提督「死にたがりの化け物」 後半
*このssは、"提督「死にたがりの化け物」 前半"の続編です。読んでない方は是非前作を読んでから楽しんでください*
[黒崎訪問から3日後]
〈食堂〉
夜中だというのに、艦娘たちは食堂に集結していた。
その顔は、まるで、これから戦場に行くかのような、或いは、戦場に行った家族が帰ってこない者のような表情であり、クマができ、どこか痩せこけていた。
全員が集合したことを確認した長門は、瞑目したいた双眸を開き、重々しく口を開く。
「提督がいなくなって……3日経った」
「「「「………」」」」
「鎮守府内、泊地内、周辺海域まで、全て捜索したが、やはり、どこにも見当たらなかった。執務室には『あとは頼む』と書かれた辞表が置かれていたが、特にこれといって私物が消えているわけではない」
3日前。
秘書艦である鹿島が、いつものように提督が起きるよりも先に業務を進めようと執務室に入ったところ、辞表を発見した。
鹿島はすぐさま長門に報告。長門は緊急の集会を開き、全艦娘を三班にわけ、泊地、鎮守府、周辺海域をそれぞれ調べさせた。
最初、長門は深海棲艦が再び提督の誘拐を図ったのだろうと、周辺海域の調査を重点におき、三日間の捜索作戦を決行した。しかし、何も破壊されていないこと、執務室で争った形跡がないことなどから、その可能性は消え始め、時間を追うごとに艦娘たちは焦燥に駆られていった。
また、筆跡から、辞表に書かれた文字は提督のもので間違いないらしい。
「長門……なにか、手がかりはないの?私たちは艦載機で空から捜索したけど、全くなにも見つからなかったわ」
「泊地、周辺海域に関しても、提督及び深海棲艦は目撃されていない」
「そう………」
加賀は疲れているのか、消え入りそうな声であった。長門も、屈強な心身を持ってはいるが、やはりその声は弱々しい。
「…………あいつだよ」
それまで黙っていたが、痺れを切らしたかのように声をあげたのは時雨だ。
「黒崎……あいつが提督を連れ去ったんだ」
「時雨、黒崎殿は提督の親友であり、大本営から来られたお客様だぞ?たしかに提督が失踪した同じ日にお帰りになったが、提督を攫う理由にはならないし、そもそも動機もないはずだ」
「でもッ、それしかないじゃないか!こんなに形跡が残らないなんておかしいし、そもそも、大本営の奴がこんなところに来るのがまず変だよ!」
時雨の発言は全く当然の意見だった。他の艦娘も、時雨と同じ予想をしていた。だが、大本営に連行されるということは、現在の提督であれば、死を意味する。
「時雨、ちょっと落ち着いて……ね?」
「……………ごめん、取り乱した」
「長門さん、時雨の言う通り、大本営に攫われたって言うのは、今最も可能性の高い予測よ。むやみに周辺を探すより、一度大本営にコンタクトを取るべきではないかしら」
加賀の意見に、皆同意する。それを見て、長門も、一瞬ためらったあと、うなづく。
「鹿島、大本営に連絡を入れてくれ。加賀、天龍、球磨は、各捜索部隊に撤退命令を!その他は各自艤装を装着して自室に待機しろ!」
「「「「了解!!」」」」
〈執務室〉
プルルルル、プルルルル……
しばらくコールが続いたあと、『はい』と、非常に落ち着いた女性の声があった。
「こちら大本営直轄鎮守府。私は大淀と申します」
「こちら○△鎮守府の鹿島です」
「…………どういったご用件でしょう?」
鎮守府の名前を言った途端、相手の声にわずかな戸惑いがうかがえた。
まだ2カ月前のことだ。大本営が警戒するのも無理はない。
「そちらに、提督……宮本提督はいらっしゃいますか?」
「宮本提督?○△鎮守府の提督ですね。………なぜそのようなことを?」
「3日前から、提督の行方が分からず、もしかしたらそちらに行かれたのかと……」
「………少々お待ちください」
電話の遠くで、大淀が上司である男に話しかけている声が聞こえる。内容までは入ってこないが、その声には明らかに不快感があった。
鹿島は待った。本来なら、電話などまどろっこしい手段は使わず、全艦娘総動員で大本営に乗り込んでしまえと、そう思っていた。
それほどまでに、提督の不在は、彼女たちにとっての大きな事件であった。
「………申し訳ございません。この三日間に、宮本提督のご訪問は確認されておりません。また、一週間後までの、宮本提督の訪問予定もありません。元帥閣下からの呼び出しも無いようです」
「そう………ですか」
鹿島は項垂れ、しばらく考え込んでいたが、「ありがとうございます。お手数おかけしました」と伝えて、早々に電話を切った。
長門にこのことを伝えると、長門はすぐさま館内放送を入れた。
『みんな!先程、大本営との連絡により、新たな情報が入った!』
「「「「!!」」」」
突然の長門の放送に、皆耳を傾ける。
『大本営側からは、提督は大本営には行っていないそうだ!出張の予定も呼び出しもないらしい!』
賭けていた最も高い可能性を失い、艦娘たちは振り出しに戻ったことにひどく落胆する。
『………提督がいない今、私たちだけでこの鎮守府を運営しなければならない。大本営からはなんらかの連絡が再び入るだろうが、今、私たちは自営することが最も重要だ!哨戒組と遠征組は、普段通りに任務を遂行してくれ!出撃に関しては、提督が不在の間は中止とする!』
そしてここから艦娘たちの、暗く、狂った日々が続いた。
〈大本営直轄鎮守府 地下26階〉
ここに連れられて、もう3日になる。
部屋の壁の、古びて薄汚れたアナログ時計を見て、私は思う。
今頃、彼女たちはどうしているのだろうか。彼女たちのことだ、きっと血眼になって海やら泊地内やらを探すのだろう。あんな辞表を書いておいて今更だが、『出張に行きます』程度の文の方が良かったのでは、と最近不安に思い始めた。
いや、これで良かったのだ。2カ月間、彼女たちは私への贖罪として私を支え、助けてくれたが、やはり一番いいのは、問題の発端である私がいなくなることだ。
きっと彼女たちも、時間が経てばわかってくれる。今は狂っていても、狂気の元がいなくなれば、彼女たちは正気に戻る。
その時、部屋の重厚な鉄の扉が開く重々しく開かれる。
ゆっくりと、鈍い金属音を響かせて。
「いやいや……やっぱりこの扉は重くて困る。いくらなんでも、人一人が動かすには頑丈すぎるつくりだ」
