ウマ娘雑誌対抗 ウマ娘育成プロジェクト奮闘記(6)
6部作の最終章です。
今までと比べてストーリー中の時間の進み具合はかなり早いので、ご了承ください。
連載モノって、クロージングが難しいので、どうしても筆が止まっちゃうんですよね。気がついたら、企画発足から、1年近くもかけちゃってました。
ナナコロビヤオキちゃんをどうするのか、逡巡しましたが、これがいいのでは、というところにようやく落ち着きました。
2021.10.20 作成開始。
2021.12.25 4000字まで。
2022.3.10 停滞気味、着地に悩み中。6500字。
2022.4.10 3年目12月まで到達。8500字。
2022.4.22 少し物語が動く。11500字程度。
2022.4.30 一応の完成。12386字。
2022.5.1 ランキングレギュレーションを加味した修正。12564字。
2024.5.8 2024年度一斉見直し。数字・英字の半角化など。12,564字で変わらず。
【ここまでのあらすじ】
スターウマ娘にはどうあってもかなわないナナコロビヤオキ。トレーナーの根来にも焦りの色は隠せない。それでも、ジュニア期/クラシック期/シニア期を相応の成績で過ごしていくウマ娘たち。最終戦の「中山グランプリ」の結果は、そして、誰が優勝するのか……
○1年目の最終週
根来達、雑誌社のトレーナー候補生がトレセン学園に入って8カ月余りが経過した。
全員が順風満帆か、といったらそんなことはなく、残念なお知らせも入ってくる。
それは、カンジュクトマトの戦線離脱である。
完全にドクターストップのかかったカンジュクトマト。なのに走ってしまって、症状を悪化させて長期入院。そうこうするうちに、入院の期間の方が長くなってしまっていた。
理事長判断で、今回のコンペから外れる決定がなされたのは、11月中旬のことだった。
「まあ、やれることはやったからね。私は悔いは残ってないわ」
彼女の育成トレーナーだった乙名史記者は、無念だという感情を押し殺しつつそう言って退場していった。
結果、距離適性は、短距離にヒラシャイン、マイル組にキボウホウウインドとセルズアットワーク、中距離組にはスイミングゴーグル、そして長距離組として、ナナコロビヤオキを配して5人であらそわれることになった。
理事長が、一年の成果を発表する。
「これだぁー」
パラリ、とめくられたポスターサイズの紙には、本数走り勝利もしているヒラシャインが一位、手堅くまとめたキボウホウウインドが2位、3位にナナコロビヤオキ、4位5位は僅差で残る二人が位置した。ステータスに関わる順位もあったが、スタミナステータス伸ばしに注力し、レースを走らなかったナナコロビヤオキが突出していた。それも含めての3位だった。
「よぉく見てほしい。長距離で行くことになったナナコロビヤオキは、ホープフルステークスや京都ジュニアくらいしか走っていない。ほかの4人がきっちり4走しているのとはわけが違う。ヒラシャインの(2.1.0.1)は、本当によく頑張った賜物だし、成績下位のセルズもゴーグルも、あと一歩だったわけだから、悲観したり落ち込まないでほしい。さあ、これから2年目だ。これからもきっちり精進してくれたまえ」
○2年目のクラシック戦線
「先生、今年の彼女は、どう育成したらよろしいですか?」
あえて私、根来 俊一は、師匠でもある桐生院師に尋ねてみる。
「そんなもん、決まっとるでしょうが。目の前の一勝しかないでしょうよ」
三冠、とか過大な要求を、さすがに先生も上げられない。
「で、でも、どう見たってステータスでは見劣りしますよ……」
ステータスファインダーの数値は、思うほど上昇していない。戦績も、ホープフルステークスはギリギリ掲示板の5着、京都ジュニアも相手が弱かったこともあるが3着だった。2戦しかしていないのに、セルズアットワークと、スイミングゴーグルより順位的に上だったのは、GIに出てそれなりの成績だったことが大きい。
