「地図に無い島」の鎮守府 第七十二話 忘れられた艦娘たち
堅洲島で大井が仲間に加わったころ、はるか南のショートランド泊地と、ナン・マドール遺跡では、鈴谷達が焼けた護衛艦の上で思いをはせていた。
ジャーヴィス島付近を航行する熊野たちのルートについての考えと、堅洲島の提督と叢雲の、たぶんこの二人にしかできない会話と距離感の話。
そして、その二人の会話を青葉の協力で盗聴していた時雨の気持ちと、過去の追憶。
翌朝、雪の降り始めた和歌山の白浜町では、大切な約束を胸に秘めた艦娘の一日が始まろうとしていた。
そして同じ頃、この世とは異なる『深淵』では、白い士官用コートの男が探索を続け、深淵に潜む何者かと遭遇していた。
3月5日、一度目のアップ。
3月11日、二度目のアップです。
3月15日、三度目のアップです。
3月17日、最終更新です。
やっとショートランドの現在の様子が分かります。
北上と早霜の会話はとても重要です。
翔鶴さん、何とか救われて欲しいですね。
鈴谷が久しぶりに登場します。そして、アクィラとリットリオも。鈴谷はどうやら鳩を育てつつ、毎日真面目に過ごしているようですね。
また、熊野たちも久しぶりに登場します。大凡どんなルートを通るか、ほぼはっきりしましたね。ショートランドも考慮に入れているようですが、どうなるのでしょうか?
そして、提督と叢雲の深めな話・・・なのですが、なんと青葉の手引きで時雨が盗聴しています。
時雨としては、過去の事もあり提督に不信感を持っているのは分かりますし、金剛や叢雲と一緒に眠っている提督に疑念を持つのは当然なのですが、結果は思ったよりも時雨を辛くしてしまうようです。過去に何があったのかも、少し語られましたね。
そして、やっとあの子が登場します。
真面目ながらも雪にワクワクする気持ちは止められないようですね。
さらに、前回に引き続き、深海側、とくにおそらく最初の提督であろう人物の『深淵』での描写が出てきます。
強大な何者かとの深淵での意味深な会話は、この話の世界観の大事な一部です。
そして、最初の加賀さんらしき加賀さんも再び登場します。
第七十二話 忘れられた艦娘たち
―2066年1月8日、深夜。ソロモン諸島。ショートランド泊地、泊地執務室。
―ガチャッ・・・バタン
長門「任務ごくろう。既にパターン化しているが、おそらく脅威が発生しないのは想定している。とはいえ、決められたことを決められた形で変わりなく続ける事こそ大切だ。変化は何かあったか?」
北上「いーや、何もないよー。まあさ、ある程度以上ここを離れると深海がうじゃうじゃしている気配も変わりないんだけどね」
長門「相変わらず・・・か。・・・うむ、交代も完了しているし、あとはゆっくり休んでくれ。次の戦いまでまた間があるのだろうしな。それと、早霜」
早霜「ええ。大丈夫。これを・・・」スッ
―早霜は小さな瓶を取り出し、長門に渡した。
長門「いつもすまない。こういう事は私にはできない。これもまた力なのだろうな。まさか戦場において、文化の力をこれほど強く意識する事になるとは」
北上「んー、まあ成果が出ているみたいだし、あたしにはあまりピンと来ないけど、そういうのも大事なんだろうねー。・・・でもさぁ、いつまでこれで場が持つかなぁ?」
長門「わからん。わからんが、すまないな。今の私にはこの件に関して、これ以上の方法は思い浮かばなかったのだ・・・」
早霜「・・・もし罰や怒りが私に向かうようなら、私はそれを受け入れるわ」
長門「その必要は無い。それは私のとがだ」
北上「ごめんね。意地悪を言う気はないんだけどさぁ、そろそろ何か考えなくちゃならないんでしょ?」
長門「そうだな。わかっている」
―そして、少し重い沈黙が漂い始めていたが、廊下の向こうから何かただならぬ気配が伝わってきていた。瑞鶴が翔鶴を気遣う声だ。
―ガチャッ・・・バタン
長門「翔鶴、起きて大丈夫なのか?」ニコッ
翔鶴「ごめんなさい。あまり戦えないのにこんな時ばかり執務室に来て。でも、北上さんと早霜さんの帰投が気になって眠れなくて・・・」ニコ・・・
―翔鶴は申し訳なさそうに、やつれた笑みを浮かべた。白い髪に、白い浴衣はまるで雪女か、美しい幽霊のようだった。
瑞鶴「ごめんなさい、長門さん。無理しないように翔鶴ねぇを止めたんだけど・・・」
長門「なに、構わんよ。気になる事があってここまで来る元気があるなら、きっと回復する。大丈夫だ」
翔鶴「すいません、こんな時ばかり。・・・それで、あの、今回はどうでしたか?」オズオズ
―翔鶴は気づいていないようだったが、少しだけ微妙な空気が漂った。
長門「・・・あったが、まだ内容は確認していない。これだ」スッ
―長門は、先ほど早霜から受け取った茶色い瓶を翔鶴に手渡した。
翔鶴「ああ!ありがとうございます!何も起きていなければいいのですけれど・・・」ギユッ
―翔鶴は風雨にさらされたように見えるその瓶を大事そうに抱えていた。
長門「内容の報告は明日でいい。ゆっくり休んで養生してくれ」ニコッ
翔鶴「ありがとうございます。こんな時ばかり、すいません。では、失礼しますね」ニコ・・・
―ガチャッ・・・バタン
―翔鶴は儚げな笑みを浮かべると、一礼して部屋を出て行った。心配そうに瑞鶴も後を追う。その後しばらく意図的な沈黙が続いていたが、翔鶴たちの気配が十分に遠ざかったのち、北上が呟いた。
北上「危ういなぁ・・・。でも、仕方ないよね」
早霜「正しいとは思っていないわ。でも、これしかないし、最悪よりはいいかと思うのよ」
長門「これは全て私の責任だ。総員ご苦労!あとはゆっくり休んでくれ」ニコッ
―長門は労いの笑みを浮かべたが、同時にそれはこの話題の終わりも意味していた。
北上「そーだね。うん、おやすみー」
早霜「私も休みますね」ニコ・・・
北上「あっ、早霜っち、さっきの紅茶のお礼するよー」
早霜「・・・・・・ありがとう」
―ガチャッ・・・バタン
長門「・・・ふう」カタッ・・・ツカツカ・・・カチッ