そんなことをぼやきながら入ってきたのは、真新しい白衣を見にまとった黒崎だ。
「どう?この部屋での生活は。うんざりするだろう?」
「地下25階にこんな独房があるなんて、うんざりというか、ただ驚懼するばかりだよ」
「元々、深海棲艦の拷問用に作られた部屋だ。電気こそ通ってるけど、水道も空調も窓もない。まさに牢だね」
天井の中央にかけられたちっぽけな電球は、コンクリートでできた部屋を照らすにはあまりにも小さく、部屋の隅には光が届いていない。風通しも悪く、部屋全体がかなり不衛生である。
「大丈夫。超超防弾性のガラス張りの部屋をひとつ建設中だ。まあ、実験の効率化を図るために、それは海底に沈めて、そこに君を隔離するわけだけどね」
「………なんでもいい。俺の実験は、どうせ極秘に行われるんだろう?」
「安全面とか道徳的なことを鑑みるとね、流石に公にはできないよ」
この部屋にいるよりはマシだ。ここはあまりにも退屈で、汚くて、実験される側が言うのもなんだが、ちょっと扱いが酷すぎる。
「で、本題だ」
黒崎は手を合わせて、先ほどの楽しそうな笑顔を崩すことなく、話を続ける。
「ここまで連れてきてなんだけど、君の居場所、つまりここが君のところの艦娘にバレたら、彼女たちは間違いなく大本営を攻撃するだろう。我々としては、それを避けたい」
「共鳴騒動のときのような連合艦隊も今はないしな………。バレないように細心の注意を払う必要があるな」
「うん。だから、海の上で君を水爆で吹き飛ばしたり、爆撃で君を殺すことはできない。まさにそう、細々とした実験しかできないんだよ」
黒崎は本当に残念そうに言った。
こいつは昔からこうだ。優しさは十分に持っているが、それを上回る知的探究心が行動、言動を決定するため、こいつの発言には全く道徳への配慮がない。
しかしそこが、私がこいつを嫌う理由であり、こいつと親友になれた理由であるのだろう。
「ということで、今日から実験を始めるんだけど、まずは血液採取からね」
「本当に大したことないな………」
「まあまあ、これをきっかけに君の弱点がわかるかもよ?」
「はいはい………」
こうして、私のやけに明るい狂った生活が始まった。
〈鎮守府〉
吹雪は疲弊していた。
提督失踪から早いもので二週間。出撃はなく、遠征と哨戒のみ繰り返す今の生活は、命の危機にさらされることはないものの、あまりにも空っぽの日々であった。
駆逐艦の統率者として、長門に任されたが、正直、私も含め、徐々に精神の疲れ、心の虚無感が見受けられた。
「曙ちゃん………大丈夫?今日の遠征の時から、ちょっと具合悪そうだけど………」
「………問題ないわ。まあ、私みたいな奴、たとえ死んだっていいのだけれど…」
「ど、どうしたの!?そんなこと言うなんて……曙ちゃんらしくないよ?」
「私らしいね………。そう、私は提督に、クズとかバカとか言って、殴ったり蹴ったりした、最低な奴………」
「あ、曙ちゃん?」
「そうよ………私が悪いのよ………あの時もあの時もあの時もあの時も、全部全部全部全部、私がこんな最低な奴だから……」
「(…………布団にくるまってしまった。あんなに気の強い曙ちゃんが、こんなになるなんて……)」
「島風ちゃん!?どうしたの、それ……」
「うん?島風は速いから、提督を一番に見つけるの!だから、私一昨日からずっと走って探しているの!今から泊地をもう一回見てくるの!」
「(目の充血が酷い………足の膝も痙攣を起こして、全体的に窶れてる………)ねえ、一回休もう?このままじゃ島風ちゃん……」
「だめだよ!提督を早く探さないと、急いで見つけないと……」ブツブツ
「(ふらつきながら、ブツブツ何か言って行ってしまった。戻ってきたら無理矢理にでも休ませよう)」
「あ、響ちゃん……」
「やあ、吹雪」
「その………えっと、暁ちゃんたちは……?」
「…………暁は起きては泣いて、そして泣き疲れて寝るを繰り返してる。最近はなにも食べてなくて、すっかり弱ってしまった」
「………あ、えっと………」
「雷は、過度な遠征を断行したことで、昨日過労で倒れたよ。損傷はないから、ただ寝かせるしかなくて………今もまだ眠ったままだ」
「…………ッ」
「電は………いつも通りだ。いや、提督がいるいつも通りを一人で演じている。幻覚を見ているんだと思う。電は体調に関しては問題ないんだけど、たまに情緒不安定になって……」
「………響ちゃんは、大丈夫?」
「………食欲はあるんだけど、一昨日から食べたものを全て吐いてしまうんだ。困ったよね」
ハハハ
「(このままだと四人とも壊れてしまう………)今日は四人は、私と一緒に食事を取ろう?とにかく、なにか食べないと」
「………そうだね」
「時雨ちゃんと夕立ちゃんは……どうしてドッグに?」
「ああ、さっきまで演習していたんだよ。夕立と一対一でね」
「どうして………?」
「勿論、黒崎をやっつけるためっぽい!」
「あいつが元凶で間違いないはずなんだ………!!次会ったら確実に始末できるように………ね?」
「(………これは私じゃ手に負えない。長門さんに止めてもらおう)………そう」
皆、真っ黒な瞳をしていた。
提督がいない世界に、彼女たちは色を、生を、正気を見出せないのだ。
「私………ちょっと疲れちゃった………。ねえ、どこなんですか?提督………」
それは、吹雪も例外ではなかった。
神通も疲弊していた。
改造によって手に入れた刀(兵装なので、本来の刀とは形状、効果が少し異なるが)を腰にさして、鎮守府の廊下を足早に進む。
「(とりあえず食堂に来ましたが………)ん?球磨………さん?」
「うん?ああ、神通………」
「お一人でどうされました?他の方々は……」
「わからないクマ。他の艦娘の様子も気になったから来たんだけど………無駄足だったみたい」
「………つかぬ事をお聞きしますが、姉妹の方々は……?」
「………多摩は遠征と哨戒を繰り返すだけで、あとはなにもしなくなったクマ。椅子に座って、提督にもらった腕時計を眺めて、時間になったら海に出る………そんな感じ」
「(川内と同じ感じ………。でも川内は、夜になると泣き出すから困るけど……)そうですか………」
「木曾は……あれはオーバーワーククマ」
「オーバーワーク?」
「遠征と哨戒、その上日課の自主練を何倍にも増やして………。多分、考えたくないから、体を動かして気を紛らわしているんだクマ」
