電ですが、鎮守府の空気が最悪なのです8 鎮守府は燃えているか 後編
電ですが、鎮守府の空気が最悪どころの騒ぎではないのです
大変長らくおまたせしております。最終話前編を更新しました。
電号作戦、終結です。
伊勢「電ぁ、お前を粉々にして日向を取り戻す! 食らえ!」
電「そうはいかないのです!」
轟音と共に放たれる35.6cm砲弾をかいくぐり、伊勢さんへ砲塔を向けます。
撃たなければ撃たれる。私は迷いを振り切るように12.7cm連装砲の引き金を引きました。
立て続けに5発。うち4発が命中するも、戦艦の強固な装甲を撃ち抜くには至りません。
伊勢「効かないなぁ! 駆逐艦の主砲ごときで、伊勢を沈められると思うなよぉ!」
電「くっ! やっぱり12.7cm砲弾じゃ、戦艦には通らない!」
伊勢さんは私が撃ち続けているのもお構いなしに、砲弾を避けるそぶりもなく猛進してきます。
まずい、接近されて主砲を撃たれたら避けきれない! 強化式艦本式缶を駆動させ、伊勢さんと距離を取るために全速後退します。
伊勢「待てぇ電! 逃げる気か! 日向を取り戻すまで、お前を絶対に逃がさないぞ!」
電「距離だ、とにかく距離を取らないと……!」
背後からは伊勢さんからの容赦ない砲撃が襲い掛かり、私は狭い通路をジグザグに走ってなんとかそれを回避します。
たとえ屋内でも、強化型艦本式缶が2つあれば戦艦の主砲だって9割は躱せる。だけど残りの1割を引けば一撃で大破してしまう。
ここからは一瞬一瞬が大破と隣合わせの綱渡り。一度のミスだって許されません。
電「せめて生身のところに砲弾が当たれば……とにかく撃ち続けるしかない!」
薬物の影響による錯乱のせいか、伊勢さんはこちらの攻撃を避ける様子がありません。なら、当たりどころさえ良ければ私の主砲でも通るかもしれない。
しかし、立ち止まっての撃ち合いに勝機はない。機関をフル稼働させ、伊勢さんに狙いを定まらせないよう動き続けながら、砲火の手も休めません。
闇雲に撃つのではなく、狙いは頭部。35.6cm砲弾が私の横をかすめたとき、12.7cm砲弾は伊勢さんの右顔面に直撃しました。
伊勢「がっ!?」
電「当たった! 今のは効いたはずなの……」
思わず足を止めたそのとき、伊勢さんの砲弾が髪の毛に触れるほどの距離を通り過ぎていきました。
今、私の運がもう少し悪ければ終わっていた。慌てて後退する私を、額から血を流す伊勢さんが猛追してきます。
その勢いにダメージの様子はまったくなく、むしろ怒りで勢いを増したかのようでした。
伊勢「やったなぁ……! 次はお前の番だ、電! 私の砲弾で、その頭を砕いてやる!」
電「頭に当てても効いてないなんて……こうなったら、やっぱり魚雷を当てるしかない!」
腰に提げた61cm酸素魚雷を直撃させれば、いかに戦艦の伊勢さんであろうとも、大きなダメージを負うはずです。
しかし、ここは陸地。推進器は機能せず、当てるには子日さんがやったように直接投擲するしかありません。
それなら、確実に当てられる距離はおそらく10m以内。そんな間近で主砲を撃たれたら、私の機動力でも躱し切れません。
しかも、当てる相手は動かない的ではなく、戦艦の中でも速度に秀でた伊勢さんです。その伊勢さんに、どうやって陸地で魚雷を当てるのか。
伊勢「行け、瑞雲! あいつの足を止めろ!」
電「やっぱり瑞雲を出してきた……まずいのです!」
伊勢さんはただの戦艦ではなく、航空戦艦。14機の瑞雲が全機発進し、エンジンを唸らせて急速接近してきます。
電「速い……! でも、屋内ならそこまで脅威ではないのです!」
通路の角に差し掛かり、私は壁を蹴って最大全速を維持したまま走り抜けます。おそらく、何機かは角を曲がる際、壁に激突して堕ちるはず!
その予想は裏切られました。14機の瑞雲は見事な旋回で角を曲がり、一瞬で私との距離を詰めます。
電「嘘でしょ!? ここまで機動力があるなんて……まさか、爆装をしていない!?」
この低い天井では急降下爆撃は行えない。伊勢さんはそう判断し、瑞雲たちに爆装させずに出撃させたのです。
爆装がないなら、残る瑞雲の武器は1つ。本来は空戦においてしか使われない機銃が私に向けて一斉掃射されました。
電「きゃああっ! 痛っ……!」
砲弾は躱せても、四方から浴びせられる機銃の火線は躱し切れません。鞭で叩かれるような鋭い痛みが体の各所を襲います。
いくら私が装甲の薄い駆逐艦といえども、瑞雲の機銃程度で沈められることはありません。しかし、伊勢さんの目的は私の動きを止めることなのです。
伊勢「いいぞ、瑞雲! そのまま足を潰せ!」
電「ま、まずいのです……なんとかしないと!」
薬で正気を失っているにも拘らず、伊勢さんの取る戦法は極めて合理的です。まずは機動力の低下を狙ってくるなんて。
機動力を殺されたら、万が一にも勝ち目がない! 私は通路突き当りの階段を飛び降り、下の階の通路へと逃げます。
それでも瑞雲は振り切れない。爆装のない瑞雲は羽虫のような身軽さで私の周囲を飛び回り、点ではなく面で機銃を私に浴びせ掛けます。
伊勢「逃さないぞ、電! もうすぐよ日向、もうすぐ、あなたを救い出せる!」
電「瑞雲をどうにかしないと! このまま持久戦になったら負ける!」
瑞雲を私に取り付かせながら、伊勢さんの主砲までが私を襲います。下手に機銃を避けようとすれば、35.6cm砲弾の餌食になってしまう!
