「地図に無い島」の鎮守府 第二十話 雨
雨の降る12月27日、
悪夢を見たらしい提督は早くに目が覚めて温泉に入るが・・・。
熊野の旅に仲間が増える。
深海側では、のちに『港湾夏姫』と呼ばれる姫が誕生していた。
摩耶と飛龍たち、提督の秘密任務チームは一旦手詰まりとなる。
横須賀では、降格目前の元帥が、降格を阻止しようと防諜室を使おうとするが、
特防室付きの瑞穂には秘密があり…
地味に陸奥温泉回です。
後半に遠回しな性的描写があるので、気になる人はスルーしてください。
熊野の旅にパートナーが増えたり、
上層部に居てはいけない人が居ることが判明したりする回です。
何気に、熊野が持たされた装備にすごいのがあったりします。
そして、『港湾夏姫』の誕生も見所です。
[第二十話 雨 ]
―12月27日、堅洲島鎮守府。未明。提督の私室。
提督「んっ?」ガバッ!
―提督は何かにうなされていたのか、目が覚めた。夢の内容は覚えていないが、嫌な夢だったのだろう。心当たりは有った。昔の話をしたからだ。
提督(ああ、ずいぶん汗をかいちまったな・・・)
―冷たい汗で、ベッドと下着が濡れていた。時計を見ると、もうすぐ午前五時になる。外は冷たい雨がしとしとと降っていた。
提督(温泉にでも入るか・・・)
―提督は着替えを用意すると、大浴場に向かった。最近のルールで、大浴場の入り口には使用中を意味する札をぶら下げることになった。それぞれ、『艦娘が入浴中です』『提督が入浴中です』と書かれている。
提督(よし、誰もいないな・・・)
―提督は『提督が入浴中です』の札を掛けると、さっさと服を脱いで温泉につかった。
提督(ん・・・いいね、しみるなぁ)
―ガラガラッ
提督「えっ?」
陸奥「おはよう提督、お邪魔するわね」
―タオルを巻いた陸奥だ。タオルを巻いているが、正直なところセクシー過ぎてあまり意味がない気もする。
提督「おはよう・・・って、いくらタオルを巻いているとはいえ、おれが入っているのによくもまぁ・・・」
陸奥「あら、邪魔だったかしら?」
提督「いやそんな事は無いよ。ちょっとびっくりしただけさ。眼福だしな」
陸奥「ちゃんとタオルも巻いているし、大丈夫かなぁ、って。あ、でもあなたに襲われたらっていう想定はしてなかったわぁ。うふふ」
―陸奥がシャワールームに入ると、身体に巻いていたタオルが扉に掛けられ、蛇口をひねる音がした。
提督「ふふ。むっちゃんには敵わんな。そんな事はしないけどさ」
陸奥「あらあら、何もちゃんと責任を取って、ずっと大切にしてくれるなら、お姉さん、別にいいのよ?ふふっ」シャワー
提督「それはずいぶんと、襲う側に多大な覚悟を強いる稀有な関係だな」
陸奥「それほどでもないのだけれど。それにしても、珍しいわね。気になって来てみたのだけれど。思ったより落ち着いて・・・って、あなたはいつも落ち着いているわね。内心はともかく」キュッ、バサッ
―タオルを巻いた陸奥が、シャワールームから出てきた。
提督「ん・・・ちょっと夢見が悪かったようでさ、風呂で気分を変えに来たんだよ」
陸奥「そんなところかな?とは少し思ったのよね」
提督「ああ。色々、すっかり冷えてしまってさ。こんな時の温泉は最高だな」
陸奥「そういえば、金剛は一緒じゃないの?」
提督「んー、部屋に戻った時には金剛が居眠りしていたんだが、扶桑が話したい事がある、とかで出て行って、その後扶桑と話して、扶桑が帰ってから一人で寝て・・・って感じか。どうも扶桑に心配されているみたいだ」
陸奥「忙しいわねぇ。・・・付き合いの長い子や、敏感な子は、みんなそれぞれ気にしているんじゃないかしらね」
提督「だからむっちゃんもここにいるってわけだろ?何だか済まないな」
陸奥「うふふ、それはちょっと自意識過剰さんかもしれないわね。私はお風呂に入りながら、誰かと話したかっただけよ?」
提督「そうかい。そういえば、荒潮が面白い事を言いに来たよ。あれでちょっと元気が出た。あれが無かったら今夜だって、昔みたいにもっとひどい悪夢を見ていたかもしれない」
陸奥「あの子面白いのよ?時間が空いていると、医務室に遊びに来て、色々手伝ってくれたりするの。そんなに忙しいわけでもないから、大抵はおしゃべりすることになるんだけれどね。・・・あら?ひどい悪夢って言ったかしら?」
提督「あっ・・・昔少しだけ、そんな時期があった。もう今はほとんどないんだけどな」
陸奥「ふぅん?戦ったことについて、あまり自分を責めてはダメよ?」
提督「わかっちゃいるんだけどさ」
陸奥「・・・らしくないわね。戦いに「適量」なんて無理よ。結果があるだけ。勝ったか、負けたか、生きたか、死んだか。終わった戦いについて後悔できるなんて、とても贅沢な事じゃないかしら?」
提督「そうなんだけどな、人間てのは無駄を好むのかもしれないな。そう、わかっちゃいるんだけどな」
陸奥「しょうがないわねぇ・・・」ザバッ
―陸奥は立ち上がると、提督のそばに来た。
提督「ん?」
陸奥「あまり色々言うと、胸ギュッするって言ったわよね?」ギュウッ、ムニッ!
