北洋経済ニュスウー速報《どうみんドカ雪がんばれ!シロクマも大応援号》
きっかけは宅配便の誤着だった。兄嫁の実家に回転木馬が届いたのだ。びっくりした姑が配送もとに連絡したところバウザストン乾電池組合積立金の私的流用が発覚した。会長のヘモデール下関が外部会計監査法人の女性コンサルとデキていた。回転木馬は難解な性癖を持つチャッピー里中がヘモデールにおねだりしたものだった。バウザストン乾電池組合は幼児向け知育玩具の電池を企画から製造販売まで一手に担っていた。組合積立金は次年度幼女向けプロモーションアニメの制作費に充てられるはずだった。ところがチャッピー里中は、ヘモデールの浮気相手である女性コンサルに「回転木馬の次はお姫様になりたい」とせがみ、その願いを叶えてやるために、ヘモデールは積立金を私的に利用した。
※アメリカの雇用統計価が発表されました。最新の数字を織り込んで速報します。
※バウザストンかんでんち組合が家宅捜索を受けました。東京地検特捜部の動きを踏まえてお送ります。
きっかけは宅配便の誤着だった。兄嫁の実家に回転木馬が届いたのだ。びっくりした姑が配送もとに連絡したところバウザストン乾電池組合積立金の私的流用が発覚した。会長のヘモデール下関が外部会計監査法人の女性コンサルとデキていた。回転木馬は難解な性癖を持つチャッピー里中がヘモデールにおねだりしたものだった。バウザストン乾電池組合は幼児向け知育玩具の電池を企画から製造販売まで一手に担っていた。組合積立金は次年度幼女向けプロモーションアニメの制作費に充てられるはずだった。ところがチャッピー里中は、ヘモデールの浮気相手である女性コンサルに「回転木馬の次はお姫様になりたい」とせがみ、その願いを叶えてやるために、ヘモデールは積立金を私的に利用した。
バウザストン乾電池組合はバウザストンというブランドイメージを守ることに腐心していた。そのためには社員教育が必要だった。だが、チャッピー里中が小学校入学と同時に、バウザストンのブランド価値は暴落した。そこで、バウザストン乾電池組合では、幼稚園児向けの知育玩具を開発することになった。ヘモデールは企画部次長だったが、この仕事で大きなミスをした。幼児向け知育玩具の仕様書に「使用電池:アルカリ単三×四本または単二×2本」と書いたところ、仕様書をチェックするはずの経理部の人間がうっかりして、「使用電池:単二×四本」と記載してしまった。バウザストン乾電池組合の重役たちは、仕様変更の費用を捻出するため、積立金を私的流用しなくてはならなかった。
「まあ、そんなことだろうと思ったよ」
と、保志野は言った。
「でも、どうして……?」
と、私は訊いた。
「あの人らにはあの人たちなりの正義があったんですよ」
と、保志野は答えた。
「正義?」
「ええ、まあ、それは僕にもわかりませんけどね」
と、保志野は言って笑った。
「じゃあ、僕はこれで」
と、保志野は言って踵を返した。
「待ってくれ」
と、私は言った。
「君には何が見える?」
保志野は振り返った。
「何がです?」
保志野は目を細めた。鋭いビームがほとばしってバーグマンに命中した。
バーグマンは悲鳴を聞きつけて部屋の隅に寄った。天窓一つしかない部屋だ。それでも耳をすませば薄い壁ごしに喧騒が聞こえる。
時刻はちょうど20時をまわったばかり。お世辞にも治安がよろしくない立地で住民のほとんどは年金受給者だ。
絹を裂くような声には色つやがある。ガタガタと何か小物が石畳を転がっている。そして、荒い息遣い。
熱く、激しく、浅く、速い。様子は見えずとも彼女の緊迫感が伝わってくる。
「アルバート…」
言いかけて、シィっと制止された。
彼も気づいているのだ。若い女が何者かと対峙している。それも至近距離だ。ギシギシと舗装が軋んでいる。
「ドラゴンだ」
小声で相方が断言する。
「ああ、ルルティエ…」
「その名前を言うな」
迂闊にもバーグマンは禁忌を口にしてしまった。アルバートはそれがどんな恐ろしい結末を迎えるか熟知している。そして、心の底で悔いる。
何という怪物を設定してしまったのか。
