アイドルスペースウォーズ・エピソード2 第二部⑯ 束の間の休息
「アイドルマスターミリオンライブ!」内で行われたイベント、「アイドルスペースウォーズ」の二次創作です。
戦艦佐竹に侵入したドクターアンナそっくりの偽物と、身に纏う火炎を自在に操る合成獣と交戦した765小隊。絶体絶命の危機をサタケ艦長に救われ、シホは引き金を引けなかった自分に失望していた。一方、戦闘中に気絶して医務室に運ばれたカナは――
目を開けると、白い天井が見えた。
「………」
立ち上る火の手。舞い上がる白煙。獣の唸り声。虚ろな瞳。そして、灼熱の中心に浮かぶ異形。
軽く息を吸い、吐いた。問題なく呼吸ができる。大丈夫だ。ここはあの地獄のような植物園ではない。
覚醒に連れて、朦朧としていた意識が徐々に鮮明になってくる。
カナ・ヤブキは戦艦佐竹内部の医務室にある患者用のベッドで寝ていた。体中至る所に包帯が巻かれている。特に、両手はまともに動かすこともできない。身じろぐだけで体が軋む。前髪の先からほんの少し焦げたような臭いがした。
なぜ、どうやって助かったのかはわからない。だが、確かに自分は生きていた。
と、ベッドを周囲の空間から隔絶していたカーテンが開かれ、白衣を着た女性が顔を出す。
「あっ、目が覚めた!?」
驚いて言ったのはこの医務室の主であるメグミ・トコロ少尉だ。だらしなく白衣を着崩した普段通りの恰好の彼女は、ベッドのそばまで来ると身を乗り出して額に手を当ててきた。
「…熱はないね。気分はどう?気持ち悪くない?」
「あ、だ…大丈夫です。ちょっとぼーっとするくらいで」
白衣の胸元から谷間が覗く。呼吸に合わせて上下する胸から慌てて目をそらした。別の意味で体温が上がりそうだ。
「…いたっ」
カナは起き上がろうとして、両手に走った痛みに思わず顔をしかめた。
「ダメだよ、安静にしてなきゃ。両手ともひどい火傷なんだから」
「火傷……」
「素手で怪物と戦ったって聞いたよ。無茶しすぎ」
「…すみません」
メグミは大きく息を吐き、ベッドの横に置いてある丸椅子に腰かけると、ようやく強張っていた表情を緩ませた。
「でも、目が覚めて本当によかった。一応鎮痛剤は打ったけど、痛みがひどいようなら言ってね」
「はい…ありがとうございます」
「ん」
メグミが頭を撫でてくれた。まるでお姉ちゃんにされてるみたいだな、とカナは思った。
しばらくされるがままになり、落ち着いてきたところで気になっていたことを尋ねる。
「あの、ほかのみんなは…?」
「んー?…知りたい?」
「は、はい。もちろん」
「そかそか。じゃあ教えてあげよっかな~」
メグミは椅子から立ち上がると、右側のカーテンを開き――そのまま右隣のベッドを隠していたカーテンを全開にした。
うつ伏せでベッドに倒れているドクターロコと、その上で馬乗りになっているドクターアンナが見えた。
「アンナ、ヘビィです…」
「何か言った……?」
「痛い痛い痛い!!ちがっ、そういう意味じゃ……あっ、そこはだめぇ…っ!!」
半目になったアンナがぐりぐりとツボを刺激するたびにロコがビクンビクンと跳ねている。声だけ聞くと悲痛だが、目の前の光景を見ているとちょっと楽しそう。…いや、余計に悲惨かもしれない。
「……ん、あ。ヤブキ中尉、起きた…?」
こちらに気付いたアンナが首を傾ける。よっこいしょ、とベッドから下りる前にトドメの一撃を差し込み、痙攣するロコを放置してスリッパを履きこちらに歩み寄ってきた。
「具合、どう…?だいじょうぶ……?」
「あ、はい。私は大丈夫です…けど、ドクターロコが…」
「アレは、いい。…おしおき、だから」
アンナは腕組みをしてため息をつく。いつになくおかんむりだった。
「新型兵器、勝手に作って…敵に…奪われて……迷惑…かけた……。今回はちゃんと…反省…させるから……」
「新型兵器…?」
「光学、迷彩……。ヤブキ中尉は…直接…戦ったでしょ……?」
「あ……!」
艦内に侵入したドクターアンナの偽物が身に纏っていた、自身の姿を外界から完全に遮断する光学迷彩。音やにおい、気配すら消すその兵器を利用した侵入者の暗躍によって、戦艦佐竹は墜落の危機に追い込まれた。
「そっか…アレってドクターロコが作ったんですね」
納得はできた。きっといつものように、何かの拍子に着想を得た勢いで完成させたのだろう。
