「地図に無い島」の鎮守府 第八十一話 榛名の夢・後編
引き続き夢を見る榛名は、遥か過去の時代と思われる幻像を見る。そして目覚めると、少しだけ提督と話す時間が訪れる。
少し前、横須賀のアパートに帰り着いた大和には、大変な空腹が襲い掛かってきていたが・・・。
同じ頃、大食堂で夜食を食べようとしていた赤城と、同じく夜食を食べようとしていた明石がばったり出会ってしまう。
榛名に触れた事がきっかけで戦闘ストレス障害の発作を起こす提督だったが、それを受け止めた榛名のお陰で深い眠りに落ちる。その世界で、提督は繰り返される悪夢からわずかに解放されるのだった。
そして、そんな提督の様子を見る磯波に、少し突っかかり気味の時雨。そんな時雨を心配する山城と扶桑。
同じ頃、横須賀ではジャーヴィスらしき少女と、別の場所ではサラトガが、それぞれ胸の内を吐露していた。
※5月17日、最終更新です。
いやー大変間が開いてしまいました。お待たせしてごめんなさい。
仕事やら何やらで多忙でしたが、何とかまた更新できました。
また良いペースで書いていきますので、よろしくお願いいたします。
第八十一話 榛名の夢・後編
―2066年1月10日、未明、堅洲島鎮守府、医務室。
―榛名は深い夢の中にいた。
―ギイッ・・・ギイッ・・・ギイッ・・・
榛名「ここは・・・私・・・えっ?」ハッ!
―榛名は誰かの目の奥から外を見ているような、奇妙な離人感と、規則正しく軋む木の音、そして不安定な座り心地に気付いた。空は昼か夜かもわからない濃い灰色のうねりと化しており、その下に墨のように暗く視界の狭い海が広がっている。
??「姫様、お目覚めですか?海のうねりが少し出てまいりました。この辺りの海はまだ死んでおらぬようですな。いやはや、たとい黄泉に呑まれた海と言え、わずかでも動きがある海は久しぶりじゃ」
―声のした方を振り向く。ここは木の小舟の上で、櫂を漕いでいた老人は満面の笑みを浮かべていた。汚れた白一色であったろう着物に、顔の左右に束ねた、ほぼ白くなった美豆良(みづら)髪。しかし、その束ねた髪もだいぶ乱れ、老人は痩せこけていた。
榛名「あなたは?」
白髪の老人「なんとな?姫様、黄泉の海を越える偽りの死の薬から覚めたと思ったら、眼がいつもの姫様ではないですな。目の奥に誰かおられる!これは・・・姫様の眠っている間に、戦の比売(ひめ=女神の事)様でも降りて来なすったか?なんとまあ優し気で強い光じゃ。・・・ワシの名はトトリヒコ。安房の布良村の死にぞこないの漁師ですじゃ。名の通り魚を獲るすべに長けておりましたが、この通り、しばらく前の『神が暮れ』で海が死にましてな、もうじき訪れるとされる『禍つ波』を止めるために、姫様を根の堅洲国の入り口に送っているところですじゃ」
榛名「安房の布良村?根の堅洲国?そこで何があるのですか?」
白髪の老人「この世な彼方のその島には、いまや八百余州や遠い外つ国(とつくに)から、姫様のような力のある巫女が全て集められ、神殺しの射干玉(ぬばたま=黒)の益荒男(ますらお)を呼び、『禍つ波』を止める要塞をこしらえているとの事。姫様もお社を出て、それに決死で加わる事にしたのですじゃ」
―神殺しの射干玉(ぬばたま=黒)の益荒男(ますらお)。その意味を今の言葉に直すなら、「神殺しの黒い戦士」と言ったところだろうか?神を殺す。・・・荒唐無稽な話だが、榛名にはなぜか提督が思い出されていた。
榛名(堅洲島と提督と、まるで私たち艦娘のような?敵は深海?こんな遠い過去の時代に?)
榛名「それは、どんな方なのですか?」
白髪の老人「ワシも半信半疑ですじゃ。しかし、姫様がわしらの村に来る前、少しだけじゃがその方と会った事があると。姫様はもともとは武蔵の国より遥か西、上野(こうずけ)の榛名の山の巫女様じゃったと言うとった。しかし、『神が暮れ』で大狼となったオオヤマツミノカミ様に上野が荒らされ、巫女様も国を出たのじゃが、その旅の時に大狼を殺したのがその益荒男様だったとの事じゃ」
榛名「そんな事が・・・!」
―榛名は驚いた。幾つか、自分になじみのある地名が出てきている。この老人の言う『姫様』つまり、今の肉体の持ち主は、もしかしたら自分とつながりのある存在なのかもしれなかった。榛名はそんな気がしていた。
白髪の老人「益荒男様はしばらく前に、地上の全ての荒魂(あらみたま)と化した神様がたを打ち破る旅を終えたらしいのですじゃ。しかし、神様のよどみはこのように常世を闇で包んだため、この世の果てに行って死せる神様がたを完全に追い払い、ワシら人の時代を呼び寄せる考えとの事ですじゃ。その為にはたくさんの巫女の祈りが必要なのじゃとも」
榛名「人の・・・時代?」
―そこで榛名の視界は急にぼやけ、何者かの記憶が夢の一瞬のように圧縮されて流れ込んできた。土砂降りの雨の夜と、激しい落雷。そして、闇の雨の中祈る、沢山の巫女たち。確かに、黄金の髪の色をした異国の巫女たちもいた。
榛名(でも、このままでは!)
―そして、その島に迫る、巨大な津波のような異形の大群。
榛名(ああ、あれは!)
―ガカッ・・・バリバリバリーーッ!
―そびえたつ海岸の岩山の上を自在に飛び回り、黒い剣と異形の刃、そして雷を使いこなす黒衣の戦士がいた。その後ろ姿は、榛名に何とも言えない懐かしさを感じさせた。
榛名(提・・・督・・・?)
―手を向ければ邪神に雷が落ち、迫りくる腕や牙、爪は、その男が剣を揮うたびに、まるで草の茎のように切り飛ばされていく。
榛名(ああ!次第に空が、明るく!)
―しかし、そこで場面は暗転した。
榛名の声「さあ、夢はここまでです。全て忘れて、心の奥底に刻み、戦いに備えて下さい。つかの間の安らかな時間と共に・・・」
―榛名は、どこか暗いトンネルを潜り抜けるような、水から顔をだすような、そんな感覚を覚えた。
―ガバッ!
