「地図に無い島」の鎮守府 第二十七話 横須賀・中編
引き続き横須賀。
バールを見たい・買いたいという足柄と、
参謀・ヨシノ婆さん、元帥の、提督に付いての会話。
特防を訪れた提督は瑞穂に違和感を感じ、瑞穂も何かを感じ取る。
そして、『艦娘矯正施設』での、提督と時雨の会話。
色々と思う所のあるヨシノ婆さんは、科学者にフレームについての説明を受けるのだった。
前回、今回と、軍属の間では提督が有名人だったことが判明します。
陰気な『艦娘矯正施設』の描写と、提督と時雨の会話はちょっとした見所でしょうか?
武器にバールを欲しがる足柄さんが可愛いというか、足柄さんらしいというか・・・。
瑞穂が自然な形で水上機に荷物を積んだり、堅洲島に渡れるようにするあたり、なかなかの切れ者です。
科学者にヨシノ婆さんがフレームについての説明を受ける前後で、どうやら「最強の矢矧」について悩んでいる部分が出てきますね。
[第二十七話 横須賀・中編 ]
―12月29日、ヒトヨンマルマル。横浜ベイサイドモール。レディース服売り場のエレベーターホール待合所。
提督「みんなお待たせ!とっとと買い物をしたいほうではあるが、ここまで忙しいのはちょっとなぁ」
足柄「おかえり提督!次回は私も連れて行って欲しいわ!ホームセンターに行ってきたのよね?」
提督「ん?おお、そうだよ。足柄もホームセンターが好きなのか?」
足柄「道具を色々見たいのよね。あと、そうそう、バールが欲しいのよ!」
叢雲「へ?バールって、あのバール?」
提督「鎮守府にもバールは何本かあるぞ?おれが持ち込んだものだが」
足柄「私が欲しいのはマイバールよ!」
初風「マイボールみたいな言い回しね。足柄さんはなぜバールなんかが欲しいの?」
足柄「なぜかしら?携行武器にしてみたいし、なにかこう、引き付けられるのよね」
山城「よく分からない感覚だわ・・・」
提督「・・・いや、おれはわかる。バールはいいぞ。ふむ・・・そうか、バールを武器にしたい、か。アリかもしれないな」
叢雲「ええっ?」
曙「どういうことなの?」
提督「バールに限らず、道具の重量バランスってのはよくできているもので、これは武器としての重要な条件の一つをまずクリアしている。次に、バールは使い勝手がとてもいい道具の一つだよ。大なり小なり、バールを持っていない職人はいないほどのものだ。狼ちゃんが持ち歩きたい気持ちも理解できる。おれもバールは好きだしな」
足柄「でしょ?提督なら分かってくれると思っていたわ!」
提督「武器としても道具としても悪くないな。じゃあ、このあともう一度ホームセンターに行くか。まず、むっちゃんの服をささっと買ってしまうからちょっと待っててくれ」
足柄「ありがとう、提督!」
扶桑(ささっと?提督は陸奥に着せる服のイメージが出来ているという事なのね)
―20分後、ホームセンター、道具売り場。
提督「総司令部行のバスは少しだけ待機してもらうことにしたが、まあそう時間はかからんだろ。どうだい?」
足柄「ここは楽しいわね!服売り場より、私はホームセンターの方が性に合うみたいよ。みなぎってくるわね!一日中でもいられるわ!」
提督「ほお、いいね。おれもホムセンは好きだよ。道具を見てあれこれ想像すんのが楽しいんだ、これが!」
足柄「ねぇ提督、今日はぱぱっと選んでしまうけど、いずれゆっくり買い物に来たいわ!」
提督「いいね。近々また来よう」
足柄「約束よー?」
漣(へぇ、ご主人様、道具とかも好きなのね)
磯波「あの、私も来てみたいです。知らない道具が沢山あって、楽しいです!」
金剛「私は自転車を見たいですネー!」
漣「あっ!自転車は私も見たいです」
曙「自転車は私も欲しいなぁ」
叢雲「そういえば、鳳翔さんが包丁見たいって言っていたわよ?」
提督「よし、じゃあ年明けの初売りくらいにまた来よう!」
足柄「そういう事なら、まず今日の買い物を終わらせてしまうわね!」
―足柄は提督からバールの種類について説明を聞きつつ、二本のバールを買った。中空タイプの90㎝のバールと、一体構造のよくあるバールで60㎝のものだ。
提督「さて、じゃあまた総司令部に行くか」
―15時半過ぎ。横須賀総司令部、参謀室。
参謀「ショッピングは楽しめたかね?君の所の艦娘たちは、楽しそうにしていて何よりだよ。大規模侵攻の前はここも、艦娘と提督が随分たくさん訪れていたのだが、最近はみんな鎮守府や泊地からあまり出てこなくなっているからね」
提督「皆、余裕がないのでしょうね。では、こちらの書類は頂いていきます。特防に赴き、その後、時雨や、榛名と会ってみますよ」
参謀「うむ」
―総司令部敷地内、特別防諜対策室(通称『特防』)。
提督「失礼いたします。特務第二十一号鎮守府、提督です。特務案件『ハ1号』案件についての発令経過書類の閲覧と、当鎮守府への査察任務の確認に伺いました」
