2023-10-10 00:35:30 更新

概要

雑誌対抗戦が終わって、ひょんなことからまたしてもトレセン学園に舞い戻った元記者の根来俊一。トレーナーバッチを授与されて、いよいよ彼のトレーナー生活が花開こうとしていた。


前書き

さて、皆さん(某ラジオパーソナリティー風)。
「ウマ娘 プリティーダービー」の方、うまく育成できていますでしょうか?
私の方はというと、上振れてUF後半、UF1から2を行ったり来たりてな具合で、いい因子もつかず、かなりモチベーション下がってます。ガチャも引かず現状維持なら、新シナリオ待ちな部分も大きかったりします。
私の描いているトレセン学園は、この「3年」という育成期間の縛りをどういう風に描くべきか、というところに傾注しています。ゲームの中ではその3年はほぼ40分。ゲームのテイストを盛り込みながら、育成を文章化してみるという難しめのことをやっていると実感できています。

2023.6.22 ヘッダー作成。〇〇脚質なウマ娘の育成を決めて誰にするか選択。
2023.6.28 3000字。まだ模擬レース。ただ、一人はほぼ決まる。
2023.9.20 久しぶりに執筆。8500字まで。
2023.10.10 第一版完成。10016字。


1.

俺……根来俊一のトレーナー生活が幕を開けた。

3年前には思いもよらなかった、トレセン学園でのトレーナー業への挑戦。しかし、聞くと見るとは大違い。やはり中に入って体験したものにしかわからないことだらけで、新鮮だった。

自分が担当したウマ娘ーーナナコロビヤオキーーを勝たせてやることはできなかったとはいえ、トレセン学園での3年間は残りの記者生活にプラスになると思っていた。そしたら、まさかのトレーナーへの推挙。一番驚いたのは俺だった。

確かにヤオキをそれなりに育成できたし、良績とは無縁だった彼女からしても望外の結末だっただろうことは察しが付く。彼女が今までなんでこのポテンシャルが出せなかったのか、元の師匠である桐生院師と何かあったのではないか……日々を振り返った彼女のための育成ノートを埋め尽くしていたのは、そういった疑念ばかりだった。

だから俺は、今回のオファーを受け、トレーナーになったときに「彼女たちの好きにさせよう」と思っていた。

だって、彼女たちは「走る」ために生まれてきた者たち。成績や順位より大切なものを背負っているはずだ。それをバックアップするのは当然だが、かといってやれ練習だ、やれ特訓だ、は俺の性分に合わない。ヤオキの育成がそれなりにうまくいったのは、彼女が俺に信頼を寄せていたことも大きいと踏んでいたからだ。

