信義と共に 10
かなり失速気味ですが、だらだらと続きます。
例によって今作も前回からの続きとなります。
場合によって過去の話を持ち出したりするので、初見の方は前作を目を通して頂ければと思います。
11月下旬、薄着では外を歩くのに心許なく、空気も乾き始めて、冬の寒さが頭角を現し始めた季節だろうか。
鎮守府では年末に備えて早くも動き始め、その結果普段とは少しだけ違う日常を迎える事になったのだ。
その普段とは違う部分と言うのが、食堂が3日間使えなくなると言う物であった。
忙しくなる年末を迎える前に、食の女神と名高い鳳翔と間宮が一緒に衛生管理資格や調理士の研修に東京まで出向くためである。
その際に厨房の設備点検や器具の消毒など大掛かりな作業もやってしまおうと言う事になり、3日間食堂は閉鎖される事になった。
食料庫は非常用分を除いて空になり、大型のコンロやオーブンは勿論、調味料や冷蔵庫の中身も空っぽだ。
たかが3日とは言え、何時も好きなものを食べられた食堂が使えないとなれば艦娘達は飢えてしまうと言う懸念がされたが、鎮守府の近所にはコンビニやスーパーもあってそこで弁当を買う事も出来るし、艦娘の部屋にもガスコンロなどの調理器具は置いてあるので食材を買って自炊する事も出来る。
実は鳳翔や間宮を除いても、自分で料理をする艦娘は少なくはなく、食堂の食材を借りて、時に買い足したりなどして自分で作る者もいるのだ。
提督の篠原は以上の事から、10日程前から入念に報告していた事もあり、食堂が使えなくても特に飢える艦娘は現れないだろうと、心配せずに当日を迎えたのだった。
だが、彼の予想に反して空腹に苦しむ艦娘が現れてしまったようである。
執務もとっくに終わった夕方ごろ、彼女は篠原の部屋の前まで押し掛けて飢えを訴えたのだ。
「て、提督よ……、食べ物を……、食べ物を我輩に恵んでおくれぇ……」
彼女の名前は利根である。
10日程前からしつこい程忠告しておいたのに食事の準備が出来なかった哀れな艦娘でもある。
個室のドアを開けて出迎えていた篠原はゲッソリとした利根を呆れた表情で見ていた。
「鳳翔さん間宮さんがいないから各自食事の準備をするように……、と何度も言った筈なんだが……」
「ぐぬぬぅ……、煎餅で3日間やり過ごせると思ったんじゃが……、いかんせん空腹を紛らわすには心許なかったんじゃ……」
「どんだけ胃袋を甘く見たらそんな判断が出来るんだ……、乾パンじゃないんだぞ煎餅は」
「提督よ……! このままでは吾輩は空腹で死んでしまう……! 後生だから食べ物を……」
「ふぅむ……」
普段なら即答で食事を分けたかも知れない篠原だったが、今回は事前に何度も忠告して来ただけに、今回利根が何もしなかった事に対して何かしらペナルティがあって然るべきと判断したようだ。
空腹を目で訴え続ける利根に、彼は澄ました顔で言った。
「俺が食事を用意してもいいが……、そうだな、今回は対価を頂こう」
「なっ⁉︎ た、対価じゃと……⁉︎」
利根は目を丸くして驚いていた。篠原が条件をつける事がそれ程珍しい事だったからだ。
そして彼は続けて言った。
「そうだ、何度も忠告したのに食事の用意が出来なかったのはお前の落ち度だからな」
「ぐぬっ……、そう言われては何も言えぬ……。し、して……、対価とは……⁉︎」
「ああ、300円頂戴する」
「さんびゃ……⁉︎」
条件を聞いた利根は、どこか呆れたような表情で篠原に言った。
「……提督よ、お主はもっと足元を見ても良いと思うんじゃが……。 300円なぞ弁当代にしても安いぞ」
「……こう言うのは対価として何か貰ったって言う事実が大事なんだよ。 それに300円を舐めるなよ、コンビニでおにぎりとペットボトルを買ってお釣りが来るんだぞ」
「なぁ提督よ、お主は曲がりなりにも中将なのじじゃぞ……? 中将と言えばそれは大層な身分であるぞ……、ちと庶民的過ぎやしないか」
「曲がりなりだから良いんだよ」
斯くして、利根は篠原に300円を支払い食事を恵んでもらう事になったのだ。
実際、現時点で300円支払う事が出来るのなら、それは近所のコンビニに行って食べ物を買える事を意味するのだが、敢えてそこに触れないのは彼の優しさなのかも知れない。
と言うよりも、利根は食事の準備が出来なかったのではなく、ただ面倒でしなかったのだと彼は気付いていたのである。
ただ面倒と言う理由で、煎餅だけで3日間やり過ごそうとして初日に頓挫した哀れな艦娘なのだった。
そして篠原は利根を部屋に招くと、何時ものソファーに座ってもらい、自分はカウンターキッチンに入って冷蔵庫を漁りながら利根に聞こえるように声を上げて話し掛け始めた。
「利根、お前は運がいいぞ。 今日はちょっと贅沢しようと思っていたからな」
「お、おお……! なんじゃ、ご馳走か?」
「これを見ろ、国産牛100%のひき肉だ」
彼は言いながら、カウンター越しにパックに入ったひき肉を手に利根に見えるように翳した。
すると利根はより呆れた表情に変わった。
「980円……、3割引のステッカー……。 お主……、いや、馳走になる吾輩の立場で言う台詞でも無いと思うんじゃが、仮にも中将のお主が……コレが贅沢と?」
「昨日な、スーパー行ったら丁度精肉の割引タイムだったから買っちゃったんだよ。 3割引はお得だし、これはもう買いだろ?」
「時に自分も前線に出て命懸けで指揮にあたる提督が……、スーパーの3割引セールで喜ぶなんて知れたら民が泣くぞ」
そして原価を知って対価として支払った300円の威厳も根こそぎ奪われた所で、利根は次の質問をした。
「ところでひき肉とな、つまりハンバーグかのぅ?」
「ああ……、それも“男のハンバーグ”だ」
「なんじゃそれは」
「利根、お前は贅沢な事が何も値段だけでは無いと知る事になるだろう……」
「な、なんなんじゃ……⁉︎」
ハンバーグに対してやけに自信満々な篠原の態度に、利根は一概の不安を覚えて若干表情に陰りが見えたが、彼は気にせずに調理を開始した。
先ずはコンロに乗せたフライパンに油をたっぷり注ぎ、火にかける。
熱が通り気泡が浮いて来た所で、ニンニクと茎のついたハーブを投入して風味を加えて、スライスした皮付きのジャガイモを入れ、カラリと揚がるまで熱を通す。
続いてオリーブオイルと乾燥ハーブを混ぜたオイルハーブを作ると、ひき肉を繋ぎを使わずにそのまま練り始めた。 牛肉の油分がそのまま繋ぎの役割を果たすのである。
そして潰れた楕円に形を整えられたひき肉に、オイルハーブを塗りたくり、更にブラックペッパーと岩塩を上から振り掛けてスパイスを加え始めた。
その工程をカウンター越しに眺めていた利根は、篠原に向けて話し掛けた。
「……なぁお主、料理好きじゃろ」
「ん、いやぁ、別にそうでもないぞ、普通だよ」
「そうか……」
篠原はそこはかとなく否定していたが、利根は彼を料理好きと確信していた。
料理が好きでもなければ、オリーブオイルはまだしも、ガリガリと容器を捻って擦り下ろすタイプのブラックペッパーや岩塩、ましてや乾燥ハーブなど用意している筈が無いだろうと考えていたからだ。
利根の推理が進む中でハンバーグの下ごしらえも終わり、後は焼くだけと思われたが、彼は焼いている最中も手を抜かなかった。
フライパンの上で片面を焼いて裏返したハンバーグから、溢れ出した肉汁と油が溜まって来たらスプーンで掬って上から掛けて、丁寧に熱を通して行く。
既に旨そうな匂いが立ち込め、飢えた利根の腹を刺激して止まないが、まだ調理の途中であり、彼は程よく焼けたハンバーグの上に二種類のチーズを添え始めた。
黄色いゴーダチーズに、白と黒のゴルゴンゾーラ、これもまた料理好きにしか持ち得ない食材である。
利根は再び彼に声を掛けた。
「なぁ、お主……、絶対に料理好きじゃろ」
「別に普通だよ、普通」
「いや絶対好きじゃろ」
「こんなん誰だってやってるよ」
篠原はそう言いながら、フライパンの上から焼けたハンバーグを返しで掬ってお皿の上に盛り付け始めた。
白と黄色のマーブル模様のチーズがとろりと滴るハンバーグの横に、風味付けした油で揚げた、カリカリの皮付きポテトを添えて完成である。