榛名「・・・っあ!」
―カチ・・・カチ・・・カチ・・・
―雪明りがうっすらとこぼれる遮光カーテンに、柔らかなスチーム暖房の暖気、そして医務室の少しレトロな丸時計の音が聞こえていた。
榛名(医務室?・・・私、何か夢を見ていたような?)キョロ・・・
―榛名は周囲をそっと見回した。カーテンで仕切られた空間の中、横の椅子には提督が腕を組み、眼を閉じていた。眠っては・・・いないようだ。
提督「・・・起きたのか。違和感はないか?具合は?」
―提督の問いかけに、榛名は少しだけ身じろぎし、腕を回したりしてみた。
榛名「・・・はい。榛名は大丈夫のようです!」
提督「それは何よりだ。もうじき午前四時だが・・・何か飲み食いはするかね?」
榛名「いえ、大丈夫です。それより・・・」
―少しだけ、沈黙が流れた。榛名は、この部屋に提督と自分の気配しかない事を確認した。
榛名「本当にご迷惑を・・・」
提督「別に迷惑じゃないさ」
―提督の顔は陰になっていてよく見えないが、静かに微笑んでいるような気がした。
提督「こんな時、提督は艦娘の傍にいた方がいいとの事でな、しかし、よくもまあベッドのある所に美人と二人きりにするなぁと。金剛の信用は逆にちょっとプレッシャーかもな。ふふ」
―そんな考えが全くないくせに冗談を言っている。と、榛名は感じた。何かが違う。言っているだけで、そんな空気は最初からないのだ。そして、それが榛名を少しだけ不安にした。
榛名「提督、榛名に触れていただけませんか?」ドキドキ
―榛名は、声が少しかすれそうな思いだった
提督「えっ?」
―提督が少し驚いたのが伝わってきた。
榛名「きっと、今日の出来事もこうして収まって、ここに居られるのは、提督がいたからだと思うんです。そうでなければ、折角着任できたのに、きっと二度と提督のもとには戻れないような事になって・・・」
提督「少し敏感になるのは分かる。が、そうはならなかったし、なる事も無」
榛名「ずっと不安でした!」
―榛名の静かな、しかし強い声が提督の言葉を止めた。
榛名「ごめんなさい。嬉しいだけなんです。とても。・・・ただ、もう少しだけ、その実感を得たいと思うのは、ダメですか?」
―榛名は提督の眼を真っ直ぐに見ていた。対する提督には、榛名が自分の弱さまで隠さない覚悟が見えていた。『弱さを隠さない覚悟』が。
提督「・・・ふーっ、参ったな。そういう眼は、本当に好きで好きで仕方のない男にのみ、向けるべきだ。おれはつまらない男なのでそうはならないが、その眼は大抵の提督を勘違いさせるぞ?」フッ
榛名「提督の場合は、勘違いにはなりません。榛名が断言します」
提督「まったく。そんなこと言って、おれがいきなりとんでもない所に触れでもしたらどうするんだ?」
榛名「立ち合いに負けた時点で、そうされても榛名は何も言いませんよ?」ニコ
提督「おかしいな?何か負けた気がするぞ?ふふ」
榛名「ふふっ、そうなのかもしれませんね」ニコ
提督「わかったよ。ただし、おれは自分からは触れられない。手は伸ばす。あとは榛名の好きなように」スッ
榛名「はい」スッ・・・キュ・・・
―榛名は提督の手をそっとつかんだ。腕相撲をする時のように、その強さが伝わってくる。そして、自分が艦娘だからだろうか?何とも言えない温かさを感じた。
榛名「ああ・・・」ピトッ
提督「・・・!」
―榛名は提督の手を自分の頬に当て、眼を閉じた。提督が少しだけ驚いたのが伝わってくる。
榛名「不思議なんです。提督に触れていると、自分の心の中の良くないものが消えていくような、そんな気持ちになるんです」
提督「・・・それが提督の役割らしいからな。それの強弱の違いってところだろう」
榛名「どこまでも控えめなんですね。榛名を引き込もうとした時はあんな戦い方をするのに、着任したらまるで無欲の人みたいに。冗談を言う事はあっても。・・・榛名はそんなにお気に召しませんか?」クスッ
提督「意地悪だな?選択の幅が広いと慎重になるとか、何かそういう類のもんだよ。あとおれは、気に入っているものは大事にする方だ」
榛名「そういう事にしておきましょうか」
提督「参ったね・・・」
―榛名は実際に、提督が嘘を言っていないと感じていた。その上で、この会話が楽しかった。
榛名「榛名は確かに、ここ何年か問題児だったと思います。でも、その本心は生き場のなさと不安でした。提督の居ない艦娘は惨めなものでしたから」
提督「わかっているよ」
榛名「榛名はもうどこにも行きたくはありません。それだけはお伝えしておきますね」
提督「どのみち、もうここからは動けんよ」フッ
榛名「そういえば、そうでしたね」スッ
―そして榛名は眼を開けた。その眼は何かに満たされていた。
提督(艦娘は不思議なものだな。こういうところが人間と違う。しかし・・・いいのか?おれの心などで安定を得て・・・うっ!)
―しまった!と提督は思った。自分に対して疑問や否定的な心をもつと、戦闘ストレス障害の発作が訪れる事がある。
―ブンッ・・・ブブンッ・・・
提督「すまん、ぬかった・・・」ヨロ・・・ガタタッ
榛名「えっ?提督?」
―提督は蠅の羽音の幻聴と、腐った血の匂い、死体の虚ろな目の幻影に心が押しつぶされそうだった。足元がおぼつかなくなる。
榛名「あっ、失礼します!」
―ガッ、ギュッ
提督「う・・・あっ!?」
―榛名は崩れた提督の腕を引き、その豊かな胸に提督の頭を抱きかかえた。提督は眼を閉じて冷や汗を流し、ひどい悪夢にうなされた人の表情をしていたが、数分もしないうちに、榛名の胸の中で眠りに落ちてしまった。
榛名(ああ・・・ずっと起きていたんですね、今夜も。ゆっくりお休みください、提督)グイッ
―榛名は提督の体をそっと引いてベッドに乗せると、提督の頭をそっと抱きしめたまま、静かに目を閉じた。冬の遅い朝はまだまだ先のことだった。
―三時間ほど前。マルヒトマルマル(午前一時)。横須賀、あるアパート。
―ガチャ・・・バタン。
大和「ふぅ・・・疲れましたね」
―シュッ・・・バサッ
―大和は宅配会社の緑色の制服と帽子を脱いだ。横須賀での事件の後、再び職場に戻り、その後仕事を終えて自宅に帰って来たのだ。
大和(あれだけエネルギーを消費した価値は、あったでしょうか?)
―補給を受けられない大和は、日々の食事だけで艤装の力を最小限に使いこなしていた。しかし、わずかでも日常のルートを外れて艤装の力を使えば、猛烈な空腹が自分を苦しめるのだ。
―グゥ~キュルル・・・
大和(はしたない!大和型一番艦ともあろう者が!)