―陸奥は言い終える前に、提督の首に手を回すと、提督の顔が胸の谷間に圧しつく強さで抱きしめた。
提督「ちょっ・・・!」
陸奥「ね、こうしたってあなたは冷静そのもの。心のどこかが冷えているのよ。温めなくてはだめ。じっとしてて」
―提督は動けなくなった。興奮ではない。起きないと思っていたことが起きた感じ、又は、自分だけで対応しなくてはならないと思っていた難問に、別の誰かが最適解を持ってきた無力感、と言えばいいだろうか?
陸奥「それと・・・提督、このまま聞いて。今、ここに総司令部付きの科学者が来ているでしょう?総司令部には、『フレーム』という、艦娘の状態を目視できる装置があるの。私の特務も、これを時々観測する事なんだけど、あの科学者さんはその専門家よ。そして、私とあなたの『フレーム』はとても特殊な状態なの。きっと今回、そんな話も出ると思うわ。それが彼女の目的よ。意図することはわからないけど、頭に入れておいて(小声)」
提督「・・・(返事が出来ねぇ)」
―口の部分は陸奥の柔らかい肌で塞がれていて、鼻で息をするのが手一杯だ。それさえも、普通に呼吸したら陸奥の肌をくすぐりそうなので、本当に静かに呼吸している。
提督(なんだ?本当にそうだ。おれの心はこんなに冷えていたか?)
―普通はこうなったら、理性が吹っ飛んでもおかしくないはずだ。もちろん、提督だから、深いかかわりは深海化を誘発しやすくなる危険があるから、と、理由はいくらでもつけられた。でも、今は、自分の心が少しも熱を放っていない事に気づいてしまった。
陸奥「私ね、ううん、私以外の子たちもそう。心の深いところでは、あなたに距離を置かれているんじゃないかって、悩んでいたのよ。でも、今はみんな、そうではないと気づいて安心しているところ。あなたはとても深く心を病んだのね、きっと」
―ここで提督はやっと、陸奥を少しだけ離した。
提督「軍から離れたころのおれは、回復不可能なレベルの戦闘ストレス障害だったんだ。昼も夜も無かった。トイレに行って、風呂に入らず、飯も食わないで眠り続けていたんだ。今でも、功績恩給の他に、高レベルの傷病手当金が振り込まれているよ。一時的な回復とされているし、障害を抱えたまま、提督に着任した形になっているからさ」
陸奥「そこまでひどかったのね・・・今はどう?辛くない?」
提督「それはない。着任時にも司令部から言われたが、君らと関わると、おれの心の状態も良くなるそうで、実際そういう経過をたどっているよ。家族の元に戻ったのに、悪化して自殺する人もいるのに、不思議な話だよな」
陸奥「そうなの?」
提督「ああ。艦娘の優しさは、うまく言えないが人間を超えているような気がする。なんだか、あたたかいんだ。オーストラリアで遺跡や史跡をまわった時に、理解のできない温かさを感じたことがある。それと似ている気がするんだよ」
陸奥「そこまで違いがあるの?」
提督「あると思うよ。おれには、よく分かる気がするんだ。だからあの時、太東鎮守府で君の艤装に仕込みがありそうだと分かった時も、戦場にいた頃みたいに動けたんだ」
陸奥「すごい速さで対爆保管庫を引きはがして、私の艤装にかぶせるんだもん。そうしたら爆発して、あなたの左腕は肘から千切れかけているし。びっくりして動けなかったら、自分で服を引きちぎって止血したかと思うと、拳銃を構えていた提督に襲い掛かって半殺しにしちゃうし、ほんと、野獣みたいだった。思い出すと今でも震えちゃうもの」
提督「ん?そんなに怖かったって事かな?」
陸奥「違うわ。私も戦艦よ?ゾクゾクするのよ。ああいう強さを見せつけられるとね」
提督「なるほど・・・」
陸奥「死の恐怖なんか全然感じていない動きだったわね。相手には死の恐怖をこれでもかと焼き付けているでしょうに」
提督「だと思うよ。昔もそう。生きる為には殺しまくるしかなかった。でも、戦いが終わってみると、自分にそこまでの価値があるのかはわからなくなった」
陸奥「ああ、わかったわ。それがあなたの『根源』ね、きっと。でも、もうそんな悩む必要は無いのよ?」
提督「うん、わかっているよ。提督という、特別な役割な。そのおかげで元気になってきているんだ」
陸奥「なら良かった。私たちだって、沢山の敵を沈め続けていかなくてはならないわ。でもね、それが正しい事で、存在理由なのよ。あなただってきっとそうだったはず。優しいのはいいけれど、あまり悩んで、自分を否定してはダメよ」
提督「そうだな。わかっちゃいるんだが・・・」
陸奥「・・・色々あるのね?」
提督「大丈夫。少しずつ消していく。君らにちょっとずつ近づくつもりだよ。昔みたいな感じに、自分でも戻りたいのさ。・・・いや、新しい自分になるのか」
陸奥「どういう意味なの?」
提督「何だかさ、自分が二人いる感じなのさ。君がゾクゾクするような『戦う自分』と今の自分。それがうまくかみ合っていない気がしてさ」
陸奥「そうなのね。きっと大丈夫よ。あなたは有能だし、私たちもいるのだから。じゃあ、そろそろ上がるわね」ザバッ
―陸奥は上がると、唄を口ずさみながらシャワーを浴び、浴場を出ようとした。