利根は彼が料理好きであると認めるまで追求するつもりでいたが、差し出されたハンバーグがまだ余熱でジュワジュワと音を立て湯気を放つ姿を見て思わず生唾を飲み込んだ。
最初こそ自信満々の彼の態度が逆に不安を煽ったものの、作る工程を見ていたのもあり、味の保証は出来たも同然であった。
「……な、なんと凶悪な代物よ……、最早味など疑う余地もあるまい……!」
牛肉とは、肉の王様と呼ばれる程愛され、食されて来た食材だ。
ぶっきらぼうに焼いたものを口に運んだだけでも旨いと絶賛される代物を、そこへ更に肉に合うスパイスを使って、また更に肉に合うトッピングで仕立てた牛肉のハンバーグが、旨くない筈がないのだ。
「て、提督よ……! もう食べてもいいか⁉︎」
「ちょっと待ってろ、今ご飯をレンジで温めるから」
「なっ⁉︎ どれ程じゃ!」
「2分」
「長い……‼︎」
朝昼煎餅と意味不明な食事をしていた利根は2分の長さも堪えるようだ。
因みに篠原は炊飯器を持っていないのでパックのご飯を用意していた。 食堂の厨房に業務用の大型炊飯器があるからである。
そして今か今かとご飯を待ちわびている利根の元に、ついにほかほかの白飯と箸が運ばれた。
「よし、じゃあ召し上がれ」
「い、いただきます……!」
利根が箸を使いハンバーグに切り込みを入れると、断面からは肉汁が滝のように滴り始める。
彼女はひと口サイズに切り取ったハンバーグを箸で持ち上げると、ひと思いに口の中へ放り込んだ。
瞬間、彼女は幸せそうに顔を綻ばせた。
「んん……っ‼︎ んまい!」
「それは良かった」
「食堂のハンバーグも美味いが……、このガツンと来る牛の味とパンチの効いたスパイスは今まで食べた事のない味付けじゃ……! ご飯が進む……‼︎」
「男料理ってのは、大体が調味料の力に頼るからなぁ……、でも美味いだろ?」
「うむ! これが300円なら吾輩は毎日でも通えるぞ‼︎」
「赤字なんだ、勘弁してくれ」
食堂で鳳翔が作るハンバーグはキチンと計測した調味料を使い、ちゃんと繋ぎを入れて繊細な味付けであるが、彼のハンバーグは大体が目分量で仕立てられ、大雑把な味付けである。
そして鳳翔の料理とは決定的な違いがある事に、食べながら利根は気がついた。
「……しかし、毎日食べたら相当身につきそうな気もするのぅ」
「諦めろ利根、美味いものは大体身体に悪い。 揚げ物とかもコレステロールの塊だからな」
「せめて野菜で緩和したいところじゃが」
「大丈夫だ、ポテトは野菜だぞ?」
「……今の発言、聞く人が聞けば問題発言じゃったぞ……」
彼の料理は栄養バランスが偏り過ぎていた、それはもう毎日食べていたら生活習慣病が懸念される程度には。
今日だけたまたまなのかも知れないが、彼はコンビニでよくジャンクフードの類も買っていたりするので、彼の食への感覚もお節介焼きの雷が放っておかなくなる要因なのかも知れない。
こうして利根は安い出費で少し贅沢な夕食にありつく事が出来たのだが、味をしめたのが不味かったのかも知れない、その翌日にちょっとした事件が起きた。
彼女は再び300円を手に、今度は朝食を授かろうと篠原の部屋を訪れ、彼が扉を開けて出迎えた時に話をした内容を、他の艦娘に聞かれてしまったのだ。
「提督よ〜! また吾輩に食事を恵んでおくれ〜っ!」
各自食事の用意を、と言う報告を聞いていたのにも関わらずまるで懲りてない利根の発言を、その時偶然拾ったのが香取だった。
「……利根さん、貴女は何を言っているのですか?」
「げぇっ……、か、香取かぇ……? 何故お主がここに……」
「私は潮さんと陸奥さんの訓練結果を纏めたので書類を提督に届けに来ました。 ……で、利根さん貴女まさか、あれ程事前に報告をしていたのに、食事の用意が出来ていなかったと……?」
「ぐ……、せ……煎餅で何とかなる……と思ったんじゃ……」
「もしかして料理が出来ないんですか? お弁当なら近所にも売ってますし、仮にお金が足らなくても経費で落ちるので言ってくれれば何とかする……と、説明もありましたが……」
「いやぁ……、その……、なんというかのぅ……」
香取はこの鎮守府で神通と並ぶ指導員だったりもするので、彼女に問い詰められると流石の利根も後込みしてしまう程である。
側から眺めていた篠原は、利根が少々不憫に思えたのかフォローしたようだ。
「違うぞ香取、利根は本当はやれば出来るんだ」
「そ、そうじゃぞ! 吾輩が本気を出せば料理なぞ朝飯前じゃ!」
利根は素早く便乗したが、対する香取は淡白な反応だった。
「つまり、出来るのにやらなかった……そう言う事ですか?」
「あっ」
「て、提督! これは死亡フラグと言う奴では無いのかっ⁉︎」
篠原がフォローした結果、利根はより窮地に追い込まれた。
その後、朝食を前に、利根は香取に引っ張られてズルズルと何処かへ運ばれて行った。
「では見せてもらいましょうか、貴女の生活力と言うものを……。 炊事洗濯掃除、それぞれ私が納得する成果を出せたならこの事は水に流してあげます」
「い、嫌じゃぁぁ‼︎ て、提督〜っ! 吾輩はもう香取の訓練は嫌じゃぁぁぁ‼︎」
「訓練? 違いますよ、やれば出来る利根さんのテストをするだけです」
「お主絶対容赦しないだろう! 姑みたいに冊子とか指でシュッてやって埃を確かめる口じゃろ! うぐぐぐっ、筑摩ぁ〜! 何故ここには筑摩がおらんのじゃぁぁ〜っ‼︎ 筑摩さえおればこんな事には……、ちくま〜〜〜っ!」
ここに居ない姉妹艦の名前を呼びながら、利根は篠原の視界から消えていった。
彼は何だか申し訳なくなり、今月の建造は筑摩を狙ってみようと心に誓ったのであった。
それから暫く時間が過ぎて利根が生活指導を受けているであろうお昼過ぎ、執務室で仕事をしていた篠原はポツリと沸いた懸念をぼやくように口にした。
「……んー……、買い物いかないとなぁ……」
昨晩、利根がたくさん食べたので冷蔵庫の中身が心許ない事を昼食の時に確認していて、その事を今になって思いだしたのだ。
誰に当てるわけでもない独り言のような呟き方であったが、秘書艦の神通は彼の言葉をしっかりと拾っていた。
「お買い物ですか?」
「ん……、ああ、買い置きした食材が少し心許なくてな」
「今朝の利根さんの件ですね」
「いや、あはは、これについては利根は悪くないよ。 アイツが旨そうに食べるもんだから奮発し過ぎたんだ」
「ふふふ、提督らしいですね」
神通はそう言って微笑み、そして彼の懸念に対して一つ提案をしたのだ。
「あの……、提督」
「うん?」
「提督さえ宜しければ、私達の部屋で食べて行きますか?」
なんとも珍しい事もあるようで、篠原はこの日、川内型の食卓にお邪魔する事になったのだ。
可愛い部下の夕食に招かれる事、彼は相当に嬉しかったようで、それからの仕事は普段よりも少しだけハキハキとして手際が良かった。
それから暫く経って、執務も終わり自室に待機していた篠原は、食事の準備ができたと報告を得てから川内型の部屋へと向かったのだ。
神通に招かれ部屋に上がるとそこには、焦げ茶色の長方形のテーブルの上にすでに出来上がった数々の料理と、座布団に座っている那珂と川内が居て、彼女達の前のテーブルには自分専用と思われる白飯を盛った茶碗が並んでいて、いつでも食べられる状態のようだ。
そんな2人は神通に連れられた篠原の姿を見ると声を掛けた。
「あっ! いらっしゃーい提督!」
「本当に来たんだ」
「ああ、お邪魔させて貰うよ」
篠原はそう言って神通に案内されて座布団の上に座った。
彼の目の前のテーブルには、結構多めに盛られた白飯が丼に入って置かれていた。 恐らく、男性向けの大きな茶碗など持っていなかったのだろう。
座布団に座った篠原がテーブルの上の料理を興味ありげに眺める中で、長女たる川内が場を仕切り始めた。
「それじゃあ揃ったし、食べよっか」
「はい、姉さん」
「はーい!」
篠原はこの時「川内型は3人揃う時は、ちゃんとみんなを待ってから食べるんだな」と少しばかり家庭的な一面を見て1人感心していた。
それから彼女達は同じ言葉を口にした。
