2018-09-03 13:59:31 更新

概要

『トラック泊地シリーズ』
※オリジナル設定がふんだんに盛り込まれています




艦娘は、


暁の水平線を目指す。




あれこそが、艦娘として生まれた自分達が目指すべきものであるとして。

それを見ることや、それに向かって旅立つことが名誉であるとして、戦う。




だけど私には、あれが獄門であるようにしか思えなかった。

戦乙女たちを招きいれる冥府への門、それが暁の水平線なのではないのかと。


私が見送った彼女たちは、みんな暁の水平線の向こう側へと旅立った。


帰ってくることは無い。

放たれた鏃が帰ってくることなど、あってはならない。





沈む夕陽がどこへ行くのかと、考えたことがあった。


夜を迎えるために姿を消す彼は、いったい夜の間にはどこにいるのだろうかと。

そして、ふと思い至った。

夜の間、彼は死んでいて、朝が訪れるとき、彼は蘇るのじゃないかと。


だとするならば、暁の水平線とは死の瞬間だ。

太陽が……空が死ぬ瞬間だ。




……空が蘇る、その時。


彼女は、重油にまみれて立っていた。

あまたの死を足蹴にし、そしてそれが日常の中の当たり前であるかのような顔で。


天原桜花が、立っていた。












アローヘッド・フリート。

訳、鏃艦隊。


矢を放つようにして特攻し、華々しく戦果を挙げ、散り行くことを宿命付けられた艦娘の艦隊名。

その命を負わされる艦娘は、練度をあげることもままならず、荷物でしかないと判断された捨て艦。

解体されることも改修素材となることも許されず、ただ「死ね」と命じられるだけに生まれた艦娘だった。

掃き溜めであるトラック泊地とは違い、鏃艦隊はどこにでも存在し

そして、自分達が沈むことで新たな艦娘が生まれるための糧となる。


かつての神風特攻隊や、回天といった特攻兵器と決定的に違うのは

神風は侵略者を撃退するために吹いた神の風、回天は天を回す、どちらともに皇国日本に勝利をもたらすためのものであるのに対し

「鏃」はただの兵器、魚雷や砲弾と同じ扱いであるところにある。

特攻隊は「死んで勝利に貢献しろ」だが、鏃は「死ね」。

それが、下される命の差だった。


ふざけるな――と、私がまっとうな人間であったのなら、そう言えたのだろう。

しかし、私は艦娘だ。もっと言えば……私は、その鏃を指揮し、私だけを生き残らせるよう命じるという任を、業を任されていた。


艦娘には、イエスもノーも無い。

思考するだけ無駄なんだ。


たとえ、気が狂うほど死にたかったとしても、実際に気を違えて狂ったとしても、

ひとたび戦場に出れば、自分がどれだけ死にたくても死にたくても死にたくても死にたくても死にたくても、体は死ぬことを拒み続ける。

心が体を否定し、体は心を無視して動き続ける。

艦娘はそう出来ている。



戸を叩く。

返事は無い。構わず戸を押し開ける。

扉の前にいた、寝転がって四肢を投げ出したひとりがずるずると押し込まれる。部屋の隅には両肩を抱いてかたかたと震える艦娘。

その中で、膝をたてて寝転がっていた艦娘の目が私を見た。


「三日後に出撃だ」


いつものように死刑宣告をして、誰一人として脱走していないことを確認し、戸を閉める。

とうに心を壊した彼女たちが逃げ出そうなどと思うことなど到底ないのだが、念の為。

この鏃は第二。明日出撃するのが第一鏃艦隊で、その後に第三が控えている。

よくもまあ、何も考えずほいほいと造ったものだ、と思う。

ここの司令官が望んだ艦娘はおそらく、大和型や大鳳といった高性能の艦娘なのだろうが

そのアテは悉くはずれ、結果としてこれだけの鏃を生み出すに至った。


身勝手なものだ――と、私がまっとうな人間であったなら。

顔を歪め、吼え、激昂することができたのだろう。

戦争に身を置いている立場上、「もし」や「なら」などという言葉は聞き飽きている。

史実や事実にイフなど存在しないし、考えるだけ無駄だというのに、ほんの欠片でもそんなことを思い浮かべる自分に嫌気がさしていた。



この地はかつて、あの真珠湾と同じく、大日本帝国が航空戦力を以て完膚なきまでに撃滅し、叩き潰し、制圧した地であった。

その栄華は今でも表面上保たれてはいるものの、抱えた鏃の数が膨大すぎるがゆえに、かの掃き溜めと同じ末路をたどらんとしていた。

……たったひとりの指揮官を失うだけで、こうまで落ちるものなのか。

いや、無能たちも無能なりに戦線維持を試みたのかもしれないが……それにしても、この数は異常だ。


生みたいだけ生んで、殺したいだけ殺す。

人間で出来ないことを、艦娘にやらせているだけのこの戦争に、終局の予感など欠片も感じられなかった。

艦娘が反旗をひるがえせば、それだけでこの世界は終わってしまいそうである。


ああでもないこうでもない――と堂々巡りの会話をし続けている無能たちを避け、歩いていく。

耳に挟む会話はどれも似たようなもので、それを口にしている人間もまた似たような者達だ。

コピーアンドペーストを狂ったように繰り返した結果を示されているようで、なんだか落ち着かない。

ようやく人気のなくなった廊下を早歩きで通り過ぎ、執務室を開錠し、戸を開けた。ノックの必要など無い。


普通ならしゃれこうべと顔を合わせるはずなのだが、この日は女性の後姿が目に入った。

戸が開いたのに反応し、ふと顔をこちらに向ける女性。瞳が白い。


しばしの静寂が、あたりを包んだ。


先に口を開いたのは、女性の方。


「……君は、ここの秘書艦か?」


いや、違う。

と言いたかったのだが、定型文以外の言葉を発する方法を忘れていて、口が動かなかった。


「椅子に骨壷、机に頭蓋骨、か。趣味が悪いな、偶像のつもりか」


机に置かれたしゃれこうべを撫でながら、女性は勝手に喋り出す。

それらに意味は無い。ただ形だけでも指揮官を置いておきたかったらしい。

……そう言いたいが、やはり声が出せない。声の出し方を思い出せない。


その様子を感じ取ったか、女性は膝を曲げ、私と視線を合わせて問いかけてきた。


「君も、鏃なのか」



「違う」



ようやく出た。

その凛とした横面を殴り飛ばしてやりたくなった。


「……そうか」


安堵したようなそうでないような、奇妙に思いが入り混じった声で、女性は答えた。



……こいつは、誰なんだ?