まず対処すべきは瑞雲。飛び交う1機に狙いを定め、12.7cm連装砲を連射します。
でも当たらない。相手は動き回る点、対空機銃でもない限り、瑞雲を撃ち落とすことはできません。
電「一体どうすれば……そうだ!」
今度は瑞雲ではなく、その更に上、進行方向の天井に向けて3発、12.cm連装砲を放ちました。
伊勢「ハッ、天井を落とすつもりか? 馬鹿ね、お前の豆鉄砲にそんな威力はない!」
電「もちろん、そんなことは狙っていないのです!」
天井に穿たれた3箇所の小さな穴。これっぽっちで天井が崩れ落ちるようなことはありません。
しかし、私の狙いは天井の内側。その下を通り過ぎたとき、3つの穴から大量の水が迸りました。
伊勢「何っ!? まさか、水道管を狙ったのか!」
電「私はこの鎮守府発足当時から着任していました! 鎮守府のことなら知り尽くしているのです!」
破損した水道管から降り注ぐ水しぶきは、さながら突然の豪雨。水にプロペラを取られた瑞雲は機体制御を一時失い、壁や床に激突していきます。
伊勢「くそ、私の瑞雲たちが……だが、全て落とされたわけではない!」
電「ダメだ、まだ半分も残ってる……!」
この程度の小細工で全滅するほど、伊勢さんの瑞雲は甘くはありません。水しぶきをくぐり抜け、機体を立て直し、残った7機が再び追撃してきます。
何より、肝心の伊勢さんは未だ小破すらしていません。一方の私は瑞雲の攻撃に晒され続け、すでに機動力が落ち始めています。
電「……魚雷だ、魚雷でなければ伊勢さんは倒せない!」
再び通路を曲がるとき、背後に伊勢さんが階段下に降り立つ音が聞こえました。ここだ。一か八か、ここで魚雷を当てる!
伊勢さんの速力はおそらく海上とほぼ同じ、約25ノット。階段から通路の曲がり角までの距離は20m。私は瑞雲の機銃をしのぎつつUターンします。
魚雷を1本腰から抜き、速力を維持しながら大きく振りかぶります。あの曲がり角から伊勢さんが出てくるまで、あと3,2,1……
電「……今だ、えいっ!」
伊勢「何っ!?」
伊勢さんのスピードにタイミングを合わせた魚雷の投擲。計算と勘を頼りにした一か八かの賭けは成功を喫し、伊勢さんを魚雷の爆風が包みました。
電「トドメです!」
瑞雲がまだ動いている、なら伊勢さんはまだ意識を失っていません。ここで畳み掛けないと、もう勝機はない!
瑞雲の機銃も構わず、伊勢さんへ全速で突撃します。12.7cm連装砲を連射ながら、片手に2本めの魚雷を構えました。これを当てれば、勝てる!
電「終わりです、伊勢さん!」
伊勢「……誰が終わるって?」
わずかに晴れた硝煙の中に見えたのは、変わらず2本の足で立ち、爛々と光る狂気の瞳と主砲を私に向ける伊勢さんの姿でした。
電「そんなっ!?」
伊勢「死ね!」
至近距離からの35.6cm連装砲一斉射。すれ違いざまに身を翻しながらも、その全てを躱すことはできません。
1発の砲弾が艤装を掠め、私はにわかに自分の機動力が低下するのを感じました。
電「ああっ! ゴーヤさんの強化型艦本式缶が……!」
伊勢「終わるのはお前だ、電! 日向を返してもらう!」
伊勢さんの殺気を背後に感じながら、元来た通路を全速で駆け抜けます。当然ながらすぐさま瑞雲が追いすがり、私の足を狙って機銃を掃射します。
強化型艦本式缶を1つ失い、機動力の落ちた私は今まで以上に機銃の弾丸を身に受けます。加えて、脇をかすめていく35.6cm砲弾。
伊勢「これ以上逃げられると思うのか、電! おとなしく日向を返せぇ!」
電「そんな、どうして魚雷を当てたのに……まさか、飛行甲板を盾に!?」
振り返った伊勢さんを見ると、その左腕は無残に焼け焦げて、力なく垂れ下がっています。あれほど大事にしていた飛行甲板はどこにもありません。
伊勢「日向のためなら、飛行甲板の1つや2つ、惜しくはない! お前を殺せば日向が戻ってくるんだ!」
電「失敗した、今は逃げないと!」
このまま瑞雲の攻撃を浴び続ければ、いずれ動けなくなって主砲を食らってしまいます。そしたら一撃で私は大破してしまう。
このジリ貧の状況から抜け出さなければ! 私は一縷の望みを持って、再び階段に足を掛けます。
瞬間、頭上を数発の主砲が通り過ぎました。天井が崩れ、最上階への道が絶たれます。
伊勢「お前の狙いはわかっているぞ、電! 執務室へは行かせない!」
電「くっ、読まれてた……!」
このまま執務室へ行き、提督を人質に取る作戦は失敗。薬物で錯乱していても、やはり伊勢さんは判断力を失っていません。むしろ冷静なくらいです。
やはり伊勢さんを倒すしかない。こうなったら、もう一度魚雷を当てる!
電「伊勢さんは飛行甲板で魚雷を防いだ……なら、次は防ぐ手段はないはず!」
もう自分が鎮守府のどこを走っているのかわからなくなるほどの距離を走りました。再び曲がり角に行き当たり、速度を落とさず壁を蹴って進みます。
伊勢さんは瑞雲を先行させ、待ち伏せを警戒しつつ追撃してきます。やはり同じ手は使えません。
なら、別の手段で行くしかない。私は十数m後方の伊勢さん目掛けて、手に持った魚雷を横薙ぎに放りました。
伊勢「ハッ、そんなものが通用するか!」
伊勢さんに届く前に瑞雲の機銃が魚雷の胴を狙い、空中で爆風が起こります。周囲に硝煙が舞い上がりました。
電「もう1発なのです!」
伊勢「ちっ! 撃ち落とせ、瑞雲!」
再び放った魚雷は、今度は私の近距離で爆発させられます。衝撃が叩きつけられ、全身が軋みを上げます。
もう機動力を維持できる限界が近い。でも、このまま行けばいずれやられる。なら、機動力を捨てる覚悟で賭けに出るしかない!
魚雷の爆発で周囲に立ち込めた硝煙。私は進行方向を反転させ、その硝煙の中へと飛び込みました。
伊勢「ハハッ、死にに来るつもりか電! いいだろう、望み通り吹き飛ばしてやる!」
視界が煙に巻かれる中、伊勢さんが正面に主砲を構える気配を感じました。私の姿を捉えた瞬間、すぐさま砲弾が放たれるでしょう。
この近距離で撃たれれば、もう避けられません。硝煙が立ち込めている、この僅かな間で勝負が決まる!