「いただきます」
食堂で見るそれとは少し変わった光景を前に、期待通りのものが見れたのか篠原は僅かに笑みを浮かべながら、少し遅れて同じ言葉を口にした。
「それじゃあ……、頂きます」
そうして皆が思い思いに箸を運ばせる最中、篠原は先ず自分の丼の近くの置かれた肉じゃがに興味を示していた。
彼は肉じゃがのジャガイモを箸でひとつ持ち上げると、その具合を見ながら言った。
「肉じゃがか……、いいねぇ」
そう言って彼は口に運んだ。 そのジャガイモはとても柔らかく、しっかりと出汁を吸い込んでいて、程よい醤油の風味が口いっぱいに広がった。
甘過ぎず、しょっぱ過ぎず、正に王道に沿った家庭の味であった。
「おぉ……、美味いな、コレは神通が作ったのか?」
彼は肉じゃがの手間を知っているだけに、真っ先に神通が作ったのだと思っていた。
実際、美味い肉じゃがと言うのは簡単では無く、それなりに経験を積まなければ上手く作れない料理である。
そもそも煮物自体、料理の中では難しい部類に入る事を彼は知っていた。
しかし、神通の言葉は彼の予想に反したものだった。
「いえ……、肉じゃがを作ったのは姉さんです」
「えっ⁉︎」
篠原は驚愕の表情で川内を見たが、彼女は胡座をかいて無関心そうにご飯をパクついていて、特に反応は無かった。
彼はそんな川内を訝しむように眺めながら、今度は肉じゃがのニンジンを箸で摘んで恐る恐る口に運んだ。
「え……えっ? 美味い……?」
動揺が激しいのか彼の感想が疑問系になると、とうとう川内は手を止めて若干不機嫌そうな目で彼を睨んだ。
「ねぇ……、それどう言う意味?」
「い、いや……、本当に川内が肉じゃがを作ったのか?」
「そうだけど……」
「ああ……、そうなのか……」
篠原は再び肉じゃがを口に運び、目を大きく見開いて再び問い出した。
「……本当に川内が作ったのか⁉︎」
「もうっ!さっきから何なの⁉︎」
「美味いんだよ……」
「そ、そう、だったら良いでしょ別に」
「川内の料理が……、美味い……」
「本当に何⁉︎ 私が料理するのがそんなに意外⁉︎」
数ある料理の中でも煮物は特に性格が出るものだ。
野菜は煮えるのが早いが形が崩れやすく、通常なら肉を先に煮始めてから野菜を投入するのだが、煮える時間というのは食材により大きく異なるので料理に不慣れな者はここで躓く事になるだろう。
肉と野菜が両方程良く煮えるタイミングと言うのは、何度も作って覚える必要があるからだ。
そして、目の前の肉じゃがは間違いなく素人が作った代物では無かったのだ。
ジャガイモにしっかりと肉の旨味が乗っていて奥までちゃんと出汁が染みている事は、肉とジャガイモを一緒に味付けしてから煮込み、火加減と調味料のタイミングを見誤らない、とても丁寧で手間の掛かる作り方をしなければならないのだ。
彼が真っ先に神通が作ったのだと思ったのは、その繊細な味付けのためだった。
神通と言えば、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と、正に大和撫子のそれであり、彼女が手間暇かけて調理をする姿は想像に容易いものである。
しかし篠原にとって川内の印象は神通とは大きく異なる。
立てば煩く 座れば喚き 口を開けば夜戦夜戦!
コレが彼の印象だ。 もっとはっきり言ってしまうと川内はバカだと彼は思っていた。恐らく間違いでは無い。
そんな川内の料理がとても丁寧で美味いと言う事実はそれなりの衝撃だったのだ。
だが篠原は歴戦の男、多少のイレギュラーなどすぐに受け入れる事が出来ていた。
(……ま、まぁ最近じゃネットでお手軽レシピとかすぐ見つかるし……)
やや現実逃避にも似た受け入れ方であった。
それでも食事は滞りなく、たわいのない会話に少しずつ盛り上がり始め、今は那珂が篠原に話しかけていた。
「ねっ、提督〜、いつギター教えてくれるの〜?」
「暇な時なら何時でも良いぞ。 で、そう言うお前は欲しいギターは見つかったのか?」
「ゔっ……、だってぇ……ギターの種類多いんだもん。 エレキかアコギか……、エレキも良いけど……アコギも奥が深い気がしてぇ……」
「両方買ってしまえ」
「だ、ダメぇーっ‼︎ 那珂ちゃんの初めてのギターは沢山可愛がって大事にするって決めてるんだからぁー!」
そんなやり取りを見守っていた神通は「静かなギターがいいな」と、何処か他人事な感想を抱いていた。
その後も川内がサバゲーの話を振ったり、神通が仕事の話を篠原と始めてしまい、ジト目で2人に見られたりと、何時もとは違う少し新鮮な食卓を堪能していて、そんなやり取りの中で篠原は小皿に置かれた豚の角煮を箸で摘んで口に運んでいた。
「んん〜〜……っ、よく出来てるなぁ……、美味い……!」
思わず唸り声を上げてしまう出来栄えの角煮。
肉の歯応えを残しながら、とても柔らかく濃厚な甘辛の味付け、嫌な臭みもなく仄かに香る生姜の匂いが食欲を駆り立て、白いご飯が進むと言うものだ。
彼は笑みを浮かべながら角煮を堪能すると、神通に話し掛けた。
「これは神通が作ったのか?」
「いえ……、豚の角煮は姉さんが作りました」
「へぁっ⁉︎」
篠原は驚愕のあまり変な声を上げてしまった。 戦艦構成の艦隊を指揮している時に敵潜水艦が沢山出てきた時もこんな声は出さなかった。
彼は極力動揺が表に出ないように努めながら恐る恐る川内の方に視線を向けると、彼女は既に不満そうな目で彼を睨んでいた。
「……川内が……、豚の角煮を……」
「何さ?」
「いや……」
「ホントに何なの⁉︎」
豚の角煮とは、煮物の中でもトップクラスの難易度を誇る料理である。
掛かる手間もさる事ながら、煮込む時間は1時間にも及び、その最中ですら加減を見誤れば簡単に煮崩れしてしまうのだ。
圧力鍋を使う方法もあるが、それでも30分は煮込み続ける根気が必要な料理である。
その手間相応に美味しいと言う事もあり、コンビニなどでも密封パック等で売られていたりするが、目の前の角煮は他の3人の物とは大きさが不揃いの為、コンビニの物ではないと断定出来た。
川内が豚の角煮を作って尚且つ美味いと言う事実が妙にしっくり来ない篠原は自分の中の可能性を口にした。
「……神通が……、その、近くで川内に料理を教えていた、とか?」
「あの……提督、川内姉さんは私達の中で一番料理が上手なんです……」
「なん……、だと……⁉︎」
神通の言葉に篠原は目を見開き、川内の方を見た。
彼女も相当不満そうであった。
「さっきから本当になんなのさ! 私が料理出来ちゃダメなわけ⁉︎」
「いやっ、そんな事は無いぞ! 無いけど……」
「“けど”って何さ!」
「意外だったからさ……、いやマジで。 にわかには信じ難い……、あの川内がこんな美味い料理を……」
「それ褒めてるの馬鹿にしてるのどっち⁉︎」
時に人は立ち振る舞いからは想像も出来ない特技を持っていたりするものだ。
その後も食卓に並ぶ料理が全て川内の手によるものと知った篠原は仰天していたが、それ以上の事は特に何も起こるわけでも無く楽しい食事の時間は幕を閉じた。
そして食器の汚れを洗剤をつけたスポンジで擦って洗い物をしている川内は、先程まで散々不満そうな顔をしていたのに今は何処か幸せそうな笑みを浮かべていた。
「……提督、美味しいって言ってくれた……、へへっ」
楽しげに独り言を呟く彼女の背中を見ていた神通と那珂は、お互い顔を見合わせて笑い合い、小さな声で話していた。
「……姉さん、頑張ってましたからね」
「そうだねぇ……」
少なくとも2人にとって今日の料理が特別美味しい事は意外でも何でも無かったのかも知れない。
11月中旬、鳳翔と間宮が無事に研修を終えて帰還して何日か過ぎた鎮守府では、また新たなイベントのような期間が訪れていた。
それは第二回目となる、上級訓練の実施である。
上級訓練とは、簡潔に説明すれば考えうる限りの凡ゆる最悪な状況下を擬似的に再現した突破訓練で、仮想敵部隊なども大きく展開させて場を整える大規模な訓練であり、志願者は5日間、無補給、無休憩で試練に身を投じることになる。