あたり一面を粉々に打ち砕くような咆哮が女の断末魔をかき消した。直下型地震かと思うほど部屋全体が揺れる。
そして、バシッと稲光が天窓を貫いた。
「終わった…」
アルバートはへなへなとその場に座り込んだ。
「何が起こったんだ?」と、バーグマン。
「焼け跡を見る勇気があるんなら、表に出てみろ。焦げ跡と脊柱管の欠片ぐらいは残ってるかもな」
言われるまでもなくバーグマンは戸外へ出た。監視カメラやセキュリティーのたぐいはサージ電圧で死んだらしく、赤ランプが明滅している。
おそるおそる螺旋階段を下ると、惨状が否が応でも目に入った。
ちょうど、女の首から下が順に砕けている最中だった。
「うわああ」
声にならない声をあげて、部屋に逃げ帰った。
「言わんこっちゃない。ルルティエの捕食だ」
アルバートが鼻汁を啜りながら解説する。
「こんな馬鹿な話があるか! 非科学的だ。ルルティエが現実にあろうはずもないっ!」
バーグマンは柄にもなく大声で否定した。彼が落ち着きを失う時はたいてい理不尽そのものに憤っている。
「あんたのせいだよ。獲物の前でNGワードを口走った」
「自分を棚に上げてよく言う。そもそも原作者はお前だろう。お前の妄想が人を殺したんだ」
アルバートがおかしなアイデアをしたためなければ、彼女は食われずに済んだのだ。
学生時代の能天気な邪悪が雷龍という悪夢を呼び覚ました。
「いや、俺じゃない!」
血走った眼でアルバートが睨む。
「
アルバートの黒歴史ノートは若気の至りというよりは若きウェルテルの悩みだ。多感な思春期に誰もが思い悩んで行き詰る。そして、極端な厭世論にたどり着いて自己憐憫に酔うのだ。
そして、彼も破滅願望の成就と救世主再臨を望んだ。その方法が突飛を好む子供らしい。無力な木偶の坊な自分を救済する手段は一つしかない。
悪魔的な何かにすがり、凡百をしのぐ超人力を授かればよい。ダメな自分をどうやっても克服することなど不可能だと知り尽くしている。
したがって、ずる賢い手口で成り上がる他に救いはない。他人を俯瞰する立ち位置で不幸な過去と一線を画せばよい。
「そのために生贄を捧げるんだよな。全人類と地球を」
バーグマンは思い出した。ゲーム山場に来るバッドエンドの一つである。
「ああ、あいつも同じ考えだろうよ。ワイバーンロード・ホライズンズをどう味付けしようが糞ゲーは糞ゲーだ。マーケターの目は誤魔化せない。化けの皮が剝がれて会場から退却する前に奴は手を打つはずだ」
「何を言っているのか、さっぱりわからん」
「ダークブラウン卿だ。場末の辺境伯は生娘を捧げようとしていた。カルバートなら絶対に目をつける。利用するはずだ」
「なるほど、よくわからん」
「最後まで聞いてくれ、バーグマン。奴は俺の黒歴史、いやドラゴン・イコライザーを悪魔に捧げたんだ。ワイバーンロード・ホライズンズを成功させるために」
「落ち着け、悪魔なんかどこにいるよ」
「物忘れが激しい奴だな。ゴードンだよ。辺境伯の宴で生娘を値踏みしていたが、正体を隠して奴に接近する筋書きだったろう」
「ゴードン…って、まさか?」
D席の男だ。あの時、二人の前に雷龍が現れた。いや、召喚して見せたのだ。
「そのまさかだ。D席野郎の素性はわからん。というか今は表の顔なぞどうでもいい。凡人が龍を目の当たりにして平気でいられるか?」
確かに、パニック状態に陥るでもなく、威風堂々とアルバートを睨んだ。
「ますますもって意図がわからん。カルバートとゴードンはこんな状況を俺たちに見せて何がいいたい?」
バーグマンはもう一度、おそるおそる扉の隙間から道路を垣間見た。石畳が大の字にくすぶっている。
「お前の愚かさを——ルルティエの禁忌に触れたドジと——俺の無力さを自覚させるためだ」
アルバートはそういうとわずかな荷物をまとめて螺旋階段を下りた。
「おい、何処へ行く」
あわてて後を追うバーグマン。
「女を探そう」
「探すったって」
「イースターエッグを仕掛けた女だよ。そこに転がってる焼死体はたぶんダミーだ。逆らえばこうなるというカルバートなりの脅しだと思う」
「生きてるというのか」
「ああ、そうだろうな。殺しているならリアルな死にざまを俺たちの前で再現すればいい。説得力が違う」