「ほっほう。スタミナは長距離走るのに十分すぎるくらい鍛えているんだね……」
先生は、ナナコロビヤオキを、自身のステータスファインダーで見ながらそういう。
「ほかのウマ娘たちは絶対菊花賞には出ないと思います。これを勝てれば、かなり優位に進められると思うのです」
私はそう力説するのだが……先生は、途端に眉をひそめた。
「勝てる?確かにこのコンペ5人になら、確実に勝てるだろう。では、他のウマ娘たちには、勝てる、とでも?」
そうだ、私は失念していた。5人のレースではなく、あくまでも一般の、強いウマ娘たちと闘わなくてはならないことに。
「う、そ、それを言われてしまうと……」
追い込み脚質のゴールドシップも菊には出てくるだろうし、逃げさせれば一人旅も可能なセイウンスカイ、ライスシャワーの一発も十分にありえる。そこに割って入られるほど、力があるわけではない……
「いやいや、これから夏を過ぎれば、長距離のレースが続いてくる。皐月・ダービーは、ほかの娘たちに任せて、ヤオキは長距離のスペシャリストになればいいだけだよ」
先生は、メイクデビュー以来の勝星をどう上げるべきか、に腐心していたのだった。
「とはいえ、勝ち負け別で、菊には出てもらうよ。それで長距離適性が花開くかどうかもわかるはずだし」
「ということは、それまでをどう調整するか、ですね」
「ああ。一応菊と、続く中山グランプリは……」
先生の口からとんでもないレース名が飛びだす。
「え?さすがに出られないでしょう……」
私は自嘲気味にそう言う。
「まあな。確かにファン投票の結果があるから、出たい、と思っても出させてくれないかもしれない。そこはリスクも込みで、だ」
「え、ええ」
どんなウマ娘でも出るために越えなくてはならないのがファン投票だ。
「でも、もし菊で、みんなをあっと言わせる走りができたとしたら、どうだ?」
一縷の望みはある、と先生は説く。
「ま、まあ確かに半年以上ありますから、それなりにトレーニングはできますけど……」
それでも私は乗り気でない。
「やってみる価値、あるだろ?」
先生はかなり中山グランプリ出走を推している。
「ヤオキの初戦は、8月の札幌日経オープンだ。それまでレースはお預けだ」
ニコッとした笑みを先生は浮かべて席を立った。
だが、8月札幌日経→10月菊→11月アルゼンチン共和国杯→12月ステイヤーズOR中山グランプリ、となれば、1年4レースという縛りも軽々クリアできる。目移りしてしまうレースの多いマイルや中距離クラスは、逆に4戦だと走り足りなく思える。他方、長距離戦は、レースそのものが少ないから、厳選する必要なく、ぶつけられる。
ナナコロビヤオキの長距離転向は、意外な副次効果も生んでいたことになる。
世間がクラシック路線で沸き立つころ、中距離路線を行くスイミングゴーグルは、惜敗続きながら、掲示板まではしっかり確保。「次」に期待がかかる。皐月→ダービーと走った彼女は、札幌記念にコマを進め、見事1着を勝ち取った。そして迎えたジャパンカップは、惜しくも抽選漏れ。結局GⅢチャンピオンズカップに出走。出遅れが響いて2着に終わった。
マイル戦線は激しさを増していた。一歩先んじたのはキボウホウウインド。桜花賞を4着入選を果たすと、負けていられじ、とセルズアットワークが、NHKマイルカップで3着。両陣営ともに格上の安田記念に同時に登録するも、キボウホウ6着、セルズ7着と、案外な成績に終わる。夏場を越えた両陣営は、最終戦をマイルチャンピオンシップに設定、キボウホウが毎日王冠を4着、セルズが富士ステークスを3着入線。マイルチャンピオンシップでも激闘が繰り広げられ、キボウホウ5着、セルズ6着と、少しだけ序列がはっきりしたような結末となった。