電「えいっ!」
伊勢さんは正面から動いていない。私は3本目の魚雷を抜き、煙幕の中から力いっぱい前方へ投擲しました。
伊勢「馬鹿が、何度繰り返しても同じだ!」
今度は主砲によって魚雷が迎撃されます。新たに舞い上がった硝煙を吹き飛ばすように、間髪入れず伊勢さんの35.6cm連装砲が火を噴きます。
伊勢「これで終わりだ!」
一斉に放たれた砲弾は大気を切り裂き、煙掛かった通路を晴らします。そこに私の姿はすでにありません。
伊勢「何だと!?」
電「喰らえっ!」
機関のパワーをフル回転させ、私は床を蹴って伊勢さんの頭上へと飛び上がっていました。
直上、それは戦艦の持つ主砲の射角外。瑞雲の反応よりも早く、4本目の魚雷を伊勢さんへと投げつけました。
伊勢「ぐぁあああっ!」
魚雷の爆発は伊勢さんだけでなく私をも巻き込み、風圧で天井に叩きつけられます。激痛が全身を襲いました。
そのまま床に転げ落ち、痛みですぐには立ち上がれません。瑞雲による夥しい機銃射撃と魚雷の爆風を受け、体中が悲鳴を上げています。
しかし、倒れた私を瑞雲が襲ってきません。ということは、伊勢さんをようやく倒せたということです。
電「い……痛いのです……でも、勝った……!」
よろめきながらもどうにか立ち上がり、伊勢さんの状態を確認します。まだ爆発の煙が立ち込めていて、よく見えません。
見えたのは、未だに宙を飛び交う瑞雲。それは伊勢さんが健在であることを意味していました。
電「……え?」
目に映った影を頭で理解する前に、体が即座に反応しました。壊れかけの機関をフル稼働させ、全力で走り出します。
動くだけで体中に痛みが駆け巡ります。だけど、動かないわけにはいきません。背後から強烈な殺意の塊が追いかけてくるのです。
伊勢「待てぇ! お前を殺し、日向を助けるまで……私は倒れない!」
電「こんな、おかしい! もう動けるはずなんてないのに!」
全身にダメージを負い、艤装もボロボロ。それなのに、伊勢さんは今までと変わらない、むしろそれ以上の速度で追いかけてきます。
司令塔たる伊勢さんが立ち上がったと同時に、瑞雲も攻撃を再開します。機銃の火線が背中を袈裟掛けに薙ぎました。
電「ああっ……!」
もう私には機銃どころか、主砲を避ける機動力さえありません。真横や頭上をかすめる砲弾。私は当たらないこと祈って闇雲に走ります。
電「どうして、どうしてまだここまで動けるの!? こんなの普通じゃない! まさか……これも薬の作用!?」
ゴーヤさんの使っていた薬の中には鎮痛剤、あるいは脳内麻薬の分泌を促し痛みを消すものもありました。
もしかして、伊勢さんにもそれらの薬が使われているのでは?
ならば、どれほどダメージを負っても関係ない。完全に力尽きるそのときまで、伊勢さんは動き続けるのです。
電「どうしよう、どうしよう! また魚雷を当てるしか……うそっ!? 魚雷が、ない!」
私の装備していた61cm四連装魚雷がどこにもありません。まさか、爆風に巻き込まれたとき、衝撃で落としてしまったの!?
ほとんどパニックになりかけた私に、容赦なく瑞雲が迫ります。今の私には機銃さえ致命傷になりかねません。
雨あられと降り注ぐ弾丸から急所を防ぎながら、せめて1機でも瑞雲を落とそうと12.7cm連装砲を宙に向けました。
電「あれ?」
瞬間、全てがスローモーションのように映りました。飛び交う7機の瑞雲の内、1機が私の視界外から近付こうと床スレスレを低空飛行しています。
その瑞雲だけ、僅かに動きが遅い。ほかの瑞雲にはなく、本来あるべきものをその瑞雲だけが持っているのです。
電「しまっ……!」
気付いたときにはもう遅い。その瑞雲は機銃を撃ちながら私目掛けて真っ直ぐに迫り、もはやその距離は目と鼻の先でした。
伊勢さんは最初からこれを狙っていた。確実に当てられるよう私の機動力を十分に殺した今、作戦を実行に移したのです。
爆装を抱えて機体ごと敵に突っ込む。それは帝国海軍末期の悪しきお家芸、神風特攻。
直撃だけは免れました。突撃してくる唯一爆装をした瑞雲を、私は寸前で砲撃により撃墜します。
しかし、すでに爆風の圏内です。高熱の圧力が私を宙に舞わせました。
電「きゃぁあああっ!」
床を転がったとき、私に主砲を向ける伊勢さんの姿が一瞬視界に映りました。まずい、早く立たないと!
伊勢「掛かったな、電! もう終わりだ!」
電「お願い、動いて!」
停止しそうな機関に叱咤し、這うようにしてその場から逃れます。私の転がっていた床を数発の主砲がえぐりました。
駄目だ、次は躱せない! 恐怖に支配された私は、ほとんど無意識に近くの部屋へ逃げ込みました。
電「あっ、ああっ!」
それは致命的なミスでした。そのことに気付いても、もう取り返しがつきません。せめて時間を稼ぐために、慌てて扉を閉め、施錠して閂を掛けました。
電「い……電の馬鹿馬鹿! 根性なし、弱虫! どうしてこんなところに逃げ込むのですか!」
部屋に逃げ込むということは、自ら袋小路に入るのと同じことです。伊勢さんが入り口に陣取れば、もう逃げ場はありません。
電「もう窓から逃げるしか……この部屋、窓がない!?」
石造りの壁には、外へ通じる窓はどこにも見当たりません。他の部屋への扉もなく、完全に追いつめられました。
電「こ、こうなったら……撃ち合うしかない! 遮蔽物になるものは……」
薬物の作用で痛みがないとはいえ、伊勢さんの体そのものの限界は私と同様、近いはず。もはや撃ち合いに勝機を見出すしかありません。
かといって、正面からの撃ち合いは分が悪すぎます。せめて身を隠せる遮蔽物でもなければ勝負になりません。
幸い、瑞雲を閉め出すことはできました。この部屋の扉は分厚い鋼鉄製で、閂もついています。
これで十数秒は時間を稼げる。私は荒い呼吸を整えながら、改めて部屋を見渡しました。
電「……え?」
そのとき、ようやく私はここが普通の部屋ではないことに気付きます。
窓のない石造りの壁に覆われ、分厚い鋼鉄製で閂まで付いている扉の部屋なんて、鎮守府内にはそうそうありません。
ここはどこ? まさか、解体室? いいえ、違います。部屋の中央にある見慣れた設備群を目にしたとき、私は自分がどこにいるかを把握しました。
電「ここは……工廠!?」
伊勢さんが扉を激しく打ち付ける音を立てても、私はしばし、呆然として目の前の建造システムを見つめていました。
それは成功率わずか数%の賭け。本来なら愚の骨頂である、追い詰められた挙句の運頼みです。
けれど、そんなことは重要ではないように思いました。まるで何かに導かれてここに来たかのような。私は初めて、運命というものを肌に感じています。
起こらないからこその奇跡、どこかでそんな言葉を聞いたことがあります。それでも、私はこの可能性に賭けてみたい!