―グレーの家具で統一された無機質な事務所には、ほとんど気配のない職員たちが黙々と特殊帯認証パソコンで業務をこなしている。本人以外には覗き込んでも画面が見えないのだ。提督の挨拶に誰も答えない、と思っていたら、奥の方の立派な机でパソコンに向かっていた男が顔を上げた。若いが、若干白髪交じりの髪をした、長身の男だ。丸いレンズのサングラスをしている。
サングラスの男「これはこれは!誰かと思ったら『ソーイングマン』殿ではないですか!」
提督「(・・・またこの流れか・・・)は?私をそのあだ名で呼ぶあなたは?」
サングラスの男「ああ、あなたにとっては、私も縫われた有象無象の一人かな?当時はありがとう。お陰様で何とか退役後に結婚できましたよ」
―男が丸いサングラスを外すと、右目のあたりからこめかみにかけて、古い傷跡があり、かつてひどく裂けていたであろうその部分は、複数の縫合痕があった。
提督「ああ・・・。覚えがある。ソマリア国境辺りだったかな・・・?あなたは?」
サングラスの男「これは失礼。特防室長の大林と申します。当時は日本外人部隊、第三情報小隊所属でしたよ。あれはひどい戦いでしたが、あなたのお陰で小隊の生き残りは、今でもたまに集まって呑んでいますよ。・・・あ、もしかして、戦場の話は避けるべきでしたか?」
―サングラスの男は、提督のわずかな雰囲気の変化を感じ取ったようだ。
提督「すいません。できれば・・・」
サングラスの男「これは失礼を!・・・瑞穂君、特務第二十一号の提督さんだ。必要書類を出力して、査察の件等、打ち合わせをしてくれたまえ。三号会議室が使えるから、そこが良いだろう」
―近くのデスクで業務に当たっていた、秘書艦服の瑞穂が立ち上がり、深くお辞儀をした。
瑞穂「こんにちは。特務第二十一号、堅洲島鎮守府の提督さんですね?私は、特防室付きの秘書艦・調査員、瑞穂です。特務案件『ハ1号』案件の発令経過書類の出力、参謀の認可印を確認いたしましたので承りました。また、形だけではございますが、特防の査察を行いますので、それについての打ち合わせもしたいと思います。ご不快にさせて申し訳ございませんが、何卒ご理解とご協力をお願いいたします」
提督「・・・いえ。それでは、第三会議室で待機していればよろしいですか?」
瑞穂「はい。コーヒーかお茶。どちらがよろしいでしょうか?」
提督「コーヒーでお願いいたします」
瑞穂「わかりました。それでは、後程書類をお持ちいたしますので、会議室でお待ちください」
提督「・・・諒解いたしました」
―瑞穂は給湯室に向かった。
特防室長・大林「提督さん、いつか、当時のお礼をじっくりとしたいものです。ところで、うちの瑞穂君は気丈にふるまっていますが、その案件の下田鎮守府の提督に性的な暴行を受けたばかりです。査察は形だけですので、お気遣いなく、彼女の休暇みたいなものだと思っていただければと存じます(小声)」
提督「ああ、彼女が・・・。本当に査察は形だけのようですね。諒解いたしました。うちは間宮さんと伊良湖ちゃんもいますから、客人として丁重におもてなしいたしますよ。温泉も、ありますしね」
特防室長・大林「それは何よりです。面倒をおかけします。恩人にこの期に及んでも迷惑をかけることになるとは、任務とはいえ申し訳ない。大規模侵攻を生き延びて、真面目に働く彼女には、少し楽をしてもらいたくて。もともと、この査察自体、元帥の悪あがきですから、どうでもいいのですよ」
提督「いえ・・・そんな。では」ガチャッ、バタン
提督(何だろう?あの瑞穂は。瞳の奥が暗い気がするし、全体的に暗いような。うちの子たちの明るさが無いような・・・。汚れ仕事の部署だからかね?)
―給湯室。
瑞穂(おかしい。何者なのあの人?静かな人なのに、何かが疼く。私の中の闇のような何かが、あの人と会ったら急に強くなった気がする)
―瑞穂は胸元に手を当てた。心拍と呼吸が若干早くなっている。
瑞穂(意味は分からないけど、とにかく落ち着いて・・・)
―20分後、第三会議室。
提督「コーヒー、美味しいですね」
瑞穂「お口に合ったなら、何よりです。こちらが特務案件『ハ一号』の発令経過書類になります」ドサッ
提督「これは・・・結構多いですね!私の申請が広範囲なのが原因ではありますが」
瑞穂「はい。下田鎮守府の提督の日誌と報告書、憲兵さんからの報告書、秘書艦からの報告書が全てありますし、他に特防での会議の議事録もありますから・・・」
―提督は、下田鎮守府から上がってきた報告書と、特防での会議の経過、下田鎮守府の提督が更迭に至るまでの経緯と、二航戦と摩耶たちのグループが離反した経緯を精査したかったが、想像以上に量が多かった。必要の無さそうな書類まで、余分なくらいに沢山の書類を出力してくれたらしい。
提督「・・・あの、この書類はここでしか閲覧できませんよね?」
瑞穂(来た!)