提督「いい歌だな、誰の歌だい?」
陸奥「ソーラ・ノーイの『雨』よ?最近大ヒットしているみたい」
提督「流行には疎いからなぁ。知らなかったよ。ソーラ・ノーイね?変わった名前だな」
陸奥「覆面歌手よ。元・艦娘じゃないか?っていう噂もあるの」
提督「ほう、なかなか面白いプロデュースだな」
陸奥「でしょう?じゃあ、またね提督。たまには医務室にも顔を出して」
提督「わかった。ありがとう」
―陸奥の歌が脱衣室から聞こえてくる。
―大雨なのに傘を忘れて、最低な気分♪
―バスは止まって、電車も無いわ♪
―でもそんな時、傘もささずに歩いているあなたを見たの♪
―まるであなたには、雨が降っていないみたい♪
―思わず笑って、私も飛び出したの♪
提督(いい歌だな・・・外は冷たい雨だってのに、おれは温泉で、むっちゃんの歌かぁ)
―こういう考え方がダメなんだな、と提督は考え直した。
提督「戻るか・・・」
―提督は着替えて部屋に戻ったが、ソファに山城が座っていた。任務帰りで、一睡もしていないはずだ。山城は険しい顔をしている。
山城「おはようございます、提督」
提督「任務御苦労、朝早くからどうしたかな?」
山城「提督、昨夜姉さまがここに来ましたか?」
提督「おう、来たよ。遅い時間に帰って行ったが」
山城「姉さま、まだ寝ていたんですが、泣いた跡があったんです。提督の所に行こうとしていたのは知っていましたから、何かあったのかなと」
提督「泣いた跡だって?うーん、そんな感じの話ではなかったぞ?」
山城「姉さま、どうしたのかしら・・・」
提督「あまり心配ない、みたいなことを言ったのが悪かったのかな?」
山城「わかりませんけど、提督に原因があるのだけはわかります」
提督「いきなり暴論来た!」
山城「最近、姉さまはあまり元気がないんです。絶対、提督の事です。謎が多いから」
提督「嬉しいような、複雑なような。でも、面白い話もしたんだよ。扶桑にうけていたけどな」
山城「そうなんですか?姉さまも提督も本心を言わないから・・・」
提督「山城からはそんな風に見えてるの?」
山城「よく似たところがあります。提督と、姉さまは。でもよかった。何かおかしな話になったとかではないみたいですね」
提督「おれさぁ、別に本心や過去を隠してるわけじゃないんだ。戦闘ストレス障害がひどかったから、昔の話をしたくないだけなのさ。でもあまり言いたくないんだよな、そういうのも。無用の気遣いを生みそうで」
山城「提督の立場だと、そうなりますよね」
提督「とりあえずお茶でも・・・」
山城「あ、私が煎れます。この前は迷惑もかけてしまいましたし」
提督「ありがとう」
―鎮守府では、山城の煎れるお茶も美味しいとひそかに噂になっている。
山城「あらためて、提督、先日は申し訳ございませんでした」
提督「あの件はもういいよ。おれには何の迷惑もかかってない。酔った上でのことは気にしなくていい」
山城「まあ提督も、そう悪い思いはしなかったんじゃないかって思っていますけどね」シレッ
提督「・・・よし、次回は触りまくろう」
山城「すいません、冗談ですから。一緒にお酒が呑めなくなってしまいます」
提督「ふふ。あとで扶桑に話を聞いてくれるかな?おれも話してみるよ」
山城「ありがとうございます。きっと姉さまも喜びます。・・・提督って、姉さまの事はどう思っていますか?」
提督「美人でおくゆかしい(即答)」
山城「それはわかりますが、他にもないんですか?」
提督「他には、強い。優しい。品がある」
山城「わかっててはぐらかさないでください」
提督「それ以上は、誰の事を聞かれても答えようがない」
山城「わかってはいるんです」
提督「ここはいい子ばかりなんだ。勘弁してくれ」
山城「提督の立場も大変ですよね。山城、そろそろ失礼いたしますね」
―山城は立ち上がって、部屋を出ていこうとしたが、ドアを開ける前に振り向いた。
山城「この前、私が酔っ払って、提督のベッドに忍び込んでしまった時に『得した気分』って言っていたじゃないですか?あれも社交辞令ですよね?」
提督「いや、あれは真面目な話だよ。嬉しくない奴がいるかよ。おれだって、そこそこ健全な男のつもりだしさ」
山城「そうですか・・・理解できませんね。姉さまの方が良いでしょうし、望んだらそうなるのに」ボソッ
提督「え?」
山城「なんでもありません。では失礼いたします」
―山城は挨拶して、部屋を出ていった。しかし、ほぼ入れ替わりで金剛が来た。
金剛「グッモーニン提督ゥー!まだのんびりしているなら、ここにいてもいいカナ?」
提督「早く起き過ぎたから、これからソファで居眠りするところだよ。良かったら一緒に寝るかい?」
金剛「その言葉を待ってましたネー!」
提督「なんだか、最近毎晩一緒に居たからか、居ないとつまらんもんだな。この何倍も親しい関係で失ってしまったら、青ヶ島の提督みたいになるのも理解できるよ」
金剛「そ、そういう事をあっさり言えちゃうのが、提督の良いところでもあり、厄介な部分ネー」
提督「ごめん、他意はないんだけどさ。自分が元気でいられるのって、君らのお陰なんだろうなと思うとさ」
