2016-01-30 10:56:32 更新

前書き

※登場する艦娘や提督は一貫して同じのため
便宜上「トラック泊地シリーズ」とします

※例によっていろんな艦娘にオリジナル要素が強め



暁に染まる海に、死ねない少女が立っていた。


燃料とも血液ともつかぬ液体を身体中に浴び、

おびただしい数の鉄屑と肉が浮かんでいる海上で

沈む夕陽を眺めている。

その肢体に、傷は無い。


12隻の艦が出撃し、

交戦した艦の合計は30。

内、生き残ったのは1。



肩から滑り落ちぬよう、

ゆがんだ双眼鏡を確りと握り、

心労だけが満ちた足を動かし、彼女は帰投した。


 






「……死神を、預かれと」


「そうだ」


朝焼け時の呉。

軍人が二人、向かい合って言葉を交わしていた。


片方は男で、椅子に浅く腰掛け、机の上で手を組んでいる。

顔はいかついが、反して声は高めである。


片方は女で、直立し、書類を片手にいかつい顔を見つめている。

黒髪の長身で、凛とした顔に似合い、声は少し低い。


「陽炎型駆逐艦の八番艦……何度か海戦に参加し、華々しく戦果をあげているが、問題なのは帰投時の状況だ――」


男は、苦虫をたった今口に放り込み、噛み潰したような顔になる。

女の顔は変わらない。


「――どの海戦においても、その艦だけが一隻だけで帰ってくる。他は全滅……主力艦隊も、連合艦隊であってもだ。例外は無い」


「故の、死神か」


「嗚呼」


噛み潰した苦虫をやっとの思いで飲み込み、ゆがんだ顔が元に戻る。

組んだ手をほどき、男は、だから――と、若干身を乗り出した。


「天原。曲者の駆逐艦の扱いには、お前が一番長けていると俺は判断した。お前のところは、戦力もある」


「……。」


「頼む。あいつを……孤独から解放してやってくれ」


そうまくし立て、男は、机にぶつける勢いで頭をさげた。


肩の星と胸元の勲章の数は、男の方が女よりも多い。

そのために、天原、と呼ばれた彼女は

いきなり相手が自分に頭をさげたことに困惑し、少しだけ狼狽した。


「……頭をあげてくれ、吉場さん。上司に頭をさげられちゃ、返答もろくにできやしないんだ」


片膝を曲げて、頭の位置を下げ、天原が声をかける。

硬直していた男、吉場はすぐに顔をあげた。


「引き受けてくれるか。」


「むしろ、こちらからお願いしたい。陽炎型駆逐艦八番艦、雪風……私としてはねがってもない戦力だ。……それに」


無感情であった表情に、人情が宿る。

それに……と、天原は繰り返した。


「……私も、あなたと同じ気持ちだ」








曲者は好きで曲者であるのではない……と

吉場は以前天原に説いたことがあった。

艦娘……少女である面と、軍艦である面を併せ持つ彼女らは

その多くが両面のバランスを保ってはいるものの

そのバランスを崩してしまう者も少なくない。

バランスを崩してしまい、性格や行動において

厄介な曲者となってしまう艦娘は、

俗に、武勲艦と呼ばれた艦であることが多かった。


師亡き時代に、空と海とを守り続けた姉妹艦、

ソロモン海にて、多大な戦果をあげた二隻の艦や

その悪運強さから、最後には雪国へ旅立った艦と

名をあげれば数多くがその曲者に当てはまる。


そして今、天原に預けられた駆逐艦は

第二次世界大戦中、ほぼすべての海戦に参加し

そしてほぼ無傷で終戦を迎えたという武勲艦であった。

丹陽と名を変え、終戦後も海を護った彼女の名を



「駆逐艦雪風。只今着任致しました」


雪風。

と、言った。


「嗚呼、長旅、ご苦労だった。部屋は既に割り振られているし、用意もできているから、秘書艦の夕立の案内に従ってくれ」


「ん。じゃあ、ついてきて」


夕立が歩き出し、雪風の後ろへ行ったあたりで、司令、と雪風は天原を呼んだ。


「なんだ?」


「司令を試してもよろしいでしょうか。」



唐突だった。

が、天原には半ば予想が出来ていたし、

夕立も同じく、何もしないわけがないな、と感じていた。


ごとり、と、机にリボルバー銃が置かれる。


どこに隠していたのやら、と思いながら

天原は、目の前に置かれた黒光る銃を見つめた。


「ご存じの通り、露西亜の運試しです」


「拳銃の弾層に一発だけ弾丸を装填し、リールを回す……そして銃口を自分にむけて撃つ、か。発祥は知らんが、有名だな」


「はい。司令と私で、どちらが勝つか。やってみませんか」


特にうろたえる様子も見せず、どちらとも静かに言葉を紡ぐ。

背後からは夕立が雪風を監視していた。


「いいだろう」


銃を手に取り、リールを取り外す。


「私が勝ったらここを去ります。司令が勝ったらここに残りますよ」


無感情を極めた声で、雪風は条件を口にする。


「私からやらせてもらうが、ルールのようなものは他にあるか?」


「ルールというほどのものはありませんけど、そうですね――」


机の引き出しから弾丸を取り出し、

かち、と、一発装填される。


「――司令が生きていたら、いくらでも弾丸を装填して私に渡してくれて構いませんよ」


「ほう」


チィイ……とリールが回る。


「勝利の条件は?」


ぱちん。

と、リールが拳銃に収まる。


「不発であれば、勝利ですよ」


にや。と、かすかに微笑む雪風。


かちり。

と、撃鉄が引かれる。


銃口をこめかみに押し付け、天原は


「わかった。――先に言っておくが…………」



――ガァンッッ!!!!