短距離のヒラシャインは、独自路線をひた走った。春の端午ステークス、夏は札幌に転戦してのUHB賞、秋はながつきステークス、冬はギャラクシーステークス、と、グレードレースには手を出さず、実績だけを積み重ねる手法を獲った。結果は、4戦2勝2着2回。もちろん、一勝の価値はグレードによって左右されるので、短距離優位、というわけではない。
そして、ナナコロビヤオキは、というと、8月の札幌日経オープンは、やや太り気味での出走だったものの、首差の2着。絞れれば菊花賞も狙える位置に居ると判断、菊花賞に抽選の結果出られることになった。だが、やはり、並み居る強豪の壁は厚く、着差ほどの弱さはなかったものの、0.2秒遅れの4着。大番狂わせを演出することはできなかった。だが、この菊4着が、意外に評価が高く、次に出たアルゼンチン共和国杯では、望外の2番人気。ここをメインに仕上げてこなかった名馬たちが不在だったこともあり、人気通りの2着で決着する。
そして中山グランプリのファン投票は、思ったほど票が伸び悩んだこともあり、桐生院師は、ステイヤーズステークスで2年目のレースを終えると決断。だが、根性も、スタミナもほどほどに成長していたナナコロビヤオキに、ぽつりぽつりではあるが本命の印を打つ記者も出始めていた。結果は、3着で一位とは10バ身以上の差が付いてはいたものの、3000m以内の距離ならほどほどにやれるのでは、という自信がつき始めていた。
○3年目・シニア期
ここトレセン学園に来て3年目。
年始に出走しなくてはならないほど切迫した状況でもない各陣営は、ほどほどにいい感じの正月休みを各自とっていた。
私とナナコロビヤオキのペアも、同じようなものだった。
「あ、トレーナーさん、あれ、食べたいぃ」
最初のころはとっつきにくかった性格のナナコロビヤオキも、レースでそこそこやれることで自信がついてきたのだろう、最近では私にベッタリだった。
「い、いやぁ、それ、食べちゃうの?ちょっとはカロリーのことも気にして……」
私からの忠告も上の空で、ナナコロビヤオキはイチゴが連なった棒状のスイーツをパクパクと食べている。
「まあまあ、いいじゃないですか。彼女にも休息が必要ですよ」
随伴している桐生院師……先生も、自由奔放に遊んでいるナナコロビヤオキの姿に目を細めている。
「いやあ、それにしても、よくここまで来れましたね」
私は先生にこう話しかける。
「まあ、私からすると、菊の4着は、これ以上ない成果だったと思うね」
去年の戦績を先生は振り返る。
5人になったウマ娘育成プロジェクトは、2年目終了時点で、勝利数は少ないが、グレードレースに数多く挑戦した中距離のスイミングゴーグルが一位、勝利ポイントが大きく加点したヒラシャインと勝てていないがGI挑戦が功を奏したマイル組が僅差で並び、ナナコロビヤオキは、勝利数ゼロも響いて最下位に沈んでいた。全員が、ステータスを伸ばせているほどの育成期間があったのだから、勝てていないナナコロビヤオキがその順位に甘んじることは仕方のないことだった。
「でも、最下位ですぅ」
少し悔しそうに私は言う。
「おいおい。ナナコロビヤオキの脚質を忘れてもらっちゃあ、困るなぁ」
先生は、私にそう言った返した。
「あっ!」
「そうだよ。レースで言えばまだ第2コーナー回ったところくらい。いくらでも仕掛けられるじゃないか」
たしかに序列は付いているけれど、今の順位は、「団子状態の大混戦」とも見て取れる。実際、それほどポイントの差はない。しかも、ナナコロビヤオキは追い込み脚質だ。これから一気のごぼう抜きだってありえるのだ。
「それもそうですよね」
「まあ、初戦は、当然ダイヤモンドステークスだ。そこから天皇賞春、目黒記念、ラストの中山グランプリだ」