伊勢「電、開けろぉ! おとなしく、その命を差し出せぇ!」
轟音と共に35.6cm砲弾が安々と鋼鉄製の扉に穴を開けます。鍵と閂を破壊され、伊勢さんがここに入ってくるのは時間の問題です。
電「……やるしかない!」
もう迷っている暇はありません。私は何度か触れたことのある建造システムに飛びつき、操作盤に手を触れます。
電「資源は足りてる、開発資材もある! 高速建造材は……ある! よし、建造できる!」
再び鳴り響いた砲撃音が扉の施錠を吹き飛ばします。焦ってはいけません、私は間違いのないよう正確に資源を建造システムに投入し始めます。
電「燃料400、弾薬100、鋼材600、ボーキ30! レア艦を引く必要はない、軽巡、重巡の確率を下げて、戦艦の建造だけを狙う!」
電「この建造レシピの内訳は、重巡率38%,軽巡率6%, 戦艦率56%! ならば成功率は……6%! お願い那珂ちゃん、今だけは出てこないで!」
次の砲撃は閂をかすめました。すでに施錠は破壊され、今や閂だけが扉を塞いでいます。
電「資源投入! 開発資材、高速建造材投入! お願い、助けに来て!」
必要な情報、材料を入力し、起動ボタンを押します。建造システムは低いうなり声を上げ、新たな生命を生み出すために動き出します。
しびれを切らしたかのように、3発の轟音が立て続けに響きました。うち1発が閂に命中し、もう砲撃でなくてもへし折れてしまいそうです。
電「神様、お願いです! 私の運を全て使っても構いませんから、どうか奇跡を起こしてください!」
高速建造材が瞬く間に設備の活動を完了させ、地鳴りのような機械の振動は急速に鎮まっていきます。
奇跡か、絶望か。答えの出る瞬間がとうとうやってきました。
電「お願い……伊勢さんを助けて!」
その砲弾は閂の中心を貫き、直後に扉が蹴り破られるようにして激しく開きました。
中に入ってきた伊勢さんは、さながら手負いの猛獣。その息遣いは獣のように獰猛で、正気などまるで残っていないようでした。
伊勢「追い詰めたぞ、電! 散々手こずらせてくれたわね……今こそお前の死ぬときだ!」
伊勢「これで私の勝ちだ! お前をぶっ殺して、必ず日向を救、い……」
まるで夢から覚めたように伊勢さんは言葉を失い、その場に立ち尽くしました。
事実、伊勢さんは今このとき、長い悪夢からようやく覚めることができたのです。
日向「やあ、伊勢。そんなに息を切らして、どうしたんだ?」
伊勢さんの放っていた身を焦がすほどの殺意が、みるみるうちに消え去っていくのを感じました。
目の前にいるのは他でもありません。自分とよく似た姿形をした、かけがえのない大切な姉妹艦。
寂しさに涙し、正気を失うほどに求めて止まなかった、最愛の妹が確かにそこにいるのです。
伊勢「あっ……」
わずかに震えながら、伊勢さんはよろめくように日向さんへと歩み寄ります。
たどたどしく伸ばされた手は、それが夢でないことを確かめるかのように、日向さんの頬をそっと撫でました。
伊勢「……ひゅう、が?」
日向「なんだい、伊勢?」
伊勢「……ばか」
小さく呟いて、伊勢さんはすがりつくように、日向さんの胸元へ顔を寄せました。それはきっと、溢れる涙を隠すためだったに違いありません。
伊勢「日向のばか……今までどこ行ってたの? ずっと……ずっと探してたんだよ?」
日向「ああ、済まない。たった今、着任したばかりなんだ。待たせてしまったかな」
伊勢「待った。ずっと待ってた……私、日向がいなくてすっごく寂しかったんだよ?」
伊勢「やっと見つけた……もう2度と会えないかもしれないと思ったじゃない。ばか、ばか、ばか」
日向「おいおい、泣いているのか? よしよし。もう大丈夫だからな、伊勢……」
伊勢「うん……会いたかった、会いたかったよ、日向ぁ……」
そっと伊勢さんを抱き寄せる日向さんを見て、私は深い安堵に包まれました。
奇跡は起こりました。今まで何度、提督が試してもダメだった日向さんの建造が、このタイミングで成功したのです。
伊勢さんに薬による錯乱はもう見受けられません。少なくとも、危険性はなくなったと見ていいでしょう。
胸の中で震えながら泣き続ける伊勢さんを抱いたまま、日向さんは困ったように私を見ました。
日向「なあ、これはどういう状況なんだ? 君も伊勢もひどく怪我をしているようだし、何だって鎮守府の中で艤装を付けているんだ?」
電「ええ、ちょっと込み入った事情があって……後で説明しますから、今は伊勢さんを任せてもいいですか? 私はやらなきゃいけないことがあって」
日向「そうか。まあ、よくわからないが、それを断る理由はないな。ほら伊勢、そろそろ泣き止まないか」
伊勢「うん……ごめんね、ごめんね」
本当なら、こんな奇跡は起こらない。追い込まれてたまたま工廠に逃げ込むのも、日向さんの建造に成功したのも、確率としては極めて低いはずです。
私をここに呼んだのはあなただったんですよね、日向さん。来てくれて、本当にありがとうございます。
もう伊勢さんは大丈夫です。私は2人っきりにしてあげる意味もあり、重い体を引きずって工廠を出ました。
電「うっ……はぁ、はぁ……」
体を駆け巡った疲労と痛みに、たまらず通路にうずくまります。
伊勢さんは強かった。正気を失ってもなお健在なのは主力級の実力だけでなく、戦術においても上を行かれるとは思ってもみませんでした。
かなり無理をしましたが、まだ大丈夫。状態はせいぜい中破といったところです。私はまだ動ける。
まだ終わったわけではありません。私は傷付いた体をどうにか立たせて、また歩き出しました。
伊勢さんに破壊されていないほうの階段を使い、最上階へ向かいます。私は再び、執務室の扉を開きました。
電「……こんにちは、提督。お待たせしてすみません」
提督「……電!? 馬鹿な、伊勢はどうした!」
電「伊勢さんはもう戦いません。金剛さんも同様です。赤城さんも、外海で隼鷹さんに撃沈されました」
提督「そ、そんなはずがあるか! 伊勢に金剛、赤城までやられただと!?」