金剛「自分の心の状態に気付くのは、良い事デース。私たちが役に立っているのかはわからないですけれどネー」
提督「いや、何だかだんだん理解出来てきた気がするんだ。自分がどうして提督にされたのか」
金剛「私たちの提督になるためですネー!」
提督「そうだな、それもあるだろうよ。まあ運命なんだろう。昔は好きな言葉じゃなかったが、今はそうでもないな」
金剛(全てこれから始まるんですネー・・・)
―この時、上着をハンガーにかける提督の後姿を見て、金剛は微笑んでいたが、提督は気づいていない。
―マルキューマルマル、医務室。ボイスレコーダーを横に置き、女科学者は陸奥に聞き取り調査を始めていた。
女科学者「・・・というわけで、聞き取り調査の概要はわかっていただけるかなー?」
陸奥「ええ。大丈夫よ。まさかそんな理由で、私の処分が長引いていたなんて・・・」
女科学者「だからと言って、あなたにそれ以上の処分がなされるわけでもないし、総司令部もそんな事を考えたりしていないから、そこは心配しないでね。何より、あなたに何らかの処分をこれ以上するのは、あの提督が絶対に納得しないでしょう?鎮守府の運営には、提督の心の状態も重要なんだし。あなたたちの心の輝度を伸ばす力に長けた、ここの提督さんを、わざわざ険悪な気分にさせるメリットは何もないわけで」
陸奥「あの人にそんな能力があったなんて。だから提督に選ばれたのね?」
女科学者「能力と言うよりは、人格、性格のによるもの、と、私は解釈しているねー。便宜上は能力と言っているけれど、そういう物ではないかな。選ばれた理由は他にもあるのだけれど、・・・年明けにはわかると思うよ?」
陸奥「そうなのね?」
女科学者「まあ、その辺は楽しみにしててもらって。・・・んで、結局、あなたと提督の特別なかかわりがあったかどうか?を教えてもらえればいいの。何も無いなら、無いでそれまでだし」
陸奥「『特別な』かかわりねぇ・・・」
女科学者「私の読みでは、太東鎮守府での事故の時に何かがあったんじゃないか?と思っているんだけど」
陸奥「私が提督をとても信頼するようになったのはあの時からね。特別な関わりといえば、まず、提督の戦い方に魅せられた部分はあるわ」
女科学者「魅せられた?」
陸奥「ええ。戦艦の私が見惚れるような戦い方だったわ。自分や提督の事を心配することも忘れてしまったくらい」
女科学者「それは興味深いわね」
陸奥「片腕が千切れかかっているのに、自分で止血して、拳銃を構えていた相手に向かっていったのよ。銃声は聞こえたけれど、当たらなかった。横に飛んで、壁から相手に襲い掛かり、拳銃を持つ手は握りつぶされて、指が何本か、おかしな方向に曲がっていたわね」
女科学者「うわぁ・・・」
陸奥「その後、相手のベルトを掴んで窓から放り投げて、自分も飛び出していくと、相手を踏みつけて手足を折って動かなくしてから、右手で殴りまくり。このままじゃ向こうの提督が殺されると気づいて、私も慌てて止めようとしたのよ」
女科学者「それで止まったの?」
陸奥「だめ。たぶん、身体の動かし方の違いなんでしょうけれど、艤装を装備可能にしている状態でも、提督の腕を掴んだら引きずられたわ。片手でトラックを引っ張れるくらいの力という事よ。結局、向こうの提督と親しかった、太東鎮守府の如月が止めに入って、うちの提督は気を失って終わったのだけれど」
女科学者「なるほど・・・表に出せない事件の筈だわー。それにしても、すさまじい闘争心ね。上海軍閥事件でも、ケニア動乱でも、相当の功績を挙げたらしいことはわかっているんだけど、やっぱり違うんだねぇ」
陸奥「そうなの?・・・やっぱりそうなのね」
女科学者「生き残りがほとんどいない中、違う戦線で二度も大きな功績を挙げているんだもの。普通の闘争心や戦闘センスでは無理だわ。きっとそういう『属性』もあるのね」
陸奥「確かにただの『提督』ではないわね。色々な面がある人だけれど、それさえも一面に過ぎないような・・・」
女科学者「・・・で、他には特別な関わりはあったの?」
陸奥「・・・何もないわ」
女科学者「そうなのね。提督の戦闘状況を見たことによる影響が一番強いという事かしら」
陸奥「そうね。きっと」
女科学者「あとは・・・肝心な質問なんだけど、あなたは提督の事をどう思っているの?」
陸奥「えっ?提督の事を?うーん・・・」
女科学者「ごめんなさいね、こんな事まで聞いて」
陸奥「いいえ。必要な事なのは理解しているわ。そうね・・・一言で言えば、大好きって事になるかしら。でもね、恋愛とかそういうのではないのよ。あの人はそんな事を望んでいないみたいだし、私もそれに合わせたい感じね」
女科学者「なるほど、大人ねぇ」
陸奥「なんと言ったらいいのかしら?あの人はそういう、心地の良い距離感を作ろうとしている気がするし、実際にそれは心地が良いのよ。きっと、大人なのね」
女科学者「特務鎮守府の提督は、そういう人が多いわね。旧態の鎮守府はどこもドロッドロの愛憎関係が出来ているところが多いのに」
陸奥「・・・面倒そうね?」