私は身構える。確かに力をつけてきているナナコロビヤオキだが、国内屈指の長距離を走らなければならないダイヤモンドステークスを走りきるだけのスタミナと、追い込み脚質に必要なパワーが備わっているとは考えにくかった。
「春の天皇賞は、ファン数不足とか抽選漏れもありえますけど……」
私は少し弱気なことを言う。スタミナ自慢、ステイヤー気質のウマ娘が居並ぶ最高の舞台に立てるとは、夢のようだったからだ。
「だからこそのダイヤモンドじゃないか。ここを勝てるくらいのステータスはあるんだし……勝てれば、評価もファン数も盛れるんだからいいことずくめだよ」
「ま、まあ、GⅢですからね。阪神大賞典は、春天の前哨戦になるんで有力ウマ娘が登録しますからね」
そのあたりは、さすが先生である。そもそもデビュー以来一勝もしていないウマ娘なのに、いまだに育成のラインに乗っていられているのも奇跡なのだ。
「つまり、だ」
先生は、私をまじまじとみつめて言う。
「ダイヤモンドは獲れないとトータル一着はないぞ」
その言葉は、ナナコロビヤオキにも伝わった、だろうか……
そして迎えたレース当日。
「まずはケガをしないように帰ってくること。俺からのアドバイスはこんなもんだ」
先生のメッセージは的確だ。何しろ、ここでケガでもしたら、確実に試合終了だからだ。
「ハイ。気を付けますっ」
ナナコロビヤオキがそう答える。
彼女たちにはGIウマ娘のような、きらびやかな勝負服が用意されているわけではない。ゼッケンを背負った体操服姿で走るのだ。
12 ナナコロビヤオキ と書かれたゼッケンに少し力不足を感じながら、私も一言添える。
「今までの厳しかった練習を無駄にしないように!」
私は力強くこぶしを握る。夜討ち朝駆けのトレーニングや、疲れすぎて泣きわめいていたヤオキを慰めたり、はたまた望外なタイムに驚いて喜んでみたり。そんな練習風景が走馬灯のようによみがえったからだ。
その光景をナナコロビヤオキも思い出したのだろう。
「わかりました。トレーナーさんの想いと一緒に走ってきます!」
そう言うと、ナナコロビヤオキはパドックへと歩みを進めていった。
「彼女、勝てますでしょうか……」
私は少し弱気なことを言う。
「ま、勝負は時の運だ。勝っても負けても、温かく迎えてやろうじゃない!」
バンッ、と桐生院師の手が私の背をはたく。少し手加減しなかったこともあって、私はよろめいてしまう。
「え、ええ、そうですね……」
私は、そう言うと、二人して観覧席の方に向かう。
『注目の一番人気、12番 ナナコロビヤオキが、ターフに入ってきます……』
実況がナナコロビヤオキの本バ場入場を告げる。屈指の長距離戦で、有力ウマ娘が阪神大賞典に回ったこともあり、十分にスタミナをつけているナナコロビヤオキはほぼすべてのウマ娘雑誌・新聞が本命サイドの評価をしていた。
"ここ一戦にかける情熱は一級品"
"粘り強さはウマ娘界ベスト級"
"負ける要素が見当たらない"
相応に盛り上げるキャプションが並ぶ。私のいる「ウマっ娘通信」の評価は、意外にも対抗。記者の評価は、"勝癖のついていないウマ娘がGⅢとはいえ、一着になるとは思えない"と、かなり辛めだった。
「ふーん、根来さんとこの雑誌、よく観てるじゃん」
私が、自分の育てたウマ娘がどう評価されているのかを調べるべく、ありったけの雑誌を買って読破しているさなかに、先生はそう言って話しかけてきた。
「まったく、俺の育てたウマ娘なんだから、もうちょっと、下駄を履かせて……」
と言いつつも、書いているのが元トレーナーの富田さんだから、忌憚なく述べられるその一言を少しかみしめる。
「さあ、泣いても笑っても、この一勝負で決まっちゃうよ!」
ファンファーレが鳴り響く。今まで幾度となく聞いてきているのに、今日だけはすごく特別に聞こえた。
ガッコン!
