2023-01-28 16:58:11 更新

概要

異世界を渡り、歴史を正しく導く使命を帯びた青年がいた。彼の名は、黒霧時雨。結婚の概念を持たず、恋慕の情すら知らない環境で育った、そんな彼が初めて妻に迎えた女性。彼女の名は、スフィア。これは、彼らが出会い、愛を育み、そして永遠を誓う物語。


前書き

概要のとおり、この物語の主人公は艦娘強化訓練島の日常にも登場しました黒霧時雨とその初めての伴侶、スフィアになります。外伝にも出会いの場面だけは書きましたが、なんだか書き足りなかったもので、この話だけで一本書いてみようかということになりました。途中で諦めてしまわないことを祈って、ごゆるりとお楽しみください。


だから両生類は嫌い


沈みかかった夕陽が紅く染める空に、重い溜息を吐く。


下ろした視線の先にあるのは、蒼く、深い、湖・・・。


そして、その中を揺らめく黒い影・・・。


水面に波をつくりながら悠々と泳ぐ其れは、水底を見詰めるばかりの私を嘲笑うかのように口許を歪ませていた。



はぁ・・・。



また、溜息をひとつ。


重たい腰を持ち上げ、陸の淵に足を掛ける。


覚悟を決め、重心を前に・・・。


倒れる寸前で軽く曲げていた膝を跳ね伸ばし、宙へ舞う。


美しい弧を描き、水飛沫も上げぬ見事な飛び込みを・・・魅せたまでが華だった。


正直、私は水中戦が苦手だ。


だが決して泳ぎが苦手というわけではない。


ただ、潜水ができないだけなのだ。



両の手を揃え、前方に突き出し、弧を描くように掻き寄せる。


足首の力は抜き、一定のリズムで脚をバタつかせる。


泳ぎの形は間違っていないはずなのに・・・何故だろう。


藻掻けど藻掻けど、一向に潜れやしない。


ずっと同じ場所で無様を曝している。


そして、そんな私をじっと奴が見ている。



くそ。他人の無様を見て愉しいか。


あぁ、愉しいだろうさ。愉しいだろうよ。


陸では手も足も出なかった相手が、水中ではこんななのだからな。


陸では手も足も出なかった相手が!



魔獣相手に虚勢を張ったところで意味は無いというのに・・・。


私は心の中で喚き散らしていた。


いや、若しかすると声にも出していたかも知れない。


どおりで息が苦しいわけだ。


白い泡に遮られた視界の先、黒く歪んだ世界に揺らめく紅い瞳が、恐らくは一直線に迫ってくる。


口に加えた剣は右手に、腰に据えた盾は左手に備え、体勢を整える。


ずしん・・・と、重い一撃。


反り返る上半身を、盾の縁に右膝を押し当てて支え、勢いに耐える。


水圧に暴れる左脚は魔獣の下顎に引っ掛けて固定する。


握り締めた剣は狙いを定め、煌々と光る紅い瞳に一閃・・・。



ぎゃおおおお!



水中に轟く悲痛な叫び。


あまりの轟音に身を縮こまらせた刹那、死角から尾の打ち上げが襲う。


何とか盾で直撃は阻止するものの、腹に一撃を受けた所為で肺に蓄えた空気が抜ける。


尾の勢いそのままに空中へと打ち上げられ、くるりと一回転。


しかと両足で着地を決める。


我ながらこの身体能力の高さには感心する。


剣を腰の鞘に納め、遠ざかる魔獣の気配を見送る。



はぁ・・・。今回も失敗。



私はこれまで水中戦が絡む依頼を達成したことがなかった。


陸だけの依頼では失敗したことがないというのに・・・。



これだから両生類は・・・!



私は今日も両の膝を地に着ける。



臥薪嘗胆


仄暗い明りに照らされた粗雑な空間。


其処には零れた酒の痕が残るテーブルと、少しガタついた椅子が並んでいる。


その片隅、一仕事終えたのか諦めたのか知れない者共の喧騒に包まれながら、私はひとり、魔獣の胆スープを睨みつけていた。



「ねぇ、スフィアちゃん?そんなものじゃなくて、もっとちゃんとした料理を食べたほうが・・・。」



給仕の気遣いを手で制し、再びスープに視線を向ける。


右手に握られたスプーンは小刻みに震え、嫌な汗が背を伝う。


一掬いした液体は黄金色に輝き、しかして酷い悪臭を放つ。


固唾を呑み、心を決めて一口・・・。


鼻を抜ける悪臭、何とも言えない粘り気を持った口当たり、込み上げる吐き気。


全身から変な汗が噴き出し、顔から血の気が失せる。



っ~!毎度のことながら不味い・・・!



両の肘をテーブルに突き、項垂れたまま、そっとスプーンを置く。


がっ!


