「地図に無い島」の鎮守府 第七十七話 快晴、のち災い・前編
部屋に戻った曙と潮、漣の会話。
そして、ガスの止まった古い団地では、敷波と松田提督のつつましやかな停滞が続いていた。
翌朝、堅洲島では、快晴と共に様々な任務が動き始めようとしていた。
そして、横浜の対深海総司令部での提督と元帥の会話。
榛名の引っ越しを手伝う金剛と霧島。しかし・・・
先進医療病院では、ある意外な艦娘との再会と異動が待ち受けていた。
そして、かつて柱島の提督だった、青山医師と傷だらけの陸奥の意味深な話。
そして、提督と叢雲、大鯨は、先進医療病院の深部で恐ろしいものを見る。
7月14日、一度目の更新。
7月24日、二度目の更新
8月9日、三度目の更新
8月31日、最終更新です。
潮ちゃんの考え方が少しだけ変わるエピソードと、満身創痍だけど再起と復讐を考えている、解散した大湊第四の松田提督と、敷波。
そして、横須賀対深海での提督と元帥の話、さらに病院では、以前の提督の担当だった大鯨ちゃんが登場します。
提督に大鯨ちゃんと機密を引き渡した青山医師は、傷だらけの陸奥と意味深な会話をします。
そして、病院の地下では深海側の人体改造の標本と、かつて提督がアフリカで倒した深海化したライオンの標本も登場します。
そろそろ、叢雲と提督の事も掘り下げられていきそうですね。
また、大鯨ちゃんが過去にどんな戦いをしたかは、いずれ触れられると思います。
第七十七話 快晴、のち災い
―2066年1月9日、マルヒトマルマル(午前一時)過ぎ。七駆の部屋。
曙(ふう・・・質問攻めにされちゃったな・・・)
―陽炎とその妹たちからの質問攻めは、今日で終わらなかった。曙が好きな時に好きなものを奢る、という条件で、今後も何やかやと質問攻めに合う事が確定しただけだ。浦風などは曙が忙しい時は色々と手伝ってくれると言っていた。
―カチャッ・・・パタン
―ゴソゴソ・・・ムクリ
―薄暗い部屋の中、既に寝息が立っていたと思ったが、誰かが起きる気配がした。
潮「おかえり・・・曙ちゃん」
曙「あっ、ごめん起こしちゃった?」
―カーテンからわずかにこぼれる雪明り以外は、ほぼ光源は無い。ベッドの上の潮のシルエットが見えるだけだが、それがいつもより力強く見える気がした。
潮「ううん、そんな事ないよ」
―潮は何か話したい事があるのだな、と、曙はすぐに感じた。
曙「どうしたの?」
潮「・・・あのね、今日、香取先生に教えてもらっていた護身術の成果を提督に見てもらったの。それで、仕上がりがとても良かったみたいで、予定通り特務が始まるって」
曙「うん、知ってるよ。何気に頑張ってたもんね」
―少しだけ沈黙が流れた。これは、潮が言いたい事を上手に言えない時の間だと、曙はすぐに気付いた。
曙「・・・何か話したい事があるんでしょ?」
潮「うん・・・曙ちゃんと漣ちゃんみたいに、提督とうまく話せないなあって。一生懸命練習して、提督にも褒めてもらえたの。すごく嬉しかったけど、だけどそれ以上は話も何も続かなくて・・・」
曙「・・・潮は、提督の事が気になるの?」
潮「・・・ううん、それは分からないの。でも、漣ちゃんも曙ちゃんも、何だかすごく落ち着いて自信にあふれている感じがして、きっとそれは提督とよくお話しているからなのかなって」
曙「もう少し話してみたいって事ね?でもきっとね、話しづらいとかそういう事は無いと思うの。なんだかんだでクソ提督は割とノリがいいし、セ・・・」
―ここで曙は『セクハラ』という言葉を出そうとして、慌ててそれを引っこめた。また面倒な話になるような気がしたのだ。少しだけ話しの方向を変える。
潮「?」
曙「何でもないわ!前も言ってたけど、潮は怖がりだから、提督なりに気を使ってるだけだと思うし、そもそも潮から話しかけないとダメだと思うけど?かわいい子や綺麗な人、強い人も沢山いるんだもん。ただ、とても大事な任務を振り分けてもらえたのは大きなチャンスだと思うわ。それを大事に生かす事よね」
潮「・・・うん、ありがとう」
―しかし、潮の声の感じは何も解決していないと感じさせるものだった。
曙「煮え切らないわね。何か別の気持ちが隠れてない?」
―カチャッ・・・パタン
漣「ただいまですぞ~・・・あれっ?(小声)」
曙「おかえり。お疲れ様ね。朧は夜間警備だし、潮はこの通り起きてるから、小声で話さなくても大丈夫よ?」
漣「ほーん・・・?うっしー、何か悩み事?」
―秘書艦の任務から帰ってきた二人、仲のいい二人を見て、ある疑惑を抑えきれなくなった潮は、いきなり声に出してしまった。
潮「も・・・もしかしたら提督はおっぱいの大きい子はあまり好きじゃないんじゃないかなって!」
曙「ええー!?」
漣「いきなりすごい話題(゚∀゚)キタコレ!!」
―とはいうものの、曙も漣もすぐに答えを返せずにいた。そんな気がしないでもなかったからだ。
漣「でも、おっぱいなのか女の子なのかはわからないけれど、とりあえずどっちも嫌いって事は無さそう」
曙「そ、そうよ!」
漣「潮さんはあれですな。ちょっとこう、育ちすぎているけど純粋だから、そりゃあご主人様だって気を使うでしょーよ。私たちのおっぱい触るのと、うっしーのおっぱい触るのじゃ、もう絵面からして色々とヤヴァイ違いがあるもん」
潮「気を使われているだけ、なのかなぁ?自信なさげだから避けられているとか、そんな事はないかなぁ?(今、育ちすぎてるって言った?)」
曙「それは無いわね。断言するわ。ああもうめんどくさいから添い寝でも言ってみれば?クソ提督のほうが気を使っちゃうかもだけど」
潮「そっ、添い寝とか無理だよ・・・そんなこと・・・」カアッ
曙「冗談だってば。本気にし過ぎよ?」
漣「そういうとこやぞ?ご主人様が気を使うのはきっとそこ。そこで冗談を返すくらいでないと。ご主人様って無口に見えるけど、割としゃべるし面白いこと言うし、たぶんちゃんと男の子ですぞ?」
曙「そうそう!だって考えてみてよ、あたしが色々突っかかったのになんか秘書艦にされちゃってるのよ?気を使えば相手も気を使うって事だと思うの」
潮「気を使えば、相手も気を使う・・・そっか。・・・ねえ、ぼのちゃんも漣ちゃんも、どうしてそんなに自信が持てるの?」
―この潮の質問に対して、二人は少しだけ考えた。特に自信を持っているつもりは無かったし、潮から見てそう思えるような部分に、すぐには心当たりが無かったからだ。
曙「うーん・・・特に自信を持ってるつもりは無いんだけど」
漣「ですなぁ」
潮「でもっ、不安とか全然感じないよ?」
曙「・・・あっ、分かったわ。ここの任務がとても重いのに、私たちまでそんな感じだったら、流石にクソ提督だって辛くなるでしょうが」
漣「あっ、それはわかりみ。私たちが元気でなかったら、ご主人様がきつくなっちゃいますぞ」
―そうだ。それは曙も漣も心掛けている事だった。提督自身が全く不安の影を見せないのは、おそらく気遣いで、自分たちもそれに同調している部分はある。それは自信に見えなくもない。
潮「そうなのね?・・・そっか。なんか、分かって来たかも!」
漣「ほうほう」
曙「潮が不安そうだったり、自信なさげにしてたら、元々のここの任務で気が重いのかな?なんて考えることだってあるだろうしね」
潮「そうだね、うん。自分だけの問題じゃないんだよね!」
―何かを不安に思い、その雰囲気を出すこと。それは時に、親しい人に意外と大きな影響を与える事もある。当たり前のことだが、意外と忘れがちだ。
漣「だからって無理に明るくしたり、不安を押し殺したりするのはまた違いますぞ?」
潮「うん、ありがとう。なんか、頑張れそう!」ニコッ
―微笑む潮の笑顔に曇りが無いが、それは同時に漣と曙の心も引き締めていた。本当は七駆で一番強くなりそうなのは潮だと知っていたからだ。
漣「私もがんばろっと!」
曙「負けないからね!」
―仲の良い七駆の部屋の夜は更けていく。
―同じ頃、東京都足立区、古い公団住宅の敷地内通路。
―敷波は、パートの仕事が終わった帰り道・・・雪で真っ白になり、よく滑る道を、慎重に歩いていた。
敷波(えーと、あっ!)