―大和は隣の部屋に山と積まれた段ボールを開けると、中から沢山の乾パンの缶を取り出した。全国の様々な鎮守府の非常食だったもので、消費期限切れが近くて無償で放出されたものだ。
―パカッパカッパカッ・・・ザーッ・・・カラカラ・・・
―素早く何個かの缶を開けると、乾パンを皿にあける。
―ポイポイポイッ・・・・バリッ・・・モグモグ
大和(ふぅ・・・今夜は半値のお弁当は無理でしたね。二箱くらい開ければお腹も収まるでしょうか?・・・んっ!?)
―ふと、アパートの玄関の外から気配がした。
大和(何?)
―ガサガサゴソッ・・・カンカンカン
―ドアの外にいた何者かは、立ち去る音だけは気配を消さずに離れていった。大和は一瞬だけ電探を使う。
大和(ああ、また艤装の力を使う事に・・・これは!酒匂さん?)
―公的には、酒匂は大和の監視役のはずだが・・・。
―ガチャッ
大和「あっ!」
―ドアノブには、スーパーの半額弁当がぎっしり詰まった袋がぶら下げてあった。
大和(なぜあの子がこんな事を?)ガサッ
―ヒラッ
大和(これは・・・!)
―いぶかし気に一番上の弁当を持ちあげたら、メモがひらりと落ちた。
メモ『酒匂です。これ、良かったらどうぞ。阿賀野姉がお話とお食事をしたいって言ってました。好きなだけおごるから、との事です』
大和(どういう事なの?なぜ私に構うの?)
―大和はこの弁当を酒匂に返さなくては、と思った。しかし、脳は言う事を聞かなかった。
大和(これ・・・返さないと・・・でも・・・)
―15分後。
大和(ああ・・・全部食べてしまった・・・)ガックリ
―今日、予定より艤装の力を使ったエネルギーはどうにか補給されたようだ。それでも空腹に変わりはない。阿賀野がここまで自分の動かし方を知っているのは問題で、その意味を考えるべきだ。が・・・。
―グゥ~・・・
大和(ああっ、余計な計算を・・・っ!)
―無意識に高度な思考能力を使ったために、また空腹になってしまった。少し前までは挑戦してきた様々な鎮守府との演習による報酬で補給を受けられたが、そうでない限り補給が行われる事のない大和は、常にひどい空腹に苦しんでいた。
―コト
―大和は炬燵に入ると、みかんも入っていない籠を見やりつつ、突っ伏した。
大和(お腹・・・空いたなぁ・・・)ジワッ
―視界が涙でぼやけたが、疲れてもいた大和は、そのまま眠りについてしまった。
―同じ頃、堅洲島鎮守府、大食堂。
赤城(ふぅ、ちょっと小腹がすきましたね。ここは夜食も全くとがめられないのは素晴らしいです。さて、今夜は・・・と)ニコニコ
―赤城は幾つかの冷凍ご飯のパックを解凍しつつ、レトルトのカレーを数袋大鍋で温め、さらにカップラーメン用のお湯を沸かしていた。深夜の食事というより、深夜の暴挙だったが、この鎮守府でそれをとがめる者はいない。
赤城(堅洲島いいとこ一度はおいでっと♪)フンフン♪
―適当に思いついた鼻歌を歌いながら夜食の準備をする。そこに、誰かが大食堂に入ってきた。
明石「んあーっ、疲れたなぁ。何かちょっとだけ・・・」
赤城「あっ!」
明石「あっ!」
―二人の間に、何とも言えない沈黙が訪れた。しかし、皮肉なことに、その沈黙は互いが互いを知っている事を再確認させていた。赤城が最初に口を開く。
赤城「・・・お疲れ様です。せっかくですから一緒に食べませんか?」
明石「・・・それは、何か深い話ができるという事ですか?」
赤城「そうなりますかね。・・・焼きそばで良かったかしら?」
―焼きそばは、明石が良く食べる夜食だった。これで、素性の確認ができたようなものだった。
明石「・・・はい。いただきます」
―20分後。赤城の冗談のような食事が落ち着き、空気にはまた緊張感が漂い始めていた。それは主に明石の緊張だった。
明石「単刀直入に聞きますが、ここは深海側ではないですよね?なのに、あなたがなぜここに?」
赤城「簡単な事ですよ。敗れて捨てられたのです」フッ
―赤城は自嘲気味に笑った。
明石「あの時、何があったんですか?みんな光の彼方に消えて・・・」
赤城「さあ?光に飲み込まれた後は、六ヶ月ほどたっていたでしょうか?あの忌まわしい塔が私たちの鎮守府になっていて、私たちは『最初の艦娘』と呼ばれる存在になっていたわ。何が起きたのかは、正確なところは誰も知らないのですよ。私たちの新たに獲得した能力も、どうも一貫性が無かったですしね。・・・そして、馴染めなかった私は加賀さんと反目し、戦って敗れて、沈んだと思ったら総司令部の地下で目覚めたのよ」
明石「・・・それを信じろと?」
赤城「それはあなたの自由です。特に信じろとも言いませんし、そのまま医務室に行って提督に今の話を伝えても良いですよ?・・・ただ、おそらく私は、純粋な戦力としてここに着任させられていますから、総司令部も『運営』も、私の過去の所属というリスクは全く無いと評価しているのだとは思います」
明石「深海を感じませんもんね。昔と変わりないですし」
赤城「加賀さん曰く、私は失敗作だそうですよ。あれはおそらく『運営』だったと思うのですが、私を『リミッターが無い』と言っていました。が、私自身は体感した事はありませんね。何より・・・加賀さんに敗れてここに居るのが良い証拠になってます」
―赤城は機密まみれになりそうな話を、特に感情も載せずにぽんぽんと語り続けていた。
明石「驚きました。赤城さんは本当に変わってない・・・」
赤城「でしょう?私には、向こうのみんながいつの間にか変わったようにしか見えていません。羽黒ちゃんなんか、復讐の鬼みたいになってますし」
明石「ああ、何となくわかります」
―ここで明石は、妙な考えがよぎった。もともとこの赤城は加賀以上の戦闘狂だった。戦いと食事にしか興味が無さそうで、明石は何となく苦手に思っていたものだが、もしかしたらその無関心が、この場合は赤城に何か良い結果をもたらしているのでは?と思った。
赤城「ついでにですが、総司令部に対しては聞かれたらここの情報を教えろとは言われています。ただし、ここに不義理にならない範囲で、との事ですが」
明石「ちょっと待ってください!なんかこっちが重くなりますってば!何でそんな大事な事をあっさりぺらぺら話せるんですか!」
赤城「だって、どうでもいい事ですもの」ニコニコ
明石「えっ?」
赤城「明石さん、いつかその日が来るまで温存していますが、私はとても頭に来ているんですよ。加賀さんにも一条御門さんにも、そして全てを変えた、『深海か何か』に対しても。既に一度派手に敗れた私に、もう一度戦う機会と真実を明らかにする可能性は与えられているわけですし、多少罰が課されたところで、私が戦う展開だけは無くなりません。絶望的な戦力との戦いですし、猫の手よりはだいぶマシな戦力ですからね。罰則なんて苦痛程度で、どうせ最大限の状態で戦える日が来るわけで、他の事なんて食事以外はどうでもいいです」