そんな擬音が付きそうな勢いで皿を掴み、一気にスープを流し込む。


胆ごと・・・。一息に・・・。


ことっ。


空になった皿を優しくテーブルに戻した私は、そのまま顔面から突っ伏し、意識を手放した。



・・・ちゃん!・・・ん!



嗚呼、給仕の娘の声が遠のいていく・・・。


毎度毎度、申し訳ない。


だが、仕方がないのだ。


これは私が、私自身に科した、戒めの儀式なのだから・・・。



黒い影


・・・ん。・・・ちゃん。



優しい声が聞こえる。


聞き慣れた、愛らしい声・・・。



・・・!・・・!?



あれ?なんだか急に慌ただしく・・・。


ぱしゃっ。


突如として後頭部を襲う冷水。


そのあまりの量に頭だけでは受けきれず背中を伝い・・・。



「ひゃあああ!何!?」



朧気な意識は洗い流され、はっきりとした自我に還る。


立ち上がった拍子に椅子が倒れ、嫌な音を立てた。


やぁばい。壊したかも・・・。



「何はこっちの科白だよぉ。誰?あの黒いひと。スフィアちゃんの知合い?」



訝しげな表情をしながら給仕の娘が尋ねる。


黒いひと?誰だ、それは。


というか、水をひっかけるだなんて酷いじゃないか!



「私じゃないよ!仮にもお客さんにそんなことするわけないじゃない。全部あの黒いひとがやったの。」



娘の見詰める視線の先、其処に人影はない。


しかしこれまで給仕の娘が水をかけるなんて強硬手段に出ることはなかったし・・・。


そんな度胸があるとも思えない。



「口に出てるんですけど?」



まさか幽霊がっ!?



「ちゃんと実体のある人だったよ!スフィアちゃんを抱えて帰ってきたんだから!」



ん・・・?帰って、きた?



「そう。おかしな二人組に連れていかれたスフィアちゃんを抱えて。後でお礼言っておきなよ?時間的に多分セーフだから。」



いや、連れていかれる前に助けて・・・。



「やだよ。私、ただの給仕だし。巻き込まれたくないもの。」



薄情者ぉ・・・。



秩序の凶刃


狩人の集う村落。


其処に法など無く、弱き者は奪われ、油断した者から破滅していく。


実力社会とも違う特殊な世界が形作られていた。


しかして、そんな無法地帯にも暗黙の戒律が存在する。


ひとつ、自衛の手段を持たぬ者に力を振りかざしてはならない。


ひとつ、価値あるものには相応の価値で以て代価を支払わなければならない。


この戒律の御蔭で、件の給仕を始めとする一般人が安全に生活を送り、商売に励むことができている。


だが、ここで或る疑問が生まれる。


それは、戒律に反した者をいったい誰が罰するのかということだ。


法というものは、そこに罰が在って始めて効力が生まれる。


罪を罰するために法が在り、罰で以て弱者の安全は守られる。


秩序とは罰であり、より上位の存在が力を振るうことによってそれは保たれている。


ならば、この村落の秩序を保っているのは誰なのか。


こんな噂を聞いたことがある・・・。



友人というよりは


秩序の凶刃・・・?


なんだ、それは。



「えぇ・・・。スフィアちゃん、狩人になってもうかなり経つよね?なんで知らないの?」



これ以上ない程の呆れ顔で給仕の娘は言う。


秩序の凶刃というものを知らないだけで、何故こうも莫迦にされなければならないのか・・・。


私は不満げに抗議する。



「莫迦にしてるんじゃなくて呆れてるの。どうせ一緒に狩りをする友達の一人もいないものだから情弱になってるんでしょ。」



両の手を支えに顎を乗せ、如何にも興味の無い話をぶった切るように痛烈な言葉を吐いて捨てる。


正直・・・ぐぅの音も出ない。


今の私には狩り仲間と呼べるような者はいない。


もっと正確に言えば、いたことがない。


一時的にパーティーを組んだことはあっても、それが二度と続いたことはない。


その最たる原因が何かと言えば・・・。



「いい加減、他人に自分の理想を押しつけるその性格どうにかしたら?妥協を覚えないと社会から炙れちゃうよ?もう手遅れだけど。」



給仕の娘の言葉が胸に刺さる。


自分でもわかっている。


そう。わかってはいるのだ。


私独りでできることには限界があるということくらい・・・。


だが、私にだって譲れないものがある。


人が仲間を求めるのは、独りではできないことも皆で協力すればできるようになるからだろう?


つまりは、より高みに登り詰めるために弱みを補い、強みを伸ばし合うために人は群れるのだ。


私が一方的に力を貸す関係では、とても・・・!



