提督「化け物の悲しみ」四
*この作品は"提督「化け物の悲しみ」三"の続編です。
〈南西諸島統括鎮守府〉
「ね……Nelson!」
鉄骨に括り付けられて晒されているNelsonは、死んだように動かない。足は異様にへし曲がり、頭からも血を流しているようだ。そこまで強固に縛られているわけではないようで、乱雑に腕を布切れかなにかで縛って固定している。
IowaとJervisはすぐさま駆け寄った。首筋に手を当てて、脈がまだあることを確認するとほっと息をつく。
「まあ……殺してしまってはなぁ……」
「「!?」」
声に驚いて振り向くと、退屈そうな顔をした黒軍服が立っていた。依然として武器を持たず、瓦礫だらけの殺風景に死神のように立っていた。
「き、貴様ッ………」
「殺す必要はない。たとえ艦娘といえど相当に痛めつければ"勝手に死ぬ"」
「何……?」
「この鎮守府の施設はほとんど全て破壊した。高速修復材も同様にな。お前たちは負傷しても癒す術がない。無論幾人かは助かるだろうが全てではない。ちょうど人間の失血死のように、損傷をそのままにしていけばやがて艦娘はその機能を失う」
「ほっといても死ぬから、とどめを刺さなかったと?」
「ああ。まだ息はあるようだが、もうしばらく経てば」
「させないわ」
「あ?」
「絶対に助けてみせる。あなたを倒して、みんな助かる」
「ええ。そのために私たちは来たのですから」
「そうか。しかしざっと見積もってあの娘はあと10分ももたない。それまでに私を倒さねばならいないわけだが……」
「分が悪いって?」
「ああ。そう思う」
「私もそう思うわ。負ける確率の方がよっぽど高い」
「でも、だからといって助けない理由にはならないのです。諦めるわけにはいきません」
「命を無駄にするか……。愚かな」
鈍く、耳障りな音が静かに聞こえ始めた。段々と大きくなっていく音に伴い、黒軍服の周囲から黒い霧が立ち込め始める。やがてその霧の中から、形容し難い歪な形の砲身が現れた。
まるで生物のようであり、それでいて無機質な物体のようであり、霧の中からどうやってその巨大な兵器を取り出したのかは全く理解できないため、ただただ奇怪な存在であった。恐らく黒軍服本人も、それが結局何なのかはっきりしていないのだろう。ひたすらに敵を殲滅するための道具に過ぎず、そこに感情を抱くことはない。
IowaとJervisもまた、力強く主砲を構えた。長期戦はともかく、既存の弾薬ならなくなるということはないだろう。逃げ隠れする必要はない。ただ眼前の敵を倒すことだけに集中すれば良い。
「よし、なら行くぞ」
「来なさいッ……!」
「………!!」
暫く、お互いに動かなかった。
どちらかが動けば、その一瞬後にはもう一方がそれに合わせて仕掛けてくることが分かっているのだ。こういう立ち合いは、日本の真剣での一対一の勝負に似ている。忍耐が無く、先に動き出したほうが負けることが多い。
数メートル離れた、相手の息遣いが聞こえるほどの静寂だ。風もなく、その他雑音もない。自身の鼓動が煩く感じられてきた。
そんな時、黒軍服が僅かに脚を前に出した。
「!!」
瞬間、Iowaは主砲を放った。内部で起きた爆発が砲弾を押し、回転しながら飛び出したそれは空気をぶち抜いて真っ直ぐに黒軍服に直撃、
「ごぶっ!?」
「あ、Iowaさん!?」
しなかった。
確実に捉えていたその姿がIowaの視界からふっと消えたかと思うと、次の瞬間には間合いにいて、さらにその至近距離から同じく主砲を放ってきたのだ。
煙と共に後方に飛ばされるIowa。瓦礫に激しくぶつかり、倒れ、激しく咳き込みながら痛みに顔を歪めた。
「ぐっ……ゴホッ!ゴホッ!……」
「流石の装甲だ。潤沢な装備なだけはある。あの男も、馬鹿な買い物をしていたわけでないようだ」
「な、ゴホッ!なんの話よ……」
「いや、こっちの」
ドゴォン!!!