―敷波の視線の先には、自分たちの住む棟と、その一階のある部屋にだけ明かりがともっている、寂しくも温かな光景だった。雪明りの道を急ぐ。
―ガチャッ・・・バタン
??「おかえり。・・・風呂、入れるぞ?」
敷波「ただいま。今日もお惣菜貰って来たから、遅いけどご飯にしようよ。かき揚げもあるよ?」
―敷波は勤め先のスーパーからもらった総菜の入った袋を持ち上げ、窓際に座る、左袖のしぼんだ男の後姿に声をかけた。防寒仕様の士官服だったそれを着た男は、ゆっくりと振り向いた。その右目は眼帯がかけられ、生々しい傷跡が眼帯からはみ出している。かつての大湊第四の提督、松田提督だった。
松田提督「蕎麦が良いか?それともうどんかな?代わりだねではかき揚げ茶漬けというものもあるが・・・」ニコッ
―松田提督は明るく笑ったが、敷波にはそれが、自分に対する気遣いだと知っていた。本当は暗く悲痛な怒りが、この提督の心にいつまでも雪を降らせているのだ。
敷波「じゃあ、寒いからうどんがいいかな」
松田提督「わかった。ではすぐに作ろう。風呂に入ってしまうといい」ノソリ
敷波「あっ、電気温水器に変わったの?」
松田提督「ああ。もうこの住宅は、老朽化してガスが使えないからな。残った世帯にはこの電気温水器なんだそうだ」
敷波「・・・そうなんだね」
―引退した提督は、最低限の生活が保障されている。何もこんな場所に住む必要は無かったが、松田提督は引退した提督が請けられるらゆる保護や恩給を辞退していた。その理由を、敷波だけは知っている。
―浴室。
―チャプ・・・
敷波(ほんと、どうしたらいいんだろう?)
―現在の仕事や日々の生活は、決して安らぎでも安定でもない。次の絶望的な闘いの日々の前の、休息にもなり得ない幻のようなものだった。
―『どうしたら深海を滅ぼし、勝てるのか?今のままでは勝てない』
―敷波と松田提督はそればかり考えて日々を過ごしている。ほぼ壊滅した大湊第四の仲間、艦娘たちの敵を討ち、深海を倒したいと考えていた。しかし、その道筋が見えない。以前の鎮守府及び艦娘の運用ではどうしても一枚岩の深海に対して遅れを取ると、前回の大規模侵攻で嫌という程思い知らされた。
―しかし、その二人に転機が訪れようとしていた。
―翌朝、2066年1月9日、マルナナマルマル(午前七時)過ぎ、堅洲島鎮守府。
―雪は止み、白く輝く銀世界と青い空の下、早朝から様々な動きと任務の準備で、既に堅洲島鎮守府はあわただしい動きをしていた。放送が鳴り響く。
府内放送(叢雲)「おはようございます。これより、水上機『わだつみ』の離水時刻と、特務司令船『にしのじま』の出航予定時間を告知いたします。各作戦の出撃予定時刻間及び移動手段を確認して、遅刻の無いようにしてください」
―快晴となった堅洲島では、様々な任務が同時進行で始まろうとしていた。
―執務室。
提督「さて、では、現時点まで着任・異動を行わなかった理由の説明と、これからの作戦について説明させてもらう」
―執務室には堅洲島の多くの艦娘と、まだ異動をしていない飛龍、龍驤、長月、金山刀提督、瑞穂、高雄と愛宕、摩耶、鳥海の姿があった。
提督「まず、あえて飛龍、龍驤、長月、君たちをまだ異動していない状態について説明させていただく。我が鎮守府が担当している幾つかの特務のうち、裏切り者・・・つまり深海側と内通のある可能性の高い、精強な鎮守府と関わりそうな案件が出てきた。これに、我が鎮守府の艦娘及び、下田鎮守府の艦娘と共に当たり、裏切り者を明確にし、深海側が現れれば、これを殲滅する。・・・結果として、下田鎮守府の復活の目が出てくるというわけだ」
龍驤「なるほどやな。ウチらだけ少し待ってくれって言われたり、高雄さんたちが兼帯だったのはそういう事かい」
提督「そういう事だ。利点や理由は細かいものも色々あるが、おそらくこういう形が一番いい。以前の形式の鎮守府には第二参謀室の影響力が強いが、それが一枚岩でなくなる事の効果も高いしな」
飛龍「あの、でも提督さん、私は一度言ったことをひっくり返すつもりはありませんよ?」
―飛龍は、堅洲島に異動する考えを変える気はない、と言っているのだ。
提督「分かっている。なので、君らを得られた分だけの恩を下田鎮守府に返しておきたいと考えていると思ってほしい」
飛龍「ありがとうございます。律儀なんですね」ニコッ
提督「同時に、なんだかんだ言って金山刀提督には、独特な勘の鋭さというか、選択を間違えない良い面がある。再び提督に返り咲いてもらった方が良い気がしてな。君らも本当はその方がいいだろう?高雄と愛宕」
高雄「そうですね。もし、以前のように戻れるなら、私はそれが良いかと思います」
愛宕「うふふ、提督さん、うちの提督のいいところがわかるのね。いい加減なようで間違えないのがうちの提督の良いところよ~」
提督「だよな?有効な戦力をごっそりこちらに移すのは、金ちゃんが本当に提督として返り咲けないならやむを得ないが、そうでなければあまりそんな事はしない方が良いに決まってる。というわけで、金山刀提督は司令船にオブザーバーとして乗り込み、肝心な場面での選択をしてもらいたい。主に、深入りするか否かの局面において、な」
金山刀提督「わ、分かったぜ!勘を信じてやってみらぁ!」
提督「瑞穂さんもいるし大丈夫だろう。・・・この方面の特務作戦の指揮は赤城、君が執ってくれ。扶桑を相談役にするのを忘れないように」
赤城「かしこまりました。深海及び、それに与する裏切り者が現れた場合は?」
提督「可能であれば、この鎮守府の全体の戦略思想に準じ、局地戦として殲滅せよ。また、敵側に関与している提督が確認できたら、おれを呼んでくれ」
赤城「諒解いたしました!ところで、加賀さんは参加できないのですか?」
提督「加賀さんは少しだけ野暮用が出そうなんだ。それが終わり次第と言ったところかな」
赤城「野暮用・・・ですか?」
提督「総司令部からの転送メールの一つを一部閲覧可能にしておくので、後で読んでみてくれ」
赤城「総司令部からの?・・・わかりました」
提督「それと足柄、南紀州の件が動くまで、まだもう少し時間があるようだ。遊び感覚で小笠原をつついてほしいが、遊び感覚の意味はわかるかな?」