トレーナーとしてのオリエンテーションが終わって、一週間が過ぎた。

学園の空気が一気に張り詰めたものに変わっていく。模擬レースが開催されるからだ。

模擬レースは、ウマ娘の見本市であり、トレーナーたちが、だれと契約するのか、またウマ娘たちがだれをトレーナーに選ぶのかに注目が集まる時間帯である。

「根来さん、こっちこっち」

同期トレーナーである津川が、俺を呼んでいる。

「えらい早いんだね、こんな場所に陣取って」

津川がいたのは、ゴール板の真ん前。ゴールの瞬間こそが彼にとっては見るべき位置取りなのだろう。

「ええ。最後の最後でどういうレースぶりを見せるのか、それがわかれば、いいヒントになりますからね」

ニコニコ顔で津川は俺にレクチャーする。

「ふーん」

実際のウマ娘のレースぶりやヤオキの育成に関わって、レースの勘所は、ゴール板前にないことはわかっていた。

実際は3コーナーから4コーナー。そこでどういったスパートをかけられるか、脚力を余らせないかどうか、を見極めないといけないからだ。

「根来さんは、どのあたりで観戦されますか?」

津川が隣に座ってこない俺を気遣いつつ尋ねる。

「そうだな。俺は4コーナーの出口あたりでレースを見るよ。けど、人もいっぱいみたいだから、ちょっとゴール板寄りかな」

別に津川が嫌いなわけではないが、どうも一緒に観戦、としゃれこみたくなかった。

てくてく自分の立ち位置に行こうとすると、

「おお、ひさしぶり」

と、声を掛けられた。

「ああ、先生……」

声の主は、桐生院アキラ……ついこの間まで俺の教官トレーナーだった人だ。

「ふぅん。やっぱり、君もここでレースを見たい、と」

桐生院師は、そういって、飲みかけのカップコーヒーを口にする。

「ええ。あなたとの初めての観戦位置もここでしたしね」

3年前の雑誌対抗企画の時、図らずも桐生院師と知り合い、模擬レースを初めて見たのがこのあたりだった。

「あの時、私はここで見た理由を聞かなかったし、君も尋ねなかったけど、今の君なら、それなりに答えは出せるだろう?」

にんまりとした表情を桐生院師は見せた。彼の人となりはつかめないままの3年間だったが、初めてといってもいい崩した表情だった。

「最後の直線ですべてが決まるのは当然ですが、競り合いやレースの運び方、スタミナ切れや、逆に脚を余らせてしまう展開の有無。勝利を得られなかった時の反省材料や次のトレーニングの指針につながりますからね」

自信はなかったが、思いのたけを発表する。そんな俺を見て、

「まあ、すべて勝てるほどウマ娘の世界はたやすいもんじゃない、とわかっていてくれるトレーナーが一人いるだけでも、URAは安泰だろうよ」

さらに表情を緩めた桐生院師。俺の答えがほぼ正解だったからかもしれない。


2.