女科学者「横須賀にある『艦娘再教育施設』は知っているかな?たぶん、初耳だと思うけれど」
陸奥「初めて聞くわ」
女科学者「そこでは、そういう愛憎で傷を負ったり、問題を起こした艦娘がたくさん再教育を受けているのよ。実際には、再教育と言う名の隔離よね」
陸奥「その後どうなるの?」
女科学者「どうするか、まだ誰も結論を出せていないのよ」
陸奥「ひどい話ね・・・」
女科学者「しかも、提督と『関係』のあった艦娘はみんな観察対象だし。あなたのとこの提督の推測はいい線行ってるのよ。人間と深くかかわることは、深海化の因子を宿すことになる。これはほぼ確定よ」
陸奥「だから以前、私にそういう検査をしたわけね?残念ながら、いまだに何もないわ」
女科学者「一つだけ疑問なんだけど、あなたの提督って、なぜそう思ったのかしら?艦娘や人間の事をよく知っている、という事なの?」
陸奥「そこまでは私にもわからないわ。色々と変な人だから。ふふ」
女科学者(提督の事をとても信頼しているんだなぁ・・・)
陸奥「あとは大丈夫かしら?」
女科学者「うん、ありがと。こんなもんで大丈夫よ。ところで、艦娘と深海棲艦って、どちらが先に現れたか、どのように現れたかは知っているかしら?」
陸奥「そういえば、知らないわね・・・」
女科学者「最初の艦娘は『加賀』だったらしいわ」
陸奥「そうなの?初めて聞いたわ」
女科学者「もう今は、誰も真偽の確かめようがない話よ。深海棲艦が現れて、猛威を振るい始めたころ、激しい戦いの果てに、空母棲姫を倒した人が居たらしいわ。でも、倒した時に、その悲しみに触れて、涙を流したか、触れたか・・・とにかく優しさを持って接触したらしいのよ。そして現れたのが、最初の艦娘だったそうよ。ほとんど都市伝説なんだけどね」
陸奥「じゃあやっぱり、私たちと深海棲艦は、表裏一体なの?」
女科学者「そうとも言い切れないのよ。ただ、こういう事実も判明しているわ。優れた提督は、おそらく深海棲艦にとっても優れた提督になりうるのよ」
陸奥「その根拠は何かしら?」
女科学者「深海棲艦と接触したり、運用している提督のデータがあるからよ」
陸奥「運用ですって?」
女科学者「いずれわかるわ。あ、一応今までの話は、特務中の話だと思っててね?」
陸奥「秘密という事ね?」
女科学者「そうそう。・・・私はね、艦娘と深海棲艦は、天使と堕天使みたいなものかな?って思ってるのよ。ここの提督さんと同じアプローチね。じゃあまたねー」
―科学者は礼を言うと、医務室を出た。角を曲がると、速足で自室に戻る。
女科学者(さてと、ごめんね、さっそく・・・っと)
―科学者はノートタブレットを起動すると、独自のソフトを立ち上げ、ボイスレコーダーを再生し始めた。
―30分後。
女科学者(長門型二番艦、陸奥の音声と精神状態のデータはほぼ揃っているわ。そして、多くの場合、陸奥は嘘がつけない子なの。でも、この子は何か一つだけ、嘘をついている・・・)
―ノートタブレットの画面には、「発言の虚偽率78パーセント以上」と表示された部分があった。特別な関わりに対して「・・・何も無いわ」と答えた部分だ。
女科学者(どうしたもんかなぁ、これ・・・)
―陸奥は決して悪い子ではない。それは、声のデータからも分かる。ただ、なぜかフレームが暗くて、一つだけ嘘をついている。
女科学者(もっと色々、ここの事を把握して、それからにしよう!)
―女科学者は必要と思われる、全ての対象から聞き取りをすることに決めた。
―同日昼過ぎ、太平洋西側、真っただ中の海域。熊野は脱出ポッドの内のサバイバルツールからルアーを取り出すと、ポッドに引っ掛けて引きながら移動していた。
熊野(釣りなんて、やったこともないですわ・・・)
―艦娘は艤装の燃料が無くても、微速でなら長時間、水上を移動できる。但しそれには、そこそこ十分な食事が必要だった。タブレットによれば、南寄りで迂回しないと、大荒れの海域を抜けることになるため、必然、航海の期間も長くなってしまう。そのかわり、気温も海もだいぶ穏やかなものになっていた。
熊野(艦娘は飢え死にをしないなんて・・・)
―タブレットの情報によると、艦娘は極限まで餓えると活動を停止し、そのままになってしまうらしい。死ぬというわけではないが、死んだも同然だろう。
熊野(それにしても・・・)
―朝から、電探に微弱な感がある。最初は気のせいかと思ったが、今は微かだがはっきりと感じられる。しかし、敵ではない。何かを探知している、という感じでもない。少しずつ強くなっていることから、同じような速度で、同じ方向に進んみ、じわじわ近づいていると思われた。
熊野(もし仲間なら、合流できればいいのですが)
―幸い、今日は雲一つないし、波も穏やかだ。熊野は緩やかな波の山になるたびに、感のあったほうに目を凝らしつつ移動していた。
―二時間後。
熊野(何てこと、あれは!)
―熊野が見つけたのは、気を失ったまま微速で進む、駆逐艦・朝雲だった。艤装は原型をとどめないほどぼろぼろで、艤装から背中にかけて、ひどい怪我をしていた。おそらく、今回の作戦の生き残りだろう。
熊野(すぐ何とかしてあげますわ!)