「Jervis!」
「無事ですか、Iowa!?」
「……いえ、そこそこのダメージね」
「人が話しているときに……いや、卑怯ではないが」
「(ほとんどダメージがない!?特殊な装甲を有しているわけでもなさそうだし、そもそも兵装の出所すらわからない……。存在そのものが反則です!)」
「そう思案せずとも、お前たちは戦うしかない。策を弄する必要も、謎を解き明かす必要もない。お前たちはただ戦うんだ」
「い、言われなくとも……!」
「んん……よし」
黒軍服はIowaとJervisを物足りなさそうに見つめると、徐にNelsonの方に近づいた。
「な、何をする気!?」
「今のお前たちは闘争心が足りない」
「は……?」
「無論お前たちには死んでもらうが、無抵抗の相手を殺すのはやはりどこか気が引ける。お前たちには最後まで抗って、その上で死んでもらう。だのにお前たちは恐怖と疑念に支配されている。闘志がない」ガシッ
「ね、Nelson!」
「うぅ……」
「よし、折るぞ」
「え?」
「え?」
バキャッ!!!
「うぐっ……ぅぅ……」
「Nelson!」
「Nelsonさん!」
黒軍服はNelsonの腕を掴むと、膝のあたりを捻るように曲げた。束ねた木の枝を一気に踏み折るような音がして、砕けた肘の骨が皮膚から少し飛び出たのが見えた。
「なっ………!?」
「お前たちが攻撃をやめたら、その都度空き時間にこいつの身体を壊していく。最初は急所は狙わないが、お前たちがグズグズしていると致命傷を与えていく」
「Nelsonさん!」
「うう……」
「気絶している。しかしやがて痛みに目を覚まし、そしてこの惨状と崩れゆく自分の身体をみて死ぬことになるだろう」
「きッ………貴様ッ………!!」
Nelsonから離れ、再び2人に接近する。黒軍服の顔には愉悦などなかった。必要な工程が増えたことにうんざりしているようにも思えた。
「Iowaさん……」
「………Jervis」
「は、はい」
「殺すわよ、こいつを」
「…………はい」
Iowaの顔には怒り以外の感情がなかった。Jervisの記憶が正しければ彼女は「倒す」とか「退ける」とか、行為の結末はともかく直接的な殺意を含む言動はあまりしない人柄であった。いや、本心では敵が撤退してくれれば殺す必要はないと考えていたのだろう。
いつも明るく快活で、平和的な艦娘だった。Jervis含め南西諸島鎮守府の艦娘は、彼女のそういうところが好きだった。
しかし今の彼女は、今まで誰も見たいことがない怒りの形相であった。Jervisは、共に戦うはずの彼女に恐怖を覚えてしまった。誰にも止めることができない、そう確信した。
Jervisが動くより先に、Iowaの砲口が火を吹いた。いきなりのことで視界に捉えることもできず、大きな爆発が起きたのかとも思った。黒煙と衝撃波がビリビリと伝わり、Jervisもすぐに戦闘態勢に入った。
煙が晴れ、黒軍服の姿がちらりと見えたかと思うとIowaはまたすぐに砲撃し、ダメ押しにJervisも射撃した。相手からはなんの反撃も反応もないが、経験値から来る確かな手応えはあった。爆煙が晴れるまで無理に攻撃はしない。しかし敵の姿が見えたらすぐに撃ち込む。やや一方的とも思える戦闘だ。
「Iowaさん」
「気を抜かないで。この程度で死ぬ輩じゃないわ」
「は、はい…」
Jervisは一切の反撃がないことに不気味さを感じていた。甘んじて全ての攻撃を受け入れているかのような錯覚さえあった。十分な距離があり、いきなり攻め込まれる心配はないが、それはまるで相手がこちらの攻撃が終わるのを待っているかのようだった。