「(これは………私か………。でも、体を動かしていても決して無心にはなれない……)」
「そっちは?」
「え?ああ、はい」
「…………あまり良くなさそうクマ」
「川内は、多摩さんと同じ感じです。那珂は………鼻歌を歌ってばかりで、部屋に引きこもっています。すっかり痩せてしまって、あのままでは………」
「無理矢理にでも食わせろクマ。でないと後で大変になる」
「………はい」
「それから、お前もちゃんと休めクマ。他人を気にするあまり、神通もかなり痩せたクマ」
「……善処します」
真っ黒な瞳には、もはや生きているといえるような気力はない。ただ、死んでいないだけであった。
「(提督………一体いつ戻ってくるのですか?でないと私………)もう………だめ……」
神通は、刀を重いと感じていた。
青葉は、もうずっと、新聞を出していなかった。
「(なにを書いても意味なんてない………。提督一人探すくらい、新聞のネタを探すのと同じくらいだと思ってた……。みんなも日に日に狂っていく……)はあ……とりあえず提督の行方の手がかりでも探しに行きますか……」
青葉は鎮守府を歩き回る。普段なら誰かしらと会うものだが、はたして人の気配は全くない。皆自室にこもってしまっているのだろうか。
青葉自身、部屋に引きこもりがちになっていたが、自分が正気を失いかけていることに気づき、気分転換も兼ねて、鎮守府を散策しているのだ。
すると、同じことを考えている人にも会う。
「あ、高雄さん、愛宕さん」
「あら、こんにちは、青葉さん」
「こんにちは」
「お二人は、ここでなにもしていらっしゃるので?」
「……………ちょっと、気分転換に……ね」
「……そうですか。まあ、その気持ちはよくわかります」
「提督がいなくなって一週間……。不思議ね。出張で一週間いないならここまで苦しくないのに、行方不明というだけでここまで心苦しいなんて……」
「愛宕…………」
「……きっと戻って来てくれますよ。青葉は信じています」
「………そう………ね」
高雄はしっかり者だ。いつも凛々しく、それでいて頼りになる艦娘だ。愛宕もまた、持ち前の明るさと和やかさで親しまれている。
しかし、今の彼女たちにその余裕は見られない。疲れきった顔をしている。
「青葉さんは、新聞のネタ探し?」
「いえ………ただの気晴らしです」
「そう……私たちと一緒ね」
「それに……今みんなが欲しい情報は、私は持っていませんから……」
「提督……一体どこへ………」
ここでふと、青葉は疑問に思う。
「(あれ………?私たち、なにか見落としている気が………)」
「でも、"どうして"提督が辞表なんて……」
「!!……それだ」
「え?」
「大本営からは、提督は来ていないという連絡がありましたが、そもそも、辞表を出したのを把握していないのはおかしいです」
「………どういうこと?」
「提督が提督をやめるということを、総本山である大本営が知らないのは変です」
「………たしかに」
「しかし辞表の筆跡は本物。どういうことでしょう」
「あら………?たしかにおかしいわ」
「私たちは散々行方不明と思っていましたが、誰のせいでもなく、提督自身が隠れたのではないでしょうか?」
「そう考えるのが自然ね。でもどうして…」
「…………わかりません。なにか手がかりがあればいいんですが……」
なにか近づいた気がする。青葉はそう思った。
鳳翔は居酒屋を一時的に休業とした。
これは、ここによく通う艦娘たちが、提督失踪からやけ酒を起こし、自暴自棄になったことを踏まえてのことであった。無論、今その者たちに酒を勧めても断られるだろうが。
鳳翔もまた、同様だった。酒をどれだけ飲んでも、変わらない現実に酔いが覚めてしまう。いつしか、酒の良し悪しもわからないほどになってしまった。
「(寂しいですね………他の空母勢はどうしているのでしょう………。)少し、見に行って見ましょうか……」
鳳翔は演習場に来た。
「(あれは………赤城さんと加賀さん………?)いつものように弓の練習ですか………。しかし………」
バシュ!!
「(迷いがありますね………)」
「!!鳳翔さん………」
「こんにちは、二人とも」
「ええ………その………えっと……」
「………私も」
「え?」
「私も、少しやってもいいですか?」
「は……はい!もちろんです」
鳳翔は久し振りに持つ弓、久し振りに放つ矢、久し振りに狙う的を懐かしんだ。
もうしばらく、出撃をしていなかった。居酒屋の仕事もあるし、今は他の娘たちが頑張ってくれている。
「…………」グッ
バシュ!! スカ
「……やはり、怠けてはいけませんね………的にすら当たりません」
「………私たちもです。先程から、真っ直ぐに、思い通りに射ることができないのです」
「弓というものは、心、感情に大きく影響します。心が揺らげば、矢も揺らぎ、心が傷つけば、糸も切れる」
「…………はい………」
「………ダメですね、私ったら。もう戦っている身ではないというのに、一丁前にお説教なんて……」
すると、唐突に空から、加賀の艦載機が数機戻ってきた。
「それは………?」
「………提督の捜索のために飛ばしているんです。しかしボーキがなくなれば、こうして戻ってきてしまいます」
「………そう、ですか………」
「今日はもう辞めておきましょう……」
「そういえば、隼鷹さんや、蒼龍さん、飛龍さんは?」
「………隼鷹は酒を飲んでは寝て、また酔うまで飲んでは寝てを繰り返しています。なにも食べないで、飲むだけ飲んで吐くものですから、すっかり痩せていましたよ………」
「…………」
「蒼龍と飛龍は、二人ともまだ大丈夫そうですが……わかりません。最近あまり見かけなくなりました。部屋にいるとは思うのですが……」
「ご、五航戦のお二人は……?」
「翔鶴は危ないですね………日に日に弱々しくなっています。心も体も。笑わなくなってしまったんです。提督の写真を眺めて、静かに、声も出さずに泣いているのです」
「……」
「瑞鶴は、そんな翔鶴を少しでも元気付けようと、気丈に振る舞っていますが……この間、港で一人で泣いているのを見かけました………。誰もいない港で、月を見ながら……」
思えば、赤城も加賀も、少し窶れたなと、鳳翔は思った。いつもの、あの優雅で、猛々しく、凛々しい二人の影はなく、今はただ、最愛を失って疲れ果てた顔をしている。