瑞穂「・・・原則、そうなのですが、私の権限では持ち出しも可能です。急な話にはなりますが、提督さんたちの帰投に合わせてそちらに伺う事も出来ますので、この書類はこちらでお持ちいたしましょうか?」
提督「ああ、なるほど!我々の帰投に合わせて瑞穂さんもこちらの鎮守府に査察名目で来て、ついでにこの書類を持ってきてくださると?」
瑞穂「ええ。室長から、少し羽を伸ばすように言われていますし、これから急いで準備をすれば、提督さんたちの帰投に間に合わせられますが、この後のご予定はいかがですか?」
提督「実は結構、予定を詰めて考えていましてね。この後、矯正施設の時雨と面会したり、出来れば横須賀第二部の榛名とも会いたいと考えていましたよ。なので、帰投はフタヒトマルマルくらいか、もう少し遅くなるかもしれません」
瑞穂「そういう事でしたら、私、勤務時間が終わってから戻って準備して間に合いますので、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
提督「私は構いません。むしろ、お手数をお掛けしてすいませんね。あの書類は精査の必要があるので、じっくり読みたいところです」
瑞穂「お邪魔でなければ、お正月の間中滞在させていただきたいくらいです。しばらく他の艦娘と話す機会もありませんでしたし、休暇を取ることにも慣れていませんでしたから」
提督「ええ。ごゆっくり、お過ごしください。では、思惑が一致したという事で、私はこの後何か必要な処理はありますか?」
瑞穂「大丈夫ですよ。こちらで全て対応可能ですから。あ、水上機に荷物を運びたいので、特殊帯リーダーに私を反映させていただくか、誰か艦娘さんに立ち会っていただければと思いますが」
提督「ああ、それなら、この後私が同行して、水上機の特殊帯リーダー登録をしてしまいましょう。それで自由にご準備ください。あとは、出発時間が決まったら連絡いたしますが、基本的には先ほどの時間に合わせて、総司令部のラウンジで待ち合わせ願えれば大丈夫ですよ?」
瑞穂「わかりました。では、さっそくそのようさせていただきますね」
―15分後、水上機発着所。
―提督は『わだつみ』のコックピットの特殊帯リーダーに手を触れ、解除コードを入力し、新規搭乗権利者登録モードにした。
提督「よし、特殊帯リーダーに触れてもらえますか?」
瑞穂「ありがとうございます。では・・・」スッ
機械音声『新規搭乗権利者の登録を確認。ハッチの開閉・搭乗までの権限を認めます』
提督「よし!それでは、また後程」
瑞穂「ええ。よろしくお願いいたします」
―10分後、特防室。
特防室長「さすが瑞穂君、仕事が早いな。そうか、確かにあの書類を閲覧では、丸一日でも大変だ。提督も忙しいみたいだし、悪くない判断だよ。では、今夜から年明けまで、ゆっくりしてきたまえ。堅洲島はもともとは政府のお偉いさん達の隠れたリゾート地だ。ゆっくりしつつ、友達でもできれば私も一安心だよ」
瑞穂「ありがとうございます。では、今夜から閲覧書類とともに、堅洲島に渡りますね」
特防室長「うむ。査察や調査は一切なしで構わないよ。参謀室から連絡があったが、堅洲島の提督は陸奥の件ではいささかデリケートになっているようだ。彼を怒らせることは絶対にしたくないから、仕事は一切しないでもらいたい」
瑞穂「あの・・・、特務第二十一号の提督さんは何者なのですか?」
―特防室長はサングラスをはずした。
特防室長「迫撃砲の破片でできた傷だが、彼がここを縫ってくれたおかげで、私は今も生きていられる。彼は、中国とアフリカでの戦争の英雄だよ。最も多くの敵を殺し、最も多くの味方を生かした男だな。いくつかあだ名はあるが、私は『ソーイングマン』推しだよ」
瑞穂「縫う人、ですか?」
特防室長「彼の父が獣医だったか、彼も獣医を目指していたかで、彼は手術針と縫合糸をいつも持ち歩いていてね。仲間や自分が怪我をすると、すぐに縫うんだ。最初は自分の怪我を縫っていたらしいが、途中から仲間の事も縫うようになった。私も縫ってもらったし、彼が二度ほど、布をくわえて自分の怪我を縫い、そのまま戦っているのを見たことがあるよ」
瑞穂「自分で縫って、そのまま戦うんですか?」
特防室長「ひどい戦場だったからね・・・。しかし、君がどこかの提督の事を聞くなんて珍しいね。まあ、雰囲気のある男だからな。特務二十一号にはまだ『瑞穂』もいないようだし、気になるなら異動しても構わないよ?傷を負った君にしてやれるのは、それくらいだからね」
瑞穂「いえ、そういうのではないんです」
特防室長「そうかね?」
瑞穂「はい。雰囲気が何となく、感じた事のない物でしたから」
特防室長「それは、そうだろうな。優しい男だが、私は非常に怖いよ、あの提督は」
瑞穂「怖い、ですか・・・」
特防室長「ああ、私が勝手にそう感じているだけだよ。艦娘に対しても誰に対しても、実際とても優しい男だ。余計な事を言ってしまったな。すまない」
瑞穂「いえ。それでは私、定時まで業務に当たり、その後は特務第二十一号鎮守府に移動する為に動きますね」
特防室長「忙しなくて済まんが、向こうに着いたらゆっくりしてくれ。私は仕事納めの挨拶に出るよ。良いお年を!」
瑞穂「はい。室長も良いお年を!」
瑞穂(これで何とか、提督を水上機に乗せられる・・・)
―総司令部一階ラウンジ。
提督「というわけで、予想より少し時間にゆとりができたので、『艦娘矯正施設』の時雨と会います。・・・その前に曙、むっちゃんに連絡して、宿泊用の部屋を一つ、準備して貰ってくれ。帰りに特防の瑞穂さんが同行して、何日か滞在することになったんだよ」
曙「わかったわ!」
初風「特防ですって?大丈夫なの?」
提督「大丈夫だ。問題ない。形だけの査察だよ。実際はこちらの都合に付き合ってもらう形になった」
如月「ねぇ提督、矯正施設での用事はどれくらいかかりそう?」
提督「ここからすぐだから、一時間から一時間半ってところだろ。ここは提督しかまず入れないから、敷地内の公園やここでちょっと時間を潰しておいてほしい。・・・あ!そうだ、叢雲、秘書艦のIDカードが仮発行なので、これを本物に変えつつ、秘書艦用のノートタブレット4つと、秘書艦用のスマートフォンを申請してきてくれ。これは、如月の分も含めて欲しい」
叢雲「わかったわ。そこそこ時間をつぶせそうね」
如月「えっ?私、まだ全然役に立っていないわよ?」
提督「そうでもないさ。じゃあ、ちょっと行ってくる!」
―提督は総司令部のロータリーで公用車を拾った。
運転手「提督さん、どちらまでです?」
提督「『艦娘矯正施設』までお願いいたします」
運転手「わかりました」
―公用車は横須賀の港町を背に、山の方に進んでいく。別荘や建設会社の資材置き場しかないような、寂しい道をしばらく進むと、急に物々しいゲートが現れた。
提督「なるほど、艦娘がゲートを守っているのか」
―軍服を着た伊勢と日向がゲートの左右に立っている。窓を開けて、カードを提示した。
日向「提督さんか。こんな年末に珍しいな。このゲートの向こうに、少し幸運な艦娘がいるらしい」
提督「そんなに、誰も来ないのかい?」
伊勢「あなたで三か月ぶりくらいかな。提督さんは」
提督「なるほど・・・」
―ゲートが開くと、驚くほど壁の断面が厚いのに気付く。相当高練度でありながら入所している艦娘もいる、という事だろうか?