「そんな考え方をしてるから友達が出来ないんだよ。」



今日一番、胸に刺さった言葉だった。



いや、でも友達なら・・・目の前に・・・。



「え、私?いや、私は常連さんだから仲良くしてるだけで、別に友達ってつもりはないんだけど。」



早くも今日一番が更新された。


もう、この店に来るの、やめようかな・・・。


割と本気でそう思った。



或る女傑の話


これは給仕の娘が彼女の給仕仲間から聞いた話らしい。



まだ狩人の集落が形を成して間もない頃。


狩人協会に威光も何も無く、ただ依頼を管理するだけの組織と認識されていた時代。


まぁ、百年と昔のことでもないのだが・・・。


当時は、現在のように実力が全てというわけでもなく、勝者が全てという考えが蔓延していたらしい。


どんな汚い手を使おうが、勝った者が正義。


道徳に反することも勝者が是と言えば是となり、人道な適ったことも否と言われれば否となった。


そんなわけで、白昼堂々、それも大通りのど真ん中で、素材の強奪から人身売買、強姦ショーなんてものまで行われていたとか。


まったく。私を今の時代に産んでくれた父と母には感謝しなければならないな・・・。



とまぁ、嘗ての此処は何もかもが相当に荒れた場所だったらしいのだが、そんな場所であっても矢張り商魂逞しい者は居たようで。


常識も倫理も通じない猛獣同然の者共を相手に、とある女店主が美味い飯と酒を武器に酒場を切盛りしていた。


長く艶のある黒髪をひとつに束ね、頭には赤い線の入った三角巾。


胸元の広く開いた緑のドレスに真白い前掛け。


肌は浅黒く健康的で、それはもう主張の強いむね・・・。


いや、百年と昔のことではないとはいえ具体的すぎないか?