ゲートが開く。ナナコロビヤオキは、追い込み態勢をここでも変えず、出遅れこそしなかったものの、16人中13位で序盤を走破する。
観客席から見えるナナコロビヤオキは、それなりに折り合いをつけているようで、かかっている雰囲気は見せていなかった。
向正面に入っても、それほど慌てている様子を見せていないナナコロビヤオキを見て、私は内心「勝った」とこぶしを握った。
と同時に、私は、勝ちもしていないのに、ボロボロと泣き出してしまったのだ。
「あ……ど、どうしたの?」
先生が、私の異変に気がついて声をかけるが、私は、彼女のひたむきに走る姿に感動を禁じえないでいた。
最後のコーナー。計ったようにナナコロビヤオキが大外からまくって先頭を脅かす。
あと200。脚色は明らかにナナコロビヤオキが上だ。100、50……
「勝ったのはナナコロビヤオキ。育成3年目にして、遅咲きの花がようやく一輪咲き誇りました……」
場内アナウンスがナナコロビヤオキの勝利を高らかに伝えている。私はそれを聞いてさらに号泣した。
「ありがとう……ありがとう……」
くしゃくしゃという表現しかないほど、私の顔面は涙と鼻水の洪水でひどいありさまだった。
隣りに居たのが有名人の桐生院アキラであることもあって、トレーナーである私に、周りの観客も気が付いたのだろう、口々に祝福の言葉をかけていく。
そうこうするうちにウィナーズサークルでの記念撮影の終わったナナコロビヤオキが、私たちの元に駆け寄ってくる。
「トレーナーさん!私の走り、いかがでした?」
ようやく落ち着いた私は、ナナコロビヤオキの肩に手を置き、一言だけ、言う。
「おめでとう。そして、お疲れ様」
そう言い終わると、私は、人目をはばからず、彼女を抱きしめた。
「あ、あのぅ、ちょっと……」
恥ずかしがるナナコロビヤオキも、私の愛情を感じ取ったのか、私の頭に手をポンっと置いた。
「トレーナーさんも、お疲れさまでした」
にこっと微笑んだその時の彼女の顔は、生涯忘れられないだろう。
○シニア期・12月
ウマ娘雑誌対抗 ウマ娘育成プロジェクトも大詰めを迎えていた。
短距離のヒラシャインは、春緒戦に絶対の自信をもって、高松宮記念を選択。しかし、18人中14位と、不本意な結末となり、大きく後退した。しかし、天王山ステークスで何とか立て直し3着。秋のスプリンターズステークスも回避して、セントウルステークスで2着。ラストをカペラステークスに設定。ここも勝ちきれず2着となり、育成を終えた。
中距離路線を行くスイミングゴーグルも、勝ちきれなさではナナコロビヤオキ並みだったが、人気薄だった金鯱賞で望外の2位。ここから一つ勢いに乗った彼女は、宝塚記念で3着まで食い込む大金星をやってのけた。秋緒戦のオールカマーでグレードレース2勝目。さすがにジャパンカップには抽選の端緒にすら付けなかったが、チャンピオンズカップでは昨年の雪辱を果たし1着で育成を終えた。
キボウホウウインドと、セルズアットワークは、まるでライバルかのようなルーチンを取った。キボウホウは、東京新聞杯→ヴィクトリアマイル→京成杯オータムハンデ、セルズはマイラーズカップ→安田記念→毎日王冠、最終戦は、マイルチャンピオンシップにどちらも設定して雌雄を決した。マイルチャンピオンまでの着順は、キボウホウが、2着→8着→1着、セルズは、1着→6着→4着だった。そして迎えたマイルチャンピオンシップでは、並み居る強豪に伍する戦いぶりを見せて、前年と違いキボウホウが7着、セルズが4着と、セルズアットワークに少しだけ運が味方したような序列に変わった。
一方、ナナコロビヤオキも、それなりの成績を残している。
ダイヤモンドステークスを勝利した後は、人気どころの一角に名を連ねるまでに成長。天皇賞・春は、実績ファン数不足がたたり、抽選にすら届かなかった。次走に選んだのは、目黒記念だったが、道悪で、尚且つ前が止まらなかったこともあり、5着どまり。秋緒戦は、迷って、アルゼンチン共和国杯を選択するも、3着まで。あと一勝が遠いのだ。