尚、この訓練を乗り越えたからと言って待遇が良くなる事や賞与が出ると言った事は無い……筈だったのだが、篠原がちょっとしたご褒美と言う事で銀のブローチを達成者にプレゼントした事により、それを羨ましく思った者の多くの要望が生まれ、第二回目が実施されたのである。
そうして艦娘達が今まで培っで来た技術と知識をフルに活かして上級訓練に身を投じて奮闘する中で、わりと暇な艦娘もいたりする。
それは非戦闘員に割り当てられた大淀、香取、鹿島の3人である。
彼女達の役目は主に訓練終了後の後処理で、まだ上級訓練実施中の今の段階では特にやる事が無いのだ。
提督の篠原もコマンドシップに乗って仮想敵部隊の指揮を行なっている為、執務室は彼女達3人だけが黙々と細々とした事務を処理しているのだった。
そんな作業の中で、デスクでパソコンに向かっていた鹿島はボヤき始めた。
「……私も銀のブローチ欲しいですぅ……」
非戦闘員に割り当てられる彼女は訓練に志願しても優先度が低く、今回は選定から外れてしまったのだ。
大掛かりな訓練だけに定員も限られるため、致し方ないのである。
そんな本日何度目かも判らない鹿島の愚痴を、隣で香取が拾っていた。
「貴女ねぇ……、そんな事言っても仕方ないでしょう。 上級訓練を通した経験は実戦でも発揮されるってデータが上がっている以上、私達非戦闘員の優先度は低いのよ」
「うぅ〜……、でもぉ……、やっぱり羨ましいですぅ……、初期勢の皆さんはブローチ貰えるでしょうし……、これから沢山見かけるようになるでしょうしぃ……」
鹿島が言う“初期勢”とは、篠原が着任した当時から鎮守府に居る艦娘達24名の事である。
第1回上級訓練実施時には初期勢の中から6名が参加し、その全員が見事に試練を制して銀のブローチを獲得している。
皆、艤装の性能だけでは説明出来ない強さを秘めている事が分かるだけに、今回の上級訓練は第1回目に参加出来なかった初期勢の艦娘が挙って参加している事もあって、訓練達成率も高いと予想されているのだ。
余談であるが、第1回を制覇したのは吹雪、叢雲、初雪、天龍、川内、鳳翔の6名である。訓練内容に強い因縁を持つ面子でもあり、彼女達にとってその訓練を乗り越える事は特別な意味を持っていた。
その事を踏まえても鹿島が羨ましく思ってしまうのは、訓練を踏破した時に篠原が送った、そして彼女が何度も口にしている銀のブローチの事だろう。盾を象った銀細工の小さなブローチには、そのカタチを選び、素材にも意味を含ませた彼の意思が宿るもの。
参加すれば必ず貰えるものではないが、挑戦できる事自体が彼女にとっては特別なのだ。
そんな鹿島のボヤキを聞いていた大淀は、同じようにデスクに座りながら言った。
「初期勢の方々に関して踏破はほぼ確実と言えるでしょうね……、今回は神通さんも参加してますし……」
「なんか仮想敵部隊の皆さんにとっても、ある意味訓練になりそうですね……」
「後から来られた方で参加したのも夕立ちゃんと大和さんですし、今回は全員踏破もあり得ますね……」
夕立と大和もそれぞれ初の建造と大型艦建造でやって来た艦娘で充分な練度を誇り、初期勢に一歩も引かない程度には洗練されていて、得意分野では時に凌駕する事もままあるので、大淀の予想は信憑性が高かった。
その事について香取は言った。
「全員踏破……となれば、提督も上級訓練の次なる試練も何か考えるかも知れませんね……」
「確かに……、上級訓練は熟練した艦娘達にとっても鍛錬を続ける為の大きなモチベーションになっていましたからね」
「現時点でも無補給無休憩で5日間敵の猛攻を凌ぎながら目標を達成すると言う、かなり理不尽な内容ですが……、それ以上の物となれば想像もつきません……」
「……川内さんに夜戦禁止とか……」
「相当堪えそうですが有意義な訓練とは言えない気がします……」
2人が精鋭を追い込む内容を模索し始める中、鹿島はポツリと呟いた。
「……そしてまた手の届かないブローチが増えるんでしょうか」
「ちょっと鹿島、貴女どれだけブローチ好きなの」
「だって香取姉ぇ! 提督さんの愛情たっぷりのブローチですよ⁉︎」
「ちょっと鹿島、貴女提督の事好き過ぎない……? 一体いつからそんな事になったのよ……」
ブローチへの愛情は定かではないが、今回は大淀も大きく頷いた。
「香取さん……、実は私達の提督は、世の女性が求める男性の理想条件を結構な勢いで満たしているんです。 鹿島さんがポンコツになるのも無理はありません」
「お、大淀さん、貴女まで……」
「わ、私はポンコツじゃありません!」
「まぁまぁ、先ずは話を聞いて下さい」
大淀はそう言うと眼鏡の位置を正し、つらつらと説明を始めた。
「まずは年収」
「年収」
「私はお金で提督さんを判断してません!」
「詳細は不明ですが、提督はかなり稼いでいると見て間違いないでしょう……、時に横須賀よりも前に出て指揮を執る提督は危険手当などの追加収入も相当な物の筈です……」
「確かに十分な収入はありますね……」
「何言ってるんですか香取姉ぇ! 提督さんの頑張りに対して国はもっとお金を払っても良いくらいですぅ‼︎幾ら貰っているのか知りませんけど多分絶対に足りません‼︎」
鹿島が見当違いな抗議を始めたが、大淀は無視して説明を続けた。
「次に友人関係やご近所付き合い」
「成る程……、確かに」
「確かにご近所さんの評判はとても宜しいですね♪ でも、もっと日本中からも評価されるべきです!」
「有権者との良好な関係は言うまでもありませんが、ご近所の方とも仲良く出来るのは評価が高いとされています。 “周りの目なんて気にしない”なんて言う方も居られますが、周りの目と言うのは自分の環境と言っても良いほど重要な物です、特にその土地で生活していくのであれば尚更」
「家庭を築いていくのであれば確かに周りの目は大切ですね……、子供が出来た時なども考慮すれば評価が高いのも納得です」
「提督さんの子供……、そんなっ、ま、まだ早いと思いますぅ‼︎」
突然身体を抱いて身をよじる鹿島に向け、大淀は顔を向けて冷笑を浮かべながら淡々と言った。
「何言ってんですか鹿島さん、提督に今から子供が出来ても、お子さんが中学生になる頃には提督は50近いんですよ」
「……ッ⁉︎ あれっ、結構遅い⁉︎」
恐らく本人が聞いていれば相当なダメージを受けたであろう事実に、香取は何もフォローが思い浮かばず、かわりに苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「ま、まぁ……、晩婚化と言う言葉もありますし……」
「て……提督さんならお年を召してもきっと元気ですから……」
もしも本人がいれば余計なお世話だとツッコミが入ったであろうが、生憎の不在である。
そしてヒートアップして来たのか更に大淀は続けた。
「また更に性格面ですが、提督は面倒な作業を率先して行う所がありますよね。掃除とか整理とか……、そう言う所も主婦にとってはとても助かるそうですよ」
「かなり家庭的……ですよね、料理も洗濯も行いますし。 少なくとも私はここに来てから男性へのイメージと言うのが変わりました」
「違いますよ香取姉ぇ、提督さんがきっと素敵な男性だからですよ!」
大淀の話を聞いていた香取は、ふと思いついた事を口にした。
「でも大淀さん、高収入で掃除洗濯炊事もそつがなくこなせる男性……との事ですが、多くはないにしろ他にもいそうなものですが。 例えばこの雑誌の方とか」
香取はそう言ってデスクの上のカタログ雑誌を手に取って表紙を2人に見えるように目の前にかざした。
表紙には腕時計の宣伝の為、テレビでもよく出演する男性の写真が添えられていて、その男性こそ家庭的で優しい男だと評判もある人気俳優だった。 動画投稿サイトでもお手製の料理などを公開していたりもする。
だが、大淀と鹿島の反応は辛辣な物で、捲し立てる様に感想を交互に口走った。
「何というか……、全体的に細くて弱そうですね」
「無人島に放置したら1週間で根を上げそうです……」
「サバンナじゃ3日も持たないでしょう」