まぁ、いいか。それくらい魅力溢れる女性だったということなのだろう、きっと。


本人を直接目にしたわけではなくとも、噂話を聞いただけで女店主がどれだけ魅力的だったのかはわかる。


勿論、性的な意味で。


何しろ、自分を縛るものの無い世界では男なんてものは下半身でしか思考を巡らせないからな。


どうすれば女店主を手篭めにできるのか。


そんなことばかり考えていたに違いない。


しかして当時の男達にしてみれば、そんな問題の答えなんて一瞬で出ていたことだろう。


何せ、勝者こそ全ての時代なのだから。


力でものにしてしまえばいい。


至極簡単な話だ。



だが、女店主も莫迦じゃない。


自分の身を護る術も何も考えずに、そんな無法地帯に飛び込むはずがない。


彼女は自分の料理の腕を武器にしたのだ。


私が食いたいなら食えばいい。


但し、もう二度とこの店の料理にはありつけないと思うことだね。


・・・それが女店主の決まり文句だったらしい。


店の味を知る者はそれで思い留まった。


店の味を知らぬ者は、店の味を知る者が束となって叩きのめした。


いつしか彼女は狩人を束ねる女ボスのような存在となり、彼女を慕う野郎共で店は連日繁盛したらしい。


女が真っ先に狙われる世界で彼女は敢えて煽情的な服を纏った。


私を襲えるものなら襲ってみろ。


私を最期の晩餐とする覚悟があるのなら、さぁ食ってみろ。


そう、言わんばかりに・・・。



狂人と凶刃


料理の腕と度胸で以て、女店主は無法の狩人共を手懐けて魅せた。


誰もが彼女の言に従順で、それは正しく鶴の一声が如く・・・。


彼女に逆らう者など最早この集落には居なかった。


事実上のボス。その気になれば狩人共を使って金と権力を手中に収めることもできただろうに。


彼女はそれでいて、飽くまでも酒場の女店主として、闘い疲れた者共に活力を分け与えていた。


傲らず、ただ気さくに、時には豪快に。


彼女の笑顔と屈託の無い言葉が、この暴力の支配した世界に一時の平穏をもたらした。


言葉を交わす機会があるということが、酒を酌み交わす場があるということが、荒くれ者共の心をどれだけ癒やしたことか。


力の下に抑圧された人の繋がりは、その楔から解き放たれ新たな絆を紡いだ。


同じ村に居るだけの他人ではなく、共に闘う仲間であると・・・。


村に集った個ではなく、村という集を成す個であると・・・。


ひとりの太陽の許に人々は共に生きるということを学んだのだ。



しかして平穏は永劫には続かない。


常に新しい阿呆の訪れるこの場所なら尚更だ。


狩人の村落にやってくるような者は皆、往々にして己が命を賭けてでも一発逆転を狙おうとする阿呆だ。


陸に知識も無いくせに、ただ暴力でしか生きる糧を得られないだけのくせに。


期待に胸を膨らませ、希望に瞳を輝かせ、此処なら何かを変えられるのではないかと。


身の程も知らぬ莫迦が次から次へとやってきては姿を消していく。


誰にも気付かれることなく。誰にも悲しまれることなく・・・。


時折、思うことがある。


この村にやってくる者が皆、始めから生き抜く術に長けた屈強な者共であったならと。


だが、魔獣のいない内地で、どう生き抜く術を身につけたら良いのだろうか。


おそらくそれは此処と同じ、法など通じない獣の巣くう場所。


いつ錆びた刃が自分の喉笛を掻き切るかわからない、そんな世界で生き抜く他にないのだろう。


その日は珍しく、屈強な男が新しく村を訪れた・・・。



或る月の綺麗な夜。


普段なら狩人達の汚い笑い声が響く酒場から声が消えた。


其処にはただ肉と肉がぶつかり合う音が響き、怒りと憎しみと快楽の入り混じった吐息が漏れ出していた。


紅く塗りたくられた壁、肉の横たわる床。


酒の染みで汚れたテーブルは悉く壊され、未だ息のある肉を乗せたカウンターだけが静かに悲鳴を上げていた。


狂った男が女に向ける感情は最早、劣情ですらない。


秩序無き世界で幸福を掴んだ彼女が妬ましくて、羨ましくて。


ただ堕ちていくことしかできなかった自分自身が悔しくて。


ぶっ壊してやる・・・。


快楽を貪る男の表情は狂喜に歪む。


しかしてそれは肉の喜びでなく、心を犯すことへの愉悦であったことは彼自身も知らない。



彼女の行方


その後、女店主がどうなったのか。私は知らない。


常連客を失い温和しく地元へ戻ったのか。将又、立ち直り後継店を現在に残しているのか。


どちらにしろ、彼女が自ら生涯を閉じるような真似をしていないことだけは確かだ。


だって、そうだろう?


女は勿論、男にとってすら魔窟同然のこの場所で、よりにもよって酒場を経営しようというのだから。


そんな胆力を備えた女傑が一度犯されたくらいで自暴自棄になるだろうか。


恐怖というものを知らず、暴力のもたらす傷の深さを舐めきった愚か者であれば話は別だが・・・。


どう考えても彼女はそういった類いの者ではない。


悲しみを乗り越え人生の糧とできる、強い女性だ。


きっと何処かで、その太陽のような笑顔を振りまいたことだろう。


果たしてその場所が此処なのか、また別の場所なのかはわからないけれど・・・。



「でさ。その店主さんが立ち上げた酒場が此処だってオチなんだけど。」



・・・は?