トレーナーたちがスカウトするウマ娘を見定める、模擬レースが幕を開けた。

レースは、長距離を除くすべての距離、バ場で執り行われる。特に今年は、地方のトレセンから移籍して来たウマ娘たちが場をにぎわしていた。

「何と言っても、オグリキャップは、風格すら漂わせているよな」

「まだデビュー前なんだろう?この体つき、半端ないよ」

トップトレーナーは当然として、新米トレーナーも彼女の獲得に躍起になっていた。

しかし、俺は、一人のウマ娘しか見えていなかった。

その視線の先に気が付いた桐生院師が声を掛ける。

「ほほう、イナリワン、ですか……」

大井レース場から移籍してきた、こちらも実力派だ。

「ええ。彼女に少しだけ親近感を持ってまして……」

俺は隠しても仕方ないので、本心を告げる。

「イヤ、ヤオキをあそこまで育成できた君のことだ。追い込み育成なら君が担当した方がいいかもな」

また桐生院師はニコッと笑った。さっきから機嫌がよすぎて気持ち悪い。

「先生は、彼女のこと、どう見てますか?」

今やライバル同士。だが、彼女にはあまり興味がなさそうだったので桐生院師なりの意見を聞いてみたくなった。

「この僕を試そうとするなんざ、100年早い、といいたいところだけど、まあ、今日は気分がいいから答えるとしよう」

そういって、カップコーヒーを飲みほした桐生院師。

「基本、追い込み脚質のウマ娘って、気性が荒いことが多い。イナリワンだって、幼少期や大井にいたころはかなり手を焼いたって言われてる」

そういって、桐生院師は、イナリワンに視線をやる。

「それでもここに来た、来れたということは、能力が半端ないってことだよ。それを生かそうとするなら……」

「ど、どうすれば?」

と、勢い込んだ俺を拍子抜かせるように、

「君らしさを彼女に伝えないとな。そんなに難しいことじゃないだろう?ヤオキをあそこまで育てたんだ。その手腕に私は期待しているけどね」

そういった桐生院師の後ろで、ゲートの開く音がした。

「模擬レースも終盤に差し掛かってきました。ダート1800メートルを制するのは、この9人のうちの誰なのか……」

実況の熱狂した声に俺も少し緊張する。

「……残り400。砂塵を巻き上げ先頭を走っているのは……」

8番人気の娘が先頭を走っている。しかし、その刹那。

「おおっとここで猛烈な末脚を爆発させて、イナリワン、最後方からまとめて面倒を見る勢いっ!!」

あっという間に番手を上げて、一気に先頭に躍り出た。

「イナリワンっ!目の覚めるような追い込みが決まって模擬レース、勝利を飾りました」

熱のこもった実況を耳にしながら、

「君が彼女を獲得できるか、どうか。そこがゴールじゃないことくらいは認識しておいてほしいかな」

と言いながら、またしてもにやっと笑みを浮かべて桐生院師はその場を立ち去る。

とりあえずは話を聞きに行こう。俺は、すでに人だかりができかかっているイナリワンの元にやってくる。

「ち、ちょっと通して……」

10人くらいの人垣をかきわけつつ、俺はイナリワンと何とか対峙できた。

俺の姿を認めたイナリワンが声を上げる。

「お、これはこれは、ええっと……」

「根来だよ。覚えていてくれた?」

周りの雰囲気が少しざわつく。トレーナーになりたてで、実績も何もない中年オヤジが、ウマ娘とそれなりの関係を持てていると思ったトレーナーも何人かいただろう。

「あったりまえよ。おめぇさんがすぐに登場しなかったもんで、断りまくっていて、ちょっとメンタルやられそうになったぜ」

「え?ということは?」

「おめぇさんの手腕を見越して今まで待っていたんだ。おいらと契約しちゃ、くれねぇか?」

ズバッと直球の言葉。俺は確かに感じ入ったのだが……

「俺みたいな、なんも実績もないトレーナーの下で、自分を育てるって言うのかい?」

選んでくれたことに感謝しつつ、俺は少しだけ臆病になっていた。

「あーっはっはっは」

呵々大笑という言葉がぴったりなほどのイナリワンの笑い声。

「無けりゃ作ればいいんじゃねぇのかい?その手助けをするのにオイラじゃ役不足ってかい?」

怒ってはいないが、その真剣なまなざしにオレは射抜かれた。

「そこまで言うなら……でも、俺も手加減はしないよ」

彼女の手を握る。思っていたほど暖かくはなかった。

「おぅよ。よろしくな、根来トレーナー!」

こうして、俺は、イナリワンとの二人三脚を始めることになった。


3.

トレーナーが育成できるウマ娘は実績によって増減させられる。一年目の俺は、当然一人だけ。節目節目で良績を上げたりすると、トレーナーとしてのランクアップがあり、2年目から別のウマ娘も担当できる。3年で一応の育成は終わるが、それ以降、また新たなウマ娘をスカウトしていくことになる。トップトレーナーともなると、一気に5人を3年間、とか、育成していく担当も次々増えていく。トレーナーの多くは、著名なウマ娘の名を引き継がないものを担当しないといけないこともあり、特に一年目は、こうした無名のウマ娘を育てることが多かったりする。

俺が、名前も通っているイナリワンの担当トレーナーになったことは、学園の中でも重大ニュースとして扱われた。

もちろん、このウマ娘も俺の動向をしつこいくらいに見守って……見張っている。

「ふーん、おめぇがイナリワンのトレーナーさんってか……」

3年前に食堂であった時に絶妙にはまらない掛け合いをやった、ゴールドシップが目の前に居る。

「あ、ああ。これからは正式なトレーナーだから。よろしく」

それだけ言ってテーブルに着く。

「それにしてもおめぇさんも酔狂だねぇ。当たればデカい追い込み脚質にしか目がないって言うのかな……まさに博打気質だねぇ」

少しあきれたようにゴールドシップは言う。

「それはちょっと違うかもな」

「お、俺に盾突こうってのか?」

俺の返しにゴルシは鋭く反応する。

「まあまあ。気がついたら、追い込みの娘たちだった、とは思ってもらえないかね。だいたい、ヤオキの時だって、俺の一存で決めたわけではないし」

「あ、そう言えばそうだったな。でも2人目も追い込みだなんて、よっぽど追い込まれているんじゃねぇか?」

ガハハと品なく笑うゴルシ。ちょっとうまく言ったつもりなんだろう。

「そっちこそ、長距離では無理でも、中距離のレースで追い込まれないようにしとけよ」

あえて俺は、挑発に乗りつつ"宣戦布告"した。

「望むところよ。ゴルシちゃんパワーの底力、とくと味わいやがれ。おっと、屋台の準備準備」

そういってまたしてもゴルシは一陣の風をふかせて足早に去っていく。

「いやはや、まぁたゴールドシップくんが迷惑を……生徒会長として彼の非礼をお詫びするよ」

持っているトレーを傍らに置き、深々と謝罪の一礼をしていたのは、シンボリルドルフだった。

「い、いえいえ。彼女のホンのあいさつですから。私も重くは受け止めてませんよ」

俺は恐縮しつつ、ルドルフの面を上げさせる。

「それはそうと、トレーナー合格おめでとう。君のようなトレーナーが現れて、私も楽しみだよ」

にこやかに応じたルドルフは、3年前と同じく私の対面に座りかけてきた。

「そ、そうですか?実績も何もないヒヨッコですよ、僕なんか」

少し謙遜しながら俺は答える。

「いやいや。3年間のナナコロビヤオキの育成を見ていなかったわけではない。彼女をあそこまで仕立て、それなりの花道を作ったのは、根来クン、君じゃないか」

何千人といる生徒の細かいところまで生徒会長は把握していると聞く。ルドルフが、自分とは違うステージに居るウマ娘、ライバルにすらならない素質の娘にまで目をかけていることに俺は恐れ入る。