「文明に頼って生きている感じしますね。トラックに轢かれて病院が無かったらすぐ死んじゃいそうです……」
「……あの、生命力で男性の魅力は決まるんですか? それと鹿島、私達の提督もトラックに轢かれたら無事じゃ済まないわよ」
「長門さんにワンパンされそうです」
「重火器扱えるんですかね? せめてテロリストから身を守れるくらいじゃないと……」
「免許もせいぜい車の免許くらいでしょうかね? ヘリや戦車も運転出来なそうです」
「銃弾も見てから避けられなそうです……」
「ワイルドと語るなら分隊火力支援も行えなければ……」
「あの、戦闘力で男性の魅力は決まるんですか? それと鹿島、提督も銃弾を見てから避けられないわ。貴女の提督像は一体どうなってるの」
香取がこの時理解した事は、世の女性が抱く男性の理想像より遥かに艦娘の理解像のハードルが高いという事だった。
無論、大淀は半分冗談で語っていただろうが、鎮守府の艦娘達にとって身近な男性と言えば提督か憲兵隊くらいな物なので、ある程度の事なら何でも出来る男性と言うのが彼女達にとって当たり前なのかも知れない。
だからと言って、生命力や戦闘力まで条件に加えられたなら世の男性はたまった物ではないだろう。
そして暫く妙な話題が続いたかと思えば、鹿島が空席となっている篠原が座る机を眺めながら徐に呟いた。
「そう言えば提督さん……、上級訓練中は何処か余裕が無さそうですよね……」
その発言は篠原の不在も起因していて、上級訓練の実施中、彼はコマンドシップで寝泊りして様子を見守っているからだ。
普通の訓練であれば普段通り執務室で仕事を行い、指揮を行うにしても通信室を通せば良い事なのだ。
彼がそうする理由を知っている大淀は答える。
「死んでしまうからですよ」
鹿島が驚いた顔で大淀の方を見て、その傍らで香取は何か察したように俯いた。
「艤装を付けた艦娘を追い込むと言う内容を、普通の人間に行えば耐え切れず死んでしまいます。 訓練とは言え、提督からすれば気が気じゃないのでしょう」
どんなに鍛えた人間でも、不眠不休で強いストレスを与えられながら活動を続ける事は不可能だ。
それを知りながら、篠原は訓練中の艦娘が僅かに息を整える隙を狙い、仮想敵部隊に指揮を出すのである。もはや艤装の加護を限界まで削り落とす作業と言っても良いだろう。
5日間と言う期間は、限りなく安全に艦娘の体力を奪う為の期間でもあるのだ。
その事に気が付いた鹿島は、何故か小さな笑みを浮かべていた。
「なんだか……提督さんらしいですね」
香取も頷いた。
「そうですね……」
それからも彼女達は何気ない会話を続けながら、篠原に変わり出来うる限りの執務をこなし続けたのであった。
そうしていよいよ上級訓練が終わりを迎え、篠原も鎮守府に帰ってくる時間となった。
彼は先ず報告書を纏めて執務室にやってくるだろうと考えた彼女達は、心労を慰るべく出来るだけ丁寧な出迎えの準備をしていた。
そして篠原が執務室の扉を開けると、鹿島は駆け寄って声を掛けた。
「お疲れ様です、提督さん。 書類は私達が預かりますので、今日はごゆっくりと身体を休めてください……」
「おお、鹿島か。 ありがとうな」
篠原は鹿島に書類を手渡すと、背伸びをしながら机に向かっていたので彼女は再び声を掛けた。
「あ、あの提督さん、お休みになられた方が……、ずっと海に出ていたのですから」
「いやぁ……それが、中々妙な事になってな。 ちょっと記録映像を確認したいんだ」
大変お疲れであろうと踏んでいた彼女達だったが、篠原はわりと元気そうで、パソコンに送られた動画データのチェックを始めようとしていた。
第1回目の時とはまるで違う彼の態度に違和感を覚えた彼女達であったが、扉越しに廊下の奥から仮想敵部隊の艦娘と思われる叫び声が響き、先ずはそちらに気を取られた。
『んがぁぁ───っ‼︎ なんでっ⁉︎ なんで加賀さん大破してるのに反撃されたの私⁉︎おっかしいでしょお!』
『お、落ち着いて瑞鶴……、今提督が調べてくれてるから……!』
どうやら絶対的優位に立っている筈の仮想敵部隊側に被害が出ているらしい。
日頃の訓練の指導員でもある香取が、その事態には冷や汗を浮かべる程である。
彼女はパソコンで映像の確認をしている篠原に向け、驚いた様に言った。
「て、提督……⁉︎ 大破した空母が反撃を……⁉︎」
大淀や鹿島も気になるのか、篠原の背後に回って一緒になって記録映像を眺め始めた。
モニターには訓練中の加賀の様子が見受けられ、模擬弾なので生身にダメージは無いにしろ姿は衣装も艤装もボロボロで、とてもじゃないが発艦など出来そうにもない有様だった。
しかし篠原は目を凝らして注意深く観察すると、その答えに行き着いたようだ。
「いや……、偽装しているなコレは。加賀は大破なんてしていなかった」
「えっ⁉︎ ですが……甲板装甲も折れて……」
「そう見えるだけだ……、艤装が黒く焼き焦げた様に見えるが、全容を見ればちゃんと繋がっている。 幾何学迷彩の一種だな」
「あの訓練内容でそこまで手が回る余裕があったと言う事ですか……?」
「逆だな、余裕が無いからこう言った手段を思いつく……、何にせよ素晴らしい事だ」
篠原は満足そうな笑みを浮かべて映像を眺めていた。
余力を残されたのではなく、余力を隠された訳であり、瑞鶴はまんまと引っかかってしまったのだろう。
因みに訓練に参加した神通も似たような工作で大破を装ったが、それでも誰も近寄らなかったらしい。艤装が無くても神通ヤバいと言う情報は仮想敵部隊の艦娘にとっては常識だった。
また、赤城は長い期間空腹が続くと不機嫌になるのか、表情が消えて無口になり、まるで加賀の様になると言う妙な情報も仕入れられた。
総じて、理不尽な条件下でも貪欲に可能性を探り続け手札を増やすと言う彼女達が見せた対抗手段は、訓練目的からして見てもこの上ない仕上がりであると言っても過言では無いだろう。
彼女達には弾薬の制限をし、最終段階では全て取り上げる事もしたが、その状況下で敵を思惑通りに誘導する“飛んで火に入る夏の虫”とも呼べる偽装工作。
理不尽を強いる側の篠原にすら笑顔が宿ったのも、その彼女達の力強さを垣間見る事が出来たからだった。
そして香取も篠原に習い映像の分析を始めていた。
「塗装に……、煤を使ったのでしょうか……」
「訓練課程で島を経由したからな……、その時に木材でも手に入れば可能だ」
「加賀さんの衣装が明るい発色ですから……、なるほど……、黒は目立ち難いですね……」
香取は艦娘の生命力と戦闘力が尋常では無いことを改めて認識する中で、鹿島は自分の中で気になっていた事を篠原に尋ねたようだ。
「と、ところでぇ……、提督さん」
「ん、どうした?」
「……こ、今回の上級訓練達成率は言うまでも無さそうですが……、次なる試練の様なものは何かお考えでしょうか……?」
「ああ、そうだった」
何か思い出したように篠原はそう言うと、机から離れて席を立ち、3人の顔を見回しながら言った。
「鹿島、香取、大淀」
「はい!」
「何でしょうか?」
「どうされました?」
「今週末、お前達には三日間無人島で過ごして貰いたいんだ」
余りにも唐突な彼の発言に3人は呆気にとられ、すぐに返事が出来なかった。
冗談交じりで語っていた生命力とやらを自分自身に問われる事になり、恐らく鎮守府内で最もサバイバルが似合わない艦娘達によるサバイバル生活が幕を開けるのであった。
非戦闘員であり業務部である大淀、香取、鹿島の3名は篠原の指示により何故か無人島に行く事になった。
唐突に見えて実は筋が通っている話でもあり、上級訓練の最終項目における“敵陣に囲まれた艦娘を救出する”と言う内容が、そのままCSAR[Combat Search And Rescue]に応用できるからである。
CSARとは、敵勢力圏内で何らかの要因により身動きが取れなくなった目標を救出すると言う物で、少数精鋭で編成される事が多いのも共通点がある。
また、どうして無人島が関係するのかと言えば、それは艦娘がCSARを行った際の状況によるものである。