―長門はため息をつくと立ち上がり、部屋の照明を消した。わずかなデスクライトの光だけが残る。
―カタッ・・・ドサッ
―長門はデスクに戻って座り、手のひらを組んで虚空を見つめ、様々な事を考えた。そして、考えても仕方がないといういつもの一巡を終えると、目を伏せて心の中でつぶやいた。
長門(すまん。だが、他に方法を思いつかんのだ・・・)
―長門は少しだけ、休息をしようと目を閉じた。
―翔鶴と瑞鶴のコテージ。
瑞鶴「良かったね、翔鶴ねぇ」
翔鶴「ええ。ごめんね瑞鶴。でも、これでまた少しは、戦えるようになると思うの・・・」
―翔鶴は長門から受け取った瓶の栓を抜き、中に入っていた、折りたたまれた紙を引っ張り出すと、二段ベッドの上段に上がった。
瑞鶴(もう、戦わなくていいよ。私が護るから・・・でも・・・)
―瑞鶴は不安を消すようにベッドに入った。部屋はとても静かだったが、その静けさは翔鶴の集中力が出しているものだ。翔鶴は長門から渡された紙を読んでいるのだ。
―ベッドの上の翔鶴は、長門から受け取った瓶の中の手紙を読んでいた。
手紙『あの夜からずいぶん時間が流れているが、私の艦娘たちならきっと永らえ、再会できるものと信じている。みんな、希望を失わないでくれ。私も希望を失わず、いずれきっと、精強な友軍が私たちの救援に駆けつけるものと信じている。決して生き急ぐな』
翔鶴(ええ。こんな身になっても、きっと・・・きっと・・・っ!)グスッ・・・ギユッ
―翔鶴は眼に涙を浮かべて、手紙をきつく抱きしめると、そのまま横になり、眠りに落ちてしまった。すぐに、静かな翔鶴の寝息が聞こえ始める。
―ソロー
―瑞鶴は気配を消してベッドの梯子を上り、涙と、不安と安心の入り混じった寝顔の姉を見て、こぶしを握り締めた。
瑞鶴(絶対に、絶対に翔鶴ねぇは本土に帰して、ちゃんとした提督のもとに着任できるようにするんだから!)
―長い間、提督が不在のままだと、艦娘はどうなるのか?
―その答えが、ショートランド泊地では現れ始めていた。このショートランドが大規模侵攻から一年半、全滅を免れていた幾つかの理由のうち、翔鶴・瑞鶴の存在はかなり大きなものだった。装甲空母であり、高練度で、かつ夜間戦闘までこなせる装備と練度を持っていたのだ。
―しかし、長い間の提督の不在は、深海の波動と戦いによる轟沈の危険にさらされ続けた翔鶴の心と体に、深刻な影響を与え始めていた。精神が不安定になり、高速修復材がしだいにうまく作用しなくなってきていたのだ。最近は小破レベルの損傷でも、一週間は入渠していなくてはならない状態だった。そして、その状態で戦場に出すことがためらわれたため、現在の翔鶴は療養中という形で任務から外されていた。
―北上のコテージ。
北上「ほい、お酒のお返し。こんな時間にコーヒーってのもどうかと思うから、マンゴージュース。大井っちの手作りだから美味しいよ?」
早霜「ありがとう。でも、北上さんがこんな事をしてくれるなんて、何か聞きたい事が?」
北上「やっぱわかる~?なんかさぁ、私もちょっとだけおかしくなってきてるのかなって思うから、こういう事聞くのはためらわれるんだけどね~」
―勘のいい早霜は、北上の聞きたい事が何となくわかる気がした。
早霜「・・・あの手紙のモデルがいるのかどうか?と言ったところかしら?」
北上「!・・・びっくりしたぁ!早霜っち勘がいいじゃん!」
早霜「もしかしたら、もう私たちみんなおかしくなっているのかもしれないわ。・・・でもそうでないとしたら、何かあるのよ。あの手紙のモデルは、何度か夢で逢った人がモデルなの。提督なのか、そうでないのかわからないけれど、とても強そうな、寂しそうな、優し気な人で・・・」
北上「・・・・・・その人さ、なんかこう、黒い服着ているというか、黒っぽくない?」
早霜「・・・驚いたわ。そう、そんな感じ。何かコートのような服を着ているのよ」
北上「なんかさあ、記憶の片隅に残ってるような、変な感じなんだよねぇ」
早霜「・・・これで、一通り確認できた形になるわ」
北上「んー何の話?」
早霜「初期に沈んでしまって話が出来なかった人を除いて、あの黒い人のイメージがあるかないか、確認できなかったのは北上さんが最後だったの。北上さんもそうだったのね」
北上「えっ?どういう事?」
早霜「これは仮説だけど、私たち、『黒い提督』のイメージがある人って、たぶんその人に着任していたことが過去のどこかにあるのかもしれないわ。ちょっと待ってて、今メモを持ってくるから」
北上「メモ?」
―ギイッ・・・バタン・・・タタタッ・・・バタン・・・タタタッ・・・ギイッ
早霜「これを見て、北上さん」スッ
北上「えっ・・・これほんと?」
早霜「全て、大きなずれのある妄想という前提は外さないでね?」
―早霜のメモには、ショートランドに着任している・着任していた、全ての艦娘の名前があり、早期に轟沈したメンバー以外ほぼ全てに聞いた、『提督のイメージ』の結果がまとめられていた。
北上「今生き残っている艦娘はみんな、『黒い提督』のイメージがあるんだ。びっくり・・・」
早霜「それだけじゃないわ。沈んだ仲間たちのうち、話を聞けた人はみんなこのイメージがない人ばかりだったの。大井さんもそう。そして、今残っているメンバーの中だと・・・」
北上「翔鶴さんと、瑞鶴さんだけなんだね・・・」
早霜「それだけじゃないわ。これも見て。これは長門さんの協力もあって作れたデータよ?」パサッ
―早霜が出した次の資料を、北上はじっと眺めていたが、途中から食い入るように確認し始めた。
北上「・・・・・・数字は嘘をつかないよ。これ、偶然じゃないよね?・・・うん、心当たりがある。変な攻撃タイミングや、回避タイミングが急に『降りてくる』事があるんだよね」
―早霜が出したデータは、『黒い提督』のイメージを持っている艦娘と、そうでない艦娘の被弾率と轟沈数をまとめたものだった。『黒い提督』のイメージを持つ艦娘は、確認できている限り一人も轟沈しておらず、被弾、小破から大破までのダメージを受ける割合も、イメージを持たない艦娘より、はるかに低かった。数倍の開きがあったのだ。