提督「ああ、これは聞きしに勝る・・・」
―海のような色で塗装された幾つかの建物は、要塞のように頑丈に作られている。守衛室で入場手続きを済ますと、時雨の居る建物への道順を教えてもらい、そこに向かった。
―『艦娘矯正施設』留置棟。眼鏡をかけた女性の管理官が出迎えてくれた。
管理官「どうも、提督さん。予定より早めに来てくれたんですね!」
提督「いえいえ、急で申し訳ありません。予定を詰める悪癖が出てしまいまして・・・」
管理官「そんな事ありません。彼女は素行がとてもいいので、面会室ではなく聴取室でセッティングします。こちらへどうぞ!」
―数分後。『艦娘矯正施設』留置棟、聴取室。
時雨「こんにちは、司令官さん。僕が時雨だよ。こんな僕を必要とするなんて、奇特な人もいたもんだなぁって思うよ」
提督「急で済まないね。特務第二十一号鎮守府の提督です。よろしく!」
時雨「うん、よろしくね。年末のこんな時期に、予定を早めてまで僕に会いに来てくれるなんて、司令官さんのところは、そんなに戦力が足りないの?」
提督「戦力も足りてはいないが、焦って大規模作戦に参加するような考えも無くてね。一人も轟沈させたくないから、じっくり楽しくやっていきたい、というところだよ」
時雨「ふぅん。でも、そんな鎮守府に僕みたいな危険な艦娘が着任しちゃあ、いけないんじゃないのかな?」
提督「本当に危険ならな。でも、そうではないからこうして来たんだよ」
時雨「僕は罪を負ってここに来ているんだよ?勘違いしたことは言わないでほしいな」
提督「ほう。じゃあ、君が犯した罪とやらを証明できる人はいるのかい?」
時雨「・・・それは、居ないよね。状況証拠と僕の供述しか無いから」
提督「自分の眼で見て確認していないものは、時に、無いも同然だ。その場合、こうして直接話して、自分の経験で相手を判断するしかなくなるわけだが」
時雨「・・・ずいぶん自信家なんだね。じゃあ、そんな司令官さんには、僕の事はどう見えているの?」
提督「なにも感じ取れないように言ってもいいんだが、それはフェアじゃないな。だから思ったままを言うと、何か嘘をついているし、自分を責めている・・・そんな気がする」
時雨「・・・ふーん、僕の事を勝手に良いように解釈しているんだ?気に入らないな」
提督「気に障ったのならすまないな。だが、おれから見て問題が無さそうな君は、この世の終わりまでここにいる気かい?何か理由があるのは分かるが、ここは隔離・矯正施設であると同時に、絶対に轟沈しない場所でもあるからな」
時雨「何が言いたいの?」
提督「自分を責めるにせよ、ここにいる事は何の意味も無いって事だよ。戦場が怖くてずっとここに居たい、というわけでもないのだろうし。見ようによっては、罪もないのにここに閉じこもって、戦いから逃げているようにも見えるって事さ」
時雨「・・・僕を挑発しているの?」イラッ
提督「いや。おれ自身はそうは思っていない。ただ、そういう見方もできるし、そういう見方をする人もいるだろう、という話さ」
―時雨は、この提督に食って掛かろうかと思ったが、必死に抑えた。今それをしたら、自分が考えて至った計画が破たんしてしまう。
時雨「そうだね。・・・うん、僕もう、海に出て戦うのも嫌なん「嘘だな」」
提督「嘘だ。腰抜けはそんな必死に怒りを抑えたりしない。自分の事を知りもしないのに、おそらく嫌悪している立場の人間から、初対面で良いように言われた事と、その他の何かへの激しい怒り。でも、それをおれに見せまいと必死だ。全く腑抜けちゃいない。むしろ、闘争心は十分にあるな」
―時雨はさっきから、自分の心の中を覗き込まれているような、嫌な感覚が満ちてきていた。
時雨「はぁ。分かった。じゃあ君は、僕みたいな駆逐艦が好きって事かな?わかったような事や、立派な事を言っていても、提督なんて所詮、夜になったら艦娘の細腕を押さえつけて、嘘ばかりささやいて欲望を満たすだけじゃないか!」
提督「なるほど。やっぱりそんなところか。しかし、君自体は提督と『関係』していなかったんだよな。大切な仲間や、姉妹が、そんな事になって・・・ってところだろうな。姉妹を庇っているのかい?」
時雨「さっきから何なの?僕の心の中を覗いた気になって!」
提督「違う。理解したいんだ。心を閉ざしていたら、理解しようって態度は不快になるのも分かっているつもりだよ。しかし、だからと言って本音で話さないのはな」
時雨「理解したいの?僕がこうして怒ったり、君の事を嫌う可能性だって、多分にあるよね?」
提督「あるけれど、分かり合うってのは本来そういう事だろ。ぶつからないのは分かり合う事の拒否になりかねん」
時雨「じゃあ僕も本音で話すよ?別に君に嫌われたって構わないのだし」
提督「そうしてくれ」
時雨「まず僕はね、提督って立場の人が嫌い」
提督「そうだろうな」
時雨「司令官、君は本当は、僕を着任させて、ある程度信頼させてから・・・もしかしたら信頼してなくても、他の鎮守府の提督と同じように、慰みものにするつもりなんじゃないの?でなかったら、危険な海域でボロボロになるまでこき使うとかね」