足柄「遊び感覚?・・・そうねぇ、時間、編成、侵攻方向を毎回適当に変えてプレッシャーを与えつつ、奴らの編成やデータを集めて、本格的な戦いを組み立てる基とする。これにより、本気で侵攻する際には効果的な陽動が可能になり、潜水艦隊での航空機鼠輸送が有利に運びやすくなる。・・・そんな所かしら?」
提督「・・・なかなか見事だな。これで退屈しないですむはずだ」ニヤッ
足柄「いいわねぇ。ではその作戦の組み立ても行うわ」ニコッ
―こうして、下田鎮守府に所属していた艦娘の一部と、堅洲島の有効な戦力は特務司令船『にしのじま』で紀伊半島の沖合へ隠密航行に出た。提督と何人かの艦娘は総司令部や本州での任務のために大型水上機『わだつみ』で、まず横須賀の対深海に向かう事になった。
―同日マルキューマルマル(午前九時)過ぎ、対深海横須賀総司令部、元帥執務室。
提督「・・・というわけで、再び状況が変化した事と、これら案件への協力をよろしくお願いいたします」
古田元帥「構わないが、よくもまあ、これほどに変わる状況に対応しきるものだ。これもまた、『剣の理念』によるものかね?」
提督「私の剣は常に『一対多』を想定されたものです。それも、雑兵相手ではない達人相手の。臨機応変に全体を見、倒せる者から効果的に倒す思想は、言われてみれば似ているのかもしれませんね」
―これは一見、それなりに答えているようで、真実ははぐらかした答えだ。
古田元帥「・・・ふむ。ではほかに、例えば天下三剣がそれぞれ掲げる理念、山本鉄水翁の『活人剣』、伊藤刃心翁の『殺人剣』、そして、高山無学翁の、あれは・・・」
提督「『断刃剣(だんじんけん)』の理念ですか?まず刃を断つ・・・すなわち、相手の勝てる状況を、刃を断つごとく奪っていく戦い方ですね。それを取り入れているふしがあると言うより、これはそもそも全ての戦いの基本でもあります」
古田元帥「確かにそうだ。それにしても、君は本当に、緩やかなようでいて隙が無いな。・・・さて、こちら側から未明に連絡しておいた件だが、詳細が判明しつつある。これを見てくれんかね?・・・大淀君、彼に第二参謀室からの書類を」
大淀「かしこまりました。・・・こちらを」スッ
提督「第二参謀室から?・・・ふむ」パラッ・・・
古田元帥「・・・まったく人を食ったやり方だと思わんかね?突っぱねる事も可能ではあるが・・・」
―それは、第二参謀室側からの、特務鎮守府側に『支援』するという名目での、あまり戦力的にあてにならないと思われる艦娘たちの異動案だった。
提督「受け入れをこちらで断った場合は、どのような扱いに?」
古田元帥「総司令部付き、という形で横須賀にとどめる事は可能だ」
―提督はしばらく、第二参謀室からの書類『特務鎮守府への艦娘の増強案について』という書類に目を通していた。
提督「・・・幸い、当方の鎮守府のメンバーとは全くかぶっていませんから、受け入れましょう」
大淀「えっ?受けられるのですか?」
提督「何か問題が?」
古田参謀「珍しいな、大淀君が驚くとは。気になるのは分かるし、第二側は何かろくでもない事を・・・いや、既にこの時点であてにならない艦娘を押し付けてくるのだから、驚くのは無理もないが、彼に考えがあるのだろう」
提督「せっかく珍しい子たちが異動してくるのですし、有難く受けておきます。・・・それで見えてくる事もあるでしょうしね」
古田参謀「わかった。異動履歴の不明瞭な艦娘に関しては注意し給え」
提督「諒解いたしました」
古田参謀「先進医療病院の方はどうかね?」
提督「今回、訪れることになると思います」
古田参謀「であれば良かった。実は、君の所に移動したほうがいい、そして異動を希望している艦娘がそこにもいる。早めに詳細を聞いておいてくれたまえ。他の諸々の情報も併せてね」
提督「先進医療病院に異動希望の艦娘が?」
古田参謀「君の担当だった子だよ。詳しくは君の主治医から聞きたまえ」
提督「彼女がですか?わかりました」
―こうして、提督と叢雲は元帥執務室を後にし、この後の動きを決めるべく、一旦喫茶ラウンジで打ち合わせをすることにした。
―対深海、一階喫茶ラウンジ。
叢雲「あんなあっさり受けるなんて。何か仕込みがあるはずだけど、アンタの事だから気付いてないなんて事は無いわよね?どうするの?」
提督「各鎮守府は燃え尽きた灰に等しい状況との事だが、うちはそうではない。だから異動してきて変わる事もあるだろうし、そもそも・・・」
叢雲「そもそも?」
提督「誰かの企ては、意図はともかく、もてなしのようなものなのさ。ある程度乗り、その趣向を読み、こちらに都合のいい形で返してやるのも大事な事なんだ。趣向を読むという事は相手の考え方や狙いを読むという事になる」
叢雲「・・・色々考えがあるわけね?」
提督「そうだな。例えば今の、叢雲がいる有意義な毎日が手に入ったり・・・」ニヤリ
叢雲「ちょっと!そこで私に繋げなくていいわっ!」
提督「定期的にこういう事を言っとかんと、どうせ気を使うだろ?」
叢雲「・・・飲み物持ってくるわ。何が良いの?」ガタッ
提督「叢雲のお勧めで」
叢雲「はぁ・・・まったく」
―叢雲は言いながらカウンターに向かった。向かいながら小声で「ありがとう」と言ったが、それは提督には聞こえていないのだった。
―同じ頃、横須賀第二鎮守府・第二部(芸能部)宿舎、榛名の部屋。
金剛「サー、バンバン運び出すヨー!」
霧島「デスクワークばかりだったので、こういう地味な肉体労働もいいものですね!」キラッ
―榛名の引っ越し作業は今日で最終の予定だった。総司令部で幾つかの手続きを待っている間、運んでも差し支えないものを、金剛と霧島がどんどん運び出している。
榛名「金剛お姉さまと霧島に手伝ってもらうなんて、何だかごめんなさい」
金剛「ワタシはとーっても、嬉しいですけれどネー!テートクについていって、思ったより早くあなたたちに出会えたから、すごく嬉しいのデース!」ニコニコ
―金剛は本当に嬉しそうに荷物を運んでいる。霧島は妙に正しい姿勢と規則正しい動きで重い荷物を運んでおり、本当に筋トレの延長のような感じだ。
榛名(ああ、何だか本当に、新しい日々が始まろうとしているんですね・・・)ニコ・・・
―榛名は少し笑みを浮かべると、自分も荷物の仕分けや運搬に戻ろうとした。大切な刀を水上機の貴重品スペースに収めようと思ったのだ。
―ガタッ・・・カラッ
榛名(あれ?軽い?)