考えてみれば、あのレベルの技術が一般化されていれば戦争のステージはひとつもふたつも先に進んでいるはずだ。皮肉にも敵にその技術が渡ってしまったことで、あらためてドクターロコの脅威を実感することとなった。
「そ、ソーリーです…。けど、パーフォクトに姿をハイドしていたはずなのにトリフィドたちにはファインドされたんですよね…?フフ、さすがはロコの可愛い子供たち♪」
隣のベッドでのびていたはた迷惑な天才が、開発主任の一撃で再び陸に打ち上げられた魚のように痙攣し始めた。
一仕事終えたドクターアンナが伏し目がちに言う。
「……ごめん、ね…。そもそも、アンナが”あいつ”を…開発室に入れなければ……」
”あいつ”というのは侵入者のことだろう。ドクターロコのことではない。たぶん。
メグミがすかさずフォローを入れる。
「いやー、それはしょうがないって。そもそもアンナは兵士じゃないんだから」
「でも……」
「ドクターのアナウンスがきっかけで”彼女”を追い詰めることができたんです。本当に助かりました」
「それと、アンナの処置のおかげで助かった子もいるんだからさ。あんまり自分を責めるのはやめなって」
「……ん」
アンナが控えめに顔をほころばせた。と、ややあって、
「ドクターは悪くないです…」
幽鬼のような声がどこからか聞こえた。首を傾げていると、苦笑したメグミが向かい側のカーテンを開ける。
そこには――分厚い文庫本を胸に抱えた患者服姿の女性が虚ろな顔でベッドに横たわっていた。
「ナナオ大尉!?よかった、無事だったんです――」
喜ぶカナの声を遮って、ユリコ・ナナオは何やらぶつぶつ言っている。
「ドクターはちゃんと活躍してます…。それに比べて私なんて…倉庫に閉じ込められた挙句にキメラに突き飛ばされて、事態が解決するまでずっと気絶してたんですよ…?艦長もタカヤマ少佐もミナセ少尉たちもみーんな出払ってて、私がしっかりしなきゃいけなかったときに何の役にも立てなかったんです…。ふふ、ダメダメですね。いいとこなしですね。ふふふ…」
「え、えっと……お怪我は大丈夫ですか?」
「怪我…?ああ、はい、平気です。突き飛ばされたときに擦りむいたのと、ちょっと火傷したくらいです。…そう、艦内に残った数少ない戦闘員だったのにこれですよ。名誉の負傷。ふふっ、笑っちゃう」
「そ、そんなことは…」
絡みづらい、と心底カナは思った。横でアンナが憐みの目を向けているが、同情するなら助けてほしい。
ふふふふふ…と壊れたように笑っているユリコ。その隣で、今まで静かに寝ていた人物が目を覚ました。
「ん、んん…。あれ、わたしまた寝ちゃってた…?」
「セリカちゃん!?」
え?と寝ぼけ眼をしたセリカ・ハコザキ中尉の視線がこちらを捉え――はっきりと目が見開かれた。
「カナちゃん…?帰ってきてたんだ!?」
「母艦と通信が繋がらなかったから、心配になって戻ってきたんだ。セリカちゃん、ベッドで寝てるってことはどこか怪我したの…?」
「えっと…侵入者と戦ったんだけど、そのときに薬物を打たれて、息ができなくなって気絶しちゃったの…」
「ええっ!?」
メグミががしがしと頭を掻いた。
「間一髪だったよ。ミヤオ少尉が助けを呼んでくれてなかったら間に合わなかっただろうね。まったく、あんな危険なものをどこで用意したんだか…」
「ごめんなさい。わたし、足手まといで…」
「なに言ってんの。ハコザキ中尉がいなかったらそのまま司令室を制圧されてとっくに全滅だよ」
「……(コクコク)」
アンナが首を縦に振って親指を突き出している。メグミに頭を撫でられながら、セリカは弱々しい笑みを浮かべた。
「…えへへ、ありがとうございます」
「ハコザキ中尉はちょっと頑張りすぎ。まだ体力が回復しきってないんだから寝ておきなよ」
「はい、そうします」
「ふふ…年下のハコザキ中尉がこんなに頑張ってるのに、それに比べて私は…」
「はいそこうるさーい!元気なら散歩でもして気分転換してきなって!」
「新開発の…栄養ドリンク……飲む…?躁鬱、逆転……気分爽快……」
「あっ、ずるい!自分は勝手にあれこれ作るのにロコのときばっかりダメダメって……え、なんですか。ちょっ、ウェイト、ストップです。いやほら、ロコはこう見えて元気なので栄養ドリンクは別の人に……ン、ンンンーーーッ!!!」