「いやー、そんな目に遭っても店を続けるとか。ほんと凄いよね~。尊敬しちゃう。憧れはしないけど。」



にしし、と。屈託の無い笑顔を溢す。


彼女はいつだって、一言多い。



血塗れの石塚


この集落に来てからというもの。私にはどうしても拭えないでいる疑問があった。


そのうちのひとつが、集落の中央に佇む立派な石塚だ。


見上げる程に背が高く、表面の殆どを緑の苔に覆われた、妙に雰囲気のある石の墓。


当然、誰のものかはわからない。


若しかすると誰かひとりのものではないのかも知れない。


魔獣の跋扈する森で力尽きた、誰にも弔われることのなかった魂を慰めるための名も無き墓標。


誰のためでもない。それは人生を賭けた一発勝負に臨む狩人達の覚悟を顕す道標。


そう思うと、何だか無性に拝まずには居られなくなってしまう。


勿論、本当に掌を合わせたりなどはしないのだが・・・。


それでも、狩りに向かう前には必ずこの石塚の前に立つ。


そして誓う。


私は今日も無事に帰ってくる・・・と。



黒曜の刃


件の石塚には、黒い太刀のようなものが突き立てられている。


刃渡りは恐らく人の身長と同じか、少し短い程度。


その半分が石に埋まっているから断定はできないが・・・。


妖しく煌めく刀身を見るに、黒曜石を打ち割って創ったのだろうか。


不揃いな鋸のような形をした刃に独特な紋様が浮かび上がっている。



しかし、黒曜石の太刀か・・・。


黒曜石の強度は鉄に劣る。鍛えられた鋼なら尚更だ。


とても実用に耐えるようなものではない。


御飾として創られたと言えばそれまでだが・・・。


この太刀は突き立てられている。


そう。鉄の刃すら弾いてみせる石塚に突き立てられているのだ。



ともすれば、黒曜石の太刀を創り、更にはこの石塚に突き立てた人物がいるということになる。


そもそもだ。黒曜石の刃は、ひとつの黒曜石塊を打ち、削り、磨き上げることで成形される。


そういう過程もあって、元々の塊より大きな刃を創ることはできないのだ。


しかしてこの太刀の刃渡りは人の身長程もある。


黒曜石の刃は人類が生み出した最高の刃物と称されることもあるが、それは切れ味に限った話だ。


先にも話したとおり、黒曜石は鉄よりも脆く、打ち合いに耐えるだけの強度は無い。


まぁ、元より刀は攻撃を受けることを想定していないわけだが・・・。


斬られるより先に斬る。


より速く、より鋭く。


そういう考えの許、刀は進化を遂げてきた。


黒曜石の密度は鉄の凡そ3分の1。


軽く鋭い黒曜石の太刀は、相手より先に一撃を叩き込むという点で見れば確かに、至高の刃といえるのかも知れない。



黒曜の怨念


この黒曜石の太刀には数多の曰くがある。


それもそのはず。何しろ、その作成方法はおろか、どうやって石塚に突き立てられたのかということさえ明らかになっていないのだから。


憶測が憶測を呼び、謂れの無い噂が尾鰭を付けて蔓延することになるのも道理というものだろう。



草木も寝静まる深夜、黒曜の刀身に黒い影が映り込む。


その日は決まって罪深き狩人が姿を隠すという。


そして二度と見つけられることのない闇に堕ちていく。



「ねぇ、知ってる?あの石塚に突き立てられた剣。時々、無くなってることがあるの。」


「どんな力自慢が引き抜こうと踏ん張っても、びくともしないのに。」


「でね?引き抜かれたはずの剣が元の場所に戻ったとき。本当に微かだけど、漂ってくるんだって。」


「鼻を差すような鉄の臭いが・・・。」



両刃と片刃


彼女の話が何処まで本当なのかはわからない。


いや、違うな。何処まで信じて良いものか、わからない。



「おい、こら。」



ただ、刀が引き抜かれていることがあるというのは真実だろう。


件の石塚はかなり古いものだ。その表面の殆どは苔に覆われている。


聞けば、黒曜石の太刀は石塚が発見されたその時から突き立てられていたらしい。


だとすれば、太刀を隠すように苔が茂っているはず。


しかして実際は・・・巻き込むようになっている。


つまりは、苔が石塚の表面を覆い尽くした後に太刀が突き立てられたということだ。



「だから言ったじゃん。時々抜かれてるときがあるって。」



しかし腑に落ちないのは怪力自慢の男共でも引き抜けない太刀を、どうやって引き抜いているのかということだ。


何か仕掛けがあるだろうが、いったいどうやって・・・。



「逆に押してみるとか。剣の先にスイッチ的なものがあって・・・みたいな?」



・・・さっきから気になっていたのだが、片刃の得物を"剣"とはいわない。あれは"刀"だ。


両刃が剣。片刃が刀。間違えるなよ?



「スフィアちゃん・・・細かい。」



だから私は可愛い


草木も寝静まる深夜。


酒場の喧騒も夜闇に沈み、月すらも呑み込んだ極黒の空には微かな星々が散らばる許り。


私はいつものように給仕の娘が宿舎に無事帰り着くまでの護衛として付き従っていた。



「・・・新月の空って、こんなに暗かったかしら。月が無いとはいえ、もっと煌めいてた気がするんだけど。」



片方の瞳を細め、唇に軽くを手を触れさせながら傾げて魅せる給仕の娘。


彼女は本当に、仕草のひとつひとつが可愛らしくて仕方がない。


同じ女性であるのに何故こうも違いが生まれるのか・・・。


別に羨ましくなどないのだが、不思議と天を仰いでしまう。



「・・・はぁ。世の中ってほんと不公平ね~。私もスフィアちゃんくらい美人さんだったら良かったのに。」



私の横顔を見詰める彼女が、ふくれっ面になって言う。


何を莫迦な。


酒場の給仕であれば美しさよりも愛嬌のほうが武器となるだろうに。


他人を寄せ付けない美しさなど、商売の邪魔になるだけだ。



「いやいや、美の威圧って結構大事だよ?酒場の給仕なんて、ただでさえ絡まれやすい仕事をしてるのに。私ってばほら、可愛いじゃん。」



・・・そうだな。



「何、その間。自分で言うのはどうなんだって言いたいの?はっ。全っ然、わかってないわね。」



態とらしく肩を竦め、意味も無く大袈裟に首を振る彼女。


鼻から抜けるその嗤い声は酷く耳障りな音を奏でていた。



「いいこと、スフィアちゃん。可愛さや美しさを武器に商売するなら、先ずそれが武器たり得ることを自覚する必要があるの。」


「そしてそれを傲らず、客観的な事実として受け止め、磨いていかなければならない。だから私は言うの。私は“可愛い”って。」


「今の私に自信を持つために。これからも誇れる自分で在るために。・・・おわかり?」



彼女が信念を持って仕事に励んでいることは知っている。


それを直接彼女の口から聞いたのは初めてだが・・・。


大方、予想通りだ。


だから彼女は人気があるのだと納得しさえする。


ただ、これだけは言わせてほしい。


今の彼女は、これっぽっちも可愛くなんてない。



闇が星を包む刻


娘の御高説に若干の苛立ちを覚えたそのとき。


見慣れたはずの景色に、ふと違和感を覚えた。



いつもより少し暗い?