「カルバートですら、どうにもならない?」
「そういうことになるな。だから俺たちに探させようというんだろ」
「先回りして、抹殺…か!」
バーグマンがバチンと両こぶしを打ち鳴らした。
「ああ」
東の空が茜色に染まっている。そして、崩れ落ちた摩天楼が遠くに霞んでいる。
「これもルルティエの所業か」
バーグマンが憎々しげに言い放った。
世界は瞬く間に一変した。大通りに人影はなく、遠くに見える摩天楼の灯りも電飾も消えている。まるで街全体が暗黒面に墜ちたようだ。
「来てみろよ」
アルバートは戸惑う相方の背中を無理やり押した。手を引いて少し離れた幹線道路に出てみる。
あちこちで車が横転したり衝突して炎上しているものの、大半は渋滞をなしたまま停止している。
運転手を失った車列は赤信号のまま、アクセルが踏まれる時を待っているようだ。
「もしかして、最終戦争でも起きたのか?」
信じられない、と何度もバーグマンがかぶりをふる。しかし、いくら見渡せど人っ子一人いない。
「ああ、ご覧のありさまだよ」
アルバートは彼が事態を受け入れるまで辛抱強く待った。
日に照らされるビルに朝焼け雲が映えている。鮮やかなオレンジ色は一日の活力でなく、死んだ世界を火葬する炎に見える。
そして、雲間をいなびかりが渡っている。
「ルルティエだ。奴がゲームチェンジャーだ」
プログラマーは暗澹たる思いで空を見上げた。
歩いて五分ほどのショッピングモールが丸ごと廃墟と化していた。
「まるでハッサーの市場だな」
バーグマンはドラゴン・イコライザーの序盤に登場する遺跡を思い出した。
ハッサー市場はかつて王国随一の商業施設だったが経営者の奢りとなりふり構わぬ事業拡大で破綻した。
プレイヤーキャラクターは定石通り、そこで冒険の支度を整える。ご都合主義の要請とはいえ、無料で手に入る装備は限られている。
「弾は持てるだけ持っていこう」
銃砲店を物色していたアルバートは自動小銃を数丁と弾薬ケースを床に山積した。
「バカ。これ他にも運ぶものがあるだろう」
バーグマンが持っていくべき武器弾薬を仕分けした。二人の体力を勘案したうえで、リュックに食料を詰め込む。
「持って2,3日と言ったところだ。その間に最初のステージをクリアしなくちゃいけない」
「ああ、アルバート。お前が頼りだ。”彼女”を探す当てはあるんだろうな?」
「もうわすれたのか?」
彼はうんざりした様子で装備を拾い上げた。
泳がされている。カルバートの真意を百パーセント測りかねるが、概ね一致しているだろう。
ワイバーンロード・ホライズンズの失敗を悪魔的存在に支援してもらう代償に全世界を生贄した。
ならば、陰謀論的人口削減工作者の駒として突き進むしかない。
わざわざ飛んで火にいる夏の虫になるのか、とバーグマンは渋った。
「勝手にしやがれ。俺は西へいく」
アルバートは躊躇する相方を見捨ててでも”彼女”を救出する腹積もりだった。
先の見えない旅路ではない。食糧が尽きる範囲にゴールがある。
そこでカルバートは自分を待ち受けているに違いない。なぜなら、彼が黒歴史の著者だからだ。
悪魔と一体化した者でも”彼女”を始末できない。
ならば、その処分方法を知る唯一の人間を呼び寄せて、代行する。
「西だ」
アルバートは銃口をハッサー市場のホールへ向けた。
通路の先で電光が瞬いた。
五、六人。いや、もっとだ。老若男女が瀬戸際の攻防を繰り広げている。初老の紳士と見るからに格闘家っぽい男が曲がった鉄筋を振り回している。
柱の陰で老婆と母娘連れが縮こまっている。彼らの脅威は見えない敵だ。ターコイズブルーの蛍が龍の形相を隈取っている。
玄関ポーチの丸電球っぽい眼球。よれよれのナマズ髭。そして、歯並びのよい口が忙しく開閉している。
それは日本の獅子舞のごとく獲物に向けてカウンターパンチを繰り出したり、無駄に虚空を噛んで見せる。
男たちは龍を打ちのめそうと鉄筋を揮うが、空振り三振の連続だ。
アルバートは彼らが最後の生存者であることを悟った。通路のそこかしこに焼死体が散乱し、今にも塵に帰さんとする人がいたからだ。
女が髪をなびかせて振り向く。二言三言、嘆願しているが、もう手の施しようがない。
