最後だから
Twitterでお世話になっているフォロワーさんへ送る、お祝いのまきりんぱな小説!
秋。台風や秋雨前線の影響で、どんよりした天気が続くこの時期。
音ノ木坂学院の教室で、三人の生徒が顔を合わせていた。
「うぅ〜……決まらないにゃぁー……」
「いつまで悩んでるのよ……」
「凛ちゃん、そろそろ決めないと、間に合わなくなっちゃうよ……?」
頭を抱える凛の前には、机に置かれた一枚の用紙。名前以外の記入欄は、まだ白紙。
「だって分からないんだもん! 真姫ちゃんはいいよ! 決まってるんだから!」
「それはまあ……入学した時から言ってたじゃない?」
「そうだけど〜……。かよちんまですぐに決めちゃうなんて思わなかったにゃ……」
「ご、ごめんね」
「何で花陽が謝るのよ」
「な、何となく……」
「はぁ……。分からなかったら、『進学』って書いておけばいいでしょ。ーー進路調査なんて」
「それは……」
なおもペンを持とうとしない凛に、二人は首を傾げる。
「何か問題があるの?」
「凛ちゃん、これに書いたからって、絶対にそうしなくちゃいけないわけじゃないんだよ? もっと気楽に考えて」
「そうだけど……それじゃダメなんじゃないかな」
「「?」」
「真姫ちゃんは、医学部でしょ? かよちんも、大学に進学」
「まあ、さっきも言った通りそういう約束だからね」
「私は真姫ちゃんみたいに目的が決まってるわけじゃないけど、何かやりたい事を見つけたくて」
「……うん。だから、自分の将来に関わる事だもん。ちゃんと考えて、ちゃんと決めたい」
向けられた真っ直ぐな瞳を、二人も受け止める。
「……そうね」
「でも、悩みすぎたらダメだよ?」
「うん!」
「じゃ、帰りましょうか」
教室を出て、三人で廊下を歩く。
ふと、開いていた窓から声が聞こえてきた。
「ワン、ツー、スリー、フォー、ワン、ツー、スリー、フォー!」
「「「…………」」」
屋上から聞こえる、練習の声。
「……久しぶりに、顔出してみる?」
「雪穂ちゃん達、頑張ってるかな」
「凛も久しぶりに体動かしたいにゃ〜!」
三人の胸元。そこで揺れるリボンの色は、緑。
卒業まで、あと半年。
次の日、土曜日。
“進学する”かもしれない凛の為に、土日は三人で集まって勉強会する事が日課になっていた。
場所は、各々の家だったり、図書館だったり、学校だったり、様々。今日は、星空家だった。
「おはよ、花陽」
「おはよう、真姫ちゃん」
凛の家へ向かう前に、二人は待ち合わせる。
並んで歩きながら、自然と話題は凛の事になる。
「凛ちゃん、どうするのかな……」
「さあ。こうして勉強してるんだし、大学行くんじゃないの?」
「でも、凛ちゃんはしっかり決めたいんじゃないかな。自分が納得した道を歩くのが、凛ちゃんだと思うから」
「私も、凛ならそうすると思うわ。今、私達にできるのは、凛のサポートをする事。凛がどんな道に進むにしても、それを応援して、助ける事」
「真姫ちゃん……」
「な、何よ」
「ううん。真姫ちゃんも、そんな風に考えてたんだなぁ、って」
「どういう意味よ。私だってちゃんと考えるわよ。……大切な、友達の事なんだから」
「うん、そうだね」
「真姫ちゃーん、potentialityって何〜?」
「“可能性”よ。……あなたそれ、今さら悩む単語じゃないわよ?」
「だって英語苦手なんだもん……」
「でも凛ちゃん、英語は必須科目だから頑張らないとっ」
「う〜……。分かってるけど……」
「はぁ……。ちょっと休憩しましょうか」
「ホントに⁉︎」
「態度変わりすぎ。やっぱりやめようかしら?」
「真姫ちゃんイジワル!」
「冗談よ。ーーお茶淹れてくるわ。キッチン借りるわね」
真姫が凛の部屋を出て、キッチンへ向かう。
「……もし凛が進学を選ばなかったら、この勉強会も無意味になるのかしら。そうだとしたら、私は何をするのが正解……?何をすれば、凛の為になるのかしら……」
真姫が茶葉片手に独り言を漏らしていると、
「ーー真姫ちゃん」
背後から声が飛んだ。
「あら凛。どうかした?」
キッチンの入り口に立つ凛に、真姫は平静を装って訊ねる。
「うん、ちょっと真姫ちゃんに訊きたい事があって」