―「死返開耶姫(まかるがえしさくやひめ)」の収められた桐箱は、頼りなく不穏な軽さだった。榛名はそれでも、いつものように冷静さを保ちつつ、箱を開ける。
―カタッ
榛名「!」
―カサッ
―刀の収まるべき溝に、ノートの切れ端にマジックで書かれたメモがあった。
メモ『刀は預からせてもらっている。どうしても大事な仕事の話がある。誰にも言わずに連絡をくれ。おかしな動きをしたら、この刀はへし折る。中村』
榛名(・・・っ!)
―榛名のマネージャーの仕業らしい。
榛名(なぜ?なぜこんな危険な事を?)
―とてもバカげた事だが、それだけに冗談ではないだろうと思えた。総司令部か提督に連絡すれば、解決するはずだ。しかし、刀は?本当に折られたら、問題は解決しても取り返しのつかない事になる。
榛名(穏便に済ますことができるのなら・・・)
―榛名がそう判断するであろうと想定して組まれた悪だくみに、榛名は危険な一歩を踏み込みつつあった。
―ヒトヒトマルマル(午前11時)過ぎ、対深海横須賀総司令部そば、先進医療病院、7階「提督治療フロア」、特別診察室。
―提督と叢雲は、陸奥の件でケガをした時の提督の主治医と話していた。この主治医は優秀な医師との事だが、前回の総司令部からの極秘資料により、以前の経歴が提督だったと判明していた。
片目が眼帯の医師「さて、経過は順調なようだが、今日ここに来た理由は診察ではなく色々あるのだろ?」ニヤッ
提督「元帥からの機密資料の件と、あとは異動の件かな。ところで、君は提督だったとか?」
片目が眼帯の医師「ああ。柱島でな。医者より提督のほうが向いていると言われ、なんだかんだでな。それで着任したさ。しかし・・・だいぶ前の作戦で深部海域に深入りし過ぎてな。司令船までボロボロにやられて・・・そんなわけで、おれも以前は提督だったが、膝に弾を受けてしまってな・・・」グイッ
提督・叢雲「!」
―片目の医師は言いながら右のズボンのすそをまくった。膝から下はおそらくチタニウム製の義足になっている。
片目が眼帯の医師「それと、そんなおれの艦娘の中で、戦績が高いぶん、迂闊に異動させられなかったのが、君の担当だ。・・・ああ、君、彼女を呼んできてくれ」
―医師は振り返りながら近くの看護師に呼びかけたが、その言葉の終わらないうちに、やや忙しない足音が聞こえてきた。
―パタパタパタ・・・ガラッ!
??「て~い~と~く~さん!」ギユウッ!
提督「おわっ!?」
叢雲「えっ・・・えっ!?」
―奥の扉が開くと、柔らかだが素早い動作で看護師姿の艦娘が現れ、提督に抱き着いた。
片目が眼帯の医師「あーあ、まあそうなるよなぁ。あんたが次にいつ来るか、毎日聞かれていたんだぜ・・・。でもよ大鯨ちゃん、叢雲ちゃんに気を使ってやりなよ?」
大鯨「もーう提督さん、あんな大怪我だし、無理やり早期退院したんですから、もう少しマメにこちらに来ていただかないと困りますよぅ。・・・でも、今後はもう安心です。私がつきっきりで看護しますし、定期検診や予備血液のストックとかも任せて下さいね」パッ・・・スタッ
叢雲「・・・どういう事かしら?」ジトッ
提督「いや、彼女がおれの担当看護師だったんだよ。艦娘が対応すると傷の回復が早くなるとかで」
叢雲「ふーん・・・まあ確かに、執務に集中しといてくれって言われたし、その方がいいかと思ってあまり顔も出さなかったわ。でも、担当が艦娘で、大鯨さんで、しかもこんなに好かれているなんて初耳な気がするわね。邪魔しなかったから良かったわ」ツーン
提督「あっ!そんなんじゃないっての!」
叢雲「怪我の治りが妙に早い気はするけど、これだけ濃厚に看護されていたら、それは治りも回復も早くなるでしょうね」フンッ
大鯨「あっ、ごめんなさい叢雲ちゃん。でも、そういう心配はいらないですよ~?私がこちらの提督さんがいいなあって思ったのは、叢雲ちゃんとの話を聞いたのと、よく叢雲ちゃんの事を心配しているのを聞いていたからなの。噂と違って優しい提督さんなんだなぁって。怪我をしたのも、陸奥さんをかばったからでしょ?」
提督「あっ、大鯨ちゃん、そういう話は・・・」
叢雲「えっ!・・・そう。・・・・・・・・・・言い過ぎたわ」ボソッ
―叢雲は大人しくなってしまった。
片目が眼帯の医師「くっくっく、面白いもんを見させてもらったよ。適性の高い提督と艦娘でないと、こういう面白いやり取りは見られないもんさ。久しぶりだな。これで安心して大鯨ちゃんを移動させてやれそうだぜ」ニヤッ
大鯨「では提督さん、異動の手続きをお願いします。元帥執務室からの機密の件は、以降は私が対応しますね。青山提督・・・じゃなかった!青山先生の所有情報負担を軽くするための措置です」
提督「青山・・・」
―提督はここで、片目の医師のネームプレートを見た。「青山」とある。
片目が眼帯の医師「おいおい、いくら他人に興味ないと言っても、担当医の名前くらい覚えていてくれよな。現在はここの医師だが、以前は柱島第三十四鎮守府の提督だったんだ。柱島が『魔境』と呼ばれていた頃の提督の端くれさ」
―かつての柱島には大規模な提督と艦娘の一大拠点があり、最盛期には五十を超える鎮守府が存在していた。一般人から適性の高い提督志願者を募る方式だったため、軍属とはやや異なる。そして、月ごとの戦果の高い提督とその鎮守府が翌月の作戦に優先的に当たる、という変わった運用をされていた。しかし、いつしか軍属の提督より優れた提督を多く輩出し、熾烈な戦果争いは多くの鎮守府を凌駕したため、『魔境』柱島と呼ばれていた時代があったのだ。特に優れた提督たちは『ランカー』と呼ばれ、総司令部から優れた装備を支給されたりもしていた。
提督「すまない。青山医師。以前、資料では読んでいたが、今の柱島にはもう以前のような提督は残っていないのかね?」
青山医師「ほとんどは長い戦いで失われたが、一人だけ、おそらく実力を隠して潜んでいるのがいる。『眠れる男』と言われる海藤提督の柱島第十四鎮守府と、その艦娘たちだ。目立った戦績は無いが、いまだに1人も轟沈させず、毎回手堅く戦い、微妙に負けて撤退している」
提督「・・・ほう」
青山医師「それと・・・色々気を付けてくれよ?大鯨ちゃんもいるから大丈夫だと思うが。これを持って行ってくれ」ポイッ
―パシッ
―提督は特殊帯データカードを受け取った。