「は、はぁ」

返事が気の抜けたものになってしまった。

「イナリワン君も、ここのしきたりやルールに面食らうかもしれない。サポート、よろしくお願いするよ」

そう言ってルドルフは、あっという間に食事を終えて席を立った。後続のウマ娘たちに譲るためにかなりの早飯が癖になっているとほかのウマ娘から聞いた。

そのスピードにあっけに取られて見ていると、イナリワンがトレーを持って近寄ってきた。

「お、根来トレーナーじゃねぇか?空いてるなら座らせてもらうぜ!」

有無を言わせぬ語りで、まんまと俺の対面に座った。

「いやぁ、こうして知り合いになれたってぇのも、神様のめぐりあわせかねぇ。いやぁ、良きかな良きかな」

そう言ってイナリワンは、大盛のご飯にむさぼり付いている。

「なあ、イナリワン、どうして俺だったんだよ?」

ご指名にあずかるのは嫌な気分はしないが、彼女の真意は知りたかった。

「ああ、なんで、おめぇさんを指名したかってことかぁ?そりゃおめぇ、オイラを生かしてくれると思ったからよ」

口の中がものであふれているのも構わず、イナリワンはもごもご言わせながらそう答えた。

「他にも著名なトレーナーがいるのに、どうして……」

やはり選んでくれたこと自体が気になった。

「なあ、おめぇさん、ナナコロビヤオキのトレーナーだったんだろ?」

イナリワンの口からもこの娘の名前が出てきた。

「おりゃ、まだ大井にいたからよ、こんな企画面白れぇな、くらいにしか見てなかったのよ。そしたら、なんだかんだ言って中山グランプリ(有馬記念)で二着まで入れた。それもゴールドシップに少し競り負けただけ。こんなレースを作れるトレーナーって誰なんだよ、って調べてたら、おめぇさんにぶつかったって寸法さ」

お茶に手を伸ばしたイナリワンは、少し飲んでから続けた。

「でも雑誌記者で、3年間の期間限定だと知って落胆したねぇ。それでも、おいらのトレセン学園の転入は決まっていたから、別の誰かに師事するしかねぇか、となった時に、おめぇさんがトレーナーになったって聞いたもんだから、一も二もなくおめぇさんに決めたって流れよ」

それでも、具体的なものは何一つ聞かれない。俺も最後の一口を頬張りながら、イナリワンに聞く。

「確かに二人で歴史を作りたいって言う君の姿勢は理解したけど、まだ、俺でいい理由が知れないんだけど……」

それにイナリワンは、少し声を高ぶらせつつ答えた。

「追い込み育成が得意だから、ヤオキがあそこまで上り詰めれたんだと思ったから、だよ」

その言葉に自分自身が気付かされた。

確かにあの名伯楽といわれる桐生院師がなしえなかった彼女の一勝、そして中山グランプリの二着。彼女をうまく乗せた育成方法は生きていたとは思ったけれど、そのやり方が、追い込み一辺倒のウマ娘に評価されていることに今頃になって気が付く。

今振り返っても、ヤオキに特別なことはしていない。せいぜいゲート難を解消して、序盤にスタミナを使いすぎないように知力を上げたりスタミナそのものを高めたりしたくらいだ。

「ヤオキが活躍できたのは、俺だったから、って言う話が君のところにまで回ってきたってことか?」

雑誌対抗企画で2位しか取れなかったふがいなさの方が上回っていて、ウマ娘界隈でどう評価されていたのか、全然気が付かなかった。この2位がとてつもない良績と受け止めた娘たちもいた、ということだ。

「まあ、一言で言えば、そうなるわな。転入したてのオイラには失敗は許されねぇからな」

イナリワンは、ラストのご飯粒をかきこむ様に口に入れて、こういった。

「でも、ヤオキとキミとでは性格は違うと思うんだけど……」

おとなし目でむしろ感情を表に出さなかったヤオキと、あけすけに思ったことは言う代わりに思い通りにならないとむくれてしまいそうなイナリワン。同じ育成方法が通用するとは思えなかった。

「いやいや。そのあたりは心配しなさんな。おいらだって、合わせるべきところは合わせていくよ」

さすがに自分の立ち位置を理解してか、イナリワンはそう言って協調性をアピールした。

「まあよくわかったよ。その代わり、ヤオキの時よりはちょっと目標は高めに設定させてもらうよ」

少しだけにやけながら俺はイナリワンの意気込みに答えた。


4.