提督「慰みものねぇ。君も可愛いから、なかなか魅力的な響き、と言いたいところだが、おれは酔わせてどうこうとか、無理やりどうこうってのは、萎えるタイプ。・・・そもそも、資料をちゃんと読んでなかったろ?ケッコンや肉体関係は、艦娘に深海化の因子を宿させるから、残念なことにおれは誰ともそんな関係にはならないし、なれないんだな、これが」
時雨「ええっ!ごめん、そこは知らなかったよ。そうなの?」
提督「だからここには、提督と『関係』した子ばかり収容されているのさ。異動させたり、自由にさせられないんだよ。セクハラで退職させられた提督も、ケッコンした艦娘の面倒はずっと見なきゃならない事になっているしな」
時雨「じゃあ、司令官は欲求的なものはどうしているの?艦娘たちを全然近づけていないんでしょ?人間の彼女がいるとか、家庭を持っているとか?」
―聴取室横の記録室では、管理官がこの会話を筆記で記録している。通常は録音・録画だが、特務鎮守府の提督だと、表に出せない話題が出てくることを考慮して、筆記によって会話の概要を記録するにとどめるのだ。
管理官(あの時雨がこんなに話すなんて。しかも、何か面白い方向に話が進んできたわね!)ドキドキ
提督「おれは独身だよ。特定の女もいない。そりゃ、連絡してデートしたら、したいことが出来る程度の女の子は何人かいたが、今はこういう立場だからな、誰ともかかわってないし、もう今後関わることも無いだろうさ」
時雨「じゃあ、艦娘たちとはどうなの?」
提督「自分では、ある程度良好なのかな?とは思っているよ。わからないけどな。ただ、さっきの理由もあるから、決定的な関係にはならないよ。そこそこの関りはあるんだけどね」
時雨「そこそこの関りって?」
提督「添い寝したり、水着着用で露天風呂に入ったり、かな」
時雨「(遠ざけてるってわけではないんだね・・・)不能とかホモじゃないんだよね?辛くならないの?」
提督「人の心は色々さ。身体は健康でも、心がそうじゃないせいか、そういう事はおれにとって、とてもハードルが高いし、そもそも取り返しのつかないことにしたくない。自分の欲求が多少満ちたところで、欲求に限りなんてないしな。そんな事のせいで深海化させたら、それまでの思い出に押しつぶされて、おれの心が持たないよ」
時雨「ずいぶん繊細な事を言うんだね」
提督「繊細なんじゃないさ。心がぶっ壊れているんだよ」
時雨「え?」
提督「聞いたことあるだろ?戦闘ストレス障害だよ」
時雨「なるほどね。でも、艦娘を失うと、君がすごくつらい思いをするように聞こえるんだけど」
提督「そう言っているんだよ。君が『提督』を嫌っているくらい、もしかしたらそれ以上に、おれは大多数の『人間』はあまり好きじゃないからな」
管理官(話の内容はともかく、いい傾向だわ。時雨ったら、いつもの作った会話をいつの間にかやめてしまっているもの)
時雨「・・・ふーん、要するに君は意気地なしで、弱虫って事かな?」
提督「そうとも言うのかもしれないな。おまけに寂しがり屋でもある。・・・まあ、色々と火が消えてしまったのさ。だから、そういう慎重に選んだ言葉も、おれの心には燃料にさえならないよ」
時雨「・・・ごめん、今のは僕、わざと嫌な言い方をしたから」
提督「構わんよ。持てる限りのやり方で相手を試すのは、大事な事だ」
時雨「怒らないの?」
提督「こんなんで怒るくらいなら、ここにそもそも来てないさ」
―時雨は少し考え込んだ。
時雨「君は何で、わざわざ僕を呼びに来たの?僕はコモン・・・建造でも捜索でも、通常レベルでの遭遇率だから、そう遠くなく『時雨』を着任させられると思うけど」
提督「うまく言えないんだが、そうだなぁ・・・おれには君が事件の犯人には思えないし、そうだとしたら立派な心の持ち主だと思うからさ。何か大切な事を知っていて、それを守れる子って気がするんだよ。同じ『時雨』なら、そういう子の方が良いし、そんな子がいつまでもここに居ちゃいけないさ」
時雨「・・・そんな立派じゃないよ」ボソッ
提督「うん?」
時雨「ううん、何でもないよ。そっか・・・」
―外から、運動の時間の艦娘たちの掛け声と、指導員の笛の音が聞こえてくる。あの子たちがこの後どうなるのかは、誰も知らないのだ。もしかしたら本当に、時の終わりまでここにいる事になるかもしれない。それは、自分に対して何の罰にもならない。時雨は決意した。
時雨「司令官さんは、本当に僕でいいの?」
提督「いいよ。今日話してみて、おれなりに確信できたしな」
時雨「わかった。じゃあ僕、君の所に行くよ!」
管理官(思ったより、あっさり決まったわね。でも、これでいいのよね)
提督「決まりだな、じゃあよろしく頼むよ」
時雨「うん、よろしくね!」
―ガチャッ、バタン
管理官「話はついた、という事で良いのでしょうか?」
提督「そうですね。私はそのつもりです」
時雨「僕も、もう折れることにしたよ」
管理官「そう・・・。あの、提督さん、時雨なんですが、今日連れて行ってもらう事は可能ですか?」
時雨「ええっ?」
提督「これはまた、急な話ですが、書類的なものは大丈夫なのですか?」
管理官「こちらは大丈夫です。もともと、話が付けば即日異動できるようになっていますから」
提督「そうでしたか。それならこちらは大丈夫ですよ。しかし、なぜそんな柔軟な対応を?本来なら、認可が下りるまで三日はかかるはずですが」