電「本当ですよ。扶桑さん、山城さんもすぐにはここへ来ることはできません。助けてくれる人がいなくなりましたね」
提督「こ、こんな馬鹿な……俺をどうする気だ!」
電「決まっているでしょう。さっきの続きですよ」
私は再び12.7cm連装砲を提督に突き付けました。先ほどと同じ光景に見えても、今は状況が違います。
さっきは伊勢さんが提督を守りました。もう私たちに割って入るものは何もありません。引き金を引けば、提督の命は確実に失われるでしょう。
それは提督も理解するところでした。言ってもいないのに提督は慌てて両手を上げ、怯えたように壁際へ後ずさります。
提督「ま、待て! 俺を殺したらどうなるのか、わかっているのか!」
電「ええ。提督がいなくなってくれるんでしょう? 鎮守府にとってはとても良いことです」
提督「華族である俺を殺せば大本営が黙っていないぞ! 貴族院だって動く、お前ら全員、反乱の罪で解体されてもいいのか!」
電「あなただって、私たちを解体するつもりだったじゃないですか。なら、あなたには死んでもらったほうがいい」
電「今までこの鎮守府に大本営が視察に来たことはありません。きっと、あなたが来てほしくなかったから、権力を使って来ないようにしたんでしょう?」
電「なら、あなたが生きているよう書類を偽装すれば、これからも大本営は来ない。この反乱だってバレやしないのです」
提督「待て、待ってくれ! やめろ、撃つな! お前はそんなやつじゃないはずだろう!?」
電「私だって、あなたがここまで酷い人だなんて思わなかった。事をここまで大きくするつもりなんて、私にはなかったのに」
電「提督。あなたは赤城さんが他の艦娘や妖精さんを密かに食べていたことを知っていましたか?」
提督「……し、知らない。初めて聞いたことだ」
電「あなたの気にしていた龍驤さんの轟沈ですが、その犯人は赤城さんです。赤城さんは轟沈に見せかけ、龍驤さんを食べてしまったんです」
提督「そ……そうなのか。そんなことをしているとは思わなかった……」
電「仲間を食べるような艦娘を鎮守府に置いておけるわけがありません。提督、もし私がこのことを相談していれば、どうしましたか?」
提督「そ、それは……もちろん、赤城を拘束して解体していたさ。当たり前だろう」
電「……嘘つき」
その目を見ればわかります。提督は都合の良いことを言い、私の心象を良くしようとしているだけなのです。
提督には何もできない、赤城さんの考えは的を得ていました。
電「赤城さんのやってることに、薄々気付いていたんでしょう。あなたの手元には鎮守府の正確な情報が寄せられているはずですから」
電「なのに気付かないふりをした。彼女は貴重な虹ホロの正規空母だから。ダブった駆逐艦なんて、どうせ解体するからどうでもよかったんですよね」
提督「ち、違う! 俺は……」
電「ゴーヤさんに薬物を使って単艦オリョクルをさせていたとき、私は苦しんでいる彼女を見ていることができませんでした」
電「一度、彼女を密かに逃がそうとしたこともありましたが、失敗しました。提督、私が抗議すれば、ゴーヤさんのオリョクルを止めてくれましたか?」
提督「こ、これからはお前たちの意見をちゃんと聞く! 今までだってそうしようとは思っていたんだ!」
電「嘘つき! あなたは私たちのことなんか、しゃべる道具くらいにしか考えていないくせに!」
電「あなたなんて大嫌い! もういい……提督、この反乱は私とあなた、2人で責任を負いましょう」
電「先に行っててください。大丈夫です、電もすぐ同じ所へ行きますから」
提督「お、おい……何をする気だ! や、やめろ! 撃つな、砲塔を下ろせ!」
あの冷たい感情が再び胸の内を占めていきます。私は1度、すでに提督を撃った。2度できないことはありません。
照準ごしに見える提督は、とうとう涙を流しながら私への命乞いを始めました。その哀れな姿を目の当たりにしても、動揺は感じません。
提督「嫌だ、死にたくない! 俺だって、俺だってこんなはずじゃなかったんだ!」
電「なら、あなたが望んでいた鎮守府とはどういうものなのですか。私たちを使い倒して、その先に何を思い描いていたんです?」
提督「つ、使い倒すつもりなんてない! 俺はただ、必死だっただけだ!」
提督「俺は手柄を上げて、偉そうにしている兄貴たちを見返したかっただけなんだ! お前たちを苦しめるつもりなんてなかった!」
電「……そうですか。私たちにはあなたの事情なんて関係なかったのに」
電「私たちは平和のために尽くす覚悟はあっても、あなたの私事に付き合う義理ない。そんなことに巻き込まないでほしかった」
提督「ち、違う! 違う! 俺が手柄を上げるということは、海域の平和にも繋がるはずだったんだ!」
提督「こんなはずじゃなかった、上手く行かなかっただけなんだ! 俺はお前たちのことを大事に想っている!」
電「私たちを大事に想っている人が、艦娘を全員解体なんて手段を取るわけがありません。せめてもっと真実味のある嘘をついてくださいよ」
提督「本当だ! やめろ、許してくれ! 嫌だ! 死にたくない、死にたくないんだ!」
大の男が泣きじゃくりながら命乞いをする、見ていて胸が悪くなるような光景でした。
私は何度か引き金を引こうとして、どうしてだか引くことができませんでした。躊躇わせたのは迷いではなく、嫌悪。
その嫌悪は提督だけでなく、自分自身にも向けられていることに気付きました。
電「……お礼、ちゃんと言いましたっけ?」
提督「な、何の話だ?」
電「……提督のくれた間宮アイス、とても美味しかったです。私たちのためにわざわざ買ってくれて、ありがとうございました」
鎮守府に着任した当初、提督は決して冷血な人ではありませんでした。
私たちに笑顔を向けることもあったし、任務が上手く行けば褒めてくれることもありました。
海域攻略や建造、開発が上手く行かなくなるにつれ、提督はみるみる冷たい人になり、笑顔を見せることはなくなりました。
それは状況が悪くなったことで露わになった、提督の本性なのかもしれません。でも、最初のうちは確かに、私たちと接しようとする気はあったのです。
