アイドルスペースウォーズ・エピソード2 第二部⑭ 折り合いの付け方
「アイドルマスターミリオンライブ!」内で行われたイベント、「アイドルスペースウォーズ」の二次創作です。
”侵入者”の呼んだ合成獣『サラマンダー』によって、植物園はたちまち火の海に包まれた。未知の存在を前にし、765小隊は次第に追い詰められていく。身を挺して仲間を庇い、気絶したカナ。自身の倫理を超えた怪物に対し、銃口を向けられないシホ。絶体絶命の危機を救ったのは、戦艦佐竹艦長ミナコ・サタケであった。
植物園を人工の雨が覆っている。大部分が燃えて朽ちてしまった木々の中で、それでも失われなかった鮮やかな緑たちが天から降り注ぐ恵みを受け、水滴を弾いてきらきらと輝いている。天井高くまで燃え盛った火炎の影響でスプリンクラーがいくつか破壊されていたが、雨の届かない位置で燻る炎は食人植物たちが太い手足を使って押しつぶすようにして消化していた。彼らは本能的に植物園を守ることを最優先として行動しているらしく、すぐ隣を横切った人影にはまるで反応を示さなかった。
「…死んでいます。炎で防がれることを警戒しましたが、杞憂だったようですね」
「そこまで自在に操れるタイプではなかったか、あるいはただの失敗作を送り込んだか…ね。残弾で足りたのは運がよかったわ」
傍らに置いた対エイリアン専用携帯式小型ロケットランチャーをそっと撫で、戦艦佐竹艦長ミナコ・サタケは小さく息をついた。腹部に穴の開いた怪物の死体を眺めて、サヨコ・タカヤマ少佐は言う。
「一発のミスもなく、すべて腹部の同箇所に命中。お見事です」
「たまたまよ。それで、対象から発生した炎は?」
「対象が死亡したことにより勢いは収まったようです。発火した植物も先ほどのように際限なく燃え広がっていくことはなく、スプリンクラーやトリフィドたちによって鎮火されています。おそらくあれは自然的な炎ではなく、対象によってコントロールされていた人工的なエネルギーのようなものだったのではないかと」
「侵入者は?」
「格納庫に逃げてきたところをマイハマ大尉が拘束しました。今は食堂の隣の空き室に見張りを立てて閉じ込めています」
『トリフィド』とは食人植物たちの通称で、ユリコ・ナナオ大尉が以前読んでいた小説から取って付けた名前らしい。
サヨコは未だ熱を持っている『サラマンダー』の死体を検めつつ、眼前で粛々と報告を受けながらもどことなく落ち着きのないミナコの様子を内心微笑ましく思っていた。本心では今すぐ飛んでいきたいだろうに、現場の状況を把握しておかなければならないという艦長としての責任感から未だこの場に残っている。自分が離れていた間に艦を襲撃されたことへの後悔や反省もあるのかもしれない。
「あー、えっと……」
しばし言いよどんだ後、思い切ってミナコは尋ねた。
「それで、その……皆の容体は?」
「呼吸が停止していたドクターロコとハコザキ中尉は危ういところでしたが、間一髪でトコロ少尉とドクターアンナの処置が間に合ったようです。キメラ……通称『サラマンダー』は輸送物資に紛れて倉庫に潜んでいたらしく、サラマンダーが飛び出していく際に同じく倉庫に閉じ込められていたナナオ大尉が突き飛ばされたようですが、軽い火傷程度で済みました。ヤブキ中尉は全身、特に両手に酷い火傷を負っていますが、幸いほとんど煙を吸い込んでいなかったようです。意識はまだ戻っていませんが命に別状はありません。
……全員、無事ですよ」
サヨコの回答を聞いて、強張っていたミナコの表情がようやく緩んだ。
「…そう。よかった……」
ドクターアンナ作の戦闘服はある程度高熱にも耐えうる性能で、全身で火の怪物に組みついたヤブキ中尉の火傷はそれほど大事には至らなかったらしい。煙をほとんど吸い込まずに済んだのは低所で気絶していたことと、食人植物たちが火と煙の勢いを一手に引き受けていてくれたからだろうとサヨコは推測していた。
ただ、生身であった両手の火傷は酷く、しばらく剣を握ることは難しいかもしれない。月面の作戦から離脱することもやむを得なくなってしまった。