北上「ああ、だから長門さんも、あんな方法を許可したんだ」
―メモによれば長門もまた、『黒い提督』のイメージを持つ艦娘の一人だった。
早霜「私もそう。だから、あの手紙は、あの黒い提督ならこんな感じかな?というイメージで書いているの。翔鶴さんは『黒い提督』のイメージを見た事が無いらしいけれど、とりあえずはあの手紙が支えになっているみたいね」
北上「待って、でもそれじゃあ、この泊地で『黒い提督』のイメージを持ってない人って・・・」
早霜「ええ。もう翔鶴さんと瑞鶴さんの二人だけ。データで言えばあの二人には、私たちみたいな回避能力はない可能性が高いわ。つまり、沈む可能性が最も高い二人ということになるの。それもあって、長門さんはこんな方法を取ったし、瑞鶴さんは知っているから・・・」
北上「色々考えさせられるねぇ・・・」
―北上は少しだけ遠い眼をした。
早霜「いずれにしても、備蓄も春くらいで底をつくわ。何かを始めなくてはならない時期は近いという事よ」
北上「そうだね・・・」
―大規模侵攻から一年半、何とか維持し続けていたショートランド泊地には、その維持の終わりと、大きな決断を迫られる時期が近付きつつあった。
―同じ頃、南太平洋、ポンペイ島、ナン・マドール遺跡。焼けた護衛艦の集積地。名称不明の護衛艦甲板。
鈴谷「あーあ、月が綺麗なのになぁ・・・」
―南の島で、綺麗な月と温かい夜風の中にたたずんでいたが、そんな言葉を聞いてくれる相手も居なければ、何か返してくれる相手もいない。ここには、大量の備蓄とわずかな仲間しかいない。
―ストッ・・・スタン
―鈴谷は腰かけていた127㎜速射砲の砲身から降りると、月を眺めながら甲板の散歩を再開した。
アクィラ「あらあら、今日も真夜中の散歩?でもいい夜ね」
鈴谷「ロマンチックな夜だけど、女しかいない時点でお察しだよねー。あーもう、死んでもいいから本土に向かって行けるとこまで突っ込みたくなるなぁ。このままこんなところで朽ち果てたくないもん!」
アクィラ「気持ちはわかるけど、備蓄は大量にあるわ。流れが変わるまでゆっくりしていればいいのよ」
―カンカンカン
―もう一人足音が近づいてくる。艦橋の影から月明かりの中に出てきたのは、リットリオだった。
リットリオ「そうよ。戦いの中に戻れば、今度はいつ沈むかわからなくなるわ。ここは、海にさえ出なければ沈むことは無いし、素敵な自然も十分な備蓄もあるもの。今は神様が与えたバカンスを楽しむべきよ」ニコニコ
―そんな事を言っているリットリオは水着にパーカーという姿だった。彼女たちは昼間はいつも好きなだけ泳ぎ、好きなだけくつろいで、この島での時間をゆったりと楽しんでいる。
鈴谷「はぁ。なんかさー、あなたたちを見ていると、私も日本人ぽいのかなって」
アクィラ「なんだかんだ言って、スズーヤって真面目ですよね。毎日きっちり日課通りに任務や役割をこなしているし、鳩の世話も一番マメだし」
鈴谷「だってさ、真面目にやんないと帰れないじゃん!帰っても、練度が低かったりしたらちゃんとした提督のもとに着任できないかもしれないし。鈴谷そういうのは嫌なんだもん!そもそも二人ともさぁ、イタリア生まれなのに、なんか鈴谷より恋愛観が希薄じゃない?」
アクィラ「あーそれはね・・・」
リットリオ「私たちの前の提督は、いい方でしたが海外艦はちょっと苦手だったみたいで、あなたみたいに期待感を持つ、という感じではなかったのよね」
鈴谷「えー・・・なにそれ!私が男で提督だったら金髪の女の子触りまくりたいけど」
アクィラ「あはは、スズーヤが男で提督だったら、憲兵にしょっちゅう捕まりそうね!」
鈴谷「やーそこはうまくやるっしょー。でも、そういえばよ?あなたたちが提督の話をするなんて珍しいよね?」
リットリオ「月と風が良い感じだし、たまにはこうして話すのもいいでしょう?以前はずっと呉にいたから、ここの方が私たちは好きなのよ」
鈴谷「確かにいいところなんだけれどね。戦いも無いし」
―最初はそう思っていたが、鈴谷の中では次第に不満の方が膨らんでいた。やっぱり、提督のもとにいて、戦うのが艦娘なんじゃないか?今のままずっと停滞が続き、その中に居る事は、結局どんな未来にも繋がらないはずだ。かと言って、ここを出る方法も無い。
鈴谷「はぁ、どうすりゃいいんだか・・・」
―思わず口から出ていた。
リットリオ「まあ、待ちましょう?」
―ザバッ・・・バシャッ
―月光を白く跳ね返す遺跡の海際から、艦娘が一人あがってきた。
アクィラ「おかえり、シオイさん」
伊401「ただいまー!」
鈴谷「何か変化は・・・あるわけないか」フゥ
伊401「相変わらず、遺跡の外はすごいサメの群れ。で、そこから沖は深海棲艦がうじゃうじゃ。でも、少し数が少ないような気もするかな。気のせいってレベルだけどね」
リットリオ「いつもと変わらないわねぇ」
鈴谷「はーあ・・・まあ、わかっちゃいたけどね」
―この遺跡の付近だけは、深海棲艦はなぜか近寄ってこない。リットリオやアクィラの話では、太平洋上には何か所かこのような場所があり、かつて二人が所属していた呉第四鎮守府などは、そういった場所の調査や、技術的な転用を研究していたらしい。そのおかげで大規模侵攻後も平穏に過ごせていたが、別の見方をすれば、閉じ込められているようなものでもある。
鈴谷(親潮ちゃん、無事にたどり着けたかな?いい提督のもとに着任できたかな?ショートランドは無事かなぁ?)
―鈴谷はショートランドの仲間や、親潮のその後が気になって仕方なかった。毎日何度かこの事について考える。そして、きっとショートランドの皆は脱出に成功し、親潮も平穏な毎日を過ごしているに違いない、と思い込むようにしていた。・・・が、何度かに一度は、別の恐ろしい想像が頭の隅を横切った。
鈴谷(みんな全滅して、日本もダメになっていて、私たちだけが生き残っているとか、そんな事、ないよね?)