先ず、深海棲艦の領域内で姫級などのボス的存在がいた場合、潮の流れが激変し、激しい三角波ないし方形波が発生する為、船が近寄れば瞬く間に操縦不能に陥り転覆の危険性が極めて高くなり、救助ヘリなども敵空母の存在があるので近寄れば瞬く間に撃墜される。
その様な状況下で救出に応じた場合、艦娘が敵海域に潜入して対象に接触し運び出せたとしても、そこから素早く脱出すると言う事は極めて難しいのである。
そこで安全策の1つとして無人島が挙がったのだ。
艦娘が対象を背負って無防備な背中を晒しながら長い航行距離を行くよりも、何処かに身を潜めて、味方が一時的にでも周囲の安全を確保してくれるのを待つ方が生存率が高いケースもあるだろう。
事実、別働隊により突破口を切り開く事はCSARでよく使われる手段である。
今回、彼女達が無人島に赴くのはサバイバルの実践だけでは無く、艦娘が無人島の中で何処まで活動が出来るのか、また、加護をどの様に活用できるのかを確かめに行く為であった。
安全な海域内の無人島を試験地とし、コマンドシップで島を目指して数時間、目的の無人島まで辿り着くとボートを下ろし、篠原も含む4人が鞄を背負ってボートに乗り移り、岸を目指して進み始め、そのボートの上で篠原は大淀に話しかけ始めた。
「さて大淀、試験地として無人島にいく訳だが、人間が生命維持の為に必要不可欠な栄養素は分かるかな?」
「えっと……、糖質、脂質、タンパク質でしょうか?」
「正解だ、三大栄養素としても有名だな。 では次に遭難してしまった者の主な死因は分かるか?」
「栄養が途絶えた事による餓死……、と言いたいところですが、遭難した場合ですと怪我や病気ですよね?」
「その通りだ、無理に動けば簡単に事故を招き死に至る……、何よりも先に優先する事は食料確保では無く、安全な場所の確保だ。 人間三日間は飲み食いしなくても死にはしない」
「な、なるほど……」
「だから島に降りたら先ずは安全な場所を見つけるぞ。 バラバラに行動するのではなく、必ず纏まって行動するようにしてくれ。 」
そうしてやり取りを隔てて辿り着いた無人島、そこはジャングルの様な草木が生い茂る無人島などでは無く、葉の落ちた木々と落ち葉の茶色が目立つ寒々とした島だった。
それもその筈、11月の空の下は吹く風も冷たく、自然の実りなど期待できそうにも無い。
最初から過酷な環境が予想される光景だが、鹿島はまだ無人島に来た現実味が湧いてないのか、香取の横を歩きながら妙な事を言い始めた。
「……提督さんと、無人島生活……」
「鹿島貴女ね……、ここに来た理由忘れてないわよね?」
何処か浮かれ気味な鹿島を窘める香取、その前を歩く大淀が歩きながら篠原に話しかけ始めた。
「やはり敵領域内と言う事ですし……、安全な場所の条件は島の内側でしょうか」
「そうなるな、そして最低限雨風を防げる程度の場所が好ましい」
「そんな都合良い場所なんてあるのでしょうか……」
「無い、だからある程度の環境を整える必要が出て来るだろうな」
「で、ですよね……」
「安全と呼べる条件は他にもあって、飢える前に命を奪いに来る要素は暑さや寒さの他に、虫とかの他の生物も考慮する必要がある」
「む、虫……っ⁉︎」
驚いた声をあげて大淀が思わず立ち止まると、浮かれていた鹿島が気付かずにぶつかり掛けてつんのめりになっていた。
篠原が何事かと振り返ると、大淀は突っ立ったまま震える声で言った。
「虫……、いるんですか……? もう殆ど冬ですよ……?」
「夏ほどじゃ無いが、冬にもいるぞ? ……って、そうか……、お前は虫苦手なんだっけ……」
「だ、だって意味不明で気持ち悪いじゃないですか虫って‼︎」
顔を引きつらせながら虫嫌いを訴える大淀に、鹿島は口元に手をあてがって微笑を浮かべながら言った。
「虫なんて可愛い物じゃ無いですか〜、大淀さん少し大袈裟ですよ?」
「か、鹿島さん……、貴女は虫の恐ろしさを何一つ理解していません‼︎」
「蝶々とかクワガタとか可愛いと思いますけどぉ……」
「む、虫を甘く見過ぎです……‼︎ 良いですか鹿島さん、虫にはこんな意味不明な奴がいるですよ……」
それから大淀は虫について語り始めた。
エメラルドゴキブリバチと言う虫がいる。
綺麗なものと不衛生なものをくっ付けたような名前を持つその虫は、その名の通りエメラルド色のハチの仲間である。
しかし、通常のハチとは大きく異なる点が存在し、それは生殖活動時に見られる寄生行為である。
エメラルドゴキブリバチはゴキブリに卵を産みつけるのだが、その際、このハチはゴキブリに毒を注入して麻痺させるのだ。麻痺したゴキブリは一定時間身動きが取れなくなり、そこでハチは再び頭部に針を刺し、ゴキブリの脳内にある危険察知や逃走を司る神経を破壊する。
麻痺が溶けたゴキブリは再び活動を始めるが、脳内の神経を破壊されている為逃げ出そうとはせず、ハチに触覚を引っ張られ巣穴に連れて行かれると、そこで卵を産みつけられるのだ。
孵化したハチの幼虫はゴキブリの身体を食べ始める訳だが、幼虫はゴキブリがすぐに死んでしまわない様に重要な器官を避けて食事をする為、ゴキブリは生きたまま食われ続け、死ぬまで新鮮な肉を提供し続けると言う悲惨な結末を迎えるのである。
その話を聞いていた鹿島は大淀と同じように顔を引きつらせた。
「あの……、えっと……、なんで神経の場所分かるんですか?」
「そう言う進化をしたからです」
「ど、どんな進化をしたらそうなるんですか⁉︎」
「不明です」
「ヒッ……、意味不明で気持ち悪いですぅぅぅ‼︎」
虫は説明の付かない進化を遂げるものが数多く存在するのである。
大淀が挙げた例もほんの一例で、身体の構造の一部に歯車を搭載する虫や、針に金属を用いる虫や、体内にジェット噴出機構を持つ虫など、意味不明に理想的で高性能な構造を持つ虫は多いのだ。
その不気味さから鹿島も大淀に混ざって戦慄し始める中で、香取は冷静に考えていたのか篠原に質問をした。
「提督、人に寄生する虫はいるのでしょうか」
香取の質問は、狼狽る大淀と鹿島を硬直させて注目を集めさせる程度にはインパクトが大きかったようだ。
篠原は答える。
「ああ、沢山いるぞ」
彼が答えた瞬間、質問した香取より素早く大淀と鹿島が反応し、焦燥に駆られたように捲し立てた。
「ててて提督ッ、いるんですかッ⁉︎ この島にそんな虫がいるんですかッ⁉︎」
「の、脳を破壊する虫⁉︎」
「落ち着け2人とも、それに鹿島、人の脳を破壊するような虫は滅多に会えるもんじゃ無い」
「ヒッ⁉︎」
「存在するんですかぁぁぁぁッ⁉︎」
鹿島は「そんなものは居ない」と言って欲しかったのだろうが、現実は甘くなかった。
顔を青くして震え始める2人を見た篠原は、ここに来てようやく「人選を間違えたかも」と考え始めていた。
因みに、香取と鹿島は練習艦という事で来て貰っていて、実は大淀は来なくても良かったのだが、篠原の「いつも一緒にいるし」と言うフワッとした理由で連れて来られている。
本人がその事を知ったら激昂は免れない状況になりつつある為、彼があえて口にする事は無いだろう。
それから浜辺を離れて林の中に入り数分が経った頃、4人は木の間隔が広い開けた空間に辿り着いた。
篠原はその場に背負って来た荷物を下ろすと、辺りを見回しながら言った。
「うん、この辺かな。 水平が取れた広い空間を確保出来れば上等だろう」
香取も彼に習い辺りを見回しながら話しかけた。
「確かに空間の確保は出来ましたが……、雨風は凌ぐにはテントなどが必要そうですね……。しかしCSARを前提とした場合、戦闘も予想されるので艦娘に持たせられる荷物にも限界が……」
「雨風を凌ぐだけなら何もテントは必要ないさ、持ってきた荷物に確か……」
篠原は言いながら鞄を開けて中を弄ると、片手に収まるサイズに折り畳まれた黒のビニールシートを取り出した。
「コイツが役に立つんだ、サイズこそ小さいが端を木に結んで広げれば1人か2人分位の屋根は出来上がるだろう」
彼は実演して見せて、シートを広げて端に紐を通すと木の間に括り付けて即席の屋根を作り始めた。
黒いシートは目立ち難く、尚且つ日光を遮り日陰を作り出し水も通さないので、屋根として申し分ないだろう。