賑やかになった病室で、カナは自然と顔がゆるんでいくのを自覚した。メグミがこっちに振り向き、口元だけ動かして告げる。
”この通り、全員無事だよ”。
視界がにじんだ。自分が戻ってきたことで事件が解決したとは微塵も思っていない。それでも、何かひとつでもかみ合わなければ最悪の事態になっていただろう。誰一人欠けることなく無事を笑いあえる現状をカナは無言で噛みしめる。涙を堪えるのに苦労した。
ピピッ、とカードキーを認識する音がして医務室の扉が開いた。入ってきたのは、
「あ……」
「サタケ艦長?」
ミナコは騒いでいるこちらを見て――一瞬、ほっとしたような笑みが浮かんだ気がした――早足で近づいてきた。
「起きたのね。ヤブキ中尉、傷の具合は?」
「は、はい。ちょっと痛むけど大丈夫です」
「そう。今は安静にして治療に専念しなさい。月の女王には私のほうから伝えておくから。
――ドクターアンナ、今回の事態の詳細を」
「やれやれ、相変わらずだねぇ」
ミナコがアンナを連れて医務室を出ていったあと、メグミは呆れたようにため息をついた。
「心配なら心配だってはっきり言ってあげればいいのに。実の妹なんだから」
「はは…でも今はそれどころじゃないですから」
「報告書なんか後回しにして、抱きしめてキスのひとつくらいしてあげるくらいでちょうどいいと思うよ、アタシは」
あはは、ともう一度小さく笑って、カナは言う。
「でも、ちゃんと心配してくれましたよ?”傷の具合は?”って」
「事務的じゃん」
「今は艦長モードですから。…でも、そうですね。ちょっと足りないので、次の休暇にでもめいっぱい甘えます。サタケ艦長じゃなくて、ミナコお姉ちゃんのときにたくさん甘えて、頭を撫でてもらいます。そのためにも、今はできることを精一杯やらなくちゃ」
「真面目だねぇ」
メグミは苦笑した。
「ま、今はきっちり休みな。それがヤブキ中尉の”今できる精一杯のコト”だよ」
「…はい」
「ナナオ大尉はいつまでもうじうじしてないで働きな」
「ニートみたいに言わないでください!…でも考えてみれば、今の私ってニート以外の何者でもないですね。うう、引きこもりたい…」
「ベッドから蹴り出すよ?」
セリカは小さく寝息を立てている。また眠ってしまったらしい。
自分も横になろうとして、ふと気になったことをメグミに尋ねる。
「あの…月面でのことは報告しなくていいんでしょうか?」
「ああ、それなら心配ないよ。キタザワ少尉からだいたいは聞いてるから」
「シホちゃんから…?」
カナは室内を見回した。相棒の姿は見当たらない。
「あっちにはマカボが残ってるんだっけ?うまくやってるといいんだけどねぇ」
「問題ありません。何と言ってもマカボは私のマスターピースですから!」
「余計に心配なんだけどさ…」
「あの、シホちゃんは今どこに?」
メグミは肩を竦めた。
「さーね。怪我したって聞いたけど、一回もこっちに顔出してくれないし」
「そんな…!」
「おっと、ヤブキ中尉は絶対安静。艦内のどこかにはいるんだからそう心配しないの。平気で動き回ってるんだから怪我もたいしたことないんだよ、きっと」
「…そう、ですね」
なぜ会いに来てくれないのだろう。ひょっとして自分はまた、無意識のうちに彼女を怒らせることをしてしまったのではないか。
ぐるぐると不安ばかりがうずまく心を懸命に抑えて、カナは深呼吸をした。
今は治療に専念しよう。時が来たらすぐに動けるように。
もう二度と、手遅れにならないように。
やれやれ、とメグミは内心で独り言ちる。
先の戦闘でカナはシホを庇って負傷したと聞いている。会いに来ないのはそのことに引け目を感じているからか、はたまたもっと別の理由か。
(悪いと思ってるなら真っ先にお見舞いに来て謝ればいいのに…ホント不器用だねぇ)
今も植物園では消火活動とキメラの遺体の検分、空き室では侵入者の取り調べが行われている。
そして、月面の戦争も。
(まだ何も解決しちゃいない、か)
自分は自分のできることをする。目の前のベッドでうなだれる小さい中尉の頭を軽く撫でて、メグミは包帯を取り替える準備を始めた。
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