それでも、もはや敵が倒れているのか無傷なのかな判断もつかないが、姿が見えれば撃ち込み、煙で消えればやめ、そしてまた見えればを繰り返した。側から見れば残虐かもしれないが、不安を払拭するためにもやり過ぎるくらいにやっておかないといけない気がした。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………よし、もういい」
「!」
「!?」
煙の中からようやく声が聞こえた。Iowaは無論すぐに撃ち込んだが、今度は手応えがなかった。近づいてくると思い身構えたが、黒軍服はゆっくりと、散歩するかのように現れた。
「何よ、降参かしら?」
「あー……まあお手上げっちゃお手上げなんだが……。なんというか、ここまで差が開いていると興が醒めてな……」
「は…?」
「お前たちの全力を引き出すためにこんな下らん的まで用意したが、感情一つでどうにかなるわけでもないようだな」
「何言っているのですか。大人しく投降して下さい」
「………まだ分からんのか。お前たちの負けだ」
「え?」
黒軍服はまたゆっくりと2人に向かって歩き始めた。瓦礫の山を踏みしめて、止まる気配がない。
Iowaは黙って撃ち始めた。しかし、確実に着弾したはずではあるが、まるで気にも留めずにずんずんと進んでいく。しかもここに来てなお武装していない。素手である。
「なっ………!?」
「…………」
「Iowaさん!」
そしてそのままIowaに…………行かなかった。
「え?」
「え?」
「………」
「Jervis!」
「くっ……!」
ゆっくりと近づき、目の前に立つ。Jervisはすぐさま主砲を構えたがその瞬間黒軍服はぐっと砲身を握り、そのままねじ曲げた。
Jervisの無意識は「ええっ!?」と驚愕の声を上げるはずだったが、声が出る前に鳩尾あたりに鈍痛が走った。拳が深々と盛り込んで、胸骨も変形させていることが分かった。声というより音が口から漏れた。そしてそれを最後にJervisの意識は暗闇に飛ばされることになる。
「ゴフュッ………!?」
「……」
「Jervis!」
倒れるJervisの左手を掴み、Iowaに言う。
「呼吸を止めた。このまま放置すれば10分も経たずに死ぬ。今はまだ体内に酸素があるがな」
「shit!」
「艦娘よ」
「!?」
「もはやお前に勝ち目はない。何故諦めて逃げようとしない。何故助けようともがく。いたずらに命を無駄にする理由はなんだ」
「………勝てるから助かるとか勝てないから助けないとか、そう言うものじゃないのよ」
「はっきり言ってお前たちは人間に兵器として利用されているだけで、一人使えなくなったところで連中は何とも思わないぞ。少なくともここの提督はな。ここで命を賭して戦い、その果てに死んだところで誰かに覚えてもらうこともない。そして、助からなかった艦娘もまた同様だ」
「馬鹿ね。貴方も仲間や家族がいれば分かったのかもしれないわね」
「………なんだと?」
「勝ち負けは問題じゃない。例えば無謀でも仲間や家族が苦しんでいたら手を差し伸べる。貴方は一人だから、こんな簡単なことも分からない」
「仲間………家族………」
「そう。JervisだってNelsonだって、共に戦場で背中を預ける仲間で、一緒に鎮守府で過ごす家族なの」
「そのためならば、自らの命を?」
「そういうものよ。貴方には一生分からないかもね」
黒軍服は少し、魂が抜けたような顔をした。目はどこの焦点も合わせず、口は半開きで、そのままぴくりとも動かない。
その間何を考えているのか、Iowaには一切分からなかったが、それはまるで動揺しているかのようだったと、後に反芻することになる。
「そうか」
「………」
「この娘も、あの娘も、お前の家族か」
「そうね。妹みたいなものよ」
「………なら、お前の姉妹の腕をへし折った後、お前にも同じことをしよう」
「え?」
バキャッ!!!
「Jervis!!」
「遅い」
ベキャッ!!!!