やがて美しい顔が頭蓋骨と化して崩れ落ちた。
「どうやって助けるんだよ」
なすすべもないまま、遠巻きに見守るバーグマン。
「うろたえるしか能がないなら、どこかに潜んでくれないか」
チッ、と舌打ちするも、言われるままに男は物陰に隠れた。
「おぅい、そこの二人」
何を思ったのか、アルバートは身振り手振りで戦う男たちに避難を呼びかけた。
しかし、彼らは一心不乱に素振りを続けている。
「仕方ない」
アルバートは切り替えの早い男だ。瓦礫伝いに身をかがめ、小走りで女性陣に駆け寄る。
「逃げてください。勝ち目はない」
いきなり話しかけられて老婆はすくみ上った。
「何なんです?貴方」
「主人と祖父を連れて行かないと」
「パパ―!」
三人は異口同音に異論を唱えた。しかたなく、バーグマンと一緒に声を張り上げるが、男二人は振り向かない。
呼びかけは届いているはずだ。アルバートはルルティエのスペックを思い出した。
魅了する機能を持っている。彼は守護神なのだから。臣民に愛されなくてはならない。
「助けている暇はない。早く」
アルバートが促す。しかし、いくらなんでも大切な家族を放ってはおけないだろう。
そうこうしているうちに祖父が力尽きた。棒を振り下ろし、肩で息を整えている。一瞬の隙を突かれた。
くわっとターコイズブルーのあぎとが老人の右足を救い、逆さづりにする。
そして小さい触手のような電光がふくらはぎから膝まで駆け上がり、そこから塵に変わった。
「おお、ヘンリー!」
老婆が泣き崩れる。
「リチャード! あなた!!」
妻が格闘家を説得するが、逆にスイッチが入ってしまたようだ。
「この野郎!」
夫は渾身の一撃をルルティエに叩き込んだ。
ギャッと短い悲鳴をあげて、黒人は光の粉に成り果てた。
「だから、逃げ言ってるだろうが!」
アルバートは女三人を焚きつけた。
「何なんですか、貴方たち!」
老婆が叫ぶ。
「ルルティエに勝てるわけないでしょう!」
母娘が必死に説得する。
「お願いします! 息子だけは!」
妻は半狂乱だ。
「死にたくなきゃ逃げろ! ルルティエは腹ペコなんだ」
アルバートは声を張り上げた。
「もう遅い」
「何がだ!」
「さっき、食われたぞ。あれはお前の娘だ」
「嘘つけ!」
「本当だ。お前にそっくりじゃないか」
「だからといってバウザストン乾電池組合の公金横領は容赦されないぞ。だいたいお前はあの夜、ヘモデールをかどわかしてルルティエの精液を取ってこさせようとしていたじゃないか。目撃者もいるんだぞ!」
「お、俺は純血主義者だ。でっ、デタラメを抜かすな!」
そこへ一人の女が歩み出た。一糸まとわぬ姿。チャッピー里中である。「あたし、見てましたの。見ちゃいましたの。一部始終」
ポッと顔を赤らめる。「えっ、マジか? じゃあ、ルルティエは……」
「はい、あたしです」
「ああっ、そんな!」
バーグマンが悲鳴をあげる。
「だから言ったろ。ルルティエに勝てるわけがないって」
アルバートはそう吐き捨てると、ふらつく足取りで歩き始めた。
「おい、どこへ行く」
「決まってるだろ。ルルティエを殺すんだ」
「バカか、お前は!」
「何とでも言え! ルルティエに勝てるわけないだろ! この世界はルルティエに支配されているんだ」
彼の言う通りかもしれない。この世の法則にルルティエの存在を無視することはできまい。この女が世界の全てなのだ。
ルルティエさえ死ねば万事うまくいく気がする。少なくとも彼女の呪縛からは解放されるに違いない。だが……。
それはルルティエへの裏切りだ。彼女を殺せばルルティエはこの世から消えることになる。バーグマンはためらった。
ルルティエはそんなバーグマンの葛藤を見透かしていた。
彼女は微笑を浮かべると、小さな触手を伸ばして男の頬に触れようとする。
その時だ! 突然、玄関ドアが激しく叩かれた。
二人はハッとして振り返った。
ノックの音は執拗に繰り返される。
ルルティエは動きを止めて、耳をそばだてているようだ。
バーグマンは震える手で懐中電灯のスイッチを入れた。
そして、恐るおそる覗き穴に光を当てる。
