志保「好き」可奈「嫌い」
かなしほのような何か。
私は”彼女”が好きだ。
……たぶん。
はっきりとそう自覚したことはないけれど、気が付くと無意識のうちに彼女の姿を目で追っている自分がいた。つまりそういうことなんだろう、きっと。
彼女とよく関わるようになったのはいつの頃だったか。亜美と3人で出場したトーナメントの時だったかもしれないし、肝試しの時だったかもしれない。あるいは、もっと前から。
特に印象に残っているのは彼女と自分が主演の映画を撮影した時だ。彼女の役作りに対する真っ直ぐな姿勢を目で見て、実際の撮影時に心で感じ、対抗心を燃やしたのを覚えている。撮影後に抱き付いてきた彼女の肌の温もりも。
あれからまたいろいろあって、次第に私の中で彼女の存在は大きくなっていった。アイドルとしては同期でライバル。競い合い、互いに高め合っていく相手だ。それは劇場の皆に対しても同じ…そう思っていたのに。
気付いたら、彼女と一緒にいる時間が多くなっていた。そばにいると安心している自分に気付いた。
奔放な彼女に振り回されるのは今でも慣れないけれど。
彼女の決して上手とは言えない歌を聴くのが心地よくなっていたのは、いつからだっただろう。
「あ」
物思いを止めて、声のしたほうに振り返る。
「志保ちゃん!」
劇場から出てきた彼女が小走りで駆け寄ってきた。
「待っててくれたの?」
「別に」
ふと、違和感を覚えた。
一瞬だけ彼女の雰囲気が変わったような。
「…どうかした?」
「え!?あ、ううん!何でもないよ!一緒に帰ろ?」
「…ええ」
前を行く彼女の後ろをついて歩く。その姿はいつもと変わらない。先ほどの違和感は気のせいだったようだ。
歩きながら思う。別に本当に彼女を待っていたわけではない。ただ劇場の前で考え事をしていたら彼女のレッスンが終わる時間になってしまっただけだ。
我ながら言い訳がましく聞こえるが事実なのだから仕方がない。
待っていたと捉えられても、別に不都合はないけれど。
「もう秋だね~」
「そうね」
気のない返事をしながらも、目は前を行く彼女の後姿を追っている。
道端に並ぶ木々は秋の色を見せ始めていた。それを眺める彼女の髪は、色鮮やかなオレンジ色。
「綺麗だね~」
「…そうね」
「志保ちゃんは秋って好き?」
突然足を止めて彼女が振り返った。
内心の驚きと、目が合った恥じらいを表に出さないようにするので精一杯だ。
「ま、まあ…嫌いじゃない、かな」
「そっか。私は秋好きだよ~。だって~歌うと気持ちよくなるから~♪」
「あなたは年中歌ってるじゃない」
「えへ、バレた?」
舌を出して微笑む彼女につられて思わず苦笑する。
歌が好きで、いつだって好きなものに対してひたむきに一生懸命で。
そんなところに自分は惹かれたのかもしれない。
「秋は紅葉~♪歌う私の気分も高揚~♪」
元気に歌う彼女の声が帰り道に響く。音は外れているのに韻は踏んでいるのがなんとも言えない。
無言でその後を追う。
会話もなく、ただ歩いた。特にかける言葉もない。楽しく歌っている邪魔をする理由もない。
「……」
「……え」
彼女が振り返って、こちらを見ていた。
開いた口に今更気付く。どうやら意識しないうちに彼女の歌に合わせて口ずさんでしまっていたらしい。
けれど、私が驚いたのはその事ではなかった。
「………それ……」
こちらを向いたまま硬直している彼女の視線が。
かつて見たこともないほど冷え切っているような。
そんな、気が。
「か、可奈…?」
「…え?あ!ご、ごめんね。あはは、ちょっとびっくりして。志保ちゃんが合わせてくれるなんて初めてだったから」
「可奈…」
「う~ん、なんだか今日は体調悪いのかも。ごめん、今日は先に帰るね!」
「あ、うん。お疲れ…」
「お疲れさま!また明日ね~♪」
笑顔で走り去っていく彼女を呆然と見送る。
一人で帰り道を歩きながら、私は先ほどの光景を思い返していた。
「……」
見たことのない彼女の視線。あれも体調を崩したせいだろうか。
確かに、彼女が風邪を引いたところすら自分は見たことがない。
けれど…それにしては何か、もっと…。