「いっ!?あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!」
JervisとIowaの左腕は、まるで捻れたような折れ方をした。木の伐採した時のような音がして、気絶したJervisはともかく、Iowaはその激痛に絶叫した。痛みにたまらず膝を折り、倒れ、のたうち回り、涙が自然と流れてくる。先程あれほど啖呵を切っておきながら、Iowaの脳内は痛みから逃げたいという欲求で埋め尽くされた。
痛みの中、視線を腕に向けると、二の腕の途中から膝、手首にかけて紫色に変色、変形した自分の腕が見えた。おそらく骨が割れ、その破片が肉を無数に刺しているのだと理解できた。それを見て、一瞬で破壊された事実を見つめてまた絶叫した。
「おい」
「いやああああああああ痛い!痛い!痛いいいいいいいいいいいいいいいっっ!!」
「おい、助けるんじゃなかったのか」
「!!」
はっとして、Jervisの方を見る。自分と同じくらいに腕が無惨に破壊された彼女の姿が見えた。そして痛みに上書きするように彼女の闘志が再び湧き上がるが、それを阻むように次は右足に重い痛みが走った。膝が踏み潰されたのだと、激痛の渦の中肉体が理解した。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!やめて!!許して!!お願い!!」
「………」
「いやあああ……もう許して………痛い……助けて………誰か……」
「………」
右腕で這って逃げようとするIowaの背中を黒軍服はぐっと踏み押さえる。彼女は恐怖にいっぱいになった瞳で黒軍服を見た。もうそこには先ほどまでの威勢はなく、ただ怯えるだけの彼女を冷たく見下ろす顔があった。
「いや、やめて、いや、いや、やめてえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっっっっっっっっっ!!」
[一週間後]
〈大本営会議室〉
どっしりと、重い空気が流れていた。重いのに流れているとはおかしな表現だが、しかし確かに鉛のような重さを持った空気が、その場にいる肺を充満させながら部屋全体に流れていた。
元帥、本土長官、西方長官 南方長官、その他数名の提督が会議室のテーブルに腰掛け、クリップで止められた分厚い報告書に目を通していた。ある者は冷静に、ある者は驚きながら、ある者は憤慨し、ある者は疑心暗鬼で慎重に。しかしその全員が、日本海軍有史以来の未曾有の危機が迫っていると確信していた。
最初に口を開いたのは、正面に座る元帥である。
「香取よ」
「はい」
「この報告書、全て真実か?」
「はい。そう聞いております」
「……………北方がやられて間もなく、次は南西か。おそらくやったのは同じ奴だろうが」
呼応するように、他の提督たちも口を開く。
「閣下、これがもしたった一体の深海棲艦によるものなら、まず間違いなく過去最悪の個体です」
「群れをなさず、武装もほとんど分からない。しかし鎮守府の数十人の艦娘を再起不能にしている。徹底的に鎮守府を破壊し、そして」
「南西の提督を殺した……」
沈黙。
「この写真を見る限り、とても単独の戦力とは思えません」
「まるで空爆ですな」
「半数の艦娘が負傷。幸い死亡した者はいませんが、どれも重傷です。残った半数は今ここ大本営で預かっています」
「重傷……というよりこれは………」
「はっきり言って尋常ではないですね」
「普通の砲雷激戦ではこうはならん。一体どのように………」
「素手だ」
「え?」
「元帥閣下、それはどういう……?」
「おそらく奴の攻撃手段のほとんどは徒手だ。己の拳足をもって艦娘を倒していったのだろう」
「………元帥閣下、確かに件の深海棲艦の強さは強大ですが、流石にそこまでは……」
「この写真を見ろ」
「?」
「首に何かが刺さった傷だが、鋭利な刃物ではない。抉り取ったかのような傷跡だ。それにこっちの写真の腹部は、ちょうど人の拳くらいの大きさに胸骨がめり込んどる。そしてこっちの左腕の傷は……」
「まるで捻られたようですね」
「おそらくそうしたんだろう。骨ごとな」
「……………」
負傷した艦娘の写真はいくつもあった。何故こんなものを写真に収めているのかといえば、戦場の傷跡とは建物だけではなく、兵士にも残るという考えがあるからだ。砲撃なら砲撃の傷があり、爆発なら爆発の傷がある。火傷、銃創、切り傷、打撲………。どれも当時を考察するための重要な要素である。