いや、そんなことはわかっている。


今日は新月だ。月明かりの無い夜景が暗いのは当然のこと。


今更、違和感を覚えたりなどするはずがない。


・・・が、何かがおかしい。


何か、大切なものを見落としている気が・・・。



「スフィアちゃん・・・あれ。」



普段の元気は何処へやら。


今にも消え入りそうなか細い声を震わせて、娘が言葉を絞り出す。


彼女が指差す先に在るのは、件の石塚。


人の背丈など裕に超える、その表面の殆どを苔に覆われた厳かな石。


微かな光に夜露が煌めき、より一層神秘的な雰囲気を漂わせる。


その石塚だけが、悠然と聳え立っていた・・・。



「無い・・・無いよ。本当に・・・!」



娘の声に僅かな興奮が入り混じる。


噂で聞く許りだった出来事を目の当たりにして好奇心がかき立てられているのだろう。


その気持ちはわからないでもないのだが・・・。


彼女の抱くはそれは少々危なっかしく思えてしまう。



「ねぇ、スフィアちゃん!」



嗚呼、これは駄目だ。駄目なやつだ。


こうなってしまった彼女には、もう何を言っても無駄だ。


先の展開なぞ・・・思考を巡らせるまでもなく明らか。



「其処に茂みに隠れて、誰が剣を引き抜いていったのか確かめよう!」



そら見たことか。


給仕の娘には、身の安全よりも何よりも自身の好奇心を優先させる癖がある。


もう誰も彼女を止められない。


紺碧の瞳は夜空の何よりも激しく輝いていた。



死の風


あれから幾何の刻が経っただろうか。


件の石塚から太刀を引き抜いていった主は現れず、陰鬱とした感情を払うような夜風許りが肌を撫でていた。



「噂が本当なら、今夜、狩人の誰かが姿を消すはず・・・。酒場のブラックリストに載ってた狩人は誰だったかな。」



唸り声混じりに給仕の娘は思考を巡らせる。


未だ、彼女の瞳から好奇心という輝きは失われない。


それは寧ろ加速し、在らぬ方向へと飛躍し始めているような気さえする。


私は冷や汗が止まらなかった。


こんなにも好い風が吹いているというのに・・・。


この嫌な予感は、きっと彼女の行き過ぎた好奇心に対してではない。


これは・・・知ってしまうことへの恐怖なのだと、今になって思う。



「来た・・・!」



娘が声を上げるのと同時に、首筋をなぞるような風が吹き抜ける。


ほんの数秒。1秒にも満たないかも知れないその時間が永劫にも感じられる。


これ以上は危険だと・・・いや、最早手遅れであると本能が察していた。



始まりの蛇


件の石塚を前に揺れる黒い影。


その左手には黒曜の太刀が握られ、右手には既に事切れた骸が引き摺られていた。


どしゃ。


物言わぬ骸が音を立て、黒曜の太刀が納められていた石を覆うように打ち捨てられる。


力無く項垂れるその肉塊の首は在らぬ方向へと曲げられていた。


恐らくはそれが直接の死因だろう。


見たところ、切り傷は認められない。


左手に握られているそれはいったい何のためにあるというのか。


夜闇の如き漆黒は一点の曇り無く妖しいまでの美しさを保っていた。



諸手を広げ胸部を曝け出す骸を見下す黒い影。


徐に左手を天に掲げ、黒曜の太刀は夜空に溶ける。


星を穿つかのように高く掲げられたその鋒はくるりと標的を変え、大地に横たわる肉塊へと・・・。


しゅかっ。


肉を裂くような音も無く、何か堅い物を穿った音が響く。


刹那、骸と成り果てた肉塊は塵へと姿を変え霧散した。



諸手に持つ物も無く、天を仰ぐ黒い影。


その眼前には表面の殆どを苔に覆われた厳かな石塚と突き立てられた黒曜の太刀。


普段と変わらぬ景色が在った。



秘密の重み


凍てついた空気に包まれ、次第に大きくなる心音が耳を劈き初めて呼吸を忘れていたことに気づく。


ゆっくり、静かに、古い空気を吐き出し、またゆっくり、深く、新たな空気を肺に満たす。


こめかみを伝う汗は冷ややかで無意識に奥歯に力が入る。


今、私達が目にした光景は、絶対に知ってはならない類いのものだ。


それは給仕の娘も承知のことだろう。


だがしかし、私と彼女とではその受け止め方に大きな隔たりがある。