緊張の解けた表情でほっと息をつくミナコに、サヨコが微笑みかける。
「せっかくですから、皆のお見舞いに行かれてはどうですか?」
「え、でも……」
「消火作業なら私だけでも大丈夫ですから。…今は、妹さんのそばに付いていてあげてください」
ミナコはしばらく立ち止まった後、申し訳なさと感謝が入り混じった笑みを浮かべて頷いた。
「ありがとう。…行ってくるわ、あとはお願いね」
「はい」
ロケットランチャーを肩に担いで走り去っていったミナコを見送り、サヨコは息をついて未だ小さく火の燻っている植物園を振り返ると、1本の木に向けて歩き出した。先ほどまでヤブキ中尉が倒れていた木のそばには、今は別の人間が蹲っている。
「キタザワ少尉」
顔を伏せ、膝を抱えて小さくなっている姿に声をかけるが、反応はない。
(ここも安全ってわけじゃないんだけどなぁ…)
もう一度、聞こえないように吐息をつく。消火作業が終われば食人植物たちが襲い掛かってくるのは彼女もわかっているはずだ。あるいは、わかったうえでそうしているのか。
「左手、トコロ少尉に診てもらった方がいいんじゃない?」
膝を抱えた片手が力なく垂れ下がっているのを見て、サヨコは言う。戦闘中に負傷したのだろう。始めにここに到着した時も同じことを言ったのだが、既に亀のように丸くなっていたシホは身じろぎもしなかった。
彼女がここまで頑な態度を崩さないのは珍しかった。いや、正確には頑なであること自体は珍しくないのだが、それは自分が納得できない事象に対して己の正義を突きつける時だけだ。このように露骨に落ち込むことも、ともすれば拗ねたような態度を見せることはなかったはずだ。少なくとも、人前では。
(まあ……今はいいか)
泣きたい時には泣けばいい。有事の際はさすがに困るが、ひとまずの危機が去った今のうちは、思い切り落ち込むのもいいだろう。誰にも何も言わず、一人ですべて抱えて誰も知らないうちに潰れてしまうよりずっといい。
それに、こうして人前で落ち込む姿を見せられるようになったくらいにはシホも自分たちに溶け込んでくれたということだ。その変化を嬉しく思いつつ、仕事に戻ろうと踵を返しかけた。
「タカヤマ少佐は……見ましたか」
か細い声が聞こえた。振り向くことはせず、後ろ向きに答える。
「何を?」
「あの、化け物を」
「うん。見たよ」
「どう思いましたか」
「別に、何も」
「何もって……」
「可哀想、って思うのは筋違いだしね。ああなってしまった以上、殺すしかなくなっちゃうのが現実なの。それを悲しいとは思うよ」
ゆっくりと、シホは顔を上げた。
「少佐は……以前にも、見たことが?」
「1回だけね。こんなに大きくなかったけど、頭部にヒトの顔がくっついてたのは同じ。艦長と、ガナハ中尉も一緒だったかな。未開発の惑星を調査中に襲われた」
「……それで、どうなったんですか」
「殺したよ。……ううん、殺してもらった、かな」
ふ、と小さく息をつく。
「私、何もできなかった。怖くて逃げ回るのが精一杯で、そんな私を庇って艦長が怪我しちゃってね。ここで撃たなきゃ私も艦長も殺されるって時に、手が震えて撃てなかった。で、私の代わりにガナハ中尉がキメラを撃って、なんとか助かったんだ」
「……どうして」
え?と聞き返すと、絞り出すようにしてシホは叫んだ。
「どうして、その……ガナハ中尉は、撃てたんですか……?」
「私も同じこと聞いたよ。
――『わからない。でも、気付いたら撃ってた』……だってさ」
「は……?」
心底怪訝そうな顔をするシホ。以前の自分も同じような反応をしたことを思い出す。
「なんですかそれ。……撃てる人は撃てる、でも撃てない人はずっと撃てない。そう言いたいんですか」
「ちょっと違うかな」
「じゃあ何なんですか…!」
「うーん、ガナハ中尉は言葉より感覚で理解する人だったからなぁ」
「はぐらかしてるんですか」
「そういうわけじゃないけど…」