ただ、ファンの熱狂ぶりは、他の4人に比べて断然高かった。やはり、ゴールドシップのような追い込み脚質は、最後の直線でほかの娘をちぎっていく爽快感が支持されているのだろう。噂では、ヤオキのファンクラブまで存在しているとか。そんな調子だからか、中山グランプリのファン投票は、組織票でも入ったのか、並み居る強豪と互角の得票数を記録する。
「せ、先生っ!」
私は息せき切って、中山グランプリの得票数中間報告を手に、先生のトレーナー室に駆け込んだ。
「どうしたの、そんなに慌てて」
椅子をくるりと回転させて、先生は私の方を見る。
「さ、三位ですよ、三位!」
まだ息も整っていない私が、声を限りにそう喚くように言う。
「なぁにが?」
先生が手にしていたのは、まさしく、今プリントアウトされたであろう、ファン投票の途中経過だった。
「あ、ご、ご存知だったんですね……」
少しトーンダウンする私。
「いやあ、本当かどうか疑わしかったから、今印刷してみたところ」
ナリタブライアン、ライスシャワー、ゴールドシップ、スペシャルウィーク、ウイニングチケット……一度は聞いたことのあるウマ娘たちの名前の中にナナコロビヤオキがいるのだ。この違和感は、私を、先生を、理解不能な世界に放り込んでしまった。
「こ、これで出れますね!」
今回の雑誌対抗ウマ娘育成プログラムの優劣には、レースの勝ち負けよりも、出走ポイントが大きく影響する。特にGIの中でも、宝塚記念/ジャパンカップ/中山グランプリの3競走にだけは、ボーナスポイントが大きく付いている。スイミングゴーグルが宝塚に出、3着を獲得したことで、暫定的ではあるが、彼女の一位はゆるぎないものになっていた。
「出られるとわかったからには、もう少し、トレーニングのペースを上げようか?」
先生はそう提案する。
「準備はそれなりにしていますけど、もう少しだけ頑張ってみます」
私もそう言う。
先生のトレーナー室を出て、ヤオキのところに向かおうとすると、取材陣だろうか、一人のウマ娘を取り囲んでいる。
「おいおい、俺様のライバルに寄ってたかっていろいろ聞いてくるんじゃねーよ」
ゴールドシップのだみ声が聞こえてくる。
「正式な取材申請をしていないものは、徹頭徹尾排除するからそのつもりで」
生徒会長・シンボリルドルフの怒気をはらんだ物静かな恫喝に、私の方が恐れおののいた。
「全くうるさいハエどもだ。どう刻んでやろうか」
ナリタブライアンがこういうと、本当に刻まれそうである。
それでも喧騒収まらない輪の中に分け入ってみると、ナナコロビヤオキが、トップウマ娘たちにガードされた状態で委縮している姿を見つけた。
「お、おい、ヤオキ。なんなんだよ、この騒ぎ!!」
と私が言い切らないうちに、
「なんだよ、ヤオキのトレーナーじゃねえか。こうなることくらい予想しとけって学校で習わなかったか?」
ゴルシの指摘は耳に痛い。ダークホースの3位は、恰好の取材対象だからだ。
「ウム。担当トレーナー君も来たことだし、しっかりとした場所で記者会見というのはどうだろうか、諸君」
会長の一言で、場は少しだけ喧騒を鎮めていく。
それでも一人の記者から質問が飛んできた。
「今回の結果をどう見てますか?」
私は毅然と答える。
「みなさんの期待が大きいことは理解しましたが、まさか並み居る著名な方々を差し置いての順位には正直驚いています」
一息入れて、思いを整える。
「期待は走りません。得票順位も関係ありません。理事長様がこの企画を立案された時、彼女、ナナコロビヤオキだって、ここまでの愛されるウマ娘になることなど、想像もしていなかったことでしょう。でも、彼女の頑張りと、結果と、その姿がこのような望外な支持につながったと思っています。勝ち負けではなく、この一戦を楽しみたいと思います」
上手く言うつもりはなかったが、ウマ娘と一緒に過ごした3年余りが私にこの言葉を紡がせたのだ、と思って一人でウルっと来ていた。
この言葉が効いたのか、取材陣は三々五々トレセン学園の校門から散っていく。
「まったく、オレの愛弟子ちゃんがどうなることかと心配だったぜぇ」
ゴルシは、まだ、震えているヤオキをかばうように言った。本来なら私がしなくてはならないことを、先輩たちにやらせてしまったことは反省材料だ。