―鈴谷は明日もまた、機密文書を付けた鳩を何羽か放そう、と決めた。このナン・マドール遺跡の拠点では、定期的に伝書鳩に機密文書をつけて放っていたのだ。
―同じ頃、南太平洋上、ジャーヴィス島付近。
熊野「うん、あの島影がジャーヴィス島に間違いないですわ」
―左手遠くの薄明かりが差してきた海に、ぽつりと小さな島影が見える。熊野たちは出発前に大体のルートを決めていた。
―パルミラ環礁からトラケウかサモアを目指し、敵性反応を見つつ、フィジーかツバルへ。そして、大きな泊地があったとされるショートランドを目指し、残された物資があったらこれを補給し、無かったら態勢を整えて、ポンペイ島を経由してグアムから南西諸島へ。またはフィリピン経由でもいい。
秋津洲「うん、大艇ちゃんも島の形がそうだって言ってるから、間違いないかも」
朝雲「こんな薄明かりでも飛ばせるなんて、秋津洲さん本当に練度が高いのね!」
秋津洲「それほどでもないかも~。でも、ありがとう!」
―かつて、南太平洋には深海と戦うために多くの泊地があった。パルミラ環礁の観測泊地を南端としたそれらは、大規模侵攻の二昼夜で全滅したとされている。しかし、パルミラにも補給物資があったのだから、敵性反応がない限りは、泊地を辿っていくのが良いと思われた。
熊野(もしかしたら、まだ踏ん張っている仲間たちもいるかもしれませんわ!)
―幸い、相変わらず敵性反応は低い。進めるうちに進むべきだと思われた。熊野は自分たちの旅が、この後の戦いに大きな影響を与えていく事を、まだ知らなかった。
―堅洲島鎮守府、提督の私室。マルヨンサンマル(午前四時半過ぎ)、ベッドの中。
叢雲(ああ、色々考えちゃって眠れなくなっちゃったわ・・・)
―寝る時でも私服のままの提督は、叢雲が触れているせいか、深く静かな寝息を立てている。ただ、時々足の親指を回す気配や、伸び、腕を動かすなど、地味にストレッチじみた動きが感じられた。命がけの戦場で眠る事を経験した兵士たちの特徴で、起きても即応できるように無意識に身体をほぐす行動なのだという。
叢雲(私がどんなに色々考えて緊張しても、そんな事関係なくあっさりしたもんよね・・・流石だわ)フゥ
―でも・・・。
叢雲(こうして次から次へと、強い子たちを集めているのは大したものだけど、そうなのね?本当に、深海とやり合って勝つつもりなのね?無理はしないでよ?)
―以前、叢雲が自分の心苦しさを、本心を、泣きながら吐露した時、提督は少しだけ疲れた、しかし優し気な笑みを浮かべて言ったことがある。
―『気にされる方が辛いから、もう何も気にするな』
叢雲(でもね、ごめん、私にはわからないの。人ってもっと弱くて、辛くなったら些細なことだって耐えられなくて、自分で死んじゃったりするでしょ?)
―叢雲は、提督と知り合う前の事を思い出していた。
―叢雲の記憶、矯正施設の面会所。
上層部のエージェント「彼の心は既に廃人同様かもしれん。しかし、その眠っている能力は今でも高い。支えがあればある程度は結果を期待できるはずなのだ」
叢雲「何で、私に?」
上層部のエージェント「用心深い彼は住居も職場も転々としているが、熟練の老工作員が彼との接触に成功した。その上で、初期秘書艦なら誰が良いか?という質問に対し、君が選ばれたのだ。我々が自由に動かせる叢雲は、君しかいないのだよ」
叢雲「・・・で、何をしろと?」
上層部のエージェント「君は松島鎮守府での不祥事の責任を取りたいと言ったな?その時が来た。それだけだ」
叢雲「はっきり言って」
上層部のエージェント「秘書艦として、彼の提督としての任務を支える事だ。必要であれば公私にわたってな」ニヤ
叢雲「・・・要求されたら、身体を使えという事ね?」
―叢雲の言葉に、男のエージェントは答えず、冷たい眼をした女のエージェントが代わりに答えた。
女性のエージェント「端的に言えばそうね。彼が求めるなら、母なり、妻なり、恋人なり、娘なり、とにかく何か心の支えになる者となり、求められたら身体を使って、とにかく彼が提督としての能力を存分に発揮できるようにする。それがあなたの任務よ。彼の死はあなたの死。彼が任務を拒否したら、あなたは解体させてもらうわ」ニヤッ
叢雲「驚きは・・・しないわ。少し風紀の乱れている鎮守府と、それは何も変わらないもの」
女性のエージェント「聞き分けが良くて助かるわ。まあ、断るはずがないわよね。あの二人の解体をしない約束だもの。あなたはやるしかない任務よ」
叢雲「ええ。いいわ」
―叢雲は思い出すのをやめた。
―再び、提督の私室のベッドの中。
―モゾッ
―そこまで思い出してから、叢雲はふと、提督の顔が見たくなった。自然な形で寝返りを打つように、仰向けから横向きに変え、提督のほうを見る。
叢雲「あっ、ごめんなさい!(小声)」
―提督は眼を開けたところだった。
提督「・・・いや、これでもよく寝ていたと思うぞ?それより、眠れないのか?(小声)」
叢雲「・・・うん」
提督「当ててやろうか。おれの考えがわからなくて心配している?(小声)」
叢雲「・・・聞きづらい事をそうやってはっきり突っ込んでくれるの、とても助かるわ。気を使ってくれているのよね」ニコ
提督「らしくないな。そんなに悩まなくてもいいのに」
叢雲「私ね、あなたの考えがわからないの。普通はこんな道、嫌じゃないの?辛くないの?」
提督「あー、まあそう考えるか。そうだよな。・・・でもさ、何か忘れてないか?」
叢雲「何かあったかしら?」
提督「出会って間もない頃に、言ったろ『おれは道を見失っている』と」