「……っ!」
肌寒さを覚えて、マフラーを強く巻き直す。
季節の変わり目で最近気温も急に下がってきた。
体調管理もアイドルの仕事の内だ。風邪を引かないうちに早く帰ろう。
(体調悪いって言ってたけど…大丈夫かな)
思えば、今日の彼女はどこかおかしかったような気もする。
明日休んでいたらお見舞いに行こう。
別れ際に気遣いのひとつもかけられなかったことを、少し悔いた。
私は”彼女”が嫌い。
理由はいろいろとある。でも言わない。考えるだけでうんざりするから。
いつから彼女が嫌いになったのかは覚えてない。少なくとも、最初に会った時はこうじゃなかったし、仲良くなれたらいいなとすら思っていた。
一緒にユニットを組んで(一時的なものだったけど)歌ったこともあるし、初めての映画撮影で共演したこともある。
いろいろなことがあって、彼女のことをよく知れば知るほど、だんだんと私の中で何かが芽生えていって…気付いたら嫌いになっていた、というのが一番正確かもしれない。
とにかく、私は彼女が嫌いだ。
できれば顔も見たくないし、話だってしたくない。けど周りにはそう思われていない。私の本音を理解している人は一人も。
当然だ。いつも笑顔で振るまっているから。それはあの人の前でも同じ。”元気な私”を装って、仲の良いふりをして、能天気に抱き付いてみたりするんだ。本当は近寄りたくもないのに。
私が彼女を遠ざけようとすれば、その空気は一瞬であの劇場内に広がる。女の子はそういうのには敏感だ。口にしないだけで、既にもう気付いている人もいるかもしれない。あの人は嫌いだけど劇場の皆は好きだしアイドルとしての活動に支障を出したくない、だから自分に嘘をついて仮面を被り続けている。
一回だけ、プロデューサーに相談したことがある。
返ってきた答えは「我慢してくれ」だった。話を聞くと、近々私と彼女で正式にユニットを組ませる予定なんだとか。今この時期に余計な亀裂を入れて大事なプロジェクトをご破算にするわけにはいかないらしい。
正直、耳を疑った。同時に裏切られたように思えた。信頼していたから、私の苦しみも理解してくれると思っていたのに。
そこからの話はほとんど頭を素通りしてしまった。彼女と私の組み合わせがそれなりにウケがいいというのは何度かファンからの手紙で受け取ったことがあるし、週刊誌に取り沙汰されたこともある。そのたびに苦々しい思いで見て見ぬフリをしていた記憶もそう昔の話じゃない。
なんで、どうして、よりによって私なのか。彼女と組ませるなら最上静香ちゃんや七尾百合子ちゃん、同じユニットにいたこともある北上麗花さんや野々原茜さん、他にいくらでもいるはずなのに。
私が本気で反発すればこの話はなかったことにできるかもしれない。でも、同時に私が駄々をこねてプロジェクトを台無しにしたという「悪評」も付いて回る。これからの活動を考えると、今は我慢するしかなかった。
それからまた日々が過ぎて、今日も一日のレッスンを終えて帰宅しようとした矢先。
(またか…)
彼女が、いた。
出口近くで(いつものように)携帯電話を見るともなしに開きながら立っている。まるで誰かを待っているように。
こういうことは少なからずあった。せめて直接言えばいいのに、待ち伏せされてるみたいで気持ちが悪い。
(無視して帰ったら、どんな顔するかな)
あの不愛想な表情が歪むのも見てみたい気もするけど、先刻またプロデューサーに釘を刺されたばかりだ。
私だけが知っていて、何故彼女には知らせないのかよくわからないが。
とにかく帰りたい。
内心の嫌悪感を表に出さないよう、”いつもの調子”を装って声を出す。
「あ」
まるで今気付いたみたいな自分の声。我ながら白々しい。
彼女が声に気づいて振り返る。好きで待っているのはそっちなのに、最初に声をかけるのは私というのがお約束になっているのも納得がいかない。
「志保ちゃん!」
小走りで駆け寄る。そのまま走り去ってしまいたい気持ちを抑えて、彼女の前で止まった。
「待っててくれたの?」
「別に」
イラッとした。”別に”?じゃあなんであなたはそこにいるの?