「(……早く、早く戻ってきてくださいね、提督。でないと………)私たち、壊れてしまいます……」
潜水艦たちは、精神年齢だけでいえば、駆逐艦よりも幼く、脆く、純粋な感情を持つ。
「イク………寂しいの……」
「みんな同じよ………でも、私たちは、今できることをしなくちゃ」
「海の底だって、こんなに寂しい思いをしたことはなかった………」
「………提督………」
潜水艦たちは純粋に、深く、提督を好いていた。今のところ誰一人狂気には至っていない。暗く、深く、不安な海の中がテリトリーな彼女たちにとって、孤独、寂しさに関してだけは、多少の耐性があるからだ。
しかし、彼女たちを悩ませるものが一つあった。"寒さ"だ。
海に入るのは全く問題なかったはずなのに、提督が失踪してから、海に入ると、とにかく寒い。全身に鳥肌が立ち、震えが止まらなくなってしまう。
彼女たちには、この正体は全く分からなかった。しかし、分からないからこそ、この"寒さ"が怖いと感じたのだ。
皆、同じ部屋にいるのは、そのわけのわからないものを少しでも紛らわすためだった。
彼女たちは、とにかく寂しかった。
提督不在の時に、なんらかの深刻な問題、事案が発生した場合、提督と連絡が取れない状況において、艦娘の指揮は長門に委託される。
これは、突然の深海棲艦の襲撃、出撃における提督との音信不通、演習において起こることであり、長門はいわば、提督代理という立場にあった。
これは、彼女の真面目さ、リーダーシップ性、艦娘としての能力あってこそのものだ。
しかし今回は、提督がいないという、提督代理の前提条件そのものが問題になっていた。
「(出撃を中止にしたことで、弾薬、燃料、高速修復剤、ボーキサイトは溜まった。いや、元々提督が蓄えていたものがあるのだが…備えあれば憂いなしか。)ふぅ………」
「お疲れ様」コトッ
「む……紅茶か、頂こう」
「備蓄に関しては問題ないわね」
「ああ。出撃もしばらくはないだろうから、これだけあれば十分だ」
「………しばらく、ね……」
何気なく言ったことだが、それが失言であったことに長門は気づく。
「す、すまない……提督はきっと………」
「わかってる。みんな信じてるわ」
全艦娘の統率を任されている長門(代理ではあるが)、その補佐をする陸奥は、両名疲れ果てていた。
提督不在の状況は、稀なことではあるが、慣れていた。提督が今の提督になる前までは、文字通り自営し、自衛していたのだから。
しかし今回の場合は違う。なにせ失踪だ。
「(資源に関しては問題ないが………やはり精神的なものがあるな………)」
その時、部屋の扉を開けて鹿島が入ってきた。
「お疲れ様です、長門さん」
「鹿島か………ご苦労。……………で、どうだった?」
長門の問いに、鹿島は表情を曇らせる。
「………駆逐艦の子達はと潜水艦の子達は危ないですね……やはり、提督不在の状況は、あの子達にとってかなりのストレスになっているみたいで……」
「…………続けろ」
「軽巡も同様ですが、攻撃的な不安定さがあります。過度な鍛錬に励むことで、気を紛らわしているようです」
「………」
「重巡に関しては今のところ大きな問題はありません。しかし、何人かが引きこもりがちになっていて、全員の詳細は掴めていない状態です」
「………そして、我々戦艦か」
「お二人とも、寝なくなって何日めですか?あなた方が倒れたら、ここは本当に…………。しっかり休んでください」
「ああ……わかっている」
「了解よ」
「…………大和、武蔵、伊勢、日向の四人は、特にこれといった異常はありません。しかし、精神的にはかなり参っているはずです。金剛四姉妹の方々は……ある種の幻覚、でしょうか。誰もいないはずの執務室で、4人で、5人として楽しんでいます」
「それは、あとでなんとかしよう。あの4人は特に提督を慕っているからな」
一通り述べられた艦娘の状況に、長門は頭を悩ませる。
それもそのはずだ。なにせ今の彼女たちには、解決策がない。
問題の提督がいないから、打つ手がない。
信じて待つという行為も、はたして良いことなのか、わからくなっていた。
「長門さん………」
「…なんだ?」
「やはり、黒崎さんに事情を聞いてみては?」
「うむ………しかし、この不安定な状況で黒崎殿とコンタクトを取るのは、いささかまずい。もし仮に、提督不在が大本営に露呈されて仕舞えば、ここが危ない」
「しかしっ、このまま待っていても無駄です!なるべく可能性の高い方にかけるべきです!」
鹿島の言う通りだった。長門も全く同じことを考えているのだから。
今最も提督失踪に近しい存在は、黒崎殿だと誰もが思っている。いや、関わっていなくとも、何かしらの対策を講じてくれるだろう。
しかし彼はあくまでも大本営の人間。提督を敵視し、警戒している連中の一人だ。
そしてその部下であるここの艦娘たち……今までは提督の戦力を恐れて直接的な接触をしなかった大本営だが、提督不在の今なら、何かしら仕掛けてくるはずだ。
だが………このままが良いわけない。
今はまだ大きな事件はないが、私たちのことだ。いつかまた、我慢できなくなってしまう。
いや、もう私は限界だ。
提督が、あの方が恋しい。あの方に会いたい。
「わかった………。しかし、黒崎殿を嫌うものは、ここでは多いぞ。正直、私も苦手だ」
「ここではみんなそうです。でも、今は彼に頼るしかありません」
「………黒崎殿に連絡を」
「はいっ」
〈大本営周辺海域 水深200m〉
水面からの光がほとんど届かないこの海底に、明るく光る立方体が一つ。
その箱の中に、二人の男がいた。
「だーーっ!どうして君はそんなに頑丈なんだ!もう何本めだと思ってる!?」
「俺は金剛の全砲門一斉砲撃を耐えた化け物だぞ?そんな注射器で通ると思うか?」
「なんで血液採取だけでこんなに手間がかかるんだ!!どうして皮膚が注射器の針の先を折れるんだ!」
「医学の敗北だな」
「負けないからな!絶対に!」
一人は白衣。もう一人は下は軍服上はタンクトップ。
「念のために用意したドリルも、逆に刃が削られ、ノコギリも欠けた。口腔内ならと思ったら注射器の針が曲げられる始末。君は本当に化け物だなあ!」
「俺を殺してくれるんだろう?頑張ってくれよ、黒崎先生♪」
海の底で、なんとも緊張感のない二人である。
一人は明らかに楽しんでいた。
といっても、私だが。