叢雲「あっ!・・・えっ?こんな困難なのがあなたの道なの?」
提督「道がないより、よほどいい。決して悪くない。これでも楽しんでいるつもりなんだが、そう見えないか?」
叢雲「私、知ってるのよ?政府や総防省の人たちが言うあなたと、本当のあなたは多分違うって。あの人たちはあなたを怖がっているけれど、本当はとても優しい人だわ。あの人たちの接し方や考え方が悪かったのよ・・・だからそのぶん、あんたが嘘ついて無理してるんじゃないかって、不安になるのよ」
提督「それは大丈夫。そもそも無理ができる状態じゃない。今のおれの心はそんなに強くない」
叢雲「そう言えば・・・そうだったわ。でも不思議ね。全然弱く見えないのに」
提督「それは違う。おそらく誰よりも弱かったから、強くなろうとしただけで、基本的には一人の迷子の子供みたいなもんだよ」
―おかしなことを言う、と叢雲は思った。どこからどう見ても、心身ともに十分に大人な気がするのに、何を言っているのだろうと。そんな叢雲の空気を察したのか、提督は続けた。
提督「小さなころの記憶が無いんだ。母さんと、爺さんに育てられたが、血のつながりはない。ただ、爺さんの激しい練習に、とにかくかじりついていかなくちゃならない事と、どこかに自分の敵がいるような感覚だけは分かってる。それを取り除いたら、おれはただの子供みたいなもんだよ。行き場のない、な」
―とても大事な話をしていると、叢雲は気づいた。おそらく誰にも話さない類の話だ。自分が心配しているから、踏み込んだ話をしてくれているのだろう。
叢雲「それは、こんな困難な立場でも嬉しいと感じられるくらい、辛かったこと?」
提督「行き場も役割も分からないより、ずっといいさ。皮肉な話だが、アフリカにいた頃も、生き延びるのに必死な時が一番生きている気がしたしな」
叢雲「そうなのね?」
提督「自分のルーツが分からないと、結構辛いもんなんだぜ?自分が何を目指して生きていいのかわからなくなるから、何でも知らなくてはならなくなるしな」
叢雲「変な所が真面目で、何でも知っているのはそういう事だったのね!」
提督「そういうこった。まあ、もうそんなに気にしないで、普通の鎮守府に着任しているつもりで過ごしてくれよ」
叢雲「・・・うん」
―そして、沈黙が訪れた。叢雲は眠れない。そして、提督も眠っていないようだ。
叢雲「ねえ」
提督「ん?」
叢雲「本当は、女の子は苦手なの?」
提督「!・・・なぜそう思った?」
―付き合いの長い叢雲には、提督がその質問で動揺したのが伝わってきた。叢雲には、提督の艦娘への接し方に、ごくわずかに気配りと・・・距離感が感じられていたのだ。
叢雲「今もそうだけど、冷静すぎるもの。金剛さんが毎晩一緒でもそうだし。何か・・・あったの?あなたにぶん殴られた、上層部のクソ女も言っていたでしょう?私の事は自由にしていいって。でも、あんたはずっとそうしない。私が脱いだあの時だって・・・」
提督「せっかくだから話しておく。黙ってると、叢雲は色々考えるもんな」
叢雲「待って!それは話しても大丈夫な事?」
提督「あまり大丈夫じゃないが、黙ってるままだと叢雲が悩み続けるだろうし、それよりは言った方が良さそうだ」
叢雲「・・・なら、あなたの心の負担にならない範囲で」
―また少し、沈黙が流れた。
提督「一番ひどい時の話なんだがな、・・・戦いの合間に、女と寝ていた。工作員だったのは知っていたが、考えるのも面倒なくらい疲れていたんだ。その女と『寝ていた』時に、その女の胸が内側から弾け飛んだ」
叢雲「えっ?・・・待って、どういう事?」
提督「おれが下で、その女が上。たまたま胸から手を離した時にドアが開いて、銃撃されて、女の胸がはじけ飛んだのさ」
―叢雲は絶句した。提督は淡々と続けた。
提督「倒れ込む女は、死にかけていた。最後の力を振り絞って、こう言った。『私の身体を盾に、生きて』ってな。その後のことはよく覚えていない。何発かはおれにも当たったが、気がつけば奴らはズタズタになってみんな死んでいた。おれは・・・泣いていたのかもしれないな。それからだよ、何か色々壊れちまったのは。人にあまり近づけなくなった。時々、何かひどく空しくて、自分がとうの昔に死んだ、生きた死人なんじゃないかって思う時がある。今のように、生きる理由や、闘争心を起こせる何かがあると、自分がまだ生きていると感じるような、おかしな感覚が・・・」
―バサッ・・・ギュッ
―叢雲はいきなり提督に抱き着いた。
提督「叢雲・・・」
叢雲「配慮が足りなかったわ。ごめんなさい。そんな話をしなくていいわ。いつも勘違いするの。あんたがどっか余裕があって、とても強い人だって。私、またやらかしたわ」
提督「やらかしてないし、何回やらかそうが、構わんよ。これもまた会話と理解だろう?それより何で抱き着く?おれの心は意外と大丈夫なんだぜ?」
叢雲「わからないけど、こうしたほうが良いと思うの。気に入らなかったら、営倉でも何でも入るわ」
提督「ほんと、優しいよな」
叢雲「・・・今は怒らないわ」
提督「ついでに、男としてはこんな時、ただ両手を投げ出して寝ているのはなんかなぁ」
叢雲「・・・好きな位置に手を置いたら?」
提督「ああ」
―提督は、叢雲の背と頭にそっと手を回した。
叢雲「!」
提督「おやすみ」
叢雲「おやすみなさい」
―以前の鎮守府で提督が自殺してから、ずっと傷ついていた叢雲の心は、この日を境に少しずつ傷が癒されていくことになる。しかし、提督の心の中は、誰も知らなかった。
―堅洲島鎮守府、メイン棟と対角になる、特殊訓練施設のエレベーター塔屋内。
時雨(そうだったんだ・・・!)