本当になんでもないような顔をしているのがまた腹が立つ。素直じゃないとか、それ以前の問題だ。本当に用がないならさっさと帰ればいいのに。
「…どうかした?」
「え!?」
彼女が怪訝そうな顔で見ていた。いけない、顔に出ちゃってたかも。
「あ、ううん!何でもないよ!一緒に帰ろ?」
「…ええ」
オーバーな動作で取り繕い、彼女の視線を振り切るように先行して歩く。並んで帰りたくなんてない。
帰り道に並ぶ木々は最近色が変わってきて、なんというか秋っぽくなってきた。
「もう秋だね~」
「そうね」
「綺麗だね~」
「…そうね」
いつもの通り淡白な返事。なんだか虚しくなってきた。
別に何かを期待して声をかけたわけじゃないけど、本当になんでこの人一緒にいるんだろう。一人で帰ればいいのに。
「志保ちゃんは秋って好き?」
本当に後ろを付いてきてるのか疑問に感じて振り返る。
目が合った。と思ったら、逸らされた。
………え、なにその反応。
「ま、まあ…嫌いじゃない、かな」
「そっか」
結局好きなのか嫌いなのか。
まあ、どうでもいいけど…特に意味もなく聞いただけだし。
「私は秋好きだよ~。だって~歌うと気持ちよくなるから~♪」
「あなたは年中歌ってるじゃない」
「えへ、バレた?」
舌を出して微笑む。余計なお世話、と内心付け加えつつ。
秋が好きなのは本当だ。涼しくて過ごしやすいし、景色も綺麗で食べ物もおいしい。
テンションが上がって、歌だってうたいたくなる。
「秋は紅葉~♪歌う私の気分も高揚~♪」
後ろを付いてきてる人に構うことなく歌った。
こうして歌っている時はいろんなことを忘れられる。ただただ、好きなことに没頭している感覚。
でも今日は、少し違った。
(……え…?)
声が聞こえた。私の歌に合わせるように、口ずさむ声が。
確認するまでもない。彼女だ。
(どうして…)
出会って間もない頃は、歌うたびに嫌な顔をされた。
音が外れてる。聞くに堪えない。違う部屋で歌え。
歌が下手なのは自覚してる。でも好きなんだ。だから努力した。人の気も知らない誰かさんに言われるまでもなく、その誰かさんが知る由もないくらいたくさん。
でも、彼女は、全然違っていた。
ああ、この人には敵わないんだなって…初めて歌を聴いたときに思った。
そんなあなたが。
(どうして…!)
どうして邪魔をする?
そんなに私が嫌い?
私の唯一の楽しみすら、今まで積み上げてきた小さな宝物ですら、その恵まれた歌声で全部踏みにじるの…?
「………それ……」
なに、それ。
なにそれ、なにそれっ!?
冗談じゃない。無神経にもほどがある。
どうしてそんなに何でもないような顔をしているの?
どうして私に付きまとうの?
どうして?
どうして…っ!?
「か、可奈…?」
「…え?あ!」
彼女の唖然とした顔を見てはっとした。
まずい。今のは、完全に顔に出ていた。
「ご、ごめんね。あはは、ちょっとびっくりして。志保ちゃんが合わせてくれるなんて初めてだったから」
勢いでまくしたてる。びっくりしたのは本当だった。いろんな意味で。
「可奈…」
「う~ん、なんだか今日は体調悪いのかも。ごめん、今日は先に帰るね!」
「あ、うん。お疲れ…」
「お疲れさま!また明日ね~♪」
彼女の視線を振り切って帰り道を一人走った。とてもこれ以上一緒にいられなかった。
しばらく走って、完全に彼女が見えなくなってからゆっくり立ち止まり、その場にしゃがみ込む。
涙が止まらなかった。怒り、悔しさ、失望、それと…ほんのすこしの、羨望。
知っている。彼女が人に見えないところでどれだけ努力を重ねてきたか、全部知ってる。
それでも許せなかった。無神経な彼女も……みじめな自分も。
(大っ嫌い)
彼女が私の友人であり続ける限り。
私は、彼女のことが嫌いだ。
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