矢澤にこ生誕祭2017
にこにーハッピーバースデー!
「じゃあ私達、これで」
「ごめんね」
二人は退部届を手渡すと、部室を出て行った。未練など感じられなかった。
「…………」
この日、アイドル研究部の部員は、にこ一人になった。
明日から待ちに待った夏休み。来るべきライブに備えてと、夏休みの練習メニューを発表した翌日の事だった。
「…………」
にこは、自分の作った練習メニューを見つめる。
確かに、少し、いや、それなりに厳しい内容かもしれない。でもそれは、スクールアイドルとして高みに立つ為。あのAーRISEのように、いつでも笑顔でいられるように。
「……いいわ。にこ一人でもやってやろうじゃない」
こんな所で立ち止まっていられない。目指すアイドル像は、高く、輝いている。そんな志を共にできない仲間なんて、こっちから願い下げだ。
「……帰ろ」
欲を言えば、もう一日だけ一緒が良かった。一学期が終わり夏休みが始まる。ちょうどその日が、にこにとっては特別な日に当たる。一週間ほど前、一緒に練習している頃は、密かに楽しみにしていたのだ。その為に、さり気なく公言してみたりもした。
「……ま、それも全部無駄だったのね。覚えていたかどうかも怪しいわ」
夏休みの練習メニュー。それだけが理由で、唐突に辞めるとは思えない。つまり、元から思っていたのだろう。にこと自分達の、理想のギャップに。
寂しくないと言えば、嘘になる。昔から、友達と呼べる友達も殆どいなかったにこにとって、少しばかり心が踊っていたのだ。
「……ただいま」
にこが玄関のドアを開けると、
「いいですか、お姉さまが帰ってきたら、まずは電気を消します。お姉さまが驚いている隙に……」
「こころ? 何話してるの?」
「ひゃい⁉︎ お、お姉さま、お帰りなさい!」
「?」
妙な慌て方をする妹のこころに、にこは怪訝な顔をする。だが、
「お姉ちゃん、お帰りー!」
「おかえりー」
下の二人が駆け寄ってきたので、疑問を放置して相手する。
「ただいま。すぐご飯の支度するから、ちょっと待っててね」
「「「はーい」」」
にこは夕食の支度をしながら、練習メニューについて考えていた。
「ペアワーク前提のメニューを削って、ちょっと直せば一人で何とかなるメニューを増やせば……うん、いけるわね」
自分で考えたメニューを、再考案していた。
「見てなさい……。アイドルたるもの、いつどんな時でも、笑顔を絶やさない努力を怠らないようにしないと……。にっこにっこにー!」
翌日、にこは日が昇って間もない時間に起きた。気温が上がる前に、練習に入る為だ。
横で眠る妹達を眺め、
「……行ってきます」
用意を済ませ、少しだけ寂しそうな顔で家を出た。
「にっこにっこにー! にっこにっこにー! にっこにっこにー!」
近くの公園で、軽いアップを済ませると、決め台詞の練習。周囲の通行人の目は冷ややかだったが、にこは笑顔で練習を続ける。
それから、ダンスの練習。振り付けの練習。発声の練習。日は高く昇り、にこは汗だくになる。それでも、
「アイドルは、いつだって本番……。練習だって、ファンに見られてるかもしれないんだから……!」
引きつりながらも、笑顔を崩さなかった。
途中何度も休憩を挟み、夕方。その日の科したメニューを消化したにこは、自宅へ戻る。
「……ただいまー」
昨日と同じように、玄関を抜けて居間へ向かう。だが、
「……誰もいない?」
夏休みで家にいるはずの妹達の、姿が見えない。
「おかしいわね……どこか遊びに行ってるのかしら……。もうすぐ五時になるのに……」
そう呟いてにこが玄関を振り返った瞬間、電気が消えた。
「な、何⁉︎ 停電⁉︎」
慌てるにこの耳に、何やら物音と足音が飛び込んでくる。
「まさか……泥棒……?」
もしそうなら自分にできる事は少ないが、念の為身構えるにこ。そこへ突然、光が戻る。瞳孔が収縮したにこの目に映ったのは、
「お姉さま!」「お姉ちゃん!」
「「お誕生日おめでとう!」」
「おめでとー」
笑顔で自分を見上げる、妹達三人の姿だった。
「え、え……? どういう事……?」
状況が飲み込めないにこ。
「お姉さま、忘れたのですか? 今日はスーパーアイドル矢澤にこの、誕生日ですよ」
「ああうん……それは知ってる」
「お姉ちゃんいっつもご飯とか作ってくれてるから、お誕生日はお祝いしようって、けーかくしたんだよー!」
「ここあ……」
「お姉さまみたいに上手にはできませんでしたけど、ケーキも作りました!」
テーブルに置かれたワンホールのショートケーキは、確かに歪だった。だが、
「こころ……ここあ……虎太朗……」
にこは三人を腕で寄せると、強く抱きしめた。
「ありがとう……お姉ちゃん、すっごく嬉しい」
もしかしたら、滲んだ涙を見られないようにしたかったのかもしれない。
「じゃあ、いただこうかしら。三人からの、最高のプレゼントを」
こころ達から離れた時には、にこはすでに笑顔だった。
そこへ、唐突にこころが進み出た。
「お姉さま、ライブを見せて下さい!」
「へ?」
「スーパーアイドルであるお姉さまの、バースデーライブというものです!」
瞳を輝かせるこころ。
「いや、そんないきなり言われても……。準備できてないし、ここ狭いし……」
「ライブ! 見たい見たい!」
「らいぶー」
ここあと虎太朗も、賛同するかのように飛び跳ねる。
「…………」
断れない雰囲気。
「お姉さま、お願いします!」
妹弟達の、キラキラした笑顔。何か……分かった気がする。にこの中で、何かがカチリとはまった気がした。
「まったく……仕方ないわね。今日だけよ?」
笑顔を見せて、ファンを幸せな気持ちにさせるのが、アイドルの仕事だと思っていた。
違った。
アイドルは、笑顔を見せる仕事じゃない。笑顔にさせる仕事なんだ。
妹達の表情を見て、かつてアイドルに憧れていた幼き自分の姿を思い出していた。
「スーパーアイドル矢澤にこの、一日限りのバースデーライブ。とくと御覧なさい!」
にこのアイドルは、ここから始まる。たとえ一人でも、多くの人を笑顔にさせてみせる。
それがにこの、アイドルとしての形。にこの、女子道。
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