「これから、ナナコロビヤオキにも、粘着してくる者も増えてくるだろう。そのあたりの対応には万全を期してもらいたい」
会長の一言も身に染みる。
「あいつらにはデリカシーというものがない。野を駈ける獣と同じだ」
ブライアンは辛らつにマスコミを評する。私に言われているような感じがして、余計に肩身が狭くなる。
「ヤオキ、大丈夫だった?」
私はそう声をかけるのが精いっぱいだった。だが、彼女の対応はすこぶる意表をつくものだった。
「これが、これが、スターウマ娘にしか味わえない境地なのですね……」
怖がっていたのかと思いきや、恍惚とした表情を浮かべているヤオキ。努力が報われ、一種の高みを垣間見たから出た言葉なのだろう。
「おうよ。これでお前もこっち側だ。中山グランプリでは雌雄を決しようぜ、後輩っ」
ゴルシがそう言い放つ。彼女の物言いにはイヤミがない。
「トレーナー君も言っていたが、得票順位はただのランキング。決着はターフの上で」
会長も、少しスイッチが入ったようだった。
「ああ、私の影を踏もうなんざ、100年早いことを思い知らせてやる」
常在戦場らしいブライアンの一言にも説得力が増す。
三人に等しく礼を告げて、私はナナコロビヤオキと一緒にトレセン学園を後にする。
「いやあ、まさかこんなに取材されるとはなあ……」
と歩きながら陽気に話しているのだが、隣りのヤオキは、肩を震わせている。
「と、トレーナーさん……」
涙まみれのヤオキと目があった時、私は失念していた。彼女は、年端もいかないウマ娘であることに。
「ヴァーン」
人目もはばからず、大声を上げてヤオキは泣き始めた。
「わ、私、怖かったし、怖いんです、これからのこと、レースのこと、約束を守れないこと……」
一位になってもらいたいから出走してほしい。そんなファンの重圧を初めてヤオキは感じ取ったのだろう。取材陣の傍若無人より、彼らを駆り立てた人気というものに恐怖しているのだと理解した。
「ああ、そうなんだ。人気って怖いものだよね」
私の懐で泣き続けるヤオキを少し抱きかかえながら、ボソッと私は言う。
「でもさ、ヤオキさん?」
私の問いかけにくしゃくしゃの顔をヤオキは見せる。
「今までとこれからで、違わないものってなんだかわかる?」
「なんですか?」
ヤオキは私の問いの答えを聞きたがる。
「走ること、だよ」
私は端的にそう言った。人気があろうが、絶不調だろうが、バ場が荒れていようが、そこにレースはある、あり続ける。レースがあり続ける限り、ウマ娘は走らなくてはならない。たとえ人気が出ても、ファンから忘れ去られても、ウマ娘の本分は走ること以外にないのだ。
「だから、人気とか、話題とか、そんなことは気にしなくていいし、むしろ、走りの邪魔になる。中山グランプリ終わったら、君とはこうして話していられなくなるけど……」
と話して、ヤオキの顔色が変わった。
「あ、もうお別れの時が迫っているのですね」
ヤオキの別の感情が、涙を止めさせた。
「そうだよ。泣いても笑っても、あと2週間くらいだよ」
本当は、私の方が、この別れに泣きたくなっているくらいだった。
「そうでした。わたし、ずぅっと、トレーナーさんと一緒にいられると思ってましたから……」
顔を赤らめるヤオキが愛おしく、関係が途切れることへのつらさの方が勝ってきている自分の感情が憎たらしい。
「ま、そう言う話は、全部終わってから、お互い吐き出すことにしよう。中山グランプリ、頑張ってくれよ!」
私はそう言って、ナナコロビヤオキの右肩にそっと手を回す。彼女の頭が私の右肩に触れる。こうしていられるのも残りわずかだ。
○戦い済んで、日が暮れて……
3年間のトレセン学園でのトレーナー生活は、あっという間に終わった。
年明け早々に、私……根来俊一の、「ウマっ娘通信」での記者生活が再開した。
「ゴロさん、ここ、段組み崩れてるよ、ちゃっちゃと修正よろしく」
復帰しても、2位で終えたことがご不満なのか、編集長の石上のお小言は相変わらずだ。
日々記事を作成している私だが、ふと、見上げたそこには、一人のウマ娘との記念写真が飾ってある。