イナリワンとの二人三脚がスタートした。

しかし、彼女にとっては雲の上の存在のURAの生徒たち。転厩組が不利益を被ることは往々にしてある。それはイナリワンも例外ではなかった。入学からすでに数日が経っているが、トレセン学園の校風やルール、特に上下関係にもまれてしまっているようだった。

「江戸っ子は曲がったことが大嫌いなんでぇ。いじめられている奴の肩を持ったらなんでおいらが責められるんだよ」

のんびりゆったりの大井トレセンとは違い、鵜の目鷹の目のトレセン学園では、それなりの良績を上げているイナリワンを目の上のたん瘤、と思っているダートが主戦場のウマ娘も大勢いるはずだ。

「それが連中の手なんだよ。君の性格からして、何でも首を突っ込んだり、弱きを助けたくなる気持ちは天晴だけど……」

トレーニングメニュー作成も佳境に差し掛かっていたが、手を止めてイナリワンを諭さなければならない。

「ここではみんながどうにかして一番を得ようとする場所。そのためなら手段を選ばない。それがどんな人道に反する行為でも、ね」

伊達にトレセン学園の中で3年間過ごしてきたわけではない。ヤオキだって、あちこちからかけられるプレッシャーに押しつぶされていてもおかしくなかった。

「ふぅーん、そんなことまでして勝ちたいってことなのかぁ。だったら、オイラは正々堂々、真っ向勝負でいったろうやないっ!」

イナリワンはそう言って、俺にトレーニングメニューを確認する。

「まだお互いのことをよく知らない状態でどっちもメイチでぶつかり合うのはどうかと思ったんで、こんな感じにしてみました」

キャンター、負荷をかけてのジムでの運動、最後にさっぱりしてもらおうと、プールでのトレーニングも組み入れた。

「いやいや、どんなメニューにしてくるか、と思ったら……実際の走り見るのはキャンターだけってか?」

自信ある走りを見せられないのが残念なのか、イナリワンはちょっと噛み付いてきた。

「さっきも言ったけど、今日のところは、お互いの出方を見たいってこと。君が緩いと思っているならきつくしていくだけだし、負荷をどこまで掛けたらいいのかなんて最初っからわかるものでもないだろ?」

簡単なことがまともにできるのか、真剣にできるのかどうか……俺の真意はそこにあった。

「まあ、そういうことならパパーッと終わらせて、次のメニューを所望することになるだろうから、ちゃんと準備、しといてくれよな」

イナリワンは、すでにこのメニューが達成可能な簡単なミッションだと思っているようだ。

「じゃあ、行こうか」


二人して向かったのは、重バ場に設定されたダートコースだった。

「えぇ、ここでやるの、キャンター」

彼女が重や不良のコンディションを不得手にしていることは、大井のパトロールビデオなどで見知っていた。

「そろそろ俺の目的にも気が付いてほしいんだけど……」

「え?」

イナリワンの目力が少し翳った。

「どこまできみが自分の嫌いなことに真剣に取り組むのか、が見たいんだよ」

「うはー、こいつは一本取られちまったぜぇ」

その笑い方は、実にぎこちなかった。

「いやいや、やれるに決まっとるでしょうが。いや、むしろオイラのことを知っていてこんなことを仕向けるなんて、なかなか感心したぜ」

強がってみせるイナリワンだったが、やはり足元の緩いコンディションは嫌いで苦手なのは、走りを見ていてすぐさま気がついた。

「な、なんの……これしきぃっ」

ダートの標準タイムをたまに越えることはあってもほとんどが足を取られたか、途中でやる気を失ったかのようなタイムしか計時されない。

さすがの俺も気の毒になって、

「そろそろ、次のメニューに取り掛かろうか……」

と声をかけるが、彼女がようやくうなづいたころには、疲弊した身体しか残っていない状態だった。

これ以上やったら、物理的な筋肉にも影響する、と悟った俺は、メニューを取り下げて、ここでトレーニングを終了させた。

「え、ま、まだ、オイラ、や、やれるぜ」

肩で息をしながらでもまだトレーニングしたいというイナリワン。

「そう。そう言う前向きで、決めたら頑として譲らないところとか、身体を第一に考えないところとか。そう言うところが俺は知りたかったんだよね」

彼女のストイックなほどの想いはこの日一日で知ることができた。最初からハードトレーニングしたところで彼女の本当の姿を知らなければ何にもならない。

「いやぁ、初日でオイラを丸裸にしちまうなんて。さすがオイラが見込んだトレーナーだよ、感服したぜ」

お互いの信頼感を紡ぐのが最優先事項と考えていた俺の"作戦"は、ひとまず成功したに等しかった。


5.