青山医師「元帥からの資料にもあったと思うが、あんたにそれを渡すことで、おれの提督としての過去と情報ソースは全て消える。そしてあんたには、この病院の特殊区画へのアクセス権と、高レベル機密情報へのアクセス権が渡されたことになる。説明は大鯨ちゃんから受けてくれ。彼女は普通の艦娘のレベルではないので、深海化に関する機密に触れても問題ないからな」
大鯨「では提督さん、異動の手続きをお願いします」
叢雲「はい、これを・・・」スッ
提督「わかった。よろしく頼む」
―ピッ
機械音声「柱島第三十四号鎮守府・及び先進医療病院所属、潜水艦母艦大鯨、公称練度抹消、特務第二十一号鎮守府に異動しました」
大鯨「あっ・・・この感じ・・・っ!」ポロッ
―大鯨は一瞬の中に多くのものを視た。そして、ある夜から何か自分の中にある眩しすぎる力が、等しい影と混ざり合い、落ち着いたバランスになったような気がした。左眼から一滴の涙が落ちる。
叢雲「えっ?大丈夫?」
大鯨「大丈夫です。とても・・・落ち着いただけです」ニコッ
提督「大丈夫か?それと・・・公称練度抹消とは?」
青山医師「・・・データカードから拾ってくれ。そういうことだ」
提督「・・・諒解した。では、この後の施設内の説明は大鯨ちゃん、頼む」
大鯨「はい。緊急輸血用の血液の採取も、そろそろ大丈夫だと思いますから、それは帰ってからにしますね。ここより提督さんの鎮守府の方が、セキュリティが何倍も厳重ですし」
提督「諒解した。では、時間が惜しい。色々とまわらせてもらうよ」
青山医師「そういや不思議なことがあってな。ここの常連で、通ってなければとっくに死んでいるはずのクランケが、ある時から全く姿を見せなくなり、元気に任務にいそしんでいるらしい。不思議なこともあるもんだと思うぜ」
提督「・・・興味深いな」
大鯨「では、まず一通り説明させていただきます。青山ていと・・・先生、今までお世話になりました。提督だった頃の全てを忘れて、これからは自分と患者さんの事だけを考えて下さいね」ニコッ
青山医師「ああ。全て忘れて、そうさせてもらうさ」ニヤッ
―こうして、堅洲島鎮守府に「潜水艦母艦・大鯨」が異動してくる事となった。大鯨は30分後の合流と、特殊なフロアの案内の約束をし、ひとまず私物の整理に戻る。提督と叢雲は、少しだけ周囲を散歩する事にした。
―総司令部敷地、旧顕彰館そば。
―ゴーンゴーン・・・カンカンカン・・・ドガガガガ・・・・
―対深海横須賀総司令部の域地の最奥にある、旧顕彰館は、いつもなら静かな散歩スポットだったが、この日は様子が変わっていた。足場と仮囲いがなされ、大規模な改修工事をしているらしい。
提督「こう人が多いのでは、微妙な会話をしつつ散歩、というわけにはいかなそうか。喫茶室も先ほど行ったしなぁ・・・」
叢雲「そうねぇ」
提督「それにしても・・・」
叢雲「ん?」
―提督は顕彰館の工事の内容が表示された看板を見ていた。
提督「記憶に間違いが無ければだが、確かここの改修は悪化した戦局と予算不足でしばらく延期になったはずだが、なぜ今更?予算の出どころも総防省より上の政府系だ」
叢雲「気になるの?」
提督「ん?まあな。鎮守府の再編後に、何か式典でもしない限り、そう必要性のある工事ではないと思うのだが、まあいいか」
叢雲「それより、さっきの見た?異動の時の・・・」
提督「見た。彼女もまた、春風が言うところの『幻像』を見たんだろうか?」
叢雲「うーん・・・私にはわからないわ」
提督「叢雲は何か見たりは?」
叢雲「私は何も。そもそも冷静ではなかったもの、あの日々は」
提督「それもそうだな。・・・なあ叢雲、辛かったりとかはしてないか?」
叢雲「へ?全然大丈夫よ?むしろ心配なのはアンタでしょ」
提督「いや、おれも問題は無い」
叢雲「なら、お互い良かったという事ね」ニコッ
提督「そうだな」ニヤッ
―叢雲は時々、他の艦娘が誰も知らないような笑顔を見せる事がある。それは提督にしか見せない笑顔なのだったが、当の叢雲はそんな自分に気付いていないふしがあった。
―同じ頃、東京都足立区の古い団地。松田提督と敷波の部屋。
―ピンポーン
松田提督「!」
敷波「待って!あたしが見てくるから(小声)」ソロー
―しかし、足音を忍ばせて玄関に向かうより先に、来訪者は大きな声で話し始めた。
来訪者「対深海のエージェントです。元帥から直の連絡ですよ。松田提督と敷波さん。あなた方は忘れられたわけじゃない。条件に合致しそうなタイミングの訪れかもしれませんよ?・・・あ、私のコードを言いますので、本日の日付で第三号解析を敷波さんにしてもらってください。えー、言いますよ?」
―ドアスコープ越しに見た来訪者は建設業者のような作業着を着た男だ。しかし、その防寒着の左わきの下には見覚えのあるふくらみがあった。銃を携行しているのだ。男はアルファベットと数字を読み上げていく。艦娘である敷波はそれを日付に合わせ、別のコードで変換して理解する、という手順を取った。暗算で暗号を解析しているようなものである。
敷波「あー、うん、間違いないね。提督、大丈夫みたい」
松田提督「わかった。話を聞こうか」ノソリ
作業着のエージェント「朝食や昼食がまだなら、予算も出るのでご希望のお店にしますよ?・・・個人的には、私も経費で美味しいものが食べられますから、そのように判断してもらえると嬉しいのですが」ニコッ
―どうやら工作員の経験もあるらしいエージェントは、屈託なくそう言い、笑った。警戒心の強い松田提督に対して、熟練のエージェントを派遣してよこしたらしい。
松田提督「・・・敷波、何が食べたい?何でも言え」
―こうして、松田提督と敷波、そして特務第二十一号の間に、接点が生まれようとしていた。
―再び、先進医療病院、青山医師のオフィス。
―提督という過去から離れた青山提督は、離れた建物の向こうに消えていった提督と叢雲の姿を見送りつつ、ため息と医療用シガレットの煙を吐き出していた。
青山医師「ふぅ、これで・・・」
??「提督としての過去は終わり、ね?一息つけたかしら?」
青山医師「起きていたのか!調子は?」バッ
―青山医師は驚いて隣の部屋を見た。そこは病室仕様になっており、その入り口に患者用の浴衣を着て、松葉杖と傷跡も痛々しい、戦艦・陸奥が立っていた。
松葉杖の陸奥「あの人が来ていたんでしょう?恐ろしい黒服の提督さん。夢と体調でわかるわ」
青山医師「ああ。ご名答だ。そうだよ。全て引き渡した。彼女の・・・大鯨ちゃんの秘密も、彼女自身も、おれの過去もね」
松葉杖の陸奥「その方がいいわ。たぶんこれで、私たちの恐ろしい未来は回避できると思うの。今日はあの陸奥は来てないの?」