―熊野はポッドを引いたまま、なるべく低燃費で近づくと、ノートタブレットを朝雲の艤装に繋ぎ、残り三枚の応急修理システムを起動させ、その後艤装解除状態にした。朝雲は倒れ込んだが、支えてポッドに横たえると、やや重くなったポッドを曳き、少しでもこの海域から早く離れることにした。
熊野(D波は極小のようですが、干渉波はわかりませんものね・・・)
―さらに一時間後。熊野はポッドに気配を感じて振り向いた。
朝雲「う、ここ・・・は・・・?あなたは、熊野・・・さん?」
熊野「良かった!気が付きましたのね?あまり、食べ物は無いのですが、そこのカンパンとブドウ糖を補給されると良いわ。水は、海水濾過給水装置があるから、いくらでも飲めますのよ!」
朝雲「私、まだ生きてたんだ・・・」
熊野「気を失ったまま、航海されていましたのよ?電探に微弱な感があって、探していたらあなたを見つけましたの。あなたも奪還作戦に参加していたのかしら?」
―ここで朝雲は、思い出したように敬礼をした。
朝雲「救助ありがとうござしました!私は、特務第四鎮守府所属の駆逐艦、朝雲です!」
熊野「こちら、特務第二鎮守府所属の重巡洋艦、熊野ですわ!・・・と言っても、正式な登録が届いているのかどうか。何しろ、奪還作戦のあの朝に建造で着任しましたのよ?」
朝雲「それは・・・大変だったわね!私は第二編成で詰めていたところを直撃されて、海に投げ出されたんだけど、無傷だったからみんなと戦ったわ。ただ、途中から清霜と朝霜が大破してしまって、何とか離脱しようとしたのだけれど・・・」
熊野「それ以上はおっしゃらなくても大丈夫ですわ。私は嬉しいもの。たった一人でなくなっただけでも。これから何日かは、深海勢力もほとんどいない空白の海域ですし、体力の回復と釣りを頑張りましょう?」
朝雲「熊野さん、この船みたいな、建造筒みたいなのはなに?」
熊野「明石さんが出してくれた、うちの司令船の特殊装備みたいですわ。これが実証試験になってしまうなんて」
朝雲「そうだったのね。たぶんみんな、提督も死んでしまったかもしれないけれど、熊野さんはどこに向かっているの?」
熊野「特務第二十一号鎮守府が一番近いらしくて、そこに向かっていますわ。ただ、明石さんが強力な電探に改装してくださったので、ある程度近くまで行けば通信は可能かと思いますの」
朝雲「強力な電探?」
熊野「32号対水上電探改ですわ。あとは15.5㎝三連装砲の改修済みと、98夜偵の六段階改修済みもいただいたの」
朝雲「すごい!練度がなくても、それだけの装備なら何とかなるわ!」
熊野「私一人では、潜水艦には手も足も出ませんもの。これで何とか、互いの弱点を補いあえて進めそうですわね」
―二人は色々と情報を交換した。朝雲は百人近くまでいた艦娘が三分の一近くになるまでは粘っていたことが分かった。
熊野「では、こちらの被害も甚大でしたが、深海側の被害はその何倍も大きかったという事かしら?」
朝雲「たぶんそうだと思うわよ?もしも司令船がやられていなかったら、あの、剣を持った姫クラスはともかく、雑魚は全滅できたと思うもん。数は多かったけど、増援は途切れていたからね。あの海域に深海のほぼ全戦力か、八割以上はいたんじゃないのかなぁ?」
熊野「向こうも賭けだったんですわ。もしかしたら」
朝雲「絶対に生きて帰って、やり返さないとダメだわ!・・・あれ?熊野さん、釣り糸、なんかピンとしてない?」
熊野「あら、ほんとですわ!」
―張り詰めた釣り糸を引くと、大きな魚の手ごたえがする。
熊野「魚料理に飽きる前に、帰りつきたいですわね」
―日がだいぶ傾いている。でも、今日からは孤独ではない。熊野の心はだいぶ楽になっていた。
―同日夕方、東北よりの太平洋上。緩衝海域外縁部。
鳥海「見えました!」
―巻き網漁船が近づいてくる。時間も、船名も間違いなかった。漁船は鳥海の探照灯を確認すると、近づいてきてゆっくり停船し、キャビンから年配の漁師が出てきた。
漁師「提督さんから預かった手紙と、交換する物資だよ。今夜は海が荒れるから、早めに済まして戻ったほうがいいと思うだよー?」
飛龍「ありがとう、漁師さん。数量を確認して、交換を終えたら、急いで戻りますね」
漁師「慌てなくてもいいけどな。あとさ、魚と野菜とか、漁協からも出てるから、持ってって」
蒼龍「いつもありがとうございます!」
漁師「いんだよ。うちんとこの漁協は、若いやつらがみんな深海何とかのせいで沈められちまったろ?ただでは死ねねぇからさぁ」
―日焼けした漁師の老人は、少しだけ悲しそうな眼をした。
摩耶「任しときなよ!かならずあいつらをぶっ潰してやるぜ!」
漁師「ありがたいけど、死なねぇようになぁ」
―物資の交換と荷物の引き取りを終えると、飛龍の率いる艦隊は、年配の漁師に挨拶をして、拠点に戻る帰途に就いた。
摩耶「特務第八の提督はなんて?」
鳥海「えーと、『大敗を受けて、当鎮守府は護衛任務のみを積極的に受諾し、ひたすら練度の上昇に励みつつ、大規模作戦への参加は当面様子を見る腹積もり。内通者は現・元帥の配下にいる可能性が高く、近々指揮系統及び旧態鎮守府の大胆な刷新が行われる見通し。この為、貴艦隊は反逆とみなされる行為は慎み、自発的護衛、救難に力を入れ、状況を静観したほうが良いと思われる。尚、貴艦隊への対応は、どうも特務第21号鎮守府が受諾させられた模様。練度99の金剛を移籍する、捨て艦を捜索し移籍する等、艦娘には寛大な提督の模様。話をしてみてはどうか?』との事です」
飛龍「話せない提督ではないみたいね」
長月「もともと、提督の居ない艦娘の力はとても限定されてしまう。流れは変わりそうだ。何とかして話してみた方が良くないか?」
蒼龍「でも、どうやって?」
長月「私たちの下田鎮守府からなら、色々な情報にアクセスできると思わないか?」
摩耶「でも、今の提督はおそらく裏切り者側だぞ?それに・・・あまりほかの艦娘からは評判が良くなかったじゃねーか、うちの提督」
長月「まあ、巨乳好きを公言して、明らかに運用する艦娘に偏りがあったのは良くなかったな」
摩耶・鳥海・飛龍・蒼龍(そうだった・・・)
摩耶「アタシらには親切だったけど、人望は無かったな」
飛龍「いわゆる旧態鎮守府の提督だけど、でも真面目なところもあったわよ」
蒼龍「途中から、上層部が信用できないと言って、大規模作戦に参加しなくなったのも、私たちを大切に思っていたからだと思う」
鳥海「今の泊地の特殊帯通信を使って、何かできないか、ちょっと考えてみますね」
摩耶「アタシはそういうのはよくわかんねぇからなぁ。特務鎮守府への連絡手段があればいいんだがよ」
飛龍「何か考えましょう。とても大切な任務なのだから」
長月「そうだな、方法はあるはずだ」
―同じ頃、マリアナ付近。『E.O.B』海域中心部。司令船の機能を持つタンカーが、大規模な作戦を終えて帰投してきた。その船室内の個室。
特務第三提督(ん・・・船が接岸の動きに入った。どこだここは?)