管理官「折角だから、冷たいお正月ではなくて、温かいお正月を過ごさせてあげたいんです。時雨、あなたも準備にはほとんど時間がかからないでしょ?あんな殺風景な部屋に住んでいるんだから」
提督「なるほど。確かにそうですね。うん、うちも大丈夫ですよ」
時雨「殺風景はひどいなぁ。でも、そうだね。20分もいらないと思うよ」
管理官「じゃあ、さっさと準備してらっしゃい!私は提督さんとお茶でもしているから」
時雨「わかった。支度してくるね」ガチャッ、バタン
管理官「・・・さてと、突っ込んだお話、お疲れ様でした。あそこまで話してくれる方で、良かったです」
提督「いえいえ。でも、何か考えていますね、あの子」
管理官「あっ、気づかれていましたか?その話をしようかと思っていたんですよ」
提督「気のせいかもしれませんが、一番、自分の事を責めているような、そんな雰囲気を感じます」
管理官「ええ。きっともう少し、何かが心の中にある子なんです。なので、楽しい時間を過ごして、心を融かせないかなぁと」
提督「ああ、それでこんな急に!よく理解できました。優しいんですね」
管理官「いえ、提督さんこそ。・・・お茶かコーヒー、どちらがよろしいですか?」
提督「コーヒーでお願いします。ちょっと秘書艦たちに連絡を取ってもよろしいでしょうか?」
管理官「はい。大丈夫です」
―提督は廊下に出ると、叢雲に連絡した。
叢雲(通話)「お疲れ様ね、そちらはどう?」
提督(通話)「急なんだが、時雨が異動が決まって、一緒に帰ることになった。ここはあと30分程度で出られるんだが、そちらの酒保か、出来れば横須賀の町で、時雨の私服を適当に見繕って買っといててくれないかな?扶桑や山城と、如月とかが適任かもしれない」
叢雲(通話)「意外な展開ねぇ。分かったわ」プツッ
―再び、聴取室。
管理官「提督さん、もしかしたらあの子は、異動して再びやり直すのではなく、自分なりのやり方で自分の人生にけじめをつけようとする可能性があります。何とかして、それを避けて、あの子がまた笑えるように、本来の艦娘らしく生きられるようにしてあげてください」
提督「ええ。ひと悶着どころか、あの感じではたぶん何かあるでしょう。全て何とかして、本当にうちの子になれるようにしたいと考えています」
管理官「それを聞いて安心しました。あとこれ、私の連絡先です。何か困ったらいつでも連絡してください。あ、デートのお誘いでも結構ですからね?」ニコッ
―管理官は提督に名刺を手渡したが、裏面にはメールアドレスと、SNSのIDまで丁寧に記載されている。
提督「・・・はは、これはこれは。しかし手続きを急いでくれた借りもありますし、うん、連絡しますよ」
管理官「楽しみにしていますよー?」ニコッ
―数分後。
時雨「準備、終わったよ。思った以上に僕って、何も持っていなかったね」
―時雨は艤装服姿に、大きめのモスグリーンのリュックを背負っていた。
提督「それで全部かい?聞きしに勝る、物の少なさだな」
時雨「解体になると思ったまま、ずいぶん時間が経っちゃっていたみたいなんだ」
提督「なるほど。じゃあ、新天地目指して出発だな」
管理官「時雨、約束して。命を粗末にしないって。そして、二度とここに帰って来ちゃダメよ?」
時雨「・・・うん。ありがとう」
―こうして、提督と時雨は『艦娘矯正施設』の留置棟を出た。
提督「ん?」ゾアッ
―留置棟を出て、ゲートに向かう途中で、強い視線と悪寒を感じた。
時雨「ああ、出られない子たちが、こっちを見ているんだよ」
―時雨が視線だけを送った方を見ると、照明に照らされたグラウンドにいる、沢山のジャージ姿の艦娘たちが、動きを止めてこちらを見ていた。
時雨「どうして、提督じゃなくて彼女たちが、こんなところに閉じ込められなくちゃならないんだろうって、いつも思うよ」
提督「そうだな。人間が悪い・・・すまない」
時雨「君が悪いわけじゃないよ。行こう?」
―提督と時雨は、待機していた公用車に乗ると、矯正施設のゲートを出た。
日向「そうか、ここを出られたのか。その意味をよく考えて、人生を無駄にしない事だ」
伊勢「そうね、二度とここに戻って来ちゃダメよ?覚悟はできている?」
時雨「・・・うん、ありがとう」
―山の中の矯正施設は、既に日が落ちて、冷たい虚無の塊のように見えていた。
―同じ頃、横須賀総司令部、参謀室。
ヨシノばあさん「参謀、なんだいあの男は?隠し玉というか、よく分からないが危険な男だね、あの特務第二十一号の提督は」
参謀「危険、ですか?戦場には出ていたことがあるみたいですが、優しく優秀な人物らしいことは判明していますよ?」
ヨシノばあさん「あたしくらいになると分かるのさ。確かにあの男は優しいし、どこか緩い空気を持っているがね、その奥底には危険な何かが眠っているよ。闘争心かねぇ?かなりの手練れなのは間違いないが・・・」
??「参謀、おるかね?」
参謀「元帥ですか?これは珍しい!どうぞ!」
―ガチャッ、バタン
元帥「ああ、これは、ヨシノばあさんも一緒か。参謀、特務第二十一号の提督だが、彼が何者か知っているかね?」
参謀「情報法で保護されていますから、大きな戦果を挙げたらしい、というところまでですな。詳しくは全く」