心底冷血な人が、私たちのために間宮アイスを買ってくれるはずがありません。あのアイスは本当に美味しかったし、嬉しかった。
電「……提督、私は最低な秘書艦ですね。こんなことをするほどに追い詰められたあなたを、私は助けようとしなかった」
提督「い、電……」
電「自分たちが助かろうとするあまり、あなたを犠牲にしようとしていました。あなただって、今まで苦しかったはずなのに」
ずっと提督へ向けていた砲塔を下ろします。胸の内にあった冷たい感情は、ただの後悔に変わっていました。
提督がひどくちっぽけな人に見えます。私たちはこんな弱い人を、力ずくでどうにかしようとしていたのです。
電「もう遅すぎるかもしれないのですが、やり直しましょう。まだ全てが終わったわけではないのです」
提督「お……俺を撃たないのか?」
電「もし私があなたを撃つのなら、それは怒りによるものです。そんな理由で誰かを撃つことがあってはいけません」
電「提督の処遇はこの戦いが終わってから、みんなと相談して決めます。大丈夫です、あなたは私が守りますから」
提督「……これから、俺をどうするんだ?」
電「申し訳ありませんが、一旦は拘束させて頂きます。でないと事態の収拾が付きません」
電「まずはこの戦いを終わらせましょう。今はおとなしくしててください、提督」
提督「わ……わかった」
提督は上げていた手を下ろし、うなだれるように執務室の机に寄りかかりました。
暴力的なことはしたくありませんが、何かで提督を縛ったほうがいいでしょう。そうでもしないと、みんなが納得しません。
執務室のどこかに拘束用の手錠があったはずなので、その仕舞ってある場所に思いを巡らせたとき、提督が伏せていた顔をはっと上げました。
その目は驚愕に見開かれ、私の背後を見据えていました。
提督「扶桑、どうしてここにいる?」
電「えっ?」
驚いて振り返ったとき、そこには扶桑さんどころか誰の姿もありません。
全ては一瞬で起こり、私の考えが介在する余地はどこにもなかったのです。
すぐさま正面に向き直ったとき、目に入ったのは拳銃を私に向けて構える提督の姿でした。その表情は怯える子供のように恐怖で引きつっています。
砲弾の飛び交う海戦のために作られた私たち艦娘にとって、わずか数mmの口径しかない拳銃なんてパチンコ玉ほどの脅威もありません。
放たれた銃弾が私の耳元を掠めたとき、砲塔を振り上げたのは条件反射によるものでした。
撃たなければ撃たれる。撃たれた方向に撃ち返す。艦娘としての本能が、不意に起こった銃声に反応したのです。
ほとんど無意識に放たれた12.7cm砲弾は提督の右胸をかすめ、その身を抉り取っていきました。
提督「がっ……ぐぁああああっ!」
電「あっ、ああっ!」
何が起こったのかわかりません。2発の発砲音の内、1発は提督の撃った拳銃。なら、2発目は誰が?
それを自分が撃ったということに気付いたとき、目の前には血しぶきを上げながら壁に叩きつけられる提督の姿がありました。
提督「ぐお……お、ごほっ……」
電「て、提督! しっかりしてください!」
壁に血糊をべっとりと擦りつけながら、提督はずるずると床へ崩れ落ちていきます。
足元には大量の血が流れ出し、私がそばに駆けつける僅かな間に、執務室は血の匂いでいっぱいになりました。
電「どうして……どうしてこんなことをしたんですか! 私は撃ちたくなんてなかったのに!」
提督「う、うああ……い、痛い……痛いよ……」
電「あああっ、血がこんなにたくさん! 止血、止血しなきゃ!」
提督「い……嫌だ……死にたく、ない……」
電「動かないで! 動かないでって言ってるでしょ、ばかぁ!」
必死に傷口を手で抑えますが、抑えれば抑えるほど、血は指の間から溢れ出てきます。
傷は骨どころか内臓に達し、肺に穴が開いているようでした。提督は血泡を吐きながら、もう呼吸さえろくにできなくなっています。
電「提督、しっかりして! きっと助けますから! お願い、目を閉じないで!」
提督「い……痛い、苦しい……た、たす……助けて……」
電「必ず助けます! だから、だから……!」
私の言葉には何の根拠もありません。わかっていました、それが明らかな致命傷なのだということを。
ただ、痛みと恐怖に苦しむ提督の姿を見ているのが辛くて、何もせずにいることができなかっただけなのです。
提督「お……俺は……死ぬ、のか……?」
零れた水を器に返すことができないように、全てはもう取り返しの付かないことでした。
電「……いいえ。提督、血は止まりました。助かりますよ」
提督「た……助か、る……?」
電「はい。安心してください、もう大丈夫ですから……」
提督「で、でも……痛い、痛いんだ……それに、すごく寒い……」
電「痛いのもすぐになくなります……ほら、こうしたら温かいでしょう?」
私はそっと提督の体を抱きしめました。消え入りそうな鼓動を胸に感じながら、血だまりの中に手を伸ばします。
提督「あ、ああ……温かい……」
電「よしよし……大丈夫、もう怖いことなんてないんですよ……」
拾い上げたのは、まだ銃口から煙の消え残る拳銃。機関部に血が入ってないことを確認します。弾も入っている。
電「さあ、目を閉じて……安心していいですから……」
提督「ああ……母さん……」
電「……おやすみなさい」
乾いた音が響き、私の頬に温かい血が飛び散りました。硝煙と血の匂い。かすかな鼓動が私の胸の上で消えていきます。
血溜まりへ沈むように提督は息絶えました。こめかみに開いた穴から血が流れ続けています。拳銃の反動は私の腕に生々しく残ったままでした。
せめて最期だけは苦しまず、安らかに。半ば開いたままの提督の目を、私はそっと閉じました。
電「……どうして? 何をそんなに怯えていたんです?」
なぜ提督は私を撃ったのでしょう。私が怖かったから? それとも、みんなの前に晒されることが恐ろしかったのでしょうか。
きっと、私たちが提督を信用しなかったように、提督も私たちを信用しなかったのです。
もう二度と動かない提督の体を抱きしめながら、悲しさよりも、空虚さが私に押し寄せました。