―時雨は振動聴音機のヘッドホンを静かに外した。何人かの艦娘たちの協力で、実は提督の私室の窓枠には、レーザー式の振動聴音・発振盗聴器が仕込まれてる。時雨はその機材が拾う音を聴いていた。
―キイ・・・カチャ
青葉「どうです?何か新しい発見はありました?どうせ何もおかしい事になんてならないはずですけど」
時雨「・・・そうみたいだね」
青葉「金剛さんや叢雲ちゃんとどうこうなるような人なら、青葉そんなに興味を惹かれる事はないと思うんですよねぇ~。提督ってほんと謎だらけで面白いんですよ」
時雨「ちょっとだけ、謎が解けたかも?提督はちょっとトラウマがあるみたい」
青葉「何か聞いちゃったんですか?」
時雨「うん、話していいのか迷うような話をね」
青葉「・・・なら、青葉は聞かなくていいです。時雨ちゃんも胸の内にしまってくださいね?そういう約束なんですから。まあ、元軍属で過酷な戦場に居たみたいだし、そういう事もあるでしょう。記者としてはそういうのは聞かなかったことにする主義ですけれどね」
時雨「うん。これはそういう話だと思う。口の堅さは、信じてとしか言えないかな。でも・・・」
青葉「信じてますから大丈夫!」
時雨「ありがとう。じゃあ、僕はもう納得したから、この件は今日で終わりでいいよ」
―しかし、青葉は時雨にどこか元気がない気がした。
青葉「どうかしましたか?なんだか元気が無いような?」
時雨「ううん。僕も色々あったから、ちょっと昔を思い出したのかも。それだけだよ。じゃあ、おやすみ」
―キイ・・・カチャ
青葉「・・・・・・」
―青葉は時雨の事が少しだけ気がかりだった。しかし、いつもの時雨の、どこか微かに不信感や嘲りを感じさせるような雰囲気は消えている。重い何かを知ったのかもしれないが、それはどちらかと言えば良い方向に働くような気がしていた。
青葉(ま、私が深く考えてどうこうなるような、そんな話でもないですしね)
―青葉は手際よく盗聴機材の片づけを始めた。
―特殊演習場から鎮守府メイン棟間のグラウンドを、時雨はとぼとぼと歩いていた。やけに冷える。雪が降るのかもしれなかった。
時雨(冷えるなぁ・・・)
―時雨は昔言われた言葉を思い出していた。
―時雨の回想、かつての佐世保鎮守府の執務室。
佐世保の提督「艦娘はなぁ、何も考えないで提督に忠誠や気持ちを捧げるところが良いんだよ。お前は人間の女みたいに情念が深くて面倒臭いんだよ!!」
時雨「・・・・・・そう。もういいよ。君には失望したよ。そうやって艦娘の純粋な気持ちを食い物にしてきたんだよね」ニヤッ
佐世保の提督「何だ!?反抗的な態度にその口の利き方は!」
時雨「無駄だよ。僕はもうここの事は憲兵隊に報告書を出したから。今日この後、君は更迭されるんだ」
白露「なんて事するの?時雨、そんな事をしたらここの鎮守府は・・・!」
時雨「提督は更迭になって、ここも再編成になるだろうね。でも、それはそこの提督が悪いんだ!」
佐世保の提督「・・・何だと?聞き捨てならんぞ!?貴様」カタッ・・スチャッ
時雨「くっ!」
―佐世保の提督は60式提督用拳銃を時雨に向けて構えた。
白露「提督もそんなものを出さないで!時雨、謝って憲兵隊を帰して。全部行き違いだったって!」
時雨「姉さんはいいよね、妹たちがいなくなっても、その男さえいればいいんだろうから。待ってて、今目を覚ましてあげる」カチャッ、スッ
―時雨は傍のテーブルの上に置いてある果物ナイフを取った。艦娘の能力なら、銃で致命傷を受ける前に肩や心臓に投げ刺す事も難しくはない。そして、この行動をとった時点で、時雨は反逆罪に該当した。
佐世保の提督「くそっ、最後まで不愉快な奴め」グッ
白露「だめっ!」ダッ!
時雨「させないよ、提督ッ!」ビュッ
―パパンッ、ドスッ・・・
佐世保の提督「ぐっ!」
白露「ううっ!」
時雨「えっ!?」
―時雨が見たものは、提督の銃を飛び込んでずらす白露の姿と、その背中に深々と刺さった果物ナイフだった。心臓まで達しているのは容易に想像がついた。
時雨「僕は、提督の肩を狙っていた・・・のに・・・なんなの?・・・何なの!?」
―白露がゆっくり振り向いた。
白露「当たらなかった?私は大丈夫。これで・・・いいんだよ・・・こふっ」ニコ・・・グラッ・・・ドサッ
佐世保の提督「ぐっ・・・くそっ!頭が!」
―佐世保の提督は右の側頭部から少なくない血を流していた。銃弾がかすったらしい。
―ダダダダダッ・・・バーン
憲兵「銃声がしましたが、今のは・・・何ですかこれは!?何という事だ!」
佐世保の提督「おれは何も、悪くない・・・う・・・げえっ」ビチャビチャ
―佐世保の提督は、無実の訴えを言い終える前に、強烈な吐き気で戻した。
憲兵「いかん!脳に損傷が発生している可能性がある!すぐに救急車を!」
時雨「えっ?・・・そんな・・・なんでっ!」
―それからのことは、音の出ない映像のような記憶しかない。佐世保の提督は銃弾の衝撃による脳障害で寝たきりになり、その不祥事はほぼ白露一人にかぶせられ、時雨は矯正施設行きになった。修復を拒んだ白露は数日後に自分から解体を申し出て消えてしまったらしい。
時雨(でも、誰も、姉さんも知らない真実があるんだ・・・一番罪深い僕がこうして生きているのは、きっと罰なんだろうね)
―冷たい風に、粉雪が混じり始めた。
時雨(本当は僕ね、みんながいなくなればいつかは自分が提督に可愛がられるかもって、そんな事を考えちゃってたんだ。ここに来ることにしたのも、本当は・・・)
―時雨は提督の私室の窓を見た。照明の消えたその部屋では、傷ついていてもそれを表に出さず、距離を取って気遣える提督と叢雲が、ただ静かに眠っているはずだ。
時雨(僕の心はもう汚れちゃっているから、そんな君らがちょっと憎らしいくらい、羨ましくてきれいに感じられるんだ。ここの山城と扶桑も、何か雰囲気が違うしね。うん・・・僕はもう少ししたら、・・・消えようかな)ニコ・・・
―時雨は、自分の胸の内に秘めた思いが汚らわしくて耐えられなかった。この日、迷いに終止符を打って、近々自分の全てを終わりにしようと決意した。しかし、それは山城と提督の想定の内であったことを、時雨は知らなかった。
―翌朝マルナナマルマル(午前七時)、和歌山県西牟婁郡白浜町、椿駅近くのある古民家。
―古い木戸を開けて、外から黒い髪の少女が入ってきた。少女は土間の台所で作業していた老女の背中に声をかける。
朝潮「八重さん、雪がどんどん強くなってます。今日は何も動きは無さそうです!」
老女「いないと思ったら、もうあちこち見て回ったのかい。ここでこんな雪が降るなんて珍しい事だが、北国の雪の降り方を思い出すとね、これはまだまだ強くなる降り方だよ。今日のこの日、どうしても達成したい悪事があるなら、この雪を利用する者もいるだろうが、あんたとあたしが追っかけてるのは、そこまでのネタじゃない。今日はお休みだね」ニコッ
―老女はしわのある顔を笑顔でさらにくしゃくしゃにして、朝潮に語った。しかし、しわの奥の眼には鋭い光が垣間見える。
朝潮「では、何か日常のご命令を!」ピシッ
―しかし、付き合いの長い八重おばあさんは、朝潮の心が雪でわくわくしているであろうことをよく知っていた。
八重おばあさん「麦を踏んでおいてくれ。それが終わったら、あとは自由時間だ」
朝潮「朝潮、麦踏みはもう済ませてあります。ご確認を!」
八重おばあさん「そんなこったろうと思ったよ。あんたは手を抜かない子だ。じゃあ、朝ごはんが済んだら見させてもらって、あとは自由時間かねぇ」
朝潮「諒解いたしました!艤装の手入れをして、完了したら雪かきをしようと思います!」
八重おばあさん「このまま降り続けると、今日はあの子も山の方から下りてくるかもしれない。そうしたら、たまには羽を伸ばしたらいいよ」
朝潮「ありがとうございます!」
―この白浜町の隣町、串本町には、かつてビッグセブンの一角とうたわれた南紀州鎮守府がある。しかし、この老女と朝潮の存在を、また別の艦娘の事も、南紀州鎮守府は把握していない。彼女たちは南紀州鎮守府の動きを監視する工作員だった。
朝潮(見ていてください、司令官との大切な約束、必ず果たして見せますから!)