至極真っ当な疑問を頭に浮かべるのに、かなりの時間を費やした。


しゃれこうべをじっと見つめているだけの背中に、思い出したばかりの喋り方でその疑問をぶつける。


「あなたは何者だ?」


軍帽をかぶりながらくるりと振り返り、すっと敬礼をしてみせる女性。

真正面から見ると、黒髪と色白の肌が妙に釣り合っていて、等身大の日本人形を前にしているような気色悪さを感じた。


「横須賀鎮守府所属、天原桜花。階級は少佐――」



「――ラバウルへの左遷を受け……鏃艦隊の指揮を命じられた」



その言葉を理解するのに、また時間を費やした。


頭の中でどうにか言葉をつむぎ、やっとの思いで吐き出して答える。



「……私は鏃艦隊旗艦。……自分の名は忘れた」

「私は…………あなたの秘書艦になる」



それに対して天原は、嗚呼、と勝手に納得したような声で答えた。

そして、付け加えるようによろしくなとも言った。












「北条提督が亡くなったのは数ヶ月前」


ちょうど数ヶ月前、大反抗のときだ……と説明する。


骨壷としゃれこうべをさっさとどかして、我が物顔で執務室をさっさと占領した天原は、まず真っ先にここの現状を聞いてきた。

なんとか拠点としての役割ははたしているものの、現状維持というのがやっとで、むしろじりじりと摩耗し続けている。

きっかけは無論、ここの指揮官がいなくなったからだ。


天原は、聞いているのかいないのか、机の上の書類をじっと見つめている。


「……北条提督は、とても有能な方だった。彼ひとり戦場に赴くだけで、著しく士気が向上するほどに」


猛牛とも呼ばれた彼は、大反抗の際、迷わず前線へ行き、自分の命と引き換えにこのラバウルを守り抜いた。

その存在は深海棲艦にも知れ渡っていて、暗号を解読した際、「ブル」という呼ばれをしていたことが判明している。


「その指揮官が亡くなったことが敵に知られれば、敵は真っ先にここを攻略しにかかる」


人材不足に苛まれ続けている現在、ここを護るためには、北条という存在を置き続ける他無い。

ラバウルは広大で、強大で、手に余る。

他の提督は本土を護ることに徹し、誰も海へは出ようとしなかった。


「――その結果が、これか」


箪笥の上におかれた遺骨をちらと見て、天原が答える。

まるで三國志だな、ともこぼした。


「しかし妙だ。……前線へ行って戦死したなら、どうして遺骨がここにある?……それも、こんなに綺麗な状態で」


「病死――だったらしい。指揮を執り続けてなお、自分の体を消耗させ……その末の大往生だったそうだ」


詳しくは聞かされていない。というより、自分が調べた結果、わかったことはこれだけだった。

天原は、何かに感づいたような顔色を一瞬だけ見せ……書類をさっさとまとめ、片付け、立ち上がった。


「……どうしたんだ、提督」


「我々の役目は矢を放つことだ。であれば、その弾数なんかの確認もしなければな」


「…………というと」



「案内してくれ。鏃たちに会いに行く」


さっさと席を立ち、振り返りもせずに天原はそう答えた。











大反抗の際、この鏃たちと似通った軍人たちを見たことがある。

自力で立ち上がることもできず、食糧不足による飢餓で衰弱し続けた者達が寝転がっている姿が、鏃とよく似ていた。

立ち上がることが出来なくなったら一週間、寝転がったまま小便をするようになったら数日、瞬きをしなくなったら明日――

そんな話を、北条提督から教わった。


生気の無さ、という点において酷似しているのだろう。

しかし鏃と軍人では、決定的に違うところがあった。

人間は勝手に死ねるが、艦娘は勝手に死ねない。

飢餓に苛まれている人間というよりも、延命装置に繋がれた老人の方が、例えとしては正しかった。


まず第一艦隊の様子をみて、天原はうんとかぐうとか声を出した。

大方、予想よりも余計に酷かったから衝撃を受けたのだろう。

次の第二艦隊も同じく、今度はふむと言った。

何に合点が言ったのか、全く解らなかった。

第三艦隊を見るときには声すら出さなかった。


「……これが、現状駆り出せる艦艇の全てだよ」


主力艦隊は指揮能力を失ったがためにぐるぐると哨戒ばかりを繰り返し、

また安易に失うわけにもいかないとの判断から、本格的な出撃はしばらく行っていない。

大反抗の際に練度の高い戦艦空母は皆沈み、

残ったのは実践経験の無い置物と、鏃だけだった。


天原は黙ったまま、顎を撫でながら物思いにふけっている。

何を考えたところで、結果など決まっているというのに。


「わかったろう。鏃艦隊の指揮なんて、出来たことじゃない。……旗艦だけが生き残る理由もそこにある。人間に任せられないから、結局艦娘に全てを丸投げしたんだ。後片付けや、尻拭いを」