今回はその点から見ると過去に例を見ない要素が多くある。まるで大災害に巻き込まれたかのような損壊、重機で破壊されたかのような傷、その他どれをとっても相手が一人だと思えない代物ばかりであった。
「艦娘の修復は?」
「既に高速修復材を用いて艦娘全員の修復が完了しています。しかし……」
「どうした?」
「艦娘の精神的動揺が未だ激しく、その……なんと説明したら良いか……」
「文言はなんでも良い。話せ」
「はい、端的に申し上げると、心が壊れてしまっています」
「……正気ではないと?」
「はい。戦闘後にパニック障害やPTSDを起こす例は過去僅かではありますが艦娘でも確認されていました。ですが今回はそれが負傷した艦娘のほとんどで起きておりまして、呼びかけにも応答せず、まるで常に何かに怯えているような状態が続いているようです」
「早期の戦線への復帰は無理か」
「いえ、もしかするともう二度と戦うことは……」
「………」
再び沈黙する一同。写真を順に見ながら、元帥はポツリと呟いた。
「たった一人で徒手にて鎮守府を潰すか。深海棲艦の仕業とは思えんな」
「え………?」
「深海棲艦にとって鎮守府を攻めるということは大きなリスクだ。海上でこそ奴らは凶悪な強さを発揮できるが、陸上においては話は別だ。艤装の火力ならともかく、機動力や地形把握能力において、奴らにとって不利なことばかり。陸軍の戦車大隊が一つあれば、深海棲艦の群れなど簡単に蹴散らせる。鎮守府まで攻め込むのはいいが、上陸して建物まで壊滅させてもメリットがない。わざわざ自分たちに不利な場所に、何故踏み込んだのか」
「確かに……連中は基本的に陸地には攻め込みませんね。鎮守府という海軍戦力の塊を取り除くという点では意味があるとは思いますが、それなら艦娘たちが退却した時点で奴の勝ちとなるはず」
「だが、現実にはあらゆるものを破壊している……。合理的とは言えませんな」
「考えられるとすれば私怨ですが、北方を落としたのも奴だとすればその対象は…」
「艦娘……いや、人類か」
戦争において、敵への憎しみが湧き上がるのは当然のことであるが、感情に流される行動はその戦争の規模が大きくなればなるほど少なくなる。たとえ恨みを募らせ、怒りと嫌悪に非道な行動に出たとしてもそれは非戦闘員に対してのみ。互いに死の危険がある状況では、深追いをせず生き残ることが最優先である。
しかし実際は単独による行動、常軌を逸した戦闘スタイル、残虐性の高さ、どれをとっても戦時的合理性と合致しない。
「儂等は一体何を相手にしているのか……。とにかく、現在進行中の大規模作戦は中止、各鎮守府は現行戦線の維持と近海の警備のみに任務を絞り、各々戦力の強化と保持にあたるべし。以上!」
「「「「「了解!!」」」」」
[2日後]
〈○△鎮守府 執務室〉
「中止?」
「うん」
電報を受け取った黒崎は長門を呼び出し、大規模作戦中止を言い渡した。
「まあ仕方ないよね。北方に続き南西諸島も壊滅、日本海軍全体の5%の戦力が、たった一人の深海棲艦に潰されるなんてさ。いやはや、恐ろしいことだ」
「我々には今回の作戦に特に大きな命令は出ていなかったが……しかし、資源、兵力をかき集めた他の鎮守府にとっては少し唐突過ぎないか?」
「今回は元帥閣下直々の命令だ。噛みつく提督なんていないさ。それに、戦いなんてない方がいいんだし」
各鎮守府に同時に通達された戦線の維持と哨戒にのみ任務の継続の命令。遠征や出撃に精を注いでいた艦娘にとっては、いきなりの休暇となってしまった。
発生した余暇に喜びたいところではあるが、しかし艦娘たちには例の深海棲艦への懸念の方が大きかった。
「提督、例の深海棲艦は」
「不明だ。南西諸島では提督が殺害され、艦娘たちも大変な損害らしいが、誰一人その正体を掴みかねている。
大本営は完全に守りに徹する方針だし、向こうから来ないことには分からないなぁ」
「悠長だな。奴の居所くらい艦娘を走らせればすぐに探れるだろう。それこそ我々だって」
「長門くん」
「!」
「潰れた鎮守府はどれもうちよりも優秀な艦娘ばかりがいた。それがまるで手も足も出ず、やられるだけやられて傷一つつけられなかった。僕たちでも結果は同じだよ」
「………では、また別の鎮守府が潰されるだけだ」