青山医師「彼女は来ていない。そもそも、本土に渡っていい事にはなっていないはずだ。あの陸奥は最良の場合は希望だが、そうでない場合は・・・」
松葉杖の陸奥「恐らく最良の場合よ。私にはわかる。あの陸奥はおそらく、深海側が艦娘の根源である何かを制御しようとして、うまくいかなかった結果現れた存在だと思うの。だから私は『最後の陸奥』ではなくなったし・・・」
青山医師「怪我も少しずつだが回復するようになったものな」
松葉杖の陸奥「ええ。そういう事よ」
青山医師「非公式にはしばらく着任不可になっていたはずの艦娘が沢山着任している事を知って、きっとあの男なりの何かを掴むだろうが、当事者であるおれでさえ、何が何やらさっぱりわからんよ」
松葉杖の陸奥「おそらくだけれど、私たち一人一人はおそらく、オリジナルの艦娘の端末やコピーみたいなものよ。そして、私たちの意思とはまた別にオリジナルの艦娘たちは意志を持っている気がするの」
青山医師「『艦娘原器説』か。そうだったとして、そのオリジナルの艦娘たちは何を考えていると思う?いくら端末だと言っても、自分自身の事でもあるんだろ?」
松葉杖の陸奥「垣間見た気もするけど、よくわからないの。自分の気持ちと違いすぎる気がして・・・」ギュッ
―陸奥は寒さに震えるように、自分の身体を包むように腕を回した。それが寒さのせいでない事は、十分な室温と表情から分かった。
青山医師「・・・あまり良い感情ではないのかい?何となくそんな気はしているが」
松葉杖の陸奥「わからないわ。私には。何となくの感覚でしかないもの。それと、やっぱりあの人は何か変よ。あの人が近くにいると、いつも深海に堕ちた私、深海棲艦・陸奥の夢を見るし、いつも怪我の痛みが引くもの。まるで、見えない深海の毒や穢れを吸い取ってくれるような、そんな気がするの」
青山医師「深海棲艦の提督でも務まるくらいの適性はあるそうだが、その深海の陸奥の件はわからんなぁ」
松葉杖の陸奥「いずれにしても、もう私たちには見守る事しかできないわ。舞台を降りたのは何となくわかるの。深海の陸奥はそう言っているような気がしたから」
青山医師「舞台を降りられたんなら、もう十分だな。大鯨ちゃんだけは、それを嫌っていたが・・・」
松葉杖の陸奥「何となくだけれど、それは肯定されている気がするの。だからあの時、大鯨さんに途轍もない力が宿ったのよ。きっとこれが・・・存在していたとして『艦娘の原器』の意思なんだわ」
青山医師「・・・もしそうなら、彼女をあの男に引き渡すのと、情報を渡すために、おれと君も生かされたということか」
―珍しく、青山医師の表情が曇ったが、陸奥がそれを打ち消した。
松葉杖の陸奥「でもあの時、あの子の覚醒と共に、私たちの希望はかなえられたわ。それで十分よ」
青山医師「・・・そうだったな」
―生きて帰って来れて、今がある。それだけで十分なほどひどい戦いだった。二人の間に沈黙が流れたが、それはわずかな諦めと、安堵の沈黙だった。
―30分後、先進医療病院、最奥のエレベータールーム。
大鯨「お待たせしました提督さん、叢雲ちゃん。このエレベーターは特殊帯認証でないと動きませんし、高レベルセキュリティ区画へはさらに認証が無いと入れません。ただ、ものすごく精神衛生上、危険なものもあるので、叢雲ちゃんは大丈夫なのかなぁって」
叢雲「私は初期秘書艦で筆頭秘書艦なの。大丈夫というか、大丈夫でなくちゃいけないわ!」フンスッ
提督「との事だ。忠告はしたつもりだが、まあ行ってみようか」
大鯨「・・・わかりました。いずれ通る道ですもんね」
―叢雲はここに来るまでに、どうやら大量のグロテスクで醜悪なものを見る事になりそうだと提督から説明を受けていたが、同行すると言って聞かなかった。三人でエレベーターに入り、セキュリティ認証を受ける。
自動音声『装甲エレベーター、三重セキュリティを認証しました。高機密区画B3-Eフロアに移動します・・・』ゴウン・・・
提督「簡易的だが、装甲エレベーターか・・・」
大鯨「・・・標本は、この世界の基準では死んだことになっていますが、艦娘や深海棲艦の世界でも死んだことになっているかは確証がない、との事ですから」
叢雲「えっ?」
提督「まあそうだろうな。艦娘側の技術で抑え込んだ形にしているのかね?」
大鯨「疑わしい標本は、艦娘の建造筒と同じ材質の筒の中に安置されています。そして、常時わずかずつ資源を消費しながら維持されています。それらの装置のスイッチを切ってしまうと、活動状態になる可能性のある個体がいくつか存在しています」
叢雲「そっ、そうなの・・・」ギュ・・・
―提督の袖をつかむ叢雲の手に、力がこもった。
自動音声『高機密区画B3-Eフロアに到着いたしました。照明点灯いたします』
―カチカチカチッ・・・
―広大な暗黒の空間に照明がつき始めた。しばらく誰も訪れていない空間だが、常時空調が動いているせいで、病院の匂いしかしない。
大鯨「床と天井に無数の溝が格子状に走っていますが、あれは何かあった時に強化ガラスの障壁が上下から現れる仕様の為です。警報が鳴ったら必ず格子から独立した区画に立ってくださいね」
提督「諒解した」
―最初の区画には三枚の大きなモニターパネルがあり、様々な情報を表示させることができた。奥に行くにつれて、標本の展示が多くなっていく。最初は小さな体組織のものばかりだったが、次第に臓器丸ごとから手足等の体の各部位、次第に頭部や半身、全身と標本も大きなものになっていく。
提督「これは・・・!」
―大鯨は提督がもつ資料に合わせて、それらのおぞましい人体標本について説明していったが、叢雲はついに、提督のコートの背中に頭をくっつけて下を向いた状態になってしまった。
叢雲「ごめんなさい、ちょっと無理だったわ・・・ごめんなさい・・・(小声)」
提督「いや、無理もないさ」
大鯨「うん、無理はダメですよ、叢雲ちゃん。ここまで来てるだけでもとても立派です!」
叢雲「大鯨さんは何で平気なの?看護師だから?」
―大鯨は少しだけ、困ったような笑みを浮かべた。
大鯨「・・・あとで、提督さんから説明を受けて下さい。昔の深海との戦いで、『本当の自分』と繋がったおかげで、絶望的な戦況をひっくり返して帰って来れたんですが、その時に色々見たんです。きっとそのせいですよ」
提督「資料にあったよ。稀に起きる、『艦娘の原器』との接続、『XPフィードバック』か・・・」