―しばらくして、船室のドアが開き、包帯で顔の分からない、大きな背嚢を背負った提督が現れた。
深海包帯提督「提督よ、外に出て見てみるがいい。我々の本拠地だ」
―階段を上り、外部通路の水密ドアをくぐると、特務第三提督は驚愕した。
特務第三提督「なんだ!この巨大な要塞と、塔は・・・!」
―提督が見たものは、山のような大きさで、曇り空を貫く巨大な塔と、その塔の基部、縁が全て接岸可能な港の機能を持ち、彼方は水平線と同化するほど広大な、多角形の多層構造の要塞だった。
深海包帯提督「ようこそ、我らが要塞、『エデン・オブ・ブラックレイジス』へ。コードネームは君らも良く知るE.O.Bだがな。フフフ・・・」
特務第三提督「まさか、『E.O.B』海域とは、エキストラ・オペレーション・バトルではなく、こちらが正解なのか?」
深海包帯提督「君らの上層部にいる、我々のシンパの皮肉だよ。本来はこの、『黒き憤怒の楽園』が正解だ」
特務第三提督「なんだと!出来レースだったのか!仕込みだったのか!貴様!」
―特務第三提督は、深海包帯提督の胸倉を掴んだ。しかし、包帯提督は落ち着いたままだ。
深海包帯提督「そうではない。全てが壮大な作戦だ。・・・どうする?小さな義憤に駆られて戦うか?浜風は戻らないし、貴官も生き延びるのは無理だが」
特務第三提督「・・・浜風を、戻してくれ・・・」
―特務第三提督は、手を放した。
深海包帯提督「戦艦たちよ、『素体』のキャニスターを『反炉』行きのレールにセットしてくれ」
―控えていた戦艦棲姫たちが、頷くと船内に消えていった。
深海包帯提督「さあ、来るがいい。自走通路がある」
―タラップを降りて港を少し歩くと、大型のゲートがあり、二人が近づくと自動で開いた。中に入ると自走通路の端末があり、包帯提督がなにがしか入力している。
深海包帯提督「こちらだ。後は勝手に目的地に着く」
特務第三提督「ここの材質は、もしかして深海の?」
深海包帯提督「そうだ。『天使の鉄』と呼ばれる艦娘の艤装鋼材ではなく、対極に位置する深海の鉄でできている。よほど強力な兵器でなければ、この要塞は落とせぬ」
特務第三提督「我々の敵は、これほどに強大だったのか・・・」
深海包帯提督「もう敵ではない。命を落とす前に気付けて、良かったではないか」
―自走通路はエスカレーターの機能もあり、三階層ほど下に下ったようだ。やがて、一段と暗く、ところどころにほの赤い光がぼんやりと差す、陰鬱な区画にたどり着いた。
深海包帯提督「この向こうだ」
―一転して、今度は青い光が多い場所に出た。広大だが、壁際には、大小の大きな筒が無数に並んでいる。
特務第三提督「ここは?」
深海包帯提督「生体反転炉・・・通称『反炉』だ。我々の神とも言うべき存在がデザインした姿に、艦娘や人間を深海生命体に反転させる装置だ」
特務第三提督「神だって?」
深海包帯提督「無から生命を創れるものが、神でなくて何だというのだ?まあいい、神についてはいずれわかるだろう。・・・そこの反炉を見るがいい。お前の浜風がいるな?」
―反炉の小さなガラスの窓を覗くと、痛々しい姿の浜風がいた。胸に大穴が開き、片腕と、右足が欠損している。
特務第三提督「くっ・・・浜風・・・」
深海包帯提督「D波を受容する角が無いタイプの、新しい姫の姿がもたらされたところだ。これを実装しよう。腕と足に装甲を身に着けることが出来、これは受容体も兼ねる。フライ・バイ・パルスで艤装や艦載機の操作が可能な、新機軸の姫だ。詳細な姿は、浜風自身が選択するだろう」
特務第三提督「どういうことだ?」
深海包帯提督「反転を介せば、艦娘も深海棲艦も、死から解放されるのだ。まあ見ているがいい。始まるぞ」
―『反炉』の中に青い光が満ちると、キャニスター内は白い泡に満ちて、何も見えなくなった。次に、黒い金属光沢の泡が、白い泡と混じる。幾つか、カメラのフラッシュのように何かが輝いたが、その後影のように闇がはじけ、次第に黒い泡が、次に白い泡が、消えていく。
深海包帯提督「ほう、これは美しい!良かったな。減水処理して反炉を開こう。呼びかけてやるがいい」
―水が引いて、扉の開いた『反炉』の壁に、以前は浜風だった女が寄りかかって気を失っている。白いビスチェ風のドレスに、手足は黒い甲冑で覆われていた。背は大きくなり、髪も伸びているようだ。ただ、浜風と異なり、長く白い髪は左目を隠している。
特務第三提督「浜風!浜風!」
―白い姫は眼をゆっくりと開けた。
白い姫「ン・・・テイ・・・トク?ココハ・・・」
―見慣れた青い眼は、浜風のものだった。話し方がぎこちないが、その眼の奥の光を忘れることは無い。
特務第三提督「浜風ぇ・・・・くっ・・・」
白い姫「ナイテルノ?ダイジョウブ、ダカラ。ナカナイデ・・・」
深海包帯提督「まだ生まれ変わったばかりだ。安定には貴官が傍にいてやる事が何よりだ。我々への挨拶は後でもよい。貴重な姫だ。まずは落ち着かせてやるといい」
特務第三提督「わかった。すまない」