「それは……まあそうかも知れないが」
「提督、いかに強力な敵でも無限の力を持つわけがない。必ず弱点や対処法があるはずだ。日本海軍の艦娘が総がかりで戦えば負けるはずがない。問題なのは圧倒的戦力差。たとえ相手が一人といえど、ここは複数の鎮守府が連携して奴を始末する算段を立てるべきではないのか?」
「それだともし他の深海棲艦が攻め込んできたときに何も対抗手段だないんじゃないかな?」
「それは……」
「僕たちの仕事は敵の殲滅とか勝利とかじゃない。それはあくまで必要な過程に過ぎないのであって、1番の目的は人類の保護だ。今確かに保たれている人々の安寧を守り抜くことだ。それを忘れちゃいけないよ」
「…………」
鎮守府とは単なる前哨基地ではない。深海棲艦の進行を食い止め、万が一陸に住む人々にまで危害が加わる可能性があるならそれを阻止する、謂わば盾の役割も持つ。責めるだけではなく、守る務めも果たさねばならない。
大規模作戦はその責める役割を最大限に発揮できる機会の一つであった。戦線が拡大すれば戦争の終結に大きく近づくのは確かである。だが鎮守府の守りの役割がたった一人の深海棲艦に破壊された今、攻めに力を注ぐ余力はない。海軍全体が守りに徹し、強力な敵を人類に近づけないということが必要なことである。
長門はやりきれない気持ちを抱いたまま、それでもぐっとそれを腹の中に抑えて他の艦娘に任務変更の旨を伝えた。
[同時刻]
〈日本海軍前線外不特定海域〉
絶叫した。
しかし声帯は震えず、息さえ漏れず、ただ私の顔は微笑を浮かべていた。
『いやいや、私に一度自由を認めた以上、そう易々とこの身体を返すわけにはいかない』
「何故ッ………何故あそこまでッ………!!」
『あ?お前が望んだことだろう?無力な自分の代わりに眼前の怨敵を捻り潰せと。それに結局私はお前なのだ。全てはお前の意思、お前の願い、お前の欲がさせたことだ』
「無抵抗の……もう起き上がることもない相手を弄ぶように壊す……!そんなことを私が望むわけがないだろう!!」
『望んださ。私に譲ったあの時にな』
「!!」
『お前はいい加減自分の残酷さに気づいた方がいい。平和を望む反面お前はお前の受けた仕打ちを許してさえいない』
全てはお前がやったことだ。
戦いの記憶は何一つ欠けることなく鮮明に脳内に残っていた。彼女らの怒号も悲鳴も、自身が受けた痛みや手応えもまた全て明らかであった。自分が生んだ地獄なのだと誰よりも理解できた。
理性で押さえつけていたのか、気にも留めずに生きてきたのかは定かではない。しかしどう言い訳してもあの惨状は私の心情光景であって、不快感を覚えている今でさえ"やった後悔"は湧き上がってこない。
「お前は、いや私は、これからも艦娘を襲い続けるのか……?」
『そう望み続ける限りはな。しかしその前に用事ができた』
「用事だと?」
『数日前からずっと呼びかけて来ている。まずはそれはを回収するぞ』
「なんの話だ?呼びかけるって何が……」
『まあじきに分かる』
そう言うと私は、広過ぎる海を悠々と歩き始めた。
[同時刻]
〈南西諸島統括鎮守府跡地〉
事後調査のために訪れた大本営直属調査団は、過去最大とも呼べる凄惨な現場を目の前にして言葉を失った。
世界には数々の紛争地域や、その爪痕が残る場所が多く存在する。建物の損壊はもちろん、地形そのものが壊されてしまっているものもある。「戦争なのだから、それの程度の損害が起こるのは当然」と、戦争経験者は口にするが、一般人にとってはそれは衝撃的である。
調査団もまた、そんな惨状に見飽きた手練れの軍人で結成されていた。しかし彼らを驚かせたのはそれが"たった一人の手で"生み出されてたことだ。
「まるで空爆だな」
「空爆でもこうはならん。これはもう天変地異に匹敵する損害だ」
「たった一人でこの有様か」
「鎮守府はその性質上かなり頑丈に作られている。熱核攻撃にも耐えられるはずなんだが、それをよくもまあここまで……」
「とりあえず、この見取り図をもとにそれぞれの設備を調べていこう」
調査団は瓦礫で歩きづらい地面にあくせくしながら、その原型すらもはや推し量ることのできないほどに壊された本館、穴開きチーズのように崩壊した寮舎、焼き尽くされてただ焼け跡しか残らない工廠、何一つ残っていない格納庫と、一つ一つ見ていった。