「これが最も簡単な屋根の作り方だな」
「風はともかく、これならば雨は凌げそうですね。 荷物としても嵩張りませんし」
「生身の人間が長時間雨に晒されるのは危険だからな。 それとビニールシートさえあれば、水分もある程度確保出来る」
「あっ、それなら私も知っています。 水蒸気を利用した仕掛けを作るのですよね?」
ビニールシートは雨水を溜める事が出来るのは勿論だが、それ以外の方法でも水を確保する事が出来るのだ。
香取が言った水蒸気を利用する場合は、先ず日の当たる地面に穴を掘り、穴の中央に水を貯める容器を置いて、最後に穴をビニールシートで蓋をするように塞いで、中央に石などの重りを置いて窪ませると、穴の内の空間が日の光に温められ、水分が気体となって上に登って行き、シートにぶつかると今度は外気に冷やされ水滴となってシートを伝い、窪ませた中心から容器の中へ滴り始めるのだ。
これを応用して青草など水分を含んだ物を集めて穴の内部に置くと効率が上がり、より多くの水を確保出来るだろう。
篠原はその説明を終えると、肝心な艦娘のケースを想定して話題を振り始めた。
「暑さや寒さなど環境をどうにかする事が出来た場合、ようやく次のステップに進める訳だが……、艦娘の場合は衣装に宿る加護で体調管理を行えるんだったな?」
艦娘は加護が宿る限り、最も高いとされる怪我や病気などの死因とは無関係でいられる上、その気になれば暫く食事も摂らずに過ごす事も出来るだろう。
香取は頷きながら答えた。
「はい、私達艦娘の場合ですと雨風も食事も気にしないまま過ごす事も出来ます。 ですが私達が学ぶ事は如何にして救助対象を延命させるか……、ですよね」
「その通りだ、お前達艦娘はサバイバル生活において圧倒的なアドバンテージを誇るし、なんならサバイバルする必要もない。それを利用して何処まで出来るのかを実践しながら調べていくのが無人島に来た理由だからな」
「この衣装に宿る加護の恩恵を活用するとなれば、まず私達は天候も日夜も問わず活動出来ます。 そして先程提督が仰っていた虫害も恐らく私達には影響はないでしょう……、だから鹿島、いい加減落ち着きなさい」
声を掛けられた鹿島は篠原が屋根を作っている間も話している間もずっと何かを警戒して大淀と一緒になってキョロキョロと挙動不審になっていたのだ。
「だ、だって香取姉ぇ……」
「艦娘である私達は対象を出来る限り安全にする訳だから、虫からも守る事になるのよ? 貴女が怯えてどうするの……」
「ひ、人に寄生する虫も加護があればどうにかなるんですか……?」
鹿島の言葉を聞いた篠原は首を捻って真剣に考え始めた。
「……風邪を引かないって事はウイルスや細菌にも加護が対応しているって事だよな……、つまり身体に何らかの不具合を発症させる場合は加護の効果が現れるって事か……?」
「て、提督さん……?」
「えっとな、滅多に実害を与えない奴も中には居るんだよ。 ただ身体の中で老廃物とか食べて暮らしてるだけの寄生虫とか、流石に増えすぎると不具合が生じるが、その場合どうなるんだろうって」
「な、何でわざわざ人の身体の中で暮らすんですか……⁉︎ 外に出て自立した方が生き物として立派だと思いますけど!」
「いや……、俺にそんな事言われても困るよ。まぁ試しようが無いから分からないが、その辺の葉っぱとか草とかを生で口に入れたりしない限り寄生虫は入って来ないから大丈夫じゃないかな」
篠原はコホンと咳払いして仕切り直し、改めて説明を始めた。
「まぁさっきも言った通り、目的は救助対象を死なせないようにする事だ。安全を確保したなら次は水の確保だ、こちらは約3日間の猶予がある」
「3日ですか……、水蒸気を利用した装置は天候で大分効率が変わりますし……、もしも救助対象が複数名いた場合は……」
「その調子だ香取、凡ゆるケースを見越してどんどん思考を巡らせよう。 因みに健康を維持する為に必要な水分量は最低でも1日1リットルだ、長期を想定した場合は纏まった量の水を確保したい所だな」
「そうした場合は対象に安全な場所に留まってもらい、環境を無視できる艦娘が水源を探すと言う方法も取れますね……」
「ああ、知識の無い者は事故を起こしやすい。 もし対象が言う事聞かないで勝手にウロつく奴だったら縛り付けても良いくらいだ」
「……そこまでする理由があると言う事ですね」
「勿論だ、自然界で知恵に頼らず直感に頼った本能的な動きをする奴は真っ先に死ぬ。 怪我の危険性はもっともだが、自然界で罠を貼る生き物は例外なく本能的な動きをする動物を標的にする訳だからな」
「なるほど……」
香取が真剣に考えを巡らせ始めたのを見て、ようやく鹿島や大淀も落ち着きを取り戻して本題に取りかかり始めたようだ。
鹿島は篠原に質問を始めた。
「提督さん、安全な場所の条件と言うのは具体的にどの様な条件でしょうか」
「正直な所、季節や気温による。暑ければ暑さを凌げる場所、寒ければ寒さを凌げる場所……と言った感じかな。 他には攻撃してくる他の生き物がいない事、そして事故の可能性が低い場所、例えば急激な斜面だとか、ぬかるんだ地面とか……、安定した地盤も重要な要素だ。難しく考えないで、“快適に過ごせる場所”と思ってくれて構わないよ」
「では、今この場所は安全と見ても良いのでしょうか?」
「対象が健康で適切な格好なら安全と言えるな、逆に既に負傷していたり薄着だったりした場合は火を焚くなどして暖めた方が良いだろうな……」
「そうですよね……、救助対象が無傷とは限りませんからね……」
「ああ、そうだった。 今現在俺達がいるこの場所は落ち葉の上だけど、寝かせたり座らせたりする場合は必ず地面を露出させて、可能なら石か何かを椅子にしたり、シートを敷いてから寝かせるようにしてくれ。 落ち葉の中に紛れてるダニやノミも感染症を引き起こす厄介な奴等だ」
「な、成る程……、気をつける事が沢山あるんですね」
鹿島に続いて大淀も質問をした。
「提督、環境の重要性は判りましたが、食料問題はどうなるのでしょうか……?」
「食べ物は一番優先度が低いな……、人は大体10日間は何も食べずに生きていけるし、それまで猶予がある」
「……怪我や病気を患っていた場合は……」
「容体によるが極端に短くなると思って間違いは無いな……、免疫に回す栄養が補充出来ない訳だから悪化の一途を辿り、餓死する前に別の死に方をするだろう。 他にも食べなかった事による免疫力の低下で、本来なら平気だったけど体内に潜伏していたウイルスが悪さをする場合もあるから、可能な限り早く食料調達に努めるべきだろうな」
「優先度は低いが無視はできないって事ですね……。ですが敵領域内ですし……、海に近寄れませんし食料調達の難易度は高そうですね……」
植生学に詳しくなければ食用出来る植物やキノコなど見分ける事は困難だろう。
無害そうに見える植物も毒性を持つものが数多く存在し、キノコ類に限っては食べる事が出来るキノコの方が少なく、全体の1割にも満たないのだ。逆に9割が有害であるので、食べない方が賢明である。
更に今現在は冬季でもあり、自然の実り自体が少ない傾向にあるため、香取も大淀と同じ発想に至ったのか食料について考え始めた。
「動物を狩る……? ですがそんなに都合良く他の動物が出てくるとは思えませんし……」
「昔の方はドングリなど木の実を食していたそうですから、そう言ったものを探す……?」
「何度もアク抜きを繰り返せば食べる事が出来るようですね。 この島にドングリの木があれば可能でしょうが……」
必須要素の中で最も優先度が低いとされた食料問題だが、最も難易度が高い事に彼女達は気が付き始めたようだ。
環境は一度整えてしまえば何とかなる、水は水源を見つける事が出来れば、煮沸すれば好きなだけ飲めるので困る事は無いだろう。
だが、食べ物だけは別格で、一度見つけても次を探し続ける必要があるのだ。
彼女達が案を練り始める中で、話を聞いていた篠原は鞄の中から小さなスコップを取り出して、近くにあった倒木の表面をガリガリと砕いて掘り返し始めた。