いつまでそうしていたのでしょう。鳴り響いた通信機が私の意識を現実へと引き戻しました。
足柄『こちら餓狼艦隊、足柄! 電ちゃん! 電ちゃん、聞こえる!?』
電「……足柄さん? どうしましたか?」
足柄『やったわ、山城を倒したわよ! 私たち餓狼艦隊が勝利したのよ!』
電「ほ……本当ですか! おめでとうございます、さすが餓狼艦隊!」
足柄『当然よね! 私たちの実力なら戦艦1隻くらい、どうってことゲェッ、オヴェエエエエエ!』
電「あ、足柄さん!?」
那智『おい足柄、無理して喋ろうとするな! おとなしくしていろ!』
電「那智さん、足柄さんは大丈夫なのですか!? 内臓が口から出たような音が聞こえましたけど!」
那智『あ、ああ。なんとか大丈夫だ、命に別条はない。山城にだいぶやられてはいるがな』
那智『山城のやつ、龍田たちと戦った後だというのに、ここまで粘るとは……敵ながら恐ろしいやつだった』
電「……そちらに戦闘可能な方はまだいますか? 可能なら、大和さんのところへ行ってほしいのですが」
那智『……済まない、そいつは無理そうだ。私たちも山城に酷くやられて、龍田も巻き添えを食って大破している』
那智『情けないが私自身、動くのが精一杯だ。大和のところへは行ってやれそうにない』
電「そうですか……お疲れ様でした。そちらは動ける人で負傷者の収容をお願いします」
那智『鎮守府の中はどうなったんだ、提督はどうした?』
電「金剛さんは撃破しました。提督は……私たちに拘束されることを良しとせず、自決されました」
那智『なっ……!』
那智さんが息を呑む気配が通信機越しに伝わってきます。嘘を吐いたのは、無用な混乱を避けるためでした。
那智『……信じられん。あの提督がそんな真似をするとは……』
電「はい……ですので、あとは大和さんだけです。そちらも私に任せてください」
那智『……わかった、気をつけろよ』
通信が切れ、辺りは静寂に包まれました。もう、どこからも砲撃音は聞こえてきません。まるで戦いなど、初めから起こっていなかったかのようです。
電「……見届けないと」
物言わぬ提督の体をそっと執務室に横たえ、血塗れた体を立ち上がらせます。まだ全てが終わったわけではないのです。
鈍い痛みの残る足を引きずり、階段を下りて鎮守府を出ます。そこら中から漂う硝煙の匂いが鼻を突きました。
まさに戦場跡地。そこかしこに砲撃と爆撃の跡があり、この場で激戦が繰り広げられたことをまざまざと物語っています。
その中心にいるのは、傷だらけの艤装を背負い、うなだれて大地に膝をつく扶桑さんの姿でした。
いくつかの砲塔は折れ、飛行甲板も砕け散っています。まったく動かないその姿はまるで、そういう形に作られた石像のようでした。
電「……扶桑さん」
扶桑「……電ちゃん、なぜあなたがここにいるの?」
電「え?」
独り言を呟いたつもりなのに、答えが返ってくるとは思いませんでした。
これ以上動けないように見えたのに、扶桑さんは私の目の前で、ゆっくりと立ち上がります。
ボロボロのその威容は、まったく矛盾したことを思わせました。今にも倒れそうなのに、永遠に倒れる気がしないのです。
電「どうして……大和さんは?」
私の疑問は、視界の端に写った光景により解消されました。
ひび割れた建物の壁にめり込むようにして、四肢を投げ出した大和さんの姿があります。おそらく強い衝撃で叩きつけられたのでしょう。
艤装は激しく損傷し、頭を垂れてピクリとも動きません。呼吸さえしてるかどうか怪しいように見えました。
電「扶桑さん……勝ったんですか。あの大和さんを相手に……」
扶桑「……私の質問に答えて。なぜあなたがここにいるの。提督は? その血は一体何なの?」
電「……提督は自決されました。もうこの世にいらっしゃいません」
扶桑「そんなことはありえないわ。見え透いた嘘は止して」
電「どうして嘘だと思うんです?」
扶桑「あの人は弱い人だもの。自決なんて真似、できるわけがない」
扶桑「本当のことを答えなさい。あなたは、提督をどうしたの?」
大和さんを相手取り、扶桑さんは私以上に限界が近いはずでした。
それでも、彼女の瞳に宿る光に一切の曇りはなく、まっすぐに私を見つめていました。
電「……本当のことを言いましょう。提督は私が殺しました」
扶桑「……それこそ、嘘よね? あなたはそんなことができる子じゃないはず」
電「本当ですよ。提督の頭に、拳銃をこうやって……」
私は指で拳銃の形を作り、自分のこめかみに押し当てて見せました。扶桑さんの目が大きく見開かれます。
電「ばーん。頭を撃ち抜いて、提督を射殺しました。何なら、執務室からご遺体を運んできましょうか。最期のお別れくらい、ちゃんとしたいでしょう」
扶桑「……そう。本当のことなのね。あなたがそんなことをするなんて、思わなかった」
扶桑さんは静かに目蓋を閉じ、その頬を一筋の涙が伝いました。
その儚げな姿がとても美しく見えて、自分自身の醜さに恥じ入ってしまいそうになります。
電「……もう終わりにしましょう。これ以上戦っても意味がありません」
扶桑「……いいえ。まだ私には戦う理由がある」
電「どうして? 言っておきますが、山城さんもすでに倒しました。もう残っているのはあなただけなんです」
電「これ以上、扶桑さんが戦って得られるものはありません。お願いです、武器を下ろしてください」
扶桑「戦いで何かを得ようなんて思ってないわ。もし、あなたが提督を殺したというなら、私は戦う理由が変わるだけ」
扶桑「提督の伴侶として、私は仇を取らなければならない。電ちゃん、覚悟なさい」
電「……どうして、提督のためにそこまでするんです? 私にはわからない」
扶桑「わからなくていいわ。理解してもらう気なんてないから」
電「それでも知りたいんです。教えてくれませんか? 扶桑さんと話すのは、これで最後かもしれませんし」
扶桑「……そう。そういうことなら、教えてあげる。私が提督とケッコンカッコカリの約束を交わした日のことを覚えてるかしら?」