すると、そこには、一人の男があらわれた。バウザストン乾電池組合の会長ことヘモデール下関である。
「フゥーハハハ。ようやくここまで来れたな。待っていたぞヘタレ勇者よ。飛んで火にいる夏の弱虫とはこのこと!」
会長は高笑いとともに、拳を天に向かって突き上げた。
彼はすっかり元気を取り戻していた。
しかし、その姿はまるでゾンビのようであった。
ヘモデールはアルバートを指さした。
彼の右手には、例の黒い箱が握られている。
アルバートは反射的に左手でそれを庇った。
ヘモデールはニヤリと笑みを浮かべると、ポケットから取り出した小さなナイフを彼の手に突き立てた。
一瞬の出来事だ。ヘモデールは血に染まった刃を抜くと、今度は逆の手でアルバートの手を押さえて、もう一方の手を彼の胸に押し当てた。
すると、みるまに彼の体は石像のように硬直していく。
ヘモデールはルルティエに向き合った。
彼女の顔は青白く輝いている。
そして、ルルティエはヘモデールに襲いかかった。
しかし、ルルティエは彼をすり抜けて、部屋の外に出る。
ヘモデールは追いかけようとしたが、ルルティエは空中で身を翻すと、彼の頭上を飛び越えて、廊下の奥へと消えた。
彼は呆然と立ちすくんでいた。
ルルティエが消え去った方向を見つめたまま、ヘモデールは動こうとしない。
そして、不意に笑い出した。
壊れたレコードのように何度も同じフレーズを繰り返す。
まるで、ルルティエの言葉を繰り返しているようだ。
そして、彼の瞳は焦点を失っていった。
バーグマンが慌てて駆け寄ると、ヘモデールは糸が切れたように倒れた。アルバートは床に倒れ伏したまま動かない。
彼の意識はルルティエに乗っ取られたようだ。
バーグマンはヘモデールを抱き起こすと、頬を叩いて呼びかけた。
だが、反応がない。
彼はアルバートの体を揺さぶって、さらに強く名前を呼んだ。
すると「ピーっ! バッテリー切れです」という電子音がヘモデールから聞こえた。アルバートは苦笑いを浮かべた。
バーグマンは呆然として、ヘモデールの肩に顔を埋めた。
すると、彼はゆっくりと目を開けた。
ヘモデールはバーグマンの頭を撫でると、優しく微笑みかけた。
そして、彼は静かに語り始めた。
ルルティエが消えた日のことを。
彼はバーグマンがルルティエの本名を告げた瞬間に意識を取り戻した。そして、自分の身に何が起きたのか理解した。
彼はルルティエを殺さなかった。しかし、ルルティエは彼の意識を乗っ取った。そして、ルルティエは彼に囁き続けた。アルバートは彼女の言葉を一字一句覚えていた。
彼はルルティエを救おうとした。しかし、それはできなかった。
ルルティエは彼を利用した。
彼はルルティエに騙されて、彼女を救う機会を失った。
ルルティエはアルバートを責め立てた。
そして、彼は絶望した。ルルティエは彼を救えなかった。
アルバートはもうルルティエを救えない。
バーグマンはアルバートを追いかけて螺旋階段を駆け降りた。
アルバートは一足先に玄関ホールにたどり着き、外の様子を窺っていた。
彼はしばらくすると、おもむろにドアを開けて外に出た。
バーグマンはその後を追った。
そこはまさに地獄絵図であった。
アルバートが飛び出した瞬間、天窓から一筋の稲妻が落ちた。
彼は一瞬のうちに炭化し、その場に崩れ落ちる。
「アルバートっ!」
彼は絶叫した。
だが、返事はなかった。
バーグマンはふと違和感を覚えて立ち止まる。
彼はこの光景に覚えがあった。そうだ、ついさっきの出来事だ。アルバートに呼び止められて振り向いた時の光景によく似ている。違うところといえばアルバートが階段の下にいないことだけだ。そして、今度はアルバートが消えたのではなくて、自分がいなくなったのではないか?「アルバート!」
叫びながら螺旋階段を駆け降りた。
だが、アルバートの姿はどこにもなかった。
**
「そうか、やっぱり、俺は消えてしまったのか」
アルバートは目を伏せた。
彼の記憶は鮮明に焼きついている。ルルティエと対峙する前の記憶もしっかりとある。
彼はルルティエが自分を殺してくれると信じて疑わなかった。
しかし、ルルティエは彼を殺さなかった。