久々に長々と自嘲をしてみせた私の声に、耳を傾けていたのかいなかったのか、天原は突然こんなことを聞いてきた。


「出撃は三日後だったな?」


私は驚いて、目を丸くしながら答える。


「ああ。暗号を解読した結果、三日後に敵前衛艦隊が来ることが解った」


「戦力は?」


「……最悪を想定した、私の予測を交えるが……フラグシップ相当の空母を旗艦に、戦艦、重巡……鬼や姫を本格的攻略のために控えさせ、国防圏を突破できるエリートレベルが来ると思われる」


特攻兵器を用いたとしても、この艦隊では前衛――ピケット艦にすら手は出せないだろう。

そんなことを聞いて、何をするつもりなんだ……そう思った時だった。


「戻るぞ」


突然、天原は黒髪をぶわりとたなびかせて踵を返す。

かつかつと足音を立て、早々に立ち去ろうとする背中に、何故だかひどく嫌悪感を覚えた。


こいつは……まさか。



「……どこへだい。……司令官」


その背中を追いかけ、私も歩く。



しばらく歩き続け……静寂が流れた後。


「戦艦空母を相手にする際、どう対処する?」


天原が、歩きながらそう問いかけてきた。


私は、教科書を読み上げるようにして答える。



「……戦艦の装甲は、戦艦の主砲でなければ突破は厳しい。空母も無論、航空機の壁があるために、超長距離からの攻撃でもなければ撃沈は万に一つもかないやしない」


「そうだ。では他には?」


「……駆逐艦や潜水艦の魚雷を用いれば、撃沈は可能だ。より確実性を求めれば、夜戦のさなか、肉薄した距離から魚雷を放てばいい。駆逐艦や潜水艦の強みはそこにある」


巡洋艦の夜戦火力も、むろん手としては充分だ。しかし夜戦において強みを発揮するのは、戦艦も同じ。

そう口にしようとしたが、天原の言葉で遮られる。


「戦艦には戦艦、空母には空母――そして駆逐艦のサポート、暗殺能力が必要になる。さて」


ここで話を鏃へ移すぞ――と言い、天原が振り返る。


「鏃艦隊に含まれる艦種を、よくよく思い返してみろ」


「………………」


唇の内側を、小さくかみ締める。

私が危惧していることは、たぶん当たっている。


……主力である戦艦には陸奥と扶桑と山城。

内、扶桑型は航空戦艦への改装が可能。仮に改装がかなえば、僅かながら航空戦力の補強が図れる。

だが、主力となれる艦はそれだけだ。

残る艦は軽巡が三隻、駆逐が十二隻。



「……たったあれだけの艦で、どうするつもりなんだ。司令」


返答次第によっては、今ここで彼女を撃ち殺すつもりだった。

……だが。



「勝つ」



天原は、私が見てきた誰もが言えなかった――言わなかった一言を、たやすく言い切った。


その瞳は、勝利する以外の意思をまったく感じさせなかった。

敗北や撤退、戦わないという選択肢は端から存在していないと示すように。


「……正気か」


上官と面と向かい、出た言葉はそれだった。


「彼女たちは生きようとすらしていないんだぞ。生命力が無いんだ……仮に数値化すれば、その練度は一にだって満たない!だのにッ――」


「いいや、狂気だ」


私の言葉をまた遮って、天原は答えた。

……返答に詰まる。



盲信的だ、と感じた。

根っからの軍人は、こうまでも戦うことと勝利する以外のことが見えていないのか。


言葉を失った私に構わず、天原はくるりと踵を返し、また歩き出す。

その背を追う以外のことが、私にはもう出来なかった。












「よう、首尾は上々かい」


がちゃ、と扉が開き、そこから紅い眼と金色の髪がのぞいた。

膝をまげて寝転がっていた艦娘が、彼女の顔を見る。……瞬間、寝転がっていた艦娘の顔に表情が宿り、床に張り付いたからだをぐいと引き剥がした。


「そう見えるの、アンタには」


起き上がりながらそう答え、彼女――叢雲は、頭を抱えてうずくまっている艦娘の頭に手を伸ばし、その黒髪をそっと撫でる。

瞬間、その艦娘の震えが止まり、呼吸も安定する。

撫でる手を止めずに、叢雲はそっと部屋に侵入する金髪の艦娘――夕立に問いかける。


「……そっちはどうなのよ。こっちには全く変わりなんてないけど」


ぜーんぜん……とおどけた調子で両手を挙げ、お手上げだ、と示してみせる。


「よその駆逐艦二隻が紛れ込んだってのに、まったく何の問題もなく事が進むんだよ。楽っちゃ楽だけど、ぶっちゃけた話、護りたいとは思わないな……こんな場所」


それに――と夕立は屈み、四肢を投げ出して倒れている艦娘の服を調える。

そのまま夕立がわしゃわしゃと不器用に頭を撫でてやると、僅かながらその艦娘の顔にも表情が宿った。


「……何よりもここの職員どもが、戦おうとしていない。指揮官を失い、現状の戦線維持をし続けて……なんていうか」