「私は弩級に運が悪い」 


躊躇わず引き金を引いた。



「……………………はっ?」


「…………痛つつ」


目を開いて絶句する雪風をよそに、天原は、頭蓋骨に刺さった弾丸を指先でほじくり、取り出す。

からら、と机の上に投げ出された弾丸はしっかりと血に濡れている。


「……」


ぱち。

かち、かち、かち。


「…………し……れぇ……?」


「自分よりも運気がなければ、また先に死なれる」

「それは困るし二度と御免だ。だから、実力を確かめるためにやったのか……と、どうかは知らんが」


かち、かち……かち。


「安心して良い」


チィイ…………ぱち。


「ここはそんなものとは無縁の場所だ」


す、と弾を込め終えた拳銃を差し出す天原。

その様子をうかがう夕立。状況に困惑する雪風。


差し出されたままに受け取る。が。


『司令が生きていたら、いくらでも弾丸を装填して私に渡してくれて構いませんよ』


言葉の通りだった。

この、6発の弾丸を装填できる銃で、

6分の1で生き残るという条件下でも勝てる自信を持って言った言葉であった、が。


「さ。君の番だ」


あろうことか、10割を渡された。




「…………わかりました。負けましたよ。司令」


ここはそういう場所だ、と言われ、雪風はすっかり感服した。

拳銃を机に置き、どうにでもしてくれと言わんばかりの様子を見せつける。


「なんだ、降参か。なら最初に言った通り、夕立の案内に従え」


まったく……とため息混じりに天原は言った。

差し出された拳銃の弾丸を抜き取り、

拳銃ごと机にしまいこむ。


「提督さん、頭大丈夫?」 


こんこん、とこめかみを指先でたたく夕立に

「放っておけば治る」となげやりな答えを返した。

夕立は肉体的な意味でそう言ったのだが、

雪風には精神的な意味にしか聞き取れなかった。


「ま、なんだ、その」



「歓迎するぞ、雪風。ここはいいところだ」


小さく手を振って見せる天原に、雪風は愛想笑いで答える。

傷口がすでに消えていたのは気のせいだろうと自分に言い聞かせ、

もう顔も見たくないと思い、くるりと踵を返した。









雪風が自分の異常さに気づいたのは、

二度目に自分の艦隊が全滅したときであった。


最初は敵泊地の撃滅を目的とし、出撃し

旗艦を守れなかった自分を悔いた。

しかし二度目、南方に停泊している敵主力艦隊への攻撃の際。

砲弾が自分を避けていることに気づいた。

すんでのところで当たりかねない弾は、

まず始めに自分の後ろに居た艦娘を貫いた。

次にもう一人、次にもう一人と倒れ、

最後には、瀕死の旗艦と自分だけが残った。


敵艦隊の撃破には成功したものの、

雪風が当時所属していた鎮守府の主力は壊滅し、

その戦力の大半を失った。

戦艦空母が沈み、駆逐艦が生き残る。

本来なら逆である状況に対し、雪風は、

ああ、自分は呪われているのか、と悟った。


三度目の出撃。

鉄底海峡へも雪風は発った。

この時雪風は、砲弾が避けるならば自分が当たりに行けばいい、と

この作戦で散るつもりで戦った。


結果として、彼女は生き残る。

思うように体は動かず、自分よりも先に仲間が沈んでいき、弾はやはり自分を避けて飛んだ。

雪風の二度目の出撃で、ともに生き残った旗艦も

雪風を護り、その鶴翼を散らすこととなる。


雪風の脳裏には、その時の彼女の姿がいつまでも焼き付いていた。


安堵死。という死因がある。

雪風の無事を確認した彼女は、そのまま、ああこの子だけでも生き残ってくれた、と安堵し

そのまま、笑顔を浮かべて逝ったのである。


違うんだ、と雪風は思った。

私は華々しく散るつもりだったのです、と。

死ぬために戦って生き残った私は、

生き残るために戦って死んだ貴女に、

微笑みを投げ掛けられるほど偉くはないのです、と。


それから間もなくして、雪風は生まれである呉を去る。

誰も彼もが彼女を死神だと罵り、恐れたが

吉場だけは雪風を案じ続けた。

呉の提督を務める彼は、どれだけの艦娘が沈み、

その役目を終えようとも、

雪風を死神と揶揄することはせず、ただその身が無事であったことに安堵し続けた。








「参加した作戦はどれも大海戦……この結果はそれほどあり得ないものではないと思うけれど」


「そりゃあ、結果だけ見ればそうだ。けど実際問題、どんな艦娘も沈んでおかしくない海戦で、自分だけが生き残り続けりゃ、心をおかしくしても仕方ないクマ」


白い帽子をかぶった、銀髪の少女が、書類の内容を思い返しながら、はねた茶髪の少女と、海沿いの道を歩きながら会話する。


新しく配属される艦は駆逐艦であり、

銀髪の少女は駆逐艦、茶髪の少女は軽巡洋艦である。

水雷戦隊として、同じ艦隊に配属される可能性があるために、

艦娘一倍、雪風のことを案じていた。


「……それにしても、死神か。一駆逐艦が酷い言われ様だね」


身勝手なものだ、と銀髪――響が口にする。

戦争は命が消えるものなのだから、

そこに殺し殺される以外の要因は存在しないじゃないか、と。

生き残った艦娘を死神とするなら、

私たちはみんな死神だ――と。


「そうでもしなきゃ、人間戦争なんてやってらんないクマ。自分達は海に出れないから、いっそう艦娘への信頼が強まる」


そこに雪風だ――と茶髪、球磨が言う。


「……戦地へ赴けない人間にとっては、死神以外の何者でもないんだ。艦娘と人間には、そんな食い違い、溝があるクマ」


そうか、と悲しげに響は答えた。



響もまた、雪風と同じく戦後も戦い続けた艦である。

信頼を意味する、ヴェールヌイという名に改められ、

最後にはその信頼を体現するように、標的艦となって沈んでいる。


そんな間柄故に、響には、雪風の評価に対して、

理解はできる、が納得も共感も出来ない、と、

冷静な顔の下で、その感情を露にしていた。


「さーて。そろそろつくよ、心構えをしっかりしとけクマ、響。」


「嗚呼、勿論だ球磨。……秘書艦との演習、久々だからね。実戦よりも気合いが入る」


そんな思いを振り払うように、響は踏みしめる一歩に力を込め始めた。

球磨も同じく、茶目っ気を振り撒く普段とはうって変わり、水雷戦隊旗艦としての覚悟を決める。

それもそのはず、彼女ら第二水雷戦隊に提督が下した命は

「雪風とともに、夕立を相手に演習を行え」というものであった。

この二人の練度を便宜的に数値化するとすれば、

球磨は90、響は80。

そして夕立は155である。

下手をすれば殺されかねない演習を前にして、

二人は他の三名と雪風が到着するよりもずっと早く、

その演習の場へと向かっていた。








演習には幾度となく参加した。


今となって思えば、模擬弾頭すら自分を避けていたように思う。

そうして過ぎ去った弾は、やはり仲間に当たっていた。……ような。