電「はい。そのことを扶桑さんに伝えるとき、提督は少し緊張されてましたね」
扶桑「そうね……あのとき、私は本当に嬉しかった」
扶桑「かつて誰からも見向きもされなかった欠陥戦艦として、私のことを一番好きだと言ってくれたのは提督が初めてだったの」
扶桑「私は自分が救われたように感じたわ。今までの全てが報われたのだとさえ思った」
扶桑「だから、私は何があっても提督と共に行くと決めたの。そうすれば、あのとき抱いた私の気持ちは、永遠のものになるでしょう?」
電「……扶桑さん、そういう考え方では幸せになれませんよ」
扶桑「いいのよ、幸せなんて。私はただ、決めたことは最後まで貫きたいだけなの」
電「……そうですか」
扶桑さんの状況。艦体損傷度、90%。35.6cm連装砲、第一砲塔のみ健在。15.2cm単装砲、喪失。飛行甲板、喪失。瑞雲、喪失。戦闘続行、可能。
電「扶桑さん、私からも最後に1つ、言っておきたいことがあります」
扶桑「何かしら?」
私の状況。艦体損傷度、70%。12.7cm連装砲、健在。61cm四連装魚雷、喪失。強化型艦本式缶、1機のみ健在。戦闘続行、可能。
電「ときどき余裕のないときもあるけど、いつも優しくて真っ直ぐで、揺るぎない強い心を持っている……そんな扶桑さんが、大好きでした」
扶桑「……私も電ちゃんのことが好きよ。こんなことになって、残念だわ」
電「ええ、本当に残念です」
私の武器はもはや12.7cm連装砲と、残り1つの強化型艦本式缶のみ。魚雷さえ失い、体にも深手を負っています。
それは扶桑さんも同じこと。35.6cm連装砲は第1砲塔を残して破損。瑞雲もなく、本来なら動くのがやっとでしょう。
状況は互角。機動力で私が勝り、火力で扶桑さんが勝る。きっと勝負が長引くことはない。
扶桑さんの目から悲しみが消え、戦いのための冷徹な光を灯していきます。唯一動く第一砲塔が私へと向けられました。
扶桑「それじゃ、覚悟はいいわね?」
電「ええ。どうぞ、掛かってきてください」
扶桑さんは沈黙で応え、前と踏み出しました。同時に35.6cm砲塔が火を吹きます。
私の心臓目掛けて迫る砲弾を辛うじて躱しました。酷使された強化型艦本式缶が悲鳴を上げながら駆動します。
側面へと走り、12.7cm連装砲を続けざまに放ちます。全弾命中。それでも扶桑さんは倒れない。
再び主砲が私を捉えます。次の狙いは顔面。私の速度を読んで放たれた砲弾がわずかにこめかみを掠めます。死が通り過ぎていく気配を感じました。
不思議と恐怖はありませんでした。再び12.7cm連装砲を放つ。扶桑さんは避けられず、全身に砲弾を受けます。
扶桑「がはっ……!」
よろめきながらも、扶桑さんは倒れない。なおも私に主砲を向け、3度目の砲撃。
砲弾は見当はずれの方向へ飛んでいきました。もはや扶桑さんには照準を定める力さえ残っていません。
12.7cm連装砲も弾薬は残りわずか。最後の1発まで撃ち尽くすつもりで、扶桑さんへ砲撃を浴びせました。
扶桑「ま……負けない……!」
扶桑さんの放った主砲は、今度は私の足元をえぐりました。もう立っていることさえ覚束ないのでしょう、砲撃の反動で大きくよろめきます。
満身創痍のその体に向けて、私は残り数発となった12.7cm連装砲をなおも撃ちます。頭に砲弾を受け、とうとう扶桑さんが地面に伏しました。
扶桑「あっ……」
地面に這う形になり、必死に身を起こそうとしますが、震える手足は言うことを聞かないようでした。
自分の巨大な艤装に押し潰されそうになりながら、それでも扶桑さんは立ち上がろうとします。
扶桑「ま……まだよ、まだ……!」
電「いいえ。もういいんですよ」
動けない扶桑さんを足元に見下ろしながら、砲塔を突き付けました。私を見上げる扶桑さんの目は、未だに光が消えていません。
電「もう気が済んだでしょう。降参してください」
扶桑「……そんな憐れむような目で私を見ないで。降参はしない」
電「……そうですか、残念です」
砲塔を向けた相手から睨み返されるというのは、とてつもなく嫌なものです。それが扶桑さんのように強くて綺麗な眼差しなら、なおのことです。
残った砲弾を1発、1発と扶桑さんに撃ち込むたびに、胸の内に暗澹たる思いが溢れました。
最後の1発を撃ち終わったとき、もう扶桑さんは私を見ていません。倒れ伏したその顔は、どんな表情だったのでしょうか。
役目を終えた12.7cm連装砲を投げ捨てるように取り外しても、体にのしかかる耐え難い重さからは逃れられません。
戦いの途中から気付いていた、痛ましい現実と向き合うときがやってきたのです。
今、この鎮守府でまともに動けるのは、駆逐艦と軽空母を合わせてわずか数人ほどしかいません。
軽巡以上の艦娘はほぼすべてが大破状態で、早急に修理する必要があります。
一体、そのために必要な資源はどこに? 日向さんの建造をしなかったとしても、私たちの貧困鎮守府では到底賄える量ではありません。
工作艦の明石さんさえいない私たちにとって、それはもはや、自力による鎮守府の復興が不可能であることを意味していました。
電号作戦を提督に察知されたとき、すでに作戦が成功する可能性なんてなかったのです。
戦いは終わりました。勝者はなく、残ったのは苦い苦い敗北だけ。
私に休息の時間はありません。これからどうするのか。すべての責任を負う義務を果たすため、その方策を考えなければなりませんでした。
続く
次回が最終話となる予定です。
待ってたよ!
もう複雑な気分で一杯だが、電ちゃんは良くやってくれたよ。
最終回、楽しみにしてる。
大戦艦大和すら凌駕した、真の戦乙女扶桑に敬礼!
泣いた、ありがとう
最高ですわ
素晴らしい
まだー?
まだですか?
続きがきになるでち
いったい何があったんだ…
この内容でビデオ化してほしい、赤城が素晴らしい。加賀さん居なくて良かった。
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よかったよかった
作者ちゃん、大丈夫か?
早く見たい気もするが、お大事にね。
お大事に
まだかなー