「何よ。勉強なら花陽に訊けばいいじゃない。わざわざ私の所に来なくても……」
「ううん、勉強じゃなくて、真姫ちゃんに訊きたい事」
「? 一体何?」
花陽ではなく、比べて付き合いの浅い真姫に訊く事などあるのだろうか。そう思う真姫だったが、
「じゃあ、話してみてよ」
断る理由も無いので促してみる。
「真姫ちゃんって、いつから医学部に……お医者さんになりたいって思ったの?」
「え?」
「入学した時からって事は、もっと前からって事でしょ? じゃあいつから、そう思ってたの?」
「いつ……」
真姫は記憶を遡ってみるが、すでにそれは曖昧だ。
「覚えてないわね。パパみたいになりたいって、それから病院を継がなきゃって。いつの間にかそう思ってたわ」
「それって、苦しくなかった? だって自分の将来が、もう決まっちゃってるんだよ?」
その質問は、μ'sに入る前なら答えられなかっただろう。他の可能性など考えなかったあの頃、全てがレールの上だった自分なら。
「全然」
そして真姫は、即答していた。
「確かに私の道は決まってるわ。でも、世界はそれだけじゃない。私には音楽があって、μ'sがある。仲間がいる。ーーそれを教えてくれたのは、凛。あなたなのよ?」
「え……凛が……?」
「あなたがμ'sに誘ってくれたから。私と、友達になってくれたから」
「そんな……誘ったのは穂乃果ちゃんで、凛じゃないよ」
「ううん、凛がいたから、花陽がいたから、私は今ここにいる。それだけは確かよ」
「真姫ちゃん……」
カップにお茶を注いだ真姫は、トレーを持ち上げる。
「さ、戻りましょ。ちょっと休憩したら、また勉強再開よ」
話は終わりと言わんばかりに、凛の横を抜ける真姫。
「だから……ありがと」
本当に小さな声。空耳かと思ってしまうようなボリュームだったが、
「……うん!」
凛は笑顔で頷いていた。
勉強会も終わり、二人は帰路につく。
花陽が自宅へと到着すると、ケータイに着信があった。
「凛ちゃん?」
そこに表示された名前を見て、少しだけ首を傾げた。平日も休日も毎日会っているのに、わざわざ電話してくるのは珍しい。何か忘れ物でもしただろうか。
「もしもし?」
『あ、かよちん! もしもし? そろそろ着いた頃だと思って!』
やはり流石だと思った。
「うん、ちょうど今着いたところだよ。でもどうしたの?」
『ちょっとかよちんと話したい事があって』
「話したい事?」
明日では駄目なのだろうか。真姫がいないこの状況、二度手間になってしまう。
『さっきね、真姫ちゃんと話したの』
花陽は、凛と真姫の会話を教えてもらった。真姫の本音を。
「真姫ちゃん、そんな風に思っててくれてたんだ……」
『かよちんは? どう思う?』
「え?」
『真姫ちゃんじゃないけど、かよちんももう道を決めてて、その為に頑張ってる。かよちんは自分を、どう思ってるの?』
「私は……」
道を決めたと言っても、自分は明確にやりたい事がある訳ではない。“他に無いから”進学を選んだと言っても差し支えない。
ただ一つ分かっている事は、この先は同じ道を歩めない事だ。幼い頃から、ずっと一緒だった。今までは、困ったら走る凛の後ろを追いかけていれば良かった。
これからは、そうはいかない。自分の道を、自分で歩いていかないといけないのだ。
「凛ちゃんのおかげだよ」
『え?』
それでも、不思議と不安は無かった。何故なのか。答えはすぐに出た。
「私は凛ちゃんに背中を押してもらって、凛ちゃんと一緒に頑張って、凛ちゃんから勇気を貰った。だから、怖くない」
『そんな……凛は何もしてないよ。いつも助けてもらってばっかりだし』
「うん、そうかもしれない。でも、結果的に凛ちゃんは、私に勇気をくれた。自分で踏み出す力をくれた。それって、凛ちゃんにしかできなかった事じゃないかな」
『凛にしか、できない事……』
花陽は、目を閉じる。目の前に浮かぶ、大好きな幼馴染の姿を思い浮かべて。
「これから進む道は違っても、それは変わらない。凛ちゃんはいつも私に、皆に、勇気をくれる存在なんだと思うよ」
『そう、なのかな……。凛よく分かんないや』
「うん。きっとそれでいいんだよ。凛ちゃんはいつも通り、今まで通りで。それだけで、皆の助けになれるんだから。真姫ちゃんも言葉にはしてなかったかもしれないけど、同じ事を思ってたんじゃないかな」