演習の時刻を待ちながら、雪風はそんなことを思い返していた。

ちくたくと時計が針を刻み、ああ今何人の艦娘が沈んで、何人の艦娘が生まれているんだろう、

などと考えつつ、ぼうっと一人の時間を堪能する。


「あんまり緊張はしてないみたいだね。よしよし」


あまりにも静かすぎる空間に、いきなりそんな声が聞こえてきた。

唐突すぎて、雪風は虚空から声が響いたのかと錯覚する。

声がした方向を向いてみると、赤目の少女がひとり、湯呑みを片手に横を向いて座っていた。


たしか部屋の案内をして貰った艦娘だ、と雪風は思い出す。

あの提督の傍らに立っていた艦娘が、こうして待機場所にいる。

となると。


「……夕立って、貴女のこと?」


「そうだよ?あれ、自己紹介してなかったっけ……あっ、そだ、秘書艦だし話題にあがりやすいかなって思って省いたんだっけ」


浮かんだ疑問を勝手に自己解決させて、す、と茶を飲む夕立。

その一挙手一投足から、一切の物音がしていない。

……なんだか、気色が悪いな、と雪風は感じた。


「……演習、でしたね」


沈黙していると、すぐに彼女を見失いそうな、変な不安にかられて、雪風は口を開く。


「そうだね」


「やっぱり、水雷戦隊同士でやるのでしょうか」


「んー……いや、戦隊同士ではないね」


少し悩んでから、夕立はそう言った。


「……えっ?」


今なんと、と聞き返そうとする雪風に、夕立は相変わらず静かにすらすらと答える。


「相手は私一人、戦隊を組むのは雪風、あなた達側だけ。だから戦隊同士ではないね」



「……………………はいっ?」


「ああほら来たよ、あなたの僚艦達」


浮かんだ疑問をぶつける前に、かわされる。

ふと目をやると、確かに二人の艦娘が来ていた。


「夕立秘書艦。第二水雷戦隊旗艦、球磨。到着しました」


「同じく、響。到着しました」


ぴし。と敬礼をしてみせる二人。


「うん、お疲れさま。あとの三人はまだっぽい?」


「はい。私たちは特に先んじて来ましたから、叢雲、皐月、時津風の三名は規定の時刻通りに来るかと」


「了解。じゃあ、そうだね。みんなでがーるずとーくとでも洒落こもうか。ほら、四人よればなんとやら。文殊の知恵?かしましい?」


「……三人、ですよ。夕立秘書艦」


半ば呆れた顔でそう指摘する響。

顔は夕立を向きつつも、彼女は雪風の隣に座る。


……提督がああなら、秘書艦もこうなのか。


せめて僚艦たちはまともであってくれ、と雪風は願った。

彼女はこのとき、自分の幸運がどうというよりも、まず編成を問題視した。








「なんだか懐かしいな」


執務室。

窓から顔を出し、煙草の煙をふかしながら、

紫髪の女性がそう呟いた。


「昔、夕立が来たときもあんな感じじゃなかったか?」


「そうだったかな」


太ももに鞘を乗せ、軍刀の刀身を拭いながら、天原が答える。


「そうだったじゃねぇか。提督に演習を挑んだ馬鹿なんて、後にも先にもあいつしか知らねぇ」


「あいつなりの面接のようなものだったんだろう。戦うのは艦娘で、提督とはそれを指揮するだけの存在だ。怖じ気づいて逃げ出すような人間に、到底自分の背中は任せられんと、そう思ったんだろうな」


刃先を少し持ち上げ、刀身の煌めきを確認する。

日の光を反射し、備前を模した杢目肌の波がきらきらと光った。


「同じように、今日の雪風だ。……まったく、お前は本当に物好きだよなぁ」


吸い殻を携帯灰皿に収納して、紫髪……天龍がくるりとふりかえる。

若々しく見えるその顔に似合わず、声は若干しゃがれ、老成した雰囲気をかもし出していた。


「好きで物好きでいるのではないよ。それに、物好きというならお前もそうだろうに」


「違いねぇ」


けけ、と笑いながら、天龍は視線を窓の外へ戻す。

艦娘がひとり、海へ出ていた。


「……しかし、なんでまた雪風を演習に出したんだ?ここへ来てはじめての経験があいつとの演習だったら、軽くトラウマになるだろうに」


「うむ。まぁ確かに荒療治だ。が、他に手もあるまいて。曲者は曲者にしか救えんものだ……何より」


ぱちん。

と、刀を鞘に納め。


「夕立が彼女を気に入ってくれた」


「ああ」


くるり、と天龍が振り返り。


「艦娘の無茶な要求を受け入れる馬鹿も、後にも先にもあんたしか居なかったな」


そう言って、天龍はにやりと笑い、

天原は微笑んだ。





…………。




「…………さて。飯を用意しておかねばならんな」


軍刀を立て掛け、よいしょと天原が立ち上がる。


「きんぴらごぼう余ってるぞ」


その様を見ながら、天龍が声をかける。

作りすぎてたか。と天原が答え、執務室を出る。

その後を追い、天龍も窓を閉じてから執務室をあとにした。




「――敵艦、見ゆッ!!応戦、用意ッ!!!」


よく通る球磨の声で、演習が始まった。



足に伝わる波の感覚がいやに懐かしく、忌々しい。

球磨、響、叢雲、皐月、時津風、雪風……

規定時刻まで楽しげに会話していた五人だが、

海に出た瞬間、一人の例外もなく、その表情と動作に気が満ちた。

雪風を見つけ、わいのわいのと騒ぎ立てた時津風でさえも、

隊列に入り単縦陣を組んだ瞬間から、開きっぱなしだった口を閉じた。


理由など確かめる必要も無い。

遥か遠方にいるはずの存在が、これほどまで恐ろしく、身近に感じるものなのか、と。


(……――――っ!!?)


姿勢を低く、隊列から外れぬように必死で走り続けるも、

なぜか砲弾は自分の真上を確実に通過していく。

もう少し頭の位置が上だったなら、もう少し速度が遅ければ――

そんなことの繰り返しである。


レーダーに反応する、他五隻の反応がどんどんと遠ざかる。

必死で走っているつもり……だったのだが、雪風は、戦地で味わった恐怖をそのまま思い出し

先に進みすぎたら、自分から弾に当たりに行ってしまうんじゃないかと、

そんな不安に駆られ、無意識に速度を遅めていた。


どれだけ気丈に、高飛車に、無関心に自分を作ろうとしても

根底はこうなんだ、と。

戦いは怖いんだ、私は、ただの臆病者なんだと、

雪風が必死に自嘲している……そのときだった。



『――隊列から外れるなッ!!!』



夕立の声が響いた。

間違いなく自分に聞かせられたものだった。



『孤立した艦は、単なる的だッ!!隊列を崩さず、乱さず、仲間の背を追うことを恐れるなッ!!』


大丈夫――と続け。


『一発二発、当たったところで……痛いだけ、っぽい』


そう言って、声は止んだ。

通信だ、とその瞬間気づいた。


……隊列を崩すな。

……当たったところで、痛いだけだ……


なんと投げやりなアドバイスだ、と、

常人がその言葉を口にすれば、そう思うだろう。

しかし、口にしたのは、他でもないソロモンの悪夢、本人だった。


(……恐れるな……なんて、無茶なことを……っ!!)