大鯨「はい。これを起こした艦娘は、とても高い適性の提督にもとに行かないと安定を欠いてしまうんです。たくさんの並行する記憶を見ても、『今』に繋ぎとめてくれる提督がいないとダメなので」
提督「・・・今まではどうやって安定を?」
大鯨「私が覚醒した最後の戦いでは、私と提督と陸奥さんしか生き残りませんでした。あんなに沢山いた、にぎやかな鎮守府の全てを壊した深海への気持ちは、正気を保つのには役立ってくれたのです・・・」
叢雲「・・・そうだったのね」
大鯨「それに、今の深海は、かつての深海とは少し意味合いが異なる気がするんです。それもまた、私の怒りとなって、心の安定に役立ってくれました」
提督「怒りの使い方が上手だったんだな。しかし、意味合いが異なる、とは?」
大鯨「感覚的なものですが、何かがとても場違いというか、冒涜的に利用されているというか、ごめんなさい、この部分に関してはうまく言えないんです」
提督「ふむ・・・」
叢雲「どういう事なの?」
大鯨「誰かが巧妙に、私たちの戦いを利用して、汚し、何かをしようとしている、そんな気がしているんです」
―この言葉と似た考えを、叢雲は以前に提督から聞いていた気がする。
叢雲「そう言えばアンタ、確か以前に『複数の意思を感じる』って、手段は同じでも、目的地はズレているような気がするって、それと似ていない?」
提督「そうだな、似ている・・・なるほど・・・」
―表情は変わらないが、提督が微かに笑った気がしたのを、叢雲は感じ取っていた。
大鯨「それと、私の心を落ち着けていたものがもう一つあります。・・・ここからは装甲扉です。でも、この最初の個体は確実に死んでいるそうです」ピッピッポ・・・
―ゴウン・・・
提督「こいつは!!」
―薄暗い照明に照らし出された、ひときわ大きい保存筒の中に浮かぶそれは、刃物と銃弾によって群衆にでもズタズタにされたかのような、悪夢のように化け物じみた巨大なライオンだった。
大鯨「提督さん、あなたがアフリカで撃破した深海化したライオン、『AMA-L-000』、深海側の通称は『ゼロ号』、それの標本です」
叢雲「えっ!?」ソロー・・・
―叢雲はただならぬ様子から、おそるおそる提督の後ろから顔を出した。
叢雲「!!・・・こんな化け物を、アンタは殺したの?」
提督「・・・恩人や、何人かの人間の仇だった。それだけだ」
―しかし、付き合いの長い叢雲には、その声にまだ消えない怒りが微かに宿っているのを感じた。
―一方の提督は、この深海化したライオンの傷から推しはかれるであろう、ある事実を語らねばならないと考えていた。
提督「こいつとの戦いには、苦痛を伴う尋問・・・つまりは拷問のノウハウも織り込んである。おれの仕事の技術の一つだったからな。しかし、そんな人間をよりによって艦娘の提督にしたのは上層部だ。何を考えているのか・・・いや、手段を択ばないだけではあるのだろうが。・・・軽蔑するかい?」
叢雲「・・・知ってたわよ。だから大丈夫」
提督「えっ?」
叢雲「知ってたわよ?上層部からそれも聞かされていたもの。あんたにそういう趣味があるなら、必要ならば切り刻まれてでも仕えろって言われたのよ?確かに、艦娘なら修復可能だものね。でも、アンタのことをあいつらは何もわかっちゃいなかったんだわ」ニコッ
大鯨「私も知っていますよ。でも提督さん、このライオンの惨たらしい傷跡が、私には希望であり、心の安定に欠かせなかったんですよ?いずれ起きる戦いには、こんな人でないと無理だと思っていましたから・・・」ニコ
―珍しく、提督が驚いた顔をしていた。
提督「艦娘にはかつての戦いの記憶があるから、なんだかんだで強い心を持っているとは聞いたが・・・なるほど、提督とは本当に責任重大だな。この代価は確かに大きい・・・」ボソッ
叢雲「代価?」
大鯨「何の話ですか?」
提督「いや、真面目に臨む必要がある、それだけだよ」ニコッ
―大鯨と叢雲は少しだけ怪訝そうにしたが、この重苦しい場の空気がすぐにそれを消し去った。
提督(こう何もかも提督だからと受け入れられては、確かに逸脱する人間も多いだろうな。彼女たちに悪意は全くない。が・・・恐らくそこにこそ注意が必要か・・・)
―提督には、艦娘の信頼に何か大きな、隠された意味があるように感じられていた。
―ガコココン・・・・
―さらに奥の装甲扉が開く。
大鯨「次は人間型です」
提督「何だこれは!?」
―その保存筒に安置されていたのは、腕から刃のような骨格の生えた、甲殻人とでも言えるような奇妙な生き物だった。カニやエビのような鋭角な甲殻に覆われた、獰猛そうな人型の生き物だ。
説明文「運営と戦闘状態に入った、深海側の提督の変異体だと思われる。銃弾がほぼ効かず、大変俊敏な動きをし、23名のエージェントが死傷した。遺伝子解析により、母体は旧柱島のある提督と思われる」
大鯨「こちらもです・・・・」
―ガコココン・・・ゴゴン・・・
提督「巨人か?これは?」
―3メートルを超える、肌の白い醜い巨人だ。肉体の所々が機械化されている。
説明文「銃火器を扱う、いわば重装歩兵の類と思われる。23ミリ航空ガトリング砲の携行改造型を持ち、火力支援を行っていた。試製状態なのか活動時間は極めて短い。腹部の巨大な肝臓はまだ機能していなかったが、機能した場合の継戦能力は危惧すべきレベルである」
大鯨「こちらは深海の一般的な戦闘員の可能性が高い個体です」
―さらに別の装甲扉が開き、黒い肌に所々鱗のような物が見られる魚めいた顔の人間の標本があった。
提督「これらの母体は普通の人間だったのだろう?ひどい事をする・・・」
大鯨「でも、これを見て下さい」
―大鯨は説明文の一部を指し示した。
説明文の一部「・・・脳内から大量の快楽物質の分泌を確認。宗教的陶酔に近いそれが、彼らの心を常に満たしていると思われる。それが薬物等による証拠は今のところ出ていない・・・」
大鯨「何かが、当初の艦娘と深海との戦いと変わってきているんです。醜くおぞましい感じに」
提督「確かにな。美しくない・・・」
叢雲「・・・」グッ
―もう叢雲も、眼を逸らしていなかった。
第七十七話、艦
次回予告
先進医療病院の地下で、提督のみが深海の存在にダメージを与えられた事実について聞く大鯨と、ある可能性についての話。
青山医師と傷ついた陸奥の話に出る、深海の陸奥の夢の話。
提督と顕彰館の話をする榛名は、人気のない場所でマネージャーと会うのだが・・・。
次回、『快晴、のち災い・中編』乞う、ご期待!
