夜に向かって
短編です。
多少の流血描写があります。
雑音混じりの内線が鳴る。
壊れかけたその機械を手に取り、男は話す。
「そっちの損害は、どうだ?」
『大中破が4人、その他軽微な怪我をした娘といった所です。…幸いにも、沈んだ娘は誰も居ません。…提督の指示の賜物です。』
「…そうか。そいつは良かった…」
『…提督、まだ執務室にいるんですよね…!?
今すぐに救護を送りますから』
「いや、大した怪我じゃあないし、そっちも忙しいだろう。救護の必要は、無いよ。
それじゃあ、無線を切るぞ」
『!!提と…』
大淀が焦りと疲労の滲む声を出していたが、それをすべて聞かずに、通話をそのまま切る。
通話を切ると、それまで気を張り、気丈に立ち、振舞っていたその男は、壁に寄りかかりながら座り込んでしまう。
額の汗と血が目に入り視界を妨げるが、身体がとても重く、それを拭う事は出来なかった。
沈んだ娘は誰も居ない。
その言葉を聞き、ようやく荷が降りた。ようやく、やるべき事が全て終わったように思えた。
「…バカね、あんた。
わざわざ救護を断る必要もないじゃない」
そう口を出してきたのは叢雲。
運悪く、本日秘書艦だった駆逐艦である。
彼女もまた、壁にもたれかかりつつ喋っていた。
「…この様を、見れば解るだろ。
手当ての為、労力を割く必要なんて無いって」
「…そうね。お互い、ね。」
「な、さっきの判断は正しいだろう?」
その言葉に、彼女は苦笑のみで答える。
その顔を見た提督は、嬉しそうに微笑んだ。
そして、ふと思い、内ポケットにある煙草に手を伸ばす。
が、血でべっとりと濡れたそれは、本来の役目を果たしそうには無い。
非常に残念ながら、最後の喫煙は断念するしかなさそうである。
それからしばらく、一人の男と少女の間には、沈黙が立ち込めた。
破壊された部屋の中に立ち込めた沈黙。
それを破ったのは、男の方だった。
「…思えば、此処から俺は。
『提督』は始まったんだよな」
急にそう言った提督を訝しむ叢雲を横目に、提督は改めて自らの居る部屋を俯瞰的に観つめる。
そしてノスタルジィな気持ちで昔を思った。
家具が揃いきって居ない殺風景な部屋。
机すら無いほどの、仕事の為だけの部屋。
此処が本当に執務室なのだろうかと思う程の、中々に酷い状態の部屋だった時を。
何とか軍備を整え、未熟ながら指揮し、そして数えきれない手紙を書いた事を。
「で、此処で俺は終わる訳だ。…全く、何とも締まらない、書類に追われた提督人生だった」
「それじゃあ、もっと特攻とかして格好良く散華したかったの?」
「…それはそれで、嫌だな」
「…我儘ね」
今度は提督が苦笑で返す事となった。
思考はもう少しの間、過去へと移る。
そして彼はもう一つ、大事な事を思い返した。
「…そういえば、お前に。
最初の艦娘に会ったのも此処で、だったよな」
「…そうだったわね」
「…なあ、お前、覚えてるか?駄目駄目だった俺をバシっと叩いて、喝した事」
「…さあ、覚えてないわ。あんたに喝した回数なんてとても数えきれないもの」
「酷ぇな、最近はちゃんとしてたろうが」
「全然、まだまだだったわよ」
「はは、何とも手厳しい…
それでも、どうだ?さっきの俺の軍刀捌きだけは中々のものだったろう」
「…見てなかった」
「そりゃ、残念。化物を撃退した勇姿を、是非とも、お前に見てもらいたかったのになぁ」
「…そうね。私も見てみたかった。
司令官、の–––」
その先の言葉は、男の、提督の血泡を伴った咳によって掻き消されてしまった。
もう一度だけ言うよう頼んでも、叢雲は少し恥ずかしげに口をつぐむのみだった。
そして、再びの静寂。
それが破られたのは、二人の鼓動が静かになりつつある頃。再び、提督によるものだった。
「なあ、叢雲。
…ちょっと、こっちに来れないかな?」
「……?」
「…情けないがな。
手を、握って欲しいんだ」
「……」
「……怖いんだ。」
「…なにが?」
「人を殺した者は、地獄に行くという。
…なら、俺は何処に行く?
地獄の特等席か。更に、酷い所か?」
「…身体が動かないわ。
そっちに…行けそうにない…」
「…そうか。…すまんな。
最後まで、情けない所を、見せてしまった。
今言った事は、無かった事に…」
「……」
「…叢雲?」
返事が返ってこない。
もう一度、もう二度と、何度か呼び掛けたが、同じ事だった。
「…なんだよ。俺より先に逝っちまうのか」
そう愚痴をこぼし、彼も眼を閉じようとした。
その時である。ふと、誰かに手を握られたのは。
視覚も、触覚も、聴覚も。
全ての機能がほぼ停まっている筈の提督に、その感覚は感じられ、そして、その声は聞こえた。
あんたは確かに地獄行きかもしれない。
でも、安心していいわ。
地獄に堕ちるのはあんただけじゃない。
地獄に行くのは私も一緒。
私も奴らを殺しすぎた。
だから、一緒に堕ちていきましょう。
何処までも一緒にいましょう。
どう?それなら、怖くは無いでしょ?
(ああ。確かに、そいつは心強い。
そんなら、怖くはない)
必死に身体に力を入れ、もう何も見えない筈の眼を、いっぱいに開ける。
するとそこには、彼の頼れる、そして、愛しい初期艦が座り、微笑みつつ手を包んでいた。
(だから、安心して眠りなさい。
怖がらなくていい)
(…ああ。ありがとう、叢雲)
(…こちらこそ、司令官)
そう言って、笑い合う。
不思議と身体は軽かった。
そして彼は再び目を閉じた。
二度とは開かないのだと、そう思いながら。
(おやすみなさい)
(ああ、おやすみ)
そうして彼は総てを終えた。
疲れて眠りについた、子供のように。
ただ安らかに安らかに、その目を閉じたのだった。
終わり
以上です。
雷や霞よりも叢雲に母性を感じます(断言)
( ;∀;)シリアスゥ
誰かの為に生涯を捧げて死んだのだ。
地獄では無く天国だよ逝くところは
勇敢に闘った初期艦、提督に敬礼!
後書きにすごく共感する