おどかしているのは貴女じゃないか。

と、心のなかで悪態をつき、雪風は、全速力で仲間の背を追いかけた。

砲撃の音は止まない。これが本当に、単艦と六隻の艦隊の勝負なのだろうか。

走りながら、双眼鏡をのぞく。

……砲撃をかわしながら、砲撃を続ける艦娘が、そこに居る。


「――雪風ぇっ!!」


前方から声が聞こえた。

顔をあげると、時津風がこちらに手をのばしていた。


「もう、離れないでね――大丈夫、大丈夫だから!」


雪風は、その手をとってよいものだろうか、と一瞬悩み、

直後、仲間の背を追うことを忘れるな、という夕立の言葉がすぐさま浮かび

差し出された時津風の手をしっかりと握った。


『砲撃は終えたか?……各艦、魚雷を装填しろ、クマ』


砲撃戦の後、一斉に雷撃戦へ移る――

それが砲雷撃戦である。

逃げることに必死で、砲を放つ余裕もなかったが、

今度ばかりは、と雪風も覚悟を決めた。


両足に一瞬残像が生まれ、その像がゆらりと揺らめき、分離し

細長い形になって、魚雷を形成し、

背中の魚雷発射菅へ装填される。

ずしり、とした重みが背中にのし掛かった。


「もう大丈夫かい、二人とも?」


遠方から聞こえる皐月の声に、先に時津風が答える。


「うん、行けるよ」 


繋いだままの手を離そうとはせず、時津風はそのまま、海面へ片手をついた。

雪風も同じく、魚雷発射の体勢を取る。


……目標。駆逐艦、夕立――――



『――今だッ!!魚雷、発射ァッ!!!』



背中から射出された四本の酸素魚雷が、海へ飛び込み、海中を進む。

一瞬の静寂が、あたり一帯を包み込んだ。


……当たった、だろうか。


首からさげた双眼鏡に手をかけようとした……瞬間だった。

――爆音。

水しぶき。

うち上がった海水が、海面に叩きつけられる音。


「…………ぇっ」


紛れもなく、酸素魚雷が目標に命中し、爆破したことを示す現象であった。

…………実戦で使われる、実物の。


『ちょ、あ………ああああ!!?だ、誰だクマッ、マジもんの魚雷を持ってきたやつはっ!!?』


真っ先に、球磨が今までの力強い声を消し去って、焦りに焦る声をあげる。


『わっ、私じゃないわよ!!?そんなミスをする要素がどこにあるのよっ!!』


続けて、叢雲がそれに答え。


『は…………はらしょぉ………』


響が水しぶきを見上げながら、目を丸くして呟いた。


「……わーぉ。ボクじゃないよな……うん。実物より軽かった……からな」


「………………」


青ざめた顔で、時津風が雪風を見た。

手を繋げるほど近距離にいた彼女には、雪風の魚雷発射音が、通常とは違っていたことに気づいていた。


……そういえば、と。

これが演習だったことを、今になって雪風は思い出した。


「…………」


……どう、しよう。


と、そんなことを考えていると

水しぶきが上がったあたりから、なにかが急速で飛んできていた。

それを認識した瞬間、飛んでくるそれが形を持つ。

人の形をして、金髪で、服が焼けていて、表情の色がうかがえない――――


――――――ギュンッ――――。


ぶわっ、と風が起こる。

急速で飛んでいったそれは、雪風と時津風を飛び越え、

その後方で着水した。



「…………ぅ、おー……………」


ようやく停止して、感嘆の声を漏らす……夕立。



「……はー…………死ぬかと思ったッ!!!」



くるり、と振り替えって、そう叫んだ。


だっ、大丈夫クマか秘書艦んんんっ!?と球磨が叫びながら走りより、

響、叢雲も後に続く。

青い顔をしたままの二人に、皐月が走り寄った。


「いやー、当たっちゃった……んだねえ。たぶん勝利判定だよ、これ」


あはは……と乾いた笑いをしてみせる皐月。

二人の様子から、彼女はだいたいのことを察していた。


「……ど……どうしたら、いいんだろ……?」


しばらく硬直していた雪風が、なんとかそうこぼした。


「んー……大丈夫じゃないかな。ほら」


と、皐月が指し示す。先に。


「…………よーし。みんな今日はよく頑張ったね。命中弾なんてはじめてだよ、私。いやー、いい演習だったね」


と、満足そうな顔で身体の火傷を撫でる夕立が居た。

腹部がさらけ出され、スカートも焼け焦げている。

紛れもない、中破の状態である。


いい、演習……と、夕立にはそう思えたのか。


「雪風」


その満足げな様を、奇妙そうに見つめていた雪風に、夕立が走り寄り

そして、不器用に頭を撫でた。


「よく頑張ったね」


くしゃ、と髪の毛が崩れる。

彼女から香る、嫌になるほど嗅いだ硝煙の匂いが、なぜか今回だけは安らぎをもたらしてくれた。


「おう、よく頑張ったクマ……秘書艦の弾幕をよくもまぁ掻い潜って」


ところどころに被弾のあとが残る球磨が、感心したように雪風を見てそう言った。

他の艦に被弾はなく、なぜか旗艦だけが被弾している。

……つくづく奇妙な鎮守府だ、と、雪風はわしゃわしゃと頭を撫でられながら、そう思った。



実戦でもないのに、中破させられて嬉しげだと思えば、

その彼女を取り囲む全員が、けらけらと楽しげに笑っている。

……出撃から帰還しても、同じような光景が見れるのだろうか。


雪風はふと、そんなことを思った。









初の演習から数日が経った。

あれから演習は毎日行ったが、

さすがに実弾を間違って用いることはしなくなった。


かつては、団らんも幾度となく経験した。


たくさんの艦娘がそろってご飯を食べ、他愛もない話をして盛り上がる。

そうして補給を終えた後、出撃し、海へ発ち……

雪風は、ひとりで戻ってきた。


死ねない自分を幾度となく悔いたものだが、

演習でのあの力強さ、

終わったあとの打って変わる雰囲気の柔らかさを感じて、

ここならば、トラック泊地という場所なら

自分も生きていけるのだろうか、と、

雪風は、そう思うようになっていた。


あれから、演習には敗北続きである。


カレーを食べながら、今日は勝てるかな、と考えていたら、

頼んでもいないのに時津風や叢雲や響が雪風のまわりに集まってくる。

その上、なにも話さず、黙って隣で食事をするのだった。


この日、雪風はふと気にかかっていたことを聞いた。


「……ここはどうして……みんな、どこか大人びているのですか?」


その問いに先んじて答えたのは、皐月だった。


「あー……そうかな?僕は普通にやってるつもりなんだけど」


「夕立…… ……秘書艦を筆頭に、誰も彼も戦闘中の変わりようが半端じゃない。……私が経験した鎮守府は、みんな、女の子であることが抜けきってなかった……ように、見えたけど」


……尤も、その子たちも沈んだのだが。


「ここの艦娘はみんな……後ろに、大きなものを抱えてる気がして」


「ふぅん」


咀嚼しながら、鼻で叢雲が答える。

飲み込んで、一息ついて。


「雪風。」


「……は、い?」


「ここがどういう呼ばれをしているか、知ってる?」


…………。


トラック泊地の、呼ばれ?