この重すぎる秘密を前にして、私は冷や汗を流した。


一方で彼女は、殊更に瞳を輝かせるのだ。


どうして黒曜の太刀を石に突き立てたのか。どうやってそれを引き抜いているのか。影の正体は誰なのか。


もっと知りたい・・・。


秘密の重みを知らぬ者は、何の遠慮も無しに他人の深みに足を踏み入れようとする。


他人の秘密というものは知るものでなく、背負うものだ。


知ってしまった以上、もう知らぬ振りはできない。


それが何を意味するのか・・・。


彼女は未だ知らない。



影はいつも傍に


ふぅ・・・。


思わず、安堵の溜息が溢れる。


黒い影は夜闇へと姿を溶かし、石塚の前から消え去った。



「はぁ・・・。行っちゃった。」



給仕の娘は私とは含む意味の異なる溜息を溢す。


幸いなのは、彼女がこの茂みから飛び出していくことを我慢できたこと。


そして、影の興味が此方に向かなかったこと・・・。



「せめて顔の輪郭くらいは確認したかったのに。」



私達の存在があの影に気づかれていたことを彼女は知らない。


だからこう暢気なことを言っていられるのだろう。


あの影が何者かは知らないが、この弱肉必滅の世界を独りで生き抜く者は決まって気配に敏感だ。


人形を視認できる範囲内に居て、気づかれていないわけがない。


それで私達が未だ生きていることが奇跡そのもの・・・。



「あの人、絶対に昼間スフィアちゃんを連れて帰ってきたひとだと思うんだよね。」



・・・は?


難しい顔をしながらとんでもない発言をする彼女。


今、何と言った・・・?



「昼間も黒いフード被ってたし。何より引き摺ってた男。あいつ、スフィアちゃんを連れてった奴と格好同じだもん。」



正直、言葉が無かった。


影が私を救ってくれていたという事実もそうだが、何より・・・。


私が連れ去られていったときでさえ輩共の格好を観察して記憶しておくだけの冷静さを彼女が保っていたことに驚愕した。



「あのねぇ、スフィアちゃん。私、この魔窟で酒場の給仕なんて危険な仕事をしてるんだから危機管理はしっかりしてるんだよ?」


「人の仕草とか観察して、仮面で顔が見えなくても誰だか判別できるようにしてるし。今回だって・・・。」



意味深に言葉を切った彼女は、寂しげに目線を下げる。


その姿を見て、私は少し胸が締め付けられるような感じがした。


一方的に彼女を友人だと思い込んでいながら私は彼女のことをまったくわかっていなかった。


莫迦にして、無意識に下に見て・・・何が友達だ。


己への怒りで身体が震えた。


謝らなければ・・・!


そう決意し、顔を上げた瞬間。


彼女の背後に黒い衣が揺らめいた。



言葉は胸に


「え・・・?な・・・んぶぅ!?」



私の表情が変わったことを彼女が察すると同時に、影の手が彼女の口を塞ぐ。


首で身体を持ち上げられた彼女は仰け反るようにして影にもたれかかる。


肘打ちを食らわせようと力を込めた右腕は絡め取られ、ならばと放った左肘は空を突く。


噛みついてやろうと藻掻いているようにも見えるが、その口を塞ぐ影の指は確かに顎に掛かっている。


極普通の美少女である彼女の力では、それを振り解くことなどできるはずがない・・・。


さっきから右足を執拗に跳ね上げているのは金的を狙っているのだろうか。


腰の高さが違いすぎて全く届く気配が無い。


こんなときに何だが、見ていてとても憐れな心持ちになる光景だった。



「・・・!・・・!!」



そんな私の胸の内を知ってか知らずか、彼女の視線に鋭さが混じる。


早く助けろというよりは、いつか仕返ししてやる・・・。


そんな思惑を感じる瞳だ。


ともあれ、先ずは彼女を解放しなければ。


そっと太股に括り付けた投げナイフに手を伸ばす。


正直、影に中てる自信は全く無い・・・が、給仕の娘に中てる自信だけは湧き溢れてくる。


何とか狙いを外して。それでいて牽制であることを悟られないように。


距離を詰めるだけの時間と隙がつくれたらいい。ただそれだけでいいのだ。


後は直接殴ってどうにかしよう。


だから・・・だから頼む!彼女にだけは中たりませんように!