―朝潮は雪の舞い降りる灰色の空を見上げて、誓いを再確認した。
―ある鎮守府の解散後、一人だけきわめて高い軍功が評価され、引退の許可も出ていた朝潮だったが、その選択はしなかった。かつての司令官の遺命を胸に、秘められた任務に当たり、既に二年近い月日が流れようとしていた。そして、ずっと動きの無かった対象に、そろそろ動きが出始めようとしていた。
―深淵。
―精悍な顔つきに、短い髪をオールバックにした、白い士官用コートの男が深淵の中の旅を続けていた。そこは最初、暗闇の中でさらに目を閉じたときに見えてくる、不定形の光のない幻像の連続だが、意思のある者には次第に様々なものが見えるようになってくる。
白い士官コートの男(あれから相当の時間が流れているに違いない。はるか遠くに、わが肉体の微かな叫びが聞こえる。そろそろ食を取らねばまずいか・・・)
―深淵はいわば夢の世界に等しい。現(うつつ)の世界と夢の世界で共通の意思を持ち得る人間は稀であり、この男の強固な精神と意志力、そして属性がそれを可能にしていた。
白い士官用コートの男「深淵よ、答えよ!!」
―男は右手を不定形の闇の奔流に向け、命令するように叫んだ。
―ゴッ・・・ヒユオオォォォォォ・・・カッ!
白い士官用コートの男「・・・これは!」
―深淵は暗黒から灰白色に切り替わった。濃い灰色の低い雲が垂れ込め、砕けた骨が小石のごとく、広大な大地を形作り、雪のように灰が降り注いでいる。
??「不遜なる者よ・・・」
―雷鳴のような声が響いた。精神体である自分に語り掛けてくる、ダイレクトヴォイスだ。深淵にいる何か巨大な精神的存在に、声が届いたらしい。
―骨の原野に、人ともドラゴンとも、邪神ともつかない、巨大な骨の獣が姿を現した。
♪BGM~Two Steps From Hell - Black Blade~
骨の獣「汚らわしき救世主の臭いがする。不遜なる者よ、我ら敗れたるが、決してまつろわぬ死者の領域を、生者の土足で汚し、さらに問いかけるその行い、それがここで何を意味するか分かっておろうな」ギギギギギギ・・・・
白い士官用コートの男「これは失礼した。まつろわぬ柱よ。私は深く潜り過ぎたらしい。ここより浅い領域において、やや前から・・・私の心身の属する世界においてのやや前から、深淵の死者たちが以前のように答えなくなった。故に私は、意図せずに未知の深淵まで足を踏み入れてしまったらしい。その非礼は詫びよう」
骨の獣「ファハハハハ!!忌々しく了見の狭い者どもの力を得ている人間の、何と傲慢な事よ!教えてやろう、汚らわしき救世主よ!貴様の心身の属する世界において、一つの時代に最も多くの同族を殺したものが、貴様の宿命に関わりかけておる。故に死者どもは何も答えぬのだ!」
白い士官用コートの男「なにっ!?」
骨の獣「貴様がここまで来れたのも、全てが始まろうとしているが故。愚かなお前たちは、自らが結んだ契約と、破棄した契約を忘れ、蒙昧な知性を振りかざし、知恵の限りを尽くして愚か者の塔を建造したな?」
白い士官用コートの男「・・・・・・」
骨の獣「そして失われた愛を取り戻そうとした。それこそが最も愚かなことであると本当は知りつつ、さも高尚な理由という名の香水を振りかけてな!そびえたつ糞に、涙のごとく香水をかけ続ける。何と面白きか!」
白い士官用コートの男「黙るがいい。貴様も所詮死者に過ぎぬ。敗れたる者よ」
骨の獣「・・・戻ったら、刮目せよ。お前たち人の子の傲岸さは、やがて人の子の闇そのものを呼び起こし、その者に全て打ち砕かれるであろう。遥か古代の契約のようにな・・・」ニヤァ
―バシッ・・・オオオォォォォォォオオオオオォォォォ
―全てが消え去り、再び全ては暗黒になった。
白い士官用コートの男「現れるというのか?あれが・・・」
―白い士官用コートの男は、この魂の旅を切り上げ、現世に帰ることにした。
白い士官用コートの男「加賀よ、私の声が聞こえているか?そろそろ戻る」スッ
―闇の中で左手をかざすと、指輪から糸のように細い光が出ている。これを辿れば、やがて自分の肉体の所に戻れるのだ。
白い士官用コートの男「しかし・・・」
―今回は非常に深くまで旅をしてしまった。死者たちから知識を得て、属性保持者を見つけ出すという目的は果たせていない。そして、現世ではかなりの時が流れているはずだった。肉体と戦況は気になったが、帰還にはずいぶん時間がかかるだろう。
白い士官用コートの男(深淵でさえ、嵐の予感がする。現世で何かが起きているな・・・)
―白い士官用コートの男は、しかし焦らなかった。焦っただけで、深淵は人を迷わせるのだ。魂の力と光を信じて、少しずつ戻らなくてはならない。おそらく骨の獣は、知っていてわざと感情を荒立てさせるような事を言ったのだ。ここはそういう領域だった。
―深海側の要塞、多次元宇宙論観測区画、『アビスドライブ』観測室。
―様々な機械のパネルが規則的に、または不規則に明滅する薄暗い部屋の中央に、大きなガラスの筒が斜めに安置され、その中で白い士官用コートの男が眠るように横になっていた。男の顔には、額から目にかけて銀色の仮面がつけられている。
加賀(提督、まだ戻らないのですか?)