「……いいえ。」



「『掃き溜め』だよ」


突然背後から聞こえた、

あどけなさの残る凛とした声に驚く。


はっと振り返ると、夕立が片手にカレーを持って立っていた。


「……掃き溜め?」


「うん。問題を起こしたどうしようもない曲者の艦娘が、最後に来る場所。って、当初はそう呼ばれてたよ」


…………なんだ、それは。


「ま、もっとも昔の話だけどね。トラック泊地っていう激戦区が、艦娘の事実上の処分場だった時代があるんだよ」


それだけ言い残し、夕立はさっさと姿を消してしまった。

雪風は、思わず、自分の身の回りをきょろきょろと見回した。

響。皐月。叢雲。時津風。

……そんな話が嘘であるかのように、もちもちとカレーを頬張っている。


「ちなみにあたしは前の提督を撃ち殺したからここに来たわよ。だいたい、そうね……今の提督がここに来たのと同じぐらいの時期」


まだ頭のなかで整理がついていない雪風の混乱に、叢雲がさらに拍車をかけた。

続けて響が口を開く。


「私も似たようなものさ。下された指令に納得がいかず、離反したらここに行かされた」


間髪いれず、次に皐月。


「僕は姉妹艦と喧嘩になって、やりすぎたんだったっけかなぁ。あれ?じゃなくて提督に襲われかけたからだっけ?まぁいいや、たぶん全部だね」


……さらりととんでもないことを口にするものだ。

じゃあ……と、楽しげにカレーを頬張る時津風に目を移す雪風。


「あー、時津風はねぇ!えっとね!」


…………。


「…………忘れちゃった!あはは、まぁ覚えていたくないくらいのことをしたんだねぇ」


ふら、と卒倒しそうになる雪風。

慌てて叢雲が片腕で背中を支える。


……ここは……そんな、場所なのか。


「……まぁ、こんなところよ。ここの艦娘はみんな揃って後ろめたい経験があるから、あなたの感じた大きなもの、ってのは、こういうことね」


………………。


……そうなると。と、雪風にはある艦娘の顔が浮かんだ。


「……秘書艦は」


「ん?」


「夕立秘書艦は、どうして……ここに?」


姿勢を正し、叢雲に問いかける。

叢雲は、さぁねぇ……と溢し。


「鎮守府を壊滅させただの、陸軍育ちで師団をひとつ潰しただの、黒い噂は絶えないけど……どれもはっきりしていないのよね」


……不器用だが、それでも、面倒見が良いし、彼女のもとにつけることを素直に喜べる、秘書艦。

あの人が、そんなことを?