親友とは、まさにこれが理想像なのだろう。楽しく、それでいて真面目に、明るく、それでいて徹底的に、共に取り組める。
考えてみれば、士官学校時代から、何気にこいつに助けられてばかりだ。本人がそれを進んでやろうとするのには、いささか疑問に思うが、しかしそれでも、私はいい友を持ったと思う。
「………僕は一度オフィスに戻るよ。新しい注射器と、今度はボウガンも持ってこよう」
「血液採取だけで一週間も実験が停滞しているわけだからな。大変だろうな」
「よくもまあ人ごとみたいに………。まあいいさ。とにかく、何かあったらその内線から僕に連絡。それと、間違ってもガラスを壊さないでくれよ」
「了解」
壊れた道具を鞄に乱雑に詰め込んで、黒崎は出ていった。
ふぅ。
なんというか、予想外すぎて笑えてくる。
てっきり、身体中をバラバラに切り刻まれて、解析されて、刺されて、潰されて、捻られて、とにかく、化け物としての生態を調べられるものだとばかり思っていたが、まさか初っ端からつまづいているとは。
どうやらは私の悲願は、まだ叶いそうもない。
そういえば、彼女たちはどうしているだろうか。
もう一週間か?私は何だかんだ、黒崎とちゃんちゃらおかしく実験をしているから、この狭い空間が億劫なだけで、特に寂しいとか、孤独が辛いとかはないんだが………。
「なんせ彼女たち、病んでいるからなぁ……私のせいではあるが」
元々、彼女たちを正気から狂気へ叩き落とし、もはや治しようもない病みに染めてしまったのは、まぎれもない私だ。
共鳴騒動……あれが決め手だった。
「せめて、一度しっかりと、詫びておくべきだったか……」
暗い海の中をガラス越しに見ながら、ガラスに映る自分に向かって呟いた。
真っ赤な目をした、この化け物に。
〈大本営直轄鎮守府 黒崎の部屋〉
黒崎は狂人と呼ばれている。
本人は「僕は正義にも悪にも徹しないだけ」といっているが、それ故の彼の思考、行動理由、言動、人間性は、普通のそれと比べ、常識のそれと比べて大きく逸脱していた。
軍医として、医者としての才能はおそらくアジア1だろう。戦線への艦娘投入後も、黒崎は数多くの命を救ってきた。たとえ両腕両足が吹き飛ばされた状態でも、顔の半分がない状態でも、腹に大穴が開いた状態でも、命さえあれば救ってみせた。
まさに救世主だ。
しかし、誰も黒崎を称えない。黒崎の輝かしい栄光をかき消すほどの、人間性の破綻に皆気づいているのだ。
『死体はゴミだよ。役に立たないものをゴミと定義する場合においては、死体は、誰のものであったとしてもゴミだ。だから僕は、弔ったことはない』
『本当は深海棲艦を捕獲してきて欲しいんだよねー。解剖したくてたまらないんだ』
『艦娘って高速修復剤があればすぐに治るんだね。ねえ、ちょっと解剖していいかな?使い物にならなくなっちゃうかもしれないけど、実験台にしてもいいかな?』
黒崎の医学における才能のすべての原動力は、とてもまともとは思えない実験願望、解剖による知的探究心にあった。
それは全くの悪意のない、ただ、『知りたいから調べる』ということだった。無知を取り除くためなら、黒崎は人の命も、国の命運も、等しく価値のないものだと思っていた。
そんな黒崎にとって、人命を助けるということは、単なる実験の成功、知識の証明でしかなかった。
だからこそ、黒崎は救命に本気になるのだ。
だからこそ、彼は狂人なのだ。
「(宮本くんの過去記録…………。生殖細胞以外のすべての細胞の核が深海棲艦のそれに変化……異常な速度の細胞分裂により傷の修復が早く、人間の平均値を遥かに超える身体能力と防御力………)助けるならまだしも、殺せっていうのは難しいなぁ」
黒崎は宮本提督の過去の、共鳴騒動直前の個体データを見ながら、深く椅子に腰掛け、のんびりコーヒーを飲んでいた。
「彼があの状態になり始めたのは1年前………そして、共鳴を起こしてから2ヶ月経った。正直、前例どころか、人間にも深海棲艦にもない能力だから、お手上げだよー」
黒崎の知識は、著名な医学書とは比べ物にならないほどのレベルだが、こうも未知のブラックボックスが大きいと、流石になにもわからないらしい。
「もはや血液の採取も不可………。仕方ない、こうなったら眼球に直接………」
そんなことを考えていると、
ジリリリリリリ ジリリリリリリ
「(電話か………しかし、僕に一体誰が何のようで………?)はーい、もしもーし」
「……もしもし」
「ん?えーっと、その声には聞き覚えがあるなぁ………えー、と?」
「鹿島です。○△鎮守府で、宮本提督の秘書艦をしています」
「ん!そうそうあの秘書艦ちゃんだ。どうしたんだい?僕に電話をしてくるなんて」
「………一週間ほど前、提督がいなくなりました」
「(とうとう仕掛けてきたか………)……んん?どういうことだい?」
「執務室の机に辞表が置いてありました。泊地内、鎮守府内、周辺海域すべてくまなく探しましたが、未だ行方がわからないのです」
「そりゃ解せないな。親友であり、悪友であり、戦友である僕にも、彼が提督業を下りるなんめ聞かされていないんだから」
「………一つ、よろしいですか?」
「……いいよ」
「………提督は、どこですか?」
鹿島の声を聞く機会はあまりなかったが、柔らかい、実に女らしい声をしていた。
しかし、今はどうだ。甘い声の中に、明らかな殺意と憤りが感じられた。
「(こりゃまた大層な………やっぱり怖いねぇ)知らないよ。実家の住所なら知ってるけど、宮本くんがどこのいるかなんて………」
「……率直に言って、私たちはあなたを疑っています。あなたが、提督失踪になんらかの関わりがあるのでは、と」
「残念だけど全くないな。………なるほど、このあいだの訪問の時期と重なるし、僕を怪しむのは当然か」
「………もう一度だけ問います。提督は今、どこにいますか?」
このまましらを切ってもいいが、それではらちがあかない。
黒崎は話題を変えてみた。
「………もし」
「え?」
「もし、私が関わっていたとして、失踪をどうみる?」
「どうみるって…………」
「連行か、同行か、誘拐か、拉致か、捕獲か、収容か、散歩か、どう思う?」
「………」
「辞表は、彼の字だったのかい?」
「………はい」
「じゃあ、もうわかるだろ?」
「…………」ギリッ
「彼はきっと、自分から________」
「失礼しますっ」
ガチン!
