和解か………?残念だが、白黒はっきりつけたいタチでな」
「そうか…………では始めよう、長門」
長門が与えてくれた猶予によって少し回復した体力を振り絞って、私は士官学校で嫌という程やらされた構えをとった。
これは空手や柔道などの体術をより実践的にしたものだ。相手を戦闘不能にすることは勿論、命を取ることを目的としたわざもある。単なるスポーツの領域は超え、戦いの場で使うことを前提とした技術である。
対して長門は腕をあげることもなければ脚を広げることもない、完全に力を抜いた状態で直立していた。まさにノーガード。
「(何か策があるのか、それともそれだけ余裕なのか………)」
「どうした、かかってこい」
挑発してくるが、長門は一歩も動かない。
「(考えてもみれば、今までは艦娘からの攻撃を受けて、対策を考えて、反撃していた。今回のように私が自分から攻撃するのは初めてだ。)結構余裕そうだな。随分と自信があるようだが?」
「ああ。私にとってはこれがベストだ」
ノーガードで動かないのがベスト?どういうことだ………?
しかしこのままでもらちが開かない。私はいよいよ攻撃をしかけることにした。
ゆっくりと、ガードを上げつつ前進する。互いの間合いが触れ合うギリギリまで近づき、そこから一気に距離を縮めて攻める!
「(まずは小細工なしに腹を狙う。艦娘とはいえ相手は女、自分から殴るのは少し抵抗があるが、もはやしのごの言ってられない)」
「…………」
互いの拳がギリギリ届く距離になっても、長門は微動だにしない。視線はブレないが、体は隙だらけである。
ならばこちらから…………攻めるまで!
「ふんっ!!」
「はっ」
射程に入った瞬間に体を前に倒しつつ突進。そこから体を急停止しつつ右ストレート。
完全に決まった、はずだった。
「なにっ!?」
「ふふふ」
腹に拳が当たるその一瞬前に、長門は横から私の手首を持ち止めてみせた。
横から当ててずらすのではなく、掴んで止めた。
「ぐおおおおおおっ!?(全く動かせない!何という腕力と握力だ!)」
「まあ、この程度だろうな」
そう言うと長門はもう片方の手でゆっくりと手刀をつくり、そのまま私の脇腹に振りかざした。
「がぁぁぁあぁぁっっっ!!!」
「痛いか、提督?」
あばらに当たった手刀はまるで丸太のような重みを感じさせるほど強く、意識が吹っ飛びそうなほどの痛みが全身を何周も駆け巡った。
触れなくともわかる。確実に何本か骨をやられている。
「がぁ、ぐ、がはっ!」
「降参しろ、提督」
「…………」
首を横に振った。すると、先ほどと全く同じ場所に、全く同じように手刀が飛び込んできた。
「がぁぁぁぁあ!?うぐっはぁ!」
「もう一度言う。敗北を認めろ」
痛みで頭が働かない。声も抑えることができない。それでも、この首を縦に振ることだけはできなかった。
「はぁ、ぐっはぁっ、な、長門………」
「なんだ、降参か?」
「いや…………あのな………」
「?」
「こうやって、いちいち質問するのはきりがないから…………はぁ、言っておこうと思ってな………」
「ほう、では聞こう」
「……………………降参はしない。お前たちには艦娘として働いてもらう」
「ほう…………」
「それが、私の、使命だから、だ」
また手刀が入った。次は悲鳴すら出なかった。
「なあ、提督」
「あ………あ………」
「ならば私もここで言っておこう。お前が諦めぬ限り、私もこの拷問をやめるつもりはない。すでにお前の体は限界だ。いずれ死が来るぞ。これが最後通告だ。降伏しろ」
「…………あ………」
「なに?」
「あきら…………めないと、いったろ」
「そうか………………」
そこから、二日後に私が医務室で眼を覚ますまでの記憶は、一切ない。
正月も過ぎ、そろそろ節分がやってまいりますこの時分、まだまだ厳しい寒さが続く今日この頃ではございますが、読者みなさまはいかがお過ごしでしょうか?
最近はインフルエンザが大流行しておりまして、そうでなくとも体調を崩しやすい時期でございます。皆様も十二分に、手洗いうがいやマスクの着用を心がけてください。
というのもですね、私ね、インフルエンザにかかってしまいましてね。いやーびっくりですよね!あはははははは!
なんか頭痛いなーと思ってまあ特に気にせずにいたら熱が出てきてしまいましてびっくりですよね。私の周囲もバッタバッタもインフルエンザにやられてしまいまして、いやはやパンデミックってのは恐ろしいですね!
それはさておき、いかがでしたでしょうか今作品。艦娘を暴力的に書くのは私は大丈夫なんですが、中には艦娘のイメージを崩したくない方もいるでしょうから、その点につきましては深くお詫び申し上げます。
次回からはいよいよ、彼が化け物と言われる原因がわかってきます。乞うご期待ください。
ちなみに、今回のシリーズの作品名のとなりにある○○地獄っていうのは、決まった順番で書いているのですが、やはりわかりづらいと思いましたので、さらにその隣に数字を振らせていただきました。作品の順番に困った方は是非そちらを参考にしてください。地獄に関しては後々、解説したいと思います。
では皆様、また次の作品でお会いしましょう。
更新お疲れ様です!
今回も凄く面白かったです!
続き楽しみに待ってます!