……まるで、本当は北条提督が生きていて、いつか帰ってくると信じてる……


そんな風にしか思えない、と夕立は言う。

いつか誰かがなんとかしてくれる、と……それがラバウルという拠点の総意であることを、夕立は感づいていた。

彼女に限らず、叢雲もまた。


「哀しいもんね」


鼻から息を噴出しながら、このうえ無いほどの侮蔑と哀れみを込めて叢雲が言う。


「指示待ち人間の極致ってやつね。……この子たちがあんまりだわ」



じっと何もせず、頭を撫でられていた黒髪の艦娘は、ころんと倒れこみ、その体を叢雲へ預けた。

その体躯は駆逐艦よりもずっと大きい。ぉおっと……と叢雲は、驚きながらもしっかりと抱きとめてやった。


「……提督はなんて言ってた?」


「ん。当初の予定と変わりなく……演習演習アンド演習。私たちはね。それ以外の根回しや何かは提督が大概やってくれるって」


夕立が頭を撫でてやっている艦娘も、ごろりと寝返りをうって彼女に密着する。

夕立は特に抵抗せず、それを受け入れる。


「ふぅん。便利なやつね」


提督だからね――と、信頼しきっているが故に、夕立はくすっと微笑んだ。



「さ、て。じゃあ、せいぜい頑張るとしようか」


自分に密着していた艦娘を寝かしてやり、夕立が立ち上がる。

それを見上げ、叢雲も黒髪を撫でる手を止めた。


「ええ。お互い、やれるだけやってみましょう」


それだけ言葉を交わして、一人は振り返って部屋をあとにして、一人は窓の外を見た。

二段ベッドと小さな机が置かれただけの狭い独房のような部屋に、差し込む光は陽光と月明かりだけである。


左遷という選択をした提督と、彼女の背中を追ってきた二人の艦娘。


このラバウルで、その目を未来に向けている人間は、この三人だけであった。











「あの子たちには、艦娘としての戦いを学ぶための演習をさせているが……ヴェル、お前は別だ。」


旗艦には旗艦の戦いがある――と、抜き身の軍刀を担ぎ、歩きながら、背中越しに提督はそう話しかけてくる。


ヴェル……というのはヴェールヌイの略称で、ロシア語で「信頼」を意味する名だ。

なあ、だとかお前、と呼ぶのが気持ちが悪いと、昨日提督が勝手に僕をそう名づけた。

なぜロシア語なのか、と聞いたら、「アメリカ語よりはマシだろう」とわけのわからない返答をされたので、私はもうそれ以上探りを入れないことにした。


「わかっているな?」


ほんの少しだけ顔をこちらに向け、今度は刀越しに話しかけてくる。

抜き身の刀はもちろん刃を上に向けていて、歩きながら若干ふらふらと動いている刃がその拍子に彼女の頬を切り裂いてしまいそうではらはらした。


「あ……嗚呼。もちろん……わかっているよ」


……生命力の無い彼女たちを指揮する覚悟など、出来ているはずもない。

うわべだけ取り繕った返事なんて出来るはずもなく、そんなあいまいな答えを返してしまう。

提督は、ならばいい……といった限り、口を開かなくなった。


私には彼女がわからない。


しばらく歩き……港に着く。

軍港。本来ならタンカーや軍艦が止まるために用意されている場所だが、前任――一応現在も勤めていることになっている――の北条提督が、ここを艦娘用の軍港とした。

つまりは主力艦隊の出撃の場。この鎮守府でもっとも敵地に近い場所だ。


「さ、始めるぞ」


そう言い、提督は何の迷いもなく海面へ足を踏み出そうとした。

待って――と、思わずそう口にして彼女の肩を掴んで止める。

そのせいでバランスを崩した提督がこちらに倒れこんでくるが、支えきれないほどじゃない。


「な、なんだ……いったいどうした?」


さも当然の反応だといわんばかりに困惑する提督。


「どうしたと聞きたいのはこっちだ、提督!いったい何をするつもりなんだ、風邪でもひきたいのかい!?」


この軍港は陸地からは離れていて、一歩踏み出せば水底へ沈む。

艦娘でもなければ、踏み出した瞬間に全身が海水でずぶ濡れだ。


「演習だが……海に出なければ出来ないだろう?何せ実戦も交えるのだからな……」


自分の体を肩で支えている私を、慌ててぐいと押しのける提督。

少し乱暴だったのは、抜き身の刀を背負ったままだからだろう。

思わず彼女の肩を掴んだが、下手をすればバランスを崩してそのまま一刀両断……だったかもしれない。

……いや、それよりも問題は、抜き身のまま担いでうろついていることなのだが。


「実戦も、って……いったい誰が?……ここには私たち以外誰も居ないじゃないか?」


押しのけられた反動で一歩、二歩後退しつつ、そう問いかける。


「いや、私だが」


これもまた当然だといわんばかりに、提督はさらりと答えた。


………………


は?