―これが後に、堅洲島の精鋭艦隊と度々激戦を繰り広げる『港湾夏姫』の誕生なのだが、今はまだ、誰もそれを知らない。
―横須賀総司令部、特別防諜対策室(通称、特防)。
元帥「瑞穂くん、下田鎮守府の更迭扱いになった提督の行方はまだわからないのかね?」
特防秘書艦の瑞穂「まだわかりません。が、見つかるのは時間の問題だと思われます」
特防室長「今回の大規模作戦での情報漏えいも、おそらくこの提督からの筈です。発見次第確保致しますが、抵抗する場合は射殺しても?」
元帥「構わん。このままだと、年明け早々に私は降格され、参謀の奴めがまた元帥に返り咲いてしまう。それだけは避けなくてはならん!」
特防秘書艦の瑞穂「参謀と言えば、特務第21号鎮守府にやたらと眼をかけていますが、こちらも特防の監視対象に致しますか?」
元帥「わしを差し置いて、政府も色々と眼を掛けているあの鎮守府か。参謀に火を点けられるネタは少しでも多い方が良いが」
特防室長「私は反対ですね。あの鎮守府には様々な力が働いています。相手の痛くもない腹に手を伸ばして、スリ呼ばわりされるような結果になれば、この特防室も元帥側と判断されて首を飛ばされかねません」
元帥「なんだと!」
特防秘書艦の瑞穂「ただ、特務第21号鎮守府も、要調査の対象が無いわけではありません。これを・・・」
―瑞穂が提出したのは、現時点での堅洲島の艦娘と提督のフレーム記録だった。
元帥「この陸奥は、どういうことだ?」
特防秘書艦の瑞穂「珍しい現象とかで、参謀側の科学者が調査を行っていますが・・・」
特防室長「不思議だ。普通なら深海化しているはずのフレーム状態だが」
元帥「この陸奥は確か、出撃等禁止で、医務室・秘書艦勤務だったな?なるほど、これは・・・」
―元帥は「使える」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。参謀に不祥事が無いなら、不祥事を作ればいいのだ。
元帥「調査を命じる。調査方式は特防に任せよう。何もないとは思えないがな」
特防室長「はっ!かしこまりました!(更迭寸前の、権力欲にまみれた無能者が・・・)」
特防秘書艦の瑞穂(ふふ、使いやすい年寄りですね)
元帥「では、わしはここで失礼する。今夜も各界のお歴々と会食があるから忙しいのだ。特務第21号鎮守府の件は、くれぐれも厳格に調査してくれたまえ」
―ギイッ、バタン。
特防室長「会食と言っているが、、どうせ自分の首が飛ばないための嘆願であちこちに頭を下げているのは調査済みだ。・・・あ、瑞穂くん、済まないな本当に。特務第21号の件は、書類も適当でいいぞ。政府もその上も入ってるんだ。狐の為に虎の尾なんか踏めないよ」
特防秘書艦の瑞穂「でも、指示も出ていることですし、年明け早々にでも、形だけでも調査に伺ってみます」
特防室長「瑞穂くんは本当に仕事に手を抜かないな。まあ、下田鎮守府の提督の行方がまず第一だ。それからでいいだろう」
特防秘書艦の瑞穂「わかりました」
―深夜、瑞穂はコンビニで買った適当な食料をぶら下げて、横須賀市内の古いマンションの一室に入っていった。家具も何も無い部屋の奥に、病院のような簡素なベッドが置かれ、やつれた男が横になっている。
特防秘書艦の瑞穂「食べ物をお持ちシマシタ」
―瑞穂の眼の色は、先ほどまでとは違って、燃えるように赤い。
やつれた男「ありがとう。なあ、なぜおれを殺さないんだ?殺すって言って殺されかけてから、もう二週間くらいだぞ?」
―ここで、瑞穂の髪の色は漆黒に染まり、肌は雪のように白くなった。
水母棲姫「シンパイスルナ、カナラズシンデモラウ。キョウニデモナ。ダカラ、オモイノコスコトガナイヨウニシテオケ!」
―水母棲姫はそう言うと、やつれた男のそばに座ろうとしたが・・・。
やつれた男「悪いがその、風呂に入れてないから臭くってな。傍に座られちゃ悪い。身体を拭くか、シャワーを浴びるかさせてもらえないか?」
水母棲姫「・・・ワカッタ」シュン
やつれた男(一体、何がどうなっているんだか・・・。飛龍や摩耶たち、ひどい事になっていないといいんだけどなぁ)
―二時間後。清潔になった男の横には、裸の水母棲姫?が満足げな顔で寝息を立てている。
やつれた男(またやっちまった。死と緊張感のせいで、妙にそういう気持ちが昂るせいか、そこそこ荒っぽいのに、全部喜んで受け入れてくれるんだよなぁ。捕まった時点で本来はアウトだ。こいつに殺されるなら別にいいが、これからどうなるんだか・・・)
―やつれた男は、こうなるまでの事を思い返していた。
やつれた男(今日は一日雨だったな・・・)
第二十話 艦
次回予告。
やつれた男の回想と、熊野の旅。
堅洲島鎮守府裏の、廃校の謎。
提督のもとには、特務護衛戦艦のカタログが届き、
金剛は自分の銃を決める。
そして、波崎鎮守府では、鹿島が部屋に隠されたメッセージを見つけていた。
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