唯一戦争と違う点は、死体が放置されていないことであった。死にかけの艦娘ばかりだと聞いていたが、なんとか全員保護されたらしい。だから腐乱臭やそれに群がるハエに苦慮する必要はなく、本当に"瓦礫"の山を確認するだけであった。
「工廠付近は大きな爆発があったらしいが、本館はほとんど焼け焦げた跡がない。向こうが素手だってのも本当らしいな」
「しかし拳で破壊することが可能な、そんな脆弱な作りではないはずだ」
「拳じゃなくてもいい。艦娘を使えば壊せるだろう」
「艦娘を使う、とは?」
「艦娘を叩きつける、ぶつける、振り回す。やり方は色々あるが、こいつはわざわざ丁寧に壊したんじゃなく、戦いの中で利用したんだ。ごく原初的な、環境を利用した戦い方だな」
艦娘たちに戦わせている現行の海軍運営方針は、彼女らを兵器として使うことで自分たち人間が戦わずに済む、というなんとも卑劣なやり方である。そのことに後ろめたさを感じる者は多くいるが、この戦いの跡を見るとそれはさらに肥大化した。
幸い艦娘には死者はいないらしいが、それは艦娘だから、である。もしひ弱で脆い人間が挑もうなら、ここは瓦礫だけではなく死体の山もできあがっていたに違いない。
そんなことを考えながら、調査団は食堂があった場所はと向かう。
「な、なんだァ!?」
「この血は……」
そこにあったのは、地面に突き刺されたような鉄骨と、そのそばに残っている巨大な血の跡であった。
「まるで血の池……!」
「直径は5m強ってところか。馬鹿でかい四足歩行生物でも殺せば、これくらいの血が出るかもな」
「艦娘のものか?」
「いや、そんな外傷を受けた者はいない」
「そもそも艦娘の出血量ではない」
「ならば一体これはなんの……」
「…………敵の深海棲艦」
「そんな深傷を負っているのか?それとも、この血がただのすり傷程度の出血であるほどの、巨大な深海棲艦なのか?」
「いや、敵はごく一般的な成人男性ほどの体格で、ほとんど無傷であったそうだ」
[同時刻]
〈南西諸島統括鎮守府傘下種子島鎮守府〉
種子島鎮守府は、鎮守府と呼べるほどの規模ではなく、あくまで前哨基地の域をでないものであった。兵力も資源も設備も乏しく、左遷先としては格好の的である。
そんな鎮守府に頼らなければならなかった海軍本部は、その鎮守府の提督に拒まれた場合の対処法を何一つ持っていなかったが、種子島鎮守府提督は日本海軍の一大事と快く引き受けた。そう、負傷した南西諸島統括鎮守府の艦娘の治療である。
『では、追加の資源に関しては出来る限り早くそちらに輸送しよう。その他設備に関する要望はあるか?』
「艦娘たちを休ませる寮舎が足りないので、仮施設でよいので寮舎を用意していただけると幸いです」
『了解した。プレハブでいいのなら、3日でそちらに設置できるはずだ。それまではなんとかもたせてくれ』
「十分です。ありがとうございます」
ガチャリ…………
受話器を置き、提督はすぐさま執務室を出た。
「神威」
「提督っ!Jervisさんが……」
「分かった。お前は他の艦娘たちが大丈夫か見てきてくれ」
「はい!」
神威の顔には明らかに疲労が伺えた。しかしこの人手不足の中で一人分の人員が失われるのは痛い。明日には必ず休ませようと心に決め、提督は汗を拭きながら部屋の扉を開けた。小さな寮舎の、随分使われなかった部屋である。
「Jervis」
「………」ガタガタガタガタ
部屋の隅っこ、頭を抱えて震えている金髪の少女。視点はどこにも定まらず、できるだけ体を小さく、まるで部屋の角に消えていくように蹲っている。そばにある布団は乱れ、食事は床に派手にぶちまけられている。鼻につく変な匂いが充満している。シーツを見ると、黄色いシミができていた。
「Jervis、私だ」
「………」ガタガタガタガタ
ゆっくりと近づく、こちらの呼びかけには全く応答しないし、怯えているように見えてその実こちらが何をしても特に拒絶することはない。
「よし、Jervis」
「………」ガタガタガタガタ
そっとそばにしゃがみ込み、よく観察する。
傷んだ髪の毛、酷い目の隈、痩せこけた体軀、何日も洗っていない顔、そして不快な匂い。
「よしJervis、まずはお風呂に入りに行こうな。私が運んでやるからな」
「………」ガタガタガタガタ
軽すぎる体をそっと持ち上げて、子供だっこするように丁寧に優しく運んでやる。風呂にたどり着くまで決して大きな声を出したり、物音を立ててはいけない。今の彼女にとって、彼女の発狂のトリガーは多くある。