―明石はここでやっと、かつての赤城を思い出した。戦闘と食事以外は、本当は全く関心がない。その地の性格が出ていて、そのまましゃべっているのだ。それの意味するところは明白だった。
明石「そんなに怒っているの?赤城さん」
赤城「ええ。全てが面倒になるくらいには。もちろん、必要な事にはリソースを割きますけれどね。笑い話ですけれど、今の提督のファイルに目を通してから着任するまで、私は提督の人物像を誤解していましたから、男性の夜のお相手を完璧にこなすための資料まで読み漁っていましたよ。そこまでしてでも戦いたかったのです。提督に媚を売ったり、篭絡したり、または玩具のように扱われても、ね。ふふふ・・・」ニコ・・・ギリ
明石「・・・・・・」ゾク・・・
―赤城は笑っていたが、同時に、歯をかみしめる音もした。怒りが少しだけ蘇ったのだろう。明石の背に悪寒が走った。
明石「ある意味、安心しました。赤城さんは昔のままで」
赤城「早とちりはしないでくださいね?何かは変えられてしまったはずです。私も」
明石「そうなのかもしれませんが、心は私の知っている赤城さんですよ。ちょっと安心しました」
赤城「私も、再会できて嬉しいですよ。こちらの提督は得体が知れませんが、おそらく戦闘適正は高いですし、私たちに対しても良い接し方をしてくれます」
明石「なかなか強そうですもんね。一条御門さんと戦ったら、どちらが強いと思います?」
赤城「・・・・・・そうですね、おそらくこちらの提督でしょう。一条御門さんは大変な強さでしたが、何というか人間の強さに収まっている感じです。でも提督は、何か得体が知れませんから」
明石「そんなにですか!?」
赤城「何となくですが、提督は私を殺せる気がします」
明石「いやいやそんな・・・」
赤城「ですよね?さすがにそれはどうかと思うのですが、そう考えてしまいたくなるような何かは持っています」
明石「うーん・・・」
赤城「叶う事なら、一度本気で戦ってみたいんですけれどね」ニコ
明石「私、戦いの事はよくわからないんですよねぇ」
赤城「そうでしたね」
―それからしばしの沈黙が訪れた。もともと付き合いの長い二人に、事実のすり合わせが行われれば、あとは取り立てて話すこともなかったのだ。やがて、それぞれ食事を終えると、大食堂の照明は自動で落ち、暗闇だけが静かに残った。
―提督の夢、闇の雨の降り続ける世界。
提督「ああ・・・ここは・・・」バシャッ・・・バシャッ・・・
―何度も見た。そして、いつまでも繰り返される事だろう。提督は過去の自分が経験した夜を、何度も繰り返し悪夢の形で見ていた。時おり稲妻が光る、土砂降りの夜の森の中を歩いていく。狭く、しかし広大な渓谷地域の奥に、そのコテージはあった。
―コンコン・・・コンコン・・・
―木の扉をノックすると、ガラス窓の奥がうっすらと明るくなり、タオルをかぶせたLEDランプを持った人影が近づいてくる。よく知っている、しかしもう死んだ女だ。そのシーンから、久しぶりの逢瀬と、貪るようなベッドでの時間、そして凄惨な結末がセットだった。提督は夢の中でも、この後起きることに暗い気持ちになっていた・・・が、いつもと違っていた。
提督「んっ?」
―場面は切り替わり、提督は、その女の寝室に立っていた。窓から時おり差し込む稲妻の光は、ベッドに座るほっそりした女の、育ちの良さそうに座った膝下くらいしか照らし出さない。それより上は闇だった。
夢の中の女「・・・久しぶりね」
提督「ああ。いつもと違うな」
夢の中の女「やっと、誰かのぬくもりに触れられたのね。あなたの悪夢を変える事ができるわ」
提督「・・・その必要はない。これは」
夢の中の女「あなたの咎ではないわ。私が選択して得た結末よ。納得しているの。でも、あなたがこんなに傷つくと思っていなかったわ。それだけが誤算だった。あなたは私が思っていたよりずっと闇が深くて、そして・・・」
提督「おれの話はしない約束だろう」
夢の中の女「そうだったわね、ごめんなさい」
提督「いつもの夢で構わなかった。おれはまだ、苦しみたいんだ」
夢の中の女「じゃあ言い方を変えるわ。私の肖像権の問題よ」クスッ
―提督はここで初めて、少しだけ笑みを浮かべた。これは夢だが、干渉されている夢で、孤独な悪夢では無さそうだった。
提督「罰則でもあるのかね?」
夢の中の女「こんな生き方しかできなかったつまらない女の命の事なんて、いつまでも気にするべきじゃないわ。そうでなければ、やがてあなたの心の闇は必要以上にその子たちを蝕んでしまう。良い循環にとどめるなら、そろそろ変化が必要だわ」
提督「しかし・・・」
夢の中の女「言い方を変えるわ。あなたは別にそんなに私の事は好きじゃなかったはずよ?普通に知り合っていたら、付き合ったり結婚していたかしら?私の側ではそれは『無い』事だわ。あなたもそうでしょう?吊り橋効果の延長みたいなものよ」
提督「・・・・・・」
―提督は黙り込んでしまった。死なせてしまった女がそこまで言うとは思っていなかったからだ。
夢の中の女「黙ってしまったわね。でもそれが答えでしょう?」
提督「なぜ、そこまでしておれを解放しようとする?」
夢の中の女「逆よ。誰もあなたを束縛できない。そして、そんな力が必要になるの。なのに、あなたはなぜか、心を患うくらいの優しさがあるわ。そして、それは良い事とは限らないのよ」
提督「自分でも驚いてはいるんだ。君の献身が、おれを少し変えてしまったのかな?」
夢の中の女「違うわ。あなたは自分を忘れているだけだし、その空隙が、その子たちを守り続ける上では邪魔になる時もあるという事よ」
提督「!・・・何か見えたのか?死者は全てを見通せると言うが」
―ここで、しばし重い沈黙が流れた。
夢の中の女「・・・いいえ、何も。ただ心配なだけよ。あなたの過去は私にも見えない。ただ、こうして話せるくらいになったのは良い事だわ。あなたは、あなた自身が思っているより遥かに温もりが必要なのよ。それを忘れないで。あえて、『愛』なんて言わないわ」
提督「ああ・・・色々とすまないな」
夢の中の女「いいえ。また話せて嬉しかったわ。おやすみなさい」
―ガカッ・・・ガラガラガラッ
―ひときわ激しい雷鳴が聞こえ、一瞬だが、微笑んでいる細身の女の姿が照らし出された。そして全て闇に戻ったが、それは安らかな闇だった。
―医務室そばの廊下。
―カチャ・・・ソロー・・・
磯波「失礼します(小声)」
―磯波は息を殺して医務室に入った。提督と榛名の様子を見る為だ。
磯波(あっ!提督、もしかしてストレス障害が?)