そう思った瞬間、雪風は、掃き溜めと呼ばれるここの本当の姿が分かった気がした。

時津風の口周りを拭う皐月、米粒ひとつ残さず完食して一息つく響、ううんと頭を捻る叢雲……

彼女たちと背中を合わせ、底無しの仲良さを感じて、見えたもの。


……たぶん、ここは――――



「ほら雪風、箸が進んでないぞ。さっさと食ったらさっさと片付けてくれ。そろそろ主力どもが帰還してくる」


ぬっ、と視界に現れる大きな顔。

それにまたも驚かされる雪風。


「あ、しれー!」


その姿を見て、時津風が背筋をぴんと立てて喜ぶ。

……ぶんぶんと動く尻尾が見えてきそうである。


「今日のはどうだ、時津風。美味いか?」


「美味しいよ!毎日食べたい!もう、毎日金曜日にならないかなぁー、そしたら食べれるのになぁー」


「好評で何よりだ。が、さすがにそれは無理だなぁ」


ふふ、と微笑む天原……提督。

そういえば。と雪風は思う。


「ほら雪風、食わないと時津風に食われるぞ。腹をすかした夜なんて、餓島でもなければ勘弁願いたいだろう?」


急かされて、雪風は再びカレーを口に運ぶ。

……美味しい。のは、いいんだが……


「ま、みんな似た者同士なのよ。ひとりの例外もなくね……響、お皿ちょうだい」


「ん、スパ……ありがとう。叢雲」


すこしだけ身を乗り出して、綺麗なカレー皿を手渡す響。

……今のは、スパシーバと言いかけたんだろう。


ひとりの例外もなく。

それは、私も含まれているんだろうけど………


雪風は、すたすたと調理場へ入っていく天原の後ろ姿を見ながら。


…………一番の変わり者は、提督で……

……一番謎が多いのも、提督なんじゃないのかな……


と、スプーンを口に含んだまま、心底そう思った。











ピーコック島を目指す作戦は、佳境を迎えていた。

執務室に二人の艦娘が、下を向きながら、

ひとりは座り、ひとりは立っている。


「――進撃前路に配置されている潜水艦隊を、水雷戦隊でもって撃滅」


盤上の凸字の駒が、スス、と移動する。

海図を見つめているのは、天龍、そして夕立。


「行うのは……旗艦球磨、叢雲、響、皐月、時津風――そして」


「雪風」


天龍の声を遮り、夕立が強く言い放つ。


「嗚呼」


駒はさらに先へと進む。


「艦隊網を突破したとしても、敵の状況を鑑みるに、再編は容易だ。つまり、穴をあけたとしても、短時間でふさがれるわけだ……」


そこで――と、もうひとつ、懐から大きな駒を取り出す天龍。

たん、と駒を、小さな駒――水雷戦隊の背後に置き。


「水雷戦隊が開けた穴を、間髪いれずに主力艦隊が突破する。水雷戦隊は海域を離れ、そのまま帰投する――」


大きな駒が最終目標へ到達し、小さな駒は海図から外れる。



「以上が、今作戦――通称『E-4』の目標だ」


言い終わり、天龍はどさりと背もたれにもたれかかる。

……しばらくの間の後。


「言うは易し、か」


海図を見つめながら、そうこぼす。


「やれるさ」


天龍の目を見ながら、夕立は笑う。


「あの子たちなら、やってくれる」


執務室での作戦の確認に用いられる時間は、たったこれだけで十分であった。

はぁ、とあきれ気味にため息をつき、そうだな……と天龍も笑う。


「俺たちが心配すべきは、あいつらよりも……提督のバカだな」


「……っぽい。」


がた、と席を立ち、海図を丸め、手馴れた動きで駒を片付ける天龍。

作戦資料を肩脇に抱え、じゃあ後は任せた、と後ろ手に手を振って、執務室を出た。


扉が閉まる。

ひとりになった夕立は、ふと空を見た。

もう陽は沈みかけていた。


……ふと、視線を下に移す。

なにやら小さな人影がせっせと走っている。


それは雪風だった。

遠目から見ても呼吸は乱れていないし、表情にも余裕がある。

その様を見て、夕立は、ふふっと微笑んで、小走りで執務室を後にした。










こんなことをして何になるのか、自分でもわからない。

けれど、作戦内容を聞かされた瞬間から、雪風の心には何か、抑え切れない衝動のようなものがずっとあった。


陽が完璧に沈むまで、走りこむつもりだった。

汗を流すのは気持ちがいいし、頬をなでる風が心地いい。

こうして走っていると、自分の特異な性質なんて嘘であるかのように、単なるひとりの少女になれる気がしていた。


走りながら、どうしてか涙がこぼれた。

目の横を走っていく涙はそのまま風と消え、ぐいっと涙を腕でぬぐい、顔をあげる――瞬間、夕立と目があった。


はっ、はっ…………と呼吸を整え、だんだんと立ち止まり、数十メートル先の彼女と、視線を交錯させる。

……彼女の瞳は、何を考えているのか、いつもわからない。

それでも彼女の眼は紅かった。

雪風は衝動的に、あれは血の色なんだ、と感じ取った。


ふと視線をそらし、体ごと横を向く夕立。

……艤装を背負っている。

何をするつもりだ、と雪風が疑問に思った、瞬間――


右腕を前方へ突き出す。右腕には12.7cm連装砲B型改二が一基。

……その砲口が、ぐるりと逆を向いた。

まるで今にも頭を撃ちぬかんとしているようである。


夕立はそのままその拳にみしみしと力を込めながら、矢を射るようにして後方へと引く。

対して左手は、目標を見定めるように前方へ突き出された。



「私たちの『弾薬』が、艦娘自身の生命力から生成されることは知ってるね?」


数十メートル離れた雪風にも聞こえるように、夕立は、声を張り上げて言う。

雪風はそれに対し、はいッ……と、負けじと声を張り上げた。

――艦娘は、だから食事をするし、風呂に入る。

戦地で消耗し、磨耗する精神を、生命を落ち着かせ、補給するために。


そしてその装備は、『妖精』によって切り替わる。

模擬弾ならば模擬弾の妖精、実弾ならば実弾の妖精が居る……。



「生命力なんてものは、形を持たない。だから、やりようによっては、いっぺんに数十発分を凝縮することだってできるんだ」


体勢を寸分も崩すことなく、続けてそう言う夕立。

……それはつまり…………と、雪風が考える。

刹那。


爆音。

――続けざまに轟音。


周りの空間が揺らぎ、爆風が雪風を襲う。

とっさに両腕で自分を守ろうとしたが、遅く、どさりとしりもちをついた。


……何が起こった!?


夕立の拳は血で染まっている。

肉が引き裂け、皮膚が裏側を向いていた。


……殴ったのか?

拳を突き出す瞬間、砲撃――瞬間、加速――?


ふう、と一息つき。


「どうっぽい?」


にへ。……と、歯を見せ、笑ってみせる夕立。


「やれそう?」


出来るか。

と、雪風は即座にそう思った。


「…………難しい……です」


しりもちをついた体勢のまま、雪風はそう言う。

すたすたと足音を立てずに近づいてくる夕立。まぁそりゃそうかー、などと言っている。

夕立は傷ついた右腕にさらに力を込める。……血が流れ落ち、そこには綺麗な肌が残った。

……修復した。


「けど、やれないことじゃないんだよ。艦娘ならば誰でも出来ることなんだ、本当はね」


微笑んだまま、夕立は治ったばかりの右手を差し出した。

一瞬、その手をとることに躊躇したが、雪風は黙ってその手をかりる。

……ぐい、と少し乱暴に体を持ち上げられた。


そしてそのまま、抱きしめられる。


「戦地に、運なんてものは無いんだ」


頭をゆっくりと撫でられながら。

雪風は夕立の体温を感じる。


「あるのは、生きるか死ぬか――百パーセントだけなんだよ。生きる奴は百パーセント生きる、死ぬ奴は百パーセント死ぬ」


……それなら。


「…………なら、私の仲間は……あの人たちは、あの子たちは……死ぬために戦ったんですか……?」


夕立は、雪風をより強く抱きしめた。


「生き死にに運がかかわらないのなら、なぜ死んだのですか?なぜ私は、生きているんですか?」


……なぜ。なぜ、なぜ。


それは、雪風が今に至るまで、雪風自身を縛り続けた疑問だった。



「それはね」


夕立は、雪風の肩を握り、体を離し、真正面から見つめて、言った。




「私にもわからないっぽい」



………………。


……はい?


