春の林檎
ある日の明け方のことである。
日課的に早朝に起床する癖のある少し変わった俺は、窓際の寂びた椅子に座り、エスプレッソを一杯だけ飲んでいた。
いつでも俺は考えている、この不自由のない、客観的に見て成功してストックホルムの高級マンションの一室に独りで闃弱と佇む、こんな現実のどこに不満があるのか。
少しばかりの下らない才で異国の言葉と異国の言葉を翻訳し、生計を立て、そんなことをして稼いだ泡銭でスーツ一式とネクタイ、鞄、高級腕時計。
身なりだけはまるで俺は凄い男なのだ、と主張しているように捉えられる。
俺が真面目に定住しようと考えたのは半年ほど前のことだった。
それまでは、自身の愚かな僅かな才能に溺れ、世界を転々とし、のうのうと生きていたわけだが。
実のところ俺は天才だ秀才だと言われ続け、頭がおかしくなってしまったのかもしれなかった。
驕傲を心に飼いながら、生きていたのかもしれなかった。
そんなことだから、彼女を幸せにすることなんてできないのだ。
ある日の朝方のことだった。
俺はこの日、彼女とデートに行く予定だった。
差支えない恰好に着替え、足早に待ち合わせ場所へ歩を進めた。
「遅い!有罪!」
「...待ち合わせの10分m」
「言い訳しない」
「はい...」
しかし、そんなことは気にも留めていない様子で、いろいろな場所を巡った。
「で、最近、仕事はどうなの?上手くいってる?」
「ま、相変わらずかな...可もなく不可もなくだし」
「ふーん...ね、そろそろ私たちも結婚、とか...考えてみない?」
俺が予め予約していたレストランで、彼女は唐突にそんなことを言い出した。
暫時はお互い無言で、ただ吐息と周囲の音が介入して、絶妙な空気を形成していた。
思えば昔から俺は受け身だった。
だから、こんなことも相手の口から出るまで、何もしていなかった。
「そうだな...俺もそろそろ考えてみるよ」
「...そう」
今思えば、それが同棲、もしくはもっと距離を詰めようとしていた心情が具現化したものだったのかもしれなかった。
そして、ここから徐々に関係が歪み始めた。
次第に会話する回数も減り、自然と会う頻度も減っていった。
ただお互いに対する不信感だけが二次関数的に増えていくだけだった。
「...私たち、別れよ?もう」
俺はそれでも自身の惰性を是正することもなく、ただその現実に頷いただけだった。
彼女はどこか物悲しそうな表情を見せた。
それから程なくして俺は日本を出た。
最初に向かったのはサンクトペテルブルグ、ロシア連邦だった。
俺の数少ない友達がそこに住んでいる。
これも良い機会だと思い、会いに行った。
彼は相も変らぬ強烈な個性を余すところなく振りまき、彼の友人も招かれた宴会でとても楽しいひと時を過ごした。
それから一週間も経たずに広州を訪ねた。
中国だ。
そこでも俺の友人に会い、広東語で冗談を言い合ったりして、杯を交わした。
それから、イギリスへ赴いた。
そこで暫く翻訳業に携わり、今はストックホルム、スウェーデンで翻訳事務所を創設し、生計を立てている。
1993年9月7日の朝方、俺はイギリスの大都市に生まれた。
父親がイギリス人で母親は日本人のハーフとして生まれた。
だが、家では主要言語が英語に統一されていて、日本語を話す機会はほぼなかった。
父親はアルコール中毒者で、昼も夜も酒を飲んでいたのを覚えている。
母親はいつも不満を口にしていた。
広間ではいつも怒号が鳴り響いていたし、煙草の臭いも酷かったから自室に籠る時間のほうが長かった。
虐められていた俺は、学校にも居場所なんてなかった。
そんなある日、父親が飲酒運転の車に撥ねられ亡くなった。
酒に酔い、酒に殺されるとは皮肉な話だ。
俺はシニカルだから笑ったが。
母親は元々精神的に不安定で仕事ができるような状態ではなかった。
父親が亡くなったのは俺が17歳の頃だ。
キーステージ4を修了し、働いていた。
翻訳チェッカーのアルバイトをしていた。
元から言語学が好きで、14歳からスペイン語とロシア語を勉強し始めていたのもあり、ロシア語の翻訳チェッカーを担っていた。
それから2年後、母親が亡くなった。
だが、詳細は知らない。
既に別居していたし、興味もなかった。
それから暫くは翻訳チェッカーの仕事をして生計を立てていた。
23歳になった時、日本へ引っ越した。
母方の親戚の家に用事ができた。
日本語がわからなかった俺は、路頭に迷うことになった。
当然仕事は貰えず、1年近くは日本語の勉強をしつつ、家事を手伝いながら生活していた。
1年の間に日本語検定N1と漢字検定2級を取得し、日本語の運用能力を資格で示した。
すぐに翻訳チェッカーの仕事を得られた。
それから更に3年月日が経った。
俺は既に26歳になり、自分の翻訳事務所を設立していた。
2006年の出来事だった。
仕事も順調に進んでいて、人生が初めて楽しいものに思えた。
それから4年後、俺は30歳になり、彼女と出会った。
俺は既に空になったマグカップを机の上に置いて、着替え始める。
今日も仕事が待っている。
なぜか、俺はこれ以上を望むべきではないような気がしている。
ここまで来て、失ったと得たもの、どちらのほうが大きいかもわからず。
少なくとも確実なのは、俺が今手にしているものは虚無の権化と制御不能の驕傲だけである。
秒単位で変化する心情、どれだけ思考を巡らせようが数分で全く別のことについて全く別の結論を出す現状。
俺がここで何を語ろうと、所詮愚か者の戯言で誰の心にも残らずに朽ち果てる。
しかし、どうせなら。
「証明だけでも残したいものだ」
物悲しげな雰囲気のその男は、またストックホルムの街へ飲み込まれていく。
どうも。寂寥とプライドについて。またどこかでお会いしましょう。
このSSへのコメント