彼女は彼を利用して自らの欲望を満たそうとした。そして、アルバートは彼女に裏切られ、失意のどん底に突き落とされた。
彼はアルバートに告げた。
ルルティエを殺せ、と。
だが、彼はルルティエを殺すことができない。
それは、かつてアルバートが夢見た理想郷の実現に必要だからだ。
だが、アルバートはもうルルティエを救えない。
「お前がルルティエを殺せばよかったんだ。そうすればルルティエがあんな姿になることはなかった」
バーグマンはアルバートを見下ろした。彼はバーグマンの視線から逃れるように部屋の隅に向かった。
だが、彼の足音はそこで止まる。
そこには炭化したアルバートがいたからだ。
彼は呆然と立ち尽くすしかなかった。
アルバートは炭化して真っ黒だ。しかし、顔だけが無傷で残っている。彼は目を閉じていた。まるで死人のようだ。彼はもう死んでしまったのではないか? アルバートが炭化した状態で生きているわけがない。だが、彼は呼吸をしている。彼はまだ生きていた。心臓が脈動していた。
アルバートはバーグマンの呼びかけに目を開けなかった。しかし、微かに唇が動く。彼はかすれた声を振り絞った。
「ルルティエはどこだ……」
「えっ?」
「ルルティエはどこだ? この近くにいるはずだ」
「おい、アルバート!」
彼は自分の身に起きていることなど何もわかっていないようであった。アルバートはルルティエを探して歩き回るが、どこにも彼女の姿はなかった。
「もういないぞ」
彼はそう呟いた後、我に返ったように「しまった」と言った。そして、彼はその場にへたり込んだ。
** それからというもの、アルバートは抜け殻になった。バーグマンはそんなアルバートに構わずルルティエを探し求めた。
ルルティエはもういないと伝えると、彼は放心状態になった。
アルバートはしばらく自失呆然であったが、ふらりと立ち上がると部屋に戻った。バーグマンが止める間もなかった。
部屋に戻るなり、アルバートは壁際で膝を抱え、そのまま動かなくなった。
「ピーっ。バッテリー切れです。新しい乾電池を入れてください」という合成音声がアルバートの尻から聞こえた。彼は充電器に繋がれたまま眠りについた。
** バーグマンはそれから二日間というものアルバートを介抱した。その間、ルルティエが姿を現すことはなかった。
だが、アルバートはもう何も恐れていなかった。彼は抜け殻のまま日々を過ごした。
** 三日目、彼は充電が終わっても起きなかった。だが、それは電池の問題ではなかった。アルバートが目を覚まさないのは精神的なダメージが原因だ。バーグマンはそれを理解している。
彼の精神状態が不安定なのは明らかであった。ルルティエに裏切られたことは彼を打ちひしいだに違いない。しかし、ルルティエに恋をしたことも、彼女の命を絶ったことにも後悔していないようであった。
彼は「自分は正しいことをした。ルルティエを救ってあげたかっただけだ」と、しきりと繰り返していた。バーグマンは、そのたびにアルバートの頬を引っ叩いた。
「それでいい。自分のしたことを誇るんだ」
と、言い聞かせるように諭すのだが、一向に効果がない。バーグマンはほとほと困り果てていた。
だが、彼は目を覚まさないわけではない。
ある日、バーグマンが仕事に出かける前のことである。
いつものように充電用の台座の上でアルバートが眠っていた。彼の身体からはコードが伸びており、コンセントに挿されたプラグと繋がっている。
だが、この日は少し様子が違っていた。アルバートは夢遊病者のように立ち上がり、部屋中を徘徊し始めた。壁紙を剥ぎ、絨毯を引きはがし、カーテンの裏を確かめて回った。
彼は、ルルティエの部屋を調べているようであった。
** この日、アルバートは充電台に戻ることなく外出したようだ。帰宅したのは翌日の昼過ぎのことだった。彼は疲れ切った表情をしていた。充電されていないことは一目瞭然であった。
彼は充電を忘れたまま部屋を出ることさえある。バッテリーは半月で使い切ってしまうからだ。
だが、その日の彼は違った。まるで死人のようになっていた。顔色は悪く、唇の色が紫色をしている。瞳孔が開いているように見えた。焦点が定まらず、目が泳ぎ続けている。