「そこらへんの話になってくるとね、いち艦娘やいち人間じゃ到底たどり着けないところになってくるんだ」


雪風の体をこわばらせていた何かが、するりと落ちた。


「たぶん死ぬ瞬間になって、はじめてわかるんじゃないかな。自分がどうして生きてきて、どうしてここで死ぬのか」



「たったひとつ確実なのは、私もあなたも生きていて――生きるか死ぬか、その点において、私もあなたも平等におんなじなんだよ」


ありと、あらゆる生命の終わりを見てきた、艦娘の言葉だった。

それでも――と雪風は喰らいつく。



「――それでも、なんで…………私は、生きているんですかッ!!」


夕立は、微笑む。

…………ああ、やっぱりそうだ、と。



「あなたは、私によく似てるね」


雪風の頬を撫で、涙を拭う夕立。

……そのときはじめて、雪風は、自分がいつのまにか泣いていることに気がついた。


「たぶん、その答えは……戦いの中にあるんじゃないかな。……そして、まだ、あなたはそれを見つけてないんだ」




「…………あなたは」


しばしの沈黙の後、雪風は口を開く。

もう、空は暗かった。



「それを、見つけたんですか」


だから言ったでしょ――と夕立は言う。


「わかんない、っぽい。……見つけたのかもしれないし、まだ見つけてないのかもしれない。」


そして、最後にこう付け加えた。




「だから戦えるんだよ」



……嗚呼、やっぱりそうだ……と雪風は思った。

ここは、そんな場所なんだ、と。


誰も彼もが、重く暗い過去を持って。

誰も彼もが、譲れない何かで戦っている。


暗闇の中、夕立の髪や髪飾り、そして瞳が、どこからか射しているわずかな光を吸収し、反射して、淡く光っていた。



「さ、ほら行くよ。明日には作戦が開始されるんだ、しっかり食べておかないと。行くよ?」


くるりと踵を返して、歩いていく夕立。



生きるも死ぬも、平等だと彼女は言った。



雪風は、彼女の背中を見て、それを否定したくてたまらなくなった。












明朝――


雪風の頭には、まだ昨晩の夕立の言葉と、あの爆音と轟音が残っていた。

すでに艦隊の全員と並んで出撃し、作戦海域を目指しているにもかかわらず

雪風は、じっとそのことを思い浮かべていた。


「雪風、大丈夫?」


時津風が雪風の顔をうかがい、そう問いかけた。


「……うん。大丈夫だよ」


表情を崩すことなく、雪風は答える。

……作戦に集中しなければ……と、雪風は思考を振り払った。


艦隊は、旗艦球磨、叢雲、響、皐月、時津風、雪風の順。

演習で幾度となくともに戦った艦隊である。


雪風の右腕には、まるで夕立の真似事をするように12.7cm連装砲が装着されていた。

……あんなことが出来るとは、到底、思ってもいない。

それに相手は潜水艦である。当てるのは拳ではなく、爆雷だ。


けれど。

……どうしてか、これが右腕にあることが、とても心強い。



――ピコン……と、雪風の頭の中で音が鳴る。

はっと眼を閉じる。……赤い点が並んでいるのが見える。

敵艦捕捉。



『各艦、戦闘用意ッ!――行くクマッ!!』


発射された魚雷をかわし、全速力で敵艦へ接近、ソナーの反応箇所へと爆雷を撒く。

急速離脱、単横陣を崩されることなく、また魚雷を打たれることもなく、撃滅。

――勝利、判定S。

自分だけでなく、全員そろって無傷であった。


『よし――突破したな』


安堵した球磨の声が、通信から聞こえる。


『叢雲。響。皐月。時津風。……雪風。今作戦は、後ろからすでに主力艦隊が迫ってきてる――ノンストップで突っ走る作戦クマ』


……何度聞いても、とんでもない作戦だ……と雪風は頭の中で愚痴をこぼす。


『つまり、我々が敗北すれば主力艦隊も魚雷の嵐で被害をこうむる。撤退は出来ん――』


『――しかし、ただの一度でも艦隊を突破し、撃滅すれば、その時点で我々の勝利、『E-4』の完遂クマ』


お前たち……と、球磨が続ける。



『……殺すだけ殺して、帰るぞッ!!!!』




おおッ――――と、通信を用いらずとも、四人の声ははっきりと聞こえた。

雪風も無論、はいッ、と全身全霊を込めて返事をする。


――死地に向かうのは、これで何度目か。



『……まったく……たった六隻の水雷戦隊に、とんでもない責務を押し付けるもんね』


叢雲が雪風の愚痴をそのまま口にする。


『それだけ信頼されているということさ。それに、過酷なのはいつものことじゃないか』


その愚痴に、響が答える。

その声色に、いつもの物静かさは無い。


『達観してるねぇ、響……ボクなんて怖くてうまく走れないくらい緊張してるのに』


皐月が入り込み、そんなことを言ってみせる。

言葉通り、握った拳がぶるぶると震えていた。


『おめーら、そのへんにしとけクマ。……敵艦隊のおでましだクマ』



双眼鏡を手に取り、水平線を見る雪風。

……影。艦影、と言うべきか。


『敵編成――空母一、戦艦一、重巡一、軽巡一、駆逐二ッ!!』


球磨が自身の偵察機から得た情報を、そのまま艦隊へ伝える。


『目標はその先だ……各艦ッ!!――全速力でやり過ごすぞッ!!』


そう言うが早いか、敵艦載機が編隊を組んで飛んでくる。

艦隊には対空機銃を装備した艦は居ない。

……球磨が指示したとおり……やり過ごす他なかった。



皆が空からの爆撃、雷撃をかわそうと躍起になる中。

雪風だけが冷静だった。


――この編隊ならば、こう動き、そして、こう狙いをつけてくる……


(と、するなら……私が動くべきところ、ひきつけるべき瞬間は――――)



それが、雪風だけが必ず生き残った理由であり、才能だった。



時津風ッ――と呼びかけ、雪風は、自身の計算結果を無意識のうちに叫び、伝えた。

それを聞いた時津風は迷わず、わかった、旗艦にも伝えてッ……と、その判断を信じきった。

続けて、伝えられた球磨もまた、雪風の判断に乗った。


いつ死ぬともわからない緊張感を感じつつも、球磨は高揚した。

……そうか、と。

何が幸運の女神だ、何が死神だ、と。


誰にも悟られず、誰にも見られることのない笑顔を浮かべ、球磨は、全員に指示を伝え、

ここが旗艦の意地の見せ所だといわんばかりに加速した。


『このまま、敵艦隊を突破するッ!!目標はその先に確認されている旗艦、ソ級だクマッ!!』


艦隊は砲弾の飛び交う嵐の中を突き進み、多少のダメージを喰らおうとも、誰一人として速度を低下させるものは居なかった。

雪風も同じく、無我夢中で、球磨の指示――自分自身の答えにしたがって動いていた。


……たとえ死ぬつもりで出撃したとしても、雪風の体は、心は、生き残ることを選び、必死で生きていた。

脳裏に、あの旗艦の姿がよみがえる。

雪風が生きていることに安堵し、そのまま逝った彼女の顔。


ヒトは、生命は、一生のうちで、一度でもあんな顔が出来るだろうか。


雪風の左肩を、機銃が貫く。かまわない。

背中の魚雷発射管に命中弾。衝撃で血を吐いた。……かまわない。

まだ行ける。

まだ、私は進める。


砲弾の嵐をかいくぐり、無理を貫き通して、艦隊は、敵艦隊の突破に成功する。


『……各艦ッ――――状況、報告…………してる暇と余裕はあるかクマ……?』


腹のそこから引きずり出したような声が、通信から聞こえる。

答える声は無い。


『…………撤退は出来ん…………このまま、進撃、するッ――!!』


隣にあった時津風の姿も、無い。


きっと無事だ。

だって彼女たちは、トラック泊地の艦娘だぞ。



――刹那。

雪風の背筋に、悪寒が走る。



水平線。

敵艦。

……魚雷発射の用意をしている?


勘、だった。

それでも、従うしか無いと、雪風は感じ取った。

私が行くしかないと、衝動に身を任せた。


『……ッ!?…………雪風……どこ行く、気だ、クマッ……!!!』


無理を通した体にさらに無理をさせ、全速力で、自身の艦隊から離脱する。

狙うなら、私を狙え。私も、お前を狙っている……!