「………切られてしまった」
〈鎮守府 執務室〉
鹿島は結局意味がないことを理解し、その悔しさともどかしさのせいか、乱暴に電話を切った。
「どうだった、鹿島」
「………黒崎さんは、なにも関わりがないようです」
「………そうか………」
頼りたくもない男に頼ってみても、結局たどり着けないという現実に、長門、陸奥、青葉はうなだれた。
「私も、やはり黒崎さんが怪しいと思ったのですが………。大本営はやはり関知していないのでしょうか?」
「それはわからんが……だが、本当に偶然ということもあり得る」
「また振り出しね………」
〈大本営直轄鎮守府 黒崎のオフィス〉
危ないところだったと、黒崎は額に滲んだ冷や汗を拭った。
「(勘付かれるとは思ってたけど………うまく言いくるめられて良かった………。もし彼女たちがここに乗り込んでくるようなことがあれば、それこそあの鎮守府は解体だろうし、そうなれば宮本くんは黙ってないだろう。)………それにしても、やっぱりおっかないなあ、あの鎮守府の艦娘は」
そんな一人言を呟きながら、黒崎は考えていた。
提督不在、失踪の状況を知った以上、監察官として一度はあっちに行かないとまずい。親友でもある僕が、鎮守府に向かわないとなれば、宮本くん失踪を問題視していないことになる。つまり、より一層、疑念が強まることになる。
それに、単純に艦娘たちの精神状態も気になる。彼女たちは共鳴によって一度精神をズタズタに掻き回されている。いや……それに関しては自業自得としか言えないが、とにかく、血迷う輩が出てからでは困る。
しかし、このタイミングで彼女たちに接触するのはまずいか………?宮本くんの実験は元帥閣下と長官五人にしか知られていない。もしここで僕が離れることで、なんらかのボロが出れば………。
うーん、いやでも、だが、けれども、しかし、いやいや、だからといって、
黒崎は、頭を抱えて、部屋をぐるぐると回りながら、ざっと2時間ほど考えていたが、ようやく、あまり個人的にはやりたくない選択を下す。
「よし、とりあえず行こう」
[提督失踪から10日後]
〈鎮守府 食堂〉
「やあやあ諸君!なぁにをそんな死にそうな顔をしているんだい?」
久しぶりの、全艦娘を招集しての会議。
議題もなく、気力もなく、笑顔もなく。
しかし集められた彼女たち。
そして、
「宮本くんが失踪したと聞いて、なんとか時間を見つけてやってきた僕へのおもてなしどころか、いつもの愛想笑いまでないなんて、そこまで追い込まれているのかい?」
狂人、黒崎 閻。
「………一体なんのご用件でしょうか、黒崎さん。我々全員を集めて、いつものご訪問と違うようですが?」
開口一番、全く不機嫌な態度で、親の仇のように睨みつけながら質問したのは、冷静沈着、眉目秀麗で知られる(これは作者の個人的な感性)、一航戦、加賀。
「正直よお、こっちはそれどころじゃねえんだよ。てめぇに構ってる場合じゃあねぇ」
大本営の人間、つまりは自分たちの上司である黒崎に対し、荒っぽい口調を直そうともせず、明らかな敵意を見せてきたのは、頼れる水雷戦隊の旗艦(作者は結構推してます)、軽巡、天龍。
「貴様のような奴、提督がご不在である今、ここに入れる理由もないはずなのだ。それなのに、いつもいつもへらへらと………」
こちらも、敬意のかけらも見当たらない発言をする、しっかりもので、男でも惚れてしまうくらいの威勢を持つ(作者はこんな姉が欲しかった)、重巡、那智。
「こんな会議するくらいなら、提督とtea timeを楽しみたいネー」
光を反射することない、ドス黒い瞳で呟いたのは、未だ妄想を抜け出せないのか、ここではないどこかを見つめる(金剛四姉妹のヤンデレ、作者の好物です)、金剛型戦艦一番艦、金剛。
「お前たち、まずは落ち着け………。それで、ご用件はなんでしょうか?黒崎殿」
全艦娘のリーダーにして、提督代理を担う、(長門好き!抱いて! by作者)長門型戦艦、長門。
「(結構真面目な話なのに……作者は何を考えているんだろう………)」
長門たち以外にも、口には出さないものの、明らかに敵意を孕んだ視線で睨みつけてくる艦娘がほとんどであった。"ほとんど"という表現を使うのは、敵意どころか殺意を剥き出しにしている艦娘もいるからである。
黒崎は内心震え上がったが、表情、態度には出すまいと、なんとか平静を保つ。
「相変わらず嫌われてるなぁ………。いや、これに関しては僕が悪いか。仕方ないよねぇ、今回の件を差し引いても、君たちと宮本くんの関係を語るには、必ず、僕というキーマンが加わってしまう。お互いに望まなかったとしても、ね」
黒崎も、艦娘に対しては少なからずの恨みがある。元々、彼女たちが彼女たちでなかったのなら、宮本提督は化け物にはならなかったのだから。
艦娘はそれ以上に、黒崎を殺したいほど憎んでいた。事の発端は自分たちにあるとしても、愛しき提督を一度は私たちから遠ざけ、殺そうとし、今回もまた、同様の容疑がかけられているのだ。
「「「「「……………」」」」」
「そう怒らないでよ。嫌いなのはお互い様だろ?僕たちは永遠に分かり合えないし、分かち合えない」
「……黒崎殿」
「わかってる。要件だろ?」
「…………」コクリ
黒崎は近くの椅子に腰掛ける。
「まずは監察官としてだ。宮本くん、つまりは提督がいなくなったことで、この鎮守府の機能はほぼ停止状態にあることはわかる。下手な出撃をされたら、こっちとしてもたまったもんじゃないし、もし轟沈なんてしたら、国の大事な大事な戦力を減らすことになる」
「「「「「………」」」」」
「自分たちはそんなことで出撃してないわけじゃないって顔だな。別に理由なんてなんでもいいよ。普通、鎮守府のトップが失踪すれば、待機命令が出されるのが普通だ」
艦娘たちは、皆黙って聞いていた。
本来なら、こんな男、今すぐにでも追い出したい。我らの愛しい提督を殺そうとする、こんな奴は、海に沈めてやりたい。
しかし、それ以上に、今は情報が欲しい。ここに黒崎が来たということは、なんらかの手がかり、或いは助力を持ってきたということだ。こんな男に頼るのは癪だが、仕方がない、と考えているからだ。
「まあまあまあまあ、なかなかどうして。みんな窶れてしまったねー。この間来た時には、血色よし気合よし元気よし態度悪しな、可愛らしくて憎たらしい娘たちだったというのに」
「…………チッ」
「舌打ちなんてひどいなぁ、軽巡の天龍くん。君の気性の荒さは直した方がいいんじゃないか?まあ、どうでもいいんだけどね」
「宮本さん、いいから続きを」
「この中で一番怒っているのは君だね、航空母艦の加賀くん。そんなに急かさなくても話はするさ。でも別に、急ぐ必要なんてないだろ?君たちの提督はまだ見つかってないんだし。ねぇ?」
「………」ギリィッ
黒崎の挑発、ないし真面目に取り合おうとしないこの態度は、初めて会ったときから治ることはなく、小馬鹿にするような、それでいて怒っているような黒崎に、皆、声にはしないものの、ある程度の怒りを覚えた。
「で、次の話なんだけど」
「「「「「…………」」」」」
「これは、宮本くんの親友としてだ」
「「「「「……」」」」」
「彼の失踪の原因は、イマイチわからない。共鳴騒動………と言ってもわからないか。宮本くんと君たちが再びここで共に歩み始めた、2ヶ月前から、彼とは直接的な接触はなく、この間ここに訪問したときが初めてだった。だから、ここ最近の彼の動向、精神面での変化を、親友として、また軍医として、観察、監察官することはできなかった」