叢雲「こっ、怖くないわ!こんなところ、怖くもなんともないんだからね!」
吹雪「でもそんなこと言ってる叢雲ちゃんが、夜に提督のお部屋に行ったのを見っちゃったんです!」
叢雲「えっ!?ちょっと何でそんな・・・じゃなかったそんなんじゃないわよ!」
磯波「あれ?その時間って叢雲ちゃん、私がいない時間でしたよね?」
叢雲「あっ!だからそういうんじゃなくて!」
吹雪「じゃあやっぱり怖かったんですね?もー、私に頼っていいんだからぁ」ニヤニヤ
叢雲「うっわムカつくわ!」
長らくお待たせいたしました。
また普通のペースに戻って更新できそうです。
怒りを炎や闇に例える表現はよく目にしますが、雪に例えるのは初めて拝見しました
なんだか新鮮でとても良いですね!
センスを感じます
駆逐艦娘は見た目も幼い娘が多い事からあまり恋愛の対象などには見たりはしないのですが、潮ちゃんなどの様に規格外な駆逐艦娘を見ていると、その考えが破壊されそうですw
敷波がパートしているのはパート先に何かしらの特別な書類でも提出しているのでしょうか?
さすがに見た目からくる問題が気になったので・・・
やったぁあ更新だぁあ😃
更新ありがとうございますm(_ _)m
柱島か・・・上位陣今でも結構狂ってるよね(俺も柱島の提督)www
そっかー青山元提督は膝に矢(弾)を受けたのかーそれじゃー仕方ないねー
本音:(・・・・・・弾を受けた程度で退役できる常識人がいただなんて信じられねえ)
1さん、コメントありがとうございます!
だいぶ間が開いてしまってごめんなさい。
表現をお褒めいただき嬉しいです。
潮ちゃんや萩風や親潮は駆逐艦とはいっても色々と違う気もしますねー。
本編の提督は曙や漣と仲良いですし。
敷波のパートの件は、実は意外な艦娘とのかかわりの伏線です。
敷波が働いているのは引退した艦娘が働けるスーパーなのですが、そのスーパーで艦娘が働けるようになったのは、とある艦娘の働きと計らいによるものなのです。
これは本編をお楽しみに!
2さん、コメントありがとうございます。
夏休み期間が色々と忙しくて、ずいぶん間が開いてしまいました。また落ち着いたペースで続いていきますので、よろしくお願いいたします。
3さん、コメントありがとうございます。
いつも読んでくださってありがとうございます。
なんだかんだで300話以上続くかもしれませんが、待ったり楽しんでいただけたら幸いです。
㈱提督製造所さん、いつもコメントありがとうございます。
艦これの話を書く以上、何らかの形で柱島の狂いっぷりを表現したかったので、今回やっと一部それが書けた感じです。
本編では執務室で眠らずに指揮を続ける提督など、ランカーを彷彿とさせる描写も出てきますのでお楽しみにです。
で、青山提督は一見どこかの衛兵さんみたいな理由で引退して居ますが、ケガの癒えない陸奥との意味深な会話もあり、何か別の理由で前線から引いています。
いずれ作中でこの部分は語られると思います。
『膝に矢を受けてしまってな・・・』の亜種キタ――(゚∀゚)――!!
魔境柱島・・・こんなところにゲームのちょっとした小ネタは挟んでくるとはやりますねぇ!
大鯨が異動する時の機械は叢雲がタブレットみたいなものでも持ち歩いてるんでしょうか?
高機密区画B3-Eフロアにある標本がなんだかバイオハザードを彷彿とさせますなぁ
しかも、“活動可能になる状態の個体あり”ってことは、まさか・・・
やっと 追いついたぁ!
300話以上とか涎が止まりませんなぁ♪
伏線が色々ありすぎて正直把握し切れてないです(笑)
提督の知識量半端なさすぎィ!自分メモいいっすか?って感じで読ませてもらってます!毎回艦娘のみんなと画面の前で同じ反応してます(笑)やべぇ興奮し過ぎて語彙力が深海に堕ちたわ…
普段はコメントはしませんが嬉しくってつい…これからも頑張って下さい!
…さぁまた1話からやな(歓喜)
9さん、コメントありがとうございます!
この世界では膝に何か受けたり、どこかに何かを受けた方が妙に多いですが、きっと気のせいです。気のせい・・・。
やっぱり艦これをやっている以上、柱島ネタは入れないわけにはまいりませんw
大鯨ちゃんの異動のシーンでちょっと説明が抜けていましたが、提督や秘書艦は大抵ノートタブレットというこの時代のデバイスを持って歩いています。
ただ、提督や艦娘が使っているものは、作中で言う「特殊帯」すなわち高レベル量子通信と脳量子波を同期しているというちょっと危ういものです。
そうですね。活動停止させる技術が無かったのか、誰かの思惑なのか?大抵は後で厄介なことになるフラグですよね、こういうの(すっとぼけ)。
横須賀では細かな違和感のあるシーンが後々重要な意味を持ってきたりしますので、こういう場面がしばしば出てくるかもしれません。
何が進んでいるのか・・・?
ジョニー改さん、コメントありがとうございます。
更新があまり早くないですが、じっくり進んでいきますので、楽しんでいただけたら幸いです。
この話は、最後の提督とその艦娘の話なので、艦これに関するありとあらゆるネタと全艦娘のエピソードとキャラをきっちり出しつつ進んでいこうと思っています。
なので、艦これが続いて新艦娘が出続ける限りは話が続くかもしれません。
一応、この話なりに辻褄の合う伏線は色々と考えてありますので、楽しんでいただければ幸いです。
いつも読んでくださって、ありがとうございます!