ヨシノ婆さん「おやおや、今ちょうどその話をしていたところだよ。元帥は何かご存じなのかね?」
元帥「わしの娘夫婦の命の恩人だよ」
参謀「娘夫婦?・・・ん、思い出したぞ!そうか彼は!」
ヨシノ婆さん「話が見えないね、なんだい?」
元帥「『上海の鬼兵』『最後のサムライ』アフリカでは『ソーイングマン』または『ラスト・スタンディングマン』・・・そういう、沢山の二つ名を持つ男だよ」
ヨシノ婆さん「前半の二つはともかく、後半のは都市伝説・・・じゃなさそうだね、あの雰囲気は。そうか、そういう男かい、納得したよ。道理で艦娘をたくさん引き連れているわけだ。英雄色を好むってやつかね」
大淀「いえ、あの提督さんは最近話題になっている、艦娘の深海化に人間が影響を与えている、という仮説の提唱者の一人です。だから、ケッコンも肉体関係も否定されている立場です」
ヨシノ婆さん「なんだって?なのにあの子たちのあの雰囲気かい・・・こりゃあ、このタイミングで化け物みたいなのが出てきたもんだね。誰があの男を推したんだい?」
参謀「上層部ですよ」
元帥「わしには人事権さえ無いのだぞ?政府とはまた違った系統から指令が出ておるようだが、あとは大元帥と最高法院くらいしかない。まだ何かあるのかね?」
ヨシノ婆さん「また上層部かい。つまり、知らないところから指令が出ていて、知らないところがあの男を選んだんだね?」
参謀「政府の閉鎖型コンピューター『オモイカネ』を作った勢力ですよ。勢力と言っていいのかどうか・・・。これ以上は話せないのです」
ヨシノ婆さん「・・・それを、あの男は知っているのかい?」
参謀「いえ、彼は自分がなぜ提督にされたかを知りません」
元帥「わしも何も知らされておらぬ立場だが、何かが起きているのかね?ロケット発射台を奪われた件といい、その後の奪還作戦の失敗といい、正直なところ、今日、彼に会うまでは、わしは責任の為のスケープゴートかと思っておったのだ。緩慢に人類が負けていく前提でのな」
ヨシノ婆さん「あの男は、切り札なのかね?あたしらの上の、より多くを知る立場の何者かからしたら」
参謀「どうにも、そのようですよ。新型戦闘艦も年明けとともに彼に託されることになる見通しです」
元帥「800式艦の事かね?あれは解体されたのでは?」
参謀「いえ、どこかに眠っていますよ」
元帥「なんと!」
ヨシノ婆さん「色々隠されて気に入らない、と言いたいところだがね、あたしゃ疑問も感じていたんだよ。提督は本来、男でないとダメなんじゃないのかね?艦娘たちが女の姿である理由と対になってな」
参謀「・・・なぜ、そう思います?」
ヨシノ婆さん「うちの矢矧は知ってるだろう?」
元帥「最強の矢矧だな。知っとるぞ」
大淀「そういえば、榛名さんと戦うはずなのに、鳳翔さんしか連れてきていませんね?てっきり矢矧さんが来ると思っていたのに」
ヨシノ婆さん「教えることが何もないくらい、あの子は強くなった。けどね、だんだんおかしくなってきているんだよ」
大淀「おかしく、ですか?」
ヨシノ婆さん「ぼーっとしていることが多くなってね、海に出せない感じなんだ。話すと、受け答えもしっかりしているし、武技も衰えちゃいないのにね。まるで、可能性がない世界を生きているような、そんな空気を感じるんだよ。提督が男なら、そうはならなかったのかなと思ってね」
参謀「ふーむ・・・ただのスランプではなく、ですか?」
ヨシノ婆さん「まあ、矢矧だけじゃなく、全体的にそういう雰囲気になってきているんだ。うちの鎮守府はね。みんな命令もしっかりこなすんだが、漠然とした何かが漂っている感じだよ。今日会った、特務第二十一の子たちのような、キラキラした感じが無くなっているのさ」
―ガチャッ、バタン
女科学者「どうも藤瀬です。ただいま戻り・・・あれ?随分賑やかですね。元帥さんにヨシノおばあちゃんまで・・・」
ヨシノ婆さん「おお、行かず後家の学者先生じゃないかい。久しぶりだね。そういえば、この話はあんたの専門かもしれないねぇ」
女科学者「行かず後家はあんまりです。何かお困りなんですか?」
参謀「おかえり、藤瀬君。提督とは何か進展でもあったかね?」
女科学者「あ、それは無理です。あの提督さん、人には心を開いてません。完全に心を閉ざしちゃってます。『人の心には愛なんて無い』って、ハッキリ言っていましたからね。なのに、艦娘たちのフレーム輝度は全体的に高くて、訳が分かりませんよ」
ヨシノ婆さん「なんだい?輝度ってのは」
女科学者「あっ!」
―女科学者は失言のフォローを求めるように参謀と大淀の方を見た。が、大淀は自然な感じで目を逸らした。
女科学者(大淀コノヤロー・・・)
参謀「いや、ちょうどいい。藤瀬君、ヨシノさんにS/Dフレームについての説明をしてくれ」
女科学者「いいんですか?」
参謀「構わんよ。核心に近づく人は多い方が良いし、ヨシノさんは男性ではない。だからこそだ」
女科学者「そうですね、D傾向が艦娘に付与されることはないですもんね」
ヨシノ婆さん「何の話か全然分からないから、年寄りにもわかるように教えておくれよ」
女科学者「わかりました。じゃあ、ついてきてください」
―女科学者は、ヨシノ婆さんをフレーム管理室に連れていく事にした。