「では、失踪に関しては、黒崎殿は関わっていない、と?」
「少し前に、そこの鹿島くんが電話して来た時に、きっぱり言ったつもりなんだけど」
「…………はい」
「いやいや、全く疑うのは自然だ。タイミングが良すぎるもんね。そりゃ、僕を、大本営を疑うに決まってるよねぇ」
「………じゃあ、提督の居場所について、何か心当たりは………?」
「………ちょっとわからない。どこにいてもおかしくないんだけど、少なくとも、海軍とここからは離れたところにいると思うよ。恐らくは一人だと思う。ちなみに、実家には一応連絡は入れてみたけど、帰ってきていないらしい」
「そう………ですか………」
「彼のことだ。何かしらの考えあってのことだと思うが………君たちを放っておいて勝手に消えてるなんて、ちょっと信じられないな。彼は、提督という立場を自分なりに真面目に取り組んできたようだからね」
黒崎は内心胸を撫で下ろした。
真っ先にきた自分への疑念。自分と艦娘との今までのことを鑑みれば、その疑念が晴れることはなく、拷問でも幽閉でもあるものだと思っていた(なお、その時は大本営からの救援が来てくれるよう手配済みであった。)。
しかし彼女たちは、どうやらすぐに諦めてしまったようだ。もう少し粘るものだと思っていたのだが、どうやら杞憂だったらしい、と黒崎は思った。
「………これは大本営へ一応報告しておこう。君たちへの処分………ないし、この鎮守府の解体や、君たちの異動はないように、上と掛け合ってみるよ」
「ありがとうございます」
「君たちにお礼を言われるなんて、随分と久しぶりだ」
「…………」
「黙りこまないでよ。わかってるからさ」
「………」
「僕は君たちを許さないし、君たちは僕を許さない。僕は君たちを憎み続けるし、君たちは一生、僕を恨むだろう」
「……」
「この関係は、もう変えられないと思うよ。君たちが愛する提督は、僕の親友だけれど、友達の友達が友達とは限らないように、君たちとは馴れ合わない」
「…」
「お互いに、罪を背負って生きよう」
前も言ったけどね。
黒崎はその後、鎮守府の資材の備蓄と、周辺海域の深海棲艦の出現情報、艦娘たちの体調を確認し、二、三アドバイスをした後、鎮守府から帰っていった。
鎮守府から大本営までは、片道ちょうど丸一日ある。黒崎はおそらく今晩泊地内の宿で一夜を過ごし、そのあと船に乗って戻るはずだ。
「長門さん」
「鹿島か。うまくやったか?」
「はい。資材確認中に」
「わかった。モニターで黒崎殿の監視を続けてくれ」
「了解しました」
諦めた?とんでもない。
彼女たちが、一度抱いた疑念をそう簡単に捨てるとでも?
否。
彼女たちの反応は全て演技であった。
黒崎の直接的な接触、つまり鎮守府の訪問は予期していた。これは艦娘たちにとって絶好のチャンスである。ここで黒崎から情報を得てしまえばいいのだ。黒崎のことだから、きっとのらりくらり言いくるめて、何も教えない可能性もあるが、その時は、どこかに閉じ込めて拷問でもなんでもすればいいと思っていた。
しかし、そううまくいくだろうか?
まず、黒崎が本当に知らないという可能性。今回の失踪は提督一人によるものだということもあり得るのだ。
次に、黒崎が口を割らない可能性。拷問をすること自体はどうということはない。しかし、情報を聞き出せず、先に黒崎が壊れてしまうと、こちらは完全に詰んでしまうのだ。
また、拷問、尋問により黒崎が大本営を長期的に不在となった場合、これを不審に思った大本営が何かしらの行動に移れば、この鎮守府の解体の可能性もある。
これらを考慮した長門は、黒崎に小型の発信機をつけ、あとあとその位置を突き止めることを提案した。
ここで重要になるのは、疑念が晴れたことを黒崎自身に気づかせることだ。
黒崎のことだ。自分への疑惑がなかなか消えず、自身の身に危険が及ぶ可能性も考えているはず。ならば、黒崎への疑念が晴れたかのように、"諦めて、意気消沈する"というリアクションが必要であった。
意外なことに、黒崎はすっかり騙されて、資材や深海棲艦やらの情報を求めてきたくらいで、さっさと帰ってしまった。明石に作らせた、超小型の発信機がつけられていることも知らずに。
「現在、黒崎さんは太平洋沖を航行中です。13時間後に大本営直轄鎮守府に到着するでしょう。」
「ところで明石、あの発信機はどれほどの性能なんだ?」
「計算では一週間ほど電池は持つはずです。この鎮守府を基準とした座標データをこのモニターに転送し続け、その情報を元にこのモニターに位置が特定できる仕組みになっています。完全に閉鎖された鉄の部屋の中なら位置情報は転送できませんが、それ以外ならいかなる場所からでも位置がわかります」
「この座標データは、どれくらい詳しく送られるんだ?」
「緯度経度、高さですかね。この鎮守府を基準にしているので、そこからの相対値を算出しているわけです」
「なるほど………これならわかるかもな」
艦娘たちの目は本気であった。
提督が、愛する者が見つかるその日を、今か今かと待ち望み、獲物に飢えた獣のごとく神経を張り詰めて生活していた。
果報は寝て待てというが、彼女たちはそれが現れた瞬間、喉元に食らいついて離さんとする勢いであった。
駆逐艦の場合。
「今度提督にあったら、もうわたし達から離れないようにしなくちゃね!」
「そうだね。ただの家出ならまだしも、僕たちを捨ててどこかに行ってしまうなんて……」
「司令官が私たちに頼って、わたし達なしじゃ生きられないくらいにしなくちゃ!」
「了解なのです!」
幼子が物騒な会話をするものである。ほんの少し前まで、部屋にこもり、提督がいないことに絶望し、憔悴していたとは思えないほどの、狂気による変貌を遂げていた。
楽しそうに話す彼女たちの瞳には、正気、光はなかった。
軽巡の場合。
「黒崎が本当に提督の居場所について知っていると思うか?」
「ほかに出掛かりはないし、今はできることをするだけにゃ」
「黒崎ないし大本営も、前々から提督をマークしているはずクマ。調べておいて損はないクマ」
「大丈夫大丈夫。きっと提督は見つかるってー」
「そうですね北上さん。今はとにかく、明石さんの発信機からの情報を待ちましょう」
いつも駆逐艦の世話をしているだけのことはあり、軽巡は別段はしゃぐこともなく、一見、冷静に経過を見守っている。
しかし、彼女たちとてもはや待ちきれない。皆、提督が発見されるのを今か今かと待ちわびていて、北上と大井は落ち着かないのか酸素魚雷を撫で、天龍も、黙ってはいるがどこかそわそわとしている。龍田はこの後、つまり、提督が見つかった後の予定表を、微笑を浮かべてずらずらと書いている。
重巡の場合。
「ようやく足がかりができましたね」
「そうね。あの発信機が本当に提督に通じているのなら、提督に会うのも時間の問題ってことね」
「まだ見つかったわけでもないのに、随分と楽観視しているのだな」
「あら?那智、あなたもさっきからニヤついているわよ?」
「こ、これは……私の提督がやっと見つかると思うと……あれだ、やはりこの鎮守府の長がいないとしまらんからな」
「私の、ねぇ……」
「おっと………すまない。我々の、だったな」
修学旅行の前日を迎えた学生は、期待で前日に眠れないとか、やたら荷物の確認を入念にやりたがるものだ。では、愛しいものを待つ女ならばどうだろう?