アルバートは虚空を見つめたまま動かない。ただひたすらに充電を待っていた。
「アルバート、大丈夫か? どこか悪いんじゃないのか?」
「別にどこが悪いわけでもない。充電を待つだけだ」
アルバートの態度は明らかに普通ではない。
「電池が切れたら終わりなんだぞ」
「電池が切れるとどうだっていうんだ」
「それはつまり、死んでしまうんだ。電池が止まってしまえば、あとは死ぬだけだ」
だが、彼はもう聞いていなかった。
** 翌日になると、アルバートの様子がおかしくなった。バーグマンは昨日の出来事をアルバートに報告しなかった。彼は明らかに精神が不安定になっていたからだ。それに下手に刺激すれば自傷行為をしないとも限らない。だが、「今日は充電をするのか?」という問いにも答えず部屋の中をウロチョロしているだけだった。バーグマンは心配で仕事に集中できなかった。
午後三時過ぎのこと。いつもより遅くアルバートが部屋に戻ってきた。充電は終わっていた。充電器に接続されたまま充電台で横になっている。だが、彼のバッテリーは半分しか充電されていなかった。
** 夜半過ぎになってアルバートは充電台を降りた。だが、充電台の脚を折ってしまった。彼はそれさえ気に留めなかったようだ。
「充電が終わらない。バッテリー容量の低下は著しいようだ」と、独り言のようにつぶやいた。
「それはそうだ。電池を取り替えないと、そのうちゼロになるぞ」
バーグマンが親切心から助言したが、アルバートの表情は変わらなかった。
「交換? そんなことできるわけがない」
アルバートが自嘲的に笑った。
「電池の規格が統一されていないなんて初歩的ミスを犯したら、そりゃあ電池屋に怒られて当然だ」
だが、彼の電池はまだ三分の一残っている。充電すれば、少なくともあと一週間は持つ。それまで待てば、充電代くらい稼げるのではないか? そう言いかけた矢先、彼はすでに行動に出ていた。
「どこへ行くつもりだ?」と、尋ねると彼は即答した。
「充電器を探す。今度こそ確実に動作するものを探し出すんだ」
だが、それは不可能に近い。
彼は、もう二度と充電器を見つけられないことを知っていた。
***
それから五日後、バーグマンは会社に辞表を出した。
理由は単純明快。彼の相棒が姿を消したからである。アルバートの電池が尽きたのは、まさにこの日のことであった。
「お父様はもう長くないわ」
病床に伏した母を目の前にして少女は悟った。彼女の瞳には深い哀しみと、それを覆い隠すような慈愛が宿っていた。
***
母は美しい人だった。若い頃に恋をして結婚してからは、ほとんど家から出ることもなく男を知らずに生きてきた。だから、私にたくさんのものを残してくれたし、また、それに応えてくれると信じていた。私は母の望むとおり、立派な大人になったし、父に似て、頭もよく働く子だと思う。きっと父のように立派に領地を治めてくれ、いずれは領主として領民に慕われるような人物になるだろう。そんな期待に答えられない自分が悔しかった。
父はもう長くない。もともと体が丈夫ではない上に、私が幼い頃から、無理に仕事をこなしてきた。
父が死んだら、この家は、領地は、領民は、誰が救ってくれるというのだろうか。父の死後のことなど考えたくもなかったが、現実問題として考えねばならない時期が来たようだ。
ある日、母が私の部屋を訪ねて来た。ひどく青ざめた顔をしていた。
何かあったに違いないと思ったけれど、それを尋ねる勇気がなかった。尋ねても無駄なような気がしていたからだ。しばらく黙って向かい合っていたが、「エリッサさんがお亡くなりになりました」という一言で、事態を理解してしまった。「どうしてですか?」とか「いつ?」という言葉も出なかった。母は答えを求めてはいないようだった。
父の体調が悪いことは私も知っていた。ここ数年は臥せる日が増えて、心配でならなかった。
でも、私は見ないふりをした。きっとすぐに良くなってくれると思っていた。父が病気の時でさえ、領地のこと、領民の生活のことを思って行動した。それが自分の使命なのだと自分に言い聞かせた。