――脳裏に、今度は夕立の姿が浮かぶ。


生命力を凝縮して。

数十発分の弾薬を一度に放つことも、艦娘にはできる。


砲口が逆を向く。

走りながら、右腕に力を込める。

筋力ではない。


魚雷発射音が聞こえた。

しかし目標のものではない。

目標はまだ顔を出していない。


矢を射るように、構える。

狙い済ましている地点が、ゆっくりと隆起しはじめている。

――そこ、だ。


ざぱっ――と、潜水ソ級が顔を出し、敵艦の位置を把握しようとした――


瞬間。



雪風の中で、幸運の女神の顔が、定まった。


それは、奈落の底から顔を出しては、甘美な誘惑でヒトを誘い込み、一気に陥れる。

ぺったりと張り付いた黒髪。

青白くぬらりとした肌。

色のない表情。

死んだ眼。


それは死神だった。




「――――ッッッづぅぅううあああああああああああああああッッッッ!!!!!」




吼える。

砲撃。加速。

爆音。そして轟音。

刹那、雪風の右の拳は音速を超えた。

肉と骨とが砕ける。

それが敵のものなのか自分のものなのか、区別などつかなかった。


……眼前に飛び出した自分の腕は、真っ赤になっていた。

……なんとか形は保っていた。


海面に倒れこむ。……沈まない。まだ浮いている。

……なんとか、自分はまだ、生きている。

魚雷に阻まれることなく――殴れた。


幸運の女神の面を、真正面から。



……遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。

同時に、雪風の探知機は敵艦を捕捉した。

魚雷も砲塔もイカれた中で、それだけが機能していた。


姫。

戦艦。

重巡。

駆逐。


狙われている。

……そりゃあ、そうか。


甘んじて死を受け入れようとし、瞼を閉じようとした――

――次の瞬間には、爆音が一帯を支配していた。


耳を貫く爆音。

……戦艦の主砲のものだ。



「雪風」


落ち着いた、凛とした声がした。

同時に、抱き上げられる。膝の裏と、肩を。


「よく頑張ったな」


先を見据える、燃える右目がそこにあった。

口の端から、わずかに、血が流れている。



……提督だ。


そう気づいた瞬間に、雪風の意識はぷつりと途切れた。





















はっと目を覚ますと、湯船に漬かっていた。

暖かい。……体の疲労も傷も、なにもかも治っている。


ざば……、と、自分の右腕を見てみる。

すべすべとした肌と細い腕が、そこにある。


……入渠、していたんだ。



「おう、目を覚ましたか」


隣から声が聞こえて、思わずその方向へ首を向ける。

やわらかな炎がゆらめく右目が、下を向いている。視線の先には、くらげのように膨らんだタオルが浮いている。

……提督だった。


「修復剤を使って、すぐさま傷を癒やしたんだが……それでも目を覚まさなかったから、こうして待っていたんだ。……もう起きないかと思ったよ」


そう言って、提督は心配そうに私を見た。

銀色の瞳。左目は普通なのに、右目は小さく燃えている。

長い髪は頭の上、タオルでくるくるとまとめられていた。


いつもの軍服姿のほうがよっぽど凛々しいのに、なぜだか、この女性らしい姿が提督らしいと思った。


……髪をまとめているために、こめかみに、肉が膨れたような、傷の痕がよく見えた。

浴槽にぶくぶくと沈んで土下座したくなる気持ちを、なんとか抑え込む。

たぶん、そんなことをしても変わらない。


「…………あの後……どうなりましたか、司令」


自分のことより、そればかりが気になった。

見回したが、ここに居るのは自分と提督だけだ。


「あぁ、心配することはない。作戦は完遂……今現在、最終決戦であるE-5を遂行中だが、まぁ戦況は私が風呂に入っているという状況から察してくれ」


…………勝利、できたんだ。


艦隊を突破、その先の旗艦を殴り飛ばしての勝利。

後にも先にもそんな戦果……聞く機会はないだろうな。


「第二水雷戦隊――球磨をはじめとする彼女たちも、寝てるお前を心配そうに見ていたよ。入渠を終えたらすぐに会ってやれ」


……となると私は、みんなが入渠を終えるまで、ずっと眠っていたのか。


「……しかしまぁ、よくやったよ。お前たちが全力で回避したあの艦隊は、後ろに続いていた主力艦隊が直後に撃滅したが……まさか、旗艦を夕立と同じ手で倒すとは思わなかった」


やれるものなんだなあ……と、感慨深そうに提督が呟く。

くらげはリボンに変わっていた。



「…………司令」


「ん。どうした?」


「司令は、こんな男をご存知ですか?」



「……どんな男だ?」



「彼は、協力することを惜しみません」


「しかし、協力するのは、彼自身が無造作に選んだ相手に限ります。……他人なんて露知らず、彼は、自分が見定めた相手だけに、尽力します」



「彼は、とても凄い力を持っています。おそらく、彼に本当に尽力された相手は、きっと何でもしたいことが出来るようになるでしょう」


「……でも、彼自身は……自分で何かをしようとはしません」


「ふむ」


「その『彼』は、最後まで、永遠に……自分で何かをすることはせず、誰かに手を貸すだけなのだな。それも、無造作に選ぶ、ごくわずかの人間に、だけ」


「はい」


「……司令は」






雪風「司令は、彼がお好きですか?」


提督「大嫌いだ」

















「………………」



「はい。こちら……ああ、天原か。どうした?」


「……。…………うむ。…………うむ……そうか」



「ああ、構わん」


「……そうか…………いや、なんでもない。……しかし、そうだな」


「たまには本土に遊びに来い。お前の妹がうるさくてかなわん……」



「……さびしいかだと?」


「バカを言え……ただひとり、生きていてくれた俺の娘だぞ」



「……さびしいに決まってるだろうが」



「ん……ん。…………そうか」


「…………ありがとう」


「また、顔を見せに来てくれ」


「……頼むぞ。」








後書き

「ゆきかぜのたからもの」を聞きながら書きました。
ほっぺにちゅーってほしいな、幸運の女神様。

文章の保存履歴が見れることを知らなかったので
途中一万字消えて泣きましたが
なんか、できた。


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2016-01-30 18:18:15

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2016-01-30 07:30:03

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1: ふくろう 2016-01-30 18:20:51 ID: ZYmfCIeI

キャラの性格というか色々好みですね〜(・ω・)

2: 佑来 2016-01-30 23:01:32 ID: 5YdNDyq1

ありがとうございます。
夕立はポイって言わないし雪風はこんなんだし
原作プレイしてる提督にカットイン雷撃かまされるつもりで
書いてるので
そんなコメントはすごく励みになります。


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