その様子が気になった鹿島は彼の側によって行動について尋ね始めた。
「どうしたんですか提督さん?」
「食料問題について話してたからな、確かこの辺に……」
「何かあるんです?」
鹿島が篠原の手元を覗き込んだその時、彼女は「きゃあ⁉︎」小さく悲鳴をあげ、その声に香取と大淀が振り返った。
2人が目にしたのは、倒木の前にしゃがみ込む篠原の背中と、驚いた表情で若干距離をとった鹿島の姿であった。
「鹿島?」
「どうされました?」
「て、て……、提督さん……、それは……」
「結構デカイのが見つかったなぁ……」
何かを掘り当てたらしい彼は、振り返ると収穫物を乗せた手のひらを彼女達に見せつけた。
瞬間、大淀は白目を剥いて凍り付いたように硬直し、香取だけが反応する事が出来た。
「……幼虫ですか?」
篠原が掘り出したのは冬眠していた何かの白い幼虫で、太い親指程度のサイズはあった。
何度も虫嫌いをアピールして来た大淀だったが、ここに来て本物を目の当たりにして思考が飛びかけ、更に畳み掛ける様に彼が聞き捨てならない発言をした。
「これが非常食だ」
「……食べ、る……? それを……? まさか、そんな……」
「まぁ虫嫌いなお前には酷な事かも知れないが……、昆虫って火を通せば大体食べられるんだよ」
「……」
大淀が再び白目を剥いて絶句した為、代わりに鹿島が引き気味に質問をした。
「お、お腹壊したりしないんですか……?」
「雑菌の類は火を通せば死滅するから問題はない、ただ昆虫がもつ毒素だけはどうにも出来ないから、毒を持っていたり、不衛生な物を食べる昆虫は避けるべきだな」
「……そーですかぁ……」
「木があれば昆虫は必ずいる、だから海で魚を釣ったり動物を狩ったりするより遥かに効率が良いぞ、嫌悪感さえどうにか出来れば虫だけで何年でも生きる事が可能だ」
「な、何年も……⁉︎」
「人間が生きるために必要な栄養素を全て補えるからな」
「えぇ……」
虫を食べる事、昆虫食と呼ばれるそれは、とても効率の良い栄養摂取方法だったりするのだ。
昆虫は肉よりもグラムあたりの栄養価が飛び抜けて高く、また吸収効率にも優れ、下手な健康食品よりも遥かに優れた食材にもなるのだ。
昆虫の種類によって栄養価は異なるが、どんな虫でも大体100gも食べれば2〜3日分の栄養にもなる程だ。
更に、昆虫は殆ど理屈に沿った生態をしている為、見分ける事が簡単なのも大きなポイントだろう。
そうして篠原は虫の栄養価がとんでもなく高い事を説明し、寧ろ不気味に感じた鹿島は絶句してしまったものの、香取だけは冷静だったようで、手のひらの上の幼虫をマジマジと観察していた。
「……確かに、コレなら狩りで獲物を追い掛けるより遥かに安全で効率的ですね……」
「倒木があれば真冬でも見つける事が出来るぞ、この幼虫は多分カブトムシかな……」
「火を通して食べるんでしたっけ?」
「ああ、カブトムシの幼虫は噛めば噛むほどゲロ不味いが、背に腹は変えられないだろう?」
「そうですね……、ですが本当に効率的です。 持ち込んだ携帯食が尽きた場合、救助対象には昆虫食でやり過ごして頂きましょう」
「持ち込んだ分が無くなる頃には結構獲れそうだしな」
斯くして、不運にも何らかの事故に遭い、深海棲艦の領域内で孤立してしまった救難者は、時と場合によっては艦娘達により沢山の虫を食べさせられる事が決まったのであった。
人によっては死んだ方がマシかも知れないが、生き抜く為、致し方無しである。命を大事にする艦娘達は心を鬼にして力技で食わせるだろう。
その後、食料問題について話し終えた2人だったが、突然鹿島が焦燥に駆られた声をあげて注意を促した。
「て、提督さん……‼︎」
「ん、なんだ?」
「お……、大淀さんが……、もうダメみたいです……」
「え?」
篠原が身体ごと鹿島の方へ振り向くと、倒れそうになっている大淀を必死に支えようと踏ん張っている鹿島と目が合っていた。
一方で大淀はこの世の終わりを見たような壮絶な表情で硬直し、気を失っているのか反応が無かった。
「……虫を食べると言う発想だけで気を失ったようです……」
「マジか……」
“虫を食べる”、“虫が100g”、“沢山いる”、“虫を噛む”、“噛めば噛むほどゲロ不味い”、虫嫌いにとって凶悪すぎるワードの連発に、彼女の意識は嫌悪感のあまり遠退いたようである。
こんな調子だが、彼女達のサバイバルはまだまだ続くようだ。
◇
サバイバル1日目にして犠牲者が出てしまいました。
だけど命に別状は無いので2日目に続きます。
前置きも終わったので次回はそんなに長くなる事は無いかと思われます。
おはようございます~♪
待ってましたの続編ですね~!!
それにしても、りぷりぷさん料理好きでしょ?そうに違いあるまい(笑)
川内ちゃんはきっと心の中でガッツポーズ決めたんでしょうね♪
コメントありがとうございます!
何とか更新にまで漕ぎ着ける事が出来ましたw
料理ですか? 別に普通ですよ普通(
とは言え手間暇掛けた物を美味しいって言って貰えると本当に作った甲斐もありますからね、そう言った密かな達成感は好きですw
…りぷりぷさん、なんてことを……強烈な飯テロを食らわされました笑 くそぅ…こんな時間にぃ!
しかしながら、本当に良い関係ですねぇ。なんというか「篠原ポジになりたい」というより「完全な第三者として見守っていたい」というような関係?そうだ…私は…鎮守府…篠原艦隊の鎮守府となりたい(?)
コメントありがとうございます!
上手い人が作った角煮は驚く程美味しいんですよね……、私の語彙力では風味豊かとしか表現出来ないほど深い味付けは中々忘れられません(。-∀-)
そして目指すならせめて有機物にしましょう、無機物を目指しても何もなりませんよ!
おはで~す(^o^)
あはは♪理想の男性像に生命力と戦闘力を言われてもねー(笑)
流石は艦娘!脳ミソ筋肉ですな♡
次回は大淀さんと鹿島さんは某ヨットスクールばりの地獄を味わうんですねっ!!
香取さんは…とばっちり感あるけど…強く生きてねっ( ̄▽ ̄)ウッシッシ
コメントありがとうございます!
今回は理想像に対して悪ノリが多めでしたが、真相はどんなものでしょうかね……w
続きは現在執筆中ですが、わりと筆が進むのでもしかしたら今回ほど時間は掛からないかもしれません!
それと雑学多めな回にもなりそうですw
こんちは~(^o^)
なるなる♪雑学多めの回でしたね~♪
サバイバル環境下においては知識が重要って事ですね!勉強になりましたっ!!
虫嫌いの大淀さんには地獄の無人島生活でしょうけど…あっはっは(笑)
コメントありがとうございます!
ぴぃすうさんも遭難してしまったら虫食べて健康維持しましょう……!
冗談抜きでコオロギなどは牛肉の2倍くらいタンパク質があって、牛乳以上のカルシウムが摂れるとかで、筋トレ中の人とか好んで食べる人もいるそうですw
まぁ、私は虫食べたくないので遭難するような場所には近寄りませんけど!
ヤッタ~新作が来てたヽ(・∀・)ノ
毎度の事ながら、キャラの特徴を巧く表現しますね。今回は川内の、立てば煩く座れば喚き口を開けば夜戦夜戦、が確かにと納得して笑えた。
コメントありがとうございます!
出来るだけキャラクターのイメージが損なわれないようにしているつもりなので、そう感じて頂けて嬉しいです!
更新が待ちどうしいです
コメントありがとうございます!
更新が滞ってしまい本当に申し訳ありません……
現在、出張に駆り出されておりまして、落ち着いて執筆出来ない状況の為、もう少し期間が空いてしまうかもしれません……。
ですが、少しずつ着手しているので次回の更新だけはもうすぐ出来そうなので、暫しお待ち下さい……
お身体にお気を付けて
更新待っています
もう書く気力が無くなってしまったんかな?、
もう何周かしてますが、全く飽きませんね〜。新たな発見とか以前とは違う解釈で読めるので、いつも新鮮に感じることが出来る素晴らしい作品だと思ってます!
気長に周回しながら待ってますので、気が向いた時にでも更新して頂ければ幸いです。お待ちしてます<(_ _)>