「ん~!!」



どんなに強く願ったとしても、やはり願うだけでは何も叶わないようで。


私が人生最大の賭けに出ようとした瞬間、抵抗を諦めていた彼女が最後の抵抗を試み始めた。


私としては温和しくしてもらっていたほうが何かと都合が良いのだが・・・。


いや、微塵も動けてなどいないのだから結局は同じことなのだが・・・。



「ん~!!あっ・・・え?ちょっ。うわわっ。」



何を思ったのか。影は彼女の口を塞いでいた手を放し、自分の背に彼女を隠した。


そして諸手を広げて私と彼女の間に立ち塞がる。


まるで彼女の命を脅かす暗殺者から、身を挺して護ろうとするかのように・・・。



「・・・なんで?」


私ははっきりと自覚して、そう言葉を溢した。



隣人は踊る


影の背に姿を隠した彼女は、そっと暗い外套の向こうから顔を覗かせる。


友人を救おうと必死に思考を巡らせる私を見るその瞳には不信の色が浮かんでいた。


私はこんなにも苦心しているというのに・・・。


敢えて言おう。不愉快だ。



「中たるかどうかわからないナイフを投げつけようとしたくせに。」



ぼそぼそと反論する彼女。


細めた眼に宿る不信の色はより一層濃さを増していく。


これでは誰が護衛か、わかったものじゃない。


いや、賭けに出ようとしたことは確かに私が悪かった。


だが、ああする他に救う手立てが無かったのだ。


私はこの集落の裏事情については見識が無い。


一旦は攫わせておいて後から救い出そうにも、何処を探せば良いのやら皆目見当がつかん。



「狩人なら穴場くらい知っておきなよ。ばったり鉢合わせちゃったらどうするの。」



深い溜息と共に、また呆れた表情を見せつけてくる。


穴場が何だ。そんな奴等に気など遣ってやるものか。



「はぁ?こんな隙間だらけの、何処にでも他人の目があるような村の中でするよりよっぽど良心的じゃない。ほんと、隣でおっぱじめられたときは何度殴り込みに行ってやろうかと・・・。」



不敵な笑みを浮かべて拳を震わせる彼女。


その暗く澱んだ瞳を見ると彼女が如何に根に持っていたかがわかる。


宿舎住まいというのも、苦労が多いのだな・・・。



己を貫くということ


それはそれとして、この黒い影はいつまで給仕の娘を庇っているつもりなのだろうか。


まぁ、未だナイフから手を放していない私も私なのだが・・・。


当の彼女といえば興味津々に影の身体を・・・弄っていた。



「おほほぉ~。いいですなぁ。この引き締まった筋肉っ。最近の狩人は見た目だけの使えない筋肉をしてる奴が多いからさ~。久し振りに本物を見た気がするよ。ま、見たというか触ってるんだけど。」



流石、この村落一番の酒場で働く人気ナンバーワンの嬢だ。


ひとを見る目が肥えている。



「こら、そこぉ。いかがわしい言い方をしなぁい。うちの店は健全な酒場ですからね。というか、なんでスフィアちゃんがそういう表現を知ってるの・・・?」



軽蔑の視線が私を貫く。


やめろ。私をそんな瞳で見るな。


未だ村落に来て間もない頃に騙されて働かされていたことがあるだけだ。



「ぁあ・・・。」



軽蔑の次は憐れみか。


言っておくが、手遅れになる前に逃げたからな?



「ま、貴女ならそうでしょうね。」



次第に返事が雑になっていく。


彼女の興味は完全に影の“身体”に向いてしまったようだ。


外套の上からではあるが、腰周り、腹筋、背中と全身を使って楽しんでおられる。


黒い影は相も変わらず諸手を広げたまま。


受け入れているのか、将又動けないでいるのか。



「んふふ~。」



影の背中に隠れて姿こそ見えないが、その上機嫌な声を聞けば、彼女の顔が緩みきっていることくらい容易に想像がつく。


給仕の娘には、若干特殊な趣味がある。


一口に言えば“筋肉嗜好”なのだが、所謂“筋骨隆々”の筋肉は好きでないらしく。


何でも“女性らしい”しなやかさのある筋肉が至高なのだとか。


酒場に来る客を品定めしては、気に入った筋肉に媚びを売りに行く。


そして仲を深め、時期を見計らって温泉に誘う。存分に筋肉を愛でるために・・・。


何を隠そう、その被害者第一号がこの私であり、もう何度閨に連れ込まれそうになったか知れない。


まぁ、受け入れたことはないのだが・・・。



「この腹直筋の弾力・・・。あ、上腕三頭筋もすごい。うふふ。男のひとなのに女性的~。」



影も被害者のひとりとなるのだろうか。


スイッチが入った娘は本当に自重しないからな。


というか、影の正体は男なのか。線が細いから女かと思っていたのだが・・・。



「ねぇ、この後時間ある?私、もっとあなたのこと知りたいな~。」



何だか、影が可哀想に思えてきた・・・。



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SS好きの名無しさんから
2022-09-08 15:42:44

SS好きの名無しさんから
2022-08-07 06:57:13

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