うーん、とサヨコはもう一度唸った。実際どうだったのだろう。あの時苦笑交じりに答えた彼女は、その胸に何を抱えていたのだろうか。
「キタザワ少尉は、撃てなかったんだよね」
「……」
「責めてるわけじゃないよ。……どうして撃てなかった?」
「わかりません。ただ、狙いをつけようとすると手が震えて、照準が定まらなくて、引き金にかけた指が鉛みたいに重くて、それに怖くて……」
一度、言葉を切る。
「そう、怖かったんだと思います」
「怖かった?」
「はい。……ヒトを素材にしたあの怪物が、怖かった。あんなモノを生み出した誰かがこの世界にいることが怖かった。それに……私が撃たないことで、隊長を守れなくなることも怖かった。隊長を守るために、あの子どもの顔に銃を突きつけることが……どうしようもなく、怖かったんです」
ぽつりぽつりと、シホが吐露する心境をサヨコは聞いていた。怖かった、とひとつ言うたびにシホの体の震えは大きくなっていき、最後には両手で体を抱え込むようにして、か細い声で絞り出すようにして思いを吐き出した。
「私は、人を守るために防衛軍に入りました。力ない大勢の人々を守っていくために。守るために殺す覚悟も、自分が殺される覚悟も持っています。……でも、こんなのは違う。あんなのは、違うんです。もちろんわかってます、アレが既に取り返しのつかないもので、私が悩んで躊躇したってどうしようもないことも。そう思って銃口を向けて……でも、撃てなかった。私が撃たなかったら、隊長が殺されていたかもしれないのに。いえ、間違いなく殺されていました。艦長たちが間に合っていたかどうかなんて関係ありません。私は大切な人の命を守れなかった。護ると誓ったはずのこの手で、引き金を引けなかった!!」
一息に吐き出し、束の間の静寂。やがて、シホは涙で滲んだ瞳を伏せ、小さく続けた。
「……教えてください。私は、どうしたらいいんですか…?」
「それを決めるのは私じゃないよ。でも、たぶん……ヤブキ中尉は喜ぶんじゃないかな」
「え……?」
シホは伏せていた顔を上げ、怪訝そうな声を上げる。苦笑し、サヨコは続けた。
「だって、嫌だったんでしょう?撃ちたくなかったんだよね」
「嫌というか、撃てなかったというか……」
「同じことだよ。たぶんヤブキ中尉は、あなたが嫌だと思うことを進んでやってほしいなんて思わないはず。あなたは撃てなかったって後悔してるけど、きっとヤブキ中尉は『よかった』って安心するんじゃないかな」
「そんなの、おかしいです。自分が死んでいたかもしれないのに…!」
言って、シホは思い出した。嫌なことはやらなくていいと、燃え盛る火炎の中で自分に向けられた小さい隊長の言葉を。
苦笑を微笑に変えて、サヨコは答える。
「まあ、今回はみんな無事だったし、それでよしとしましょう。あなたは自分を責めているけど、そもそも私たちがもっと早く戻れていればこんなことにはならなかったわけだし。艦長だってお礼を言っていたじゃない?」
「でも、私は……」
「いいから。折り合いの付け方はこれからゆっくり学んでいけばいいの。今日の経験を明日への糧にして、ね?」
「……」
すぐに切り替えるのは難しいかな、とサヨコはまたも苦笑を浮かべた。これで話は終わりと立ち去ろうとするサヨコの背に向けて、シホが言葉を投げかけた。
「タカヤマ少佐は……撃てますか」
振り返り、苦笑に少し冷たい色が混ざったのを自覚した。艦長に庇われ、ガナハ中尉に救われたかつての光景を思い出しながら、
「撃つよ。……今の私なら、ね」
シホは何も言わなかった。今度こそ消火作業を開始するべく歩みを進めた背中から、声が投げかけられる。
「左手、あとでちゃんと診てもらいなよ」
去っていく背を見送ることはしなかった。
ただ、力なく垂れ下がる左手と、炎の中から回収してもらった、傍らに置かれた銃身の曲がった愛銃を交互に見つめながら、自身の中で際限なく広がる虚無に身を預けていった。
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