―加賀は眠る男の姿を、愛情と心配の入り混じった眼で見つめている。そんな加賀に、白衣姿の研究員が声をかけた。
研究員「一条御門さん、今回はなかなか戻って来ませんが、体脂肪の減少以外は特に問題はありません。精神波も活発です。あの人の事だから、普通の人には歩けない領域を旅しているに違いありません。今度はどのようなメンタル・マスに遭遇したのか楽しみです!」
加賀「あなたはいつも前向きで良いわね。この人の事だから、心配が必要ないのは分かるけど、少し長いから・・・」
研究員「まあ、確かにずいぶん長いですよね。でも、きっと大丈夫ですよ」
加賀(提督、・・・いいえ、一条御門さん、早く元気な声を聞かせて)
―現世と流れの異なる深淵は、一瞬の夢でも数週間経過している事があった。その間、眠り続けている肉体の維持には医学的なサポートが必要だった。研究施設だったここで、それは何も難しくはない。しかし、長い提督の不在は艦娘を不安にさせる。加賀の場合は複数の理由から、特にそれが顕著だった。
加賀(このまま勝てるはずなのに、胸騒ぎが強くなっているのよ・・・)
―深海側でも、何かの始まりを感知し始めていた。
第七十二話、艦
次回予告
珍しく大雪の降り始めた堅洲島では、渡航も任務の遂行も難しくなり、艦娘の着任と辞令の受け取りが行われる。
賑やかになる鎮守府と、落ちる如月ちゃんの書類。
何か心の温かさを感じる叢雲。
総司令部での動きと、白浜では雪にはしゃぐ朝潮と山雲。そして、ある鎮守府では・・・。
次回、『雪の一日』乞う、ご期待!
長門『菊月、そんな装備で大丈夫か?』
菊月『大丈夫だ!問題ない!』(12.7㎝連装高角砲(後期型)×3)
長門『その装備では潜水艦に勝てないはずだぞ?』
菊月『いや、いつかの夜、この砲の砲弾が潜水艦に面白いように当たったんだ。その夜を忘れられない・・・ッ!』
長門『わかった。もう何も言うまい・・・』
新潜水棲姫?『トオ・・・サナイ・・・・・・・ッテ。・・・イッタヨオ・・・ッ!』ドカーン
菊月『く・・・また、またダメなのか・・・沈んでいく・・・っ!』ゴボゴボ・・・
―応急修理システムが作動しました。
自動音声(長門)『ナガトハイッテイル・・・ココデシヌベキデハナイト・・・!』
長門『菊月、そんな装備で大丈夫か?』
菊月『一番いい装備をくれ』
ビスマルク『あなたたち、いつまで遊んでいるの?任務を真面目にやりなさいよ!ろーちゃん、あなたも遊んでないの!』
新潜水棲姫あらため呂500『あっ!ごめんなさいですって!』
長門『すまんな』
菊月『ごめん』
皆さんイベントいかがでしょうか?3月11日時点で、E6甲の第二ゲージを割ったところです。
あと三ゲージだ!
E6も何とか甲でクリアしました。
いよいよE7甲の第一ゲージに挑みます。さて、どうなるか・・・。
最終的に、甲乙乙乙甲甲丁で、資源の壁に阻まれました。
くやしい・・・。次回からは最初に資源Maxにしてしまおうと思っています。
しかし、いいイベントでした。
うぉ!?
新しいの来てた!!
これでイベントの残りも頑張れます!
感謝っ・・・・!圧倒的感謝っ・・・・!
一段落着いたんですかね?
お疲れ様ですm(_ _)m
この回の感想ではないけれど、第二十四話の長い夜・前編にて、提督と女科学者との意見交換の場で言った
『人の心には、愛がないか、有っても殆んど無く、有ると思いたいから“愛”という言葉を口にする』
という台詞がこの作品の中で一番印象に残り、昨今の痛ましいニュースを見る度に、この言葉が脳裏に浮かびます。
他の回にも様々な至言があって、とても考えさせられる名作だと思いました。
エルシャダイネタw
イベントお疲れ様です!
うちの基地にもついにアイオワが来てくれました!
ホントに米の艦娘かと疑いたくなる程のルー語っぷりに笑ってしまった(笑)
逆にイントレピッドの発音はネイティブ過ぎ!(笑)
リシュリューの着任時の挨拶は???でした・・・
すまねぇ・・・外の国の言葉はさっぱりなんだ・・・
1さん、コメントありがとうございます。
予想よりも忙しい時期がずれて、まだしばらく忙しいですが、そういうコメントをいただくと、本当に励みになります。
いつもありがとうございます!
2さん、コメントありがとうございます。
いやー、実はまだまだ落ち着きません。
引っ越し作業が半分程終わった感じです。
実は二世帯分の荷物を、繁忙期なので自分たちで移動しているせいもあるんですけれどね。
落ち着いてじっくり話を書きたいものです。
3さん、コメントありがとうございます。
そう言っていただけると、筆者冥利に尽きます。この話は色々な人が色々な事を言うので、至言が多いなんて言われると、とても嬉しいです。
提督のその認識は特に重要なもので、本当は誤解したままでいい事を誤解できなくなったのが提督の良いところかなと思います。で、それが後に大きなポイントになるかと思います。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
4さん、コメントありがとうございます。
絶対に誰かが気付いてくれると思っていました。w
ちなみにもう一つネタが入っていて、菊月が装備している12.7㎝連装高角砲(後期型)って、実装当初は夜戦で潜水艦に攻撃で来たんですよね。バグで。
で、どうやら菊月はそれが忘れられないらしい、と。
ちなみに、長門と菊月は作中で実際に仲が良かったりします。
そろそろ出てくると思います。
5さん、コメントありがとうございます。
今回、ラスト甲から丁に急降下してクリアしました。
資源って大事ですよね(白眼)
タシュケントもたしゅけられなかったですし、今はとにかく資源を集めてます。次は絶対に甲で!