……と、声に漏れたかは判らない。


唖然とする私をよそに、提督はそのまま海面に足を踏み出す。

ああ、そのまま落下してどぼんっ………………



………………だと、思ったのだが。


「ほら、何を呆けている。お前も早く来い」


自分の髪で隠れ、満足に見えていないであろう右の目で私を見ながら、提督はそんなことを言っている。

……水面を踏みしめながら。


そうして、そのまま歩いていく。

水音ひとつ立てず、さっさと海へ出て行ってしまう。


「待っ――――て、提督」


静かなのに妙に足早で、私との距離をさっさと開けていく提督を追い、急いで私も海面に足を踏み出した。

……出撃……した。


硬い陸地と打って変わり、水面はやわらかく、重みでぐにぐにと変動するくせに、バランスを崩せばつるりと滑って転倒してしまう。

足から伝わる感触は陸地とは全く別のもので、慣れるのにはかなりの力量が必要だ。

……久々に海に出たのと、さっきまで陸地を歩いていたのとが重なり、進めはせどあまりスピードを出せずにいる。

それに構わず、提督はさっさと歩いていく。

……慣性を利用して走り滑るのが普通なのに、彼女はどういうわけか、ここも陸地といわんばかりに歩いている。


腰に力が入らず、屈みっぱなしの私を、くるりと振り返った提督が見た。


「……ヴェル、大丈夫か?あまり出撃の機会はなかったのか?」


刀を下ろし、刃先を水面に向けながら、遠方から提督が問いかけてくる。

凛とした鋭い声は距離を感じさせなかった。


「あ、ああっ……鏃の出撃を、私は見送るばかりだったから、ねっ……」


思えば……大反抗以来だった。

坊ノ岬へ攻め込む深海棲艦を迎え撃ち、撃滅し……そのまま、ラバウルやルンガ等の国外の拠点を奪還。

その際の、北条提督の指揮下での海戦以来……海に出ていなかった。


なんとか足が慣れ、ぐいと上半身を持ち上げる。


「………………提督は、慣れているのかい?」


力が入ったばかりの腹に、さらに力を入れて、遠方の提督へ声を投げ飛ばす。


「あまり大きな声で言えんが、散歩も海でする」


充分大きな声での告白……返答をはっきりと聞いた。

ここからだと互いに互いが指人形ほどの大きさに見えているが、その表情は陸地と変わらず、無表情のままである。

……実に奇妙な趣味だなと、心の底で思った。


「…………――提督は」


艦娘なのか……と聞こうとした瞬間。

提督が右半身をこちらに向け、刀の刃先をこちらに向けた。


「ヴェル」


なぜか、あれはかしら右だと即座に理解できた。

提督は、およそ敬意など全く感じさせない表情と行為で、こちらに敬意を示している。

同時に、刃を向けるという行為により、私に対して敵意も表して。


「私の指示した通りに、私を迎え撃て」


それだけ言い放ち……刀を両手に持ち、提督がこちらに向かって走り出す。

滑るのではなく、海面を蹴っている。その一挙手一投足は陸地となんら変わりない。

そのあまりの迫力に、どういうことだ、と聞く間もなく、一瞬気圧されたが……提督――敵を目の前にした際の指示を、彼女自身の口から聞かされた瞬間、

体は不思議と言われた通りに動いた。

かわせと言われればかわせたし、反撃しろと言われれば反撃できた。

……艦隊指揮に一対一(さし)の経験が何の役に立つのか、皆目見当もつかなかったが……たったひとつ、理解できたことがある。


天原という人間は、奇妙なほど……北条提督に似ていたのだった。










艦娘の信頼、軍部からの要請、その中に秘された期待に、彼はその身をもって答えた。

無線機を背中に背負い、専用の装置を足に取り付けて海面を走る姿は、とても提督のものとは思えなかった。

いかつい艦娘がひとり。その鈍足で、敵艦隊の被害を被らない限界の場所で、自分の艦隊の背を追いかけ……指示を下し続けた。


軍部を何よりも驚かせたのは、誰もが飾りだと思い込んでいた、腰にさげた軍刀を用いて、襲い掛かってきた駆逐イ級を一刀のもとに切り伏せたという離れ業をやってのけた報告だった。

無論のこと、彼は提督であり、そもそも海に出ることすら他に例をみない行為であったというのに、「深海棲艦を生身で撃破した」などという現実離れした戦績は、70年前に存在した無理を押し通す帝国軍人さながらのものであった。

結果としてその戦績は誰のものと扱われることもなく、撃滅した艦が不明の戦績として処理された。


海に浮く提督。


当時は彼以外にそんな人間は存在せず、そもそも専用の装置自体量産できて維持もできるほどコストの安いものではないために、

二人目三人目の北条は生まれないだろうと言われていて、私もそんな人間を見ることは二度とないだろうと思っていたのだが。


風のうわさで、海を駆けて艦娘の背を追いかける提督の存在を耳にした。

それも一人や二人ではなく、五、六人は居るそうだと聞き、流石に耳を疑った。

……それほどまでに、艦娘を追いかけたいのか、と。


思えば、至極当然のことなのかもしれないが。

年端もいかぬ少女が、兵器を背負って出撃する。

それを安全な陸地から黙って見届けろという方が、軍人にとっては酷な話だ。


……そうだとしても。


今、目の前で刀を突きつけてくる彼女は……それらとは間違いなく一線を画していた。

指示を下すばかりでなく、戦いもやっている。

そしてその戦い方は、洗練された、人を殺すためのものだ。


指示の通りに動いていなければ、私の首はいとも簡単に飛んでいる。

この三日間、それをいやと言うほど味わわされた。


海面に腰を落とし、息を切らす。しばらくこのままの体勢が続いているが、自分の息が整う気配は無い。


刀を突きつけ続け、黙りこくっている提督に、私は不意に問いかけた。


「…………何の意味があるんだ……この、演習に」


しばらくの間のあと、かちんと音を立て、納刀した後に提督は答えた。


「艦娘の海戦は、個人戦だ」


呼吸は整っているし、声も凛としたままである。


「重量のある艦艇同士の殴り合いとは違う、真っ向からの殺し合い。それが海戦……砲雷撃戦だ」


……提督が艦娘の戦いを語っている。

そのおかしな事実は、何故だか簡単に私の耳に入り、そして頭で理解できる。


「そして、その艦隊の旗艦は、本当の意味で個人戦だ。多対一、艦隊に対して自分が動く際、されると厄介な動きを想定し、それを潰すように指示を下す。随伴艦を用いて外堀を埋め、旗艦である自分はその後に敵を完全に撃滅する」


それが旗艦の戦い方だ……と、まるで教科書を読み上げるように彼女は言葉をつむいでいった。


「艦隊とは旗艦の手足。そして旗艦は艦隊の脳……故に、旗艦が倒れれば敗北だ。だからこそ、旗艦は誰よりも戦いに長けていなければならない。どうすれば勝てるのか、どうすれば殺せるのかをはっきりと認識し、考え、行動し……勝てる方程式を組み立てる――」


「――それが……旗艦が持つべき能力……というわけかい」


ようやく整いだした息を感じながら、私は、刀を納めている相手に警戒し続けたまま答える。


「ああ。そうだ」


そしてその能力は、殺し合いの中で身につく。

だから彼女はそれを行った。死なない殺し合い――この上なく非効率的で効率的な演習を、三日間。


「もっとも、これは私の戦い方だがな。私の論よりももっと戦いやすい方法を見つけたら、それに乗り換えてもらって構わん。だがもちろんのこと、それを探せるのはこの戦いを終えてからだ。解っているな?」