―上体を起こした姿勢で眠る榛名に倒れ掛かるような姿勢で、提督が深い眠りに落ちていた。磯波は、提督の眼に男性らしい性的な視線が宿る事がほぼ無いのを知っている。他の理由でこうなるとは考えられなかった。
磯波(榛名さんがいて良かった。・・・でも、私もいますからね?)ニコッ
―カチャッ・・・パタン
―磯波は静かに医務室を出て、また巡回を続けようとした。が、気配がする。
磯波「・・・時雨ちゃん?」
時雨「驚いたな。僕の気配に気づくなんて。これでも歴戦なんだけどなぁ」スッ
―暗がりから時雨が出てきた。どこか開き直った表情だな、と磯波は思った。
磯波「何か用事がありましたか?」
時雨「気になっただけだよ。今、提督と榛名さんが一緒だよね?」
磯波「はい。今見てきたところです。提督、ちょっと具合を悪くしたのかもしれないですけど、榛名さんが一緒なのでよく眠れているようです」
時雨「ふーん・・・」
―何かが時雨をイラつかせている。
磯波「一応、護衛秘書艦なので確認しておきますけれど、何か用事がありましたか?」
時雨「無いってば。気になって来ただけ。僕だって提督の艦娘だからね。艦娘が提督の事を気にかけるのは何もおかしくないでしょ?心配って言ったらいい?」
磯波「ううん、何もおかしくないです。そうですよね」ニコッ
―しかし、磯波の屈託のない笑みが、どうにも時雨の心を逆なでする。
時雨「ねえ、君ってさ、提督とどういう関係なの?」
磯波「どういう・・・って?護衛秘書艦ですよ?」
時雨「それはわかるよ。経歴だって知ってる。利島鎮守府の提督から、望月や磯風と一緒に『捨て艦』されたけど、捜索で見つけられて、今は護衛秘書艦なんだよね?」
磯波「あっ、詳しいですね!調べてくれたんですか?嬉しいです!」
時雨「あっ、うーん、まあそうだけど・・・」
磯波「・・・?」ニコニコ
―磯波は本当に屈託がない。対する時雨は自分が少し面倒だな、と思った。色々な鬱屈が爆発する。
時雨「なんでそんなにいい子でいられるの?提督に気に入られているから?着任からすぐに秘書艦になってるし、なんかあったんでしょ?」
磯波「なんかって、なんですか?」
時雨「えっ?なんですかって・・・」
磯波「?」
時雨「エッチな事だよ!」
磯波「あっ・・・!」カアッ
―磯波は大浴場で、不注意から提督に裸を晒してしまった事を思い出した。
時雨「えっ!?(何その反応?)」
磯波「あれは私の不注意で・・・本当に・・・」
―磯波は目を伏せてしまった。
時雨「えっ?えっ?何かあったの?」
磯波「提督が入ってるのを知らないで、大浴場に入っちゃったんです。それで・・・」
時雨「エッチな事をされた?」
磯波「違います!裸を晒しちゃっただけです!」
時雨「え?それだけ?」
磯波「でも、提督は律儀な人で、申し訳ないから何か希望をって言われたので、お仕事を希望したらこうなったんです」
時雨「それは知らなかったなぁ・・・」
磯波「誰にも話してないですもん」
時雨「何で僕には?」
磯波「間違って伝わると良くない気がしたから・・・」
時雨「あっ、そうだね・・・」
磯波「でも、ちょっとうらやましいです」
時雨「うらやましい?何が?」
磯波「時雨ちゃんは、提督が必要だと思って矯正施設から呼んだと思うんです。特務からなら、他の鎮守府に異動を要請する事はそんなに難しくないみたいなんですけど、きっと時雨ちゃんの武勲や・・・ほかの何かを考えての事だと思うので」
―時雨はそう珍しい艦娘ではない。そこそこに練度がある時雨の異動を要請する事は、確かにそう難しい事ではなかった。ではなぜ、わざわざ自分にしたんだろう?と、時雨は考えた。
時雨「僕が、何か期待されてるって事?」
磯波「そうだと思いますよ?」
時雨「うーん、そういえば、なんでわざわざ僕なんか呼んだんだろ?・・・最初はね、とてもよこしまな理由かなと思ったんだけどさ」
磯波「よこしまな理由、ですか?」
時雨「ごくまれに矯正施設から出られる子がいるんだけど、みんな条件付きなんだ。異動先からの異動は原則、認められないし、異動先の提督の機嫌を損ねちゃったら、施設に戻されちゃうからね。だから、言い方は悪いけど玩具にされるような子も多いって聞くよ」
磯波「艦娘はかわいい人が多いですもんね。じゃあ、時雨ちゃんは提督がそんな事を考えて異動させたと思っていたんですか?」
時雨「最初はね。でも、異動して来てみたらそれはほぼ間違っていたみたいだよ。僕なんかをどうこうしなくても、戦艦のお姉さま方にずいぶん好かれちゃってるし、君や叢雲ちゃんもいる。なにより、提督はそういう事は考えてないみたいだね」フッ
―時雨は暗い眼で自嘲気味に笑った。
磯波「・・・うーん・・・もしかして、そういう事を期待してました?」
時雨「なっ!?」
磯波「だって、そうなりますよね?話をまとめると」
時雨「えっと・・・」
磯波「提督はとても怖そうだし影があるけど、どこかあったかいからわかります」
時雨「ちょっと待って!僕まだ君の話を認めてないよ?」
磯波「あれ?違うんですか?」
時雨「・・・君って結構ぐいぐい来るんだね。やっぱり提督が違うと僕たちも変わっちゃうんだな」
―時雨は、磯波の話の持って行き方に、自分が今まで見た事、話した事のある磯波とは異質なものを感じていた。どこか腰が強い気がする。
磯波「変わった?提督の影響でですか?それならすごく嬉しいです!」
時雨「はぁ・・・なんか僕の湿っぽい部分も、いずれ自然に変わっちゃうのかなぁ?」
磯波「あっ、もしかしてそういう個性が大事って提督は考えたのかも!」
時雨「僕の・・・個性?僕自身は自分の湿っぽい部分があまり好きじゃないんだけどな」
磯波「そうでしょうか?なんか、そういうのも強さみたいな気がしますよ?」
時雨「え?強さ?」
磯波「自分の個性があるって、それだけ経験もあるわけで」
時雨「そういう考え方もあるんだね・・・」
―時雨は少し楽しくなってきた。この鎮守府は、その任務の重さのわりに、それを重く受け止めている艦娘はひとりもいない。では、意地悪な質問をぶつけてみたらどうなるだろうか?