―総司令部地下、フレーム管理室。
ヨシノ婆さん「なんだい、ここは。こんな場所があったのかい。何のための施設なんだい?」
女科学者「これは、『S/Dフレーム管理システム』といいます。艦娘の状態を把握するためのシステムで、約一年ほど前に実装されました。簡単に言いますと、『艦娘としての理想的な状態』を『S傾向が高い』といい、深海化に近づいた状態を『D傾向が高い』と言います」
ヨシノ婆さん「ふむ。SとDは何の略なんだい?」
女科学者「Sは魂のソウルから、Dは、正確にはそれを意味する英単語は無く、複数のこれに該当する単語がDで始まるから、との事でした。このシステムの開発者の弁ですけれどね。・・・実際に、サンプルをお見せします。まず、横須賀第二部の榛名と、特務第二十一号の漣のフレームを並べてみますね」
―部屋の照明が落ち、海のような青い光と、水面の断面のような線が部屋に現れ、そこを起点として、棒グラフのように二本の光の線が伸びた。左の線は眩しいくらいの光を放っている。右の線は、左の線よりだいぶ長いが、ぼんやりとしてそう明るくはない。
女科学者「線、私はフレームと呼んでいますが、この線の長さは練度を、光り具合は艦娘のソウル傾向を意味しています。特務第二十一号の漣は、練度はまだそれほどでなくとも、戦艦タ級の通常クラスの砲撃ではほぼ傷を負わないほどに輝いています。逆に、横須賀第二部の榛名さんは、練度は高いですが、ソウル傾向は輝きが弱く、攻撃面でも防御面でも、漣には及びません」
ヨシノ婆さん「これは・・・なるほど・・・」
女科学者「次に、深海化の因子を宿した艦娘と、深海化した艦娘のフレームを出しますね」
―今度は、榛名と同じくらい長いフレームだが、光り方は榛名よりだいぶ明るく、水面の下にわずかに暗い線が伸びているものと、榛名よりだいぶ長いフレームがぼんやりと伸びつつ、水面下は底がわからないほど伸びて、時に赤黒く、青黒く色を変えるものが表示された。
ヨシノ婆さん「いやな光だね。いや、影というか闇というか。この二つのフレームはどういう事なんだい?」
女科学者「左の、わずかに水面下にDフレームが伸びているのは、特務第七の川内のものです。練度も輝度も高いですが、少しだけD傾向を持っています。これは、特務第七の提督との性的な関係と、ケッコン、その両方によるものだと考えられています」
ヨシノ婆さん「深海化の因子ってやつかね。やっぱり、人間とのかかわりで?」
女科学者「おそらく、そうです。そして、こちらは、半年ほど前に轟沈した、青ヶ島鎮守府の金剛の物です。消滅しておらず、深海化した何者かに姿を変えてしまったようです」
ヨシノ婆さん「なんて事だい・・・こんなふうになるのかい。かわいそうに・・・。救う方法はあるのかい?」
女科学者「あると思うのですが、まだ見つかっていません。そして、このフレームの状態は全て、特務第二十一号の提督さんが、だいぶ前に提唱した仮説と同じなのです」
ヨシノ婆さん「はー、じゃあ何かい、あの男はあれだけ艦娘に慕われていても、ケッコンもしなければ、肉体関係も持たないのかい。下種な話だが、恋人がいたり、既婚だったり、不能だったり、または同性愛者だったり、なんて事は・・・」
女科学者「ありません。多少のスキンシップはちゃんとあるようですし」
ヨシノ婆さん「ふむ・・・その、特務二十一号の子たちのフレームを見せてもらう事はできるかい?」
女科学者「いいですよ!ちょっと待っててくださいね」
―陸奥を筆頭に、堅洲島鎮守府の、主に秘書艦のフレームと、金剛のフレームが表示された。
ヨシノ婆さん「陸奥はどうしたんだい?うっすらと暗い線が長く伸びている。ソウル傾向もとても明るくは輝いているようだが。あとこれは・・・皆ずいぶん明るいようだね。あの男の影響なのかい?」
女科学者「陸奥の件は何かのイレギュラーだと思います。なぜそうなったのかはまだ不明ですが、大事を取って出撃・艤装展開禁止にされています。・・・ええ。あの提督さんの属性らしいのですが、艦娘の心の状態を良くする事に長けているようです」
ヨシノ婆さん「『属性』とはまた、懐かしい言葉だね。10年以上前にそんな言葉が世界中を揺るがせたっけ。ヒューマン・・・なんだっけな?」
女科学者「ヒューマン・ディープ・アトリビュート・・・人間の深属性の判別による、理想社会の構築論ですね」
ヨシノ婆さん「そうそう!懐かしい言葉だよ。あたしゃ反対だったがね。努力の否定につながりかねんからさ」
女科学者「そうでしたか・・・」
ヨシノ婆さん「うん?」
女科学者「いえ、なんでもありません」
ヨシノ婆さん「ところで、だ。せっかくだから、うちの子たちのフレームも見せてもらえるかね?」
女科学者「わかりました。少々お待ちください」
第二十七話 艦
次回予告
特務第八鎮守府の子たちのフレームを確認して、驚くヨシノ婆さん。
時雨との再会を喜ぶ、扶桑と山城たち。
そして、予想外に早く、榛名との立ち合いが始まる。
次回、『横須賀・後編』 乞う、ご期待!
磯波『書けば、読んでもらえるんですね!』
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