「……大丈夫。解っている」


……もう三日前になるのか。

私は以前も、こうして「わかっている」と答えた。

その時は取り繕った返答としてそれを口にしたが、今は違った。


敵を殺し、自分はその先へ行く。

心の奥底に芽生えた決意をもって、私は提督にそう答えた。


「ならいい。……さて、どうする?このまま日暮れまで続けるか?」


ふわりと微笑んで、私の返答に提督はそう返した。

明確に言葉にしていないにしろ、彼女は、もう充分だぞと私に言っていた。


もちろん、日暮れまで戦い続けたい……と言いたかったが。


「……いや、ここで終いにさせて貰いたい。……体が限界さ。頭に追いつかないんだ」


今、この場で無理をするのは得策ではない……と、そう判断する。

提督もそれを見越してのこの提案だったのだろう。


「嗚呼よかった……いや、実のところ私も限界でな。お前の成長に私の体が追いつけなくなってきていた。……今日なんてかなり無理な動きをしたぞ。」


提督は心底安堵したといわんばかりに、強張った体と表情をくしゃりと崩す。

両膝に両手をついて体中から力を抜き、長いため息をついている。

……疲れているのは彼女も同じだった。

ああ、なんだ。やっぱりこの人も私と同じか。疲れを知らない化け物というわけではなかったんだ。


ふと、声が聞こえた気がして、後ろを振り向く。

……軍港に並んで立っている彼女達が誰なのか、理解するのに時間を要した。


「そら見ろ。艦隊がお前を待ってるぞ」


見覚えのある彼女たち。その活力に満ちた表情が、私の判断を鈍らせていた。

……鏃達だった。


鏃艦隊が、私に向かって手を振っていた。











その日、ラバウルの全域に彼女の声が響いた。

思考を停止していた職員たちに伝えられたのは、敵前衛艦隊接近の報せ、そして


『駆り出せる全勢力を以て、之を迎え撃つ。各員、敵艦隊の本格的反抗に備えておけ』


その一言。


駆り出せる全勢力とは、無論鏃艦隊のことだ。

そして、前衛艦隊を潰された敵艦隊は、本格的にこちらを『目標』と定め、攻撃を開始する。

そのための準備と心構えをしておけ――と、彼女はそう言った。


つまりは……

彼女はラバウルに向け、『鏃艦隊を用いて勝利する』と、高らかに宣言したのだった。


左遷を受けた不名誉な、そして鏃艦隊の指揮の任という無能の烙印を押された軍人が。

思考を止めていた彼らを困惑させ、混乱させ……目覚めさせるには充分すぎる指令だった。


「………………ええと」


職員達がわちゃわちゃと騒ぎ立っている最中。

私もまた別の要因によって混乱させられていた。


「つまり」


目の前には夕立と叢雲……

……確か、鏃艦隊第一艦隊のひとりと第二艦隊のひとり。


「君達は天原提督についてきた、ラバウルとは全く無関係の艦娘なの?」


「ぽい」

「ええ」


「……それで、ここに堂々と潜入して……鏃のふりをして過ごして」


「ぽい」

「そうね」


「私が演習を行っている三日間、貴女達が彼女達の演習の相手をつとめていたと」


「ぽい」

「間違いないわ」


「………………」


……提督が提督なら、艦娘も艦娘か。

いったい何をどうすれば、たかが三日で心の無い艦娘たちをああも戦意に満ちた軍人たちに育て上げられるんだ。


いや、戦意に満ちた軍人……という例えは正しくない。

今現在、私の腕に抱きついているこの子が軍人の心構えを持っているようには到底思えない。

……ええと。ああそうだ……この子の名前は時津風だ。


「しれー」


「違うよ」


時津風がまるで鳴き声のように声をあげ、それに対して私が答える。

何の脈絡もなくそう口にするようになったのも、この……あまりにも堂々としすぎている侵入者の仕業だろうか。


「とまあなんとか戦える状態には出来たけど、実のところ、言語に関しては厳しいっぽい」


「あたし達は艦娘であって、国語の先生でも保育士でもないからね。……人間としては相当未発達だけど、艦娘としては充分戦えるようにはなったと思うわ」


何をどうしたのか、と聞きたくもあったが……それを聞いている余裕はおそらくないだろうと判断し

私は一言、ありがとう……と伝えた。しれえしれえと鳴く時津風を他所に。


「……でも……そうだな……ひとつだけ聞かせてくれないか」


踵を返し、その場を去ろうとしている彼女達の背を呼び止める。

どうしても……どうしても納得できないことがあった。


「何かしら」


答えたのは叢雲。振り返った彼女の横顔に向け、問いかける。


「……貴女達は……何故、こんな場所に来てくれたんだ?」


背負った鏃の数が尋常でないここは、誰も彼にもろくでもない所としか認識されていない。

負債を背負い、そして指揮官を失い、その後釜を得ようともしていないここは、ただただ滅びを待つばかりの場所だ。


そんな場所に、何故……彼女ら二人は来てくれたのか。

提督は左遷の名目上であるためにまだ理解はできるが、下手をすれば自分達の身が危ないはずの彼女達がどうしてそんなリスクを背負うのか。

その意味が私にはわからなかった。