これは同じことが言える。どころか、期待どころかまるでその未来が確定しているかのように話している。私の提督は、"私の"なのだから、私の元に帰ってくるはずだと、そう思っているのだ。
空母の場合。
「提督……これで本当に見つかるかしら」
「加賀さん、いまはただ待つだけです。果報は寝て待て、ですよ」
「赤城さん………。そうですね」
「なんだか久しぶりに、お腹が空いてきました。食堂で間宮さんに軽食を作ってもらいましょう」
「そうですね。瑞鶴と翔鶴はどう?」
「………わかったわ。久しぶりにご一緒します」
「あらあら、瑞鶴ったら、機嫌が良くてよかったわ」
「べ、別に……」
空母勢。出撃時は旗艦として重要な役割を担い、彼女らの爆撃はこの鎮守府の主戦力の一つであることは疑いようもない。それ故に、空母たちは他の模範となるように、真面目で律儀な性格なのである。
しかし、今の彼女は冷静でこそあるが浮かれていた。真面目で、常に冷静沈着を維持していた彼女らも、やはり楽しみなのだ。日常が戻ってくるのが。発信機を取り付けただけではあるが、これは大きな前進なのだろう。加賀さんすこ。
「以上が、私が軽く取材して来た艦娘たちです。発信機による提督の発見はみんなにとっても期待されているのでしょう。私自身、記事にできそうないい結果を期待していますよ」
「まだ提督の居場所が決まったわけではないというのに…気持ちはわからんでもないが、あとで勝手に絶望されては困る」
「まあまあ、いいじゃないですか。ここにくる途中、大和さんと武蔵さんも、二人楽しそうに居酒屋"鳳翔"に向かっていました」
「…………まあいい。こればっかりはどうしようもないだろう。あとはあの発信機の吉報を待つばかりだな……」
「任せてください。この明石が開発したものでは、あの発信機はかなりの自信作です!(本来は提督を見守るために作ったものだけれど……)」
艦娘たちの心情は複雑であった。
黒崎が未だ疑わしいのは周知の事実だが、それは真実ではなく、あくまでも疑念である。黒崎が自分たちを騙していないという可能性もあるのだ。
そう考えると、あの発信機が無駄足であるかもしれない。もしそうなれば、自分たちはいよいよ詰む。
提督発見の期待は全艦娘が思っていることではあるが、同時に期待を裏切られることを恐れている。
「頼むぞ………これが頼みの綱なのだから」
[提督失踪から約二週間後]
〈大本営 海底200メートル 実験室〉
「待て待て待て待て!!眼球は本当に怖いんだが!」
「ボウガンを至近距離で撃って、矢の方が欠けちまったんだ。もう僕としては、君の皮膚を貫通することは不可能だと思う」
「じゃあ口の中とかあるだろ!なんだったら下でもいい!」
「唾液とかの量が多すぎる。眼球なら、若干粘液で覆われてこそいるが、口腔内よりマシだよ」
「ヤメロォ!(建前)ヤメロォ!(本音)」
実験の滞り様と言ったらない。
先日、実弾を用いた耐久テストを前倒しで行った。これは、既存の注射器が全ておしゃかになってしまったことで、血液採取ができなくなってしまったからである。
私が自らどこかを噛み切ってしまえばいいと思い、黒崎が出かけている頃にちょくちょく出血を試みたが、全て失敗した。
再生能力が高すぎて、少しの傷ではすぐに回復してしまうのだ。
耐久テストも、8方向からの25mm機銃一斉射をほとんど全てはじき返してしまって、逆に機銃が壊れてしまうという結果であった。
「それにしても、この間はどこに言っていたんだ?私はお前がいないという理由だけで、この3日間暇で暇で仕方なかったんだが?せめて本の一冊か二冊よこしてくれ」
「え、ああ、あれね。いやいや悪かったよ。僕としても、いきなり出張に行くことになってさ、君への気配りができてなかったね。うん、今度はなにか、漫画かゲームでも置いていこう」
「出張?軍医のお前がか?」
「え?あ、ああそうだよ。軍医だって立派な軍人だ。今回は新人軍医の研修でね。ちょっと違う鎮守府に行ってたんだ」
「………そうか」
黒崎は首を掻きながら話す。
こいつが嘘をつく時は、いつも決まって、左手で首を掻くくせがある。本人は無自覚だが。
ここでこの嘘を言及するのも悪くはないが、不確定要素が多すぎて、きっと真実は語らないだろう。
一体、何故嘘をつくのだろう。
軍医として出張に行ったというのは………まあ嘘だろう。こいつは軍医としては一流だが、人としては最悪だ。長くこいつと親友である私でさえ、それを後悔させるほど黒崎に対して嫌悪感を抱く時があるのだ。
軍医としてでなければ…………監察官か?
私の艦娘たちはどうしているだろうか………。おそらく出撃は中止にして、資源回収に徹するだろうが………。私の捜索をしているかもしれないな。いやしかし、ここにいる限りは見つからないんだろう。それに、見つかりたいとも思わない。
私は彼女たちを苦しめすぎた。彼女たちは自身の一生を、罪と贖罪に費やそうとしていた。これは良くない。
彼女たちは彼女たちの道を歩むべきだ。こんな化け物のためにそこまでしなくていいんだ。
欲をいえば、殺してくれればいいんだ。
「………欲張りか」
「ん?何か言ったかい?」
「いいや」
「そう。じゃあ、早速実験を再開しよう。そろそろ本当にスケジュールが押してる」
「わかった……ておいおい!?本当に眼球に刺すのか!?」
「当たり前だろ…………ふふっ、なんだか今日はいける気がするよ!」
「そんな楽しそうに言うな気持ち悪い!………せめね優しくしてくれ。結構怖いんだ」
「そんな処女を失う直前の生娘のようなことを言うなよ………大丈夫、君は治る」
「この医者は患者の再生力に頼りすぎだ!」
黒崎が私を壁際まで追い詰める。逃げようとしたが足をかけられ、転んだところに馬乗りになって、片手で首を絞めるようにして頭部を固定して、今まさに、その鋭利な針先を、私の左眼球にさそうとしている。
針が瞳に触れるか触れないかのとき、眼球の表面から激痛が走りだすその刹那。
がこん。
私たちは慌てて壁を見た。
超超防弾性のガラスでできたこの立方体は、海底200メートルの沈められており、外界からの光はなく、アクセスも大本営へと続く一方の海底通路だけである。
しかし、その音は明らかに、壁を叩くようなその音は明らかに、外から聞こえた。
振り向いた先、そこには驚くべきものがいた。
もう一度いう。ここは海底200メートルだ。
そう、普通なら魚くらいしかいない。
そこにもし、誰か来るとしたら、深海棲艦か、
「伊19…………!!」
「提督…………助けに来たのね…………♪」
次回 提督「死にたがりの化け物」終結
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