だが、父にもしものことがあった時、一体誰がこの領地を守っていくというのだろうか? 父は私を領主にするつもりで育ててくれた。私はそれに応えたかった。だから、学業にも運動にも人一倍努力したし、領民への気遣いを忘れたこともなかった。父亡き後のこともずっと考えていたし、父が亡くなったらすぐ、母と領地を引き継ぐ覚悟もあった。
母を看取った後、私には領地を継ぐ権利がないことを知った。領民は私のことを母よりも領主として認めていない。だからといって、領主としての権利を振りかざすことはできない。私がどんなに頑張っても領民は私を認めてくれないだろう。領民は、領主としてではなく、「女領主の娘」「女当主」として見ている。領主としての責務を果たすのに邪魔なのは領主としての権力と立場だった。領民が認めてくれないことは領主の資格が欠けていることの証左であり、私が領地を継いだとしても領民に受け入れられる可能性は極めて低かった。
***
「あなたは立派な領主になれる」と母は言った。そして「でも、無理に立派な人にならなくてもいいのよ」とも言ってくれた。「わたしがあなたの代わりに領民を幸せにしてあげるから、あなたは無理しないで、自分のことだけ考えてちょうだい」とも言ってくれていた。私はそんな母の言葉に支えられてきた。母は私のために無理をして体を壊してしまったが、私は自分の人生を犠牲にしたとは思っていない。私の人生は私のものだ。母の人生を私が奪うことはない。そして、母はもういないが、これからの私は自分の力で切り開いていけると思っている。
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私はベッドで眠りについたはずだったが目が覚めた時には知らない場所にいた。そこは暗くて狭い部屋だったけど窓があったし鉄格子はなかった。そして外を見ると見覚えのある街の風景が広がっている。でも私はどうしてここに居るのだろうか。私は眠ったらいつもの場所に戻ってきていると思っていたのに。もしかしたら私は夢遊病にでも罹っているのだろうか。
しばらくすると足音が聞こえてきた。私は急いで部屋の奥に隠れる。そして私は隠れながらもその音のする方へと歩いていった。私が見つかればここから出してもらえるかもしれない。そう思ったからだ。そして私がたどり着いた先には白衣を着た男が立っていた。男は私に気付くとこちらに寄ってきた。そして私を抱き上げると優しく話しかけてきた。「君の名前はなんだい?」「君は今日から私の実験台として生きていかなければならない」「君のお父さんとお母さんには申し訳ないことをしたがこれも世界を救うためなのだ」「これから君は辛い思いをすることになると思う」「だけどきっとそれは今だけだ」「すぐに終わる」「大丈夫だ」「怖くない」――私に話しかけてくるこの男の声は優しかったがどこか冷たく感じられた。まるで機械と話しているような感覚だ。私が「怖い」と言っても無視されてしまう。
私が泣き叫んでも、私がどんなに助けを求めても誰も助けてくれなかった。そして私がどんなに暴れようともこの男の腕からは逃れることはできなかった。
「やめて、お願い、離して!」「もう許して」「私は何も悪いことなんてしていないのに……なんでこんな目にあわなくちゃいけないの? 誰か助けて! 私はこのまま死んでしまうの!? 私はただ平穏に暮らしていただけなのに!」
「おい、そいつは何をしている?」
声がした方を向くとそこには髭を蓄えた男が居た。彼は男の知り合いな
「おぉ! 貴様は……」
男は私の拘束を解くと私の方に振り向いてこう言った。
「お前には才能がある、だが今のま では無駄に終わってしまう、私と共に来ないか?」
そう言って私の手を取り連れ出してくれた、その男の名前は『バウザストン』
「私は、私は……私は……貴方についていきます!!」
私は、そう答える事しかできなかった……
------あとがき-----
初めましての方は初めまして!! そうでない方はいつもありがとうございます(_ _)
この度は本作品を読んでいただき誠にありがとうございました!
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