その問いに、先に答えたのは夕立だった。


「提督さんの夢を、私達も追ってるの」


およそ耳にするとは思ってもいなかった言葉を聞き、思わず聞き返した。


「……夢?」


「そう、夢。あたし達はあの人と全く同じ夢を持って、それを追ってるの。どこまでも」


「……それが……理由なのかい?」


「他にないっぽい。私達は、あの人がやると言ったことなら信じるし、やってくれと頼まれたことは断らないの」


「……同じ夢を持っている。という……それだけのことで?」


「ええ。それだけが全てなのよ。貴女も艦娘なら解るでしょ?それで充分だって」


……いや、解らない。


御国のためでも、保身のためでもない。

地位のためでも、名声のためでもない。


そんな形の無いものに、命を賭けられるのか。……背中を預けられるのか。


「さ、おしゃべりはお終い。行くよ、ヴェル?あなたが第一艦隊の旗艦なんだから」


あまりに突拍子も無い話に唖然としている私の肩を、夕立がばんと力強く叩いた。痛みで顔が歪む。


「第二艦隊は私に任せて。第三艦隊は叢雲がなんとかするから」


言うだけ言って、彼女達はさっさと前へ進んでいった。



狂っている。

と、そう思った。


しかし同時に、提督に言われた一言を思い出した。


――『いいや、狂気だ』


彼女は自分が狂っていることを知っている。

知った上で狂い、その狂いに、彼女の艦娘達はついていく。

同じ夢を追うために狂っていく。


しばらく立ち止まり、呆けていたが……やがて、私も歩き出した。

敵を殺す。そのために何よりも必要なことを、彼女に教えてもらった。

勝てる勝てないの問題ではなく、どれだけ殺せるかを。


……殺したいだけ殺していれば、そのうち勝手に勝利する。


北条提督も狂っていたが、天原提督ほど血の臭いは感じさせなかった。

あの人は、殺し方に誰よりも詳しい。それでいて面倒見が良く、さながら母親のようだった。


戦争狂いの慈母。


ああ、狂気だ……と、不意にそう確信した。













敵深海棲艦の動きは迅速で、前衛艦隊が潰された瞬間、後方に控えていた主力艦隊が顔を出した。

彼女達は、ラバウルが死にかけの拠点であることを知りながら、同時にとてつもない爆発力を秘めていることを危惧していた。

その危惧は奇跡的に的中し……『備えあれば憂い無し』の信条があったのかどうかは知らないが、

彼女達は、前衛艦隊の相手で消耗した艦隊へ、間髪いれずに追撃を仕掛けた。


しかし……

主力艦隊が顔を出したのは、彼女達だけではない。

ラバウルも同じく、ぐるぐると哨戒を繰り返しているだけと思われていた主力艦隊を前線へ駆り立てた。


私達を追い越していく彼女達の眼には、闘志が宿っていた。


特別、あの人が何をしたでもない。

しかし、彼女らの闘志を目覚めさせるには、鏃艦隊が戦果をあげたという事実と、あの人の声だけで充分だったのだ。

彼女達も間違いなく、北条提督の艦娘だった。



なんだ……と。

それだけで良かったのか、と。


尻を叩き、背中を押してくれる存在があれば、彼女達は艦娘に戻れたのかと。


……けれど、彼らと彼女らの背中を押せるだけの器量を持つ存在が、この国に何人いるのだろう。

死を待つばかりの存在に『戦え』といえるだけの存在が、この世界に何人いるのだろう。



ふと、掃き溜めの存在を思い出した。


あそこには指揮官など居ない。

捨て駒として艦娘が駆り出され、艦娘が殺した深海棲艦から開発資材を剥ぎ取り、その資材から新たな捨て駒が生まれる。

そうして国防圏を保っているあそこは、文字通りの地獄だ。


……ラバウルに訪れた提督は、あそこに対し、どんな思いを抱いているのだろう。


ふとそんなことを思い、私は執務室の戸をあけた。

もう日付をまたいで夜明けも近いが、彼女ならたぶん起きている。


廊下は暗かったが、執務室には明かりが満ちていた。戸を開ける瞬間に光が漏れ、眼を突き刺した。

……電気がつけっぱなしだ。

なんとか光に慣れてきたところで中の様子を確認する。物音ひとつ立っていない。

執務机の上には、あの骨壷と…………?

見慣れない機械が置いてあった。



「…………?」


機械を手に取り、まじまじと観察する。

方眼の書かれた液晶。ところどころに書かれた英語。……手に取った拍子に、ぴこん、と音を鳴らしてそれが起動した。


円の半径がぐるりぐるりと回転し続け、ぴこん、ぴこんと鳴っている。

その動きを見て、これは探知機だ……と気づいた。


……しかし、その探知機がなぜこんなところにあるのだろう?そう思った瞬間――探知機が、ここより南へ反応を示していることに気づく。

円の中心にある点は私で、その付近の複数個固まった点は、戦いを終えて休んでいるあの子たちのものだ。

だとすれば……かなり遠方にある、この反応は何だ?


妙な胸騒ぎを感じて、私は探知機を持ち出し、軍港へ向かって走った。

艤装も背負わず、そのまま海へ出る。探知機が示している反応に向かい、一心不乱に走った。



前衛艦隊、主力艦隊……敵艦隊の全貌は、本当にそれで終わりか?