トレーニングが始まって数週間。とりあえず、俺とイナリワンとの関係は良好だった。

とはいえ、メイクデビューの時期が近付いてくると、さすがにイナリワンはストイックな一面を見せ始めた。

「なぁ、トレーナーさんよ、おいらって、やっぱりダート適性の方が上かい?」

今日のトレーニングもまあまあ納得のいくものができたように感じていた俺に、イナリワンはそういって聞いてくる。

「うーん。大井レース場ではダートしか走ってこなかったわけだろ?その良績があるから、ここに転入できたわけだろ?」

日々のトレーニングで、イナリワンは、であった当時とは見違えるほどに成長した。いろいろと試している途上で、彼女の底知れぬ魅力というものに感じ入る。確かに今はダートでいいかもだが、適正次第では芝もありのように感じていた。それでも、重バ場不得手は、特に滑る濡れた芝ではプラスに転じさせることはなかなか難しい。課題はまだまだ山積みだ。

「今は、ダートでいい成績を残すことが先決。芝に転向するのは、もう少したってからでもいいんじゃないの?」

とにもかくにも、メイクデビュー戦を間近に控えた俺はそう言って、ダートに専念させることに傾注する。

それが功を奏したのか、若干うっすらとついていた脂肪がほぼなくなり、彼女の体は、本番をいつ迎えてもいい具合に仕上がっていった。

明日がいよいよ、という時期に来て、俺はイナリワンをトレーナー室に呼んだ。

「なんでぃなんでぃ、どうかしちまったのかい?」

まさか呼ばれるとは思っていなかったからだろう、イナリワンはそう言って若干笑みを浮かべつつ入ってきた。

「いや、明日のことなんだけど……」

少し自信なさげに俺は話しだす。

「ああ、明日、な。大丈夫、トレーナーさんのおかげで気持ちよく走れそうだぜ」

あっけらかんと言い放つイナリワンに、少し肩の荷が下りた。

「まあ、その調子なら、俺の取りこし苦労って感じだな」

イナリワンの様子を見て、安堵の気持ちが上回ってくる。

「確かに先行で強いライバルがいるのは知っているけど、ここまでやってくれたトレーナーさんの想いにも報いないとな」

強いライバル……オグリキャップのことは当然彼女の耳にも入っている。

「ゴール板前は、アイツとの一騎打ちになるだろうから、勝つか負けるかは時の運だとは思っているよ」

すでにレースのシミュレーションでもしていたのか、イナリワンはそう言った。

「実はそのことをどこまで織り込んでいるのかなって言うのが不安だったんだけど……」

彼女は、自分のことだけでなく、周りにも気が配れている。ただストイックなだけじゃない彼女の想いが伝わってくる。

「そこまで真一文字なオイラでないって気が付いてくれたかい?」

少し得意げに見えたイナリワンだったが、彼女の弁を借りるまでもなく、それは自信の表れでもあった。

「ああ。明日は心置きなく走って来いよ」

そういっておれはイナリワンを送り出す。

彼女の精神力・基礎体力の高さは、大井でのレースぶりからも明らかだった。そんなスターになる素質のあるウマ娘を育成担当にできている……

俺の目標は、果たせなかった中山グランプリ(有馬記念)の優勝に、いつしかなっていた。ダートが主戦のウマ娘でそれが達成できたなら、どんなにすごいことだろう……まるで自分が走るかのように興奮して、その日はまんじりともできなかった。










後書き

イナリワンを育成担当にしたのは、・ダート適性がある ・芝もそれなりに走れる ・有馬記念勝利の設定が育成にある ことが大きいのですが、なんといっても、竹を割ったような性格と、根来との相性がよさげに思ったのがきっかけです。
江戸っ子口調、オトコの子属性もあるのは語りを入れるうえでもなかなか面白かったりします。
さて、次はデビュー戦。勝つのか、どうなのか……彼女の大躍進をどう演出するか、今から楽しみです。 


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