時雨「ねえ、君さは、提督と深い関係になりたいとか思わないの?」
磯波「深い関係って、デートとかですか?」
時雨「それ以上だよ」
磯波「あっ、・・・逆に聞きたいですけど、思ってないと思いますか?」ニコ・・・
時雨「ええっ!?」
磯波「ふふっ、冗談ですよ」ニコニコ
時雨「やっぱり、君は僕の知ってる磯波とはちょっと違う。戦っても、きっとそんなに簡単じゃない気がする」
磯波「そんな事ないですよ。みんなについていくのが精一杯です」
時雨「とりあえず、提督も榛名さんも元気ならいいんだ。邪魔したね。うまくかわされちゃったな」
磯波「・・・提督が望むか、万が一ですよ?・・・だれも、私以外だーれも居なくなってしまったなら、そんな事になったら嬉しいかもって思ってます。でも、そんな事はまずないし、起きてはいけない事だと思ってますから、ただの妄想です。何より、これ以上を望む気にはなれないですよ」ニコ
―磯波は自分との関係を考えて、本音を言ってくれたようだ。
時雨「そうなんだね?ありがとう」
磯波「まだ、なじめませんか?」
時雨「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」
―時雨は挨拶をすると、足早に立ち去ってしまった。廊下の暗がりに消えていく背中を、磯波は見届けている。
磯波「ふふ・・・本当に退屈しないわ・・・」ニコッ
―一瞬、磯波の眼と口調が、いつもの奥ゆかしい彼女のものではなくなった。
―ハッ!
磯波「・・・あれっ?ああ、時雨ちゃん、戻ったんでしたね。・・・少し眠いのかな?私」チラッ
―一瞬、自分の記憶が飛んだような気がした。時計を見ると、そろそろ交代時間だ。よく眠ろう、と磯波は思った。
―時雨の部屋付近。
時雨「あっ・・・どうしたの?」
山城「医務室にでも行って来たの?」
時雨「うん、まあ」
山城「色々な動きをしているわね。そんなに、自分を引っ張った提督の事が気になるの?」
時雨「山城には敵わないなぁ」
山城「いいえ。私たちにさえ気を使って、心を開かないでいるわ。でも、あなたはそれを誰かに知って欲しそうに、苦しんでいるようにも見えるのよね。・・・話す気は無いの?」
時雨「いいんだ」
山城「私は良くないわ。あなたは仲間よ?とても大事な、ね。だからそんな態度を取らないで・・・」
時雨「いいんだよ!汚い感情だから!」
山城「待って!」
―ガチャッバタン・・・
山城「あ痛ッ!」
時雨「あっ!ごめん」
―時雨は急いで部屋に入り扉を閉めようとしたが、伸ばした山城の手を挟み込んでしまった。
山城「いったぁ~。不幸だわ・・・」
時雨「ごめっ!そんなつもりじゃ・・・」
山城「別にいいわ。こんなの慣れてるもの。でも、そう思うのなら話してくれた方が嬉しいわね」
時雨「・・・もしかして今、わざと手を挟んだ?」
山城「いいえ。鈍いだけよ」
時雨「うーん・・・」
山城「お茶が飲みたいわね」
時雨「ああもう、なんか僕、ここでは調子が狂っちゃうなあ。みんなどこか腰が強いんだよね」
山城「それね、感じてるのはあなただけじゃないわ」
時雨「えっ?・・・まあ、お茶を淹れるから聞かせてよ。僕も話すから。手当は・・・」
山城「大丈夫よ。一瞬艤装化したから」シレッ
時雨「ああもう・・・」
―時雨は騙されてしまったという事だ。
山城「私の機転で何とかなっただけで、怪我は怪我よ?」ドヤッ
時雨「山城って僕には強気だよね・・・」クルッ
―ギユッ
時雨「えっ?山城?」
―時雨は和室奥の小さなキッチンに向かおうとしたが、山城に背を向けた時に、いきなり山城に抱きしめられた。
山城「・・・あなたやっぱり、心が冷えているわねぇ。自分を孤独に追い込んでいるわ。履歴の武勲とは裏腹に、悩める一人の女の子ね」
時雨「ずるいよ、こんなの・・・」
―山城の温もりは、感じた事のない暖かさだった。遠くに見える篝火を追おうとしていたら、いきなり背中を温められたような・・・。
―グイッ
山城「えっ?」
―しかし、時雨は山城の手をどけて、その腕から離れ、向き直った。
時雨「嬉しいけど、でも、僕に優しくしないで・・・」
山城「わかったわ。ごめんね?」
時雨「僕だってさ、いつ沈むかわからないし、提督に気に入られなかったら捨て艦にされることだって」
山城「そんな『余裕』のある鎮守府じゃないのはわかっているでしょう?」
時雨「なら、言い方を変えるよ。僕さ、みんなと何か違う気がするんだ。・・・ううん、実際違う。前の鎮守府と提督の影響なのかもしれないけれど、やっぱりこれは僕自身の感情だと思うから」
山城「何の話?」
時雨「僕ね、とても汚い自分が許せないんだ」
山城「汚いって、ここに来れる時点で、あなたは別に・・・」
時雨「身体はね。でも、それ以上に僕の心が汚いとしたら?」
山城「・・・ふぅん、自分の心が汚いと思っているわけね?」
時雨「わかったように言うんだね?・・・あまり、いい気はしないな」
山城「違うわ。心なんてそう簡単に汚れもしないし、綺麗になりもしないんじゃないかしら?」
時雨「えっ?」
山城「大抵、煮え切らないものだと思うわ。そもそもあなた、私の性格を知っていてそんな事を言っているの?」
時雨「うーん・・・」
―時雨は返事に困ってしまった。確かに、山城は少し面倒な部分があり、それは多くの艦娘が知っている事だったからだ。
山城「あら、やっぱり私って面倒な性格だと思われているのね」
時雨「あっ、そういう意味ではないけど」
山城「分かっているから構わないわ」ニヤッ
時雨「なんかね、そういうところ」
山城「何の話?」
時雨「ここの艦娘って、どこかみんな強さがあるんだ。あっさりしてると言うか、僕みたいな感じじゃない。わかるかな?自分の嫌な部分が色々と足を引っ張って迷惑をかけそうな予感が」
山城「他の鎮守府の事はわからないけど、私たち艦娘は提督の影響を受けるとは言うわね。・・・例えばどんな迷惑?」
時雨「言えないよ」
山城「なら聞かないわ。でも、任務を真面目にこなす気はあるんでしょう?」
時雨「あるよ。それを取ったら、艦娘でさえなくなっちゃうよ」
―山城は時雨の眼の奥を見た。苦悩を押し殺している決意は決して軽くない。しかしそれは、いずれ溢れる堰のようにも見える。危ういバランスが感じられた。山城は小さくため息をつく。
山城「ならいいわ。お邪魔しちゃったわね」
―山城は立ち去るそぶりを見せた。そのままスルーされるようなら、時雨は自分に対してかなり距離を置いている。そうでなければ、そう状況は悪くない。そんな探りの意味もあったが、時雨はどんな対応をするか?