風呂の扉を足で開けて、せわしなく働いている龍鳳に話しかける。
「龍鳳」
「あっ、提督」
「こいつを頼めるか」
「え、あ、はい。じゃあまずは……」
「Jervis、一回下ろすぞ」
応答しない。龍鳳は何をするにもまず先にJervisをそっと抱きしめ、身体の緊張をほぐしてやった。
「Jervisちゃん、まずは服を脱ぎましょうね」
「私は神威たちのところに行ってくる」
「はい。ありがとうございます」
再び寮舎に戻る。するとちょうど小走りで飛び出してきた龍驤と出会った。
「龍驤」
「あっ、提督」
「NelsonとIowaはどうだ?」
「Nelsonはまだ一人じゃトイレも食事もできへんからな。まず安心させてやるところからやらなあかんけど大人しいからまあええほうや。問題はIowaや」
「ああ……彼女か」
「何が気に入らんのかわからんけど起きたらすぐ暴れよるからな。飯もまとも食わんから段々大人しくなってくれとるが、餓死でもされたらたまらんからなぁ」
「すまん、辛い役割ばかりさせて」
「かまへんかまへん。うちが自分から引き受けたことや。それに、どの子も休ませんとあかんからな」
「………お前も少しは休め。目のくまが酷いぞ」
「そっちこそ、最後に髭剃ったのはいつや?」
龍驤は間宮から食事をもらいに食堂に向かった。それを見送ると提督は寮舎の二階に上がる。
「Johnston」
「提督さん…………………」
「飯は食べた………か…………」
「……はい、美味しかったです」
「………よし、着替えをしよう。いいな?」
「……はい」
Johnstonの服の前には、白とも黄色ともオレンジとも形容できない色の汚れがついていた。口元から裾に伸びるように。
執務室にあった古ぼけた、しかし不潔ではないジャージを渡す。下着を見せることも厭わずにJohnstonはその場で着替え始めた。少し目を逸らす。
「Johnston、無理に全部食べようとしなくていい。食べるだけ食べてくれ。ゆっくり、よく噛んでな」
「ありがとうございます……でも、食べてもすぐに吐いてしまって……でも食べなきゃ……」
「………今度は、私と一緒に食べような。一人で食べてもつまらないだろう?」
「……はい、ありがとうございます。それより……」
「ん?」
「Nelsonさんは……大丈夫ですか?」
「………ああ。問題ないよ。じきに会わせてやるから、まだもう少し待っててな
「そうですか………」
JohnstonはNelsonの安否を、会話する度に毎回確認してくる。何があったのか分からないが、今彼女を会わせることはなんとなく避けなければならない気がした。
これまで説明したのは、ここに運ばれてきた艦娘たちのほんの一部である。鎮守府を失い、提督を失い、精神的にあまりにも摩耗し過ぎた艦娘たちを、この鎮守府の面子でケアするのは大変な難題である。しかし放っておけば勝手に死にかねないので、なるべく慎重に、そして傷付けぬように世話してやる必要がある。
最初は、今までろくな投資もしてこなかった鎮守府の何の用だと訝しんでいたが、壊し尽くされた艦娘たちを見てそんな些末な考えは消しとんだ。提督も人を助ける軍人を志しただけはあり、明らかに死にかけている艦娘たちを拒絶することなどできず、すぐさま行動に移した。それほど多くもない高速修復材をやり繰りして使い、入渠も急ピッチで進め、昼夜問わずに尽力し続けている。設備さえ整えば、人員が足りずとも少しくらいゆとりができるだろう。
「(しかし……心身共に壊されてしまうとは、あの鎮守府で一体何があったんだ?大本営からは艦娘の修理のみ頼まれたが、深海棲艦たちはどうなっているんだ?)」
疲労と不安を抱えながら、提督はまた別の艦娘の様子を見に、寮舎の階段を降りていった。
投稿遅れました。約2ヶ月ほど空いてしまい申し訳ありません。
ちょっとドタバタした期間があったとか、そういうわけではなく単にズルズルと引き伸ばしていました許してくださいなんでも(以下略
艦娘たちが壊れていく様子とか、この作品以降少しずつ増えていきます。キャラ崩壊や、描写が苦手だなという方はご注意下さい。
その内次回作も投稿します。いよいよ主人公があの鎮守府に戻る予定です。乞うご期待。
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