「あ、根来さん、また、ヤオキちゃんの写真に見入ってるぅ」
女子編集部員が冷やかしていく。だが彼女と撮った記念写真は、それなりに意味のあるものだった。
ヤオキの成績次第では一位奪取もありえた中山グランプリ。彼女は走った。走りぬいた。
ゴール板前。ゴールドシップと抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げるナナコロビヤオキの姿に、会場は一気に沸騰した。
”こいつ、垂れねーぜ”
ゴルシは、短い中山の直線でかなり戦慄したそうだ。
”だがっっ”
GIウマ娘の勝負根性が勝り、ヤオキは2着で惜敗する。その差はアタマ差。
スイミングゴーグルが、雑誌対抗ウマ娘育成プロジェクト総合で一位。ステータスの面では、ほぼトップに近かったナナコロビヤオキは、2位で育成を終えた。その表彰式ののちに賞状と一緒に写真に納まっている私がそこに居るのだ。
椅子の背もたれを大きく湾曲させて、背伸びした私は、あの三年間を振り返った。
正直、今回の企画がなかったら、見ることもかなわなかった景色を、ナナコロビヤオキに見せられたことだけは、誇りに思っている。長距離に活路を見出していなかったら、確実に二位通過はもたらされていなかっただろう。年を追うごとにレースがうまくなっていくヤオキが、まるで自分の血を引いている愛娘のように、ほほえましく、そして誇らしくも思ったものである。
連載として続けていた、トレセン学園育成日誌も年始の号で完全終了。そのゲラが私のところにも回ってきていた。
「3年間お付き合いいただきました私とナナコロビヤオキの奮闘ぶりをお伝えするのも、これが最後。
結果は、5人中2位で、優勝を目指していた我々にしてみれば不本意でもあります。
しかし、私たちは知っています。勝つものがいれば負けるものがいることを。
負けたくって、負けているウマ娘などだれ一人いないことを。
今回、一人のウマ娘を3年間見ることで見えてきたこと、分かったことを記事や取材に生かしていきたいと思います。
彼女同様、私も新しい"景色"を探していきたいと思います」
「ありがとな、ヤオキ」
ゲラを見せびらかすように私は写真立ての彼女に手向けた。
そのころ、トレセン学園では……
「ウム、今回の雑誌対抗ウマ娘育成プロジェクト、ラストのナナコロビヤオキのデッドヒートで大盛り上がりだったようだな、たづなっ!」
理事長が秘書のたづなと話している。
「ハイ。今までで一番の入場者数、ライブ鑑賞数、ライブチケットの売り上げを記録した模様です」
たづなの報告に、
「上出来!」
と書かれた扇子がぱっと開かれる。
「素晴らしいことだ!ところで、ヤオキを育成していたトレーナー君だが……」
「はい。『ウマっ娘通信』から派遣されていた、根来俊一さんですが……」
「彼ほどの逸材を雑誌社に埋まらせておくのはもったいない。彼をスカウトすることは無理だろうか?」
理事長の目がきらりと光る。
「そ、それは、かなり、む、難しいかと……」
たづなはたどたどしく答える。
「ええぃ!そんなもの、行ってみないとわからんではないか!思い立ったら即実行!早く支度をせんか!!」
ドタドタとあわただしく理事長室を出ていった理事長とたづな。私とウマ娘たちとの第二幕は、果たして上がるのか、否か……。
架空のウマ娘に登場してもらう、育成プロジェクトという企画で進めてまいりました。
長期連載にすると、締め方が、どうもね。ついつい映画っぽく描いてしまうのは、それだけクライマックスの描き方に自信がないからだ、とご理解ください。
何しろ、6人(途中で一人脱落)でストーリーを作ることの難しさ。主人公が引き立たなくなる恐れから、6話で一気に畳んでしまいました。いずれ、主役のナナコロビヤオキ目線のストーリーも作ってみたいな、とは思ってます。
こんなつたない連載モノでも、それなりにご支持いただいているのは僥倖の極み。またいいネタが思い浮かんだら取り組みたいと思います。
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