時雨「ううん、ありがとう。おやすみ・・・」ニコッ
山城「いいえ。またね・・・」
―カチャッ・・・パタン
―時雨は、山城に距離を置いているようだ。
山城(真面目な子だものね。思ったより厄介だわ)フゥ
―山城は静かにため息をつくと、部屋に戻ることにした。
―時雨の部屋
時雨(ごめんね、やっぱり僕、もうじきお別れにするつもりだからさ・・・)
―時雨は山城の分のお茶も淹れ、それを小さなテーブルに置くと、自分のお茶を飲みつつそんな事を考えていた。
―扶桑と山城の部屋。
―カチャ・・・パタン
扶桑「おかえり、早かったわね」
山城「姉さま、起こしてしまいましたか?」
扶桑「もともと、そんなに疲れていないわ。どうだったの?」
山城「どうって、お見通しですか?」
扶桑「時雨の事でしょう?」
山城「さすが、姉さまですね。・・・あまり良くないです。あの子、たぶん将来とか希望なんて考えてないわ。以前の提督と何かあったわけではないはずなのに、なぜそんなに自分を責めているのかしら?」
扶桑「何か言っていたの?」
山城「自分の事を『とても汚い』と」
扶桑「汚いと?どういう意味なのかしら?自分を許せないくらい、心が汚れてしまったと考えている事になるわね」
山城「私は何となく、理解できます。きっと、望むべきではない事を望んでしまったんだわ」
扶桑「山城にはわかるのね」
山城「姉さまと提督の間に何かあるんじゃないかと、時々悩みますからね。今夜も、榛名さんが一緒なのに、姉さまは平然としているわ。まるで、提督の事が良く分かるみたいに」
扶桑「うふふ、気になるのね?以前も話したことで全てよ?」
山城「姉さま、提督の事、そんなに信用できますか?」
扶桑「信用って、そういうものかしら?状況を積み上げて増減するものは、本当の信用と言えないのではなくて?少なくとも、艦娘にとっての提督とはそういうものよ?」
―山城は時雨の言葉を思い出していた。『みんなどこか腰が強い』本当にそうだ。よく知っているはずの姉も、どこか強さがある。時雨の気持ちが少しだけ移ったように、山城は少しだけ踏み込んだ質問をした。
山城「姉さま、例えばですよ?提督が私たちをとても大事にしてくれて、互いに、信頼以上の感情が芽生えたとします。そして、もし万が一全てが終わった時、提督が姉さまと本当に結婚する事になったら、私はそれでも今と変わりないでしょうか?」
―山城は、考えられる限り最も姉が悩むであろう意地悪な質問をしたつもりだった。扶桑は自分の事をとても大事に思ってくれている。自分の、やや情念の強い性格もよく知っているはずだ。その優しさゆえに悩むと思われたが・・・。
扶桑「変わりないわ。と言うより、そんな事にならないもの。そんな時はあなたも一緒に嫁げばいいだけよ。艦娘は人間と違うのだから」ニコ・・・
山城「ええっ!?ふ、二人で提督のお嫁さんになるんですか?」
扶桑「それが一番いいと思ったのだけれど、何か問題あるかしら?」
―しかし、扶桑の言葉は山城に届いていなかった。
山城(ね、姉さまと一緒に提督の元に嫁ぐ・・・轟沈以外で、これで姉さまと離れることは無くなったわ。姉さま大好き!・・・じゃないわ、お風呂とか夜とかももしかして・・・)
―タラ~
扶桑「ど、どうしたの山城?鼻血が出ているわ!」
山城「あっ、大丈夫です。すいません何か色々と間違えてしまいました!」
―時雨の気持ちとは裏腹に、堅洲島の夜は静かに夜明けに向かっていた。しかし、時雨の感じている『堅洲島の艦娘に感じる強さ』が、のち自分を救う事になると、彼女はまだ知らなかった。
―同じ頃、横須賀総司令部、水上機発着所。
―夕方の横須賀の騒動が落ち着いたころから、見慣れない英国製の水上機が停まっていた。そのラウンジ内部。金髪の少女が、月明かりの中ひっそりとココアを飲んでいた。
??「眠れませんか、お嬢様。爺にご用命くだされば、美味しいココアを入れて差し上げましたものを」
金髪の少女「あら、リチャード爺、起こしちゃった?何か夢を見たのよ。遠い遠い昔の夢を。闇夜と激しい雷の中、私は沢山の子たちと祈りを捧げていたわ。そしてね、黒い人が戦っていたの。それで目が覚めちゃったのよ」
―少女は声のした暗がりに話しかけた。暗がりから、銀髪の執事姿の老人が出てくる。筋骨隆々で、左眼には刃物で斬られたような古傷があり、まるで引退した歴戦の戦士のような雰囲気の老執事だった。
執事リチャード「それは興味深いですな。フリートガールになったあなたが夢を見て目を覚ますとは」
金髪の少女「昼間、遠くからしか見えなかったけど、きっとあの人だわ。あの人なら、ウォースパイトを取り戻せるかもしれない」
執事リチャード「可能性があるとすれば、確かに彼だけでしょうな。ふむ、ジャーヴィス様がそう言うのであれば、この灰のような世界に、わずかに炭の熾火が残っていたのやも知れませんな」
金髪の少女「リチャード爺、本当は知っているんでしょう?あの黒い人がどんな人か。だってリチャード爺は昔・・・」
執事リチャード「お嬢様、お言葉ですが、この爺は既に剣を捨てて久しく、全て忘れてしまいましたわい」
金髪の少女「ごめんなさい。聞いちゃいけないのよね・・・」
執事リチャード「こんな夜はなぜか、独り言が多くなる。・・・この国には、『天の下』を意味する剣の使い手が三人、かつては五人おりました。しかし、それより上、わしのかつての『ソードマスター』の称号さえ超える、『天』を意味する使い手もおりました。この爺の左目を斬った男です。昼間見た彼は、その男の剣を思い出させる使い手であり、それより遥かに凄惨な修羅場をくぐって磨き抜かれた腕を持つのは間違いありませんな。一応、面識もありますが、昔でさえ相当な使い手でありました。この爺がかつて探していた存在に最も近い男です」