『かよちん……ありがとう。何となく、分かった気がする』
「ホントに? 良かった」
『じゃあまた明日ね!』
「うん、また明日」
それから数日後、花陽と真姫の前で、凛は真っ直ぐ言った。
「凛、先生になる」
少なからず、驚く二人。
「真姫ちゃんとかよちんと話して、考えたの。真姫ちゃんに色んな道を見せた事、かよちんに勇気を与えた事。自分じゃあんまりそう思わないけど、それが凛にできる事なら、それをより多くの人にしてあげたい」
「凛……」
「凛ちゃん……」
「ダメ……かな」
やはり自信が無いのか、遠慮がちにそう訊いてくる凛。
「そんな事ないよ! すっごくいいと思う!」
「凛が先生か……。どんな先生になるのか楽しみね」
花陽は凛の手を取って、真姫はウインクをして、賛同する。
「かよちん……真姫ちゃん……。ありがとう! 凛きっと、立派な先生になる! 頑張るね!」
「うんっ!」
「ええ」
キラキラ笑う凛に、花陽と真姫も笑顔を作る。
「ーーそれとね、もう一つ考えてきた事があるの」
変わって、凛は真剣な顔で口を開いた。
「それって?」
「何よ」
それを察知したのか、二人も姿勢を正す。
「実は…………」
三月。気の早い桜の蕾がいくつか開かせたこの日、音ノ木坂学院は卒業式を迎えた。
アイドル研究部として過ごした三年間も、今日で終わりを告げる。
涙なしには語れない送別会を終え、凛、花陽、真姫の三人は校門に立っていた。
「……思い返すと、あっという間だったわね」
「……うん。全力で駆け抜けた三年間だったと思うな」
「……入学した頃は、こんな三年間になるなんてちっとも思わなかったにゃ」
三人揃って、ふふふ、と笑う。
「……凛ちゃん、本当に良かったの?」
確認するように、花陽が訊いてくる。
「……うん。これでいいの」
三人の手には、それぞれトロフィーや賞状、写真に細かなグッズなど。様々なモノで溢れていた。
全て、μ'sとしての思い出。部室に備品として置いてあった、九人の心。
「凛達は、最後のμ'sだから。やっぱりμ'sは、あの九人だからこそだと思うから。……だから、凛達がいなくなったあそこに、μ'sを残しちゃダメなんだと思う。今はもう、新しいスクールアイドルが……っ頑張ってるんだもん……っ」
少し寂しそうな横顔を、二人は見つめる。
「……バカね」
不意に、真姫が肩を寄せた。
「……泣きたいなら、素直に泣けばいいじゃない」
口元を噛み締めた凛の目尻には、隠しきれない雫が煌めいていた。
「……真姫ちゃんには、言われたくない、にゃ」
「……あら、今日は……そう、言われる筋合いは、ないわよ……っ」
真姫の声が、次第に小さく、震えていく。
「真姫ちゃん……?」
すでに真姫は、ポロポロと涙を零し始めていた。
「我慢なんて……できるわけないじゃない……! 私達が……μ'sが守ったこの学校に、μ'sがいなくなるのよ……? 私達が最後なのよ……? そんなの……寂しいじゃない!」
反対側から、花陽が肩を寄せる。
「凛ちゃん、今まで本当にありがとう。これからはいつも一緒にはいられないんだよね……。別々、なんだよね……っ」
花陽の言葉は、嗚咽に変わっていく。
「かよちん……」
「ずっと……ずっと一緒が良かった! 凛ちゃんと離れるなんて嫌だよぉ……!」
「凛も……」
凛の頬を、涙が伝う。
「凛だって、かよちんと……真姫ちゃんと……一緒にいたい。大好きな、友達だもん……っ。でも……だからこそ、前に進まなくちゃいけないんだ!」
凛は乱暴に涙を拭うと、振り返って『外』を見る。
「最後だから、最後だからこそ、走り出さないと! それがーー」
再び流れる涙。止まろうとしないそれを輝かせ、凛は笑顔を見せる。
「ーー凛達、なんだから!」
両腕を広げた凛に、
「……うん。そうだよね。ずっと……私達がやってきた事だもんね!」
「最後から始まるスタート……ね。それが私達よね!」
花陽と真姫は飛び込んだ。
涙を輝かせ、そしてそれ以上にキラキラした笑顔を煌めかせる最後のμ's。
その声は一陣の風に乗り、どこまでも広がる青空へと消えていった。
このSSへのコメント