あいつらは誰よりも用心深く、疑り深く……勝てる見込みがあればなんだろうと実現する。

たとえ、それが……艦隊の90%を潰された状況下であろうと、残る10%で疲弊した敵艦隊への奇襲すら奴らはやってのける。

そうだとすれば……たったひとつだけ残った、この反応は。




海を駆けていると、だんだんと空が明るみを帯びてくる。

星空が青空に変わり、空は、生気を取り戻す。


……空が蘇る、その時。


彼女は、数多の死を足蹴にして立っていた。


それを目の当たりにした瞬間、私は、天原桜花という女性の正体をようやく突き止めた。





人の気配に気づいたか、天原がくるりと振り返る。

その顔は深海棲艦のそれで、表情や色など微塵も感じさせなかった。


彼女は、私が私だと気づいた瞬間に、表情を取り戻し……同時に、わかりやすく焦り始めた。

抜き身の刀は血に濡れているし、何より主砲が出しっぱなしである。


「あ……あー、えっと……その、これはだな…………」


何を言っても弁解できないはずの状況で、どうにか取り繕うとしている。


「は……あはははは!い、いやぁ幸運だなぁ、まさか敵艦隊がとうに自滅していたとは!!ははは、駆けつけたらもうすでに……」


「提督」


おどけた調子で笑ってみせる彼女に対し、私は、声をかけた。

その声に、提督もほんの少し気圧されたか、引きつった笑顔を無表情へと戻した。


「……」


「主力艦隊も撃滅された状況下……敵艦隊は、残存戦力を夜の闇の中突き進め……奇襲を試みた。……そうだね。」


「…………あぁ」


「そして、それは……失敗に終わった」


「…………」


提督は、何を思っているのか……腰をかがめ、血に濡れた刀身を海水で洗い流し、水気をきって納刀した。

……錆びるんじゃないのかと思ったが……海の上で振るう刀が普通の素材で出来ているわけがないだろうと思い、それ以上考えるのをやめた。


殺したかったのか……とか、何故私達を呼ばなかったんだ……とか

言いたかった言葉はたくさん浮かんできたが、何故だか口には出来なかった。

……提督の、燃える右目が……私を黙らせた。


宙に浮いた主砲が空間の皮をかぶり、ばちばちと放電しながらその姿を隠す。

特徴的すぎる二基の主砲は、見れば一目で天原桜花という存在が何なのかが解る。



何も言わず……何も言えずに、私は彼女の傍らへ立つ。


不意に、頭を撫でられた。

別段、不快な思いはしなかった。


「提督」


なんとなしに口を開く。

もう、朝陽が顔をのぞかせていた。


「ん」



「……沈む夕陽は、どこへ行くんだい」



夜とは空が死んでいる時間。

昼とは空が生きている時間。


今までずっとそう考えていた。

その自分の考えに、何故だか疑いを持った。



「決まっている」


それに、提督は答えた。


「沈む夕陽は、誰かにとっての昇る朝陽だ」


だから――と前置いて。



「だから、私たちは暁の水平線を目指す」


「誰かが朝陽を迎えられるように……私たちは、誰かの夜明けのために戦う」



瞬間……すべてに合点がいった。

同時に、腹立たしさも覚えた。


暁の水平線へ赴いた彼女達は、誰かの夜明けのために散った。

それはけして、自分たちの夜明けのためではなかった。


彼女達は散り、二度と夜明けをみることはなかったというのに

私は生き残り、こうして夜明けを拝んでいる。


死ねなかった私が進むべき道は……向かうべき場所はどこなのだろう。


朝陽がまぶしくて、不意に涙がこぼれた。

ああ、私は生きているのかと、そう思った刹那――私は、ようやく自分を取り戻した。


自分の名前と、自分が生まれた意味を。





「……提督。最後にもうひとつ、聞かせてくれないか」


「……どうした?」


「貴女の艦娘はみんな、貴女を信じている。貴女の夢を信じている。……だから……私は貴女自身に聞きたいことがある。」


「ああ」


「…………提督」











響「……艦娘でも、夢を持っていいのかい?」



提督「いいんだ」






「――私なんぞ、この世の誰よりも欲張りだ」


「だから、お前が何を望もうと、それは決して高望みなんかじゃない」




「私が生きている限り」


「お前の夢は夢想では終わらんよ」















鏃艦隊を看取るという私の任は、最後の最後でそれに離反する形となり

私は私という存在に科せられたものをようやく終えることが出来た。

……結論から言えば、提督の行動は何よりも勝手なもので、勝利できたからよかったものの……その責任を、彼女は負うことになる。

そして私も、それを同じように背負った。

私は自分の意思で、彼女についていくことを選んだ。


左遷に左遷を重ね……私を含め、彼女達は最後にここにたどり着いた。

他でもない彼女の居場所。……掃き溜めに。


今にして思えば、それすら彼女の思惑通りだったのだと思う。

軍部の上層部は、彼女に責任と称してそれを背負わせたが……一部、彼女をよく知る者は、彼女の思惑を知った上で彼女に賭けたのだろう。



あれ以来、ラバウルには北条提督の後釜がようやく用意され、名実ともに重要拠点のひとつとなった。

その提督の名はまだ知らないが、扶桑と山城が彼の活躍を事細かに記して教えてくれるから、私は安心して顔も知らぬ提督に鏃達を任せられる。

……もう鏃ではないのだが。



――ぱたぱたと走る音が聞こえる。


死ぬばかりが艦娘ではないと、皮肉にもあの子たちに教えられた。

だから……今度は私が、顔も名も知らぬ誰かにそれを教えていく。


艦娘は生きてこそ艦娘なのだと。

華々しく散る必要など無い、ただそこにあるだけで美しく在り続ける華なのだと。


――ぱたり、と日記を閉じる。




「響ー、響響響ぃっ!ご飯!!ご飯一緒に食べよー!!」


「今行くよ。ちょっと待っててくれ、時津風……すぐに出るから」






私は、今日も誰かと生きている。








後書き

友人に「今度は響主役で書いて」と頼まれて以来
なんか長引いたけど、書けた。

一方で艦これではアイオワの参戦が明かされてて
提督さんが提督さんなだけにすごく複雑な心境の中
比叡の森を聞きながら書き終えました。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


このSSへの評価

2件評価されています


SS好きの名無しさんから
2016-03-13 06:56:05

ようさんから
2016-02-23 17:49:33

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中寿司直哉さんから
2021-04-15 21:58:42

SS好きの名無しさんから
2016-03-13 06:56:08

このSSへのコメント

1件コメントされています

1: SS好きの名無しさん 2016-03-13 06:56:55 ID: su-eG4pk

凄い好きなお話でした
次回作があるのなら、それにもすごく期待しています

比叡好きな提督より


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