金髪の少女「ありがとう、リチャード爺。私は時を待つわ。あの人がウォースパイトを取り戻してくれる人ならいいなって思っているの」
執事リチャード「爺も同じ思いでございます。気高きあの方が進んでフリートガールになられたというのに、今はおそらく深海の手の中。必ず取り戻さねばなりません」
金髪の少女「ええ。ラッキーなその日を待ちましょう?」
―現在、公式にはイギリスの艦娘は一人も存在しない事になっていた。・・・ごく最近までは。堅洲島に艦娘が集まり始めたと同時に、海外の艦娘たちにも動きが出始めていた。
―同じ頃、横須賀海軍施設、空母『ドナルド・J・トランプ』内、フリートガール専用区画『ガールズルーム』
メイ技術士官「眠れないのですか?サラ」
サラトガ「ええ。昼間の顛末、リチャードお爺様も見ていたと思うのよね」
メイ技術士官「リチャード?『ソードマスター』リチャード・ハイアラキですか?」
サラトガ「そうよ。今はイギリスの『あの一族』の小さなレディの執事をしているわ」
メイ技術士官「なんてこと!業の深い一族だとは思っていましたが、そんな事になっているんですね。向こうは『ウォースパイト』の奪還ですか?」
サラトガ「そんな所だと思うわ。嫌ね、私。あの人はきっと気付いているわ。また私、あの人を酷いことに利用しようとしている。でもあの人は・・・」
メイ技術士官「笑って騙されてくれるんでしたっけ?・・・今夜も飲み過ぎですよ?」
サラトガ「昔ね、あの人『名誉なんてただの言葉だ』って疲れたように笑って言っていたことがあったの。その時は、自分はこの人と分かり合えない、と思ったわ。・・・でも違った。名誉は本当にただの言葉で、人を救いも、幸せにもしなかったのよ。・・・そんな言葉で失った多くを、いまさら、名誉がただの言葉と理解している人の助けを得て取り戻そうとしているなんて・・・」
―しかし、メイ技術士官は真面目に聞いていなかった。サラトガは既にだいぶ酔っぱらっているし、大抵いつもこうなのだ。
サラトガ「だいたい何よ深海化って。せっかく身体を新しくしたのに、これじゃあ取引も役得も無いじゃない!」
メイ技術士官「はぁ・・・」
―サラトガは酔うと起伏が激しいのだ。最初の頃は真面目に話を聞いて何度も馬鹿を見た。不安定になりがちな艦娘の酒に付き合うのもまた、技術士官の大事な仕事だ。
サラトガ「あーあ、やっと体調とか気にしないで楽しめると思ったのに。信じられる?いくらトラウマがあるからって、あんなに可愛い子ばかりなのに禁欲して生きていくのよ?私までそんな事になるなんて、あり得ないわ!」
メイ技術士官「品がいいのか悪いのか、真面目なのか不真面目なのか、あなたの本心は安定してませんね。もう少し『サラトガ』らしく振舞ったらどうですか?」
―実は、この言葉には一抹の不安もあった。本来のサラトガの性格が、あまり表に出てきていないような気がしていたからだ。見た目ほどはフリートガール化がうまく行っていない可能性に繋がる。
サラトガ「じゃあ、あとはワイルドキャットの整備でもして寝るわ」
メイ技術士官「いきなりサラトガっぽさを出さなくていいです」
―こうして、榛名誘拐事件と、榛名の意味深な夢の旅の夜は、様々なものの思惑を抱えたまま、終わろうとしていた。
第八十一話、艦
次回予告
深海化した巨人だった男の事情聴取と取引が始まる。そして、堅洲島への異動者が横須賀に集まってくるのだが、その中にいる狭霧について、敷波は資料から不審な点を見つける。
松田提督との会合でも、何かがおかしいという話になるのだが・・・。
次回、『霧の記憶』乞う、ご期待!
山城『ね、姉さまと一緒に嫁いだら、姉さまのあんな姿やこんな姿が・・・ううん、もしかしたらあんな姿まで・・・ぐふふ』ジュルリ
扶桑『あら?なにか悪寒が・・・。山城?・・・山城!』
山城『あっ、何ですかお姉さま』
扶桑『また鼻血が出ているわ・・・具合でも悪いの?』
提督『たぶんそれは扶桑のあられもない何やかやを想像してのことだぞ?』
山城『なっ!?』
扶桑『まあ!そうなの山城?』
山城『断じて違います!姉さまが綺麗すぎるだけです!』
扶桑『・・・・・・』
提督『くっくっく・・・』
山城『何か?』ジロ・・・
提督『いや何でもないぜ』
また更新できて一安心です。
最近、ゲームしてるより話を書いてる方が楽しくなってきてしまいました。
まあいいのかな?
新しい話感謝です!
提督神様説!
別の世界の提督が人の時代を呼び寄せる為に戦っていたならば、この世界の提督は戦いの果てにどんな時代を招くのでしょうか
この先の展開が気になりますなぁ
それにあの世界で榛名が巫女ならば、提督の下に集っていた艦娘達も遠からず巫女やそれに近しき存在である可能性も微レ存?
この大和が堅洲島へ来たら毎日満腹まで食べられて幸せなんだろうなぁw
ただひたすらに、大和の待遇が凄く切ないな。ストーリー上仕方ない、でもせめて腹一杯飯食わせてやってくれよ。
1さん、コメントありがとうございます!
この話は私の色々な一次創作を作値時のような資料からもいろいろ引っ張ってきているので、わりかし重厚な背景がいずれ明らかにされていくと思います。
こんな設定も通るガバガバさが、艦これの良いところですね。
2さん、コメントありがとうございます。
誰かがそう思ってくれた時点で、物書きとしてはとても嬉しいです。
彼女は誇りを選んでこんな生き方になっていますが、きっといずれ報われるんじゃないかと思います。
そんな時は好きなだけ食べて欲しいですね。